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2017-05-21

結局のところどうやったらまともな人間に育つんだろうか

自分がまともな人間だと胸を張って言えるわけではないけど、

それでも自分よりはるかにまともじゃない人間ネット上にはゴロゴロいる。

・・・と感じているのは俺だけじゃないと思うが、

いったい「まともじゃない」人たちをそのようにしてしまった要因は何なんだろうか。

あるいは、それなりの「まとも」さはどのようにして獲得されたのだろうか。

自分省みると、最も大きな要因は「単に歳を取ること」であるように感じる。

歳を取ることそれ自体が、自分という人間の変に尖った角を少しずつ削っていったように思う。

しかし、いい歳したオッサンやオバサンが炎上してるんだから、歳を取ればいいってもんでもないだろう。

うーん。後はブクマカのご高説に委ねることにする。

2017-05-20

左翼の話

前提として自分は割りと右より

結果左翼は好きになれない。

思想問題は、理解出来る部分はある。

ただ、多くの左翼自分を全く省みることもせずにただ文句を撒き散らすだけに見えてしまう。

政権打倒思想を実現するための手段だったはずなのに、もう打倒することが目的になっている。

打倒した結果その後どうなるかを全く考えずに。

反差別主義のはずなのに右寄り思想が世の中に存在することすら許さない風潮があり、「私は差別と黒人が嫌いです」みたいな冗談を本気でやっているようにしか見えない。

政権は割りとリベラル寄りな政策も行っているのに反対しか言わない。

もうちょっと左翼しっかりしてくれないと、それこそ政治暴走しかねない。

アホなことばっかやって支持率下げるのはもう辞めてよ。

2017-05-08

増田不貞女子がつらい。

当方四十路。男性。既婚者。

カミさん女神だと思っている。が、

結婚するまでにそれなりの恋愛経験もあるので、

すべての女性に対して聖女であることを求めたり、

潔癖な貞操観を押し付けたり、

必要以上に崇拝していたりするわけではない。


しかし、最近増田でちょくちょく見える、

不貞暴露が辛い。

なにが辛いって、どの女もほとんど同じで

パートナー不貞相手の心情を

まったく汲もうとしてないところ。

自分の心情、自分の都合、自分の逡巡、自分承認

自分の来し方行く末、自己憐憫自分の性欲、自分の満足、

徹頭徹尾自分自分自分自分

彼女らが興味を持っているのは、ただただ自分なのだ


愛というものは苦しいものだ。

愛の楽しさ・うれしさ・ありがたさと苦しさは表裏一体だ。

受け取るにしても与えるにしても、

相手とかみ合わなければならず、

残念なことに往々にしてそこには不整合が多い。

からこそ人は苦しんでそれを乗り越えようとする。

相手の心を知ろうとし、気遣いをし、

相手幸せであることを願うがゆえに自己を省みてあるいは否定し、

あるいは新たな相手自分発見し、

自分を改良し、あるいはケンカをし、話し合い、

その不整合を減らしていこうとする。

ふたりふたりでいることの安らぎは、

そのようにして作り上げていかれる。


しか彼女らの文章にそれらの愛の態度はシミひとつも滲まない。

徹頭徹尾自分自分自分自分

彼女らの自己陶酔の前では

彼女らのパートナーの苦しみは不毛であり、

彼女らはパートナーの苦しみとその結果の愛の幸福平穏を、

搾取し、己の都合だけで台無しにし、それを省みることはない。

自己憐憫自己陶酔自傷行為としての増田投稿

徹頭徹尾自分自分自分自分


このような手合いが増田でさえ散見されるわけで、

世にこういう人間は決して珍しくはないのだ、

俺のすぐ近くにいるかもしれないのだと思うと、

本当に哀しくなる。

人というものが信じられなくなる。

2017-05-02

撮り鉄馬鹿にしているオタクが多いけど

例えばアニメとか特撮とかでも、オタクマナーが悪いからと

子供向けイベントだと「小学生以下の児童と付き添いの保護者以外入場不可」となってるものも多くて

それに不満言ってる奴もよく見るんだが

そういうのがいない事にされて、マナー悪いのは撮り鉄だけという事になってるのを見ると

わが身を省みる事は出来ないんだなあと思う

2017-04-21

朝早くに見かけた女学生

すっかり昼夜逆転してしまい、夕方にベッドから出て、夜から事務所作業しながら、朝を迎えた。今日はあまりパッとしない曇天である

作業をしている内に小腹が空いたので、朝食を買いにファミマに向かう途中、綺麗なセーラー服を来た女生徒数人とすれ違った。近くに育ちの良い子達が通う女子校がある。

まだ7時だ。こんな早くから部活動でもあるのだろうか…自分場合、授業開始に間に合うよりも早く、学校へ来る事は無かったように思ったが、少し考えている内に、この時期の記憶がいくつか思い起こされた。

新学期、新学年、もしくは高校大学、新しい学舎に通う場合普段よりも幾分早く登校する事があった。

敢えてピーク時の通勤通学の電車を避けようと早起きしてみるなど、自分にとっての快適な朝の時間帯を模索するような事をしていた。

いつもより早い教室や、誰もいない食堂ロビーなどで自分時間を過ごして、漠然と新しい環境での振る舞いについて検討するような事が確かにあったのだ。

それでも夏になる頃にはすっかり慣れてしまい、時間通りに登校する事になるのだが…

新しい環境適応するため、どうしても余所余所しくなる自分を、なんとかその場所に馴染ませるような、どこか落ち着かない日々を過ごしていたように思う。否応無く変化を迫られる、自分の立ち振る舞いを省みる、そんな機会だった。

本当のところ、彼女達がどうなのかは知らないが、3年毎に新しい環境へ身を置き、適応するため自己を変容させる学生時代自分がいた事を全く忘れていた。

仕事の締め切りに追われ、それらを潰すべく慌ただしく働いている内、月日が猛烈な速度で流れていく。新鮮な気持ちはとうに消え失せ、変化の少ない日々の繰り返しの現在

せっかく4月なのだから自分にも何かしらの変化を迫ろうと思い、こうして、はてな投稿してみた。少しでも日々の張り合いを作れればと思う。

2017-04-06

自分自己肯定感が低い理由の一部がわかった

お花見でもして浮かれているんじゃないの?」と母親留守電メッセージを入れていた。

物凄く腹が立ったが、冷静に考えて納得したことがある。

こういう性格の親に育てられたら、そりゃあ自己肯定感なんて持てる筈がないという事に気付いたのだ。

統合失調を患い入院してた母が、病棟から電話を掛ける様になってきた。

入院当初は文法もまともじゃなく、四六時中幻聴に取りつかれていたようだが、

最近は薬の効果があるらしく、比較的会話が成立するようになってきた様だった。

しかし相変わらず病識はなく、会話の中で彼女の敵が現れ、悪い事をされている妄想がたまに出る様だが、

数年前の最低限の社会生活ができていた頃の状態にまでは戻っている様な印象を持った。

先日「春物の服が無いから持って来てくれ」という要求があった。

多少の回復を喜びつつも、男の見立て申し訳ないが、女性用の服やら、見舞いの品を持って行った。

見舞いの際は服も差し入れもとても喜んでくれ、会話も比較的まともになりつつあり、それなりに喜ばしい時間を過ごして戻ってきた。

医師ケースワーカーさんとも話したが、やはり今後も病識をもってもらう事は難しそうという見解だった。

しかし、入院時の完全なる狂気状態は脱している様で、これからどうするか、という事も徐々に考え行きましょう。

という事でその日は帰った。

そして今日留守電に入っていたのが、冒頭の言葉だ。

なんでも持って行ったパンツやらスカートサイズが合わない、気に食わないという不満の表明と文句が延々と入っていた。

そして最後に「お前は、花見でもして浮かれてるんじゃなの?」だからからまともな服を買ってくることもできないんだろ、

という趣旨の吐き捨てる様な言葉が入っていたのだ。

私は彼女妄想の中で花見でもしていたのだろうか?

先日は花見話題は全くしていなかったのだが。

自分意図に沿わない服を届けられただけで、その相手に対し「花見でもして浮かれてるんじゃないの?」と言い放つ。

病気の症状が軽減されて現れたのは、かつて自分が嫌った親の姿だった。

ああそうか、そうだった、こういう人だった。

こちらの苦労や意図など全く無視して、自分の都合でしか物事を考えず、自分が常に正しいと考え、

自分省みる事がないから、周囲の人間を傷つけ、呆れられ、孤立する。

元来の性格狂気を呼んだのだなと改めて思わされた。

何かをやろうとしても、母の意図に沿わないと否定され、激高し、ののしられる。

そのようにののしられて育った記憶がよみがえり心がざわついて仕方がない。

そんな親に育てられた子どもの頃の自分は、きっとけっこうかわいそうな部類だったのだろう。

でもだからこそ、今、自分を認めてくれる人を大事にしようと思うし、

自分必要以上に否定する必要もない事に改めて気付く事ができた。

母との溝は絶対に埋まることはないだろう事を改めて予感しながら

退院後、どう接して行けば良いかを考えて行こうと思う。

スカートやらパンツは改めて郵送でもしてやろう。

2017-04-05

結局なんだかんだ言いつつも自分も周囲も完璧超人を求めてる

自分を売り込むことにおこがましさを感じる

http://anond.hatelabo.jp/20170404192727

こういうのにありがちな結論で、自己肯定感が低いとか、完璧主義から力を抜けとかいうところに落ち着くんだけど、本当に残酷だと思う。

仮に自己肯定感が強くて、自信に満ち溢れている人がなにか間違いを犯したとして、それを自己肯定感の強さゆえに認めなかったら、それはそれで叩かれる。

当たり前のことではあるが、必要とき必要なだけ自分への自信が求められて、必要とき必要なだけ自分省みることが求められる。

良くいえば、重要なのはバランス感覚ってことになるんだけど、悪くいえば、つまりそれはあらゆる状況に即した完璧中庸が常に求められるということでもある。

スピリチュアルな感じでいうならば、ありのままを見つめて、善悪判断せずに事実だけをそのまま受け取れ、ってことでしょ。

完璧主義っていうと、100点しかありえないみたいな極端思考のことを言うと思うんだけど、俺からしたら「要はバランス」的な答えこ完璧主義理想主義極致だと思う。

そんなこと誰だって分かってるだろうし、そうできるのが理想なことぐらい言われるまでもないが、本当にそんなことできてたらとっくに世の中全員仏陀だよ。

バランス中庸を、自分と周囲の内外二つから圧力によって求められるって、これほど息苦しいことはない。

2017-04-01

エイプリルフールを腐す人間

潮流が気に入らないからといって、楽しんでいる人たちの輪の中に入って、わざわざ冷や水をぶっかけ人間にはなりたくないね

まあ、面白ければOKってのを大義名分にするのもよくない。

逆にいえば面白くなければダメっていうことにもなる。

面白いかどうかなんてのはいずれにしろ主観しかない、個人の嗜好だもんね。

個人の嗜好自体結構なことだが、それを大義名分にしたり、正論すり替えるなんてのは下の下。

嘘の多様性認識し、区別する。

その都度、臨み方を変える柔軟性が大事なのに。

ただ自分が気に入らないという理由だけで腐す行為

それは、その人たちのいうナンセンスな嘘以下の行為であるという自覚が足りない。

から、そういった言動をしてしまい、省みることもしないのだろうけど。

2017-03-31

就活について覚えていること/考えていたこ

 自分就職するのだな、というのが決定的になったのは、大学三年の正月帰省したときだった。そのとき姉は子どもを身ごもっていて、結婚式の準備を進めている時期だったと思う。両親の住む実家はいつになく浮き足だっていて、居間に鎮座した年代物のコンポが機嫌のよい音楽を流しているのを何年ぶりかに聴いたりした。この雰囲気だったら言っても大丈夫だろうかと思った。家に着いたその晩、おそらく姉の結婚式やお腹のなかの子ものことをしばらく話したと思う、そのあとに切り出した。あのさ、大学院に行きたいっちゃけど。

 予想外に、部屋の空気が一瞬で凍りついたのを覚えている。両親は言葉を発さず、コンポから流れる陽気な音楽荒井由実セカンドアルバムの六曲目、あなただけのもの、)がいっきに、なにか強烈な、皮肉めいた疎外感のようなもの演出する異物となって浮き上がった感触があった。しばらくして、母が重々しく口を開いた、なん言いようね、そげんお金なかよ。大学院てなんね。行ってなんすると。もとより自分も、大学院で何か研究したいことがあるわけじゃなかった、研究というのが何をすることなのかもよく分かっていなかった。ただサークルや何やで接する先輩たち、自分より二年間長く学生でいられる、その二年間は就職せずにいられるひとらのことがうらやましかった。その程度の動機だったから、突如として部屋に現れた重苦しい空気を前にして、うっかり声に出した気持ちは途端に冷え切り、しぼんでいった。なんでんなか、分かった。話を逸らすような話題もなく、アルバムが次の曲に行ってしまうまえに居間を出て階段を上がった。あのコンポ音楽を流しているのを聴いたのはそれが最後だったと思う。

  *

 就活はいろいろな街へ行った。下宿していた福岡から、十分な交通費支給されるとき新幹線飛行機LCCはまだなかったから、スカイマーク)で行き、そうでないとき夜行バスで行った。その土地の知人に当てがあれば泊まらせてもらうときもあり、ネットカフェに泊まるときもあった。神戸三宮とか東京蒲田とか、そのころネカフェに泊まったっきり訪れていない街がいくつかある。

 就活にかかる交通費は多くの同級生にとって悩みの種だったと思う。専攻柄、東京一極集中したメディア広告出版関係企業を受けるひとが多かったせいもあったか、とにかくいか交通費破産せず就活を乗り切るかはひとつ重要テーマとして共有されていた記憶がある。自分もそんなに多くの交通費を出せる状況ではなかったので、受ける企業の数をかなり絞っていた。当時の就活サイト提唱する標準的エントリー数は二十社くらいだったけれど、自分は十社も受けなかった。それでも度重なる関西関東への移動はそれなりに負担で、特に東京会社選考が進むたびに片道半日以上かかる夜行バスを往復するのは楽ではなかった。

 夜行バスが発着するのはたいてい新宿西口だった。あるとき、行きのバスに乗っていた添乗員さんと、帰りのバスでも鉢合わせたことがあり、乗り込みざまそのひとが、就活ですか、がんばってね、と声をかけてくれた。あのひとはたぶん、その数日間だけじゃなくてずっと、何十往復も、あの片道半日はかかる夜行バスに乗りつづけていたのだと思う、いまも乗りつづけているかもしれない。西新宿ビル街を歩くと時々そのことを思い出す。

 支給される交通費収入を得るモデルを立てていたひともいた。関東実家や知人のところに滞在しながら、東京会社をたくさん受け、それぞれの会社に対して福岡東京間の交通費申請して利益を得る手法だったと記憶している。あるいは近場であれば、実際には18きっぷで移動しながら新幹線のぶんの交通費を出してもらう方法もあったらしい。これは静岡会社大阪から来ていた子が教えてくれた。会社でいっしょに最終面接を受けたあと、内々定をほのめかす説明会から帰るバスの中でのことだった。その子はすでに他社から内々定を得ていて、ほんとうはそちらに就職するつもりだと言っていた。第一安倍政権ときで、少なくとも経済政策はうまくいっていて売り手市場だったから、そのように交通費収入を得る目的で、実際には就職する気がない企業内々定までを得る学生はその子だけではなかったと思う。二年後にはリーマンショックが起こって、ふたたび新卒市場氷河期を迎えた(らしい)。もし自分大学院に進み、二年後に就活をしていたら、たぶん学部とき受かったところには受かっていなかっただろう。

 職を得るためにスーツを着ることは苦ではなかった。それは公立小学校から高校までをずっと制服で通わなければならなかったのと同じ程度の義務だと思っていた。大卒でそれをしなくてよい人生がどういう仕組みで成り立っているのか、そのころさっぱり想像がつかなかったし、いまでもその仕組みを十全に理解しているとはいいがたい。いずれにせよ、そうしたもの自分には関係のない、自分に与えられた生の可動域からは逸脱するものだと思っていた。もちろん、自分を取り繕って面接官に良い顔をすることとか、所与の経歴と志望動機矛盾なく有効に繋げる作業会社ごとに行うこと、そうした虚飾じみた行為への疲れはあった。リクナビみん就サイトを見るのも好きではなかった。けれど仕方のないことだと思っていた。ほかに生きられる道があるとも思えなかった、だからメンタツも読んだ、SPIも受けた、そうこうしているうち、他人自分矛盾なく説明するために用意したぎりぎり嘘でない物語の数々は、徐々に内面を染めかえ、自分なかに元々あったそれらと区別がつかなくなっていった。照明がおとされた夜行バスの車中で、自分は眠れずによく手を組んで、いろいろな願いごとをしていたけれど、どうか今度の面接が通りますように、内定が取れますように、そういうこともふつうに願った。

  *

 先日、はじめて海外旅行に行った。羽田から仁川経由でニューヨークへ向かう機内の十数時間体験しながら、ああ、これは博多から東京まで夜行バスでかかったのと同じくらいだなと思った。

 夜行バスに乗っていたとき自分にとって、海外旅行宇宙旅行も似たようなものだった。どうせ行けないのだから費用や行きかたなんて調べても意味のない、視界に入れたってしょうがないもの。行けるわけのない外国の遠さよりも、見慣れた田んぼ、そこにある変わらない暮らし、そういったものに思いを馳せるようになるのは、そのとき自分にはごく自然な成り行きだったと思う。だから新宿の街も好きではなかった。東口ネットカフェに泊まったりから歌舞伎町銭湯に入ったりする小旅行を、楽しんではいたけれど、駅の通路浮浪者排泄物のにおいが漂っていたのを強烈に覚えてもいた。長く住むところではないと思った、その都市に、けっきょくいまは福岡下宿していたのよりもずっと長いこと住んでいる。

 去年はじめて実際に調べた、二月のヨーロッパアメリカへ渡る往復航空券の値段は、盆や正月ラッシュのなかを新幹線実家に戻るのと大差がなかった。どうせ行けるわけがない、他に選べる道もない、と見過ごしてきたものごとの数を考えた。けれど、そのときはたしかに、それが自分の視界に映るもののすべてだった。その視界が十分に広くなかったとして、いまを測るための物差しとしては省みることかもしれない、けれど責められるものではない。いまとむかしの自分は違う、同じものでない、そのことは互いの存在を妨げない。一応は自分お金大学院を出て一年が過ぎ、将来の自分から先借りしているお金を返しはじめて半年が過ぎたいまはそう思っている。

2017-03-24

俺は仕事に誇りと命を掛けていると言った父親

自営業なんだけど、とにかく金がなく、それでいて、家庭を省みることも無かった。帰宅は決まって深夜だ。

当然のように、私が幼い頃に離婚して、親権だけは持ちつつも、それ以降私に連絡を取ることはなかった。

十数年前経ち、父方の祖父葬式で久々に会った父はまだ昔と同じようなことを言い続けていた。

親のスネを齧りながら続けてきた仕事けが父のプライドなんだろう。

祖父葬式から数年後、父は仕事を辞めた。

理由は、祖父遺産が入ったからだ。

散々私に説教を垂れたクソッタレは、数千万円と引き換えに、大切に抱え続けたゴミのような誇りを捨てた。

本当に、ゴミクズである

私が仕事を辞めるために、一日でも早く死んで祖父葬式を私に遺してくれることだけが、父に対する私の願いである。

http://anond.hatelabo.jp/20170323051122

2017-03-16

メッセージカード」が書けない

「寄せ書き」でも「メッセージカード」でもいいんだけどさ。

とにかく、あるじゃん。この時期特有の、卒業する人に対して「みんな」で書く、謎の儀式みたいなものが。あれが、ダメ。ぜんぜん書けない。

ノルマあるじゃん? 卒業生の人数だけ。今年は卒業する人が○人いるから、みんなちゃんと先輩方全員に書きましょう、って。何だよ、書きましょう、って。

インターネット一般的になったこのご時世でね、「手書き手紙」「手書きメッセージ」ってすごく贅沢なことだと思うし、送られた方もすごく幸せ気持ちになると思う。

からこそ、俺は、その贅沢な贈り物を、安売りしたくないの。

1年しか一緒に過ごしていないような先輩()に対して、安易に「おめでとうございます!」からはじめて、当たり障りのないことでつなげて、最後には「ありがとうございました」で終わるような、そんなメッセージは、「手書き」にはふさわしくないと思うの。

本当の手書きの、心のこもったメッセージっていうのは、何というか、そういう「無理やり絞り出した出涸らし」ではなく、相手への感謝気持ちだったり、秘めた想いだったり、そういうものが心の底から自然に溢れてきて、その上で、言語化しきれないようなものを、なんとか真っ白な便箋に書きつける。そういうものだと思う。そういう「手紙」なら、何枚でも受け取りたいし、(相手さえいれば)書いてやりたい。

強制されてそんな立派な手紙は書けないし(自分の中で、相手を思う気持ちがそこまで育っていない)、かといって建前を並べるのも、自分ウソをついているみたいで嫌だし、何より相手に失礼だと思う。

まあ、無理やり書いてきたんだけどさ。ちっさい紙数枚を埋めるのに、何時間もかかってしまった。

相手との思い出がそんなにあるわけでもなし、相手思想の片鱗でも理解できるほど深く関わったわけでもなし、自分がそんなにコミュニティの中で存在感があるわけでもなし。これで何を書けと???

こういうものをぱぱっと書いてしまえる人、世の中にいるよね。そういうのも一種の才能だし、羨ましいと思う。相手のことをなんとも思わないからこそ、適当に書いてしまえる人。どんな相手のことも大事に思えるからこそ、自然と書けてしまえる人。

中途半端に、「他人はどうでもいい」と思いつつも、「社会通念上まともなものは書きたい」とか思ってるような、俺みたいな人が、このクソ制度に一番苦しめられるのだ。

「書きたい人だけ書いて」だと、もらった枚数とかの差で、コミュニティ内がギスギスするのはわかるよ。仕方ないと思うよ。

でも、やっぱり、個人的な心情だけで語らせてもらえば、こういうクソ制度はやめてしまえ、って思うな。本当に「尊敬に値する先輩」だったら、そんな強制しなくてもメッセージが何通も贈られると思うし、逆にクソみたいな先輩には、強制しても雑な手紙しか行かないし、強制しなかったら何も行かない。フィードバック、じゃないけど、そんなのもありだと思う。日本学校は、「先輩」が自分省みることが少なすぎる。

2017-03-10

籠池がメディア先生ヅラ説教してて笑ってしま

こういう人間自分省みるってことはないんだろうな

2017-03-05

過去現在未来

沖縄旅行に行ってきた。大学院の同期のみんなと共に。

なんか普通に楽しくて拍子抜けした。やっぱり昔はあれこれと悩みすぎておかしかったんだなということを再確認した。

あの時期がなければ、もっと仲良くなれたんだと思う。でも、失った時間は取り戻せないけれども、今ある時間を進めていくことは出来る。

もっと仲良くなれたかもしれない友達、行けたかもしれなかった予定、出会うことになっていたかもしれない人たち。そうした過去可能性に思いを馳せることは簡単だが、結局それは意味のない作業であって、目の前には現在未来しか残されていない。

少し前に、人間普通精神状態の時は未来過去のことも考えないようになっている、みたいなツイートを見て、なんとなく腑に落ちたのを覚えている。現在のことに目を向ける、それはつまり、他のことに目が向かないほど忙しかったり楽しかったり、眼前になにか興味を引くものがあったり、そんなことを考えている余裕、キャパティリソースなどないほど自分の中が何かで満たされていることであって(自分を満たすものがなんであれ)、そうなっていれば人間なんてそんなものなのだということなのだろう。生きるという本能に従って食料を集め休息を取り、歌って踊って子をなしていた頃の人類は、頭でっかちな考えなんて持つ必要もなく、ただ生きるという前提の元に忠実に目の前のことだけをこなして生きていたのかもしれない、それもちょっと羨ましいな、なんていう度を越した原始回帰的考えにも至ったこともあった。しかし今は、意外と過去未来について思い悩んだりすることは昔からあったのではないかと思いもする。極端な話、そういう能力がなければ、歴史進歩せず、人類は今もずっと、延々と本能のままに動物的な生活をしていたのではないか。それをしなくなったら、人間人間たらしめる何かが失われるような気すらする

過去を悔やむことと省みることの間には大きな差がある。前者は意味のない作業後者現在未来を良くしていく上での不可欠な作業だ。僕は過去を悔やみやす人間で、そうした自分を変えたいと思ってもいるが、それは時には逆説的な快楽を伴う一種耽美的な作業でもあり、抜け切らないクセ、中毒のようなものになって自分の中にすっかり定着してしまった。しかし、悔やんでいる自分の中に現在自分はいない。そこには停滞した過去に耽溺する愚かな人間がいるだけだ。そんなことをしているくらいなら、少しでも今を楽しく、よりよくするための行動は何か考え、それに任せて生きたほうが余程良い。

この境地に至るまで24年かかった。これからは、少しでも現在未来自分に正直に生きようと思う。

頭でっかちなのでこうでもしないとうまく生きていけない。

なんか所々すごく気取った文章になってしまった。

乱文失礼しました。これは永久保存の訓戒として自分の中に持っておこうと思う。

2017-02-28

「世のため人のため」はエゴイズム

「世のため」とは人間社会のため、「人のため」とは他人のためなのですから人間至上主義エゴイズムほとばしっていることにはかわりありません。さらにいえば、自分のためでは無いということによってあたかも「エゴイズムではありません」っていう大義名分を得るわけですから、むしろ危険です。

「世のため人のため」は人間中心の利己なのですから、どうやっても、地球のためとか宇宙のためとか動植物国土風土のためだとかい価値観には直結しえません。

道徳と称するものは、(儒教の)信仰ですから、「道徳エゴイズムだ」というのはタブーであり、嫌悪されます中国文化圏は儒教信仰で、日本というもの儒教国家です。そして、国家社会を維持するための方策として、儒教教化されてきました。信仰を「間違っていますよ」と指摘されると怒るわけです、己の誇りの無さを埋めるために依拠するところですから信仰とは、無批判善悪が決まっていて、自然法則は抜け落ちます日本儒教国家ですから儒教道徳批判することは国家社会の既成構造、既成状態批判することと同じ、すなわち社会の既成状態によって助かっている人々にとって、儒教批判タブーで、絶対ダメであるわけですね。

さて、例えば「一番じゃなきゃダメ」だというスパコンにせよ、その神戸スパコンケイってやつは確かに例えば気象シミュレーションに用いることで災害予測技術の向上にも活用されています災害予測をすることで、「かけがえのない人命」が助かると、ほぼ皆思うでしょう?

問題は、人間ってそんなに大事タマなんか?ってこと。

人類人間至上主義で、他の動植物地球宇宙のことが抜け落ちています。例えば、人命のためだとか、国家のためだとか、人類のためだとか、子孫繁栄のためだとか、そういう目的資源も浪費するし、地球破壊して、それでもなお増殖しようとしてきました。その異常性を省みることすら、ほぼ全ての人は、しません。

人命のためとか、産業のためとか、経済成長のためとか、国家のためだとか言っていれば、いくらでも資源を浪費してかまわないという理屈になるでしょう。そのためには、化石燃料を浪費するし、核燃料を遣ってでも電力をジャブジャブ消費可能にしなければならないということになる。防犯のためならば電灯点けっぱなしにもするし、宣伝のためならば看板の電灯も点けっぱなしにするし、自家用車は売りつけるし、誰もがモノを所有し放題で浪費していいという社会状態にした方が都合がいいわけです。

そもそもは例えば神道にせよ、原初神道、つまり神祇信仰、いわゆる自然崇拝という時点では、地球宇宙自然現象に対する畏敬がありました。天皇祭祀を行いますが、その祭祀目的天神地祇、つまり自然自然現象の御機嫌を読むことです。それは、天皇以前の卑弥呼などであっても同じです。そういう超能力ESP)であり、そういう職業です。

それに対して、神社神道へと変遷し信仰対象が人へと換わり、そして人間我欲を満たすことが主目的の祈願ばかりが行われるようになり、さらには国家主義のいわゆる右翼にせよ国家神道と称する儒教信仰しているわけですけれども、そうなるともう人間社会至上のエゴイズムです。

人間ってそんなに大したタマなんか? 「かけがえのない命」っていうけど、どうせそのうち死ぬんだろ? それが当然の自然法則であるわけですから、その現実直視してイヤイヤしないのが、本来神道原初神道)もそうですし、本来仏教人間釈尊が説いた仏教)もそうです。

儒教国家主義だけではなく、民主主義とか共産主義とかでも凡そ、人間中心主義から脱け出られません。人間至上のエゴイズムから脱出するには、そもそもの自分自身思想が、脳が、その域に達する必要がありますデモクラシーであろうがコミュニズムであろうが、当の人々ひとりひとりがその域に達した生物にならなければ、人間至上から抜け出した自己客観視の可能スーパーエゴのある社会にはなりえないのです。むしろ民主主義かいってその域に達しない人が政治参加をして自己批判もしないでいると、エゴイズムによる政治になります。つまり衆愚政治になります。けれど言うまでもなく、独裁体制階級政治身分による社会であっても、社会差配する者がエゴイストであれば、話になりません。

そうすると、今の、安倍日本にせよ、プーチンロシアにせよ、トランプアメリカにせよ、どうなのかって、いちいちここで言うまでもないと思います

2017-02-18

一般向けの本を書いて有名になって大学教授になったひとたち

複数形なので特定の人を指している訳ではない。

小説以外の一般向けの本を書く人はライターと言われる存在であって、本が売れることによって収入を得るものである。それゆえに、本を売るために常識に反することや極端なことを書く。あるいは、その時に流行していること便乗して持論を展開したりする。なによりも、本が売れることを重視するのであって、正確性や真実性を省みることはない。

そういう有名人大学客寄せパンダとして教授にしたりすることがあるらしい。そんなことがあっていいとは思えないのだが、大学経営として学生を集めるために已むを得ないという判断なのであろう。こうして教授になったとしても、人の本質が変わるわけではない。むしろ客寄せパンダとして役割を果すためには、相変わらず極端なことや派手なことを言い続けなければならないのである

2017-01-24

ブコメというのは悲しい装置だ。

なぜなら、それは構造的に、裸の王様がひしめく場にしかなりえないからだ。

まりにも周回遅れな、粗野な、至らない短絡的なヤジのようなブコメと、

自称問題を熟知した口達者なブコメが、決して交わることなく言いっぱなし状態共存している虚しさ。

しかも、同じ人が、話題によっては前者になったり後者になったりして、人間というものの無様さを感じずにいられない。

もちろん、静かに他人の振り見て学んで自分を高めていける人もいるだろう。でもその時点で、ブコメ世界からは消えているのだ。

ブコメに居続ける人は、スター肯定され続けてしまうせいで、自らを省みることができず、成長することができない。

逆の意見に学ぶどころか、元記事の内容すら消化できているか疑わしいレベルで、ひたすらに持論を強固に塗り固めていける。

から、誰もが、ブコメに降り立つたびに、裸の王様へと変貌していく。魔の装置だ。

それを嫌気して、当たり障りのない一言感想しか書かなくなるのなら、もはや意義がないし、敗北主義だ。

やはり関わった瞬間に、魔に絡め取られる宿命なのだ

なぜそうなってしまうのか。

それはやはり、他人記事に乗っかって物申そうという精神堕落

100字程度で意見が言えると思っている精神堕落

この2点がサービス根底にあるからだろう。

ブコメが卑しさとエゴに満ち溢れた地獄と化すのは必定なのだ

2016-12-18

それでも私は、クラウドソーシング応援する。

welqの一件以降、クラウドソーシングに対する風当たりが強くなっている。

筆者は過去、主にクラウドワークス200記事ほどライティングを請け負ったことがある。だが、やがて「クラウドソーシングライターダメにする」と思い、それ以降は使用していない。ただ、世話になったことを差し引いても、たとえば主婦(夫)の方が新たな可能性を掴む土壌となったなど、素晴らしい点もあるサービスだと思う。

ただ、だからこそ、書いておきたいことがある。

それは、クラウドソーシングライターダメにするサービスと化している、ということだ。

     ◇

筆者がクラウドワークスを使っていたのは、2013年の夏から2014年の冬にかけて、およそ半年ほどだ。以下の話は当時の経験ベースにしている。ただ、発注者としてクラウドソーシングを利用している知人数人に話を聴いたところ、おそらく状況はいまでも似たようなものだと思う。

クラウドソーシングが、なぜライターダメにすると感じたのか。

それは「褒め殺しが横行している」からだ。お世辞と言い換えてもいい。

クラウドソーシング発注者は、なぜかやたらに褒めてくれる。いつどんな仕事を納品しても、

「いつもありがとうございます!」

「今回も迅速な仕事、助かります!」

「いつも素晴らしい仕事ありがとうございます!」

「いつも早く丁寧な仕事で非常に助かっています

こんな具合だ。

また、評価も押し並べて★5つしかつかない。

筆者もクラウドワークス20案件ほど発注いただいたが、オール5だった。

なにかおかしいと思った。

     ◇

発注者が期待する以上のものを返そうと努力してきた自負は、もちろんある。だから最初は高い評価がついても、単純に「ありがとうございます」と感謝を覚えるだけだった。

ただ、この違和感を覚えた直後、筆者は過去に書いた記事をすべて見直した。

すると、文章のつながりがおかしいと感じるところがあったり、恥ずかしながら誤字脱字も数か所あったりするのを確認した。

前者については、経験を積むうちに自分スキル感性が磨かれ、それまでなら気にならなかった点に違和感を覚えるようになった可能性はある。だが、後者の誤字脱字はそれ以前の問題だ。

もし、発注者がきちんと記事内容確認しているなら「誤字脱字があります」と連絡するはずだろう。

だが、そうした連絡は一度もなかった。

では、なぜ連絡がなかったのか。考えられるケースはいろいろある。

たとえば、

1:このくらいならこちらで直してしまおうと、スルーしているケース。

2:面倒だからこのまま掲載してしまおうと、スルーしているケース。

3:そもそも記事確認せず、そのまま掲載しているケース。

こんなところだろうか。

そもそも記事内容確認しないのが問題なのは、すぐ分かるだろう。著作権法違反していても、その記事がそのまま掲載されてしまう。今回のwelqのケースだ。二番目も同様である

では、冒頭の「こちらで直そう」はどうだろうか。

実はこれもかなり問題だ。

なぜ問題なのか?

ライター自分ミスに気づかないからだ。

     ◇

上述した通り、クラウドソーシング上では、基本的に褒められることしかない。よほどひどい仕事対応でもしない限り、大抵の場合は受注者に対してポジティブ評価コメントが並ぶ。

だが、それは言い換えれば「欠点を指摘されることがない」ということだ。

欠点を指摘されなければ、その改善はできない。PDCAが回せない。最悪、称賛を浴びすぎて「俺すごい」「私すごい」と勘違いする可能性もあるだろう(意識的であれ無意識的であれ)。その勘違いは、自分省みる機会を奪い、スキル知識を磨こうというライターとして当たり前の使命感と向上心を削ぎ落とす。

自分仕事の不足に自分で気がつける人なら問題はない。

しかし、駆け出しのころは、そうしたセルフマネジメントもなかなか上手くいかない。「良い記事とはどんな記事か」「守るべきルールはなにか」を見極める知識感性がないため、自分記事の不足を自分で見抜けないのだ。

からこそ、他人の目が大切になってくる。

もちろん発注者フィードバックする義務はない。長期的にその受注者と付き合う気がなければ、褒め殺し・お世辞を駆使して一時的に良好な関係を維持し、円満に「さようなら」するだろう。

ただ、それはあくまで「表面的・短期的」な話だ。

そうした「誉め殺し」の蔓延が、クラウドソーシング登録しているライター全体の平均値を下げている可能性は十二分にある(というか確実にあるだろう)

まり「褒め殺し」のデフレスパイラルである

フィードバックがないことで、ライターは成長機会を奪われる。

それによって、クラウドソーシングからまれライティング平均値が下がる。

それによって、粗製乱造が進む。

それによって、発注者サイトの質は下がる。

それによって、発注者は儲からなくなる。

誰も幸せになれないのだ。

     ◇

もっとも、このあたりはライター自己責任だろうという意見もありそうだ。一理も二理もあると思う。

受注を受ける以上はプロとして仕事をしなければならない。クラウドワークスランサーズにワーカーとしてアカウントを持っている以上、プロとしての自覚を持たなければならない。

そしてプロである以上、教えてください・指摘してくださいなどという受け身の姿勢はいけない。

実際、クラウドソーシング仕事を依頼すると、できないことに対して「できません」と返信してくるライターが多いように感じる。だが、できないことを「できない」と言いつづけていては、成長できない。

また、この手のスキル意識に不足が目立つライターは、クラウドソーシング以外で仕事をとることが難しい。そのため仕事はすべてクラウドソーシングから受けるしかない。よって、フィードバックがもらえない仕事を延々と受け続ける。

まり、成長しないのだ。

一方、実力がある人は、どんどん自分仕事をとっていくので、クラウドソーシングからは離れていく。安い仕事をつづける理由などないからだ。

よくサイト運営している知人からクラウドソーシングにはロクなライターがいない」という声を聴く。その実態の裏には、あるいはこうした背景があるのではないだろうか。

から安値の依頼でも、普通に受注される。1文字0.5円でも受ける人がいる。

なぜか。

ほかに仕事がないからだ。

ほかに仕事がないライター

安値で買い叩きたい悪徳業者

いまのクラウドソーシングは、この二者のみが跋扈するプラットフォームへとなりつつあるような気がしている。

     ◇

では、なぜ「褒め殺し」が横行するのか。

しかしたら、発注者側がライター側に気を遣っているのかもしれない。

あるいは、自分の体面を気にしているのかもしれない。

クラウドソーシング上では、発注者がどんな評価をつけたかは誰の目にも明らかだ。よって、自身の体面を気にして★5つしかつけない可能性はある。上述した「褒め殺し」に等しい受注者とのやりとりも、彼・彼女から評価をもらわないためかもしれない(もちろん、なかには素直なコメントもあるだろうが)

だが、クラウドソーシングで取り交わされる仕事は、当たり前だが「ビジネス」だ。

ビジネスで遠慮などいらない。褒めるべきは褒め、言うべきことは言うべきだ。

     ◇

閑話休題

ある知人のライターが、こんなことを言っていた。

曰く「ありがとうございます! これで大丈夫です! と言っていたのに、掲載時に手直しが入っているのを知って、気分を害した」とのこと。

修正点があるなら、その場で言ってくれ」と思ったそうだ。

以来、その業者から仕事は二度と受けていないらしい。

     ◇

welq問題を皮切りに、クラウドソーシング全般「悪」のような風潮が蔓延しないか、筆者は危惧する。決してクラウドソーシングというサービス自体「悪」ではないと思うからだ。

もちろんクラウドソーシング運営会社には、上述した受発注時の悪癖や、ほかに要因があるのであればなんとかして欲しいとは思う。ねとらぼ記事のように、運営会社営業が今回の問題に率先して加担していた事実があるのなら、即刻やめてもらいたい。

ねとらぼ|「クラウドソーシングサイト共犯だ」 キュレーションメディア炎上騒動についてWELQ記事寄稿ライターが怒りの告発

http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1612/13/news140.html

それはべつに、運営会社のためでも、その社員のためでもない。

このままでは、せっかくの素晴らしいプラットフォームが、ライターを安く買い叩いてやろうという悪徳業者によって汚される一方だからだ。

クラウドソーシングによって新たなチャンスを得られるかもしれない人々から、そのチャンスを奪うことになるからだ。

べつにその営業がクビになろうが、どうでもいい。

     ◇

一方で、ライターにも問題があると思う。

今回のwelqのような記事を書いていて「これまずくないか?」という倫理観が欠如しているというのは、極めて問題だ。

ねとらぼ記事では、告発したライターが「クラウドソーシングも同罪」と言っている。

以下の記事だ。

ねとらぼ|「クラウドソーシングサイト共犯だ」 キュレーションメディア炎上騒動についてWELQ記事寄稿ライターが怒りの告発

http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1612/13/news140.html

ライターよ、あなたも同罪である

     ◇

クラウドソーシングが新たな就業スタイルキャリア可能性を切り拓いたのは、紛れもない事実だ。

筆者も、ライティング経験ゼロからクラウドワークスライター業をスタートし、個人ブログ経由で出版社から編集ライティングのご依頼をいただいたり、上場企業編集長委託していただいたり、貴重な機会を手にすることができた。

クラウドソーシングがあったからこそ、手にできたチャンスだった。

から最後はこの二言で締めさせていただく。

がんばれ、クラウドソーシング

すべての運営会社は、改めるべきをしっかりと改め、真っ当な会社に生まれ変わって欲しい。

2016-11-28

ミソジニーが強いのって実は非モテでなくモテる男なんでないかい??

ミソジニーとは、非モテ童貞が持つもの女性経験を重ねてモテる毎に減っていく」

という言説が社会的合意のようになっている気がする昨今皆様いかがお過ごしでしょうかな感じだが、

実は「モテる男ほどミソジニーが強い」のではないかと思うようになってきたのだ。(な、なんだって!?

…おーいおい佞言断つべしとか言わず聞いておくれよハニー止まらないよハニハニ。

だってヤリチンの人のナンパ講座とか見てると、よーく見ると女性蔑視まみれなアドバイスばっかなんだもん。

はっきり言ってPC的にアウトアウト、アウトの数でもう完全試合だけでリーグ優勝できるくらいアウトまみれ。

どうなってんだこれ。

あとね~上記の通り「ミソジニーとは、非モテ童貞が持つもの女性経験を重ねる毎に減っていく」

という言説が強固になりすぎたのも要因だと思う。

この説の効能によって非モテは「自分にはミソジニー要素を持っている」と自戒心が芽生えるのに比べて、

恋愛強者には「自分モテている、つまりミソジニーなどあるわけない」という風に内省が全く生まれないわけである

だってあれでしょ?非モテは「お前はミソジニーを持っている!」と言われたら

「せ、拙者はそのようなことは…」と怖気づいて言い訳するか、

「違うわ違うわ持ってへんわ!こんボケェェェェェプッギィィィィィィィィィ」と図星突かれて発狂するかで、

どっちにせよ結局は「己のミソジニーの内在」に非常に敏感なわけですよ。

だが一方恋愛強者はどうだ?「お前はミソジニーを持っている!」と言われたら

「はあああ?アホちゃう?現に僕ちん女性から承認得られまくってるですけどおおwwwwうぇぇぇぇぇぇいwwwww」

ヘラヘラ何の呵責もなく嘲笑ingキラキラ未来へレディゴオ!でしょう?

「己のミソジニーの内在」なんて全く感じないわけですよ

…ああ、あと「女性経験が多かろうと既婚だろうと精神的に非モテ」みたいなゴミクソウンコチンカスレトリックはすぐゴミ箱へぽいですわ。

まあしかし、「恋愛強者が己のミソジニー省みる空気が強くならん限り、

日本からミソジニーが消え去ることなんてないと思うんですがね。

まあそうなることはないと思うんで、女性にとっては残念なことですね、と思うんですがね。

2016-10-09

ラノベ天狗がどれだけ天狗活動を続けようと雑語りが減らないのは

晒し上げて揶揄しているだけで住所を突き止めて殺さないから。

RTバカを殴り飛ばすパンチでもバカを黙らせる銃口でもなくただのツイッター機能なので痛くないし死なない。痛くないし死なないのでバカ自分省みるきっかけにはならない。そもそも満足に自省が出来ない者をバカと呼ぶのであって、バカバカ故に晒し上げられ揶揄されても「何か変な奴が絡んできた」程度にしか受け止められないのだ。もちろんラノベ天狗目的ラノベ雑語りを減らすことではなくラノベ雑語ラー揶揄することなのでそれで問題はない。彼は永遠にラノベ雑語ラー晒し上げて揶揄し続けるのだろう。ラノベ雑語りを減らしたいのならツイートから住所を突き止めて殺すのが一番よい。というか他に方法はない。

2016-09-23

残業をしたがらない後輩をみて思ったこと

転職してきて半月の、いつもどんなときでも意地でも定時であがる後輩がいる。

2歳と4歳のお子さんがいて、奥さんが専業主婦

そんな後輩から何度も聞かされた発言が以下です。

子ども育児ノイローゼぎみになってるから

前の職場絶対に定時で上がるようにしていました。」

「急な仕事振られたときは、応急処置的な仕事で済ましたりして、

なんとか奥さんのサポートをしてました。」

日本人はそれなりの給料しかもらってないのに、必要以上に頑張りすぎなんです。」

日本人も、海外人達のように、給料分は働くけど頑張りすぎず、

自分家族もっと大切にするべきだと思う。

本人が言いたいことはわかるんだけど、納得できない。

子ども達はお父さんが早く帰ってくるの、嬉しんだろうなと思うけど、

自分が奥さんだったら、家庭を省みる頼れる旦那さんだと思うのかもしれないけど、

まずは仕事をこなせるようになって、職場の信頼を勝ち取ってからじゃないの?

まだ仕事に慣れないあなたミスや、仕事の進行に全く意味のない「WHY?」を解消するために、

自分仕事を後回しで、丁寧に説明する周囲の人間残業してるのは無視なの?

転職してすぐの大変さがわかるからできるだけ丁寧に接してきたつもりだけど、

ここ最近は、同じミスを何度もしたり、お得意の「WHY?」を使ってきたら、怒りを通り越して呆れます

転職回数が多い人、いい歳して異業種に転職してくる人、

入社してすぐから自分プライベート

惜しみなくさらけ出す人にはやはり地雷が多いのだと思いました。

あれを反面教師にして、自分の30代計画をしっかり練っていこうと思います

2016-08-18

むき出しの競争心が嫌でオタクにもなれなかった

からアニメゲーム音楽も好きだ。

コミュ障で人付き合いはいい方ではない。

かと言ってオタクというわけでもない、彼らからすればいわゆる普通人間だ。

なりそこねてしまったのだ。

中学生くらいの頃は人に負けないこだわりがあった。

別にそれを人にひけらかすつもりもないし、そもそも一人で楽しむのが好きだったのだ。

それなのに、ただ何が面白いかを自分なりに説明しているだけなのに、頼んでもないのに勝ち負けに持ち込もうとする奴が必ずいた。

オタク特有の、自分のほうがオタクだというプライド押し付けてくるのだ。

自分にしてみればそんなことはどうでもよかった。好きなものを好きでいれば、自分なりの解釈自分なりに楽しんでいればよかったのだ。

それなのにそいつは違かった。自分解釈のほうが優れていると無理矢理押し付けてきたり、とにかく自分が好きなものに対する知識愛情が人に負けるのを嫌うのだ。

自分はそれが心の底から嫌だった。それが原因で嫌いになってしま作品も沢山あった。

それからはできるだけこっそり楽しむようになり、作品に対しての交流も減っていったことで自然とその世界からは足が遠のいてしまった。

そいつは40を過ぎたいまでもオタクをしている。その世界ではそれなりに名前をも通っているらしい。ただ、たまにあって話をするが、相変わらず自分知識愛情に異様なまでのプライドを持っていて、ちょっとでもコンテンツ話題を出すだけで湯水のように自己顕示欲を垂れ流していた。

嗚呼そうか。こういう根拠もないのに自分が優れていると勘違いできて、誰かれ構わず競争心をむき出しにできる人間オタクとしての素養があるのか。

そう考えると自分は人との競争が嫌いで、何事も競争となるようなものは避けて生きてきた。

おかげで周囲は平和だが、大して面白いこともない至って普通人生を過ごしている。

庵野島本のやりとりを、すごいと思いながらどこかで小馬鹿にしている自分がいた。

テレビの中では闘争心をむき出しにしてトップアスリートたちが記録を競い合っている。

からでも彼らのように競争心をむき出しにして何かに熱くなることはできるのだろうか。

それがあまりにくだらないことだと思ってしまう時点で、自分には無理なのだろう。

なりたくない人間にならなかったのだから良しとするべきか、今の自分が本当になりたかった人間になれていないことを省みるべきか。

考えるにはもう遅い年齢になってしまったのかもしれない。

ただ、やっぱりあん人間になるくらいなら死んだほうがましだ。それだけははっきりと言っておこう。

2016-08-06

http://anond.hatelabo.jp/20160806012118

こういう心底クソみたいなおっさんって、本当にどこにでもいるよな。なんでなんだ?

どうして自己省みるとか、客観的物事判断するとか、何にも出来ないまま歳だけ食ってしまったんだよ。

自己わがまま無能おじさんを見ると、たまに赤ん坊幼稚園児と姿がダブる

何にもできないくせにかまってもらえないと拗ねる、部下に甘えて仕事しない、って赤ちゃんかよ!

赤ちゃんならいいよ、かわいいし、成長の余地ありまくりだし、

でもいい歳したおっさん赤ちゃんだったらどうすりゃいいんだよ!

かわいくない、成長の余地ない、誰にも存在を望まれてない。

そしてそういう話死んでほしいとさえ思えるおじさんほど長生きして世に憚るのなんでなんだよ。

早く人生引退してください!

2016-07-08

天祥院英智くんマジ無理

やばいくらいハマっているあんさんぶるスターズ!サービス開始してはや1年。どうにもこうにもメインストリーラスボスキャラである天祥院英智くんのことがいつまでたっても苦手でした。

原因を考えつつもしっくりこないまま今回のイベントまで流し読みしていたのですが、今回のイベスト読んで少なくとも自分アプリで遊ぶであろうあと2年だか3年だかの間に天祥院くんというキャラクターを好ましく思うことはないかなと思ったのですぐ言葉にできる範囲で苦手なポイントを覚書しておきます

今回の七夕イベントストーリーでやっと無理だなって理由言葉にできるようになったので結果としてValkyrieRa*bitsを引き合いに出していますがこれ書いた増田マジでどっちの担当PでもないのでValkyrie担やRa*bits担が英智叩きの増田書いているわけではないことはご理解ください。

ちなみにサービス開始からプレイしてるのでサーカスも読んでいますし、ノベライズである革命児の凱歌巻末の書き下ろし『Daydream』も読んでいますがどっちも読んでいても苦手なものは苦手なので、その二つを読めば天祥院くんのことを理解できるはず(ないしは好きになるはず)みたいなおすすめの仕方は必ずしも妥当ではないと思います

言われたけどいや読んでるんで…みたいな顔することがすでに数回ありましたし、逆に全キャラクター好きにならないといけないわけでもないと思うので合わなそうなキャラクターだなと思ったら触れずにそっとしておくほうが無難



・今回のイベストRa*bitsのシーン

Valkyrie七夕祭に引きずり出すため、パフォーマンスをさせるために斎宮宗くんを挑発する一連のやりとり。

天祥院くんてなんかアイドルを愛してるみたいな話してませんでしたっけ?Trickstarの革命以降は夢ノ咲学院アイドルを愛して育てるみたいな話してませんでしたっけ?記憶いかもっと先の時系列であって今はまだ残虐な皇帝のままなの?

アイドル愛すとか言ってる口で奇人舞台に引きずり出したいっていう天祥院くんの欲望のためにRa*bits犠牲にする気満々やないか!!!

別にエゴの為にRa*bits利用して斎宮くんを引きずりだすのはいいんだけど、表向き学院アイドルを愛して育てる気がありますみたいな建前がありつつRa*bitsのこと省みる気もないのが無理。生理的に無理。

Ra*bitsみたいな結成したてで実勢もない無価値アイドルなら奇人のために潰しても全然よさそう。無理。

しかしたら天祥院くんを好きな人は、天祥院くんは人の気持ちを読んで動かすのが得意だからRa*bitsを囮に使った時点で斎宮くんと影片みかくんがくるのは決まっていた展開でRa*bits自体危害を加える気がなかったとかそういう解釈なのかもしれないですね。

そういうキャラクターへの信頼に基づいた深読み解釈は一度横にどけておいて、七夕ライブのあの場でValkyrieが来なかった場合どうしてたか想像してみてくださいよ。

わたし想像の中の天祥院くんはfineで鮮やかにRa*bitsを屠りました。みなさんの中の天祥院くんはいかがですか?


・見せられない自覚があるなら直す努力しろ

天祥院くんは同じfine所属する姫宮桃李くんのことを猫っ可愛がりしてますね。

天祥院くんは姫宮くんの前でだけは美しく輝かしいアイドル然としています自分過去の振る舞いや、今回のイベスト斎宮くんに揺さぶりをかけたり過去斎宮くんにしたような人格を分裂させるような揺さぶりかける自身性質は見せないし話しません。

まりは幻滅されるような、人間としてどうかという行いであ自覚があるんだと思うんですが、天祥院くんは残り少ない命でやりたいことをやるためという大義名分姫宮くんには見せられないような人間性を特に正すでもなくそのまま生きていますよね。

好きな人はそれが命を削って自分目的のために全てを投げ出す美しい姿に見えているのかもしれないですけど、好きでもない人間からすると別に命かけてるからってなにやってもいいわけじゃないじゃん!?って思うし、都合よくやりたいように振る舞うために自分自分の命を盾にして周りの人間に全てを容認させてるように見えるので生理的に無理だなって思います

これが生理的に無理だなと思うのはあんさんぶるスターズ作品内に置いて、そういう天祥院くんの姿勢文句をいうキャラクターほとんどいなくてマジで外のキャラクター英智くんの命がけのわがままに付き合っているようにしか見えなくて気持ち悪いというのもあります

表立って天祥院くんを否定するのってそれこそ斎宮くんくらいで、他のキャラクターってその姿勢に関してはほぼ容認してるんですよね。ここは天祥院くんが無理であると同時に作品世界気持ち悪くて無理なところでもあるのかもしれません。

命がかかってようが好意的に見ることができないキャラクターわがまま放題が通りっぱなしなのを見ていると夢ノ咲学院はお前のための介護施設じゃねえ!!!!って気持ちになります

マジで自分に憧れている可愛い後輩に見せられないような人格破綻自覚があるのに命が短くて時間がないからって真っ当に振る舞う努力優先順位を下げるのは甘えでしかないと思うんですよ、なんでみんな付き合ってやってるんだよ……


ファンがきつい

今回の七夕ベストを読んだ感想でよく流れてくるのが、それでこそ英智ゲス最高!!!!(意訳)とか斎宮くんごはんになってくれてありがとう!!!!(意訳)みたいなのばっかなのも個人的に見ててすごいうわキッショって思いました。もちろん感想は個人の自由というのは存じております

もしもわたしRa*bits担だったらうわ英智うわって5回くらい思ったと思うけどさすがに大っぴらにそういうdis書けないじゃん!?

たぶん見えないように鍵垢で英智無理マジ無理って言うと思うし、なんかそういう負の感想があることを前提で、こういう英智すごい好きなんだけどやっぱ嫌な人は嫌なのかなあ…?みたいな感想とか見かけるのも天祥院くんの行いに対するネガティブ感想マウント取って牽制してるように見えてうわあって思いました。フォローしてる範囲は狭いので局所感想です。

でも冒頭でも書いた通りサーカスベストとDaydreamを読んだら好きになるよ!!みたいなことは冗談じゃなく複数回天祥院くん担に言われていて、いや読んでるけど普通に好きになれなかったんだごめん…って感じなのでマジでごめんなさい。

30分弱で形になったマジ無理の理由が今のところこれなんですけどほかにも理由はあると思う。

キャラクターとして成立はしてるんだろうけど本気で一切好きになるポイントが見いだせないくらい苦手なキャラってはじめてなので理由を考えたくなりますが、結論としては今のところマジ無理。

2016-07-07

女性の方が優しいが女性の方が厳しい

女性男性に比べて弱者に優しい。

もちろん、それを受け入れてあげている理解のある自分演出したい人間もいるだろうが、

LGBTしろ障害もちにしろ、個人の幸福尊重する傾向にある。

男性自身価値観省みる人間想像以上に少なく、価値観の中で異端とされている対象には非情な態度であることも珍しくない。

一方、女性の方が仲間に対してとても厳しい。

察する能力男性以上に要求され、仲間の秩序を保つことを非常に重要視する。

そのため、弱者を受けいれはするものの、減点方式で人物評価をしていき、

特定の点数を下回ったところで排除対象とみなしてしまうのだ。

その点、男性は突出した長所を持つモノを他の面は度外視して評価できる傾向にある。

一度排除された人間を受け入れるのも男性である

 

タイトルのように一般化して言及するのは間違いであるが、

おおまかな傾向としてこういった特色があるように思える。

これは国内外共通であるだろう。

2016-05-17

読書感想文ノススメ

とは言えこのような場所を好きこのんで読む層に当てはまる話でもないとは思うのだけど、まあ自分備忘録として。

最近大学生お話を聞く機会が増えたのだけど、彼らの大半はどうも自分内面の発露、表現方法に関して悩みあるいは問題を抱えてる場合が多い。

で、これが彼らにどんな影響を及ぼすかと言えば、卑近であれば就職活動でのエントリーシート、あるいは面接のものにおいて非常に苦戦するという事態を招く。

彼らはさほど程度は高くないとは言え、大学生なのでそんなにそういう機会が無かったのだろうか、と思うのだが、考えてみれば学部生の論文ゼミ発表などはある程度形式ばったものだったのかしらん、とも思い直すわけである

まり、ある程度客観的指向性のある、極端な話マニュアル化簡単可能表現であれば彼らは十二分にこなせるのだが、それが自己について自由に述べよ、となるとお手上げになってしまうのであろう。

彼らの「自己PR」はまず、感情言語表現が非常に乏しい。就活における質問として学生時代の熱心に取り組んだものを聞くようなものがよくあるがこれに対し――具体的な例は避けるが、○○が楽しかった、嬉しかった、感動した……と概ねこれで終わってしまう。もちろんちょっとした就活本やウェブでの情報でもこの手の何も言っていないに等しい表現は避けるべしとあるし、彼らも承知しているわけだが、じゃあどうしようかと、煩悶してしまうわけである

より具体性のある表現を使えとアドバイスするのだけど、それがわからない。で、どうなるかと言えば今度は具体的に偏って、事実の羅列になってしまう。まあ多少マシになったとは言え、これでは自分が何者なのかがあまり伝わらない。この手の質問企業が求めるのは人間性がわかるエピソードであると思われるので、事実だけ羅列していてはやはり説得力に欠けてしまう。というよりそんなもの履歴書でいいのである

次にいわゆる「盛り方」があまり稚拙である嘘も方便とはよく言うもので、ものを売り込むときにはある程度色を付けるのが世の常であるが、彼らの場合どうにもそれが見え見えであるということだ。

先ほどの具体性の話もそうだが、就活マニュアル的なものではよく具体的な数字を使えとあるという。なるほど的確な数字説得力を持つし、たとえそれがウソであってもそう証明する事は非常に難しい。少なくとも彼らが日々こなす論文などで示すものよりよほどハードルは低い。

しかし、彼らはそれが上手く使いこなせない。例えばこれもよくある質問として学生時代の功績を聞くようなことが多いが、これに対しよく彼らはパーセントという形で数字を使う。よく考えてみて欲しい。例えばメンバーに声をかけ部の参加率を上げた、ということに対してパーセントで功績を強調してもあまりにも「ミエミエ」で実質的説得力が無いように感じられないだろうか。これでは先ほどと同じように「何も言っていないに等しい」。それなら何人に声をかけて、あるいはどれだけの期間を費やして、部の参加者を増やしたという方がよほど説得力があるし、そこでの具体的エピソードも盛り込みやすい。(もちろんウソだって構わない、バレないのであれば)

総じて見るに、どうも彼らはステップを省略し安直結論提示する傾向(ここでは触れないがこれに付随して外部の「答え」を求めようとする傾向も見受けられる。無論そんなものはない)にあるようで、結果として全く説得力を伴わず、「自分」を明確に伝えることに出来ない「自己PR」を作り上げてしまうようである論文は日々書き慣れているにもかかわらず、である

はいえ、彼らがあるいは我々がそういった事態対処する術を学ばなかったかと言えばそうではない。反応は様々であろうが,この国の教育には今なお「読書感想文」というもの存在する。

大学生ともなるとそういう機会もないが、読書感想文を書くことはその実自己内面表現のものであり、なおかつそれを相手に明確に伝えるための文章を書くと言うことでもある。その一方で、「本」というガイドラインがあるので書くべき道筋がわかりやすく、自分の考えに対して何から手を付ければいいのかわからないということにもなりづらくなる。その道筋を通じて、人に順を追って伝えるというということに対してヒントを得ることも出来よう。

もちろんこれは本でなくたって良いわけで、ドラマであろうが映画であろうがゲームであろうがアニメであろうが、なんだって構わない。要するにそれらを通じて自分が何をどう考えたのか、と省みる機会があれば良いわけで、その上でそれを過たず明確に文章化できれば良いのである

そして出来上がったそれらを読み返すことで、自分表現のどこに説得力が足りないのかということも見えてくるだろう。また、人に読ませることを意識すれば、どうしたって多少の見栄も張りたくなるし、あまり好ましくない考え方も書きづらくなるだろう。そういった自分内面他者視線というものバランスよく取り入れた「ウソの付き方」も磨くことが出来るはずだ。一石二鳥である

読書感想文というものがこの国の教育においてどのように位置づけられるか、と言えば、「事象感想意見などとを区別するとともに、目的意図に応じて簡単に書いたり詳しく書いたりすること」と「書かれている内容について事象感想意見関係を押さえ、自分の考えを明確にしながら読むこと」を目的とする授業の一環として行われるという。卑近な例ではあるがこうして見るとまったくそれは必要作業ではなかろうか。これらの中には論文作成方法も含まれ我々はそれを並行して学んでいくが、外側の事実対象とするそれだけでは、我々は「自己内面を誰かに伝える技術を磨く」ことは出来ないのではなかろうか。

確かに自己表現といったものを過度に求める就職活動や、そもそも現実に行われている読書感想文指導法にはあるいは問題もあるかも知れないし、その是非は問われるべきかも知れない。しか教育就職活動といったものから、あるいはこの国の国情から離れたとしても我々が高度に社会性を持ち、他者とのコミュニケーションなくして生活できない生き物である以上、こうした自己を誰かに伝える能力はどのみちどこかで必要になるのである

自己表現に関して正解などない。しかしそれはその技術を磨かなくてもよいと言うことは意味しない。たとえ正解が見いだせないものであっても、コツコツと磨き続けることは思いもよらないところで自らを助けることもある。

その方法論として、今一度読書感想文というものがどういうものだったのかを見つめ直すのも良いかもしれない。

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