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はてなキーワード: 無常観とは

2023-09-01

anond:20230831164338

つい最近ニーサを少額で始めたとこ

タイトルから、なんかすごい落とし穴があるのか?と思ってびびって読んだらそんな話ではなかった

まあ備えを意識して生きていたけど、人生自体が無くなったという無常観は分からなくもない

2022-11-19

すずめの戸締まり駄作です

ダメだろ、これ。

失敗の原因は5つ。

①導入の失敗

冒頭、どこか非現実的で、しか東北震災を思わせる風景はいい。

踏切を渡らない演出や、立ち入り禁止看板を乗り越えるところなど、日常へ行かず、非日常へ入っていくことを描写していくも、よくわからないまま立ち去り学校日常描写→そして地震、なんか山から祟り神みたいなの出てる→再び廃墟へ。

ここが一つテンポが悪かったと思う。

どういう物語かを提示するという形で及第点ではあるが、特段面白くはない(わずか35秒で説明し、全く本編が面白くなかったソラとウミのアイダを見習ってほしい)

その後、猫(ダイジン)を追いかけ、船に乗るというところまでが、序盤といっていいと思う。

気になるのはすずめが船に乗るのは自発的意思に基づくものであって、君の名は。不可抗力で入れ替わったこととは違う。

ここにご都合的な強引さを感じるのだ。

さらに致命的だと思うのが、ダブル主人公のうちの一人、草太が早々に椅子の姿になってしまった。

この結果、ロードムービーでありながら、草太は椅子の姿であることからコミュニケーションをとることに作劇上の制限が加えられてしまった。

コメディ的なキャラクターになったことで、ラブストーリーとしての進め方にも違和感が出ている。

草太がどういう人物なのかが明示されないまま物語が進んでいく。役割しか持たされていないんだよね。

で、そのメンタルのまま、後半、突然の死にたくないっす。要石なりたくないっす。→私も草太がいない世界怖いっす。

義務的ラブストーリーにもっていくな!!

ロードムービーをやりたいのか、と思ったけれども、ロードムービーって基本的に旅する二人が、旅先での人との出会いによって関係性が変化するというのが定石じゃないですか。

でも、本作のヒロイン、すずめは一体に何に不満があって、成長するのかというのが不明瞭なんですよね。

3.11というモチーフと、ファンタジー表現の嚙み合わせの悪さ

災害の原因であるミミズが出てくる扉を閉める、という役目を帯びた青年が全国行脚しているようだが、ファンタジー職業ありがちなどうやって食べてんだ?という疑問には普通に大学生であるし、将来的には教師を目指しているという謎の情報が与えられた。役目が重すぎるだろ……。

関東大震災ミミズが原因だったという描写があり、直接的に言及されていないが、3.11も同じミミズが原因であったと推察できる。

こいつらがきっちり仕事してれば3.11を防げたってこと?という疑問点が観客の引っ掛かりになるのではないか

感動部分は、作品によってではなく、3.11悲劇性と記憶に頼って泣かせているんだよな。そして人間馬鹿から感情が動くと名作だと錯覚する。

③「世界」か「君」か

本作の中盤では、首都直下地震を思わせる災厄を封じるために、東京舞台に駆け回る。

通常の映画で言えばクライマックスに相当するようなアクションの末に、すずめは草太を要石として使用し、東京を救うことになる。

天気の子が「世界」か「君」かの選択で、「君」を選んだ結果、めちゃくちゃになった世界があって、それでも生きていくという話だったのに対し、今作では「世界」を選んだその後を書くつもりか?と思っていたが違った。

物語はこの要石となってしまった草太を救うために、幼少期に見たあの世への扉を探すことになる。

そして終盤、気仙沼炎上を思い起こさせるファンタジー災害空間で、暴れだす巨大なミミズを背景に、主人公を走らせる。この絵を描きたかったというのは分かる。

要石となった草太を解放することで、ミミズの抑えがきかなくなる。

さあ、どうする?

すまん!今まで要石やってくれとったダイジン、サダイジン!またやってくれ!

了解!!

おわり。

は?

世界」か「君」か、という選択と代償の話が、第三者委託したら何とかなったわwで終わっていいわけねえだろうが。

気まぐれな神としてのダイジンが、都合で動きすぎている。

自然に外れちゃった東京の要石ことサダイジンは、なぜか主人公たちの旅に付いてくる上に、最終的にはまた要石として役目を担うことになる。

ええ?

要石が外れたけど、機嫌治ったんで、自主的に役目に戻ってくれましたみたいな解決である

主人公らの選択と苦悩が壮大な茶番になってしまっている。

④単調な展開。

基本的四国神戸と行く先々でミミズを見かけて戸締まりするアクションシーンというのが連続で起きる。

また各地で出会う人々もそれほど深掘りされることはない。

これが東京まで来るとそれなりに街の描き方が生き生きとしてくるし、後半のキーパーソンになる芹澤が登場する。前半と後半で明らかに映画趣旨がガラリと変わっている。

からこそ前半の時間の使い方はもったいなかった。(後半にほとんど繋がっていかない)

おばさんも遠くで心配してる描写を延々はさむぐらいなら、もう少し後半の決裂に至る問題点避難者受け入れ、被災者遺族の家庭の問題)をやっとけばよかったのに。

⑤やりたいことが何もかも多すぎる

ロードムービーをする都合上、各地を巡り、そこで出会う人々とのつながりを書く必要があるので登場人物が増える。

そうするとそれぞれのキャラクターに割ける時間相対的に少なくなるので、魅力を描写する時間が足りなくなる。

途中で出会った人々を後半に繋げるでもなく、主要キャラ問題点提示や成長に繋げるわけでもない。何がしたいんだ。

新海が触りたかったものロードムービー3.11被災者への応援、衰退する地方都市避難民と家庭環境自然への畏敬、民間信仰恋愛あたりだろう。

終盤で、主人公過去自分を見つけ、この世界は明るいんだと、ド直球な被災者への応援メッセージを長々とぶちかましていく。

過去自分を救いたいという趣旨は分かるけど。

一方で衰退する地方都市自然に還る廃墟を映し、戸締まりの際の呪文山河をお返し申す、人間が使ってきた土地自然に返すという話であろうが本当に触れるだけだし、それを3.11テーマとどういうリンクをさせるつもりだったんだ。

ある種の無常観というか平家物語的な持っていき方をするわけでもなく、災害はそれはそれとして悼みます、という一貫性のなさ。

おばと主人公の決裂も、避難の子供引き取っちゃったせいで人生めちゃくちゃやん→ごめん言い過ぎたわ……。で終わり。

ダイジン、サダイジン、それにキャラクター名前を見ても民間信仰というか古代神道系の話っぽいなぁとは思ったが、そこもそれほど深掘りされず。

どうでもいいけど九州の要石、廃墟と化してるとはいえめっちゃ現代的な施設の真ん中付近に刺さってるの謎すぎるやろ。

そして終盤唐突恋愛映画的なスペクタクルと、抱きしめ。

男側の感情が一切見えない上に、女側もイケメンと旅して、神戸でいきなり発情し始めて椅子キスするという展開を伏線としてクライマックスで結ばれましたってやるの強引すぎるだろ。

今作は終盤に使うために仕込んだ伏線が、全て雑すぎて、「前に説明してましたよね?」と新海が言い訳するために挟まれるシーンが多すぎる。

戸締まりをする際に、その土地の人々に思いを巡らせる、というのもすずめにとっては何の縁もない土地の思い出が想起されるのは変だろう、と思っていると、終盤に被災前の人々の情景を描くシーンがあり、ああ、これのための言い訳だったのかと理解した。

なんなんすかね、これ。

2022-09-11

anond:20220911171527

あのシーン、当時ジャンプで読んでてすごい感銘、というかある種の無常観を感じて好きだった。「露伴はなぜ自分死ぬのか分からないだろう、もう漫画が描けなくなるな、とか思っているのかな…フフフ」みたいなセリフも良かったし。

どんなに強い能力があっても、突然死ぬとき死ぬ、これは現実世界に確かに存在する道理ってことだな。

2022-07-07

宝石の国より鬱展開の漫画

宝石の国が鬱だ鬱だというけど、無常観という感じでそこまで鬱だとは思えない。

世の中にはもっともっとひどい漫画がたくさんあるはずなんだ。

教えてくれよ。

2022-03-27

毎日昼飯で悩んでる

休みに行ける選択肢松屋ガストかっぱ寿司幸楽苑マクドナルドバーミヤン

コスパだけならマックビッグマックセット600円

コーヒーもついててくつろげるけど、栄養バランスは良くないので1~2週間に一回。

安いのは幸楽苑ガスト

550円ボリュームもあるけど、ガストは基本ハンバーグ幸楽苑栄養バランスが気になる。

基本はかっぱ寿司

6皿食べて660円。退店までの時間が一番短い。カロリーパフォーマンスの高いイカ天マヨを頼む。

バーミヤンガストよりちょっと高いので1~2週間に一回。

大戸屋もあるけど、高いので行けない。

毎日100円50円で悩んでるのだが、岸田やプーチンのせいで日々50万ぐらい資産が動いてて無常観を感じる。

2021-08-28

anond:20210828053729

その無常観を元に、思い切って仏門に入ってみればどうか。

2021-02-19

大学入試共通テスト古典問題が凄かったので解説させてほしい

タイトルの通り。筆者は高校教員で、いま業務が少しだけ落ち着いていて分析する暇が出来たので、次年度以降の入試対策のために解き直してみたのだが、新テスト方針をすごい形で問題として体現していたので、なるべくわかりやす解説していきたい。


わかりやすとはいえ大学入試古典問題について突っ込んで書くので、もし興味(と古典知識)があったら実際に解いてから読んでみてほしい。

問題解説予備校分析などは以下から参照。解けなくても解説や、現代語訳と設問を見るだけでもいい。


予備校

https://www.toshin.com/kyotsutest/

https://kaisoku.kawai-juku.ac.jp/nyushi/kyotsutest/21/


ちなみに大学入試センター問題作成方針はこっち。

https://www.dnc.ac.jp/albums/abm.php?f=abm00038406.pdf&n=R3年度大学入学共通テスト問題作成方針(令和2年6月30日一部変更).pdf


以下は教員仲間とのディスカッションメモを元にしているから内容はかなり専門的かもしれない。それと、自分の専門は古典ではないので専門家から見れば細かい部分で雑だと思うが許してほしい。


まず、第三問の古文

センター試験から変わると事前に予想された、複数文章や会話形式選択問題はなかった。

本文(「栄華物語」)は妻を亡くした夫の哀しみについてのしみるストーリーだが、新傾向の問五が回答することによって本文の感動・深みをよりしみじみかみしめられるようになっている。これが非常に素晴らしく、「文学的文章入試問題かくあれ!」と感じた。いとあはれなり。


・具体的には、問五では本文中の和歌X(妻の死の悲しみを無常観を引き合いにして慰める歌)とそれに対する返歌Y(無常の教えなど今は悲しみが深くてとても考えられなかったよ、という返歌)に加え、本文とは異なるXへの返歌Z(無常の教えは肯定するが、それでもなお悲しい、という趣旨の返歌)を問題は示している。

・問いとしては、本文とは異なる返歌Zの存在を指摘し、Y/Zの内容を比較したうえで正しい説明を選ばせるというもの

これは表面的には和歌を中心とした複数の出典の内容を読解するという新傾向問題であるが、作問者の意図はむしろ文学的文章の鑑賞」つまり作品の情趣や感動の理解」に重点があるのではと感じられた。

・本文のストーリー的なキモは、妻を亡くした夫が、この返歌Yを書き終えながら「こんな悲しみにあってなお私はこんな冷静に返歌を書けているわけだが、それならこれから数ヶ月、数年と徐々に時間が経っていけば、私はこの悲しみをいつか忘れてしまうのではないだろうか」と考えるところにある。そして、亡き妻との思い出をまた振り返るところで、出題の本文は終わっている。

・問五の正解の選択肢⑥「和歌Yは、世の無常ことなど今は考えられないと詠んだ歌だが、そう詠んだことでかえってこの世の無常を強く意識してしまった長家が、いつかは妻への思いも薄れてゆくのではないかと恐れ、妻を深く追慕してゆく契機となっている」。この説明は、本文の感動を得るための入り口を示すものとして非常にすぐれた一文であると感じられる。さらには、本文の内容が古文学習における重要概念無常観」と繋がっていることに自然と気づくことができる。現代人にはなじみの薄い「無常観」という価値観が、悲しみと共に実感を持って感じられてくるだろう。これを正解として選べた受験生は、本文の「あはれ」を回答前よりも深く感じられたのではないか。(少なくとも自分は深まった)

・「こんな問題作れたらキモチイーだろうなぁ!!!!」と同業者的(?)的におもった。


・また、過去試行調査でも、本文と同一内容の文章だが異なる出典で差異のある文章を出題する、本文異同研究や異本系統研究といった国文学研究のよくある題材を意識させるものがあった。今回の出題も「栄華物語」とは異なる返歌が「千載和歌集」にあるということを指摘した問題である。新傾向で問う能力古文の中で定義した結果が、人文学研究的な意味での「思考力」ということかもしれない。(これは友人で一生敵わないんじゃないかってくらい優秀な国語教員が、試行テストを見て上記のようなことを半年前に言っていたのを思い出したから言ってる。持つべき者は優秀な友人である


これだけでも十分すごいが、続いて漢文

こちらは長い五言詩と短いエピソードを記した漢文で、いずれも馬車を操縦する「御術」に関するものという点で共通テーマ文章ふたつの出題である


・新傾向の問題は問三の押韻と内容理解を組み合わせた空所補充問題と、問六の2つ文章の内容正誤問題

とはいえ、問六は二つの文章の内容合致問題であり、多くの予備校などが予想していたものと大差ない印象。

・対して、問三は感心するくらい出来の良い問題で、複座的な視野を持ち、落ち着いて整理しながら考えるという多角的思考力が要求される。

漢詩押韻知識で、5択の選択肢をなるべく削るところまではセンターと同じセオリー通りの知識問題しかしそれで絞っても選択肢は残り三つ。

・そこから正答を選ぶためには文章Ⅱの読解と漢詩の読解ふたつを重ね合わせる必要がある。この二つの重ね合わせが難しく、よく考えられている。

文章Ⅰの空所補充については、該当部分を訳せば「四本の脚は馬についているとはいっても、その脚の速さが遅くなるのは御者である私の【X】のせいである」という感じになる。ここの【X】に入る候補「心」「進」「臣(臣下・わたくし、の意)」。

・該当部分の漢詩の訳ができていてテクニカルに解くなら、この時点で文脈判断して「心」が正解は出せる。(予備校でもそのように解説を打ち切っている)。

しかし、そもそも選択肢に上がっているのは文章Ⅱに入っている字なのであるしかも、いずれも馬の御し方の神髄について述べるところに選択肢の漢字は入っている。

受験生を惑わすのは、文章Ⅱの内容が「馬を早く走らせる条件」となっていて、その中に「心」「進」「臣」という字が傍線と記号付きで強調されていること。つまり受験生心理としては、文章Ⅱの内容が正確に理解できていないと「進」「臣」が誤りなのか判断しづらく、疑心暗鬼になるように作られている。あるいは、先ほどのテクニカルに導いた回答と矛盾するような内容がここに書いてあったら……という心理を誘発する。

・よって受験生文章Ⅱを慎重に読解せざるを得ず、その中で文章Ⅱを精読してゆく。同時に文章Ⅰとの共通点を探りながら、最終的に文章Ⅰの内容を考えて空所補充の内容を決定する。このような思考過程要求される(というよりも問題から誘導されてゆく)という問題構造が、出題者の作問力が並大抵の出来ではないことの証左である


このように、古文漢文ともに「受験生思考力を求める」という建前のもとで「受験生を深い読解へと誘導してゆく」「受験生思考多角的ものに仕立て上げる」問題に仕上がっているのは驚くべきことであり、事前の予想を超えた完成度の高さだった。

また、問題によって誘導した思考迷路の中で、その読解の深度や多角的視野に立って考えようとする態度の有無を測ろうとしている。能力の低い受験生ならこれだけの思考を繰り広げることはできず、中途半端な読解や類推に頼ってしまうので確率的に正答率が下がるが、問題誘導する深い思考対応できる受験生は自ずと正答へたどり着けるよう適切に迷路設計されている。学力を測る目的大学入試問題としても適切である

センター試験からの積み上げがあるとはいえ、「言語を手掛かりとしながら,文章から得られた情報多面的多角的視点から解釈」するという方針を、古典という題材を用いながら、新テスト実施初年度で見事に実現させたのは、高校教育の成果というよりも大学入試センターおよび作問者の作問能力の高さや学術知識の豊かさが結実した結果であると思う。高校教育現場から、惜しみない賛辞を送りたい。



2月22日追記

・思ってた以上に反応があったので、書いてよかったと思いました。ありがとう自分にとっても、いろいろ考える機会になった。

・別記事で「古典義務教育で扱う意義について」の返事を自分なりに書いてみました。

https://anond.hatelabo.jp/20210222160532

この記事みたいな筆の乗り方はないし、教育制度についても専門とは言えないが……

古典の魅力はもちろん語れるんだけど、他の科目と同様にそれは万人に共通でない、というのが義務教育のむずかしさであり、教員にとっては腕の見せ所でもあるとは思っています

古典が嫌いな生徒に古典を学んでみたいと思わせることが、自分の授業の到達目標でもあります

・あと、改行のやりかたを学んだのでついでに上に付して見やすしました。

文学的感じ方を入試に出さないでほしい

文系の連中だって微分積分の深みとか行列演算の感動とか最初から拒絶してるだろ

わかるやつはすんなり理解するけど、わからないものはわからないんだよ

こちらの書き方が悪かったなら申し訳ないけど、「感じ方」は出題されていません。あくま論理的に、勉強した成果を発揮できたら「あはれ」を感じられるような構成になっている、というつもりで書きました。

よくある誤解だけど、国語入試はとことんまで「論理的に」答えが出るように作られていて、必ず本文中に根拠があるし、その根拠と解答をつなげるものは「感情センス」ではなく「論理」になっています

しかしたら昔はそうじゃなかったのかもしれないけど……。

入試問題批評だと「大学受験のための小説講義」「教養としての大学受験国語」が面白かった

石原千秋の本は納得感高くていいですよね!どちらも自分現代指導根本にある本です。

解答して読んだ。長年古文から離れていたが丁寧な注釈と設問に助けられて理解できた。テクニック丸暗記ではとても太刀打ちできないが、当時の情緒を解する読解力があれば知識は最低限でも解ける良問だと思った。

解答までしてくれてありがとう!まったくその通りで、重箱の隅をつつくような部分もなく、古典学習におけるエッセンシャルな部分が試されていると思います

これは数学の同僚の先生に聞いたことですが、数学ⅡBでは指数問題でも非常に数学エッセンシャルな(そのぶんやや抽象的な)問題が出たのだとか。

共通テストについて、これまでの学力測定に加えて、より学問エッセンスを感じられるような方向を現時点では感じています実施されるまでの経緯がひどかったので、これについては非常にありがたい。

今回の共通テストセンター試験名前が変わったにすぎない。その程度の変革だったのだけど、もともとセンター試験がかなりよくできてるんだよ!国語でも随分前からちゃん多角的思考力を問う内容になってる!

そうなんです。ただ、今回の新傾向がそれをさら進化させたような代物で、ただただ凄いと思って、まずは同僚の先生に伝えようと思って書いたのがこの文章のもともとです。しかも、これまでと比べて劇的な変更と呼べるほどではなく、受験生にとっても取り組みやすものになっています

文系研究醍醐味を先取りできるテストってわけか。

それもあるし、これを見た高校先生は「知識だけでなく、学問的な思考方法を教えていく必要があるかも?」と授業を見直すきっかけになります

大学入試改革は、高校入試改革嚆矢としての役割を持っているので、この方向性国語の授業を探求性を高める方へドライブしてくれると思います

古文漢文って、歴史を学ぶだけで拾えない、当時生きていた人たちの生き様や心情を拾える学問なんだなあと思った。そう思うと大事やなー。未来人達に私達の心情とか踏まえて歴史理解して欲しいって思うもん。

こういう言葉を生徒から聞くために古典を教えているんだと思います

今回の内容はいずれ、授業にアレンジして生徒へ伝えるつもりです。その意味で、非常にいい「教材」になるのもセンター共通テストが良問であるとされる所以ですね。

2020-11-19

泣ければいいと思ったセンスのないおっさんと、大衆が生み出したモノが麻枝准であり、新海誠であり、一部の京アニ作品

小学校1年だか2年だかにミュウツーの逆襲を劇場で見て泣いた子ども大人になったのが私なんですけど…。

泣ける泣けるとありがたがるのは確かに大人が多いけど、子どもにって泣ける作品に引き込まれものは(言葉にしないだけで)あります



まぁ、泣ければいいと思ったセンスのないおっさんと、大衆が生み出したモノが麻枝准であり、新海誠であり、一部の京アニ作品なんだけどもね…。

この3者それぞれに良さがないわけじゃないけど、話に文句言っちゃいけない、泣けたら正義って風潮は未だに好きになれない


ああ…色んな人と話して気づいたのは

「泣ける作品像」

からそもそも違うのか。

作品で泣くのはシーンの破壊力と言うよりも、むしろ登場人物誰かしらへの共感尊敬…そうなることしかなかったことへの無常観みたいなもので泣いてるから

「この話/こいつおかしくね?」

だと泣けんのよ…

もうちょっと根っこの部分について言うなら、普通の人は創作されたキャラを「こういうキャラ」と思ってみてるけど、発達障害の人って尖ってたり盲目的に打ち込んでる生態が普通すぎて「わかるー」って思ってみてる。

からこそ、「こういうキャラ」って割り切ってみるのも苦手。

ましてや泣けんのよ

刑事ドラマハグレモノの切れ者ってよくあるキャラだよね」

みたいな感想を述べてる人を見た時に

「え?アレって舞台装置だったの?ホームズ元ネタみたいに、発達障害的・自閉症寄りな人をモデルにしてできたキャラじゃないの!?

みたいになったわけ。

どっちの感覚一般的なんだ?

2020-07-26

特に命に意味はない

時々、生きている意味があるのか悩む、という人を見かけるが安心して下さい。

特に生に、命と言い換えても良いが、ソレに意味はありません。

意味があったら大変だろう。毎秒人間だけで幾つの命が失われている事か。

貧困と飢えをテレビで見ながら三食食べる。ニュース障害者が殺された事を知って一瞬だけ考える。その程度だ。

死刑日本で無くならないのは、命、そのもの意味を、価値を見出さな日本人の無常観に根差す。

絶対神ギフトじゃないからね。

命の意味は割と狭い社会的関係性の上に立ち現れる。家族恋人や。

ソレ以外では無意味だ。ソレだけでは不満かね?

2020-06-08

ええかげん注目とバズの適当さを知ってるので

俺のコンテンツが渾身の一作とか言うつもりはないが、他人コンテンツを見てこんなもんが200~300ユーザーかよ、という無常観と徒労感が久々に来た。

最近は気にならなかったんだがな。

2018-08-03

anond:20180803183549

目についた増田にとにかく噛みついて回るんだ。

できるだけアクロバティックにな。

そうして無常観をおぼえたら、そっとブラウザを閉じてPCを窓から投げ捨て、座禅を組んで瞑想をはじめるのだ。

2018-01-22

いくら小室哲哉応援しようとCDを買ってもカラオケで歌っても

著作権他人譲渡されているから、その利益小室哲哉に渡らないと知って

無常観

2017-11-05

anond:20171105124413

そう?増田さんは、良くないなぁ程度には思ってるけど、

世間一般とは逆の自由さを感じますけれど。

正当化。そんなイメージ



ここまで自由増田さんなら、相手にも凄く寛容だったでしょうし

何もかも自由で、いつでも風に吹かれる覚悟をしてるんだろうなぁって。

束縛する人は、相手に求めるものが多く、厳しいけれど誠実。

相手の席を自分の中に居場所を作ってゆく、その人のためにある場所

自由にという人は、相手に多くを求めず、気楽。でもお尻は軽そうな気がする。

簡単に言うと、きっと自由恋愛派は自分が好きであり、誰でもいいんだろうなって感じ。

自由な人の愛って、ひょっとしてたくさん椅子が並べてあって、椅子取りゲームみたいな感じ??

まり誰でもいい、そこにいたら。埋まればいいんだよね。寂しいから。

私は前者のタイプなので、後者気持ちは、否定はしないけれど、良いとは思わない。

自由を叫ぶなら相手愛情も常に保てるか、保証もないこと、いつまでも椅子はたくさんあると思いがちな事、

それらを、自覚して遊ぶべき。ゲームとしての無常観あるよね。

いつまでも遊んでいたいなら、それもいいじゃない。あなたは私じゃない。

自由でありたい」意思が、強くないと出来ない事よね。

もちろんこういう人は「束縛」からも無縁でしょうし。お相手も気楽でいいね!

2017-10-20

anond:20171020124510

多分タイトルセンスは良いんだよ。思わず手に取りたくなるから現代無常観に通じるものがある。

でも内容が伴ってない。

2017-05-22

映画BLAME!は分かってたけど内容ぶっちゃけ酷すぎ

以下ネタバレ感想

 

・ズルに感情移入させようとすることがそもそも失敗。漫画押し付けられた感情移入キャラがない中で読者が勝手感情移入するのがいいんであって原題の魅力と真逆のことしてる。

・ざっくりいうとBLAME!に関しては弐瓶劣化してる。20年前の原題書き上げた弐瓶よりも明らかに劣ってる。今の弐瓶シドニアの騎士を描く上では正解だがBLAME!にはもはや適してない。牙を抜かれたおっさんBLAME!を改変したところで正解するわけがない。

・散々会議したくせにカオス元凶ケイ素生物出てこないってどういうことだよ。設定すらない。明らかに予算不足で敵キャラ減らすことになったのは目に見えてる。なら電器漁師パート減らしていいからほんの少しでもいいから出しとけよ。ケイ素生物に対してとことん非常なのがキリイなのにそれを見せないとかありえない。

・タエがサナカンに乗っ取られたエピソードとかせっかくキャラにおしゃべりさせてたくせに妙に引っ張って違和感すごかった。そこはちゃっちゃと説明するかサラッと流して無常観だせよ。ここらへん余計なドラマチックにしてコケて大けがするのが今の弐瓶

・既に似たようなこと書いたけどこの作品弐瓶が昔の俺アイタタだわーw的な改修されてるせいで尖った魅力がおっさん脂肪分でマイルドに丸くなってる。そういう黒歴史っすわwみたいな態度が逆につまらなくする悪例として反面教師にしたい。

キャラがブレてなかったようなキリイも終盤エレベーターシーンで、黙って勝手エレベーターボタン操作するでもなく、声優お仕事させるために意味不明コミュニケーションねじまれる。余計なラブドラマ要素への決着がここにきて噛みごたえ最悪のホルモンみたいに残ってしまった。これで会議したのかよ。

・キリイの魅力として簡単善悪では測れない行為、苦しんでるやつを放置せず殺したり、かといってお人よしのように見返りがないのに助けたり、強く求められると断れないところみたいなそんな冷酷な面もあるけど人間を助けたいという行動に一貫性があるし弱者に味方をする点が浮き彫りになっていくところでしょ。でも舞台を電器漁師の村だけにしたらその辺りの話積み重ねられない。駄目過ぎ。

・人気キャラが悉く出ない。あれもこれもあれもこれも。説明いらないからポッと出でいいかねじ込めよ。そのための映画だろうが。そのための構成だろうが。何のための会議だよ、酒飲んでるだけだろいい加減にしろ

戦闘シーンに限っては、原題ではあった重力子射出線放射器の遠距離透視した状態で打ち合うという、全てを貫通する銃だからこそできる撃ち合いがCG節約なのかなんなのかとにかくもったいぶる。あと効かないから撃たないなんて発想はキリイにはないし、銃使うとキリイ自身が充電が必要なのも酷すぎる設定。そんな欠陥銃でどうやって生き残ってこれたんだ1人で。

階層ごとに生活圏が分断されているというのがこの世界絶望的な設定なのにそれを感じるエピソードが少なすぎ。「下 6000階層」の言葉意味初見じゃ訳わからんだろ。超構造体の説明じゃなくて監視塔の説明だと色々矛盾が出てくるけど村が孤立している理由を超構造体のせいじゃなく監視塔のせいにするからおかしくなる。これも原題設定とのズレで出てきた破綻部分。キリイだけが階層渡り歩くことができるってことをちゃんと村に行くまでに見せておくべきだった。説明するようにしたといってるけど口だけで描写が下手過ぎて映画素人か。

統治局がイカになってた。

・分かりやす省エネ作画電脳描くくらいならもっとましな表現考えてくれマジで。なんどもくるーくるーゆっくり回るシボがカットインされて変な笑い出そうになった。

・そして基底現実の肉体は死んだけど電脳ではまだ動けるっていう描写原題では現実世界で一刻の猶予も無い中での設定だからいいんであってシボの行動と戦闘中のキリイとまるで関係ない話を勧めててアホかと思った。

ラストシーンでシボがキリイと残らなかったのも意味不明。シボが自分安全のために下に逃げるなんて行動取るか?またキリイに工場へ連れて行かせるためにもエレベーターには乗らないだろ。

・他でも言われてるけど超構造体の「重力子放射線射出装置しか壊せない」っていうルールのある世界から成り立つことを説明するべきでしょ、それ説明するだけでなんでジリ貧に陥ってるのか建設者が厄介なのかを分かってくるのに。

 

えーと色々イイタイコトあるけどいいところもあいりました。

・ズルかわいい

・キリイかっこいい。

サナカンかわいい

 

以上。

要するに映像化して良かったところは良かった。

BLAME!黒歴史だと認識して余計な事してるのがまさに今、新しい黒歴史作ってんのを弐瓶理解できてんのかね?

というかBLAME!こそファンである製作陣に丸投げさせてノータッチで作らせるべき作品だったろ。

中学生の頃は辞書隠語で興奮してたけどそれは別に恥ずかしいことじゃないし、

男がみんなそこで共感性を持つからこそBLAME!海外でもヒットしたんだろうが。

それを描いた本人が既に理解できなくなってるんだから月日の流れってのは恐ろしいな。

というか普通に予算足りなかったのならグチグチ言い訳せずに素直にそう言え。

逆に不信感出るわ。

PS:

観に行って良かったか悪かったかで言えばキリイが観れただけで良かったけど

弐瓶ふざけんなボケが という感想が沸いた

どう?これでステマ隊員もブクマしてくれる?

 

PS2:

>このお話「強い旅人通りすがりの村の問題解決して去っていく(そして旅人は村の伝説として語り継がれる)」って話じゃなかったんですか

まさにそれがBLAME!の良さを初見に誤解させてる証左

弐瓶はこういうことをしたいのならそもそもBLAME!という原題を用いて映画にする意味がない。

BLAME!BLAME!のまま映像化されるのをファンたちは期待してたのに初見も楽しめるようにではなくて初見を軸に据えてどうすんだよアホ弐瓶

 

PS3:

世界観に初めて触れる人にとっては、あれでも展開が早すぎるって人も居るみたいだよ

じゃあ世界観説明させるためにキャラにおしゃべりさせましたってのすら失敗してるってことじゃねーか。

初見にもファンにもストライク取れなかったら失敗じゃねーか。

まあ、初見ストライク取れたかどうかは売上で分かる事だからここでどうこう言っても仕方ないが。

 

PS4:

>そんなに盛り込んで、上映に何時間かける気だよ。

それを考えるのが映画だし会議本質だろ何言ってんだよ。

会議飲み会じゃねえんだぞ。

大の大人が集まって脂汗垂らしながら構成やらシステムやら今後の方針練るところだろ。

 

PS5:

珪素生物出ないって、それはあかんやろ。

あかんよ。

 

PS6:

>そんなに盛り込んで、上映に何時間かける気だよ。

スターウォーズだってあらすじだけ書くととてもあの時間に収まる内容じゃねえよ。

2016-08-18

ネタバレあり)ゴジラ綾波レイである

って思いついた話。


アラサー腐女子です。

夏コミも無事に終了したため「シン・ゴジラ」を鑑賞してきました。

結論から言えば、最高。


父親の影響でそれなりにゴジラにも触れてきた幼少期。

ストーリーを暗記するほどに思い入れはなかったものの、

ゴジラ氏をはじめとする個性の見える怪獣達に親しみを持っていました。

(当時はモスラが可愛くて好きでした)

実家にある小美人ペンダントまだあるかな

(ついでにミニラよりはリトルゴジラ派でした)


更に同時期、我が家でフル稼働していたSSソフトゴジラ 列島震撼」をプレイしていたことにより、

私の中のゴジラ氏はすっかり愛着のあるキャラクターと化していました。

※「ゴジラ 列島震撼」…SS向けに1995年に発売されたRTSであり、自軍であるGフォース兵器を用いて都市部に現れる怪獣殲滅していくゲーム

ちなみに難易度が糞高い。基本、複数怪獣が出てくるステージ怪獣を同士討ちさせることに全力を注ぐプレイ必須


しかし今回の「シン・ゴジラ」、どうやら様相が違う。


世間では蒲田くんだなんだと呼ばれて人気の第二形態、あれ普通に恐ろしかたからね!

しかし早くも二次創作キャラクター化して落とし込まれる様に日本オタクのたくましさを垣間見ました)


恐竜とも水生生物もつかない見た目にエラから露出する赤い中身。

そんな得体のしれない生き物が血を流し、更に大きく進化していく。

最終形態を見たときには絶望しかありませんでした。勝ち目ないじゃん!私アイドル辞める!

今回のゴジラ氏は今までよりも身近な、より現実的な脅威として私達の前に立ちはだかったのです。


さておき、私エヴァも好きなんですね、腐女子的な要素を抜きにしてもすごく。

リアルタイムでは見ていなかったんですが、やはりそこは社会現象

深夜の再放送などで目にする機会が多く、旧劇場版区別のため、あえてこう表現します)の

絶望とも希望ともとれる無常観が強く印象に残っています

TV放送ときから新劇場版が上映される今の間にネットなどの情報網も発達し、

隠されていたメッセージや設定など、語り尽くされている感こそあります

それを置いてなお今も人々の心を捉えて離さな作品だと感じています

私自漫画を描く人間なんですが、エヴァカット割りや間のとり方などの作品に流れるリズム

今でも参考にしています



今回の「シン・ゴジラ」、ネットでも様々な方が仰っていますが、

シーン一つ一つの割り方やBGM、果てはヤシオリ作戦への流れ方など

エヴァノウハウを存分に活かした映画でしたね。

ちゃんとゴジラという枠組みなんですけど、庵野監督作品に落とし込まれている。

見方を変えれば公式の超金のかかった二次創作との解釈もできてしまうんですが、

多くの人を巻き込んだ一流のエンターテインメントであることは間違いありません。

日本映画の到達した「点」を目の当たりにできたことを幸せに思います


上映後に私が感じたのがタイトルにも記載しました、

ゴジラとは綾波レイなのではないか、という妄想、もとい仮説です。


綾波レイと言えばご存知エヴァンゲリオンヒロインであり、

無口で感情に乏しいという日本美少女界のテンプレートを不動のものにしたレジェンド

彼女は劇中で主人公シンジと触れ合うことで人間らしさを見せ、

かと思えば新旧劇場版では世界ヤバイ状態に落としこむお茶目さんです。


彼女は人の望むものに形を変えられる概念だと思うのです。

ミクロな部分で語ると旧劇場版の人がLCLへと変わっていく描写が有名でしょうか。

あの刹那彼女は、人類それぞれの一番想っている相手へと姿を変えました。

綾波レイというキャラクター自我がないように思えます

そのキャラクターシンジはじめ劇中の登場人物、そして庵野監督

果ては我々観客の望みによって変化し、確立されているように感じるのです。


そこが今回「シン・ゴジラ」を観て共通するかも、と思った点。

ゴジラは私が生まれる前から恐怖の象徴として、人類対峙するものとして、

あるいは正義ヒーローとして、そのかたちを様々に変え今も愛され続けています

その我々の望みを吸って息をする、ある種世相を反映するあり方に

私は綾波レイと同じ血が流れていると感じたのです。


彼(彼女)は何にだってなれるし、何だってできます

恐らく今回のゴジラ氏もそうで、あれはきっと我々が望んだ姿なのです。

そしてこれからゴジラ氏は我々の望みによってその姿を変えていく、

そういう生き物なのかなと。

あわよくば、これから作られるゴジラヱヴァ

どんな結末であっても受け止めるのはもちろんなんですが

望みを吸って育ったそこに少しでも希望がありますようにと

なかなか希望の持てない現代社会で揉まれ腐女子は思うんです。


考えが浮かんだときやばい天才だ!と思ったんですが文章にまとめるとそうでもありませんでした。

お付き合いいただきありがとうございます熱量を吐き出す場所がほしかったんです。



最後に、多大な熱量でこの作品を生み出してくれた庵野監督には本当に感謝です。

新作のヱヴァンゲリヲン、ご健在のうちに世に出していただければ嬉しいです。

今回の「シン・ゴジラ」が免罪符…というわけではありませんが

どれだけでも待たせていただきます

2016-06-09

[]

怨讐星域を読んだ。一巻を読み終わった時、一巻から三巻までの帯についてる煽りは嘘じゃないのかもしれないと思ったけど、結局尻すぼみな読後感になってしまった。残念。

なんだか似たような恋愛話が多かった気がした。宇宙船でのお見合いシステムも、なんで男性アクセスして相手を見つける話ばかりだったのだろう。逆があっても良かったはずだし、女性主人公になる話があっても良かった。もちろん結末はいろいろだったけど、過程が似たり寄ったりでちょっとうんざりさせられた。

また年代記の体裁をした短編集になってるのに、ひとつひとつエピソードに重みがないのがもったいなかった。もっとこう後世に残る大発明とか、大きな障害を克服したとか、些細な行いが禍根を残してしまったとか、重大なエピソードに焦点を当てればいいのに。改めてあらすじを眺めてみるとそうじゃないことがわかるんだけど、読んでいる最中は余分な話があるなって感想を持ってしまった。たぶん構造が悪いんだと思う。

一巻は素晴らしかった。新天地での人類生物との戦いや別コミュニティとの交流なんかはわくわくした。サラマンダー殲滅でもそうだったけど、梶尾真治が生み出す生物特殊グロテスク面白い。スナークとの格闘や百年蟬とブッシュバードの話なんかすごく面白かった。

終末期の地球の話は一巻の中で異彩を放っていたと思う。ハッピーエンドっていう話は主要な内容もさることながら、とある高校生家族と一緒に暮らしていることに衝撃を受けた。もうすぐ地球は滅びるのに、脱出する選択肢提示されていたはずなのに、地球崩壊を信じない父親の影響を受けてか新天地に移動しなかったことを思うと、自由選択の切なさというかもどかしさを感じないわけにはいかなかった。そりゃあ最終的に決定したのは本人なんだろうけど、それでいいのかってどうしても思う。終わり方も切なかったので終末モノが好きな人には読んでもらいたい内容だった。

ノアズ・アークの船員たちの心情も良かった。地球の人々に内緒宇宙船脱出することを選んだ大統領の苦悩とか、人生宇宙船の中だけで終わってしまう人々の無常観とかが胸に迫った。コミカルな内容もある宇宙船の話だけど、いつもどこかに物悲しさがつきまとっていた気がする。

二巻にも好きな話がままある。ノアズ・アーク怪物は結末がギャグだし、アダム小屋の話はモンスターパニックになっている。深遠の選択で描かれているジレンマもよかった。

三巻になると、復讐とか戦争とかそういう話になっていくから話が重くなる。戦中の情報統制とか教育方針とか、そういうもの抗う話じゃなくて浸透していく話になるから読んでて辛かった。また結末のカタルシス微妙。予想出来た終わり方なのは致し方無いとしても、もうちょっとドラマチックに心情を追って欲しかった。

このシリーズ、せっかくなら一巻は地球に残された人々を主に描いて、二巻は約束の地に先回りした人々の歩みだけでまとめて、三巻での宇宙船で旅だった人々の真意を重点に書いたら良かったんじゃないかな。単純に年代順に物語を並べたゆえの弊害が出てしまったように思う。読みやすくはあったんだけど。

2015-12-05

自民党は「地方が主役」ポスターを止めるべき

理由は簡単だ。

甘利にもいやあまりにもシュールすぎる。

地方に行けば嫌でも感じるあの寂れ気配をしり目にあのポスターがはってあるのは違和感バリバリだ。

俺は埼玉都心近くのまあかなり栄えたところに住んでいる。

それで近くにはってあるあのポスターを見てももちろん違和感があるわけだが、

時々1人旅で行く寂れの最前線にある田舎であれを見た時の違和感はそんなの比べものにならないくらのものだ。

ポスターの横は数店潰れているみたいな光景もよくあるわけだ。

あれを見て地方の人は殺意でも湧いてんじゃないかと他人事ながら心配になるレベルだ。

人もいない。観光客だってマスゴミ外国から観光客でウハウハ―と煽っているがそんなのメジャーどころにしか来ないし、

へき地のマイナー観光地には御利益はほぼない。

外人さんなんて東京大阪などの大都市圏観光地世界遺産級で有名か超有名温泉とかにしか行かないのだ。

農業も厳しいしそれ以外に産業もないわけで、そんな状態であのポスターを見てもふざけんなと言う感想しかならないだろう。

少なくとも俺が田舎に住んでいる人の立場ならなると思う。

まあ、俺自身田舎を捨てて上京して田舎に戻る気もない身だからあんまり強くも言えんし、

1人旅に人の洪水が予想されるメジャー観光地より多少外れた寂しい場所を選ぶことが多いのは事実だが、それを差し引いても「あのポスターはない」

あのポスターを見せつけられると静かなのが好きとかそういう俺の好みを超越した無常観にさいなまれ、寂れの意味を深く考えさせられる。

安倍(この場合あんあほスローガンを掲げた自民党執行部全体か)は現実があまりにも見えて無さすぎるだろ。

2015-10-28

http://anond.hatelabo.jp/20151028112044

ガンダム思想って、

個々人の立場はそれぞれであって、背負うものが違う以上、対話無意味だって世界観じゃなかったです?

対話の結果、判明したのはお互いに分かり合えないということだけであって、

結局最後は力づくで勝ったものが正しい。そういう無常観を描いた物語だと思っていたけど。

2015-08-12

無常観色即是空空即是色っていうのが30過ぎて実感できてきた

この世界はいろんな人がいるけれど

まれている人でも不幸で貧乏な人でも善人でも悪人でも

わけもわからず生まれてきて、生きて、死んでいくのは同じなんだな


生きている意味主観しか無いし

絶対的ものなどない


人生なんて100年くらいしかない

人間限界科学進歩しても簡単には越えられない


死んだらどうなるかわからないが

神がいようが魂があろうが輪廻転生があろうが

今回の人生は終了、永遠に戻ってこない


子供を残そうが、偉業を残そうが、長い目で見ると

俺らがやってきたことなど何も残らない


俺たちが俺たちの先祖のことを知らないように、

時間が経てば俺らが生きていたことすら誰も覚えちゃいない


子供がいるほうが40代以降の苦しい労働孤独、死の絶望に耐えられるかもしれないけど

子供がいてもいなくても長い目で見るとやっぱり何も残らない


生きていることな暇つぶし自己満にすぎない

まあ面白いことは沢山あるし、人間に生まれてきて

戦争も無い時代楽しいとあるし、

宇宙的に見るとかなり珍しい素敵なことが起こっていると思うから感謝すべきだと思うけど

でもある切り口で切るとやっぱり暇つぶし自己満にすぎない


長いように見えて短く、終わったら何も覚えてないし残らないとか

信長じゃないけど人生なんて夢だな


寝る時に見る夢よりも

ちょっと長くてはっきりとしていて、沢山の人が同時に見てる、

それくらいしか違いはない


人生など夢に過ぎない

何も残らない、残せない、意味もない

でもそれが俺たちのこの世界の全て


まさに色即是空空即是色

この世界諸行無常


でもせっかく人間として生きるという権利を得たのだから

自分のできる限りの楽しい夢を好きな人達と一緒に観たい


人間であることの限界を受け入れて

苦しいこともコンテンツの一つとして消化しながら…

2014-05-16

面白かった映画

週に5本くらいのペースで2年ほど映画を見たランキング

  

1位 ブレアウィッチプロジェクト

 ホラー映画ナンバーワン

  

2位 最終絶叫計画

 下ネタホラーの融合。クッソ面白い

  

3位 エル・トポ

 意味不明ストーリーではあるが、無常観と深み、映像のものの魅力、展開の予想できなさとリアリティー、全部がそろっている。

  

4位 気狂い・ピエロ

 意味のあるストーリー展開だが、ストーリー自体は魅力と関係無い。 瞑想のような独白や語りかけ、静かななかで静かに狂う快感がある。

  

5位 張り込み(原作華倫変のやつ)

 松本清張の同名の映画があるがそれとは間違えないでほしい。

 張り込みのために部屋に泊めてくれとやってきた刑事だが、刑事の言動がおかしい。刑事目的は本当に張り込みなのか?という非常に緊迫感のある頭脳戦かつエロス

  

6位 ファニーゲーム

 政治家が、「明らかに悪いことしてるのに誤魔化した言論を取る」ということがよくあるが、あれに似たしゃべりかたで家族を追い詰めていく。だけならよくある話だが、さらメタフィクション的な様相も見せて、悪意アル映画監督の描写と視聴者との勝負となる。

2013-10-14

別れの挨拶は「またね」にしよう、と彼女は。

日本語の「さようなら」はどういう意味合いなのか釈然しなかったので調べてみた。

"日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか (ちくま新書) [新書]

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すると「そうならなければならないなら」という意味だという。また諸外国の別れの挨拶のように、再会を願ったり、別離の後の神の加護を祈ったりするでもなく、「さようでしたら」という装飾のなさに日本的な無常観を感じた。

過去に付き合っていた子が「"バイバイ"とか"さようなら"だともう会えない感じがして寂しいから、別れの挨拶は"またね"にしよう」と僕に言い、それから僕らの別れ際の挨拶は「またね」になった。

結局「さようなら」と言ってフラれたんだけど、それも「そうならなければならないなら」って事だったのかな。

女の子感性って鋭いね

2011-09-06

後悔

やった後にしなきゃよかったなんて思うくらいならやんなきゃよかった

VS.

やらずに後悔するならやった方がマシ

みたいな一人ブレストを開始しま

いずれも個人の、狭い認識から継ぎ接ぎした事例と分析なので、広く一般的に通用するわけでもなければ書き手自身に意味のあるものとなるとは限りません

意義や結論を導ききる気は多少はありますがさして信念というものを持たない(保てない)ため

まず、前者の言い分ですが、こちらは経験者の語る情景です

既にやったことに対して、その行為の意義の無さや無常観、もとより始めからそうなることの予感をえていた様子

もうこころからの後悔と、二度とそれをしないことへの決意じみた卑屈さがあります

転じて、後者では未だ結論がでていない事物に対して拙速に取り組もうとする、これから事を成すものの、挑戦者の態度です

彼/彼女は自身や自らを取り囲む環境に対し、現在を事を成す時と定めます

それが未知なるもの対峙する態度として、或いはそれが分かりきったこととして

それが唯一の正解というべきものにせよ、誤りであると気づくための数ある道の一つにせよ

と、ここらで飽きました。

ここで対立する2項はあらかじめ不可分なもので、それをひらいた切り口は、単純に行為をした、前後に分断されているだけだと云うこと。

どちらにもそれなりに合意できる同機と反芻する点があって、それを比較してみたかっただけなのだとわかりました。

(いつもの如く、有意義な結論を探し出すのに飽きた。といってはもったいないけれど)

ただ、両者のような態度のどちらも取り込んでおけば、やることなすことを、同じことを同じように繰り返し続けることはなくなるのではないかという淡い希望を持ちます

2度はやるまいと思った事を2度とやらない。かつ、未知なること(言い換えると、新しいこと)に対する試行を続けること。

これらの指針/原則に従い行いを繰り返しすことが洗練された方へ向かう手段ともいえる。

(他にもありそうだし、なんかのアルゴリズムで言うところの局所解に陥る可能性も充分ある。)

今日はもういいや。つかれた。

 
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