はてなキーワード: miXiとは
昔mixiである趣味のコミュの管理人をやっていた時、同じジャンルの人からメッセージが来て、会うことになった。
色々と話をしていると、その趣味界隈だけではなく、細かいところの考え方も似ていて、家庭環境も似ていた。
facebookを始めた頃にも、同じようにメッセージが来て会うことになり、
会ってみたら趣味や考え方が似ている人だった。家庭環境は違っていたが。
どちらの方も非常に興味深い人で、話をしていて刺激的だったし、今でもネット上で交流がある。
増田でも同じように、書いた日記にほぼ毎回ブコメをくれる人がいて、
会ってみたら非常に刺激的なんじゃないかと思う。
話が飛ぶが、人間の生きている意味の一つは、特性を残すことだと考えている。
子供を作るのが一番手っ取り早いが、文章や思想なども遺伝子と同じように特性を残す媒体となるはずだ。
となると、子供がおらず、同じような考え方をする人がいるとなると、自分の生命としての責任、
つまり特性を残すことはしなくてもいいものなのではないか、ひいては自分の生命の意義を否定しうるのではないか。
みなさんはどう思いますか?(0)
あけましておめでとう!!(0)
皆様にアンケートです(0)
手首切りました…(0)
家にある睡眠薬全部飲みました…(1)
ありがとう…(1)
「メサイアコンプレックス」という言葉がある。
実際はモラルハラスメントなどに通じる考え方であるが、ここではちょっとネット向けにアレンジした理解として、「個人の問題や悩みを解決するために、わざわざ社会を変えなければならないと考え、それを呼びかける人」のことを指すこととする。「スラクティビズム」という言葉と親和性持たせる感じね。
例えば、自分がオタクとして十分なアイデンティティの充足が得られない人が、「今のオタクは間違っている。正しいあり方に直さねばならない。私が主導する」といい出したり、例えば、左翼やリベラルとして十分なアイデンティティの充足が得られなかった人が、活動の場を求めて、他に誰も問題視していないことを大げさに騒ぎ立てて自分の存在感をアピールしたりtogetterまとめなどを使って拡散しようとしたりする事案などがそれに当てはまる。
そういう人たちが、自分の問題と社会の問題を「リンク」はさせつつも「別の問題」として扱えるのであれば問題はない。当然のようにつながりはあるが、それでも自分の問題は自分の問題、社会の問題は社会の問題として、それぞれの課題を分離できるならいいのだ。
だが、大抵の人はこの2つを混同してしまう。というか、そうでもなければ、わざわざ社会の問題なんて考えようという人はそうそういないだろう。
だけど、これはわざわざ難しい事をやって、わざわざ行き詰まるように自分を追い込んでいる。セルフハンディキャップよりタチの悪い、約束された失敗に向かって飛び込む破滅願望のようなものだ。自分に酔っているだけで何の役にも立たない。
いわゆる「心の贅肉」というやつだ。
そういう贅肉がある人は羨ましい限りだ
それにしても学歴が高い人に有りがちな「自分のことだけ考えていてはいけない」という強迫観念があるのかもしれない。
最近はそうでもないと言われるが、やはり良い大学に行った人や、
本人はそうでなくとも親が良い大学に行っていたり医者だったりする人は、
多かれ少なかれエリート意識と言うのはまだ残っている人が多い。
そして、エリート意識というのは、正しく扱わないとその人間を蝕む毒になる。
数十年前の学生運動というのは当初、東大や京大などの人間が真面目に考えすぎた結果、こじらせてしまったところが出発点だった。
せっかくいい大学に通わせてもらったののに、他人より恵まれた立場にいたはずなのに、自分は何をやっているのだろう、自分だけ幸せになっていいのか、社会はこのままでいいのだろうかと余計なことを考えて、ふわふわした感覚のまま社会を変えなければならないという気持ちだけが先行してああいうことになった。
彼ら彼女らはとにかくクソ真面目なのだ。クソ真面目すぎて、背負う必要もない責任を抱え込んで、それをどう扱っていいのかわからないまま混乱してしまったのだ。
最近はてなブログでこれに近い、クソ真面目な人が混乱しながら書いたんだろうな、という記事を読んだ。
東大に次ぐ日本で二番目に難しい文系大学を出たあとニートになったりすれば、その鬱屈した感情は非常に強いことだろう。
ああ、エリート意識を持て余し、メサイアコンプレックスに取り憑かれているなと感じる。
だが、タイトルに革命、のような言葉をつけているわりに記事の内容は幼稚としか言いようがない。
自分に酔っているなとすぐわかる。
大学卒業したての人間が、雇われずに生きていくと言っているのと近い。
願望を述べるのは良いが、具体性が足りない。そこに本気を感じない。
この人はシャドウ・ワークという言葉を知らないのだろうか。 良い大学を出ていても、あまり勉強してこなかったように思われる。
自分の問題から逃げるために社会の問題を論じているだけのようにしか感じない。
自分の現実から逃避するために適当に論じている人を見ると少し腹が立つ。
そういう人間が、私は社会の問題をちゃんと考えてます、というツラをされると私としては大いに腹が立つ。
今の社会はそりゃ間違っているかもしれないが、それでもとりあえずギリギリ成り立っている。
それを支えるために結構な労力を費やしているわけだ。
ブラック企業を支持する奴隷と言われるかもしれないが、すくなくともこの社会において
別に私でなければ回らないようなオンリーワンの仕事なんかしてないが、
与えられた仕事で毎日踏ん張って、自分だけでなくて家族を養って生きてるのだ。
他人から見たらつまらない人間に違いないだろうが、そういうことを蔑ろにされたくない。
そういうことすらろくに出来ないやつが、社会の変革みたいな大げさな話をしても鼻ホジでしかない。
mixiが自身の衰退とともにこれらを潰してしまった罪は非常に重いと思う。
私は2000年代前半からあるマイナーアーティストのファンサイトを運営していた。
今の若い人には「ファンサイト」という言葉すら通じないかもしれないが
当時は有名なアーティストなら最低10個くらいはファンが作る応援ウェブサイトがあり
有名なアーティストは後から参入しても人が集まる余地がなかったので
私はまだファンサイトが全く無かったある新人アーティストのファンサイトを作り、
そしてその2年後くらいにmixiはあっという間に廃れた。
他のファンと語り合うこともできなくなった。
答えは否。何も変わらなかった。
mixiもtwitterもfacebookもニコニコ動画も2ちゃんもツイキャスもみんな若者達が流行らせた。
[追記]
twitterは既に米国では若者にウケている状態で日本に入っているので、妙に日本ユーザーが増えたマストドンはtwitterのように伸びないと予想。
海外のマストドンユーザーの年齢層までは見ていないが、仮に海外の若者にウケたとしても日本の若者に刺さるまでは時差がある。
作り手の話をしているトラバがあるが、論点は「ユーザーが若いかどうか」だから作り手の年齢は関係ない。ユーザーに若者が増えないとSNSは絶対に流行らない。
俺がまだ20の頃
俺は田舎出身だからマイルドヤンキーの知り合いがめちゃくちゃ多いんだけどやっぱマイルドヤンキーの知り合いはかなり早い段階で結婚する
「おまえも早く結婚しろよ」と25を超えたあたりから言われるようになった
俺はこれをみて「結局周りに良いようにみられたいだけ」とずっとおもってた
最近の高校生ではないが、自分たちが幸せだと見られていないとたまらないのだろうと思った
真の愛
そんなものが本当にあるかはわからないが真の愛でなければ無意味だとおもってた
周りにアピールするまでもない 自分と相手 二人が幸せであれば良いだけの
そういったなんというかな、漠然としたささやかさこそが一番だとおもっていた
気がつけば32
俺は明日式をあげる
気がつけば俺も一緒だった
周りに「俺は結婚もしている信頼のできる人間だ」と証明するために結婚するのだ
その結果は結局のところ「周りに良いようにみられたい」だけなんだと気がついた
明日から妻になる女性のことを愛していないのかといえば愛している
一生大事にしたい
でも心の中でそうおもってしまう
もう5年近く経つ。
ネットで名前を検索したら、その人を偲ぶ会というコミュニティがmixiにあるのを見つけて、見たいような見たくないような気持ちでやっぱり見れなくて当時のことを色々と思いだしてる。
好き同士だったのかはわからないけど毎日メールしてたな。「好きだよ」とメールを送りあったりしたけど本当はどう思っていたんだろう。死んだら聞けないじゃん。
時間が経って自分は自分の生活を送って彼以外の人を好きになったりもしたけど、彼への思いだけがガラス玉の中に小さく閉じ込められている。私はそれを見つめることしかできない。割ることができない。忘れることができない。早く、早く時間が経ってくれたら、こんな思いも頭の片隅へと追いやられて縛られることなどなく過ごしていられるかもしれないのに。
出会い系というかmixi全盛期でほぼ出会い系と化してた6、7年前の話。
その頃はいろいろあって自暴自棄になってたのでとりあえず誰でも良いやと思って会うことにした。顔写真とか事前にお互いおくってたけどまぁ写真なんてどうとでもなるし、生理的に無理以外はいいかと思って相手が住んでるという永福町駅に23時に待ち合わせしたのだ。
実際に会ってみたら私より身長が低い相手。158cmくらいだったと思うけど、相手も私のことをデカ女と思ったのだろうか、細い路地に入って「ちょっと家の中片付けてくるからここで待ってて」と。それから5分10分待ってもなんの音沙汰もなく、20分くらい待ってようやく「ごめん!急用が出来ちゃったから今日は解散!」とメッセージが来たのであった。
もう0時前で終電はとっくになくて、とりあえず渋谷まで行ってネカフェで一晩過ごした。カップルシートでいちゃいちゃする奴らの声を聞きながらさめざめと泣いた。この経験ほど虚しさを感じた経験は他になかった。
よくわからないが、コミュニケーションの手段としてのそれを知ったのはmixiだった。
遠方に住む友人と電話していて「ミクシーって知ってる?」と聞かれた。
「何それ知らない」と答えた後、友達は話を切った。
その2年後くらいに自分も書いてみたりしたわけだが、今はもうひどく昔の話のような気がするし、実際にけっこうな時間がたった。
そのころだったろうか。
ややオタクというのかギークというのか情報感度の高そうな友人らがツイッターで盛んに交流しているのを横目で見ていた。
SNSという言葉をわたくしの周囲、特に情報への接点が普通レベルの人々の交わす会話でも聞くようになったのはFacebook登場後。
というのは、「誰々がなんとかの写真をあげていた」という会話を耳にすることはあっても、わたくしは一度もFacebookのアカウントを取得したことがないからである。
「なんとか疲れ」がつまらないネタとして語られのも何度も見たが、「やらなきゃ疲れないのに」と思ったものだ。
その間、はてなブックマークは常にわたくしのそばにあった。
いや、ちょっと違うような気もするし、わたくしは交流していないのだけれど、なぜかずっと続いているのだ。
なんと気楽な、わたくしにとって良いウェブサービスであろうか。
実際にわたくしは太平洋の方向に足を向けて寝ている。
そろそろ寝る。
おやすみなさい。
ホットエントリが増田だらけだというが、具体的にどんな感じなのか。増田が150個ホットエントリ入りするとホットエントリの大体1割を占拠した感じになる。
年\月 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2006 | 0 | 2 | 3 | 14 | ||||||||
2007 | 29 | 30 | 23 | 13 | 23 | 29 | 8 | 24 | 31 | 35 | 24 | 32 |
2008 | 25 | 27 | 26 | 21 | 26 | 32 | 65 | 81 | 66 | 78 | 73 | 118 |
2009 | 85 | 65 | 50 | 49 | 65 | 59 | 44 | 48 | 53 | 50 | 31 | 25 |
2010 | 23 | 23 | 19 | 15 | 16 | 27 | 64 | 43 | 32 | 22 | 30 | 13 |
2011 | 20 | 13 | 25 | 20 | 14 | 13 | 32 | 30 | 17 | 18 | 13 | 7 |
2012 | 10 | 3 | 9 | 7 | 18 | 17 | 13 | 13 | 16 | 20 | 10 | 20 |
2013 | 32 | 34 | 76 | 69 | 78 | 82 | 67 | 97 | 84 | 85 | 83 | 74 |
2014 | 63 | 85 | 103 | 100 | 87 | 117 | 142 | 90 | 78 | 70 | 64 | 66 |
2015 | 72 | 71 | 86 | 91 | 108 | 131 | 130 | 129 | 136 | 132 | 144 | 158 |
2016 | 164 | 128 | 123 | 138 | 148 | 165 | 127 | 147 | 143 | 167 | 148 | 143 |
2017 | 147 | 147 | 162 | 177 | 181 | 178 | 169 | 158 | 171 | 175 | 184 | 183 |
2018 | 169 | 176 | 281 | 227 | 213 | 225 | 218 | 275 | 235 | 242 | 212 | 206 |
2019 | 235 | 207 | 182 | 201 | 255 | 213 | 217 | 168 | 185 | 219 | 234 | 208 |
2020 | 187 | 156 | 165 | 162 | 206 | 242 | 291 | 240 | 166 | 183 | 202 | 179 |
2021 | 205 | 203 | 206 | 212 | 222 | 198 | 166 | 163 | 151 | 178 | 189 | 127 |
2022 | 203 | 121 | 114 | 161 | 201 | 195 | 146 | 148 | 176 | 214 | 231 | 227 |
2023 | 248 | 174 | 168 | 209 | 221 | 237 | 257 | 238 | 202 | 189 | 194 | 200 |
2024 | 247 | 216 | 182 | 154 | 225 | 238 | 224 | 281 | 269 |
http://anond.hatelabo.jp/20170219233955 と同じデータで但し書きは同じ
はてなブックマークで話題になるブログとならないブログの違い - はてな匿名ダイアリー
良いカッコしようとすれば自意識が透けて見えて気持ち悪いと言われる - はてな匿名ダイアリー
[水からの伝言]『水からの伝言』の世界 - はてな匿名ダイアリー
もしも2ちゃんねらーがはてなに流入してきたら - はてな匿名ダイアリー
『はてな』がイノベーターに成り得ない5つの理由 - はてな匿名ダイアリー
『はてブ』によってイノベーションを起こり得る5つの理由 - はてな匿名ダイアリー
就職できない学生 - はてな匿名ダイアリー
友達がいない - はてな匿名ダイアリー
うどんやそばは私にでも作れると松本零士先生は言うけれど - はてな匿名ダイアリー
ホワイトカラーエグゼンプション(官僚の制度について) - はてな匿名ダイアリー
2ヶ月間のはてブの人気エントリーをチェックしてみて思ったこと - はてな匿名ダイアリー
科学が『ニセ科学』を糾弾できない本当の理由 - はてな匿名ダイアリー
天空のなんか - はてな匿名ダイアリー
ボランティアの使いかた - はてな匿名ダイアリー
mixiの真実 2007 - はてな匿名ダイアリー
ここまで大きな話になっていることを、正直、申し訳なく思います。
1998年~1999年頃(当時大学1~2年頃)に自分で便秘解消のために実践し、実際に効果があったと感じたのが最初です。
私が一人で勝手にやってればよかったのですが、ネットを検索しても同じことをしている記事や日記などは当時まだ無く、無いならこれは誰かと共有したいと思い、ネット上のあちこちのCGI掲示板などに出向いては、塩水で腸内洗浄できるよということを投稿して、自己顕示欲を満たす日々を続けていました。
尻から水分が勢い良く出ることに妙な快感があり、正直、病みつきになった時期もあります。頻度として週に2回以上行っていた時期があります。耳かきにハマるのと同じくらいの感覚です。一方で、塩水洗浄のし過ぎで痔ができやすくなり、疎遠になった時期もあります。
塩水の飲み過ぎは体に悪いという自覚はありましたが、若さゆえ死ぬことはないだろうという根拠なき自信のもとで行っていました。
さて、当時なぜ塩水を大量に飲むと腸内洗浄になるのかのメカニズムは自分でもよく分かっていませんでした。
一方で、ちゃんとした海水塩だと効果が大きく、いわゆる精製塩(食塩)ではほとんど効かないということも体感として持っていました。
次第に、塩水洗浄に必要な成分は、海水塩そのものではなく、海水塩に含まれる「にがり(塩化マグネシウム)」によるものが大きかったのかな??と感じることが増えてきました。いつだったか「おもいっきりテレビ」とかで「にがりダイエット」として放送されていたことが、気づきのキッカケになったと思います。「あるある大事典」だったかも。うろ覚え。
一旦気づきはしたものの、わざわざドラッグストアで買うほど積極的に「にがり」を入手したいわけでもなく、結局はそれを試すこと無く、手元にある「伯方の塩」などの海水塩を使用して続けました。
その後mixiに招待されてアカウントを作成してからも、塩水で腸内洗浄が簡単にできることをかなり長いことアピールしていました。
こうした投稿に対しあまり批判もされなかったことから、そこまで体に悪いことはしていないのだろうという感覚もありました。
次第に「塩水洗浄やってみたー☆」といった日記が増えてきたことに、嬉しさがありました。さらに「塩水洗浄ダイエットとは?」といった記事も増えてきて、このときは、いよいよ一般化してきたのだなあ、と、寂しさを覚えました。
(所で「ソルトウォーターバッシング」という言葉は、ごく最近に知りました。内容は同じです。ただ、この英語って塩風呂のことじゃなかったでしたっけ?いつからか意味が変わったんでしょうか。)
いずれにしてもキッチンにある調味料だけで実践できることが、塩水洗浄が流行りやすい理由の一つであろうと思います。
私自身は塩水洗浄に対して、今もそこまで批判的な立場ではありませんが、医療関係者の皆さんたちが警鐘を鳴らす通り、体に悪いということは今になって理解できます。
ただ、長いことやっていたのもあり、どうしても洗浄欲が出てくるため、最近は塩水を使うのではなく、マグネシウム系の下剤を使って同じ結果を得ています。
現在、腸内洗浄の目的で塩水を使用している人、あるいは、ちょっとやってみたいかもと思っている人は、できれば海水塩を使うのではなく、せめて「にがり」を薄めて飲むか「マグネシア」など市販のマグネシウム系の下剤をたくさんの水と一緒に飲むほうが安全ではあると自分なりに思っています。しかし私は医療関係者でも何でもありませんので、絶対おすすめしません。
Twitterを始めて10年経ったとTwitterから通知が来た。
10年間ほぼ毎日何食べたとかどこに行ったとか呟いているのは、我ながら10年変わらなすぎではないかと思う。
Twitterの前は何をしてたのか、というとmixiやGREEを更新してたしその前は勿論ブログ、もっと前はジオシティーズで「DIARY」というページを作って書いていた。ダイアルアップだったからメモ帳に書いてアップロードしてた。
だいたいいつも内容は自分の日記とインターネットで気になった記事にひとこと自分のコメントをつけたのを羅列しただけのものなんだけど、記事のクリップは2008年くらいからはてブに集約するようになったのでTwitterには書いてない。なので、本当にくだらないゴミみたいな呟きのみをずーっとしているということだ。
インターネットに自分のログが残るというのがとても好きだ。時々何年も前の自分のログを見て苦笑したりこんな事を考えていたのかと新しい発見があったりもする。
たまーーにコメント貰えるとじんわり嬉しいし、10年ずっとフォローしてた人も同じようなことを未だにやってるインターネットが私は好きだよ。
気づけば中年のオッさんだ。
俺も経験を書いてみたいと思う。
「会社で無能扱いされたら自分の能力を悲観するより、会社に合ってない」
と考えたほうがいい。
ここからは、そういう考えに至った
この言葉が届いたら良いなと思っている。
たぶん、君が輝く職場はどっかにある。
15年前は超就職氷河期。
同時にブラック企業が大学新卒を食いつぶし始めた時代でもあった。
大学時代、何も考えていなかった俺は、
店を持って自立すべしという話は、
当然、考えるよりも手と体を動かす仕事。
終わらない仕込みの山と料理長の怒号。
風俗に通うが勃つこともできず、
嬢の胸で泣いて過ごす日々であった。
「お前のような奴は何をやっても続かない」
「根性のない奴は一生負け続ける」
2社目:WEB制作会社
1社目を辞めてから3年間、自宅療養になった。
手伝って欲しいと言われた。
話してて賢いと思ったからとの事だった。
取り扱ってる会社だった。
先輩と1つ案件を回し終わったら、
次からは一人で全部やらされる事になった。
この仕事を支えた。
求められれば面白くなり、みんなの期待に応えたくなってくる。
完全に身バレるので書けないが、
気づいたら社長の次に高給取りになっていた。
この職場では、明らかに俺は有能であった。
3社目:広告代理店
もっと大きい仕事、もっと社会にインパクトのある仕事がしたかった。
そこで待っていたのは、
繰り返される板挟みと調整。
「鬱病持ちとか人事なにやってたんだよ」とか
「部門結成以来のババを引いた」とか
妻子がいたので1社目の時のように長期休養は取れなかった。
地味なBtoBや自治体や役所のWEBコンサルを専門でやっている会社。
クライアントが定時なので、
常駐勤務ならは同じような勤務体系でいけるでしょう。
と、勧められての事だった。
実際、朝は9時に出社。18時には全員退社する職場だった。
前職や前々職で作った人脈やノウハウは、
代理店の使い方も慣れていた。
発注される側の苦悩を味わっていたので、
先回りしてキーパーソンに見せるなど根回しなどを行った。
時代感ともあっていたのか、
案件受注額は毎年倍倍と膨らみ、
本社の規模は3年で5倍以上に大きくなった。
この職場では、俺は再び有能になった。
5社目:個人事業主
好きなことだけをやっていける。
やりたくない仕事は受けないこともできる。
全然稼げてないし、
そこそこ貯金したので5年くらいは
収入なくても食っていける。
ここで結果をあげられるかどうかは解らないが
もう会社に振り回される事はないだろう。
もし、今「無能」と言われて苦しんでる人がいたら
色々と動いてみたら良いと思う。
無能と言われるような状況に身を置くのはやめたらいい。
「全然怖くないよ」
「もう5年以上実名でネットやってるけど不都合な目に遭ったことなんかないよ」
「隠してるとオタクっぽいよ」
などと周囲の陽キャ連中から言われるのだが、今も頑なにハンドルネームを使っている。
理由は簡単で、自分自身がその日新しく知り合った相手をとりあえず検索して情報を漁ってしまうクセがあって、
自分が「他人は自分に興味がない」の反証になってしまっているので、自分以外の他人も裏で同じことをしていても不思議でないと感じてしまうからだ。
覚えてさえいればとりあえず調べてしまうので、2度目に会う時にはTwitterから最近の動向を知っていたり、
うっかりmixiやFacebookのガードをゆるめている人だと職場や趣味、出身校、生い立ち、過去現在の交友関係、
前略プロフとかの黒歴史くさいものまで一通り知っているような状態になっていることがある。
別にストーカーになりたいわけでもなんでもなくて、新しく知って興味を持った芸能人や作家のWikiやブログを読んでみるのと同じノリなのだろう。
名前くらいしか埋まっていないプロフィールカードを渡されたからとりあえず簡単に埋まるところをもうちょっと埋めたい、というような感覚。
少し探せば簡単に埋められるかもしれないパズルのピースを放置しておくのが落ち着かないというか堪えられないというか、まあ何かそういう性分のようだ。
何かを知ってこちらからどうこうするということはないし、知っていることを伝えたりすることは基本的にない。
そんなこと言われたらキモチワルイということはわかる。というか自分が言われたらいやだ。
ただ趣味とかの情報は話題を投げるときにややそっち寄りの話題を選んだり、これが趣味ならこの辺りも興味あるのでは?とアタリをつけて話したりはする。
「趣味:スノボ」という人に「随分寒くなってきましたね」から入るぐらい遠くからアプローチしてるから不自然さはあまりない……と思いたい。
検索しているとたまに成りすまし被害に遭っているっぽい人がいたり、明らかにネットで見栄を張ってストレスを発散していらっしゃる方もいたりするので、
結局はネットから得た情報は自分の中で半信半疑のまま、次回以降少しずつ確認していく感じをひっそり楽しむだけではあるのだけれど、
やっぱり二度目ましてだとおもったら自分の趣味嗜好や性格、過去の発言を一通り把握されている、なんていう可能性はなるべく潰しておきたくて自分がネットで実名を使う気にはなれない。