はてなキーワード: FGoとは
いやーワシもそろそろ齧ってみなきゃと思ってね、ちょっと始めてみたんすよ。
でも駄目ね。
モッサリした操作にグダグダなバランス、ワンパな戦略にだるい演出。
まるでブックオフで100円シール貼られてるPS時代の零細ゲームのよう。
まあスマホで遊べるってのはすごいよ。
でもPSのゲームを持ち歩いて遊べるなんて10年は前に通った道ですから!残念!
うおおおお大当たりでたあああ俺つええエエを楽しむゲームなんすよね。
それに対してバランス糞とか言っちゃだめよね。
まあマージャンゲームのCPU側になったような気分を味わう遊びなんじゃろねえ。
課金して強くなるのを馬鹿馬鹿しいと感じちゃうなら向いてないのよ。
分かった分かった。
俺に向いてないだけで、向いてる人は確かにいるわ。
いやーうんそりゃ流行るよなあ。
こんなゲーム今まで無かったもんなあ。
TCGだってレアカード全部集めた先に今度はそこをスタートラインにしてガチガチにデッキ組んで魅せるプレイングする妖怪がいるんだもんなあ。
課金すれば確実に強くなれて、そっから先は睡眠時間をどれだけ削れるか、テンプレを素直にコピペ出来るかのゲームなんて今までなかったもんなあ。
いやあったわ。
そうだな、ここが原点のサンシャイン牧場だもんな。
そりゃあ、流行るよなあ。
ブルーオーシャンだったもんなあ。
いやーやっぱ触らんと理解はできんね。
よく分かった。
俺には合わない。
でも合う人は絶対いる。
そういやヒプマイも同じ感想だったなあ。
乙女ゲーに限った話ではない
最も大きな理由はiOS・Android共にOSのアップデートに継続して対応するのにコストがかかりすぎるからだ
家庭用のように一回売ったらあとはバグ修正ぐらいで終わりではなく、
スマホの場合OSのアップデートのたびにいちいち改修、さらに多種多様な端末ごとの微調整も必要になる
これは中小の開発にはとても厳しいランニングコストがかかりすぎる
だからスマホのゲームはどれもこれも基本無料でガチャやアイテム課金で継続的に収益を上げるためのモデルを組んでる
じゃあ乙女ゲーも基本無料でやればいい?そんな簡単な話ではない
ガッチリ固められたロードマップに基づいて定期的に季節のイベントをやり魅力的な新キャラを投入し、
トラブルがあれば即座にユーザーへの報告と補填を行い、と文字通りゲームを「運営」しているからだ
そこに求められるノウハウは従来の家庭用ゲームのそれではなくむしろネトゲに近い
必然、ネトゲの継続的な運営ができるような大資本と経験を持った会社でなければおいそれと始められない
ただでさえグラブルやFGOなどの巨人が闊歩し、新作が半年一年で撤退していくレッドオーシャンに
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20191216/k10012216261000.html
と思ってぐぐったらあった。
この記事は同じ統計の去年のものと思われるけど、今年も比率は大して変わらんだろ。
つまり残り2割を大量のオタアニメ制作業者で分け合ってキッズ向けを遥かに上回る数の大量のオタアニメ作っている構図なわけで、そりゃ資金ないわ。
その2割だって君の名はとかの「キッズ向けではないがオタ向けとも言い難い」ものの売り上げもかなり占めてそうだし。
ついでに上の記事によると、
この数字にはいわゆるコンシューマーゲームなども含まれているが、スマートフォンゲームなどのデジタルコンテンツが計上されていない
そうで。
って事はFGOは入らないが、ポケモン(GO除く)は入ってるのかな?
どっちみちそれを「アニメ関連商品」としてしまうには抵抗があるけど。あれはあくまでゲームであって、アニメはその派生だろう…
ふとTwitterのトレンドを見たら、誰か声優が引退するらしく、それに合わせて声優交代が発生するキャラクターがいるらしい。
その作品の事はあまり詳しく知らないので深く語れないが、自分はふとFGOのマシュ・キリエライトの事を思い出した。
少し古参面する。比較的初期の出来事なので知らない人も多いかもしれないが、マシュの声優は当初は現在の高橋李依ではなく、種田梨沙だった。
ヒロイン・マシュのCV:種田というのは、FGOという作品におけるメイン声優と言って差し支えなかった。
主人公のCVが決まったのは割と後だし、シリーズの顔であるセイバーもFGOでは出しゃばってこない。
そんなメイン声優が交代する事になったのは、彼女の活動休止が原因だった。
当初は勿論ある程度批判があった。ゲームで使うだけなら既存のボイスで足りる。何も交代しなくてもいいじゃないかと。
その時のファンには知るよしもないが、この後FGOは何度もアニメ化する事になる。アニメ化以外にもマシュの追加ボイスが必要だったシーンはいくつもあった。
ファンには公表されていなかったが、水面下ではもちろんそれらの動きが決定していたのだろう。どうしても新しいボイスは必須だったのだ。
自分もちゃんと似た雰囲気の、交代の違和感の少ない声優さんを探してきたなとは思ったが、別人である以上はどう足掻いても完全一致とはいかない。
最初にアニメ化した時は「ああ、これ種田マシュで見たかったな」と思ってしまったのを覚えている。
……でも素晴らしい事に、新声優・高橋李依の努力は凄まじかった。
最初は何も知らない新人という状態だったのが、気付けばFGOのガチ勢になり、ファンの好感度は爆上げ。
気付けば交代声優という事を忘れさせるほどFGOに馴染みきり、完全に地位を獲得していた。
またFGOが爆発的に流行するのもこの後の話で、種田マシュを知らないプレイヤーもかなり増えた。マシュと言えばCV高橋なのだ。前声優がいたというのももはやトリビアぐらいの立ち位置になった。
加えて度重なるアニメ化や新ボイスを経て、すっかりマシュの声優として定着する。
この頃にはすっかり自分もマシュの声優として認識し、マシュといえば高橋マシュになっていた。
特別前声優のファンという訳でもなかったが、それにしたってあれだけ思い入れがあったのに見事な掌の返りようである。そうさせたのが純粋にすごい。彼女自身の凄さもあるが、周囲のプロデュースだって凄いものだ。
マシュといえばあの声しか、もう思い浮かべられないのだ。
どんな声だったかなと思って、youtubeで動画を探して久しぶりに聞いてみた。
マシュってこんな声だっけ、と思った。
ほんと単純な頭してんな俺は……
過去の型月アニメでは主人公は最初はサーヴァントより弱いが徐々に力を付けて…という展開だったからこそ見てて面白かったし熱くなれたし感動出来た。
それに引き換えFGOは棒立ち。
やることは腕立て伏せかレンガ積み。
うーん…。
「FGOの主人公は何も出来ないことにこそ意味がある!」みたいに言う人がいるけど、自分としては漫画版英霊剣豪の戦闘スタイルで良かったと思うんだ。
シャドウサーヴァントを使役して現界しているサーヴァントのサポートをしたり直接攻撃したり。
英霊剣豪の主人公だって一応は現在のアニメの地続きの存在なんだから英霊剣豪のようにシャドウサーヴァントを使役して戦闘していてもおかしくないはすだ。
個人的な願望としては主人公はサーヴァントと一緒に戦っていて欲しかった。
なんかダサい。
これに尽きる。
誰かが言わないといけないことだけれど、だれも言わないから言う。
BL好き腐女子、エヴァ大好き左翼、エロゲアイコンだった学者。
おじさんおばさんのオタクの一部が、差別で自意識を拗らせた結果おかしなことになっているという話だと思って聞いてほしい。
彼らは、エヴァ放送時に、衝撃を受けてこんなアニメがあるのかと驚いた世代だ。もうちょいわかりやすく言うと林原めぐみ直撃世代か、そのもうちょい前。
深夜にアニラジを聞きながら、エヴァを延々と語り、オタクの仲間内で、「この作品なら一般人に見せてもばかにされないんじゃないか」とかひそかに期待していた世代だ。
同時にあの時代のオタクは、自分を肯定して生きていくことが厳しい時代だった。
オタクと呼ばれると、どんなに社交的で、どんなに良い人格で、どんなに収入があっても、社会的信用が失われる時代だ。このあたりの空気を知りたいというひとは、
https://togetter.com/li/1220676 このあたりのまとめがマイルドに教えてくれる。
もっと空気感だけ味わいたいなら、飛んで埼玉! の空気感。バレた瞬間最下層民になるって時代。
だから、アニメ好きは必死になって趣味を隠し、隠れキリシタンならぬ、隠れオタクという言葉が普通に流通していた時代だ。
声優ソングの歌詞を見たら、みごとに「生きにくいオタクの共感を呼ぶ曲ばっかり」だ。
自分らしく生きていくということを大変だけど頑張ろう、っていう曲だ。
そんな時代に作られた林原めぐみの「don't be discouraged」は、差別の垣根を越えて、「ゲイやオカマの心をガッチリとらえた」という現象まで起きた。新宿二丁目では涙を流して歌う人物もいるそうだ。「生きにくい世の中だけど、勇気をもって好きなことに邁進しよう。理解されなくてもきっといいことがあるよ」というのは、まさに被差別属性を持つ人々の心をとらえるだろう。そんな時代だった。
僕らが生きたのは「好きなものを好きというだけで多大なリスクを覚悟せねばならなかった」という時代だ。
余談になるが、当時の深夜アニラジというのは、精神を病んだオタクの駆け込み寺にもなっていた。声優さんにガチの人生相談が舞い込んだ時代だ。
学校でオタクだと馬鹿にされてつらいとか、いじめられているとか、そういうはがきが普通に舞い込み、それを声優さんがガチに回答するような、かなり狂った時代。あの時代のオタクの空気はまさにどんよりとした息苦しさをまとい、まさに被差別階層の様相を呈していた。それにしたって、なんで声優さんラジオに人生相談をするんだ、と言われるかもしれないが他に相談できる場所がどこにもなかったのだ。親も、教師も、友人も、兄弟も、警察も、政治家も、すべてがオタクにとっては敵だった。もう顔の見える敵ではない存在が、漫画家や声優しかいないというのは、あの時代を体験したものでないとわからないだろう。当然ネット環境もない。
そんななか、差別に直面し苦闘したオタクたちはオタクと呼ばれるのを極端に恐れていた。
「俺はオタクじゃない。マニアだ(そんな違い、差別する側は気にしない)」
「俺はオタクじゃない。ゲーマーだ(そんな違い、差別する側は気にしない)」
「俺はオタクじゃない。アニメ好きだ(そんな違い、差別する側は気にしない)」
「オタクってキモいよね」と言われたら、正体を隠して「そうだねえキモいよね」と内心冷や汗流しながら相槌を打ってた時代だ。
当時、いじめられ、差別され、迫害され、バカにされていたオタクたちの一部が、「なぜ自分たちが差別されるのか」を必死になって考えるというのは、もうこれは宿痾の妄想のようなものである。
そんな中、一つの逃げ道に走ったオタクがいる。それが現在の左翼系でオタクバッシングをやっているオタクである。
「オタクはダメな奴らだ」とサブカル内部からオタクを批判することで、一般に認められようとする道を選んだ人間だ。
彼らの言い訳は「左翼思想からサブカル的にオタクを分析するためにオタク文化にかかわっている」というものだ。
「自分たちがアニメ・ゲーム・マンガ・ラノベを見るのはサブカルチャーの研究をやっているからだ。だから恥ずかしくない」と理論武装しなければ、好きなものにかかわることができなかった。
大学のサークル棟や居酒屋で、現実に起きた現象とアニメ作品をひたすらに絡めて、融合させて、一つの社会的事象としてとらえようと躍起になった時代だ。
具体例を挙げると、地下鉄サリン事件とオカルト系SF作品の影響を無理やりくっつけてトンチンカンな批評を、朝生みたいにオタク同志で語り合ったものだ。
それを見ていたクリエイターが「いまのオタクは作品も作らず、ただ批評ばっかりしてる」と嘆いていた時代。ただ楽しむではなく、「学問的批評という行動によって、ただのキモオタのブヒブヒ言う声ではなく、この作品が社会に与える影響や、社会的意義がどんなものか、左翼思想に合致するかチェックしている」という言い訳を自分に用意した。
彼らは、何の理屈もつけずにオタク文化を楽しむオタクを「ダメな奴らだ。キモイ。あんな奴らと一緒にしないでくれ」と、さげすむ自意識を持っていた。しかし、オタク文化は好きで好きでたまらなかった。
その鬱屈した倒錯は、傍から見ればただの変態の所業でありながら、それでも本人たちは大まじめだった。
左翼思想やフェミニズム思想を身にまとい、あのコンテンツはここがダメ、あそこが左翼思想から見るとダメ、右翼だ、女性差別だ、と言いながらアニメゲームマンガを消費したのだ。
ほかにも別の一派がいて、無理やり学問にこじつけて、オタク文化を鑑賞し、「CLANNADは人生」とか「fateは文学」とか馬鹿じゃないのかという発言が飛び出すこともあった。ネットで議論する際に「銀英伝」や「マブラヴ」で、政治を語り分析する人間がゴロゴロいた時代。
あれは、「馬鹿」だったのではなく「そうすることが差別を避けつつコンテンツを楽しむ作法」だったのだ。
しかし、時代は加速した。オタクは文化的にかなりの大成功を収めた。
オタク系候補が30万票や50万票取って、自民党の議員バッヂをつけてしまう時代だ。民主系や、社民系ではなく、よりにもよって自民党である。確実に時代は変わった。それも劇的に変わってしまった。(オタクが政治にいかに冷遇され続けてきたかは、それだけで10万文字を超えるエントリーを書かねばならないが、今回は割愛する)
要するにオタクコンテンツが一般趣味として認められつつある時代になったということだ。
そうなると何が起こるか?
いちいち思想とアニメを絡めて面倒くさい批評を書くよりも、萌えキャラがなんか頬を赤らめて「ばか」とつぶやくSS漫画をtwitterにあげるほうがRTといいねが数万単位で跳ね返ってくるようになった。
このアニメはリベラル思想に対して間違っていないか、とか考える面倒くさい学術オタよりも、SNSで萌え絵をアップして焼肉画像を上げてる大学生絵師のほうがよっぽど尊敬を集められる時代になった。
いまの時代、萌え漫画を読んだり、コミケに行ったりする程度で、「あいつはキモイオタクだから石を投げよう」みたいなやつはかなり減って、大勢がオタクであると公言できる時代になった。これは若い人達ほど顕著である。他人にどうみられるかを一番気にして、自意識をこじらせる男子高校生や女子高生たちが、人前で、FGOだのアイマスだのバンドリだののアプリのイベントを周回している時代だ。
オタク差別から逃れるためにくだらないうそをつかなくてよい時代が来た。
しかし、この時代はある一部のオタクたちには実に生きにくい時代になった。オタク趣味を低俗だ、腐敗してる、萌えなど女性差別だと繰り返しバッシングしながら、それでも萌えアニメや恋愛ゲームを消費せずにはいられなかったオタクたちだ。これには女子も含まれる。女子でも乙女ゲーとかそっち系のほうは「恥ずかしいもの」としてバッシングされた過去が間違いなくある。腐女子を恥ずかしいものとしてとらえてバッシングしたのは、「そういう意識が高い系のオタク、女子オタク」だったし、「腐女子の中でも様々な争いがあった」ことは間違いない。
彼らは、同胞のオタクを常にバッシングしてきたせいで、オタクにもたらされた「自由にオタク文化を楽しむ」という時代に参入できない。今更「実は俺も萌えキャラ大好きなんだよ~! バンドリ周回してる! アイマス最高!」とか職場の人間に言えない人生を送ってきてしまった。
ネット空間においてさえ「こんなものは女性差別だ。左翼思想の面から許容できない人権侵害だ。オタクがオタクをダメにした。オタク社会を俺が浄化してやる」ぐらいの発言をしてきた人間だ。
彼らもこっそりオタク文化を楽しんではきた。しかしオープンに楽しむなんてことはできなかった。それが許される時代が来てもできない。
だからこそ、全力でオタク文化が一般になるのを阻止しなくてはならない。
そうでなければ自分のゆがんだ自意識が、ただの卑屈さの産物であると認めなければならないからだ。
林原めぐみの作詞した歌詞のように、ドタバタ前向きに差別を恐れずに自分を肯定しながら生きていくということができればどんなに良かったろう。
しかしそれがいまだにできない。あの時代のえげつない苛烈さ、報道も政治も、だれもオタクを守ってくれない。その時代ゆえの後遺症だ。
だいたいは左翼的なシンパシーを持ち、左翼思想で自分を固めてきた。
左翼思想やフェミニズムが、彼らをオタク差別から守り、他のオタクと異なり特別たらしめている自意識だ。
それを用いて、オタクだとカミングアウトするのが明らかに不利益にしかならない時代を、何とか生き抜いてきた世代だ。
必死に左翼理論と自己演出で、オタク差別されないように自分を防御してきた世代だ。
世の中のオタク表現を常に探し、「これは左派思想に合致しないから規制すべき」とオタクをバッシングするのは、「自分はキモオタとは違う良いオタクだ」と差別を逃れるために左翼思想を選んだから。
若い人たちは彼らを見たら、「こんなことをしなければ生きられなかった悲しい時代があったのか」と思ってほしい。
「好きなものを好きというだけで多大なリスクを払わなければならなかった時代」があったことを少しだけ思い出してほしい。
追記 確かに主語が広すぎたと反省している。ただ、はてなとかで率先してオタクを叩いてるひととかはに、かなり当てはまるのあるケースだと思っている。
ポケモンやってるのよ。
だからポケモントレーナーたちが集まるサイトに出入りしては質問に答えてる。
多い質問がこれ。
そういう質問に一つ一つ「他のメタモンで補えますか?なら大丈夫です。」みたいなやり取りしてていい加減苛ついているし、
最初は「馬鹿なYoutuberが勝手に敷居あげてくれちゃって!」と八つ当たりしてたんだけど、違うんだな。
たぶんね、「最初の立ち上がりでヘタるとついていけない」と思ってるんだとおもう。
スマホゲーの企業攻略サイトで一番見られるコンテンツって「最強ランキング」とか「リセマラランキング」なのは肌感覚としてあって、エアプだゴミ攻略だいわれてるんだけど、
それでも企業攻略サイトが「最強ランキング」とか「リセマラランキング」やめられないのって、大多数の人が求めているからなのね。
特にスマホゲーなんて、ガチャ回すのにお金がかかるからお金使えないキッズにはやり直しのきく序盤のガチャはとても大きい存在だろうね。
それでならされてきて「最強キャラを手に入れることがスタート」になっている。
はっきりいってね、「6vメタモンって必須ですか?」「メタモンの5vで妥協していいですか?」みたいな発想が出てくる時点で初心者でしかないんですけど、
これって「対戦入るまでに間違いを犯したくない」気持ちが強すぎだとおもうの。
ぶっちゃけるけど、メタモンを必死に追っても6vなんて「1/1024」の確率でしかないの。%でいうと「0.09765625%」ね。FGOのピックアップ★5鯖が0.7%。それを呼符で引きましたって確率よりうんと低いのよ。
最強パーティが1個あって後は運!じゃないの。(運要素が一切ないわけじゃないけど)
環境を読んで、対策して、改良して、そうやってようやくレートが上がっていったりするの。
「○○さん(かなり強い人)の真似してPTつくりました!」
という人も過去いっぱいいたけどね、そのほとんどが耐久調整や素早さ調整や対面の意図を理解できていなかったわよ。
だから、最強とか、必須とかそういうのに騙されず、一杯試して一杯負けて、でも最後には一杯勝ってほしいわ。
ダンデも「負けてから強くなる」みたいなこといってホップもそうだったでしょ?
【追記】
houjiT ポケモンは複数のバージョン買って、隠しパラメータ知り正しく鍛え、厳選を長時間頑張って昔のバージョンから引っ張ってきてと、大分「プレーヤースキル」を外れ「暇人でないと勝てない」領域に足突っ込んでない?
隠しパラメータもある程度見える用になったし、その隠しパラメータが影響する技もなくなったし、最初に手に入る3匹以外は隠し特性も解禁されてるし、今現在は昔のバージョンと通信できないから、そういう心配はなくなったと思う。
あとは暇人でしか勝てないというのも相当緩和されたし、1匹対戦ポケモン作るのも昔に比べて随分楽だから、「相手のポケモンのステータスと主な型を知っている」っていうプレイヤースキルのほうが今は大切なんじゃないかなと思う。
まぁ、暇人はそういう知識面強いから暇人でないと勝てないゲームなのは間違いないけどな!
gokkie いうても0.0997って優しくない? エピックセブンとか0.025を引いたうえで0.035を複数引いてようやくスタート出来るんだよ。 そうしないと無課金じゃアリーナ上位にいられなくて石もらえないもの。
優しいぞ!そもそも0.0997を引く必要も薄いからな!それを引かなくても対戦の上位にいけるし、そういうスマホゲー思考が蔓延してるのは据え置きゲーとしては結構きついなって話。
正しい。ダイパは初めてインターネット対戦が実装されたからそれと同時に世界が広がったプレイヤーは多い。
後はニコニコ動画のバトレボ実況全盛期だったのもあって、3値が広く知れ渡った事もありそういうキッズ層はいたことにはいた。
ただ、そういう層が5chにまで来るのは(SMで離れてたとはいえ)初めての経験だったから書いた。
昔からあった定期(6vとかではないけど)
whkr プレイヤースキル以外のステータスが勝負を左右する対戦ゲームって、暇人や金持ちが勝つクソゲーだと思うんだけどな。
ポケモンもわりとステータス重要ではある(特に素早さ)けど、やっぱそれよりもプレイヤー同士の読み合い、騙し合い、知識勝負だと思うよ。
「じゃんけんと同じだ」っていうやつも居るが、「俺はグーを出すよ」っていうじゃんけんと、完全に何も語らずただじゃんけんするのとでは違うように、
ポケモンはもっと事前の情報が多く示されている。その事前情報を正しく回収できてなおかつ、相手の行動を読めたほうが勝つゲームだから、外からみるとステータスや運ゲーに見えてしまうのは仕方がない。
以前、ポケモン剣盾発売前に「ギャラドスに電気技を打たない」みたいな記事がはてなで上がってたと思うんだけど、あれを読んでなお「じゃんけんと同じ」みたいなブコメでててびっくりしちゃったよ。
それいったら格ゲーもスタイリッシュ高速じゃんけんだし、TCGもじゃんけんと同じ。いや、TCGは実質じゃんけんと同じになってしまうゲーム担ってしまう場合もあるが。対人ゲーはすべてじゃんけんと同じだね。
じゃんけんってルール付け足すと結構面白くなるもんよ。カイジの限定じゃんけんでカイジの勝ち方みてカタルシスない?
それはカイジが盤外戦術なんかも説明して道筋たてて勝負を書いてくれるからにすぎないし、ポケモンも多分プレイヤーの行動を適切に解説できる人が実況してるの見るとやっぱおもれーよ。
ステータスが重要ではないとは言わない(耐え調整とかあるので)けど、ステータス以外の部分が大きいゲームだからこそ、6vのメタモンにこだわらないでほしいってのが多分俺のいいたかったこと。
あとまぁ、ポケモンって対戦がすべてじゃないし。
かかってしまった。本気で悩んでる。
アニメとか漫画とか小説とか長編同人文とかソシャゲとか全てに該当する。
なんなら長編じゃなくても、1万字足らずの話の途中で一旦閉じて無意味なブラウザゲー(ソリティア系統)とかやってしまう。
これは多分よく言われてる「歳をとってコンテンツの摂取力が落ちた」現象ではないと思う。
スケダン・彼方のアストラの篠原先生が以前「最終回が読めない」現象を話題にしてたけど、あれはお話が終わってしまうことが寂しくて、というのが主な話だった。それも違う。
簡潔に言うと、物語に何か期待した瞬間、その期待を実際のテクストが下回ることに恐怖を覚えてしまう。のだと思う。
実際そこはかとなく怖い。
ちなみに先のネタバレをどれくらい知っているか、はあまり関係ない。結局はそれを聞いてどれほど自分が期待をふくらませるか、あるいは萎ませるかにかかっているわけだから(そして前情報で萎んだならこの悩みにかかずらうことは無い。それはそれで問題なんだけども)
結果としてちゃんと見られるのは「既に読んだ作品のアダプテーション作品(小説→アニメ化とか)」「可もなく不可もなくそれなりで見た作品」「ソシャゲの期間限定イベントで素材欲がこの病気に勝ったもの」とかそのあたりになる。
要するに本命になればなるほど見られなくなる。
例えばソシャゲ、言ってしまえばFGOなのだが、2017年の頭から始めてまだアガルタにいる。戦力はあるし周回もできる。飽きていないはずだ。アガルタは(賛否あるようだが)ネタバレをある程度聞いて逆に楽しみになり、レジライが出てきて話が動き出してきたな、と思った瞬間止まってしまった。少し手を出したアナスタシアも、パツシィくん可愛いね、と思った瞬間に止まった。
他に幾らでも例が出せるが概ねこんな感じだ。
映画は劇場まで行けば見通せる。BDはそもそも借りないのでよくわからないが。
そして類似の悩みを抱えているオタクを周囲(タイムライン)で見ない。これで悩んでいるオタクは活動的なオタクとしてやっていくのは難しいからかもしれない。
数年来ずっと抱えていたものなのだが、最近更に顕著になってきた。このままではただ見たいものだけが無為に増えていってしまう。滑稽すぎる。
萌えアニメとか萌えキャラとか、そういうのは普通の趣味になってしまった。
塾で「先生、ジャンヌオルタ持ってるって本当ですか?」とか女子中学生に言われるのだから、そりゃもう、「萌えゲーやってればキモイ」なんて時代はとっくに過ぎたんだろう。
いま、「こんなものを見ててけしからぬ許せぬ。女性がおびえている」と騒いでるのは「お年寄り」なんだよなあ。
現在の子供を見てたら、むしろ萌えキャラで育った世代で、萌えキャラのポーズだの体型だのにいちいち嫌悪感を抱いてはいない。
SNSのツイッターでいちいちけしからぬ許せぬと騒いでる人たちは要するに年寄りになったんだろう。
イケメンフィギュアスケート男子が堂々と好きなアニメを語る時代になってしまったのに、30代以上のおじさんおばさんたちは、「アニメを見てるキモオタ」から抜けられないでいる。