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2024-06-09

anond:20240609131207

りりちゃん日記面白いじゃん、増田も見に行ってる癖に。

したたかだよね。あれだけ自分可愛いに降る表現をしたり、看守や国税局にも感謝しながら、自分の身に起きてた事を子供でもわかるように記述して、感性詩人あんたよりマシ。

まともな家庭で育ってたらって気の毒になってしまったよ。どうか服役で罪を滅ぼして、そのあとはこの感性着眼点がしっかり生かせる世界で人のために生きていって欲しいとか思うわしらんけど。

2024-06-04

李商隠晩唐詩人

wikipedia李商隠画像

なぜこんな後ろ手で振り向く少女みたいなポーズしてるんだ?

2024-05-30

[]

科学教育への要求が言外に主張するのはどんな問題であれ科学的な訓練を受けた者の問題への取り組み方はそうでない者よりも知的であろうということだ。

科学者の政治的見解、つまり社会学倫理、時には芸術に関する見解さえ、科学のもの門外漢のものより価値があると言っているのだ。

言い換えればもし科学者が支配すれば世界もっと良い場所になるだろうというのだ。

しか私たちが見てきたように現実には「科学者」とは厳密な意味での科学の一分野の専門家という意味だ。

そうすると化学者物理学者などが詩人法律家などよりも政治に関して聡明であるということになる。

そして実際のところすでに固くそう信じている人々が数百万人もいるのだ。

だが科学とはいえない問題客観的方法で取り組むことに関して狭い意味での「科学者」がそれ以外の人々よりも適しているというのは本当に真実なのだろうか?

そのように考える理由はあまりない。

科学とは何か ジョージ・オーウェル

https://open-shelf.appspot.com/WhatIsScience/chapter1.html

2024-05-19

わびさびの基本

わびとさびは、日本重要美的概念

わび

わびとは、新鮮で素朴なもの

シンプルさと静けさを表し、素朴な美しさも取り入れている。

自然によって作られたもの人間によって作られたものの両方が含まれる。

また陶磁器流れる釉薬によって作られる模様のように、全体に優雅さと独自性を与える偶然の要素 (あるいは小さな傷さえも) を意味することもある。

さび

さびとは、年月を経て美しさを増すもの

経年変化のことを指し、使い込むことで変化していく概念が、物をより美しく、より価値あるものにしてくれるかもしれない。

これには、人生のサイクルを正しく理解することと、損傷を注意深く巧みに修復することも含まれる。

その他の見解

「わびとは、素朴でありながら洗練された孤独な美の性質です。さびとは、青銅緑色腐食であれ、木や石の苔や地衣類の模様であれ、風化と経年変化によって生じるその特質です。」- 精神の反映:アメリカ日本庭園マギー・オスター

「もともと、日本語のわびとさびはまったく異なる意味を持っていました。さびはもともと「寒い」「痩せた」「枯れた」という意味でした。さび本来社会から離れて自然の中で孤独に生きる悲惨さを意味していました...14世紀頃両方の言葉意味は、よりポジティブ美的価値観の方向に進化し始めました...その後何世紀にもわたって、わびとさび意味は大きく交差し今日ではそれらを分ける境界線は実際に非常に曖昧になっています。」- 「アーティストデザイナー詩人哲学者のためのわびさび」、レナード・コーレン

「わびという言葉は、翻訳には向きません。孤独寂寞、素朴な素朴さ、静かな風情、骨董品に対する優しい愛情、気取らない、そしてむしろ憂鬱な洗練など、さまざまな意味を持ちます。」- 「日本建築古典的伝統現代版」数寄屋の流儀伊藤貞二、二川幸雄

「...小堀遠州桂離宮設計者として広く知られている男。建築庭園適用された遠州様式は、宮廷伝統優雅さと優雅さと、千利休が好んだ厳格な素朴さを統合したものでした。この組み合わせは、思っているほど突飛なものではなかった。なぜなら、利休さび(人里離れ、静けさ、牧歌的簡素さ、自然への近さを暗示する美的理想)は、長い間伝統的な日本人の顕著な特徴であったある種の現実逃避的な要素に似ていたかである。」- 「桂 王子の隠れ家」内藤彰、西川丈志

「わびさびとは、不完全、無常、不完全なものの美しさです。控えめで謙虚ものの美しさです。型にはまらないものの美しさです。...わびさびに最も近い英語はおそらく「rustic」でしょう。 ……わびさびものは、研究されておらず、気取らないものである……彼らの職人技は、見分けるのが不可能かもしれない。- 「アーティストデザイナー詩人哲学者のためのわびさび」、レナード・コーレン

「侘び寂びは、謙虚さ、抑制、単純さ、自然主義、奥深さ、不完全さ、非対称性を特徴とし、シンプルで飾り気のない物体建築空間を[強調]し、時間と手入れが素材に与える穏やかな美しさを[称賛]します。」-「はじめに:茶の湯」、裏千家シアトルホームページ

「荒々しさに対するある種の愛が関係しており、その背後には隠された美しさが潜んでいて、私たちはそれを独特の形容詞で渋い、侘び、寂びと呼んでいます。...この内に秘められた美しさを渋いと呼んでいます創造者によって鑑賞者の前に提示される美。鑑賞者が自分自身で美を引き出すことができる作品世界には、それぞれの性質環境に応じて、美のさまざまな側面が溢れていますしかし、その味わいがさらに洗練されていくと、必然的に渋い美しさにたどり着くのです。」- 「知られざる職人:美への日本洞察」、柳宗悦バーナード・リーチ

日本滞在中、渋いという言葉を頻繁に聞いたことがあるはずです。この言葉英語に正確に翻訳することは不可能です。「厳格」、「抑制された」、「抑制された」、「陰気」、これらの言葉は許容される代替品に最も近いものです。語源的には「渋い」という意味で、奥深く、控えめで、静かな感覚を表すのに使われます...この単純な形容詞が最高の美しさの最終基準です。」- 「日本民芸柳宗悦

2024-05-14

奇跡詩人というエピソード、昔話題になったけど・・・

生前ナンシー関が最晩年警鐘を鳴らしていたエピソード

20年も経過すると時代が追いついた

生成AI奇跡詩人再現するかもしれない

本当に恐ろしい事だよ

2024-05-11

”よくぼう”の形

 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。

 住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるは音楽彫刻である。こまかに云えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧く。

 着想を紙に落さぬとも王膠鏘の音は胸裏に起る。丹青は画架に向って塗抹せんでも五彩の絢爛は自から心眼に映る。ただおのが住む世を、かく観じ得て、霊台方寸のカメラに澆季溷濁の俗界を清くうららかに収め得れば足る。

 この故に無声の詩人には一句なく、無色の画家には尺糸賺なきも、かく人世を観じ得るの点において、かく煩悩解脱するの点において、かく清浄界に出入し得るの点において、またこの不同不二の乾坤を建立し得るの点において、我利私慾の覊絆を掃蕩するの点において、――千金の子よりも、万乗の君よりも、あらゆる俗界の寵児よりも幸福である

――夏目漱石草枕

自分の裸を晒すより、触れてきた音楽小説を知られることに抵抗感を覚える

何を見て、何を感じ、どのような世界を構築してきたのか

それは私という人間の核となるから

土足で踏み荒らそうとしてくれるな、他人世界

かつて、真名を知られることはその者を支配する事と同義であったという

名前を知る時は、結婚する時であったとすら言われる

ここは一人部屋

誰も入れない

2024-05-01

法律は知っている者の味方である


中学の頃のことを話してみたい。そのために書き溜めてきた。

あれは2010年のことだ。当時、俺とその友人3人は墨田区某所にある個人営業玩具店に入った。まあまあ広い店だったが、人の姿はまばらだった。

当時の俺らは不良みたいな感じで、プラモデルモデルガンその他の万引きをしていた。月に一度くらいの頻度で、商品仕入れ神社境内で売るのだ。秘密ルートで売り捌く。数は少ないが、そういう伝手があった。将来はプロ泥棒を目指していた。

で、その時は、店の奥まったところにあるプラモコーナーに入った。いつものように仲間の影で店員監視カメラから見えなくして、秒速でサッといただく。

その時も首尾よしだった。体格の大きい仲間と、彼のジャケットで小柄だった俺の姿を隠して、よさそうなプラモ背中リュックに横から滑り込ませた。

店を出ようとしたところで、店長らしき人が俺たちのいた犯行現場へと歩き出した。怪しまれていると思った俺は、仲間を振り返って「早く」と伝えた。

一足先に仲間のひとりが扉(木製で、金属ベルが付いてるやつ)を開けたところで、店長が「待て!!」と声を上げた。大急ぎで外に出ようとした、その時だった。首の後ろをガシッと掴まれて、真後ろに引き倒された。

店長とは違う人だった。俺達が店に入った時にはすでにいたけど、気にかけてなかった。後ろを向いて遊戯王カードゲームの卓に座っていたはずだ。スーツ姿で、上着は着てなくて、シャツだけだった。ネクタイをしてたかは覚えてない。

ほかの仲間が店の外に逃げようとするところで、ソイツは扉の前に滑り込んだ。で、ここから問題のシーンだ。大柄の仲間が無理やり外に出ようとしたところで、ソイツはやりやがった。

「ゴボッ!!」ていう声とともに、大柄の仲間が蹴飛ばされた。お腹を思い切り蹴られたのだ。もう一人残った仲間も、柔道の技でスコーンと足を刈られて後頭部から床に倒れた。「なにしてんだお前!!」と俺はソイツの腰を持って、仲間の援護を待とうとしたんだが、そのまま持ち上げられて地面に叩きつけられた。めちゃくちゃ痛かった。

それからソイツは扉を開けて、逃げた仲間を追おうとしてたんだと思うが、商店街一角にあった玩具屋だったからさ、外に人がいっぱいいたんだ。仲間の1人は逃げようとしたけど、「万引きです!」とソイツが叫ぶと、おじさん連中がその仲間を取り囲んで詰みになった……。



ここからが、さら問題のシーンなんだが。警察官が来たんだよ、すぐに。駐在所がすぐそこの駅前にあったから。

仲間2人はひどいやられようだった。お腹を蹴られた奴は吐いてたし、大外刈り?で投げられた奴は明らかに具合が悪そうだ(肩を骨折していた)。俺だって首が痛む。

警察官×2は、「万引き~?」という具合で、店長から事情を聴きながら俺達を監視していた。当然ソイツもそこにいる。ほかにちょっといた客は帰っていた。

で、俺達への尋問モードに入ろうとしたところで、俺は言ってやったよ。「過剰防衛じゃないですか!」ってな。『行列のできる法律相談所』で見たことがあった。すると警察どもは、ソイツに対峙した。まともなポリスメンだったら、俺らがひどいやられようだったのはわかったはずだ。

で、ソイツが言うわけだよ。「現行犯逮捕しました。私人でも可能ですよね」だってお巡りさんが「でもね、これはちょっとひどいねあなた交番まで来てくれる?」と言ってた。

そこからはあまり聞き取れなかった。でも、ソイツの主張は確かこんなんだった。

社会通念上妥当でしょう。このガキどもが悪い。

妥当じゃなかったとしても、争えばこっちが勝ちます

・署まで連れてくんなら、ここでうちの弁護士を呼びます。最終的にこっちの主張が認められた場合は、あんたらふたりには組織内で恥をかいてもらうけど。お巡りさんのお名前教えてもらっていい?

・昔の判例だと~(聞き取れない)問題ないって出てる

現場警官でしょ。消防士とかと一緒でヒラでも裁量あるでしょ。知ってますから

最後はこんな感じだった。

「帰らせてもらっていいですか。こっちは善意で捕まえたんですよ」

「じゃあ帰ってもらっていいです。あまり手を出さない方がいいですよ。状況によってはあなたも一緒に連行してるんでね」

申し訳ありませんね。お巡りさんには感謝します」

「こういう問題には首を突っ込まない方がいいよ」

という流れだった。あまりに悔しいから、今でも覚えてるんだ。

でもさ。俺らが罪を犯したのはわかるんだが、納得いかないんだ。結局あの後、俺らは警察に怒られるだけで済んだよ。親にも連絡されたけど、家ではそこまで言われなかった。父親母親も、「迷惑かけるんなら小遣いやらんぞ。次やったら家から出て行かせる」とは言われた。次の日からも、いつもどおり台所テーブルの上に500円玉が置いてあった。1日の小遣いだ。飯代込み。

大人になった今でも、正直いい仕事には就いてない。俺はクラブで警備の仕事をしてる。問題客への脅しはフツーにするし、身内同士でマウント取り合うことはあるし、どっかから依頼されて暴力を使うこともある。『ファブル』みたいに渋い感じじゃないけど、世の中には必要仕事だと思う。

話はあっちにいくんだが、あの会社員(ソイツな)見つけたら、とりあえずぶっ殺そうと思ってる。顔は覚えてるんだ。後ろから蹴り飛ばせば、反撃される可能性は低いだろう。往来で見かけたら絶対にやってやる。



さて本題である法律は知ってる者の味方というやつだ。

俺なりに考えたのだ。アラサーになった俺にはわかる。あの会社員は、うまく法律を使ってた。とりあえずシンプルに5つにまとめてみる。

刑法規定において、詩人逮捕できることを知っていた

②法で禁じられた過剰防衛でも、判例の上書きがあれば何とかなることを知っていた

③実際に暴力が使えた。一定武力や度胸があった。

現場警察官特殊公務員で、上の人間の許しがなくても現場では自由にできることを知っていた

 ※ググったが、ストリートレベル行政職員というらしい

⑤見た目がやばい。目が座ってたし、暴力にためらいがない。普通会社員じゃないかもしれん。

法律は使える者の味方だと思う。暴力についても、法律に書いてあるわけだろ。使っていい場面といけない場面が。それと、慣習も法のひとつって俺の組織の上の人が言ってたんだが、法を適用する実務的な理解必要だよな。現場実用できるレベルで。ソイツにはそれがあったんだ。それだけだ。だから、俺達は負けた。



その後~

あの後、高校生になった俺は、新宿カードショップにいた。もうプラモとかの万引きはやめていた。遊戯王MTGなど、ほかのカードゲームで儲けるようになっていた。このあたりは企業秘密だ。まだ時効じゃないかもしれないんでな。

ところで、俺もカードゲームをやってる。今だと、ようつべ遊戯王の再勉強をしながらマスターデュエルやってる。人間ルールを完全理解しなくていいところがいいよな。ほかのカードゲームだとこうはいかない。

で、当時高校生だった俺は、友人とカードゲームしてたんだ。MTGで、初心者用のパックに入っていた天使カードを使っていた。当時のデッキは白青か白黒だった。個人的に好きなカードは『セラ天使』と『銀毛のライオン』だった。

そのお店で、友人(さっき店を脱出してた奴)と何戦かやっていたのだが、いきなりだった。体格のいいオタクテーブルにやってきてさ、言うんだよ。「なんでそこでバウンスしねえんだよ、情けねえ青だなwww」って感じでな。その後も、これしろ、あれしとけ、その他いろいろ言ってきた。正直侮辱も混じっていた(セラwwwww)。

友人はキレかけていた。よく見ると、そのカードオタクTシャツアニメキャラが描いてあって、それがまたムカついた(星空凛ちゃんが女豹っぽいポーズをしていた。同人Tシャツと思われる)。

当時はコロナウイルス流行る気配すらない。カードショップには人がたくさんいた。ここで暴力はまずい。俺はぐっと堪えて、カードオタクが去るのを待った。10分も経つと、そいつはいなくなった……。やった、やった、やった。俺は勝ったのだ。俺の心に!! 気持ち悪いオタクに勝ったのだ。

それから小一時間ほどいて、(場所代)カードパックを何袋か買ってカードショップを出た。その店は、小さいショッピングモールのひと隅にあるタイプの店だった。自転車置き場が少し離れているのが面倒だった。

すると、暗い立体駐車場の屋内にある駐輪場に、あのオタクがいたのだ。今まさに、自分自転車がどれかを探している。

こんにちは。お兄さん。ちょっといいすか?」

友人がカードオタクに声をかけて、そいつが振り向くタイミングだった――両足でドロップキックを仕掛けた。背後から不意を突かれた男はその場に倒れ込んだ。※重たいので吹っ飛ばなかった。

「お前調子のっとんな~」と友人は言うと、起き上がろうとしたオタクの肩から二の腕にかけてを何度も蹴っ飛ばしていた。横っ腹も。俺も近くに寄って、寝転がったオタク背中スニーカーで踏んづけて逃げられないようにしていた。ちょっとでも動いたら威嚇してやった。

オタク気持ち悪い声を出して助けを呼んでいたが、たぶん誰も来ないだろう。ここは人気がない。だから友人はこいつにケンカを吹っ掛けた。

ひとりだけ、スーツジャケット羽織った会社員がこっちの方に気が付いたが、俺がニコリとほほ笑んだら、そそくさと自分の車に乗ってモールから出て行った。

俺達は気が済むまでカードオタクを蹴っ飛ばした。友人は「お前、次に声かけたら叩き殺すから♪」と軽口を叩いていた。

この時の俺達は、うまく法律を使えていたよな。

俺達は侮辱を受けたわけだから、その際の状況からみて、社会通念上必要かつ相当であると認められる限度内の実力を行使することが許され、たとえその実力の行使刑罰法令に触れることがあるとしても、自力救済が認められるに違いない。

※そんなことを思っていた時期が俺にもありました

子どもっておそろしいな。今だったら、こんなことは絶対にしない。リスクとリターンが見合ってなさすぎる。

今でも、ごく稀にだが、新宿だろうと池袋だろうとカードショップデュエルをしていると、店の主(ヌシ)と思われるオタクマウントを取ってくることがある。そんな時は、こういう対応をしている。

「すいません。不愉快なのでやめていただけませんか。店員さんを呼ぶかもしれません」

これが正しい対応である社会人としての。今、俺はそれを理解している。常識というものを。理解したうえで、法の埒外にあるところで働いている。なお、俺の職業会社員である反社とかじゃない。



もし、この日記に書いてある内容が気になった人は、是非意見を聞かせてほしい。

それだけじゃなくて、あなた過去経験したことも教えてほしい。つまり、法的にはアウトな行いだが、うまくやって合法になった、みたいなシーンを目撃したことがあれば教えていただきたい。ぜひ興味がある。

土師 小鳥 (はじ の おとり、生没年不明)は、古墳時代豪族。姓は連。

香山 小鳥(かやま ことり1892年明治25年2月 - 1913年大正2年6月)は、長野県下伊那郡飯田町(現・飯田市出身版画家詩人

川島 小鳥(かわしま ことり男性1980年 - )は日本写真家

牧名 ことり(まきな ことり6月23日-)は、OSK日本歌劇団の元娘役スター

草間 小鳥子(くさま ことりこ、1987年8月24日 - )は、日本詩人

桐原 小鳥(きりはら ことり)は、日本漫画家

小岩井 ことり(こいわい ことり1990年2月15日[2][3] - )は、日本女性声優作詞家作曲家

重本 ことり(しげもと ことり1996年10月5日 - )は、日本の元女性タレント、元ファッションモデル、元歌手、元声優、元グラビアアイドル

風愛 ことり(かざめ ことり1997年平成9年3月23日[2] - )は、日本アイドル

もりの 小鳥(もりの ことり1998年2月18日 - )は、日本の元AV女優

anond:20240501085455

そうみたい。

ぎん かく 【吟客】


詩歌などを作る風流な人。詩人。


【出典:大辞林

2024-04-26

真面目につけていないペンネーム

江戸川乱歩賞の講評でちょっとした炎上が発生している。

https://tree-novel.com/works/episode/07464104c8c86babd54079b4a15575d7.html

ペンネームが真面目につけたと思えない、という理由で減点対象になっているからだ。

ということで真面目につけていないだろうペンネームでぱっと思い付いたのを挙げていく。

エドガー・アラン・ポーのもじり

博多方言で「人の考えないようなことを言う人」のことで、作品を読んだ父親にそう言われたか

自身を「くたばって仕舞めえ」と言ったから(諸説あり)

編集会議が行われていた修善寺へ行くのに三島駅を通り、そこから見えた富士山白雪が印象的だったか

電話帳で開いたページにあった苗字から

→年齢で数字を増やしていたがさすがに止められたため

尊敬する詩人北原白秋故郷から

→幼名の「「升」と野球をかけて

  • 凸凹(たいらのでこぼこ)

→顔があばたで凸凹していたか

他にもあるだろうが、いったんはこれくらいで。

何より江戸川乱歩賞でこの講評を出したのがすごいと思う。

2024-04-02

anond:20240402033250

その中で奇跡詩人だけは疑惑まりなんだけどな。

公式からも訂正は出てない。

anond:20240402025550

奇跡詩人全聾音楽家ハーフ経済コンサルタントを取り上げてはいけなかったように

芸人としてメディアに出してはいけない人はい

本人にとっては病気悪化

メディアにとっては詐欺片棒

頭の弱い子にとっては誤ったロールモデル

三方

ゆるふわ診断基準のおかげでみんな発達障害ということになってるけど

彼らの症状を芸として持て囃すことはイネイブリングだという自覚を持たないといけない

2024-03-28

不敬なラッパー「お前の世はYo

メガネ君詩人さん、君主という言葉を知っていますか?」

2024-03-15

ブルトン」と聞くと詩人の方を思い浮かべる

プリゴジン」と聞くと物理学者の方を思い浮かべる

2024-03-13

anond:20240313141909

小林泰三が亡くなってサイトきえちゃったからいまから奇跡詩人問題追うの難しくなっちゃったかも

経緯と批判ポイントいちばんまとまってたと思うし

奇跡詩人・日木流奈を信じていた俺の懺悔

から22年前の2002年に、11歳の脳障害である日木流奈が話題になった。

俺は彼が本当に奇跡詩人であり、自分言葉で話していると信じていた。

NHK放送され、ネットなどの批判によりNHK謝罪したが、俺は彼を信じていた。

彼の話法は、母親が彼の手を取り、50音が書かれた紙を指差して話をするというものだ。

「実は母親が指差しているだけでは?」と指摘されていたが、俺は違うと思っていた。

「そのまんまでいいよ」「心配しなくていいよ」という彼の詩に感銘を受けていたからだ。

そこから20年経った2022年に、俺はなんとなく再度彼の動画見直してみた。

すると、どうだろう。これは明らかに母親が彼の手を故意に動かしているではないか…?

なぜ俺は気付かなかったのだろう。

その時俺は、コロナ禍で危うく反ワクになりそうなほど、陰謀論に傾きそうになっていた。

しか大人になった俺はなんとか陰謀論を逃れ、ワクチンを打った。

そこから人工地震スピリチュアル方面からも足を洗った。

からこそ、日木流奈くんが操られてることに気付けたのだ。

遅い、遅すぎた。

懺悔しかない。


さて、ここからは実際に彼の当時の動画を見てもらおう。

これはNHK番組から抜粋である

『「奇跡詩人」 本編抜粋

https://sp.nicovideo.jp/watch/sm16732325

まあこれだけでも彼が操られてることが分かると思うが、次に彼の2019年の状態を見てみよう。

『日木流奈さんインタビュー/第1回 「何が起きても大丈夫!」という人が増えてほしい』

https://starpeople.jp/seijingoroku/hikiruna/20190503/4279/


どうだろう。

俺は彼の著作市販されているものは全て持っていたのでわかるのだが、彼の話し方や内容はは全く変わっていない。

…だが、そんなことあるのだろうか?

このインタビューには具体性がない。成長がない。11歳だった彼と変わらない受け答えがそこにあった。

「やはりこれは母親が答えているだけでは?」

そう思わざるを得なかった。

おそらく、母親自分の子供が脳障害であることを受け入れられずに、天才だと思うことによって自分を保ったのではないか

それが今まで続いているのではないか

もしそうならゾッとする。これでは虐待ではないか…?

当時からそのような指摘はかなりあったが、俺はそれを少し前まで気付かなかったのだ。

本当に恐ろしい。

だが断定はできない。ここで書いたことは俺の予想でしかない。

本来は周りの人間がそれを指摘して彼を救うしかないのだろうが、それももう叶わないのだろう。

今後彼の母親が先立った時、やっと彼の自由が叶うのかもしれない。

これが俺の懺悔だ。

彼を奇跡詩人として信じたばかりに、彼を今の状態にしてしまった一人なのだ

今後はこのようなことがないよう、陰謀論スピリチュアルから距離を置くこととする。

2024-03-12

疲れました。 きっと俺たちは......。.impressive gauge――それは天才的な文学作品、あるいはsf作家に向けた、狂気に満ちたデスヴォイス(悲鳴)だ――それは、声の主である神の言葉の響きが、あたか未来に現される、神の姿そのものに似ているかである詩人アーレントはこう名付けた――偉大なる天才は時に、狂気をも駆使し、時に、狂気をも駆使して、神の言葉の力を確固たるものとする

Anond AI作成

私が書いたのは「疲れました」だけです。諸事情筋肉痛です。

のんだいさんノムリッシュ好きなの?

2024-03-08

「泥のように眠る」の「泥」は生物ことなのか?

まず、土と水の混合物という意味での「泥」(以下「ドロ」と書く)ではない、生きものとしての「泥」(以下「デイ」と書く)については、中国唐代の沈如筠が書いた『異物志』という書物で紹介されているという。

泥为虫名。无骨,在水则活,失水则醉,如一堆泥。

泥は虫の名である。骨がなく、水に在ればすなわち活き、水を失えばすなわち酔う、一堆の泥のごとし。

南宋代の『能改斎漫録』、明代の『夜航船』などにも同様の記述が引き継がれている。なぜ「水を失えば酔う」のかといえば、言い伝えによると「デイ」は身体から酒を分泌しているので、周囲に水が無くなると自分の酒で酔って、ドロのようになって死んでしまうかららしい(が、この言い伝えソース不明なので信用できるかどうか)。おそらくナマコクラゲのようなものを指しているのではないかと思われる。

「酔如泥(泥の如く酔う)」という表現の初出は『後漢書』の周沢伝だ……という説が一般的なのだが、現在の『後漢書』の原文にはそういった表現はない。この周沢はとても生真面目な人で、祭祀管理する「太常」という役職に就いてから毎日のように斎戒をしており、彼が病に倒れたときに妻が見舞いにくると「斎戒中に妻子と触れてはいけない」と言って妻を投獄してしまうほどだった。そこで人々は「生世不諧,作太常妻,一岁三百六十日,三百五十九日斎(この世に生まれて楽しくないのは太常の妻になることだ、1年360日のうち359日は斎戒しているからずっと会えない)」と歌ったのだった。

この「三百五十九日斎」のあとに「一日不斎酔如泥(残りの一日は斎戒せずに泥のように酔っている)」という文章がくっついていることがあるのだが、それがどうも後世に補われた部分らしい。より正確には唐代後漢書注釈(李賢注)に「『漢官儀』にそう書いてあった」と書かれているとのこと。

たとえば唐代詩人李白は、

三百六十日 日日酔如泥 雖為李白婦 何異太常妻

私は360毎日泥のように酔っているので、あなた李白の妻だと言っても太常の妻と変わらない

と周沢の逸話を踏まえた詩をよんでおり、唐代には「酔如泥」という言い回しが広まっていたことがわかる。周沢が1世紀の人なので、ざっと700年くらいが経っている計算になる。

で、この「酔如泥」の「泥」は実は「ドロ」ではなく「デイ」を指しているのだ!……という説はどうやら中国でも根付いているようで、先述の『能改斎漫録』や『夜航船』においても「デイ」の説明と周沢の逸話併記されている。だが併記されているだけで何か解説が述べられているわけではない。

現代中国ネット上でも「実はドロではなくデイのことなんだよ」という雑学ネタ散見されるが(ということは中国人の多くも「ドロ」のことだと思っているのだろう)、いずれの記事も「古い本のなかでデイという生物が紹介されてるよね」「昔から『酔如泥』という言い回しがあるよね」「だからこの泥というのはデイのことなんだよ」というちょっと怪しげな論法であり、やっぱりウソ雑学なんじゃねーのと疑う気持ちを抑えきれない。

ちなみに日本ではどのように受容されていたのかと思って検索してみたが、天保年間に出された『燕居雑話』のなかで、『能改斎漫録』などを引用しつつ「蟲名とせしもたしかなる所見なし」「さして難解ことにはあらぬを斯る迂遠なる説を本説とするも奇なることなり」などと書かれていたのを見つけたので、昔の人もそう思っていたんだなあと感慨を覚えるなどした。

ともあれ、本当に「酔如泥」の「泥」が「デイ」に由来するとしても、その「デイ」の名前は「ドロ」に由来するのだから、どちらにしても酔った人間を「ドロ」にたとえているのと変わらないのではないかと思う。

さて、「泥のように酔う」についてはいろいろとわかったが、「泥のように眠る」はどうなのか。

中国語で検索してみると近いのは「酣睡如泥」だろうか。「酣」は「宴もたけなわ」の「たけなわ」のことで「まっさかり」という意味。つまり「酣睡」は「熟睡」という意味になり、全体では「泥のように熟睡する」という言い回しになっている。しかし、こちらの表現については「この泥とはデイのことである」という言説は見つからなかった。おそらく「酔如泥」よりも遥かに歴史が浅い表現なので、あんまり語源が気にされていないというか、「デイ」にまつわる語源説明するなら「酔如泥」のほうが例に取りやすいということではないか

もちろん「泥のように酔うのがデイに由来するのだから眠るほうもデイに由来するのだろう」という類推は成り立つだろうが、逆に言えばそれ以上の根拠はないということだ。つまり「泥のように眠る」には「泥のように酔う」とは別の語源があってそちらのほうは根拠も確かなんだぞ、というミラクルはなさそうである

2024-03-04

"僕"は深夜、都内繁華街を歩いていた。

眠気を押し殺すために飲んだ睡眠導入剤のせいで、現実幻覚不思議なほど交じり合っているようだった。

フラフラとした足取りで歩く僕の姿は、まるで泥酔者だ。

スルッと避けて通り過ぎようとした通りすがりサラリーマンに声をかけた。

僕: 「お疲れ様会社帰り?」

サラリーマン: 「え、いや、実は今から仕事なんだよ。夜勤明けでね。」

僕: 「おっ、そりゃ大変だな。でもさ、夜の仕事ってっと、吸血鬼っぱくてクールじゃ?」

サラリーマン: 「まさか吸血鬼面接官になってくれるんですか?」

僕: 「もちろんだよ。でも待って、吸血鬼って夜行性から、昼は休みってことになるよね。それって最高じゃない。か?」

サラリーマン: 「確かに、昼寝が捗りそうだな。吸血鬼求人、どこかな?」

"僕"は笑顔で立ち去る。そして、次に出会ったのは路上パフォーマンスをしているストリートミュージシャンだった。

僕: 「おっ、これはいい音だね。それと何かリクエストあるかな?」

ミュージシャン: 「何でも言ってくれれば弾くよ。」

僕: 「じゃあ、『眠れぬ夜をありがとう』ってやつを弾いてくれないか?」

ミュージシャン: 「それ、知らない曲だけど…

僕: 「そうだよ、僕も知らない。でも夜中に街を歩くのにピッタリの曲さ。」

ミュージシャンは微笑みながら曲を演奏し始めた。

"僕"は音楽に合わせてフラフラと歩き続け、街の灯りが照らす夜の冒険が続いた。

ミュージシャン音楽に耳を傾けながら、"僕"は次第に幻想的な夜の街の風景に引き込まれていった。

街灯の明かりが建物の壁に幻想的な影を描き、人々が笑顔で歩き交う様子がまるで夢の中のようだった。

"僕"は路上パフォーマンスをしているジャグラーのところにやってきた。

ジャグラー: 「おい、お前も何かやってみなよ。」

僕: 「何かやるって言われても…」

ジャグラー: 「じゃあ、これを使ってみてくれ。」

ジャグラーは"僕"にボールを手渡し、そのままパフォーマンスを手伝ってもらうことになった。

"僕"は初めてのジャグリングに戸惑いながらも、笑いながらボールを投げ上げた。

"僕": 「これ、なんか楽しいな!」

ジャグラー: 「さあ、街の人たちに見せてやれ。」

"僕"はボールを巧みに操り、通りがかる人々に笑顔を届けた。そんな中、路上アーティストたちとの共演が続く中で、"僕"の夜はますます幻想的なものへと変わっていった。

深夜の繁華街出会う人々とのユーモアあふれる交流は、"僕"にとって不思議冒険の一夜となり、眠気を感じることも忘れさせてくれた。

彼は笑顔で街を歩き、新たな出会いを楽しみながら、光と影で煌めく夜を歩き続けた。

"僕"は繁華街を歩きながら、次第に周囲の光景さら夢幻的に変わっていった。路上パフォーマンスをしている芸人たちが、彼の前に立ちはだかり、面白おかしネタジョーク披露してきた。

芸人A: 「おい、お前も一発言ってみろよ!」

"僕": 「うーん、じゃあ、夜中に駆け抜けるトンビってなんだと思う?」

芸人B: 「なんだ?」

"僕": 「ナイトホークだよ!」

芸人たちは笑いながら拍手を送り、"僕"は自分冗談に満足そうに微笑んだ。

その後も、路上出会うさまざまなキャラクターたちと楽しいやりとりを続けながら、"僕"の夜はますますコミカル雰囲気に包まれていった。

途中、カフェの前で一人の詩人が立っているのが見えた。

詩人: 「夜の街は言葉にならない美しさがある。君もその美しさを感じているのかい?」

"僕"は微笑みながら答えた。

"僕": 「確かに、夜の街は言葉にならない何かが漂っているよ。でも、それが何かはちょっとからないな。」

詩人: 「それが夜の魔法だよ。言葉では語りきれない美しさが、夜になると優雅に姿を現すんだ。」

"僕"は詩人言葉に深く頷きながら、夜の街を歩き続けた。路上での出会いと笑い、夢幻的な空気が"僕"を包み込む中、彼はこの夜を忘れられない冒険の一ページとして心に刻んでいくのだった。

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