はてなキーワード: 若手芸人とは
失うものは何もない悪童ぶりやらだいぶ偏っとるなとかコメントとの絡み等々好きだったが、あのときあの瞬間の売れてないぎり若手芸人(いうても30代だが)だったから笑えたのであって、あれから成長せずに40代50代になってもやっていたら正直引くかもしれん。人間は環境によって学べる、成長できるというのを見せてもらった。
いうても別に地上波用の今のキャラも人畜無害とは思わんし(表層そう見えるが結構思想ぶちこんどる)、コンビ愛も根っこはだいぶ昔から変わってないように思うが。ただ今は相方の悪口いうとアンチがうるさいし、あんま詰めると拗ねてやりにくくなるからじゃねえのという気はしとる。
小山田圭吾問題について、中高のいじめで完全に自信喪失および人間恐怖症になって中年ニートになった自分にとって、思うところがありすぎたので、自分自身の整理のために書いてみた。
今回の問題の核心は、どれだけひどいいじめ(というか暴行や拷問と表現すべきだが)を行って、それを公の場で自慢げに語っても、学校の内外で処罰されることもなければ、反省一つ促されることもなく、当然謝罪もなく、その後の人生とキャリアに傷がつくことも全くなかったということである。例のインタビュー記事で小山田と絶交した、という人もおそらくいないであろうことは、あの後も変わらず精力的に仕事をし続けていることからも理解できる。逆に小山田圭吾は、ひどいいじめをおこなった側の方こそが、社会的に大成功を収めるというモデルケースになってしまっている。
周知のようにいじめ問題では、現在でもいじめ被害者の側が転校させられるというケースが多く、客に加害者の側が転校したり推薦を取り消されたりというケースは寡聞にして聞かない。超名門校を出場辞退に追い込むほどの暴行を後輩に行った高校球児手が普通にドラフトで指名されていたように、大人はいじめ加害者を逆に高く評価しているのではと感じさせるケースもしばしばある。自分のクラスでもいじめ自殺が発生したことがあるが、加害者は何も咎められることもなく、普通に一流とされる大学に(記憶が曖昧だが多分推薦で)進学した。小山田圭吾は、こうした「いじめたもの勝ち」になっている社会の象徴的な存在である。
「1990年代もあのようなことは許されていなかった、時代の問題で相対化するな」という批判がある。それは正しいが、やはり同時代の空気を鮮明に記憶している人間としては、批判として非常に浅く感じてしまう。
あの時代のバラエティ番組は、若手芸人などに嫌がることをさせて、「痛い」「熱い」と泣き叫ぶのを見てMC側の人間がゲラゲラ笑うというものが本当に多かった(逆にそういう笑いをしない志村けんがテレビから一時期消えていた)。既にいじめは社会問題化してはいたものの、「あれは相手も納得済みだからいじめではない」というテンプレ論法で許容されていた時代だった。ネットも黎明期でテレビがほぼメディアの全てだった時代、いじめを受けていた側にとっては、当時のバラエティは見ているのも辛かった。
そういう時代の雰囲気のなかで、ましてや悪趣味がかっこいいものとしてはびこるサブカル雑誌のインタビューという場所で、たとえいま小山田と五輪組織委を口を極めて非難している人たちがそこに居合わせたとしても、おそらく一緒に笑うしかなかったと思う。特に、空気の変わり目を読んで同調して小山田を非難しはじめているような、ワイドショーのコメンテータータイプの人間は、そこにいたら一生懸命に面白がるアクションをしていたはずである。
申し訳ないが、中高時代をいじめ被害者として過ごしてきた人間には、いくら現在小山田を非難しているように見えても、時代の空気に同調しているだけで、こいつは本質的にはいじめっ子の側の人間だろうというのは直感的にわかってしまう。その意味で、たとえばカズレーザーなどはあまり信用できないし、逆に一見いじめを時代の問題として相対化していることを言っている爆笑太田のほうが信用できる気がする。ほかにも、五輪批判や政権批判の文脈でしかこの問題に興味のない人も、およそ信用できない。
EXITの「ドラゴンボールやプロレスで例えられても若者には響かない」発言は衝撃だった。
EXITはいわゆるお笑い第7世代と言われる令和の若手芸人の中心的存在で、10代20代の認知度も極めて高い。
平成のテレビは、BIG3とお笑い第3世代がその地位を盤石とし続けた時代だった。
ダウンタウンに憧れて芸人を目指した世代はもうアラフィフを迎え、若手としてテレビに出る芸人も実際は30代以上。
普通に考えれば千原兄弟もケンコバも博多華丸大吉も野性爆弾も、もう10年早く東京のテレビに出まくってても全然良かったはずだった。
上への階段が閉ざされ続けた故に、一発屋で全国的な知名度を手に入れてもM1で勝ってもテレビの椅子は空かなかった。
司会者は変わらない顔ぶれのまま、ひな壇の若手~中堅がどんどん入れ替わっていく時代だった。
90年代半ばから約20年間、ずっと大阪で有望な若手たちを育成し続けていたのがバッファロー吾郎だ。
極端に言えば、初期のアメトーークの構成や細かすぎて伝わらないモノマネは完全にバッファロー吾郎が大阪のライブでやり続けた笑いのノリそのものだ。
ダウンタウンやとんねるずがテレビのゴールデンでやり続けるエンタメとは違うアングラな笑い。
2ちゃんねるやニコニコ動画とも親和性の高かったあるあるネタや特異なノリの数々は、今のアラフォーやアラフィフにとにかく受けた。
それを「面白い」と思える世代は、もう今のアラサー世代(いわゆるゆとり世代)がギリギリなのである。
今のアラフォー位で特にネットやSNSを好む人達はまだ自分の笑いの感覚は若いと思ってる(さすがにアラフィフとなるとわきまえている人が多い)。
tiktokやSNSで無名の若者やYouTuberたちが切り開く笑いはそれまでと全然異質のものだ。
2018年のM1の時点で「もう自虐は古い」とギャロップの漫才をバッサリ切り捨てた上沼恵美子の凄さはまさにここなのである。
今ではビジネススクールでも紹介されることが多い島田紳助の伝説のNSC授業(DVD化されている)で、紳助さんは「時代の流れXと自分の力Yを常に把握し近づける努力をしなければいけない」と言った。
問題は時代の流れXに対して自分の力Yは時間をかけて努力しようとすればするほど逆方向に行ってしまう可能性が高いということだ。
子供の頃のあるあるが視聴者との共通体験と大きくかけ離れた時、もうそれはあるあるではなく自己満足の回想録となる。
大げさに言えばもう昭和のあるあるトークはそんなに遠くないうちに戦時中を経験した大師匠クラスの「昔はこんなに貧しかった話」と変わらなくなるのである。
ケンコバも友近もレイザーラモンも、バッファロー吾郎がいなかったら今の活躍はなかったかもしれない。
でももうテレビでもネットでも、ドラゴンボールやキン肉マンやプロレスネタがその活路を見出す場面は先細っていくばかりなのである。
お笑いは好きだが関東在住のため、俗に言う「関西お笑い」にはあまり触れていなかった
賞レースで決勝に行った大阪よしもとの芸人をテレビで見たり、そこからYouTubeで周りの芸人のネタを発掘してみたりするぐらいだった
「てんしとあくま」の存在自体は多分6、7年前くらいからぼんやりと知っていた
M-1やキングオブコント、上方漫才大賞などの賞レースでちょいちょい名前見るな〜という程度の認識だった
2015年の「おもしろ荘」で初めて地上波でネタを見た 面白かったという記憶はあったがどんなネタだったかは忘れた
今年3月の「ザ・ベストワン」でもネタを見た これも面白かったんだけど次の日にはもう忘れていた
漫才劇場(俗に言うマンゲキ)にレギュラーで出演されていたらしいから、関西の劇場に通うファンならお馴染みの存在だったのかもしれない
関西のよしもと芸人によくいるネタはどれも水準を保って面白い優等生タイプ、でも平場を見なければインパクトに欠ける、ただハマる人はめちゃくちゃハマる、ハマらない人にはすぐ忘れられるという印象だった
最近の若手芸人にいるような「チャラ男で派手なパリピ」「元消防士から芸人に転身」「芸人と並行して税理士をやっている」といったキャラ付けも無かった
そんな芸人はごまんといる そういう人らに限ってネタは面白くて、でも世間に評価はされない
だから二日前、ツッコミの川口さんの訃報をネットニュースで知るまで久しく「てんしとあくま」の存在は頭からサッパリ無くなっていた
サッパリ無くなっていたというのに、衝撃だった
てんしとあくまがそんなに印象に残っていなかったただの一お笑いファンだったはずなのに、泣けて泣けてしかたなかった
てんしとあくまを真剣に応援していたファンの方の気持ちなんてこんなもんじゃないだろう
他の芸人のTwitterの呟きも見たが、「まだどう受け入れていいのかわからない」というものが大半だった
訃報が出たその日に行う予定だったZOOM配信や生放送が次々と中止になった 「諸事情により急遽中止します」という事務的な連絡で
なんだろう、対して追ってなかったはずだったのにこの喪失感は
心にぽっかりと穴が開いたような、ってこういうことか
ああそうだそうだ見たことある、と思い出せるものばかりだった チューリップの漫才や椅子のコント
面白いなあ
今まで頭の片隅にぼんやりと存在していたてんしとあくまの存在が急激にはっきりとした輪郭を持ち始めている
いやなんでだよ M-1決勝進出とかにしてくれよそういうのは なんで訃報なんかで初めててんしとあくまの存在をはっきり意識しなきゃいけないんだよ
今も頭の中が川口さんのことで埋め尽くされている 対して好きじゃなかったくせに
36歳なんてまだこれからだよ
一人の芸人が亡くなったんだなあ
うわなんかすごいやだな
これを書いた増田です。https://anond.hatelabo.jp/20200515125641
何かいろいろな感情が沸き上がって超長文なウンコを投下したのだがブコメがついてうれしい。友よ。
くりぃむのANN面白かったよね!、知ってる24時も好きだったよー知ってるとかその前のくりぃむのラジオとか、あとスクールオブロックとか割と中高生女子のリスナー多かったし深夜ラジオも女リスナ―結構いるよね。
ハライチのターン、たくさんの人が聞いてるんだから企業様はキギョックスフレンドから恋人に昇格させてあげてほしい、ブタメンの会社さんとかぜひ。
そして許可局員の方もちらほらいらっしゃって嬉しい限りです。
クリーピーナッツも気になってたから今度聞いてみる、その他おすすめを記してくれた方ありがとう、ダイアン気になる…エリアフリーは禁断なので悩む…。でも色々聞いてみます。
そうよね!と思ったのは、伊集院さんの後輩へのうっすら臭うパワハラ感、というブコメです。そうなんですよ、ちょっときついなと思うときが今も確かに、たまにあるんですよ。たまにだから気になるのかな。
伊集院だけ「さん」付け、というのはなんでだか分からない。圧倒的ラジオ先輩感があるからかもしんない、伊集院さん。
id:ifttt さんのブコメの『後ろめたさと救い』、大人になってる今は、この感情は昇華されてしまったのか忘れていたけど、子供の頃に深夜ラジオを聞いてた時は、確かにこんな感じの、複雑に青い感情とともにウツラウツラしながら聞いていたのを凄く思い出しました。どうもありがとう。「あまり正しくない」ことにゲラゲラ笑う不良ぽさへの喜びと、後ろ暗さと、小さくて少し歪んだ優越感とか、確かにあった。今となっては何に鬱々としていたのかは覚えてないけれどなんだか全然眠れない時に、いつもばかなことばかりを言うてるラジオパーソナリティがたまたまマジメな話をしているのを聞き入って何となく気持ちが楽になったりしてたなぁ…と懐かしく思い出しました。
ナインティナインのANNにも、そうやって救われた時間が、増田にもかつてはあったのです。聞いている私の日常の忙しさと変化と、喋っているあちらも忙しさや色々の変化なんかに取り紛れて、いつの間にか何となく、離れていった。同じように別のリスナーたちは、許容したり、歓迎したりして。そしてその結果、一線を超えたことを言っちゃった、というのが今回の岡村さんの発言だと思う。
蛇足の追記を書いているのは、『今回の騒動でゾーニングは嘘だとはっきりしたと思ってる。炎上に乗っかった人、誰も深夜ラジオ聴いてないだろ。』というブコメを見かけたからです。
ひとつ確実に間違っていることは、増田は割と重度に深夜ラジオを聞いていた(いる)し何ならナイナイ時代から足掛けでいえば10数年は間断的・断続的に聞いているということです。それでも、私は今回の岡村の発言は炎上して当然だと思ってるし、あちこちのブクマに「こんなんあかん」ともブクマった記憶がある。そして、そういう人はそれほど少なくもないと思う。元(現)リスナーでがっかり、しょんぼりした人もいたと思う。
ゾーニング、と言うのなら、これはそもそも「深夜だろうが公共電波にのせること」が、まったくもってゾーン外だったのでは、と感じています。放送電波の外で、家族や友人に言っても、割とドン引きされるでしょう。Youtuberとかが言ってたのを見つかったら炎上するんじゃないか。
エロ=風俗通い、だからゾーニング上でダメだということじゃない、それ以前の人倫のレベルで一線を超えちゃってると思うのです。そもそもAMラジオって風俗通いとかうんことかちんぽ程度の話だけなら、朝以外の、どの時間帯でも出てくる可能性がある媒体だけど(たまむすびとか、何なら赤江さんが言いたがる時が頻繁にある)、炎上してないでしょう、放送禁止用語にひっかかってないんなら。
深夜ラジオは特に、エロや下品に関して解放区ではあるし、疑似いじめ的な構造で「いじり投稿」が延々と続く流れの時もあったりする。まぁしょーもない空間だ。
例えば、大好きだったくりぃむしちゅーのANNで言えば、確か初めの頃は「知ってるが終わっちゃって晋也じゃない要らない子の有田が入ってきた」みたいな文脈のイジリ投稿が結構あった。もちろん二人&リスナーのすべて”共犯関係下”にある遊びだ。けど、ひょっとしたら何か聞きづらくなって聞かなくなった人とか腹を立てた人もいるかもしれない。このお互いのいじり・いじられはくりぃむしちゅーの芸風でもあってTVで今でも有田が上田をいじって、上田が憤慨しつつ納得して受け入れる笑い、となったりしているんだけど、嫌だなと思った人もいるだろう。でも炎上はしなかった。馬鹿が聞かなかったから?いや当時の人気番組で聴取率も高かったしPodcastの配信数でも常にトップクラスだった。
くりぃむのANNは、「有田が上田に謎の質問=むちゃぶりを展開して上田に嘘八百トークを強要する」くだりが流行った時があって、それをスポーツ紙が「ラジオで有田がむちゃぶりを仕掛けることがストレスになって上田が血尿を出して倒れた」みたいなゴシップ記事にされたりしてた。この辺はスポーツ紙の記者も含めた共犯関係の「お遊び」だ。
ただ、上田、有田、リスナーの「共犯関係の内側」にいる人だけで作られた「疑似いじめ構造」ではなく、「対象外」の人を巻き込んだ遊びだとしたら、当時10数年前でもネタの内容によっては炎上したんじゃないか。
で、今回の岡村の「お金に困った子が風俗に入ってくるから」は、「対象外」の第三者である「金に困った女性」を巻き込んで「疑似いじめ構造」を作っちゃったのだ。そりゃ悪目立ちもすると思う。
更にもっと言えば、例えば「共犯関係が作れる身内」であれば炎上せずに「あぁ岡村さん相変わらずこじらせてるなぁ…」とため息をついて終わり、になったんだろうか、と考えてみても…、例えば、女性リスナーに「誰か癒してあげてー」と呼びかけるとかだったら?、番組スタッフとか芸人の後輩とかに「コロナの影響で番組制作が減ってしんどいだろうからラジオの手伝いも安くやってくれる?」とか?
増田は想像力が貧困だからあんまりいい代替が思いつかないが、登場人物を「共犯関係の身内」に絞っても、なんかこれ割と笑えなくね?ダメじゃね?となるんじゃないかと思う。番組スタッフとか若手芸人なら、例えばそのあとにオチで「これをチャンスにお前らが出世できるしな!」とかも、言いようがあるだろうけど…、足元を見た残酷な言い方だな、さすが芸人さんシビアというかパワハラなんやな…とは、やはり思う。
ネタの構造として「知らん第三者をいじめられサイド」に置いたネタであったこと、で1アウト。
ネタの内容が、風俗で女を買い叩く(安く良い子が抱けるというのはそういうことでしょう?という、まぁ倫理観的にかなり際どいネタだったことと、で、2アウト。そりゃ炎上するよ。
これで岡村および番組サイドが次週にすぐごめんなさいせず矢部氏が公開説教してなかったら、多分3アウトで、番組も、場合によっては岡村本人も色々終わりだった可能性もあったと思う…。現に岡村さんは「フジテレビ嫌なら見るな」の時は強弁して後で後悔してるし、かなりヒヤヒヤしてたよ私は。
もうradikoのタイムフリーも聞けないから水掛け論になってしまうかもしれないが、矢部氏・公開説教の回で、矢部氏はリスナーやファンへの配慮もあって強くは言ってなかったけど、「岡村にモノ言えなくなっていたスタッフ」問題と、「リスナーが岡村を(悪い意味で)甘やかしてた」問題に触れていた。
岡村さんは、背が小さいとか、出会いの不幸とかいろいろあって女性観がいささかアレな感じだとか、実は根が真面目だとか、あとはお父さんから売れっ子になってもしばらく芸人になったことを認められてなかったとか、まぁ色々「こじらせそうな」条件が揃っている人だ。自分に対して真面目な人は、人にも同じ真面目さや同じ考え(自分が正しいと思ってること)を強要するパワハラの罠に落ちやすいし、容姿に自信がなくて真面目な人はチャラく軽く女の子と接するのが上手じゃなくて女の子苦手になっちゃう人もいるよなと、リアルライフを観察していて感じることも多い。
同じような悩みを一つ二つ共有している多くのリスナーと岡村さんの間で「共犯関係」であれば、双方がワルぶってイキっているラジオとしてアリだと思うのだ。でもいつの間にか「共犯関係」ではなくて「嫌な女を嗤う正義の同志」みたいになっちゃってる時間が、岡村単独の番組になってからどんどん増えてたんだよね。矢部氏は公開説教回で、岡村さんが「頭パーン」になっちゃったから遠慮をしてしまってたのかもしれん、と言うてて、私も番組を聞きながら、何か傾いていく岡村さんのトークや投稿に一つ一つにぬぬ?と眉根が寄ることが増えて、頭パーンの影響なのか相方がいないからかなとか、違和感を溜めつつだんだん番組を聞かなくなっていったんだなぁと、今になって思う。
岡村さんが藤田ナントカいう人に絡まれてる件は、悲しいけど岡村さんには自業自得かなと思ったりはしています。正直私は藤田ナントカは全然キライですけど、一方で「岡村と俺たち」vs「藤田とフェミ」、みたいな意味わかんない「敵・味方」にしてる一部のオッサンたちは、岡村サイドだろうが藤田サイドだろうが、藤田ナントカと同様にキモイしキライです。藤田ナントカが胡散臭い奴だからって岡村が言うた下衆な発言の下衆さが変わるわけではないですし、岡村は相棒と一緒に再びラジオを続けます。代理闘争にこれ以上巻き込まんといてほしいです。別にいいけど、あなた方こそリスナーでも何でもなくない?って感じの人が女憎しで勝手に怒ってる気もするし。
矢部氏が戻ってきた新生ナイナイオールナイトは、旧ナイナイオールナイト時代からのお題を半分以上カットして新コーナーができました。別の記事のブコメにそれに対して不安を感じている様子のものもあったけど、個人的にはブブカとか点取りとか、もうずっと惰性というかネタも面白いものがあんまりなかったと思うんですよね…書き割りの風景みたいになっちゃってたというか。だから個人的には良い潮時だと感じています。矢部氏が卒業する時に無くなると思ってたぐらいなので…。なので、リスナーさんたちは頑張って新コーナーにたくさんメール送ってはどうかと思います。増田はネタ才ゼロなので無理。投稿は一度だけ、昼間のたまむすびにしたことがあるっきりで、その1回が何故か読まれて瀧切手が送られてきたのに満足してそれ以来全く。でもなんか頑張ってみようと思うよ。
(1)
まず導入として岡村に「1人でずっと謝罪を続ける」という明らかに無理なことをやらせる
(2)
これにより「岡村は何を言われても受け入れるしかない」舞台が完成
(3)
・ デリケートな既往歴に触れる
・ 人格批判("天然"というぼかし方が天才的。多分今後パワハラ上司の間で流行る)
これらはパワハラに関する教育を受けたことのある人なら分かるだろうけど全てアウト
(4)
最後ネタコーナーをねじ込み、「終わりよければ全て良し」感を出してまとめる
岡村を仕事で失敗した部下、矢部を上司、ラジオ関連の記載を会社の仕事に置き換えれば
で、こう書くと
「結婚は矢部自身の経験から岡村個人に出されたアドバイスだからハラスメントとして一般化できない」
「岡村自身の問題点まで深堀りしたのだから失言以外の落ち度が出てくるのは展開上仕方ない」
「今回は岡村への批判がエスカレートしていたので『公開説教』は外野を納得させるためにも仕方なかった」
「愛があるから許される」
みたいな擁護が出てくるんだけど
この世のあらゆるパワハラ(演出)は「理由」を理由に許したらあかん!!!!
一つでも例外を認めてしまえば拡大解釈に拡大解釈が重なって全てのパワハラが許されちゃうから!
これはお前のためを思ってやっているんだ きちんと理由がある パワハラではない
ようやく政府が「これらはハラスメントだよ絶対駄目だよ」と指針を出したのに
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyoukintou/seisaku06/index.html
わざわざ地雷を全部踏み抜くような演出、どんな理由をつけてもあかんって!!
おそらく岡村・スタッフ・矢部が一丸となってみっちり話し込んだのだろうけど、それで出てきた演出がコレというのは凄く残念
結局岡村だけじゃなくて、スタッフも矢部さえも価値観をアップデートしきれていない、これに尽きる
一世代前の古い考えを0.5世代前の古い考えでねじ伏せたに過ぎない 最新にしないとあかん
矢部の説教は岡村にとって良いものだったかもしれないけどそこは切り分けて考えないと駄目
ラジオの激詰めに感動した全国のクソ上司が猿真似しだしたらたまらねえわ
特に前回は今までのアメトークと宮迫不在のホトトークの違いを象徴するような回だった
トリオの2番手3番手の芸人にスポットを当てた回で、2番手3番手芸人が1番手じゃない故に辛いことを語るコーナーがあって、
四千頭身という20代の若手トリオ芸人が白熱しすぎて「これ大丈夫なのか?」くらいの流れになるんだけど、
それに対し蛍原は「よし、今言いたいこと全部出しきっちゃおう!時間オーバーしちゃったけど言いたいことをなんでも言うコーナーにします」という判断でコーナー自体が変わることに。
ドッキリコーナーが尺の都合でネット配信になっちゃったし多分台本とか構成とかはぐっちゃぐちゃなんだけど、それでも若手もベテランも熱くお笑い論を語るその回はここ数ヶ月で一番おもしろかった
宮迫の場合はジャンポケおたけが素っ頓狂なアドバイスをしたときも、ロバート秋山とジャンポケ太田が何故か金玉でかい大喜利を始めたときも、
変なことした芸人がいればちゃんと突っ込んで、構成上の流れがおかしくなりそうだったらちゃんと軌道修正したんだと思う
それが良いことか悪いことかはわからないけど、今までのアメトークだったらこの回は絶対見れなかっただろうなと思った
よく考えたらアメトークの主役ってあくまで司会の雨上がり決死隊じゃなくてゲストの雛壇芸人達なんだよね
宮迫よりも前に出ず聞き役に徹する蛍原によって今までよりもゲスト達は若手芸人もポンコツ芸人も含め全力でボケたり突っ込んだり滑ったり生き生きとしてるように見える
勿論白熱するような回だけじゃなくて、あんまり芸風に棘のない出川哲朗とか狩野英孝とか出しとけば番組がその色に染まって凄く平和な雰囲気になるし、麒麟川島とか千鳥みたいなベテラン実力派で固めれば今まで通りの安定した回になる
別に俺は全く宮迫のこと嫌いじゃないし、むしろ謹慎直後に「宮迫いない方がよかったな」なんて意見を言う奴は人の好き嫌いだけで物事判断してうぜえなぁとすら思ってたけど、
若者B「なにその言い方wあっ↓つ↑くね?ってなによw」
若者A「あっ↓ち↑くね?w」
若者A「www」
若者B「お前あっ↓ち↑行ってろやもうw」
若者A「でも実際暑くね?」
若者A「俺らこの店に蒸し殺されるんじゃね?w」
若者A「悪っそ~な顔してたもんw」
若者B「みたんかーい、死んだわこれ」
陽キャ大学生と思しき人たちの会話が聞こえてきて「なんでこんな無意味なやり取りばっか続けるんだろう」と不思議に思った。
でも今はこれこそ「お前絶対芸人になれよ!!そこらへんの芸人より絶対おもしろいよ!!」と友達から絶賛される素人のおもしろトークなのかなあ。