はてなキーワード: 芥川賞とは
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03 | 10 | 6175 | 617.5 | 180 |
04 | 20 | 1240 | 62.0 | 33 |
05 | 12 | 478 | 39.8 | 28 |
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又吉氏の受賞で被ったであろう大衆迎合路線批判へのバランスをとる意味でも、大衆の目をひきつつ、芥川賞の方向性を示す為のわかりやすい駒として氏は配置されている印象。
結構な言われようだなあ。
古市、あれだけ「芥川賞ほしいキャラ」を出したり「書きたいことはまだまだある」とかテレビで言っちゃってるので、ここで撤退はしないと思ってたけど、どうするんだろ?
10日発売の『文藝春秋』に芥川賞の選評が載っていて、二回連続で落選した古市さんがいろいろ言われている。
候補作は単行本で出版されているが、まだ読んでない。だが、高学歴なのにビルの窓の清掃員をやってる主人公の話で、参考文献が詳細にあげられているらしいことは、なぜか知っている。
参考文献については、前回だったか、候補作の剽窃問題があって、その辺の対策らしいと噂されていた。
で、選評である。
まず山田詠美はこう書く。“(参考文献の)木村友祐作「天空の絵描きたち」を読んでみた。
そして、びっくり! 極めてシンプルで、奇をてらわない正攻法。候補作よりはるかにおもしろい”
“候補作が真似や剽窃に当たる訳ではない。もちろん、オマージュでもない。ここにあるのは、もっとずっと巧妙な、何か。それについて考えると哀しくなって来る”
続いて川上弘美。“結論からいいます。わたしは悲しかった。木村友祐さんの声がそのまま「百の夜は跳ねて」の中に、消化されず、ひどく生のまま、響いていると、強く感じてしまったからです”
“古市さんのおこなったことは、ものを創り出そうとする者としての矜持にかける行為であると、わたしは思います”
吉田修一。“本作に対して、盗作とはまた別種のいやらしさを感じた”
“あいにく『天空の…』の方は書籍化さえされておらず入手困難であり、まさにこの辺りに本作が持ついやらしさがあるように思う。”
堀江敏幸。“他者の小説の、最も重要な部分をかっぱいでも、ガラスは濁るだけではないか”(原文では「かっぱいでも」に傍点あり)
要するに、古市さん、文芸誌に掲載されたが出版されていない佳作を探してきて、うまいこと翻案して小説書いたようである。
いや、具体的にどの程度の参考具合なのは確かめてないので、なんとも言えないが、当代きっての作家先生方が、かなり憤っておられるようなので、相当なものなんだろう。
是非比較して見たいところだが、「参考文献」の方は、『文学界』2012年10月号、だそうなので、確かめるには、図書館でバックナンバーを出してもらうしかなさそう。
にしても、古市さん、お忙しそうなのに、純文学の文芸誌まで必死にあさって「参考文献」集める努力は大したもんだが。
まあ「情報集め」は嫌いじゃなさそうだしな。
まさかとは思うが、担当編集者がうまいこと見繕って選んだのを古市さんに読ませてるとか、そういうことじゃないよね?
島田雅彦曰く“ナルシスト的私語りが中心で、リアリティ構築に必要な細部も情報のパッチワークに終始しているのが気になった。”
どうやら評価したのは奥泉光だけで、“今回自分が一番押したのは、古市憲寿氏の「百の夜は跳ねて」だったが、選考会の場で評価する声はほとんど聞かれず、大分弱った”そうである。
“外にあるさまざまな言葉をコラージュして小説を作る作者の方向を、小説とは元来そういうものであると考える自分は肯定的に捉えた”そうだ。
ここには、小説における“オリジナリティ”とは何か?という問いが含まれている。
ま、小説なんてそもそも「すでにある言葉」の組み合わせでしか書けないじゃん、というのはある。
で、ありもののコラージュでも新しいものが生まれればいいけど、山田詠美は「参考文献」の方が「はるかに面白い」って言ってるしなあ。
吉田修一は、「参考文献問題」以外にも手厳しくて、“凡庸で差別的な価値観の主人公を小説で書いてもいいのだが、作者もまた同じような価値観なのではないかと思えるふしもあり、とすれば、作家としては致命的ではないだろうか”なんて言っちゃってる。
これは、社会学者にして人気コメンテーター(タレント?)としての活動にも少なからず影響しそうな評価だと思うけど、ま、芥川賞の選評なんて、今時の世間に影響力なんかないのかな?
古市さんという人、本をちょっと読んだことがあるのと、時おりメディアでお見かけするだけで、どんな人か詳しくは知らない。
ただ、妙に芥川賞を取りたがっているらしいという噂は聞く。
なんでだろ?
“気鋭の若手社会学者”も“テレビで毒舌が人気の論客”も、実に空虚で脆弱な肩書きで在ることに、ご本人が一番気づいているということだろうか?
そこで、「学者として研究に力を入れる」ではなく、「いい感じの小説を見つけてきて、うまいこと翻案して芥川賞ねらう」って辺りが、実に薄っぺらいけど。
テレビで知名度得た人が芥川賞狙うって図式では、又吉直樹といつ成功例がある。
あの「火花」という作品が、そこまで傑作かどうかはともかく、この人は本当に、太宰治を筆頭に、文学というものが大好きで、おそらく文学に救われたという経験を持っていて、文学をリスペクトしていることが端々から伝わってくる。
あんまり文学とか語ってるのを聞いたり読んだりした印象がないのだが。
前回の選評では、「ナルシシズムが過ぎる」とか「自己肯定というより自己過信」とか、これまたかなり厳しい言葉が並んでいたと記憶する。
単なる自分語りの舞台として小説を選んでいるのだとしたら、ずいぶん旧い、日本文学における「私小説」偏重な文学観をうすっぺらくなぞっただけかもしれないが。
なんだろうなあ?
社会学者もコメンテーターも、ありものの言葉を組み合わせつつ、持ち前の地頭とセンスと要領でなんとなく現在地位を掴めちまったっぽいだけに、「小説? これくらいなら、ボクでもかけるじゃん」とか思っちゃったんじゃないかなあ、という疑いを禁じ得ない。
【追記】
えらくブクマついてる。文藝春秋なんて読んでないけど、中身は気になるって人は多いのかなあ、と思ったり。
「参考文献」の著者、木村友祐さんがtwitterで発言されておられるので、追記しておく。
本件、「古市さんが窓拭きに興味をもち、取材依頼があり、応じました。窓拭きの達人を紹介しました。古市さんはその取材をもとに書いてます。」そうだ。
お詫びしたい。
なお、「窓拭きの細部以外は、ぼくの作品と古市さんの作品は別のものです。そしてぼくは、〝知名度がないゆえに作品を利用されたかわいそうな小説家〟ではありません」とのこと。
にしても、選考委員の先生方は、どの程度経緯をご存じの上で選評を書かれたのかは分からないけれど、えらく憤っておられるようで、なにがそんなに山田、川上、吉田各氏に火を着けたのか、検証してみたくはある。
元増田がいってるのは、
バスを途中なり終点で降りてスクーターなりナナハンなりに乗り換えて
目的地まで渋滞をすりぬけて走れるような才能が、自分にはなかったじゃないか!って嘆きだろう。
でも過去えらくなった人を俯瞰すると終点まで遅いのを我慢してバスに乗ってた人でも決して遅くはないんだよな。
まあ業種にもよるけどね。元増田は何を想定してんのかね。
そんなに才能が重視され早く結果をださなければいけない業種ってなんなのかね。
タレントも立ち位置によって別に間に合わないことはないとおもうけど。
かとうひふみんの例もある。
大企業に新卒じゃなく30代で転職で入った人も実際2~3人知ってる。
公務員だって派遣や顧問、出向のような形で外部からの採用をとってるとこある。
芥川賞などの文学賞受賞者なんて8割以上は大卒だし他業種経験者だろ。
クリスマスはつくられた文化だ、バレンタインデーはお菓子メーカーの陰謀だ、
結婚式は本来あんなにお金がかかるものじゃない、年賀状は郵便局の陰謀うんぬん、
葬式は寺が儲かるために作られた仕組みだなどという友人がいる。
今度、子供の初節句に五月人形を買うと言ったら、そんなものは人形メーカーが仕掛けた文化だと言う。
うん、まぁ事実そうなのかもしれないけど、子供の成長を祈願して五月人形を買うのはそんなに非難されることなんだろうか?
そんなことを言ったら、多くの経済活動や文化、趣味がなくなりはしないか?
『ニムロッド』(Nimrod)は、米国のロックバンド、グリーン・デイ(Green Day)のアルバム。
グリーン・デイにとっては、通算で5枚目のアルバム作品。1997年10月14日に発売され、アメリカのビルボード200チャートでは
"Hitchin' a Ride"『ヒッチン・ア・ライド』、"Good Riddance (Time of Your Life)"『グッド・リダンス (タイム・オブ・ユア・ライフ)』、
"Redundant"『リダンダント』、"Nice Guys Finish Last"『ナイス・ガイズ・フィニッシュ・ラスト』の4曲がシングルカットされた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A0%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%89_(%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%A0)
Green Day - Good Riddance (Time Of Your Life)
odakaho 予言するけど10年後には異世界文学が新感覚派とかプロレタリアみたいな文学の一派に扱われて芥川とか普通に受賞してると思う。
こういう話題になると無責任にこんなこと言う人が必ず出てくる。これはこの人の願望なんだろうけど。
ラノベ作家やなろう作家を細かく分類するカテゴリーはできててもいいだろうけど、それが文学として評価されることはないと思う。
東野圭吾や宮部みゆきや筒井康隆だって何らかのカテゴリーには入ってるんだろうけど、べつに文学として評価されているわけではない。まあそもそも菊池寛が文学として評価されてないわけだが。
ラノベは登場からもうだいぶ経つけど、文学として評価されているなんて話は聞かない。人気作はラノベレーベル以外から出版されることはあるが、文学として評価されたということではない。そもそももとからラノベレーベル以外で出ている小説の方が圧倒的に多いのだから、一般向けに出たところでだから何という話である。あるいはハリウッドで映画化されても文学として評価されたということにはならない。映像化しやすそうなエンタメとして評価されただけだ。
ラノベはあくまでアニメ漫画などのオタクコンテンツの一部として取り扱われている。文学部におけるラノベ研究も多くは文学研究という形ではなくサブカルチャー研究という扱いだろう。ラノベは大人が真面目に議論するには題材がオタク向けで幼稚すぎる。
とりあえず芥川賞はないだろう。あれの選考方法を知っている人間なら誰もがそう思う。ノーベル文学賞の方がまだ可能性がある。というか、異世界だからどうしたという話だ。多くがゲーム設定の流用で別に新しいことは何もやっていないわけだし。ただオタクにとって都合のいい幼稚なポルノが受けているだけ。むしろ評価されるどころか、「あの頃のオタクの女性差別は」的な文脈で批判される可能性すらある。
私は学生時代の頃から自分自身が『オタク』または『ヲタク』と呼ばれる存在であることを自負していた。
アニメはリアタイ視聴が当たり前、その翌日にはオタク仲間と共に語り合ったりSNSで感想を述べたりするからだ。
PC美少女ゲームは秋葉原のソフマップから、今は亡き紙風船に買い物に行って、神ゲーからクソゲーまで一通り触ってきた。
一時期は本気でシナリオライターとして食っていけるのではないかと夢見る時もあったが、今ではなぜか普通の社会人になってしまった。
学生を卒業して早七年……あの頃、本気でヲタクをやっていた自分がいなくなっている気がした。
翌朝六時から出勤しなければならない事が多かった日々、私が心の支えにしていたのはアニメだった。
その当時、何を見ていたのかはハッキリと思い出せないが、とにかく忙しい日々には通勤途中で見られるVODが超優秀で、スマホから月額400円相当で過去作も含めたアニメが見放題だった。
仕事に忙殺されていたせいか、SNSも頻繁に見ることもなくなった。そのために何人かネット上の友人を失ったが、なぜか全く後悔していない。
その程度の関わりだったと、どこか気持ちが切り替えられていたせいなのだろう。
当然ながら、リアタイ視聴にこだわっていた自分は、気付けばどこかに消え去ってしまっていたのだ。
などと、好きなブランドや絵師の名前は一通りチェックして回る日々も忽然と姿を消してしまった。
新作の量はソフマップが圧倒的だが、旧作だが超名作がぞろりと揃っている『紙風船』が閉店していることを知ったのは今年に入ってしばらくしてからだった。
流石に閉店を知った時にはショックだったが、何よりも驚いたことが『その情報を察知していない自分』だったのだ。
正直に言えば過去の名作をプレイしておらず、自室の押入れに何本か積んでいる時点で、新作を買う気力があまりないのだ。
早く消化したいと思う気持ちと、一週間に一日しか無い休みに美少女ゲームを立ち上げようものなら、何もかもを放り出して没頭する自信がある。
それよりも翌日にまで支障が出てしまう可能性もゼロでは無いのだ。
そう思ってから未だに一本も消化できていない時点で、自分は本当にヲタクだと呼べるのか、という自信が薄れつつあった。
職場の人に「休みの日は何してるの?」「趣味ってなんかやってる?」と聞かれる事が増えてきた。
「いやぁ、趣味という趣味は無いんですが、読書とカラオケぐらいですかね〜」
私はへらへらと愛想笑いを浮かべながら答える事が多くなった。
当然カラオケが趣味と言っても『ヒトカラ』が当たり前である私だが、社会人ともなると「友達と行くの?」と勝手に都合の良い質問をしてくれるので、肯定するだけで「社交的な自分」を伝える事が出来る。
まぁ、学生時代の友達と一緒にカラオケに行けばアニソン縛りが当たり前、ヒトカラでは上司にもウケるように昭和歌謡曲などもフォローしている。
誰かと歌う事が当たり前だから、一人でもカラオケに行って練習するという習慣が、学生の頃と比較すれば異常なまでに人との関わりを意識してしまっていることに気付かされる。
学生の頃は誰かと歌うのが面倒だから、自分一人で自由気ままに振る舞えるヒトカラが良かったのに、今では予行演習じみたカラオケになっていた。
読書だって、ラノベしか読まない私からすると『ビジネス書』『一般文芸』など読むはずが無いジャンルも、上司や取引先との会話の中で趣味の話題になった際「この作品って知ってる?」というフリに対し「芥川賞を受賞された作品ですよね。私も読んでますよ」という返しが出来ればポイントが稼げるのだ。
仕事で後輩が出来た際にも、ビジネス書の受け売りを酒の席でわざとらしく言ってドヤ顔もしちゃったりできるのだ。しまいには「もっとアンテナを広げた方が良いよ」なんて言っちゃったりするのだ。
でも、意識高い系の後輩が出来た際にはバッチリ効果が出てしまって、ちょっとだけ成績が伸びてしまったもんだから読書も幅広く読むようになってしまった。
私が学生時代の時は『アニメはリアタイ』『ゲームは好きなジャンルから総なめ』『SNSで情報共有』が当たり前だった、陰キャ街道まっしぐらだった人間。
性格などに関しては変わることは無いのだが、友人を見ると『好きなジャンルを深掘りしているタイプ』であるのに対し、私は非常に浅い。
その代わり、あまりにもニッチな話題でなければ、ある程度の話題に関してはコメントで打ち返せるほどのボキャブラリーは充実している。
アニメをたまにしか、好きなジャンルしか見ない人間もヲタクと呼べるのか。
ゲームも今は一切しないが、昔やってた経歴からヲタクを自称できるのか。
予め言っておくと、オタクを自称したいとか、オタクのプライド云々が言いたい訳では無い。
そんなもの、そこらの犬にでも喰わせてしまえば良いと思っているくらいだ。
私が言いたいことは自分でも名乗れないほどに『ヲタク』というアイデンティティが失われてしまうことで、自分は一体何者なのだろうか、という疑問が残されてしまう。
別にオタクであろうとなかろうとどうでも良い。ただ、友人たちの目からは『ヲタクである自分』というフィルター越しに私が見られている気がしてならない。
もうとっくにそんな姿は存在しないと言ったとしても、私はいつまでも『ヲタクである自分』で物事が進んでしまうのだ。
仮に『ヲタクである自分』が手放せたとしても、今度は『ヲタクではない自分』がどんな存在なのか、皆目見当もつかないのも空恐ろしい。
結局、私がヲタクであることを証明できるように、自らの手でヲタクという生き方を捨てきれないだけなのだと思った。
本当にヲタクであることを辞めてしまったら、どうしようもなく薄っぺらい、何も無い人間になってしまうような気がして怖いだけなのだと思う。