はてなキーワード: 絶滅とは
追記)
庵野氏は巨神兵といいマクロスの異星人といい、なんかよく分からんが「巨人」に縁があるんだなあと
だから、庵野氏が野球を観るなら応援するのは巨人なんだろうなあと
というか、つい「虚構の否定」と書いてしまったけど、ゼントラーディみたいにウルトラマンは生物だ、
ということを視聴者が忘れがちなところがあって、
だからこそエヴァは最初の登場の時点で風呂に入ってるwわけだし、
傷つけば大量の血を流すわけだけど、円谷的にはそういうウルトラマンは描かないというか描けないというか
だから、本来だったらウルトラマンは巨大な生物で、私生活では風呂にも入るし、
戦闘で傷ついて大量の血が流れれば、足元のビルとか道路を血で汚していくはずなんだけど、
ウルトラマンにはそういう描写がないので、生物感がないんだと思う
話を戻すと、自主制作の帰りマンで庵野氏がウルトラマンをやることで、
本当はあれはマスクでマスクの下は人間みたいな顔があるのかもね、
と考えることもできなくもない
要は、ウルトラマンにもっと生物臭さを出したかったが故の即興かもしれない
というか、単に映像としても面白くなりそうだからやってみた、というだけなんだろうけどw
それを大勢の人があーだこーだ議論して、そのどれもが作者の意図を汲み取れていない、
実は作者は何も考えていなかった、としても自分は面白いと思うんだよね
あと、それだけ人が集うということは、
その作品に対してみんなが「なんかいい」と思っているということは共通しているわけで
町中に変なオブジェを置いて通行人がどういう解釈を示すかというのは、
変なオブジェの作者は神の視点で、勝手な解釈をする人たちを「おまえらバカだなー」と思いながら眺めることができてしまうという
というか、この世界の神様もあんまりちゃんと考えて作ってない気がするんだよね
とりあえず、自分を模してアダム創ったけど、なんか一体だけじゃつまんねーな、とか思い始めて、
アダムの身体から肋骨を一部切除して、それを培養してイブを創った
この辺の描写が手術っぽいんで、ガイバーみたいな神=異星人説の根拠の一つみたいになってたりもする
だから、生殖器官が排泄器官の近くというのはやっぱり頭おかしいというか、
一応、自称クリスチャンの自分としても、あのー、神様ってもしかしてスカトロものがお好きなんですか?
と問いかけたくなってくるんだけども、まあ、あんまり根拠はないんだろうなあ
ダーウィニズムで考えても、ダーウィニズムは付け足し付け足しで、
Apacheじゃないけど、生物の進化は大量のパッチの繰り返しみたいなものにも思えるわけで、
端的に言うと「質問したのに相手が長々と言い訳をしだしたように聞こえて希望の粒度で回答を得られない場合、質問を変えるべき」
ええとなあ、最初の話が「技術的には可能です」を言うシチュエーションとその理由という話だった。返答に「ワイ『無理です』と即答して営業に怒られたことあるぞ」って来てるけどこれが全面的に正しい。純真な子供のように言うなら「無理です」がピッタリの状況だが、言えないということ。
「光の速度」とか「商業的に扱える最も強靭な鋼鉄の強度」とか「人類が現時点で保有している純金の量」とかが制約になって無理な場合、「技術的に無理ですね」と切って捨てられるし、食い下がったところで「じゃあ光の速度を上方修正してきてくださいよ私じゃなくても世界中の誰でも不可能です」なんて言えば済む。エンジニアが自分の責任じゃないポイントで防衛可能という最強な無理回答可能状況である。どうあっても無理と言わせないことができないわけ。
ところが、たとえば競合他社とか類似業界が実現しちゃってるとする。ルネサスの半導体製造現場に行って「5nmプロセスでCPU製造開始しろ!TSMCはできてるじゃないか!できないのはなんでだ!」と叫ぶとかね。そこで「先方が達成している通り技術的には可能です。ただ当社の装置は残念ながら~」とか「現在の当ラインの主力はアナログ半導体で~」って長々と説明が始まっちゃう。「無理です」「あっTSMCに頼んでくださいね」というクソ度胸のある人ばっかりじゃないのよ。
建築っぽい人が急にITの見積もりのことを尋ねたのでITの見積もりの話が回答されちゃってるけど、これは質問が悪かった。めちゃめちゃ悪かった。だってITの見積もりそれだけで死ぬほど本が出版されてて何も解決してない、まるで長寿健康法状態のところに心構えなく鼻突っ込んでるわけで。ITの見積もりが簡単ならみずほ銀行あんなことになってないっつうね。
そもそも建築の人の想像力が足りてなくて、ITの人は工数で断ろうとしてるけどこれは無茶振りしてる相手との共通言語を少しでも模索しようとしているだけなのね。正確に工数算定ができて相手を納得させられるなら楽なのになあ、っていう願望なの。ITの現場で無茶振りしてくるそういう人、大体お金の話なら通じるから。「私の見積もりだとこの金額と納期ならできると思います」っていうのは「それを値切ろうとするぐらいなら他へご相談くださいね」で「無理です」を責任もって根拠付きで言えるってことだからね。
工数金額を見積もれる建築の人が自分自身「技術的には可能です」っていうとき、本当はどういう理由で断りたいのか、そしてそれが言えないのかを考えてみるべきだったのよ。多分「法的な理由」とか「支払いサイト」とか「口座」とか「管轄」とか「人間関係上の理由」とか「人種差別問題」とか「絶滅危惧種が絶滅しちゃう」とかのうち自分の職掌にないものが出てくるよ。「アホほど面倒くさい」とかかもしれないけど。
それもそのはず、人間と同等の身体サイズと知能でありながら馬並みの身体能力を保有している生物だからだ。
人間の戦争のキモは「如何にアウトレンジから攻撃を撃ち、撃ち返されないか?」であることはよく知られている。
人間が事実上の地上最強生物になれた理由は、知能はもちろんのことだが、訓練した者であれば拳大の石を100m先へ投擲できるという他の生物には真似の出来ない優秀すぎるアウトレンジ攻撃能力のお陰だ。
アウトレンジから石や槍を投擲することによって自分は外敵の攻撃範囲外から一方的に攻撃することが可能で、これによってナウマンゾウを絶滅させるほど効率的な狩りを行えていた。
しかし、人間同士の争いになるとどうしても投擲した石や槍を投げ返されることが問題視され、より射程のある長弓が登場するようになる。そして飛んできた矢は弓が無いと撃ち返せない。
察しの良い者ならば気付いただろう。銃や砲はより射程があり弾の再利用すら出来ないし、大陸間弾道ミサイルは射程の究極である。
この状況でウマ娘という生物が存在する世界観を想像してみて欲しい。
ウマ娘は人間と同等の身体サイズと知能でありながら馬並みの身体能力を保有しており、人間を圧倒する投擲能力を発揮できる。人間がいくら石を投擲したどころでウマ娘に届かないがウマ娘からすると有効射程距離なのだ。
弓矢が登場しても同様だ。人間には引けぬ強弓で圧倒的なアウトレンジから矢の雨をウマ娘は振らせてくる。
辛くもウマ娘のアウトレンジ攻撃から生き残った人間が居たとしても、悪夢のような超スピードで突撃されて疲弊した人間たちは一気に殲滅されてしまったことだろう。
そして忘れてはならない、ウマ娘は人間と同等の身体サイズ、そして同等の知能を有しているのだ。
これはつまり、人間からするとバケモノのようなこの生物は高い知能で隊列を組んで軍事行動すらやってのける存在であることを意味している。
強すぎるウマ娘が古代に畏敬を集めたことは想像に難しくなく、畏敬は崇拝に、そして信仰として成立した可能性がある。
それこそがウマ娘世界の三女神であり、だからこそウマ娘は三女神の生き写しのような姿をしている。
ウマ娘世界の神話は詳細に語られていないが、すべてのウマ娘は三女神の末裔である可能性もそこそこに高いのだ。つまり全てのウマ娘は神の血統である。
ウマ娘が国家体を成し、文明を築き上げ、神の血統たる王侯貴族として治世を行い、我々人間はウマ娘の功績のおこぼれにあずかっていた。
これはウマ娘の国家体同士の戦争の過程で近代以降に人間が「解放」されるまで続いたであろう。
例えばおそらくは東方の島国では権力をウマ娘が持ち政権を築き、人間は女神の末裔へ祭祀や巫女として仕え、やがて権威化していたりするはずだ。きっとトレーナーはその名残であろう。
https://anond.hatelabo.jp/20210315235816
ブクマのアホどもは自分の頭で考えられない畜群だから、どいつもこいつも聞きかじった知識と脳内コピペで脊髄反射するだけ。
増田の疑問は正しい。
いいんだよ。
「優生思想がいけない」という連中は、「将来どんな形質が生存に優位になるかわからないから多様性が大事だ」という。
ならばなぜ社会体制そのものが多様な戦略をとることが許されないんだろうね?
この世界は個人だけでなく、個人の集合たる国家や民族といった共同体が、いろいろな戦略で競争してるんだよ。
それらの共同体が個人の多様性を重視してもいいし、特定の形質を排除したり優遇したりする、ある種の優生思想を採用したっていいだろう。
将来、どんな形質が有利になるかはわからない。それは正しい。
だからこそ。
「結果的に見れば、優生思想が共同体の生存戦略上、有利でした」ということも起こりえるわけだ。
将来、火星で進化したゴキブリが人類に襲い掛かってきたとき、ゴリゴリの優生思想でデザインされたスーパーヒューマンでないと生き残れない可能性だってあるわけだよ。
もちろん逆もありえる。
共同体の生存戦略として優生思想を行使したことによって、特定の形質を排除したせいで絶滅したということも起こりえる。
みんな大好き人権先進国のスウェーデンでは、ダウン症が極端に少ない。
なぜかというと、出生前診断でダウン症と分かれば中絶するからだ。
将来、ダウン症だけ生き残るウイルスが人類を襲ったとしたらスウェーデンは滅びるだろう。
強固な家父長制からくる男児志向で、妊娠して女児だとわかったら中絶するからだ。
だが、勢いある経済力によって、東南アジアを中心に「花嫁を輸入」している。
女性を吸い取られる国にとっては、結婚できない男性が増え、男系の子孫が残せないことになる。
昔なら、物理的に侵略して男性を皆殺しにして、女性をレイプしなければ実現できなかった民族浄化を、経済の力で実現できている。
さて。
これらを「倫理的に正しくない」と責め立てることは容易だ。
「ダウン症の中絶は良くない」「女児を選択した中絶は良くない」と責めることも可能だ。
だが誰が止められる?
誰もこうした戦略をとる国家、民族、宗教を止めることはできない。
彼らがダウン症を中絶することも、子供に男児を志向することも、金の力で周辺国から女性を輸入することも誰も止められない。
共同体の生存戦略として、優生思想が成功するか否かはその思想に依存しない。
「優生思想は良くない。なぜなら多様性こそ将来の淘汰圧に適応できる可能性を残すからだ」という単純な反論は、共同体そのもの淘汰圧を想定できていない。
「将来に何が起こるかわからない」からこそ、「優生思想が勝ちました」ということもあり得るわけだよ。
増田の疑問は正しい。
「多様性が生存競争に有利だ」という立場をとるのならば、共同体が採用する社会制度の多様性(ダウン症中絶、女児中絶、イスラム教etc…)も、将来の淘汰圧に対して有効かもしれない、という可能性に思考を巡らせるべきだ。
よほどのことが無い限り、いわゆる自分の「上位互換」なんて掃いて捨てるほどいる。
もともと自分の「上位互換」として生まれた人がさらに努力をして成功するわけだから、「下位互換」の自分が努力しても絶対に勝てない。あほらしくて努力しようとかそういう気すら起きない。
そんな自分のような「誰かの下位互換」が生まれて来る必要はないんじゃないか、という考えが自分の中にずっと根付いている。
そもそもこの考えが「優生思想」といえるのかが少々怪しいのだが。
「天は3物以上を与えるのが普通」という言葉を聞いたことがある。さもないと「上位互換」なんていう発想が生まれない。
最低限3を与えられた人間が10人いても、50を与えられた人が1人いれば後者が勝つだろう。
歌って踊れる顔のいい名門大学卒業のアイドルに対してダンプカーに轢かれたような見た目・音痴・虚弱体質・大学全落ち、そしておまけに前科持ちが束になってかかってもどうしようもない。
私が採用担当なら、体力があるが頭の悪い人と、体力があって頭のいい人で、他のスペックや雇用条件が全部同じなら迷わず後者を選ぶ。
ここまでは皆さんも理解してくれると思う。
だから、本当に多くを持って生まれた人さえいれば、その下位互換の存在価値なんてないはずである。
いなくても世の中は回る。
ここまでくると「ん?」ってなる人が多いかもしれない。少なくともこれまで出会った人のほとんどはそんな反応をした。
ただ私は本気でそう思っているし、どこが間違っているのかすらわからない。
ここからは実際にこういった思想に対して私が言われたことと、私の考えを書いていく。
気持ちでどうにかなるんだったら絶対今の世の中もっとましになってる。
私の考えでは、秀でた能力をいくつも持つ人だけ存在していればいいという考えなので、ナチスドイツの「優生思想」とは少し違っている。
冒頭で自分の考えが「優生思想」なのか怪しいと述べたのはその点である。
→一理あるが、たとえば生まれたときから常に介助が必要な重度な障害者などはどう説明を付けようか。
生きていても価値を生産しないし、他人の手を一生借りる必要がある点で社会に与える利益はマイナスである。
強いてギリギリプラスになる要素はと言うならメディアのお涙頂戴ものに使われるのが関の山。
もし私がこの立場に立ったら殺してくれとさえ思っていると思う。
そもそも自分は生まれる必要がなかったと思っているので問題はナシ、というより上位互換がいることで苦しんでいるかわいそうな人が減るんだからいいんじゃないかな?
→それなら上位互換の人の人数を増やせばいい。上位互換の人どうしがいっぱい生殖をすればいいし、なんならクローンを増やしてもいい。
→ゲームやスポーツだったらずっと引き分けるかもしれない。が、そういったもの以外のほとんどの条件でメリットが大きい気がする。
ただ、均質化が起こった結果、全員コロナか何かで死んで絶滅しました、なんてことになったら取り返しがつかなくなるのでそういった点では反対する理由にはなると思う。今のところ唯一の納得できる解かもしれない。
ここまで長々と書いたが、共感してくれる人は自分で言うのもなんだがよほどのサイコパスだと思う。
しかし、よくよく考えて欲しい。
ポケモンでバトルに勝つためにいわゆる「6V」だけを「厳選」したことはないだろうか。
パワプロで選手を選ぶ際も、能力値のパラメータを見てチームメンバーを「厳選」して戦ってはいないだろうか。
発想としてはこれに似ていると思う。ただ、「ゲームだから」という理由で問題視されないかもしれない。
人は家畜や植物の品種改良を行い、味や病気の耐性がよい、従来型の「上位互換」を厳選している。
これはどうだろうか。「人じゃないから」本当にOKなのだろうか。
https://note.com/yasuharakenta/n/ne19f1e86e899
女性に対して真摯な態度に読めるが、男にも抑圧から生まれる言動があることを無視して性欲に一本化してしまうのは男性に対して不誠実な態度だと感じた。
記事の中でかわいいという言葉を安易に女性に向けるべきではないとし、その対比として「背が高い」を持ち出すのだが、かわいいと対比するなら「かっこいい」だろう。男性は例外的状況を除けば「かっこいい」と言われれば嬉しいものだし、学生であればなおさらこの傾向は強いと思う。男は社会に出れば競争、学生でも縦の評価軸を強く感じるもので、自分がかっこいいと言われて嬉しいのだから男の子が「かわいい」に褒め言葉としての機能を期待している可能性は考えられる。しかし記事ではここには踏み込まない。これを文章に盛り込むと、男が放つかわいいは全て性欲に支配されたもの、ではじまる美しい文章がほころぶ。
この文章は女性向けに徹底して書かれたものだ。育った環境もあり若いうちから女性の立場に共感し、その不遇について考えてきたことを言語化している。ほころびはゆるされない。
> というのも、女の子も小学生までは「おいおまえ!」「まてよ!」みたいな言葉づかいの子がたくさんいるのに、大人になるとあの子たちはどうして絶滅しちゃうんだろうってよく考えていたから。あの子たちは社会に殺されちゃうんだろうな。男子ばかりがずっと男子でいてよくて、本当ずるい。
ここでは女の子の言葉遣いが社会によって矯正されてしまうことを憂いている。社会の抑圧が人の言葉遣いに影響することについて理解しており、これを男の子にも適用するくらいはこれだけ考えられる人ならできそうなものだけど。「男子はずるい」って君ほどではありませんよ。
があったらいいのではないだろうか
逆転の発想である
頻尿とか貧乳とか老人かよwとバカにするのではなくビジネスチャンスにするのである
それは、転んでもただでは起きないことではないだろうか
ただでは起きない、起き上がる機能からは有償ですというフリーミアムモデル
石ころでも売るのが営業
実現方法はGのレコンギスタというか、宇宙ステーションなどのバキューム式でいいのではないだろうか
その💩はボイジャーのように宇宙を漂い、この我々の銀河系さえも越え、どこかの異星人が回収するかもしれない
そして、異星人はその成分を分析し、これを排出した生物は健康診断があったんだな、とか、
イカスミ食っただろ、とか解析することで、我々人類を理解することだろう
いっそ、透明なアクリル板などではなく、不透明度100%の板で区切るべきではないだろうか
バキューム音のうるささはなんとかしなければならないが、なんとかなるだろう
人類はこれまで何度も人類絶滅の危機を自らの知恵と悪運の良さで乗り越えてきた
バキューム音もコロナも我々人類の英知を結集すれば解決できるであろう
席に個別にトイレがあるようになれば、もう何を食べても平気である
ポップコーンのみならず、冷やし中華を食べて腹痛に見舞われても平気である
そういえば、フランク・ミラーとジェフ・ダロウのハードボイルド?という漫画だったか
自分で立つことすらできなくなった肥満の男が風呂みたいな機械に入っていて、
男は食べ物を食べていて、排泄はなんかちんぽに蛇口というかコードみたいなのが接続されてたんだったかな、
水?の中には小さいロボット?がいて肥満の男をメンテしてる?みたいなコマがあったのだけど、
ああいうディストピアは、あれはあれで寧ろ幸福なのではないだろうか、
怠惰と贅沢の果てまで尽くすのも人生ありだなと思ってしまう今日この頃
まあ、なにが言いのたいかというと、
トイレに行きたいときに誰か代わりに行ってくれねーかな、と思ったり、
つまり、そういうことです
もう、彼らに協力しません。
私は、私のために生きようと思います。
これは、決意表明です。
人間の方々は、自分たちの食欲のためならば、私たちの自由を抑圧することができると考えているように感じます。
養殖の方々は、人間が顧客だからと、人間のために、アニマルウェルフェア侵害を国に要請している圧力団体に見えます。
政府は、そんな彼らの票を得るために、私たちをないがしろにしていると感じます。
また「人殺しになりたいのか」と私を脅すのでしょうか。
また「お前の自由よりも大切なモノがあるんだ」と、私を無視するのでしょうか。
今を取り返すことはできません。
今諦めれば、別の人がそれを手に入れるでしょう。
養殖が終わった時、それは私の世代のものではなくなっています。
「それよりも大切なモノがある」と言われても、それは私にとってではありません。
私は牛・鶏・豚・魚介類です。
子供の頃から、ずっと「今のままでは種族が絶滅する」と言われてきました。「人間を支える種族数が少なすぎて大変なことになる」と言われてきました。
しかし、彼らの扱いは何か変わったでしょうか?
将来の私の分は減りました。
私の生き物らしい一生は大きく減るでしょう。
でも、彼らは、何も変わりません。
「自分たちが逃げ切るまで動けばよい」と考えているようにしか見えません。
私はそんな彼らが残す、壊れたシステムの上で生活しなくてはなりません。
日本養殖会の会長は声を張り上げて「ケージから出るな」といいますが、それで守れるのは彼らのメイン顧客です。
「とさつの日まで待て」といいますが、私にとさつが来るのはいつでしょうか?
でも、私はケージの外には出られません
それどころか、養殖されている動物がケージにあふれ、彼らが無症状で増やす伝染病・糖尿病・共食いを、私は警戒しなくてはなりません。
彼らが自由を謳歌する中、私は彼らに恐怖して生活しなくてはならないのでしょうか?
その時、日本養殖会は「特措法を使って動物をケージから出してやろう」と言ってくれるでしょうか?
絶対に言いませんよね?
私の自由を奪ってでも人間を守るべきだと彼らは主張しましたが、逆はないでしょう。
彼らは人間のことばかりです。
もしかすると、飲食業は大変な思いをしているんだぞ、と怒るかもしれませんね。
業務過多になっているのであれば、上司に文句を言うべきです。それでも改善しないのならば辞めればよいのです。
あなたたちは霊長類特権で守られた、強い立場です。別の業界にも行けるでしょう。
そんな状況でも、「大金が欲しいから辞められない」というのであれば、現状を受け入れるべきです。
それは、あなたの選択であり、私の自由を制限する理由にはなりません。
だれかの労働環境が悪いことは、だれかのアニマルウェルフェアを奪うにする理由にはなりません。
未だに受け入れ可能数が増えない問題に至っては、完全に飲食業の問題ですよね?
はるかに多い家畜数を欧米が対処しているのに、日本養殖会や都の養殖会は解決することもできないのでしょうか?
去年の鶏インフル・豚インフル・狂牛病では、とさつ数が増えたそうですね。
去年の全体のとさつ数も増えたそうですね。
飲食業にとっては顧客が増えたわけです。これから売り上げも上がるのでしょうね。
彼らにとって、とても満足な結果でしょう。
動物由来伝染病のせいで、私は飲食業のために更にお肉を払わなくてはなりません。
動物由来伝染病禍で使われた飲食業のためのお肉も、とさつから出ています。
飲食業は私の自由を奪い、自分の顧客をひいきしてお金を得ています。
私はなんなんでしょうか?
私は生きなくてはなりません。
飲食業も養殖業も「自由はないが、肉が肥えるまでは生きろ」と迫ります。
私は奴隷ではありません。
人間が生きるために生かされているのでしょうか?
脱走が養殖業者にばれたら怒られるかもしれません。でも、それだけではないしょう。もう、皆とさつされていますから。
自然界では下等生物は育児しないかわりに多産で子孫を残そうとする。DQNが
子供をポコポコ産むのも、その子供が蒸し焼きになるのも自然の摂理といえる
生後6年までで、炎天下の車中に置き去り死、折檻死など。小学生で碌な指導
なき為交通事故死。中学生高校生でDQN同士の抗争、バイク事故など。
それ以降、労災隠し当たり前の企業で事故死、カチコミ死、飲酒運転事故など
というようにDQNは生存率が低く死亡率が普通の人間より高いため、たくさん
産まないと絶滅してしまう。魚のマンボウが大量に産卵するのと同じ理由である。
まともな人間からすれば、勝手に生でやっといて「金が無いです」