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はてなキーワード: 生物とは

2022-11-25

日本共産党日本サッカー存在に反対しています

例の中野区議の件は、共産党の特徴の一つである日本サッカー憎し」が1つ具現化されただけに過ぎない。

サッカーファン特にJリーグファンの間では「共産党アンチサッカー」というのが既に定説となっている。サッカー建設案件にことごとく反対しているからだ。

事例を挙げる。

京都亀岡スタジアム(サンガスタジアム BY KYOCERA)

アユモドキ」という生物を取り上げて、アユモドキ絶滅してしまう!という理屈反対運動実施スタジアム建設後にアユモドキの生息数は過去最高になった。絶滅どころか真逆

金沢市の新サッカー場(建設中)

2021年3月市議会で「そんな金どこにあるのか」という理由で反対意見提示

北九州ミクニスタジアム建設済)

2014年市議会議員スタジアム建設中止をビラで訴える

葛飾区サッカースタジアム構想

2021年葛飾区議選で共産党候補が構想取り下げを公約立候補。見事落選し、同候補三鷹など都下の地域活動拠点を移した。

鈴鹿市サッカースタジアム構想(建設頓挫

共産党人間の鎖を使って予定地を占拠してしまう。この影響でスタジアムの着工見通しが立たなくなっている

その他

他にも広島市横浜市など、サッカー特にスタジアムに関する妨害事例は多数ある。2桁は超える。各自調べてみよう。

面白いのはサッカー建設には反対しているが、陸上競技場野球場建設には一切反対していない点だ。

どうも共産党議員発言の節々を見ると、サッカー国威発揚きっかけとなるのが嫌で、そのためにサッカー関連には悉く反対する姿勢を見せているようだ。野球はせいぜい日米、陸上競技はほぼ国内から出ていけない(国外で結果が出せていない)から別に広まっても良いが、サッカーワールドワイド。それが共産党にとっては嫌なのだ。実際共産党員が野球関連のイベントに出演したり、積極的に観戦したり、野球場の外側で野球とあまり関係ない横断幕を貼っている姿が良く見られるが、Jリーグ試合高校サッカー試合などでは共産党員のそういう姿は一切見られない。

今回の中野区議の件を通じて、サッカーファン以外の一般国民にも「共産党アンチサッカー集団」ということが伝われば何よりである

anond:20221125124721

逆だろ

基本メスで生殖必要な分だけオスに変わるんだったらそういう生物は実際に沢山いる

オスなんざ僅かでいいんだからオス増やしても非効率

anond:20221125125114

いざとなったら殴り殺せるっていう生物本能前科とかそういうのを超越して心に余裕をもたらすって話やろ

anond:20221125124019

しかし低級な生物だとメスが多くてオスは繁殖期に一瞬表れるだけ、ってのは多いけど

オスの方が100倍いる生物なんていんのかな

繁殖できない奴がそんなにいても意味なくね?

anond:20221125123854

それ成り立たせるなら哺乳類である事は不可能で、卵生それも魚みたいに小さな卵を多数産む生物になるしかないんだが

それだと大きくて高度な脳は保てず高い知能は持てないので男も女も犬猫以下、魚レベルの知能になる

それはもはや人間ではない

anond:20221125123756

高度な生物になる過程で性比が1:1に近づいていくってのは有りそうね

anond:20221125123518

女1人で100人産まないと種として存続できなくなる(けどそんなの不可能なので種として成り立たない)わけ


何で現生人類と同じような妊娠出産システムで考えとるんや

アリや蜂みたいな生殖システム生物人間くらいの知能と社会性を持ったらっていう思考実験ちゃうんか?

人間たまたま男女の差が筋力と乳のデカさ程度で、性比もほぼ1:1の生物だったけど

世の中には性比が著しく異なる生物もいるし、男女で全然見た目が異なる生物もいる。

人間知的生物となったのは自由に使える手と長時間移動可能身体機能および社会であることから考えれば、

知的生物になる条件さえ満たせば、性比が9:1で肉体や知能等の性能に著しい差が有る生物が、知的生物となっていてもおかしくはない。

とすると…

例えば性比が男:女=100:1で、

男は強い肉体と高度な知能を持ち、女は殆ど動く事無く知能も犬猫程度で止まるただ産み続けるだけの知的生物社会はどうなるんだろう。

その場合メスは間違いなく保護対象になって、100人の男で1人の女を命がけで守るって社会になるはずだし、

文明が発達する過程で起きる戦争では、男総出で敵軍の女を殺すか奪うかする、という戦い方になるんだろう。

あとより強力な種として残るために、女に受精させる男はその時代ごとの基準で厳正な選抜を行って決められることになるんだろうな。

文明レベルが上がるにつれて、その基準が筋力から知能に変わっていくんだろう。

あと色々想像は出来るけど休み時間がなくなってきたかメモ

犬猫程度の知識しかない女は、ずっと輪姦対象として扱われ続けて、相当文明レベルが上がらないとその状況を脱する事は無い。

品質な女は人類の宝レベルで貴重なので権力者の所有物になる。

女と交尾できることは滅多にないことになるので基本的ホモが当たり前の社会になる。

子供の育成は社会単位で行う形となり、血のつながった親子という組織基本的存在しない事に。

ただし社会の中で3,4人程度の小規模グループを作り生活するのは合理的なので、何らかの形で男だらけの家族という物は形成される。(皆血は繋がっていない)

超強大な権力者は高品質な女をマワし続けて自分の子孫を大量に作ることになる?そうなったらその後の社会はどう変化する?

資産相続とかってどうなる?

犬猫程度の知性しかもたない女に対しても文明レベルが上がれば男女機会の平等が謳われるようになる?

等々

2022-11-24

[]マスダアオXムシのフェンシング

マスダアオXムシは卵胎生海洋生物である

まれてすぐ遊泳する能力必要な、この動物は体内で子供を育む子宮といえる器官をもっていた

特殊なのは、その持ち主で、固着生活の段階に入ったオスの幼生なのである

まだ脳神経細胞の発達していないオス幼生にメス成体が自らの子宮を埋め込む

そしてオス幼生が性成熟した後になって受精が行われてオスが受け取った子宮で育った子供が生まれてくる

免疫問題もあって幼生が相手でなければ子宮移植は上手くいかないらしい

マスダアオXムシの祖先種は雌雄同体で相手栄養負担の大きいメス役を押し付け合う生態をしていたのだが

子宮と卵を作り出す役と体内で育てる役を分担することで雌雄異体に分かれながら雌雄の争いを終わらせたと言われている

anond:20221124200132

白人結婚した日本人の無敵感凄いよな。目キラキラしてるというか。

実際子供幼児の頃から早々にモデル事務所入れる人多いし。

生物としてはとりあえず間違いなく「勝った」、生物として最上級の血を手に入れたという確信あんだろな。

思い通りにいかないとき

一般に、人は思い通りにいかないと、挫折感を味わったり、不満に思ったりする。その感じ方の程度には個人差があるし、状況によっても違うのだろうが、何も感じないとか、むしろ嬉しくなるとかってことはほぼないだろう。

人に限らず動物でもそういう感覚はあるみたいだ。犬など、一部の動物では確認されている。

生物全体がそうなのかはわからない。

不思議なのは、なぜそう感じるように進化してきたのかってことだ。

思い通りにいかないのは普通のことだ。生きていれば、何かしらうまくいかないことはある。

なのに、なぜそこでいちいち不快に感じるように進化してしまったのだろう。

欲求不満フラストレーションを抱くのは、生存必要不可欠なことなんだろうか。

最近聞いてるポッドキャスト

ゆる言語学ラジオ

オタク二人がワイワイ言語とかうんちくについて話してるラジオ、おもろい

すごい進化ラジオ

大学講師と生徒がワイワイ進化とか生物について話してるらじお、おもろい

ペテンナイト

大学生二人がワイワイ宇宙について話してるラジオおもしろ

化学ラジオラジオサイエンティ

アナウンサー大学講師芸人の二人がワイワイ科学につい話してるラジオおもしろ

2022-11-23

おじさんの性欲とちいかわをかけ合わせた生物を作りたい

anond:20221123002244

全然違う、その主張は「相手を殺す事」にフォーカスが当たりすぎている

負け組男っていうのは成功体験がとりわけ少ない

筋トレをして格闘技を学ぶ努力の土台の上に乗っかった「こいつなら徒手格闘で殺せる」っていう主観とそれに由来する自信によって精神的優位性を確保することが大事なんだ

ガソリン刃物をいつも携帯してるなら精神的優位性は担保出来ると思うが、それらを携帯することは負け組社会的生物としての本格的な終わりへと誘う

ガソリン刃物がないと殺せない」よりも「徒手格闘でいつでも殺せる」精神的な支柱は、社会生活で舐めた態度を取られやす負け組にとってはとても大切な事なんだ

それは「最悪の場合徒手格闘でこの人を守れる」という良い意味での人のつながりにも役に立つ

実例としてドランクドラゴン鈴木拓ブラジリアン柔術黒帯を取得したことでどんなにムカつく相手でも「コイツブラジリアン柔術でいつでも殺せる」と思えることで精神的支柱を獲得できたし、マンシュウキツコも「コイツムエタイでいつでも殺せる」と思えることで社会生活が生きやすくなったと説いている

anond:20221122223845

女性理系コミュ障でも自己説明能力くらいはあるやつが多い。自己主張ができる。

男性理系自分取説自己主張も生まれつき行方不明なヤツが多くてこまる

自分生物であることを忘れて歯車になろうとするやつがおる

まあ女性で最低限の自己説明能力がないと小学生でも女の子という複雑系から早いうちにはじき出されてしまうってのもあるけどね

わたし理系が合っているかも」さえ発見できず、できても自己主張を受け入れられなくて低学歴でおわってる「リケジョ」になれなかった子が昭和は多かった

その非対称性たるものひどかったよ

今はよかったね、発達障害だのレッテルさえなくてわたしがいるべきはここじゃないってもやもやしたまま死ぬしかなかったころにくらべると

アファーマティヴが不公平だとおもってもリケジョにたどりつけてる時点で説明能力理系にしてはたかいことが証明されてるんだから

男性もうけいれたほうが得するんじゃないの

2022-11-22

anond:20221122101101

妙なトカゲや鳥でも動物園大事に養われてるから動物園本質は、自分自分であることだけで価値を産める人ばかり、ってことだろう

その中でパンダは園全体の顔になるわけで、まあ実社会ならスーパースターだけで特殊ってのはわかる

競走馬は生まれときから競走で、常に努力をし続けて、わずかなハナ差決着で肉になったり何億貰えたりする

機会は平等だけど、血統である程度の能力は決まってしまうのは残酷

公立からディープインパクトは出てくるけど、そもそもそこまでトレーニングして、走って勝たなきゃいけない時点で生物としては二流

パンダになりたくないパンダ、ってのは観光牧場とかでイベントやるやつで、負けても肉になったりしないくせに、15時からダチョウレースやりまーす子豚のレースやりまーすみたいなあれだろ

2022-11-21

女ってひょっとして

頭脳労働でも男に劣ってるよな?

生物的に劣ってんの?それとも甘やかされてきたから練磨されてないの?

2022-11-20

アンパンマンって生物なんかな

生きてるように見えて動く屍なんじゃね?

そう考えるとすべての辻褄が合う

自分の頭を食わそうとすることも

anond:20221120141951

今はまだ、人口が減り始めてる国より、増え続けてる国が多いから、トータルではまだ増えているのだけど、

人口が減り始めてる国だって、かつては増え続けてる国だったんだよ。

まり、遅かれ早かれ、すべての増え続けてる国は、人口が減り始めてる国へと変わって行く。

既に、昆虫はこの40年で寿命が半減している。

人間以外の生物も滅亡へのカウントダウンが始まっている。

anond:20221120134740

地方に残って家持って子供作ってるヤンキーの方が生物として優秀論が

いわゆる見下しの一種であることに気付いてしまたか

ちなみに、マイルドヤンキーはこの皮肉には気づかないという部分も含めて見下しである

なんだっけ。忘れないうちにメモ


最近ゴッホ絵画など芸術作品トマトスープをかけたり、ウォーホルアートカーに小麦粉をかけたりする気候変動対策を訴えながら過激抗議活動が耳目を集めている。

ブクマもよくされているが、ほとんどが環境テロ、という認識で眉をひそめたコメントにあふれている。

もちろん許されない犯罪として国内外報道されているわけだが、しかし、海外メディアでは、テロという表現ラベリング)は少なく、抗議団体自称するCivil resistance市民抵抗)という表現を紹介していることが多い。正直、この種の活動で昔から有名なグリーンピースもそうだが、テロ呼ばわりされてもおかしくない運動ではあることは確かだが、報道ニュートラルに構えているのだろう。

そんなおり、斎藤幸平が、「ゴッホ名画にスープ投げ」を理解しないのは、日本人想像力の欠如だ、と述べてブコメから総すかんを食らっていたのをみかけた。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/631285

しかそもそもテロという認識日本では強いのはわかるけれど、実は欧米での反応というのはそれほど強くなく、むしろ彼らが自称するCivil resistanceへの一定の理解の上に立った報道も多く見受けられるように思える。

https://time.com/6234840/art-climate-protests-margaret-klein-salamon/

そして、よく考えると、そもそもテロまがいのデモというのは、現代人権歴史を振り返ると、一定程度、社会変革の不可避な副産物として、憲法などのシステムビルトインしてきた経緯がある。典型的かつ最初の事例は、20世紀初頭の資本主義社会における労働環境を前提とした社会権。

この問題は二つの視点から興味深く、注視している。

ひとつは、抗議のコンセプトの抽象性。

もうひとつは、抗議運動市民社会的な価値

抗議運動抽象性について。

https://artnewsjapan.com/news_criticism/article/508によると、世界的な環境活動グループ「Extinction Rebellion」の共同創設者であり、ジャストストップ・オイル活動に加わっているサイモン・ブラムウェルは、アートニュースインタビューで、若い活動家がこの抗議行動のスタイル選択した理由を次のように説明する。

「これはアートの美しさを否定するのではなく、今の私たち優先順位絶対的おかしいということを言いたいのです。アートに美を見出しギャラリーを訪れる人たちがいる。にもかかわらず、消えつつある太古の森の美しさや、日々絶滅していく何百もの生物たちには目を向けないのです」

アートの美しさを否定しないといいつつ、美の概念の相対化というか、再構築といった意味では、形而上学的な禅問答である

この説明を聞いて、素直に納得できる人の割合が多いか少ないか、という視点でみると、ヨーロッパに比べると恐らく日本人は少ないだろう。

アリストテレス時代から愛だの美だの徳だのといったことをテーマに発展した形而上学から学問が枝分かれしてきた欧米と、近代以降のすでにたこつぼ化した個々のジャンルとして完成形をみた成果を受け取ってそれを解読して発展してきた日本では、こういう抽象的なテーマの抗議の趣旨理解できるのは圧倒的に少ないだろうと想像できる。

これは、作品の美の価値が分かればわかるほど、スープをかける行動の意図もわかる、という構図でもあり、実際、被害を受けた美術館環境問題の意義に言及するなどしている。作品に接したこともなく、それこそ「ウォーホル」だ、「ゴッホ」だと資産的な記号程度にしか理解していない人ほど抗議行動の意図自体を測りかね、なんじゃこの奇行は?という反応になっているようにみえる。

そういう意味では、当然、環境急進派の行動は、そもそも抗議の意図が分からない地域では成功しない(日本ではテロ以外の認識は生まれないだろうし、絶望的に無理だろう)。

しかし、欧米では、意外と功を奏しているのかもしれないと思える。感心はしないが、ああ、なるほどね、くらいの素養のある人は日本よりは多いだろう。

おおざっぱにいうと、日本人経験から教訓を得て社会設計をしていくのが得意。いわば帰納法的な解決が染みついている。一方、欧米、ひろくラテン系言語圏含めて、日本人とは比べ物にならないほど、なにかにつけ演繹的な入り方をする。言葉定義からまり指導原理を引き、タスクを明示する、という物事の進め方へのこだわりが強い(日本人自分からみると)。

組織でも、経験常識が共有できていないと不安なのが日本人

一方、構造化された概念ルール化された行動原理(法)にのっとって行動する、という相互の信頼がないと不安なのが欧米社会。そこに、デモ過激運動の機会に、自分たちが共有していない別の概念オルタナティブとして提示されたときにみせる反応というのは、おのずと異なる。


そのもうひとつ理由が、市民不服従という考え方や人々の認識の違い。

日本人社会迷惑をかけるのがとにかく大嫌いなのだ

欧米では、恐らく日本人想像している以上に、Civil resistanceというアプローチ自体価値社会変革のダイナミズムとして認めている。

それが今回の場合、限度を超えたものであり、法的に違法である、というときに、運動趣旨理解はするが違法である、という具合に飲み込みながら。

この違法性というのは、実は重要視点。それを理解するには、市民社会根本から支える憲法など、法について考えないとわからない。

近代から現代20世紀に法の考え方が近代法が大きくバージョンアップした際に、社会権が組み込まれたのは、中学生で習う話。

日本学校では昔から社会権を生活保護など、上から目線な形で教えてきた傾向があった。

しかし、社会権のうち、争議権を思い出してみればわかるように、実際はボトムアップな契機をはらんでいる。

他者危害禁止近代法の原則をはみ出した形で、ストやピケなど市民的な抵抗暴力性を認める市民権が存在する。

考えてみれば、他者に損害を与え暴力的な行動をとっていい、というのが「労働」に関してのみ例外的憲法に組み込まれている、というのは、よくよくなぜなのか歴史を知っておく必要がある。一歩間違えれば、革命トリガーになりかねないボトムアップ暴力。これをあえて憲法に明記するのは、明記することでコントロールしたいという、上と下のせめぎ合いのようなものも感じる。しかし、なんだったらいつでも政府おかしければ転覆して革命をおこせるんだぜ、と市民に思わせておく、オーナーシップ感覚絶妙バランスで持たせる機能果たしているともいえる。

マルクス時代、そしてワイマール憲法時代社会権を育んできた思想運動社会歴史のなかで、当時「労働」が最重要課題で、社会権の大きな柱として考えられたのは自然な流れだっただろう。抵抗暴力は、労働問題を争うツールであるというのが20世紀だった。しかし、抵抗暴力資本主義社会のなかで、たまたま労働キーワードになっただけであって市民社会としては、労働である必然性はない。20世紀には「環境」といったテーマシステムビルトインされなかったわけだけど、80年代後半にブルントラント委員会が「我ら共有の未来」といって今日SDGの原型となるコンセプトを立ち上げたときに、労使間に代わる、世代間の闘争といったことがテーマになりうることはうすうす予測がついていたように思う。

なので、抵抗暴力労働問題ではなく、環境をめぐる世代問題だとしても、その新たなムーブメント市民社会における意義が注目されるのも自然な流れだ。

ここで、はい違法です、はいテロです、といってしまうのは簡単だが、思考は停止する。


一方日本では。

労働」というキーワード戦後日本ははじめて市民不服従権利を手にした。市民社会における抵抗という考え方に「労働」というコンセプトが、時代要請でむすびついていた、というのは押さえておくべき文脈

GHQの五大改革から。勤労者から労働者への主体認識の転換。

しかし、その権利過激行使は、1950年代から60年代大衆の心を猛烈にイラつかせた。

日本高度経済成長を支えた大手企業は、大規模な争議に悩まされた。

民間では、1960年三井三池炭鉱紛争など半年を超える争議も珍しくなかった。しかし、ほぼ100%ユニオンショップで、従業員全員が労働組合員という会社組織風土のなかでは、会社家族みたいなものであり、労使一体みたいなのが当たり前であり、60年をピークに民間の争議はピークアウトする。そのなかにあって、国鉄だけは年中行事のように、順法闘争ストライキを繰り返して市民生活に甚大な影響を及ぼし、会社のみならず社会的に損害を与えた。さらベトナム戦争反対や成田闘争など、新左翼政治闘争が加わっていくなかで、日本人のいら立ちは頂点に達していく。

国鉄やら共産党やら新左翼にひどい目にあわされた、という日本社会のこの経験というのは、争議だなんだといっても社会迷惑をかけてはいけない、という教訓を強く残し、憲法に組み込まれ暴力的な契機をできるだけ抑制的にするべきだ、という認識支配的になるきっかけだったんだろう。1973年最高裁は、それまでリベラル保守裁判官の間で揺れ動いていた官公労組の争議権の是非について、完全に保守化の方向に舵をきり、封殺する結論に至る。公労協のスト権奪還スト(1975年)を時代の潮目に、公社民営化路線が進められていく。争議権だかなんだが知らないが、憲法に書いてあったとしても、市民としては正直、うんざりしてしまったというところだろう。戦後、長い間、政治闘争旗手として大きな存在だった総評、そしてその大半を国労が占めていた時代は終わる。

ということで「労働」をキーワードにせっかく手に入れた不服従暴力は、迷惑をかけんじゃねーという市民社会常識を繰り返し強化する経験を重ねることにより、空洞化した。

その後の日本社会では、エスタブリッシュメントと化して長い間、社会運動の先頭に走っていた労組が今度は勢いを失うと、どういうことになるか。

例えば、正規雇用非正規雇用ギャップみたいに新たな問題が浮上してきたとしても、ユニオンショップ非正規も入れてあげたほうがいいんじゃない?、という手続き的な、上から目線的な議論の仕方に収れんしてしまう。日本社会があまりにも保守化してしまって、そもそも争議という暴力的な手法は何のために憲法というシステムに組み込まれたのか、根本的な思想がわからなくなってしまっているようにも思える。言い換えると、憲法さらメタ視点からとらえる思想的な背景がさらに弱くなっている。

歴史を振り返ると、20世紀初頭、メタ視点があったからこそ、資本主義社会の現状と課題に即して、社会権という新しい権利が組み込まれたのだが、現行憲法を頂点とし、人権普遍性憲法の最高規範性を強調してしまうと、憲法思想根拠はと問われたときフリーズしてしまう。日本では制憲者の意思議論は起こらず、代わりに基本書読め、といってなぜか憲法学者に振られるのが定番。(制憲者があいまいなのも諸悪の根源かもしれないし、ステートに対するネイションオーナーシップの違いとも思える。)

欧米環境運動というのは、あるいはLGBTも同様だけど、恐らくそうじゃないんだと思う。

既存規範に書いてないものであっても、新たなムーブメント意味真剣に見極めようとする思想文化があるんじゃないと思える。

そのムーブメント暴力性を違法認識しつつも、時代ダイナミズムとしてとらえようとする、というか。

繰り返すと、

・美の概念など、概念の構想力、概念について深く考えたがる文化の違い。

憲法など国の根本的なシステムアップデートするのに必要社会ダイナミズムへの関心の低さ。

この二つをひとまとめにして、斎藤平氏のように想像力の欠如といってしまえるのかもしれないが、因数分解すると、社会設計をするのに基本的重要な2つの能力、この二つには欧米社会と大きく差があるように思える。

anond:20221119235921

前生物学とか勉強したことないだろ

とりあえずググってみろよ

例えば「同性愛婚は違法」ってのは科学の話じゃなくて社会通念上の話だろ?

それと同じように「兄弟間の近親相姦(妊娠しない年齢)はダメ」も社会通念であって生物普遍原理ではない

社会通念である仮定しても、「年齢によってはそれは単なる学習上生じた行為」という説はある

2022-11-19

anond:20221119232422

年取ると人がどう思うかどうでも良くなるんだよな。社会的生物から報酬系に忠実な動物に戻っちゃうのよ。よいよいなのに免許返納せずに歩道走って子供轢き殺すじいさんが究極系。対応策は殺すか離れるかどっちか。

筒状の容器に生き物が入ってボコボコ泡が出るやつ

治療ポッドとか、培養液とか言われるやつ。

 

覚えてるもので一番古いのは、火の鳥未来編に出てくる人工生物を作ろうとしてる博士のやつだ。

次にドラゴンボールフリーザ編で悟空ベジータ治療のために使うのがあった。円筒状ではなかったがボコボコはしてたはず。

うそう、ドラゴンボールセル培養に筒状のボコボコ出てきたよね。

映画版バイオブロリーにもボコボコあったし、ドラゴンボールボコボコ好きだな。

あとロトの紋章アランが異魔神に体乗っ取られて昏睡状態になった時治療ボコボコしてたよね。

FF6の魔導研究所にも幻獣から力を抽出する奴があった。

FFといえばFF7に出てくる、人間を魔晄漬けにしてモンスターにする装置もこれに該当する。

ワンピースにもジェルマのクローン兵を作るのにボコボコしてた。

ハンターハンターにも暗黒大陸犠牲者ボコボコしてるのあったね。ナニカに潰された死体かな?

 

他に何をボコボコしてただろう。

ていうかあれの元ネタはなんなんだろう。

2022-11-18

ひろゆきの過剰摂取を避けてトレジャーハントしたい

人を尊重することとは何を意味するか。

俺の定義は、そいつ自身に何かを考えさせてユニーク情報を生み出させることだ。

山田太郎くんが「僕、思うことがあるんです」と俺に伝えたとしよう。俺は太郎くんに興味があるから「話してごらん」と聞き返したくなる。

ひろゆきのつまらないところは「なんでも質問してください、僕が言うことは正しいので、答えてあげますよ」のスタンスだ。

かにひろゆき個人の考えにも俺は興味はある。

ただそのスタンス情報を生み出し続けるとすげー飽きてくるし、社会の少なくはない数が影響を受けていると思うと少しおぞましい。

ひろゆきを過剰摂取したくないのである

それにゴーストライターが書きましたなんていう雑な本は読みたくないのだ。

読書をする場合、少なくとも1周目では頭の中で自分意見はさみたくないのだ。ありのまま情報摂取したいのである

そうやって1周してみれば論破するなんてどうでもよくなる。著者なりの文脈の中でその情報を生み出したのだから、よく観察すれば何かしら尊重できる側面を見つけることができる。

要するに自分を中心に据えすぎる世界は俺にとってつまらないのだ。色んな人の色んなユニーク情報を見て、その生態系を観察するのが楽しいのだ。

生物ユニークな特徴の観察が楽しいのだとすると、教祖情報の過剰摂取は人を尊重する行為から遠ざかっているし、なんならサブスクラバー0人のyoutuberを見つけ出してそいつらの意見というものを見てみたいのである

変わった生き物を観察して、その特徴を尊重し、その背後の環境理解するなら、知られざる存在にこそ掘り出し情報があると思うのである

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