はてなキーワード: 反省とは
みたいなこと言ってるのに気づいてるか?
一大コングロマリットでアジアでの奴隷貿易の仕組みづくりに貢献したイエズス会と
どっちがより邪悪だよ
後で反対の立場に立ったとしても免責されるわけないだろ
https://anond.hatelabo.jp/20240619014605
本文)
キャンセルカルチャーの問題点は、「悪い・正しくない」と思う倫理が内発的なものではないことなんだろう。
どこかで知った聞きかじりの「教養」に発するものだから、キャンセルすることでなんとなく自分が「正しい側」にいることに内心満足してしまう。「正しい側」にいるというのは安全地帯なので、いくらでも無知な人を罵倒し、笑い飛ばせる。その教養は実際のところ、★のたくさんついたブコメかもしれない、その程度に知った教養でも安全地帯に入った感覚を得られる。
つまり、「いーけないんだいけないんだー、センセにいってやろ」のアレと大差ない。
その程度の教養と正義感で、MVを取り下げ、ミュージシャンを謝罪に追い込む社会なわけだね。
かつて、なだいなだが、ケシカラニズムといって、理性的な正義と感情的な正義を区別し、自分のことでもないくせに感情的な共感によって主語がでかくなるのが感情的な正義の特徴だとした。そのことで人々がプロパガンダに流されやすくなる、という趣旨のことをどこかで書いていたのを思い出す。
もうひとつ思い出したのは、2年くらい前、
のなかで、人権とかマルクス主義とか、外付けされた倫理は歯止めが効かず暴発する、ということを内田樹がいっていたこと。
コロンブスとナポレオンが他所に乗り込んでそこにいた猿を使役したり自分の文化を教え込んだりする描写になんとも思わんのかお前はw
というのがあるね。
正直、なんとも思わないね、というのが俺の感想だし、植民地主義への反省なんていっても、外付けの反省どまり。
俺の中では、このMVはたわいもなくみえている。そんな他愛のないものを批判したくなるほど自分のなかで植民地主義批判は内面化されていないわ。
そんなことをいうと、すぐにいろいろな知識を開陳して説教したくなるサヨクがぼうふらのようにわいてくるんだが。
むしろMVのなかで、不快に思ったのはそこではなくて、ナポレオンなどの人物たちが「Monkey Attack」というビデオを鑑賞するシーン。負傷していまにも死にゆくハチマキをした類人猿の兵士を抱きかかえる類人猿の兵士、その場面にビデオ鑑賞していた皆が涙する、という場面だが、このシーンは、旧日本軍の兵士を連想させられ、ビデオ鑑賞で感動ポルノを消費するという行動にはイラっとさせられた。
類人猿をベートーヴェンが指導したり、人力車にひかせたりというのには何とも思わなかったのに、このシーンだけは嫌な気分にさせられた。
そう、まさに「つまり解釈の余地があるんです。」という感じなんだな。モンキーアタックビデオへの不快感はあるものの、袋叩きにしてやり込めるほどのものではない。他愛もないMVだよ。
rna氏は、ネット上では一斉に右向け右で「文明的なコロンブスたちが野蛮な猿人たちに文明を伝え、教化し、啓蒙している」という構図が大勢を占めているようだが、そうは解釈できないと述べている。
Mrs. GREEN APPLE「コロンブス」MV 問題、マジわけわかんねぇ (追記あり) - rna fragments
もっとも俺も若い頃、20年くらい前までは、人権の歴史を教科書通りに学んで、それを教養として広めていけば、外付けされた倫理は共感を呼んで広まっていく、みたいに素朴に思っていた時期があった。
https://lady-joker.hatenadiary.jp/entry/2024/06/16/011301
みたいなことを素で思っていたというか、それこそ20年前のはてな草創期の「何とかidさんの日記」にはそういうのがあふれていた時代、、はてなにははてサと言われる人たちが多かったのだろう、そういう人ともつながった。
しかし、いつしか違和感を覚えるようになった。特に、歴史修正主義というドイツで使われた文脈の言葉を安易に日本の南京虐殺否定の文脈で使うことが一般的になり始めたころ、はてサという存在が疎ましくなっていった。
俺の違和感の正体は、結局のところ、歴史の文脈のなかで生まれた言葉には、その歴史に紐づいた反省があり、過去への抗いがあるはずなのに、いつしか「教養」として普遍化するなかで、その歴史の固有性が失われ、あたかもハンディな批判ツールになり下がることだった。
村上春樹が2009年、イスラエルの文学賞を受賞したとき、はてサは一斉に授賞式に出席しようとする村上を引き留めようとし、攻撃した。出席することは共犯を意味するとまで言った人もいた。そのとき、村上氏は自身への批判を受け、それらの情景を正論原理主義といった。パレスチナの人たちとの現実の接点をもたずに、パレスチナだ、ガザだ、人権だと漠然と騒いでいる、ごく普通のひとたち(私たち)の”寄り添い”は本当に軽いものだ。共犯という言葉も軽い。イスラエルに赴いて「高くて頑丈な壁と、それにぶつかって割れる卵の側では、私は常に卵の側に立つ」と現場で話をした村上春樹の言葉のほうがよっぽど覚悟が必要だ。それでも村上春樹を攻撃する様子をみて、俺はだんだん嫌気がさして、ブログからフェイドアウトしていった。
(追記2)なお歴史修正主義に関して、以下のブコメが目に留まった。
tick2tack ???/ 外付けの倫理の話なのに2行目で教養の話になってるのはなに。/ (歴史)修正主義という言葉は50年以上前からドイツ関係なく使われてる。
すまんが、ズレてるぞお前さん。こういうのってさ、ちょっとでもファクトチェックしてもらう手間を惜しまなければわかることなんだよ。ドイツで生まれた修正主義はその後、ソ連や中国などの共産主義社会で使われていった。イデオロギー的な対立が強い国では、ある視点や政策に「修正主義者」というレッテルを貼ることで、それを委縮させることを狙ったわけだ。
つまり信奉するイデオロギーから逸脱した奴を侮辱して叩く、こん棒として便利に使われるようになっていった、というのがお前さんのいう「50年以上前からドイツ関係なく使われてる」の実態だからな。それが90年代後半、新しい教科書問題以降、日本で使われ始め、00年代半ばには定着した、というのが俺の理解。完全にこん棒化した、っていうのが歴史修正主義の使われ方の変遷だ。「相手に対する敵意と侮蔑」そして「俺たちが正しい」以外なにも読み取れない用語になり果ててるわけ。そりゃwikipedia書き換え合戦になるわな。だから俺はこの用語が嫌いなんだよな。
(/追記2)
お前、そんなこともわからないのか、そんなことも知らないのか、といって得意げに歴史や知識を開陳する態度。
てめえだって大して現実味のないことに対して義憤を抱いてるにすぎないくせに、この尊大な態度。
サヨクに対する嫌悪感は、ここに尽きる。キャンセルカルチャーは、無力なサヨクが得意げに知識開陳して自己満足する場になってるんだよ。
言葉の軽さはどこからくるのか。ヒントになるのは、前述の内田樹の文章。
永井:それで言うと、私は本当に「人権」というものを外付けしたタイプだと思います。大学1、2年の頃、大学で平和学の授業を取ってたりしたのですが、そのときに、何が幸福なのか、他人が何を考えているのかなんてわからないと思ったんです。そして陳腐ですが、みんな正義も正しさも違うよねともやはり思いました。
じゃあ何を拠り所にしたらいいのだろうと考えた結果、「そうかそうか、人権というものがあるのか、みんな賛同してるし普遍性高いじゃん」となりました。普遍性が高いなら、「人権が著しく侵害されているのであれば、これは問題だ!」と堂々とみんなに言うことができる。そうして私は良くも悪くも人権というか権利しか見ない人になっていったわけですが、それは本当に「外付け」だったと思います。
「これは問題だ!」と深く自分のこととして考えもせずに簡単にいえてしまう、ここにこそ問題がある。
そういう義憤の正体って何だろう。
最近、朝日新聞の人生相談に回答した野沢直子に対して、それを朝日新聞記者のコメントともに、冷笑と受け取って批判している記事があった。
[B! 報道] 読者を小馬鹿にする記者の態度にビックリ…野沢直子(61)の「悩み相談」騒動に見る“朝日新聞の冷笑主義” | 文春オンライン
https://digital.asahi.com/articles/ASS5K30WGS5KUCVL02MM.html?ptoken=01J0FYBDAZQF5YH5MPNMCJH3QA
「不正義や理不尽な行動を伝える新聞報道を見るたび、怒りに燃えて困っています」とかいう50代の男性の相談。
私個人は、野沢直子の回答の感覚に近い(あ、俺はトランプ支持者じゃないけれどね)。現地に行ってみろと。行けば当事者意識を持てるから。
これは冷笑でもなんでもない。正直、野沢直子の回答を冷笑と捉える文春の批判のほうが今の時代の病を表現していると思った。
新聞で得た世界の出来事をいかに正義の言葉で嘆いても、その切実さは現場の人の感覚とは何も通じ合っていないかもしれない。
かつて、北アフリカのスーダンで、ダルフール紛争と呼ばれる、政府系の集団による虐殺が国際問題となったことがある。
日本のブロガーも反応し、かつてFinalvent氏がこの知名度の低いこの問題を何度も取り上げ、意識を高めようとするべく、記事をお書きになられていた。
最初は、自分の啓発もかねて弁当氏の言説に注目していたのだが、しかし、その後、私自身が北アフリカ地域に仕事上関与するようになってから、スーダン人とも仕事をしたし数多く知り合いになった。自分なりに関心をもって現地で情報を集めてみると、国際的に展開されているセーブ・ダルフール・キャンペーンは次第に異なる運動に映じるようになっていった。
それは当時のバシール大統領の断罪をはじめ、現地武装性組織の悪業を過剰に喧伝する国際NGO特にアメリカのNGOのキャンペーンのやり方に対する違和感だった。紛争の実態はもう終わっているにも関わらず紛争が継続しているかのような言説が多く、過剰かつ単純な演出によって集められた資金は、NGOの広告費に回っているという話まで聞いた。
正しい、とみんなに思い込まされていることでも、プロパガンダが功を奏しているだけかもしれないということだ。
弁当氏がその後、一貫してスーダンに注目していたかどうかは知らないが、やがて同氏の記事の傾向が変わり、国際問題にはほとんど言及されなくなっていった。
今、現在、スーダンの置かれている状況はというと、2023年に始まった国軍と準軍事組織「迅速支援部隊(RSF)」による内戦により、ダルフール紛争の比ではない、深刻な国内避難民が発生している。2023年末時点で国内避難民が905万2822人。これはスーダン人口の2割に相当。2003年の世界最悪レベルの人道危機と言われたダルフール紛争のときですら国内避難民は100~200万人というオーダーだったので、それをはるかにしのぐ難民が発生している今の状況がいかに危機的かがわかる。
しかし、俺は思う。当時、弁当氏のスーダン記事を読み、義憤を抱いた人の何割くらいが、現在進行形の危機を憂いているだろうかと。エジプトとトルコはスーダン国軍支援、アラブ首長国連邦はRSF支援、このように中東の中堅国らは、自分たちに好意的な顧客を武装させながらも、和平を口にする、いわば代理戦争の様相を呈している。
ただ、一方で、外付けの教養には意味がない、とは思わない。しかし、植民地主義の歴史を知るとか、外付けの倫理をいかに理解しているかという意味ではない。
普遍的な価値として、人権を外付け実装してきた日本人である自分自身がいかに受容してきたのか、それを踏まえて自分の生きる社会をどうしたいのかを知ること。
そのルールや規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要があると思っている。
表現の自由ひとつとってもそう。表現の自由って大切じゃないか?と少しでも思ったら、それを所与の普遍的価値だから、と思考停止しないでよくよく考えてもらいたい。
なぜアメリカの判事は歴史的な判決のなかで、空気が濁っているほうが社会は健全だといったのか。なぜフランスでは神を冒涜することが権利なのか。
なぜドイツではホロコーストの否定は表現の自由に当たらないのか。日本は公共の福祉の解釈としてそれらをどのように受容したのか。表現の自由が失われると何が恐ろしいのか、それはそれぞれの社会の文脈がある。少なくとも自分の社会ではそれは何なのか、それを知ること、それこそが教養というものだと思っているし、理性的な共感というものだと思う。
少なくとも俺が思うに、日本社会においては、冒頭のケシカラニズムが政府にとって都合よく操れる心情だろう。
表現の自由が失われることによって立ち現れる社会では、こういう感情的正義がますます膨れ上がるだろう。
表現の自由が失われることによって立ち現れる社会は、「これが正義だ!」とみせられるとすぐに無教養な人々を煽り立てることでき、簡単なプロパガンダで誘導することのできる、政府にとって都合の良い社会ということになろうかね。
MV叩いて知識開陳してマウントとってるサヨクもそれで満足ですかね。まあそういう奴はそういう時代がくれば、アカ狩りで共産党員と不倫していたことをネタに糾弾しているかもしれないし、体制寄りになってるかもしれないけどね。
世界中、世の中でいろいろと深刻で理不尽なことが起きているなか、そういう諸々には無関心で当事者意識もないくせに、「教養ある人」が突然ポリコレし始め、他愛もないMVの植民地主義的な傾向にかみついて、そうだそうだとみんなして一斉に同調した結果、MVの発表取り下げに至る、という構図は学級会のつるし上げそのものだ。
サヨクは知識マウントできて満足だし、日ごろのストレス発散になったことだろう。
朝日新聞に人生相談をした「不正義や理不尽な行動を伝える新聞報道を見るたび、怒りに燃えて困っています」という50代の男性も、MVをぼこぼこに叩いて満足するくちかもしれない。新聞を読んで中途半端なポリコレ意識をもてあましている、という輩に対する処方箋としては、野沢直子の回答はこれ以上ない的を射たものだと思った。
類人猿の見た目から、猿の惑星をモチーフにしてるなとは感じた。
ただ、元がコロンブスなのに猿の惑星は直接の繋がりはないので、これは邪推だけど、「いかにも原住民」な姿にすると炎上要素が強すぎるので、猿の惑星にすることで批判をかわせると思ったんじゃないかな。反省文では、批判の可能性について当初から考慮していたと言及もしてたしね。当初はある意味「配慮できた」とさえ思って満足していたかもしれない。
反対してる立場が長ければいいんだー
どんなに悪いことしても後のその組織の反省の時間で免責されるのね?じゃあもうドイツも日本も先の大戦について謝らなくていいね。
コロンブスも晩年反省してたかもしれんよね? それはどうやって検証したの?
http://www.tufs.ac.jp/common/is/kyoumu/pg/pdf/244_romulo_youshi.pdf
(②反省)の「良くないなと反省しました。」の「良くない」というのは、「(現実の出来事をフィクションと重ねた発言が、意図せずとも結果として町長の名誉を傷つけてしまうことに繋がってしまったので)良くない」ということだと読み取ったんだが、何か違う解釈がありえるのか??つまり、町長に対しては普通に謝意を示してるんだと思うんだが。
コロンブスのMVについてはあっという間に公開停止になったし、ミュージシャン当人が謝ってるんだからそれで終わりにすればいいものを
グロテスクって言うけれどMVがグロテスクで何が悪いの?って思う。
自分は最近の音楽をあまり聞かないから、コロンブスのMVを見て連想したのはアニメ呪術廻戦2期の後期OP「SPECIALZ」のMVなんだよね
児童達が机に向かわされて五寸釘を打たされたり、渋谷にミサイルが落ちてきたりする。
原作に詳しい人の考察を見るに、どうやらアニメ2期の渋谷事変及びその後の原作の内容に沿って作られた含みのあるMVのようだ。
そう考えると実によく出来たMVだと思う
https://note.com/c__gr78/n/n80fed4361bf9
そういう事もあって、グロテスクだから悪いとは全然思えないんだよね
白人が先住民の土地に勝手に押し入り、労働力として酷使して教化してきた。相手を同じ人間として扱わず、劣った猿のようなものとして扱った
その通り。だからそういう現実を突き付けて、衆目に晒す必要があるんじゃないのか。
グロテスクだから駄目、では臭いものに蓋をして済ますのと同じじゃないか。
日本人は差別される側だ。コロナ禍のアメリカではアジア系に対する暴行が多発したし、アカデミー賞授賞式で白人受賞者が前年のアジア系受賞者からのオスカー像の授与を無視したのも記憶に新しい。その日本人がコロンブスを演じる事に意味がある。
コロンブスに対する批判で特によく分からないのは、日本人が白人を演じるのは名誉白人だとかいう批判なんだよね。
いや、だからいいんじゃないの?白人がそのまま演じたら単なる残酷な歴史の再現になるところを、
有色人種である日本人が演じるから、皮肉として機能してるんじゃないの?お前ら白人は有色人種より上位だと思っているんだろうけれど、所詮中身は同じ猿ですよっていう。良いメッセージだと思うんだけど。
多分、演じるのが黒人だったらもっと分かりやすく風刺として受け止められて絶賛されてたと思うよ?
日本人がやってもいない過去の悪行を、何故か白人と同じ目線で反省する事の方がよっぽど名誉白人仕草だと思うよ。
まあコカ・コーラという商品の販促に用いるにはどうよってのはあるだろうけれど、
それこそ西洋列強による植民地支配に対する(有色人種側から見た)糾弾と、(白人側から見た)反省って事で、グローバルな商品展開を考えたら寧ろ政治的に正しい表現にすら見える。
アニメも映画もドラマも見ずオナニーかネットサーフィンしかしてない~
いつか何か人生の本懐をとげて己の半生を思い返す日が来ても~
北村紗衣さんは草津町全体についてはどう思っているんでしょうか
において、元増田は以下のように述べているが、あまりに解釈が変だと感じたので元増田に疑義を呈したい。
言及している増田が消えるということで話題になっている北村紗衣さんであるが、過去草津町の冤罪事件について言及したポストについては、明確に黒岩町長に対して謝罪していると言えるだろう。
これはフィクションを現実に当てはめたことへの謝罪であって黒岩町長への謝罪ではないと言う声もあるが、
原文のまま読むとこうだ。
(①発端)
草津、イプセンの『民衆の敵』じゃん(地元の温泉に都合の悪い事実を公表しようとした科学者が、貴の町長の画策で「民衆の敵」認定される)。
(②反省)
あの後いろいろ考えて、実際の出来事を何でもフィクションに重ねて考えてしまう(「ああやって演出したら面白いのでは!?」)のは批評家はやりがちですけど良くないなと反省しました。ただし、あなたがこのタイミングでその話を持ち出してくるのは単純な嫌がらせだと思いますけど。
(③謝罪)
(④過去の振り返り)
意味がわからないですが、私はこの件について自分が訴えられる可能性は限りなく低いと思っています(1回の曖昧な論評で訴訟するのはかなり困難なのは経験上理解していますし、町長声明を読んでもそういう話ではないので)。それでも町長の名誉を傷付けたと思うから良心に照らして謝罪してます。
ご覧の通り、増田がとりあげた④は、「町長の名誉を傷つけた」ことを認めた上で、「謝罪してます」と、過去すでに謝罪した旨を述べている。
だが、②と③においては「実際の出来事を何でもフィクションに重ねて考えてしまう(「ああやって演出したら面白いのでは!?」)のは批評家はやりがちですけど良くないなと反省し」「ではおわびして該当ツイートを削除することにします」と述べており、明白に
ことについて反省し、謝罪しており、この時点で町長の名誉を傷つけたことについての謝罪だと理解することは、一般人の読解力ではかなり厳しいだろう。
つまり、発言主の真意はともかくとして、明文としては④において初めて「町長の名誉を傷付けたと思う」とでてきており、これは文章としては後付けと言わざるを得ない。
(もしかしたら文学博士様であったり文学部教授様の読解力を持ってすれば別の解釈ができるのかもしれないし、それを否定するつもりはないが。また、書き込んでないだけで内心ではそうお思いだった可能性もある。)
なお、最後の「それでも町長の名誉を傷付けたと思うから良心に照らして謝罪してます。」はかなり解釈が難しい。(過去、名誉を傷つけたから謝罪する、とは述べてないのに、すでに謝罪していると述べている。つまり、相手の名誉を傷つけたから謝罪する、とは純粋な文面上はどこにもでてきていない。ただ、発言主はそのように感じているかもしていないし、それは否定しない。)
議論において事実関係の認識に齟齬が出るのは良いことではないと思うので、指摘させてもらった。
【魚拓】北村紗衣先生(武蔵大学准教授)は草津町の件で一体何に謝罪したのか
から行った。
植民地でさんざん発展した奴らがこれからは植民地は悪いことですってなんの反省や賠償もなく言って、島国のmv程度のものを焼き始めるの面白すぎない?
コロンブス個人の行いとかポリコレとか以前に帝国主義と植民地支配、もっと簡単に言えば侵略や奴隷制(を肯定的に描くこと)がダメだなんて四則演算レベルの常識だと思うけど
別に解散も賠償もしなくてよくて、しばらく静かにしてればいいだけ。
下手に反論したりキレたりすると反省してないって言われて火事が長引くから、もうさわらないで自然に消火するのを待ってみてね。
なんだこのゲーム。
全然あがれなくてキレながらググったら「麻雀は単純計算で4回に1回しかあがれません!あがれないのが普通なので認識を改めましょう!」とか説教された。
0.1秒だけ納得しそうになったが、そんなゲーム何が楽しいんだ?どんなに何切る読んで牌譜検討して押し引きに頭悩ませても気持ちよくなれる瞬間が4回に1回て。コスパ悪すぎ。
友達とやるなら誰があがって誰があがられてってだけでゲラゲラ笑えるけど、赤の他人とのネット対戦じゃ自分以外の人間があがってもムカつくだけじゃん。
だいいちフィードバックがクソなんだよな。
他のデジタルゲームだったら「ここでこの入力をしてなかったからこれができなかったんだな」って明確な反省がしやすいじゃん。
麻雀はなんだよ。どこまでも運が付き纏ってくるせいで自分が悪いのか運が悪いのか分かんねえじゃねえか。
攻めすぎなのか守りすぎなのか知りたくても「和了率や放銃率はウン百局しないと統計として役に立ちません」じゃねえんだよ。今不調だから今なんとかしてえんだよ。でもどうせあがれんの4回に1回だしな。別のゲームやるわ。
@Jogrruppe
「破滅に向かって進む人間の背中を無責任に推すことは残酷だ」と。
貴方が無責任にも、スペースで繰り返し、無条件に肯定し続けた相手は今、どうなりましたか?
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@_KamaNeko_
私はもう1ヶ月以上は暇空さんのことに、言及していないかと思います。
なぜなら、日本国内でも国外でも、暇空さんのこと以上に今は言及すべきことがあるからです。
堀口さんやColaboに関わることで、大きな動きがあればその時は言及するでしょう。しかし、ここ最近はそれらのこととは無関係の方と
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@_KamaNeko_
揉めている様なので、興味もありません。
暇空氏や暇アノンの方に対して正当な批判なら、それはなされるべきでしょう。しかし、暇空氏の空想で作られた煩わしい妄想に対してわざわざ言及するのは、批判ではありません。暇空さんや暇アノンの方を対象と
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@_KamaNeko_
したレジャーです。
暇アノンの人たちがつまらない事で他人を誹謗中傷するのと同じように、彼らからかって遊んでいるのだと考えました。
その過去については、私は恥じ入ります。批判とからかいは、別のものだからです。誹謗中傷には正当に対処が必要ですが、それ以上の介入は不要です。拠って、
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@_KamaNeko_
そのタイミングで赤木レイア氏にまとめ動画を作成されたことには驚きましたが、私の現在の心境を語るのには良い機会だと思いました。
暇空氏に関しては、その言動が正当であるか否か判断し、ある活動に対して不利益である、または個人に対して不利益で
🍉🫒🍇Aoi Meiko青井めいこ since 1989✨💎✨
@_KamaNeko_
いたずらに両者を煽り、誹謗中傷を重ねることは当事者への不利益を加速させるだけです。
誹謗中傷に対してのみ、批判が行われれば良いと今の私は考えます。なので、私は現在のところ誹謗中傷に対して批判するほどの知識は持ち得ていない
🍉🫒🍇Aoi Meiko青井めいこ since 1989✨💎✨
@_KamaNeko_
ため、ほとんど関わりません。
暇空氏及び暇アノンの方への批判は他のもっと論理的な方にお任せし、自分は自分の出来る別のことをします。
最初に述べたとおり、今の私には暇空氏のこと以上にやるべき事があり、彼等についての時間はないからです。
現状はこの通りです。
「白人よお、お前らほんと鬼畜の歴史だよな。末代まで業を背負ってるよな。
現代だけ見てもイラン、プエルトリコ、ボリビア、日本、フィリピン、ハワイ……ほんとデタラメな凌辱されてきたよ。
でも昨今のポリコレ?お前らのなかで自らああでもないこうでもないと理由付けクリエイトして反省するの流行ってんじゃん。
『先祖を凌辱されてきた俺たち有色人種を決して深読み反省運動に巻き込まず、なおかつお前ら白人だけはその沼にハマって俺達に萎縮し続ける責任がある』」
年齢が若い自分さえよければよく、生活に用いられない高齢者や他人は無であれ、いなければいい、糞であるといったような幼稚で自己中心的な犯行であり、経緯や動機に酌量の余地はない。
しかも本件被告人らの職業はいずれも、警察官(巡査)及び、検事、退職した裁判官とその妻、東大法学部教授、元医学部教授で構成され、とりわけ、退職した裁判官は、仕事をしていた
時代、刑事裁判官として被告人を裁いていたにも関わらず、退職後は、犯罪者と同じような生活をしており、不合理に過ぎると言わざるを得ない。それなのに、被告人は、住居である、戸田市の
ファインレジデンス戸田公園の最上階のベランダに、人工知能を介して姿が浮かび上がってくるだけで、反省の態度はなく、不合理な弁解に終始していることからすると、被告人のこの種の犯罪に
対する規範意識は著しく低いというべきである。従って、既に前刑の執行猶予期間が徒過しているなど、被告人に有利な事情を考慮しても、被告人には相当期間、刑務所に入ってもらうのが
相当と判断した。