はてなキーワード: 九州とは
今でもこのエントリは間違っていないと思ってるけど、まさか1年も経たずサービス終了するとは全く思ってなかった。
前回のエントリでも言及しているようにディライトワークスには期待してなかったものの悪い方向へ想像をはるかに超えてくるとは・・・。
なぜアイリス(初代花組)をイベントで登場させなかったのか?
個人的にはこれが最大の敗因だと思っている。
サクラ革命には初代花組アイリスとキャラが被りまくっている金髪ロリの玉野アンジェリカ(通称アンジュ)が登場していて、2020年12月28日から「サムライアンジュの九州武者修行」というアンジュ中心のイベントを開催していた。なぜアンジュなのか?誰の需要なのか?
スマホゲーってユーザを大量獲得するスタートダッシュを決めなければサービス存続が危うくなることは小学生すら気付いていそうな定説だけれど、なぜかサクラ革命運営チームはその選択をしなかった。
それどころか事前登録30万人突破で声優起用を約束していたVTuber「白上フブキ」「宝鐘マリン」のキャラ実装も一向にせず、結局は実装取り止めとなった(大変申し訳無いが筆者は「白上フブキ」「宝鐘マリン」の両名を詳しく知らない)。
金髪ロリイベントがアンジュじゃなくてアイリスだったら筆者世代のサクラ大戦ファンによる支持でワンチャンあったかも知れないし、人気のVTuberを早期に実装できていたら若い子ウケしたかも知れない。理由はよくわからんがサクラ革命運営チームはなぜか話題になりやすいキャラを出し渋っていたのだった。
そして同キャラの性能違いが追加されたけど、これもプレイヤーからすると萎える要素だったかも知れない。
せっかく育てたお気に入りキャラも後に実装されるであろう同キャラ性能違い実装によって古くなってしまう可能性があるので如何なものだろう。まぁそういうスマホゲー多いけどね。
ディライトワークスとセガを決心させたのは間違いなくウマ娘プリティーダービーで、いやねもうサイゲームスさん面白いゲーム作るのうまいよね。めっちゃ面白いもんウマ娘。
システムは基本的にパワプロだけど筆者世代には刺さる刺さる!シナリオも良いよねぇ!
これFGO ARCADEにも影響が出てくるんじゃないかな?って不安になるんだけど、セガはウマ娘のIPを取り込んでウマ娘アーケードやったら良いんじゃない?競馬アーケードやってるんだしさ。
いやぁホント完敗ですよ。ディライトワークスとセガの関係者には熱い感謝とともにお疲れ様と言いたい。俺はサクラ革命が好きだったぜ!
これに懲りずサクラ大戦シリーズのゲーム出してくれよな!
私はここ二十年ぐらいに共●党に投票している。ただし党員でもないし、積極的に支持しているわけでもない。一人の市民として「反・新自由主義」の立場なものだから、それを意思表示しようとすれば他に選択肢が無いので、仕方なくそうしているというだけのことである。しかし、これは私個人の選択と行動であって、何も他人に押し付けるつもりは全くない。
リベラルまたは左派の政党/政治家に対する「弱者」からの支持が伸びないことについて考えた、n=1の私の個人的な意見を述べる。
結論から先に言えば、政党や政治家そのものよりも、その応援団を務めるマスメディアや知識人が悪い意味で目立ち、ネガティブなイメージを有権者に植え付けたことが大きな要因だと思う。簡単に言えば「あんな人間たちが支持しているということは、その支持対象である政党/政治家も信用できないな」という素朴な不信感である。
不信感の全てを列挙することは私の能力では不可能だが、いくつか例を挙げる。
= = =
(1) 自民党から民主党へ政権交代が起きる直前の頃には、テレビや新聞で盛んに「年越し派遣村」の話題を取り上げていたように記憶している。
しかし、民主党政権樹立を果たした年の年末には報道も下火となり、「年越し派遣村」の場所は非公開となり、利用者の姿や肉声もほとんど報道されなかった。
今でも当時と変わらない境遇で苦しんでいる人たちがいるはずなのに、あれから年末のテレビや新聞も「年越し派遣村」あるいはそれに類する活動を、自→民政権交代前ほどには報道しなくなった。
マスメディアや知識人にとって、庶民の貧困問題は、自→民政権交代の起爆剤としての利用価値しか無かったのだろう。そのような不信感を抱かせてしまった。
(2) 鳩山政権は「最低でも県外」を合言葉にして、沖縄県の米軍基地負担を減らすことを明言した。当時、東京を拠点にする大手マスメディアや知識人もそれを支持した。
しかし蓋を開けてみれば、それは「九州の離島に基地負担を打診する」という「沖縄県以外の地方に負担を押し付ける」内容だった。「鳩山由紀夫が公約を守れるように、東京(あるいはメディア関係者や知識人の居住地)に米軍基地を誘致して応援します」と言ったマスメディア関係者や知識人はいなかったと記憶している。
沖縄県以外で米軍基地を負担している県の負担は「存在しないもの」として扱い、沖縄県以外の県には負担を押し付けても構わないとする、大手マスメディアや知識人の欺瞞が明らかになった。
念のために言っておくが、私の居住地は米軍基地を負担している。
(3) リベラルや左派が、庶民からの支持を集められたかもしれない機会が、過去に一度だけあったと思う。
それは、某俳優が「テレビは韓流コンテンツばかりだから、自分は見ない」と発言して、世間やマスメディアから猛烈にバッシングされた時である。
あの時、某俳優に対する反論の主流は「テレビ局が韓流コンテンツを流す理由は、制作費/人件費のコストを安く抑えられるから」というものであった。これは、おそらく事実であろう。
しかし、それは国内労働者の雇用喪失、国内産業の空洞化を招く道筋である。労働者の雇用を考える人間や団体ならば「民族差別には与しないが『国内労働者の雇用を守る』という意味でならば、私(たち)は某俳優の問題提起に賛同する」と意見表明をするべきであった。反・権力や左派支持の態度を普段はとっている芸能界関係者も、某俳優の発言当時は「国内労働者の雇用を守れ」とは言わなかった。
あの時は排外主義者たちが某テレビ局前でデモをしたようだが、もしも同じ頃にあれに負けないぐらい「国内労働者の雇用を守れ」というデモを展開できていれば、左派の存在感をアピールできたのではないだろうか。しかし、そうはならなかった。
「普段は、マスメディアや知識人は『反・権力』や『左派思想の支持』を訴えているが、いざとなれば労働者の味方になってくれないのではないか?」と、根深い不信感を植え付けてしまった。
実際、その不信感を裏付けるように、コロナ流行で演劇業界のブラック労働環境、搾取の実態が白日の下に晒された。
= = =
はてなブックマークでは、リベラルや左派を批判する声に対して「どうせ野党には投票しないくせに」と言われることが多いように思う。だから、野党に投票している人間の一人として書いた。
自民党の独り勝ちでは健全ではない。そういう意味では、まともな政権運営能力のある野党が育つことが望ましいことには同意する。しかし、だからといって野党やその支持者への疑問や不信を飲み込んで黙り込むのも、同じくらい不健全であろう。
私自身はリベラルとも左派とも自認してはいないのだが、それでもリベラルや左派の考えや意見を読み聞きして、学ぶことも少なくない。(もちろん、リベラルや左派からでなくとも、学ぶことは多々ある。)学んだことのうちで、重要なのは「対話の可能性を諦めない」「他者に対するミニマムな信頼感を捨てない」といったことである。
これを目にした野党支持者が何を考えて、どう行動するかまで私がコントロールする訳にはいかないが、何処かの誰かに届いて何らかの良い影響を齎してくれればと願う。
九州人は本は読んでても女殴っちゃいけないとは学ばなかったのか
お前たちはだめだねえ。なぜ人のことをうらやましがるんだい。僕だってつらいことはいくらもあるんだい。お前たちにもいいことはたくさんあるんだい。僕は自分のことを一向考えもしないで人のことばかりうらやんだり馬鹿ばかにしているやつらを一番いやなんだぜ。僕たちの方ではね、自分を外ほかのものとくらべることが一番はずかしいことになっているんだ。僕たちはみんな一人一人なんだよ。さっきも云ったような僕たちの一年に一ぺんか二へんの大演習の時にね、いくら早くばかり行ったって、うしろをふりむいたり並ならんで行くものの足なみを見たりするものがあると、もう誰たれも相手にしないんだぜ。やっぱりお前たちはだめだねえ。外の人とくらべることばかり考えているんじゃないか。僕はそこへ行くとさっき空で遭あった鷹がすきだねえ。あいつは天気の悪い日なんか、ずいぶん意地の悪いこともあるけれども空をまっすぐに馳けてゆくから、僕はすきなんだ。銀色の羽をひらりひらりとさせながら、空の青光の中や空の影かげの中を、まっすぐにまっすぐに、まるでどこまで行くかわからない不思議な矢のように馳けて行くんだ。だからあいつは意地悪で、あまりいい気持はしないけれども、さっきも、よう、あんまり空の青い石を突っつかないでくれっ、て挨拶したんだ。するとあいつが云ったねえ、ふん、青い石に穴があいたら、お前にも向う世界を見物させてやろうって云うんだ。云うことはずいぶん生意気だけれども僕は悪い気がしなかったねえ。」
一郎がそこで云いました。
「又三郎さん。おらはお前をうらやましがったんでないよ、お前をほめたんだ。おらはいつでも先生から習っているんだ。本当に男らしいものは、自分の仕事を立派に仕上げることをよろこぶ。決して自分が出来ないからって人をねたんだり、出来たからって出来ない人を見くびったりさない。お前もそう怒らなくてもいい。」
又三郎もよろこんで笑いました。それから一寸立ち上ってきりきりっとかかとで一ぺんまわりました。そこでマントがギラギラ光り、ガラスの沓がカチッ、カチッとぶっつかって鳴ったようでした。又三郎はそれから又座すわって云いました。
「そうだろう。だから僕は君たちもすきなんだよ。君たちばかりでない。子供はみんなすきなんだ。僕がいつでもあらんかぎり叫んで馳ける時、よろこんできゃっきゃっ云うのは子供ばかりだよ。一昨日おとといだってそうさ。ひるすぎから俄かに僕たちがやり出したんだ。そして僕はある峠とうげを通ったね。栗くりの木の青いいがを落したり、青葉までがりがりむしってやったね。その時峠の頂上を、雨の支度したくもしないで二人の兄弟が通るんだ、兄さんの方は丁度おまえくらいだったろうかね。」
「弟の方はまるで小さいんだ。その顔の赤い子よりもっと小さいんだ。その小さな子がね、まるでまっ青になってぶるぶるふるえているだろう。それは僕たちはいつでも人間の眼めから火花を出せるんだ。僕の前に行ったやつがいたずらして、その兄弟の眼を横の方からひどく圧おしつけて、とうとうパチパチ火花が発たったように思わせたんだ。そう見えるだけさ、本当は火花なんかないさ。それでもその小さな子は空が紫色むらさきいろがかった白光しろびかりをしてパリパリパリパリと燃えて行くように思ったんだ。そしてもう天地がいまひっくりかえって焼けて、自分も兄さんもお母さんもみんなちりぢりに死んでしまうと思ったんだい。かあいそうに。そして兄さんにまるで石のように堅かたくなって抱だきついていたね。ところがその大きな方の子はどうだい。小さな子を風のかげになるようにいたわってやりながら、自分はさも気持がいいというように、僕の方を向いて高く叫んだんだ。そこで僕も少ししゃくにさわったから、一つ大あばれにあばれたんだ。豆つぶぐらいある石ころをばらばら吹きあげて、たたきつけてやったんだ。小さな子はもう本当に大声で泣いたねえ。それでも大きな子はやっぱり笑うのをやめなかったよ。けれどとうとうあんまり弟が泣くもんだから、自分も怖こわくなったと見えて口がピクッと横の方へまがった、そこで僕は急に気の毒になって、丁度その時行く道がふさがったのを幸さいわいに、ぴたっとまるでしずかな湖のように静まってやった。それから兄弟と一緒に峠を下りながら横の方の草原から百合ゆりの匂においを二人の方へもって行ってやったりした。
どうしたんだろう、急に向うが空あいちまった。僕は向うへ行くんだ。さよなら。あしたも又来てごらん。又遭えるかも知れないから。」
風の又三郎のすきとおるマントはひるがえり、たちまちその姿は見えなくなりました。みんなはいろいろ今のことを話し合いながら丘を下り、わかれてめいめいの家に帰りました。
九月四日
「サイクルホールの話聞かせてやろうか。」
又三郎はみんなが丘の栗の木の下に着くやいなや、斯こう云っていきなり形をあらわしました。けれどもみんなは、サイクルホールなんて何だか知りませんでしたから、だまっていましたら、又三郎はもどかしそうに又言いました。
「サイクルホールの話、お前たちは聴ききたくないかい。聴きたくないなら早くはっきりそう云ったらいいじゃないか。僕行っちまうから。」
「聴きたい。」一郎はあわてて云いました。又三郎は少し機嫌きげんを悪くしながらぼつりぼつり話しはじめました。
「サイクルホールは面白い。人間だってやるだろう。見たことはないかい。秋のお祭なんかにはよくそんな看板を見るんだがなあ、自転車ですりばちの形になった格子こうしの中を馳けるんだよ。だんだん上にのぼって行って、とうとうそのすりばちのふちまで行った時、片手でハンドルを持ってハンケチなどを振ふるんだ。なかなかあれでひどいんだろう。ところが僕等がやるサイクルホールは、あんな小さなもんじゃない。尤もっとも小さい時もあるにはあるよ。お前たちのかまいたちっていうのは、サイクルホールの小さいのだよ。」
「ほ、おら、かまいたぢに足切られたぞ。」
嘉助が叫びました。
「何だって足を切られた? 本当かい。どれ足を出してごらん。」
又三郎はずいぶんいやな顔をしながら斯う言いました。嘉助はまっ赤になりながら足を出しました。又三郎はしばらくそれを見てから、
「ふうん。」
「一寸ちょっと脈をお見せ。」
と言うのでした。嘉助は右手を出しましたが、その時の又三郎のまじめくさった顔といったら、とうとう一郎は噴ふき出しました。けれども又三郎は知らん振りをして、だまって嘉助の脈を見てそれから云いました。
「なるほどね、お前ならことによったら足を切られるかも知れない。この子はね、大へんからだの皮が薄うすいんだよ。それに無暗むやみに心臓が強いんだ。腕うでを少し吸っても血が出るくらいなんだ。殊ことにその時足をすりむきでもしていたんだろう。かまいたちで切れるさ。」
「何なして切れる。」一郎はたずねました。
「それはね、すりむいたとこから、もう血がでるばかりにでもなっているだろう。それを空気が押おして押さえてあるんだ。ところがかまいたちのまん中では、わり合あい空気が押さないだろう。いきなりそんな足をかまいたちのまん中に入れると、すぐ血が出るさ。」
「切るのだないのか。」一郎がたずねました。
「切るのじゃないさ、血が出るだけさ。痛くなかったろう。」又三郎は嘉助に聴きました。
「痛くなかった。」嘉助はまだ顔を赤くしながら笑いました。
「ふん、そうだろう。痛いはずはないんだ。切れたんじゃないからね。そんな小さなサイクルホールなら僕たちたった一人でも出来る。くるくるまわって走れぁいいからね。そうすれば木の葉や何かマントにからまって、丁度うまい工合ぐあいかまいたちになるんだ。ところが大きなサイクルホールはとても一人じゃ出来あしない。小さいのなら十人ぐらい。大きなやつなら大人もはいって千人だってあるんだよ。やる時は大抵たいていふたいろあるよ。日がかんかんどこか一とこに照る時か、また僕たちが上と下と反対にかける時ぶっつかってしまうことがあるんだ。そんな時とまあふたいろにきまっているねえ。あんまり大きなやつは、僕よく知らないんだ。南の方の海から起って、だんだんこっちにやってくる時、一寸僕等がはいるだけなんだ。ふうと馳かけて行って十ぺんばかりまわったと思うと、もうずっと上の方へのぼって行って、みんなゆっくり歩きながら笑っているんだ。そんな大きなやつへうまくはいると、九州からこっちの方まで一ぺんに来ることも出来るんだ。けれどもまあ、大抵は途中とちゅうで高いとこへ行っちまうね。だから大きなのはあんまり面白かあないんだ。十人ぐらいでやる時は一番愉快ゆかいだよ。甲州ではじめた時なんかね。はじめ僕が八やつヶ岳たけの麓ふもとの野原でやすんでたろう。曇くもった日でねえ、すると向うの低い野原だけ不思議に一日、日が照ってね、ちらちらかげろうが上っていたんだ。それでも僕はまあやすんでいた。そして夕方になったんだ。するとあちこちから
『おいサイクルホールをやろうじゃないか。どうもやらなけぁ、いけない様だよ。』ってみんなの云うのが聞えたんだ。
『やろう』僕はたち上って叫さけんだねえ、
『いいかい、じゃ行くよ。』僕はその平地をめがけてピーッと飛んで行った。するといつでもそうなんだが、まっすぐに平地に行かさらないんだ。急げば急ぐほど右へまがるよ、尤もそれでサイクルホールになるんだよ。さあ、みんながつづいたらしいんだ。僕はもうまるで、汽車よりも早くなっていた。下に富士川の白い帯を見てかけて行った。けれども間もなく、僕はずっと高いところにのぼって、しずかに歩いていたねえ。サイクルホールはだんだん向うへ移って行って、だんだんみんなもはいって行って、ずいぶん大きな音をたてながら、東京の方へ行ったんだ。きっと東京でもいろいろ面白いことをやったねえ。それから海へ行ったろう。海へ行ってこんどは竜巻たつまきをやったにちがいないんだ。竜巻はねえ、ずいぶん凄すごいよ。海のには僕はいったことはないんだけれど、小さいのを沼でやったことがあるよ。丁度お前達の方のご維新いしん前ね、日詰ひづめの近くに源五沼という沼があったんだ。そのすぐ隣となりの草はらで、僕等は五人でサイクルホールをやった。ぐるぐるひどくまわっていたら、まるで木も折れるくらい烈はげしくなってしまった。丁度雨も降るばかりのところだった。一人の僕の友だちがね、沼を通る時、とうとう機はずみで水を掬すくっちゃったんだ。さあ僕等はもう黒雲の中に突き入ってまわって馳けたねえ、水が丁度漏斗じょうごの尻しりのようになって来るんだ。下から見たら本当にこわかったろう。
『ああ竜りゅうだ、竜だ。』みんなは叫んだよ。実際下から見たら、さっきの水はぎらぎら白く光って黒雲の中にはいって、竜のしっぽのように見えたかも知れない。その時友だちがまわるのをやめたもんだから、水はざあっと一ぺんに日詰の町に落ちかかったんだ。その時は僕はもうまわるのをやめて、少し下に降りて見ていたがね、さっきの水の中にいた鮒ふなやなまずが、ばらばらと往来や屋根に降っていたんだ。みんなは外へ出て恭恭うやうやしく僕等の方を拝んだり、降って来た魚を押し戴いただいていたよ。僕等は竜じゃないんだけれども拝まれるとやっぱりうれしいからね、友だち同志にこにこしながらゆっくりゆっくり北の方へ走って行ったんだ。まったくサイクルホールは面白いよ。
それから逆サイクルホールというのもあるよ。これは高いところから、さっきの逆にまわって下りてくることなんだ。この時ならば、そんなに急なことはない。冬は僕等は大抵シベリヤに行ってそれをやったり、そっちからこっちに走って来たりするんだ。僕たちがこれをやってる間はよく晴れるんだ。冬ならば咽喉のどを痛くするものがたくさん出来る。けれどもそれは僕等の知ったことじゃない。それから五月か六月には、南の方では、大抵支那しなの揚子江ようすこうの野原で大きなサイクルホールがあるんだよ。その時丁度北のタスカロラ海床かいしょうの上では、別に大きな逆サイクルホールがある。両方だんだんぶっつかるとそこが梅雨つゆになるんだ。日本が丁度それにあたるんだからね、仕方がないや。けれどもお前達のところは割合北から西へ外れてるから、梅雨らしいことはあんまりないだろう。あんまりサイクルホールの話をしたから何だか頭がぐるぐるしちゃった。もうさよなら。僕はどこへも行かないんだけれど少し睡ねむりたいんだ。さよなら。」
又三郎のマントがぎらっと光ったと思うと、もうその姿は消えて、みんなは、はじめてほうと息をつきました。それからいろいろいまのことを話しながら、丘を下って銘銘めいめいわかれておうちへ帰って行ったのです。
九月五日
「僕は上海シャンハイだって何べんも知ってるよ。」みんなが丘へのぼったとき又三郎がいきなりマントをぎらっとさせてそこらの草へ橙だいだいや青の光を落しながら出て来てそれから指をひろげてみんなの前に突つき出して云いました。
九月二日
一郎と五年生の耕一とは、丁度午后ごご二時に授業がすみましたので、いつものように教室の掃除そうじをして、それから二人一緒いっしょに学校の門を出ましたが、その時二人の頭の中は、昨日の変な子供で一杯いっぱいになっていました。そこで二人はもう一度、あの青山の栗の木まで行って見ようと相談しました。二人は鞄をきちんと背負い、川を渡わたって丘おかをぐんぐん登って行きました。
ところがどうです。丘の途中とちゅうの小さな段を一つ越こえて、ひょっと上の栗の木を見ますと、たしかにあの赤髪の鼠色のマントを着た変な子が草に足を投げ出して、だまって空を見上げているのです。今日こそ全く間違まちがいありません。たけにぐさは栗の木の左の方でかすかにゆれ、栗の木のかげは黒く草の上に落ちています。
その黒い影かげは変な子のマントの上にもかかっているのでした。二人はそこで胸をどきどきさせて、まるで風のようにかけ上りました。その子は大きな目をして、じっと二人を見ていましたが、逃にげようともしなければ笑いもしませんでした。小さな唇くちびるを強そうにきっと結んだまま、黙だまって二人のかけ上って来るのを見ていました。
二人はやっとその子の前まで来ました。けれどもあんまり息がはあはあしてすぐには何も云えませんでした。耕一などはあんまりもどかしいもんですから空へ向いて、
「ホッホウ。」と叫んで早く息を吐はいてしまおうとしました。するとその子が口を曲げて一寸ちょっと笑いました。
一郎がまだはあはあ云いながら、切れ切れに叫びました。
「汝うなぁ誰たれだ。何だ汝うなぁ。」
するとその子は落ちついて、まるで大人のようにしっかり答えました。
「風野又三郎。」
「どこの人だ、ロシヤ人か。」
するとその子は空を向いて、はあはあはあはあ笑い出しました。その声はまるで鹿しかの笛のようでした。それからやっとまじめになって、
「ああ風の又三郎だ。」一郎と耕一とは思わず叫んで顔を見合せました。
「だからそう云ったじゃないか。」又三郎は少し怒おこったようにマントからとがった小さな手を出して、草を一本むしってぷいっと投げつけながら云いました。
「そんだらあっちこっち飛んで歩くな。」一郎がたずねました。
「うん。」
「面白いか。」と耕一が言いました。すると風の又三郎は又笑い出して空を見ました。
「うん面白い。」
「昨日何なして逃げた。」
「逃げたんじゃないや。昨日は二百十日だい。本当なら兄さんたちと一緒にずうっと北の方へ行ってるんだ。」
「何なして行かなかった。」
「兄さんが呼びに来なかったからさ。」
「何て云う、汝うなの兄あい※[#小書き平仮名な、82-14]は。」
「風野又三郎。きまってるじゃないか。」又三郎は又機嫌きげんを悪くしました。
「あ、判わかった。うなの兄※[#小書き平仮名な、82-16]も風野又三郎、うなぃのお父さんも風野又三郎、うなぃの叔父おじさんも風野又三郎だな。」と耕一が言いました。
「そうそう。そうだよ。僕ぼくはどこへでも行くんだよ。」
「うん。」
「岩手山へも行ったが。」
「岩手山から今来たんじゃないか。ゆうべは岩手山の谷へ泊とまったんだよ。」
「いいなぁ、おらも風になるたぃなぁ。」
すると風の又三郎はよろこんだの何のって、顔をまるでりんごのようにかがやくばかり赤くしながら、いきなり立ってきりきりきりっと二三べんかかとで廻まわりました。鼠色のマントがまるでギラギラする白光りに見えました。それから又三郎は座って話し出しました。
「面白かったぞ。今朝のはなし聞かせようか、そら、僕は昨日の朝ここに居たろう。」
「あったりまえさ、あったりまえ。」又三郎は口を曲げて耕一を馬鹿ばかにしたような顔をしました。
「そう僕のはなしへ口を入れないで黙っておいで。ね、そら、昨日の朝、僕はここから北の方へ行ったんだ。途中で六十五回もいねむりをしたんだ。」
「何なしてそんなにひるねした?」
「仕方ないさ。僕たちが起きてはね廻っていようたって、行くところがなくなればあるけないじゃないか。あるけなくなりゃ、いねむりだい。きまってらぁ。」
「歩けないたって立つが座ねまるかして目をさましていればいい。」
「うるさいねえ、いねむりたって僕がねむるんじゃないんだよ。お前たちがそう云うんじゃないか。お前たちは僕らのじっと立ったり座ったりしているのを、風がねむると云うんじゃないか。僕はわざとお前たちにわかるように云ってるんだよ。うるさいねえ。もう僕、行っちまうぞ。黙って聞くんだ。ね、そら、僕は途中で六十五回いねむりをして、その間考えたり笑ったりして、夜中の一時に岩手山の丁度三合目についたろう。あすこの小屋にはもう人が居ないねえ。僕は小屋のまわりを一ぺんぐるっとまわったんだよ。そしてまっくろな地面をじっと見おろしていたら何だか足もとがふらふらするんだ。見ると谷の底がだいぶ空あいてるんだ。僕らは、もう、少しでも、空いているところを見たらすぐ走って行かないといけないんだからね、僕はどんどん下りて行ったんだ。谷底はいいねえ。僕は三本の白樺しらかばの木のかげへはいってじっとしずかにしていたんだ。朝までお星さまを数えたりいろいろこれからの面白いことを考えたりしていたんだ。あすこの谷底はいいねえ。そんなにしずかじゃないんだけれど。それは僕の前にまっ黒な崖がけがあってねえ、そこから一晩中ころころかさかさ石かけや火山灰のかたまったのやが崩くずれて落ちて来るんだ。けれどもじっとその音を聞いてるとね、なかなか面白いんだよ。そして今朝少し明るくなるとその崖がまるで火が燃えているようにまっ赤なんだろう。そうそう、まだ明るくならないうちにね、谷の上の方をまっ赤な火がちらちらちらちら通って行くんだ。楢ならの木や樺の木が火にすかし出されてまるで烏瓜からすうりの燈籠とうろうのように見えたぜ。」
「そうだ。おら去年烏瓜の燈火あかし拵こさえた。そして縁側えんがわへ吊つるして置いたら風吹いて落ちた。」と耕一が言いました。
「僕お前の烏瓜の燈籠を見たよ。あいつは奇麗きれいだったねい、だから僕がいきなり衝つき当って落してやったんだ。」
「うわぁい。」
耕一はただ一言云ってそれから何ともいえない変な顔をしました。
又三郎はおかしくておかしくてまるで咽喉のどを波のようにして一生けん命空の方に向いて笑っていましたがやっとこらえて泪なみだを拭ふきながら申しました。
「僕失敬したよ。僕そのかわり今度いいものを持って来てあげるよ。お前※[#小書き平仮名ん、85-9]とこへね、きれいなはこやなぎの木を五本持って行ってあげるよ。いいだろう。」
耕一はやっと怒るのをやめました。そこで又三郎は又お話をつづけました。
「ね、その谷の上を行く人たちはね、みんな白いきものを着て一番はじめの人はたいまつを待っていただろう。僕すぐもう行って見たくて行って見たくて仕方なかったんだ。けれどどうしてもまだ歩けないんだろう、そしたらね、そのうちに東が少し白くなって鳥がなき出したろう。ね、あすこにはやぶうぐいすや岩燕いわつばめやいろいろ居るんだ。鳥がチッチクチッチクなき出したろう。もう僕は早く谷から飛び出したくて飛び出したくて仕方なかったんだよ。すると丁度いいことにはね、いつの間にか上の方が大へん空あいてるんだ。さあ僕はひらっと飛びあがった。そしてピゥ、ただ一足でさっきの白いきものの人たちのとこまで行った。その人たちはね一列になってつつじやなんかの生えた石からをのぼっているだろう。そのたいまつはもうみじかくなって消えそうなんだ。僕がマントをフゥとやって通ったら火がぽっぽっと青くうごいてね、とうとう消えてしまったよ。ほんとうはもう消えてもよかったんだ。東が琥珀こはくのようになって大きなとかげの形の雲が沢山たくさん浮うかんでいた。
『あ、とうとう消けだ。』と誰たれかが叫んでいた。おかしいのはねえ、列のまん中ごろに一人の少し年老としとった人が居たんだ。その人がね、年を老って大儀たいぎなもんだから前をのぼって行く若い人のシャツのはじにね、一寸ちょっととりついたんだよ。するとその若い人が怒ってね、
『引っ張るなったら、先刻さっきたがらいで処とこさ来るづどいっつも引っ張らが。』と叫さけんだ。みんなどっと笑ったね。僕も笑ったねえ。そして又一あしでもう頂上に来ていたんだ。それからあの昔むかしの火口のあとにはいって僕は二時間ねむった。ほんとうにねむったのさ。するとね、ガヤガヤ云うだろう、見るとさっきの人たちがやっと登って来たんだ。みんなで火口のふちの三十三の石ぼとけにね、バラリバラリとお米を投げつけてね、もうみんな早く頂上へ行こうと競争なんだ。向うの方ではまるで泣いたばかりのような群青ぐんじょうの山脈や杉すぎごけの丘のようなきれいな山にまっ白な雲が所々かかっているだろう。すぐ下にはお苗代なわしろや御釜おかま火口湖がまっ蒼さおに光って白樺しらかばの林の中に見えるんだ。面白かったねい。みんなぐんぐんぐんぐん走っているんだ。すると頂上までの処にも一つ坂があるだろう。あすこをのぼるとき又さっきの年老としよりがね、前の若い人のシャツを引っぱったんだ。怒っていたねえ。それでも頂上に着いてしまうとそのとし老よりがガラスの瓶びんを出してちいさなちいさなコップについでそれをそのぷんぷん怒っている若い人に持って行って笑って拝むまねをして出したんだよ。すると若い人もね、急に笑い出してしまってコップを押おし戻もどしていたよ。そしておしまいとうとうのんだろうかねえ。僕はもう丁度こっちへ来ないといけなかったもんだからホウと一つ叫んで岩手山の頂上からはなれてしまったんだ。どうだ面白いだろう。」
「面白いな。ホウ。」と耕一が答えました。
「又三郎さん。お前まいはまだここらに居るのか。」一郎がたずねました。
又三郎はじっと空を見ていましたが
「そうだねえ。もう五六日は居るだろう。歩いたってあんまり遠くへは行かないだろう。それでももう九日たつと二百二十日だからね。その日は、事によると僕はタスカロラ海床かいしょうのすっかり北のはじまで行っちまうかも知れないぜ。今日もこれから一寸向うまで行くんだ。僕たちお友達になろうかねえ。」
「はじめから友だちだ。」一郎が少し顔を赤くしながら云いました。
「あした僕は又どっかであうよ。学校から帰る時もし僕がここに居たようならすぐおいで。ね。みんなも連れて来ていいんだよ。僕はいくらでもいいこと知ってんだよ。えらいだろう。あ、もう行くんだ。さよなら。」
又三郎は立ちあがってマントをひろげたと思うとフィウと音がしてもう形が見えませんでした。
一郎と耕一とは、あした又あうのを楽しみに、丘を下っておうちに帰りました。
九月三日
その次の日は九月三日でした。昼すぎになってから一郎は大きな声で云いいました。
「おう、又三郎は昨日又また来たぞ。今日も来るかも知れないぞ。又三郎の話聞きたいものは一緒いっしょにあべ。」
残っていた十人の子供らがよろこんで、
「わぁっ」と叫びました。
そしてもう早くもみんなが丘おかにかけ上ったのでした。ところが又三郎は来ていないのです。みんなは声をそろえて叫びました。
それでも、又三郎は一向来ませんでした。
「風どうと吹いて来こ、豆呉けら風どうと吹いで来こ。」
空には今日も青光りが一杯いっぱいに漲みなぎり、白いまばゆい雲が大きな環わになって、しずかにめぐるばかりです。みんなは又叫びました。
又三郎は来ないで、却かえってみんな見上げた青空に、小さな小さなすき通った渦巻うずまきが、みずすましの様に、ツイツイと、上ったり下ったりするばかりです。みんなは又叫びました。
それでも又三郎はやっぱり来ませんでした。
ただ一疋ぴきの鷹たかが銀色の羽をひるがえして、空の青光を咽喉一杯に呑のみながら、東の方へ飛んで行くばかりです。みんなは又叫びました。
その時です。あのすきとおる沓くつとマントがギラッと白く光って、風の又三郎は顔をまっ赤に熱ほてらせて、はあはあしながらみんなの前の草の中に立ちました。
「ほう、又三郎、待っていたぞ。」
みんなはてんでに叫びました。又三郎はマントのかくしから、うすい黄色のはんけちを出して、額の汗あせを拭きながら申しました。
「僕ね、もっと早く来るつもりだったんだよ。ところがあんまりさっき高いところへ行きすぎたもんだから、お前達の来たのがわかっていても、すぐ来られなかったんだよ。それは僕は高いところまで行って、そら、あすこに白い雲が環になって光っているんだろう。僕はあのまん中をつきぬけてもっと上に行ったんだ。そして叔父おじさんに挨拶あいさつして来たんだ。僕の叔父さんなんか偉えらいぜ。今日だってもう三十里から歩いているんだ。僕にも一緒に行こうって云ったけれどもね、僕なんかまだ行かなくてもいいんだよ。」
「僕の叔父さんかい。叔父さんはね、今度ずうっと高いところをまっすぐに北へすすんでいるんだ。
叔父さんのマントなんか、まるで冷えてしまっているよ。小さな小さな氷のかけらがさらさらぶっかかるんだもの、そのかけらはここから見えやしないよ」
「去年は今よりもう少し早かったろう。面白おもしろかったねえ。九州からまるで一飛びに馳かけて馳けてまっすぐに東京へ来たろう。そしたら丁度僕は保久大将の家を通りかかったんだ。僕はね、あの人を前にも知っているんだよ。だから面白くて家の中をのぞきこんだんだ。障子が二枚はずれてね『すっかり嵐あらしになった』とつぶやきながら障子を立てたんだ。僕はそこから走って庭へでた。あすこにはざくろの木がたくさんあるねえ。若い大工がかなづちを腰こしにはさんで、尤もっともらしい顔をして庭の塀へいや屋根を見廻みまわっていたがね、本当はやっこさん、僕たちの馳けまわるのが大変面白かったようだよ。唇くちびるがぴくぴくして、いかにもうれしいのを、無理にまじめになって歩きまわっていたらしかったんだ。
そして落ちたざくろを一つ拾って噛かじったろう、さあ僕はおかしくて笑ったね、そこで僕は、屋敷やしきの塀に沿って一寸戻ったんだ。それから俄にわかに叫んで大工の頭の上をかけ抜ぬけたねえ。
甘いざくろも吹き飛ばせ
酸すっぱいざくろも吹き飛ばせ
ホラね、ざくろの実がばたばた落ちた。大工はあわてたような変なかたちをしてるんだ。僕はもう笑って笑って走った。
電信ばしらの針金を一本切ったぜ、それからその晩、夜どおし馳けてここまで来たんだ。
ここを通ったのは丁度あけがただった。その時僕は、あの高洞山たかぼらやまのまっ黒な蛇紋岩じゃもんがんに、一つかみの雲を叩たたきつけて行ったんだ。そしてその日の晩方にはもう僕は海の上にいたんだ。海と云ったって見えはしない。もう僕はゆっくり歩いていたからね。霧きりが一杯に
妊娠してみたい。妊娠すると体がどう変化するのか体験してみたい。
子供は絶対にほしくない。子供なんかいたところでいいことなんか何一つない。私にとっても、子供にとっても。
私のもとで育てられる子供なんか不幸に決まっている。
本来ならば産まれないことが一番幸せなのだが、残念ながら私は妊娠してみたいのだ。
代理母も考えたが、外国でしかも経産婦でないとなれないらしい。私は経産婦ではないので無理。
私の弟は重度のアスペルガーだ。幸いまだ犯罪を犯していないだけのアスペルガー。本当の意味でのサイコパス。
極度の非常識、他人の気持ちへの想像力の欠損、全く筋の通らない自分なりの理論をふりかざして自己正当化。
両親は共働き、父は単身赴任なので家には母しかいないが、忙しさから弟のことはほったらかし。
弟が何をしても甘やかすばかり、弟がひとたび暴れれば「私が悪いんだから」などと言って問題の本質は放置。こんなので「人間」が育つはずがない。
私は異父姉で歳も13歳離れており、弟が物心つく頃には実家の九州を出て名古屋にいたので弟の教育には関わっていない。
祖父の介護もあり、昨年4月に実家から通える場所に転職したが、久々に見た弟の姿はまさに化物だった。
化物であっても、弟が可愛いことに変わりはないが、しかして化物は化物である。
子供を産んだらこうなるかもしれない。弟ならまだしも、自分の産んだ子がこうなったらどうしよう。
アスペルガーは遺伝するかもしれない。私は一人目の父親に今でも傷跡が残るほどひどく虐待されて育ったし(その時も母は「私が悪い」と言うだけで何もしなかった)、虐待は連鎖すると言う。
教育を失敗して公的機関や病院でも矯正できなかった場合、社会に、他人に、危害を加える前に自分の手で我が子の始末を、それが何であれつけられるだろうか。
でも、妊娠はしてみたい。滅茶苦茶を言っていることは分かっている。
子供の人生を考えたらやらないという選択肢をとると思うけれど、赤ちゃんポストってこういう理由で利用してもいいものなんだろうか?
30代半ばの女だ。ギリギリゆとり世代?なのか?よく分からない。
普通に「女は男を立てるべき」だと思って育った。
生まれ育った九州でも今住んでいる東京でもそう考えない女子はいたけど「適当に立てときゃ男も喜ぶし上手く回るのに」と思っていた。
そっちの方がモテるし楽だった。
夫の職場の人を紹介してもらった食事会でも「俺を立ててくれるところ」を私の長所の一つとして夫は挙げていた。
これは7、8年前の話だ。ちなみに夫は九州ではない地方出身だ。
今芸人が結婚して奥さんの良いところを聞かれても「俺を立ててくれるところ」とは答えないだろう、余程の馬鹿でなければ。
うちの旦那も多分今はそんな風に答えないだろう。
立てなくて済むなら立てませんけども。
いや今でも中高年夫婦間ではガンガン立てたり立てられたりしてると思うけども。
世の風潮ってこんな数年で変わるもんですかね、という驚き。
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皇位安定継承の有識者会議の記事に、やはりと思ったが「女系・女性」天皇問題について当たり前のごとく「女系」「女性」の解説がない。
まるで同意義のようにのべられており、今までの経緯や現状・現実が全くなし。地方独自で解説付け加えるわけでもないので、おそらく共同通信などの一括記事。
これじゃ地上波TV・新聞が正しいと進行している人達は騙されるしかないのだなあと。
一歩通行のメディアはやっぱり、注意が必要だよと思う。訂正記事なんてよほど注意しなきゃ見落とすようなレベルでしか記載がないし、責任追及されないし。