はてなキーワード: リアクション芸人とは
料理の仕方をYouTubeで検索すると有名な料理系YouTuberの動画がヒットすることがある
自分は陰キャなのでみんなが持て囃すようなものは敬遠していたのだけど、どうしても料理の仕方を動画で確認したかったのでちょっと試しに観てみようかと思い観てみたのだが、動画先頭のパリピ丸出しの挨拶でウワッとなり大きなジョッキに氷をぶちまけて酒を飲み始めた辺りで見苦しさに耐えきれずブラウザバックしてしまった
なんてすぐそんなふうに考えるのが陰キャの悪い癖で、思うに、世の中の人は見苦しい物が大好きなのだ
なんてすぐそんなふうに考えるのが陰キャの悪い癖で、たぶん、紹介してるレシピが素晴らしいから世の中の人は我慢して見ているうちに慣れてしまうのだろう
これは自分も経験があって、自分が大好きな生物系YouTuberも初めて見た頃は動物に赤ちゃん言葉で話しかける様が気持ち悪い事この上なかったが、今ではそれが面白いとすら思えるようになっている
そう、面白くなるのだ
思えばテレビ
昔、バラエティー番組を観なくなって久しく、ふと思って観たらリアクション芸人があまりにもあまりにも見苦しくてチャンネルを変えてしまったが、ああいうのが公共の電波にのるようになったのは視聴者が見苦しさに慣れてしまって面白い要素だけを受け取ることができるようになったからなのだろう
考えてみりゃ、自分だって子供の頃はたけし軍団とかいうオッサンの集団が半裸みたいな恰好になり理不尽な目に遭わされてもがき苦しむさまを見て大喜びしてたのだから、世間様の悪趣味をどうこう言えた義理ではない
そのテレビも今ではリアクション芸を誘発させる行為が子供の教育に悪影響という理由から自重するようになり、いよいよバラエティー番組は素性のわからん人達と昔テレビに出てた人達が何かをやっている虚無映像になってしまった
そりゃ、観る人いなくなるよな
しかし、不快なものは慣れると言いながら自分自身の不快なものへの耐性が弱まっているとも感じる
すでに慣れてしまったものは大丈夫だったりするので、これが歳のせいだとすると、これから超高齢化社会まっしぐらの日本は新たな不快要素を備えた新しいコンテンツを受容することなく葬り去って、自分が慣れた古いコンテンツを消費し続けていくようになるのだろうか?
https://anond.hatelabo.jp/20221213123802
「死にたがるほどの重度のうつ病の妻持ち」
この増田を書いたあとに全く音沙汰なし。
相談できる唯一の相手の増田にさえ顔を出さずに、彼はなんとか乗り切ることができたらしい。
https://anond.hatelabo.jp/20221213124147
増田がこの5年間で急激に衰退した原因って
・創作はパンツなどの誰が見ても笑える系か女子高生がマクドで言ってたレベルにする
・相手のリアクションを目的にせずに自分の思想を実体化させるためのメモ書きとして利用する
・他人の日記帳を合法的に盗み見るプラットフォームとして利用する
5年前どころかもっと前から形骸化してきたけど、結局政治やニュース系が根本的な原因だと思う
日本死ね当たりから「被害者である私がどれだけ可哀想か?可哀想だろ!!!」みたいなリアクション芸人が爆発的に増えた
俺からすればお前がどんだけ可哀想な目に合おうが、地球の裏側で戦争で何人死のうが俺に取っちゃ本気でどうでもいいわ
「可哀想な目にあったけどこうやって乗り切った(攻撃・防御方法の解説)」みたいな話ならまだHow Toとして何かの役に立つかもしれない
でも単に「私はこれだけの被害を受けた!!!」とか大声で叫ばれてもうるさいだけなんですわ、それに賛同して俺に何のメリットがあんの?
「昔からこうだった」って言ってるお前がここをどんどんつまらなくした自覚をもってくれ
そして1時間くらい呼吸を止めてくれ、そうすれば少なくとも実在する俺という人間ひとりは幸せにできるぞ
一生他人と分かり合うことができない欠陥品のお前も、今なら他人の役に立つことができるぞ
オススメはしないけど
とにかく、つまらない嘘はやめような
そんなことをしても空っぽのお前を埋めるものには一つもならないんだから
みんなが笑顔になれて笑えるような嘘をついてくれ
リアクション芸人にとっては美味しい状況
上島さんが亡くなって、それについては悲しいの一言だけど、この際「リアクション芸」というのが個人的には苦手という死ぬほど嫌だったことを言っておきたい。かつては「リアクション芸」がはじまったら、速攻でチャンネル変えた。
ダチョウ倶楽部の中だけで熱湯風呂をやっているぶんにはいいだろう。しかし実際は、上島を熱湯風呂に叩き込む役割は、とんねるずやダウンタウンだったり、番組での立場が圧倒的に強いMC芸人だった。どう見ても、強い立場の人間が、弱い人間が苦しんだり痛がったりするのを見て楽しむ、というものでしかなかった。教室や部室の中のいじめやしごきをバラエティ風にしているだけである。あれをみんなが笑って楽しんでいる事実が、中高時代の自分にとっては自殺が思い浮かぶほどつらかった。
また、これがテレビの中で完結していればまだしもだが、決してそうではなかった。出川が繰り返し語っているように、リアクション芸人は街中を歩いてても、急に暴言を吐かれたり、軽く暴力を振るわれたり、自宅の前で騒がれたり、という被害を毎日のように直接受けていた。そういうエピソードを聞くたびに、リアクション芸人というのは、根本的に間違っているんじゃないかと思わざるを得なかった。
上島さんはリアクション芸にプライドを持っていたかもしれないけど、強い人間が弱い人間を痛めつけて笑うという、こうした芸は、もう令和の時代は完全に終わりにすべきだと思う。本当にそうなってほしい。
そもそも日本のメンヘラ女の自己決定・自己選択からの逃避についてなぜ触れんのかですよ
成人年齢であってもこんな赤ちゃんを性産業で働かせたり・人の親にしちゃダメでしょ
ついでに日本に限らず男を雑に扱っていいという誤った社会メッセージ
軍隊や危険作業や組織順列のためなんだろうけどな。丁寧に扱ったら危ないことや重労働させられないので
なのに弱者男性であってもかっこいいタフガイからは降りねーんだよな
男は強制で上半身裸水着だし廊下で着替えさせていいし外見を揶揄してもOK
フィクションで男が酷い目にあってるのは誰も男に対する復讐だとは言わないし
何人もの知り合いがVtuberにハマっていた。Vtuberについては最初期の四天王あたりのまだVtuberが20人もいなかったくらいの頃しか知らないので気になって色々見てみた。その感想。
めっちゃ多い。数えたらキリがない。でも人気があるVtuberはある程度絞れた。そしてそういうVtuberは本家youtuberのような動画投稿が中心ではなく配信が中心で最新ゲームのプレイに加えてコラボして雑談しながらが大抵みたい。
スパチャっていう金銭の譲渡が文化らしく数百円程度から一万円を越える人がいてビビった。友人いわく名前を呼ばれるのが嬉しい、他のリスナーから一目置かれるとか。ソシャゲの課金とどっちが健全なんだろう。
ニコ生主の臭いがして懐かしい。キャラになりきってとか想像していたが完全に中の人を前面に押し出していた。リアクション芸人みたいなのがウケがいい。
二次創作が著しい。下手に人気のある作品なんかよりもVtuberを描いた方が評価が取れるようで、Twitterなんかでは御本人がRTしてくれるため確実な拡散が見込めるらしく知らないけど描いたなんてのを裏で知ることも。
全体的な感想としてはアイドル声優改良型コンテンツだなと感じた。スパチャ以外は金がかからず、リスナーが集まるという形で一体感を得られるのも強い。創作関連もバックアップされており現代のオタク事情とも極めてマッチした有能コンテンツだと思う。まあ本来想定されていたものとは違うものになってしまったんだなとも感じたけど。本来のyoutuberのような動画投稿が中心の存在だったらどうなっていたんだろうか。
俺は鬼滅の刃が大好きだ。
連載開始時には、好きだけど終わっちゃいそうな作品だなぁと思った。でも応援してたし、修行編がいきなり始まって、「JUMPで修行編…大丈夫か?」一人で気を揉んでいた。
炭治郎が岩を切ったときには、お話しの構造がセンス良すぎてめっちゃ好きになった。終わってほしくないと思った。
その後いろんなキャラが出てきて、炭治郎は優しくて、その内人気が安定して掲載順が上の方になっていって心底安心したんだ。
戦闘シーンでは敵も味方もしっかり思考していて、ちゃんと考えた抜いたやつのほうが強いとこが好きだ。
次に来る漫画大賞いつまでも取らないのを眺めながら友人と「もう来てるしな」って話してた。
だからこそ、アニメ化が決まったときは嬉しかった。しかもあのufotableだ。
作画めっちゃ良くてヌルヌル動くことで有名なufotable。めっちゃ期待してた。
PVも発表されるたびに見に行って、作画と雰囲気の良さに友人と色めきだってた。
映画「鬼滅の刃-兄妹の絆-」も見に行った。大画面でいきいきと動く鬼滅の刃キャラクターたちは大迫力で、めっちゃ作画良かったね!って友人と興奮して帰ったのを覚えてる
なんか、めっちゃ、間、長くね?テンポ、悪くね?って。ギャグとシリアスちゃんと分けすぎじゃね?って。
セリフが全体的に微妙に間延びしてて、原作にあったテンポ感が消えてる…よね?
お堂の鬼戦も、炭治郎がリアクション芸人みたいになってて必死感なかったよね?
鬼滅の刃って、人と人との会話の間に生まれる齟齬がキャラのリアクションで明らかになるとこが面白いじゃん。
会話って日常場面より戦闘場面の方が切実に必要になるじゃん。そんな場面だからこそ生まれるズレが面白いじゃん。そのすり合わせが面白いじゃん。
それって、シリアスな場面でギャグみたいなリアクションする面白さじゃなくて、ズレたことによって人間性が深掘りされるから生まれる面白さじゃん
昔のアンジャッシュのコント(今どきの少年は見たことないかもしれないけど)の面白さってさ、今のアンジャッシュ児島の「児島だよ!」の面白さと違うじゃん!
今アンジャッシュがコントしたとして、「大島だよな?」「児島だよ!」ってやられたら、なんか嬉しいけど違うじゃん!俺はズレた設定のコントが見たいんだよ!ってなるじゃん!!もうアンジャッシュコントなんてやんねーだろうけどさ!!
ここまで書いてみて気づいたけどこれ、ただのこじらせた原作厨だわ。
アニメageして吾峠呼世晴先生の絵が汚いとか雑とかいうコメント目に入って悲しくなって。
あーあ、アニメの絵と原作絵比べて「漫画はちょっとなぁ~絵がな~汚いのがな~」ってやつ全員に「違う違う違う違う」っていって大量の血液注入してくれねえかな無残様。
「サッカーにおいてファウルのアピールは1つのトリックプレーである。転倒時に大げさな痛がり方をすることを批難する者もいるが、それはその選手が下手くそだからだ」
その言葉を体現するように、転倒時の痛がりっぷりが抜きん出ていたのがイッタ・イマージだった。
彼のサッカー選手としての実力は決して華やかとはいえなかったが、痛がり方だけは圧倒的な存在感を放ち、その様子がカメラに映されることが多かった。
それを見た他の選手たちや観客の中には「見てるこっちまで痛くなる」と、痛みを錯覚する者もいたのだとか。
その割に、彼は現役時代に一度もケガが原因で交代したことがなく、故障もしたことがない恵体。
そうして15年間ずっと現役で居続けた、ある意味ですごい選手だったという。
「……で、引退後は自国の観光大使として隣国を巡り、今に至るというわけっすね」
カジマの説明を話半分で聞いていたが、つまり痛がりのプロってわけだな。
ボーナスチャレンジの話を聞いたときは、ローカル番組にしては大盤振る舞いだなと思ったが、そういうことか。
これを企画したヤツ、どうやら俺たちを勝たせる気は毛頭ないらしい。
いわばプロモーションの一環だ。
「テーマは“フリースタイル”です。お好きな方法で痛がってください。では先攻カジマ選手、どうぞ」
全国を魅了するほどのイタガリアンに、一般人の俺たちが勝てるわけがない。
「えー……どうしよう」
さすがのカジマも、この状況に相当なプレッシャーを感じているようだ。
これ以上、恥をかかせないためにギブアップさせるべきか。
半ば諦めていた、その時。
「兄貴ー!」
弟の声が聞こえたので、その方向に視線を向ける。
すると、俺の目の前に「賞金2倍」の文字が書かれたフリップが目に入った。
諦念の相が出ていた俺を見かねて、どうやら弟が書いてくれたらしい。
……そうだ、つけ入る余地はあるはずだ。
いくら痛がることが上手いといっても、それは元サッカー選手としての副次的な能力であり必須スキルではない。
リアクション芸人みたいに痛がりのプロというわけでも、面白いわけでもないだろう。
「カジマ、これはチャンスだ。痛がりのプロともいえるイッタ・イマージに、お前の痛がりを見てもらえるんだぞ」
カジマの頭の中で、随分と前向きな解釈が行われているようだ。
まあいいや、そっちのほうが都合がいい。
「よし、じゃあ1回戦でやった木の棒、その“応用編”で行くぞ!」
「おっす!」
「じゃあ、行きまーす!」
俺は1回戦と同じように木の棒を構える。
「くたばれ!」
そして、ほぼ同じ動作で木の棒を振りぬいた。
「あ``あ``!?」
脛めがけて振りぬいた木の棒は、誤って狙いより上に当たってしまう。
股間にある“第三の足”にだ。
「ああ~っと! これは痛そうだ~~!」
「~~~~っっっ、ちょっとマスダぁ~!」
カジマは俺に怒りの声をあげるが、その姿と声量は情けない。
「ハハハハハッ!」
そんなハプニングに会場は盛り上がる。
当然、これはワザだ。
同じテーマが出てきた時、二回目はコレで行こうと以前から決めていた。
同じことはやればやるほど退屈になりやすい。
だが変に奇をてらおうとするくらいなら、同じことをやったほうがいいのも確かだ。
期待はそう簡単に裏切れない。
だが予想は裏切れるんだ。
「ははは……さぁ~て、ちょっとしたハプニングはありましたが、気を取り直して後攻イッタ・イマージ氏、どうぞ!」
俺たちのやれることはやった。
後はイッタ・イマージ次第だ。
俺は彼の痛がりを知らないから分からないが、いくらサッカー選手とはいえ先ほどのカジマを超えるのは難しいはず。
イッタ・イマージがつたない日本語で、痛めつけ役のスタッフと喋っている。
今回のために覚えてきたのだろうか。
大げさに痛がるサッカー選手なんてロクなもんじゃないと勝手に思っていたが、意外と真面目な人なのかもしれない。
「じゃあ、行きます!」
どうやら俺たちと同じ木の棒で行くらしい。
カジマのを見た上で、あえての真っ向勝負か。
よほど自信があるとみえるが、さすがに見くびりすぎじゃないか?
「おりゃあああ!」
「~~~~~~っっっ」
しかし、見くびっていたのは俺のほうだった。
それを思い知らせるかのように、その実力を見せ付けてきたんだ。
「お~~! さすがのイッタ・イマージ! 貫禄の痛がりっぷり!」
イッタ・イマージはその場に崩れ落ちると、殴られた足を押さえてもがき苦しむ。
生で見ているせいもあるのかもしれないが、圧倒的な迫力だ。
まるでサッカーのグラウンドがそこにあるかのように錯覚させるほどに迫真の痛がり。
会場の盛り上がりも最高潮を迎える。
エンターテイメント性という意味では、カジマの痛がり方も負けてはいない。
「ねえ、あれって本当に痛いんじゃないの?」
「確かに、そう思えるほどだ」
「いや、そうじゃなくてマジもんの……」
本当にあそこまで痛がるほどなのだと、俺たちまで思ってしまった。
その時点で、自ら敗北を認めているようなものだ。
完敗だ。
俺たちに悔しがる資格はない。
所詮、リアクション芸人の真似事でしかない俺たちでは勝てるはずもなかったんだ。
「いや~、素晴らしいイタガリアンっす」
そう言いながらカジマは、握手目当てにイッタ・イマージに近づく。
だが彼の顔を見た途端、なぜかカジマの動きが止まった。
「ん? どうしたカジマ?」
「イッタ・イマージさん……き、気絶している」
後に知ったことだけど、イッタ・イマージは痛みを感じやすい体質だったらしい。
俺たちがそこまで痛いと思わないレベルでも、イッタにとってはリアルに痛かったんだから。
『あなたたちは痛みに慣れすぎて、鈍感になってるのよ……』
少し前に母が言っていたことを思い出す。
今回の一件で、俺たちは“痛みに鈍感”であることの意味、その危険性を改めなければならなかった。
「ねえ、いまさら気づいたんすけど……」
イッタ・イマージが救急室に運ばれていくのを眺めていると、ふとカジマが呟いた。
「隣国の観光大使をこんな目にあわせるのって国際問題になるんじゃ……」
だが生憎、俺はそれに答えられるようなものを持ち合わせていない。
「……どうだろうな。まあ少なくとも、それが国際問題になると思っている人たちの間では問題になるだろうとは思うが」
「違ぇよ。つまり俺たちが気にしたところで仕方ないってこと」
今回、痛くも痒くもなかった俺では、そう言うのが精一杯だった。
結局、痛みを知らなきゃ本当の意味では学べないのかもしれないな。
まあ、そのためにわざわざ痛みを知りたいとも思わないが。
そんな感じで俺たちは着々と勝利を重ねていく。
そして、あっという間に決勝戦を迎える。
「優勝は……カジマ選手!」
「うおおぉぉっ! やったっすー!」
そして優勝を決めた。
……随分な話の端折り方をしてしまったが、これには理由がある。
まず地元の一般人のみ参加という制約上、レベルがそこまで高くない。
俺の観測範囲内ではあるが、地元でこの番組に参加するような人間でイタガリアンの適正がある奴はほぼいないんだ。
だが、その中でもカジマは適正がそれなりにある人間だったと確信していた。
前も言ったが、こいつは自己顕示欲が強い。
一般人がテレビになんて出たら大抵は緊張してしまい、普段のパフォーマンスを発揮することは難しくなるだろう。
だが、カジマは「目立てる」という感覚を優先させるのでリアクションを躊躇しない。
それでも多少はプレッシャーを感じていると思うが、程よい緊張感はパフォーマンスをむしろ向上させる。
特にこの日のカジマは、プロのアスリートでも珍しいと思えるほどに絶妙なコンディションだった。
更に身も蓋もないことをいうと、カジマは“絵になる容姿”を持っているのが何より大きい。
そんな奴がリアクション芸人さながらの痛がりっぷりを見せるのだからウケるに決まっている。
目立ち方の良し悪しを上手く判断できないのが弱点ではあったが、それは俺が手綱を握ればいい。
そして計算どおり、見事カジマはそれに応えてくれたってわけだ。
「さあ、今回から優勝者にはボーナスチャレンジの権利が与えられます!」
「何だよそれ、聞いてないぞ」
それが自分の落ち度ではなく、あずかり知らぬところで起きたことなら尚更である。
「スペシャルゲストと対戦していただき、買った場合はなんと賞金が倍!」
如何にも番組的な都合で捻じ込まれたような、思いつきの要素だ。
だが俺にとって嬉しい誤算ではあった。
これで山分けしてもかなりの金が手に入るぞ。
「加えて次回のイタガリアンにレジェンド枠として参戦もできます!」
と思ったが、やはりやめたほうがよさそうだ。
賞金が倍になるのは魅力的だが、次回もまた参戦しなきゃいけなくなったら憂鬱だ。
「あの、このボーナスチャレンジって絶対やらないとダメですか?」
「え……ああ、別にここで負けたとしても賞金が没収になったりとかはしませんよ」
「いや、そうじゃなくて、ボーナスチャレンジそのものをやりたくないって意味なんですが」
「……えー」
俺はそう司会者に尋ねるが、あまりにも予想外の質問だったらしくて困った反応をしている。
まあ、そりゃそうだ。
そもそもこの番組に出て優勝するような人間が、このボーナスチャレンジを断る理由はないからだ。
俺の参加動機が不純なのが悪い。
賞金が増えるなら結構なことだし、次回の参戦権は俺だけ辞退すればいいだろう。
「さあ、今回のボーナスチャレンジで戦うスペシャルゲストはこの方でーす!」
司会者がそう告げると、会場の正面にある扉から煙が吹き上がった。
ちゃちな空砲の音と同時に、扉が開かれる。
いや、誰だよ。
ローカル番組にそんな大層な有名人が来るなんて期待していないが、変にハードルを上げておいてこれは……
「まさかイタガリアンに出てくれるなんて、あまりにも予想外!」
しかし会場は彼の登場に大盛り上がり。
まさか、俺が知らないだけなのか。
「マスダ、知らないの? ネットでも一時期ミーム化した人なのに」
正直、カジマのいうネットミームは、かなり限定された範囲での話なことが多いから鵜呑みにできない。
だが、他の人の興奮ぶりを見る限り、実際に有名な人物のようだ。
「そいつは何でそこまで有名なんだ?」
なるほど、サッカー選手だったのか。
しかし、あの国ってサッカーがそんなに強いわけでもないし、そこまで熱狂的なイメージもなかったと思うが。
その国の元サッカー選手が何でそんなに有名なんだ。
この番組では賞金が出る。
俺の給料およそ1ヵ月分。
破格ではないが、俺にとっては大金だ。
しなかった。
まず、優勝を狙える気がしない。
本職ならともかく、善良な一般市民でしかない俺がそんなことをやるのは無理だ。
更に、そんな姿をテレビで流されるのもキツい。
金は俺にとって優先順位が高いのは確かだが、恥と外聞が天秤に乗っているんじゃあ分が悪すぎる。
後は、さっきも言ったが俺はこの番組をそこまで面白いと思っていない。
優勝を狙える気がしない上、賞金が恥と外聞に対して少なく、更に番組の参加を楽しめないというのなら、もはや俺が参加する理由がない。
数日前に話はさかのぼる。
街中を友人と連れ立っていたのだが、『イタガリアン』の番組ポスターがやたらと目につく。
これは俺が内心では気にしすぎていたせいもあるだろうけど、実際ポスターがいたるところに貼られていた。
まあ、人気番組がくるのだから町おこしにもなるし、、ちょっとした騒ぎになるのは当然だ。
だが、俺みたいな人間にとって、ちょっとした迷惑にもなるのも当然ではある。
この時、俺は既に『イタガリアン』の出場を断念していた。
だが、街中に貼られている番組ポスター(厳密には賞金の額)が視界に入る度に気持ちを燻らせるんだ。
我ながら未練がましい。
もう参加しないことは決めているのだから、俺のこの燻りは無いものねだりでしかないというのに。
「あー、『イタガリアン』の参加どうしようっかなあ」
そう呟いたのは、一緒にいた友人のカジマだ。
まあ、カジマならそう言ってくるだろうとは思った。
こいつは友人の中でも特に自己顕示欲が強く、その欲求を優先して行動しがちなキラいがある。
そして大抵の場合、それは良い結果を生まないことが多い。
「悩むくらいならやめたほうがいいんじゃないか?」
俺はそう返した。
まるで自分に言い聞かせるように。
「でもなあ」
「じゃあ、参加したらどうだ?」
「うーん」
カジマの反応はどっちつかずだ。
これも予想通り。
カジマは大して心にもないことを言ったりやったりすることに快感を覚えたり、更にはそれで他人の反応を窺いたがる悪癖がある。
今のこいつの優柔不断な態度は心から悩んでいるからではなく、ただのコミニケーションの一環ってわけだ。
この程度で、こいつとの友人関係に亀裂は入らない。
さっさと家に帰ろうと考えていた。
「ならこの話はもう終わりだな。暇だからこうやって町を歩いてはいるが、不毛な応酬をするほど持て余してはいない」
俺はそう言って、カジマを引き離すように歩みを速める。
それで焦ったようで、カジマはすぐに俺に追いつくと話を次に進めた。
実際はどうあれ、パブリックな場ではノーと答えるのを俺たちは知っている。
そして、その答えが欺瞞であると反射的に思える程度には容認された、ありふれた光景であることも。
利己的に考えるなら、車にぶつからないと分かりきっている状態でも立ち止まるのは、実質的に時間の無駄だからだ。
だが、その“車にぶつからないと分かりきっている状態”、その認識を俺たちは共有できているのだろうか。
……なんて話をしていると、今回は交通に関する話かと思うかもしれないが、生憎ハズレだ。
“痛み”だ。
如何に簡単なクイズを出題できるかで競うんだが、参加者たちの分析によって攻略法が編み出されていくと内容がマンネリ化。
それを避けるためにルールを複雑にしていくが、そのせいで大半の視聴者はついていけなくなった。
結局『ライト・クイズ』は一年ほどでなくなり、番組側は新たな企画を作る必要に迫られる。
まずは『命の洗濯屋』という企画で、「疲れている人に様々な気晴らし方法を提供する」という趣旨だった。
だが、その実は無名の芸能人と一般人による観光番組の延長でしかなく、明らかな低予算感も相まって打ち切り。
そこで次に出たのが『あえての粗探し』という、賞賛の声が多い作品に対して批判点もあげていこうという企画。
他の番組がほとんど取り上げないようなレビューが見れるとして、これは割と好評だった。
だがある日、作品のファンによる抗議活動が行われ、その番組のファンとの間で争いが発生。
それが刑事事件にまで発展してしまい、番組は「不毛な対立煽りを助長した」として、已む無く打ち切りとなる。
その後は色々と迷走をするが、それを止めたのは『ライト・クイズ』での成功体験だった。
そうして出来たのが『イタガリアン』。
要はリアクション芸人がやっているようなことを、ゲーム形式で一般人もやってみようという企画だ。
これが見事に当たった。
『ライト・クイズ』での反省も踏まえてルールはシンプルにし、審査基準もあえてユルくすることで間口を広げた。
リアクション芸人たちのような体験が出来ることで番組は大盛り上がり。
更には、これがきっかけで俳優デビューする人まで出てきたことで一躍、有名企画となった。
ここまで話しといてナンだが、俺は正直この番組をそこまで面白いとは思っていない。
同級生の一部で盛り上がっているので、情報として知っているだけ。
じゃあ、俺はなんでこんな話をしたのか。
それは今回、その番組がロケ場所として、俺たちの住む町を選んだからだ。