はてなキーワード: フィーリングとは
コロナ騒動の中、突如として存在感を増したのが「医師会」なる謎の集団です。実態は開業医の団体で、医学の進歩に関与するというよりは、自身の既得権益を守ることを主とした政治家への圧力団体。日本医師会の中川俊夫会長、東京都医師会の尾崎治夫会長が頻繁に会見を開きました。彼らは常に国民に対して「自粛しろ!」「医療を逼迫させるな!」と命令し続けた。
これらの発言はまぁ~、テレビも新聞も通信社も取り上げるわけですよ。「医師会からの切実なるお願い」的文脈でね。これを受け、バカ国民は「ははぁ~医師会様、ありがたい金言をたまわりありがとうございます!」となった。中川氏も尾崎氏も自民党議員の政治資金パーティに出席したり、中川氏に至っては自粛要請していたというのに女性と寿司デートでシャンパーニュですわ。
この2人のお陰もあり、「医師会=立派な方々」というイメージが定着し、医師会が言うことはすべて立派ということになった。そんな中の茨城県医師会のロッキン中止要請。「ワシらも日本医師会や東京医師会のように存在感見せて仕事してる感出さなくちゃな」とばかりに中止要請をした。
おい、お前ら! 鹿島アントラーズの試合にもそんな要求していたのか!
結果的にロッキン側は中止要請を受け入れ、声明を発表。私は渋谷氏のこの判断、実にロックだと思います。多分、医師会は「ワシら、ちゃんと仕事してるもんね~。一応要請出したよw」みたいな気持ちだったろうに、本当に渋谷氏が「じゃあ辞めます」と言い放ち、「えぇぇぇ? マジぃ?」となったのではないでしょうか。結果、茨城県医師会は大炎上。渋谷氏のすさまじき胆力により、医師会の横暴を世間に見せつけたのでした。
ここまで五輪とロックフェス、2つの中止例を見ましたが、賢明なる皆様はもうこのダブルスタンダードが分かるでしょう。「なんか五輪とロックフェスってヤバそう♪ でも、プロ野球とJリーグは安心だよね♪」という単なるフィーリングの問題なのです。これによって多くの人がこれまでの準備・努力・自己研鑽・友情・愛情をぶっ壊されたのです。
最初は教則本とかに習うわけで、正解があることのように思えますが、
ずっとやってると正解なんてないことに気付くわけです。
教則本は大量にあるし、PixivとかTwitterにも人体はこう描け、骨格や筋肉を意識しろ、
単純に売れてるとか、多くの他人を感動させてる絵がそんなに凄い絵ばかりか?
というとそんなことはないわけです。
でも、一本線を引いては、これはなんか違うな、と思ってアンドゥ、リドゥを繰り返していたら、
だから、なんかよく分からんけど、多分これが今の自分のフィーリングに正しいからいいや、と思って、
えいや!と線を引いていくしかない、
ガンガン線を引いて、線を一本一本除去する勇気がなければ練り消しでぼかして消してみるとか、
そんな感じで、なんとなく、で進めていくしかない、
というのが絵を描いているときにいつも思うことの一つです。
楽器も同じです。
別に完コピしなくても、速弾きしなくても、大まかにフレーズを掴んで弾くとかでもいい、
というか、プロの人でもコンサートやライブで全曲完全に弾くのは疲れるとか、
そこは適当にアドリブで弾いたり、疲れたから手を抜くぜー、みたいな弾き方があるわけで、
要はコード進行とかから外れなければどう弾いてもいいわけです。
多分、人生も同じです。
間違って外れた音を弾いてしまっても後悔しても仕方がないので考えない。
9話まで見たんだけど、柿花(サル)の描かれ方違くない?
だって結果美人局に会った被害者ではあるけど、ナチュラルに嘘つきまくりの借金まみれのおっさんだよ?
もしあの女の子が美人局じゃなくて、本当にいい子だったら何をするつもりだったん?
フィーリングが合えばみたいなこと言ってたけど、とりあえず関係をもってしまえばあとは借金まみれでもオッサンでも情が沸いてくるってこと言ってるんでしょ?最高にキモくないか?
入社面接のときにありもしない仕事内容や報酬でとりあえず釣っておいて、会社になじんだら条件違ってもなんだかんだで辞めないみたいな下衆い算段じゃん。
それなのにちょっと馬鹿なことしちゃった憎めないお調子者みたいな描かれ方は絶対おかしいって。
本質は金で女の子騙して関係を持とうとした下衆キモオッサンだろ。
小戸川ならそういうの指摘してくれると思ったけどなー
幼い頃にテレビ放送で全話逃さず見ていても、記憶は段々と薄れていくものだ。特に妃英理と毛利小五郎の関係性は、最近の赤井家フィーバーの最中では朧気になってしまう。
こうしてサブスプリクションによって、見たいと思ったタイミングで、ノータイムでアニメを振り返ることができる。良い時代になったと思う。
(一応、自分は熱心なコナンファンというよりは、結末が気になる一心で連載を追うライトファンである。
ガッツリと読み込みファンにとっては、妃英理と毛利小五郎の関係性は、新一と蘭の関係性と同等に重要であろうことは言うまでもない。)
改めて最初から原作を(そしてアニメを)追っていると、少しばかりからかいの目で以て彼らのストーリーを読んで(見て)しまうことがある。
これはライトファン故に、ディープファンにとってはやや失礼というか、無粋と一笑に付されてしまうかもしれない話題だ。
ずばり毛利小五郎の頑丈さについてだ。
毛利小五郎は何度か死んでもいても可笑しくないほどの打撃を、妃英理から受けていると思しき場面がある。
最近だと、映画「ゼロの執行人」のED映像の中の一場面。疑惑が晴れ、釈放された毛利小五郎を、妃英理が手料理によって祝う場面だ。
あの場面で小五郎は英理の料理の味に青ざめ、料理を吹き出してしまうのだが、それに怒った英理が、言い争いの末に煮物のたっぷり盛られた土鍋で小五郎の頭を殴るのだ。
小五郎の頭にはたんこぶが出来、白目を剥いて伸びてしまった。それだけといえばそれだけのシーンで、ギャグチックに処理されているためか、深刻さは見受けられない。
こうした少年漫画における女性の男性に対する暴力描写は、最近では眉を顰められることも多々あるそうだが、自分くらいの世代だと、ギャグとしてスルーされることが多いという認識だ。
クレヨンしんちゃんで言うところの『げんこつ』的な描写と言えよう──かの描写がコンプライアンスの関係で喪われて久しいが、表現の自由という意味では、中々に悩ましい事例だ。
もちろん、5才児を拳骨で強く殴ったり、頭をぐりぐりと圧迫してはいけないのだけれど。現実とコミックリリーフは、切り分けて考えたいものだ。
そうした様式美として片付けていた描写は、『コナン』という作品の中ではやや趣を異にする。何故なら『名探偵コナン』はタイトルの通りミステリーの側面があり、結構な頻度で殺人事件が発生する漫画だからだ。サスペンスドラマでももう少し加減するんじゃないかという頻度で人が殺されている。
その殺人事件の、殺人手段の中には様々なバリエーションが存在するが、その中でも最も手近な方法といえば『撲殺』であろう。
撲殺とは、ほぐして言えば叩き殺すことである。何らかの鈍器を、或いは自らの拳を凶器とし、叩いて殴って、息の根を止めることである。
殴って殺すといえば『殴殺』という言葉もあるが、ここは撲殺で統一させて頂く。
『コナン』の作中では、撲殺事件は、ブロンズ像だとかお高い壷だとか、そういった身近な重たいオブジェや家具によって引き起こされてしまう事が多い気がする。
計画性も低く、犯人の動機もカッと頭に血がのぼって、思わず──というシチュエーションが多い。
(何だかんだ動機の薄さが槍玉に挙げられるコナンだが、現実的だと感じるのは筆者だけだろうか。現実の事件も、ドラマチックな犯人の動機などあまり聞かないものだ。むしろドラマチックだからといって納得できたとしたら、そちらの方が問題である)
さて、ここまで読んでくださった皆様の中には、筆者の言いたいことがぼんやりと分かってきた方もいらっしゃるのではないだろうか。
つまり、『自分の料理を貶されて』『夫婦喧嘩に発展して怒りのあまり』『煮物のたっぷりと入った鍋で殴りつける』──という、動機と手段とシチュエーションが三拍子揃った場面なのだ。
鍋を振り上げてから変な溜めがあったからか、ちょっといつもより洒落にならない絵面だったように思う。
前述の通り、深刻さはないのだが(尺稼ぎだったのだろうか)
もしも彼らが、一週限りのゲストキャラクターだとすると、確実に小五郎は亡くなっている筈だ。
コメディと一言に言ってしまうのは簡単だが、その裏でコメディ的な行為がしっかりと殺人に発展している作品の中では、かなりギリギリな描写なのではないかと思う。
そんな『鈍器で殴られる』という場面なのに、何故小五郎は生きていられたのだろうか。
ゾウでも一瞬で眠る程の麻酔薬を毎週近く射たれているのだから当然だ、という冗談は受け流すとして、それは恐らく、妃英理の愛故にだろう。
端的な話、英理は実際には鍋を振り上げてはいないし、振り上げていたとしても、毛利小五郎の頭に振り下ろしてはいない。
びしゃっと机の上にぶちまけて、ビンタでも食らわせたのではないだろうか。
『名探偵コナン』はミステリーだが、同時にラブコメディーでもある。コメディ描写は通用しないかもしれないが、ラブコメディな描写は通用してしまうのである。
あの鍋を振り上げるシーンなのだが、発端は妃英理が久しぶりに毛利家に上がり込んでいるという事実に、小五郎がちょっぴり照れている所から始まっている。頬を赤らめている小五郎に、英理が何事か話しかけた時に、小五郎が照れ隠しに煮物を一口頬張ってしまうのだ。
つまり小五郎のツンデレが発動したシーンなのだ。(まるで毒でも食んだかのようなリアクションである)
まあそのツンデレが高じて彼らは別居状態なのだが、関係性とは常に変わり行くものである。
ややフィーリングな結論なのだが、妃英理は手加減をしていたのだ。
それを受ける毛利小五郎も、甘んじて受けていた。
深刻なように見せかけて、冗談だった。
愛がある見方をすれば、そんなふうに見える。
仮にも警察に拘束されていた所を開放された、という、それこそ深刻な雰囲気を、夫婦喧嘩というロールで和らげた、という見方もできる。意識にしては怒りが強いので(いくら下手とはいえ、自分の作った料理をぶちまける心情は、察するに余りある。英理がかわいそうだ)、無意識だろう。
ともすれば作中の『犯人と被害者』の関係に至ってしまいそうな所を留まれるのは、ひとえに、そんな言葉のいらない信頼関係が成立しているからであろう。
『コナン』の世界では、ラブが全てを凌駕するのである。蘭が絡んだ事件では新一(コナン)が空回ってしまうように、和葉が絡むと服部がばかになってしまうように。
ラブがきっかけで阿呆なやらかしをしてしまった小五郎が受ける暴力は、同じくラブによって阿呆になっている英理からのものだからこそ、威力が軽減されるのである。
恐らくあの世界で『犯人と被害者』になってしまうカップルは、ラブなパワーバランスが崩れてしまったカップルなのだ。
そしてその「ラブによってだめになっている」部分は、読者、ひいては視聴者は、愛すべきポイントなのかもしれない。
なんだかふわふわとした結論に至ってしまったけれど、夫婦喧嘩は犬も食わないと言う。筆者もここまで考えて、なんだかどうでも良くなってきてしまった。
あの夫婦はかわいらしい。
ただそう思うだけで良かったのだ。
さて。
(終わり)
サークルに才能の塊みたいな先輩がいた。とにかく誰よりも耳がよくて、一度聞いた曲を再現できるような人。ピアノ以外にもギター、ベース、ドラムの他管楽器も演奏できたし、なにより先輩の音楽はとにかく感情にあふれていて、人柄もよく、誰よりも楽しそうに楽器を鳴らす姿は部員みんなの憧れだった。あまり家が裕福じゃなかったそうで、美大なんてもってのほか。仕方無しに家から近いこの大学に特待生として通っていたと後々聞いた。
先輩は大学を出たあと、大学のレベルでは考えられないくらいいい会社に就職した。先輩は頭も良くて努力家だったから、会社でも出世を見込まれたみたいで、入社して数年後には海外へ行ってしまった。忙しくて音楽に触れる時間なんてなかったようで、この前会ったときにはただのアラサーのサラリーマンになってた。何よりここ数年楽器に触れてないと聞いてショックを受けた。
先輩が大学を出たのと同じくらいのタイミングで、私の組んでたバンドが徐々にあちこちでライブできるようになった。ツアーだって経験したしそれなりの規模のフェスにも乗った。ただ、自分たちの音楽は先輩がちょろっと弾いた即興の曲に勝てる自信がない。実際に先輩は学生時代に映画やドラマの曲を幾つも手掛けてたし、部室で適当にセッションしたときのあのフィーリングは明らかに才能のある人のそれだった。社会に出ても音楽を続けていたら、絶対に私達より有名になったはずなのに。すごく悔しい。
インフルでのワクチン接種を基にして接種可能件数の推定をするということについてはかなり以前からやられていたことだから、今更フィーリングってことも無いんじゃない?大規模接種も昔の集団接種の経験が使えるという話はあるし。
問題はその推定じゃ時間がかかりすぎてるってことだけど、かといって海外みたいに医療関係者以外が注射することは受け入れられないだろうからな。医療関係者以外であるがゆえに有り得べきミスをしても許す、ような寛容さや切迫感は日本人にはないでしょ。
のぼる小寺さんの作者だったんだな
吃音症だけど高身長イケメンの男子高校生が声ださなくていいダンスにはまる
社交ダンスならいくつかあるけど、激しいダンスはやっぱマンガで表現するの厳しいなっていうのが正直な感想
派手なエフェクトとか絵面を汚したかんじにするとかアートっぽさでダンスっぽく見せようとしてる努力は買うけど、やっぱ限界かんじる
まわりの人間に実況解説させたり主人公に独白させたりとかで苦肉の策もちょいちょいある
加えて、フィーリング的なtipsがわかりにくくてすごさが伝わりにくい
あとはまーなんつっても主人公が体格からして天才だし素質才能もあるってので萎えるね
中学までやってたバスケがどうこうってちょいちょい挟んできて説得力持たせようとしてるのもあるけど無理ありすぎ
明確に評価点があるわけじゃないからバトルとかしても勝ち負けの結果みてうーんってなることも多いし
絵柄から作者女だとおもってたら男でびびったわ
作風が女っぽいってすげー思ってたのに
youtuubeで作者が顔出しでダンス公開してるのはすごいと思った
仲良くなる方法ね。
①挨拶する
休憩スペースで茶を飲むとか、飯を食うとかするタイミングだとより簡単だ。
「お隣、よろしいですか」
相手に対して正面よりは横か斜め前の位置に陣取るのも地味ながらコツだ。
②アイスブレーキングする
例えば季節。
「今日は急に暑くなってきましたね~」「そうですね~。もう春というより初夏ですかね~」
例えば飲み物。
「そうですねー。甘いのは駄目なんですが、無糖のこういうのはすっきりして好きです。」
軽い共感が発生して少し打ち解ける。
相手の言葉と見た目と行動をよく観察して質問のネタを絞り出す。
「肉お好きなんですか?」
「もしかして何かトレーニングorスポーツとかされてるんですか?」
相手が興味を持っている内容なら相手の反応は饒舌になりやすい。
いくつか質問を振って話を聞いていき、自分の関心事ともマッチするネタにたどり着く。
汎用的な質問は、
「休日は何をしてることが多いですか」
など。
要するに、時間と金という人生の重要なリソースを何に注ぎ込んでいるのかがそれとなく分かる質問だ。
初っ端にこの質問では重いが、季節や飯のネタなど当たり障りのないネタでアイスブレイキングした後ならタイミングを見計らって繰り出せる。
相手の人となりの輪郭が徐々に掴めてくる。相手にもこちらの人となりが徐々に伝わっていく。
一緒に追求できそうなカジュアルな関心事が見つかったら、それを一緒にやろうと誘う。
「どこそこに美味い○○があるので今度一緒に食べに行きませんか」
「◆◆で困ってるんですけど、教えていただけませんか」or「◇◇で困ってるなら、今度かんたんに教えようか」
新しい環境に行ったとき、相手から話しかけられるの待ちなのがほとんどで、運良いときは気の合う友達になる人が話しかけてくれるんだけど、こっちからアクションした方がいいって常々思ってる。
誰か友達の作り方教えてほしい。
気の合いそうな人の見分け方ってどんなの?フィーリングで判断して、なんか違うなって思ったら離れるみたいな当たって砕けろ精神で行けばいい?
あと好きな人へのアプローチのしかたも教えてほしい。今までそういう人はずっと遠くから見てるだけで生きてきたんだけど、どういう感じで相手にアピールしてるの?わかんねー。
2021/05/07 の菅総理の会見での 日本経済新聞の重田記者の質問です。
https://youtu.be/Ei1NBEikh90?t=2812
日本経済新聞の重田です。
先程1日に100万回のワクチンの接種を目指されるというふうな目標に触れられました。
だいたい1日100万回ですとだいたい7ヶ月、国民全体に普及するのに7ヶ月かかるというふうな目安になるかと思います。この100万回ですけれども、現在の自治体の回数を積み上げたところでそういった数字を出されたんでしょうか。どういった積算根拠があっておっしゃったのか、そこらあたりをお伺いしたい。
これいろんな情報を全部収集してます。まぁその中で、いわゆるインフルエンザの接種というものを、これ日本やってます。まぁそいう中で、60万回くらい今平均できているという報告を受けていますので、まぁそうしたことから考えた時、体制としては今回の方が遥かに広くとってますので、そうした様々な事を考えた時に、それは可能だと。ですから接種を始めて本格的になって慣れてくると、まぁそういうことも可能だという風に十分に思ってます。
こういうランキングは「偉大」だとか「名盤」とかいったフワッとした基準で選ぶから良くない。だからどうやっても、独断と偏見が混じった「好きなアルバムランキング」になってしまう。
このような類のアルバムランキングに独断と偏見が混じってしまう理由は、ランキングを作る上で必要な音楽やそのバックグラウンドにまつわる教養が、作成者に不足しているからだと思われる。
特に、元増田のような自称音楽好き素人ランキングではその傾向が顕著である。元増田は色々と御託を並べてはいるものの、
・度々「影響力」という言葉が出てくるが、それは具体的に何を指し、どのように測っているのか
などといった点で不明瞭で、これでは選考が理にかなったものであるか第三者は判断できない。
「日本音楽史上の最も偉大なアルバム20」と銘打つのならば、同じ選考基準で誰が選んでも同じ結果になるような普遍性を持つランキングを目指すべきである。しかし、そういった配慮が一切なされていない元増田のランキングは、所詮「独断と偏見で選んだ好きなアルバムランキング」である。
元増田は『日本人は音楽センスが乏しく、既存のランキングには問題がある』と論じている。しかし、このランキングも個人的なフィーリングで選んでいるにすぎず、元増田は自身が見下す「音楽センスの乏しい連中」と同類であると言わざるをえないのは、何とも皮肉なものである。
もし、アルバムランキングのような試みをしたいのであれば、「数百年後、数千年後に残したいアルバムリスト100選」とかにしたらどうだろう。何百年後の学者たちが、今の時代の文化、歴史などを研究する上で有益となるアルバムをリストアップする。より具体的な理由づけがしやすくなるし、リストにすることで偏見が入る余地を狭くすることができるだろう。
すっごく下らないし長文です
私は中学生の頃からアニメやゲームが好きなオタクです。ソシャゲに誘った友達は高校の時に出会ってアニメ・漫画はそれなりに好きだけどオタク気質では無い子でした。
Aは明るくて可愛いのですが、人の気持ちを汲んで話すのが苦手で所謂「空気の読めない子」でした。
私は高校卒業後は県外の専門学校へ進学し、Aは卒業後地元の大学に進学しました。
卒業後は私が無精者なこともあり、暫く連絡を取ることが無かったのですがコロナ禍でAはリモート授業になり、私はバイトのシフトが減るなどして暇な時間が増え、またこまめに連絡を取るようになりました。
Aと世間話をするようになって、Aは進学後同級生と人間関係のトラブルがあったことを教えてくれました。
トラブルの内容は、Aがその同級生推し(同級生の方もオタクらしいです)を無意識のうちにdisってしまったらしく、SNSなどで陰口を書かれている。とのことでした。
正直私は内心、いつかやるだろうなと思い、Aの同級生には同情しました。
一応、Aにも思うところはあったようなので陰口を書く方も悪い〜等とその時は声を掛け、その話題は終わりました。
暫くして、私は新しいソシャゲにハマりました。そのゲームは数年前からリリースされていましたが大型アップデートをし、私同様新規ユーザが大量に増えました。
大型アップデート記念としてメインストーリーだけでなく今までのイベントシナリオが無料で読めるようになり、私はそのゲームにますます没頭していきました。
Aと連絡をする間も私はそのソシャゲがどんなに素晴らしいものか喋り倒し、Aも暇ならインストールしてみてと力説しました。
Aはそんなに言うならとアプリを入れてくれて2人でそのゲームをやるようになりました。
ゲームを進めるうちにAも推しと言えるキャラを見つけたようで、通話中「私、このキャラ推しかも!」と言われた時Aにこのゲームを進めてよかったと喜んだのを覚えています。
ある日通話中Aは「このキャラキモくね? いる意味無いじゃん」と言いました。(そのキャラを以下Cと呼びます)
Cは50人以上もいるソシャゲキャラの中ではメイン格で、少しよなよなしていましたが物語の中で成長していき、アップデート後の追加シナリオでは頼れる先輩キャラになっています。
BにとってもCは仲が良い先輩で、B推しがCを嫌っているという話も珍しかったためなんでCが嫌いなのかAに聞きました。
A曰く、Cの喋り方が気に食わない・フィーリング的に無理との事でした。
私はAの話を聞いている間、Aにドン引きしていました。
ソシャゲが長く続いていたのも大勢の人からCが愛されているからでそれをdisるなんて酷いという感情もありましたし、私が好きだと言っていた物を無意識に、なんか気に食わないから嫌だキモイ。と以前も似たトラブルがあったにも関わらず(人間なので嫌いなキャラがいるのは仕方ないので鍵垢などを使う等)配慮を全くされなかったのが悲しかったのを覚えています。
それ以来、私はAが推していたBを生理的に無理だと思うようになりました。
Bが発言する度にウザ。と思うようになりましたし、以前あったイベントシナリオでもBのセリフは少なく、Bの方がいる意味無いじゃんと思うようになりました。
最近はコロナも落ち着きAも忙しくなったらしくゲームは半ば引退しているようで以前のように連絡を取ることも少なくなりました。
このままAとは暫く話したくないと思っています。
嫌いなキャラも出来てしまったのでゲームもあまり楽しめず今ではAにゲームを勧めなきゃよかったと後悔しています。
これからは、自分の好きな物を勧めるときは他人の好きな物を尊重してくれる人に勧めようと思いました。
長文、失礼しました。