はてなキーワード: アニメ映画とは
初めてという訳ではないんだけど、久しぶりに見て、その完成度の高さに、今さらながら、驚愕。
人間界と魔界から派遣された「闇ガード(ボディガードみたいな?)」ていう戦士が人間界と魔界の間に暗躍する陰謀の謎に挑んでゆく、その展開がストーリーとして面白くて、そして、敵と戦ったり、濡れ場あり、とエロとバイオレンス入り交じる作品で、まるでハリウッドさながらのアクションシーンと映像美に溢れた、いい刺激が効いてる、日本が世界に誇る名作だと感じた。これハリウッドで実写映画化しないかなーと思った。
80年代アングラOVAの雰囲気を踏襲しながらも、ハリウッド映画さながらの臨場感のある戦闘シーンなど、何故アニメ大国の日本でこの作品がそこまで取り上げられないのか不思議に思う。
「君の名は。」とか「進撃の巨人」とか、後、「AKIRA(あまりストーリーが好きになれない)」とかハリウッド映画化される予定だけど、まずこれをハリウッド映画化しろよ、と思う。
後、「銃夢」がハリウッド映画化されて、好きになれなかった人も少なからずいただろうけど、自分は個人的には好き(話は飛ぶけど)。
まあ、どちらにしろやって欲しい。切に願う。
天気の子はどっちだっけ?って一瞬迷う。
天気の子はサントリー映画→サントリーの天然水のCMで「おおかみこどもの雨と雪」のBGMが使われてるしアメとかいう猫もいる→細田守かな?と思ったらこれは引っ掛けでZ会のCMが必ずセットであるから新海誠
こんな感じで。
気になる女の子と映画デートへ行った。いや正しくいうなら気になろうとしている女の子であろうか。以前私は配信者の男がこう語っているのを聞いた。まずはブスと付き合え。衝撃を受けた。モテてない奴はまずは誰でもいいから付き合って練習しろというのだ。妙に納得してしまった。私はこの日からストライクゾーンがダイジョーブ博士にでも頼んだかというぐらい広くなった。そこで今日はバイト先の女の子と映画館デートへ行くことと相成ったのである。けれども正直可愛くない。可愛くないが一緒にいて気取らなくていいので落ち着く。そんな子だった。アニメ映画を観た。140分もあったものだから頻尿な私は途中でトイレに行きたくならないかとても心配になった。結果として大丈夫であった。水分を取らないことが幸いして上映中にトイレに立つことは無かったし、上映外も常人レベルのトイレ回数だったと思う。上映中彼女のお腹が鳴り恥ずかしそうに鞄を抱き抱えているのが可愛かった。厳密に言えば特に何も思わなかったが可愛いと思い込もうとしていた。何か可愛いポイントそうじゃないか。そういうところ。けれどもコンプレックスであろう口を隠してたのはとても可愛かった。僕の嗜虐性をとても刺激された。女性は男性の嗜虐性を刺激すればブスでもモテると思う。所謂弱みを見せるということになるのであろうか。相手を幾らか笑わせることはあっても特に楽しい会話もなく私が楽しくないと思っているのだから相手も恐らくそう思っているのではあるまいか。そう思うと少し申し訳ないことをした気がする。家から映画館まで往復で1000円もかかるらしいのだ。悪いことをした。私が誘ったのだから私が楽しくエスコートする必要があったのではないか。私は自分ですら楽しめていなかった。何が楽しくなかったのだろう。中々どうして理由はわからないが今日のことを思い出してみても相手の存在を認知することができないのだ。私が1人で映画を見てハンバーグを食べて帰ってきたのと同じ記憶である。私は本当は1人だったのではないか?とそう思えるほど相手の存在を感じとれなかった。私が普段街で脳内会話しているのと同じレベルである。何の話をしたであろうか。食事中に喋るのはいけなかっただろうか。容姿を褒めてやることが出来なかった。私は完璧主義であるから、自分の思い通りにならないと気分が悪くなる。けれども、あと2、3回遊びに出かければ彼女は三人称代名詞としてではなく恋人としての彼女になるのだろうな。とも思えてしまう。それ程私は今自己陶酔している。病的である。あるいはまさに拗らせ童貞なのである。あゝ彼女欲し。
ブレンパワードを見るといいんじゃないかな。あれを見ると富野の女性観(母親観)が感じられるかもしれない。同時に家族論みたいなところもあるし、登場人物みんな機能不全家庭の出身だから不快に感じるかもしれないけど、面白いと思うところも多い。登場人物に富野の家族の名前がついてるとこも象徴的な作品かも。
本で言うなら∀の癒し、内容あんま覚えてないけど「ガンダムの家族論」って直球なタイトルの新書もあったかな。
個人的にうまく整理できてないけど、富野監督は非常に偏見が強い人なんだよ。それは女性に対してもそう。
職人気質で経験則で物を判断するからか、これはこう、あれはああと思い込んだら中々抜け出せない。違う視点を手に入れるとすんなり受け入れることもあるが、そこまでは非常に頑固。
作品に女性賛美と女性蔑視が同居してるのも偏見の強さからきたもので、矛盾したことではないんですよ。
女性は男性(自分)にないパワーを持ってると認めているけど、それを馬鹿にしていると言うか、決めつけてかかってる部分がある。この間限定公開されていたインタビュー動画でも、アニメ映画「海獣の子供」の感性を褒めていたんだけど、その理由を女性が作っていて自分には作れない感性だからと言ってしまったんだよね。
恋しさと せつなさと 心強さとはストIIのアニメ映画の曲だッつってんだろうがよォ
昔からあるけど超クソ。
最近ではこんなの。
https://www.amazon.co.jp/dp/4091432271/
子どもは欲しがるけど,俺は藤子不二雄の白黒の普通のてんとう虫コミックスを読んでほしいんだよ・・・
Spotifyで2020年に海外で最も再生された日本の楽曲10曲のうち、8曲がアニメのOP
アニメが上位に来るのは外人も「アニメは見てる」ってことを意味してる。
同時に、「ドラマは見てない」ってことだよね。
日本人は洋ドラ見てるけど、外人は日本のドラマは海外ドラマとして全く興味ないってわけ。
そりゃそうだよね。
俳優ネタばっかだし、最近受けてるのは「バブル時代は~」「日本はすごかった~」「最近の若者~」ばっかで日本に住んでなきゃ微塵も面白くない。
そもそも単純な話として日本の実写ってアキラ・クロサワ以外は海外じゃ全く評価されてないから。
オサム・テヅカ、カツヒロ・オオトモ、ハヤオ・ミヤザキとアニメ映画に関しては海外でめっちゃ評価されてる。
でもそりゃそうだよね。
「バブル経済期の日本にいたパワハラ野郎に土下座の強要を倍返ししたらあ」とかそんなん言われて盛り上がるの日本のオッサンだけじゃん。
サウスパークやシンプソンズの日本人が「は?ちょっと今のついてけんかったわ」ってなるシーンだけでドラマの全パート構成した究極の身内ネタよね。
つまる所、日本製の実写は日本人向けの蛸壺の中でしか生きられない訳よ。
そしてその実写文化や日本のテレビ文化に寄生した日本でしか受けない番組群と、アニメ・マンガっていう海外でも生息できるクールジャパン群があるわけ。
その差が如実に出たよね。
別に悪いとは言ってないよ。
実写で海外と真っ向勝負なんてしても、胴長短足の日本人が主役で予算もろくについてないんだから返り討ちにあうだけ。
だから細々と日本人向けの日本でしか受けない作品を作ることで同じ物差しの上に並べられることを回避します。
でもそこに自覚的にはなるべきだと思うわ。
声優のオタクしてるから、結構なソシャゲを入れて、ハマらなかったら好きな声優の声だけ聞いて消して、っていう不毛な行為をよくしてるんだけど。
最近多くなってきた中国原産で、日本語翻訳してリリースされたスマホゲーム、大体が日本の声優のボイスが付いてるんだよな。前までは日本向けにわざわざ声優起用してるのかな、まあ日本のソシャゲってキャラに声ついてて当たり前のとこあるからなあとか思ってたんだけど、どうやら中国版の本家でも、日本の声優が日本語で声を当てているらしい。
ひとつやふたつじゃなくて、中国原産で日本に入ってきたソシャゲって大体がそう。ありがちな美少女量産型の予算ギリギリなんだろうなあってアプリから、アズールレーンやアークナイツなんかの日本でもそこそこ売れてるようなアプリまで、中国版でも日本の声優を起用してる。
日本でボイスが中国語のソシャゲが出たら人気が出ないのは簡単に予想できるじゃん。それこそ中国から輸入したゲームでボイスが中国語ならそのままの雰囲気を楽しめってことだと強引に解釈できなくもないけど、日本発でそれやったら疑問しかないよね。ソシャゲってキャラ萌えを売りにするゲームで、キャラが何言ってるか調べないとわからないって致命的だし、調べて意味が分かっても、そのキャラ独自の訛りとか口癖を作ってキャラ立ちさせるのがとても難しくなる。
逆に言えばそのデメリットを全部放り投げてもいいくらいのメリットがありますよってことなんだろうけど、調べてもこれといった答えが出ないのでずっとモヤモヤしている。いかがでしたか?みたいなサイトしか出てこない。
日本の声優の方が給料が安い?日本の声優の人気がとても高い?どっちもないと思うんだよなあ。日本の声優の給料ってアニメよりゲームの方が高いらしいし、釘宮さんや花江さんみたいな一線級から、最近デビューしたような新人まで起用されてる。
もしかして中国って声優っていう職業がなかったりするんだろうか?それなら俳優にソシャゲのボイス頼むのはちょっと…ってのもわかるし納得できる。でも日本のアニメが中国で放送されてるときは中国語で声が当てられているだろうし、羅小黒戦記みたいな中国発のアニメ映画にはちゃんと中国語で声が当てられている。ってことは中国にもいるんだよな、声優。
休日、姪っ子に頼まれて仕方なしに連れていったら老若男女入り乱れててびっくりした。
ジャンプを10年くらい緩く追ってたレベルだから当然話も知ってるけど同時期なら鬼滅より約ネバの方がレベルが高いと思ってるし、そこまで琴線には触れなかった。
ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ
俺の横になかなか見ない美人が座って少しテンションが上がった。
長身で香水がうっすら香ってブランドのバッグを持ってる女性だった。すごく綺麗にしていて目を引くし姪っ子もすごく綺麗な人ってこっそり言ってきた。
どうやらカップルで来たらしくヒールを履いた長身の女性と比べても見劣りしない身長で仕立ての良さそうなスーツを着ているいかにも成功者の男と一緒だ。
こういうカップルがアニメ映画でデートなんてことに鬼滅の人気を感じる。それこそ気だるいフランス映画とか見てそうな二人なのに。
映画が始まると彼女は泣きっぱなし。姪っ子も号泣で泣く女2人に挟まれて戸惑う俺。確かに映像はよかった。面白かった。なんで伊之助達が目覚めたかとかなんで縄を切っちゃだめってわかったかとかそういう重箱つつきが無粋なくらい泣かせる脚本に音声がついていい映画だったと思う。
エンドロールも終わって泣きすぎた隣の女性が彼に「毎回見る度に杏寿郎が生き残るんじゃないかって思うんだけどやっぱり死んじゃうの……」って涙声で言っててこの美しい女が何度も煉獄の死を見に映画館に足を運んでることを察した。
SF小説家のグレッグ・イーガンがTwitterで「アニメ映画の『君の名は。』見たよ!(俺の短編『貸金庫』からインスピレーション受けたんだって。プロットは全然違うけど)まあ全体的に良かったよ、特に映像」と新海誠の「君の名は。」を褒めた。
「Just watched the anime “Your Name” (which was apparently inspired to some degree by my short story “The Safe-Deposit Box” (!) though the plot is entirely different https://en.wikipedia.org/wiki/Your_Name#Production]).
It was a bit saccharine in parts, but overall pretty good, and visually ravishing.」 / Twitter
そしたら前半のカッコ内の部分が注目され、「イーガンは『君の名は。』のストーリーの起源を主張してる」みたいに読解する人が表れた。
5chを見ると、「全然違っやろ」「入れ替わりなんて他にもある」「『転校生』を知らんのか」みたいなレスが垣間見えた。
いや、お前ら何言ってんの?
イーガンのツイートに「君の名は。」がインスピ受けたって話のソースとしてWikipediaのリンクが貼られてるじゃん
えっ?「イーガンはWikipediaをソースにする情弱なのかw」だって?
いやWikipediaの「Your Name」の項目読めば、イーガンの「貸金庫」にインスピ受けたって文章は、「君の名は。」公式ガイドブックの48ページに書かれている内容をソースにしたものだって出てるじゃん
何も誰かが勝手に「これはイーガンの短編と似てる!」と思って書き足したものではないんだよ
新海誠本人がイーガンのそのツイートに肯定の引用RTをしたから、ソースを確かめるまでもなく誤解して文句言う奴がバカって形になった。やったぜ!
新海誠は、Twitterで反応する前から『君の名は。』でイーガンの『貸金庫』を参考にしたって表明しているんだが。公式ガイドブックは2016年出版だ。ここで「イーガンの「貸金庫」参考にしたよ」って答えてるんだよ。
鬼滅の刃が流行しすぎて一つ一つの要素を紐解くことはもう無理だということはわかっていいる。
ただ、やっぱり映画の空前の大ヒットについてはどうしても考察せざるを得ない。
そうして紐解いた結果、実は鬼滅の刃の映画は、今までやろうしなかった、やれたとしてももできなかったものなんじゃないかなという結論に至った。
・何が?
結論から言うと、「ストーリーの一部を切り取って映画化したこと」が、である。
御存知の通り、劇場版鬼滅の刃は無限列車編のみを抜粋した映画だ。
実は、そのことに違和感を頂いた人は少なくないんじゃなかろうか。
マイナーな作品は除くとして、今までのメジャーなアニメの劇場版は、大きく3つに分類できる。
理由は単純。
劇場版を見に来るターゲットが、原作やテレビアニメ版を知らない層を含むからだ。
事前情報を必要としない2時間の娯楽として楽しんでもらうために、そうせざるを得ないのが本音だろう。
上に挙げたどれもが、原作を知らなくても楽しめて、それをきっかけに原作が欲しくなるように設計されている。
ところが、劇場版鬼滅の刃は、原作にあるストーリーの一部、「無限列車編」だけを切り取って映画化した。
本来ならばそれは、原作を知っている人しか楽しむことができないという、ターゲットを絞り込む行為に他ならない。
ところが、この映画はターゲットを絞り込むどころか、記録を塗り替えんばかりの勢いでヒットを続けている。
本来ならばありえないことが起こっていると言っていいだろう。
しかし、頭ではそう考えている反面、実に自然に、自分でも不思議なくらいに、この映画を見てみたいと思う自分がいたのも確かだ。
・紐解かれた動機
自分はコミックス完結後にやっと買い揃えたくらいの鬼滅の刃ファンの中ではかなり後発組だ。
もちろんアニメは見ていないし、最近ではアニメを見る習慣もなかった。
(そんな人間がこんなことを語っていて申し訳ない。第一次オタク世代、今は隠居の身なのだ。)
興味がなかったわけではない。しかし、今の生活リズムには、アニメを見直すには時間が重すぎるのだ。
また、最近では作画崩壊ややりがい搾取問題など、がっかりするような話も多く聞かれてなおのこと足が遠のいてしまっていた。
そんな中にぽんと投げ込まれたのが無限列車編だけを切り抜いたこの映画だ。
アニメ全話を見直す気力はないが、2時間に絞って、しかも最初から最後まで劇場版クオリティで見ることができるというなら、ぜひ見たい!と手放しで思えた。
テレビ版特有の尺を合わせるための間延びだってないに違いない。
なんの根拠もなく、漫画の尺と映画の尺を脳内で比較して勝手に期待を膨らませてしまったほどだ。
劇場版鬼滅の刃前と後では、劇場版アニメの役割は大きく変化するであろう予感がある。
今までの劇場版アニメは、新規ファンの開拓とテレビアニメファンの両方を楽しませることが目的だった。
しかし、劇場版鬼滅の刃は、ともすれば原作を知っている人しか楽しめないような内容になっている。
それなのに、むしろ多くのファンを取り込むことに成功した理由は他でもない。
多くのにわかファンにとっては、むしろ原作にあるストーリーを映画化したほうが、素直に見てみたいと思える要素になりえるということなのだ。
これには、鬼滅の刃特有の、大ヒットに至るまで長い時間をかけてじわりじわりとファンを獲得していったという、その独特なヒットの形態も寄与しているものと思われる。
しかしながら鬼滅の刃劇場版は、今後もこうして原作ストーリーを切り取りつつ、高いクオリティをもって提供されつづけることで、今後もヒットが続くであろう確信がある。
なぜなら、アニメ全話をダラダラと見る気にはなれないが、ハイライトだけを切り抜いて、高いクオリティに濃縮されたものならいくら払ってでも見たいと思えるからだ。
これは、あれだけオタク以外の人間を巻き込んで成功したエヴァンゲリオンでさえなし得なかった快挙と言える。(原作ありきの鬼滅の刃と比較するべきではないことは承知した上で。)
・まとめ
今までは、漫画、アニメ、劇場版と、それぞれ独立したコンテツとしてファンが存在していたと言っても過言ではない状況だった。
しかし、鬼滅の刃がぶち壊したものはそうしたコンテンツの垣根であり、こと劇場版においては、今までの劇場版としての役割を全く覆した上で、今、劇場版として求められている役割とは何かを突き詰めた究極の形に至ったと言っても全く言い過ぎではないだろう。
これは、今後後追いコンテンツがヒットした際の劇場版のありかたを大きく変えることのきっかけになるはずだ。
現代人のライフスタイルにとって、全話アニメは見るのが難しいけど、一部をハイクオリティにして凝縮した2時間の劇場版なら見たいって人が沢山いることがわかったよ!
そしてそれは、いままで原作を知らない人を取り込めるのは原作にないオリジナルストーリーだというのが思い込みで、むしろ原作をしっかり切り取るほうが人を呼べるんだよ!
ということ。
よくわからない新キャラ。それに当て込まれる芸能人。無理やり2時間でお涙頂戴。
こんなの国民の誰一人として望んでないことがわかって本当によかった。
市場規模が大きくなって鬼滅みたいなアニメ映画が一般レベルで大ヒットするくらいかつてオタクコンテンツだった分野が普通の存在になったからでない。
オタクという世間から白い目で見られながらもまあまあお金を使うマイノリティだけで成り立っている市場で独特な生態系が成立してたから実験的な作品を作りやすかったんだろう。
そもそもアニメ自体年々大衆化が進んでつまらないものが加速度的に増えてる。
惰性で消費するのをいつやめようかと思ってる。
アニメって古典芸能と先人への畏怖から生じる先鋭の2軸だったと思うんだけど、邦ドラみたいなのっぺりした内容が増えちゃったと思う。
鬼滅の刃に感動しない
二回観たなりの感想を述べたい。原作は未読。今後の展開も知らない上で話す。(ぶっちゃけテレビアニメもまじめに観てない)
《映画:良かったところ》→《映画:良いとは思わなかったところ》→《鬼滅の刃は感動しない》
《映画:良かったところ》
この映画の素晴らしいところは、ジャンプ原作の王道の努力•友情活劇の中に非常に高品質な心情描写があった点だと思う。前半の炭治郎の夢の描写が素晴らしい。
家族との幸せな日常の夢に浸かる炭治郎。さっきまで列車に乗って鬼を探していたはずなのに、突然夢に惑わされた。夢を夢だと気付くまでの演出の仕掛けは、往年のホラー映画やSF映画を思い起こさせる。ねずこを運ぶ箱だったり、咄嗟に口に出る“昼間のねずこ”の違和感だったり。その加減が多すぎず少なすぎず非常に絶妙なのだ。ジャンプのアニメ映画だという大前提を守りながら、観客の我々は「炭治郎は本当に現実世界に戻るのか?」と不安にさせてくれる。六太の「置いてかないで!」という絶叫は悲しくも最高だった。子供の絶叫ってどうしてあんなに不安になるんだろう。初回観たとき泣いてしまった。再会できるはずのない家族ともう一度会えた炭治郎の喜びと後悔を観た我々は、夢から覚めるために進む炭治郎の辛さが理解できた。夢にいれば鬼なんて来ないのに、鬼を倒すために炭治郎は進んだ。そして、戦うために“自決”の賭けに出た。炭治郎は鬼を倒すために、自分の首を斬る選択までしてしまうのだ。なんて胆力だと、鬼と一緒に私も驚いた。そしてダメ押しのしんどいバージョンの夢。なによりも家族を優先してきた炭治郎が、父親母親弟たちに恨まれる様子を見せられる。そのときに「言うはずないだろ!俺の家族が!!」というセリフは演技演出共に本当に素晴らしかった。家族の死という最大のトラウマを乗り越えて、彼は鬼と戦って勝った。最高のカタルシス体験だった。今まで鬼滅の刃は流行っているからとりあえず観ていた作品だったが、ここまで観に来て良かったと思った。
あと、作画と音楽も良かった。ハイクオリティだった。声優の演技も高品質だった。
《映画:良いとは思わなかったところ》
新キャラ同士の戦闘にあんまり感情移入できなかった。顔は知ってるだけの先輩と、なんの前触れもなく現れためちゃ強い敵の急な戦闘に頭がついていかない。さらにこの二人も初対面同士だし。ヤタガラスにもアカザ打倒を命令されてもいない。アカザが“なんかいた”のだ。なんかいた、という理解しかできない。因縁もなにもないやつとの戦い入れる必要ある?煉獄さんがえんむとの戦いであんまり活躍出来なかったからアカザ戦投入したとしか思えない。戦闘が非常にぬるぬる作画だったし私が長子だから耐え切れたが、テレビ放送だったら耐えきれずチャンネルを変えていたかもしれない。
煉獄さんの親、お前なに言ってるの?「自分がどうして他の人間より強いか理解できるか」って、そんなこと言う親いるのか?少し斜に構えすぎかもしれないが、選民意識が強くはないか。煉獄父の奥方がそんなドストレートな言葉で表現するかいな。ノブレス•オブリージュを表現したいなら、「なぜ強い“火の呼吸”を我々が代々受け継いでるのか」とか………もっとオブラートに包めよ!若干鼻につくんだよ。
あと皆んな煉獄さんの死で泣きすぎ。先輩が命をかけて戦ってくれたので、ちょっと泣きたくなるのも分かるがあれは泣きすぎだろう。ほとんど寝てた善逸はなんで泣くんだ。炭治郎のメンタルは強いんだ。家族の未練を断ち切り鬼を倒す自決を繰り返す、ちょっと異常な強さのメンタルを持つ男だ。自分の意思で家族を振り切れるんだから、並の10代の精神力じゃない。そんな強い男が、顔見知り程度の先輩の死にあれほどまでに泣くだろうか。炭治郎は苦しくとも前に進める心の強さがあると思っていたのに、結局は号泣してる伊之助にハッパをかけられてしまう始末。おいおいどうしちまったんだよ。赤ん坊みたいに泣かないでくれよ。お前はこれまでの鍛錬と旅で強くなったはずなのに、先輩の死であそこまで泣かないでくれよ。この作品はやたら人が泣きすぎるんだ。
《鬼滅の刃は感動しない》
書いてて分かったことがある。鬼滅の刃のアニメは料理人の腕は神だが、レシピ作成者は二流だ。アニメーターの匙加減でなんとか名作の域に食い込んでいるが、元々の原作はかなりポンコツだ。たしかに面白いは面白いんだろうが、この程度の面白さだったら流行で終わる。なんとなく面白いが、人の生き方を変えるほど感動は与えない。私はそう思う。
あらゆるジャンルの作品で我々視聴者が求めるものは、『感動』の一点のみだ。作画がすごいとか、声優の演技がすごいなんてのはおまけにすぎない。視聴に耐えうればおおよその場合そこまで重要じゃない。
で、この感動を私なりに噛み砕いてみると、“昔の自分から生まれ変わる”ことの体験だ。映画『ラピュタ』で軍要塞からシータを振り向きざまにかっさらうパズーだとか、映画『ハウルの動く城』でソフィに「ようやく守るものが出来た。君だ」と言うハウルだったり。洋画でもいい。映画『タイタニック』にて海に沈むジャックをあとに自分の好きなように生きることを選んだローズなど。今回の映画でも、炭治郎がえんむに立ち向かったところなんて本当に感動した。現実を生きる我々にはしがらみが多すぎる。新しい選択肢を取るのは怖いし、自分で自分に不幸な暗示をかけてしまっている。でも、画面の向こうの彼らは、恐れの中でも古い自分を断って生まれ変わった。それを目の前で証明され、心が動くのだ。
長々と書いて申し訳ない。鬼滅の刃の話に戻ろう。この作品の最大の問題点は「あるはずのしがらみが都合よくぼかされてる」からだ。鬼殺隊でありながら鬼の妹を連れること、政府非公認組織の鬼殺隊、絶大な力を持ちながらただの鬼殺しに明け暮れる柱など、キリがない。今回だってそうだ。なんで精神の核を破壊しなかった。なんでえんむが人間を食わなかった。意図的に炭治郎たちが苦境に立たないよう誘導されている。そういうしがらみを無視されたまま話が進んでしまうから、ご都合主義だと思ってしまう。折角いい設定を持ってるんだから、ストーリーに生かしてほしい。鬼より悪どい柱がいてもいいし、警察に逮捕される鬼殺隊がいてもいい。ねずこが炭治郎の恋人を食べてしまってもいい。いくらでもあるんだから、アカザみたいなよく分からん敵をぶん投げて戦わせるんじゃなくてしがらみからけりをつけてくれ。原作がご都合主義に甘んじるポンコツだから、アニメの味付けがいかに最高でも私は感動しない。ハマらない。
鬼滅の刃が、日本人が一緒に楽しめるコンテンツになってくれたことは事実だ。皆んなが観ていた月9や朝ドラが、今は鬼滅の刃になった。立派なメインカルチャーだ。炭治郎たちは間違いなく時代を代表してる。