はてなキーワード: 補填とは
その「評判」には「あの会社はホワイト(ブラック)企業だ」という評価も含まれるため
残業や休日出勤に対してはしっかり賃金や振替休日等で補填される
なので休日出勤した場合(休日出勤した週に)振替休日を取ることができるのだが
毎回何曜日にとるかで悩む
その後4連勤なので平日休めたお得感が少ない
火曜→月曜日よりはお得感があるが、休日出勤後もう一日というのがなんだかな。休み終わってもまだ3日あるというのもつらい
水曜→攻守のバランスがとれているように思えるが、一日休みからの3連勤、休み終わってもまだ2日あるというがっかり感
木曜→休み終わっても一日行けばまた休みという抜群の安心感。ただ一日休みからの4連勤がだるい
金曜→魅惑の三連休。しかし一日休みからの5連勤。また他に三連休が必要な人が同部署にいた場合下っ端の自分は譲らざるを得ないのでコンスタントに金曜休みは取りづらい
結構、貯まってきたので見出しをカテゴリ化した。割とライブ感強めで書いているで、これを後で見返すほどのことはないのだが、増田で他のものを書いて編集するとき探すの面倒だしね。
今回は裏サンデー
或いはテレパシー的なものかもしれないが、ふきだしは普通だし、やっぱりそのまま会話しているのかね。
まあ、そこらへん細かく言い出したら、そもそもゲームでは狼状態とか関係なく基本的にリンク喋らないから、どういうのが正解だとは言い切れないが。
さて、本編の内容だが、ミドナと協力するまでの掛け合いだけだから、話としてはそこまで進んでないね。
ただ、ミドナの行動には、何かの大きい理由があるのだろうというのを匂わせる描写があったので、導入部分としては割と重要。
wiiで出た当時に一回クリアしただけだから記憶が曖昧だが、そこらへんはオリジナル描写かな。
ミドナって結構受け手がムっとするような言動をよくするので、それを緩和するためにここで先に描いておくのはアリだと思う。
主人公が吸血鬼と戦う力を得るためにどうしたかっていうのが簡単に語られて、中盤すぐに戻ってきてホッとした。
このタイミングで、過去話を長々とやられたらテンポよくないしね。
主人公は人間規模で見た場合、明らかに異質な強さだったのだが、かなり過酷な背景だったようだな。
それ位しないと、単純なスペックで勝る吸血鬼とは戦えなかったと。
間接的に、吸血鬼の格を下げない描写にもなるから、こういう説得力の補填は大事だな。
それにしても、美形のオネエキャラはもう完全にテンプレ化した気がするなあ。
出てこない方が珍しいレベル。
奴隷制反対派の一人が登場。
反対派となったきっかけ、理由が個人的なあたりが、かえってリアリティがあっていいね。
同じ派閥であっても、そこに属する理由や個の価値観が同じとは限らないわけだから。
中盤の、むまにの行動力は子供ならではの純粋さと短絡さが混在しててすごいな。
仮に国王を殺せたとしても、それで奴隷がなくなったり、問題が解決するかっていうのは別の話なのに。
それにしても、むまにの勘と運がよすぎる上、途中で出会う人物との運命的な出会いはご都合主義すぎるだろ(笑)。
このあたりの相関関係もう少しゴタゴタ描写するのかと思ってたのに、展開早いなあ。
いや、「ヤバイ、ヤられるー!」の例えは極端というか不適切だぞ、おい。
ただ、恋愛対象ではない、性的に興味のない相手から、突発的に直接的なアプローチをかけられたらヒくっていうのは分かる。
スーパー銭湯で、初対面にも関わらずやたらと下半身を触ってくる人に出くわしたことがある身としては理解できる。
そういう拒絶の心って、もう理屈の外を越えるんだよね。
先生の割り切り方はアサシンには納得できないし、言い分も分からなくはない。
けれども、だからといって先生側からすればアサシンに怒られる筋合いはないわけで。
さて、現状の関係に結構メンドーなヒビが入ってしまった状態なわけだけれども、ここからどう修復するのやら。
ダメージの蓄積では勝っているけれども、サーパイン必殺の頭突きが一発でも入れば話は別。
このままでは不利と零も思ったのか、どうやら相手の命に関わるかもしれないレベルの技を使う模様。
手札的にまだまだ底が知れない感じで、サーパインが勝つのは厳しそうだが、この漫画は主人公以外の試合はマジで勝敗分からんからなあ。
あまりサボりすぎると周りに影響が出るからとたしなめられ、面倒だからやめることにした。
やーめたって思った日に事業起こして、1週間で今の会社1月分の収入は稼いだ。
まだ後任が見つからなくてやめられてないけど、副業OKだからいいっしょ。
サボりながらテキトーにこなしていたとしても、普通の人の3倍は働いてたっぽい。
サボりに怒っていた人がそれに気づいたのは最近で、補填が1人じゃ足りないから焦ってるらしい。
俺すげーっていいたいわけじゃない。
収入よりも楽を選んでいたのにはそれなりの理由もあるし、サボってたら周囲の士気が下がるのもわかるよ。
ただ給与も安かったから、働くギリもないな、サボろ、みたいな。
それでも働き過ぎてたっぽいけど。
で、いつ退職できるんだろ。
それなりにお世話になったから、せめて引き継ぎしてやめたいんだけど。
・即刻辞任
条件:使い込んだカネの全額返済。(刑事事件としては、第三者弁護士に依頼をして無実を訴えているのかもしれないが、誰も納得していない)
・続投の場合
条件:月給1円、ボーナス1円、退職金1円。その他手当なし。(マスゾエ個人と関連会社の収支の徹底監視が必要。)
SP解散、公用車不使用。(セキュリティがというのなら、自腹を切るべき。誰もあなたが死んでも困らない。車が必要ならタクシーと同額をポケットマネーから支払うこと。)
自民党と公明党が推薦した知事が犯した不祥事に対して、両党の責任を明確にすること。
リオオリンピックへの参加中止。今後海外出張なし。必要な場合は、副知事などが参加するべし。
旧来型の大企業は若手新人にいきなり責任のある業務を負わせない。
最初の数年はバイトでもできるような仕事をやらせて、社内・社外に馴染ませる。
そのあとバイトリーダーのような仕事をやらせて、人の上に立つ経験をさせる。
今は、この辺りの仕事は非正規人材に丸投げしてしまうことが多い。
30代になって、これまでの仕事が認められたら、ようやくイメージしていた「正社員」の仕事をやらせてもらえる。
給料も一気に上がり始める。
40代になれば自分の裁量で責任のある業務ができるようになる。
ここまで来ると仕事が楽しくなる。脂の乗り切った時期と言われる。
30手前で独立してしまった自分としては、今となっては、この仕組みは素晴らしいものだと思う。
自分もこの仕組みに乗っていたら、と思う。
でも、当時、この仕組みが何時までもつか疑問を持っていた。
あとは、自分の仕事が認められなかったら、30代になっても、いつまでもバイトのような仕事をし続けることになる。
そういう先輩を沢山見てきたのも事実であり、自分がどのコースに乗るか不安があった。
認められる認められないは数字の成果ではなく、その時の景気状況の影響が一番大きいのも怖かった。
40近くになり、空になったウォーターサーバの補填をする仕事だけをして1日過ごしている先輩もいた(社内が広いので何箇所もある)。
20代を過ごした部署が不景気でなくなり、当時の上司はいなくなり、総務という名の雑務に転属させられ、プリンタのトナーの交換やら紙の補充やら発注やら。
年齢的にも給料的にも辞めるに辞められず。
本人に能力がないのだと言われたらそこまでだが、20代にバイトでもできるエクセルいじりの仕事だけをやらされ続けてきたツケでもある。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
いい質問だ。
試しに片目だけ瞑ってみろ。
両目の方が楽なのは確かだが、それほどではないだろ?
これは君が普段両目で得た体験によって、それらを補填しているからだ。
つまりな、サイクロプスはもともと二つ以上の目があったのだよ。
その他の運動能力を上げるために、成長の過程で単眼になっていくらしい。
子供のサイクロプスを見たことがないし、実のところどうなのだろうな。
私は単純に人間と馬のがそのまま繋がっていると思っていたが、実は違うらしいんだ。
体内に異物が入った際に外部に排出する器官はあるが、消化する必要がないから内臓は存在していないということだな。
じゃあ何があるのかというと、人間部分と馬を繋げる独自の器官があるらしい。
それがあることで拒否反応を起こさず、かつ人間部分と馬の部分両方がちゃんと動くのだとか。
つまりケンタウロスと戦う機会があるなら、そこを狙うといいかもしれない。
私が確認したわけではないが、友人が言っていたから説得力があるし、恐らく間違っていない。
トカゲそのものってわけではないからな。実は変温動物じゃないのかもな。
様々な説があるが、トカゲが人間になったことで体質が人間に近いものになった、とか。
逆に人間がトカゲの特性を得た結果、あのような姿になっただけで体質はほぼ変化していない、とか。
或いは装備で体温を調整しているのかもな。
私も気になってきたから、週末明けに調べてくるよ。
なんとかならないのかな。
逆ギレするかひたすら聞こえない振りをするあやつら。
そもそもたまたま1匹追い払ったところで
コバエかゴキブリかのように沸いて出るあやつら。
平日朝に車に乗る一般市民はほぼ出勤通学のためだ。
空き缶乞食は日々増えている。
この町全体に30匹いるとしたら1080万だ。
毎日毎日300kg近い空き缶が出るというのもスゴイ世の中だが。
1080万丸々とは言わないがいくらか自治体を潤すわけだろう?
こちとらただでさえ少ない給料からクソ高い税金払ってるってのに
勘弁しろよ。
複雑な話なのはわかってるさ。
家捨てて乞食やれって勧めるみたいだしな。
マジで。頼むわ。
死ぬのが怖い、という話はよく目にするんだけど。
私はむしろ、生きるのが怖い。
高いところに登って、ここで足を滑らせて落ちるかも、とかいう恐怖もわかる。
でも、ちょっと体調わるかったり、体に妙な”しこり”があったりして、
「もしかして、不治の病かも??」とか思うと、それはそれでホッとしたりする。
受動的に過ごせたのは、未成年と位置づけられる、わずか20年足らず。
その後の60年は、自ら推測/決断し、結果をフィードバックしながら能動的に生き抜かねばならない。
肉体的なピークの20代をとうに過ぎた私は、下降していく身体能力と対にして、身に付けたスキルや人的資源で肉体的下降直線を補填し、
このはるか数十年を生き抜かねばならないのだ。
年金が破錠すると言われている私らの世代、65歳で定年して15年余りの余生を悠々自適に過ごせると思うのは楽観的過ぎる。
医療技術が発達して、さらに寿命が伸びようもんなら、目も当てられない。
怖い。
末期がんで、もって一年とかいう話を聞くと、「逃げ切れるな、いいなぁ」とほのかに思う。
それを口に出来ないのが、辛い。
ポルトガルは2000年当時、100人に一人がヘロイン中毒という状態でした。その他薬物も含めれば町を歩いていれば必ず薬物使用者に出くわすというかなりぶっとんだ状態だった。
2000年以前のポルトガルは現在の日本と同じように薬物使用を厳罰とし使うことは恥であると周知させ排除しようとした。が、まったくうまくいかなかった。そしてこのままでは国力が低下する一方だとあらゆる専門家などを国の会議に呼び対策を練りましたがそのどれもがうまくいかなかった。
そしてポルトガルが出した結論はマリファナから覚醒剤まで全て合法化するというものでした。覚醒剤を取り締まる警察の部署も解体し依存症治療施設も建て壊してそのかわりに薬物対策として使っていた予算を全て依存症患者を社会復帰させるために使うという日本人の薬物に関する価値観で見ればかなり異常な政策をたてました。
ただでさえ薬物が異常に蔓延しているのにありとあらゆるドラッグを合法化して自由に使用できるとなれば破滅的な結果になる、と僕達は予想します。
けれど実際には薬物中毒者は激減しました。具体的には50%も減りました。ついでにHIVも減りました。
つまり覚醒剤に限らず全ての依存症と呼ばれるものは「何へ」依存しているかよりも「何から」依存したのか、そして解決策として「何へ」ということを考えることのほうが重要だということです。
今回の清原さんの件は非常にわかりやすい例です。彼は野球で勝ち得た人気を男気というキャラクターだけで補填しようと試みたが駄目で奥様にも愛想をつかされた。なにもかも失くしてしまった「寂しさから」覚醒剤へ依存した。
オリに閉じ込めて厳罰を科すことはよりいっそうの寂しさを与えることでしかない。さらに覚醒剤使用者はそれだけで社会復帰は難しくなる。そしてよりいっそうの寂しさを抱えるようになりまた覚醒剤に手を出すという悪循環が生まれる。だから覚醒剤使用で逮捕された人の再犯率はものすごく高くなる。
だからポルトガルは全てを合法化し薬物使用は恥だという後ろ暗さも排除して寂しさや喪失感を埋めるために社会復帰して安全で健全な繋がりをもう一度つくることによって依存症をなくそうと考えて政策を施行した。そして実際にそれは成功している。
そもそもが僕達は生まれた時から薬物使用者は危険だという認識を持っているがよくよく考えてみれば薬物使用者の危険性について具体的なことを挙げろといわれても何も出てこない。せいぜい危険ドラッグで路上に突っ込むニュースのことを思い返すぐらいだ。ようは酔っ払い運転と同じなのだがそれが薬物の危険性に直結するかと言えば酒と同じぐらいの危険性しか見出せないだろう。もちろん脳細胞の変化という決定的なデメリットがあるので断じて使ってはいけないものなのは間違いないがつかっている人が他人に迷惑をかけることはほとんどないように思う。
実際に僕は海外でマリファナを決めている友人を見たことがあるがただよく笑うようになっていただけだった。性格がとつぜん変質してサイコキラーになるようなことはないし殴りかかってくるようなこともない。ただ彼が彼を「彼の意志ではなく」傷つけているだけだった。
この二日間、ネット界隈全体で清原さんへの罵倒をこれでもかというほど見てきました。覚醒剤使用で落ちるところまで落ちたかなどなど。
けれど薬物使用という犯罪は犯罪の中でも特殊な形態を持っていて加害者でもあると同時に被害者にもなる点でとんでもない不幸なことだと思う。けれどその不幸がまた覚醒剤を使うことになる。だから世間が清原を犯罪者であると扱うことは彼の不幸を増大させることになってしまう。
逮捕されダルクのような薬物使用者更正施設に入るのかわからないが薬物使用者を「正常」な人間に戻そうという試みは間違っている。それはすでにポルトガルが証明してくれた。歴史に学ぼう。
薬物を禁止することに意味はないとは言わない。危険なものには違いない。
三歳の時に検診で言葉が遅れているから発達障害の疑いありと言われてステップに通い始めた。
先生は今は五人に一人くらいが引っ掛かって通っているからあまり気にしないでと言っていたが、不安で仕方なかった。私も軽くコミュ障だし私の遺伝かとドキドキしながら通った。
発達なら早くそういう教育をしなければならないのでは?と思うのだが、ステップに3ヶ月に一度通って数分話すだけだった。あまり心配ないのだろうかと気楽に考え始めた。
幼稚園に入ると園長先生に呼び出され、役場から支援の必要な子供だと聞いていますがで始まり補填の先生をつける話をされた。子供の発育に良いと言われたが血の気がひいた。
幼稚園に通い始めると補填の先生は年少で三人いた、ステップは半年に一度になった。
四歳になって最近気になることが多い、こだわりが強くて私に指事して聞いてもらえなかったらかなり長時間ギャンギャン泣く、園児達はどんどん人間関係ができていってるのに友達が居ない、挨拶を普通にせずに大声で何度もおはようございます!と怒鳴ったり挨拶されても無視したりする、先生の言うことを聞かない、口で説明しても解ってないように見えることが多い、他の子は上手に車の絵や文字をかけるのに家の子は書けない、帰るときも他の子は列にならんでちゃんと挨拶できるのに家の子だけ走ってきて私にベッタリしている、個人差なのか障害なのか不安で仕方ない。
なんだか本当に疲れた。
昭和の価値観からすれば、女とセックスできるなんて大層なことだった。
しかし、今ではネットで美女を見ながらオナニーできてしまうので、女とのセックスに大層な価値を感じられないと思う。
しかし、じゃあそれに対応した価値観ってなんなのか、昭和生まれのモテないおっさんである俺は知らない。
もしかしたら、当たり前に存在しているかもしれないその価値観が無いから、いまいち現実の事象を理解できない。
なぜ、価値が無くなった女が偉そうに恋愛における優位を仕事場なんかでも持ち込むのかが理解できない。
女性を大切にする価値観は、そりゃリア充はセックスできるから意味があるかもしれないが。セックスすることもない非リアにその価値観が押し付けられる意味が分からない。
セックスだけで言えば、オナニーでセックス以上が得られる世界になっちゃったじゃないか、と素朴に疑問に思う。
女は非リアに対してセックスチャンスゼロでいいし、それなら男同士のように対等な付き合いできてほしいんだけど。
なぜか、アファーマティブアクションもらってる側が偉そうにしている。おかしいと感じるが、何らかの価値観があるんだろう。その価値観ってなんなんだ。
論理的に異常に感じてしまうのは、昭和感覚からすれば当たり前だが、昭和とは社会構成が変わったから新しい価値観ができたんだと考えるのが妥当だろう。
その価値観ってなんなんだ。昭和的価値観しか持ってないから、その違和感をずーット感じている。
でも、現代に生まれる子供世代はそういう新しい価値観の中で生まれているわけだから、その空気を当たり前として生きる世代がいるんだろう。
その価値観、教えてほしい。子供達に頭を下げて授業してほしいくらいなんだわ。
俺が生まれた世代ってのは、戦争世代やバブル世代とはまた違った価値観を確かに持っていた。
だから、今生まれている価値観ってのもあるはず。だって世界がコンだけ変わったんだから。
でも今じゃネットでそこらの人の意見が簡単に分かるし、映画のまとめもウィキペディァで明確に分かる。
こうなってくると、映画評論で映画を感じていた人間とはまた違った価値観が生まれる。
俺は、映画評論的な時代の映画鑑賞には価値を感じなかったが、今はいくらでも見たそばから感想を見れるため、映画を見るのが好きだ。
『桐島、部活辞めるって』を見た後は、『リリイシュシュのすべて』や『大怪獣、東京に現る』や『ゴトーを待ちながら』といった関連作品をスグ知って速攻世界を広げられる。
こういう価値観の中で見る映画への価値観は、1990年代とは全然違う。
こういう価値観の中で映画を見ることは俺はマッタク抵抗ない。だって、その世界の価値観を知ってる側だから。
でも、セックスの価値観は未だに分からない。もしかしたら、皆も知らないんじゃないかとすら思っている。
俺と同じように、リアル女性と関わるリスクとリターンより、xvideosアサリやエロ漫画アサリのほうが当然いいよねって考えのほうが当たり前だしスタンダードなのかもしれない。
皆、この新しい世界での新しい理屈に対応できず、価値観がずれてるんだけど、対応できてないみたいな不安を感じているのかもしれないと思えてくる。
実は、20歳のアイドルやってる女と援助交際をした。デートして、飯食って、セックスした。4万円弱。
数回やったが、価値を感じなかった。素人とやった感はあるんだけど、昔なら感じていたレアリティーを感じなかった。
AVで美女を見れなかったり、二次元がこんだけ進んでいなかったら、多分相当価値があったことだったんだろうけど。昭和ならすごい価値あることだったんだろうけど。
マッタク価値を感じずビビッタ。むしろ、コンだけ金とってこの程度なのかってビックリした。
エロゲー買うほうがまし。DMMで見放題登録したほうがましだった。快感だけで言えば。
素人とやったとか、その女とやったみたいな価値がマッタクなかった。
これで、よく皆納得して彼女作れるもんだとビックリしてしまった。
もちろん、セックスだけじゃないんだろうけど。じゃあその価値観ってなんなのってのが伝わってこない。
たとえば、ユーチューバーのリア充を見ると、リアルでリア充を見る価値ってのが伝わってこない。
ネットで絵画や演劇を見て楽しんだら、リアルで見るのはダルイ。ってか、コスパ考えるとリアルに赴くコストに対して得られるリターンが小さい。
でも、もちろん、たまには行くよ。そりゃ行くよ。そこで得られるものもある。
でも、相当な部分がネットで代用されるから、相対的にリアルの価値は小さくなる。小さくなった価値を補填するだけのサービスを受けられない。
リアルでの活動は、これまでより値段が下がっても大きな買い物になっちゃったのに、それでも、価値観を変えずにリアルはリアルで続くんだろうか。
そこは違う価値観が生まれてると思うんだけど、じゃあその価値観ってなんなんだ。
でも、旧来の価値観や人間がそのまま受け継いでネクストステージを生きているように感じる。
新しい価値観、みたいなのってないんだろうか。