死ぬのが怖い、という話はよく目にするんだけど。
私はむしろ、生きるのが怖い。
高いところに登って、ここで足を滑らせて落ちるかも、とかいう恐怖もわかる。
でも、ちょっと体調わるかったり、体に妙な”しこり”があったりして、
「もしかして、不治の病かも??」とか思うと、それはそれでホッとしたりする。
受動的に過ごせたのは、未成年と位置づけられる、わずか20年足らず。
その後の60年は、自ら推測/決断し、結果をフィードバックしながら能動的に生き抜かねばならない。
肉体的なピークの20代をとうに過ぎた私は、下降していく身体能力と対にして、身に付けたスキルや人的資源で肉体的下降直線を補填し、
このはるか数十年を生き抜かねばならないのだ。
年金が破錠すると言われている私らの世代、65歳で定年して15年余りの余生を悠々自適に過ごせると思うのは楽観的過ぎる。
医療技術が発達して、さらに寿命が伸びようもんなら、目も当てられない。
怖い。
末期がんで、もって一年とかいう話を聞くと、「逃げ切れるな、いいなぁ」とほのかに思う。
それを口に出来ないのが、辛い。