はてなキーワード: 田舎暮らしとは
別に大きい病気はしてない、自殺願望はない、普通に正社員としてはたらいて、少ないながらも友達もいて、日々ほそぼそと暮らしてる。
趣味もあって、田舎暮らしだけど結構色んな所にも出かけて人生総合的に楽しんでる方だと思う。
ただ、たぶんいわゆるAセクシャルだから、好きな人がいたことがない。彼氏も作ったことはあるけど、全然好きなれなくて面倒が勝って結局別れた。別にきらいじゃなかったけど、気持ちはいつでもずっとフラットだった。
ちょっとでも好意を持ったり、ああこの人と付き合ってみたいなと思うことがあったらアクションかけようと思ってるけど、たぶん物心ついてから一度もそういうことを思った記憶がない。
だから老後は一人世帯なんだろうなと思うし、いまの収入で親を養ったり自分がそういう意味で一人になった時に自分の生活を支え切れる自信はない。
田舎の土建屋の経理職女の給料なんてたかが知れてて、上がる見込みもほぼほぼない。副業をはじめたけど、それだって焼け石に水で、将来の金策のことだけがいまの不安要素だ。
自分の母親がなくなったあとでいいから、どこか区切りのいいところで、楽に死ぬ制度ができたら、もっと生きるの楽になるのにな。
税金納めてるし、年金も納めてるし、あんまり病気してないから医療費そんなに無駄につかってもないだろうし、仮に60歳とかで人生を合法的にリタイアさせてくれたら、ほとんどだれにも迷惑かけずにすみそうなのに。
死体処理の前金とかも事前に納めて、なんとか死なせてもらえないもんだろうか。
当たり前の事でも実際にやってみないとわからないとはよく言ったものだ。
百聞より一見、プティングは食ってみりゃいい、そういうことだ。
とにかく田舎は酷い。
まとめ終わり。
以下は駄文。
田舎と行ってもサマーウォーズや八つ墓村レベルのド田舎ではない。
関東の中にだって人口密度だけを考えればここよりもっと酷い田舎はあるのだが、それでも「東京から離れていて、人口密度がだいぶ低くて、ベッドタウンや都会と比べれば緑が恐ろしく多い」場所に行くことになった。
「行き先が田舎である」という一点を除けば条件は別に悪くなかった。
いきなり田舎に飛ばされるという時点でこんな会社信用できねえだろ辞めちまえ、そう心の中で警告を出す自分も居た。
今思えばソイツの言葉を受け入れるのも有りだったのかも知れない。
だけど、住んでいる場所が田舎で、田舎という環境がクソであるという事以外は本当に特に悪いといえる程の待遇ではないのだ。
世の中には都会にいると物価が高いから都会手当(?)を出すという会社があるらしいが、むしろ田舎の方が生活苦に耐えるための田舎手当を暮れてもいいように思う。
自分も実際に田舎に来るまでは田舎の物価は安いと思ってたけどそうでもない。
企業努力を必要とするほどライバルがいないとか、単純に人口の少なさでスケールメリットの逆版が起きまくっているとか、そういった諸々の積み重ねなのか物価はむしろ高い。
アマゾンで買ってしまう方が安いものだらけなので、急ぎでなければアマゾンに頼ってしまう。
人手不足なのか宅急便の人がいつも同じ人で、時折「またおまえか」という目で見られるからなるたけ愛想はよくしている。
都会にいた頃から郵便屋には愛想が良いほうだったが、こちらではあるときから全力のセールススマイルをプレゼントするようになった。
実際、本当に感謝している。
田舎の物価は別に安くないというより、都会が都会のくせに物が安いという現象が起きているのが今の時代なのだろうか。
そう自分が問われたならばこう言いたい。
ではどんなデメリットがあるか。
住みにくさだ。
生活するのに車が必須だとか、ゴミの分別がやたら細かい上にゴミを出せる頻度が少ないとか、そういった物の積み重ねだ。
都会の人間が想像しうる田舎の駄目な所はだいたい田舎に全部ある。
とはいえ重さは若干軽い。
本当にもっと酷い田舎に行けば、想像通りの絶望が待っているのかも知れない。
それを要求されたらいよいよ断ろうと思う。
むしろ、何かチャンスがあったら都会に戻してくれと頼みたいぐらいだ。
そもそも田舎が田舎になってしまったのは、だいたいが気候のせいだと思う。
平地が多いほうが開発しやすいとか、交通の便とかそういう理由もあるのだろうが、それでも気候がクソであるかどうかはかなり重要なファクターとなっているはずだ。
都会に人が集まるのは人が沢山いるからだ。
それは正しい。
たとえば今は夏だが、自分は週に3回は思う「なんだこの夏は、都会に帰りたい」、と。
関東はヒートアイランド現象によって嫌な暑苦しさがあると言うが、あんなのただ物凄く暑いだけだ。
都会の蒸し暑さの3倍ぐらい蒸し蒸しする。
言ってしまえば、都会から見れば田舎は蒸し蒸し蒸し暑いであり、田舎から見れば都会は蒸し暑い暑いとなる感じだ。
この蒸し暑さは辛い。
都会では自分の部屋で過ごす分なら服を極限まで脱いでしまえば扇風機だけで生き残れる。
だが田舎は強烈な蒸し暑さが纏わりつくので、半裸に扇風機では不快感によって参ってしまう。
これは実際に住むまで理解できなかった。
肌感覚という言葉があるが、まさに肌によってその感覚を理解した。
田舎も一枚岩ではないので田舎によっては違うのだろうが、自分の住んでる田舎はそういう田舎だった。
そして不快感は蒸し暑さだけではない。
エアコンを使っていてもどこからか湧き出した湿気によってカビやダニが暴れまわる。
それらが生み出す毒が時折喉を焼く。
空気清浄機が是非とも欲しくなる。
車の排ガスが吹き荒れる都会は空気清浄機が必須だと言う人もいるだろうが、それならば、湿気によって繁殖した小さな生物が生み出すハウスダストが飛び交う田舎でも空気清浄機はだ。
身体を労る気がないなら別に無くても暮らせるけれど有ったほうが絶対良い。
田舎で湿気と戦う方法を先祖代々受け継いできたプロ田舎者なら不要かも知れない。
だが、都会から田舎に来たアマチュアの田舎暮らしならば持っておいて損はないだろう。
もしも何かの間違いで田舎に来て「湿気に気をつけろ」と聞いたら、エアコンと空気清浄機を用意しよう。
一度辛みを味わってから文明の利器で逆転するほうが楽しいと考えるならば縛りプレイも有りだけど、そういうマゾヒズムや好奇心がないならさっさと買ってしまうべきだ。
田舎は辛い。
都会に戻りたい。
東京は忙しない、ベッドタウンは味気ない、そうは言うが、それでも田舎よりはマシだと思う。
心の目線を少し逸らせば逃れられるような辛さだらけだ。
乗り越えるしかない。
タイトルまんま。某地方で獣医学生やってるけど地元の人間の方が珍しいし、就職をこの地方でやる!って人間なんてまず見ない。東京や大阪のような都会出身の人間は基本的に地元に戻るし、家畜の獣医なんてコネがないと開業できないからなおさら。ちなみにいわゆる不足してる田舎の地方公務員は現状では論外。6年勉強して入っても事務職以下のカスみたいな給料しかもらえない、しかも田舎暮らしってなんだその罰ゲームって感じ。北海道には三校獣医学部あるけど道の公務員は全然足りてないこの現実から少しは学んでほしい。まあ個人的には札幌にだったら住みたいんだけど。
学費も学費だよね。地元から人集めようと思っても私立なら6年で1200~1400万かかる、ってことは国公立の獣医行って一人暮らしでも全然お釣りが返ってくる計算。愛媛から一番近いのは山口か鳥取かな、結局四国出身で真剣に獣医めざす学生はこの辺狙っていく構図に変化はないでしょ。仮に実家から通える範囲で!ってめざしても今治市は人口20万人程度だしそんなに地元占有率高くなるとは思えないよなあ、特に偏差値高いなら愛媛大の医学部行くだろうし。本当に地元の学生集めようとしてないだろたぶん。推薦で地元のバカばっかり集めて留年させて金儲けウハウハってシナリオの方が見える。
獣医の勉強したいのに定員が少なすぎて獣医学部に入れない人たちのために新設した方がいいじゃん!教育の機会均等!とか言ってる連中はもうアタマの病院に行くべき。入試で機会は均等に与えられてるし、その入試のレベルもべらぼうに高いわけではないし。なにより獣医も一応生活を支えてる資格であることを分かってから、それ医学部でも同じ事言えるの?みたいな。
公務員獣医師の数増やしたいなら税金使って新設なんてアホなことしてないでさっさと待遇改善してほしい。公務員獣医が不足してるって話題にはなるのにやれ首相の忖度がどうとかマスコミの印象操作がどうとか、そういう話じゃなくてとりあえず既存の駒をどう動かすかの話をしてほしい。金さえ与えれば新設なんてしなくてもまともに人は集まるよ。実際福岡は待遇改善して定員が充足してるって話聞いたことあるし。公務員自体は魅力的だし、公務員獣医も金さえもらえるならありかなって漠然と思ってる層は周りを見渡しても少なからずいるから。
もともと足りてるペット獣医も数を増やして市場原理を持ち込めばいい!って簡単に言うけどさすがに命扱うところに市場原理持ち込のはなんか違わない?今の状況から新設するってそれはほぼ粗製乱造と同義なんだけど・・・
で、自分はどうかというと実はこれまで待遇改善に賭けるつもりで公務員獣医師をゆるく志望してたんだけど今回の一件で偉い人たちは誰もその話をしなかったので、その望みは薄いなって思い獣医関係ないとこに就職するか医学部でも再受験するかと思い直し始めたのでした。
雑誌やテレビで見るような店に行って、流行りの服を着たいなら東京にいなきゃ無理
でも、そういうのにそこまでこだわらないなら全く問題ない
三大都市圏ならまあまあ問題なくて、札幌や福岡でも、中心部に近いエリアならまあまあ東京っぽい雰囲気の暮らしはできる
広島や熊本や新潟クラスなら、本当の中心エリアに住めばギリギリ都会っぽい暮らしができるけど、2か月に一度くらいは大阪や東京に出ないと出来ないことはある
それ以下の、地方県の第2の都市とかになると、これはもう別世界
東京で暮らした14年間は本当に楽しかった。仕事の拘束時間は長かったけど、それでも東京に居られるので基本心は軽かった。給料は、私一人が暮らすには十分だった。貯えもできた。
田舎のほうが暮らしのコストが安いとの意見を目にする。田舎で生まれ育った自分からすれば、自動車を持たねばならず、なにをするにも誰もが同じ量しか持っていない「時間」をコストとして払うのは金銭と異なり取り返しがつかない。
両親が年老い、ついに私も時間切れとなった。実家とは、田舎とは、呪いだ。逃れられない。田舎暮らしについては今から億劫で仕方がない。おそらくもう私は死んだも同然だろう。そのうちに田舎になじみ、パチンコを楽しみに、飲酒運転を日常にとりこみ、他人の行動ばかり監視して、他人の話ばかりする人間に入れ替わっていくだろう。両親が死に絶え、田舎の軛が外れるころには私は別人だろう。田舎の学問より京の昼寝とは真実である。
余裕があるわけではないのでたいてい中古で買う。
しかしながら一括神話は根強いので、70万前後の貯金をしてから一括で中古を買う。
100万より高い車はローンになっちゃうか、がんばって目標金額まで貯金をする。
4人家族なら家の前に4台の車があるわけだ。
あるいは宅地内の共用スペース(本来は公園になるようなとこ)が駐車場になっている。
女子は軽自動車、男子は普通車に乗って、家庭内での遠距離/近距離/大人数対応の用途を使い分けてる。
車社会だから長距離移動用に普通乗用車をたいていどの家庭も持ってる。
なので男で軽しか持ってないと「男なのに軽自動車なのかよ」っていう見下しはどうしても発生してしまう。
男で軽自動車は未婚の証だし子供がいない証だからだ。田舎では一人前と見てもらえない。
普段は軽だけど普通車も持ってる2台持ちパターンはOK、許される。
バイクという選択もあるけど雨風、雪に弱いから生活の足にならない。やはりバイクは趣味のおもちゃ。
せいぜいホイールを社外品にする程度。
車選びは燃費や乗り心地がまずあってあとは気にならないレベルのデザインであればいい。
週末の一大イベントは洗車だ。
洗車場に行って1時間くらいかけてのんびりと掃除する。他にやることないからね。
会議中でなければ抜けられるので久々に話してみる。
「こないだは誕生日おめでとう。友達とご飯でも行った?」と聞かれて、帰宅したの21時過ぎだし上司や先輩はまだオフィスに残ってたし近所に友達もいないので普通にコンビニで好きなもの買って家でひとりで食べた、と答えると「そう…お疲れ様。今度家に帰ってきたら大きいケーキ買って食べようね」って。
電話を切ったあとじんわり目頭が熱くなった。
希望職に就けた。会社の人は良くしてくれる。きっと恵まれた環境にいるんだろう。それでもふと悲しくなる。
ほんとは仕事終わりに映画を観に行ったり本屋に行ったりゆっくりごはん作ってのんびりお風呂に入りたい。
お店が少ない、すぐ閉まる田舎暮らし。
俺は大都会の真ん中で生まれ育って、そのエリアの国立大の大学院まで行ったので、まあ、都会の人間だと思う
大学は望めば誰でも行けるものと思っていたし、勉強嫌いな人や、特に他にやりたいことがある人が行かないよね、程度に思ってた
言うとバレそうだけど、辺境の人口10万人程度の街の高専の先生をやっていた
高専なので、当然、ここに来る人は1年次から普通に受験して大学に行くことはない
都会に近い高専なら、7割くらいは大学に3年次編入するけど、僕のいた高専では、大学編入者は半分以下だった
最寄りの大都市まで行こうと思うと高速でも3時間程度かかるような田舎で、大卒がほとんどいない街で、大学に行かない子供達を教育し、進路指導する
こういう経験を何年かするとね、ああ、田舎ってこうなんだなぁーってものが見えるようになって来る
ああ、俺、田舎って知らなかったな、って
そういう学生と関わるからこそ、ただ田舎に暮らすだけじゃ見えない田舎の文化も見えるようになる
しかも高専生はそこそこレベルが高いので、田舎であるがゆえに、優秀だけど大学にはやれない家庭、みたいなのとすごく関わるんだよね
田舎の中でもただ貧しい子、ってわけじゃないんだよね
このくらい、都会と田舎の両方を肌で理解して、都会論田舎論語ってる人って、はてなじゃほとんどいないよねーって思うわ
都会も田舎も、文化の違いであって優劣じゃないんだよ、ほんとに
都会が劣ってるところも腐る程あるし、田舎のつらいところも腐る程ある
田舎暮らしは言うほど安くない!って騒ぐ人も多いけど、単身者じゃあんま変わらないし、中流家庭を築くコストはどうやっても田舎のほうが安い
自分の家族構成、ライフスタイル、趣味趣向によって、合う街合わない街があるだけ
給与 18万(波がある)
簡単なサイト作ったりしてる。都心マニラからさらに飛行機にのっていく田舎暮らし。牛が道を歩いてるレベル。
家族3人
300万円で土地と家を買った
税金 30000円
光熱費 15000円
手伝いさん(1名)5000円
貯蓄 8万
18万/月
国の医療保険が無能なので、一週間の入院で数百万なくなります。
フィリピンは平均年齢が23歳で若い。手伝いさんなどの人件費がやすいけど、医療の面でお金払えない人が多くて長生きできない国だ。
追記
まじめに生きないなら楽しいです。仕事しないで昼から酒のんでプール泳ぎにいく。日本でも生活していた時期ありました、税金も払いました。子供が3歳までは日本にいましたが子供の医療費ゼロすばらしい。
世間一般的に女性が「子供が嫌い」だというと良い印象を持つ人はいない
「子育て世代」ヨイショの時代で「子供が嫌い」なんて表立って口に出す人もいない
なのでここで愚痴ることにする
女、独身、20代後半、IT企業勤務、年収800万、付き合って2年の彼氏がいる
慣れるか心配だった「港区」の暮らしは、今では一番しっくりきている
一番良いのが「子連れがいない」ことだ
ベビーカーなんて引いて森タワーに出てくるのは郊外の田舎者がほとんどで
近くの高級スーパーでは一度も見たことがないし
たまに外国人(それもアジア系ではない)の子供をみかける程度だ
近くのレストランや駅では見ることがない
私は子供が大嫌いだ
騒がしいし、可愛くない
子持ちの急な「上の子が熱出しちゃって~」とかいう個人的都合にふりまわされてもきた
「自分の子供なら絶対違うよ」なんていわれることもしばしばあるが
この年齢になるとfacebookには地元、会社、様々な知り合いたちが子供の写真をあげている
どこどこ公園へ行っただの、初めてのクリスマスプレゼントだの、なんだの
コメントは「可愛い」「似てるね」「大きくなったね」「うちの子も~」
べた褒めワールド
テンプレかよ
中には一重で団子鼻でいかにも日本人の子供って顔の子にも「可愛い」
いや絶対可愛くないだろ
スクールカーストではお察しだろ
とにかくそういう「子供は可愛い(絶対)」みたいな褒め称えあう空気が大嫌いだ
子供がみんな可愛かったら世の中もっと美男美女だらけなんじゃないか
事実、私の住んでいるタワーマンションでは子供を見たことがない
だから「結婚しないの?」とか「子供つくらないの?」なんて空気もないのだ
それなりに稼ぐ人たちが、それなりの価格のレストランで、それなりの毎日を過ごす
眠らない大人の街だと、住んで一ヶ月で感じた
年収400万程度で
「こんな風には絶対なりたくない」
そう、世間一般では「結婚して子供がいる家庭」それが幸せだと言われる
子供なんてちっとも欲しくない
ただただ「子供」と、それを褒めあう「気持ち悪い空気」が心底嫌いなのだ
それは構わない
どうしたいとか、勝ちとか負けではなく、
自分と似たような人が少しでも息苦しくない気持ちになれたら良い
両親へ旅行をプレゼントしたり、老後の心配のない生活をさせてあげたい、ぐらいだ
子供は欲しくないし、欲しいと思ったこともない
「子供はみんな可愛い」なんてみんなが思っていると思ったら大間違いなのだ
「子供は騒がしくて当たり前」みたいな顔して叱ろうともしないモンスターペアレンツにも腹が立つし
ろくにお金もないのに「幸せ家族」みたいなのを見せ付けてくるのも理解できない
丁寧なコンシェルジュ
世間一般的に言われる「幸せ」の形を見せびらかして「べた褒めワールド」を作り上げてる奴らへの愚痴だ
「子供が嫌いなんて」「女性なのに子供が欲しいと思わないなんて」
そんなとこだ
子供なんて作るだけなら作れるが、逆に1000万稼げと言われたら稼げるか?
貧乏ド田舎暮らしでブサイクな子供晒してクソくだらない幸せアピールは恥ずかしいからやめとけ
そんなとこだ
維持費は均せば年10万くらいかな。もちろんガソリン抜き。(100万で買って今は8年目)
この車で東京まで遊びに行ったりするけど、高速&ガソリンでだいたい往復2万くらい。
ユニクロ? 家電? ツタヤ? … 田舎に一体何を求めてるんだ。東京みたいに暮らしたいなら東京にいろや。
1年でだめになる流行の服なんてそもそも着ないし、流行の家電もTVもビデオも不要だ。伝統の暮らしはエコライフだし、四季折々の自然の変化は無限だ。そういう生活を送るのに、どれほどの金が必要なんだ? コンビニ?居酒屋? その発想がもうダメだわ。人から与えられるばかりの刺激とゴミに埋もれて、本当に価値のあるものが何かも見えてない。
人から与えられ、消費することが人生だと思っている。それは奴隷の思想だよ。
おまえに言うことがある。まずその首枷を外して物を見ろ。それができないなら一生都会で奴隷暮らしだ。
そして、それでいいなら、もうそれでいいじゃねえか。一生そうして暮らしてるがいいさ。