はてなキーワード: 大利とは
日本が太平洋戦争を遂行したときの日本のトップは昭和天皇だった。
しかし、昭和天皇本人ではなく、その親族に対して、同じ責任を要求するのは、論理的に筋が通っていないと思う。
女性皇族のI子様は、学校で同級生の意地悪な男子に「税金泥棒」などと悪口を言われてイジメられていた、という話があった。
父親の職業が税金で暮らしている皇族だからと言って、その娘が同様に非難されなければならない理由にはならない。
なぜなら、父と娘は別人だからだ。
もしも親を選んで生まれてきたという人がいたら、その完璧な証明をして欲しい。
なぜ、親を選んだと言えるのか?選ぶ方法を具体的に提示して、客観的に証明すべきである。
I子様だけでなく、M子様やK子様も同様である。
親の職業や、曾祖父の犯罪によって、彼女たちが非難されなければならない理由はない。
なぜなら、彼女たちが開戦を指示したわけではないし、両親を選んで生まれたわけではないからだ。
もしも、この主張に反論があるなら、その完璧な証明を提示しなければならない。
もしも、いたら反論を書いて欲しい。念のためその内容を吟味してみる必要がある。
しかし、現実には、論理と感情が分裂して、別々になってしまっている人が多い。
なぜか?
物事をありのままに見つめて、好き/嫌い/無関心という感情が発生する前に、正/非/未定という論理が先行していれば、論理に基づいた感情の構築ができる。
しかし、思考を停止して、論理の構築ができない場合は、論理とは分離された感情のみが生じてしまう。
その場合は、正しいか間違っているかとは関係なく、好きか嫌いかで物事を見定めてしまう。
などという感情は、確かにそう思ってしまう人がいるのは、心情としては理解できる。
しかし、それは論理として筋が通っているか/否か、正しいか/間違っているかの基軸で再評価した場合、必ずしも正しい言説とはなり得ないのである。
【ソウル時事】韓国の文喜相国会議長は18日付の韓国紙・朝鮮日報に掲載されたインタビューで、慰安婦問題で天皇陛下の謝罪が望ましいと述べたことについて「(発言に関し)謝罪する考えはなく、そのようなことでもない」と断言した。また、「戦争や人倫(人道)に関連した犯罪には時効がない」と主張した。
文氏は聯合ニュースとの会見では「謝罪すべき側(日本)がせずに、私に謝れとは何だ。盗っ人たけだけしい」と非難。慰安婦問題などをめぐる日韓摩擦の背景には、国内政治を意識した「安倍晋三首相の政略的な思考がある」と強調した。
日本政府は謝罪と発言撤回を求めているが、文氏自身が拒否の意向を改めて明確にして反発したことで、早期の幕引きは極めて難しくなった。
文氏は朝鮮日報に対し、日本国内で韓国へのビザ制限など報復措置を求める声が出ていることについても「小利を得て大利を失うことであり、子供のいたずらのような話だ」と批判した。
問題となった自身の発言に関しては「韓日間の歴史問題に関する和解に向け、日本を代表する首相や国王(天皇)の誠意ある措置が必要だという次元からした話だった」と説明。「謝罪の主体としては、現職首相の安倍晋三首相が1位、その次が国王(天皇)になる」と語った。
(2019/02/18-11:22)
※この文章を読んだ日本国民および日本政府関係者は、速やかに韓国語に翻訳して、韓国国民および韓国政府関係者に通知して、正しい説明を求めるべきである。
韓国人および韓国政府の不正を見過ごし、妥協することは許されない。
よく聞くけど。
これ昔は許されてたんじゃなくて、嫌だと思ってた人の気持が表に出てなかっただけだよな
昔も今も白い目で見られてたし、ただ犯罪行為までは行かなかったからなんとなく黙認されてるだけで・・
嫌だなと言う気持ちがちょっとずつ醸成されてマナーが形成されていくと思う。
https://togetter.com/li/1317407
このまとめにもちらほらあるけど、昔はこういうスナップは許されてたって話があるけど、これは違うと思う。
昔も写った人にバレたら普通に怒られてたし、それでバレないようにノーファインダーで撮影したり
距離計でピントを合わせたり、カメラを構えないでどうにかこっそり撮ろうとするテクニックができた。
まあぶっちゃけ盗撮だったわけで・・。そんなんダメになるのも当たり前。
別に昔が許されてたわけじゃない。問題視する世論が出来上がってなかっただけ。
歩きタバコやゴミのポイ捨ても、昔はそこら中に見られてた現象だが、
長い年月を経てやっとこさ、嫌だと思う人の気持が世の中に浸透していって、マナーとして形成されて。
こういった変化は人類の社会性の進化に他ならないわけだから、昔はよかったという視点は進化的とは言えない。
「人手不足なのに給料が上がらないのは、経営者の強欲のせいではなく、仕事に要求される能力が高くなったから。」
https://blog.tinect.jp/?p=54573
"年功給与が崩壊した現代では、極めて単純に言えば、それなりの給与がもらえるかどうかは
だそうです。
"例えばコンサルティング会社は、優秀で人脈のあるコンサルタントが入社すれば仕事が取れるので、高額の報酬を支払います。"
"逆に、「組織の歯車」である事務員や工員、低技能のIT技術者など、売上や企業の業績に直接関係のない世界では、個人の努力の多寡や、人材が不足しているかどうかは、給与にはあまり関係がありません。"
なんか変ですね。
そもそも売上や企業の業績に直接関係のないのであれば人を募集しません。だって売り上げが上がらないですもの。
企業の人手不足は売り上げを上げようとしても人材がいない、又は高齢化によって既存の社員が辞めて足りなくなったから募集しているのです。
つまり人材募集しないままだと売り上げは上がらないか落ちると考えているからその企業は募集するのです。
人材募集や給料を上げることはすべて投資です。それをいつしか人材は単なるコストと考えて給料を上げなくなった経営者に問題があるのです。
日本企業に資金が無いなら給料を上げることも難しいでしょうが、現在の日本企業は手元資金が有り余っています。
https://www.asahi.com/articles/ASL933C3QL93ULFA002.html
内部留保と言っても色々ありますが、他の先進国に比べ日本企業は資金が活用されていないのは明白です。
そして日本の経営者は他国よりも保守的な傾向があり、さらにバブル崩壊を経験したためリストラ、コストカットの嵐が起き、従業員の給料に対する上方硬直性が起きました。デフレの原因でもあります。
また、構造的な理由として雇用規制(簡単に首を切れない、年功序列)などの理由もあるでしょう。
投資が思ったより効果が上がらないため設備や人材にお金をかけないという意見もありますが、これは経営者の能力次第です。
「内部留保を貯め込んだ日本企業が「攻めの投資」をしない本当の理由」
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51671
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO34168530V10C18A8DTA000/
日本企業が軒並み最高益を上げても、給料が微々たる率しか上がらないのは日本の経営者の保守的傾向と投資眼の無さなのでしょう。
"フォーディズムの画期的な側面は、生産効率の上昇に伴う利潤の増大を、労働者賃金の上昇に反映 させた点にある。"
お金は天下の回りものです。企業が最大利益を上げて余剰資金を貯め続け、消費者である従業員に回ってこなければ景気は低迷し続けるでしょう。
ケアが無償で与えられるものならこんなにお母さんたちが苦しむことはない。
大人になって相手に掛け値なしのケアを与えられると自信が持てるまではとてもむずかしいみちのりだ。
しかもケアで自信を持てるには「子供の世話」「介護」「結婚」が大きな修行の場になるのに、
成人と同時にセックスという最大の難関が立ちはだかる。
どうするかというとまず年齢制限がないのでエロ小説なら読んでおいて損はない(予習する)。
そしてフェアさによってたたきつぶされても残る自分のなかの性的ファンタジーを守る。
これをわかち合える最小コストで最大利得のある相手を見つけるしかない。
ださくいうと好みの相手をみつけろです。
アメリカ人くらい合理的な考え方が可能になるまで教育し直す時間・経済コストを支払ってくれるの
「増田の中では独裁させて良いと思うほどの有能な人間がいるのかね? 」
いない
そうではなくて一度国民に「独裁政治」を再学習させる必要があると言っている
誰でもいいから独裁政権を作るタイミング的に必要な段階だと言ってる
そこのところを冷静に分析してほしい
本当に頭がいいなら
「お前の持ってる利権が切られそうになっても抗弁する機会さえ与えられないんだが、それは良いのか。」
そうやって
死にたくないー!死にたくないー!死にたくないー!死にたくないー!死にたくないー!死にたくないー!死にたくないー!死にたくないー!死にたくないー!死にたくないー!
死にたくないー!
してきた結果が全てにおいて超高齢化社会だよ
文化大革命をしなくてもいいが非合理な巨大利権解体で死ぬやつは
どうぞ死んでください
俺は悲しい。とても悲しい。
それは何を隠そう、水辺のレジャーだ。
そう、また水辺のレジャーで日本国民が次々と命をなくしている。
なぜ君たちは座して死を待つのか。
毎年、毎年、毎年……。
あれだけ注意せよ、と言っても繰り返される悲劇。
彼らは青春を謳歌していたはずだった。そこには恋の予感もあったはずだ。
いつしか愛の花が咲き、少女たちは碧い海の中で大人になったかもしれない。
我々は何かを変えるべき時にきた。
我々は、水辺で遊ぶ、という野蛮な慣習を改めるべきなのだ!
だが、その利権のために数多くの死するべきではない命が失われる現実がある。
その現実に、目を背け続けていいのだろうか。
我々は戦うべきなのではないだろうか。
否、我々は戦う!
東日本大震災が発生してから半月ほど経った頃である。或る趣味サークルのサイト上で、被災地を元気づけるためのプロジェクトを立ち上げるという告知があった。内容は、趣味に関する書籍を集約して被災地の各地で無償配布すると共に、募金で海外サークルのメンバーを日本に招待し、子供たちに様々な芸を見せて心の平穏を取り戻す一助となろう、というものであった。このサークル団体は東京を中心に活動しており、地方にも幾つかの支部があって(東北には無い)、全体としては数百名の会員で構成されている。
当時、私は知人を何名か津波で喪ったにも関わらず、自分としては動くこともできず歯がゆい思いでいた。そこで、このイベントに賛同し、大切にしていた書籍を何冊か団体に贈った。この団体と私の関係は一方的なもので、単にサークルの機関紙を購読しているに過ぎなかったのだが、「自分と同好の人々が運営するサークルでそのような活動をしてくれるのならば、何某かの縁もあろうからそれに任せよう」と思ってサークルに託したのだ。後に、保管場所が確保されない状況下で古書を送る行為の問題について色々と知り後悔したが、恥ずかしながら当時はそこまでの考えに思い至らなかった。当時は自分も何かの拍子で突然死亡する怖れが頭から離れず、死んだ場合は所有している書籍が活かされぬまま捨てられるということを恐れていた。そこで、所持していた書籍の多くは近所の市民図書館にも置いてあるのでそれを読むことにして、いつでも本を読みたいという若い子の手元に本があった方がいいのでは、と考えていた。書籍を送付後、サークル団体の代表から「書籍を被災地での活動のために有効に利用させていただく」との返信があった。
サイトの報告によると、2011年4月に最初の活動があったらしく、趣味サークル内の数名と海外のサークルメンバー数名が宮城県沿岸部にある数か所の避難所に赴いたようである。東北を縦断するイメージだったので、宮城県のみに限定した活動であったことに若干の違和感を覚えたが、その後も幾度か被災地へ向かうようであり、「落ち着くまでは様子を見ようという判断なのだろう」と思っていた。
この活動について違和感以上に不信感を抱いたのは9月頃だったと思う。その団体では例年8月に大きなイベントがあり、海外のサークルメンバーが何名か来日するため、そのメンバーらと共に再び被災地へと出向いて活動したという報告が機関紙上でなされた。だが、その下に「なお、送付された書籍のうち入手が困難な貴重な書籍については、団体が運営する有料の図書館に納入した」と書かれていたのである(この図書館というのは避難所の地域の図書館に納入したという話ではなく、団体が所有する蔵書を団体の東京事務所において有料で読むことができるサービスのようである)。
これには目を疑った。最初の告知にはそのような記述は無く、代表からの手紙にもそのような記述は無かった。これでは震災に乗じて個人の貴重な書籍をサークルが吸い上げた格好になるのではないか。しかも具体的にどういう書籍を何冊納入したのかという記述も無い。貴重な書籍を図書館に納入したというのに、閲覧する権利のある側にその内容を示さないというのはおかしな話だ(無理やり擁護する見方をすれば、一般的にこの手のプロジェクトにおいて自分史が持ち込まれる場合が多々あり、そうした配布しづらい物を自身の図書館に倉庫代わりに納入したという線はあり得なくもないのだが、もしそういうことがあったのだとしても何らかの説明は欲しいところだ)。そして、活動先は相変わらず宮城県のみであり、岩手県でも福島県でも活動していなかった。
宮城県での活動というのは、このボランティアイベントの参加者の一人が宮城県内の教育機関に務める人物らしく、それ以外の地域においては土地勘が無いのかも知れないと思っていた。しかしその機関紙には、当団体とは別の団体組織に属する福島県のサークルが震災後の自身の活動について述べた寄稿を寄せていたので、「寄稿を載せるくらいならばその団体のメンバーにも声をかけて福島県で合流して一緒に活動をすればいいのではないか」とも思った(福島の人々に案内の負担を強いるのかということもあるが、そもそも既に宮城県内に在住する人物を連れて活動しているのだから、福島県内の人を連れて活動することにさほど躊躇する理由は無いように思えた)。宮城県が東北で最も津波被害の大きかった地域であるということは重々承知しているが、図書館の件とあわせて、「被災地に赴くと言いながら宮城県のみというのも少しおかしいのではないか」と若干訝しく思い始めていた。
少し話は変わるが、2011年の10月ごろだったろうか。私は当団体の活動に関わっている主要なサークルメンバーのブログを幾つか覗いていた。そこで、サークル団体において有料図書館の運営・管理に携わっているという或るメンバーのブログが目にとまった。
そのブログにはクリストファー・バズビー氏やアーニー・ガンダーセン氏の名が載っていた。ブログの記事を遡ってみると、LNT仮説に基づいて「福島県では年間千人が癌で死亡する」「トータルでは6桁もの人が死ぬ」などの記述があった。福島県だけではなく、当時千葉県で見つかったホットスポットについても、その周辺で7000人が死ぬと書かれていた。ブログの記事の日付を見ると2011年6月中旬ごろであり、まだまだ情報は錯綜していた時期ではあったものの、ブログの内容は怖れによって混乱しているという様子ではなかった(LNT仮説に従ったとて、ガンが発生する人数の予防的な見積もりであって、ガンの発生が100%死に直結するという話ではない筈だ)。ツイッターのアカウントもあったので見てみたが、「福島廃県」「日本は核武装を目指している」などの字面が踊っていた。
この人物は機関紙上において度々評論を行っていたため、名前だけは知っていた。東京在住で、東京大学の大学院において科学史や科学哲学を専攻していたらしい(名前で検索したところ、在学中に科学技術社会論若手の会に参加したこともあったようである)。また、サークルの有料図書館の運営・管理に携わるほか、海外メンバーの通訳や書籍の翻訳作業も担っている。どうも他の主要メンバーからはサークル入会当初から理知的な存在として一目置かれていたようで、未だにこの人物の評論がサークル誌に載っていることを見ると、その状況はあまり変わっていないようである。
ボランティアイベントの報告によれば、そのメンバーの名前はイベントスタッフの中には含まれていないため、この人物は被災地には訪れていないのだろう。しかし、有料図書館での管理業務を考えれば、貴重書の選別には関与していた筈である。また、仮にそのメンバーがイベントに深く関与していなかったにせよ、ブログやツイッターで垂れ流される内容やサークル内での立場を考えると、そのイベント活動に何等かの口添えをしている可能性は十分考えられ、イベントのメンバーが海外のメンバーを連れながらも東京により近い福島県には訪問していないという事実が個人的に気になるのである。この活動に全く関与していなかったにせよ、被災地のためと銘打った活動をする団体がこの人物の主張をどう考えているのかという疑問は残る。
2012年にもこの団体は同様のイベント活動をしたようであるが、結局今までに宮城県以外で活動したという報告は無い。何故それ以外の県に行かないのかという理由も明かされていない。「こちらが勝手に東北を縦断するようなイメージを想像していただけだ」と指摘されればそれまでなのだが、協力する側としては、被災地で活動すると宣言していた以上、宮城県以外でもこのサークル団体が活動することを期待した上で書籍を寄贈したのではないか(募金の一部については額が提示され、育英会に納入されているようである)。
とはいえ、未確認なことも数多く、単に私の邪推だと指摘されればそれまでであるため、増田として具体的なサークル名や人物名を明かさずにここに述べた。愉快ではないが、こちらとしても寄付金や書籍の使用用途はサークルに任せた面もある。目論見には具体的な訪問先について特に記載は無く、書籍の利用方法も「子供に配布するなど」という風に書かれていたうように記憶しているため、最初から宮城県内のみで活動するつもりだった、あるいは有料図書館に書籍を納入するのも有効な利用方法の一つだ、と言われてしまえば元も子もない。
件のメンバーはその後も、宮城県石巻市でのがれき処理の背景には巨大利権が絡んでいるとのブログや、甲状腺調査で嚢胞の数が異常に多く見られているというヘレン・カルディコット氏の主張を掲載したブログ、不正選挙についてのブログのリンクなどをツイートし、先の選挙において安倍首相は福島入りをしていないというフェイスブックの記事までリツイートしていたりする(なんでも福島の水田の前で会見をした首相の影が不自然で明らかに合成なのだそうである)。先日のISISによる人質事件においては、日本において大政翼賛会の形成がすでに始まっていると述べている。残念ながら、ここまでではないにしても、彼以外にもこの団体においてそうした主張に近い人物は何名かおり、先日も東海地方の支部で活動する人物がどこぞのブログの「福島県の農産物は安全ではない」というリンクをツイートしていた。百人に一人くらいはこういう人はいるのだろうとは思っていても、少々心配するくらいにはこうしたものを目にする。福島県在住のメンバーがこうした主張を目にした時にどう思うのだろう。私としては混乱時に古書を贈る行為については恥じ入るところだが、敢えて述べれば、もし団体の中枢にこのようなメンバーがいることを事前に知っていれば、贈る前にもう少し検討しただろうとは思う。震災からもう4年近く経過している。周囲の人々も、もう少し目を開いて物を見て、自分で考えてもらいたいと思う。
ここに来た人の中で自分がキリスト教徒であることをはっきり言える人以外は
一度ここ読んだ方がいいね。
特に無宗教決め込んでキリスト教を含めた「宗教」の信徒を馬鹿にしている人は、知らないことがあることを知った方が後々安全。
キリスト教徒でも知らないことあるから、読んでみることをお勧めします。
http://homepage3.nifty.com/yagitani/kurihon/kurihon18.htm
結婚が一度きりに限るとか、教会が実際に結婚について信徒に制限加えるのはそれカトリックと福音派だけだから。異端は知らない。
異教徒と結婚しているキリスト教徒とか、フツーにいるから。完全にそれを許してないのはプロテスタントのうちの福音派だけだから。ロマ書読んだ?
しつこい勧誘をするとか、それ異端だけだから。伝統教派は基本「自分の意思で来る人以外拒む」し、「勧誘をする」のは三位一体や使アタナシウス信条すらアウトにしてる某異端たちだけだから。
堕胎や婚前交渉同性愛、職業選択にうるさくなるのは宗教だけが根本にある訳じゃないから。無宗教を謳う人がこれだけ多い日本で、「倫理」が何故話題になるかわかんないかな。
人類の進化を受け入れなかった、ってそれあの大所帯のカトリックが「すべての人が価値観を変えた」と確認するまでトップが受け入れたことを表明するのに慎重になっていることがわからないかな。
例えば最も保守的な正教会には「七日目」に朝があり夕があったとの記述が創世記に無いからまだ地上が完成したとは結論付けていないんだけど、それはどう考えるのかな。
そういえば、ロマカトとプロテスタント福音派や異端ばかり見てない?
狭い。カトリックの人が書いてるけど、正教も伝統プロテスタント(⇔改革派からは「福音派」と呼ばれる)もサイトあるんだから多少は自分でググってね。
カトリックだってローマカトリックだけじゃないんだよね、日本には無いけど。(つまり東方典礼カトリックを自称する日本の教会はあったら異端ってことです。)
聖書の訳も何種類も出ていて、日本聖書協会が出版していないものは完全に異端だと認めていいことも知らないだろうから、訳も調べてみてね。
お勧めは正教訳といきたいところだけど難しいので、カトリックのフランシスコ会訳と、カトリックと聖公会、ルーテル(と極少数の改革派)が使ってる最大利用者の持ってる新共同訳。
新改訳は「改悪」という評判を随分聞いてるから読んだことがないね。
「キリスト教」と一言で言っても、十戒の最大の禁忌のひとつ「偶像崇拝」の解釈すら教派によって違うから、少し勉強してから発言しないとちょっとしたことでも恥かくよ。
正直見てて痛々しい。
追記:知恵の書2章~3章をキリスト教徒の兄弟姉妹たち、今一度お読みになってください。旧約聖書続編にあるので、手元に無い場合はせめて一度読んでみて。信仰を持たない人の人生観が書かれています。