はてなキーワード: 基金とは
そもそも遊郭もお歌や踊りなどの技芸を楽しみつつ、お料理たのしめるので性的不能のじいさんも通い詰めてたりする
つまり今でいうコン喫(コンセプトカフェ、メイドカフェやAKB喫茶)に「自由恋愛」がくっついてるのと大差ない店もあったぞ(地域にもよるが京都が特に男女とも技芸部分の手続きが長い)
セックス前提だけで説明しようというのは(たしかにそれが目的で行く人もいるし店もあったにしても)極端すぎるし思い込みではないか
あと「自由恋愛と銘打ったヤり目風俗店」であればまだ日本にもあるからな
禁止されてるはずだが金だけじゃなくて知能とか生活力で女を縛るようになっちまってるから禁止しづらい
他にも枕営業だの個人売春だの問題はたくさんあるのは大人はしってる
集英社も説明にこれつかってくれてええやで 使用料は女性の進学基金https://xn--kus49bd41h.net/archives/67540341.htmlに1億くらい寄付しといてくれればええやで いまのところトヨタしかやってへんけど
コンビニで飯買ってたり、推しにスパチャしたり、好きな服を買ったり海外旅行したり…お前ら、金がないから子供を産んで育てる気になれないなんて嘘だろ?
音楽が売れなくなって土地やゴルフ、車や酒なんかに金を使うことのない今、金の使い道が細切れになってる。この豊かな社会で本当に必要とされてる仕事なんかごく僅かで、だからみんな仕事に溢れてる。全員足並み揃えて解決したい大きな社会不安がなくなってしまっている。
例えばお前らが投げ銭や握手券に使ってきた金を基金にして子育てしてりゃ今頃日本はアメリカやスウェーデンを抜く高福祉高出生率のアイディア立国だっただろうよ。
いいか、国は国民が作るんだ。政治家はただのハンドルだ。それを忘れるな。キンコン西野に突っ込む金でミルクとおむつを買うんだ。独身者はデート代に使え。無駄と思うな。無駄と無駄を比較してより無駄じゃない方に使え。
3ヶ月前に募金を始めた。
いちおう今後も続けていけそうな気がするので、続けるぞという決意、お仲間が増えればいいなというわずかな期待を込めてこの記事を書く。
始めたきっかけは、上野千鶴子先生が代表を務められているウィメンズアクションネットワークの「WAN基金コロナ禍対策女性連帯プロジェクト」を知ったことだった。
プロジェクト紹介ページで特に印象に残ったのが、「市民的再分配」の文字。要するに、日本政府の再分配が不十分な所を市民で行おうということらしい。
これを見た時、その考えには思い至らなかった...と大いに反省した。
今までも格差問題には関心があり、どうすればいいのかを学んできたと思う。
どんな公演を聞いても、本を読んでも、答えは1つ「政府がしっかり保障しなきゃ!」
もちろんこれが1番大切だ。結局は行政が動いてくれないと、隅々まで支援が行き届くことはない。
でも、「政府がやらないなら自分たちでも少しずつやるしかないじゃない」というガッツ(?)だって、きっと大切なのだと気づかされた。
幸い、私は実家暮らしで家計の心配をする必要のないお気楽な身分である。
それだったら、毎月のバイト代の10%を募金しよう、そう決めた。
10月は5000円、11月は8000円、12月は6000円。
これで世界は変わるのだろうか。いや、変わらないだろう。
けれど、なんてったってリターンのない行為なのだから、それも仕方ないと思う。(怒られるかも。ごめんなさい。)
だから、私は1人の負担を増やすのではなくて、お仲間を増やしたいなあと思っている。
報道や各種メディア、個人が様々な媒体で伝えているこのイベントに対して、私個人のごく私的な見解など、どうしようもない話の一部になるのだろうけれど、今年の事を書いてみる。
2020年4月9日、イギリスNESTA(科学技術芸術国家基金)に掲載された記事のタイトルは、「”平常に戻る”事はない」だった。タイトルの後、序文はこう続く。
「パンデミックは世界を永久に、そして根本から変えるだろう。例えば、各国が今後数か月でCOVID-19の蔓延を抑制できたとしても、政治的、経済的、社会的、技術的、法的、環境的な影響が何十年も続くことになるだろう。」
今は、今年の初めまでいつものように繰り返していた生活様式から、全く変わった世界に居る事が、まだ実感できておらず、また、そのうち元に戻るだろうという淡く楽観的な期待を持っている時期なのだろうか。
・今年の渋谷
10代20代が中心、2014年ぐらいの人手、100人に5人程が仮装をする。しかし今年は残りの95人こそが主体だったと思う。
18時程から23時まで、仮装している人と写真を撮る訳でもない、現地に居る他の人と盛り上がる訳でもない、マスクを付けた多くの人たちが、
センター街を延々と入れ替わり行進している、盛り上がっているわけでもない、話をしているわけでもない、ただ延々と周りを見渡しながら歩いている。
このような世情で純粋に娯楽を楽しめるような状況ではないので、過去の経緯とはなんら関係のない、主張や抵抗が出てくるものとは思っていたが、
・若者は今年も同じように楽しみに来ているのだという誤解、そして軽視
コロナ禍で受けるようになった多数派の成人社会からの同調圧力。抗議もできず、あなたの為、共同体の為との説明のみで、一方的に生活様式を変更させられた環境。
若者に対する教育サービスを維持させることに重点が置かれ、自由な休日の過ごし方や、様々な活動を通じ社会と融和していく接点は全く考慮だにされない現状。
そして、「来ないでくれ」と区長から予告され、大臣が自粛を述べるイベントに行くことが、周囲からどのように見られるかが分からないわけではない。
それでも現地に行き、個人では抗しきれない数多くのレンズや、文字による暴力から私を守る為に、仮装をせず顔はマスクで隠れた。
恐らく、ひとりひとりに尋ねると、明確な意思で来ているわけではないと答えるのだろう。多数決を取ると必ず潰される高齢化社会の中、滅多に見られない若者の群衆において、
沈黙と行進が延々と続いていた。
財政の話をしていい?
ノック知事の時代から府の財政はこのままではマズイってことはいっていて手を付けてたのだけど肝心なノック知事がセクハラの問題でノック知事ノックアウト→太田府政になったんだけど非共産以外の各党相乗りで知事になった人だから各会派にいい顔をしたいので財政問題に切り込めないままになる。別の基金から資金を借用して予算を組んだりしてて、その基金が目的のための事業にお金を使えない、ってのがあった→そのあと橋下知事登場。他基金からの流用を止めワッハ上方や図書館などを含め、空気を読まずに当座の止血を行うけど、財政問題の抜本的改革はできず→松井知事、他党とケンカ売りながら泉北高速鉄道ほか売って過去の投資した資金の現金化を図るけど、財政の抜本的改革はできず→吉村知事も松井知事と同じくもがきつつ、府財政の抜本的改革はできず。
維新だかニシンだかカプトサイシンだか名前が良くわかるので党の名前は忘れたけど、良いかどうかはともかく、橋下知事以降、府の財政をどうするかということを考えて動いてるのは確か。
ここから先は邪推だけど、二重行政を止めようという名目で大阪市を解体して大阪都にしつつ府の財政をなんとかしようとしてるんじゃないかな、と。
当方東海地方在住の元行政マン。予想外に予想外な展開だったから書く。
愛知県は西三河の中核市の片割れ(もう一方はトヨタ自動車の豊田市)。人口約38万人。古くは徳川家康の生誕地、今は東海オンエアの活動拠点で知られているか。
3選を目指す当時の市長内田氏と今回の新市長中根氏の一騎打ちの構図。内田氏には自民、公明、立民、国民の国政与野党が相乗りしていた。この構造なら昨年の愛知県知事選よろしく結果は推して知るべしと思うだろう。しかし現実は違い、結果は中根氏が内田氏に約3万票の差をつけて当選した。
内田氏の市政は駅前再開発に係る歩行者専用橋の新設や建設・運営費で80億を要するコンベンション施設の建設など、有り体に言えばハコモノが目立った。コロナ禍の中、需要があるかもわからないハコモノの建設には反対意見が集まり、その見直しを掲げる中根氏には追い風があった。しかし、何よりの決め手は、中根氏が市民一人あたり5万円の給付金を支給すると打ち出したことである。とりあえず5万円が貰えると思った市民がそれ目当てに投票に行ったことが今回の当選につながった。
選挙活動としては現金給付を掲げるのは広義の買収ではという見方があるが、それは置いてき、実行面の話をする。
序盤に書いたが、岡崎市の人口は約38万人であり、それぞれに5万円を給付するには約190億円を要する。ちなみに岡崎市の一般会計予算は1300億円程度である。当然財源が問題になる。中根氏はその財源について選挙期間・当選後からいくつか挙げていたが、そのどれもが現実に即していない。例を挙げる。
選挙期間中にもっとも言われていたもの。建設を中止して5万円の税金を市民にお返しするとのことだ。しかし、公共施設の建設費等は単年度に全額払うわけではない。市債の発行などを行い、何年もかけて支払いを行うものである。仮に建設を中止したところですぐに80億円は捻出できない。
約120億円の財政調整基金を始めとした基金が昨年度の末で約270億円あり、それを切り崩すという方法である。この残高はあくまで昨年度末の数字であり、各種報道で知られているように、コロナ対策で各自治体は既にその切り崩しをしており、岡崎市も例外ではない。コロナ禍は来年度の税収にも響くため、給付金に充てた結果、来年度は減収分に充てる基金が尽きて市政運営に支障をきたす事態も考えられる。また、財政調整基金以外の基金については切り崩しの目的が定められており、転用には当該基金の廃止等の手続きが必要になる上、学校の改修や駅舎の整備に充てるものを削ればそれらの事業に支障をきたすことになる。
行政や財政について多少かじった人なら知っているだろうが、起債には建設事業の財源調達などの要件がある。今回のケースはどの要件も満たさない。
中根氏の5万円給付の政策は、その財源面からかなり難しい。というか、はっきり言って無理だ。何かしら配るにしても給付対象を狭めたり給付額を減らすことは避けられない。そもそも、中根氏は旧民主党の流れをくみ衆議院議員の経験もある。国政に関わった者なら、建設費の支払いや公債の発行要件について考えが行くべきだし、実現可能性もわかるだろう。某社の紙面で「付け焼き刃の公約ではない。市民からの声をそのまま公約にした」旨発言していたが、この政策はまさに実現可能性を度外視した市民の声をそのまま公約とした付け焼き刃であろう。票を投じた有権者にも不誠実だ。
各種報道で財源について中根氏は「僕の知らない調達の仕方があるかもしれない」旨述べている。今回の選挙では立民も国民も内田氏を支援したが、旧民主党政権の反省点である見切り発車精神は中根氏に関してはそのまま継承されていたようだ。無理難題に挑まされる特命チームが不憫でしょうがない。
株価が落ちない。さすがアベノミクスは、ご本尊が息絶え絶えでも健在だ。というわけではなく、皆が買っているから株価が上がる。シンプル。
なぜ、株に投資をするのか? 常識で考えたらおかしい。コロナのおかげで生産は落ち込んでいる。経済指標は最悪だ。ふつう、業績が落ち込んだ会社は株価が下がる。価値がなくなってしまっては元も子もないから、売り込まれる。安くなっても倒産してゼロになるよりはマシだとばかりに、株価は下がる。コロナ需要で潤った少数の企業を除けば、多くの企業が業績を悪化させている。だったら株価は下がりそうなもんだ。けれど、株価はついにコロナ以前を回復した。
実際、コロナ騒動が持ち上がったとき、多くのひとがそう考えて株を売った。どうせ下がるから、いまのうちに売ってしまえとばかりに売り急いだ。結果、株価は大暴落した。とはいえ、企業の価値がなくなるわけではない。騒動の中でも人間は生きていくのだし、そのためには一定の企業活動は続くし、経済も動く。だからそこそこのところで値頃感、割安感が出て、暴落は止まる。今回の特徴は、暴落が止まるとともに一気に株価が上昇を始めたことだ。二番底らしい落ち込みもなく、ほぼ右肩上がりに株価は回復した。いったいどういうことかと、皆首をひねりながら、買い続けた。
なぜ不思議に思いながらでも買い続けるのかというと、それは株価が上がるからだ。株価が上がるから人々は買い、人々が買うから、株価が上がる。とはいえ、これでは理由にならない。理由は、買わなければ損をするからだ。株が上がるとき、株をもたないことはリスクになる。
いや、資金がなければ、リスクもへったくれもない。株どころか、何も買えない。ところが運用しなければならない資金は、どういうわけか手元にある。自分の手元にあるだけではなく、他の投資家の手元にはもっとたくさんあることがわかっている。機関投資家や公的な基金にも潤沢に資金がある。なぜなら、各国政府がコロナでの景気落ち込みを防ぐために、市場に大量の資金を投入している。これは秘密でも何でもない。もちろんコロナ関係予算の多くは株式市場買い支えのものではない。けれど、困窮した現場にピンポイントに必要十分の資金が行き渡るはずもなく、その多くは避けることのできないロスとなって、市中に流れ込む。たとえば一律の現金支給は、それを必要とする困窮者には絶対的に必要で、効率的にそこに行き渡らせるためにはやむを得ない政策であるけれど、一定水準以上の所得が確保できた大多数の人々にとっては単に余剰の現金を増やすだけになる。そういった現金は、まわりまわって投資市場に流れ込まざるを得ない。なぜならこの不安の時代であり自粛の時代であるコロナ下においては、余分な現金は消費に回されるよりも備蓄に回されるからだ。それが投資資金として集められ、市場をちょっとしたインフレ状態にしている。ちょっとしたどころか、相当なインフレ状態にしている。
それがはっきりとわかるときに、もしも手持ち資金があったらどうだろう。仮に10万円の資金があるとする。10万円の価値はいつでも10万円だろうか。インフレ時にはそうではない。つい数日前に10万円で買えたものが気がつけば15万円出さなければ買えなくなってしまう。放っておけば実質価値が失われるのだ。だから、市場にカネがだぶついているとわかっているときに株価が上がるのなら、手持ち資金を現金で置いていてはいけない。それははっきりと損失を生む。だから投資家は、市場への通貨供給量を察知して、買いに走る。実体経済なんかはクソ喰らえ、損を出してはいけないから、みんなが買うならビッグウェーブに乗らないわけにいかない。だから株価は上がる。半信半疑、薄氷を踏むような気持ちで、あるいは首をひねりながら、とにかく買い続ける。その行動原理においては、投資家は決してバカではない。
ただ、問題は、これがそれだけでは終わらないことだ。
コロナはやがて終息する。それはもう、はっきりしている。人間は、いつまでも厳戒態勢を続けられない。医学的に解決するかどうかにかかわらず、遠くないうちにコロナ問題は過去のものになる。確かにwithコロナの時代になって日常が大きく変化するのかもしれないが、それでも日常は日常だ。人々はそれなりの日常をとりもどす。自粛ムードは批判され、やがて過去のものになる。消費は回復する。
本当のインフレが一気にやってくるのはそのときだ。いま、インフレ状態は投資市場の内部だけでおさまっている。それは、人々の心が消費に向かわないからだ。けれど、自粛ムードが去り、緊張状態がほどけたらどうか。人々はいまよりももっと消費に向かうだろう。そして、その消費を支えるだけのカネはある。貯蓄や投資に回したコロナ時代の資金が、バブルで膨れるだけ膨れている。そこからちょっとぐらいの贅沢にカネを回してもバチは当たらないだろうと、人々はモノを買いはじめる。健全な経済が戻ってきたと喜ぶべきだろうか。いや、政策的に膨張してしまった投資市場の勢いは、そこでとどまらせてくれないだろう。投資市場からカネが流れ込むせいで、実体経済の部分まで、通貨供給量が過剰になる。ブレーキは効かない。そしてインフレが起こる。
身も蓋もない話をしよう。インフレだろうがデフレだろうが、基本的に多くのひとは困らない。なぜなら、通貨とモノの交換比率が変化するだけで、日常の消耗品の売買はふつうに行われるからだ。けれど、インフレやデフレで大きな影響を受ける人々も存在する。それは両極端の人々だ。一方の極にいるのは資産家で、資産が目減りしたり、評価額が上がってもちきれなくなったりするだろう。だが、そういうのは放っておけばいい。本当に困るのはもう一方の極にいる人々だ。ロクに収入が増えないのに、物価がどんどん上昇する。当然、食えなくなる。命に関わる。
投資家たちは、実体経済がインフレになり、その反動が株式市場を直撃すれば、必ず大きな打撃を受けるだろう。だが、そんなことははっきり言ってどうでもいいことだ。株で失敗して首をくくるなら、それは自業自得というものだ。本人だって、それを知った上でバクチに参加している。同情はしない
コロナが終わり、インフレがやってきて、そういった社会問題が深刻化するのは、かなりの確率で避けられない。ただ、問題は、それがいつ来るかを誰も知らないことだ。いつ起こるのかを言わなければ、多くの予言はあたる。「あなたは死ぬだろう」という予言は、100%当たるのだ。だから、こんな話には意味はない。意味はないから、ここに垂れ流しておく。
”風邪ひいたと思って受診したら3000円も取られた!というのは3000円しか払っていないので、残り7000円は別組織の基金から支払われています。(3割負担の場合)”
サラリーマンの経費にたとえましょう。
旅費を立て替えて出張に出かけ、帰ってきたら精算してその分返ってきますよね。
それの特殊例です。
出張したよ、経費は3000円だったよと申請すると、10000円もらえるようなものです。 これが医業収益にあたります。
たとえを進めましょう。
グリーン車を乗りついで超高級ホテルに泊まったので出張で30万円経費がかかったよ、と申請すると、100万円もらえるとしたらどうでしょう。
金を払う側からはやってられないですよね。ですので、ここまでは保険で認めるよ、ここからは保険でみとめないよ、という線引き/審査があるのです。
そのため、キューポラの音はうるさいわ、型を作るための砂が飛ぶわで、近所からは公害呼ばわりされていた時期もあったという。
一度、工場から火の粉が飛んで隣家のヤシの木が炎上したこともある。
そんな過酷な職場(加えて安月給)は人手不足も甚だしく、軽度の知的障害や精神障害の人が貴重な戦力だった。
(給料のほかに、障害者の自立のための基金にも寄付をしていた)
とは言え、彼らは危なっかしく、聴力の弱い人もいたので、工場ではいつも怒号が響いていた。
その中の一人がかあちゃんに殴られるというのでわが家に匿ったことがある。
別の従業員が友人の家に金の無心をしていると聞き、顔から火が出たことも。
ずっと、そんな生家のことをどこか恥ずかしく思う気持ちがあった。
「ものづくりへの誇り」で補おうとするけど、それだけじゃ拭えない気持ち。
けれど、今日、わたしの心はバランスを取り戻し、これまでにない平和がおとずれた。
うちのじいちゃんもエボシ御前だったんだ。
もっとも、じいちゃんが鋳物工場を始めたのも、勤め先が廃業しそうになってやむなく手を挙げたのだと聞いている。
”みんなツイート単体でブクマしてツリー読まないで言いたいこと言ってるだけなのさすがはてブって感じ”
わかってる人もわかってない人も、ツリー読んでる人も読んでない人も、ググる人もググらない人も、アベガーも安倍政権推し(現状追認派)も含め、いろいろなコメントがついており、これぞ「ザ☆はてブ」って感じですね
”赤字になるというのが判らない”
”健康保険で払われているから支払いが安いだけで医療はやった分だけ支払われているものだと思っていた。やればやるほど赤になるのはどういう仕組みなんだ。”
”客減ったら給料減るのは当たり前で。公務員じゃないんだから”
”コロナ患者を受け入れるほど病院の売上が下がるんだから解決方法は「コロナ患者を受け入れない」だな。”
”コロナ患者を受け入れない方が利得が高くなる設計はまずい。”
”前も思ったけど、コロナ患者を受け入れたら収支が悪化するというのは、病院が悪いわけではない。”
”コロナで病院の収益悪化するのはそもそもシステムとしてバグっている”
” 病院がきちんとした経営努力を重ねていたかどうかが大事。努力していたのなら、病院外からの支援が必要。多分ブルーインパルスではダメ。 ”
・” 生活保護の医療無料をいいことに生活保護者を囲って利益をあげる病院経営。。。”
これまずコロナ何にも関係ない。そういう病院が複数あることは事実だけど、ごくわずか。
試合で相手に毒を盛る・銃を使うなどの反則をすれば勝てるのは自明だけど、そこまでプライドを捨てるスポーツマン/経営者は少ない。
まず根本的な知識として知っておくべきなのは、保険医療機関の収入の大半はサービスを受ける人から払われるのではない、という原則です。
風邪ひいたと思って受診したら3000円も取られた!というのは3000円しか払っていないので、残り7000円は別組織の基金から支払われています。(3割負担の場合)
慢性病で高い薬を処方されたり高い検査をされた場合、自己負担も、基金からの支払いも比例して増えていきます。
ゆえに、高い薬はやめてください、という要求が病院に向けられます。(健康保険組合からの「処方はジェネリックにしてもらえ」という通達はこれ)
生活保護の場合、0割負担なので10000円がすべて支払基金から払われます。
従って、どれだけ高い薬を出しても、どれだけ無駄な検査をしても、病院への支払いは増えていきます。医療ですから、グレーゾーンがあります。ある検査を年に1回やるか6回やるかは医師の判断です。
誘惑に負けて限界を超え毒から皿まで食ったのが山本病院事件(WIKIPEDIAに項目あり)です。
しかし、0割負担でなくても、グレーゾーンの範囲内であれば、かなり病院に有利で支払側に不利なことになります。
一種類の薬と二種類の薬、一種類の検査と二種類の検査、儲かる方を選ぶ動機が医療機関側にはあります。
ズボンを買いに行ってジャケットと帽子と靴も買えと言われたら断ることはそんなに難しくないでしょう。
ですが、もっと薬が必要ですよ、もっと検査が必要ですよ、もう一週間入院した方がいいですよと言われて、断れるでしょうか?
ですから「善意」だけではうまく動かないのです。そこで実行されているのが
(続く)
”儲けを出すなはおかしいだろ。儲けを確保したうえでしっかり現場に還元しろ、ならわかるが。”
”概ね主張は理解するけど儲ける…というか一定の利益追求はしないと労働者に還元されないのではと思ったり”
” 最低限コロナの診療点数を特異的に上げないとだめだと思う。最悪コロナお断りの医療機関だらけになる覚悟も必要。”
” 難しいよなあ。経営陣だって無い袖は振れない。特殊事態なのだから、コロナ受け入れ病院の勤務者には政府から手当を出すしか方法は無いんでないの。”
” 「儲ける」=正当な対価以上にがっぽり金が入ってくる こういう感覚で使う言葉だと思っているが、そうではない人の割合はどの程度だろうか。”
”病院は赤字なので、払いたくても払えない。病院が悪いのではなく、赤字に補填しない、政府と自治体が悪い。東京都は休業補償に 8500億円もばらまいたくせに、病院には出さない。政府は GoTo 。ひどい悪政だ。”
”コロナ治療には特例で診療報酬が加算されているけど、自粛によって非コロナ系の受診まで激減した分の減収まで対応が追いついていない。病院は飲食宿泊風俗と比べても退出時の打撃がずっと大きいので補填すべきでは。”
”診療報酬の仕組みだと、病院単体で見ると「分捕り合戦」でしかないからな。/まあ高齢者医療で膨らんだ分が「受診控え」で萎めばこうなる”
”前も思ったけど、コロナ患者を受け入れたら収支が悪化するというのは、病院が悪いわけではない。”
” コロナ対策で通常の患者の通院間隔を開けたり色々したことで、医療を受けた人の数が減ったという面はあるよね。”