はてなキーワード: 商業主義とは
私はドグラマグラの豊かな学識とストーリー構成の難解さに困惑して、作者の夢野久作はいったいどのような思想の持主だろうと興味を持ったものだ。
ドグラマグラのような長編ではなく短編の瓶詰地獄なら作者の思想がわかりやすいのではないかと思って読んでみたけど、作者の思想の浅さを知れただけにがっかりだった。
瓶詰地獄は作者がその気になればシンプルなストーリーとなるのだが、三通の手紙の内容と順序を意図的に矛盾させることで、わざと謎を作り出して読者を困惑させている。それに意味はない。意味があるとすれば、作者はプロフェッショナルとしてミステリーを作っているから、ということしかない。
フェミとかポリコレとかBLMとかLGBTとか知らねえけど自由に創作したらいいじゃん
別に「創作物が改変された」とか言ってもTwitterで叩かれたとかそんなんじゃん
Twitterで叩かれたぐらいで折れるなよ
「表現は自由です。批判もどうぞ。でもわたしはこれが表現したいんです。」ぐらい言っちゃえよ。
問題視される創作物が配給会社なんかによってストップされて日の目を見なくなる的な問題はあるかもしれないが、そんなの配給会社のご意向で、商業主義的な問題以外の何物でもないから無視すればいい。
出版社とかテレビ放映とかなくても創作は自由だろ。YouTubeの規約に違反したとしても自分のサイトで公開すればいい。公開して批判が殺到したとしても、無視すればいい。批判も称賛も世間の受け止め方も含めて表現するってことなんだよ。
担当編集にストーリーを改変されるのが嫌ならひとりで描けばいいんだよ。
「フェミニズムのために改変された」とか甘すぎるますわ。正しくは「商業主義のために改変した」だ。「金のために自分が表現したいものをねじ曲げた」だ。その拝金主義をやめりゃ、時代の拒絶に屈する必要はなくなる。金のために作るか、自分のために作るか、選ぶのはテメェだ。
そりゃ本場の西海岸なんかでどういう風に考えられてるのかは知らんけどさ
「そもそもなんでポリコレなんか強制されなきゃいけないの?」って聞かれたら「そうしないと売れないからだああああ!!」つってたのがはてなのポリコレ信者なんだぞ
つまりポリコレイコール想定顧客層に対する忖度あるいは媚びとして必要なもの、としか解釈してなかったわけ
まあね、一方的に正義を押し付けている自覚なんかしたくないのはわかるんだよ
でもそれならチャイナマネーのためにあっちにも媚びるのだって当たり前じゃんね
「思想の押し付けではなく、商業主義の帰結に過ぎない」というのであれば当然そういうことになるし、実際今までは見過ごされてきた
それが炎上した途端にいきなり「中国に配慮するのはポリコレではありませええええん!!」ってさあ、手のひら返すのもいい加減にしろやって言いたくもなるだろうが
確かに最近のディズニーが先陣切ってポリコレを推し進めてきた事実はあるにせよ、一方でディズニーはハシゴを外された被害者であるとも言える
価値観が決定的に違う奴ら全員にああやっていい顔をしてきたのは、何もディズニーに限った話ではない
ポリコレとは関係ないけど日本の外交もだいたいそういう感じだった
でもそういうのが今までナアナアで済んでたことの方がおかしかったんだよ
うえで、東洋経済がNexToneというJASRACみたいなことをしている株式会社のインタビューを公開したのを読んできた。
https://toyokeizai.net/articles/-/369759
オタクでavex(経営陣)アレルギーという、マジョリティからしたら徹底したはみ出しものなのだが、記事については「みんなが良いと思うからこうするべきですよね!」と言うにはやはりちょっと思慮が浅い…素直に言えば文句がある。端的に言えば商業主義と安売り精神が過ぎる。いや、これは結構どのアーティストもそうだと言えばそうなのだが、avexのギラついたソレはやっぱり酷い。今回のインタビューで「だからavexは嫌われる」ことを表す一文がある。
エイベックスは積極的なテレビCMや大量のサンプル版など、お金をかけてCDを売っていたが、使用料を徴収されると宣伝費は削られる。アーティストやプロダクションにも収入は入らないのに、著作権者にだけ使用料が発生するのは不合理だ。そもそも、プロモーションで著作権使用料を徴収するのは、世界的にも希少と言える。
この一文を読んで何とも思わなかった方向けに説明を入れると、テレビやラジオでJASRAC委託楽曲を流すと使用料が発生するのはイメージが湧くと思う。加えてCDを生産する、楽曲を使った映像を制作する場合も「作ったときに」著作権者に使用料を払う形となる。avexの言い分は「予算をうちが出して作った曲のプロモーションで、どうして作曲者や作詞家たちにお金を払うんだ」ということになる。ビジネス的には一応合っているが、著作権法に照らせばひとつの音源について各権利はそもそも作曲者、作詞者、編曲者、歌唱者がそれぞれ最初に持っているのだ。いくら予算を出すとは言えレーベルは使用料徴収含め権利は「契約で譲渡してもらわない限り保持も主張もできない」決まりである。まあ最初から契約でプロモ関連については使用料請求しないとか一筆書かせておけばいいだろう、と思われるかもしれない。しかし楽曲をJASRACなどの管理団体に委託する場合、実際の音源(CDに録音されるデータなど)とは別に、楽譜と歌詞もそれぞれ管理委託される。つまり「買い切り」の形にならないため、1000万枚売っても、歌詞を書いた人は1回分のギャラしかもらえなかった、ということは起こらないようになっている(無論現在でも買い切りの形式は取る事は可能)。これを踏まえてもとの文を読むと「不合理だ」の部分がちょっと変だと感じるだろうか。ものすごく悪意の篭った言い方になるが、漫画で言えば販促用のプレゼント色紙数十枚のギャラが1円も出ない!とか超大物作詞家が作りました!というネームバリューにタダで乗っているような具合のことをavexは言っているのである。
…
NexToneの姿勢にも若干妙な部分がある。3ページ最後、「権利者にしっかり配分、手数料も下げる」の大段落
「使えば必ず取る」という徴収の姿勢ばかりでは、街中から音楽がなくなってしまう。たとえば、『ジングルベル』や『きよしこの夜』といったクリスマスソングは権利の切れた楽曲も多いが、「使うとお金をとられてしまうのではないか」と萎縮し、流れなくなっている現実がある。フィギュアスケートなどの競技でも、「権利が生きている楽曲は面倒だからクラシックに限定しよう」といった動きもあるようだ。音楽がもっと流通するようにしていきたい。
見出しがもう蛇口締めながら「もっといっぱい水出ろ!」と言っているようなものだがそこは話が別なのでスルーする。
この辺はそもそもJASRACの怠慢のように言っているが、明らかに著作権法に関する世間の認識は全く成熟していないことを示しており、NexToneが高らかに「まともに教える気はないですよ」と宣言してしまっているのだ。著作権法にまともに取り組んでる人間から笑われるのでは?あともっと現場で音聴いてきなさいよ。クリスマス時期に店行けばどこもかしこもシャンシャンシャンだぞ。細かい話をすれば、楽譜の著作権切れてても5年前の東京フィルの音源だったら音源の著作権が生きてる。
音楽文化…もとい著作権法読み込んでる識者や、創作を長く続けてる人であれば、そもそも作った人を守れなきゃもっと早く文化が死ぬのがまず最初に来るはずだ。いや、JASRAC問題は識者同士でも紛糾する。確かに直すところいっぱいあるんで役員たちはいい加減にしなさいよ。…ともかく、そもそも「使ったらお金を取られる」という発想がおかしいというところから教えるのが著作権の委託管理を担う一端としての立場であり、全部が全部お金を取られるでもなく「これは自由にしてもいいんですよ」という部分も優しく伝えていくのが管理団体としての在り方ではなかろうか。
…
これ書いてて思ったが、一応の「権利者」である団体とかが利潤を求めてロビイングかけて、複雑なコピーガード周りの条文だったり、音楽用CD-Rを買うと価格に含まれてる保証金みたいな制度を作って著作権法の認識めちゃくちゃにしてるんだったっけ…なんで著作権厄介オタクになっちゃったんだろうな…
バンクシーは名前くらいは知ってると思うが、街中に意図のある落書きを残していく匿名のアーティストで、モスクワ・マドリード・リスボン・香港などで100万人以上を動員した展覧会『BANKSY展 GENIUS OR VANDAL?(バンクシー展 天才か反逆者か)』の日本版がいま横浜のアソビルで開催されている。
この展覧会は、バンクシーが匿名の活動( 言ってしまえば犯罪的な活動もしている )をしていることをいいことに、勝手に開催されているもので、日本はまだリストインしていないがモスクワやラスベガスなどで行われた「BANKSY展 GENIUS OR VANDAL?」は、バンクシー公式サイトで「FAKE」と指摘されている。
最近バンクシーの展示会が相次いで開催されていることを知っておいてください。 どれも同意の上で開催されたものではなく、これらはアーティストの知識や関与がない組織によるものです。それなりの扱いをお願いします。
https://www.banksy.co.uk/shows.asp
展示されている作品は、バンクシー作品を所有しているコレクターから借りてきて展示しているので、まあだいたいが本物らしい。真贋の確認はされていないが。
(贋作も混ざっているという情報あるので、「贋作が見られるのは本展示会だけ!!」とかいう凄い企画である可能性も高まってきた。これについては後述)
バンクシーも勝手に名前を金儲けに使われて( 作品はオーナーであるコレクターに権利かあるんだろうし、どこに展示されるかは勝手だろうが ) いい迷惑だなと思うが、オリコンニュースのこの記事。
https://twitter.com/oricon/status/1288212393659523072
バンクシー展からオファーがきて江頭2:50の「バンク尻―」もバンクシー展に展示することになったというニュースだ。
すぐにこれは訂正が入っている
【お詫びと訂正】「本家バンクシー側からオファー」と紹介いたしましたが、この展覧会はバンクシー本人無許可のものであるため、表現に誤りがありました。訂正してお詫び申し上げます。
https://twitter.com/oricon/status/1288312436634710023
恐らく、バンクシー展が本家から認められていないものだとは知らずに江頭側が「本家からオファー」って書いてしまったのだろう。
確認してないのが悪い……とは思えないな。バンクシー展が本家(本人)と無関係なんて思わないもんな…。
バンクシーは、自らの情報を隠して活動しているため世界各地で勝手に「こいつなら訴えてこないだろう」とばかりにグッズが作られてガンガン売られている。
EUで法人を設立して商標管理をしたり(もちろんこれは商業主義の批判のためであって自らのグッズを売るためではないと思われる)、実際には買うことはできないグッズが並んでいる(通りからショーウインドウ越しに商品風の作品を見られる)「店」を出したりして対抗している。
バンクシー展、本人は認めてないわ、バンクシーって書いてあるだけのグッズ作って勝手に売るわ、地味にやりたい放題なの恐ろしい。※画像は拾わせていただきました
https://twitter.com/springcourtykh/status/1239527013452378114?s=19
我らが日本の「バンクシー展」では、本家ロゴを使わず普通のゴシック体のフォントで作ったTシャツやトートバッグを売っているのだ。アツい。アツいぜ。
この「BANKSY」って書かれたトートバッグ持って歩くの、ヤバくないすか!?!?!??
プリントグッズやってる印刷会社のデザイナーが「バンクシー展のグッズのデータ作ってよ」って依頼されて、このデータ作るときに「本家のロゴデータないんですか? 本当にこれでいいんですか?」って言ったと思うんだよなー。泣けるなー。
バンクシーについての本も書いている美術の専門家、鈴木沓子さんのツイートです。
中にはバンクシーの贋作も何点か展示されていたので(添付)、本物と贋作と別の人の作品がいっしょくたに展示している展覧会だということは、もう少し知られてほしい。。
https://twitter.com/gingerhoneytea/status/1288309852222058496?s=19
バンクシー作品かを確認する方法は恐らくバンクシーの商標管理をしている法人の認定を受けるかどうかだけっぽいので、真贋の確認は難しいのだが、専門家がこう言ってるのが本当ならバンクシー展の主催すごいな。
いや、バンクシーが有名になってるしちょっと儲けてやろうってくらいで、ここまで徹底的にやれなくない?
どうなってるの???
最近はBuzzFeedジャパンや、Business Insider Japanと並んでジャーナリズム魂のあるメディアとして(俺の中で)話題のウェブ版「美術手帖」さん、いまこそこれを記事にしてくださいよ。
コタツ記事じゃなくて、中の人に意図を聞いてくるとか、バンクシー関連の専門家の意見までまとめるくらいのやつ。
この増田はそれを読みたくて書きました。届け、この想い。
まあ少なくともラブライブではないと思う。
あれは「努力・友情・勝利」の物語が、努力も友情も勝利という目的のための手段に成り果てるという構造的欠陥を抱えていることに無自覚すぎる。青春も、思いも、全てがアイドルとして多くのファンを獲得するための道具になってしまっている。アイドルは物語によって夢を売るものだけど、その物語が飾らない自分たちの青春であれば、それは青春すべてがファンサービスの一環として商業主義の中で昇華されるリスクを抱えることになる。μ'sの物語は見事に自ら生み出したその消費の渦に飲み込まれてしまい、学園生活のすべてがアイドルとして勝利をおさめるまでの過程となった。手つかずの自分たちだけの青春はもう欠片ほどしか残っていない。自分たちだけの努力、ファンの手垢にまみれていない純粋な友情、それらすべての当たり前の学生らしい青春が失われて、アイドル活動の一環でしかなくなった青春。その世界観が貫かれているならいいが、実際は甘酸っぱい青春の物語であろうとし続け、そうして売り込むがゆえにその青春はいつまでも消費され続けていく。その矛盾が結果的に広げた不協和音の結果がアニメ二期以降シリーズ全体に漂うちぐはぐさだ。それがある時点で最高峰とは言えない。減点があるというより、全力でのめり込もうとしても障害物がコース上に多すぎて見ていて何度も感情にブレーキがかかる。偶像崇拝の触媒として、決して優れているとは言えないだろう。
私はポリコレやその歴史にそれほど詳しい訳では無いんですけど、リベラル、あるいは人文系の領域で何かを考える時ってある程度定石みたいなものがあると思うんですよ
そのような場合、例えば強者側である西洋人は非西洋圏の人々に対して、自分達の暴力性や問題を考え、自省する訳です
西洋の文化を優越した物として考えてしまっているんじゃないか、とか、西洋の価値観を押し付けているんじゃないか、とか、西洋の規範を押し付けてしまっているんじゃないか、とか、文化を収奪してしまっているんじゃないか、とか
で、ですね
あのですねぇ、普通に考えてみてください、例えばインドの文化に対して西洋の規範でもって「こんなのはダメだ、遅れている」と断罪したとしましょう
アウトなんですよ、明らかに
西洋中心主義、植民地主義、何でもいいですが、そのような自己の身勝手さや暴力性について考える事はもはや欧米では常識ですし、それが倫理的な態度というものですよ
勘違いしている人が居るといけないから先に言いますけど、日本はとっくに先進国じゃないですよ?KIMONO騒動でも明らかなように、文化の収奪を心配される側です
それを、西洋の規範で塗りつぶす、という事がそもそもポリティカリー・コレクトネスという文脈の上で何を意味するのか、もしかして考えた事無いんですか?
あるいは、その商業主義的なコードを、あまつさえ普遍化して「普遍的だから「西洋のローカルな規範」等ではない」と考える事のまずさを、考えた事無いんですか?
あくまで西洋と言う強者の自己批判だから成り立っていたものを、弱者を強者に従わせる理屈に流用するなど、どういうおつもりですか?
ポリコレを非西洋圏に押し付ける事の問題点、なんてもはや周回遅れの議論でしょう、語り尽くされていますよ、日本だけですよ、こんな所に辿り着いてさえいないのは
この件も原発と同じで、プランBなんて検討したらコスト的に割に合うわけもなく、そんな試算をしてしまったらそもそもオリンピックなんて誘致できるものでもないと思うんですよね。
100年規模の天災を考慮してたら、こんなイベントを実施できるわけがない。
原発と一緒でサステナブルな仕組みになってない、制御不能な仕組みを運用している、という前提に立って、オリンピックを取り巻く仕組み全般を見直すべきなんでしょうね。
個人的には原発もオリンピックも一足飛びに、問答無用に廃止すべき、とは思ってなくて、サステナブルな仕組みの中で運用できるモデルにしていくべきなんだと思います。
収賄の件もあって、IOCには悪いイメージばかりが流布してますが、東電や原発組織がそうであったように社会に対して少なくない貢献をしてきた面もあるはずで、それを脇に置いて不要論を喧伝するのも無責任かな、と思うわけです。
オリンピックの商業主義化を悪く捉える向きばかりが目立ちますが、それによって生まれた収益が少なからず世界のスポーツ振興や社会に貢献してきた部分はあったはずで、その点もしっかりと評価した上で、オリンピックやIOCのあるべき姿を模索すべきなんでは…と思う今日この頃です。
死んだワニで思い知らされただろ。
アフィリエイターによるゴミみたいなまとめサイト、無断転載コンテンツ、広告代理店によるステマ、悪質な転売屋、互助会によって汚染されるランキングサイト、中華業者による工作レビュー。
今の世の中ネットを利用している人間であれば嫌でもお金に汚い個人や企業によるモラルのない金儲けにいくらでも迷惑をかけられる時代だ。
今のネット社会ではこういった負の側面から逃げ切ることは不可能だろう。
いや、ネット社会だけじゃない、インターネットによってその概念が可視化・共有されただけで、元から世界なんて現実も含め全部同じくらい汚いものなんだろう。
「"嫌儲"って馬鹿みたいな言葉だよね、人が儲けるのが嫌いなんて。お金を稼ぐことなんて何一つ悪いことじゃないのに」
こんな時代になっても、まだこんな勘違いをしている馬鹿を度々見かかる。
嫌儲とは決してお金儲けをそのものを否定する精神じゃない。『人の心を忘れた金儲け』を決して許さない高尚な精神のことを指しているのだ。
この非常時であれば、悪質な転売屋や広告収入目当ての無責任な医療情報が自分や自分の大切な人の命すら奪う可能性だってある。
我々は知っているはずだ。一部の人間はお金のためならどこまでも卑しくも汚くも堕ちてしまえることを。
人の心を忘れた汚い商業主義に嫌気が指した人達の怒りが爆発したのが今回の騒動だ。
こんな時代だからこそ、人の心を忘れた金儲けを、電通を、我々は決して許してはいけないのだ。
リメンバーまつり。
ようやく時代が追いついてきた。
この件も原発と同じで、プランBなんて検討したらコスト的に割に合うわけもなく、そんな試算をしてしまったらそもそもオリンピックなんて誘致できるものでもないと思うんですよね。
100年規模の天災を考慮してたら、こんなイベントを実施できるわけがない。
原発と一緒でサステナブルな仕組みになってない、制御不能な仕組みを運用している、という前提に立って、オリンピックを取り巻く仕組み全般を見直すべきなんでしょうね。
個人的には原発もオリンピックも一足飛びに、問答無用に廃止すべき、とは思ってなくて、サステナブルな仕組みの中で運用できるモデルにしていくべきなんだと思います。
収賄の件もあって、IOCには悪いイメージばかりが流布してますが、東電や原発組織がそうであったように社会に対して少なくない貢献をしてきた面もあるはずで、それを脇に置いて不要論を喧伝するのも無責任かな、と思うわけです。
オリンピックの商業主義化を悪く捉える向きばかりが目立ちますが、それによって生まれた収益が少なからず世界のスポーツ振興や社会に貢献してきた部分はあったはずで、その点もしっかりと評価した上で、オリンピックやIOCのあるべき姿を模索すべきなんでは…と思う今日この頃です。
日本だけなんだろうか
アマチュアリズムって聞いて、なんか金はないけど手弁当で頑張ってます的な発想になってしまうのって、本来の海の向こうのアマチュアリズムと全然違わね? って思っちゃうんだけど
そもそもアマでアスリートなんかやっても食っていけるっていうのは、つまりそれだけお家に金がある上級国民に他ならないわけで、要は金もらってスポーツやるような下賤な輩なんか入ってくるんじゃねえよってことでしょ?
単に自分らの階級だけで独占したいってのが本音で、商業主義の排除とか言われてもそんなん二の次じゃねえかって感想しかない
今見たらWikipediaですらそんな感じのこと書いてるし、実際ラグビーなんかまさにそれだったし、そもそも日本も明治時代にスポーツが入ってきた時は似たような感じだったはずなのに