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はてなキーワード: 初版とは

2013-04-12

http://anond.hatelabo.jp/20130412162941

現在純文学は1万部くらいからヒット作扱い。

ゲームだと今は10万本くらいからヒット作になるのかな。

から出版業界にとっての初版50万部は、ゲーム業界における初回出荷500万本に匹敵する。

「1桁間違えてるんじゃね?」という感覚はわりと正しい。

2013-03-23

つの時代ソフトウェア工学の話だよ

http://d.hatena.ne.jp/nowokay/20130322#1363969460

以下の記述のまとめ:

お前の言っているソフトウェア工学は今のソフトウェア工学じゃねえよ.

端的に言うとそんだけ.

で,本題.

まず,書いてる内容が古すぎて救いがたい.iPS細胞研究ノーベル賞取った現状で,「実験材料に受精卵を使う万能細胞研究なんて許されませんよ!」と主張されても,その何だ,困る,とかそういうの.

1999年、なにがあったかというと、XPエクストリーム・プログラミング入門という本が発行されたのです。リンク先は2版ですが、日本語版でも初版2000年12月になっています

ここからソフトウェア工学ガラガラ崩れた気がしています

で,何?2000年以降ソフトウェア工学が何も進んでないと主張したいの?

特に学術的にソフトウェア工学に触れたことはない

って最初に書いてあんのに,そこから崩れて何も出てきてないって主張はどっから出てきたの?自分が知らないことが分かってるのにドヤ顔提言とか大丈夫か?

しかし、結局統一設計手法は完成せず、UMLけが残りました。実際に使われているのはその一部です。CORBAも普及せず、WebプロトコルにあわせてSOAPが出てきたものの、結局単純なRESTが定着しました。XMLはいまは毛嫌いされています大成功したはずのオブジェクト指向も、Webアプリではうまく適用できませんでした。

から何だ.提案されても使いにくかったり,状況自体が変化したら無用になるに決まってる.まさかソフトウェア工学分野で提案された手法はどれだけ開発環境が変わっても生き延びていなければならない」とかい寝言じみた主張でもしたいのか?言語流行廃りがあるように,手法にも流行廃りはあるに決まってるだろ.

あとSOAPXMLに関しては,その衰退過程自体がよくある話すぎて話にならん.一番最初に厳格な重量級の様式が定められて,それをベース運用レベル考慮した軽量級の様式が定義されて駆動するってのはよくある話.言い換えると,学術から出てきた理論的に正しい手法が,産業界必要なところだけつまみ食いされる形で運用されるとか,サンプルは死ぬほどそこらじゅうに転がってねえか?

ああ,CORBAはまあ,うん,そのなんだ.アレはフォローできない.

実際のところ,UMLが残っただけで十分じゃねえの?最初に提案された時の理念さえブレてなければ,つまみ食いしたモノがはやってても提案者的には本望だろ.

そしてCMMもいま特に話題になることもありません。

今はCMMIだ.CMM2000年CMMI統合されてる.今更XPの本出してくるところといい,真面目に2000年より前で知識止まってんだな.

また、動的型付言語の普及も、ソフトウェア工学離れのひとつであると言う事ができるかもしれません。

はぁ?動的型付言語が普及したらなんでソフトウェア工学と離れんのよ?静的型付言語で使えて,動的型付で使えなくなる研究分野なんぞ,完全にソースコードに寄り添った研究だけじゃねえか.

「この手法C言語を対象としている」って書いてある研究は他の全ての言語には一切適用できないと主張してんのと一緒だ.はじめてのCあたりからやり直せ.

ここで、やはりCMMの失敗がソフトウェア工学にとっての痛手だったように見えます

もちろん、プロセスを規定することが難しいということは当時からも言われていました。それであるからCMMプロセスのものを規定するのではなく、プロセスの規定方法を規定するというメタプロセスになっていたのです。

そして、すべての組織で同じプロセス採用することはできないということから、5段階のレベルを設けました。また、プロセスは変化し続けなければいけないということからCMM成熟レベル5では「最適化している」という成熟度になっていました。

これはなかなかいいかもしれないということで、期待は大きかったと思います

でも、とにかく運用が大変だとか、CMM成熟レベル5でも品質いいわけじゃないとか、そういう話がきこえてくるようになりました。

まず失敗を定義しろ.で,失敗したってんなら,CMMIで未だに新たな認定がなされてる(http://cmmiinstitute.com/assets/presentations/2012SepCMMI.pdf)理由を説明しろ

で,運用が大変?当たり前だ.品質確保すんのに運用が楽とかあり得んだろ.従業員に好きにやらせてもアウトプットが高品質ならそもそもCMMIなんぞ必要無い.順序が逆だ.「CMM成熟レベル5でも品質いいわけじゃない」ってのも当然だ.アレは組織成熟度を評価する指標であって,中で働く人間能力を評価してるわけじゃない.というか流動すんのに評価なんぞできねえけど.

そもそも,CMMIレベル5ってのはおおむね高品質ものが出てくるだけで,人間が関わっている以上ある程度のばらつきは存在する.つーかさー,CMMIレベル5なら必ず高品質のモノが出てくるとか思ってんの?まさかまだ銀の弾丸存在を信じてんの?「ISO9001に準拠してればリコールなんて発生しない!」と思い込むくらい残念すぎねえか,その思考回路

ああ,「CMMI」じゃなくて本気で「CMM」の話をしてるんなら申し訳ない.もう無いんだからCMMの話を最近全く聞かないのは当然で,勘違いしても仕方ない.悪いもしくは古いのはアンタの頭だ.

そこにXPですよ。アジャイルですよ。

もともとソフトウェア工学に対しては「がっこーで現場しらない人が研究してる手法なんて使えない」のような声があったのですが、XPアジャイルによって「現場から生まれた手法のほうが使えるよねー」というのが決定的になりました。

前半は正しい.ソフトウェア工学最初からずっとその手の意見はあって,未だに言われてる.が,後半は話にならん.

真面目に聞くんだけど,アジャイルソフトウェア開発宣言に名前が入ってる17人のうち,何人知ってる?何人が開発寄りで,何人が研究寄りか分かる?まさかKent Beck1人を見て「アジャイル現場から!」とか寝言垂れて無いよな?そもそもKent Beckコンピュータサイエンス博士号持ってるし,開発寄りと主張していいのかどうかすら微妙なんだけど.

あとアジャイルも突発的に出てきたわけじゃなくて,プロトタイピングとかあの辺(とそれ以前)からの流れがあると思うんだけどなあ.

ソフトウェア工学が何を失敗しているかというと、その学問自体の認知度が低すぎることです。

ソフトウェア工学がどのような問題を扱う学問かが知られていない。どのような問題を扱う学問か知られていないので、その問題に直面している人がソフトウェア工学の成果を積極的には利用できない。

ああ,まあ,うん,認知の低さは同意します.

問題に直面してる人がソフトウェア工学の成果を積極的に利用できないうんぬんについては,最近の国際会議でもその辺を扱った研究が出てきてたりする.ICSE2012のDistingished paperのうちの1本がそんなん.Eclipse検索ツール使わずに,テキストエディタコピペしてCtrl+F使ってる人の話とか出てきてた覚えが.

ただ,ソフトウェア工学認知度なんぞどうでもいいと思うんだけどなあ,別に.そっから出てきたモノが使われさえしてりゃあ.ソフトウェア工学研究の成果が,それと分からずに使われてるんならそれ以上に望むべきモノは無いだろうに.「これがソフトウェア工学様の研究成果でござーい」と大上段に振りかぶって,「ありがたや」の言葉と共に使われることを望んでる研究者なんぞいねえだろ.

就職活動で「半年プログラムは覚えれるし専門は必要ない」のようなことを言われるという話があります。たしかアルゴリズムなど実装技術研究をしていた人をSIの開発現場で生かすのは難しいと思います。でも、ソフトウェア工学の専門知識は、半年で覚えれるものではないし、SIでの開発現場必要になるはずです。

うん,そうですね.だがそれを学術側を知ろうともしてない人間が言うな.

ソフトウェア開発がある限り、ソフトウェア工学必要なので、XPアジャイルを織り込んで再構築して、認知度を高めていってほしいなーと思います。再構築とかは他力本願になってしまうけど。

ソフトウェア工学を再構築しよう,という動きとしては http://semat.org/ あたりがあるのでそっち参照.

あとさー,そもそも論として,ソフトウェア工学研究内容を「現場」と「学術」に2分することが不可能だって分かってる?工学ってそういうもんだろ?その2分は「工学」と「理学」というレベルでは可能なのであって,既に工学カテゴライズされてるソフトウェア工学を分けるのは不可能だ.それくらいは語の定義レベルの話なんで,分かっててくれ,頼む.

まあ暇ならトップ会議であるところのICSEプログラムhttps://files.ifi.uzh.ch/icseweb/fileadmin/downloads/ICSE2012_conference_program.pdf)でも眺めてみて,ソフトウェア工学定義について悩んでみるのもいいかと思います

実際のところトピックは割と流動的.最近OSS周りが流行gitのおかげで開発者の行動とか取りやすくなってる関係もあって.

まりさー,なんでか知らんけど,この人の頭ん中では「ソフトウェア工学は静的型付言語を利用したウォーターフォール型開発でしか使えない」てことになってんだよな.

あと,なんか無理矢理にでもソフトウェア工学disりたくてしょうがないってことは分かった.

釣りにしても書いた人間の知識が足りる足りない以前のレベル過ぎて話にならん.

2013-02-21

http://anond.hatelabo.jp/20130219000739

トラックバックしたの消せないのかよちくしょおおおお!!!しか初版が残るのかよおおおお…(`; ω;´)

的外れなうんこ記事送信してごめんなさい。死にたい

2013-02-08

http://anond.hatelabo.jp/20130207235440

ごめんちょっと何言ってるのかわからない。

「一般文芸との比較定義」以外の何をしたいの?

演繹的に定義できなければ定義ではない、というのであれば、そもそもそんな定義必要とされてないと思うぞ、でQED

ところで http://anond.hatelabo.jp/20130207150827

一番の相違点は萌え美少女で売ってない事

例に挙げたシリーズに出てくるか? 萌え美少女が?

挿絵どころかそもそも美少女自体の圧倒的少なさと脇役感がひどいぞ

さて、ここに、米澤穂積氷菓」が2冊ある。

1冊は初版本で、普通カバーがかかってる。

1冊はアニメタイアップの限定カバーで、いわゆる「萌え絵」が書いてある。

中身は一緒だが、売り方は異なっている。

僕の定義では、前者はラノベ寄りミステリ(ライトミステリ)で、後者ラノベとなる。

べつにそれでいいじゃないか。しょせん「ラノベだってミステリだってSFだって人が他の人と話すために便宜的につけたラベルに過ぎない。個人的には、「SF人間に対する絶望であり、ファンタジー人間に対する希望である」という定義採用してるが、この定義普遍的なものだとは思ってないし、他人に強要する気もないし。

そして、森博嗣主観的にはラノベ以外の何ものでもない。これは作品だけじゃなく、彼の書く姿勢(「書きたいものじゃなく、売れるはずのもの分析して売れるように書く」)からもそう判断している。

2012-10-16

http://anond.hatelabo.jp/20121016121139

電子書籍場合、販売するとしても初版ならユーザー出版社側もコストを抑えれるかもしれないが、

後々出てくる文庫版のうまさがなくなる。

音楽業界が衰退したように、業界としては思い切った電子化に消極的じゃないのかな。

2012-09-26

作家中古販売

先月、あるSNS作家系ファンコミュニティで、出版社関係者から直接連絡があった。

コミュニティ上での著作物中古販売は禁止して欲しい。○○さん(作家名)も中古販売がされるのを見ると悲しんでいる」(意訳)との事。

作家さんにとって新刊の売り上げ(正確には印刷部数)が大事なのは分かるけど、そういうことは自分ブログなりTwitterなりでまず最初に書くべきじゃ?と思った次第。

こっそり管理者に連絡するやり方も、もやもやする。

ちなみに連絡があったのは、超売れっ子作家さん。初版部数が数千部とかい新人作家ならともかく、ねぇ……。

2011-12-31

2011年翻訳増田まとめ

翻訳増田です。今年書いたものをまとめておきます

手前味噌ながら、良エントリと思うものに★をつけてみました。

エジプトについてバカ丸出しな発言をしないための手引き2011年2月1日

今年のはじめの大ニュースアラブの春。その流れに乗って、思いがけず拡散された記事です。今年はこれに味をしめて翻訳を続けたという感があります

日本の多頭蛇: 災厄は歴史を変えるか★(2011年3月18日

次は東日本大震災エコノミストはこの時点でなかなかバランスのとれたことを言っていました。

オサマ・ビン・ラディンの人生★(2011年5月7日

そしてオサマ・ビン・ラディンが殺される。ちょっと珍しい感傷的なエコノミストの記事でした。

学術出版という封建制★(2011年9月2日

ジャーナル購読料高すぎというアレ。初版では注を省略して公開してしまったことを反省しております

今日のOmegle和訳2011年9月17日

これを含め Omegle ネタは個人的には面白かったのがいくつもあるのですが、なかなかうまく紹介できてないです。

ウィキペディア・イタリア語版 停止のお知らせ2011年10月5日

ウィキペディア言論統制と戦う。いまは英語版が似たようなことになろうとしてるようです。

世界が第二の焚書時代を迎えた6つの理由2011年10月16日

ジャーナル購読料高すぎというアレ・第2弾。こちらはちょっと煽りが濃い。

妹からスティーブ・ジョブスへの弔辞★(2011年10月31日

妹さんから見たスティーブ・ジョブズ人生。"We all — in the end — die in medias res."(私たちはみな、最後には、途中で死にます)にはハッとさせられました。申し訳ないことに初版では誤訳が多かった(当社比)ので、あとで色々直しました。

30歳になった。2011年11月8日

急にdsbdに流れてきたので。

来年ネタ探しに力を入れ、月1くらいでで何かご紹介できればと思っております

また、今年はあちらこちらに誤訳が目立ったことを反省しております来年は、辞書や用例にあたることと背景調査を心がけたいと思います

今後ともよろしくお願いいたします。

2011-12-22

古本

よく古本槍玉にあげられるけど、古本ありがたいんだよな。

もう手に入らない初版が手に入ったり。

絶版ものが手に入ったり。

絶版でなくても地方だと入手が面倒くさいマニアックな本がamazon古本で買える様になってすごく便利。

こないだ、自分投稿した作品が乗ってる昔の雑誌をどうしても手に入れたくてamazonで買ったよ。

もう何年も前の雑誌だけど、売ってるのがとても有難かった。

まさか手に入るようになるとは思ってもいなかった。

こういうのが見つかるってネット素晴らしー。

増えすぎた本をどうしても手放さないといけないときも、二束三文でも捨てるよりは古本の方が誰かに読まれるし。

いまだとネット買取販売してる古本屋があって、マニアックな本でも買い取ってくれる。

多分それは、また、うお!この本探してた!って人の手にいくのだろう。

無数の古本屋全体で、大きな図書館のような役割を緩やかに果たしてると思う。

問題は、著作者に金が行かない事だし、俺もこれ絶版から古本で買ったけど印税払いたいくらいだよなーって思う事ある。

ようするに、古本から印税がいく仕組みがあればいいだけだよね。

もしそれができたら、今より多少古本が高くなっても新本よりは安いだろうし

入手が難しい本が見つかるというメリットは変わらないから、古本存在意義は揺るがないと思うよ。

電子書籍アレルギーはないし、技術書なんかは電子書籍まんせー!と思って実際買ってるけど

漫画は紙の本のメリットをまだまだ感じるな。

一番のメリットは人が来たときにみんなで読めたり、人に貸したりできることだね。

電子書籍って人にかせないじゃない。

私的にはこれかなりデメリットなんだけどあまり問題にされてないよなあ。

2011-11-13

http://anond.hatelabo.jp/20111113113340

もうとっくに終わってるよ…メジャー少年マンガ作品以外の初版がいくつで刷られてると思ってるんだ(大手でもね)

2011-10-16

世界が第二の焚書時代を迎えた6つの理由

6 Reasons We're In Another 'Book-Burning' Period in History | Cracked.com

By: S Peter Davis

October 11, 2011

これを聞いた人の8割は私の顔を殴りたくなるだろうが、端的に言おう。

私はこの数年、仕事の一部として図書館書庫をめぐり歩いて、

稀覯本を含む本を数万冊以上捨ててきた。

焚書と聞いて、一般にはおそらくナチスドイツを連想する人が多いんじゃないだろうか。

それは不寛容と反知性の象徴だ。

だが今回の焚書は違う理由で起こっている。

#6. あなたの街の図書館でいままさにやられている

本を捨てているのは、利用者が誰もいないような辺鄙田舎図書館だけじゃない。

おそらく世界最高の権威がある図書館大英図書館でも、本の廃棄が産業的な規模で行われている。

オーストラリアニュー・サウス・ウェールズ大学そのほかいくつかの大学では最近、本の処分に関するスキャンダルが起きた。

今年ボーダーズという書店がつぶれたときには、在庫は寄付されるのではなく廃棄された

捨てられているのは、『TVガイド』とか重複所蔵の本だけじゃない。

17世紀に美麗に印刷されたシェイクスピアの作品集を想像してみてほしい。

奥付のページには、遠い昔に亡くなった所有者からの達筆なメッセージが付いている。

それをゴミ箱に捨てるのだ。

私は何度もその場にいた。

しつこく横取りを禁じた上司が見ていなければ、

持ち帰ってeBayに出して売って、何百ドルかにはなったんじゃないだろうか。

これはオバマ共産ナチ新世界秩序に操られたソビエト秘密作戦か何かではない。

血も涙もない官僚主義によって起こっているのだ。

というのも……

#5. 寄付するより安くつく

誰しも思うのは、恵まれない人たちに寄付すればいいんじゃないの、ということだ。

囚人でも、病気の子供でも、独立系の新興書店でもいい。寄付すればタダじゃないの、と。

図書館の状況は実のところ想像以上に複雑だ。

図書館の本には印が押され、目録に記録され、

蔵書であることが分かるようになっている。

その本を寄付したり売ったりするときには、印を消さなければならない。

盗品でないと分かるようにするためだ。

そればかりか、所蔵印が残っている本は、親切な人が見つけて図書館に返しに来てくれちゃったりもする

そして、処理すべき本はとても多い。

図書館はやっきになって蔵書を減らそうとしている。

図書館館長になったつもりで、10万冊を処分しなればならないという報告を受けたと考えてみてほしい。

選択肢は二つ。

学者を何十人か雇って蔵書目録をもとに重要度や価値を評価させて、

また何十人かを雇って重要度の低い10万冊に一冊一冊処分の印を押させる、

というのがひとつ

第二の選択肢は、コンピュータで貸出回数の少ない10万冊を列挙して、

数人に館内を回って集めさせて、シュレッダーにかけさせること。

第二の選択肢のほうがずっと速くて安いことはお分かりだろう。

リサイクルセンター紙を買い取ってくれることもあり

そうなれば儲けがでることもある。

もちろんこんなのはみんなが嫌がる仕事だ。

ことに司書にとっては、それはまるで、

ゾンビに噛まれた親友を前にして、自分けが銃を持っているようなものだ。

それに、捨てられた本のなかに救われるべき本が埋もれてしまうことも忘れてはならない。

このやり方では明らかに、ものすごく貴重な本引っかかってしまうことがある

2011年版が書架にあるのに、『白鯨』の初版本を書庫から借りようとする人がいるだろうか。

コンピュータで出した貸出数ランキングではそうした区別ができない。

また、このやり方をする場合は、本は完全に破壊しなければならない。

ただゴミ箱に放り込むだけでは不十分だ。

盗られるかもしれないからだ。

誰も読もうとしないように本を引き裂くか、ゴミ箱に漂白剤を入れておく必要がある。

とにかく、ゴミ箱が「ご自由にお取りください」状態になってはまずい。

そして作業をする図書館員が16世紀の貴重書を見つけたとしても、

館長はそれを救えとは言えない。

捨てる代わりに調べるように命じていることになりかねないからだ。

からの命令は「慈悲は無用」。

どんな本か分からなければ捨てるのも楽になる。

名前を知らない人を撃つのがたやすいのと同じように。

#4. こっそりやらなければならない

みなさんがこの事実をご存じなかったとすれば、

それは本の廃棄が秘密裏になされているからだ。

ほとんどの場合一般人が気づくのはゴミ箱に大量の本が入っているのを誰かが目撃してからのことだ。

図書館は廃棄について広報しない。

はい司書こっそり話し合っている掲示板はいくらか見受けられるが。

2004年ごろ、ニュージーランドビクトリア大学は13万冊の本を廃棄することを決めた。

しか内部告発によって学者学生にその計画が漏れた。

計画では、廃棄対象の本に赤いテープを貼り

それを救いたい人がペンでチェックマークを付けることになっていた。

想像のとおり、誰もが怒りをあらわにした。

ある教授図書館を「野蛮人」と呼んで学内電子メールを回し、

図書館をめぐりすべてのテープ付きの本にチェックを入れるよう、

職員と学生に呼びかけた。

私の場合は、本の廃棄に気づいたのはそれを盗んで逮捕された人だけだ。

一般人が気づくころには、すべて終わっていて、反乱の機会はなかった。

それに図書館は気づかせることのないよう巧妙な言い回しを使う。

たくさんの書架を空にして、本を書庫に送ったというとき、彼らは嘘をついているわけではない。

ただ、書庫はすでにいっぱいで、新しい書庫行きの本の分だけ廃棄をしているということを言わないだけだ。

#3. 経済的に苦しい図書館

本の廃棄を推進する人たちは、図書館機能を「本の博物館」だとする見方に反対する。

みなさんは愛すべき古典文学の書架に代表されるたくさんの書架の集合こそが図書館だとお思いかもしれない。

しかし、図書館の主要な(そして一番費用のかかる)機能は、

学生学者研究に使う学術雑誌の購読を保つことだ。

ご愛読のポルノ雑誌のことを思い出してみてほしい。

コアなものヨーロッパしかない。

から価格為替市場の変動から大きな影響を受ける。

通貨が少し下がったり上がったりすれば、外国雑誌価格も少し変わるだろう。

さてここで、購読するのは数冊ではなく10万冊だと考えてみてほしい。

そして、いま降りかかっているのは小さな変動ではなく、大恐慌時代以来の最悪の不況だ、と。

図書館雑誌購読費の最頻値は、数千万ドルをくだらない。

これは一夜にして旅客機一台分が財布から飛んでいくことを意味する。

その旅客機の代金が払えないと、まずいことになる。

そうなったらとりうる手段は、燃え盛る蜂の巣を手放すように、

購読を打ちきることしかない……とお思いだろうか?

ところがそれは図書館のパワーユーザー学者学生毎日必要とするものなのだ。

必要のないもの、それはたとえば、手書き挿絵の入ったネクロノミコンだ。

そうした古い書物は、他の図書館に譲るわけにもいかない。

他の図書館も同じ問題を抱えているからだ。

どれほどかけがえのない所蔵物であろうと、とにかく場所がないのだ。

というのも……

#2. 図書館はすぐには大きくなれない

図書館が蔵書を引き裂く必要がある理由のひとつは、この不況だ。

悲しいことだが、それはそれで仕方ない。

しかし、前世から引き継がれた幾千の書物や新聞雑誌が、

コーヒーショップと引きかえに土塊にされているとしたらどうだろうか?

オーストラリアのニューサウスウェールズ大学でまさにそれが起こっている。

その図書館では、社交的空間を作るため、1850年からの蔵書と新聞雑誌廃棄された

ピータースレツァク教授はそれを、図書館を「スターバックスのようなもの」に変えるものだと評している。

しかし、図書館立場にたってみれば、それを要求しているのは、

学生をはじめとする図書館の支援者たちだ。

彼らは本を保管することだけではなく、本を使う場所を図書館に求めているのである

そして出版社は無数の本を出してくる。

ということで、図書館は、一方では新刊書を所蔵するために拡張を迫られ、

一方ではカプチーノを飲んで腰を下ろす場所を作れと言われているのだ。

じゃあ増築すればいいんじゃないの、とお思いだろうか。

問題は、その費用を誰も出してくれないということだ。

この報告書でも分かるように図書館お金を出している組織予算増額をものすごくいやがる。

図書館はそもそも利益が出せない。

図書館に行ってお金を払った覚えはあるだろうか?

ときに課される延滞料すら雀の涙にしかならない。

図書館が「拡張の資金が必要」と言えば、大学当局は「他を当たってくれ」と言うだろう。

ほとんどの図書館に他の当てはない(建物放火して保険金をせしめるという手を勘定にいれなければ)。

#1. 本は電子化されていく

本はもはや流行らない。このことは認めざるをえないだろう。

2010年最後の三カ月のAmazonの売上データで、電子書籍は紙の書籍を上回りはじめた

最近ハードディスクであれば、場所をとらずに事実上無限の数の本を入れることができる。

小さめの図書館ならUSBメモリ一つでで置き換えられるとしたら、

巨大な防火設備で本を守り続けさせる原動力は、人々の愛しかない。

現在経済状況下では、その愛はなかなか発揮されることがない。

この動きは三十年前に遡る。

1980年代図書館のスペース問題を解決したのは電子化ではなくマイクロフィルムと呼ばれる新技術だった。

本や新聞雑誌スキャンしてマイクロフィルムとして保存すれば、

図書館ひとつキャビネットひとつに収まるというのが謳い文句だった。

ニコルソン・ベイカーは、マイクロフィルムブームの悲痛な記録を本にした。

それによると、大英図書館アメリカ議会図書館といった世界の名だたる図書館が、

数千冊の古い貴重書を引き裂いてスキャンし廃棄したそうだ。

世界中の本好きたちがこれに抗議したところ、司書マイクロフィルムを掲げて

「捨ててはいません。ここにありますよ」と言い返したとか。

今日では、インターネットの普及によって、本の圧縮はますます推進されるばかりだ。

ある組織では廃棄する本の選定にあたって、グーグルブックスに載っているかどうかというシンプルな基準を用いているそうだ。

もちろん、本好きの心はそれだけでは慰められない。

彼らは本の内容だけではなく、本それ自体に価値があると信じている。

彼らにとっては、同じ版の本がほかの場所にあるからといって、

貴重な書物を捨てることは正当化できない。

世界をまわしている列車お金でできていて、

道は事務書類で敷き詰められていて、

燃料タンク官僚主義でいっぱい。

これが現実だ。

ピラミッドを崩し尽くせたあかつきには、

世界はもっとまともで実用的で効率的ものになるのだろう。

2011-10-05

http://anond.hatelabo.jp/20111005113717

英語なら全世界を相手にできる」というのは議論が雑すぎるので(英語圏全員が読むわけでもなし)、もう少し踏み込んだ試算が読みたい

実際、何倍ぐらいの差が出るもんなんだろうね

参考までに、ハリポタ7巻の米国初版発行部数が過去最高1200万部、日本国過去最高発行部数(初版ではない)がノルウェイの森(上)の238万部だそうで

2011-05-16

はてブコメントページをWebApp版へ飛ばすProxomitronフィルタ


公式 Chrome ウェブアプリ はてなブックマーク」でコメントページを表示すると、旧UIのようにコメントだけを一覧表示できていい感じ。
というわけで訓練されたはてブ民の間ではuser.jsなどで飛ばしたりアレするのが流行るものと思われるが、グリモンだかなんだかに馴染みのない私は、今さら誰も触れないであうProxomitronを使った転送方法を記しておく。
適当ながらメタブ対策を盛り込んでみたのがチャームポイント

  1. 公式 Chrome ウェブアプリ はてなブックマーク」を導入する
  2. Proxomitronに「URL: URLControl」フィルタか「URL: Control URLフィルタを導入する
  3. 上記フィルタ対応するリストに以下のmatchを書き込む

#はてブコメントページをChrome Web App版に飛ばす 2011/05/17 14:50
(^$OHDR(Referer:http://b.hatena.ne.jp/viewer\?))$URL(http://b.hatena.ne.jp/entry(/|\?mode=more?url=)(s/$SET(#=https://)|(http(s|)://)\#|(^(^[^/]++.))$SET(#=http://))(\#))$SET(9=$UESC(\@))$JUMP(http://b.hatena.ne.jp/viewer?entry=$ESC(\9))
($OHDR(Referer:http://b.hatena.ne.jp/viewer\?))$URL((http://b.hatena.ne.jp/entry/*)\0)$SET(9=$UESC(\0))$JUMP(http://b.hatena.ne.jp/viewer?entry=$ESC(\9))

下の行はメタブのためのmatch。タイトル下のブクマ数カウンタークリックするとメタブページへ飛ぶようになる。不要ならばコメントアウト

不具合があればどこかでid:Falkyidコールするか@Sizukenにmentionを飛ばすかすると直るかも。


UIの好き嫌いが分かれてる感じですが、好き放題CSSを流し込んで左ペインさんに消えていただいたり、jsいじくってインラインプレビューを無効化したり、ちょこちょこいじってやるとそこそこ快適なブコメビューワになりますよ。新UIよりはずいぶんマシな感じですね。http://img.ly/system/uploads/000/993/748/original_PrtSc_000114.png

おまけ

アップローダがかなりドイヒーなので転載http://www42.tok2.com/home/proxo/4.html

<<< URLControlフィルタ >>>

これはURLを扱うヘッダフィルタを1つにまとめるフィルタですime.nuを飛ばしたり、他のサイトジャンプさせたりと、指定の
仕方次第で様々なことが実現出来ますバージョン4.5以上推奨。
4.4以下で動くかは不明。(バージョンアップ推奨)



(インストール方法)

1、オミトロンフォルダ内のListsフォルダの中に URLControl.txt という
  テキストファイルを作る。

2、このテキストファイルを 設定、BlockFile、追加 から URLControl と
  いう名前オミトロンに登録する。

3、下のヘッダフィルタオミトロンに追加する。
  範囲選択で下のフィルタを選択、コピーファイル、設定フィルタの併合、
  クリップボードからデータを併合、ファイルデフォルトの設定に保存。

-----------------------

[HTTP headers]
In = FALSE
Out = TRUE
Key = "URL: URLControl (Out)"
Match = "$LST(URLControl)"

-----------------------

4 URLControl.txt にURLとその処理方法を登録すれば完成。



( URLControl.txt の記述例 )

書き方は

$URL(http://付きのURL)行いたい処理

という感じです。

例、
# ヤフー上のページにアクセスしようとしたgoogleトップページに飛ばす。
$URL(http://www.yahoo.co.jp/)$JUMP(http://www.google.co.jp/)



#------------------------- URLControl.txt -------------------------
# NOADDURL
# 先頭に # がある行は無視されます。

# 2chime広告ページを踏まずに直接リンク先に行く。
$URL(([^:]+:/+)\0(ime.(nu|st)/|pinktower.com/)(\1))$JUMP(\0\1)

# したらばで、広告ページを踏まずに直接リンク先に行く。
$URL(http://jbbs.shitaraba.com/bbs/link.cgi\?url=\0)$JUMP(\0)

# Livedoor ブログ検索
$URL(http://sf.livedoor.com/show\?blog_url=([^&]+)\0)$JUMP(\0)

# 旧tripodアクセスしようとしてたら移転先のinfoseekに飛ばす。(2種類)
$URL(([^:]+:/+)\0(cgi|members).tripod.co.jp/([^/]+)\1\2)$JUMP(\0\1.at.infoseek.co.jp\2)
$URL(([^:]+:/+)\0([^/]++.|)\1tripod.co.jp/)$JUMP(\0\1at.infoseek.co.jp\p\q\a)

# Proxomitron-Jでウェブフィルタを無効にする。
$URL(http://www.pluto.dti.ne.jp/~tengu/proxomitron/)$FILTER(False)

# Proxomitron User's Wikiウェブフィルタを無効にする。
$URL(http://abc.s65.xrea.com/prox/wiki/)$FILTER(False)


### 以下はコメントアウトして無効になっています。
### 有効にした場合コード行の先頭の # を消して下さい。


# local.ptron/以下に接続するときWEBフィルタを無効にする。
# Bypassリストから local.ptron/ を消してこれを使えば
# local.ptron/ にもヘッダフィルタが使えます。
#$URL(http://local.ptron/)$FILTER(False)

# アクセスするときキーボードのSキーを押していたらページのソースを表示する。
#$KEYCHK(S)$URL(([^:]+:/+)\0\1)$RDIR(\0\xsrc..bypass..\1)

# アクセスするときキーボードのDキーを押していたらデバックモードでソースを表示する。
#$KEYCHK(D)$URL(([^:]+:/+)\0\1)$RDIR(\0\xdbug..\1)

# pya! で「18歳以上ですか? はい、いいえ」ページをスキップ。
#$URL(http://pya.cc/pyaimg/han.php\?han=\0)$JUMP(http://pya.cc/pyaimg/spimg.php?imgid=\0)

#------------------------- URLControl.txt -------------------------



※ \k はマッチ欄では動かないのでこのフィルタでは使えません。
  \kを使いたい処理は Kill-a-URL フィルタをご利用下さい。


更新情報2004/4/14 -> 2006/4/18 リスト更新

2011-02-26

新潮社の新刊単行本に、発売後半年間は図書館での貸し出しをしないようにというメッセージがついているという話。

インクのついた紙の束は、はっきり言って、場所塞ぎである印刷所で出荷日出荷予定時刻の数時間から生産を開始されて、出来上がると同時にトラックにのせられた商品は、取次ぎの仕分け所に運ばれ、そこで、全国の書店に向けて、一店舗つのダンボール箱に詰められる。このダンボール箱が、再びトラックに載せられて配達される。

去年一年間に発行された新刊は、78501タイトルであり、一日に215タイトルである。去年の一月の時点で、全国の書店数は15500店ぐらいとされている。

単純に、発行部数が15500冊よりも少ない本は、日本全国の書店には確実に配られないし都心人口密集地の駅前店などの立地の良い店には重点配本されるから過去の販売実績を見て、その書店に向いていない商品は、最初から配本されないという事もある。初版3000冊程度だと、有名店上位200店舗ぐらいと、発売前から購入予約を入れてくれている図書館しか、配本されないと考えた方が良い。

それなりの規模の書店であれば、毎日数箱、立地が良くて売れる店だと数十箱の新刊が詰まったダンボール箱が届き、返本率を70%とすると、そのうちの30%だけが売れて、70%が、売れ残りとして、取次ぎに返送される事になる。

書店の棚に仮に1万タイトル並べられるとしても、一日に215冊出てくる新刊を全部並べ、古い本、すなわち売れなかった本を返本するというFIFOをやったとすると、売れた本の分だけ並べる余地が増えるので、書店に滞留できる日数は66日となる。約2ヶ月である

実際には、1万タイトルのうちの大部分が、雑誌文庫コミックと実用書でしめられていて、文芸書等の売れない本は、せいぜい1400タイトル分位のスペースしか与えられない。客が買っていってくれなかった本は、2ヶ月ぐらい棚に展示された後、出版社倉庫に返送されて、断裁処理されると考えて差し支えない。

半年間、図書館の取り扱いを控えるという事は、半年後に購入しようとしても在庫は全部パルプに溶かされてトイレットペーパー再生された後であり、出版社としても、品切れにつき出荷不能という答えを返すだけとなる。図書館が新刊販売と同時に購入した書籍を、半年間、倉庫に寝かせて置けというのであろうか。半年間貸し出ししないのであれば、それを読もうと言う物好きな人は全部購入してくれる筈であるという目論見で主張しているのであれば、図書館半年後に貸し出し可能としても、誰も借りないという事になる。つまり、図書館にとっては、購入費用倉庫代と産業廃棄物処理費用が、丸ごと損失となるのである

繰り返し読み直すような内容であれば、手元に置いておきたいという人も出てくるであろうが、文芸作品で、そのようなレベルに達しているモノは稀であり、その大部分が、一回読んだら十分という読み棄て小説である

小説の大部分が読み棄て小説である事に気がつくほどに大量の本を読んだ人は、図書館のような、ゴミとして棄てる手間が省ける上に、ただで読める場所を利用するようになる。これが、図書館文芸書を、短期間で需要が無くなって廃棄処分になると知りつつも、新刊が出るたびに購入して棚に並べる理由である

新人文芸作品をわざわざ指名買いしてくれるのは、蔵書リストに新刊をずらりと並べる事が存在理由となっている図書館だけである

ネームバリューがあるが、作品はわざわざ買って読む程の価値は無いと判断されるような人の本は、図書館の予約リストの人数が膨大になる傾向があるが、予約者数=購入者数ではない。閲覧に対して著作権料を支払えという考え方であれば、代金の大部分がインクのついた紙の束の制作費と物流・販売手数料である媒体を使い続ける事に正当性は無くなる。

矛盾こそが人間であるという哲学的主張を行うのであれば、そこに一捻りをいれて芸にして見せてこそ、文章芸人と言える。インクのついた紙の束という物質媒体が抱え込んでいる矛盾を放置したままでは、芸が無い。

図書館が買わなくなったら、ネームバリューの無い新人の本は、余計に売れなくなるという自滅願望の発露なのであろうか。そういう芸風は既に時代遅れなので、読む価値が無い駄作とわかる分だけ、親切と言える。図書館も、出版社側の意向にそって購入を取りやめ、半年後に注文を出して、品切れなので取り扱い不能とし、その本と作家ごと、無かった事にするのが合理的な行動となるであろう。出版社側が半年在庫を抱えてくれなかったという事で、その本の価値については出版社側が判断を下しているとなる。図書館側には責任は無いとなるのである

2011-01-16

http://anond.hatelabo.jp/20110116050857

ライトノベル談義か?こんなのもあるぞ。

 

星虫:典型的ボーイミーツガールだが初版1990年 新装2000年ラノベにしては10年生き残った上に、今でもシリーズが続いているような・・・終わっているよなw シリーズ

個人的には、こういうボーイミーツガールこそ、ラノベの典型だと思われ。

 

ベントー:(学校の怪談などと同じ 世界の敵と戦わない系) ラノベというと魔王を倒すのがパターンの1つだったけど、最近は、魔王を倒さない系という以前に魔王がいない系。

 本作のテーマは、スーパー売れ残り弁当の奪い合い。 そんなテーマでもう6冊出ているんだからさすが、ライトノベル

 

七姫物語女の子が主人公で、恋愛要素が薄い。歴史に挑む無力な女の子の戦いという視点。(仲間の武将無双はいってるというのが、ラノベ)で、ラノベしい

 

生贄のジレンマラノベから始まって、ラノベ棚におかれないんだがメディアワークスがだしてるし・・・大人向けラノベ? いわゆる政治ものふうセカイ系とでも言うべきか・・・恋愛そっちのけで殺し合いです。

 

あと・・・ラノベ王道といえば、黄金拍車は、いつ再開するんですかと・・・

 

※あぁ、星虫は2009年にも復活して・・・20年・・・増版されてつづけているのね・・・ライトノベル20年売り続けられれば、読み捨てとは違う

2010-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20101208174705

ダウンロード販売書店への「受注(出荷)」というクッションが無いからね。何回ダウンロードされたかシビア数字が出てしまう。

となると、たとえば紙媒体で「初版一千部、売り上げ五百部」の本の場合作家に支払われる印税は「刷る冊数」ベースの「一千部」前提だったんだけれども、ダウンロード配信となると実際にダウンロードされた回数の「五百部」換算になってしまうわけだ。完全出来高制になってる上に、「一千部分の印税前払い」じゃなくて「ダウンロードされた分の印税後払い」になってしまう所が多い。「一回もダウンロードされなくても****回分の印税は支払いますよ」みたい契約を結んでる作家は皆無に近い。

なので大半のタイトルが迂闊に安く出来んわけ。

2010-11-22

ウェーバーは『暴力装置』と言ったか?」の馬鹿騒ぎに関するノート

答え: 直接は言ってないが、『暴力装置』という用語は端的にウェーバーの考え方を表している。

[注] 以下に出てくるページはマックス・ウェーバー著, 脇圭平訳「職業としての政治」(岩波文庫, 初版, 1980年) を使用。

まず、「暴力」という言葉について。ウェーバーはまず、近代国家とは、一定の領域内で「暴力(=Gewallt)」の合法的な独占に成功した組織だ、というところから出発する。ここでの暴力というのは、例えば侵略してきた人間を殴り殺したり、銃で威嚇して追い返したりするようなイメージ。こういう暴力を「他の連中は使っちゃダメだけど、オレの暴力は正当だからOK」と実質的に主張できた組織近代国家というわけ。この用語を「権力」と訳すのが適当だって言っている人を見かけるけど、こういう物理的な力が想定されていることを考えるとやっぱり「暴力」という用語が適当

ここでもう分かるように、ウェーバーは「暴力」という言葉を使う時、その善悪や合法性/非合法性を棚上げにしている——で、それは非常に真っ当なこと。だって考えてごらんよ、A国がB国を侵略した時、A国は「B国が実効支配している領土は本来は我が国の領土なのだから、この侵攻は『正当な』武力行使」と言うだろうけど、B国の方は「これはA国の不当な侵略に対する『正当な』武力行使」だと言うだろう。ウェーバー言葉で言えば、「高貴な究極の意図なら、彼らの攻撃する敵の方でも、主観的には完全な誠実さをもって、同じように主張している」(p85)ってわけ。結局、ある暴力が正当性かどうかなんてのは、それぞれの社会国家の内部で決定されるものなんだから、デマゴギー的な効果を狙いたいのでない限り、そういう正当性の問題に立ち入るのはあんまり意味がない。そして、そういう客観的・価値中立的な視座に立つ限りで、自衛隊の行使する物理的な力も「暴力」と表現せざるを得ないわけ

じゃあ、暴力装置』って何なのって話だけど、確かにウェーバー自身は「暴力装置」という言葉を使ってない。けど、ウェーバーはある一定の目的のために組織された物的・人的リソースの集合体を好んで「装置」(ないし「機械」)という比喩を使って表す。例えば、指導者の勢力を保つために官僚化された政党組織を「機械(マシーン)」ないし「装置」と呼ぶし(p55)、革命を実現するための人的リソース(=軍隊とかスパイとか)も「装置」と呼んでいる(p98)。だから、自衛隊も、日本国暴力を効率的に行使するために形成した集団である以上、立派な「暴力装置」ってわけ(同じ意味で、アメリカ海兵隊やらも「暴力装置」だし、人民解放軍も「暴力装置」)。その意味で、「自衛隊暴力で、国家暴力装置なんだ」って主張は控えめに言っても意味不明

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で、まあ、ここまでの議論は「職業としての政治」をまともに読んだことのある人なら誰でも分かっているはずのことで、あるいはウェーバーを読んだことなくても(別に「社会人必読書」というわけじゃないんだから、読んだことなくてもいいと思うよ)、このへんの記事とかを読みさえすれば誰でもすぐに理解できる話。それでも訳が分かってなくて色々とわめいている人がいるようだけど、狭いネット界隈で知識人ぶって、お山の大将やってる人の実際の知的レベルが透けて見えておもしろいよね

2010-10-03

ミステリマガジン 2004年9月号 桐野夏生インタビュー後半部

とある記事のはてなブックマークでその存在を知って、中身が知りたくなったのでミステリマガジンバックナンバーを借りてきたよ。

そしてその内容が個人的にグッと来るものだったから、メモ代わりに後半部だけをここに書き出してみるよ。

『OUT』という名の運命 桐野夏生


 九六年二月、私は、青山ベルコモンズカフェ言葉を失っていた。狭いテーブルの上に広げられたのは、探偵ミロを主人公にした旧『柔らかな頬』第二稿。付箋が挟まれ、赤字が入っている。対しているのは、新担当編集者だった。彼は、「うまく直っていない」と告げて沈黙した。第一稿が上がった時点で、様々な注文を付けたのは彼だった。複雑過ぎるからもっと単純に、対立を明確に、タイトルを変えろ、等々。エンターテインメント小説王道を説かれ、何とか努力して改稿した結果がこれなのだ。

 私は、紅茶の染みが飛んだ原稿を書類袋に仕舞い、「わかりました。これは捨てます」と言った。彼は、私の反応に少し慌てたようだった。だが、私は周囲のざわめきすら、気にならないほど打ち沈んでいた。誰も見方がいない、これから一人でやるしかないのだ。その思いが頭の中をぐるぐると巡っていた。「これからどうしますか」と問われ、「別の小説を書きます」と意地で答えた。この時、『OUT』の構想が生まれた。行き場のない中年女たちの小説を書こう、と。行き場のない中年女とは、まさしく自分のことだった。

 その年は、他の細かい原稿は一切書かず、『OUT』の書き下ろしに専念することにした。どのみち、デビューして間もない作家に、そう多くの注文は来ない。私は、原稿を捨てたトラウマを抱えつも、何とか『OUT』で勝負したい、と必死になっていた。その重圧に押し潰されそうだったし、『柔らかな頬』を捨てたことで、作家としての自信を失っていた。とりあえず、どん底にいる私が発見したのは、恐ろしく単純な事実だった。書くしか生きる方法がない、ということ。そして、それは恐ろしいほどの孤独を生きる、ということでもあった。

 取材は多岐に及んだ。井の頭公園バラバラ殺人事件の取材をした記者ルポライター、深夜の弁当工場、街金。取材対象のアポは、ルポライターを除いて、ほとんど私自身が行っていた。当時、私のような駆け出し作家には、出版社は金も時間も多くは割いてくれなかったのだ。しかし、自分で切り開いた取材先は、得るものも大きかった。結果としてはその方が良かったのである。私は一人で車に乗り、物語現場と仮定した東村山市に度々出かけた。駅前で描写のための写真を撮り、見知らぬ公団住宅広場を歩き回って、主婦の顔を見た。頭の中で、雅子邦子たちが息づき、喋り、早く書いてくれ、と叫んで、今にも爆発しそうだった。

 夏までにほとんどの取材を終えてプロットを作り、私は九月から書き始めた。千ニ、三百枚以上の長編になるはずだった。せいぜいが八百五十枚の経験しかない私には、初めての大作だ。ミロシリーズ一人称一視点をやめ、三人称多視点で物語の速度を速め、螺旋状に回すことを決める。十月に二百枚入稿年末に五百枚。順調だったが、書いている間は他の作家の華やかな噂を耳にして、心が乱れた。一人でパソコンに向かう日々は、実に孤独だ。書くしかない、と思っても、小説の終結まで途轍もなく長い時間がかかるのだ。そのことを考えるとどうしても落ち込んだ。短編小説の注文もぽつぽつあったが、理由を話して断った。その頃の私は、仕事を断ること自体が冒険でもあったから、これでその出版社からは、二度と仕事は来ないだろうと覚悟した。

 三月十七日の夜、最後の一行を書いた途端、涙が溢れた。やっと終わった、辛かった、と言葉にすると、また泣けてきた。しかし、ようやく脱稿した私に、厳しい現実が待っていた。初版部数は一万三千部だというのだ。内容に自信があったし、二年越しの仕事だったから、初版部数の少なさは衝撃だった。だが、これが現実だと思えば、やり遂げたという自信を胸に、次の仕事に賭けるしかない。それが作家だ。何とか自分を慰めた時、不思議なことが起きた。口コミで爆発的に売れ始めたのだ。『OUT』は作者の手を離れ、ひとりでに読者の元へ飛んで行ってしまった。

 九七年の『このミス』で一位、翌九八年直木賞ノミネート。破竹の勢い、と自分でも満悦だったが、ここから『OUT』の不思議運命が始まる。直木賞落選。次の吉川英治新人賞でも落選。ようやく推理作家協会賞で長編賞受賞。三度目の正直だった。賞にノミネートされる度に有望視された『OUT』は、その「反社会性」とやらで、メジャーの賞から弾き出されたのだ。そして、その不思議運命のとどめは、今回のエドガー賞候補である。

『OUT』は、私という作家ブレイクさせてくれた作品だが、同時に、私をOUTな作家にしてくれたらしい。それは、決して王道を行けない奇妙な小説家としての道でもある。その始まりは、旧『柔らかな頬』を捨てた日の、打ち沈んだ気持ちにある。誰も味方はいない、一人でやるしかない、というあの思い。だが、孤独作家を鍛える。再び、同じ思いをして自分を鍛えたい、と最近思うのである。

2010-08-18

http://anond.hatelabo.jp/20100818134356

いいなー。自分初版200~400部、初動150~250。

それでトントンかちょっと黒くらい。

でも貯金は減ってないw

やりやすさ的には300部くらいが一番だったな。

今多分このポイントにいるんだろうね。自分は。

でもいつか4桁刷ってみたいなあ。

http://anond.hatelabo.jp/20100818154202

いや初版1000部で初売り300~500とか

自分で言うのもなんだけどなかなかよさげ数字なんですよ。

なのになぜか貯金が減ってるミステリー

損益分岐点は何冊なんだよw

1000部をいくらで刷って単価いくらで売ってんだw

http://anond.hatelabo.jp/20100818141416

いや初版1000部で初売り300~500とか

自分で言うのもなんだけどなかなかよさげ数字なんですよ。

なのになぜか貯金が減ってるミステリー

同人怖い…

それともあれかこれから利益が出てうはうはになったりするんだろうか

全くイメージできねえ

2010-06-04

[][]パ●ック・コ○ック

パ●ックコ○ックとは - はてなキーワードhttp://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%D1%A5%CB%A5%C3%A5%AF%A5%B3%A5%DF%A5%C3%A5%AF)の編集履歴より。d:id:top-runnerの宣伝としか考えられない。

編集時刻:
    2010/05/27 10:42:32
編集者top-runner
編集内容:
    append

+映画製作集団CR×NKPLAN第6回作品
+ 『パ●ック・コ○ック』
+(2010/comedy/DV/color/70min)
+監督脚本  /奥山×之
+撮影 / 奥×由之・佐×雄紀
+プロデューサー/李×宇(「フ×ガール」「パ×チギ!」)
+制作協力   /深×健太(「バ×ル・ロ×イヤル?」)
+ 協賛     /Q ×RONT 

http://d.hatena.ne.jp/keywordlog?klid=1173332

はてなダイアリーの記事
『パ●ック・コ○ック』

(2010/comedy/DV/color/70min)

監督脚本  /奥×由之

プロデューサー/李×宇(「フ×ガール」「パ×チギ!」)

制作協力   /深×健太(「バ×ル・ロ×イヤル」)

協賛     /Q ×RONT

http://d.hatena.ne.jp/top-runner/20100420

はてなスター自分でつけているのがまた痛々しい。

Wikipedia

さらにWikipediaでも宣伝活動していたと思われる。

初版の「あらすじ」節が[1]の転載。また、そもそも同映画制作を裏付ける情報自体も、転載元のはてなダイアリーの記事以外ネット上では見当たらず、転載云々以前に現時点では記事内容がWikipedia:検証可能性を欠くため、記事の立項自体が時期尚早。

http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E5%89%8A%E9%99%A4%E4%BE%9D%E9%A0%BC/%E3%83%91%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF

[1]は上記記事(http://d.hatena.ne.jp/top-runner/20100420)を指す。

はてなプロフィール

Yuri Satoと自称はしているが、http://www.hatena.ne.jp/top-runner/ を読んでもどういった関係者なのかが見えない。http://d.hatena.ne.jp/top-runner/archive でも同様。少なくとも正式な発表の前にはてなキーワードなどにこの類の情報を書き込む行為は、情報漏えいではないかとも考えられる。

宣伝としても許されないし、関係者の立場からも許されない行為であろう。

2010-05-25

カヤック問題で絵描きの買い叩きが言われてたけど、字書きの買い叩きって聞かないね。

人気は絵描きより落ちるけど、絵描き挫折した奴とかも流れ込んだりしてそれなりの人口はいるはず。

ネット小説やらなんやらで勘違いする奴も増えて、ワナビ人口も増えてる。

レーベルが増えて作家乱造してるのは確かだろうけど、買い叩きって聞かないんだよなぁ。

初版部数が減ってるってのは聞いてるけど、それは買い叩きとは別の問題だし。

ネットで発表された作品の書籍化とかがそれにあたるのかな。

なんか知ってる人いる?

2010-05-23

大人になって読み返したらスゴかった 「英文標準問題精講」

「英文標準問題精講」(原仙作 著)。第5訂版。初版はなんと戦前の1933年。今も本屋大学受験コーナーに行けば売られている、参考書古典中の古典である

 10年くらい前だろうか。大学受験する時に買ってはみたのだけれど、さっぱりわからんと放り投げたこの参考書を、なぜだか分からないがふと思い出し、本棚の奥からひっぱり出してふむふむと読み進めてみたら面白くて止まらなくなってしまった。今では、寝る前に2、3本の例文を読むことが最近の日課になってしまってすらいる。

 アマゾンでの散々な評価[amazon:英文標準問題精講]で見れるように,この本は確かに受験参考書としては使えない。より解説が豊富で効率的に要点を学べる本が山ほど出ており、純粋受験生の実用性でのみ評価した場合、もう役目を終えていると言っていいかもしれない。

 しかしそれでも本書の魅力自体は色あせていない。「英文標準問題精講」が持つ最大の魅力は、その全例文が近現代史に名を残した偉人たちの言葉で綴られていることにある。例えばこんな具合に。

 Contemporary events differ from history in that we do not know the results they will produce. Looking back, we can assess the significances of past occurrences and trace the consequences they have brought in their train.But while history runs its course, it is not history to us.(隷属の道より)

 改めて読み直した時、私は経済学者フリードリヒ・フォン・ハイエクによるこんな論考が受験参考書の「例文」して、ごく当たり前のように取り上げられていたことに、まず何より驚愕した。なんていうハイレベル自己満足をするのだろう!そりゃあ今時の高校生が読んでもわからないはずだと思った。とは言え、ハイエクの他にもラッセルアインシュタインスタインベックなど一級の知性がしたためた文章が載っており、英文エッセイ集としての魅力は廃れるどころかむしろもっと再評価がなされるべきではないか

 本書の内容は多岐にわたり、しか普遍的なものだ。幼少時代についた嘘についての体験談から、「知識は人間幸せにするのか」「芸術や詩歌の意義」といった哲学的なテーマまで。かつての知識人達がいったいどのように感じ、考えてきたか、その一端を垣間見ることができてとても興味深い。

 私の場合、読んでいて特にハッとしたエッセイが、ヘンリー・ミラーの一文だ。

 What makes a book live? How often this question arises! The answer, in my opinion, is simple. A book lives through the passionate recommendation of one reader to another.Nothing can throttle this basic impulse in the human being.

 すぐ忘れ去られる本がある一方で、何十年と長く読みつがれる本があるが、その違いは何か。長生きする本は、その当時最も売れた本でもないし、一方で最も正しいことを書いた本でもない。それはただ、その本に気をとめ、大きな声で推薦する声が途切れなかったから長く、生き続けてきたのである成熟された、いい考え方だと思う。

 私もヘンリー・ミラーに習って推薦してみたい。これは大人のための英語学習書だ、と。せっかちな受験生が読むような中身の薄い例文ではなく、じっくりと反芻できる重みのある文章を読む。そんなクール英文学習ができる本なんてちょっと見当たらない。ビジネス書とTOEICについ目移りするサラリーマンにこそ、今、「英文標準問題精講」が求められていると思う。

http://twitter.com/zaway/status/14500420105

2010-05-15

http://anond.hatelabo.jp/20100515200430

弟のデビューが決まった時

初版2万ウン千部」って聞いて腰抜かしそうになった。

すごいよラノベの勢いは。

デビュー作家にいきなり帯つけて平積みだもの。

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