はてなキーワード: 初版とは
世の中には、どうしても「賢い人」と「あまり賢くない人達」人たちがいて、「あまり賢くない人達」は「賢い人」の足を引っ張るモノです。
「あまり賢くない人達」が自らの愚かさゆえ、人生を無為に過ごすのはある意味しかたがないことだと思いますが、問題なのはこれから賢くあろうとする未来ある若者達が、このような「あまり賢くない人達」に惑わされ、不幸に見舞われることであります。
日向さんはこのような未来ある若者のために、わざわざ時間を割いて素晴らしいエッセイを書きおこしてくれました。
http://www5.ocn.ne.jp/~seablue/res/ckp.html
けれども日向さんの文章は、あまりのレベル差故か、極力平易に書こうとはしているものの、それでも文章が高度すぎて、対象である「あまり賢くない人達」には今一歩言わんとしていることが伝わらないのでは、と感じました。
そこで私は、日向さんの文章の意味を極力損ねないまま、このエッセイを対象である「あまり賢くない人達」向けの言葉に翻訳することを試みました。
もちろん、訳者が至らないために、間違いや勘違い、あるいは校正の際の見落としなども あるかと思います。そのようなことがないように努力はいたしますが、 お気づきの点があれば冷静にご指摘いただければ幸いです。
この書籍については、さまざまなご意見がさまざまなところに書き込まれているようです。
まったく話題にもならないたくさんの本があり、また批評もされない多数の著者たちがいるなかで、 拙著または著者に関心を持っていただいたことにまずお礼を申し上げます。
いやぁ、人気者はつらいね。いつだって妬まれる。
本書については、書籍のはじめに「本書では、初歩のプログラミングの学習を終えて、 プログラマが実践的なプログラミングに臨む時に知っておかなければならない重要な事項をわかりやすく解説します。」 と明示してあるように、プログラミングの初心者を対象にしています。
具体的には、はじめてのプログラミング言語を勉強したか、これから何か言語を学ぼうとしている人、 ふたつめの言語を選ぼうとしているひと、あるいは、 「どうしてデータ型などというものがあるのだろう?」とか、「オブジェクトって、いったい何?」という 素朴な疑問を抱いている人を対象とした書籍です。
また、筆者の「常識」を読者に押しつけようとするものではなく、プログラミングの常識とは何かという ことについて考えるヒントにする本です(このことは書籍の中でも重ねて説明しています)。
この本は エキスパートの俺様が、初心者のために書いた本だ。初心者向けって所が重要な。ついでに世の中常識のないやつが多いから、プログラミングだけじゃなく常識まで教えてやる、そういう本でもあるな。そうそう、断っておくが俺がこの本で言っていることは「世の中の常識」な。だから、異論挟むヤツはそのまま「常識」のないやつってことになる。ここも重要だ。
プログラミングに限らず、対象によって説明の仕方、取り上げる範囲、そして「何が正しいか」は異なります。 身近な学校教育という場を考えてみても、小学生には「人はみな平等です」と教えます。 しかし、それは理想であって、実際に差別は存在し、したがって、教えている対象を考慮しなければ、 小学校で教えていることは嘘ばかりである、ということになります。 実際、大学生ならば、「実際には人は平等ではない」という前提にたって、社会問題などを考える必要があることは 誰にも異論のないことでしょう。
同様に、プログラミングでも、初歩のプログラミングの学習を終えた人と、 より高度なプログラミングをマスターした人を対象にするときでは、解説の範囲も表現もすべて異なります。
ところで、みんな平等というけどさ、愚民がいるのが現実なのよ。愚民がいるなら愚民向けに方便をつかわなくちゃいけない。大人ならわかるな。
本書について、文章の真意を理解しないで書き込みをされていることも多々あるようです。 たとえば、「プログラミング言語はどれがよいか?」というトピックの主眼は、本文で 「多人数を運ぶならバス、荷物をたくさん運ぶならトラック、少人数でドライブするなら小型セダンと、 目的に応じて最も良い自動車の種類が違う」と例をあげて説明していますが、プログラミング言語においても 用途やプログラマの経験あるいは環境等々によって適する言語は異なり、 特定の具体的な条件を示したうえでなければ「プログラミング言語はどれがよいか?」という質問自体がナンセンスである、 というのがこのトピックの主眼です。
したがって、それに関連する説明は、それぞれのプログラミング言語がおおよそどのように異なるかわかればよい という立場で書いており、具体的な解説についてはたとえば環境(近くにすぐに質問できる先輩がいる、 特定の言語の学習環境が際立って整っている、特定の種類の言語をすぐに使う必要がある、など)に よって異なるという前提で書かれています。
また、このトピックは、これから最初のプログラミング言語を選ぼうとしているか、 ふたつ目のプログラミング言語を選ぼうとしているような初心者で、 車にバスから軽自動車までいろいろな種類があるように、プログラミング言語にもまた さまざまな用途の言語があるということを認識していない読者を想定して解説しているものです。 すでに複数のプログラミング言語をマスターしている読者を対象としたときには、 自ずと表現も記述するレベルや範囲も変わってきます。
で、だ。俺の書いた本にケチつけるガキ共がいるんだけどさ、ヤツラ何? 技術的なことを書くと低能なヤツラじゃ理解できないから、車の話に喩えてやる。(略)つまりヤツラは、車にもいろいろ車種ってものがあることすら、わかんないバカってことだ。
そのほか、本書について間違いであるかのように指摘されているところの多くも、本書の意図を理解できれば、 指摘したことが逆に誤っていることに気づくでしょう。 (もちろん、筆者が至らないために、間違いや勘違い、あるいは校正の際の見落としなども あるかと思います。そのようなことがないように努力はいたしますが、 お気づきの点があれば冷静にご指摘いただければ幸いです。)
また、本書の批判の多くは、本書が初心者プログラマ向けに書かれていることをまったく無視した、 きわめて無責任な意見が多く、そのような書き込みが何の批判もなく行われていることは残念でなりません。 良識のある人たちは、想定読者レベルを無視した無責任な意見は無価値であると考え 頭から相手にしていないのでしょうが、初心者はそのような判断ができないので惑わされる可能性があるからです。
ようするに、愚民向けの本を読んでも「方便」を「方便」だって読み取れないバカ?ww 指摘(笑)を通して 自分の馬鹿さ加減を世界に発信しているってことに気づかないって超ウケるじゃん? この内容は間違ってます(キリッ みたいな?wwww ま、少しでも知性があれば、恥ずかしくてで出来ねえことだよな。
わかっているヤツは わざわざ DQN の相手をしたりせず鼻で笑うだけだ。しかしお前らひよっこは、こういう低レベルな扇動に惑わされるかもしれないな。気をつけろよ。
書籍の批評ということについて、ひとつ例を示して筆者の考えを明らかにしましょう。
B.W.カーニハン/D.M.リッチーが書いた「プログラミング言語C」という本があります。現在は第2版となり訂正版として出されていますが、 日本語翻訳初版から現在まで、プログラミング言語の本として名著のひとつとみなされてきました。
実際、私もC言語についてまだほとんど何も知らない日本語訳初版が出たときにこの本を一読して、 「Hello, world」の出力のしかたから始まり、徐々に高度な内容に導いてゆく書き方に自然となじんで、 まるで読み物を読むように一気に読了し、同時に、C言語とはどういうもので、何ができて、何ができないのかを理解しました。 日本語訳初版は間違いも多く、記述の仕方もプログラミング言語の書籍としては最良とはいえないものでしたが、 C言語についてまだほとんど何も知らない私にとって、まさに「プログラミング言語C」はとても良い本でした。 また、プログラミング言語の仕様という概念が今ほど確立していなかった当時、C言語のコンパイラを実装する(開発する) ようなレベルの人にも、「プログラミング言語C」はバイブルといってよいほど重要な本でした。
ところで、今、誰かが「プログラミング言語C」と同じようなスタイルでC++かJavaの本を きわめて丁寧に間違いもほとんどなく書きあげて私に献本してくれて私個人の率直な意見を求められたら、 それを読んできっと「冗長で退屈である」と答えるでしょう。 なぜなら、私はC++やJavaについて講義(授業や講演)をする程度にすでに知っているから、 「プログラミング言語C」のような書き方の本を改めて最初から読むのは苦痛にさえなりかねないからです。
しかし、その本について公開するレビューを書いてくれと頼まれたら、 「これからC++(またはJava)を学習する人にとってはとても良い本である」と推奨するでしょう。 なぜなら、まだ何も知らない人が、まるで読み物を読むように一気に読んでその言語を理解できれば、 それはとても素晴らしいことだからです。
読む人のレベル、その本の主眼とすることとその表現のしかた、本が出版されたときの状況などによって本の価値というものは異なり、 それが本というものです。
ヤツラにも解るように具体例を示すけれどさ、ストラウストラップ?ってヤツの 「プログラミング言語 C++」って本、冗長で退屈でダセェよな。内容のレベル低すぎるしさ。けど、どうしてもオレにレビューしてくれっていわれたら、まぁ「俺には必要ないけど良い本だぜ」って紹介してやるよ。だってバカどもにはちょうど良いじゃん。バカ向けの本はバカ向けってことを考慮して評価する。それが大人ってもんだ。
インターネットが普及して誰でも自由に発言できるようになったのは良いことですが 一部のお暇をもてあましている方々が、拙著に限らず、 さまざまな著作や著者に対して誹謗中傷に近い書き込みを匿名で行っているのが見受けられます。 このような状態が続けば、 誤解を受けることを承知の上で初心者向けにあえてやさしく解説するような著者は書く気をなくし、 どのようにでも解釈できる(あるいはすでに理解している人しか理解できないような)難解な 文章を書く一部のいわゆる権威だけが著者として残る結果となり、 出版文化や書店を含む出版界はますます疲弊し、いずれ現在のように多種多様な書籍が出版できなくります。
インターネットが出来てから、そんな大人の対応も出来ないウゼえガキが増えたよな。マジ ウゼェ。ったく、「間違っている」「正しくない」とか、ウゼェウゼェウゼェ!偉大なるオレ様のやる気が無くなったらどうしてくれるのか。これでオレが本を書かなくなったら人類の損失になるって事実、わかんねぇのかコイツらは。ほんっとカスだな。
どうか、初心者の方々は無責任な批判や的外れなレビューなどに惑わされずに、 まずは本を読んでみて(買わずに図書館で借りてでもかまいません)、自分自身で判断してくださるようお願いいたします。
まぁ、カスのことはほっといて、お前らは黙って俺の本を買っておけ(貧乏だったら図書館でもいいぜ。自治体に買わせろ)。普通に考えれば有象無象の匿名ブロガーより、本まで出してるエリートのオレの本の方が信頼できるってのは、ひよっこのお前らにだってわかるだろ。つべこべ言わず買えば幸せになれるってモンさ。
さて、無責任な批判や的外れなレビューを書き続けている人には、次のように申し上げておきます。
批判する人間にもし本当に能力があるのであれば、匿名で無責任な批判をする前に、 C++、Java、アセンブリ言語、JavaScriptのようなスクリプト言語、XMLやXAMLのような記述言語を 含めて、5種類上の言語で実際に動作するプログラムを作成してそのソースコードを広く一般に公開し、 他人の批判を受けてみてから、 自分で完璧な本を書いて出版社に持ち込んで出版してみてください。
そうすれば、著作、あるいは出版というものがどういうものか、少しはわかるでしょう。
あー、それと、バカどもに言っておく。オレ様は C++、Java、アセンブリ言語、JavaScriptのようなスクリプト言語、XML・XAML のよな記述言語 を含めた5種類以上の言語に精通した超絶スーパーエンジニアだ。ハッカーと言ってもいい。しかもコードを公開して完璧な本まで書いている、マジ パねぇ男だ。 マチュアーしてるんだよ。おめぇらなんて足元におよばねぇ。身の程を知れ。(関数型言語はマイナでどうでもいいから勉強しなくてもいいぜ。あ、でもオレの Scala の本は買えよな。)
もし、自らは何も創造しないで、単に無責任な批判や的外れなレビューを続けるなら、 そういう人は、いずれ何年かのちに(そのときまでボケずに、人間社会というものを学んで人間として少しは成長したとしたら) 自分がしてきたことが無意味であり、そのようなことだけに時間を費やした自分自身の人生そのものが 無価値であったことに必ず気づくはずです。しかし、その時になって謝罪していただく必要はまったくありません。
まー、オレ様は心が広いからバカがバカであることは責めないでやる。人間生まれついてのものはどうしようもねぇ。俺はどうしようもないことは責めない主義だ。でも、お前らが無価値なゴミクズであるってことだけは理解しとけよな。ゴミはゴミなりの人生がまってるさ。身の程を知って生きればオレは哀れみくらいはかけてやるぜ?
なお、著者はあらゆる書き込みに対していちいち反論することはできません。 また、一部の低俗な掲示板のようなものを読んだり書き込んだりするのは 時間の無駄なので、私に限らずほとんどの著者は、そのようなものに書き込むことはもちろん、 目を通すこともありませんのであしからず。
最後に言っておく。お前ら如きがオレ様に意見するなんて間違っている。なぜならオレ様はいつだって正しいからだ。そして、間違った意見などに反論を書くなんて無駄な時間はオレ様にはない。お前らはせいぜい便所で落書きに勤しむんだな。あばよ。
長い文章が読めない方のために、要点のまとめを作りました。
日向さんは、本当に素晴らしい技術力をお持ちで、その著書リストをご覧になれば皆様もその高い技術力をご納得いただけるかと思います。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url?_encoding=UTF8&search-type=ss&index=books-jp&field-author=%E6%97%A5%E5%90%91%20%E4%BF%8A%E4%BA%8C
これだけの内容の濃い本を、こんなにも沢山発行していらっしゃるので、日向さんが新たに本を書い時、気がつけば参考文献リソース 一覧が 過去の自著ばかりになった――というエピソードだけでも、日向さんの凄さの一端が伝わるかと思います。
ですので皆様も
のような「匿名の愚か者」の世迷い言に惑わされないように、ご注意願います。解っている人から見れば、日向さんの著書は総じて評価が高い という事実は、「記名の賢者」であるdankogai氏のレビュー
をご覧になっていただければ、一目瞭然かと思います。(dankogai氏は同レビュー中で日向さんを「真に初心者向けに本を書ける希有の存在」と評しています)
なお、訳者はあらゆる書き込みに対していちいち反論することはできません。 また、一部の低俗な掲示板のような増田を読んだり書き込んだりするのは 時間の無駄なので、私に限らずほとんどの著者は、そのようなものに書き込むことはもちろん、 目を通すこともありませんのであしからず。
自費出版の時代
ttp://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51347634.html
電子出版でもっとも恩恵を受けるのは、学術書だろう。ほとんどの専門書は数百部しか売れず採算がとれないので、初版の印税なしとか著者が一定部数買い取るなどの条件で出版してもらう。それも絶版になったら図書館以外では読むことができないが、電子出版なら拙著のように、絶版になってもウェブで本を出せる。
自費出版の最大の問題は、ブランドである。通常の本は有名な出版社がリスクを負って売ることによってその価値をシグナルしているのだが、自費出版ではアマチュアのトンデモ本と本物の学術書の区別がつかない。これを審査するレフェリーをつけた電子出版プラットフォームができれば、手数料を20%とるだけでも十分ビジネスになるだろう。
彼は、私が聞く限りでは相当なマンガマニアで、コミックスを全巻初版で揃えては
いちいち防虫剤を付けて衣装ケースに閉まっているというかなりのコレクターぶりで
それこそ、だいぶヲタク寄りだがかろうじて一般人側に留まっている、といった感じだ。
つい先日、会社の駐車場でその彼(k君)ともう一人別の後輩(♂)と三人で立ち話をしていたときのこと。
話の流れで、私がかわぐちかいじの「沈黙の艦隊」をだいぶ前に全巻読んだ、と言ったら二人ともえらく驚いた。
え、なんで?と思って理由を聞くと、K君曰く「内容が女性向きとはとても思えないから」だと言う。
まぁ確かに絵も劇画タッチだし、原子力潜水艦だの政治的駆け引きだの、小難しい内容だとは思うが
少なくとも私にはとても面白くて、あっという間に全巻借りて読破したので
「そうかなぁ?普通に面白かったよ?」と答えたら
「俺の回りじゃ、マンガを読む女子自体あんまいないけど、更に沈鑑を読んだとか聞いた事もないっすよ!」
と、さも珍しい天然記念物を目撃したかのような口調で私に言うのだ。
ちょっとまて、と。
そりゃぁ君の回りでは見かけないかもしれないが、少なくとも私の知ってる限りでは
当時は確か数多の腐女子の皆様が、思い思いの妄想を繰り広げた二次創作同人をバンバン出してた
結構なサークル数のマイナーメジャージャンルだった筈なんだけど…どうしてそういう
「沈黙の艦隊は女性は読まないマンガ」なんていうとんちんかんな認識に飛躍するのか、と。
瞬間、そこまでだーっと考えたけれども(多分)顔には出さずに
「まぁ私は面白けりゃ何でも読む雑食系だし」とお茶を濁して、その話はそこまでになったが
私の中の認識と彼等の認識のギャップが私にはとても面白く感じられて
彼等と別れて帰宅する途中の車の中で、この認識の違いはどっから来るのかしら?とずっと考えていた。
人は誰でも、自分の周囲の環境にある事象をサンプルに照らし合わせて物事を考える。
まぁ結局この事に関しては、K君がヲタク同人活動をやった事がないから知らない、と言うか
およそそんな人種がいる事が想像もつかないから、なのだろうけど。
つまりはその「同人活動をやった事ないのはおろか、やろうと言う事すら"思いつかない"」点こそが
どんだけマニアックなマンガコレクターで、社内ででかい声でがんがんマンガ話をしていようとも
K君をかろうじて一般人に踏みとどまらせている境界線に他ならない訳だ。
対して、ヲタク歴も年季が入っていて、過去に腐二次活動の経験もある私にとって
なんでもアリの腐女子の世界では特に珍しくもない「違う穴のムジナ」ジャンルの事ぐらい
とっくに過去の知識として当たり前に消化している訳で、悲しいかなそこんとこ彼よりも
経験上、何事もたいがい知らないよりは知っている方がいいに越した事はないとわかっていても
なんだかなぁ、と複雑な心境になってしまった出来事だった。
tonbo tonbo 読書会で、その「限界」に言及したけど、「ラノベの限界」の解釈のニュアンスがずれてるんだよなあ。ブクマコメント見るとさらにズレて解釈されてる。もどかしい。商業的な限界を言いたかったんだが……。 2009/09/23
あえて商業に話を限定して言うけど、クオリアに限らず今のラノベでSF分を増やせば増やすほど読者は加速度的に減少していくというでっかい現実がある。これは詳細までよく練られていようが、理論的な整合性がきちんととれているかどうか、とかはあまり関係がない。
もちろん、いくつか例外はあるけどそれはあくまで「例外」なのであって、SF分を一定以上に濃くした物語で損益分岐点を越えようとすると、特に大手のレーベルのような初版が多いところにはバクチ要素がかなり強くなる。
さすが、ライトノベル感想サイト大手の中でも指折りのスイーツ(笑)脳の持ち主、極楽トンボ御大でございますな。
自分のジャンル小説リテラシーのなさ(SFもミステリもファンタジーも本当に読めませんよね、この人)をライトノベル読者全体の問題であるかのように語らないでいただきたいものです。
小・中学生でも、《涼宮ハルヒ》シリーズを単なるキャラ萌え小説として読んでいる読者ばかりでもないし、SFよりもある意味でハードルの高いファンタジーでも、『精霊の守り人』みたいな、リテラシーが要求される児童文学作品を普通に読んでいる(《守り人》シリーズは下手なラノベよりよっぽど売れてるし、学校図書館の貸し出しランキングでも上位に入る率が高い)。そういうものは全部「例外」ですか?
トンボ御大やラ管連の大勢は、そろそろ自分たちが「一般的なライトノベル読者」ではなくて、「まともな知性も向上心もないライトノベル読者」という少数派の代表であることを悟っていただきたいものである。この人たちの声が大きいことって、害悪でしかないと思うよ。
なんか読み口が似てるのが続いたなーと思ったので。
『正直売れたい。-BLマンガ家天城れのの必死屋DAYS』天城れの
共通点は主人公(=作者)と担当との掛け合いが主になっていることと、
担当から主人公が何かしらに虐げられているということ。
初版をみると上から、2007/1/25、2007/4/3、2009/9/10 なのでそれ程近々に
発売されたんじゃないから今ブームって訳じゃないのね。
それにしても『正直売れたい。』は上のふたつパクリすぎじゃね。
本としてのコンセプトがそうだから仕方ないのかもしれないけれど
『楽屋裏』と帯付きの表紙のデザインそっくりだし(並べたら帯のサイズまで一緒だった。
ただ、本文でこういう本にしたい~っていう例を出していたからギリギリセーフなのか…?
しかし並べて売りたくなるくらいそっくりだよコレ。)。
帯に類ジャンルの人気作家の名前を大きく見せるのも最近流行ってましたよね。
『DMC』の帯にハロルド作石先生がコメントを寄せていたのには笑ったなぁ。
カバー裏の四コマも『暴れん坊本屋さん』でやってたしなにより底辺漫画家っていうネーミングは
(『マザー…』の作者はこれが初コミックだそうで、『正直…』の人はいっぱいコミックス出てますし
寧ろ私が名前を知っていたっていうことで正直私の中では全然底辺じゃないです。)
こういうのが『ワンピース』と『RAVE』の関係なのか…?
何で『楽屋裏』と『マザーファッカーズ』では感じなかったものを『正直売れたい。』では感じてしまうんだろう。
コンセプトがかぶるってよくあることなのに、個人的にプライドのないパクリ方にみえてしまってがっかりしたんですよ…リブレさん。
「くぱぁ」という擬音の初出はうしおととらではないか、という説がよく聞かれるかな。
四巻(1991年6月初版)収録話。針の化生だっけか。雑誌連載では週刊少年サンデー平成2年43号ごろだとかなんとか。
その後、現在の用途で使われだしたのがいつかってのは、その後のそれなりにメジャーな同人誌(違和感のある表現)やら
エロ漫画を全部漁って見ないとわからんのではないか。
>知ってほしいなら碌に調べもしないで適当に増田に書き散らすなよ
そういやどうだったかなと個人的に気になって適当に検索した結果を
っつーか「書き散らすな」っておっしゃる貴方は何だ? 増田の管理者か?
それともあれか。匿名ダイアリーは増田という架空の個人ダイアリーだとでも妄想している口か。
碌に調べもしねーで「間違った情報」書くんじゃねーよ、ってことなら貴方の指摘は意義があるけど
それなら「これこれこうでそれは違う」とでも書いてくれないとただの罵倒にすぎないぞ。
ま、絡まれると鬱陶しいから題名は消しとくか……。
http://anond.hatelabo.jp/20090615152955
アニメ化決定前からけいおん!を読んでる原作読者がたまたま開いたらおっという記事を見つけたので増田に書いてみ増田。
(注:このエントリーは半分の推測と、半分の「ただしソースは俺」でできています)
元増田氏が言っていることはたぶんその通りだと思う。
他でもさんざん言われているかも知れないが、あれって素材として良いから選ばれたって線が非常に大きいと思う。良い意味でも悪い意味でもニュートラルで、その割にしっかりと芯があって、コンセプトとしてしっかりしているから選ばれたんだと。
さらに言えば変更・追補しても文句を言う「原作信者」がいない、あるいはいたとしてもそれほど強烈ではないだろと言う所も大きな原作選択のファクターであったのではないかと思う。
意地の悪い言い方をすれば「未完成故に妄想しやすく、強烈に人気がないので好きなようにできる」という事だったのでは。すでに京都アニメーションは、通常であればメディアミックスの一角として重要な「原作の人気」というものが無くても十分にヒットさせるだけの力を、ブランド力を持っているわけで「作りやすさ」「作りたいもの」という所を重視して原作を選択できたのだろう。
その点で、あれはある程度原作とは別物で当然。ゆえに、11話だけを原作を無視した話しである等々と批判するのは間違いで、言うならばあきらめとともに全体が原作とかけ離れている点を批判すべきだと思うんだ。
ただ、原作ファンにそういった原作と違う事を根拠にする批判を持つものを自分自身含めて見たことがない。まぁみんな俺が布教した連中だからかもしれないが……。
似たようなケースとして、ジャンルは全く違うがサンライズが製作したアニメ『プラネテス』がある。あれは原作を読むとわかるが、エピソードのその重要な部分は持ってきているが、登場人物が大幅に増員されており、すさまじい設定の補強、発生順序、時間軸等々も全く違う。はてまた、ヒロインの性格がかなり違うのである。それは映像化するための密度を増やすための設定にとどまっていないと思う。
こちらが「けいおん!」と異なるのは原作はわりと信者がいたということ。しかしこちらはキャラ萌えで「あの子はあんな事言わない!」的な反発ではなく「アニメ化したらせっかくのリアルな描写 or 設定 or SF的に正しい物語がおかしくなってしまった!」と言う方向で反発の方が大きかったであろうと言うことである。こちらはおそらく、それぞれ各人の胸の内にしかないキャラクター像に合わせるより簡単であり、結構力業でクリアーしているように思う。
また、プラネテスに関しては、ほとんど、と言うか俺的には一回も「原作はアニメに比べてつまらない」という評を見たことがない。これもけいおん!との違いだろうか。
そもそもである。近頃は1クール13話、長くて2クール26話程度で、原作を使い切ることがないのだろうが、ちょっと前などはたいていの場合、原作のエピソードを使い切ってしまい、完全オリジナルエピソードを追加したりして増量していなかったか。そして、そこには今のアニメほど「原作レイプ」と言った不適切な表現まで使われないにしろ、原作ファンから批判されていただろうか?
これは、あまりにも期待値が高すぎるからではないかと思う。俺は涼宮ハルヒの憂鬱も初版で全部持っているように、アニメ化前からのファンだが、自分的には涼宮ハルヒの声が妙に高かったぐらいしか違和感を覚えなかった。あそこまで原作先行で原作の再現度が高いアニメは、他には「彼氏彼女の事情」ぐらいしか知らない。(注:ただし俺基準、他にもたくさんあるだろうけど)
(もちろん、原作とアニメが同時企画され、原作者がアニメに深く関わったり、監督や演出等制作中核スタッフが自ら原作を書いた除く。たとえばパトレイバーとか)
つまり本来は、アニメは漫画・小説の原作とは全く表現方法も違えば、規模、一度に流せる情報量、製作スピードなども全く異なり、本来は別物になってしまうものじゃないのかと思う。それをうまく合わせ昇華する技術を京都アニメーションの制作スタッフはたまたま持っていただけである。しかしそれは希なことである。
それを忘れて、ちょっとぐらいこのアニメ原作と違うなどと騒ぎ批判することなど、一体何の意味があろうか!?いや無い!(反語表現)
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そういっておかなければ悲しいじゃないか。見たら全然違くて、原作ファンには黒歴史化されているアニメなんていくらでもある。その屍の山と、話題が少しでも出るだけでしゃれにならないほど荒れるのでタブーとして重く封印された話題のことを思えば、けいおんはその点凄く幸せなのではと思うんだがいかがか。
元増田氏はこうっしゃった。「あんまりおもしろくないなと感じるのでは」と。
そんなことはない。絶対……断じ……いやたぶん……おそらく……きっと……ない。
少なくとも俺基準では、原作けいおん!は大好きであり、よく企画した人はけいおんに目をつけてくれた!と感謝している。少なくとも、原作けいおん!が無ければ、アニメも存在しなかったわけだし。
と言うのは、原作には原作の良さが、アニメにはアニメの良さがあって、容易に比べるものではなく、従って「あまりおもしろくないと感じた原作をアニメの力でおもしろくした」と言うことではないと言うことである。
たとえば逆も成り立つ。アニメが原作で、漫画化された際にまた違った雰囲気で人気を博した作品……宇宙戦艦ナデシコに対する遊撃……じゃなくて、新世紀エヴァンゲリオンの貞本版とかである。
そう考えれば、お互いに「違うからつまらない」と言うことが以下にナンセンスかわかるであろう。そう思わなければ、ファンはやっていけないと思うのだがいかがか。というか「原作と違う」「アニメと違う」という事で批判するようなファンは、アニメ漫画小説ドラマ舞台なんでもそうだが、そういった作品に対するファンとしての経験値が足りないのではないか。これは好きなアイドルやタレントが自分の希望と違った行動を取ったからと言って(分かり易いのは結婚とか)転じていきなり批判を始めるがごとく、非常にレベルの低い、ファン経験値の足りない行動であろう。
そう思った。
特にオチはない。
だらだら書いたが結論がよくわからなくなってしまった。まぁいいや。
1作目を読んだ後にここで
作者当時22歳デビュー作だけあってさすがの文章力。
「床から顔を出した私の顔に、むせ返るような熱風が吹きつけた。」
妙にわかったような顔してるなと思っちゃうような「○○なのだが。」もやたら多い。
ストーリーは面白かったけどそういうところがやたら気になって世界に入り込みにくかった。
ストーリーは面白かったから続編もちょくちょく読んでいこうと思うけど。文章も洗練されていってるだろうしね。
http://anond.hatelabo.jp/20081026130041
こんなことを書いた。この後にシリーズ読み進めて行って今は最新刊以外は全部読んだ。
文章洗練されてっててねー。いや、1作目よりは2作目の方が全然うまかったんだ。文章。
けどその後に変化が見られない。日本語としておかしいだろって表現がほぼ毎巻出てくる。
近作はむしろまた下手になっていっているような気もする。
上の記事で俺にトラバをくれた人が編集者が注意すべきだと言っていた。
俺はそれに対して敢えて言わないこともあるんじゃないの?と言った。
けどこれはさすがに編集者が口出すところなんじゃないのと思った。
雑誌が次々と廃刊している。何十年も続いた権威ある雑誌がやめたと思えば漫画雑誌もなくなる。文芸書は目も当てられない。有名作家でも初版5000部で重版なし、なんてこともある。今は売れている漫画だって今後がどうなるかはわからない。出版は下降の一途だ。
音楽だってそうだ。CDが売れなくなり、以前は10万枚売れてやっとトップ10入りだったが、今や1、2万枚売れれば上位に入る。
ライターの食い扶持は減った。夏フェスに参加した有名なバンドが未だにバイト生活だとも聞く。クリエイターには辛い時代になってしまった。
これまでクリエイターを目指すのは向こう見ずな若者だった。なれるかどうかわからない職業にかけ、切磋琢磨し、夢を実現し大金を得る。大金を得なくてもプロになってしまえば生活はできた。今はどうだろうか? 夢にかけて身を投げ打っても大金はまず返ってこない。なれたとしても生活を安定させることができるかすらわからない。
今後クリエイターの主流層になるのは何だろうか? まず専業でやっていく人はほとんどいなくなるだろう。兼業で生活を安定させた人間が余暇でやるのか? それも難しいだろう。経済の安定で生活に余裕ができても時間の余裕がない。この不況下で忙殺されるなか、休みの日にさらに鞭を打って作品を作る人がどれだけいるだろうか。
私はこう予測する。今後、創作をしていく人間の主流は『主婦』になる。夫の働きによる経済的安定と家電の発達による時間的余裕を手に入れた主婦がクリエイターをやるようになる。現に私の周りにもそういう人間は多いし、今の時代最も本を読んだり映画を見たりするのは主婦なのだ。他のクリエイター志望者がバイトに明け暮れたりしてる間、彼女らは趣味の延長で毎日悠々と創作するのだ。太刀打ちできないよ。
http://anond.hatelabo.jp/20080723030022
を書いた増田です。
ちょっと今度は内輪向けの話かも。
早速だけど本題▼
素朴な質問なんですが是非知りたいので元エホバの証人や古本屋の方は教えて下さい
他宗教で本沢山もってた方でも構いません
本当は人力検索使いたいんですが捨てアカウントとりたくないしまだ現役でなるべく匿名でいたいので
エホバの証人になると、「ものみの塔」や「目覚めよ」という雑誌を毎月もらうし「洞察」とか「聖書」とか重たくて場所をとる本が大量にたまりますよね?
エホバの証人を辞める時、みんなは本をどうしたの?
親や現役信者に渡した?
それとも忌々しいからと捨てたの?
昔聞いた噂(エホバの証人同士の噂)ではエホバの証人の本は資料的価値があり、例えば「洞察」というエホバの証人専用の百科事典などは10万の買取り値がついたため、それを売ろうとしていた゛奥さんが信者で反対してた旦那゛はビビってエホバの証人の教育の高さに感心して後に信者になったとかどうとか。
ちなみに一般の方に事情説明しますがエホバの証人の書籍って普通の印刷会社を通さずに全部自分達で印刷してます。勿論、生産者も信者。給料はありません。住み込みでやってるそうです。
ちなみに、確か二年ぐらい前に日本の印刷施設は日本だけじゃなくアフリカ圏やアジア圏の印刷も担当するようになるため設備強化のために何億か忘れたけど大型のドイツ製の最新印刷機を購入したはず。
まあそんなわけで普通の流通経路使わないからISBNとかついてないしAmazonなどでも売ってない。
そもそも信者の寄付で賄われていて本自体は無償でもらえる(もし良かったらあなたがふさわしいと思う額だけ寄付して下さいねと言われる)から本には値段が書かれてない。
著者は教団名だけで個人名はない。初版発行日や第何版だとか改訂日などの履歴もない。
そんな本ばかりなんだけどこんな本を古本屋さんは買い取ってくれるんでしょうか?
いい加減、この宗教を辞めようと思うのですが大量の(ユニークな)本の処分に地味に困ってます。
信者にあげるのも気持悪くて顔合わせたくないし(考え直せとか言うし辞める人間と接触を禁ずる教義だし)、捨てるにも地域住民に「現役の」エホバの証人と誤解されて眉を潜められるのが嫌です。業者に来てもらって捨ててもらうにもお金かかるし…
いいアイデアや古本屋さんの見解や経験談(他宗教の元信者さんでもOK)を教えてもらえると嬉しいです。
よろしくお願いします。
書くのめんどくせーと思ったけど、誰も書かないので。
今、ここにある「蟹工船」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-01-21/2008012110_01_0.html
2006年から2007年にかけて、『30分で読める…大学生のための マンガ蟹工船』(東銀座出版社)、『まんがで読破 蟹工船』(イースト・プレス)が相次いで出版されました。
いずれも売れ行きは上々。東銀座出版社によると、初版の5千部は1カ月ほどで完売。「若い読者を中心に」広く読まれ、現在3刷を数えています。
そう!売れているのは小林多喜二「蟹工船」じゃなくて、マンガ版なんだよ!!
もう1つ根拠(にもならんが)
http://blog.livedoor.jp/insectshima/archives/51638822.html
「マンガ蟹工船」も売れているというのでちょっとamazonを覗いてみたら、今現在のランキングで「本全体」の145位。なんと新潮文庫『蟹工船・党生活者』を今現在は抜いて、「小林多喜二」ランキングではトップである。新聞を別にすれば、ぼくがなにか書いている本の中で一番売れているのではなかろうか??
だそーです。すげーなマンガ版。
追記。すまん本家も売れているようだ。
http://www.j-cast.com/mono/2008/05/29020633.html
三省堂書店神保町本店では、「ワーキングプア」と関連させて2月から特設スタンドを設けた。これまで300冊近く売れたという。丸善丸の内本店でも4月から特設スタンドを設置。こちらも300冊近く売れた。
本当だ。消えないうちにグーグルキャッシュからサルベージしておこう。
パスカル『パンセ』
ライプニッツ『単子論』
ジェイムズ『宗教経験の諸相』
レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』
ブーバー『我と汝・対話』
ライル『心の概念』
デュルケム『自殺論』
キャンベル『千の顔をもつ英雄』
ポランニー『大転換』
オルテガ『大衆の反逆』
オング『声の文化と文字の文化』
ポパー『推測と反駁』
フロム『自由からの逃走』
デリダ『グラマトロジーについて』
ペンフィールド『脳と心の正体』
ソンタグ『反解釈』
フランシス・フクヤマ『歴史の終わり』
ラマチャンドラン『脳のなかの幽霊』
イーグルトン『文学とは何か』
ガダマー『真理と方法』
ダマシオ『生存する脳』
クワイン『ことばと対象』
マッキンタイア『美徳なき時代』
ツリー内主要エントリ
http://www.amazon.co.jp/dp/4047072346
4~6週間かかるって書いてあるけどな
何はともあれこれで転売屋はいなくなるわけですな
3千円も出して買っちゃった人、ご愁傷様(全く同情できないけど)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/computer/6306/1170048142/l25n
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/computer/6306/1181818900/l25n
1、実家寄生で貯まる
2、食生活が貧困で貯まる(カップめんとか)
5、全部複製品と共有で済ませてきたから貯まる
6、リアル女と付き合わない、かつ風俗行かない(聖コスプレ学園除く)から貯まる
という、オタク金回る幻想がありますが(なんとか総研のオタクによる市場の大きさを称える馬鹿データが元凶)、オタク系統の消費性はここ数年落ちてますよ。その市場にいる人なら実感してると思いますが。(自分とこが悪くなくても周りで潰れた会社とかたくさんあるでしょ?)
アニメDVDだってエロゲーだって減産している。漫画の初版も平均したら落ちている。
お客さんも、1から6で安心していた人たちが経済の悪化で失職してるから、使えるお金が減ってる。親もそう。
もちろん売れてるものは売れてるよ。見た目は商品数も減ってない。全体で見たときの市場ね。減売分を点数増で補ったり、コストを下げたりの見えない努力でなんとか持たせてる。それでも、実際のところ売り場面積も減少してる、アキバは原宿化し、路上は自称アイドルのパフォーマンスによりアイドル本人の個人写真集(音楽でいうCDの代わりにネットで販売されている)を売るためのショーケース化。
両親はこの事を良く知っていて、今までも何度もこの事で兄を叱っています。
兄は「売っていない、他人に貸しただけだ」と主張するのですが、数年経っても本は戻って来ませんし、
兄の部屋には明らかに彼の収入では買えないものが溢れています。
総額はもはや数年に渡り売られているので売られた冊数すら把握できず計算出来ません。
やめて欲しいという旨は再三に渡り伝えています。
お金を援助、というのは考えた事も無かったのですが、視野に入れた方が良いかも知れないです。
ただ他人に貸せる程の余裕は余り無いのですが……。
あと古本屋に持ち込む、という案ですが、これは余程の本好きでないと理解されにくいかもしれませんが、
そもそも本を売るという発想自体が私にはありません。
コレクションとして、本を集める事自体が趣味と化していると言っても良いかもしれないです。
(それでも兄に売られているので意味は無いですが)
ついでに初版で買ったその本自体に思い入れがあるのであって、それを自分で売ってしまう事は出来ません。
兄に売られた本も兄が買って返してくれたとしても、私が本と一緒に失ったものは取り戻せないと思っています。
さて、サブジェクトで大体の内容をお察しの方もいるだろうが、ひとまず最近の話題を、ある意図を持って並べてみる。
同社は今回、JASRACが24日に発表した「動画投稿(共有)サービスにおける利用許諾条件」について、仮許諾を得ることで同意。著作権保護の取り組みを加速させている。
創作者が二次創作をおおっぴらに認めないのは著作権とか法律とかその辺の整理や線引きがめちゃくちゃ面倒だからというのが大きくて、心情的にはむしろ二次創作を奨励したいか、少なくとも気にしないという人は結構いることと思います。
誰かがリーダーシップを発揮してまとめていった創作活動でもなければ*8、明確な目標があったわけでもないのに、これだけの創作活動が行われたことには純粋に感動できる。
(今回は素晴らしい作品ができたかどうかは問題にしない。製作者のモチベーションやアイディアの連鎖反応とも言うべき現象を目の当たりにできた喜びである。)
ただ人々が自分の作品にクリエイィブ・コモンズ・ライセンスをつけていても、何かしらのコミュニティがなければ、「オープンソース文化」は育たないのではないか、という意見です。
著作権は大変だな。
あれ、使われても栗コーダーさんには1円も入ってないです。使ってるのを発見して、こちらから申告すればお金くれるらしいですけど。
著作権はむずかしいな。
いよいよ動画サイトにも、○スラック直々の魔の手が迫ってきた昨今。
ニコニコ動画組曲だったり、らき☆すたのOP曲演奏のセッションだったり。
「先行者」などがもてはやされていた時代より、くっきりと「作品」としての体裁をもった共同作業が増えてきたように思う。
共同作業じゃなくても、YouTubeには個人で多くの才能を「無駄遣い」している人たち。
だが、悔しい哉、現在の法の下ではイリーガルと見なされかねない。そもそも法律の解釈は不透明。
なんらかの規制はいつか始まるし、Yahoo!と件の団体の動きは、その一歩になるかもしれない。
以前から、著作物にもナショナルトラストのような活動が必要だ、と思っていた。
既にCreative Commonsなんかはあるけど、何かが足りなかった。
グーテンベルクのおかげで人が手に入れたモノは大きかったけど。
その大きさを支えるために成長したシステムが、今、新しい創作の可能性を妨げている。
みんなの嗜好が多様化した現代で、CDや電波のテレビなど、単なる大量生産ではニーズを満たせない。
じゃあ、一つの権利を種に今までと同じだけの利益をあげるには、どうするか。
答えは、一つの権利を種に、より多くの商品を作ること。
もちろん、キャラクターのグッズは昔からあったし、今やメディアミックス戦略は当たり前。
じゃあ、商売人にとって次に目がいくのは、2次創作からもお金を取ることかもしれない。
ただし、大きな問題がある。
この段階では放送やCDなど、大量生産・大量配信のためのシステムはおいてけぼりになる。
これから必要とされるのは、オンデマンドで小規模な需要に応えられる、限りなく無駄が少ないシステム。
この変化に、取り残され始めている企業もある。
華原朋美やモーニング娘。が泣いているのも、その逃しかもしれない。
たぶん、権利を管理している組織は、抜け駆けをする。
たとえCDが1曲1枚しか売れなくなっても、そこから100の2次創作が生まれれば利潤を得られるように。
Yahoo!との提携、そんな事を考えながら画策していた人も、例の組織にはいるはず。
でも、多分失敗する。
2次創作を行う人数が増える分、作者の数が増えて、声が大きくなるから。
作者の声が大きくなれば、著作権団体は今までの方法で商売できない。
なにより、今ニコニコ動画で作品を発表している人たちは、観客と直接コミュニケーションを取っている。
オリコン一位のアーティストさえが、ブログで不満を漏らすようになる。
観客は自分達の支払いのうち何割が作者に渡っているかを知り、システムの不透明さと無駄の多さを知る。
作者と観客が、より多くの良質な作品が生まれ、お互いに幸せになる方法を考え始めたら、間にいる人たちの仕事は確実に変わる。
その時が早く来るように、ニコニコ動画には頑張ってほしい。
同時に、何ができるのか考えたい。
必要なのはコミュニティか、それとも力の後ろ盾か。
自然保護のために活動するナショナルトラストのように、著作権のためのコミュニティが、今なら作れるはず。