答え: 直接は言ってないが、『暴力装置』という用語は端的にウェーバーの考え方を表している。
[注] 以下に出てくるページはマックス・ウェーバー著, 脇圭平訳「職業としての政治」(岩波文庫, 初版, 1980年) を使用。
まず、「暴力」という言葉について。ウェーバーはまず、近代国家とは、一定の領域内で「暴力(=Gewallt)」の合法的な独占に成功した組織だ、というところから出発する。ここでの暴力というのは、例えば侵略してきた人間を殴り殺したり、銃で威嚇して追い返したりするようなイメージ。こういう暴力を「他の連中は使っちゃダメだけど、オレの暴力は正当だからOK」と実質的に主張できた組織が近代国家というわけ。この用語を「権力」と訳すのが適当だって言っている人を見かけるけど、こういう物理的な力が想定されていることを考えるとやっぱり「暴力」という用語が適当。
ここでもう分かるように、ウェーバーは「暴力」という言葉を使う時、その善悪や合法性/非合法性を棚上げにしている——で、それは非常に真っ当なこと。だって考えてごらんよ、A国がB国を侵略した時、A国は「B国が実効支配している領土は本来は我が国の領土なのだから、この侵攻は『正当な』武力行使」と言うだろうけど、B国の方は「これはA国の不当な侵略に対する『正当な』武力行使」だと言うだろう。ウェーバーの言葉で言えば、「高貴な究極の意図なら、彼らの攻撃する敵の方でも、主観的には完全な誠実さをもって、同じように主張している」(p85)ってわけ。結局、ある暴力が正当性かどうかなんてのは、それぞれの社会や国家の内部で決定されるものなんだから、デマゴギー的な効果を狙いたいのでない限り、そういう正当性の問題に立ち入るのはあんまり意味がない。そして、そういう客観的・価値中立的な視座に立つ限りで、自衛隊の行使する物理的な力も「暴力」と表現せざるを得ないわけ。
じゃあ、暴力『装置』って何なのって話だけど、確かにウェーバー自身は「暴力装置」という言葉を使ってない。けど、ウェーバーはある一定の目的のために組織された物的・人的リソースの集合体を好んで「装置」(ないし「機械」)という比喩を使って表す。例えば、指導者の勢力を保つために官僚化された政党組織を「機械(マシーン)」ないし「装置」と呼ぶし(p55)、革命を実現するための人的リソース(=軍隊とかスパイとか)も「装置」と呼んでいる(p98)。だから、自衛隊も、日本国が暴力を効率的に行使するために形成した集団である以上、立派な「暴力装置」ってわけ(同じ意味で、アメリカ海兵隊やらも「暴力装置」だし、人民解放軍も「暴力装置」)。その意味で、「自衛隊が暴力で、国家が暴力装置なんだ」って主張は控えめに言っても意味不明。
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で、まあ、ここまでの議論は「職業としての政治」をまともに読んだことのある人なら誰でも分かっているはずのことで、あるいはウェーバーを読んだことなくても(別に「社会人の必読書」というわけじゃないんだから、読んだことなくてもいいと思うよ)、このへんの記事とかを読みさえすれば誰でもすぐに理解できる話。それでも訳が分かってなくて、色々とわめいている人がいるようだけど、狭いネット界隈で知識人ぶって、お山の大将やってる人の実際の知的レベルが透けて見えておもしろいよね