はてなキーワード: 仙人とは
ランク20まで上げて,ここまでクソザコながらもプレイした上で立ち回り方とかをまとめてみる。
結論から言えば,「最終個人ポイント」も「キル数」も自軍の勝利にはあまり影響しないということ。多くの人がすでに述べているように,立ち回りが8割を占めるゲームである。TPSだと思っている人は多分それ勘違い。
まずこのゲーム,ランクは20で上限である。そうなると今までポイント稼ぎのためバカみたいに金ピカプロモデラーをヒャッハーと撒き散らしていた自分も,ポイント加算音がなくなったリザルトを見て,悟りを開いた仙人がごとく「いや,チームが勝たなきゃ意味ないじゃん」と察するようになる。ランク20に行くと,みんなそういう思想になるようデザインされている。この辺は上手いと思う。今まで「ポイント数」=「貢献度合い」と思っていた自分を改めることになる。
たとえばラスト30秒,自軍が不利な状況で一発逆転を狙おうと単機で敵軍に切り込むバカが見受けられる。自分のことである。
夢中でタイムアップまで塗りまくって,良い仕事したかなーと最終リザルトをゲムパで見て愕然とする。後ろをローラーに塗り直されている。自分のことである。
この結果,個人ポイントランキングはトップである。しかしチームは負ける。チームワークを無視した最もサムい結果といえる。
アロワナモールで敵軍深く突っ込んでいってあとで落ち着いて見てみると,自軍が敵色まみれになっているとか目も当てられない。これも自分のことである。
このような失敗を踏まえ,現在出現中のステージに共通して言える戦略を考えてみる。
まず中盤までにやることが2つあると考える。
1つは中央エリアの確保。いけそうだからといってそれ以上敵陣に突っ込む必要はない。どうせ塗り替えされるし。とにかく自軍への敵の侵入を防ぐ。敵進入ルートが複数ある場合,パッドをよく見て敵色の動きを確認する。敵ジャンプビーコンは絶対壊す。
もう1つは味方の行動の特徴押さえ。復活後マーキングも消さず最前線へ即スーパージャンプしまくりの死に急ぎ野郎なのか,特定エリアで巡回する役なのか。その辺を把握する。このゲームで1つのエリアに味方が3人以上固まっているのは異常事態。それを何とも思わないような味方なら厳しい。自分が遊撃隊を買って出るしかないだろう。
慣れてそうな人がいるなら任せても良いと思う。慣れ具合はその人のスプリンクラーの置き方やジャンプビーコンの配置,敵の回り込み方で何となく分かる気がする。
自軍が好戦的な連中ばっかだと前述の自軍崩壊が起きやすくなるから,自分は守りに徹する。特にBバスパークは高確率で崩壊する。あそこの最終リザルトが斑模様になってしまったら,チームワークが上手くいってなかった証拠だろう。中央高台とっても真の高台(ゲムパの情報)をとらないと負ける。自軍が控えめなタイプの人が多ければ,なるべく攻める。ただ敵を見たらいったん自分は撃つのをやめる。自分の位置を知らせているようなものだからだ。しばらくイカ潜伏し,塗り戻しながら後ろをついて行く(なぜかほとんど気づかれない)。そして無理に闘わず背後からステルスでやる。正面からの打ち合いはエイム能力で決まってしまう。そうなればクソザコの自分には勝ち目がない。イカにたくさん撃つかじゃなくて,イカに撃つのをやめるかが重要。
あとは終盤。終盤は敵味方とも焦りが生じる。とくにラスト20秒くらいはみんなとにかく敵をキルなんかせずにひたすら塗りまくってる気がする。しかし冷静に考えると,残り時間20秒以下でキルされると,事実上それ以上塗ることはほとんどできない。キルに関して言えば,実はあの時間が最も有効なのだ。リザルトのトータルキル数なんぞ勝敗にほとんど関係ない。殺るなら終了直前だ。
ただ逆に言えばあの時間にキルされるのは最も避けなければならないこと。あのタイミングで誰も中央に居ない瞬間があれば敗北必至。正面撃ち合いだけは避けたい。
その結果個人成績では3位くらいでもチームの勝利に貢献できる。キル数被キル数ともに少ないから地味だけど,満足感は大きい。僕がこのゲームを本当の意味で楽しいと思い始めたのはこの「縁の下の力持ち的貢献」に気づいたあたりからだ。
崩壊を防いで手堅く攻め,そこそこの差で勝つこと。そのためにはゲームパッドをちゃんと見て塗り替えされているところ(敵が居るところに)早く気づき,崩壊を未然に防ぐこと。それに徹すれば負けにくい展開に持って行けるだろう。
現実社会で会話の中で質問されても無視をされたら気分を悪くするだろう。
無視したら人間関係を悪くするのは誰もが集団社会で自然と学んできたことだ。
彼は仙人でも仏様でもない。
江添亮は無償で人を大切にしているだけに過ぎないのだ。
真面目に回答しすぎて重くなるような回答をしない。
悪口を書いても悪口で言い返してこない。
これは並大抵の心ではできないことだ。
ask.fmでいろんな人に質問すると、ごく稀に「この質問はBOTだから回答しないのじゃ」と、一方的にBOT認定ツイートをして敵を作る回答者に遭遇する。
もううんざりだ。
彼がデカイのはtnkだけではない。
江添亮とは器が大きい男なのだ。
☆を付けろとか575で質問しろとか強制している回答者もいるが、そんな王様ルールを振りかざす奴らの相手をしたいだろうか。
人の顔色を伺って回答しない。
見栄を張らない。
自分の色を出せない男が良い男になれるはずがない。
非正規社員に、すげー優秀な人がいる。
オンラインゲームにハマって国家試験に落ち、今に至ってるらしい。
頭がいいし、勘もいい。
手先も器用だし、どんな状況でも臆することもない。
話も上手い。
今度正社員登用試験を受けさせられるようだが、就職活動さえもしたことがないという。
国家試験に落ちても、浪人するわけでも、就職活動するわけでもなかったそうだ。
あれか、もともとそういう学部に行く人だと、命とか人助けとかに興味があって、お金儲けに興味は薄いんだろうか。
お金にも女にも執着はなさそうで、かといって課金廃人でもない。
小奇麗でひょうひょうとしていて、定時に帰ってゲーム三昧らしい。
課金といっても、月額定額なので、かかる費用は2000円少々だという。
なんていうか、超もったいない。
主人公の孫悟空が天才少女ブルマと出会い、祖父の形見であったドラゴンボールの残りを探すところから始まる冒険潭である。
今回はタイトルの通りに意趣を少し外してOP歌詞に目を向けてみようと思った次第である。聞いてもらえると嬉しい。
ドラゴンボールOPは全部で4つだ。無印、Z前編、Z後編、GTとある。
> 胸わくわくの愛が GISSIRI
そう、ドラゴンボールは冒険潭なのだ!妖怪変化、仙人などワクワクする様な冒険にあふれていた。
続いて、Z前半の歌詞だ。
大人になった悟空が主人公となる作品であり、息子の悟飯も登場することになる。
戦いに明け暮れ、子づくりまでする有様である。
胸がパチパチして、タマが騒ぐとは全くもって嘆かわしい。
嘆かわしいなどという状況を超えてしまった。
いっぱいのおっぱいに元気になるなどなんとうらや、いや、情けない。
この頃の悟空はまさに恐妻チチの監視から離れ、あの世で好き放題だったわけである。
これにはお察しとしか言えまい。
胸でもおっぱいでもないが、心はやはり胸部にあるという説を押したい(適当)
どうやら賢者モードになったのか、と思ったが、この頃の悟空はピラフ一味によって少年時代に戻された状態である。
どうやって悟空が生き返ったのか覚えていないが、チチの恐妻っぷりに怯え竦みながらただ強さを追い求めたのであろう。
非常に純粋な状態に戻ったと言えるのではないだろうか?
ウダウダとしてしまった。
◯
朝食はハムと卵を焼いて食べた。
卵焼きとご飯って満足感が高いよね。
好き。
◯
その後、散歩へ出かけた。
今日は30分くらいだ。
◯
それにしても、最近なんだか胸が苦しい。
精神的なものと思われるので、そういう時は呼吸に意識を向けてみる。
そうすると、呼吸自体が苦しいことに気づくことが多い。
そのまま呼吸に意識を向け続けると、だいたい5分もあれば呼吸が落ち着いてくる。
◯
しかしそれでもブロックが残っているなと感じるときは、いつも「軟酥の法」を使う。
この「軟酥の法」、その昔臨済宗の白隠禅師が修行のし過ぎで神経症にかかってしまったときに、仙人を訪ねて教えてもらったという秘技である。
(僕が知っている時点で秘技ではないかもしれないけど、秘技って言いたい。)
これは簡単にいえば、額に乗せたバターが溶けて頭から足へと浸透していくイメージをするという技。
僕も精神的にまいった時には、このイメージ療法に何度と無く助けられている。
身体の中で強張っている箇所がユルユルと解れていき、気持ちも同時に緩んでいく。
普段は座っている時や寝ている時にしていたものだが、朝の散歩の時にするのもアリだなと思った。
◯
そして昨日と同じく、歩きながら今日はどんなテーマで生きてみようかなーと探してみたが、特に見つからなかった。
◯
テーブルの上に団子があったので、お茶を入れて飲んで食べた。
美味しいなぁ、みたらし団子。
杏仁豆腐くらい好き。
◯
そしてコーヒーを飲みながら、幾つかの雑事を行った。
これまでは洋書に集中するために洋書を読むデバイスと和書を読むデバイスを分けていたが、これでひとつのデバイスで読めるようになった。
便利になったが洋書は読まなくなるかもしれない。
◯
あと評価の高い「知的複眼思考法」というKindle本も買った。
◯
その後は、犬の散歩へ行った。
家族が甘やかすせいでグイグイと引っ張る癖があるので、調教しながら散歩した。
最後はストレスが溜まりすぎたためか大いに暴れだしたので僕も暴れた。
◯
夕食の後は、近くのサンマルクカフェへと行った。
加入しているWi-Fiサービスでインターネットが利用できるからだ。
作業に没頭できたのは良かったが、夜にコーヒーは良くないかなーと思ったので明日の午後にもう一回来てみよう。
◯
そう言えば「思い出のマーニー」ってもう公開されてたんだなぁ。
誰でも失敗するし、
誰だって未熟だし、
誰だって魔が指す時はあるし、
誰だって悪い事する時あるし、
反省や今後に活かすためにちゃんと分析しフィードバックするのはいいけど、
失敗したことない人なんている?
未熟で間違っちゃったことない人なんている?
人には言ってなくてたまたま運が良くてバレてないから大事になってないだけで、
魔が差して悪いことやズルしちゃったりしたことない人なんている?
本当にあなたは人のことをとやかく言ったり潰してしまえるほど品行方正清廉潔白で仙人のようなご立派な人なの?
そんな人この世にいるの?
いないでしょ?
人間だもの当たり前だよ。
自分のことは棚において、
それ以上の愚行だ。
人間は誰でも弱いし失敗するし愚かだし
人の仕事に文句を付けて自分のやっていることを正当化する人を見るとどっと疲れる。
そういう文句も役に立たないわけではないのだけど、かといって発信する人間が偉大というわけではまったくない訳で、そこを勘違いしているような気がする。
言っている本人は正直対したことしてない、というかその取り巻きは調子に乗ってて仕事の邪魔です。
ほっといて自分のことをするににしても距離が近いので困ってます。とりあえずよい行き先も見つかったので職場を変える準備をしています。
地位も名声も過ぎたる収入も要らないので、他人の文句を言わないと己を保てないかわいそうな人たちを始めとした、
しょうもない人たちに関わりなく生きていきたいと切に願ってますが土台無理なことなのかなと思ってます。
権力を得るしかないのか。それとも俗世を捨て仙人となるしかないのか。できれば前進勝利したいものです。
あの種の人たちは結局弱いのだなという結論ですが、そういう見下したような見方になってしまう自分も同じ穴のムジナだなあとも思う。私も弱い。
このくだらない悪循環から早く出て、もっと人生楽しくなるよう頑張ろう(今もまあまあ楽しめているので幸いなことだとつくづく思う)。万が一同じ境遇の人がいたら独りではないということで共に前に進み続けましょう。20年後はこんなくだらないことを下の人たちに悩ませないようにしたいものだと思うけど、そうもいかんのだろうな。覚えとくだけ覚えてこうと思う
「仙人みたいな顔した賢人たちが各地から集まって一堂に会し、口角泡を飛ばして真理を探究する場」
学会誌なんて単なる「業界誌」だし、しかもアカデミアの世界なんてビジネスの世界よりもずっと緩い。
特に、論文誌でない「会誌」なんて、息抜きに読むための雑誌という要素も強いからね。
似て非なる例だが、たぶん一番わかってもらえそうな例を言うとJAF MATEだ。あんなんより「公共性」ずっと緩いから。
で、JAF MATEが車を描いたアニメ絵を表紙にすることがあったとして、それが突飛な話かってことになる。ならんわな。
それからどこに載ろうが、いやしくも絵描きさんに描いてもらったものは「絵」ですから。「表現」ですから。
周知の通り、この世の中に無数にある争いごとの原因は、全て了見の狭さにあると言っても過言ではない。これを認知の歪みという言葉で表す人もいるが同じことだ。
しかし、別に了見広げる必要ないじゃーんっていうのも真に正しい。例えば、ボカロ音楽大嫌いな人がわざわざ了見を広げて好きになる必要あるかって言うと微妙なところではある。
了見広げたほうが物事を受け入れやすくなってストレスが減って世界が広がる代わりに、なんでもありになって本来の自分がやってきたこと(ここでは音楽性)を見失う面もあるんだよな。
もちろん別に見失ってもいいんだよ?過去の自分を捨てるのもまた人生だけど、見失うことには変わりないわけで、そのデメリットを吟味する必要があります。
したがって、全ての人間が寛容になれば世界が平和になるか、全ての人の内面が安らかになるかっていうと極めて微妙な話なわけ。人はあえて寛容を選ばず粘着的な拘りを持つことで社会における自己を確立している。
もっとも、人間というのは決して1つだけの顔に固執しているわけではなく、社会化の過程で複数の顔を持っていくものだ。
父親としての顔、夫としての顔、係長としての顔、上司としての顔、部下としての顔、スポーツマンとしての顔、二次元オタクとしての顔、ネットで口だけ番長ブログを書き殴っているときのどや顔。
そうした色んな顔を統合して裏表ない人格を築くのが人間的完成だという1つの大きな思想の系譜もあるが、それは理想的過ぎる話で大いに疑問の残るところだ。
社会に生きる限り顔の切り替えは不可欠であって、それは理想化された統合的人格とは相容れないものなのではないか?相容れるとしたらそれはどういう形なのか?そこがはっきりしない。
であるから、どんなエラソーなこと言ったって所詮はみーんな複数の顔をせせこましく切り替えて生きていかないといけないと思うのだ。
だったら、複数の顔を持っても社会との兼ね合いで、あるいは自分の中で対立が起きないように了見の広さを身に付けておくのも大切と言える。
何もなんでもありなくらい高い視点を持たなくても、適度にストレスが軽減される程度に視野を広げておくのも1つの戦略ではある。
何も仙人のような超越的視点は要求されていない。狭い自己にこだわってそれに立脚した世界モデルを作っているのが問題だからそれをやめなさいと言っているだけ。
井の中の蛙が作った世界モデルは、結局井の中の物事すら自分の中でうまく整理できなくてストレスが多大に発生して、そのせいで余計に井の中に引き籠もってしまうという悪循環をもたらす。
だから適度に視野を広げておくってことが大事なのだが、それが我々日本人には非常に難しいようである。
視野が狭いことを自認する人がいたところで、それが何故駄目なのかを本質的に理解しない限り改善しようとは思わないだろう。
例えば、視野が狭いと色んな人と仲良く出来ないから駄目、視野が狭いと知識が狭くなるから駄目、といったことは些末なことであって、その程度の理解だと視野が狭い自分でもいいやって受け入れてしまうであろう。
一言で言えば、認知モデルが現実と乖離しているから駄目なのである。視野が狭い人の認知形成というのは、自分の身近なことの大半を切り捨てて、本当に自分が興味あるものだけを選んで認知モデルを作る。認知の歪みという。
だから、そのモデルでは身近なことすらモデルに合致しないことが多々出てきて、そのモデル上では存在してはいけないはずの出来事が毎日がエブリデイのように発生してしまうのだ。
認知モデルにそぐわない出来事は、当然本人は素直に認めたがらず、逃げようとする、否定しようとする、過剰に肯定しようとするのどれかの行動にでるわけ。
どんなモデルを選択しようがそれに合致しない出来事には遭遇するものだが、狭い認知モデルだとそういうことが頻繁に起きてしまうのでストレス過多になって、ますます狭い自分に引き籠もる。
狭い認知モデルだから受け入れられない事だらけで人生辛いってのは、まあ誰にでも理解できる簡単な話ではあるが、もうちょっと詳しく、
・身近な物事のうち都合の良い部分だけ切り取ってモデルを作るから現実と激しく乖離すること
・認知が現実と激しく乖離しているから、沢山の物事に対する逃避、否定、過剰肯定を現実の自分が実際に行っていること
・しかも、そんな歪んだ認知を我が子のように必死に守っていること
を理解してきちんと自覚しない限り、直すのは難しいだろうな。けだし、問題の原因は問題に対する理解不足にあることが多い。
月曜の朝からこんな話で申し訳ないんですけど。
まぁみんな大好きセックスの話なんですけどね。
僕も例には漏れずセックスが好きで、まぁ割と貞操観念的な概念は
ぶっ壊れてると思うんで、何の抵抗もなく色んな人とセックスできる訳です。
僕がセックスを好きな理由としては、性欲由来の部分もあるんですけど、
濃密なコミュニケーションとして、好きっていう理由が大きいです。
セックスとか、キスの仕方で本当に人間性がでるじゃないですか。
その人を深く理解できるような気がして、濃密な時間を共有できるような気がして、
女性の初めてのセックスっていうものは、それはそれは大切なものでしょうから、
痛かったり、気持ち良くなかったりするっていうこともあるらしいじゃないですか。
まぁ本心を言えば、面倒臭いってい最低な気持ちもありますけど。
とにかく、僕の価値観で言うと、処女の方セックスをするよりは、
で、ここからが本題なんですけど。
処女の方って意外と多いじゃないですか。可愛い人でも、可愛くない人でも。
で、そーゆー人達って、すごく勿体無いと思うんです。
セックスの喜びって、万人に平等に与えられるべきだと思うんです。
他人との関わりの中で自分を知って、それで生涯のパートナーを見つければいいと思うんです。
で、処女のままで年齢を重ねてしまうと、どんどん厳しくなるじゃないですか。
いやまぁ15歳黒髪清純美少女が処女って、それはそれでいいですよ。
でも、20歳を越え、30代になり、40を意識しだすとけっこー厳しいじゃないですか。
年齢を重ねても処女ってことはどちらかと言うとモテない方の女性じゃないですか。
いわゆる喪女さんじゃないですか。違う人も居るんでしょうけど。
ある程度の大人の付き合いになると、ベッドの上でのなんやかんやも、
立派なその人を構成する要素一つの要素じゃないですか。
そこで全くの初心者ですっていうよりは、
少しばかしの経験は、あった方がいいじゃないですか。
でも処女崇拝してるヤツなんて、自分に自信のない童貞野郎ばっかりですからね。
と、まぁ偏見はこの辺で。
とにかく、女性もある程度の年齢を重ねるなら、
ある程度の性経験を積んでる方がいいですよって話です。
でもね、そんなのはすごくモテる一部の人にだけ許される贅沢なんだよ。
どちらかと言うとモテてる人達ですら、基本的には叶わなかったことなんだよ。
初めてのセックスが悪い思い出でも、その後のセックスがずっと悪いものなんてことないですから。
貴女の周りでヒドい初体験をした人が、みんな今でも哀しいセックスをしてる訳でもないでしょう?
初めてのセックスで、その人のこれからのセックスが決まってしまうなんて、
そんな残酷な話はないでしょう。そんな話は絶対に認めたくない。
何かで聞いた話なんですけど、確かに少女マンガだっけな。
女の子にとって大事なのは初めての人じゃなくて、最後の人らしいです。
それってすごく素敵な話じゃないですか。失敗しても何度でもやり直せるじゃないですか。
そんな風であって欲しいと、僕は信じているんです。
その上でですね、女の子ってだいたい相手を選ばなければセックスできるじゃないですか。
だいたいの男の子は相手を選ばなければできるって訳でもないですからね。
余談だけど、女の子はセックスは気軽にできるけどイチャイチャは気軽にできないから、
きっとそれが貴女の為になる。年を取るとどんどんどん詰まりになる。
ちゃんと好きな人と付き合って、そーゆーことはしたい?
はぁ?甘えんな。
今までろくにそーゆーことができなかったから今のお前が居るんだろ。
社会に出たら結果を出してないってことは努力してないってことだ、覚えとけ。
今までサボってたツケが回ってきたんだよ。そこは我慢しなさい。
王子様を待つのも悪いことじゃない。でも王子様はお姫様のところに迎えに来るんだよ。
鏡見てみ?あんたお姫様じゃないっしょ?だから王子様は来ない。わかる?
とにかく、処女を拗らせてる方がなるべく早くセックスを楽しめる日が来る事を願ってます。
あくまで慎み深く。性に関してはあくまで秘め事ですから。
主にTwitterやFacebookなど、SNSにおける炎上などのインシデントが後を絶たない原因については、いろいろ考察がなされているところだし、まあどれが正しいとも正しくないとも証明することは難しいと思うので、どれも「一理ある」程度で受け止めているところです。
でも、最大の原因はおそらく「SNSユーザーの絶対数が増加したこと」なのでしょうね。
元々人間は、SNSなどがなくてもリアルの人間関係を築いてきたわけですが、SNSはその上にソーシャルの人間関係をかぶせてきただけ、言い換えれば、リアルとソーシャルという2つのレイヤーの人間関係がある、というイメージでとらえています。実際は交わりがあるわけですが、まああくまでイメージということで。
個人の視点で見れば、リアルのみの人間関係よりも、SNSを使うようになると人間関係が「広がる」イメージになるわけですが、例えば日本人全体で見ると、SNSがあろうがなかろうが分母は変わらないわけで、レイヤーが2つになって変化するのは「広がり」ではなく「濃密さ」ではないかと考えるわけです。
何かで読んだのですけど、「知り合いの知り合い」という言い回しが界隈で聞こえたりするわけですが、「知り合いの知り合いの知り合いの知り合い」とたどっていくと、ほぼ全ての日本人は4人目で明石家さんまさんに到達できる、という説があるそうですね。一瞬「そんなことないだろう」と思ってしまうのですが、よく考えてみると4人目だとかなり楽々到達してしまうように思います。非常に雑な計算ですが、知り合いが平均100人しかいないと考えても、4人目になるとのべ1億人になるわけです。知り合いが100人いないって、よほどの子どもか仙人でもない限りいないと思うわけです。
例えば私自身で考えると、どうやら私は3人目で明石家さんまさんに到達できるようです。つまり、私をハブにして、私の知り合いは全て4人目で明石家さんまさんに到達できることになりますね。
「知り合い」も人間関係には違いないですから、これはいかに個人の人間関係というものが無意識に広がっているものなのかということを逆説的に考えた面白い説ではないかと思います。
ソーシャルで人間関係が濃密になるということは、明石家さんまさんに到達できる平均人数が4人目から3人目に近づいていくことなのかもしれません。
伝言ゲームも、4人ぐらいならあっという間に到達してしまいます。SNSの発言の広がり方がイメージできない人たちが、インシデントを引き起こしているのであろうことは言うまでもありませんよね。
集中力にはいろんな意味や側面があると思うんですが、ここで取り上げる集中力は「今取り掛かっていること以外のことをしたいと思う気持ちや行動を我慢する、抑制する力」とします
では、どうすればいいのか
そこで俺が提案するのが、タモリ療法です
精神療法には「森田療法」ってのがあります。有名ですけど、適当に説明します。
欝などで何も行動する気力が無い場合に、ひたすら何もさせないで寝かせておく。そうすると何かしたいという気持ちが湧いてくる。それでも何もさせないでおく。行動する意欲が強くなる。これが第一段階。次の段階では、とにかく行動する。行動しているうちにやる気が出てきて社会復帰というわけです
つまり、憂鬱な考えに「集中」して何もしたくないという段階から、「いろんなことをしたい」状態に持って行くのが、森田療法です
この逆を行こうというのが、タモリ療法です
集中できないのは「いろんなことをしたい」からですので、コレに対するやる気を潰して行き、目の前のことに「集中」させるクズ向けハックがあります
その方法は、「いろんなことを我慢する」です。イラッとしました? でも、もうちょっと納得できる形で説明します
我慢する=エクササイズととらえましょう
エクササイズにも難易度が高い項目と難易度が低い項目があります
難易度の大きな項目にいきなりチャレンジするからみんな挫折するんです
・コップの注いだコーヒーに口をつけそうになった時、一回だけ我慢する
・目や頭がかゆくなってもしばらくかかない
・お腹が減って何か食べたくなっても、5分だけ我慢する
・ネットサーフィンしたくなったら一回我慢する
・それでもネットサーフィンしたくなったら時間を設定する(漠然とサーフィンしない)
・扇風機やクーラーをいつもより弱くしてみる(一時間だけでもよし)
・汗を吹きたくなってもふかない
・蝿が停まっても動じない
このくらいなら難しくなさそうですよね。しかも一日にこなせる回数が多いので、そのたびに忍耐力が少しずつ鍛えられるというわけです。この制限回数や時間を徐々に増やしていけば良いのです
こうやって考えると、日常は修行の連続です。いつ何時でも修行は可能です
くりかえすうちに仙人レベルの忍耐力と集中力がつけられるはずです
がんばりましょう
ちなみに、何かに取り掛かるときは漠然と「集中するぞ」と思うよりも、「~と~を我慢するぞ」と、我慢する項目をイメージしたほうが効果的です
27歳男。
違う趣味を持てばいいとかそういう問題じゃなくて、ゲームをまた楽しめるようになりたいんだけどモチベーションが上がらなくて歯がゆい。
また時間を忘れて熱中できるようなゲーム本来の面白さを思い出させてくれるソフトはないですか?という話。
ゲームをなかなか買ってもらえない家庭で育って、友達の家に常に最新機種があるのが羨ましくて仕方なかった。
保育園から小学生低学年のときは、いとこの家でちょこっとやらせてもらうゲームボーイやスーファミのファイナルファイトが楽しかった。
小学生中学年になってめったにしないおねだりをしてスーファミを買ってもらって、土日各1時間だけという制限の中でやってた。
でも共働きの家庭だったから、留守家庭卒業後は小学校からダッシュで帰って親が帰ってくるまでゲームやったりしてた。
最初に買ってもらったスーパードンキーコング2は、最後らへんが難しくて進められなくなったから、友達から借りたFFをやってた。
FF6は、全員レベル99にしてからラストダンジョンに行こうと思って数人レベル上げが終わったところで、自慢するために友達の家に持っていくときに落としてデータが消えたから挫折した。
FF5は、攻略本を見ながらプレイしたらラストダンジョンの敵が強すぎてラストダンジョン直前で挫折した。
ミスティックアークは難しくて挫折した。これは大学生のときにリベンジした。
小学4年生のときに、発売から時間がたって値下がりしてたクロノトリガーを980円で買って面白さを吹聴して回って、自分のクラスでリバイバルブームを起こさせたりした。ラスボスは3体いるうちの真ん中が本体じゃないということになかなか気づかずに苦労した。
友達の家でやらせてもらったプレステのチョロQが楽しかった。その友達の家にネオジオがあったんだけど、クソ長いロード時間しか覚えてない。
小学6年生のときにプレステを買ってもらって、アークザラッド1をやってCGの綺麗さを興奮して親に報告した。
朝3時に起きて、隣の部屋で親が寝てる中こっそりゼノギアスをやった。話はよくわからなかったけどゲームとして面白かった。
中学生になってFF7インターナショナルを買ってもらった。エアリスが死ぬことは知っていたから最初から育てなかった。ショックも受けなかった。海チョコボはチョコボ仙人のヒントだけをもとに独力で配合して作った。達成感があった。運動部だったから、引退後の夏休みはずっとやってた。
友達の家でプレステ2の三國無双をやらせてもらって感動した。人数多かったからなかなか自分の順番が回ってこなくて歯がゆい思いをした。
お小遣いをためてFF8を買った。等身が上がった人間が普通のフィールドで動いている、動かせることに感動した。お子様だったからかFF7ほどは面白くないように感じた。
高校2年生のときにプレステ2を買ってもらった。でも運動部に入っていたのと受験モードにすぐ入ったからなかなかやれなかった。
大学生になってプレステ2のソフトを買いまくってやりまくった。
値下がりもしてるしプレステ2とかプレステの名作を買い漁るのが趣味になってた。
この頃からプレイするよりも買うことが目的になってきた。積みゲーがどんどん増えていった。
でもアナザーセンチュリーズエピソードの2と3、シャドウハーツは1と2まで、最後までやったな。シャドウハーツフロム~はなんかイマイチでラスダン前で挫折。
就職したら一人暮らししてプレステ3とか買いまくってやりまくるとか息巻いてた。
でもいざ就職して自分の自由に使えるお金と時間が増えたときにはもうゲームへの興味が薄れてしまっていた。
就職した後にはじめて買ったDSとPSPはほとんどやらずにほこりをかぶってる。
自由にできる環境になったときにはもうモチベーションがなくなっているってすごく不幸だ。
なんとなく面白そうだな、やってみたいなというゲームはいろいろある。
金銭的にも買えないことはない。
でもいざ手を出すまでのモチベーションがわかない。
仮に買ったとしても実際やり始めるとプレイが面倒になるのが想像できると考えてしまうから。
そうなんだよ。
ゲームをすることがめんどくさくなったんだ。
やりたくないわけではないけど、めんどくさい。
据え置き機だから設置がめんどいとかじゃなくて携帯機でもしかり。
RPGが好きだったんだけど、今RPGをやると、製作者の手のひらで転がされてるだけに思えてつまらない。
クエストとかフリーシナリオとかそういう問題じゃなくて、RPGというシステム自体の問題だと思う。
アクションゲーも、ひと通り動かしたらもう満足してしまって、ボスを倒してストーリー進めるとかをやらなくてもいいやーとか思ってしまう。
ギャルゲーもボタンポチポチでシナリオ読むのがかったるい。エロゲーも同じ理由でやらなくなった。
ゲームを楽しみたい気持ちはあるのに、身体(頭、精神状態?)がついていかない。
年齢問わずに楽しめるはずのゲームでは、身体じゃなくて心がついていかなくなる場合があるという。
楽しみたいのに、めんどくさい。
どうしようもなく歯がゆい。
友達と一緒にやる桃鉄を久しぶりにやったりしたけど、負けたら負けたでそこまで悔しくない。
ピコピコ少年とかハイスコアガールとか読むと、著者のゲーム経験が羨ましくなる。
あーでも自分はまだ割りと買ってもらってたほうなのかな。。。
休日をひきこもってテレビも見ずにダラダラゴロゴロしてるだけの生活よりはハリが出るんじゃなかろうかと思ってるんだけど。
めんどくささを超えて熱中できるようなゲームをすること自体の楽しさをまた思い出させてくれるゲームはないですか?
それとも、これまでの文章をすべて台無しにするようでなんだけど、もともとそこまで自分はゲームが好きじゃなかったってことなんだろうか。