はてなキーワード: 人間失格とは
吾輩は猫ですか?
恥の多い生涯を送って来ましたか?
長い歳月が流れて銃殺隊の前に立つはめになったとき、恐らくアウレリャノ・ブエンディア大佐は、父のお供をして初めて氷というものを見た、あの遠い日の午後を思い出しましたか?
ロリータ?
(ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』)
本を書く人なら誰でも、読者が自分の本から得た知識をどんな場面で活用するのか、頭の中に思い描いていますか?
(ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』)
われわれの誰もが知っているように、人類社会の歴史は世界のさまざまな場所でそれぞれに異なった発展をとげてきましたか?
(ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』)
国語教師の平塚静は額に青筋を立てながら、俺の作文を大声で読み上げましたか?
葉、茎あるいは根の中に貯水組織が発達して多肉化した植物を総称して多肉植物と呼びますが、園芸界では、同様の特性をもちながらサボテン科に属する約5,000種(含園芸品種)の植物を「サボテン」と呼び、サボテン以外の種類を「多肉植物」と呼んで明確に区別していますか?
【追記】
…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………って何ですか?
ダンボールの空き箱は、縦、横、それぞれ1メートル、高さ、1メートル30前後のものであれば、どんなものでも構いませんか?
ある灰色にくもった日のことですか?
本書を手にとってくださり、ありがとうございます。メンタリストDaiGoですか?
(メンタリストDaiGo『人を操る禁断の文章術』)
でも結婚式という因習の概念がこの世から消えてなくなってほしい。
1.ダルい
式場の下見とかプラン選びとか招待状とか云々
やってる暇ある?貴重な休日潰すなよ。
スマ婚とかいって楽にできるよ~みたいなプランもあるけどそれすらダルい。
歩いたってケーキ切ったって盛り上がらねーだろなにが楽しいんだよクソ茶番
3.家庭環境が複雑な人どうしてんの
入念な準備のもと盛大に結婚式を挙げたカップルの3組に1組は離婚。
どっちかが片親で…て場合とか気まずくなんないの?
うちの例を挙げると、親族や親同士の仲はめちゃくちゃでとても一堂に介せないけど
子としてはどちらにも良くしてもらったので親の再婚相手も呼びたいし実親も呼びたい。
どちらかを呼ばない式なんかやりたくない。
4.金が無い
これが最強の理由。
やるとしてもちょっとショボかったね~wくらいの結婚式しかできないだろう
そうやってチマチマ貯めた小金
普通に愛する伴侶との新生活に使いたいって皆さん思わないのでしょうか?
恋人はいつも式どうしよっか~みたいな話ししてくる。歴代の相手いっつもそう。
人の結婚式にだって正直知り合い程度なら金払いたくないし休み潰したくない。
親も親戚も会社の上司も友達も誰も彼も当然結婚したら結婚式をやると確信している
というか結婚式をやらないと貧乏人不幸可哀想サイコパス人間失格みたいな扱いしてくる
各方面それぞれ食事会やお礼送ったりなんかどうかなと提案してみてもハァ?みたいな反応
自分はマジで社会不適合者としてこのまま結婚せず死んだほうがいいのではないかとすら思えてくるよ
本当にこんな悪しき風習は滅んでくださいと祈る日々です。
自ら率先して汚れ役になり、そうしておどけることで人を笑わせるのが好きだった。
今思えば、人間失格でいうところの主人公・葉蔵の幼少期から闇を抜いたような生活だった。
周りからもいじられキャラとして扱われていたし、それは俺としても嫌なことではなかった。
ある日の夜、交通事故に遭った。
車に撥ねられ救急車で搬送されたが、幸いなことに全治1ヶ月程度の足の指の骨折で済んだ。
事故に遭った次の日は検査や施術等で学校に行けなかったが、事故から2日後には早速登校できるようになった。
学校に復帰した初日、松葉杖を突いて登校してきた俺に、半笑いのクラスメイトたちはこんなふうに話しかけてきた。
「増田死んだと思ってたw」
「担任の○○先生も昨日の朝のホームルームで『増田死んだらしいぞ』って笑いながら言ってたよw」
「どうせ増田だし、他のクラスの人とも『増田死んだらしいぞ』って噂してたんだけどw」
「なんで死んでねえんだよwそこは死んどけよw」
そんな感情を押し殺しながら、みんなと同じような半笑いで同調した。
周りが俺のことを心配したり肯定したりしてくれないのであれば、俺が俺のことを気にかけたって虚しいだけじゃないか。
勉強も部活も取り組んではいたが、高い目標は設定せず現状維持が出来る程度に手を抜くようになっていた。高い目標があったら笑われそうだから。
数年ぶりに高校の同級生たちと会った時、俺の交通事故の話題になった。
「あの時は増田死んだと思ったんだけどなあw」
「やめたれwまあ、あん時は俺らも正直言いすぎたかと思うよw」
子供が小さい間なんて、アウトドアは無理、映画も無理、本は齧られる、外食したら泣き喚く、目を離すと生死に関わる悪戯をする(コンセントに物を突っ込むとか)、飯は撒き散らす、抱っこは重いがベビーカーも重い等々で、夫婦で協力してもマジで地獄だからな。シングルマザーで独りきりで育てるなんて、勲章でもやってほしいくらいすごいことなんだよ。
虐待はもちろん悪だが、育児がキツくておかしくなるのは分かるし同情もするわ。育児のしんどさって、やってみないと分からない部分も多いし、シングルマザーになろうとしてなったわけでもないだろうし。
シングルマザーが新しい男を作ったことが問題なわけじゃなくて、きちんと育てられないのに子供を手放さなかったことが問題だと思う。無理なら早く判断して施設に預けるとかすればよかったのに。
そして、元増田みたいな「親なら何が何でも子供に尽くせ、でないと人間失格だ」的な空気があるから、余計に子供を施設に預けたりすることができなくなるんだと思う。
35歳になりいじめの記憶を辿るという、かなりどうでもいいことをなぜかしようと思ってしまった。そこまでハードないじめのではなかったのかもしれないがまぁ思い出してみよう
自分の中でいじめだったという認識があるのは保育園、小中?高の4時代、中学はそこまででもないが順に辿ってみる
▼保育園
保育園にはいじめっこが2人いた僕はジャイアンとスネ夫に見立てていたがさながら僕はのび太だった。
ジャイアンと僕は同じ女の子のことが好きだった。彼はいつも「女の子ちゃんは俺のモノだ」と言って誰も近寄らせようとはしなかった。多分、彼女も当時はまんざらでもなかったのだと思う。とてもうらやましかったのを覚えている。(これは嫉妬)
保育園に通っている間は、ほぼその2人に毎日殴られ、泣かされて帰った。これは保育園ながら結構辛かった。ジャイアンとスネ夫は僕とは違う小学校に入った。救われたと思った。
人間失格のくだりではないが同窓会などで保育園の時の話をすると、当時の僕を覚えている人がなぜかいない。存在感が薄かったのだ。写真にはよく写っているようで不思議がられる。
▼小学校
小学校は山側に住んでいる人と、谷側に住んでいる人にわけられた。小学校は20人で1学年1クラスしかない小学校だったが、僕は山側に住んでいた。山側に帰るのは僕ともう1人だけ。残りの18人は谷側に帰る人達だった。おかげで、登下校時の話題に乗り遅れ、ブームに乗り遅れた。また、下校後に山側と谷側で遊ぶ交流もほぼなかったし、おまけに僕はピアノを習っていたため女のようだと言ってからかわれる日々だった。
そのうち成長してくるとクラスにはボスが誕生した。もちろんボスは谷側の人であったため、しもべのような人を数人従えて必ず僕はのけ者にされた。ドッヂボールや鬼ごっこ、サッカー・班決め。チームになるような何かの時には必ずヒエラルキー通りのチームわけになった。なので、勝ったためしがない。多数決では、彼の意見にみんなが賛成したのでかなり不条理な決定がまかり通っていた。先生もなぜか不条理なことを受け入れていた。
あるとき、集団相撲というのが流行っていた。チームで分かれて全員をなぎ倒したら勝ちというルールで、特に土俵などは存在しない遊びだった。教室でやっていたらロッカーの角に頭をぶつけて頭から大流血した僕はすぐに病院に運ばれた。
手当をされて戻ると「あれ?生きてるの?」と言われた。後になってわかったが、僕が病院に行っている間に先生の指導のもと、黙祷されていたようだった。今でも信じられない。
しかし、小6の頃革命が起こった。クラスのリーダー格の女の子が隣の席になると一気に仲良くなった。
その女の子と仲良くなることで女子陣が味方につくようになった。無論、男子たちとは更に距離が開くことになったが、初めて友達ができた感じがして救われたのは間違いない。
▼中学校
中学校では走り出しは順調だった。新入生代表挨拶を自分が読んだためだ。
(とはいえ、新入生代表挨拶は、小学校の時誰もやりたくないということで、ボスが僕を指名したために決まったものだった。誇れるものではない)
入学して3ヶ月頃までは普通だった。しかし、突然風向きが変わった。それまで仲の良かったと思っていた人達が僕を外し始めた。僕が小学校時代の弱者であるという認識が広まったのかもしれなかった。そして、若干名の無視を受けていたものの、そこからいじめが発展したということは特になかったが、中学時代はそのくらいだったので、平穏無事に終わったと思ってもいいだろう
▼高校
高校も走り出し1ヶ月は順調だったが、クラスの人間関係では最悪の高校生活だった。少しづつ友達が増えてきたと思ったら1日にして孤立してしまった。
きっかけは、前の席に座っていた1人の男子だった。ある授業中、居眠りをするととても激怒する先生がいたのだが、彼は居眠りをしていたので、起きなさい的な意味で、冗談まじりに消しゴムのカスを後ろからなげつけた。そんなに深い意味はなかった。起きて振り向いたが、殺すぞくらいのキレ方をされた。
そのことにおいては僕も悪かったのかもしれない。
それからだった。何日もしないうちにみんながよそよそしくなって、気付いたら完全に無視される状況が出来上がっていた。これは高校3年の夏くらいまで続いたので、2年半くらいだろうか。
初期の頃は本当に1日が長くて辛すぎた。特に辛かったのは修学旅行だ。3泊4日の沖縄は最悪の思い出だ。オール無視されながらの班行動。これはいじめ人生の山場だった。
高3の夏に何が起こったかというと簡単で、ターゲットが俺ではなくなっただけだった。そこで、そのターゲットをハブるため、俺に声をかけてくるようになったのだ。しかし彼らと仲良くなろうなどという気も一切なく、うれしくもありがたくもなかった。新しくターゲットになった彼はとても辛そうにしていたが、僕の2年半にくらべたらどうってことないだろうと思ったし、そしてその2年半無視していた仲間がターゲットになったところで、どうでもよかった。
長年無視をくらって、それでも頑張ってくらしているととてもタフになる。もう全然1人でも楽しめるような自分が完成していた。暇さえあれば、写真を撮ったり、美術室で絵を描いたり、学校を抜けて映画館に行ったり、本を読んだりしていた。おかげでちょっと人とは違う感性の高校生になっていたのだと思う。
そして、予備校・大学と進んだがそこはなかなか良い友達ができた。
▼その後
23くらいの頃、高校の同窓会が1度あったので参加してみた。既に俺のことを忘れてしまっている人もいたが、よく参加したものだと自分でも思うがまぁよい経験だろう
きっともう同窓会はないと思うが、あったらまた参加すると思う。おかげさまで強くなったし、自分の感性が活きる仕事にもついた。結婚もしたし、今はよい友達もたくさんいる。
こうやって記憶を辿るのはなぜか自分はわからないけど、今はとても幸せだから、なんか見返せたような気がする。それを実感したくて書いたのかもしれない
結構前になるんだけど、マイケルムーア監督の「世界侵略のススメ」って映画を見た。
元々この監督は好きだったし、今回もアメリカンなブラックジョークで笑かしてもらおう、みたいな軽い気持ちで観に行ったのね。
で、予想通りアメリカンジョークで笑ってたら、段々笑えなくなって来て、最後には結構泣いちゃってた。
映画自体が良かったのももちろんあるんだけど、映画の中で描かれてるアメリカが日本と同じなんだよね。
今までこの監督が作った映画、ボウリング・フォー・コロンバインや華氏911、シッコと言った映画は海の向こうのアメリカが抱える深刻な問題を扱ってた。(銃規制の話や、国民皆保険制度が無く貧困層が医療の恩恵を得られないと言った話)
それが今回は労働や教育、人間の尊厳と言った問題がメインで、よくよく聞いてるとそういう話題のアメリカの現状は日本と変わらないんだよね。
なので海の向こうの話かと思ってたら、突然話が身近で現実的な話になっちゃった。他人事では聞いていられない。
アメリカは長時間労働に低賃金、休みも少ない。休みが多いと言われるフランスやイタリアはどう?
アメリカは詰め込み教育に学歴社会。学力世界一なフィンランドはどう?
アメリカは前科者は人間扱いされず。まともな職も得られない。死刑制度を廃止したポルトガルはどうしてる?
もちろん良いことばかりじゃないし、不況だらけで経済は行き詰まってるけど、欧州の人は「やりたくないことはやらずに、人間らしく生きていこう」としてるんだよね。
社会で生きていくためには嫌なことでもやっていかなくちゃいけない。それができなくなったら人間失格だ。
そんなことはない、と思いながらも心のそこではそう思ってた自分に気づいて、そして大変ながらも人間らしく生きていこうとする欧州の人達のその姿勢に涙が止まらなかった。
ブスも痴漢にあう。
ブスに痴漢するわけねーだろ!自意識過剰!って言われるんじゃないかっていう心配で、痴漢されてる事実があるのに、まるで嘘ついてる気分で世界最悪の人間みたいになってくる。
美人なら美人で、痴漢されてるの自慢してるみたいな謎のイイ女判定の空気あるし、ほんと痴漢どうにかなんねえかな。
「おまえは絶対痴漢されないよ」と言われる程度のブス。フリース着てジーンズにリュック背負ってるひっつめ髪メガネでノーメイクの眉毛ぼうぼうのいかにもオタク女で65キロくらいあったし、地味とかダサいとかそういうの超越して女を捨ててる外見してたけど、電車通学中10回くらい股に指つっこまれてんのね。年に2~3回ペースで痴漢あいました。あからさまに言うと、ジーンズの縫い目触って膣と肛門ねらってくんの。そのたびに、MDのフタで思いっきり痴漢野郎の手を挟んでえぐる、シャーペンで刺すとかやってたわけ。MDに血ついてんの最悪。シャーペンは壊れるし。やりすぎじゃないよ、だって触るのやめないんだもん。触る気ないならビックリしてイタっとか言うでしょ普通。血が出るまで刺しても無言って普通じゃないよ。血が出た手をひっこめるだけの男=痴漢は、バレたらヤバいって思ってることわかってしてるんだよ。
私自己評価でブス判定なんで、声出して「痴漢やめてください」って一回も言えなかったの。こんなブス痴漢とか頭おかしいでしょ、え、さすがにないわ無理、とか開き直られてまるで私が嘘つきみたいにされたら、手に負えない事態で嫌過ぎじゃん。駅員さんも「ないわw男がかわいそう」って思ってそうだし。
ブスにも男の性欲向けられます!
痴漢にあった話すると、男性陣は居心地悪そうなのね。男って概ね、女よりも正義が大好きなんで、痴漢も社会秩序の敵認定して共感ほしいんだけど、なんでか「痴漢許せない!」って反応じゃなくて、痴漢といえば「痴漢冤罪!」って話になるんだよ。痴漢の話してる私、この私が痴漢されて嫌だった犯人はクズだ死ねみたいに怒ってんのに、なんで目の前にいる痴漢被害者の私じゃなくて、誰とも知れないどっかで読んだだけの痴漢冤罪の話するんですか???????私は痴漢冤罪を否定するものじゃなくて、すごく深刻な冤罪だってわかりますが、痴漢がこの世に存在するから痴漢冤罪があるんだよ。痴漢冤罪を信じることで、痴漢犯罪を免責する心理なんだろうか。その冤罪と私が痴漢されたこと関係ないっての。
女性に話すときにも、痴漢されたこと自慢してるっていう判定する空気あって話づらいの。いやこれ犯罪だからね。なんで、そんなときだけ男目線なんだよーもう。
痴漢防止ポスターで、女学生が怒った顔で「チカンダメゼッタイ」「コノヒトチカンデス」とか言ってても、女の子のプンスカなんてカワイイポーズの一種じゃん。
・痴漢男の過去の姿にして変わらぬ自己イメージの、アカ抜けないダサめの中高校生くらいの男子がイヤそうに見下してるかんじ
・赤ん坊じゃなくて就学未満くらいの男の子を抱いた母親がイヤそうに見下してるかんじ
・50~60歳くらいのおばちゃん=痴漢男の母親像が、イヤそうに見下してるかんじ
・60歳くらいのだらしないかんじのおじさんが、イヤそうに見下してるかんじ
「痴漢をする人間は、性犯罪者です」みたいな人間失格烙印するコピー。
「電車内の女性を触って性的興奮をする人間は、性犯罪者です」とかでもいい。
痴漢する男の世界観ヒエラルキー外の、不可触民の人間に嫌がられて、見下されるっていうのが性欲ファンタジーを直撃して効くと思います。罪を憎むよりも、ストレートに行為者本人を名指しで憎んで、貶めることが抑止力になる。イラストやマンガよりも、実写がいいだろうな。性欲たぎってるとき頭回らないから。
痴漢男と、一般男性世論が「痴漢冤罪」というワードで結ばれる正義ファンタジーの連帯を断ち切って、「ボクが痴漢の被害にあって嫌な思いをしたかもしれない」って女の被害者に共感の輪を広げてほしいです。
無理かな。
性犯罪加害者のほとんどは男で、性犯罪被害者はほとんどが女っていう性差あるから(若い男が夜に帰宅する途中に通りすがりの人間に後つけられてレイプされて殺されるって事件は無い。探せばあるかもしれませんが、逆は今も昔もありふれ過ぎてて、レイプされる危険があるのに夜道を帰ってくる女が悪いってなる。)、性犯罪の罪は軽いという時代があったわけで、幼児強姦を「女児にいたずら」なんて気楽な報道用語が昔は見られました。性犯罪ぐらいで罰するなんてヒドイ、男の生理なのに仕方がないじゃないかっていう、不満っぽい空気を感じること今でもたくさんあります。性犯罪被害者の女よりも、重過ぎる罪で罰せられる男ってかんじに男は同情しちゃうんだろうなあ。
痴漢ぐらいで…って思われてるだろうけど、すごい嫌だよ見ず知らずの赤の他人がゼロ距離に近づいてきて、触られたくないところを触られるって。しかも逆ギレしてお前が悪いとか言ってくるかもしんないって。
これはあくまでも一つの可能性だし、私の勝手な憶測で書いていくが、あの事件は拡大自殺なのではないか。
植松容疑者が措置入院していたということは、精神障害なり精神病があったと医者から診断されたわけだ。そのとき彼は何を思っただろうか。
「障害者は死んだほうがいい」という思想を貫徹するためには、まず自分自身が死ななければならないのだ。彼は「それならば死刑になって死んでやる!」と考え、その自殺願望が犯行動機になったのかもしれない。
ところで、話はすこしズレてしまうが、政府の対策会議では再発防止策に「措置入院の見直し」が挙げられている。これは安倍首相がじきじきに提言していたし、読売新聞も社説でそのような主張をしていた。
私は見直しの是非について論じることはできないが、「措置入院をさせられたことこそが犯行動機だったのでは?」という可能性を思い浮かべてしまった。
措置入院は、確かにやむをえない処置ではあるかもしれない。けれども、犯罪をやりそうな者を予防拘禁するという部分もある。あれがまちがいなく人権制限であり、それを受ける側にとっては大きな負担だということを忘れてはならない。
昔の時代みたいに精神病院の環境が極めて劣悪だったり、患者への虐待が横行しているというようなことは、現代ではさすがに減ったと思う。しかし、監視カメラつきの病室に24時間施錠されて閉じ込められること、そして強制的に治療をされるということが当人にとっては苦痛以外の何物でもないであろう。そのような経験をした人が何を考えるかと言えば、それが原因となってかえって社会への絶望と憎しみを募らせることだってありえるのだ。
また、「措置入院」というのがスティグマになっている可能性もある。措置入院の過去がある人に対して社会は偏見を向けるが、植松容疑者もその偏見を信じこんで、「俺はどうせキチガイだし人間失格なんだ」という自暴自棄な気持ちになったかもしれない。(彼はもとから障害者差別をする傾向をもっていたのだから、それがめぐりめぐって自分自身に向くことも容易だったであろう)
今となっては結果論でしか語ることはできないが、もし措置入院ではなく、大麻所持、殺人予告などでさっさと逮捕し、それを刑事事件として粛々と処罰しておけばどうだったろうかと想像してみたい。
そしてそれと同時に、精神科やカウンセリングの受診の方はもうすこし本人の自由意思を尊重し、措置入院のような絶対強制とは違った形でやらせていたらどうだったろうか?
その場合、上述のような問題は発生しないから、植松容疑者があのような凶行に及ぶことを抑制できたかもしれない。