はてなキーワード: チンパンジーとは
満員電車の出入口付近に立って乗っていたら、座席に座って寝てる男の頭がよりかかってきた。
強めに何度跳ね返してもよりかかってくる。普段なら何度もされた場合は起こしてでも注意するのだが、満員電車でめんどくさいのでしなかった。
まぁしょうがないと諦めたら、自分の横の男の顔が超至近距離にあるのに気づいた。身動きできないレベルの満員電車で顔が近づくのはよくあるが、
そいつが立ったまま寝ていたので、不快感がハンパじゃなかった。相手も起きていれば顔と顔は当たらないように気をつけ合うというなんとなくの信頼感があるが、
寝てるとこいつの顔がこちらに当たる可能性がある。その恐怖感とチンパンジーみたいで気持ち悪かったので最悪だった。
寝てるだけで今のところこちらに何の実害も無いので、さっきのパターンと違って起こせないのがツライところだ。
寝る時は口開けて上向いて寝ないでください。植物みたいで怖い!
周りの友達は小学1年のころから補助輪なしの自転車に乗っていたので、私は学年で1番自転車に乗れるようになったのが遅かった。
小学生の頃の遠足サイクリングは本当に地獄で、景色を楽しむ余裕などなく、友達みんなにどんどん置いていかれるのがつらかったし、周りはガンバレガンバレ言ってる先生しかいなかったし、それでお弁当も食べ遅れて遊ぶ時間もなくなってしまったし、とにかく嫌だった。これが2年も続いた。
今も上手に自転車に乗れない。
自転車乗るのに上手いも下手もないだろうとよく言われる。でも本当にうまくない。
グッとペダルを踏んで進むだけでヨロヨロして、続けて漕ぎ出すことができないときがある。
ゆっくりと漕いで移動なんてできない。細やかな動きもできない。
坂の途中で止まってしまったら平らなところに着くまでもう乗れない。手で押すしかない。
トラックが隣スレスレを通るときなんか本当にヒヤヒヤする。泣きそうになる。今まで事故ってないのが不思議なくらい。
講習期間中は予備校へ自転車通学をすると友達や親に話したら「死ぬなよ」と半分真面目に言われる。
便利な乗り物だが、乗っていると悲しくてやりきれない気持ちになる。
②泳ぐことができない。
浮くことも微妙。
水が怖かったからこれまた学年で1番出来が悪かった。2年生になるまで顔に水をつけることすら嫌でたまらなかった。
周りのみんなはどんどん級を取って、帽子にかっこいい星型のシールが輝いていく。
私は小学校を卒業するまでただ1人ダサい黄色の四角いシールが貼られていた。
とにかく息継ぎができない。
息継ぎなしのバタ足じゃ10mしか「進めない」のだ。
みんなが私のことを見て「○子ガンバレ〜!」なんて何度も言ってくる。25mプールを何度も足ついてはバタ足、息が切れては足ついてバタ足を繰り返して進むという、醜くて見てられない光景を私は作り出していた。それをみんなが一斉に見ている。応援してくれているから、終わってからありがとうと伝えたが、泣きたかった。今思い出しても虫酸が走る。
何度特訓しても息継ぎはできるようにならなかった。
中学はプールがない学校を選んだのでそれからずっとプールで泳ぐことをしていない。
③走るのが遅い
小中高と後ろの方を突っ走った。速くなる方法はググる気にすらなってない。
④校庭にある遊具がもれなく全部できない
うんていにぶら下がるのはいい。そこから何もできない。片手で棒を掴んでもう片手で次の棒を掴む、まるでチンパンジーみたいに移動していくことなんか1度もできなかった。
鉄棒は前回りが唯一できた。逆上がりとか他のやつは無理だった。
体育でこれらの遊具を使ったノルマが課され、それが終わった人から教室に戻っていいと言われたが、私はやはり一番最後まで残されていた。そのノルマをこなすための逆上がりやうんていがそもそもできないのだから。ヒョイヒョイとこなしていく皆を見て、こなしているフリをしていたが、それはすぐにバレた。先生に付き添われ、1人で泣きながら、できない逆上がりを練習させられた。先生が別の方向を向いた瞬間に「できた!!」と言ってダッシュで教室に逃げたことは忘れない。
④その他
一輪車が流行ったので一生懸命練習したが、漕ぎ出すことすらできずに1ヶ月が経ち、嫌気がさして諦めた。
跳び箱も1番低い段で飛んだ。調子乗って高い段で飛んだらバランスを崩して横に落ちて以来そうしてた。
動きがトロくさいのでバスケやサッカーはできなかったし、バドミントンも空振りばかりで話にならなかったし、バレーボールも何度も腕の構え方を教わってもできずに迷惑をかけ、腕が赤く染まるだけだった。
柔軟性はかろうじてあったため、マット運動でなんとかしていた。
運動が大嫌いです。
体育なんかとにかく嫌な思い出ばかり。
でも運動できるようになりたい。
体つきを一目見て「こいつ運動できないな」と見透かされるくらいの筋力のなさと脂肪のつき方をしているから、それを変えたい。
スタイルいい人はみんな運動できるでしょ、だから運動できるようになりたい。
スポーツの大切さは保健で習ったし、老いても自分の脚で歩くために本当に重要なことだと思う。気分転換になるのも分かる。
だけどどうしてもスポーツに恐怖を覚えて、踏み出すことができない。
何しても「運動できないねwww」「鈍臭いww」なんて言われるから何も楽しめない。下手でもやりたいことを楽しめるようなクソポジティブなんて持ち合わせてない。最初は下手だけど、じゃない。スポーツや運動関係が上達したことなんてなかったから、最初もその後も下手なままだって分かってるから、スポーツを楽しむことができない。気分転換なんかならない。自分がよくいる周りに大きく劣ることだけを思い知らされ、その差が詰められるものではないと思っているからただただ苦痛なんだ。
運動が本当に怖い。やったほうがいいのは分かるのに、嫌だ。
誰かこのどうしようもない感じをどうしようもある感じにしてほしい。
運動音痴だからなんでこんなに人生不利なんだ。こうも楽しくないんだ。クソかよ。
泣きたいもう
ドブネズミは交尾時、ライバルのオスがいると、より多くの精子を射出する。生殖競争は、卵管を経て卵子の表面に至るまで続くかららしい。同じ理由から、類人猿の精巣の大きさは競争相手のオスの数に比例する。過酷な競争条件下にあるオスのチンパンジーは、実に巨大な生殖器を持っている。一方、ハーレムの中で唯一のオスとして君臨するゴリラの場合は、あまり生殖器は発達していない。これが進化の道理であり、ライバルのいないオスには、父親になる確率を上げるための特別な適応は必要ない。
以上、ジョン・T・カシオポ、ウィリアム・パトリック「孤独の科学 ー 人はなぜ寂しくなるのか」 河出書房新社、2010年、p.180 より。
オークの男女比はオス99対メス1なので、他のオークのオスの精子を掻き出すために、巨大なエラを張ったペニスを持つように進化したとか、大量の精液を射出するように進化したとか、そういう設定で誰かエロ漫画描いてくれませんかねぇ(ゲス顔
橋下徹と桜井誠の約7分にわたる「意見交換」へと感想はさまざまあるが、どれもしっくりこない。
【言論の自由】「橋下vs桜井」意見交換会を見て[桜H26/10/22]https://www.youtube.com/watch?v=vu0fpCZikIk&list=UU_39VhpzPZyOVrXUeWv04Zg
まずは「論外」という反応から見ていく。
この動画で言ってることは結局「橋下は桜井誠の「在日特権」についての主張を聞かなかった」ということにまとめられる。そもそも問題となっているのは「ヘイトスピーチ」についてである。在日韓国人・朝鮮人を侮辱して、憎悪を煽る言動についての意見交換なのであって、「在日特権」について意見交換をする場ではなかったということを確認する必要がある。よって、私はこの種の意見を「論外」であると評価している。
てか、もともとチャンネル桜は、桜井誠を世に出したメディアでもあるんだから(途中で喧嘩別れにしたにせよ)、その辺をちゃんと清算すべきだよね。水島総氏は「ヘイトスピーチは情報謀略戦において不利に働く」と様々なところで、さかしらに言っているけれども、ようは「保守がみんな在特会みたく見えるようにつくられてしまうからやめろ」って言ってるだけである。水島氏のこうした発言はヘイトスピーチへの本質的批判には程遠い。「自分に不利になるからやめろ」と言ってるだけだから。
あと、「在特会とアンチ在特会を平等に規制する法律をつくらなければアンフェア」だと動画で述べているが、この点に関しても詭弁があることを述べ添えておく。問題となっているのは「ヘイトスピーチ」である。「ヘイトスピーチ」とは、特定の人種・国籍に対して差別を煽るような憎悪表現である。アンチ在特会にそのような発言は、明示的には存在しないはずだ。(アンチ在特会も「ヘイト」だ、という意見をよく聞くけれども、ヘイトスピーチについての基本的知識がないのだな、とそのたびに私は思っている)
中道左派に多い意見だと思う。おそらく国民の多くは、桜井氏の下品さに嫌悪感をもよおし、橋下氏の「公人」としての振る舞いに疑問点を抱いたことだろう。
橋下氏の発言には、たしかに同意できない部分がある。例えば「本当に政治的主張を行いたいなら選挙に出ろ」といった類のことだ。これは彼が昔から言ってたことだが意味不明。デモ活動は立派な政治的活動であり、直接に法整備を行うわけではないにせよ、国民意識を変えていくことで、ひいては国会にも影響を与えうるものであるから、立派な政治的活動である。こんなことは、グラムシのヘゲモニー論を引用するまでもなく常識で考えれば分かることだ。
こうした疑問点は様々あるにせよ、今回の橋下の綿密な行動に私は驚嘆した、というのが感想であった。橋下氏自身も述べていることではあるが、彼の行動はきわめて計画的であったとリアルタイムで見ていて感じた。彼はなかなか感情的には流されない人間であり、冷徹な人間性を見せる。そもそも桜井氏の今回の言動くらいで激昂して理性をなくしてしまう男ではない。「帰れ帰れ」という言葉もおそらくはじめから用意したものであっただろう。というのも、在特会が常々言っていた「朝鮮人は半島に帰れ」という言葉を模倣して、桜井氏個人に突きつけるという手法を橋下氏はとっているのだと私は理解しているからである。それから、より政治的に言えば、「ヘイトスピーチ」を行う人間を公人が思いっきり面罵した、という点も評価できる。ヘイトスピーチを行うものはこのように扱われても仕方がない、と世に流布した功績は大きい。
他方、桜井氏の行動について。彼の「激昂」も半分以上は作為的・演技的であっただろう。そもそも彼の「激昂」それ自体が演技的であるのだから、当然と言えば当然なのだから仕方あるまい(この点については「ネットと愛国」における西村修平と桜井誠の出会いについての記述を参照いただきたい)。しかし、彼の「激昂」は、残念ながら、その容姿・恰好からしても、多くの国民の賛同を得られるものではない。クレーマーそのものである。多くの国民は彼の言動に不愉快を覚えたことだろう。
桜井は自著がAmazonで一位になったことを喜んでいるが、それはあくまで一過性のものだと私は考えている。動物園にいるチンパンジーを見たがる好奇心以上のものではない。二三年の視点から見れば、この会談が自分に大きな打撃を与えるだろうことから目を背けているに過ぎない。
なお、こうした人物評にまどわされずに、あの場にいて、どちらかに組せねばならぬ、という当事者視点から見れば、100人中99人は橋下につくのではないかと思う。第三者的視点だけではなく、こうした当事者意識を持ってみることは様々なコンフリクトを見つめてみる上ではきわめて重要なことだろう。
したがって、「どっちもどっち論」に対して私は違和感を覚えている。
外山恒一はツイッターで「やっぱり私は桜井誠より橋下徹の方がはるかに嫌いだ。」と述べている。
https://twitter.com/toyamakoichi/status/524541443637919745
https://twitter.com/toyamakoichi/status/524558184594173954
https://twitter.com/toyamakoichi/status/524577760044277760
言葉数が少ないのでその真意は測りかねるが、外山氏らしい発言だと私は受け取った。外山氏は、世の中でヘイトスピーチに批判的になってきたのを見計うかのように、反ヘイトスピーチを大上段から罵る「パフォーマンス」をおこなう橋下氏の「したたかさ」に不愉快を覚えるのだろう。私は全力で同意をしたいと思った。それにしても、「橋下徹か、桜井誠か」という二者択一を迫られるような事案が出てくるとは、やはり悲しい出来事であるだろう。
法的にヘイトスピーチについて見てみたい。まだ日本にはヘイトスピーチを規制する法律はなく、日本国憲法第21条における「表現の自由」に抵触しないかどうかという慎重論も上がっている。しかしながら、これは国内法だけではなく国際法にも目を向ける必要がある。日本も批准している人種差別撤廃条約だ。この条約は、「京都朝鮮学校公園占用抗議事件」の民事訴訟においても注目されたことで記憶に新しい。京都地裁は「我が国の裁判所に対し、人種差別撤廃条約2条1項及び6条から、同条約の定めに適合する法の解釈適用が義務づけられる」と述べ、大阪高裁も支持している。司法によって国際法の直接適応を受けるのには、立法府のだらしなさを私は思う所である。同条約4条1項では「人種的優越又は憎悪に基づく思想のあらゆる流布、人種差別の扇動、いかなる人種若しくは皮膚の色若しくは種族的出身を異にする人の集団に対するものであるかを問わずすべての暴力行為又はその行為の扇動及び人種主義に基づく活動に対する資金援助を含むいかなる援助の提供も、法律で除伐すべき犯罪であることを宣言すること」を締約国に求めている。しかしながら、日本は1996年に正式に批准してからもう20年近く経とうとしているのに、いまだに「表現の自由」を盾にして足踏みしているのは情けない。憲法98条2項に基づき、早く法整備を行うべきである。
日本国において日本人以上に「特権」をもっている人は存在しない、というのが私の意見である。もし日本人以上の特権を在日の人が持っているのだとすれば、具体的に教えていただきたい。
なお、私的には、むしろ「竹田特権」を告発したい。竹田恒泰のことである。彼は慶應大学で憲法学の講師をしていたというが、通常ではありえない「特権」がなければ、とても彼は講師になれる人間ではない。彼は修士号も持っていないし、学部時代に憲法学をおさめていたわけでもない。学術論文も一つもない。なぜそのような人間が大学で「憲法」の講師をすることができたのだろうか。これは「特権」以外の何ものでもないだろう。「特権」という言葉はこのように使うのである。
世界中どこでも、人間は集団を作り社会を作り、決まりや人間関係の中で生きてる。
「家族を中心とし、集団内の他者との関係にストレスを感じながら、決まりに基づいた社会を形成する」ゴリラや
「そもそも一匹のチンパンジーをチンパンジーというべきではない。社会の中にあって初めて彼らはチンパンジーとして行動できる」チンパンジー
いずれも、人間と一番近縁な猿の仲間である。そこから見て、人間にもまた集団を形成する本能があると考えるのは、それほど間違っていない。
ただ、本当に「本能の欠如」として「一人を好む」という人は、現代社会にはおそらくほとんどいないと思う。現代社会で「一人を好む」という人を、無人島に一人で放り出して社会と一切接触させず一年間暮らせるかどうか観察してみればよい。
本当に、狂うこともなく何事も無く暮らせるなら、確かに本能の欠如に近い。ただ、繰り返しになるが、多分そういう人は多くない。ほとんどの人は、単に「自分好みの人間関係が構築できていない」「嫌いな集団だが属していないと食っていけない」「日々人と接する仕事のためストレスが半端無い」などの理由で、単に人間というものに食傷しているだけのことだろう。そういうのは別に病気ではない。
少なくとも、「疑問に思ったり考えたりしていることを増田に書いちゃうような人間」が、人との接触を求めていないワケがないでしょ。
Twitterでは、
はたして本当でしょうか。
STAP細胞そのものを信じていたり、小保方さんの罪を一定は認めつつも、それは重要な問題でないと指摘する意見もあるようです。
『大槻は早稲田閥のために科学の真実をゆがめ、STAPねつ造を擁護している』
⇒『そのとおり、そこのどこが悪い?!』
http://29982998.blog.fc2.com/blog-entry-529.html
「コピペっていうのはね、動物の中でもね、模倣はチンパンジーより上の動物しかできないくらい、
すごく高度な能力なんですね。コピペっていうことができるのは、人間だけなんですね」
http://matome.naver.jp/odai/2139806737971659001
「正直な気持ち、小保方博士の作ったSTAP細胞はできていると信じている。
STAP細胞がない、という根拠を示せない限り、できていると信じます」
「もし小保方さんが、STAP細胞を作るテクノロジーを創り上げていたら、
https://twitter.com/goza_u1/status/459287313386700800
小保方さんは大学院時代からSTAP細胞の研究をはじめていて、指導教授であった岡野教授は研究の一部始終を見ていた可能性があります。
また東京女子医大はSTAP細胞に関しての特許を申請しており、研究の主要部分が理研ではなく女子医大で行われたことが伺えます。
フェアという言い方をすると、小保方さん1人が罪の中で責められて、
(報道ステーション)
小保方氏の不服申立書を読みました。至極当たり前の主張で、いかに調査報告書が
恣意的であったか分かります。しかし、小保方氏は四面楚歌の中よくやっています。
https://twitter.com/SakujiYoshimura/status/453700756332236801
「すばらしい研究であるとの評価は変わらない。写真の取り違えなどがあったとしても、論文の骨子が揺らぐことはない。実にいい論文だ」
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140415/dms1404151538015-n1.htm
君、面白いな。
・
僕は人間よりチンパンジーが上等とか下等とかは思っていないが、もし、難病で死に行く子供の一人がチンパンジーの絶滅と引き替えに助かるのなら、チンパンジーもアイアイも滅ぼすことに一片も迷わんよ。
僕にとっての取捨選択の話だけどね。
並べてどう、ではなくて並べない。
猿は人ではないのだね。
チンパンジーを指さして、ほらお猿さんって言われてもさ。
チンパンジーじゃん。猿じゃないじゃん。
英語を話す人にも、そうでない人にも、人ではない意志を持った存在にも、同じように公平な表記方法
どうだろうか?上の文を読んで、理解できただろうか?
おそらく理解できた人はいないだろう。
だがそれは、あなたが英語を話せても、英語が話せていなく ても、同じように感じたはずである。
さらにあなたが視力がない全盲の人であっても、失読症の人であっても、文があったことに気づかないのは同じだろう。
また人間が読んでも、チンパンジーが読んでも意味が取れないのは共通である。
IQ200の天才でも、そこらへんに生えているコケであっても意味がとれない。
これこそが公平であり、政治的に正しい文といえる。
真にポリティカルコレクトネスな文とは、誰にも理解できない文のことなのである。
現実にチビに暴力をふるったり苛めるのは体育会系やDQNの男だけど
男には勝てないから、弱い女で憂さを晴らす。
その後急激に長身になった選手が結構いる(広島の緒方など)が、トラブルを起こした奴は一人もいない。
最後まで背が伸びることのなかったチビには長身の気持ちはわからないwwww
152 名前:おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:2012/06/15(金) 11:40:49.09 ID:z1yV69Jn
中学入学時143センチとチビだった俺も小中時代はよく女子にチンパンジーの
ようになめられ扱いを受けていたので、
成人しても170以下のチビ男の屈辱感は俺にもよく理解できるよ。
可愛い女の子にまで見下されて恋愛対象外にされるのって男にとっては本当に耐え難い屈辱だからね。
今175センチにまで成長して本当によかったよw
と、漫画を読んでいて思う。
単純に少年漫画には男性作家が多く、少女漫画には女性作家が多い。
で、自分は週刊少年誌を購読して10年以上になるが、性別不詳な作家であっても何話か読んでいると不思議と「あ、この作者は女性だな」と思う気付くものだ。絵柄もあるけど、物語のテンポやコマ割の空気感でなんとなく分かる。大高忍さんとか星野桂さんは分かりやすく女性的だね。
この辺の差異は何に起因するかと考えると、やはり個々人のこれまでの人生において、どういうものに触れて生きてきたかってことになるんだろう。プリキュアを見て育つ女児と戦隊ヒーローを見て育つ男児は異なる作品経験に曝されている。だから例えば、プリキュアを見て育った女児とセーラームーンを見て育った女児は、おなじ幼女でも恐らく「カッコイイ」の原体験が微妙に違うのでその二人が成長して漫画を描いたら違う漫画になるだろう。
というか、100人いたら100通りの漫画になるのが漫画の面白いところなんだけどさ。まあ傾向として。
あともしかしたら女性の脳と男性の脳の構造的な違いに因る、空間認知の差異が絵柄に反映されているかもしれない。というのは考え始めるとワクワクする話だが、そんなに大幅な違いなんかはたぶんないだろうな。人間とチンパンジーの差異よりかは少ないはずだ。
そんな感じであくまで傾向という話なので一般化は難しいと思う。
「女漫画家は~」「男の描く漫画は~」といった論調で語りがちなひとは、自分の過去の原体験を振り返ってみるといいんじゃないだろうか。例えば男性的なるものに多く触れた人生を送ってきたならば、同性の描く漫画に好感を得、異性の描く漫画に違和感を感じるのもまた道理である。ただまあ、あんま声高に主張すると、ひとには嫌がられるだろう。
これは単純に体力的に激務だからということなんだろうか。最近は目立って増えてきた印象がある。中村章子さんとか。
女性アニメーターが女キャラを描くと同性ゆえの遠慮の無さみたいなものが線にあらわれて、その良い意味での下品さみたいなものがとてもいいと思う。
知らないおっさんおばさんの顔がすし詰めに並ぶ、FBやTwitterなど、地獄だと思う。
それにだれそれの顔が美しくない、気持ち悪いとかいいたいだけではない。
ただ考えてみてほしい。
せいぜい1、2センチ四方に縮尺された人の顔がずらりと並ぶのは、よくよく考えてみればだいぶ不自然なのではないだろうか。
人間の顔という情報のぎっしり詰まったものをあんなに小さくして見せるのも、デザイン的にもまったくおかしいと思う。
相貌失認というものもある。またチンパンジーは人間に近いが、人間ほど個個のある顔をしていない。
たとえばタワシや自動車の写真をアイコンサイズにしたら、それをそれと認識できる人がいるだろうか。
あの小さなアイコンでだれそれだとわかるのは、人間の顔認知機能という特別なものがあってこそなのだと思う。
ふとそういう下駄を脱いで考えたら、写真をあんなに小さくしてごちゃごちゃと貼り付けるのは汚い。
あとおっさんもおばさんも私は嫌いだ。顔も見たくない。
http://anond.hatelabo.jp/20130512160633
phaの奴、無職のくせに旅行とか行ってやがる。きっといかさまにちがいねェ。
社畜をばかにしやがって。
今日、Twitterの意識高い連中からRTでイケダハヤトの記事が飛んできた。
皮をひんむいたチンパンジーのような奴だ。
生きのいいネタがいいってんで、やまもといちろうを投げこんだら、揚げ足を取ったり
今朝9時頃、上司が薄っぺらいガラス板を持ってきた。iPadだ。
俺にも持たされた。なんでも、会社の方針で使うことになったらしい。
経営陣の連中ときたら、夜も寝ないで会議ばかりやってるからこんなことに無駄金を使うんだ。
mixiでもやってろ。
昨日からこのいまいましい硝子板で仕事をさせられるんで、指先がピリピリして妙にかゆい。
いい気味だ。
あまりに指先がかゆいんでアップルストアにいったら、なぜかMacbookAirを買わされた。
スタバでキャラメルマキアートを飲みながらセットアップ。
Facebookで大学時代の同級生の発言を眺めるとノマドという単語が目についた。
MacbookAirのマルチタッチトラックパッドが指に馴染む。
ネットを見ながら考えると、この会社の問題点が次々と見つかる。
会社に行く前にスタバで業務改善点をまとめあげる。少々遅刻だが、そんなのは些細な問題だ。
おかげで今夜はよく眠れそうだ。
新しい一日の始まりだ。
TwitterとFacebookを駆使したSEOは完璧に動いている。
はてなブックマークが少々炎上しているようだが、些細な問題だ。
仕事をやめたこと、ノマドという新しい生き方のこと、これからのことを話す。
進学、就職、新しい生活が始まるたびに称賛と応援の言葉をくれた母は今回の門出が気に食わないらしい。
いったい母はどうしてしまったのだろうか…。
blogやSNSで利益を得ようとするのがそもそもの間違いだった。
ヒルズが俺を待っている
昨日、銀行の口座をみたら桁が一つすくなくなってた
ちがう、ふたつだ
お母さんがでんわにでない
なにがサバイバルキットだ クソが
なんの役にもたちやしねえ
頭が痛い。熱が出てきた。
もうダメだ
PVが伸びない、炎上もしない、いったいおれのブログ どうな て
やと ねつ ひいた も とてもかゆい
ひどいかおなんで ころし
うまかっ です。
うま
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cf. http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A4%AB%A4%E6%A4%A4%A4%A6%A4%DE