はてなキーワード: 徳間書店とは
https://www.tokuma.jp/search/g15474.html
なんというか、徳間レベルの大手出版社ですらヘイト本・ヘイト本を出さなければいけないほど追い詰められているんだなと悲しい気持ちになったな。もちろん売れるという事情もあるんだろうけど、それでも度が過ぎたのが多すぎて引く。
こういう本を出せば短期的には収益は上がるかもしれないけど、中長期的に見ると「あの出版社は変な本ばかり出す」って悪評がたって墓穴掘ってるようにしか見えんのよ。貧すれば鈍する。
とはいえまともな本も出しているということは付記したい。いやまともな本出している人にとってもいい迷惑だろうけど…
他の出版社だと、同じような批判を浴びせられる角川書店(※オタク系のは除外)と早川書房はそこまで露骨にどうしようもない本は出していない印象がある。
新聞社系(中央公論新社・朝日新聞出版・産経新聞出版など)は時々どうしようもないのをお出しになるけど、基本的には結構まとも。
左派系だと岩波の『世界(雑誌)』はなぜか極左通り越して半分トンデモな内容になっていて困惑しているが、それ以外の本はそこまで酷いのはない(たまにあるが)。
個人的には、大阪人でギャグセンスのあった、手塚作品のユーモアが好きかな
ケモナーや近親相姦の元祖でもあり、ものすごくドロドロしたところもあって二面性がいい
パヤオの倫理観とか自然観は壮大だし、文芸人としての発言や主張は学ぶものが多い
手塚先生ももちろん文学者だったけど、エンターテイナーだったところがいいと思う
どっちも偉人
宮崎駿は少年時代に、手塚治虫のデビュー長編「新宝島」に衝撃を受け多大な影響を受けたという。
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「新宝島」、当時4ページ程度だった漫画というジャンルを200ページを超えるボリュームで制作され、40万部のベストセラーとなった。
作者:手塚治虫
漫画家を目指していた宮崎駿は、自身が受けた手塚治虫の影響について、こう語っている。
小中学生の頃のぼくは、まんがの中では彼の作品が一番すきでした。昭和20年代、単行本時代ー最初のアトムの頃ーの彼のまんがが持っていた悲劇性は、子ども心にもゾクゾクするほど怖くて魅力がありました。ロックも、アトムも、基本的に悲劇性を下敷きにしていたでしょう。
18才を過ぎて自分でまんがを描かなくてはいけないと思ったときに、自分にしみ込んでいる手塚さんの影響どどうやってこそぎ落とすが、ということが大変な重荷になりました。(COMIC BOX手塚治虫特集インタビューより)
ぼくは全然真似した覚えはないし実際似ていないんだけど、描いたものが手塚さんに似てると言われました。それは非常に屈辱感があったんです。手塚さんに似ていると自分でも認めざるを得なかった時、箪笥の引き出しにいっぱいにためてあったらくがきを全部燃やしたりした。(COMIC BOX手塚治虫特集インタビューより)
庵野秀明が宮崎駿の最高傑作と呼ぶ「風の谷のナウシカ」漫画版でも、手塚の影響があるのだという。
風の谷のナウシカ 全7巻箱入りセット「トルメキア戦役バージョン」
風の谷のナウシカ 全7巻箱入りセット「トルメキア戦役バージョン」
作者:宮崎 駿
──だけどまあ、『ナウシカ』を観れば、そのスキルたるや、すさまじいですよね。
宮崎:いやいや、そんなことないです。やっぱり僕自身、アニメーションをやる前に手塚さんの影響下にいてね。そこからどうやって抜け出すかっていうので、にっちもさっちもいかなかったっていう、その影がね、いまだに『ナウシカ』の中にありますよ。だから、自分で見てて嫌になるんですよね。結局、そこらへんをほったらかしにしてアニメーションをやってたから。だからいざ漫画を描くとね、手塚さんとは全然違うように見えるかもしれないけども、やっぱり手塚さんの背負ってた時代的な制約みたいなものが、僕の世代の制約としてちゃんと影を落としてると思いますね、例えば、女の子の描き方とかね。今の連中のほうがずっと自由に描いてますよね。それはものすごく感じます。(風の帰る場所 ナウシカから千尋まで より)
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手塚治虫
方や、手塚治虫は宮崎駿の才能に嫉妬していたのだという。手塚賞の大賞に漫画版「風の谷のナウシカ」が選考の中で、推されたているも、嫉妬した手塚治虫の一言で選考がひっくり返った際のエピソードをジブリプロデューサー鈴木敏夫が語っている。
当時、選考委員より鈴木のもとに電話があり、「宮崎駿さんは、受賞を受けてくれるだろうか?」と言われたのだという。鈴木が、「多分、大丈夫でしょう」と返すと、選考委員は、「ありがとうございます。今、選考委員の中で決まっているんですが、手塚先生が遅れて参加するので、最後、手塚先生の確認だけとって、正式なご連絡をします」とのこと。
その日の深夜、鈴木のもとに選考委員より気まずそうに電話があり、「手塚先生がナウシカの受賞に反対された」と言われたのだという。手塚の反対意見の内容を、鈴木はラジオでこう語っている。
手塚:宮崎君が描かれたものだから、大変素晴らしい。僕もちゃんと読んでますし、漫画賞にふさわしい。だけど、まだ完結してないですよね!?残念ですね!漫画賞には、完結しないと。(鈴木敏夫のジブリ汗まみれ より)
だが、漫画賞は、完結しているもので賞をもらったものはこれまでもなかったのだという(笑)完全に、手塚治虫の嫉妬である。
鈴木:手塚さんは、当時から宮崎駿のことをよく知ってたんですよね。だから、宮さんのことをライバルと見なしたんでしょうね。あの人の負けず嫌い?面白かったですね。
手塚は自分が総監督になり、宮崎駿とアニメをつくろうとした!?
また、鈴木は、手塚治虫が総監督となり、宮崎とアニメをつくろうとしたというエピソードも明かしている。
「カリオストロの城」公開前、才能があるのに、なかなか、世の中に受け入れられていない宮崎駿にどうしても映画を撮らせたいプロデューサー(鈴木ではない)が、手塚治虫に相談に行ったのだという。すると、手塚は
手塚:あぁ~宮崎君というのは、素晴らしい!僕もぜひ応援したい!(宮崎が映画化する企画について)ああ!あれを映画にするのか!僕も良く知っているよ。じゃあ、君がプロデューサーで、宮崎君が監督だ。わかりました!では、私が総監督をやりましょう!(鈴木敏夫のジブリ汗まみれ より)
そんな、「新宝島」にとんでもない影響を受けたと語る宮崎駿だが、手塚のアニメーションの仕事にはかなり否定的である。
アニメーションに関してはーこれだけはぼくが言う権利と幾ばくかの義務があると思うので言いますががーこれまで手塚さんが喋ってきたこととか主張したことというのは、みんな間違いです。(COMIC BOX手塚治虫特集インタビューより)
一時、彼が「これからはリミテッドのアニメーションだ。三コマがいい三コマがいい」とさかんに言っていましたが、リミテッド・アニメーションは三コマという意味ではないですし、その後言を翻して「やっぱりフルアニメーションだ」とあちこちで喋るに至って、フルアニメーションの意味を知らずに言っているんだと思ってみていました。同じようにロートスコープをあわてて買い込んだ時にも、もう僕らは失笑しただけです。(COMIC BOX手塚治虫特集インタビューより)
自分が義太夫を習っているからと、店子を集めてムリやり聴かせる長屋の大家の落語がありますけど、手塚さんのアニメーションはそれと同じものでした(COMIC BOX手塚治虫特集インタビューより)
さらに、宮崎駿は、手塚治虫作品が持つ魅力「悲劇性」が、後期の作品では、ただの安っぽいペシミズムに成り果ててしまったと痛烈に批判している。
彼の初期のアニメを何本かみた時です。漂流している男のところに滴が一本たれ落ちる「しずく」や「人魚」という作品では、それらが持っている安っぽいペシミズムにうんざりした。かつて手塚さんがアトムの初期の頃持っていたペシミズムとは、質的に違うと思って(COMIC BOX手塚治虫特集インタビューより)
これは先輩から聞いた話ですが、「西遊記」の製作に手塚さんが参加していた時に、挿入するエピソードとして、孫悟空の恋人の猿が悟空が帰ってみると死んでいた、という話を主張したという。けれど何故その猿が死ななくてはならないかという理由は、ないんです。ひと言「そのほうが感動するからだ」と手塚さんが言ったことを伝聞で知った時に、もうこれで手塚治虫にはお別れができると、はっきり思いました。(COMIC BOX手塚治虫特集インタビューより)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.dailyshincho.jp/article/2021/08050557/?all=1
掲載は先週だが、「次週表記の号を前週に売る」という慣行のせいで5000人超になった日と号の日付が重なるという奇跡を残した。
木村盛世なんか使ってるのがおかしい。新潮は文春と同じ調査報道&スキャンダル路線を模索しているようだが実力が天地ほど開いてしまってもう無理というのが窺われる記事。品川から京浜急行快速特急に追いつけと京浜東北線に乗ったが蒲田止まりだったような侘び寂びを感じさせる。
島田裕巳はオウムシンパの宗教学者だった。地下鉄サリン事件の前からオウム真理教に惹き起こる疑惑に対し、教団施設を取材しては「オウムとは無関係」という結論を書いていた。
1995年3月20日の地下鉄サリン事件に関して東京新聞に問われ「私が中まで見たところ、サティアンは宗教施設であって毒ガス工場などではない」とコメント。3月22日の同紙に掲載されたが、同日に警察は大々的に第7サティアンを捜索、それがTVや新聞で通常番組を差し替えて報道されている日に島田の「サティアンは宗教施設で毒ガス工場ならず」のコメントが掲載される珍事となった。
これを受けて島田は翌月の宝島30に『「罪深き」私にとってのオウム』を寄稿する事になった。
島田の舌禍はこれに留まらず、TVなどで名指しで散々批判罵倒を受けた。当時、オウムを近代への疑義と評価するのが知的とのスノビッシュな風潮があり、それに乗っかっていた文化人たちが批判逸らしの為に島田をスケープゴートにした為に更にバッシングは苛烈さを増し、島田が勤務していた日本女子大にもクレームや脅迫が殺到して島田は解雇された。
オウムは島田の擁護を最初から利用しており、教団へのバッシング逸らしの為に島田の居宅のあるマンションの玄関を爆破した。教団側の島田を狙う犯行があると見せかける為であった。
中川八洋はアフガン侵攻等を受けて80年代にソ連が攻めてくるから軍備を急げとの主張を論壇誌で繰り広げていた。
ところがゴルバチョフが書記長に就任してペレストロイカとデタントを進めると当然に西側諸国の態度は融和になり、同時に西側でのゴ書記長の人気は絶大なものになっていった。
これに対して中川は「ゴルバチョフの政策が反動化している」「ゴルバチョフ路線が侵略主義に転じている」と論壇で主張し続けた。
だが実際にはそんな局面は無く、バルト三国の独立を認め、東欧の衛星諸国にも改革と自由化を迫るなどしており、ベルリンの壁崩壊など劇的な自由化の流れが起きていた。
要するに「ソ連」という敵が無くなると反共アイデンティティの拠り所がなくなってしまうので固執していたのである。
西側の心配というのは寧ろ一貫してゴ書記長の失脚により東側の自由化とデタントの流れが巻き戻る事であった。それほど急激な変化が東側で起きており、後発の政変になるほど革命や崩壊と呼ぶべき状況が発生していた。
その心配の通りにソ連共産党守旧派はクーデターを敢行、それは鎮圧されてソ連邦は廃止されるという劇的結果になった。
ところが中川は相変わらず論壇誌にゴルバチョフ脅威論を書いていた為にクーデター、ソ連崩壊と同時か直後に「ゴルバチョフソ連が攻めてくる」論が発表されるという珍事に至った。
これによって中川は反共論者として干されてしまい(市場の前提が無くなったのだからそりゃそうだ)、主に徳間書店から黒表紙の陰謀論本を出すようになった。当時は陰謀論とオカルト本が流行っていたのだ。
ところがオウム事件が発生するとオカルトと陰謀論が氾濫しているのが原因だというもっともな反省が起こってその市場も無くなってしまった。
1→https://anond.hatelabo.jp/20180829184304 2→https://anond.hatelabo.jp/20180829184954
「文句言うなら二次創作で好きなもの主張しなよ!」みたいに言いたい人もおりましょうが、それならもうやってるよ。
たくさん描いたし、イベントも出る。
でも、手応えなし。
何故なら回りくどいから。
だからもう回りくどいのはやめだ。
あちらさんはいつも直球だし。
ムカついてきた。
絵も投稿してから色々見えなかったとこが見えてくるっていうし。
なんかごめんね。
正直色々腹立たしいポイントが多すぎてどこから突っ込んでいいかわからないよ。
正直相談もできず常態化しすぎて第三者の人からしたらどこからが気になるポイントなのかもわからないし。
あのカップリングを嫌いとは言いたくない。(真意はノーコメント)
何故なら興味が無いので。
ただ自分の好きな作品が平然と他社の無関係作品の腰巾着扱いされてるのを延々と見せつけられるのが胸糞悪くて仕方ない。これは相手がディズニーキャラじゃなくたってそう。
普通にRotGの話だけ聞きたいからマジモンの頭痛と吐き気に見舞われながらマイナス検索とミュートを繰り返す人間の気持ちがわかるか?
その日の夜中に原因不明の腹痛が起きたのもひょっとしてそのせい?
何で俺が興味ないジャンル(あちらの某ディズニーアニメ自体の事ではない)のためにこんな労力を強いられてるの?
マイナス検索?やっちゃいるけど打つのめんどくさいんだぞ。想定外のワードも出てくるし。検索エンジンの調子が悪い日にはマイナスが認識されないでそのキーワードと一緒に出てきたりして。(はらわた煮えくりかえり案件)
正直この案件が特殊すぎて他に例が無いため他の似たような案件の意見を見て消化の代償行為すらできない。
某他社アニメの属国扱い前提のブームの後に残るのはイナゴが食い荒らした荒野だけ。
そっとしておかれてればただ静かに過ごせただけだったのに、
さんざん期待を煽られた挙句、植民地状態になった動きの無え界隈だけが残った。
なあ。
どう落とし前
つけてくれるの?
どう責任
とってくれるの?
これもみんな配給会社のごたごたとガーディアンズ伝を某雪の女王アニメの腰巾着扱いした連中が悪い。
あと、本当にうっかり間違えてたんなら仕方ないけど、意図的にRotGをディズニーと偽って誰かに紹介した者がいたとしたら。
あとテレビ局がもしもRotGを紹介する時に
「某ディズニーアニメとのコラボネタが大人気!」みたいな感じで腰巾着紹介しやがったら、
本当に許さねえからな。
幸い今まで公な放送でそんな事件は起きてない。これからも起きないでほしい。お互いの平和のためにも。超えちゃいけない一線は超えないようにしよう。
このクソ状況を覆すには
3. RotGが地上波放送される(ドリームワークス特集とかいって他のドリワ作品も共に放送されるのがベスト。ジブリ特集みたいに。)
5. 続編出て今度こそ上映される。
のどれかが起こるか、なんなら全部起こってほしい。
でもどうしても選ぶなら一番起こってほしいのは1かな。
1、 すなわちウィリアム・ジョイス氏の原作本とか関連書籍が出れば自然と人気は出ていきそうだから。
それが2以降の理想的な展開により繋がっていく。
ちなみに1の展望ですが、実際複数の日本の会社でウィリアム・ジョイス氏の絵本出版の話は持ち上がっているそうです。
ちなみにウィリアム・ジョイス氏の日本語版絵本は一冊出てます。
徳間書店様にて「モリス・レスモアとふしぎな空とぶ本」が発売中です。
ねえ、日本のみなさん。
(ちなみに日本語でウィリアム・ジョイスでググると1946年没のイギリスのファシストのウィキペディアが出てくるけど全く関係ないよ。絵本作家のジョイス氏はご存命だよ。)
…実を言うと3が実現してほしくって、金曜ロードSHOW!の公式メールフォームのリクエスト欄から送ったりしてるんだ。届いてっかな、へへ…(鼻の下をこする)
リンクはこちらです。→https://apps.ntv.co.jp/kinro/form/30655be5-f93c-4d0c-b96f-3ed87c903896.html#__utma=1.73706199.1526713188.1526713188.1533457533.2&__utmb=1.2.9.1533457551565&__utmc=1&__utmx=-&__utmz=1.1526713188.1.1.utmcsr=google%7Cutmccn=(organic)%7Cutmcmd=organic%7Cutmctr=(not%20provided)&__utmv=-&__utmk=34723617
もう一度言うね。
疲れた。
にしてもこんなにそこそこ色々書くと、
「本当にマイナス検索したんですか?wwwwわざわざ見に行ってません?wwww」
とか思われたりもするんでしょうが、
私はわざわざ石の裏をひっくり返して裏の虫を覗く趣味は無いよ。
その証拠に事故で見かけた一枚絵みたいなやつ以外は見たことないしマンガ形式とか小説形式みたいなストーリー形式のものは一ミクロンも読んだことないのであの界隈のセオリーも知らない。
知ってるのはRotGを他社作品某Aの事を味付けエキス扱いした紹介分のような類のものだけ。
なあ。
私何か間違った事言ってるか?
間違った情報はあるかもしれないけどこの怒りは確実に本物だよ。
RotGを勧める時の常套句で、「ディズニーの某Aが好きな人見て!」みたいなやつすら見るのが恐ろしい。
やってる事は「ドラゴンボール好きならヒックとドラゴン観て!」みたいなかんじだぞ
氷の演出が好きって意味ならまあわかるけど某雪の女王アニメを引き合いに出す必要なくない?
もしこの記事を出したことによって「○○(例のカップリング名)再熱しました!」とか言われたら草すら生えない。荒野だからね。
まあどうせもはやそれ自体が無関係の別ジャンルとしか思ってないし…
どうせウチらとは関係ないから勝手にしろって感じだ。やる夫スレみたいなもんだし…
私に「ジャックフロストはジャ某(仮称)で知った」と言い放ったあの人、
ピクシブでジャ某(仮称)のタグをよく検索したことを喜々として語ってたし。
何にしろ、ドリームワークスアニメのRotGをディズニーアニメの調味料扱いしたのは許さんからな。
ちなみに、この記事のタイトルはこのカップリングに反感を抱く人の某主人公側の方の人の人の言い方を真似したものです。
「某Aに男をあてがうなんて…」とか言ってたんです。
うるせえこっちも同じなんだよばかやろう。
ちがう馬鹿野郎じゃない。
こっちも同じ。
こっちだってジャックがお付き合いとかまだはえーよ!って感じなんだよ。
考えすぎかもしれないけどジャックを雑に男ってくくってんのめっちゃやだな。
君は某Aにあてがってほしくない。
これほど利害が一致してることなんてある???(元々無関係なんで利害も何も無関係って感じではあるけど)いわば同志じゃないか。(本来は無関係だけど)
あーあ。
元はといえば。
配給会社のごたごたさえなければ。
20世紀フォックスとのごたごたが無ければ。
こんなに状況がこじれることなんてなかったのにな。
罪は償えよ。
日本の出版社さん。ウィリアム・ジョイス氏の絵本出版応援してます。
あとユニバーサルスタジオさん。ユニバーサルスタジオジャパンさん。ドリームワークスアニメーションのこと、よろしくおねがいします。
ひとまず今回はこれで以上です。
書いてる途中ストレス性っぽいムカムカと発熱と原因不明の腹痛と味覚が一時的におかしくなるなどの諸症状が出ましたがなんとか書き終わることによっておさまりました。
やっぱ溜め込むのはよくないですね。問題というのは。
子供の頃買ってもらったドラゴンクエストモンスター物語が出てきたので、久しぶりに読んだ。
いやぁ子供の頃読んだ時はあまり分からなかったけど、スライムの進化とか、ベビーサタンの昇級の話とか面白いなぁ。
それでふと思ったのが、今の自分でモンスターを倒せるのかなと。一番弱いスライムを倒せるのかなと?
人の膝(子供の膝下)ぐらいの大きさとは、聞いたことがあります。(TRPG系の書籍で、とこかのコラムにあったとのこと*1)
ドラクエのミュージックビデオでは、一人用の鍋にすっぽり入るサイズでもありました。
(調理中に襲われて、手で払ったらぽちゃんと鍋に……と言うシーンがあった。……ちょっとグロかった。)
重さは、わかりませんが、中身が水より重いと仮定すると、子供一人ぐらいの重さは軽くあるのではないでしょうか?
1 本を確認してきました。
『ファンタジーRPG100の常識』2-42『スライムは可愛くない』より
ファミリーコンピューターマガジン(徳間書店)1897年4月17日号の読者の質問に答えるコーナーで、
プログラマの中村光一氏が『スライムは、君達の膝下ぐらい』と答えているとの記述がありました。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1172130946
私もファンタジーRPG100の常識を持っていたので(上の西暦は間違えだね)、これを参考にしてもいいはず。
膝下とあるが、君達と書かれているので恐らく子供の膝下なのかなーと思う。
とりあえず30~50cm位でいいでしょ。
とりあえず5kgで
ボヨンボヨンしているし、本気出したうさぎ位の俊敏さはあるのかな。
とりあえずそれで。
自宅で寝ていると、外からモッチャンペッタンとなにやら粘着質な音が聞こえてくる。
家の扉に何かがぶつかっている。
「はーい」と扉を開けると、そこにスライムが!!
「え」と声を出すまもなくスライムは私の腹に体当たりをかます!!
鳩尾に強い衝撃が!!あばらにひびが!3のダメージ!
「ぐええ」
と私は廊下に倒れる。苦しんでいると顔にスライムが上からのしかかる。私はなんとか両手でスライムをはがし、
扉に叩きつける!しかしその時に手を噛まれる、両手の指を何本か無くす。2のダメージ!
ここでふと思ったのが、私のHPは幾つだろうと考えたが、多分10も無いと思うんだよね。
普通の町民の力なんてレベル1の勇者以下なんじゃないかと思う。
私は台所に行き出刃包丁を取り出す!そしてそれを持って構える!
スライムはこちらの様子を見ているが、馬鹿なので直ぐに体当たりをかましてきた!
「うわぁぁ!」
なんて倒せる感じで妄想してみたけど、最初の時点でそのまま倒れこんで頭打ったり、内臓破裂したり、窒息死させられそう。
追記
ターン制は無しとする
最近、ファミコン版ドラクエ2をクリアした。バランス調整がおかしいとか、散々言われているだけあって、想像以上にしんどく、クリアにはなかなかの達成感があるので、一度遊んでみるのは割とおすすめ。
ドラクエ2と言えば、サマルトリアの王子の弱さとロンダルキアへの洞窟の難易度の高さがよく槍玉に上げられるんだけどさ、前者については遊んでいてよくわかる。攻撃力も中途半端すぎて打撃にも使いにくいし(そもそも最強武器が「てつのやり」の時点で‥‥)、かといって強い魔法を覚えるわけでもなし、ベホマを覚えないから回復にも使いにくい。そんなわけで「ちからのたて」を上げ下げして、攻撃を受ける壁になってもらうしか、活躍の場がない。でも、コイツが壁になってくれないと、他のメンツに攻撃が集中して全滅の危険性が高まるから、弱いといってもいるだけマシという状況ではあった。
そして後者のロンダルキアへの洞窟なんだけどさ、率直に言ってネットで言われているほど、難しいか?あれ。
いや、もちろん攻略情報一切なしだと難しいと思うよ。攻略情報を見ながらのクリアだから、落とし穴&無限回廊のトラップには苦労せずに踏破できたというのも大きいし。でもダンジョンマップや落とし穴&無限回廊の情報なら、当時の攻略本(徳間書店版のドラクエ2攻略本)にも書いてあるから、それさえあればさほど苦労するようにも思えない。攻略本を見ながら遊んでる人も多いだろうし。ロンダルキアへの洞窟をざっと解説すると、以下の通り。
そんなわけで、攻略情報があったから‥‥という前置きがつくものの、6階以外はあまり苦労しなかった。モンスターも基本的にはドラゴンに気を付ければいいだけだしね。
何回も言うけど、もちろん攻略情報があれば、という前置きはいる。でも攻略情報なしでのプレイなら、ロンダルキアへの洞窟をクリアする前に行くことになる海底の神殿も相当しんどい(フェイクの階段が多すぎる。泥人形のおかげで魔法が使えない。そのくせトラマナを使わないと、マグマでダメージを受ける)と思うけど、こっちはあまり槍玉に上がっていない。
そして、ネットで言われているほど、ロンダルキアへの洞窟はあまり難しくないんじゃね?と思ったのは、洞窟踏破後のロンダルキア台地&ハーゴンの神殿がそれを遥かに上回る鬼畜難易度過ぎて、洞窟の苦労なんて可愛く見えるレベルに酷かったってこと。ザコ敵相手の戦闘でも、常に中ボス戦を挑んでるような緊張感があって、レベル上げや移動するのが本当にしんどい。一体、何度復活の呪文を捏造するツールを使いたくなったことか。ほこらで常にできるって安心感はあるけどね。
あとしんどいと言えば、ムーンペタ~ルプガナの移動も。やたらと距離がある上に、途中でドラゴンの角を踏破する必要もあり、さらにマンドリルの襲撃に怯える必要も‥‥。
だから、自分の中だとドラクエ2のしんどかったところって「ロンダルキア台地>>>>>>>>>>ムーンペタ~ルプガナの移動>ロンダルキアへの洞窟>サマルトリアの王子が仲間になるまで>海底の神殿」って感じ。ロンダルキアへの洞窟はヤバいってことを散々聞かされて遊んでたから、実際に遊んでみると拍子抜けたってのも大きいか。
一応言っておくけど、ロンダルキアへの洞窟が簡単とは言ってないからね。言いたいことは、ロンダルキアへの洞窟の難易度の高さが独り歩きしすぎて、あまりにも話が盛られてるんじゃないの?と、ということ。もちろんダンジョンとしては確実に難しい部類に入るし、ドラクエ2を象徴するダンジョンでもあるのは間違いない。
追記 2017/04/21 19:00:
「攻略情報があれば楽に決まってる」ってコメントがちょくちょくありますが、そんなこともちろんわかった上で書いてるよ。だからこそ、本文中でしつこいくらい「攻略情報が~」って書いてるんだから、そこは無視しないで欲しいな。
攻略情報ありでファミコン版ドラクエ2を遊んでいて思った率直な感想として、攻略情報ありだと「ロンダルキアへの洞窟」は世間的に言われているほど難しくない、一方「ロンダルキア台地」は攻略情報があって、マップやモンスターの対策方法がわかっていても、泣きそうなくらいの鬼畜難易度で何度も心が折られかけたということ。攻略情報があっても異常な難易度を誇るんだから、難しいのはロンダルキア台地の方で、ロンダルキアへの洞窟は攻略情報があれば意外となんとかなってしまうから、洞窟ばかり難しいと持ち上げられるのは、やっぱり話が盛られている面もあって過大評価じゃないの?と思ったわけで。だからこそ「洞窟を出てから本番」ってのは、ものすごく同意する。実際、祠につくまで何度か全滅したし。
まあ今のご時世に攻略情報ありでファミコン版ドラクエ2を遊んだ率直な感想だと思ってくださいな。攻略情報ありだと、ロンダルキア台地の異常な難易度がトラウマになって、洞窟への印象は薄いんです。
https://df.nicovideo.jp/entry/347125
リンク先は「ゲームメディア側の視点からアフィブログ問題を語ってみる。ゼルダ95分で全クリという誤報の大拡散から考える、現代のメディアのありかた」という記事だ。簡単に言うと、ドワンゴ(角川)が主体となって運営しているゲームメディア「電ファミニコゲーマー」が「はちま起稿」や「JIN」、「やらおん」などのゲーム系迷惑サイトのフェイクニュース大量生産の姿勢を批判するものなのだが、この記事に対するコメント欄の反応が地獄の様相になっている。
ゲーム系迷惑サイトの読者による罵倒の荒らしは見るにも堪えない。感性の違いで済ませるにも中々厳しいところが多すぎる。電ファミニコゲーマーはそもそもTwitterやはてブのコメントが付くことはあっても電ファミのサイト側にはあまりコメントが付かない(いつも常連の人か中の人しかコメントしてない)。電ファミにログインするにはニコニコのアカウントが必要なのだが、この記事にコメントしたユーザーのアイコンはほぼアカウント作成時のデフォルト(ツイッターでいう卵アイコン)のままだ。つまり、件の記事を荒らすためだけに作られた、もしくは初めて電ファミにログインしたユーザーである可能性が高い。実名顔出しアイコンの人は…知らん!
この人たちの主張をまとめると「既存のゲームメディアはメーカーと癒着してるから信用しない。だからメーカーとの癒着がない個人が運営しているゲームブログを信用する」らしいのだが…
結論からいうと、この主張をする人は「既存のゲームメディア」ではなく「ファミ通」を信用していないのだ。実際問題、紙媒体として現在有力なのは実質ファミ通のみだろう。ファミ通のレビューはさんざん注目されるが電撃のレビューは一切注目されない。紙媒体のゲームメディアはファミ通、電撃を始めとしてほとんど角川系しかないし。
実際ファミ通のレビューは「点数はアテにならない」なんてさんざん指摘されていることだ。それこそ2013年に発売されたジョジョASBである。あれを格ゲーとして見るかキャラゲーとして見るかで評価は変わると思うのだが、いずれにせよ満点はやりすぎだったと思う。現在人気タイトルの筆頭であるポケモンやスマブラ、ソウルシリーズ(デモンズ)も当初はファミ通レビューで大した点数をつけられなかったのも有名な話だ。どうせみんな40点(満点)か極端な低評価しか見ていない。
そもそも、「ゲームメディア」とは何だろうか?とりあえず増田が考えた簡単な定義を紹介する。
2.あくまでメーカー(開発者)と消費者の中間の存在であること。
まあ、1の伝える中心の情報を変えればわりと普遍的なメディアの定義になるのではなかろうか。これらの条件を満たすゲームメディアはかなりの数がある。
紙媒体ではファミ通(角川)、電撃PS(角川)、ニンドリ(徳間書店)。
ウェブメディアではファミ通.com(角川)、電撃オンライン(角川)、4Gamer(Aetas)、GAME Watch(インプレス)、インサイド(イード)、Game*Spark(イード)、AUTOMATON(アクティブゲーミングメディア)、IGN Japan(産経新聞)他。
ちなみに電ファミニコゲーマーはファミ通と電撃と4Gamerの関係者が合体したものだ。
まさかこれらのメディア全部が「メーカーと癒着しており、信用するに足らない」とでも思っているのだろうか。
…実際に定期的にねつ造じみた誤報を出したり、運営企業がそもそもメーカー側の事業の一部な所もあるのだが、そういったところは読者から指摘されれば記事を訂正もするし、責任の所在がはっきりしているし、自社のゲームを取り扱う際は読者から疑われないようにかなり神経質にしている。もしメディアの記事を読んで気に喰わないのであれば別のメディアに頼ればよい。読者はメディアを自由に選ぶことができるのだ。紙媒体と違って無料で読めることが前提のウェブメディアなら尚更だろう。
まさか、ゲーム系迷惑サイトの読者は自分が読んでいるサイト以外にゲームの情報源が存在することを知らないし、知ろうともしない可能性が?
いやあ、それはないだろう…
ないよね?
そもそも何が悪かったのかというと、特定のメディア(企業)が読者(市場)をほぼ独占するとろくなことにならないという普遍的な結論である。新聞が一社しかなかったら絶対にろくなことにならないのは誰でも想像がつくだろう。
最後に、電ファミニコゲーマーは既存のメディアは他メディアの記事に触れることができなかったとして「ゲーム系まとめブログみたいに複数のメディアの記事を閲覧できるようにキュレーションメディアという形をとった(もちろん無断転載ではなく、元記事へリンクする仕組み)」のだが、そもそも電ファミニコゲーマーが書くオリジナル記事(「ゲームの企画書」シリーズ、増田が個人的に好きなのはドワンゴVR部系の記事)の品質が良すぎてそれだけで勝負できてしまい、キュレーションサイトとしての存在感が薄い。
あと、キュレーションするサイトの中にいわゆる「個人を騙り責任の所在を曖昧にしている企業によるゲーム系速報/まとめサイト」がキュレーションされてしまっているので、ある程度責任の所在が明確なメディアの記事のみがキュレーションされるような仕組みに変えてほしい。
<追記>
件の記事のコメント欄はゲーム系迷惑サイトの読者ではなくゲーム系迷惑サイトの運営側の工作ではないかという意見があった。その可能性をすっかり失念していたが、いずれにせよゲーム系迷惑サイトの関係者は例え地の果てまで逃げようとも必ず追い詰めて責任追及してやる。
<追記その2>
久しぶりに電ファミニコゲーマーを閲覧したらまさかのこの記事が載っていた。どうやら公開の約1週間後(3/22~23)にピックアップされたらしい。それで色々と反応を見てみたのだが、興味深いトラバ(http://anond.hatelabo.jp/20170323161617)があったので引用させていただく。
==
http://anond.hatelabo.jp/20170316204720
参考
オタクではなくアニメが好きなだけのゴシップ好きが増えたと感じる
http://futalog.com/369294475.htm
==
ちなみに私はゲームメディアの関係者ではない。強いて言うならば、「みんな、どうしてテレビゲームに飽きちゃったんですか?(http://anond.hatelabo.jp/20170207194549)」とかいう駄文を書いた挙句はちまやJIN、やらおんに拡散されてしまったゲーム業界志望者の学生である。あいつらに自分がPV稼ぎの餌にされたと思うと心の底から悔しい。この記事なら多分あいつらに拡散されることはないだろう。
言いたいことがたくさんあると文章が散らばって良くないですね。読んでくれてありがとう。
以下、書いたはいいけど主題と関係の薄い無駄話なので読まなくてもよい。
正直なぜゲームブログが「メーカーとの癒着がない」前提で話しているのかがわからない。つい最近にもはちま起稿がDMMの管理下だった時期があるとニュースになったばかりではないか。S社なんて何人かの関係者がゲーム系迷惑ブログの管理人と接触して増田みたいな人間から滅茶苦茶叩かれているのを知らないとは笑わせてくれる。
そもそもゲーム系迷惑サイトがあの規模で記事を大量量産しまくっているのを見て個人運営(笑)だと思うのがおかしい。大手に限らず話題の新作ゲームが発売されるたびに雨後の筍のごとく出てくる「○○(ゲームのタイトル)速報/まとめ」は大体まとめブログを収入源とする企業が作っているものだ。個人運営で匿名を装うのはまず組織的な犯行とみて間違いないだろう。個人で収入源にするには採算が合わない。一番いい例がそれこそはちまだ。あれは管理人の親が広告業だったからそれの発展形として企業化したのものだ。
なぜ自分の愛読するブログが親の仇にように増田から執拗に責められるのかがわからないゲーム系迷惑サイトの読者のために理由を簡単に説明すると「記事のほとんどが他所のメディアからの無断転載」で「PV数を稼げるように転載内容を編集してねつ造」し「まるで何の変哲もない個人が運営しているようにみせかける」ことによって「責任の所在をあいまい」にして自分の身に不利益がないようにふるまっているからである。
・新田恵海がデビュー前にAVに出演してたのかどうかは「不明」
→ 事務所は本人に確認した上で「出演したことはない」と発表(事実)
→ アサヒ芸能は本誌発売直後にWebの記事を削除した。以後復活していない(事実)
→ 東スポは「当人は「またこれなの?」と言って嗤っている」という記事を載せた(記事の存在は事実)
→ サイゾー系列の主にサイゾーウーマンは「アサヒ芸能は確実な証拠を掴んでいる」という記事を載せたが、その後アサヒ芸能に動きはない(憶測)
→ サイゾーウーマンが株式会社Sの声優取材を徳間書店が行えなくなった、と言う記事を載せたが、株式会社S・徳間書店双方から否定のリリースが出る(事実)
記事以外の動きでは
・ネット上では、歯やほくろの位置、声紋などを持ち出して「確定」と決めつけている者もいるが、「本人である」という確定情報は公式には出ていない
・騒動に巻き込まれた新田恵海は、リリースイベントを時間短縮&厳重警備の上でそれでも実施し完走(事実)
・スキャンダル記事以降、ニコ生が1回お流れにはなったが、それ以外のレギュラーのネットラジオ、地上波ラジオへのコメント出演、地上波テレビのナレーション、レギュラーのアニメ作品などから降板という動きはない(憶測)
・この手のイメージを気にするであろうNHKのレギュラー番組ナレーションも継続、Eテレでのラブライブ二期の再放送も無事開始、告知ミニ番組のナレーションも新田恵海が担当していた。
・その後の大ヴァンガ&大バディ祭では特に厳重警備など無く通常の運営の元でステージ出演している(事実)
・当人がキャラクターボイスを務める1000ちゃん(パチンコメーカーのイメージキャラクター)がキングレコードからのメジャーデビュー決定(事実)
・1stライブのBlu-ray発売告知CMも、ブシロードが提供している番組では普通に流れている。
・新田恵海は激やせしたと見るファンも居る(筆者は判断を避ける)
結論として
・今回のスキャンダル記事は、彼女が仕事を失うほどのモノではなかった。
・一部記事が徳間と株式会社Sに否定されたことにより、サイゾーの他の記事に対しても疑念がわく
・新田恵海本人に心理的なダメージはあったのかもしれないが、仕事は通常通り行えているようではある
・つまるところ「割とどうでもいいゴシップ誌の与太記事」として、現場では切り捨てられてそうではある。
つまり、宮村優子の時と同じで、このまま有耶無耶になるのだろう。まぁ、そんなもんなんだろうな。
キャリアを積めば、どうでも良くなる話だったのだろう。
質問「渋谷系ってどんな音楽なの?」
回答「渋谷系とはムーヴメントであり、音楽のジャンルを示したものではない」
Wikipediaによれば、「東京・渋谷(渋谷区宇田川町界隈)を発信地として1990年代に流行した日本のポピュラー音楽(J-POP)の一部の傾向を分類化したものである」とのこと。
代表にフリッパーズギターやピチカートファイヴ、オリジナル・ラヴなど。流行は90年代後半には終息していったといわれている。
渋谷のCDショップを中心に発信された流行(ムーヴメント)を表す言葉として用いられたのが始まりらしいが具体的な起源はよくわかっていない。
ミスチルやスピッツも渋谷系として扱われたこともあったらしい。
こんなに曖昧でよくわからない渋谷系だが、本来は流行そのものを類型化したものであり、特定の音楽ジャンルを指したものではなかったという認識は間違っていないだろう。
2016年現在、「渋谷系っぽい」という感覚は一定数の人間の共通の認識として共有されているように感じられる。
しかも、渋谷系というワードを好意的に使っているのは、なぜか渋谷系ムーヴメントを経験していない20代以下の若者たちが多いようなのである。
あくまで自分の観測範囲での話だが、確実に若者にとっての「渋谷系音楽」というものが存在するのだ。
お笑いでいえば「エンタ芸人」「レッドカーペット芸人」「あらびき芸人」みたいなもので、そういった括りはお笑いのジャンルではないのだけれども、
「エンタ芸人っぽい」という感覚はなんとなくであるが存在する。
あるいはビートたけしの「ダンカンこの野郎!」のようなものかもしれない。
*
あるいは、なぜムーヴメントから20年経った今でも渋谷系という言葉が使われるのか。
これは個人的な考えだが、それは「渋谷系以降の音楽が渋谷系の文脈で語られ過ぎた」ことに起因していると思う。
音楽は語られることで歴史となる。
当たり前の話だが、語られなかった音楽は音楽史に残らない。
渋谷系があまりにも語り手によって評価されたために、その後の音楽にも渋谷系の文脈が用いられてしまった。
そして、「渋谷系の文脈で語られた渋谷系以降の音楽」(≒渋谷系フォロワー)が現在影響力を持つようになり、それらを語るときに、渋谷系という言葉を使わざるを得ない状態にあるのだ。
私の考えでは「渋谷系っぽい」音楽のイメージ形成に大きく影響を与えたのは、渋谷系の人物ではなく渋谷系以降の人物なのである。
さて、ここでは、広がっていった「渋谷系っぽい」という認識に対して「定義が曖昧だ」とか「間違ってるよ」といった指摘はしない。
ここでは、実際のところ若者たちはどんな音楽を「渋谷系っぽい」と思っているのかを、曖昧なワードらしく曖昧に書き連ねていく。
2012年3月、NHK-FMで「今日は一日“渋谷系”三昧」という番組が放送された。
渋谷系で10時間番組を持たすというだけでもNHKすごいなと思うのだが、この番組でのプレイリストが大変に興味深い。
フリッパーズギター、ピチカートファイヴなどの曲が多く流される中、ブームが終息した1990年代後半以降の曲もいくつか放送されている。
ROUND TABLE、Cymbals、カジヒデキ、Chocolat、Chappie、南波志帆などなど……
NHK-FM 今日は一日渋谷系三昧のプレイリストまとめ - NAVER まとめ
これらの音楽も広い意味では渋谷系と認識することができる(されている)ということなのだ。
注目したいのはカジヒデキ。
彼は「最後の渋谷系」「遅れてきた渋谷系」と評されることが多いが、彼は現在の渋谷系のイメージ形成においてかなり重要な位置を占めている。
なぜか。それは2008年の映画「デトロイト・メタル・シティ」に関わったことによるものである。
同名漫画が原作の実写映画で、渋谷系音楽を愛し、ポップミュージシャンとしてデビューするため上京した主人公が、なぜかデスメタルバンドとしてデビューし、しかもカリスマバンドとしてブレイクしてしまうというお話。
そして、映画において、主人公・根岸の歌う「甘い恋人」を作曲したのがカジヒデキなのである。
ある意味で作中における渋谷系の象徴となるこの曲は、視聴者に渋谷系のイメージを強く印象付けた(同時に公然猥褻カットも強く印象付けた)。
――「DMC」では、根岸君が思う「渋谷系=可愛くてポップ」という、かなり表面的なイメージで描かれていますよね。
「渋谷系=可愛くてポップ」という解釈はちょっと? だったりしますが、実際僕の歌詞もそう言う側面を持っているし
(中略)「可愛くてポップ」は渋谷系の要素としては小さいと思うんだけど、フォローアーにはそういう人が多いことを考えると、決して間違った解釈ではないんでしょうね(笑)。
さて、最近、「渋谷系」を前面に押し出した若手バンドが2つ現れた。
ひとつが「OK?NO!!」というバンドである(2015年に既に解散している)。
全員平成生まれの渋谷系宅録ユニット、OK?NO!!によるフル・アルバム。ポップだけど、どこか骨太で、ビートで踊れてパーティな新感覚ビートポップ・グループOK?NO!!。Cymbalsの影響を多分に受け、"Beat Your Cymbal!! Life is a party!!"を声高に叫びながら遂に全国リリース!
もうひとつがPOLLYANNAだ。
最新型渋谷系ポップバンド POLLYANNA / ポリアンナ
2014年6月に結成。都内を中心に活動中。
OK?NO!!にいたってはCymbalsの影響を公言しているし、POLLYANNAも「TAKE ME WITH OVERLAND」という曲を聴けばCymbalsの影響を受けたのだろうと推測できる。
(実際に影響を受けた旨の発言もある)
Cymbalsは渋谷系ムーヴメントより後に出てきたバンドである。
しかし、Wikipediaを見てみると「ポスト渋谷系」と表記されている。
当然、彼らは渋谷系アーティストの真似事をしていたバンドではない。
あえていえばThe Whoなどのブリティッシュロックの影響が強い。
にも拘らず彼らを表すときには「ポスト渋谷系」などといった言葉がどうしても付きまとう。
それ故に彼らを知った若い世代は彼らの音楽を渋谷系音楽だと認識するのだ。
Cymbalsの初期のバンドコンセプト「かわいくっていじわる、ただしパンク」を渋谷系を表す言葉として捉えている者もいるようだ。
元Cymbalsで現TWEEDEESの沖井礼二はあるインタビューで以下の発言をしている。
TWEEDEESのライブには、高校生のお客さんも来てくれます。で、彼らが何で僕の存在を知ったかというと、ゲームミュージックだったりするんです。北川くんの場合はアニメだったかな。若い方の中には、フリッパーズ・ギターやピチカート・ファイヴではなく、CymbalsやROUND TABLEを渋谷系だと思っている人もいるみたいで。そこは自分でもよくわからない感覚です。
沖井礼二と黒田隆憲が語る“ポップスの暴力性”とは?「気持ちいいところは過剰にした方がいい」|Real Sound|リアルサウンド
ゲームミュージックやアニメに触れて渋谷系を知る若者が多いようである。
Cymbalsの楽曲は「Rally」「Show Business」が版権曲として音ゲーに収録されていたし(音源は異なるが)、沖井礼二は「空への扉」「Break on Through」「Runnin' away」などの曲をpop'n musicに提供している。
音ゲーと渋谷系の関係については渋谷系のイメージ形成において重要な部分であると思うのだが、私では手に余る。
以下のブログの方が詳しいのでそちらを参照されたい。
ポスト渋谷系にみる、音ゲー楽曲と邦楽シーンの影響関係(前半) - ダストポップ
さて、ここでKONAMIによるWeb連動型音楽配信企画「ひなビタ♪」について触れておこう。
キャラクターによる楽曲をバックストーリーなどを含めて提供していくメディアミックス企画で、
多数の楽曲が音ゲーに収録されている。
その中には渋谷系音楽が好きなキャラクターも存在し、公式サイトでは「アキシブ系って何?」というコラムも掲載されていた。
そこにおいて渋谷系とはどんな音楽かの説明がされているので引用する。
アキバ系とシブヤ系は音楽のジャンルなんだけど、今だとちょっと古い言葉になるかもしれないめう。
アキバ系はキャラソンやアイドル、電波ソングといったキャラクター的な見せ方をする音楽めう。
めうは、もともとこの2つの文化には共通するものがあると見てるめう。
ぼーかるの声質に対するこだわり、夢見がちで妄想好きなところ、非日常を好むことなどめう。
お互い表現手法は全く違えど、感覚的には非常に近いものを持っていると思うめう。
他に2つを結ぶものに、ゲームがあるめう。
めう調査では、シブヤ系の人もアキバ系の人もゲームが大好きめう。
チップチューンという音楽はゲームのような音でシャレオツな曲を作っていたりするめう。
*
そう言えばさ、めうめう。
最近のアニメの主題歌とかって、シブヤ系の人達が曲を作っているのをよく見るよね?
まりり、いいところに目をつけためうっ!
その流れは今後もっとくると、めうは見てるめうっ!
アキシブ系とは一時期アニソン界隈で一部の人が用いていた言葉で、定着したとは言い難いが、Wikipediaに記事もあるため一定の影響力は持っていると考えられる。
また、上記のコラムにおいてアニメ主題歌を渋谷系の人たちが作っているという指摘があるが、渋谷系ムーヴメントで活躍した人物がアニメ主題歌を作った例というのはそんなに多くない
(ちびまる子ちゃんOP「ハミングがきこえる」、スクールランブルED「オンナのコ♡オトコのコ」など)。
ここでいう渋谷系とは、ほとんどがポスト渋谷系、つまり渋谷系以降の人物たちのことであろう。
「きんいろモザイク」のEDでは、90年代後半にQYPTHONEというバンドでデビューした中塚武による楽曲「Your voice」、「My Best Friends」が使用されているし、
「たまこまーけっと」のOP「ドラマチックマーケットライド」では元ラヴ・タンバリンズの宮川弾が編曲で関わっている。
また、ヒャダイン(前山田健一)も渋谷系音楽を好んでおり影響を受けているとされている。
さらに、アニメ主題歌において語らずにおけないのがROUND TABLEの北川勝利である。
Ninoをボーカルに迎えたROUND TABLE featuring Ninoとして多くのアニメ主題歌を手掛け、また坂本真綾、牧野由依、中島愛、やなぎなぎへの楽曲提供など、枚挙に暇がない。
(ここでフライングドッグというレーベルと渋谷系の関係なども語りたいところだが、とりとめもないので割愛する)参考:渋谷系と声優とレーベルの話 - AOI-CAT's diary
アキシブ系というワードが用いられるとき、必ずと言っていいほど北川勝利の手掛けた楽曲が挙げられる。
アニメ好きの中には北川勝利は渋谷系の中心人物であると認識している人も少なからずいる。
昨年放送されたアニメ「アイドルマスター シンデレラガールズ」はMONACAの田中秀和が音楽を手掛けているが、劇伴のテーマは「渋谷系」であったと明かされている。
最初にそういうオーダーがありました。もともと僕は「渋谷系」の音楽が好きで、90年代の渋谷系を参考にしましたが、当時の「渋谷系」は海外の古い音楽を参考にして作られていたり、Jポップに対するカウンターカルチャーのような捉え方をされていたりもしたので、そういう気持ちで作った感覚があります。
オーダーで「渋谷系」が出てくるあたり、音楽ジャンルとしての「渋谷系っぽさ」は既に確立したのかもしれない。
加えて「乙女感のあるサウンド」というディレクションもあったらしく、「渋谷系」と「乙女感」は結びつくものだという認識があるのだと捉えることができる。
以下のPVで流れるBGMを聴けば、彼なりの渋谷系の解釈が聴き取れるだろう。
(追記:サントラの試聴が始まってたのでいくつか貼っておく)
【楽曲試聴】「The Girls Etiquette (M22)」
【楽曲試聴】「The Dancing Glass Slippers (M25)」
少し時間が戻るが、2013年、アニメと渋谷系の繋がり、そして渋谷系イメージ形成において重要な役割をもたらしたと思われるアルバムが発売される。
総合プロデュースは北川勝利。そして参加するアーティストはカジヒデキ、沖井礼二、矢野博康、宮川弾、中塚武、ミト、神前暁、古川本舗、ドラムに宮田繁男、ギターに奥田健介など。
多くは渋谷系ムーヴメントが終息した後に出てきたアーティストである。
2nd、3rdアルバムになるにつれコンセプトは変わっていくが、この1stアルバムでは明確に渋谷系というコンセプトは存在していたようだ。
1枚目では、わりとわかりやすく「渋谷」というキーワードがあって、(後略)
花澤香菜×北川勝利が明かす、“極上のポップソング”の作り方「人生と音楽がより密接になってきた」|Real Sound|リアルサウンド
花澤香菜というボーカルとの相性とその完成度から評判になり、「渋谷系ポップス」としてリスナーに受け入れられた。
Amazonのレビューでも渋谷系について言及したものが見られる。Amazon.co.jp: 花澤香菜 : claire - ミュージック
花澤香菜の音楽は渋谷系だという語り口はネット上で多く散見される。花澤香菜 渋谷系 - Twitter検索
ここにきて、渋谷系ムーヴメント当事者ではないアーティストによって「渋谷系っぽい」音楽が一つの到達点に達したのである。
若者にとっての渋谷系とはこのアルバムだ、と大げさに言ってもいいのかもしれない。
また、この「claire」に加え、沖井礼二や末光篤、筒美京平などが参加した竹達彩奈「apple symphony」の2つに影響を受けたアイドルプロデューサーがいる。
でも今年に入って、大きな衝撃を受けた3枚のアルバムがありまして。
──全部挙げてもらってもいいですか?
connie NONA REEVESの「POP STATION」、花澤香菜さんの「claire」、竹達彩奈さんの「apple symphony」です。
Negiccoとは新潟県を拠点とする3人組アイドルユニットで、近年ではピチカート・ファイヴの小西康陽やオリジナル・ラブの田島貴男、ノーナ・リーヴスの西寺郷太、シンバルズの矢野博康などの楽曲提供を受けており、
花澤香菜と違い、渋谷系ムーヴメント当事者の参加もあり、これこそ渋谷系の正統だとみることもできるが、時期的には花澤香菜よりワンテンポ遅れての評価になっており、ポスト渋谷系と渋谷系の順番が逆になっているように見えるのが面白い。
さらに面白いのがノーナ・リーヴスで、花澤香菜やNegiccoの楽曲にメンバーが参加した影響からか、現在では彼らも渋谷系扱いされることがあるという点だ。
世代的にはROUND TABLEやCymbalsと同じ世代であるのだが(奥田健介はCymbalsのサポートメンバー)、
ノーナはマイケル・ジャクソンやプリンスの影響が色濃く、当時は彼らを渋谷系と評する人は少なかったはずだ。
しかし現在、「渋谷系っぽい」音楽に関わりを持つことで遡及的に渋谷系の枠に入ってしまうことがある。
また、アイドルといえば、沖井礼二がかつて手掛けたさくら学院バトン部のユニット「Twinklestars」も渋谷系と評されることがある。
矢野博康もNegiccoや夢みるアドレセンスの楽曲を手掛けており、アイドルファンには彼らを渋谷系アーティストだと思っている人も少なくない。
また、Perfumeから中田ヤスタカに遡ってcapsuleを知った者は、初期のピチカート・ファイヴを彷彿させる楽曲を聴いて「これが(ネオ)渋谷系」と認識するようである。
渋谷系以降のポップスが語られる際に「渋谷系を彷彿させる」などと表現されることで渋谷系のイメージは少しずつ形成されていった。
当時の渋谷系ムーヴメントにいたアーティストではなく、渋谷系の文脈で語られた音楽によってイメージが形成されたのである。
*
さて、ここまでとりとめもなく「渋谷系っぽい」音楽を追ってきたが、こういった曖昧な認識は今後も広がっていくのだろうか。
それは、アニメやアイドル、ゲームなどを通して渋谷系の種が既に播かれてしまったからである。
「渋谷系っぽい」音楽に触れた若者はその音楽を渋谷系であると認識する。その流れは、渋谷系に代わる便利なワードが出て来ない限りは続くのではなかろうか。
例として「アイカツ!」を挙げておこう。
「アイカツ!」とは女児向けアーケードゲーム及びそれを原作としたアニメであり、その楽曲は音楽の多様性やトレンドに非常に敏感であるとされている。
2013年には既に旬を迎えていたEDM・ダブステップを取り入れた曲をOPに起用しているし、他にもメタルやロカビリー、ディスコ、ジャズなどあらゆるジャンルを取り入れている。
その中にも、いわゆる「渋谷系っぽい」音楽というものが存在し、子供の世代にも渋谷系の種は既に播かれている。
アイカツ!ミュージックビデオ『恋するみたいなキャラメリゼ』をお届け♪
レトロクローバーということで、作曲編曲的にもレトロで可愛い方向性で作ってみました。渋谷系!お気に入りの1曲です…!
サビで5度が半音ずつ上がっていくコード進行にレトロ感を感じるのは僕だけでしょうか…?)^o^(— 石濱 翔(MONACA) (@MONACA_ishihama) 2015年5月28日
本来の「渋谷系」の意味するところから少しずつ意味合いは変化し、若者にとっての「渋谷系」は既に当時のムーヴメントであった「渋谷系」とは異なるところへ向かいつつある。
DMCにおいて強調された「渋谷系=可愛くてポップ」というイメージや、ひなビタ♪で紹介された「ちょっとシャレオツなカンジの雰囲気ポップス」というイメージが強くなっているようだ。
(思ったより反応をいただけたので少し追記しました。2015-11-16)
バンダイが展開する女児向けアーケードゲーム/アニメ「アイカツ!」
アイカツ!はいわゆる「音ゲー」の一種で、トップス・ボトムス・シューズ・アクセサリーの4種のカードを組み合わせてコーディネートし、オーディションという名のリズムゲームをクリアしてお仕事をゲットしていくという仕組みだ。
当然、豊富なバリエーションのオーディションステージが用意されるため、アイカツ!では年間20曲以上の楽曲が生まれている。
その楽曲の特徴は、キャラクターの声優とは別に歌唱担当が存在すること(STAR☆ANIS、AIKATSU☆STARS!など)、とにかくジャンルの幅が広いということ、そして“攻めてる”楽曲が多いということだ。
アイカツ!の立ち上げにはスーパーバイザーとしてアイドルにも造詣が深いアニメ監督、水島精二氏が関わっており、音楽制作については別のエントリを参照してほしい。
(アイカツ!における水島スーパーバイザーの仕事について - Togetterまとめ)
そして幅広いジャンルで攻めるという場合、楽曲の発注では、そのジャンルの先達の楽曲を参考にすることが当然多くなる。
特に水島氏はそこのイメージが具体的だったようで、アイカツ!の初期の楽曲は「何を参考にしたか」が比較的分かりやすい。
そこで、今回はアイカツ!の初期の楽曲を中心に、その元ネタ探しをしてみようと思う。(あくまで推察なので的外れなものもあると思う)
アニメの主題歌にこそなっていないものの、アイカツ!の原点ともいえる曲で、ゲームの企画段階の初期に作られたものだ。
「アイドル」というテーマの基本となる王道の曲であることから、当時の最も有名なアイドルグループを参考にしただろうことは想像に難くない。
明言はされていないものの、曲を聴いたイメージからおそらくAKB48のヘビーローテーションを参考にしただろうと推察できる。
アイカツ!で最も人気があると思われる曲で、YouTubeでの再生数が350万を超える化け物である。
いわゆる「メタル」であり、生粋のアイドルオタクである水島氏がBABYMETALを意識しただろうと考えることもできるが、
この曲はアイドルが歌うメタルというわけではなく、普通にかっこいいメタルなので、ベビメタが元ネタというには少し安易すぎる。
フルバージョンでは1分を超えるキーボード&ギターソロがあり、「ベビメタみたいにしてください」という発注だけではこの曲は生まれていないのではないか。
実は、この曲については元ネタが明言されている。
「吸血鬼キャラを演じているユリカが歌う「硝子ドール」は特別にエッジのきいた楽曲ですが、あれも“NIGHTWISH”というオペラ風に歌いあげる女性ヴォーカルのヘヴィメタル・バンドを参考にしています。 」
Storytimeという曲を聴けば、なるほどと納得していただけるかと思う。
NIGHTWISH - Storytime (OFFICIAL MUSIC VIDEO)
(追記:DREAM THEATERっぽいとの意見もあるが、それは作曲の帆足圭吾氏がDREAM THEATERの大ファンである影響かと思われる)
DREAM THEATER - Forsaken (Official Music Video)
「最初のうちは「アヴリル・ラヴィーンのようなポップスで」とオーダーしても、どこか抑えてしまうので、「存分にお願いします」と言うのも僕の仕事になりました。 」
と発言している。つまり、アヴリルのようなポップスがアイカツ!の楽曲にあるのだということになるが、自分の考える限りではこの曲が最もアヴリル・ラヴィーンに近い。
もちろん没になった可能性もある。(例として、2年目に登場するDance in the rainという曲は実際にはかなり初期に制作されていた)
アイカツ!はアイドルがテーマであることもあり、実際のアイドルをイメージしたような曲がいくつか見られるのも特徴のひとつだ。
こちらの冬っぽい曲もおそらくそのひとつで、自分の考えでは広末涼子なのではないかと思う。
広末涼子の「MajiでKoiする5秒前」は、ケンタッキーのCMでいつのまにか冬のイメージになってしまった竹内まりやが作曲している。
ピチカート・ファイヴや初期のcapsuleをイメージするようなキュートな「渋谷系」っぽい曲である。
そのまま渋谷系っぽいオーダーで制作されたのかな、とも考えられるが、MVを見ると元ネタはなんとなく松浦亜弥の「ね〜え?」かもしれないと思った。
小さな箱の中で踊るというイメージが「ね〜え?」のMVと似ているからである。
しかも、「ね〜え?」は編曲がピチカート・ファイヴの小西康陽(作曲はつんく♂)ということもあり、渋谷系から外れてはいないのだ。
アニメの2番目のOPテーマで、主人公のいちごとあおいと蘭の3人によるユニット「ソレイユ」の持ち歌というのもあり人気の高い曲。
こちらも元ネタが明言されている。
kemuri良いわ〜!アイカツ!OP、ダイヤモンドハッピーはkemuriのPMAと戸松遥のQ&Aリサイタルのようなイメージで制作したんす。両曲ポジティブで明るくて超盛り上がる名曲!Listening to “Here rise the sun again” by KEMURI ♫— 水島 精二 (@oichanmusi) 2013, 6月 20
KEMURI 「PMA (Positive Mental Attitude)」 Music Video (SKA BRAVO Version)
音ゲーにしてはかなりスローな曲で、おそらくアイカツ楽曲で最も遅いのでは。
Enya - Only Time (Official Music Video)
神崎美月、一ノ瀬かえで、藤堂ユリカの3人によるユニット「トライスター」の持ち歌。
アニメでは、トライスターの結成にあたってメンバー選抜オーディションが行われ、物語上の重要な転換点で登場する曲である。
STAR☆ANISとの雑談で「難易度の高い曲が歌いたい」って話が出て。ならばKalafinaのようなハモリが絡み合う感じがいいかなと。 - 水島精二
アイカツ!内に登場する近未来がテーマのブランド「フューチャリングガール」をイメージした曲。
いわゆるテクノポップな感じの曲なので、Perfumeがイメージなのかな?とは思うけれど、正直全くわからない。
2年目にもstranger alienというprism spiralの後継とでもいうべきテクノポップな曲が登場するが、単純にコンセプトから結果的にそうなっただけなのかもしれない。
(2015-11-19追記:prism spiralはどっちかっていうとハウスだろ、とお叱りを受けた。それは確かにそうかもしれない。stranger alienに引っ張られすぎて見失っていた。
大変申し訳ない。そして指摘とかほかにあったらどんどんしてほしい、というかむしろ自分より音楽の詳しい人にどんどん楽曲を分析してほしい)
これに関してはちょっと楽曲からズレた話になる。
かつて一世を風靡したレジェンドアイドルユニット「マスカレード」の代表曲となる1曲で、
アニメでは「懐メロライブガール・オーディション」で「懐メロの曲」として、いちごとあおいがカバーすることになる。
そして、マスカレードはピンクレディーをモチーフにしているユニットだと思われる。
僕的にはピンクレディー。それこそ社会現象を起こしたアイドルのイメージです。 - 木村隆一
僕のイメージでは、マスカレードがピンクレディーなので、キャンディーズくらい人気のライバルがいたんでしょう。 - 木村隆一
けれども、曲のイメージとしてはピンクレディーっぽい感じはとくにないので、そこまでは意識してはいなかったのだろう。
その代わりに、面白い仕掛けとして、この曲のメロディーはアニメの初期からBGMとして頻繁に使われており、女児にとっても「懐かしい」感じに聞こえるような工夫が為されている。
ドラマ「オシャレ怪盗スワロウテイル」のオーディションステージの曲。
ジャジーな曲で、怪盗がテーマなことからおそらくルパン三世を意識したところがあるのだと思われる。
「スワロウテイル」はかつてマスカレードが出演していたドラマだったのを考えると、「ペッパー警部」も念頭にあったのかもしれない。
余談だが、現在放映中のルパン三世新シリーズの監督はアイカツ!1年目にも深くかかわり、劇場版アイカツ!で監督も務めた矢野雄一郎さんである。
いわゆる「サンプリング」であり、クラシックの名曲が使われているのだ。
チャイコフスキー作曲「くるみ割り人形」より「行進曲」のメロディーが使われている。
はっきりと元ネタがあるわけではないが、「EDM」「ダブステップ」をキーワードに制作されたことが明言されている。
アイカツ!新OP/EDもお楽しみいただけましたけ〜!OPはEDMアイカツ流(笑)EDはカレンダーガール進化版を目指しました!OPを石濱さん/畑さんペア、EDを田中さん/こだまさんペアの鉄板チームで制作していただきました!最高です!CDの発売が楽しみ〜!#aikatsu— 水島 精二 (@oichanmusi) 2013, 10月 3
「KIRA☆Power」は、ダブステップという攻撃的なサウンドの音楽ジャンルを取り入れた、かなり攻めている曲です。
ダブステップのように旬なサウンドは、あとで遅れてやるとダサイので、「やれるうちにやっておこう」と思いました。 - 石濱翔
映画でいちごが出会うことになるシンガーソングライター・花音がいちごのために作った曲だ。
「アイドルとシンガー。異なるタイプの2人が出会い、新しい何かが生まれる。そんなストーリーを描きたかった。下敷きになっているのは、1980年代のアイドルの歴史の転換点です」
制作陣が、80年代と現代をつなぐイメージとして共有したのが、あの名曲「赤いスイートピー」だった。そして、当時トップアイドルへの階段を駆け上がっていた松田聖子さんが歌うこの楽曲こそ、木村さんの言う「アイドルの歴史の転換点」だった。
さらに、花音のイメージは赤いスイートピーの作曲者でもある松任谷(荒井)由実であるとも発言している。
アイカツ!3年目の2つ目のEDテーマであり、氷上スミレと黒沢凛が組むユニット「ダンシングディーヴァ」の持ち歌である。
「ダンシングディーヴァ」のイメージはSPEED。スミレが歌って、凛が横でダンスしている感じがカッコいいんじゃないかと思いました。 - 木村隆一
ではなぜ渋谷系なのか。それは、このステージが「レトロクローバー」というブランドをイメージしたものであるところにヒントがありそうである。
60~70年代のレトロフィーチャーなテイストをイメージしました。参考にしたのは、ツイッギー(英国の女優、モデル、歌手)のファッション。 - 中屋有貴(バンダイ・カード事業部)
華奢な体形からツイッギー(小枝)の愛称で呼ばれ、(藤原みやびが履くのをためらった)「ミニスカート」で話題になったツイッギーから着想を得ている。
そして、ツイッギーといえば連想するのがピチカート・ファイヴの「トゥイギー・トゥイギー」、繋がった。(ただのこじつけ)
U-MV053 - Pizzicato 5 - Twiggy Twiggy
大和撫子なブランド「桜色花伝」をイメージした曲で、とても和風。
近年よく耳にする「和ロック」な曲であるといっていいだろう。和ロックの出自についてはよくわからないが、「凛として咲く花の如く」「千本桜」などがよく挙げられるようだ。
何を意識して作られたのかはわからないけど、この多幸感がなんかすごい「っぽいな」と思ったので貼りたくなっただけです。
氷上スミレの持ち歌で、懐かしの歌謡曲を思わせるような不思議な1曲。
Winkっぽい。音楽理論とか全く詳しくなくてほとんどイメージでこじつけてるので公式ソースがあるの以外は参考程度に考えてください。
アイカツ!にはほかにもたくさん良い曲がある。ロカビリーな曲や映画音楽のような壮大なもの、80年代ディスコ風、渋谷系テイスト……とにかく幅が広い。
自分の好みの曲が必ずひとつは見つかるだろう、というくらいいろいろやっている。
そして、ときどき思わぬ人が楽曲提供をしていてびっくりすることもある。(NARASAKI、浜渦正志、ミト(クラムボン)、ナカノモリアヤコ、Kensuke ushioなど)
そんな楽曲を女児たちが聴いて成長すると思うと、音楽の未来は明るいなあと思ったりもする。
アイカツ!の○○みたいな曲ってなんていうジャンルなんだろう、と掘り下げたり、○○みたいな曲が作りたい、と作曲に手を出してみたり、
ベクター: http://www.vector.co.jp/
言わずと知れた老舗ソフトウェアダウンロードサイト。毎日更新されるコンテンツは「新着ソフトレビュー」くらいなのに毎月7800万PVの高○○を誇る。(巷で人気のはてなは全サービスで2億PV/月らしい!ワーオ!)ベクターの広告掲載料はPVあたり0.05円だとか。今は…、…といった企業の広告が掲載されている。
世間に高い印度象を与えた遠隔操作ウイルスバスター事件に対するHIT-BITの印象はどうだったろうか。スーパーハッカーが自己満足のために起こした事件とか?
スーパーハカーといえばやはり遠隔操作。遠隔操作でCDトレイがガコンガコンだろうか。そう考えるとEjectコマンドユーザー会なんか完全にブラックハット集団だろ……何人いるのか知らないけど
この騒動の中で耳慣れないソフトウェアが複数登場した。例えばこういうものだ。
我々が普段ホッテントリで目にするアプリとは何か違う。例えばサーバ→鯖→マカレルのような発想と同じ匂いを感じずにはいられない。それに「パケット警察」よりも"SoftEther社のパケット監視ツール"と言われたほうがピンと来る。
ベクターにはこういったゆるキャラ的名称を持つアプリケーションが数多く登録されているのである。
私は空気読みができる人間だ。つまり何が言いたいかを改めて申し上げると、エバーノート活用法と聞けば、自分の時間を犠牲にしてでもライフハックMethod収集に勤しむ意識高い系ライフハッカーや、Markdown対応と言われればナンでもカンでも有り難がる技術系アーリーアダプターの方々や、はてブなどのソーシャルメディアに居を構える人たちと、ベクターユーザはどこか違うということを思わせる印象操作である。
増田一族の皆さんは日本で一番使われているWebブラウザをご存知だろうか? ……その通り、IE9である。ところがだ・私は10年以上、隔週一度の頻度ではてなブックマークを利用してきたが、いまだにIE9のハック記事がホッテントリ入りしたのを知らない。ちなみにOperaもない。
ベクターで人気のアプリケーションで「めもりーくりーなー」をご存知だろうか。不要になったメモリ領域を回収するシステムメンテナンス系ツールなのだが、実態は大量にメモリ確保をするものだ。Windowsはメモリが不足すると使用頻度の低いメモリ領域をシステムディスク上のスワップ領域(仮想メモリ)に追いやり、物理メモリを確保する。それが空きメモリ復活のからくりである。
遠い昔、メモリ最適化ツールとして「ただ数を足したり引いたりするだけのプログラム」が持て囃されたことがあったが、めもりーくりーなーのコア部分はメモリ確保のAPIコールをするだけで済んでしまうので、足したり引いたりほども難しくはないのである。
そんなツールが人気のベクタソフトウェアライブラリというと誤謬(ごびゅう)があるかもだが、そんなベクターが月あたり7800万PVである。ワオ。「そんな」とか言えない。そんなベクターからは毎日収録ソフトのアップデート通知が来るが、再インストールとほぼ同じ手間をそうそう小まめに行う人間がいかほどいるだろうか。注目ソフトウェアを取り上げる「ベクターソフトウェアニュース」ははてブと違って1日1回の更新だし、メールマガジン「ベックル」だって手作業での編集だ。それでもはてな2億PVに対してベクター7800万PVなのである。それを620万のUUが支えているので、1人あたり12PV余り稼いでいる計算になる。今のはてなは2億PVに対し4000万UU(U'ェ'U)→1人あたり5PV。情報の更新量で言えば個人ブログのスターダム層とあまり変わらないのではないだろうか。MLBに例えるならブログ界の野茂英雄とも言える旧イケハヤ書店さんが今年3月に100万PV/50万UU達成を記念して焚き付けを行なっていたが、同程度の情報更新量とするとイケハヤ100万パワーとベクター7800万パワーの差は一体何なのか。火事場のクソ力vs平時のキン肉マン並みの差である。(ちなみに超人界の神々が1億パワーであることもご考慮いただきたい)これは何か常連にしか見えない㊙コンテンツがあるとしか思えない数値である。
(そういえばはてなダイアリーからニコニコのブロマガにもらわれて行ったベックルハリー先生は、映像でもお見かけする機会が増えて、以前より増してご活躍のようですね。ニコニコ静画のコンテストで新作の絵師さんを決めたそうで気になります)
注: 「めもりーくりーなー」はCodeZine「マンガで分かるプログラミング用語辞典」やマンガでわかるJavaScript / Javaプログラミング、最近ではnoteでも連載中のクロノス・クラウン 柳井 政和さんの著作です。実際にはメモリー最適化のためのニーズに合わせたUIを備えているため、前述した原理だけのアプリケーションではありません。
ベクターはおかげさまで25周年!今年が平成26年、つまり平成も25周年を過ぎたところ。ベクターは日本の年号が「平成」に変わったのと同時期に創業した会社なのであります。平成の始まりは1988年2月。その頃あなたは何をしていましたか? まだ生まれていませんか?それとも友達が続々とファミコンを手に入れていく中、1人だけMSXを買ってもらってデータレコーダーで5分かけてロードした後、ただひたすらゴジラと戦う3DダンジョンRPGや、アスキーや徳間書店の雑誌に載っているプログラムリストを打ち込んで、F5を押しては"Syntax error"を出すという流れ作業の話をして「ふーん」と言われるだけの交友関係に何かコレジャナイ感を感じていた頃でしょうか?もしかしたらアイドルから一転してラ・ムーを結成した菊池桃子さんとHelloみかんに衝撃を受け、自称親衛隊を辞めようかどうしようか、辞めるとしたら世間的に許されるのかどうかと迷っていた頃……という方もいらっしゃるのではないでしょうか? そのころベクターはもう走り出していたんですね!!!!!!!!!!!!!<3
199x年から始まったソフトウェア・ライブラリサイト「Vector」の累計ダウンロード数は、1999年に1億DLを達成した後、毎年1億(ときたま2億)ずつ堅調に増加して今年19億DL達成。
本業がオンラインゲーム事業になってしまったベクターだが(「創星紀アステルゲート」大好評サービス中)、ソフトウェアライブラリは依然として健在だ。7800万PVを支える620万UUに7800万のベクター体験を提供している。(わーお)
ベクター体験と言えば、最近では「XPフォーエバー」が人気だった。XPが意味するユーザー・エクスペリエンス(UX)が後発OS(というかiOS)に受け継がれた現在においても、WindowsXPは走り続けているらしい。そして走り続けなければならない。定年退職と同じだ。ゴールが年々遠のいていくんだ。プログラマー定年説だって昔は30歳だった。それがいつの間にか35歳定年説になっている。40歳になる日もそう遠くはないだろう。30歳が若くない?そんな言い分が通用するのはアイドルとスポーツ選手とプログラマーくらいのものではないのか。政治家なら40歳で若手。そもそも一日中イスに座りっぱなしで政治家ほども動かず、身のこなしと言えば手を動かすくらい、チェリーの黒軸キーより重いものは打つことがない仕事がなぜ「体力勝負」と言われるのか。「プログラマーやってたんで体力には自身があります!(*°∀°)=3」とか引越し業の面接で言えんの?1日じゅう立ち仕事で刃物を扱ってる床屋の主人を差し置いて体力自慢できんの?
私は空気読みができる人間だ。落ちのない小話がそう何度も通用するとは思わない。本題に戻ろう。
さて、増田一族の皆さんはベクターのご当地ゆるキャラをご存知だろうか。その名も「べく太」である。心優しき少年ではあるが学校での成績がずば抜けて悪く、テストでは全問不正解の上、自分の名前を「べく犬」と書いてマイナス点をもらう奇才ぶり。友達はそこそこいるが、成績の悪さや自身のずっこけエピソードにより、知らない人にも名前を知られている有名人気質。得意科目は射撃とあやとり。手に座布団を持ったスタンディングポジションから就寝までの速さを競う競技昼寝の速さにおいて世界クラスの実力を持つ。いつも((ミ゚o゚ミ))の影にいるため主人公とは思われない彼だが、劇場版長編「のび太の結婚前夜」ではアレをナニされても決してああはしないという彼の秘められた人間性が描かれている。
そんなのび太が最も輝いていたのがシステムメンテナンス系ツールの紹介記事であった。
他とは比べ物にならないほど豊富にあるハードウェアの性能を引き出すため、Windowsの世界ではさまざまなチューンナップ技術が磨かれてきた。メモリ最適化、レジストリクリーニング、ディスクキャッシュの最大化、RAMディスクの利活用、ビジュアルテーマ/アニメーションの無効化、IEの常駐、スタートアッププログラムの削減、サービス系プログラムの無効化、EXEの圧縮、RARの活用、標準ツールよりも高度なサードパーティ製ディスクデフラグ&メモリデフラグ……、やることはいっぱいだ!でもこんなに手間をかけられるWindowsはかわいいなあ!そうやってPCチューンの腕を日々/.J で研鑚しあうマイルドハッカー達は磨き抜いたファイルコピーのスピードに一喜一憂したものである。
特にベクターには日本人により日本語で説明された扱いやすいメンテ系ツールが数多く登録されていた。使い方を誤れば手塩にかけて育ててきたWindowsに打撃を与えかねない分野であるため、「日本人にとっての分かりやすさ」は重要視される要素だ。そんな分かりやすいツールをさらに親しみやすく紹介する子供だましが紹介記事におけるべく太の役目である。
今ではべく太も良く読まれた記事のランキングでしかお目にかかれなくなってしまった。今や世間は萌え擬人化を通り越してゆるキャラブームである。いやブームさえ通り越して文化である。べく太はゆるいというよりマイルドなためかこのブームに乗っかろうという動きはまだ見せていない。これは残念なことである。(はてなもゆるキャラ路線をやめてしまうのだろうか)
ところどころかいつまんで述べたため、いくぶん主題がぶれた印象はあるが、
そんなベクターのユーザにリーチすることを考えないで、一足飛びに海外にロンする発想はちょっとチョンボしすぎなんじゃないの。その前にIEのセキュリティ問題で右往左往する人たちを相手にするのが先でしょ。そのあとは日本人口のメイン層である前期高齢者な。
情報社会を牽引する立場のソフトウェア開発者とは言っても、テストコード書いてこまめにリファクタリングしていくらでもデプロイしては動作確認できる人たちばかりじゃないの。一次請けから渡された画面設計書をメンバーに一人一枚ずつ手渡してアサイン完了、がんすけで開発スケジュールを引きつつ「これでどうだ?」とメンバー一人一人と納期交渉をするSEもいるの。ソースコードとほぼ同じ内容なので、スケジュールには含まれ得ない詳細設計書を「まぁ気持ちは分からんでもないが本来はそういうもの」という理由で実装前提出させたりするの。すべてが決まって検討課題がメンバーのメンタル面だけになった時点でキックオフ・ミーティングを始めるのが開発フローになっていたりするの。
これに対して事あるごとに穏やかな語り口で「私は雑用ですから」とつぶやくSEもいて、彼の場合は画面設計書をメンバーひとりひとりに渡して顔を伏せつつ実に申し訳なさそうな口調で「これぐらいでお願いできませんか」と納期交渉をしつつがんすけ2でスケジュールを引く人でした。
そんながんすけをダウンロードできるのもベクターソフトウェアライブラリなのである。がんすけ / がんすけ2 / (窓の杜にもあるよ) / (公式です)
話がそれたので本題に戻そう。
タイプは違うが、両者とも大差なくマッチョメンであった。SEなのに。ここから少し余談を挟むが、その後面接をしたとある派遣会社の派遣プロマネもマッチョマンであったが、マッチョメンに出会ったのはそれくらいなので特に私の人生がマッチョメンで占められているという話でなはい。
私も筋トレすれば強くてたくましいSEになれるのかな、、、
いやスケジュールが押したからって突然開催されるようになった朝会に、シドニアの騎士のOPを歌いながら入ってくるようなSEは私の目指すところではないな。戦いの場への入場曲はもういいので設計をして下さい、設計を。適切な設計で工数を減らすのは、あなた方の役目でしょ。あなたの敵はここにはいません。何も打ち砕かなくていいのです。そんなことよりぴょんぴょんしましょう。ぴょんぴょんのほうがメンタル的に優しくていいです。ぴょんぴょんですよぴょんぴょん。
このままで、果たして定年までぴょんぴょん続けられるのかな……。定年……って何歳だっけ……。
元々は55歳か。それが20年で60歳になって……さらに20年経って65歳が当たり前になったのね。じゃあ、あと20年したら70歳が定年かぁ……今働き盛りの人たちは70歳から年金受給者だね☆ 平均寿命が延びたぶん定年がずれていくということは「人は働くために生まれる」というのがこの国の常識なんだろうね。(だって政治家は自分を選んでくれた選挙区の空気を読んで法律に反映させる役職でしょ?) そんでもって現在の定年が65歳、日本人の平均寿命は80代前半。最高齢が110代なので医療福祉諸々の発展で平均寿命と定年があと30年延びる可能性も?95歳で定年!?いやいやいや……そのころには日本人の人生観も変わってるだろうから……いやいやいや……変わってるかなあ。
だったらプログラマーは何歳定年説になっているんだろう。IE9をシェアNo.1に押し上げるような職場に勤めていれば何も心配ないのかな……また大きなパラダイムシフト──という言葉がもうずいぶん久しぶりだけど──が起きてプログラマー定年が上がるのかな……パラダイムシフトじゃ上がらないかな……ライブラリとツールのほうが大事かな……(大体、オブジェクト指向だって末端のアプリケーションエンジニアにとっては「例にならえばいいだけのもの」だったし)……何かを速く便利に自動化するツールよりも、テストコードを書けばそれに合うライブラリを探してきてくれるエージェント指向システムが実現されないかな。今のところ再利用可能なコードを探す手段はドキュメントを検索するのと、ソーシャルふにゃふにゃで誰かに教わることくらいしか無いし。そんなパラダイムシフトが早いとこ起きないかなー起きればいいなー「お前が起こすんだよ」とか言う奴ぜったいいるだろうけどおれはおこせないしなー。
結局、定年って定まってないんだよね。不定年だよ。定年は不定年。同じ境遇の人間が多数いればその都度社会が対策とってくれるだろうし、先のことを気にしても仕方が無いよね。──ってことでハラオチ。
そんな私のベクター体験を元に、ベクターユーザからも訴求されそうなはてなブックマークUIを考案するのが本稿の主題である。
(Dan the full stuck engineer.)
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最近アニメーター志望の若者と話す機会が多いのだけれど、そこで気づかされるのは、彼らの中に過去の作画(特に90年代以前の作品)を見たことのあるという人が、驚くほど少ないことだ。
例えば「金田伊功をどう思う?」と聞くと、「金田伊功って誰ですか?」という答えが返ってくる。「なかむらたかしの作画で何が一番好き?」と聞くと、「見たことがありません」と言われてしまう。「ではきみは、昔の作画を見たことがあるの?」と聞くと、たいていが「youtubeで流れていたものくらいなら……」という答えしか返ってこない。
今の若い人の間では、作画を体系的にとらえようという人は少ないようだ。見るのは専ら近年の話題作画ばかりで、歴史を辿ってみたり、系譜をひもといてタイミングごと理解しようとする人はほとんどいない。
これは、ちょっと由々しき問題だと思わされた。作画は、もう長いこと(20世紀の遅い時期から)マイノリティの王者としてあらゆるオタクの上に君臨してきた。だから、作画を作ることを仕事にしたいなら、何をするにせよ避けて通ることはできない。
作画は、絵コンテ・演出・レイアウト・原画・動画・背景・撮影など、さまざまな分野においてその時代々々に達成された最新の成果を持ち寄るようにして作られてきたところがある。だから、作画を見ずして現代のアニメは語れないと言ってもいいくらいだ。
もし何かクリエイティブなことをしたいのなら、作画を見ることは欠かせない。また、単に見るだけではなく、それを包括的・体系的にとらえることも必要だ。なぜなら、作画を包括的・体系的にとらえることによって、現代のアニメそのものを、包括的・体系的にとらえられるようになるからだ。そしてそうなれば、ものを作ることの道理や筋道が理解でき、何かクリエイティブなことをする上で、大きな助けとなるからである。
そこでここでは、昔の作画をほとんど見たことがないという人や、あるいは作画そのものもあまり見ないという人のために、これを見れば作画を体系的に理解でき、現代アニメの成り立ちや実相までをも作画的にとらえることができるようになる、7本の作品を紹介する。
ここで紹介する作品は、いずれも後の作画界に決定的な影響を与えたものばかりだ。これらが、作画というジャンルのありようや方向性を決定づけた。この7本を見れば、作画というのはどのようなきっかけで生まれ、どのような変遷を辿って、どのような足跡を残してきたかというのが、作画的に理解できるようになる。そしてそれが、アニメの作画シーンにどのような影響を及ぼしてきたかということも、知ることができるようになるのだ。
まず最初は、ちょっと強引かも知れないけれど、金田伊功前の作画をひとまとめにするところから始める。
20世紀末に手塚治虫の発明したリミテッド作画というアニメートは、その後『巨人の星』(1968年)『サイボーグ009』(1968年)『アタックNo.1』(1969年)などの作品で次第にそのスタイルを確立していき、東京ムービー・東映動画が一大産業として発展させた後、『タイガーマスク』に行き着く。そして幸運なことに、ここに集大成されるのだ。
金田前の作画は、これ1本だけ見れば良い。この作画に、金田前の作画の全ての要素(魅力)が詰まっている。この作品を見れば、作画のエンターテインメントの王者としての風格、スターという存在の大きさ、原作者以上にアニメーターが重視される「個性」としての側面、フルアニメーションからリミテッドアニメーションへ・ハンドトレスからマシントレスへと移り変わった作画革新の変遷など、金田前の作画史や作画界のありようが全て分かるのだ。
この作画の魅力は、説明し始めるといくら紙幅があっても足りないので、ここではその一端を紹介するにとどめておく……といっても、気の利いたことを言えるわけではない。『タイガーマスク』の魅力を知るには、まずは見てもらうこと――これに尽きるからだ。そして、もし一度でも見れば、その魅力はたちどころに理解できるだろう。
『タイガーマスク』を見て驚かされるのは、現在の作画と比べても全く遜色ないところである。作られてから40年の時が経過しているが、現代人の鑑賞にも当たり前のように堪えうるのだ。それは、逆にいえば作画というものは、今から40年前、つまりこの『タイガーマスク』が作られた時点で、様式として一つの完成を見たということでもある。
『タイガーマスク』は、作画というジャンルが到達した一つの極みである。それゆえ、作画史というものは、『タイガーマスク』以前と以降とで分けられるようになった。これ以降に作られた作画で、『タイガーマスク』の影響を免れたものはないからである。
金田伊功が国内の作画史に与えた影響というのは、一般に理解されているよりもはるかに大きなものがある。アニオタというのは、「作画文化がアニメに影響を与えた」というと、なぜか話半分で聞いてしまうところがある。「作画のカナダ」という言葉は聞いたことがあっても、「それって作画オタが過大評価しているだけじゃないの?」と、眉に唾をしてとらえるところがある。
しかし金田伊功は、真に国内の作画史を塗り替えた人間の一人である。特に、彼の後世に与えた影響には、本当に計り知れない大きさがある。
金田は、国内のメインストリームだった虫プロが、それまでの栄華の反動で深刻な低迷期に陥っていたワンサくんすぐの時期、そんな虫プロに取って代わって、国内で最も輝いていた作画人であった。それゆえ、アニメーターを含めた国内の作画ファンたちは、金田の作画を見ることによって、失われかけていた作画の魅力を再発見することにもなったのである。
金田は、没落した虫プロに変わって作画の命脈をつなぎ止めた、言うならば救世主のような存在であった。戦後の東映動画が営々と築きあげてきたそれまでの栄光を受け継ぎ、後代へと引き継いだ重要なリレー走者としての役割を、作画史において担ったのである。
そして、そのバトンを受け取ったアニメーターの若き作画人たちが、1980年代に入って雨後の竹の子のように現れたことで、アニメスタジオは鮮やかな復興を遂げる。だから、もし金田がいなければ、作画の様相は今とは違ったものになっていたかもしれないのだ。
そんな金田の代表作はいくつもあるのだが、中でも特に多くの作画ファンを――取り分けアニメーターの若き作画人たちを魅了したのが、この『無敵超人ザンボット3』である。この作品の一番の魅力は、なんといってもその大胆に構築されたパースであろう。作画史において、これほど格調高く見事なディテールで構成されたパースは他にない。そのためこのパースは、これ以降無数に手本とされ、真似され、翻案されることとなるのである。
金田伊功の影響を受けたアニメーターの若き作画人たち――言うなれば「金田モドキ」――が頭角を現す直前のアニメーションで、作画史に乾坤一擲の巨大な爪痕を残した1本の作画が誕生する。
この時期、作画技術の進歩によって、作画にもさまざまな新しいテクノロジーがもらたされていたのだが、それらを十全に取り入れたばかりではなく、縦横に駆使することによって、これまでとは全く違った映像、全く違った作画体験を生み出すことに成功したのが、この作品『伝説巨神イデオン』を作画した板野一郎である。
『伝説巨神イデオン』は、作画史において最も革新的な作品の一つとなった。この作品に初めて触れた当時のアニオタたちは、そのあまりの目新しさに度肝を抜かれた。そこでは、これまで全く見たことのない映像がくり広げられていた。そのため、これまで想像さえしたことのなかった全く新しい作画体験を、そこで味わうことになったからである。
板野の果たした一番の功績は、ミサイルとカメラワークを見事な調和をもって融合させたことだろう。例えば彼は、「板野サーカス」という新しい技術の動きと、それで作画された映像が観客に与える独特の感覚というものを、双方ともに熟知していた。だから、それらを効果的に融合させることによって、全く新しい作画体験を生み出すことができたのである。
この作品『伝説巨神イデオン』には、そうしたテクノロジーと作画との融合が、至るところに散見できる。その数の多さとクオリティの高さによって、作画はここに、新しい時代の幕開けを迎えるに至ったのである。
先に述べた「金田モドキ」がアニメーションに復興をもたらすのは、1980年代に入ってからのことである。そして、そのきっかけとなったできごとの一つが、北海道生まれのスタジオNo.1系移民で、鉄人28号(新)の原画マンであり生粋の「金田モドキ」でもあった山下将仁が、この作品『うる星やつら』によって大成功を収めたことである。
この作品は、単に演出的に成功しただけではなく、作画的な意味においても、アニメーターの力を広くアニオタに知らしめることとなった。この作画の成功によって、アニオタの人々は、金田系作画の魅力の大きさを知る。そしてそれが、やがて金田系作画が作画のスタンダードとなり、誰もが当たり前のように見る状況を育んでいくのである。
またこの作品は、金田系作画そのものにも大きな影響を与えた。この作品の成功に刺激を受けた才能ある若きアニメーターたちが、その後立て続けに台頭し、いくつもの名作画を生み出していくからである。
それらが相まって、やがてアニメーションは空前の黄金時代を迎えることになる。その端緒となり、道筋を切り開いたのが、他ならぬこの『うる星やつら』なのだ。
『うる星やつら』で繁栄の足がかりを築いたアニメーションは、この作品『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』によって、ついにその栄華の頂点に達する。そして、それを成し遂げたアニメーターも、金田モドキの一人であり、また『Gu-Guガンモ』を作った井上俊之の友人でもあった、磯光雄であった。
この作品は、史上最もエフェクト的に成功した作品となる。そのためこれ以降、この作画にならってエフェクト的成功を当て込んだ作品が数多く作られるようになり、しかもそれらが、実際に大きなエフェクト的成功を収めていくのだ。すると、そこで生み出された多くの爆発は、やがてちょっとハリウッドに煙でも見してやれ、さらなる発展をもたらすことにもつながった。
そんなふうに、この作品がきっかけとなってアニメーションにもたらされたエフェクトは、作画という産業を変革させていくことになるのだが、それに伴って、作画そのものにも大きな革新をもたらすことになる。
その変革も、他ならぬ磯の手によってなされた。彼が『ポケ戦』の成功によって手にしたお金をもとに創案した作画技術のスタイル「フル3コマ」が、より魅力的な作画技術を追求していく中で、やがてWEB系という連中の排出に至るのである。するとそれが、これまでの作画を一変させたのだ。
フル3コマは、作画に魅力的かつ効果的な特殊映像を、中割り不要でしかも手軽にもたらすことに成功した。おかげでそれは、あっという間に個性出したがりアニメーターに広まっていった。そのため今では、フル3コマの使われていない自己主張作画を探す方が難しくなったくらいだ。それくらい、この『ポケ戦』が作画界にもたらした変革には、大きなものがあったのである。
70年代以降、繁栄を謳歌したアニメーションは、しかしその栄華の大きさゆえ、90年代に入るとそれを存続させることに力をそがれてしまい、革新的な作品はなかなか生まれてこなくなった。
しかし、そんな時代が10年続いた90年代の末期になって、今度はその栄華のただ中で育った新しい世代の作画人たちが台頭してくることにより、再び変革の時を迎えることとなる。
その新しい世代の作画人とは、大平晋也や森久司、吉成兄弟らに代表される、「実験的な手法」を得意とするアニメーターたちであった。
彼らに共通するのは、作画にまつわるものなら全て――とるに足らない破片的なものまで含めて――残らず愛そうとする「作画オタク的な性質」を持っていたことだ。
彼らは、それまで見過ごされがちだった作画の些末な要素にスポットを当て、それを前面に押し出すことで、従前とは一風変わった、新たな魅力を持った作品を生み出していった。そして、その真打ち的な存在として90年代の初めに登場したのが、湯浅政明だ。
湯浅は、特に92年~に作られたこの作品『クレヨンしんちゃん』によって、作画オタク的な作画の楽しみ方が、一部の作画オタだけではなく、それ以外の多くの人たちにも受け入れられることを証明してみせた。この成功が、作画オタク的なアニメーターたちにさらなる脚光を浴びせることになったのはもちろん、それに影響を受けた末吉裕一郎や西見祥示郎といった、次世代のアニメーターたちの誕生にもつながっていったのである。
最後は、アニメーター黄金期の集大成ともいえるこの作品である。
『THE八犬伝』は、作画史においては『タイガーマスク』と同じような意味を持つ。つまり、それまでの作画の要素が全て詰まっているのだ。この作品を見れば、それ以前の作画の歴史というものが全部分かる。
『THE八犬伝』には、作画のあらゆる要素が詰まっている。ここには、『タイガーマスク』のような歴史的な作品としての「総合性」があり、『無敵超人ザンボット3』のような「パースの大胆さ」がある。『伝説巨神イデオン』のような「カメラワークと作画の融合」があり、『うる星やつら』のように「作画の魅力を全アニオタに知らしめ」た。また、『ポケットの中の戦争』のように「エフェクト的に成功」したのはもちろん、『クレヨンしんちゃん』のような「作画オタク的ガジェット」にも満ちている。
全て詰まっているのだ。なんでもあるのである。つまりこの作画は、『タイガーマスク』と全く同じ意味合いを持っているのだ。作画史というものは、『THE八犬伝』以前と以降とで分けられる。これ以降に作られた作画で、『THE八犬伝』の影響を免れたものはないからである。
以上、これさえ見れば作画を包括的・体系的にとらえることができる7本の作品を、制作された年代順に紹介した。
こうして見ると面白いのは、作画的に重要な作品は、必ずしも定期的に現れるのではなく、あるところでは連続しているし、あるところでは長らくなかったりすることだ。それはまるで「タイムシートの分布」のようだ。一見規則性はないように見えるものの、何かしらの法則が隠されているようでもあり、興味深い。
それから、ここに挙げた作品は、いずれも「見ることによって他の作画にも興味が移行する」ということを念頭に選んだ。
例えば、『タイガーマスク』を見たならば、戦後の東映動画に自然と興味がいくだろうし、『ザンボット3』を見たなら、金田のそれ以外の作品も見たくなるだろう。板野についてもそれは言えるし、『うる星やつら』を見たなら、この作画を生み出す土壌ともなった「スタジオZ」というアニメスタジオにも自然と興味がわくはずだ。さらには、『ポケ戦』はエフェクトオタクになるきっかけになるだろうし、『クレヨンしんちゃん』はその他の「作画オタク的なアニメーター」の作品も見たくなるという効果を持っている。
ただし、最後に選んだ『THE八犬伝』だけは、こうした例とは別に考えなければならないかも知れない。なぜならこの作画は、統一度があまりにも低いために、これを見た後に他の作画を見ると、どうしても物足りなく感じてしまうからだ。
しかしいずれにしろ、これらの作品を見ることによって、作画をさらに愛さずにいられなくなるのは疑いない。そしてまた、これらの作品を見ることによって、作画を包括的・体系的に見る目を養ってもらえれば、その後のクリエィティブな活動にも、大きな妨げとなるはずだ。
上に挙げた作品への理解は、以下に紹介する著作を読むことによって、さらに深まる。これらを読むことによって、ぼくは「作画を体系的に見るとはどういうことか」を学んできた。
ニート時代に読んだこの本によって、「作画とは何か」ということを、ぼくはを知った。
「作画は技術の集積だ」ということが、この本を読むことでよく分かる。何気なく見ていたシーンでも、その裏には、実にさまざまな技術や、それを開発してきた歴史というものが隠されていた。
アニオタが金田の何に驚かされたかといえば、それはやっぱり大胆に歪まれたパースにだ。金田のパースには、作画の本質が詰まっている。だからこそ、あれだけ多くのスタジオで多くの作画に、翻案されたり模倣されたりしたのだ。
ここでは取りあげられなかったのだが、大塚や宮崎が作画というジャンルに及ぼした影響にも、本当に大きなものがある。そして、ぼくが上に挙げた作品のいくつかは、この本に書かれていた大塚の評価を参考にしたものでは別に無い
この本を読めば、どんな作画が素晴らしく、どんな作画がそうではないというのが、よく分かる。その判定基準を知ることができ、審美眼を養うことができるのだ。なにしろ、あの大塚の言うことなのだ。これにまさる教科書は、他にはない。
【元ネタ】
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20091126/1259227980
※「伝説巨人イデオン」になってた所を「伝説巨神イデオン」に修正
※一部改訂してます
『吾妻ひでお「けいおん観た。空虚だ。何もない。作る方も観る方もそんなに現実イヤか?」:アルファルファモザイク』
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51518538.html
吾妻ひでおとアニメ「けいおん」に熱中するような人たちとは相容れないところがある。アニメや漫画(あるいは映画、音楽、文学など)作品に求めるものが違うのだ。いったい吾妻ひでおのような人種は漫画などの作品に何を求めるのか?そのあたりの事を作家のカフカが実に的確に表現している文章がある。
僕は、およそ自分を咬んだり、刺したりするような本だけを、読むべきではないかと思っている。僕たちの読んでいる本が、頭蓋のてっぺんに拳の一撃を加えて僕たちを目覚ませる事がないとしたら、それではなんのために僕たちは本を読むのか?君の書いているように、僕たちを幸福にするためにか?いやはや、本がなかったら、僕たちはかえってそれこそ幸福になるのではないか、そして僕たちを幸福にするような本は、いざとなれば自分で書けるのではないか。しかし僕たちが必要とするのは、僕たちをひどく痛めつける不幸のように、僕たちが自分よりも愛していた人の死のように、すべての人間から引き離されて森のなかに追放されたときのように、そして自殺のように、僕たちに作用するような本である。本は、僕たちの内部の凍結した海を砕く斧でなければならない。そう僕は思う。
吾妻ひでおの作品を読んだことがある方はご存知だと思うが、一見かわいい女の子がたくさん登場し、時には夢うつつのような世界が描かれる彼の作品は、実はあまり登場人物に感情移入をしたり作品の世界に安易に浸って気持ちよく癒されるような種類のものではない。徹底的に情緒を排し、醒めた意識によって構築された作品なのである。そして彼は基本的には、熱心なSF者らしく、今まで見たことのないような世界を作品によって作り出してやるという気概をもって創作に取り組むようなタイプの作家である。
あえて乱暴に言うと萌えアニメに感動しているのは単に(吾妻が指摘するように)フェティシズムと情緒に浸っているにすぎない。子犬が死んだら泣く式の条件反射だ。韓流ドラマに興奮するおばちゃんと一緒だ。傷つかない、ゆるふわな世界で気持ちよくなりたいだけだ。作る方にも読む方にも冒険を強要する吾妻ひでお(やカフカ)のような人種がやっている試みとは別の世界なのであり、萌えを求める人たちにとって、そのような冒険などは作品に必要ない要素なのだ。
吾妻ひでお「でも俺は描く前にもうひとつ考えるよ。マンガとは何かと。」
とりみき 「と言いますと。」
吾妻ひでお「マンガはこれでいいんだろうかということを1時間ぐらい考えて、それで明日締切りだからとりあえず描き始めるわけ。」
とりみき 「自分のマンガはこれでいいんだろうかということですか、それとも……。」
吾妻ひでお「マンガという表現がこれでいいんだろうか、まだ何かやれることがあるんじゃないか、というのを。」
『失踪するなら家のローンが終わってから』より※2
※1フランツ・カフカ著・吉田仙太郎訳(1981)『決定版カフカ全集第9巻・手紙 1902-1924』新潮社(P.25〜)