はてなキーワード: タイガーマスクとは
日本だと、金持ちが財団を作って、公共の福祉に叶う建物を立てて、財団や建物の名前に自分の名を冠することは売名として扱われるし、どんな小さな寄付も匿名のほうが顕名よりも高い評価になる。足長おじさんとかタイガーマスクとか。むしろ顕名したらダメな雰囲気。
あの金持ちは、自分よりうまく金を稼いで、自分よりたくさん金を持っているらしい。
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自分が汗水垂らして頑張っている以上に稼ぐだなんて、けしからん!あいつらは不正をしているに違いない!
実際に、努力の方向とか効率の問題にすぎないことを認めたくないんだろうと思う。そういう嫉妬は、下地として「対価を求めないことは美しい」っていうのもあって、まぁそれこそが寄付の文化なんだけど、その対価として名誉さえも許さないのが日本なんだよね。そんなこんなで、金持ちをノブレスとして敬意を持って扱うこともないし、それゆえ、金持ちがノブレスとしての行為を果たすこともなくなる。
金持ちに敬意を払わなきゃいけない社会よりも、医者とかに敬意を払う社会のほうが好きな俺は、かなりどっぷり日本人根性が染み付いていると思う。
サンタのこの話http://www.twitlonger.com/show/7k0gjqのときもそういう反応したやつが多かったけど、
「そんな中途半端な行動はすべきではない、むしろ逆効果」って主張して優越感に浸る馬鹿共が非常に多い。
そしてそんなやつに限って何もしないんだよな。
「しない善よりする偽善」なんていうけど、それがいいかどうかは置いておいても、何もしないやつなんてそもそも善や偽善を主張するスタートラインに立ててないよな。
増田なんかやってるやつに、「ボランティアは自己満足で邪魔」だなんて意見を与えたら、また増田たちが馬鹿な方向に行ってしまう。
件の騒動は触れないとして、その一つ前のhttp://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20110113/1294927512もひどいなあ。
あの歌(因みにネットで歌詞見ただけなんで背景は全然知らん)からそんな解釈できねーよ!
隣に実家があるのに「小3の頃からなぜだかおばあちゃんと暮らしてた」のは、要は家族が事実上崩壊していたので、娘は隣に住む祖母の家に入り浸っていたということだ。
これは誰もが気付く事だけど、その理由が
なんてどこにも書いてねえええええ。
つーかこれだけの理由で子供を祖母んちに預けっぱなしにする親がいるか!
それより母親と離別or死別して父親が他の女と再婚しているとか、そっちの方がよっぽど自然に考え付くだろ!
何がなんでも専業主婦VS働く母に持って行きたいんだなあ、この人。
タイガーマスクも、養護施設の子供に「モノ(カネ)さえ渡せばいい、それで喜んでくれるはず」と言うのはいかにも「男(父)」の発想だと思う。
虎仮面の模倣者たちより、プロボノを行う人たちをもっと評価して欲しい。
なにやらランドセルとかを不法に投棄するのが流行っているようなのでこのチャンスに乗じてプロボノを紹介しようと思う。
そしてこの増田エントリがプロボノを知る機会になってくれたらと思って書く。きっと最も良い奉仕の行動であるから。
ボランティアというと奉仕活動で困っている人や相対的に苦しい立場の人のために無償で行動すること。ってみんな理解していると思う。
・奉仕している人の受益
1.自分が良いことをしている事を実感する。
2.人に喜んでもらう充実感
・奉仕される側の受益
1.しにくいこと、出来ないことを助けてもらう。
2.直接的に利益を得る。
この側面が合致することが条件でボランティアは成り立っている。
プロボノとは、自分の職能を使って「直接被支援者を助けること」を言います。(語弊があったら指摘下さい)
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普通ボランティアと聞くと、困っている人のために行う雑用みたいなもの。というイメージはありませんか。
・ドブさらい
・ゴミひろい
・草刈り
・清掃
・要介護者への支援
など、など。
本来「困っている人を助ける。」というボランティアの大義名分を合理的に果たす方法を考えてみてください。
最も自分が相対的に高いスキルを持つ「仕事」をこなし、得た給与を配分することにほかなりません。
価値の最大化の例
・大手商社に勤めるAさんは1時間あたり5000円の給与をもらっています。
・町の美化活動委員会は、先日の大雨で詰まった自然公園の排水溝を掃除するボランティアを募集しています。
Aさんが半日かけて慣れない手つきで掃除を手伝うことはとても素晴らしいことです。まさにボランティアです。
「1.自分が良いことをしている事を実感」し「2.人に喜んでもらう充実感」を得て、「3.体を動かしたり仕事をすることそのものの満足感」もあります。
しかし合理的に考えたらAさんは半日休日出勤して仕事をこなし、そのお金で清掃専門業者を5倍ぐらい雇うことができます。((※大手商社の給与が高く、清掃業者への報酬が安いという偏見!という批判は命題ではありませんので割愛させて下さい。))
清掃専門業者に支払う代金を1時間あたり1000円だとしましょう。
5,000円*半日(4時間)=20,000円 == 1,000円*5人*半日(4時間)
さらに、普段運動不足のAさんとそれを生業にしている清掃専門の作業者では効率も倍近く違うかもしれません。
大抵の社会人は自分が相対的に最も秀でている技術や能力を使って生活費(現金)を得ています。それが最も『効率が良い』からです。
つまり、Aさんはボランティアなんかに参加せず、休日も仕事がある!と言って金だけ出したほうが町の美化委員会にとって何倍も助かる。という事になります。
でも、なにか違うと思いませんか。
それどころか、なにか良いことをしたかったはずなのに休日出勤までして金をむしり取られた気持ちです。
あるいは、煩わしいからと金だけだして知らんぷりの「嫌味な金持ち」という感じさえします。
つまり、「純粋に奉仕される側の事」を考えたら、本来最も良い方法はお金を提供する事。なんですね。
ところが、実はもっと良い方法があります。それがプロボノです。
プロボノというのは「自らの職能をもって相手を直接支援する事」です。
・弁護士が無償で弁護すること。((※士のつく職業は実は法律的にややこしい制限もあったりします。))
・大工さんが棚や机を作ってあげる
何か違う。とお考えの人もいるでしょうか。
仕事は仕事であって、ボランティアではない。とか。私も初見ではそう感じました。
・奉仕している人の受益
1.自分が良いことをしている事を実感する。
2.人に喜んでもらう充実感
・奉仕される側の受益
1.しにくいこと、出来ないことを助けてもらう。
2.直接的に利益を得る。
職能が直接的に相手に供される。というのは仕事で稼いで現金を提供するよりももっと効率的なのです。
会社で業務として行う仕事とは違い「会社の利益」や管理工数等として搾取される手数料のようなものも発生しません。
ということは、それだけ相手にも「より喜んでもらえる」のです。
プロボノという働き方
http://www.shibuya-univ.net/class/detail.php?id=608
http://gkmyhn.blog106.fc2.com/blog-entry-28.html
プロボノは自分の仕事のスキルをフルに活かしたり、普段仕事にはあまり直接結びついてない自分の得意分野を存分に発揮して生き生きと成果を出せることにあります。
普段商社でデスクワークをこなすAさんにとって「排水溝の掃除」は得意分野ではありません。不慣れな場所に足を運び、持ち慣れないスコップで泥をさらう作業をすることは心細いものです。
まして、気心の知れた人ばかりがまわりにいるとは限りません。
でもプロボノは日ごろ仕事で培った技術や知識をフルに披露することがそのまま社会貢献につながる、という魅力があります。
そして、そこで得た経験がさらに自分の仕事の幅や経験や知識になっていきます。
仕事を続け、両立しながら空いた時間を使って自分の経験や満足感を得ることができる社会的な活動なのです。
Aさんがすべきプロボノは例えば「商社で培った人脈を生かし、公園や自然の保護活動に積極的な近隣の団体に声かけをする」だとか「企業の広報活動の一環として組織的に手伝ってくれそうな法人や団体を探す」等だと思います。
その上で自分も手があいていたらスコップを持てばよいのです。疲れていたら寝ててもいいと思います。十分貢献したのですから。
増田も寄付は大好きだよ! 施すほうじゃなくて、受け取る方としてならね!
なんだか一億総ポトラッチ化が進んできました昨今、増田が由緒正しきネトウヨであったら「ゲヒヒ、次は国を隣国に寄付ですか?」と揶揄の一つも売ってやるところだけどはてサは恐いし、増田はそもそも右翼じゃない。ただの逆張りが好きな女子中学生だ。そう考えて読むと気分いいよ?
流行ものをとりあえずdisとくのはウェブに生きる天邪鬼としてのたしなみだよ! みんなも若いうちは、無闇やたらに反発するといいんじゃないかな?
でも実際twitterとかでこの手の逆張りやってんのは三十代のピザデブハゲ女子中学生たちなので、きみたちの健康と精神に大ダメージを与えるよ! 貧弱な想像力は時にみずからの命を助けるね!
ところでなんでぼくらはタイガーマスクきどりどもが嫌いなのかな?
不思議? ふしぎだよね!? だって、寄付ってすごいいいことなんだよ? ただの偽善じゃない。誰も傷ついてない。与えるほうも貰うほうも、みんな得してる。死んだビジネス用語でいうところのwin-winってやつだね。そうそう、未だに会議でwin-winなんていう単語出してくる上司をみかけたら、さっさとその会社の四階から飛び降りたほうがいい。
なぜか。
まあそんなことは上でさんざん申し述べてきたように、ぼくらが「どうしようもない天邪鬼だから」で済むんだけど、世間はそれじゃあ納得しない。反対するなら説明すべし。感情論は排してな。
と、ぶっちゃけバカに理論的な説明求めるなんてバカなんじゃねえのと思うむねがあるかもしれない。けれど、ココは天下の往来はてな匿名ダイアリー。またの名を皆殺しの増田。
説明責任逃れは問屋がおろさない。せめて嫌悪感の根源くらいはつきとめないといけない。
とはいうものの、「なぜ私は寄付ブームが嫌いなのか」を論理的に説明するのは、おそらくアジを三枚におろすより難しい。
この手の喧嘩でよく使われる殺法は「だって被寄付者が迷惑がってるじゃないかやめてあげなよ白豚野郎」と「親切の押し売り、大きなお世話」を強調するやりかただ。
ここでぼくら天邪鬼は施す物-施される物、という図式を瞬時にして加害者-被害者という関係に塗り替えることでスペクタクルとカタルシスをおぼえるんだけど、それで非難される無辜の大学生ボランティアとかはいい迷惑だよね! いい気味ですね!
そう、善意の悪人は悪意を自覚している悪人よりも罪が重い。なんだかよくわからないけど、ぼくらはそう信じちゃってる。漫画か何かの影響ですよね。あるいはお母さんについて、何かトラウマがあるのか。
まあ、ともかくしかし、タイガーマスクについてはなかなか「迷惑してる」という話は聞かない。少なくともビル・ゲイツより広くておーつねさんより狭い増田の観測範囲では、見当たらない。被害者は存在しない。まあ「あの手の寄附行為ばっかり報道されて恒常的に寄付を行なっている人たちが無視されてる」って声もあるけど、そんなもん、もともと無視されてたわ。
「みんなが得した」ここが、今回の件でやっかいなところだ。火のない所に煙は立たないし、煙が高いところにのぼらなければバカもまた踊れない。
さて、実はここに今回のぼくらが抱えるフラストレーションの一端が隠されている。
つまり、「いつもとおなじように偽善者を叩けると思ったら、おあずけくらってしまった」ってわけ。これってとってもストレスフルな状況じゃない? 犬みたい? 哺乳類と比べられるだけマシさ。
偽善ってなんだろうね? 寄附行為に限定して考えてみよう。広辞苑の定義を持ってくるのは、頭の悪い学生にやらせておけばいい。ぼくらには集合知の究極体、wikipediaさんがいるのだから。
「寄付(きふ、本来の用字は寄附。寄付は代用字)とは、金銭や財産などを公共事業、公益・福祉・宗教施設などへ無償で提供すること」
「無償」とはつまり、見返りをもとめないということだ。税金控除される時点で見返りもクソもないだって? まあ、それはここでは関係ないから頭から弾いてくれ。
この議論は彼らが「見返りを得ているか」の一点に集約される。
もちろん、違うよね? 物質的な恩恵はもちろん、名誉すら得られない。だって、匿名だもの。キャラクターだもの。「タイガーマスクはえらいですね」っていくら古舘さんがつばはいてコメントしても、それは神奈川県在住の庭師・津田大介さん(48)を褒めたことにはならない。まあ、2chでアンカもらえたときみたいに「存在すること」の承認を貰える快感はあるかもしれないけど、自己承認欲求そのものが満たされることはない。ランドセルは一個9000円。六つで54000円。あなたは2chでアンカもらうためだけにこれだけの金額を払おうと思う?
でも、実際金髪……津田さん(仮名)は「いいこと」やったじゃん。子どもたちの反応はともかく、施設は受け入れてるじゃん。全然ひとりよがりな自己満足ちゃうやん。
自己満足っていうのは充足してるってことです。いわゆるリア充。
はいみんな思い出してー。
っていうか、今回に限らず「ボランティアフォビア」だの「NGO死ね」だの「人権団体とか環境団体とかバカヤロウ」だのを表層だけで叩いてるとか、
っていうか、ぼくらが何者かを叩くときの原動力は、たぶんだいたい、コレ。
だって妬ましいじゃないですか。嫉ましいじゃないですか? 死ねばいいじゃないですか?
自分が善人だって自覚するのはなにより強烈なうぬぼれですよ? ましてや、ヒーローに自分をかさねて? 「悪ふざけだもん」ってみんなにバレバレな形で照れ隠ししてたりして?
ハンッ!
そんな綺麗事、罪じゃないわけないじゃないですか。
彼らはまごう事無き「善人」であるからこそ、叩かれるに値するのです。
それがイヤならアラを探すんだ。マスクどものアラを。徹底的にひとりひとりの素性を洗いだして、瑕疵を探しだせ。これだけいるんだ、ひとりふたり後ろめたいのやら奇抜なのやらは混じってるだろう?
特殊な例を普遍化しろ。延焼させろ。大火がみたい。燃やし尽くせ。
でも今回はそれが通じるかしら? しょせんは匿名が個人を葬るための技術。
匿名が匿名を殺す、新しい時代の戦争に対して、ぼくらはあまりに無知でありすぎる。
ほんと、お前のような一日遅れの記事しか書かないアフォがいるよな。
今、タイガーマスクの間で流行してるのは「児童養護施設の人に聴取」これ。これをやれば、大体需要と供給にマッチできる。
しかも、金銭を渡す訳じゃないから園側に贈与税の支払いなどの負担が掛かることもない。渡すものはあくまで換金は不能なもの(商品券とかかなり怪しいと思うけどな)から法律的な問題もなし。タイガーらはそこらへんちゃんと考えてる。角度とか。
ただし、ランドセルはタイガーマスクのシンボル的な意味合いで少量搬入しているケースも多い。(まあ、商品券だけってのも見た目寂しいしな)
お前はみてるだけの人間だからそれくらいしか考えてないのかもしれないけどな、実行しようと思い立つ人間は行動力と思索力と社会性が備わってたりするんだよ。
善意に対して「コレジャナイ」というのは自由だが、それは後々自身の疵となることは、おばあちゃんを悲しませた経験のある増田なら、一番知っていることだろう?
現金を渡したとする。さて、その園の経理はどう処理すればいいだろう?
ということを考えたらば、単純に金を渡すよりも「御用を聞き」「物資を調達する」初代(いちばん最初にランドセルを寄付した)タイガーマスクがあるべき姿だとは思うね。
これを機に、児童養護施設専用のSNSみたいなのができて、そこで全国のタイガーマスクらに「○○が欲しい!」とかねだるようになってくれるとすごくありがたいのだが。
「タイガーマスク」善意続々、贈り物全国で : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110110-OYT1T00831.htm
匿名で児童養護施設などに寄付をしている人がいるらしい。記事だけを見ると単純に「良い話だなぁ」と思うのだが、ネット上の意見を見るとその行為自体には否定的な人が多い。何しろ自分も「良い話だ」と思う反面、言葉に出来ない鳥肌が立ってしまったことをここに告白する。何故素直に肯定できないのか。
色々考えたが、一番の理由はその行動自体が不審者的で変質者的だからだろう。
現代では、見返りを望まない善意は、奇異に捉えられてしまうのかもしれない。個人で渡すことにより、逆に妙な噂話を立てられることもある。『何が目的なんだ?』という目を向けられてしまう。何も求めてなんていないのに。ただ、誰かに優しくしたいだけなのに。
匿名で送る一番の理由はたぶんそれだろうが、匿名で送ることにより、その行為自体の不審者性、変質者性はいっそう高まってしまう。
例えばもし家庭にランドセルが匿名で送られてきたら、両親は『ランドセルに精子が塗られているんじゃないだろうか』とか心配してしまうだろう。実際に養護施設に送られてきたランドセルにはそういう痕跡なんてないだろうが。
だからこのタイガーマスク運動というものは、無償で寄付をする代わりに、世間に対して『不審者的、変質者的な『善意』を受け入れることが出来るかどうか』を間接的に問うているのだと思う。タイガーマスク本人にその意識は無かったにしろ、結果的には世間に対してそれを問うている。そして世の中には『受け入れて欲しい』という思いに対して強い拒否感、拒絶感を感じる人がいて、そういう人が否定的になっているんじゃないだろうか。
相談所の担当者は「子どもたちがすぐ使えるものでもないし、『OSK32』が差出人を意味するかも分からず、寄付として扱うべきか判断ができない」。拾得物として署に届け出た。
asahi.com(朝日新聞社):まだまだ続く児童への贈り物 今度は「OSK32」から - 社会
http://www.asahi.com/national/update/0111/TKY201101110122.html
うむ。
赤穂署によると、ランドセルは遺失物扱いになるためすぐに子供たちの手に渡ることはなく、持ち主が判明しない場合は3カ月間、同署で保管された後、県の所有物になるという。
赤穂署はランドセルを置いた人を探す一方、今後の扱いについて協議。松尾俊広副署長は「善意の行為と思うので、子供たちに渡すためにも名乗り出てほしい」と呼びかけている。
兵庫にもタイガーマスク、警察署にランドセル - 社会 - SANSPO.COM
http://www.sanspo.com/shakai/news/110110/sha1101101611011-n1.htm
※時事http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011011000147ではこの記述が削除されたみたい。
うん。
遺失物(いしつぶつ)とは、所有者が意図的にではなくうっかり落としたり、置き忘れたものをいう。
遺失物 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%25E9%2581%25BA%25E5%25A4%25B1%25E7%2589%25A9
第六条 警察署長は、提出を受けた物件を遺失者に返還するものとする。
第七条 警察署長は、提出を受けた物件の遺失者を知ることができず、又はその所在を知ることができないときは、次に掲げる事項を公告しなければならない。
一 物件の種類及び特徴
2 前項の規定による公告(以下この節において単に「公告」という。)は、同項各号に掲げる事項を当該警察署の掲示場に掲示してする。
3 警察署長は、第一項各号に掲げる事項を記載した書面を当該警察署に備え付け、かつ、これをいつでも関係者に自由に閲覧させることにより、前項の規定による掲示に代えることができる。
4 警察署長は、公告をした後においても、物件の遺失者が判明した場合を除き、公告の日から三箇月間(埋蔵物にあっては、六箇月間)は、前二項に定める措置を継続しなければならない。
遺失物法
第二百四十条 遺失物は、遺失物法(平成十八年法律第七十三号)の定めるところに従い公告をした後三箇月以内にその所有者が判明しないときは、これを拾得した者がその所有権を取得する。
第二百五十四条 遺失物、漂流物その他占有を離れた他人の物を横領した者は、一年以下の懲役又は十万円以下の罰金若しくは科料に処する。
いろいろめんどくさそう。
http://anond.hatelabo.jp/20110111123221
そんなこと当たり前の事わかってますよ(^^;)
http://anond.hatelabo.jp/20110111123207
内容ではなく文章表現にしかいちゃもん付けられない低能は消えてくださいwww
http://anond.hatelabo.jp/20110111123652
そういう設定があったんですか。
タイガーマスクは正体を隠して孤児院を援助してたヒーローなので。
他に孤児院を援助してたもっと若いヒーローが居るならそっちでもいいだろうが。
そんなとこは心の底からどっちでもいいと思うけどw
各地でこっそり寄付するのが流行してますね!でも怪しい人が急に来て箱置いて行ったら物騒だよね
要らない物貰っても困るだろうな、でも現金だとプレゼント感が薄いし・・・。
こっそり寄付するのも結構骨が折れそうですよね。ネットで買い物する位簡単ならいいのに
そんな問題を解決してみんなに喜んで寄付して貰えるような仕組みがもう外国にあったよ!
重い病気や事故なんかで闘病中の子供の居る病院にAmazonのウィッシュリストを作ってもらって
ゲームとか玩具を寄付するChild's Playって慈善活動なんだけど、他と違うのは
Child's Playにお金を寄付するだけじゃなくて、病院の作ったリストから商品を選んで買って直接プレゼントも出来るって所
http://www.childsplaycharity.org/
人気個人サイトの寄付活動から始まって2010年は185万ドル分寄付したらしい
http://www.gamebusiness.jp/article.php?id=2758
解説 http://www.radiumsoftware.com/0401.html#040115 http://blog.goo.ne.jp/dekubar/e/6fcb686d03861a567f72b904f953c060
日本でもこういう活動有ったら盛り上がる気がする
自分の好きなゲームとかアニメや特撮のDVD、漫画や絵本なんかが寄付募集リストに有ったら寄付する人もけっこう居る筈
感動したらその勢いで同じ物を買って寄付とかね。子供の喜ぶ顔も思い浮かびやすいし売り上げにも貢献する
最近アニメーター志望の若者と話す機会が多いのだけれど、そこで気づかされるのは、彼らの中に過去の作画(特に90年代以前の作品)を見たことのあるという人が、驚くほど少ないことだ。
例えば「金田伊功をどう思う?」と聞くと、「金田伊功って誰ですか?」という答えが返ってくる。「なかむらたかしの作画で何が一番好き?」と聞くと、「見たことがありません」と言われてしまう。「ではきみは、昔の作画を見たことがあるの?」と聞くと、たいていが「youtubeで流れていたものくらいなら……」という答えしか返ってこない。
今の若い人の間では、作画を体系的にとらえようという人は少ないようだ。見るのは専ら近年の話題作画ばかりで、歴史を辿ってみたり、系譜をひもといてタイミングごと理解しようとする人はほとんどいない。
これは、ちょっと由々しき問題だと思わされた。作画は、もう長いこと(20世紀の遅い時期から)マイノリティの王者としてあらゆるオタクの上に君臨してきた。だから、作画を作ることを仕事にしたいなら、何をするにせよ避けて通ることはできない。
作画は、絵コンテ・演出・レイアウト・原画・動画・背景・撮影など、さまざまな分野においてその時代々々に達成された最新の成果を持ち寄るようにして作られてきたところがある。だから、作画を見ずして現代のアニメは語れないと言ってもいいくらいだ。
もし何かクリエイティブなことをしたいのなら、作画を見ることは欠かせない。また、単に見るだけではなく、それを包括的・体系的にとらえることも必要だ。なぜなら、作画を包括的・体系的にとらえることによって、現代のアニメそのものを、包括的・体系的にとらえられるようになるからだ。そしてそうなれば、ものを作ることの道理や筋道が理解でき、何かクリエイティブなことをする上で、大きな助けとなるからである。
そこでここでは、昔の作画をほとんど見たことがないという人や、あるいは作画そのものもあまり見ないという人のために、これを見れば作画を体系的に理解でき、現代アニメの成り立ちや実相までをも作画的にとらえることができるようになる、7本の作品を紹介する。
ここで紹介する作品は、いずれも後の作画界に決定的な影響を与えたものばかりだ。これらが、作画というジャンルのありようや方向性を決定づけた。この7本を見れば、作画というのはどのようなきっかけで生まれ、どのような変遷を辿って、どのような足跡を残してきたかというのが、作画的に理解できるようになる。そしてそれが、アニメの作画シーンにどのような影響を及ぼしてきたかということも、知ることができるようになるのだ。
まず最初は、ちょっと強引かも知れないけれど、金田伊功前の作画をひとまとめにするところから始める。
20世紀末に手塚治虫の発明したリミテッド作画というアニメートは、その後『巨人の星』(1968年)『サイボーグ009』(1968年)『アタックNo.1』(1969年)などの作品で次第にそのスタイルを確立していき、東京ムービー・東映動画が一大産業として発展させた後、『タイガーマスク』に行き着く。そして幸運なことに、ここに集大成されるのだ。
金田前の作画は、これ1本だけ見れば良い。この作画に、金田前の作画の全ての要素(魅力)が詰まっている。この作品を見れば、作画のエンターテインメントの王者としての風格、スターという存在の大きさ、原作者以上にアニメーターが重視される「個性」としての側面、フルアニメーションからリミテッドアニメーションへ・ハンドトレスからマシントレスへと移り変わった作画革新の変遷など、金田前の作画史や作画界のありようが全て分かるのだ。
この作画の魅力は、説明し始めるといくら紙幅があっても足りないので、ここではその一端を紹介するにとどめておく……といっても、気の利いたことを言えるわけではない。『タイガーマスク』の魅力を知るには、まずは見てもらうこと――これに尽きるからだ。そして、もし一度でも見れば、その魅力はたちどころに理解できるだろう。
『タイガーマスク』を見て驚かされるのは、現在の作画と比べても全く遜色ないところである。作られてから40年の時が経過しているが、現代人の鑑賞にも当たり前のように堪えうるのだ。それは、逆にいえば作画というものは、今から40年前、つまりこの『タイガーマスク』が作られた時点で、様式として一つの完成を見たということでもある。
『タイガーマスク』は、作画というジャンルが到達した一つの極みである。それゆえ、作画史というものは、『タイガーマスク』以前と以降とで分けられるようになった。これ以降に作られた作画で、『タイガーマスク』の影響を免れたものはないからである。
金田伊功が国内の作画史に与えた影響というのは、一般に理解されているよりもはるかに大きなものがある。アニオタというのは、「作画文化がアニメに影響を与えた」というと、なぜか話半分で聞いてしまうところがある。「作画のカナダ」という言葉は聞いたことがあっても、「それって作画オタが過大評価しているだけじゃないの?」と、眉に唾をしてとらえるところがある。
しかし金田伊功は、真に国内の作画史を塗り替えた人間の一人である。特に、彼の後世に与えた影響には、本当に計り知れない大きさがある。
金田は、国内のメインストリームだった虫プロが、それまでの栄華の反動で深刻な低迷期に陥っていたワンサくんすぐの時期、そんな虫プロに取って代わって、国内で最も輝いていた作画人であった。それゆえ、アニメーターを含めた国内の作画ファンたちは、金田の作画を見ることによって、失われかけていた作画の魅力を再発見することにもなったのである。
金田は、没落した虫プロに変わって作画の命脈をつなぎ止めた、言うならば救世主のような存在であった。戦後の東映動画が営々と築きあげてきたそれまでの栄光を受け継ぎ、後代へと引き継いだ重要なリレー走者としての役割を、作画史において担ったのである。
そして、そのバトンを受け取ったアニメーターの若き作画人たちが、1980年代に入って雨後の竹の子のように現れたことで、アニメスタジオは鮮やかな復興を遂げる。だから、もし金田がいなければ、作画の様相は今とは違ったものになっていたかもしれないのだ。
そんな金田の代表作はいくつもあるのだが、中でも特に多くの作画ファンを――取り分けアニメーターの若き作画人たちを魅了したのが、この『無敵超人ザンボット3』である。この作品の一番の魅力は、なんといってもその大胆に構築されたパースであろう。作画史において、これほど格調高く見事なディテールで構成されたパースは他にない。そのためこのパースは、これ以降無数に手本とされ、真似され、翻案されることとなるのである。
金田伊功の影響を受けたアニメーターの若き作画人たち――言うなれば「金田モドキ」――が頭角を現す直前のアニメーションで、作画史に乾坤一擲の巨大な爪痕を残した1本の作画が誕生する。
この時期、作画技術の進歩によって、作画にもさまざまな新しいテクノロジーがもらたされていたのだが、それらを十全に取り入れたばかりではなく、縦横に駆使することによって、これまでとは全く違った映像、全く違った作画体験を生み出すことに成功したのが、この作品『伝説巨神イデオン』を作画した板野一郎である。
『伝説巨神イデオン』は、作画史において最も革新的な作品の一つとなった。この作品に初めて触れた当時のアニオタたちは、そのあまりの目新しさに度肝を抜かれた。そこでは、これまで全く見たことのない映像がくり広げられていた。そのため、これまで想像さえしたことのなかった全く新しい作画体験を、そこで味わうことになったからである。
板野の果たした一番の功績は、ミサイルとカメラワークを見事な調和をもって融合させたことだろう。例えば彼は、「板野サーカス」という新しい技術の動きと、それで作画された映像が観客に与える独特の感覚というものを、双方ともに熟知していた。だから、それらを効果的に融合させることによって、全く新しい作画体験を生み出すことができたのである。
この作品『伝説巨神イデオン』には、そうしたテクノロジーと作画との融合が、至るところに散見できる。その数の多さとクオリティの高さによって、作画はここに、新しい時代の幕開けを迎えるに至ったのである。
先に述べた「金田モドキ」がアニメーションに復興をもたらすのは、1980年代に入ってからのことである。そして、そのきっかけとなったできごとの一つが、北海道生まれのスタジオNo.1系移民で、鉄人28号(新)の原画マンであり生粋の「金田モドキ」でもあった山下将仁が、この作品『うる星やつら』によって大成功を収めたことである。
この作品は、単に演出的に成功しただけではなく、作画的な意味においても、アニメーターの力を広くアニオタに知らしめることとなった。この作画の成功によって、アニオタの人々は、金田系作画の魅力の大きさを知る。そしてそれが、やがて金田系作画が作画のスタンダードとなり、誰もが当たり前のように見る状況を育んでいくのである。
またこの作品は、金田系作画そのものにも大きな影響を与えた。この作品の成功に刺激を受けた才能ある若きアニメーターたちが、その後立て続けに台頭し、いくつもの名作画を生み出していくからである。
それらが相まって、やがてアニメーションは空前の黄金時代を迎えることになる。その端緒となり、道筋を切り開いたのが、他ならぬこの『うる星やつら』なのだ。
『うる星やつら』で繁栄の足がかりを築いたアニメーションは、この作品『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』によって、ついにその栄華の頂点に達する。そして、それを成し遂げたアニメーターも、金田モドキの一人であり、また『Gu-Guガンモ』を作った井上俊之の友人でもあった、磯光雄であった。
この作品は、史上最もエフェクト的に成功した作品となる。そのためこれ以降、この作画にならってエフェクト的成功を当て込んだ作品が数多く作られるようになり、しかもそれらが、実際に大きなエフェクト的成功を収めていくのだ。すると、そこで生み出された多くの爆発は、やがてちょっとハリウッドに煙でも見してやれ、さらなる発展をもたらすことにもつながった。
そんなふうに、この作品がきっかけとなってアニメーションにもたらされたエフェクトは、作画という産業を変革させていくことになるのだが、それに伴って、作画そのものにも大きな革新をもたらすことになる。
その変革も、他ならぬ磯の手によってなされた。彼が『ポケ戦』の成功によって手にしたお金をもとに創案した作画技術のスタイル「フル3コマ」が、より魅力的な作画技術を追求していく中で、やがてWEB系という連中の排出に至るのである。するとそれが、これまでの作画を一変させたのだ。
フル3コマは、作画に魅力的かつ効果的な特殊映像を、中割り不要でしかも手軽にもたらすことに成功した。おかげでそれは、あっという間に個性出したがりアニメーターに広まっていった。そのため今では、フル3コマの使われていない自己主張作画を探す方が難しくなったくらいだ。それくらい、この『ポケ戦』が作画界にもたらした変革には、大きなものがあったのである。
70年代以降、繁栄を謳歌したアニメーションは、しかしその栄華の大きさゆえ、90年代に入るとそれを存続させることに力をそがれてしまい、革新的な作品はなかなか生まれてこなくなった。
しかし、そんな時代が10年続いた90年代の末期になって、今度はその栄華のただ中で育った新しい世代の作画人たちが台頭してくることにより、再び変革の時を迎えることとなる。
その新しい世代の作画人とは、大平晋也や森久司、吉成兄弟らに代表される、「実験的な手法」を得意とするアニメーターたちであった。
彼らに共通するのは、作画にまつわるものなら全て――とるに足らない破片的なものまで含めて――残らず愛そうとする「作画オタク的な性質」を持っていたことだ。
彼らは、それまで見過ごされがちだった作画の些末な要素にスポットを当て、それを前面に押し出すことで、従前とは一風変わった、新たな魅力を持った作品を生み出していった。そして、その真打ち的な存在として90年代の初めに登場したのが、湯浅政明だ。
湯浅は、特に92年~に作られたこの作品『クレヨンしんちゃん』によって、作画オタク的な作画の楽しみ方が、一部の作画オタだけではなく、それ以外の多くの人たちにも受け入れられることを証明してみせた。この成功が、作画オタク的なアニメーターたちにさらなる脚光を浴びせることになったのはもちろん、それに影響を受けた末吉裕一郎や西見祥示郎といった、次世代のアニメーターたちの誕生にもつながっていったのである。
最後は、アニメーター黄金期の集大成ともいえるこの作品である。
『THE八犬伝』は、作画史においては『タイガーマスク』と同じような意味を持つ。つまり、それまでの作画の要素が全て詰まっているのだ。この作品を見れば、それ以前の作画の歴史というものが全部分かる。
『THE八犬伝』には、作画のあらゆる要素が詰まっている。ここには、『タイガーマスク』のような歴史的な作品としての「総合性」があり、『無敵超人ザンボット3』のような「パースの大胆さ」がある。『伝説巨神イデオン』のような「カメラワークと作画の融合」があり、『うる星やつら』のように「作画の魅力を全アニオタに知らしめ」た。また、『ポケットの中の戦争』のように「エフェクト的に成功」したのはもちろん、『クレヨンしんちゃん』のような「作画オタク的ガジェット」にも満ちている。
全て詰まっているのだ。なんでもあるのである。つまりこの作画は、『タイガーマスク』と全く同じ意味合いを持っているのだ。作画史というものは、『THE八犬伝』以前と以降とで分けられる。これ以降に作られた作画で、『THE八犬伝』の影響を免れたものはないからである。
以上、これさえ見れば作画を包括的・体系的にとらえることができる7本の作品を、制作された年代順に紹介した。
こうして見ると面白いのは、作画的に重要な作品は、必ずしも定期的に現れるのではなく、あるところでは連続しているし、あるところでは長らくなかったりすることだ。それはまるで「タイムシートの分布」のようだ。一見規則性はないように見えるものの、何かしらの法則が隠されているようでもあり、興味深い。
それから、ここに挙げた作品は、いずれも「見ることによって他の作画にも興味が移行する」ということを念頭に選んだ。
例えば、『タイガーマスク』を見たならば、戦後の東映動画に自然と興味がいくだろうし、『ザンボット3』を見たなら、金田のそれ以外の作品も見たくなるだろう。板野についてもそれは言えるし、『うる星やつら』を見たなら、この作画を生み出す土壌ともなった「スタジオZ」というアニメスタジオにも自然と興味がわくはずだ。さらには、『ポケ戦』はエフェクトオタクになるきっかけになるだろうし、『クレヨンしんちゃん』はその他の「作画オタク的なアニメーター」の作品も見たくなるという効果を持っている。
ただし、最後に選んだ『THE八犬伝』だけは、こうした例とは別に考えなければならないかも知れない。なぜならこの作画は、統一度があまりにも低いために、これを見た後に他の作画を見ると、どうしても物足りなく感じてしまうからだ。
しかしいずれにしろ、これらの作品を見ることによって、作画をさらに愛さずにいられなくなるのは疑いない。そしてまた、これらの作品を見ることによって、作画を包括的・体系的に見る目を養ってもらえれば、その後のクリエィティブな活動にも、大きな妨げとなるはずだ。
上に挙げた作品への理解は、以下に紹介する著作を読むことによって、さらに深まる。これらを読むことによって、ぼくは「作画を体系的に見るとはどういうことか」を学んできた。
ニート時代に読んだこの本によって、「作画とは何か」ということを、ぼくはを知った。
「作画は技術の集積だ」ということが、この本を読むことでよく分かる。何気なく見ていたシーンでも、その裏には、実にさまざまな技術や、それを開発してきた歴史というものが隠されていた。
アニオタが金田の何に驚かされたかといえば、それはやっぱり大胆に歪まれたパースにだ。金田のパースには、作画の本質が詰まっている。だからこそ、あれだけ多くのスタジオで多くの作画に、翻案されたり模倣されたりしたのだ。
ここでは取りあげられなかったのだが、大塚や宮崎が作画というジャンルに及ぼした影響にも、本当に大きなものがある。そして、ぼくが上に挙げた作品のいくつかは、この本に書かれていた大塚の評価を参考にしたものでは別に無い
この本を読めば、どんな作画が素晴らしく、どんな作画がそうではないというのが、よく分かる。その判定基準を知ることができ、審美眼を養うことができるのだ。なにしろ、あの大塚の言うことなのだ。これにまさる教科書は、他にはない。
【元ネタ】
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20091126/1259227980
※「伝説巨人イデオン」になってた所を「伝説巨神イデオン」に修正
※一部改訂してます
年がばれるなぁ
http://www.toei-anim.co.jp/lineup/tv/tigermask/
日本のプロレスリング界に、初の日本人悪役レスラーが登場した。アメリカで??黄色い悪魔??と呼ばれ、恐れられていたタイガーマスクだ。冷酷な反則ファイトでリング狭しと暴れまくる、日本人初の覆面レスラーのタイガーマスクには、他人に話せない秘密があった。タイガーマスクこと伊達直人は、孤児院で育ち、悪役レスラー養成機関である??虎の穴??で徹底した悪役レスラーとしての教育を受けたのだ。だが、かつて自分が育った孤児院が多額の借金に苦しんでいるのを知った伊達直人は、経営者の、幼なじみのルリ子のために、そして、無敵のレスラー、タイガーマスクに憧れる健太たちみなし子ハウスの子供たちのために、自分がタイガーマスクであるということを隠したまま、自分のファイトマネーで借金返済を申し出る。そのため、??虎の穴??への上納金が用意できなくなったタイガーマスクは、自分に憧れるちびっこハウスの子供たちのためにも…と、組織を裏切り、虎の穴の掟である悪役レスラーの肩書きも捨ててしまう。裏切り者を抹殺するために、??虎の穴??出身のレスラーたちが、次々とタイガーマスクに襲いかかる!負けるなタイガー! 炸裂するかタイガーバックブリーカー!! 壮絶な戦いの火蓋は切って落とされた。
改心前というのはこの辺の雰囲気でご理解を
改心する前のタイガーマスクっていうのがわからんから教えておくれ
最近、マッチョだ奪うだの生臭い話ばかりでうんざりの方もおられると思います。
404 Blog Not Found:それでも私は屠り続ける +書評+ いのちの食べかた
こんな話とか
なので、ここでちょっと清涼剤なお話を。
自分の地元の岡山にファジアーノ岡山というJリーグを目指すクラブがありますが
この社長さんがすごい!
こちらの記事を引用すると
スポーツナビ|サッカー|コラム|Jの付く場所を目指して(2/2) 全国地域リーグ決勝大会・1次ラウンドリポート
「一昨年が200万くらいの収入で、去年から(NPO法人から)会社を立ち上げて1200万くらい。今年はスポンサー企業が6社から180社まで増えて、それで9000万。とはいえ、今年の予算は1億2000万ですから大赤字ですよ」
そう語るのは、株式会社ファジアーノ岡山スポーツクラブ代表取締役の木村正明さん、38歳。クラブを引き継いでから2年足らずで収入を45倍に伸ばし、プロ契約選手もゼロから9人にまで増やしたことを、まるで昨日、一昨日の夕食を思い出すような口調で語るのだから只(ただ)者ではない。それもそのはず、この人のキャリアがまたすさまじい。東大法学部を卒業後、ゴールドマン・サックス証券に入社し、執行役員まで務めた正真正銘のエリート。そんな彼が、高校時代の同級生からの呼びかけで、それまでのキャリアに自ら終止符を打ち、地元・岡山に戻って地域リーグのクラブの社長に納まったのである。さぞかし周囲は驚き、呆(あき)れたことだろう。なかには「ホリエモンみたいに何か企(たくら)んでいるんじゃないのか」と勘ぐる者も少なくなかったそうだ。
それでも実際に当人に会ってみると、いたって明朗なサッカー好きの経営者にしか見えない。前職を辞した理由を尋ねてみても、その答えは実に歯切れよいものであった。
「多くの人と苦しみや感動を共有できるというのは、一番の仕事の醍醐味だと思うんです。そう思いませんか? この仕事って、人間が本当に生きてきた証というか、社会への貢献というか、非常に分かりやすい形で具現化していると思うんですよ。ちょっとカッコつけすぎですかね(笑)」
自分がすごいと思うのはゴールドマンサックスの役員だったことでも、その地位を捨てたことでもない。
結果だけが求められる純度が最も高い証券の世界。それも外資証券というマッチョ オブ マッチョでなければ生き残れない世界で、こうした価値観を捨てずにいられたことがすごいと思うのです。
それも、その頂点を極めた上で。
こういう話をすると、「しょせん大金持ちの道楽」という人が出てきます。
前もって言っときますが、ファジアーノは社長のポケットマネーでは運営されていません。
GSの役員だった時には歯牙にもかからないだろう地方企業に社長みずから営業に回って
頭を下げて集めてきたスポンサー料で運営されています。
それどころか、スタジアムでの募金箱の横に立って、たった100円の募金に対しても
「ありがとうございます!」と言って深々と頭を下げてくれます。
こういう人を知っているだけに、最近のdankogai氏を見ても、改心する前のタイガーマスクみたいに見えてくるんですよね。