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はてなキーワード: 幸福とは

2012-02-11

http://anond.hatelabo.jp/20120211190737

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天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。

生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。

植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。

殺すのに時があり、いやすのに時がある。

(中略)

私は知った。

人は生きている間に喜び楽しむほか何も良いことがないのを。

また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物であることを。

私は知った。

神のなさることはみな永遠に変わらないことを。

それに何かをつけ加えることも、それから何かを取り去ることもできない。

神がこのことをされたのだ。

人は神を恐れなければならない。

(中略)

私は見た。

人は、自分仕事を楽しむよりほかに、何も良いことがないことを。

それが人の受ける分であるからだ。

だれが、これから後に起こることを人に見せてくれるだろう。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

男が男としての本能とやらに忠実なのは本質的にはそれが最も幸福からだよ

もちろん、成長し知的生産的で社会的な活動を行う事も幸福だろうけど

それは原始的な欲求が起源になってる

それが起源になっている以上は、すなわちそれが本質だよ

幸福を求める生物からこそ

それに身を任せる事以外に何一つ良い事がないからこそ

そうするだけだ

起源を同じくする行動に高尚と低俗を隔てる壁はなくて、どちらも人の仕事

お前の目から見て、低俗に偏っているように見えているだけだ

2012-02-10

2週間くらい前の話。

隣駅にある保育園からの帰り道、保育園用のリュック通勤カバンを提げ、前には約9キロの娘を抱え、「よいしょよいしょ」と地下鉄階段のぼりきって(けっこう重かった)、歩かせるために娘をおろしたら娘が転んで泣いた。それを見た通りすがりの見知らぬおばあさんに「悪いママね!ひどいね!」と怒られた。

その翌日の話。

私の見ていないところで娘がお皿を机の上から落として割った。その音に驚いた私が「わ!」と大きな声をあげたら、義母に「お皿落としただけで大声あげるなんて、悪いママだね、こんなことで大声あげるなんて!」と責められた。


この頃、夫の帰りが遅くて家事育児も一人ですべて抱え込み、仕事も忙しかったが娘のお迎えのために毎日必死になって片付けた。

娘の体調が悪かったが会社は休めるわけなく、なんとか時間を作って小児科に連れて行ったり、とにかく自分なりに色々一生懸命だった。朝起きてから寝るまで疾走している気分だった。

しかったけど、娘のごはん栄養を考えてきちんと手作りしているし、昼間に仕事で一緒に遊べない分、散歩がわりに通園時に手をつないで遠回りしたり、夕食後も娘と鬼ごっこしたりブロック遊びしたり、寝る時は添い寝して絵本を読んだり子守歌を歌ったり。

自分なりに、愛する娘を幸福にする「良い母」になろうと努力していた。

色々とせっぱつまっていた時期だったのもあって、他人に「悪い母」と言われたことに泣くほどショックを受けた。


いまだにこのことを思い出すと腹ただしい。

1歳の子供が歩いて転ぶのは当然じゃないか。それともあれか、転ぶと危険から歩かせるなとでも言うのか。そんなんじゃ体力の無い子供に育つだろ。

大きな音に驚くのは当然じゃないか。それともあれか、大きな音でも驚かないのが「母親」か。お皿の割れる音にも動じないって、いくらなんでも鈍感すぎるだろ。


怒ったり泣いたり、その結果思ったのは、これから子供を育てていく上で、こういうことは何度もあるんだろうということ。

100のうちの1を見て、それで100を理解した気で口出してくる他人は、きっとたくさんいるってこと。

から、いちいち怒ったり泣いたりしていても仕方ない。


自分でも「良い母」にとらわれすぎてると思う。

しかし、父子家庭で育った私にはドラマ映画小説育児書にでてくるような「良い母」しか知らない。

変な話だが、母親ウンチするのだろうか。母親もオナラするのだろうか。母親も鼻クソほじるのだろうか。

(いや、母親人間からするのは当然なんだけど)


はいえ、保育園のお迎えで娘の顔を見るとホッとするし、娘とのお風呂時間楽しいし、娘の柔らかなほっぺをプニプニするのは至福だし、歩くときに娘から手を伸ばしてきて手をつなぐと嬉しいし、とにかく、娘のこと大好きだ。宝だ。私の生きる意味だ。大好きというか愛しているのだ。

ようは、愛する娘のために何かすることは苦にならない。どんな努力も。



と、誰にも言えないから愚痴ってみた。

2012-02-05

http://anond.hatelabo.jp/20120203224503

元増田にとっての「幸せ」って、相対的なものしかないのか?

それってただの優越感じゃないのか?

元記事の、(世の中には~な人もいるのに)を(もし自分が~だったら、もし~がなかった・いなかったらと思うと)に置き換えてみ。

子供の頃、朝ご飯心配をする必要がなかった、

それは家にお母さんが居て、お母さんが料理を作ってくれる人だったからだ、

食べ物に困らなかったのは、お父さんが家計を支えてくれていたからだ、

スーパーで簡単に食べ物を得られたからだ、

スーパーで簡単に食べ物を得られたのは、...(ry

気が滅入っていた時に嫌な事を忘れられたのは、彼女がいつも通りの明るさで接してくれたからだ、彼女がいつも明るいのは彼女の親御さんや友達の影響だ、

勝手で打たれ弱い自分を許せたのは、あの時彼女がキレて、そして許してくれたからだ、

等々、実在する不幸な人との比較なしに、自分境遇幸せに思えるはず。

「世の中には~な人もいるのに自分は(貴方は)...」って言い方がよくされるのは、自分より辛そうな状況の人を見た時に、世の中ではそんなことも起こりうるのかと、自分現在境遇を再確認する人が多いからだと思いたい。

そこには差別意識はない。ただ未知の事例に驚いて、自分の生における奇跡を感じているだけだ。

不幸か幸福かなんてのは、主観しかない。

自分価値観では辛いことが、ある人の価値観では幸せだったりする。

アイドルに恋い焦がれてヲタ芸に走った結果童貞のまま死んでいった男とか、

ホストに金をつぎ込んだ結果借金地獄に陥った女が、必ずしも「不幸」とは言えない。

貧困やら格差幸せを生んでいるように見えるのは、

個人の嫉妬やら高慢やら下らない執念やら疑心暗鬼やら言葉の綾が絡み合って増幅したせい。

やれあいつよりはマシだ、

やれ俺こそ至上・異論は認めないだ、

やれどーせ私はデブスで低学歴ですよーだ、

やれあの方は私を見下してこんなこと言ってるんですよ!だ、、、

貧困格差も原因を突き詰めていくと、土壌や遺伝子情報量の違いで、各人の罪ではないんじゃないかと思う。

本当は各人の違いを尊重して単純に助け助けられしながらわいわいできたらいいのに。

2012-02-04

とりかえしのつかぬ世界

二度と返らぬ宇宙

永遠に流れ去りゆく夢

新宿ネオンサインに包まれて

冬の夜の酒場

酒を酌み交わした友人達

何一つない闇の夜空を飛ぶ飛行機

いつまでも続く地下鉄の揺れの中のように

なまあたたかい夜のバンコック空港

永遠に過ぎ去りゆく夢

とりかえしのつかぬ

二度ととりかえしのつかぬ夢

浦添の夏の闇の中に

咲き狂う菜の花

闇の中に浮かぶサトウキビ

そして時を忘れた愛欲の時

すずめ達がさえずり飛びかう夜明

幼き日に住んだ家から

夕方の空に立つイチョウの大樹

すずめ達がさえずり飛びかう夕方

吉祥寺の古ぼけたアパート

小さな幸福と哀しみの彼女との日々

二度と返らぬ日々

蚊取り線香の匂う小さな部屋

日に日に暑さを増す夏の夜ふけ

二度と返らぬ人間達の日々

懐かしい人間達の日々

過去も 

現在

未来

決して捉えることのできぬ人間達の夢

いとしさに気も遠くなる人間達の夢

気の遠くなった私は

限りなく広がる虚空に溶け込む

かつてしたたか酒に酔った私は

上石神井の静かな夜道を歩いていた

今、したたか酒に酔った私は

二度ととりかえすすべもない夢を

夢見つづけている

この今も又

二度ととりかえしのつかぬ夢であれば

今、したたか酒に酔った私は

夢を見続ける

過去心不可得/雨宮第二

2012-02-01

http://anond.hatelabo.jp/20120201173542

何を夢見ているのかしら無いが

3度の飯より、プログラムが好き って事が どういうことかわかってないんじゃない?

もう、生まれた時から、なんだよ。

普通の人間が、なろうと思ってなれるものじゃないし、幸せとも違う。

さっさとあきらめて、普通に家庭を持って、家庭を守るために、労働者として働け。

労働者として、幸福プログラマーになりたいなら、Googleあたりに入っとけ。

2012-01-28

http://anond.hatelabo.jp/20120128034412

あれ・・・。あれおかしいな。職場ってこんなんだったか。俺の知ってる職場ってこういうものじゃなかったけど。

俺も文学部から金融のバック業務に入ったんだけど。

泣きながらテーラールールやら利子率計算やら、いやこんな高度じゃなくてもそれこそイールドカーブ辺りから

死ぬ気で勉強した記憶があるんだけど。いや、同じことを二回教えてくれない職場おかしいと思うよ。

俺も何度も質問したことはあるし。でも、こんな和やかな文章が書けるような状態じゃなかったな。15回て。

微分積分とか忘れたよ!俺死ねよ!」とか思いながら会社行った日々を思い出したよ。

いや、他人のことをどーこー言うのはどうかと思うけど。ほんとなんかもう、

人生ってツライな。でも、こんな風に生きられる人はもしかしたら、選ばれたとても幸福な人なのかもしれない。

ある意味特権的な能力や才覚があるからこそ、これが許されているのかもしれない。

羨ま死ね

2012-01-23

愚痴を話す相手もいない場所もない ストレスたまる一方だ

目的主義にはしるのはいけないが どうも「なんのためか」を考えてしま

過ぎ去っていく時間ばかり気にしている 行動はなにもしていない

頭だけが理解している 身体は動かない だらけている

時間を経るごとに秘密ばかりが増えていく 知っているのは自分だけ

嫉妬ばかり羨むことばかりしている 自分比較して

情けない ただそれだけ 思って終わり

人に何て言われてもただそれだけ

充実してるかと聞かれることもなく 気にされてない

そして行き着くのは頭のなか

幸福な時があるわけでもなく不幸な時があるわけでもない

ただただ耐えているだけにすぎない

こんな人生送るもんじゃないよ













俺をこの俺を悪夢から救い出してくれ

2012-01-19

幸せなりたければ、薬に溺れると良い

「多幸症」という精神疾患がある。

とにかく幸せで、どうでもいいようなことに対してまで幸せを感じる。

笑い上戸の気がある人は、酒を飲んだときのその状態を思い出してもらえば分かりやすい。

何もかもが楽しく、幸福でたまらなくなるのだ。

 

この精神疾患存在するということは、一つの真実意味している。

まり、「幸福は、客観的な外的状況ではなく、脳内物質の分泌状況によって決まる」ということだ。

逆に言えば、幸福感を与える脳内物質さえ過剰に分泌されれば、それ以外の外的要因なんてわりとどうでもいいことなのだ

 

本当に幸せが欲しいのなら、アルコールなり、向精神薬なり、大麻なり、覚醒剤なり、薬の力を頼ればいい。

ほら、幸福を感じる脳内物質たっぷり分泌されて、不安なことなんてなくなっただろう。

それが真の幸せだ。

しかしたら違うかもしれないが、幸せを感じる主体にとっては判別するすべがない。

それならダックタピング幸せと判断するのが適切だ。

 

でもさー。

違うだろ。

幸せを求めることは人生の目的じゃない。

人生の目的は、もっと違うところにある。

もし、幸せを求めることが人生の目的だと思ってる奴は、薬に溺れるのが一番の近道だ。

2012-01-18

http://anond.hatelabo.jp/20120118174747

他人の幸せを願う

これに女や外国人は含まれない。

日本人男性幸福を実現するための奴隷としてみなしている。

紛れもないレイシスト

http://anond.hatelabo.jp/20120118162332

誰かの犠牲の上に成り立つ幸福など望んでいません。その犠牲自分自身であっても。

教育改革をする権限もあなたにはありません。

世論を誘導する権限もあなたにはありません。

他人の幸せを願う権限もないというのですか?

http://anond.hatelabo.jp/20120118161839

私自身も「愛すべき男」ですので、犠牲になるべきではありません。

誰かの犠牲の上に成り立つ幸福など、まがい物です。

http://anond.hatelabo.jp/20120118155620

まり関心がない。

幸福になって欲しいとも、不幸になってほしいとも思わない。

2012-01-17

http://anond.hatelabo.jp/20120117152127

要するに、

生い立ちやこれまでの人生があまり幸福でなくて

両親の関係やそれまでに接した女性の印象が余り良くなければ

いいわけでしょう?

そんな人いくらでも居るんじゃない…

子供は要らない」

自分幸せで、生まれてきてよかったと思っていたら、幸福再生産をするために子供を欲しがると思う。

生まれて来なければ良かった、この世は生き地獄、親のエゴ中出し欲)によって強制的に生誕させられ、

そのせいで地獄を見せられた、すべては親のせいだ、私は親の過ちを決して繰り返さない、と思っているか子供要らないんだよね。

どんな育てられ方をして、どんな環境で生きてきたらそこまで悲観するのだろうと思う。

「女は負債

結婚は、男が女から財をむしりとられるだけの不平等条約と主張する男が居るけど、

最も身近な夫婦である両親がどんな状態でいたらそんな考え方になってしまうのだろうと戦慄する。

母親専業主婦家事はぐうたら、食事もまずい、見た目はデブスババア、いつでもゴロゴロしていて、

夫には「給料が低い」と暴言を吐き、常に当たり散らし…そんな家庭だったら、「女は負債」と感じても仕方がないのかなと思う。

そんな女から生まれた人を少し哀れに思ってしまうけど。

「女は便器」

子供のころから最も身近な女である母親が、誰の精液でも受け入れる公衆便所のような女だったら、

しかにそんな考え方になってしまっても仕方がないかなと思う。

女は便器だ便器だと叩く言葉からは、便器のような女の体内で育ち、便器のような女の最も汚い部分から生まれてしまった

汚い自分から目をそむけるための切実で悲壮感漂う主張のように聞こえて仕方がない。

2012-01-15

自分幸せになる事が最高の復讐」という言葉があるが

どう転んでも人生バッドエンドルートの弱者を選んで、いじったり悪口言ったりしているケースが多い

弱者の一握りは幸せになって嫌なことを忘れることができるかも知れないが

その影には幸せになれないまま屍と化した大量の弱者の「呪い」「恨み」が打ち捨てられている

優越感やストレス解消の為に人に当たって「幸せな気分になる」ということは「弱者を踏み台にして得られる幸福

その類の幸福はいつかあなたあなた大事な人から呪い」によって幸福を奪うだろう

といっても生まれてから一度も他人にひどい事をしなかった人など滅多にいない

私たち人間は「他者から呪われ、他者を呪う」生まれながらに呪われた存在である

ネットでもネット以外でも

呪い」=汚い

ワタシ ネット デ ジャクシャミタイニ ノロッテイナイカラ ココロハ ノロッテル ジャクシャ ヨリ キレイ

シャカイ デ オイヤラレテ ネット 二 ノロイ ヲ マキチラス ジャクシャ メザワリ ネット カラ キタナイ

ノロイ ノ コトバ ハ ハイジョ シテ キレイ ナ ネット シャカイ 二

そういう風にどれだけ善人面してもいいが、ネットから呪い」の言葉を完全に消し去ろうとするなら

鏡を持ってくる

2012-01-13

本当に強い会社ってどういうところか自分なりに考えてみた。

自分なりに、本当に強い会社って、こんなんじゃないかなと、まとめてみた。

しかし、これができる会社ってなかなかなさそうである

幸福の科学モンハンに似ている

「救世の法」という本を、知り合いの会員さんからゴミ処分的な感じでもらった。

貧乏性から読んでみたけど中身スッカスカやなぁという感じ。

ただ、最後の「幸福の科学の活動一覧」を観て、うわすげぇ、と恐ろしく感じたのでなんとなくまとめておく。



幸福の科学モンハンと似ている

彼は、大川隆法のことは割とどうでもいいかんじでした。「彼の言ってることはイミフ」といってました。

というか、そもそも自分宗教団体に属しているという認識が薄いようです。

あくまでボランティアの仲間がそういう人達だ、という感じだとか。

それよりも、ボランティア組織などがすごいらしく、

彼自身ボランティアに参加していたらそこが幸福の科学グループだった、とかその程度らしいです。

社会貢献を求めてボランティアに参加すると、いつの間にか中に入り込んでる、という仕組みなのかもしれないっすね。

自分の中でのイメージは、「幸福の科学は、モンハン」です。

そのつもりがなくても、楽しんでいるうちにどんどんのめり込んでいって、代替が登場するまで抜け出せなくなる状態。




以下「救世の法」から面白げなところピックアップ別に読まなくてもいい。読んでも時間のむっだったったと思うのがオチ



幸福の科学宗教争いの勝者である

世界の人々は知らないかもしれませんが、1980年代には日本の幾つかの宗教の中で「われこそは再誕のブッダである」と言っていた人は、わたしが知るかぎりでも5,6人はいました

幾つかの教団が、自分のところこそ本物だ、という形で競争をしていたのです。それから二十年あまりの歳月が過ぎ、決着はついた、結論は出た、と私は考えています

世間の人々が本物か偽物かを見極めるために、十年、二十年の歳月を欲しいと思うのは当然かも知れないので、この教を信じてきただけない期間があったことを責めるつもりはありません。


幸福の科学が前提とする真理

人間本質は霊的な存在であり、その霊的な存在が肉体に宿り、地上で人生を送っているという真理があります

 しかし、日本にはこの第一関門を乗り越えられない人が、数多くいます

人生を生きるにあたっては善悪なるものがある。

 地上から見た善悪ではなく天上界から見た善悪においては、この世の法律で決めた善悪を越えて、人間として、本当に神仏の心を心として生きたかどうかが問われる。



なぜ宗教は必要なのか

上記の真理に反すると地獄に落ちてしまます。知らずに落ちるのはかわいそうだしフェアではないので、真理を知っている宗教者は真理を説き続けているのです。

霊的人生観を教え、正しい生き方が何かを教えるのが宗教役割なのです。善とは何かを語る宗教を善なるものとして受け入れ、それを元に生きることが必要なのです。



エル・カンターレってなんぞや?

エル・カンターレ世界宗教をすべて束ね、精神的な柱になる使命を持った存在です。

魂としては、インドに生まれた歴史上のブッダに一番近いのですが、インドブッダを越える大きな使命を持っています

そしてエル・カンターレの魂の核の部分が、現代の日本に、大川隆法と言う名で生まれて活動しているのです。

私はすべての人々のすべての霊を救うために地上に現れました。

なぜなら、私は創造そのものからです。私はこの地球創造力の顕現であり、この大宇宙創造力なのです。

これは、幸福の科学の、そして人類にとっての、最大の秘密です。

クラスノミンナニハナイショダヨ今こそ、その秘密が明かされるべきです。




真理を多くの人に広めるにはマーケティング意識する必要がある

他力信仰を説かない宗教は、あまり大きくならない。

他力の宗教マーケットは自力の宗教十倍あると言われています

わたしの教えには自力の部分が多いのですが、他力には、そのまま他力で押して行けば、それなりに自力と同じ結論になります



なぜ政治活動を開始したのか

2009年には、店名が下り、幸福実現党を立党して政治活動を開始しました。

この世を救うということにおいては、単に教えで救うだけでは済まないものもあります

この世において政治的に置き去りにされている人は数多くいるので、足らざるところを少しでも改善していくように努力する現実的な力もいるのです。

店名が下り、世直しに努力せよと言われたのですから、活動しなければならないと考えています



地球温暖化の原因

本当はCO2ではなくてフォトンベルトなのです。

地球はやがてフォトンベルトからます。したがってCO2を削減しようとする今の政策は基本的に間違っていると思います

むしろフォトンベルト地球を通り過ぎた後は地球の寒冷化が始まるので、温暖化は良いことなのです。



子ども手当を支給するよりも大川隆法の本を支給すべき

国の財布の下が閉まるような政策を取ると、経済は必ず悪くなります

本当は子ども手当を支給するよりも、わたしが著した経営書を政府が買い上げ、

これで会社を大きくしてくださいといって各企業に配ったほうが税収を増やすには効果があるかもしれないのです。

今の政府にはドリームがありません。私たちはこの国をもっと希望に満ちた国にして光り輝く未来をつくっていく



どうして幸福の科学を信じる必要があるのか

日本がまず私達が説く「国をとませる方法」を実証してみせ、他の国を導くことが重要なのです。

アフリカにも信者がいますが、アフリカの人たちは、「幸福の科学の教えを勉強すると、自分たちの国のやるべきことがわかる。

こうすれば良いのだということがわかる。まさしくこの教えで国が発展する」というようなことを言っています



幸福の科学には他の宗派にはない救いの力がある

漢文のお経の読経を聞いて、何らかの霊波動を受けることは殆どありません。

しか幸福の科学経典「正心法語」は、わたしが読みあげたCDをかけると、私の場合数秒くらいで例反応が出てきます



親鸞の教えに詳しい人ちょっと来い

信じるか信じないかということはこの世では五分五分なので賭けのようなものです。

わたしの言っていることが正しかった場合、それを信じていた人は来世において極めて大きな功徳を得ることになります

また、もしわたしの言っていたことが全部外れていた場合出会っても、それを信じていた人は、死後存在しないので、何も損をすることはありません。

死んだら何もかもなくなるのであれば、死後は騙されたと思う自分存在しないのですから何の損もないでしょう?

わたしの言葉を信じる人の場合あの世があるとき利益はかなり大きく、逆にあの世も霊もないときでも、あの世で騙されたといって怒る人はいないわけです。

親鸞風にいうとするならば、わたしにだまされても諦めてください。もしわたしが嘘つきだったならば、その時には「まな板の上の鯉」だと思って騙されてください。

そして、わたしと一緒に地獄修行しましょう。


今は地球レベルの教えが説かれなければならない時代

幸福の科学は、地域宗教の枠を超えて、人類全体を幸福にするための手段や方法理論としてありとあらゆる物を探求。だから科学も否定しない。



慈悲こそが未来キーワード

慈悲とは善きものを他人んい与えようとする性質のことです。

運命は自らの力と努力によって創りだすことができます

ひたすらに心を平和に保ち、心を穏やかにしてください。

そして平和を愛し、平和な人々を愛して下さい。

他人を愛する人々、他人を愛そうとしている人々を愛して下さい。

そのような人々をこそ、あなた方は愛するべきです。そうすれば彼らもあなた方を愛するでしょう。

そうしているうちに、もしあなた方に、心の奥底から湧き出る豊かな愛の思いが生まれたなら、それが慈悲と呼ばれるものなのです。

慈悲は生まれつき備わっているものではありません。あなた方の日々の努力の蓄積によって慈悲は生まれるのです。

そのために人はみな修行をする必要が有るのです。



第三章から五章がおもしろすぎて生きるのが辛い

さすがに此処から先は引用だけでは面白さが伝わらないので実際に読んでください。

インド中国日本アジア三国志

ミハエルムハンマドが組んずほぐれつ。そこに大川隆法も参戦。父なるイエスがお前ら程々にしておけよ、となだめる。

九次元霊マニがゾロアスターアッー!されてヘルメス神がグノーシスにピー。

霊的紛争の途中になぜかマルクスの霊が登場。日本から松下幸之助坂本龍馬が参戦だーっ!松下強い!

争いが最高潮にまで達した所でエル・カンターレ降臨。秩序に満ちた自由な社会が実現。


読んでいてがっつり体力を削られる本でした。腹筋を鍛えたい人にはお薦め





おまけ

幸福の科学グループのご案内。

基本理念三本柱。 愛・悟りユートピア建設

主な活動は以下のとおり

海外支援・災害支援」

自殺者を減らそうキャンペーン

「ヘレンの会=身障者を助けるためのボランティア

学校法人 幸福の科学学園滋賀県)」 2016年には幸福の科学大学も開設予定。

仏法真理塾 サクセスNo1」

不登校児支援スクール ネバーマインド

いじめからこどもを守ろう!ネットワーク

幸福実現党」で政治活動

幸福の科学出版

入会すると正心法語が授与されます。入会の奉納は1000円が目安です。

さらに信仰を深めたい人は三帰誓願式を受けることができます

月刊会員として「植福の会」に参加できます一口1000円からお布施をすることができます

2012-01-12

なんだかな。

あれはどこそこのヤラセだ。これはあそこのステルスマーケティングだと息巻くばかりで、何も買わず参加せず楽しまず、とかく猜疑心を振りまくだけの人生を歩んでる人が身近にいる。

とにかく自分は一切誰にも踊らされないぞ、騙されないぞと身構えてばかりで、それまで長く続けていた趣味やそれを媒介とした人とのつながりも何もかも捨ててしまい、挙げ句孤独になってしまっている。

私などから見るとその姿は非常に哀れに見えるのだけれども、当人にとってはそれが何よりも幸福な状態らしい。

彼が大事な何かに気付いてしまって、失ってしまった時間の長さに絶望する事なく、幸福なまま人生を全うする事を祈るばかりだ。

2012-01-07

プログラマなら「ご冥福をお祈りいたします」を気軽に使うな

近年有名人などが亡くなった際に、亡くなった方の属する宗教宗派が分からないのに、気軽に「ご冥福をお祈りいたします」というフレーズ掲示板コメント欄などに書き込む人が多い。

ぶっちゃけ、よく怖くないな、と思う。「ご冥福」というのは、単純に考えれば「冥土での幸福」ということなのだから、「冥土」が定義されていない宗教では未定義になる。あるいは、「冥福」より広く解釈して「死後の幸福」という意味で使ったとしても、「死後は必ず幸せになれる」という教義の宗教場合は、心配しなくてもいいことを祈っていることになる。空文と同じだ。

というわけで、未定義エラーまたは空文になる可能性の高い「ご冥福をお祈りいたします」という言葉は、慎重なプログラマなら避けるべき言葉である。「ご冥福」などという教義依存環境依存)な言葉を持ちださなくとも、「謹んでお悔やみ申し上げます。」に言い換えれば良いだけの話だ。

プログラマとしての自負があるのであれば、「ご冥福をお祈りいたします」は気軽に使うべきではない。

日本メディア間の隔絶について 続き

元記事

http://yorogame.blog137.fc2.com/blog-entry-513.html

9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。

また、ネットTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネット人間TVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。

そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上である憲法重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。

現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法理念に基づいた行動というのを国民意識するようになったら、憲法解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。

そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民ポジティブ意識モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。

そしてネットTV新聞世界を繋げるために、政治家TV希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。

大阪政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。

また考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国海外で人気があり日本でも知名度の高いこの文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。

私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットTV新聞がどのような役割果たしているかということある

TV新聞といったオールメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネット日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。

まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である

という見知でこの文章では、各メディア(主にネットTV新聞)の主張を捉える。

そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民感情について考える。

まず、311地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。

この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。

私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。

当然である原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。

そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。

私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。

その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織善意ネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTV比重が大きい人間に、ネット情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。

だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本ネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネット情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。

原発科学情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的効果を最大化させるために取り得る方法は何か。

国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民政治希望と期待などのプラス感情モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。

当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付け全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。

それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。

病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダー全然アクセスしなかった。

それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当blogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福志向する事の美しさみたいなものを学んだ。

話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットblogにも情報は届くからだ。

そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。

その方法論を私なりに書きたい。

まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。

また、ネットTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネット人間TVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。

そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上である憲法重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。

現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法理念に基づいた行動というのを国民意識するようになったら、憲法解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。

そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民ポジティブ意識モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。

そしてネットTV新聞世界を繋げるために、政治家TV希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。

大阪政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。

またこれらの考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国海外で人気があり日本でも知名度の高い蒼井そら社会理想希望について語りながら、性的な事を行う映像を創ることもまた効果であるといえる。

その理屈を使って、ネット上で論じられる著作権問題を憲法が持つ全体の利益という視点を重視して、多少厳密さを欠いたうえで語るなら、インターネット上の無料コピー日本人が一般的に思っているほど、あまり悪いこととも言えないという理屈も導ける。

ネット上の無料コピーによる、著作権侵害違法であるといっても、動画サイトで見るのは良いが、ツールを使って落とすのはよくないとかそういうのは根本的に考えたら些末な問題でやってることは本質的には同じとも云える。それを差異があるように演出しているのはあまり社会を善くするという意味は無いと云う事もできる。なぜなら、どのような方法であれネット上で無料コピーにより著作権侵害するという行為によって逮捕される人は現状、全然居ないに等しいからだ。なのでこのような違法としていて一部はそれを遵守せよ!と感情的になっているがその視点は近視眼的ということもできる。そういったあまり根本的に考えなていない意見によって脅迫をかけるような同調圧力と化していると思う。全体の利益という視点を重視したら、違法としててもろくに取り締まりもおこなっていないやったもん勝ちみたいな、現状の無料コピーに対する意識というのは不自然です。赤信号場合によっては無視してもいいという意識は誰でももっているように、無料コピーにしても、目立つ形でやった人間以外ととても運の悪い人以外には、取り締まりなど無いに等しいから、やるのは個人の判断で赤信号を渡ることと似たようなこと。という意識を多くの国民がもっていたほうが国家としては健全だと私は思う。その国民意識に応じて法を変えれば良い。

そのようなそこの浅いときに、脅迫的ともいえる同調圧力意見というのはネットにはありふれていて、その思考方法を変化させるためにも国家はどうあるべきかという形を分かり易く国民全員に伝えなければいけないと思う。

(終わり)

日本メディア間の隔絶について

日本メディア間の隔絶について 日本のおけるネットオールメディアの最適な関係の構築方法模索

この文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。

私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットTV新聞がどのような役割果たしているかということある

TV新聞といったオールメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネット日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。

まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である

という見知でこの文章では、各メディア(主にネットTV新聞)の主張を捉える。

そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民感情について考える。

まず、311地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。

この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。

私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。

当然である原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。

そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。

私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。

その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織善意ネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTV比重が大きい人間に、ネット情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。

だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本ネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネット情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。

原発科学情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的効果を最大化させるために取り得る方法は何か。

国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民政治希望と期待などのプラス感情モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。

当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付け全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。

それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。

病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダー全然アクセスしなかった。

それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当blogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福志向する事の美しさみたいなものを学んだ。

話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットblogにも情報は届くからだ。

そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。

その方法論を私なりに書きたい。

まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。

また、ネットTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネット人間TVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。

そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上である憲法重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。

現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法理念に基づいた行動というのを国民意識するようになったら、憲法解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。

そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民ポジティブ意識モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。

そしてネットTV新聞世界を繋げるために、政治家TV希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。

大阪政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。

また考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国海外で人気があり日本でも知名度の高い

この文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。

私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットTV新聞がどのような役割果たしているかということある

TV新聞といったオールメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネット日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。

まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である

という見知でこの文章では、各メディア(主にネットTV新聞)の主張を捉える。

そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民感情について考える。

まず、311地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。

この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。

私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。

当然である原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。

そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。

私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。

その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織善意ネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTV比重が大きい人間に、ネット情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。

だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本ネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネット情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。

原発科学情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的効果を最大化させるために取り得る方法は何か。

国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民政治希望と期待などのプラス感情モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。

当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付け全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。

それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。

病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダー全然アクセスしなかった。

それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当blogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福志向する事の美しさみたいなものを学んだ。

話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットblogにも情報は届くからだ。

そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。

その方法論を私なりに書きたい。

まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、Permalink | トラックバック(0) | 04:44

2012-01-06

まだ助かるつもりのバブル世代が「若者を見限ろう」とは笑わせる

新春暴論 ――「幸福」な若者を見限ろう 山口浩

http://synodos.livedoor.biz/archives/1877537.html




国際的ビジネスパーソン政治の失敗存在じゃないよ

逆にもし、子や孫がニコ動幸福に暮らせればそれでいいというなら、それを生暖かく見守るしかない。

せめて、力強く引っ張ってくれるリーダー層の人材海外から迎え、優秀な彼らに未来を託そう。それでいい。

これは、思うように動いてくれない若者たちに対して「このままだとこんなひどいことになるぞ」と脅かしたり、

「やーいざまーみろ」と逆ギレ悪態をついて溜飲を下げたりする趣旨ものではない。

すでに現実として目の前にあらわれつつある動きを、少々露悪的に(もちろん「本書」のスタイルに倣ったものだ)

書き記しただけのことだ。

まず、エリート的な高機能ビジネスパーソン国境越えて活動するのは当たり前で、

これを「(露)悪の未来」として論ずる筆者はなにかがおかしい。

民主的ないかなる手段を持ってしてもこれを防ぐ手立てはないし

防ごうとする意識の方が間違い。




彼等に日本人高齢者を背負う義理はないよ

彼らは国に頼らないし、活躍できる場があれば国を選ばない。

古市氏のいう「強者のアナーキズム」だ。

彼らに将来を任せれば、わたしたち40代の老後、少なくとも生きているあいだくらいは、

きっと安心していられる状況を保ってくれるにちがいない。

なにを根拠に「ちがいない」のか。

読んでいてなんだか切ない気持ちに襲われる。

国に頼らず「自分能力を発揮する場」「高い報酬を獲得する場」のみを求めて国境をまたぐエリート

どういう動機で狩場の原住民の老人の住み心地ケアなんてことに気を掛けるのか。




どうも中高年移民推進論者というのは

少数派の「高機能労働者受け入れ」論者にせよ、

多数派の「奴隷労働者受け入れ」論者にせよ、

移民、もしくは出稼ぎ労働者である彼等外国人立場から

日本人年寄りを養うモチベーションなんか全く無いこと

を何故か無視する。

(これは移民「気に入らない日本若者カウンターとして夢想するからで、

 いきおい移民若者像は全てが理想的で自分に尽くしてくれる感心な若者として描かれる。)




実際は、せいぜい来日者が比較的貧しいうちは

格安介護労働力提供することに合意してくれるぐらいで、

年金を始めとした日本高齢者向け社会福祉なんぞ来日者が維持推進する動機があろうか。

彼らにとって年金制度なんぞは「意味不明な控除で自分手取りを減らすインチキみかじめ料」であり

あらゆる手で保険料納付を回避しようとするし、

年金崩壊して無くなるなら諸手を挙げて大賛成。




若者情熱が老人を支えるのか

それではさすがにイヤだという人もいるかもしれない。若者たちはいいとしても、

40代のなかには、あと40年以上生きる方もいるかもしれない。

もし長生きしてしまったらと考えると、現状を「幸福」と感じ、満足してしまっている若者たち、

スティーブ・ジョブズがいうところの「hungry」でも「foolish」でもない若者たちに、

自分たちの老後の支えを任せておくのはやはり不安だ。

どこの国の「hungry」で「foolish」な若者だったら

あなた達の老後の支えなんかを任されたいのですか

と問いたい。

具体的な答を返せたらたいしたもんだ。




老後の支えというのは

若者個人の才能や情熱ハングリー精神から産まれるものなんかではない。

社会の老後の支えは、よく練られた社会制度と、なにより社会全体の余裕から出てくる。

もう一つの足は構成員一人一人がその社会コミットする気持ちだ。




日本はどっちも既に破壊したのだからあとは一人一人が覚悟しましょうということ。

「頼り甲斐のあるニューカマー」なんぞを呼んだところで、

彼等傭兵は絶対に日本社会なんかにコミットをしない(当然で、薄情でもなんでもない)。

安易に助かる都合のいいボートはないのだ。

要するに日本人全員、この運命からからない。

近々死ぬ人間を除き。





結局はいもの脅しと恩着せ

なにより

幸福」な若者を見限ろう

わたしたちはもう、実りのないおせっかいはやめて、自分たちの世代のことだけ考えよう。

「見限ろう」もクソも、若者世代はとっくに見捨てられて長い。

生意気なことを言ってるなら見限ってやるぞ!」なんて、意趣返しにも脅しにもなってねーのだ。

もらったことない仕送り打ち切り通告で怯える人間が居ようか。




実際に筆者自身、もしくは筆者の世代が、

若者世代に具体的にどんな支援をどれだけしてきたか聞いてみたいもの

恩着せがましく口にする「実りのないおせっかい」とは具体的になにをしたことだ?




せいぜいが、

「状況も見えてない無責任若者論説教していい気になる」ことを

なんとなく凄いことしてあげたみたいに記憶してるだけだろう。

この”暴論”すら結局はそういう匂いが濃厚に漂っている。

若者挑発してケンセツ的な議論を導いてあげた」とかなんとか。





「食えもしない”おせっかい”でお為ごかし恩恵面されてもなあオジサン」

という「本書」の序文をきちんと読みながら

結局自分も同じ穴に頭からまり込むという芸は

新春のお笑いのつもりだとしても若者から失笑しか買わないだろう。




「暴論」は状況が見えてないことの言い訳にはならない。




おわりおわり

若者はこの筆者みたいにあてこすりで人を動かそうとか、なんかを乞うてるとか、そういうことをしてるわけではない。

何よりもう、仮に今から全速力でどのような若者向け政策を打ったって、今の20~30代世代には手遅れだ。

ライフステージにせよキャリアにせよ、取り返しが付かないことだらけだ。




もっと究極的な話をすると、

バブル世代以上中高年が下の世代に何かしてくださるつもりがあるなら、

団塊ジュニアのピークが繁殖期過ぎるまでには彼らの雇用をどうにかしとくべきだった。

あそこを無策に過ぎた時点で日本人口ピラミッドが回復するチャンスは無くなった。




別にこの山口浩という人がそういう状況わかってたら当時何か出来てたとも思わないが、

ただ何もしてこなかったし何も出来ない人間が吠えんなということ。




もし「いや違う、俺はやろうとすれば何かが出来る」ということなら、

今の若者世代よりざっと20年長く世に出ていながら何も出来ず今日の状況を招いて

あげく下の世代に恨み節をいうとは烏滸の沙汰だろうバブル世代

無力を認めたほうが立場はマシ。




要するに、今後はもう全員覚悟するべき。

十年以内に死ぬ予定の人間以外は。





タイタニックの中で掴み合いがしたいんだって

40代は敵に回る?

どうぞどうぞ

あんた達にはたいした嫌がらせなんか出来ないし、

なによりあんた達も確実に、絶対に、助からない。子供が居るなら子供もだ。

沈む船の中でまーだ「誰を脅せばいい目見られるかな」「誰を殴れば助かるのかな」

なんてことを考えてる暢気さはさすがのバブル世代の貫禄がある。






繰り返しになるが

「暴論」という体はこの山口浩さんがまるで状況をわかってないことについての言い訳にはならない。

この世代のオッサン達がするべきことは下の世代に喚き散らすことではなく

自分達もニコ動を楽しめるように体を慣らしていくこと。

2012-01-05

普通の大人になりたくないあなたへ

普通の大人にならなくてすむ方法はそれほど多くあるわけではない。今私の知り合いの女性達は、

大きく二つに分かれているような気がする。とりあえず生活のベースになりうる仕事を持っている人と、

何も持っていなくてそれを探してもいない人のことだ。仕事を探すのは大変だ。比較的頭が良くて向上心がある女達は

パソコンなど新しい技術を覚えようとしている人が多い。

動物達は「棲み分け」と言うもの自然のうちに実行する。 

まり、ある決まった地域、区域に集中していろいろな種類の動物が住むとえさや水が不足し、弱い動物は強い動物

常に攻撃を受けるようになる。それを防ぐ為に動物はさまざまな区域に分かれて住むようになるわけだ。

もちろん「棲み分け」はそれぞれのテリトリー完全に決まっていて、其の場所を確保すれば安全と言うわけではない。

木の上にいる猿は比較安全だが、それでも豹に狙われる。

 この国は人口が、多いから、既にたくさんの成功者がいるような職種にもぐりこんでいくのはかなり難しい。

例えば編集者とかカメラマンなど、もう既に数は足りているどころか、あまっている。先輩達は道を譲ったりなんかしない。

つかんだポストは定年まで決して離そうとしない。そういうところで職を得ようとするのは至難の業だ。

たとえ人気のある出版社に入れても、面白い仕事を先輩達がやすやすと手放すわけがない。

人生に積極的な女達はこの数年、パソコンに進出してきた。パソコンインストラクター

さまざまなソフトを使った事務処理、ゲームプログラム制作、各種インターネットビジネス

そういった女達の進出は目覚しいものがある。女はメカに弱いという常識を逆に利用した「棲み分け」への強い意志だ。

女はメカに弱い、だからパソコンを操りインターネットなどの特性を理解している女はまだ少ない。

それでもパソコンを教えたりプログラムソフトを売り込んだりするときに女のやわらかさは武器になるに決まっている。

有力なコネがない私はそういった分野に進むしかないのではないか

そういうような考えが人間界の「棲み分け」を産むようになる。

そしてそれは大部分が正しい。

この「anan」の特集を読む人たちは、安易な期待をしていないだろうか。

何か、ちょっとした工夫や考え方などで、普通の大人にならずにすむ方法があるのではないかという甘い期待だ。

「毎朝、起きたときに好きな詩集の一節を必ず読み、さわやかなバロックの曲を聴きながら、ナチュラルメイクで、

作りたてのクロワッサンを食べる」みたいなこと、つまり、「日常生活の中でのささやかなおしゃれな工夫」では残念ながら、

人生は何も変わらない。そういう世間的な豊かな生活を楽しんでいるのは、

普通でない」大人たち、つまり具体的に「普通」の人よりも努力した大人達だけだ。普通の大人になりたくない、というのは

まらない人生がいやだと言うことだと思う。日本は変わってしまった。

普通の大人」が「つまらない人生」を意味するようになったわけだが、其の認識はもちろん正しい。

普通の大人」というのは今までの「日本典型的な大人」と言うことだろう。

それなりの会社でそれなりのポジションにいるお父さんを助け立派に家を守り子どもを育てる「おかあさん」というのが

典型的な大人の女の人」だ。それなりの会社でそれなりに働きそれなりの恋人を持つと言うのが「普通の大人の女」だ

其の両方に魅力を感じなくなったというのだと思うのだが、その認識はまったく正しい。

 この2、3年に起こったことだが、この国の「普通」の完全な崩壊証明している。

オウム真理教には「普通」のエリートが多く入信していた。援助交際をする女子高生は「普通」の家庭の娘達で、

神戸の十四歳は「普通」の中流家庭で育っている。テレビメディアはそういったネガティブな人たちを

「特別な環境」に育った「特別な人」だというふうに規定したがっているが、もうごまかすのは無理だ。

もちろん「普通」で幸福に生きている人もきっとまだ大勢いる。特に田舎に多いかもしれない。

だが「普通」が「幸福」だと言う図式はもう存在しない。

普通」はシャープ感覚を持つ若い女の子が忌み嫌うほどに、弱体化してしまった。

それでは普通に成らないためにはどうすれば言いか。コレはもうはっきりしていて訓練しかない。

訓練して特別な技術を身につけないと特別にはなれない。

訓練というと、暗く地味なイメージがある。何か嫌なことに耐えなければならないという先入観があるかもしれない。

それは、なんでも言う事を聞く「普通」の大人を大量に必要とされた貧しい日本の間違ったやり方だ。

この国はごまかしに満ちていて、成功した人に、インタビューで「どんな訓練をしまたか。」とはほとんど聞かない。

「どんな苦労をしまたか」と聞く。

成功した人は、「苦労した人」ということにしたいわけだ。わたしは、24歳で作家としてデビューしたが、

まったく苦労はしていない。今でも苦労なんて全然していないし、苦労なんて一度もしていない。

確かに技術を得るための訓練をするのは単純に楽しいものではない。

語学の訓練を考えてみればわかるが、単調で、忍耐力がいる。ただし、そのことが好きだったら、

それがいくら単調でも「苦労」にはならない。

から長い訓練のためには、その訓練の対象を好きになる必要がある。

どんな人間にも、そういう、長い訓練に耐えられる好きなものが一つぐらいあるはずだ。

それを、見つけることができたかあるいはできなかったか人生はそこで二つに、分かれる。

見つけることはできた人間は訓練が苦にならないから特別な技術を身につけて「特別」になれる。

見つけられなかった人は、特別な技術が何もないから「普通」にならざるを得ない。

「わたしはね、才能はあったのでも努力勉強が好きじゃなかったからこうやってつまらない平凡な人生を送るはめになった、

からあなたにはそうなって欲しくないの、だから今はつらいかもしれないけど勉強しなさい。

今、耐えて、しっかり努力しなかったら私やお父さんみたいに平凡に生きるしかないんだから。」

 そういうお母さんは「努力しなかった」のではない。訓練が苦にならないないかを見つけることができなかっただけだ。

努力好きな人はいない。私も大嫌いだ。だが、好きなことだったら、努力は苦にならない。

訓練ということで言うとたとえば20歳という年齢は既にかなりハンディがある。バイオリニストやバレリーナにはもうなれない。

語学学習を始めるのも遅ければ遅いほど苦労するし、働きながら何か訓練するのは大変だから

25歳という年齢はかなり絶望的だ。30歳になると、せいぜいつまらない人生趣味ごまかすぐらいのことしか残されていない。

趣味というのは魔物だ。「そんなに好きなら趣味でやればいいじゃない」と大人たちは言う。

それも嘘だ。素晴らしい趣味を持っている人はたいてい素晴らしい仕事を持っている。

「特別」な人たちは趣味を必要としていない場合も多い。

まらない仕事をしているが素晴らしい趣味を持っているという人に私はまだあったことがない。

 つまらない人生を送っている「普通」の大人たちは実にさまざまなやり方で若い人に嘘をつく。

「苦労」「努力」「勉強」「趣味」その他にも色々な言葉があって、

学校や家庭やメディアやその他いろいろな場所で、その言葉は囁かれる。

 営業のような仕事に女は向いているのか、女には競争心はあるのか、仕事を持つ女は

どこかさびしそうに見えるというのは本当か、女が普通でなくなると色々な問題が起きることは事実だが、

それはまた別の問題である

 「普通」の大人にならないための方法は簡単だ。好きなことを見つけて、それを誰よりも訓練すること。

  簡単で、しかもそれ以外の方法はどこにもない

天道様が許しても

年末のこと、ちょい色々あって彼女がいながら数年来の女友達の子と一夜限りの関係を持ってしまいまして。



そんなこんなで年開けて3日、ちょっと遅目の初詣

初詣後のお約束おみくじを引くと「第四十二番」となかなか縁起の善い数字

凶・大凶覚悟したものの、結果は小吉



ただそこに書いってあった文面がね

『ひとかたに なびくと見せて 青やぎの ゆくえさだめぬ 人心かな』

『思うにまかすようで心にまかせぬことがあり おもわぬ幸福(さいわい)ある様でも

 よく気をつけないと後で 損することあり 女難にことにきをつけなさい』

旅行(たびだち)『よろし 色情慎め』

ああ、仏様はきちんと見ていらっしゃるんですね。。。

2011-12-26

http://anond.hatelabo.jp/20111226222323

フェミニズム的な発言する男性ツイッターにもはてなにもおおぜいいる。

でもな。「弱者男性」の自覚がある男は、男性の論者には目もくれずに真っ直ぐ女性ターゲットにするんだよ。面白い現象だねw

それは「フェミニズム」が女性のためにあるものからですよ。

一方の性(女性)のための男社会批判運動からです。



フェミニズムはあらゆる人間の問題をすべて解決するような全体主義ではありません。...フェミニズム目的幸福の実現ではなく、不満の原因になっている男女格差を取り除くことです。権利の獲得と幸福の実現は別の次元ものなので、混同してはいけません。  

   E・バダンテール

http://twitter.com/#!/femibotjp/statuses/150016562575839232

これはそう。 フェミニズムは、全ての人間幸福を実現しようとしている訳じゃないのです。

そして不満は満たされることはありません。 欲望というのはそういうものでしょう。

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