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はてなキーワード: 集大成とは

2012-02-10

小林賢太郎について思うこと

もう10年かそこらくらい、ラーメンズや、小林賢太郎単独の舞台や作品を見ている。

この間も最新作の「うるう」(小林賢太郎演劇作品、KKPに分類されている)を観てきた。

もちろん、彼らしい、素晴らしい作品だった。彼が38歳のおじさんに片足突っ込んでいる年齢とは思えないくらいの体力を舞台から感じられて、ファンとしてすごく嬉しかった。

でも、思うところがある。

ここのところ、小林さん、新しいことやってない気がする。

Potsunen、小林賢太郎テレビは同じ仕組を使って新しい話を繰り出してることが多い。(もしかしたら目立つので多いと感じるのかもしれない)

うるうもそう。まだ東京公演と大阪公演が残ってるはずだからネタバレは避けるけど、僕はこの舞台の随所に散りばめられた「笑い」は彼が「創りだした」「過去手法」を使ってる部分が多かったと感じた。

僕はもうそろそろ小林賢太郎がつくりだした「新しい」「表現方法」を使った「笑い」を見たい。

そして、うるうを観て、小林賢太郎は、自分自分自身を収束させようとしているのかなと感じた。

過去自分が創りだした手法を用いて表現し、客席を笑わせる彼を観て、自分も声を上げて笑いながら、ふと、そう思った。

僕の杞憂かもしれないけれど。

いうなれば、ロックバンドの解散前みたいな感じだ。ライブで昔の曲をやり、昔からのファンはしみじみする。解散ライブではそのバンド集大成、総集編みたいなセットリストで〆る。

ラーメンズ本公演が何年もやらないのは、ファンとしては当たり前のことだ。いつまでもゆっくり待ち続ける。

上に書いたことは僕の思い過ごしであればいい。切に願う。

ちなみに、僕は「男女の気持ち」が一番好きなコントです。

2011-07-21

俺たちの次期政権与党原発政策が出てきたぞ

http://www.asahi.com/politics/update/0720/TKY201107200200.html

短期的な政策→現状維持(放置)

中長期的な政策→展望無し

要約→ずっとノープラン

 

あ、ああ、うん……なんかこう……これまでの原発政策の実績の集大成って感じです……ね……(痙攣

河野太郎はどこ行ったんだよ。ホントこのままだとまた福島と同じことやらかすぞ

2011-07-19

http://anond.hatelabo.jp/20110719141641

そういう婚活的なドライ出会いって、「今」のスタンダードなのかな?

自分の周囲のだいたい同年代の少なくない数の既婚者達は、1人の例外もなく「学校職場から地続きの恋愛結婚」だから、正直ぴんと来ないんだよね

絞り込み・スクリーニング的な婚活やってる人も1人も知らないし(「積極的に紹介を受ける」ぐらいならいるが)



このリストが完全に有害無益だとは思わないけど、結局のところ「合理的判断としての婚姻差別」の集大成として社会的承認を求めるものから問題あるわけで、

まあどうしてもやりたいなら、こういうのは「もっとコソコソやれ」と思う

2011-05-27

スマートフォンの世代を、別視点で分けてみる。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1105/24/news078.html

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.itmedia.co.jp/news/articles/1105/24/news078.html

きっとスマートフォンのすの字も知らない人が、化粧品炭酸飲料マーケティングと同じような手法でアンケート結果を解析したんだろうな。ネットアンケートの割にサンプル数がたった824なので、そもそも統計調査としても役に立っていない。ちゃんとやるなら最低でも2000は取らなきゃ。予想通りはてブでも馬鹿にされている。

遊びで歴史的な観点から日本中心の見方で世代分けをしてみる。

#成熟期も追記してみた

プレスマートフォン世代(〜2004年)

このころスマートフォン的なものを使いたかった人は、京ぽんPDA+PHSという選択肢しかなかった。Wi-MAXどころか、公衆無線LANもあまり普及しておらず、3Gネットワークもまだガラケーのためのものだった。2002年Zaurus OS搭載のSH2101Vなんてのもあったけど、10万を越える高価格であまり売れなかった。

この時代にこの手のものを使っていた人は、ほんとうの新しもの好きというか、人柱になることもいとわない本格的なギークで、多分シリコンオーディオデジタル一眼もHDDコーダも、比較的早い段階に手に入れていたような人だろう。デジタルタモリというかスタパ斎藤のような人たち。多分この世代の人は本当に「ファッションも外見も気にしない」

黎明期(2004年2006年)

3G+Wi-Fi(W-ZERO3PHSだけど)、タッチパネルサードパーティアプリケーションインストールできるなど、所謂現代的なスマートフォンが本格的に日本で発売され始めた年。2004年ガラケーではDoCoMoが900iシリーズを発売し「パケ・ホーダイ」サービス開始。FeliCaワンセグ、高画素デジカメを搭載し、ある意味ガラケー集大成と言えるようなものだった。

この時期公衆無線LAN各社がサービスを開始し始め、都心部の駅や喫茶店ファストフードなんかで使えるようになる。

はてブにたくさんいる「W-ZERO世代」が日本における事実上スマートフォン第一世代。プレ世代と似たような感じがしそうだけど、一方でビジネス用途でこれらを使い始めたような人も結構いるだろう。あと本当にギークな人は海外製のSIMフリー端末を輸入していただろう。この世代以前の人は、大抵のことはググッて調べる。あまり「情弱」的な人は見かけない。

発展期(2007年2009年)

iOSAndroidが登場し、OSシェアが塗変わった時期。ビジネスでは業務車両や配送車両の運行管理や、営業や販売の現場などでの利用など、より本格的に利用されるようになる。

この時期にケータイショップにいた人は非常に苦労しただろう。ケータイショップ販売員は「ヘルパー」と呼ばれるキャリアから派遣が多いのだが、ガラケーの機能や契約、料金制度については詳しくても、スマートフォン?な人が多く、自分でもよく分からいものを売らなければいけないということもあったはずだ。新しもの好きだけどハイテクに弱そうなおっちゃんと、やっぱりハイテクに弱そうな売り子のお嬢さんケータイ売り場でもめている光景が、この時期にはよく見られた。

この頃、台湾メーカーによる「ネットブックブーム」もあり、2007年後半から2009年頃まで続く。半端な性能とサイズということもあり、性能が上がったスマートフォン/タブレット低価格したノートPCに挟撃され普及は鈍化する。

この時期スマートフォンを使い始めた人は、新しもの好きではあるけど決してマニアックな人ではない。特にiPhone 3Gなんかは「ケータイiPodが合体した物」という感覚で使い始めた人が結構いただろう。実はこの世代が一番ミーハーな人が多そうだ。

あと社用携帯として持たされたなんていう人も、結構いるのではないだろうか。

全盛期?(2010年〜)

すっかり出遅れKDDIシェアを取り戻すべく参入したはいいが、IS01(通称メガネケース)なんて末期には8円施策で配った誰得端末を作る。

どうしてもおサイフケータイとかワンセグとか赤外線とか、ガラケー機能から離れられない人がいて、そういう人向けの端末も揃ってきた。ここから本格的な移行が始まるだろうが、一方で「ケータイなんて電話メールだけでいい」という人も相当数いるので、ガラケーも残るだろう。ただ「フィーチャーフォン」といわれる、無駄に高機能で割高なガラケーは今後先細りするだろう。

あとはPCなしで完全に独立して使えるスマートフォンが登場すれば普及が進むだろう。一応国産メーカーAndroid端末はスタンドアローンで使うこと前提に設計されているらしいけど、そもそも自宅にPCWi-Fiもない人がスマートフォンってどうなのよ?って話。WiMAXやLTEなどの4Gエリアが全国レベルになり、料金もそれなりになれば完全にPCの代わりになるかもしれない。どの時点でゴールとするかの定義もあるけど、FOMAサービス開始から契約数比率で50%超えるのに5年、エリア全国カバーまで6年ほどかかっているので、4Gが日本中で使えるようになるにもだいたい5〜6年ということになるだろう。

成熟期?(2015年〜)

前記のとおり2009〜2010年サービス開始した4G通信が全国レベルで使えるようになるのが大体このぐらいと予測。この頃にはPC仕事で使うとかプログラマとかデザイナとか動画編集とか、そういう需要の人以外は使わなくなるかもしれない。

2011-03-06

40社受けて内定なかったけど持ちこたえた6つの個人的理由

2008年卒の就職売り手市場だったとき大学学部卒業生現在サラリーマン3年目)だけど、就職活動してた頃を思い返して書いてみたい。「50社受けて未だに内定が出ないことへの感想http://anond.hatelabo.jp/20110304145631 への反応として。

自分は、売り手市場内定複数持ちの大学生が当たり前みたいな状況下で、大中小企業いろいろ40社受けても内定をもらえずにいた。私も、「50社受けて〜」の方と同じように一次面接で落とされることが圧倒的に多かった。

地元国立大学文系学科に通い、ひととおりのことはやっていたが、コミュニケーション能力不足という致命的な欠点が響いたのかもしれない。あと経歴も少し。

では、なぜ自分は深く落ち込むことなく持ちこたえられたのか、6点に整理してみた。もちろん、個人的な経験なのでとてもとても一般化できることではないが、今就活に悩んでいる人の参考になればと思って書いたので、よかったら読んでほしい

(1)前向きの姿勢を維持

私は、何回も面接の練習を受け、悪い点を洗い出して少しでも良くすることによって「次こそは!」という思いを維持した最初の頃はやはりボロボロだったが、回数を重ねるにつれて模擬面接をしていただいた相手から

「もう君が採用されない理由がわからない。悪い点を強いて言うならば、気持ちが強く出過ぎて相手を圧倒してしまうところかもしれない」

と言われるまで頑張ってみた。

少しでも良くなっているのだから次はちがう結果かもしれない、と、そう思うことで前向きな姿勢を保てたと思う。

(2)仲間と支え合う

ほめてくれたり、励ましてくれる仲間がいた。

「お前があんなとこ落ちるの!?そりゃ面接官がバカなんだろ」

「優秀すぎると内定もらえないんだってさー」

かい言葉は慰めだとわかっててもうれしかった。内定無い同学年の連中と何時間愚痴を言い合っていたら、いつの間にかそれぞれの夢を語っていたこともあった(←よく考えると気持ち悪いけど^^;)。月並みだが、へこたれそうになったときに仲間がいてくれてよかった。

(3)代替案としての進路を持つ

就活はしていたものの、学生時代に3年勤めたバイト先に就職してもよいと思っていた。バイト先の上司に「ここに就職してもいいですか?」と聞いたら、「給料いから入ってくるな」と言われはしたが、なぜか自分なら受ければ入れるだろうという自信があった。このおかげで、落ち続けても焦燥感を感じずにすんだのは大きいかもしれない。

(4)就職活動のその先を考える

大学3年の夏、短期インターンシップをさせてもらった会社で、魅力的ですごい社員の方々の働きに触れていたので、就活内定をもらうことがゴールじゃなく、その先があるということを実感を持って知っていた。自分は、たとえ正社員になれなかったとしても、そのインターンシップ先の社員たちの働き方を真似して社会貢献できるよう頑張りたいと思っていた。

(5)たまに寄り道

早い時期から就活をしていたので、途中受ける会社がつきてしまったとき就職活動のペースを少しゆるめて、大学ゼミの発表・レポートの方に全力を注いだ。特に、自分卒業論文を履修していなかったので、レポート自分大学生活の集大成にしようと思って必死で取り組んだ。

今思えば現実逃避に近かったのかもしれないが、全然面接が通らなくて嫌になりそうな中で、自分大学3年間ちょっとで身に付けたものに対する自信を取り戻すきっかけになったと思う。(余談だけど、レポート大学院生合同のゼミなのに最優秀って言われたよ!)

(6)個人的事情

実は、自分大学に入ったのが24歳のとき高卒後しばらくフリーターだった自分高卒既卒という身分で就職活動した時は、就職氷河期ということもあって面接にもたどりつけない惨敗だったので、就活で人に会って話ができるだけでうれしかった(OB訪問・説明会も含む)。名だたる有名大企業であってもとりあえず一次面接までは行けるので、落ちてるのに「なんかすげー!」とよくわからない感動があった。特に、最初の頃はそれがあって乗り切れたようなもの。

(7)結末

年齢制限でそもそも受け付けてもらえなかったところを除いて、エントリー43社目。今まで受けてきた中でも高い倍率の部類に入る企業の秋採用選考ステップが少ないこともあって、あれよあれよと最終面接に来て、ついに内定をもらってしまった。面接中、変な受け答えをしてしまって役員に笑われてたのに。そして翌年入社。

面接担当した役員から後で聞いた採用理由は、

「型破りで変な奴が来てこりゃ落とそうかと思ったが、話を聞いてみるとよく勉強しているし、強い気持ちを持っている。うちの会社は少し古いところがあるから、君にはそれを打ち破ってもらいたい

とのこと。

就活では何がプラスマイナス作用するかわからいし、確かにそのフィードバックを返してくれる企業なんて滅多に無い(私だと、不採用理由をこっそり教えてくれたのはインターンシップ先くらい)。今の就活は悪いところだらけなのは社会人になった今も同意する。でも、今現実就活と取っ組み合っている人のために何かヒントになればと思って、長々と書いてみた。自分就活がうまくいかなかったとき、こういうウェブの文章を読みあさって糧にしようとしていた経験があるので。

2011-02-21

例の学科見た感想文のようなチラ裏

普通にBLの作品とか飾ってあって度肝を抜かれたよ。

4年間高額な学費払って集大成がそういうのってどうなのかな。

親の顔、見れる?自分の作品が素晴らしいって、4年間私に投資し続けてくれてありがとうって、言えるか?

作品を親の前で掲げて、あなたがたのおかげでこんなに凄いものができましたって言えるのか、と思ってしまった。

モヤモヤが残る。

例の作品については、ルポっていうのはタイトルに偽りありすぎなんじゃねえの。

事実でもなんでもないじゃん、「四年間を棒に振るマンガ」でよくなかったかい?

棒に振ってすらないと思うけどね、彼にはれっきとした実績があるわけだしね。

同級生批判がしたかったのかっていったら僻みに見えるかもしれんけど…

 

こういうふうに書いてる自分も釣られてるんだよなと思いつつチラ裏

2010-11-13

http://anond.hatelabo.jp/20101113225422

うわっ、つまんねえ。

こりゃつまんねぇ。

何でこんなつまらん記事を堂々と投稿できる?

昨今、つまらん記事をネット上でいろいろ見てきたけど、その集大成に思える。

まず、どうでもいいことやろ? 俺ら増田にとっては。

あなた彼氏彼女のオメコなんてマジどうでもいいやん。

それなのにあなた投稿した。しちゃったよ~(こりゃマジでやばい

ということはだ! あなたはこの記事に何らかの価値見出したわけだ。

あなた彼氏のオメコ記事が、何らかの価値があると判断したわけだ。

でも、残念ながら、あなたのオメコ記事に対して、世間は、何の価値も見出さない。

ところがあなたは400字詰め原稿用紙にして2枚と15行の記事として、彼氏あなた

オメコ記事を投稿しちゃったわけだ。世間は必要としていないのに。

このギャップはヤバい。マジヤバい。

だから女は嫌われるの手本だと思ってもいい。

まぁネットにはあなた投稿したゴミクズのような記事が山ほど転がっているので、

無視すればいいこと。

ただ、あなたは耐えられる?

自分のつまらなさを指摘されたことに対して耐えられる?

2010-10-09

ポケモンプレイして感じたやっぱ任天堂の本気はすげぇ

かれこれ、初代ポケモングリーンをやったのが最初最後だったから、今回ポケモンブラックプレイしたのはもう12年ぶりくらいなんだろうか。

いろいろ感じたことは、ポケモンとは今までのRPG集大成だということだ。

(1)自由なパートウエイトが大きい

とりあえずエンディングまでは辿りついた。

まだまだ冒険は終わりではないらしい。。

これからは順不同で自由度の高い旅が用意されているみたい。

出会いを求め、伝承を辿り、新たな発見を求めて冒険がずっと続いていく。

近作のポケモンコンピュータRPG史上初めて導入された画期的な要素ではないけれど、このエンディング後のパートが大きいのは特徴的だ。

一本道の必須パート+エンディング後(あるいはエンディングの前から)に自由なパート

の2パート構成は最近RPGにはよくある。

例をあげれば、クリアした後も、エンディング後にいけるようになる隠しダンジョンや、クエストとよばれる小冒険を続けることでストーリーテリングの楽しさが去った後もゲーム面白さを維持できる。

もともと、自由なパートが置かれる以前でもPG(ここではドラクエに代表されるRPG)の魅力の1つは探索だった。

近作のポケモンは後半のパートがかなり多い。

今回、ポケモンブラックホワイトエンディングまでに巡ることが出来る町はマップにある町のたった3/4ほどだ。

ダンジョンに至っては半分くらいストーリーと無縁だ。

もちろん、通信機能を使ったクエストも用意されている。

(2)キャラ育成要素と感情移入しやすさのバランス

ドラクエでいえば3、FFでいえば5、自由度の高い育成要素を加えたゲーム面白い

反面、キャラ自由度を持たせることは、人格定義しにくくなる。

ドラマパートでは勇ましいセリフを言うけれど、戦闘シーンでのジョブ遊び人だとか、移動シーンでは鎧を着てるのに戦闘シーンでは魔法使いローブを着ているとか。

か弱い女性という設定なのにパーティ最高火力だとか。

その点で、ポケモン完璧だ。

どんなにポケモンを鍛えようと、どんなポケモンを育てようと、主人公の人格違和感はない。

パーティメンバー過去の設定をつけないという意味では、DQ3のルイーダの酒場システムWizのが古いしギルガメッシュ酒場というべきか)と同じのはずだが、ポケモンのほうが自然キャラ感情移入が出来る。

流石にそこは人間と獣の差、獣はペットを飼う感覚で従えることができるが、共に冒険する仲間にはそれぞれ世界にたった一つの冒険する理由が欲しい。

戦闘員と主人公を全く切り離し、戦闘員を非人間にすることで完璧な解決を図ってる。

とはいえ、これだってポケモンが初の試みになるかは微妙だ。

たとえば昔から女神転生では似たシステム採用されてた。

(3)狭い世界

RPGにおける世界の広さは、スーパーファミコン時代が一番広かったと思われる。

主人公が住む世界地球規模(船や空を飛んで一周できる)で、さらにもう1つ、あるいは二つ同じように地球規模の異世界次元をまたいだり時空をまたいで存在し、同じように人の営みが用意されていた。

ところが、それ以降は世界の広がりはない。

むしろ、ある外界から隔たった特定地方舞台にすることが増えてきた。

おそらく、僕らの住む現実世界のようにいろんな人がいて、いろんな思想、派閥存在する世界の諸問題は、魔王を倒せば解決するような単純なものではないからだ。

ポケモンもこの流れを踏襲してる。

狭い、人の繋がりの密な世界の温かさ、かといって冒険が不自由なわけではない。

世界が狭いからといって、すぐに退屈してしまうことはない。

僕が子供の頃に近所の廃屋や林を探索していたときには退屈さを感じなかったように。

(4)古きよきターン制

ポケモン廃人パラメータからダメージ計算できるように、極めて厳格なルールで動いている。

パラメータと行動の結果がほとんど予想可能なまでにすることで、カードゲームのような戦略性が生まれている。

そこに、僅かに1つ2つ、(僅かであるのがミソだ)乱数で決まる要素を加えることで、興奮が高まる。

テーブルトークRPGから伝統的な古きよきターン制だ。

しばらく気付けなかったが、風来のシレンのようなダンジョンRPGに通じるものがある。

なにを、何回、どういう順番で、行うか、それをプレーヤーに考えさせる。

MP制でなくPP制にしたのもそのせいだと思う。

もちろん、これが対戦という状況においてさらに頭脳戦の楽しさとなるだろうことは想像に難くない、

(5)通信要素

思えば、初代ポケモングリーンレッドの2バージョンを用意することで、通信なくしてコンプリートできない仕様にしたのは画期的だった。

最近だと、インターネットにより携帯機でなくとも通信は可能になったけれど、ネットワーク利用で面白さを倍増させることに関しては、これ以上のゲームはなさそうだ。

面白さを倍増と書いたが、累乗といっていいかもしれない。

DSのためのソフト、いや、ポケモンのためのハードこそDS

ラブプラスDSの特性を最大限生かしたゲームとか言う意見を聞いたけど、そんなレベルを遥かに上回る。

(6)ゲームバランス

やりこみ要素が強いのに、廃人初心者も、小学生大きなお友達も、みんな楽しめる。

極めて凶悪なコンボがありながら、完璧なハメ手がない。


以上、近作のポケモンゲーム史上画期的というようなシステムはない。

ただ、集大成だ。

そのクォリティが高すぎて、RPGというよりもポケモンという新しいジャンルだと言っていい。

しかし、おそらくこんないろんな要素を絶妙なバランスで詰め込むのは他社には出来ない芸当だったと思う。

どうせ子供向けだろとか、グラフィックドットが粗いとか、そう思って見向きもしてないだろうけど、みんなポケモンやってみてくれ。

2010-09-20

君が望む成長

成長を描かないアニメ日本堕落させるとかいうバカがいたので

お話は成長について。まとまりなく3つほど書くよ。


話の前に余談だけれど、

今の40台~50台の日本人ってなんでも過去より今が素晴らしいっていう建前が強くて

過去を否定して、やたらと未来に期待したがるよね。

その右肩「上がり思考」って何なんだろうね。

それを前提にお説教されても、バブル世代乙としか言いようがない。

黒歴史って言葉があるけど、今があるのはその失敗とか勘違いといった

回り道をしてきたからってのがあるのに、そこをなかったことにしようとするよね。

もちろん誰かにそれを語る必要はないけど、それはそれで大事にしたらいいと思うんだ。

そもそも「黒歴史」って、要するにガンダムの一連のセリフ集大成なわけだけれど

今って昔のガンダムみたいに、大人が必ずしも偉い時代じゃないよね。

人間って成長に向かって突き進んでいればいいって時代じゃないよね。

そもそも宇宙世紀ってのがあまり現実的じゃない時代だよね。

うそういう成長一辺倒ってやめたほうがいいんじゃないのかなぁ。



年寄りたちがやたらと最近の若い者はというのも

要するに子供たちは自分たちよりもすごくないといけない、成長してなければいけないと思うからなんだろう。

成長のすばらしさを信じることは悪いことじゃないけれど、

そのために何をやったかというと親は何もしなかったし、

そもそも成長とは何のことか、自分にとっての成長はどうあるべきかって

まじめに考えたことのある大人って少ないと思う。。

どうも平均的な日本人のいう成長は最適化とか効率化に近い気がする。

で、最終目的お金儲けとかそういう実利的なところに偏ってる気もする。

なんというか成長にもいろいろあると思うんだよね。




◆私なんかはとにかく情緒不安定で

自分感情コントロールとまではいかなくても

あとで振り返って反省できるようになるだけでも成長だったんだよね。

なにもかも普通の人以下だったけれど、自分自分の中でちょっとずつ

成長してるんだって思うことで自分を慰めてたわ。

あるいは成長の重視って「結果主義偏重」に対して

できないやつが「私だって頑張ってるんです」っていうための鎮痛剤みたいなもんだったかもね。

結局何が自分にとっての成長かは自分にしかわからないし、

成長の目標はたくさんあって、どこから手を付けるかの優先順位も違う。

だから、他人がどういおうが、自分の中でそれが確認できてればいいと思う。

成長なんて言葉はその程度のものでとてもじゃないけど絶対視すべきじゃない。

まして「成長しようとしてない=堕落」なんて極端な図式を持ち出す人間

じゃあそんなストイックな考え方をしているあなた

成長を積み重ねた結果現状どの程度なのかとネトウヨアニオタの人に聞いてみたいところ。





最後に、本当はこれだけ言いたかったんだけど「成長する」っていいことばっかりじゃないよね

これ以上成長というか努力するべきでないところは頑張らないってところを

考えておくことも大事なんじゃないかと思う。



この当たり前のことが、ちょっと前までは当たり前じゃなかった。

なんか成長のために、自己改善のために頑張ってますっていえば

とりあえず許されるみたいな風潮が20年前は強かった。

「本当にそれをもっと成長させるべきか」って問をすることが許されなかった。

努力をしてる人に誤りを指摘することができなかった。

沈思黙考している人は努力をしていないように見えて周りから避難される、

それが普通だと思われた時期があった。

でも、そうやって悪いところも野放図に伸びるままにして

しがらみとかもったいないコストで覆われて身動き取れなくなってる大人っていっぱいいると思うのね。

大人のいいわけって、元をたどってみれば、

「昔言ってた成長スローガンのツケ」って思うことがたくさんある。

私もそういう発言をしてることが多い。



成長だってなにかと引き換えになってる。

成長することによって失うものもある、後悔することも多い。

それでも本当に成長したいか、いろんなものを引き換えにする覚悟はあるのか?

そういった問がないまま、何でもかんでも成長するのがよい、

成長しないとだめだなんて思うのは病気だと思います。


私が成長するのは、成長したいとおもうようなことがあるから。

他人に押し付けられた成長目標なんて知ったこっちゃありません。

君が望む成長はどんなものですか? って問いをたまに意識したい。

2010-09-01

シュタインズゲートクリアしたお その1

まずはじめに。間違いなく面白いのでみなさんもぜひやりましょう。



で、こっからは完全に自分ごと。

誰の役にも立たないしはずかしーんで増田で書いとく。

どうせすぐに流されるからいいよね。




2つに分けて書きます。




この作品は間違いなく私にとってものすごく意義のある作品なんだけど

それを説明するのが難しい。

面白さの種類で考えると、Key作品みたいに感動して涙ボロボロだとか

Ever17みたいにあまりの衝撃に目ん玉飛び出すとかではない。

YU-NOみたいにその壮大さに圧倒されるというわけでもなかった。

何かにとんがって最強とか、そのスケールで最強とか言う作品ではない。

SFとしても、エロゲとしても決してエポックメイキングな何かがあったわけじゃない。

ぶっちゃければ、チームワークがあることをのぞいたら

「これって紫色のクオリアじゃね?」で以上、終了、なんだけどね。

だからそういうところにこの作品の評価ポイントはない。


と・・・ここまでの部分は懐古厨とか言われそうだがそうじゃないんだ。

この作品が今までやってきたエロゲ作品の中で一番好きだと断言してもいい。

私はこの作品が出てきてくれたことに本当に感謝したくなったんだ。

私がこの作品で感じたのは。面白さとか、作品単体としてのできとかそういうものを超えたところに

私にとってのシュタインズゲートの価値がある。





前置きが長くなったけんど、この作品を一行で形容するなら

「長年付き合ってきたエロゲ業界から私に対するプレゼント」という感じだろうか。

作品単体でも十分に面白い

でも、それ以上にメタ的な部分、作品外の部分の積み重ねが

この作品に対する思い入れ愛情を強くしてくれる。

そういうところに、この作品のスタッフからの私らに対する愛情を感じずにはおれない。

私は作品のクライマックスとあまり関係ないところで何度となくホロっと涙が出た。

今までエロゲやってきてよかった。本当に良かったとそう思う。

いつかガンダムでも、そういうことを再び思わせてくれる作品があらわれるのだろうか




プレイしてない人には何のことやらって感じかと思うだろうけれど、

今までの集大成というか、過去エロゲの取り組みのほとんどを引き受けて、

それをまとめて肯定しちゃうというか

「(クリエイターに対して)お前たちが作ってきた作品1つ1つ、

 (プレイヤーに対して)お前たちが遊んできたゲーム1つ1つにみんな意味があった。

 それは今、私が、このシーンを最大限に味わうために。

このシーンで立ち止まらずに、その先に進むためにあったのだよ」

と。そんなことを言われてる気がした。

それだけの過去に対する愛情と、現在に対する自負があるように感じた。



この作品はずっとエロゲをやってきた人間にとって新しい部分は全くない。

それでもどことなく新しい。

むしろ小さな目新しさを売りにするのではなく(そういう作品多いのよマジで

ひたすら過去作品からの蓄積を有効に組み合わせて

それを1つの作品にまとめ上げきったときに、

全く別の作品が生まれる、新しい地点を目指せるってことを示してくれた。

そういう意味で、

今までを認めてくれてありがとう。そして新しい希望を与えてくれてありがとうと

感謝の気持ちを今強く感じている。



エロゲ過去100本以上プレイしている人にはマスト作品。

Kanon問題からC+C、リトバス問題までメジャー作品のエッセンス

ぷんぷんきいてて食が進むこと間違いなしでござる。




<余談>

もちろん不満もある。

フォーントリガシステムフラグ管理マジで頭悪いというかですね

何回9章のメールが来なくてやり直させられたことか。

俺の7時間と、テンポをつぶされたことによって削られた感動を帰してくれ、と。

今からプレイする人は1回目のエンディングを見た後は

必ず攻略ページを見ながらプレイすることをお勧めする。

2010-08-09

http://anond.hatelabo.jp/20100809233203

生活ギャグという分野をずっとやってきて、この辺で集大成みたいな作品を書きたいと思い立ったわけです。SFあり、ナンセンスあり、夢も冒険も、その他何もかもブチ込んだゴッタ煮みたいなマンガをと…。それがドラえもんなのです。だから一つひとつの作品に、いろんな要素が重複して入りこんでいるのです。



昭和56年 小学館刊 『藤子不二雄自選集3 ドラえもん ナンセンス世界1』より

http://www.fujiko-f-fujio.com/word/word7.html

ということらしいので、作者基準だと、ギャグSF等を含むごった煮マンガということになるのかな

2010-03-10

http://footballnet.sakura.ne.jp/2010/03/post-937/

91 か 2009/09/24(木) 11:48:33 ID:TJn/NE/3O

トルシエ監督業が生業だから、日本の若い世代を見て、この仕事自分ステップアップの大きなチャンスと踏んで仕事をしたわけ

つまり、代表を勝たせる事が自分ステップアップに繋がるから、そのために必要な手段をとっていっただけのこと

しかし、途中で大きな金を産むようになった代表というコンテンツを、ブチを始めとした黒い拝金主義同盟の利害と離れていくわけだ

動こうとした時にはすでにトルシエが全国的に人気を博し、なんとか引きずり落とそうと、負けたら解任ノルマを貸してきたがことごとく突破されてきたわけ

そんなトルシエの決定的一打が直前での茸外し

責任を迫られたブチは、ネクで協会の意のままに動いてくれるド素人ジーコを起用、ジーコジャパンならぬ茸ジャパンスタートするわけだ

この辺から、まずは金が第一という日本代表になる

つまり、もう何年も世界に勝つ為の代表じゃないわけよ

オシム就任は傾いた代表人気を建て直すべく、ブチが打った一手

世論にある程度同調しようとしながらも、息子の面倒みるから、協会の押す選手だけは使ってくれという裏取引があったかは定かでないが

事実、無能のアマルになにもせず年5千万だか7千万だか払っているのはばれてる

後は知っての通り、イエスマン岡田の今のサッカー




235 ?_ 2009/12/15(火) 12:53:37 ID:8soOSzIHO

ジーコブラジル戦の前、宮本出場停止で新しいDFを

入れて守備の連携を確認しなければ いけないのに、

それをせずにシュート練習ばかりしていました。

監督資質そのものに疑問符が付きますよね。

まず、日本マスコミははっきり言って一部を除いてアホだから柳沢を始めとして

決定力不足」を敗因にあげているけれど、そうじゃない!

誰が監督したって、誰を選んだって、今の日本ではそんなに決定力は変わらない。

いかに組み立ての基礎を定着させ、そこから個々の個性を活かし組み合わせて、

どれだけ決定機を作れるか、が日本代表監督の、そしてチームとしての攻撃面

での評価であるはず。

で、あるにも関わらず、代表監督ともあろう者がこの期に及んでシュート練習で

何かを解決しようというのは、もう何とも言い難いですよね。

まあ、ジーコにそれを求めるのは無理な注文なわけですが。


散々ジーコとJFAを批判してきましたが、それを野放しにしたマスコミも同罪だと思っています。

それなりにサッカーを知ってる人であれば、「このまま行ったらやばいんじゃないか」って

ほとんどの人が思っていたと思う。

一部のジャーナリストサポータージーコ解任を唱えていたけれども、大きなうねりにはならなかった。

サッカーダイジェストの山内編集長や、あんまり好きじゃないけれどサッカー本質を突く

作家馳星周が言うように、かつてない才能が集結した日本サッカーの一大収穫期であった

にも関わらず、ジーコの強運を信じて楽観し、もしくは惨敗の不安を抱えながら

「まさかそんなに酷いことにならないだろう」と日本代表放置した日本人

そんな日本集大成があの惨敗なのかな...って、日本という国の実力なのかな...って思います。

まあ、何が個人的にできたのかって言われると困るんですが、スタジアムでブーイングし、

協会にメール手紙を送るくらいかな...。

でも、しておけば良かったって思う自分がいます。

今、JFAにもバッシングがきていますが、やはり評価・反省・批判のないところに向上は望めません。

最近ぬるくなった代表戦のスタジアムですが、愛情ある厳しい目を持ったサポーターが増えてこそ、

日本サッカー全体が強くなるのかな、って自己反省も含め思う今日この頃です。。。

2010-03-05

さよならアイドロイド

リアルセクシャルドールの専門誌、アイドロイドが、今月発売の集大成アイドロイドベスト」で約10年の歴史を終え、終刊を迎えた。

http://i-doloid.coremagazine.co.jp/

最期にはアマゾンにすら新本で入らなくなって(発売日からマーケットプレイス)、販路が狭まっていった様子がリアルにわかる。

元々マニア相手の商品だから仕方ないのかもしれないが。この景気じゃしょうがないのかな

ここに限らず、定価の高いマニア媒体アダルト書店にあるようなもの)って元々0.5-3万部くらいの媒体だから昨今の日販の減数とかもろに響きそう。

2010-02-25

デンマーク戦及び総括 -Vancouver 2010 Winter Olympics

ttp://www.teamaomori.com/message/van_rep_den/index.htm

4年間の集大成で挑んだバンクーバー五輪

デンマークにも敗退し、3勝6敗の8位。

これが日本代表の最終成績でした。 情けない結果に痛烈な怒りを感じてます。 過ごし慣れたバンクーバーでの五輪

よく知っているアイスメーカー

恵まれた職場環境の中で練習させていただき、挑んだ最高の五輪へのシチュエーション選手が競技に集中できる環境を作ってきた事が、結果的に繋が りませでした。

チーム・協会関係者でもう一度しっかり話し合って世界に通用 するチームの強化と方針を固めていかなければなりません。 最後に、多額な渡航費をかけて会場までお越しいただいたフ ァンの方、所属会社スポンサー各社の方々。

早朝から深夜まで取材していただいたマスメディアの方々。

心 より厚く御礼申し上げます。 カーリング日本代表 広報

近藤 学

2010-01-17

オープンソースはなぜ完全敗北したのか?

ある時期に「オープンソース」というものがすごいぞと喧伝されていたことがあった。

ソフトウェアを作る際、プロジェクトリーダースケジュールや役割分担を決めて作っていくよりも、

ネットを通じて不特定多数が思い思いに自分アイデアを注ぎ込み、

一つのものを作った方が色んな奴の知識や発想によってすごいものが出来るぞ、という考え方だ。

どっかの外国人が旗振りとなって、色んなプログラマが賛同して、それなりに盛り上がった。

でも、結局、今見てみたらどうだろう?大失敗じゃないか?だって、リナックスOSの主流になってないじゃん。

梅田望夫オープンソースの思想をプログラミングの分野だけでなく

ネットを使って人文科学などにも応用したらなにやらすごいことが起こるはずだ、と書いていた。

速水健朗はそれを「ニューエイジ」と切って捨てていたけど、でもある程度は成功していると思う。

その一つの集大成ウィキペディアだと思う。今やウィキペディアは誰も読みきることができない雑学の貯蔵庫になっている。

プログラミングの分野から出発したオープンソースの思想だったけど、結局はプログラミングでは失敗した。

やっぱりお金をかけた企業製品の方が優れているし(そもそも優秀なプログラマ企業に囲われちゃうしね)、

便利なフリーウェアはあるけどみんな個人個人で作っていて、誰もオープンにしちゃいない。

マイクロソフトオープンソフトについて分析した「ハロウィーン文書」にあるように

「結局は何やかやあってオープンソース運動は自滅しちゃうだろう」のそのとおりになった。

日本一生懸命オープンソースはすごいぞとやたら吠えていた山形浩生は今どう思っているんだろうか?

2009-11-28

HTMLを体系的に理解するための7仕様

はじめに

最近マークアップエンジニア志望の若者と話す機会が多いのだけれど、そこで気づかされるのは、彼らの中に過去HTML(特に90年代以前の仕様)を読んだことのあるという人が、驚くほど少ないことだ。

例えば「マーク・アンドリーセンをどう思う?」と聞くと、「アンドリーセンって誰ですか?」という答えが返ってくる。「ヨスケの独自要素で何が一番好き?」と聞くと、「見たことがありません」と言われてしまう。「ではきみは、昔のHTMLを見たことがあるの?」と聞くと、たいていが「とほほでやっていたものくらいなら……」という答えしか返ってこない。

今の若い人の間では、HTMLを体系的にとらえようという人は少ないようだ。見るのは専ら近年の話題仕様ばかりで、歴史を辿ってみたり、系譜をひもといて標準化団体ごと理解しようとする人はほとんどいない。

これは、ちょっと由々しき問題だと思わされた。HTMLは、もう長いこと(90年代の早い時期から)インターネット王者としてあらゆるWeb関連技術の上に君臨してきた。だから、Webを作ることを仕事にしたいなら、何をするにせよ避けて通ることはできない。

HTMLは、表・画像・フォーム・音楽デザインフレーム動画など、さまざまな分野においてその時代々々に達成された最新の成果を持ち寄るようにして作られてきたところがある。だから、HTMLを読まずして現代のインターネットは語れないと言ってもいいくらいだ。

もし何かクリエイティブなことをしたいのなら、HTMLを読むことは欠かせない。また、単に読むだけではなく、それを包括的・体系的にとらえることも必要だ。なぜなら、HTML包括的・体系的にとらえることによって、現代のインターネットそのものを、包括的・体系的にとらえられるようになるからだ。そしてそうなれば、Webを作ることの道理や筋道が理解でき、何かクリエイティブなことをする上で、大きな助けとなるからである。

そこでここでは、昔のHTMLをほとんど見たことがないという人や、あるいはHTMLそのものもあまり見ないという人のために、これを見ればHTMLを体系的に理解でき、現代インターネットの成り立ちや実相までをも包括的にとらえることができるようになる、7本の仕様を紹介する。

ここで紹介するHTMLは、いずれも後のWeb業界に決定的な影響を与えたものばかりだ。これらが、HTMLという標準のありようや方向性を決定づけた。この7本を見れば、HTMLというのはどのようなきっかけで生まれ、どのような変遷を辿って、どのような足跡を残してきたかというのが、体系的に理解できるようになる。そしてそれが、世界インターネット利用シーンにどのような影響を及ぼしてきたかということも、知ることができるようになるのだ。

HTMLを体系的に理解するための7本の仕様

1本目『HTML 3.0』(1995年

まず最初は、ちょっと強引かも知れないけれど、第一次ブラウザ戦争前のHTMLをひとまとめにするところから始める。

80年代末にティムバナーズ=リーの発明したHTMLというメディアは、その後『HTML 1.0』(1993年)『HTML+』(1994年)『HTML 2.0』(1995年)などの仕様で次第にそのスタイル確立していき、マーク・アンドリーセンが一大産業として発展させた後、『HTML 3.0』に行き着く。そして幸運なことに、ここに集大成されるのだ。

ブラウザ戦争前のHTMLは、これ1本だけ読めば良い。このHTMLに、戦前HTMLの全ての要素(属性)が詰まっている。このHTMLを見れば、HTMLインターネット王者としての風格、スターという存在の大きさ、作者以上にブラウザが重視される「産業」としての側面、お尻Pから終了タグ省略可へ・文字情報から画像付きへと移り変わった技術革新の変遷など、戦前HTML史やWeb業界のありようが全て分かるのだ。

このHTMLの魅力は、説明し始めるといくら紙幅があっても足りないので、ここではその一端を紹介するにとどめておく……といっても、気の利いたことを言えるわけではない。『HTML 3.0』の魅力を知るには、まずは読んでもらうこと――これに尽きるからだ。そして、もし一度でも読めば、その魅力はたちどころに理解できるだろう。

HTML 3.0』を見て驚かされるのは、現在HTMLと比べても全く遜色ないところである。破棄されてから14年の時が経過しているが、現代人の読解にも当たり前のように堪えうるのだ。それは、逆にいえばHTMLというものは、今から14年前、つまりこの『HTML 3.0』が作られた時点で、様式として一つの完成を見たということでもある。

HTML 3.0』は、HTMLという標準が到達しようとした一つの極みである。それゆえ、HTML史というものは、『HTML 3.0』以前と以降とで分けられるようになった。これ以降に作られたHTMLで、『HTML 3.0』の影響を免れたものはないからである。

2本目『Compact HTML』(1998年

iモード世界HTML史に与えた影響というのは、一般に理解されているよりもはるかに小さなものである。日本人というのは、「日本技術世界に影響を与えた」というと、なぜか鼻高々と聞いてしまうところがある。「日本ガラパゴス」という言葉は聞いたことがあっても、「それって日本人過小評価しているだけじゃないの?」と、眉に唾をしてとらえるところがある。

しかしiモードは、真に日本HTML史を塗り替えたサービスの一つである。特に、このサービスの後世に与えた影響には、本当に計り知れない大きさがある。

iモードは、ドコモメインストリームだったポケットベルが、それまでの栄華の反動で深刻な低迷期に陥っていたPHS流行後すぐの時期、そんなポケットベルに取って代わって、日本で最も輝いていた携帯サービスであった。それゆえ、広末に見蕩れ世界HTMLファンたちは、iモードWebサイトを見ることによって、失われかけていたWeb制作の魅力を再発見することにもなったのである。

iモードは、没落したHDMLに変わってモバイルWebの命脈をつなぎ止めた、言うならば救世主のような存在であった。海外モバイル陣営が営々と築きあげてきたそれまでの栄光を切り捨て、日本の後代へと引き継いだ重要リレー第一走者としての役割を、HTML史において担ったのである。

そして、そのバトンを受け取った日本の若きWebデザイナーたちが、2000年代に入って雨後の竹の子のように現れたことで、モバイルWebは鮮やかな発展を遂げる。だから、もしiモードが存在しなければ、HTMLの様相は今とは違ったものになっていたかもしれないのだ。

そんなiモードHTMLバージョンはいくつもあるのだが、中でも特に多くのHTMLファンを――取り分け日本の若きWebデザイナーたちを魅了したのが、この『Compact HTML』である。この仕様の一番の魅力は、なんといってもその大胆に構築されたW3C Noteであろう。HTML史において、これほど拡張多く適当ディテールで構成されたNoteは他にない。そのためこのNoteは、これ以降無数に手本とされ、真似され、拡張されることとなるのである。

3本目『HTML 4.0』(1997年

正字仮名の影響を受けた日本の若き日記書きたち――言うなれば「CSSコミュニティ」――が頭角を現す直前のW3Cで、HTML史に乾坤一擲の巨大な爪痕を残した1本の仕様誕生する。

この時期、情報技術進歩によって、HTMLにもさまざまな新しいテクノロジーがもらたされていたのだが、それらを十全に取り入れたばかりではなく、縦横に駆使することによって、これまでとは全く違った国際化、全く違ったアクセシビリティ体験を生み出すことに成功したのが、この仕様HTML 4.0』を勧告したWorld Wide Web Consortiumである。

HTML 4.0』は、HTML史において最も革新的な仕様の一つとなった。この仕様に初めて触れた当時のWebデザイナーたちは、そのあまりの目新しさに度肝を抜かれた。そこでは、これまで全く見たことのないマークアップがくり広げられていた。そのため、これまで想像さえしたことのなかった全く新しいHTML体験を、そこで味わうことになったからである。

W3Cの果たした一番の功績は、テクノロジーHTMLを見事な調和をもって融合させたことだろう。例えばそこでは、「スタイルシート」という新しい技術デザインと、それでレイアウトされたページが閲覧者に与える独特の感覚というものを、双方ともに熟知していた。だから、それらを効果的に融合させることによって、全く新しいHTML体験を生み出すことができたのである。

この仕様HTML 4.0』には、そうしたテクノロジーHTMLとの融合が、至るところに散見できる。その数の多さとクオリティの高さによって、HTMLはここに、新しい時代の幕開けを迎えるに至ったのである。

4本目『ISO/IEC 15445:2000』(2000年

先に述べた「CSSコミュニティ」がWeb日記業界に論争をもたらすのは、2000年代に入ってからのことである。そして、そのきっかけとなったできごとの一つが、1947年生まれの非政府組織で、IECとも協力した生粋工業標準化団体であった国際標準化機構が、この仕様ISO/IEC 15445:2000 (ISO-HTML)』によって成功を収めたことである。

このHTMLは、単にJIS的に標準化しただけではなく、文化的な意味においても、フラットリニア構造の力を広く世界に知らしめることとなった。この仕様の成功によって、世界の人々は、レベル付けされた見出しの魅力の大きさを知る。そしてそれが、やがて見出しレベル分けが世界スタンダードとなり、誰もが当たり前のように使う状況を育んでいくのである。

またこの仕様は、CSSコミュニティそのものにも大きな影響を与えた。この仕様の成功に刺激を受けた才能ある若きコミュニティ住人たちが、その後立て続けに台頭し、いくつもの名サイトを生み出していくからである。

それらが相まって、やがてCSSコミュニティは空前の黄金時代を迎えることになる。その端緒となり、道筋を切り開いたのが、他ならぬこの『ISO-HTML』なのだ。

5本目『XHTML 1.0』(2000年

HTML 4.0』で繁栄の足がかりを築いたW3Cは、この仕様XHTML 1.0』によって、ついにその栄華の頂点に達する。そして、それを成し遂げたメタ言語も、W3C勧告のの一つであり、また『HTML 4.0』を作ったSGMLの改良でもあった、Extensible Markup Languageであった。

この勧告は、史上最も商業的に成功した仕様となる。そのためこれ以降、この勧告にならって商業バズワードを盛り込んだ仕様が数多く作られるようになり、しかもそれらが、実際に大きな商業的話題を集めていくのだ。すると、そこで生み出された多くの意見は、やがて再びW3C還元され、さらなる発展をもたらすことにもつながった。

そんなふうに、この仕様がきっかけとなってW3Cにもたらされた意見は、HTMLという言語を変革させていくことになるのだが、それに伴って、HTMLそのものにも大きな革新をもたらすことになる。

その変革も、他ならぬW3Cの手によってなされた。ここで『XHTML 1.0』の成功によって手にしたメンバーをもとに創設した文書マークアップの開発集団「HTML Working Group」が、より魅力的な拡張性を追求していく中で、やがてM12n(モジュール化)という技術の開発に至るのである。するとそれが、これまでのHTMLを一変させたのだ。

M12nは、HTMLに魅力的かつ効果的な特殊語彙を、DTDでしかも複雑怪奇にもたらすことに成功した。おかげでそれは、あっという間に世界から見捨てられていった。そのため今では、M12nの使われているHTMLを探す方が難しくなったくらいだ。それくらい、この『XHTML 1.0』がWeb業界にもたらした変革には、大きなものがあったのである。

6本目『XHTML 2.0』(2009年

2000年代以降、繁栄を謳歌したW3Cは、しかしその栄華の大きさゆえ、00年代中盤に入るとそれを存続させることに力をそがれてしまい、革新的な仕様はなかなか生まれてこなくなった。

しかし、そんな時代が5年は続いた00年代の後半になって、今度はその栄華のただ中で育った新しい世代のHTML WGメンバーたちが台頭してくることにより、再び変革の時を迎えることとなる。

その新しい世代のHTML WGメンバーとは、マイクロソフトモジラファンデーションオペラらに代表される「ブラウザベンダ」と、無関係な編集者たちであった。

彼らに共通するのは、文書構造に不必要なものなら全て――とるに足らないガジェット的なものまで含めて――残らず切り離そうとする「オタク的な性質」を持っていたことだ。

彼らは、それまで見過ごされがちだったHTMLの些末な要素にスポットを当て、それを別仕様に押し出すことで、従前とは一風変わった、新たな魅力を持った草案を生み出していった。そして、その真打ち的な存在として00年代の後半に登場したのが、XHTML2 Working Groupだ。

XHTML2 WGは、特に99年に最後の草案が作られたこの仕様XHTML 2.0』によって、オタク的なHTMLの楽しみ方が、一部のマニアだけにとどまり、それ以外の多くの人たちには受け入れられないことを証明してみせた。この失敗が、デ・ファクト的な新生HTML WGにさらなる脚光を浴びせることになったのはもちろん、それに影響を受けたWeb WorkersやDOM Level 3 Eventsといった、次世代のWeb標準たちの誕生にもつながっていったのである。

7本目『HTML5』(2022年?)

最後は、第二次ブラウザ戦争集大成ともいえるこの仕様である。

HTML5』は、HTML史においては『HTML 3.0』と同じような意味を持つ。つまり、それまでのHTMLの要素が全て詰まっているのだ。この仕様を見れば、それ以前のHTML歴史というものが全部分かる。

HTML5』には、HTMLのあらゆる要素が詰まっている。ここには、『HTML 3.0』のような歴史的な仕様としての「総合性」があり、『Compact HTML』のような「実装の実在さ」がある。『HTML 4.0』のような「マルチメディアアクセシビリティの融合」があり、『ISO-HTML』のように「セクション構造の魅力を全世界に知らしめ」た。また、『XHTML 1.0』のように「バズワード的に成功」したのはもちろん、『XHTML 2.0』が別仕様押し出した「オタクガジェット」にも満ちている。

全て詰まっているのだ。なんでもあるのである。つまりこのHTMLは、『HTML 3.0』と全く同じ意味合いを持っているのだ。HTML史というものは、『HTML5』以前と以降とで分けられる。これ以降に作られるHTMLで、『HTML5』の影響を免れるものはないであろうからである。

まとめ

以上、これさえ読めばHTML包括的・体系的にとらえることができる7本の仕様を、制作された年代順に紹介した。

こうして見ると面白いのは、歴史的に重要仕様は、必ずしも定期的に現れるのではなく、あるところでは連続しているし、あるところでは長らくなかったりすることだ。それはまるで「素数分布」のようだ。一見規則性はないように見えるものの、何かしらの法則が隠されているようでもあり、興味深い。

それから、ここに挙げた仕様は、いずれも「読むことによって他の仕様にも興味が移行する」ということを念頭に選んだ。

例えば、『HTML 3.0』を読んだならば、ブラウザ戦争前夜の独自HTML拡張自然と興味がいくだろうし、『Compact HTML』を読んだなら、iモードのそれ以外のバージョンHTMLも見たくなるだろう。CSSコミュニティについてもそれは言えるし、『ISO-HTML』を読んだなら、このHTML流行らす土壌ともなった「フラットリニア構造」というムーブメントにも自然と興味がわくはずだ。さらには、『XHTML 1.0』はXMLオタクになるきっかけになるだろうし、『XHTML 2.0』はその他の「オタク的なXML EventsやXForms」の仕様も見たくなるという効果を持っている。

ただし、最後に選んだ『HTML5』だけは、こうした例とは別に考えなければならないかも知れない。なぜならこのHTMLは、完成度があまりにも高いために、これを見た後に他のHTMLを読むと、どうしても物足りなく感じてしまうからだ。

しかしいずれにしろ、これらの仕様を読むことによって、HTMLをさらに愛さずにいられなくなるのは疑いない。そしてまた、これらの仕様を読むことによって、HTML包括的・体系的に見る目を養ってもらえれば、その後のクリエィティブな活動にも、大きな助けとなるはずだ。

おまけ(参考文献)

上に挙げた仕様への理解は、以下に紹介する著作を読むことによって、さらに深まる。これらを読むことによって、ぼくは「HTMLを体系的に見るとはどういうことか」を学んできた。

高校時代に読んだこのサイトによって、「リソースとは何か」ということを、ぼくはを知った。

HTMLSGMLの応用だ」ということが、このサイトを読むことでよく分かる。何気なく見ていた省略記法でも、その裏には、実にさまざまな技術や、それを開発してきた歴史というものが隠されていた。

世界CSSコミュニティの何に驚かされたかといえば、それはやっぱり精緻に書き込まれた正字仮名にだ。ノジタン日記には、HTML本質が詰まっている。だからこそ、あれだけ多くの日記で多くのコミュニティ住人に、言及されたり模倣されたりしたのだ。

ここでは取りあげられなかったのだが、とほほ氏がHTMLというジャンルに及ぼした影響にも、本当に大きなものがある。そして、ぼくが上に挙げた感想のいくつかは、このサイトに書かれていたばけらさんとの「スタイルシート論争」を参考にしたものなのだ。

これらのサイトを読めば、どんなHTMLが素晴らしく、どんなHTMLがそうではないというのが、よく分かる。その判定基準を知ることができ、審美眼を養うことができるのだ。なにしろ、あのCSSコミュニティ住人の言うことなのだ。これにまさる教科書は、他にはない。




元ネタ

2009-11-27

作画を体系的に理解するための7作品

はじめに

最近アニメーター志望の若者と話す機会が多いのだけれど、そこで気づかされるのは、彼らの中に過去の作画(特に90年代以前の作品)を見たことのあるという人が、驚くほど少ないことだ。

例えば「金田伊功をどう思う?」と聞くと、「金田伊功って誰ですか?」という答えが返ってくる。「なかむらたかしの作画で何が一番好き?」と聞くと、「見たことがありません」と言われてしまう。「ではきみは、昔の作画を見たことがあるの?」と聞くと、たいていが「youtubeで流れていたものくらいなら……」という答えしか返ってこない。

今の若い人の間では、作画を体系的にとらえようという人は少ないようだ。見るのは専ら近年の話題作画ばかりで、歴史を辿ってみたり、系譜をひもといてタイミングごと理解しようとする人はほとんどいない。

これは、ちょっと由々しき問題だと思わされた。作画は、もう長いこと(20世紀の遅い時期から)マイノリティ王者としてあらゆるオタクの上に君臨してきた。だから、作画を作ることを仕事にしたいなら、何をするにせよ避けて通ることはできない。

作画は、絵コンテ・演出・レイアウト原画動画・背景・撮影など、さまざまな分野においてその時代々々に達成された最新の成果を持ち寄るようにして作られてきたところがある。だから、作画を見ずして現代のアニメは語れないと言ってもいいくらいだ。

もし何かクリエイティブなことをしたいのなら、作画を見ることは欠かせない。また、単に見るだけではなく、それを包括的・体系的にとらえることも必要だ。なぜなら、作画を包括的・体系的にとらえることによって、現代のアニメそのものを、包括的・体系的にとらえられるようになるからだ。そしてそうなれば、ものを作ることの道理や筋道が理解でき、何かクリエイティブなことをする上で、大きな助けとなるからである。

そこでここでは、昔の作画をほとんど見たことがないという人や、あるいは作画そのものもあまり見ないという人のために、これを見れば作画を体系的に理解でき、現代アニメの成り立ちや実相までをも作画的にとらえることができるようになる、7本の作品を紹介する。

ここで紹介する作品は、いずれも後の作画界に決定的な影響を与えたものばかりだ。これらが、作画というジャンルのありようや方向性を決定づけた。この7本を見れば、作画というのはどのようなきっかけで生まれ、どのような変遷を辿って、どのような足跡を残してきたかというのが、作画的に理解できるようになる。そしてそれが、アニメの作画シーンにどのような影響を及ぼしてきたかということも、知ることができるようになるのだ。


作画を体系的に理解するための7本の作品

1本目『タイガーマスク』(1969年

まず最初は、ちょっと強引かも知れないけれど、金田伊功前の作画をひとまとめにするところから始める。

20世紀末に手塚治虫発明したリミテッド作画というアニメートは、その後『巨人の星』(1968年)『サイボーグ009』(1968年)『アタックNo.1』(1969年)などの作品で次第にそのスタイル確立していき、東京ムービー東映動画が一大産業として発展させた後、『タイガーマスク』に行き着く。そして幸運なことに、ここに集大成されるのだ。

金田前の作画は、これ1本だけ見れば良い。この作画に、金田前の作画の全ての要素(魅力)が詰まっている。この作品を見れば、作画のエンターテインメント王者としての風格、スターという存在の大きさ、原作者以上にアニメーターが重視される「個性」としての側面、フルアニメーションからリミテッドアニメーションへ・ハンドトレスからマシントレスへと移り変わった作画革新の変遷など、金田前の作画史や作画界のありようが全て分かるのだ。

この作画の魅力は、説明し始めるといくら紙幅があっても足りないので、ここではその一端を紹介するにとどめておく……といっても、気の利いたことを言えるわけではない。『タイガーマスク』の魅力を知るには、まずは見てもらうこと――これに尽きるからだ。そして、もし一度でも見れば、その魅力はたちどころに理解できるだろう。

タイガーマスク』を見て驚かされるのは、現在の作画と比べても全く遜色ないところである。作られてから40年の時が経過しているが、現代人の鑑賞にも当たり前のように堪えうるのだ。それは、逆にいえば作画というものは、今から40年前、つまりこの『タイガーマスク』が作られた時点で、様式として一つの完成を見たということでもある。

タイガーマスク』は、作画というジャンルが到達した一つの極みである。それゆえ、作画史というものは、『タイガーマスク』以前と以降とで分けられるようになった。これ以降に作られた作画で、『タイガーマスク』の影響を免れたものはないからである。


2本目『無敵超人ザンボット3』(1977年

金田伊功が国内の作画史に与えた影響というのは、一般に理解されているよりもはるかに大きなものがある。アニオタというのは、「作画文化アニメに影響を与えた」というと、なぜか話半分で聞いてしまうところがある。「作画のカナダ」という言葉は聞いたことがあっても、「それって作画オタが過大評価しているだけじゃないの?」と、眉に唾をしてとらえるところがある。

しかし金田伊功は、真に国内の作画史を塗り替えた人間の一人である。特に、彼の後世に与えた影響には、本当に計り知れない大きさがある。

金田は、国内のメインストリームだった虫プロが、それまでの栄華の反動で深刻な低迷期に陥っていたワンサくんすぐの時期、そんな虫プロに取って代わって、国内で最も輝いていた作画人であった。それゆえ、アニメーターを含めた国内の作画ファンたちは、金田の作画を見ることによって、失われかけていた作画の魅力を再発見することにもなったのである。

金田は、没落した虫プロに変わって作画の命脈をつなぎ止めた、言うならば救世主のような存在であった。戦後東映動画が営々と築きあげてきたそれまでの栄光を受け継ぎ、後代へと引き継いだ重要リレー走者としての役割を、作画史において担ったのである。

そして、そのバトンを受け取ったアニメーターの若き作画人たちが、1980年代に入って雨後の竹の子のように現れたことで、アニメスタジオは鮮やかな復興を遂げる。だから、もし金田がいなければ、作画の様相は今とは違ったものになっていたかもしれないのだ。

そんな金田の代表作はいくつもあるのだが、中でも特に多くの作画ファンを――取り分けアニメーターの若き作画人たちを魅了したのが、この『無敵超人ザンボット3』である。この作品の一番の魅力は、なんといってもその大胆に構築されたパースであろう。作画史において、これほど格調高く見事なディテールで構成されたパースは他にない。そのためこのパースは、これ以降無数に手本とされ、真似され、翻案されることとなるのである。


3本目『伝説巨神イデオン』(1980年

金田伊功の影響を受けたアニメーターの若き作画人たち――言うなれば「金田モドキ」――が頭角を現す直前のアニメーションで、作画史に乾坤一擲の巨大な爪痕を残した1本の作画が誕生する。

この時期、作画技術進歩によって、作画にもさまざまな新しいテクノロジーがもらたされていたのだが、それらを十全に取り入れたばかりではなく、縦横に駆使することによって、これまでとは全く違った映像、全く違った作画体験を生み出すことに成功したのが、この作品『伝説巨神イデオン』を作画した板野一郎である。

伝説巨神イデオン』は、作画史において最も革新的な作品の一つとなった。この作品に初めて触れた当時のアニオタたちは、そのあまりの目新しさに度肝を抜かれた。そこでは、これまで全く見たことのない映像がくり広げられていた。そのため、これまで想像さえしたことのなかった全く新しい作画体験を、そこで味わうことになったからである。

板野の果たした一番の功績は、ミサイルカメラワークを見事な調和をもって融合させたことだろう。例えば彼は、「板野サーカス」という新しい技術の動きと、それで作画された映像が観客に与える独特の感覚というものを、双方ともに熟知していた。だから、それらを効果的に融合させることによって、全く新しい作画体験を生み出すことができたのである。

この作品『伝説巨神イデオン』には、そうしたテクノロジーと作画との融合が、至るところに散見できる。その数の多さとクオリティの高さによって、作画はここに、新しい時代の幕開けを迎えるに至ったのである。


4本目『うる星やつら』(1981年

先に述べた「金田モドキ」がアニメーション復興をもたらすのは、1980年代に入ってからのことである。そして、そのきっかけとなったできごとの一つが、北海道生まれのスタジオNo.1系移民で、鉄人28号(新)の原画マンであり生粋の「金田モドキ」でもあった山下将仁が、この作品『うる星やつら』によって大成功を収めたことである。

この作品は、単に演出的に成功しただけではなく、作画的な意味においても、アニメーターの力を広くアニオタに知らしめることとなった。この作画の成功によって、アニオタの人々は、金田系作画の魅力の大きさを知る。そしてそれが、やがて金田系作画が作画のスタンダードとなり、誰もが当たり前のように見る状況を育んでいくのである。

またこの作品は、金田系作画そのものにも大きな影響を与えた。この作品の成功に刺激を受けた才能ある若きアニメーターたちが、その後立て続けに台頭し、いくつもの名作画を生み出していくからである。

それらが相まって、やがてアニメーションは空前の黄金時代を迎えることになる。その端緒となり、道筋を切り開いたのが、他ならぬこの『うる星やつら』なのだ。


5本目『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』(1989年

うる星やつら』で繁栄の足がかりを築いたアニメーションは、この作品『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』によって、ついにその栄華の頂点に達する。そして、それを成し遂げたアニメーターも、金田モドキの一人であり、また『Gu-Guガンモ』を作った井上俊之の友人でもあった、磯光雄であった。

この作品は、史上最もエフェクト的に成功した作品となる。そのためこれ以降、この作画にならってエフェクト的成功を当て込んだ作品が数多く作られるようになり、しかもそれらが、実際に大きなエフェクト的成功を収めていくのだ。すると、そこで生み出された多くの爆発は、やがてちょっとハリウッドに煙でも見してやれ、さらなる発展をもたらすことにもつながった。

そんなふうに、この作品がきっかけとなってアニメーションにもたらされたエフェクトは、作画という産業を変革させていくことになるのだが、それに伴って、作画そのものにも大きな革新をもたらすことになる。

その変革も、他ならぬ磯の手によってなされた。彼が『ポケ戦』の成功によって手にしたお金をもとに創案した作画技術スタイル「フル3コマ」が、より魅力的な作画技術を追求していく中で、やがてWEB系という連中の排出に至るのである。するとそれが、これまでの作画を一変させたのだ。

フル3コマは、作画に魅力的かつ効果的な特殊映像を、中割り不要でしかも手軽にもたらすことに成功した。おかげでそれは、あっという間に個性出したがりアニメーターに広まっていった。そのため今では、フル3コマの使われていない自己主張作画を探す方が難しくなったくらいだ。それくらい、この『ポケ戦』が作画界にもたらした変革には、大きなものがあったのである。


6本目『クレヨンしんちゃん』(1992年~)

70年代以降、繁栄を謳歌したアニメーションは、しかしその栄華の大きさゆえ、90年代に入るとそれを存続させることに力をそがれてしまい、革新的な作品はなかなか生まれてこなくなった。

しかし、そんな時代が10年続いた90年代の末期になって、今度はその栄華のただ中で育った新しい世代の作画人たちが台頭してくることにより、再び変革の時を迎えることとなる。

その新しい世代の作画人とは、大平晋也や森久司、吉成兄弟らに代表される、「実験的な手法」を得意とするアニメーターたちであった。

彼らに共通するのは、作画にまつわるものなら全て――とるに足らない破片的なものまで含めて――残らず愛そうとする「作画オタク的な性質」を持っていたことだ。

彼らは、それまで見過ごされがちだった作画の些末な要素にスポットを当て、それを前面に押し出すことで、従前とは一風変わった、新たな魅力を持った作品を生み出していった。そして、その真打ち的な存在として90年代の初めに登場したのが、湯浅政明だ。

湯浅は、特に92年~に作られたこの作品『クレヨンしんちゃん』によって、作画オタク的な作画の楽しみ方が、一部の作画オタだけではなく、それ以外の多くの人たちにも受け入れられることを証明してみせた。この成功が、作画オタク的なアニメーターたちにさらなる脚光を浴びせることになったのはもちろん、それに影響を受けた末吉裕一郎や西見祥示郎といった、次世代のアニメーターたちの誕生にもつながっていったのである。


7本目『THE八犬伝』(1990~94年)

最後は、アニメーター黄金期の集大成ともいえるこの作品である。

THE八犬伝』は、作画史においては『タイガーマスク』と同じような意味を持つ。つまり、それまでの作画の要素が全て詰まっているのだ。この作品を見れば、それ以前の作画の歴史というものが全部分かる。

THE八犬伝』には、作画のあらゆる要素が詰まっている。ここには、『タイガーマスク』のような歴史的な作品としての「総合性」があり、『無敵超人ザンボット3』のような「パースの大胆さ」がある。『伝説巨神イデオン』のような「カメラワークと作画の融合」があり、『うる星やつら』のように「作画の魅力を全アニオタに知らしめ」た。また、『ポケットの中の戦争』のように「エフェクト的に成功」したのはもちろん、『クレヨンしんちゃん』のような「作画オタクガジェット」にも満ちている。

全て詰まっているのだ。なんでもあるのである。つまりこの作画は、『タイガーマスク』と全く同じ意味合いを持っているのだ。作画史というものは、『THE八犬伝』以前と以降とで分けられる。これ以降に作られた作画で、『THE八犬伝』の影響を免れたものはないからである。


まとめ

以上、これさえ見れば作画を包括的・体系的にとらえることができる7本の作品を、制作された年代順に紹介した。

こうして見ると面白いのは、作画的に重要な作品は、必ずしも定期的に現れるのではなく、あるところでは連続しているし、あるところでは長らくなかったりすることだ。それはまるで「タイムシートの分布」のようだ。一見規則性はないように見えるものの、何かしらの法則が隠されているようでもあり、興味深い。

それから、ここに挙げた作品は、いずれも「見ることによって他の作画にも興味が移行する」ということを念頭に選んだ。

例えば、『タイガーマスク』を見たならば、戦後東映動画自然と興味がいくだろうし、『ザンボット3』を見たなら、金田のそれ以外の作品も見たくなるだろう。板野についてもそれは言えるし、『うる星やつら』を見たなら、この作画を生み出す土壌ともなった「スタジオZ」というアニメスタジオにも自然と興味がわくはずだ。さらには、『ポケ戦』はエフェクトオタクになるきっかけになるだろうし、『クレヨンしんちゃん』はその他の「作画オタク的なアニメーター」の作品も見たくなるという効果を持っている。

ただし、最後に選んだ『THE八犬伝』だけは、こうした例とは別に考えなければならないかも知れない。なぜならこの作画は、統一度があまりにも低いために、これを見た後に他の作画を見ると、どうしても物足りなく感じてしまうからだ。

しかしいずれにしろ、これらの作品を見ることによって、作画をさらに愛さずにいられなくなるのは疑いない。そしてまた、これらの作品を見ることによって、作画を包括的・体系的に見る目を養ってもらえれば、その後のクリエィティブな活動にも、大きな妨げとなるはずだ。



おまけ(参考文献)

上に挙げた作品への理解は、以下に紹介する著作を読むことによって、さらに深まる。これらを読むことによって、ぼくは「作画を体系的に見るとはどういうことか」を学んできた。

  • 美術手帳2000年4月号増刊 アニメスタイル (美術出版社

    ニート時代に読んだこの本によって、「作画とは何か」ということを、ぼくはを知った。

  • アニメーターズサバイバルキット (グラフィック社)

    「作画は技術の集積だ」ということが、この本を読むことでよく分かる。何気なく見ていたシーンでも、その裏には、実にさまざまな技術や、それを開発してきた歴史というものが隠されていた。

  • 金田伊功スペシャル (徳間書店

    アニオタ金田の何に驚かされたかといえば、それはやっぱり大胆に歪まれたパースにだ。金田パースには、作画の本質が詰まっている。だからこそ、あれだけ多くのスタジオで多くの作画に、翻案されたり模倣されたりしたのだ。

  • 作画汗まみれ (徳間書店

    ここでは取りあげられなかったのだが、大塚宮崎が作画というジャンルに及ぼした影響にも、本当に大きなものがある。そして、ぼくが上に挙げた作品のいくつかは、この本に書かれていた大塚の評価を参考にしたものでは別に無い

    この本を読めば、どんな作画が素晴らしく、どんな作画がそうではないというのが、よく分かる。その判定基準を知ることができ、審美眼を養うことができるのだ。なにしろ、あの大塚の言うことなのだ。これにまさる教科書は、他にはない。



    元ネタ

    http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20091126/1259227980



    ※「伝説巨人イデオン」になってた所を「伝説巨神イデオン」に修正

    ※一部改訂してます

    ※ほっとけよェ・・・・>金田に偏りすぎ>本文でなかむらたかしに触れてない

    ブクマ200突破で一言、こんなんで「勉強になる」とか言ってっからおめーらいつまでも作画ニワカなんだよ!!死ね!!

  • 2009-11-13

    小説が書けそう。やばいうれしすぎる


     半年以上アイディアが浮かばず、やりたいイメージとそこまでの具体的な道筋が結びつかなかった。
     小説を書くことがアイデンティティになってた部分があるから、危機意識に追い詰められかかってた。
     でも方法論とかを捨てて原点に立ち返って紙にペンで書き連ねたり、映画音楽を聴き漁ったのがいい影響をもたらしたらしい。
     ついに気づいた。書きたかったことの本質に。
     書きたかったことがたった一つのキーワードに集約された途端、ビッグバンのように道筋が現れた。

     もう、一足抜かして新人賞つかんじゃうぐらいの勢いで書いてしまいたい。
     錆び付いてた歯車に油が注ぎ込まれた感じ。なんかすげえ図に乗ってる。楽しみ。
     書きたいことしか書く気はないから、客観的には賞なんて取れる気がしない。
     それでも、自分の約二十年間生きてきた(現時点での)集大成を、青春の全てをぶち込みたい。
     今までふれてきた憎悪、ぬくもり、憤怒、よろこび、孤独、いとしさ、空虚、ゆめ……これを読む人に全部まとめて味合わせてやりたい。
     みんなこの圧倒的な光に裸眼を眩ませればいい。
     プラトンよりはアリストテレスのが好きだけど、子供部屋だろうが洞穴だろうが引きこもり社会問題らしいしさ。

     本当みんな、今までの人生が一度焼き切れてリスタートしちゃうぐらいのカタルシスでも焼き付けられてしまえばいいんだ。
     これさえ書ければその後の人生で『小説家になる』みたいな願望が実を結ばずとも少しは許せる気がする。
     逆に青春が尽きないうちにこれを生み出さなきゃどれだけ安定した生活を得ても後悔し続けるだろう。

     『失われた時を求めて』よりは短くとも『デイヴィッド・コパフィールド』ほどにはなりそうで、読む側も面倒だろうなあ。
     もし出会ったら読んでくれるといいな。
     さすがに増田にはそんなの晒さないけどw

     とりあえず、増田に思いついたモチーフでも日記とか相談の体裁を取って書き込みつつ、反応を見ていこうと思います。
     で、それを活かしつつ自分の未熟な価値観とかを反省しながらプロットを組み上げようかなと。
     うれしかったので、また深夜のラブレターみたいなのを書いちゃった。てへ。

     さあがんばるぞ。

    2009-10-29

    http://anond.hatelabo.jp/20091029185814

    コスト実現って効率の集大成の賜物だよな。

    ほんと、俺もすげえ! って思ったよ。どんだけ効率化されたんだろう。

    それとも身を切ったんだろうか……それでもこの身の切り方は異常。

    2009-10-02

    http://anond.hatelabo.jp/20091002121200

    よくわからんが、努力と修練の集大成タイプの人に天才とか先天的力があったみたいに言うのはどうかとおもう人なんだけど

    あなたが、天才って言ってる人って本当に才能?努力の結果じゃなくて?

    分野が変わったから、経験年数が一度0に戻ってるからそう見えるだけじゃなくて?

    今の30代40代って子供の頃からパソコンMSX)があって、プログラムしていた組だよ?

    それって才能じゃなくて積み重ねって言うんだよ。

    業界長いけど、すごい努力を積み重ねている人っていうのは、結構見ているけど、

    天才クラス努力をとばして結果をいきなり出せる人)は見たこと無いよ。

    2009-09-19

    中国分裂 七つの理由

    < 宮崎正弘近刊 >

    中国分裂 七つの理由』(阪急コミュニケーションズ、1680円)

    本日 全国主書店一斉発売

    中国近未来をいま一度考えてみると、これまでの固定概念的な地方軍閥地域対立、王朝の腐敗、衰退という文脈から分裂に至るというシナリオは遠のき、むしろ現代中国に拡がった新しい空間、すなわちネットにおける反政府言論というゲリラ戦争、イスラム思想連帯という見えない武装戦争利権争いの集大成としての個別経済ブロック化、他方ではグローバル化に波に乗った資産海外逃亡などが次の舞台の開幕を告げるであろう」(あとがきより)。


    「つねに未来リスクに満ちていると仮定すれば、わたし達は日常的に危機に対応するシナリオを幾通りも用意しておく必要があるだろう。賢者は最悪に備えるという箴言もあるように、中国が分裂しないという保障は何処にも存在しないのである」。

    米国英国も分裂気味なうえ、カナダも恒にフランス語圏の分離独立運動を抱えている。イラクにはクルド独立運動グルジアにはオセチアアブハジアという「国内国」との紛争、スペインにもバスク独立運動。。。。。。。。。」

    フランス人口学者エマニエル・トッドは1976年にソ連の崩壊を予測した。当時、だれも彼の予測に耳を傾けなかった。あり得ないと踏んで、その仮説を嗤った。

    ソ連を構成していた十五の共和国のうち、バルト三国ラトビアエストニアリトアニア)はすぐに西側に飛び込み、カフカスグルジアモルドバアゼルバイジャンモスクワ離れが激しく、そして”スラブ三兄弟”といわれたウクライナ、ベラルースモスクワと袂をわかった。この趨勢をみていたイスラム中央アジア五ヶ国も便乗して独立した。カザフスタントルクメニスタンウズベキスタンキルギスタジキスタンだ」。

    この事態は中国未来の分裂を予測させる。

    「そもそもチベット、新彊ウィグル自治区内蒙古自治区、旧満州はそれぞれが独自の歴史をもつ漢族とは異なる国家だ」。

    「チトー大統領の強引な手腕で「国家」を形成したユーゴスラビア連邦は重圧な桎梏が消えると血なまぐさい殺戮を開始し、北からスロベニアクロアチアがさっさとセルビアに反旗を翻し、ボスニアヘルツェゴビナとの紛争に手間取る間にモンテネグロマケドニア独立セルビア孤立した。加えてコソボ事実上独立宣言をしており、ユーゴは六つの分裂から事実上は七つの分裂国家になる。

    この伝でいけば中国が七つ前後に分裂するという議論はまったくおかしくない(本書の仮説は七分裂だか、必ずしも分裂後の中国が七つになるとこだわっているわけではない。五つかも知れないし、或いは十数に大分裂を引き起こすかも知れない)」。

    本日発売

    中国分裂 七つの理由』(阪急コミュニケーションズ、1680円)

    http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%88%86%E8%A3%82-%E4%B8%83%E3%81%A4%E3%81%AE%E7%90%86%E7%94%B1-%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E6%AD%A3%E5%BC%98/dp/4484092344/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1253137807&sr=1-1

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     「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 

         平成21年(2009年)9月18日(金曜日

    2009-09-15

    なぜ僕は「しんぼる」を面白いと思ったか

    なんとなく独り言をつぶやいてみたくなって、なぜ「しんぼる」に僕は感動したかについて書いてみます。ちょっと長いから興味無い人はスルーで。


    まあ言うとくと、一作目の「大日本人」も「しんぼる」も、いつも「ガキ使」や「HEY」で見ているような松っちゃんを期待すると肩透かしくらいます。特に「大日本人」はそれが顕著。

    まず「大日本人」ですが、「え?これって笑うところなの?」みたいなシーンがいくつも続きます。

    スタッフの笑い声みたいなものが一切ないために、つられ笑いもできません。メイキング見て初めて「なぜここで笑わなきゃならんのか」ということがわかる、もうわかるやつだけついてこいという、ものすごい閉鎖的で排他的映画です。

    「ごっつええかんじ」から「ビジュアルバム」へと続く、松本が自著で説いた「演者は客を選べる」という思想に基づいて、観客をふるいにかけているようなコント作品の集大成が「大日本人」。

    これらの作品は「わけわからん」と言って切り捨ててしまっていいと思います。「大日本人」を観て爆笑しているような人間には近づかんよーに。

    まず間違いなく「オレだけが松本の笑いを理解できるんだ!」病をこじらせてしまっている松本信者です。中二病と言い換えてもいいかも。肥大した自意識をこういったもので武装してるんですな。

    だから僕は「大日本人」を観て、「ああ、松っちゃんはこれから信者引き連れて信者のための映画を作っていくのかなあ・・・」なんて思ったりしました。

    で、「しんぼる」ですが・・・

    正直言って面白かったです。感動さえしました。

    今までずっと閉鎖されたコミュニティに向けて自分の本当の笑いを発信してきたあの松本が、プライドを捨てて一歩を踏み出してくれたのだと思っています。

    「突如挟まれるアメコミ調」 「天丼」 「大声や奇声を張り上げる」などといったギャグが「しんぼる」には大量につぎ込まれています。

    これって、電波少年の企画で撮った「サスケ」というコントで特に外人ウケがよかったギャグなんですよ。つまり、「しんぼる」の下敷きは「サスケ」です。基本的にこれの延長線にあります。

    でもこういうギャグって別に外人に限ったわけじゃないんですよね?我々日本人にとってもわかりやすく、笑いやすいギャグだと思うんです。

    つまり、万人に向けての笑いだと。

    しんぼる」って、映画単体で観ると、まあ色々酷評されているように、よくできた映画とは言えないかもしれません。

    しかし、僕みたいな元松本信者からすると、ずっと閉鎖的だった松っちゃんが外に、万人に向けて発信してくれた!ってただただ感激しちゃうんですよねえ。

    こういった面から観ると、「しんぼる」は非常に革新的な映画だと思います。「映画」というフォーマットに対してではなく、「松本人志」に対して、ですが。

    2009-08-31

    オバマアフガニスタン戦争ケネディが始めたベトナム戦争に似てきた。

    泥沼の戦場は賄賂収賄、買収、そして暴力がまかり通った大統領選挙

    ****************************************

    ▲「カブールにある中央政府が何をしてくれたって?」

    アフガニスタンカンダハル以南は「タリバン自治区」とも言えるヘルマンド県、とくにカンネシン町は惨状である。ま、「タリバニスタン」って呼び替える方が良い。タリバンは表向き地区から消えたかたちだが、見えない政府として実質の空間を統治している。カブールからアフガニスタン政府の治安維持の兵隊は来ない。

    警官が百三十人の配置と計画されたが五十人しかこなかった。ところがかれら「警官」は、何の訓練も受けておらず突っ立っているだけ、いや立っていることも出来ず、泥棒、ゆすり、たかりをやる。要は「カブールから通りをあるいている失業者を連れてきたんだよ、員数あわせで欧米から支援金をひきだすためにさ」(NYタイムズの住民へのインタビュー)。

    住民は誰も中央政府派遣警官を信用せず、畢竟するにカブールにある「中央政府」なるものを信頼せず、広大な草原と谷と砂漠土地は米兵と英国兵がチェックポイントだけを巡回パトロールしているが、決定的に兵力が不足している。だから一番犠牲が多いのも広大な土地を少数でパトロールする米英軍で、作戦には限度があるからだ。タリバンゲリラ訓練を積んでおり奇襲が得意で米国海兵隊並みの強さ。しかもカンダハル以南は猛暑で日中は摂氏48度である。

    カルザイの中央政府が何をした? ひとりの教員行政官も送ってこず、学校を建てず道路は造らず、つまりは何一つ住民のための政治をしないと住民は激怒しているのだ。これらの現実米国特派員らが現場から打電してきている。


    ベトナム戦争の最後の日々にアフガニスタンは似てきた

    カンダハル以北では学校道路橋梁もかかった地域もあるが、地元業者は「許可料」と「不襲撃確約」のためタリバンに膨大なみかじめ料を支払ったという。

    民は罌粟を栽培し、金に換えるしかない。こうした「農作業」と運搬はタリバンが支援してくれる。住民の三分の二はタリバンを支持し、米海兵隊を頼もしいとするアフガニスタンの民はまれにしかいない。

    この日、英国兵の犠牲が二百名を越えた。英国ではブラウン首相アフガニスタン政策を「よくやっている」と評価しているのはたったの1・5%、圧倒的多数は「すぐに撤退を」望んでいることが分かった(「サンディメール」が8月20-21日に実施)。ちなみに次の英国選挙は、こんどの日本民主党圧勝型になり、労働党大惨敗に至るだろう。

    米国が期待したアフガニスタン大統領選挙は「ごまかしの集大成」であり、暴力と買収の結果である。パキスタンムシャラフを最初は支援し、やがて選挙不正があったとして引きずりおろしたのも米国ではなかったのか。

    土壇場で十名近い候補者が降りたのは、より有力な候補者地盤をわたし、カネを受け取ったからだ。つまりカネをにぎるカルザイ大統領に。

    買収は常識であり、本当の選挙をやれば、カルザイが第一回投票で過半を超えるとは考えられない情勢だった。

    ホルブロック米国特別代表は、選挙後、二回、カルザイ大統領と会談し、泥沼の現状を批判した。アメリカ嫌悪するファヒム将軍北部同盟)やドスタム将軍ウズベク軍閥)を入閣させようとは何事か、と。しかしカルザイ大統領米国の内政への介入を拒否し、ついに米とカルザイ政権に鮮明な亀裂が入った。


    ベトナム末期の南ベトナム政府の腐敗、腐臭と似ていないか

    ベトナム戦争は腐敗した南ベトナム政権の腐敗に目をつむり、米国傀儡に支援をつづける一方で、南ベトナム政府軍を育成したが、みごとに失敗し、ベトナムの民は米も政府も信用せず、最後は昼の顔を夜には変えてベトコン税金を支払い、米と組んだ華僑を狙い撃ちし、最後はサイゴンにベトコンが侵入するや市民は歓迎してむかえた。

    こうしてベトナムでの米国の「自由を守る」政策は壮大な徒労に終わったが、同じ未来図がアフガニスタンに見える。

    2009-07-26

    参政権に明確なメリットはないよ

    メリットがあるから何かをやる、メリットがなければやらなくていいという発想自体が、

    俺は政治にふさわしくないと思う。

    打算は社会に出て、自分の面倒は自分で見なければならなくなってから覚えればいい。

    じゃあ参政権はなぜ必要かと言われれば、

    自分を育んだ大きなものを理解させるためだろ。

    俺らは当然のように日本国で生きてるけど、

    これは治安が守られ、インフラが整備され、ともかく人が育つことのできる環境が作られているから。

    それは日本という国家が正常に機能し、国民を守っていること、

    そして日本人が代々努力してこの国を繁栄させたことの集大成であるわけで、

    意識しなければこれに気付かないけど、やっぱりそこへの敬意・感謝は必要なんだな。

    大人になったら今度は自分たちが国を支え、繁栄させるために、

    自分以外のもののためにも生きられる人間にならねばならない。

    自分が儲かれば、自分が安全であればそれで良しという人間ばかりでは困るわけよ。

    そのためには、当然のように感じている環境への感謝を覚えなければならない。

    しかしそれは目に見えないものだからわかりづらい。

    だからこそそれを象徴するものが必要であり、それが選挙であり国会であるわけだ。

    先祖を思う時、故人の姿かたちはすでに存在しないから、

    墓や仏壇とかそれを象徴するものに思いを託す。それと似たようなもんだな。

    人が死んでも「もう死んじゃったんだから仕方ない」と

    葬式もやらない、墓も作らない、手も合わせない、

    「手を合わせたって何も起こらないじゃん」ですべてを片づけてしまうのはおかしいよな。

    国家を象徴するものに対して国民が思いを託すのも、これと同じだと思う。

    http://anond.hatelabo.jp/20090726000852

    2009-06-27

    新聞世界から消える日

    ▲老舗新聞が軒並み経営危機に陥る

    ボストングローブの創設は1872年という老舗。廃刊の危機に直面している。

    母体のNYタイムズ経営危機に喘ぐからだ。主因はネット時代に乗り遅れたこと。いまひとつは広告収入の激減である。

    インターネットの迅速性、双方向性、広範囲で深い情報に、新聞テレビの印象広告では適わない。広告が目に飛び込んでくるのではなく、買いたいものを検索し、問い合わせ、ユーザーコメントを読むことができる。

    米国政治家とて、議会決議をまえにNYタイムズワシントンポスト社説を読んでから投票態度を決めた。そうしたニュースの一方交通ネット時代には無効になりつつある。新聞が要らない時代になったからだ。

    議会に危機感が飛び火した。

    5月6日に米連邦議会上院「通信・技術ネット委員会」(ジョン・ケリー委員長)が開催された。

    冒頭でジョン・ロックフェラー上院議員が「幾世紀にもわたって新聞ジャーナリズム民主主義の枕となり、政府企業・個人の行き過ぎへの番犬役をなし、真実を追究してきた。しかるに不況とともにビジネスモデルが変革期にさしかかり、部数は7%激減し、およそ4万1000名がマスコミ界の職を失った。これはゆゆしき問題」と演説した。

    これを受け「新聞活性化法」を上程したのはベンジャミン・カーデン議員民主メリーランド州)だ。

    カーデン法案は、「政府介入によるジャーナリズム産業の救済ではなく、これまでの教育病院学校の存続に政府が介入したように、利益を追求しない分野を救済するために購読営業、広告などを免税措置とし、将来のジャーナリズムビジネスモデルが生まれる移行期を乗り切らせる必要がある」という内容である。

    自由主義市場原理にあれほど口五月蠅い議会が、味方のマスコミが消え去る危機を目撃し、リベラルジャーナリズムビジネスモデルの崩壊を前に巧妙に救済に乗り出したことになる。


    GMを救済したように

    GM救済のために税金を投下し、オバマ政権は巨大メーカーを一時的に国有化したように、同じく左翼大新聞を助けよう、というわけだ。

    いずれも法案推進議員民主党リベラル議員が中心にあることに留意したい。

    テレビ展望が暗い。嘗て「三大テレビ」と言われたのはABC,NBC,CBSだ。

    90年代に世界を席巻したCNNは二十四時間ニュース局、FOXテレビ映画スポーツを抑え、これら新興局の登場により、三大テレビは衰退の一途となった。

    三大テレビ視聴率は30%減少した。

     

    全盛を迎えるまでラジオ慈善団体や、利益を追求しない機関で運営された。

    嘗てデパートには新製品や憩いの場として買い物客が押し寄せた。ショッピング・モールや専門店ブティックの登場により、デパートは衰退傾向となった(日本でも池袋三越などの閉店が目立つ)。

    1994年にラジオを聴く人は47%あった。それが35%に減った(英誌『エコノミスト』、09年5月16日号)。過去十年間に新聞を読む人は58%から34%に激減した。とくに18歳から24歳の若者世代では新聞を読まないばかりか、ニュースを見ない人が25%から34%に激増していた(PERリサーチセンター調べ)。

    日本でも学生の三分の一以上は新聞を購読していない。新聞はこれまで攻撃し批判した政治家からも明日の運命を心配されている。

    新聞は『危機に晒された種』だ」と前述の上院情報メディア委員会ジョン・ケリー上院議員が言った。明らかにダーウィン種の起源』に引っかけている。

    NYタイムズ本社ビルを売り飛ばし、メキシコ高利貸しから借り入れ、それでもザルツバーガー家はオーナーを死守するが、山師デーブ・ジェフェンが出資を狙う。NYタイムズ傘下の『ボストングローブ』は冒頭に紹介したように廃刊の危機を逃れて延命中たが、危機は去ったわけではない。

    左翼新聞を救済せよ、と左翼議員らが叫ぶ

    新聞を救えと動き始めた議員らは民主党が主で、換言するとリベラル左翼メディアを救えと同義語である。GM救援に反対したように共和党は自由競争の原則から、こういう法案には反対である。

    イギリスではすでに70の新聞廃刊し、名門『インデペンデント』紙と『ロンドンイブニングスタンダード』は外国投資家に買い手を求めている。

    フランスは早々と政府支援を決め、事実上補助金を出した。すでに欧米では地方自治体ネットニュースレターを刊行し、独自に広告を就けている。

    だが、そのネットとて右肩上がりの成長は終わった。

    04年から07年までネット広告は15%から32%に上昇したが、08年から下降傾向がみられるようになり、個々の記事が有料でも閲覧される傾向が顕著となった。

    新聞社テレビが何時までも『情報総合デパート』であり続ける必要はない」(前掲『エコノミスト』誌)。

    ひとつの新聞天気予報からクロスワードパズルから漫画を連載する意味希薄となり、ブティック情報専門店が求められている。だからネットでもヤフーグーグル情報デパートだが、左翼専門ブログサイト(huffington postなど)や保守派ブログ集大成サイトの「FOX NATION」に急な人気が集まるのだ(後者ネット空間における米国版『諸君!』のような存在になりつつある)。

    そしてネットユーチューブ国民に訴え、ネットで集金して大統領当選したオバマは、5月24日の記者会見で既存の有力紙からの質問を一切受け付けなかった。麻生首相朝日読売、毎日記者の質問を遮り、名もなきネットメディア記者の質問に応じたと想像すればいい。

    オバマ大統領は真の世論がどこにあるかを知っている。

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    - 派遣ならen
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