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はてなキーワード: マイノリティとは

2012-01-28

http://anond.hatelabo.jp/20120128003906

バブル世代ってのは単なるくくりで、上司の年齢を示したかっただけ。

あとクルマいじりがマイノリティで、興味ない人からどんな目で見られてるのかも知ってる。

 

趣味の内容や種類なんてどうでも良くて、どうして他人の価値観を認めずに

自分価値観押し付けるのかってことを愚痴たかったんだ。

2012-01-18

男と女が仲良く出来る方法はないもんか。

マイノリティマジョリティもお互いの立場を尊重できないもんか。

2012-01-09

もし会社が無くなったら

不景気の折、働いている会社仕事が無くなった場合のことを考えた。



高校を卒業して、無意味無駄専門学校を出て、10年間ぐらい働いた。

年収1000万を越える年もあった。

税金をたくさん取られるので、想像していたほど金持ちにはならなかった。



中小企業の特徴かもしれないが、10年続けて働くと、古い人も新しい人も

含めて、8割ぐらいの人が入れ替わる。

からの命令は何でも引き受け、仕事で潰れなければ、自然出世する。


でも中小10年も続く会社は、少ないため運が良かったのだと思う。

会社上司の体質もあっていたのだと思う。

それと自分能力努力が多少あったと思う。



不景気にさらに災害世界不況も加わり、大手企業もつぶれる時代になった。

今までは考えたことが無かったが、自分仕事を失ったどうなるのか、

最近考えるようになった。


現実的には、類似同業者への転職か、社内のメンバーで類似事業の立ち上げ

があり、そこで働く可能性が高いと思う。


現在の水準の給与も見込めないであろうし、類似事業同業である以上、市場

先行きは明るいものではない。



ではまったく別の新天地を求めると考えると、果たして自分10年間で得た能力

は、外に通用するものか、内部だけで通用する能力なのか、検討がつかない。


中小なので、10年間で驚くほど色々な経験をさせてもらった。

何とかなりそうな気もするが、年齢もフレッシュではなく、特定の資格もない。


経験もあり、仕事ができているのは、今の会社があり、その中でのノウハウ

あり、自由に動かせるからであるとも思える。

外に出たら、只の小さいおじさんかもしれない。



そんなことも考えつつ、本を読んだり、ソーシャルを始めてみたり、学校にも

通って見たりした。それだけの目的でないのだが。

はっきり言って、どれも問題を解決できる何かが見つかる可能性は感じなかった。

見つける人もいるんだろうけど、自分には合わなかった。


哲学自己啓発)やハウツー本は、著者自身の自己啓発自分自身に言い聞かせ

ている)だったり、ハウツー本は一見良いけど、志が伴わないものは、頓挫する。

他人の上っ面だけ借りても意味が無い。


ソーシャル著名人有名人とつながり、未来の可能性もなんて、まず自分に相応

価値がなければ可能性もなく、同じケツの穴のムジナ同士が、ごちゃごちゃして

いるようにしか感じない。意味が無い人には、意味が無い人しかまらない。


学校勉強する知識など、仕事では弱すぎて使えない。それなら仕事実践

導入して使ったほうが、ずっと経験値になる。



そんな感じで意味が無いから、やらない!のでは無く。

より生きるように、本は良質だと思った定番のビジネス本を繰り返し読み、

行うことは志となる土台や社会的正義などスジとなる、主張を持つようにしている。

ソーシャル学校勉強したことは、事業に入れ、業務の拡張につかっている。



そうこうしている内に、話は戻ってしまって、結局は今の仕事だけになっている。

先のことを不安に考えても意味がない。


から、もし今の仕事が無くなったら、台湾に移り住み中国語を覚えようと

考えている。親戚もいる。


そうすれば、実態もわからないし結論も出ない悩みの種となっている、

次の仕事は、同業種の仕事か、他業種の仕事にするべきか考えずに済む。



会社が無くなったら、10年も働き続けたのだから

台湾中国語を覚えられるまでバカンスしてすごそうと、今は楽しみしている。


現実逃避とも言うが、現実進行も現実逃避も、人より飛び越えたほうが

得てして良い結果が出る。マイノリティーとも言える。

2011-12-31

ずっと非モテ格差論やジェンダーの話に取り込まれていた

はじまりはただ、小中学校でのイジメだった。

15年以上前の話、小学校低学年だった頃、クラス女子イジメられていた。キモい、ウザい、死ねイジメられていた。


暴力的なイジメはなかった。常に精神的な言葉や態度に依るイジメだった。

今思えば、肉体的な暴力的なイジメだったら、反撃できたと思う。言葉によるイジメには反撃出来なかった。『女の子暴力を奮ってはいけない』という道徳律に縛られていた。

女子に対する言葉による反撃は何の意味もなかった。一対多では端から勝ち目がなかった。

学校ではずっとイジメられていた。小中とずっと、女子イジメられていたから、いつの間にか自分は『そういう立場に置かれている存在』だと思い込んでしまった。

本当は思い込まなくてもよかった。塾では普通に皆と、和気藹々と会話できていた。でも、学校場の空気自分イジメられっ子の立場に押し込んでいた。





イジメられ続けたまま、小中学生時代が終わった。小6の時に自殺しようと思ったけど、出来なかった。今思えば此処で終わらせておけば楽だった。

結局、誰も助けてくれなかった。教師は事なかれ主義から、明らかに俺のことを見て見ぬふりをしていた。親はイジメられている俺を不甲斐ないと怒鳴るような人間だった。母親は『男なのにそんなだと馬鹿にされるよ』が口癖だった。



高校に入り、ネットなどを見始め、身近にある友人関係や家庭は破綻していたので、身近でない、遠方にある社会的な話題に触れることが多くなった。

思えばコレが間違いだった。ただ、自分にはどうしようもなかったと思う。身近な人間が誰も助けてくれなかったし、悪意を向けてくるのみだったから。政治社会的な話題を用いて、自分を慰撫するしか無かった。つまり、たとえば悲惨な家庭環境にある人間が、「虐待は悪」という社会的メッセージを読んで、救われるという流れだ。その頃の自分は、無意識に「女子からイジメ」を慰撫できる社会的メッセージを探していたのだと思う。

ネットで、自分と同じ立場人間が居ないかイジメの話題で調べるようになった。結果として、吸引されるように、喪板などを見始めた。

『そういう立場に置かれている存在』の女性からイジメ経験談が書きこまれていて、似たような人がいることを知って、多少救われた気がする。

『そういう立場に置かれている存在』に名前が付けられていたことを知った。『非モテ』だった。

そのうち、「はてな」も見るようになった。「はてな」で知ったことは、ミソジニーなどの単語や、ジェンダー論や非モテ論で、男性は強者であり、社会的に自省するべきと規定される存在だと言うことだった。

これには、イラついた。

だが、自分と同じような立場にある『そういう立場に置かれている存在』を名指しして、「政治的に正しい人達」がその内面断罪していた。女性に対する恨みなんて無かった。ただイジメから来る惨めさから、後退しているだけなのに、散弾銃ミソジニー、悪、などと指摘してくる正義人達が居た。全くの他人に対する指摘だとはわかってるけど、散弾銃の弾が自分にも当たってて痛かった。

どこか自分が悪い気がしてきた。でも自分は悪く無いと思っていた。自分はどう考えても強者ではなかった。イジメられていた弱者だった。でも自分内面断罪されているように思えた。本当は誰かに慰撫して欲しかった。身近な人間でなくても、単なる社会的メッセージでもよかった。誰もしてくれなかった。『キモイ奴は一人で死ねば』だとか『男性は強者で自省すべき』だとかそんな言葉しか無かった。

はっきり言って、『弱者』『少数派』と認定されて社会的に慰撫して貰える『社会的弱者』が羨ましかった。自分マイノリティにすらなれない、イレギュラーだった。


このような話題や、議論を見ている内に、悪性サイクルに取り込まれた。







こんなことはもうやめる。馬鹿だった。

自分はただ、イジメられている時に、助けて欲しかっただけだった。

身近な人間は誰も助けてくれなかった。遠方から発せられる、社会的メッセージは、男性は強者であり悪いと断罪していた。

非モテだとか、弱者男性だとか、ジェンダー論だとか、本当は、全てどうでもよかった。

そもそも『モテ』や『非モテ』には一切の興味がなかったし、恋愛はどうでもよかった。自分草食系どころか霞食系だった。社会構造などもどうでもよかった。ジェンダーもどうでもよかった。政治思想的に男性断罪する人達が指摘する『内面』は、自分には一切関係のないものだった。他人が勝手内面にありもしないもの見出して来たから、もしかたか自分にもあるのかもしれないと思い込んでしまっただけだった。女性に対する恨みなんて存在しなかった。身近な人間が誰も助けてくれなかったから、政治思想に何か縋れるものがあるのかもしれないと思い込んでしまった。自分馬鹿だった。






ただ、あの時のイジメがだけがすべてだった。

女子からイジメによって発生した惨めさが、子供の頃に解消されず、いつしか政治思想的な話題に吸引されて、悪性サイクルに取り込まれていたに過ぎなかった。









本当にばかみたいな話だ。

こんなことは、2011年ですべて終わりにする。

2011-12-30

こじらせ女子売春

「セックスすれば劣等感は治るのか?」 - シロクマの屑籠

「こじらせ女子」について書かれていて、いわゆる「非モテ」とも共通する要素があることを指摘されています

これをなんとかしていくためには「複数の人物からいっぱしに認められた人間関係が、それなりに長期間続く状況」が必要で、その為には「「恋人」よりも「仲間」」というのが主旨です。

これはよく分かるな、と思うのですが、同じような状況を実現する方法として、売春があります。割りと知られたことかもしれませんが。

売春自体の是非は別問題として、実際、ある種の女性にとって、売春はそういう効果がありますし、良く言えば売春でこじれが和らげられる、悪く言えば売春依存ということが起こります

学生時代、周りこういう女性がいて、親しい友人だったある人がそのまんまこういう効果を認めていました。彼女は確かにお金がなかったですが、お金を使うような性格でもなく、売春をしていたのはお金のためというより、こうした効果を求めるところが大だったでしょう。彼女は極普通容姿でしたが、性格や嗜好があまり普通の女」ではなく、いかにもこじらせている感じのキャラでした。

繰り返しますが、売春自体の是非は別問題ですし、「こじれ」の緩和と依存という、良い側面と悪い側面があります

人間、大なり小なり「病気」と一緒に生きていくもので、たとえ依存に陥ったとしても、ある病気を別の病気で取り替えただけの話です。逆に言えば、それで本人が納得しているなら、取り替えたって良いと思いますが。

個人的には売春という発想には暗澹たる思いになるのですが、そういう選択をする人たちというのがいて、彼女たちがそれで満たされているなら、それはそれで良いのかもしれません。

 

追記:

この問題と関係するのか分かりませんが、件の彼女は(わたしも)性的マイノリティでした。彼女のそれは、本来的嗜好というより生活史の中で形成されてきたもののように見受けられましたが、一方でそもそも嗜好は生活史の中で形成されるものであって、要するに「普通マイノリティ」ということかもしれませんが。

2011-12-28

眠れないので、誰にも話したことのない話をする。

眠れないので、誰にも話したことのない話をする。それは僕の人生についての話だ。

僕の一番古い記憶は、二歳のときものである。祖父に手を引かれた幼い自分が、夏の祭ばやしの中でぼうっと立っている。そんなはっきりとしない風景のような記憶

その夏祭りと同じ年、祖父はまだ50代という若さで死んだ。大の酒飲みでもあった祖父が居酒屋からの帰り道に道路のど真ん中で泥酔して寝ていたところ、通りかかった車にひき逃げされたのだそうだ。犯人は結局見つからず、警察役人的な処理の仕方に家族は憤りを感じたらしい。そういうこともあり、僕の一番古い記憶は、僕がもっている祖父に関する唯一の記憶でもある。

ただ、この祖父との夏祭り記憶はおそらく後から作られた記憶なんじゃないかと、僕自身は思っている。なぜなら、祖父に手をひかれている記憶のなかの「幼い僕」は、記憶の観察者である「僕」のほうを見ているかであるふつう自分自身の記憶であれば、自分の顔がその記憶風景の中にあるはずがない。僕が一番古い記憶だと思っているその祖父との思い出は、一人称記憶ではなく、三人称写真的な風景なのだ。多分、祖父が死んでずっと後、僕が物心ついた頃に祖父との夏祭り写真をみせられたか、もしくは親類が思い出を語ってくれたことで自分の中で作られた記憶なのではないかと思っている。

祖父に関するもう一つ記憶に残っている話がある。それは僕の父が語ってくれた父の記憶だ。祖父がひき逃げされた数ヵ月後、御巣鷹山日航機墜落事故がおきた。日本中の人々の関心を呼んだその事故報道を見ながら僕の父は一人の目撃者や証言者もなく数ヶ月で忘れさられてしまった祖父の事故を思い、命の価値は同じはずなのにどこか不公平だと感じたそうだ。その話を父から聞いたのは僕が中学生くらいのときだったと思う。多くの人の命が失われた大きな事件なのだからそんな田舎ひき逃げ事件より注目を集めるのは当たり前じゃないかと、思ったのを覚えている。

僕の話に戻ろう。祖父との夏祭り記憶の次に覚えているのは、幼稚園の庭のすみで幼なじみ男の子と二人、もくもくと遊んでいる僕の姿だ。これも記憶というより、印象といったほうがちかいかもしれない。幼稚園では他にも友だちがいたはずなのだが、僕はいつもその幼なじみとばかり遊んでいた。他のこどもたちは幼稚園の庭の真ん中でみんなで仲良く遊んでいる。ただ、僕とその幼なじみけが庭のすみっこで別のことをして過ごしている。そういう記憶だ。

僕は自分マイノリティであるという漠然とした自意識をもっている。そういう自意識はおそらくこの幼稚園時代からもっていたのではないかと、特に理由もないのだが、なんとなくそう思う。はっきりとは覚えていないのだが、そんな幼稚園時代を過ごしたという印象だけ残っている。

その後僕は幼なじみと同じ小学校にあがった。幼なじみをKと呼ぼう。小学生になった僕はKのほかに、新しくJという友達ができた。Jは別の幼稚園に通っていたのだが、帰り道がKと僕と同じなので自然と仲良くなったのだと思う。なにをして遊んでいたのかはあまり具体的に記憶にないが、学校の帰り道やお互いの家、近所の公園などで過ごしていた記憶がある。たぶん、他のこどもたちも同じように過ごしていたんじゃないだろうか。幼稚園のころよりかは幾分交友関係が広り、幾分マイノリティでもなくなった。

だが、マジョリティではなかった事だけは確かだ。小学生だったことがある人はわかるかと思うが、子供のなかでは子供なりのカースト的な階層があるものだ。上位階層に所属しているのはもちろんスポーツが得意な子供である野球サッカーではエースで、なおかつ顔がカッコイイというWという同級生がそのカーストの頂点で君臨していた。僕は早生まれということもあってか運動がまるきりダメで、そのためカーストの中では下位に位置している存在だったが、意識して階層の外にいるように、つまり上位のやつらやその友人たちとはあまり接触しないように過ごしていた。交友関係が広がったとはいえ、マジョリティだとは言えない存在だった。要するに僕の自意識マイノリティのままだったのである

スポーツがまるでダメと書いたが、そのおかげでマジョリティになれなかった僕はスポーツというものに対してどこかしら卑屈な感情をもっている。マジョリティへの嫉妬が、スポーツができないという事に転嫁され、それがスポーツそのものへの憎悪に近い感情になり、その結果スポーツは僕にとって禁忌になった。自分がどこからしら劣っているのはスポーツができないからであり、その元凶であるスポーツには近寄ってもいけないという発想である運動ができない子供はみな同じような感情を抱くものなのだろうか? スポーツが僕の中で禁忌であるというこは特に誰にも話したことはないので、他の似たような子供はどう感じているのか正直よくわかない。

これは成人した後、それも社会人になってからの話だが、会社の同僚と学生時代部活の話をしているとき、僕はおどけた調子で「運動したら負けだと思っている」と当時ネット上で流行していた言葉をもじってスポーツに対しての卑屈な感情冗談めかして言ってみたことがある。だが、その時話をしていた元サッカー部という同僚がそれを素直に受け取ってしまい、おそらく彼には僕と同じようなスポーツに対してのコンプレックスがないのであろう、結果、彼の気分を害してしまった。その人自身は運動会系というより文化系人間だったので、僕の原体験を共有できるもの勝手に思ってしまった自分が悪いのであるスポーツに対して当たり前のようにコンプレックスをもたない人間を目の前にし、自分はやはりマイノリティなのだと再認識をした。

子供時代の話に戻ろう。

僕達の育った町は自然あふれる田舎でもなく、かといってビルが屹立する都会でもなく、よそから引っ越してきた人達がつくったマイホーム国道鉄道沿いに立ち並ぶ、いわゆる郊外と呼ばれる場所だった。「だった」と過去形で書いたが、現在でもその風景は変わっていない。駅の前には商店街や、小さな個人書店や、同級生の親がやっている歯医者国道沿いにはファミリーレストランや大きめのおもちゃやさん、そして西洋の城を中途半端に模したラブホテル。この国のどこででも見られるような平凡な風景だが、誰にでもそうであるように子供の頃の僕にとってはそこは唯一の場所であった。

他の小学校のことはよくわからないが、僕の通っていた小学校には他の町に遊びに行ってはいけないという「きまりごと」があった。僕の家は隣町との堺がちかく、同じ町の友達の家に遊びに行くのにも隣の町を一部横切っていったほうが近いといったようなところに僕は住んでいた。「きまりごと」はまもらないといけないと素朴に信じていた小学生の僕は、友達の家に行く途中隣町をちょこっと横切るだけでも、ちょっとした罪悪感を感じていたものだ。まして電車にのって別の町まで買い物に行くなどどいうのは親同伴でなければ許されない事だと、そう固く信じこんでいた。

断章

2011-12-24

http://anond.hatelabo.jp/20111224232827

フェミニズムは一枚岩ではない

男が悪いという人たちと制度が悪いという人たち、女性だけでなく障害者マイノリティ権利拡大を進めていきましょうという人たちの三つがある

2011-12-23

http://anond.hatelabo.jp/20111223203447

あ、そーなの?

ただあんまり自分が中立だと叫ぶはてさって見かけないなぁと思ったから。

左はなんというか、「マイノリティを救うべし」で、「つまり俺らはマイノリティ世界の端っこだ、それが救われるべきなんだ」と叫んでるイメージがあるというか。

まぁ印象だけだしなぁ。

2011-12-20

http://anond.hatelabo.jp/20111219235536

要するに他の男を知らなければ「調教しやすい」んじゃんかw元記事の言ってることと同じだね

『貞操を求める』=『調教』ではないんじゃない? そういう関係性しかないわけじゃないでしょう?

というか『調教』ってイレギュラーマイノリティパターンじゃないの?

だが「コストに見合う誠実さを」なんて理由を挙げるからには、男側にも婚前の貞操を守れというつもりはないんだろう?あんたには。
そういうのって狭量だと思うなあ

うーん、そうは思わないんだよね。今の男性自殺率の高さは正直、危険だと思うよ。

あと既婚男女の年収格差は当然、男性の方が上な訳だけど、

お小遣い制」ってことで、一度、妻の側に移ってからの配分になる、

こういう状況があるなかで相手に貞操を求めるのって狭量かなぁ。

2011-12-17

http://anond.hatelabo.jp/20111217000417

PCゲームをする場合は、ゲームオンラインプレイ最中に並行して、ポータルサイトチェックしたり、BBSみたり、別のツール((スカイプとか))をつかってそれ以外の情報リアルタイムでやりとりしたりなどが容易にできる。

なんつってもPCですから

確かにPCゲームユーザ像にしっくり来る気がするけど、まさにそれこそマイノリティだろ。

2011-12-11

不況時には「メシウマ」が合理的

不況だと「得するための努力」よりも「損しないための努力」の方が重要になってくるし、

全体のパイが縮んでいく状況だと「自分は損をせずに他人に損をさせる努力」が重要になる。

もっと儲けようという努力よりも、他人の足を引っ張ってでも今の利益を確保するための努力

デフレ労働力人口減少が進む中では、社会全体がゼロサムマイナスサムにしかならないから、

国民がみんなメシウマを求める心理になるのは合理的と言える。



行政にしても、税収減の中で増税するか社会福祉を削るかの選択を迫られてるわけで、

結局は「誰に負担押し付けるか」の議論にしかならないから、

「誰に利益を分配するか」という発想しか持っていない既存政党が有効な政策を打ち出せず、

国民からの支持を失っていくのは当然だろうし、

特定の階層や集団を叩くポピュリストが大多数から支持を集めるのも当然だろう。



反橋下が「マイノリティを見捨てるな」と言ったのは致命的な戦略ミスで、

大衆はまさに「マイノリティを見捨てる」ことを望んでるんだから

最初から選挙で勝てる見込みはなかったんだろうし、仮に橋下が負ける時が来ても、

社会全体が縮小していく状況が続く限り、第2第3の橋下が出てくる。

手取り収入が減少していく中で、社会保障費はこの先も上がり続けるのだから

他者への共感想像力を働かせる余裕もなくなってきたんだろう。

2011-11-25

http://anond.hatelabo.jp/20111125130049

横だけど、ピュアーに噴いた。



私はある程度の収入がある女だから収入は第一条件じゃなかった。

収入は軽視しないけど、重要視もしない。

なので

私男だけどその程度でつまらないしイケてない30超えの男なら気が合うフツメンの400万を取ると思う。

その通り、と思ったよ。

マイノリティなのかね?



確かに安定収入結婚したいって女はゴチャマンといる。

なので、見た目の美醜とか若さに重きを置かれがちな女性よりは、

男性のほうが結婚のチャンスが多いと思うんだよね。

2011-11-14

TPP反対派ってノイジーマイノリティじゃないのか?

2011-11-12

http://anond.hatelabo.jp/20111112033626

言わんとするところは分かるんだけどさ、そういう弱い人に「逃げ道」を用意してあげることって、

結果的には「マイノリティとしてのラベルを貼る」「マイノリティに自主的に出ていく出口を与えてあげる」ってことにしかならなかったりするんだよね

普通の人」と決定的に異なっているって部分は、誰がどうしようと覆らないんだから

全て自分次第、なんだろうか。

日頃からぼんやりと考えていることを、週末の夜の妙なテンションのままに書き連ねてみる。



曲りなりに仕事をしながら、プライベートも適度に楽しみながら、将来のビジョンなんていうのも描きながら、これまで30年ちょい生きてきている。

でまあ、そんぐらい生きてたら大概の人は、勉強してるのに成績上がんねーなーとか、いつも仕事がうまくいかないなーとか、なかなか出世できる気がしないなーとか、同僚・友人・恋人最近うまくいかないなーとか、とりあえず何かしら苦しくなる時期が来る。

からこそ成功した経営者が書いた仕事術の本がよく売れたりするし、ライフハックブログはいつも多くのブクマを集めるし、雑誌の悩み相談発言小町も人気だったりする。

で、大体ああいうのに載ってるのって「モチベーションを高めろ」とか「今自分がどうしたいかを見つめ直せ」とか「一人で悩むな、どんどん人に頼れ」とか「卑屈になるな、自信を持て」とか、言い方に違いこそあれ大体そういう意味の文句なわけじゃん。

もっと抽象的な言い方でまとめると「自分の状況を変えられるのはいつも自分だ、全ては自分次第だ」っていうことだよね、要は。

別に本だのブログだのでなくても、仕事場の上司だとか悩みを聴いてくれる友達だとかがそういう感じのこと言ってくれることもある。

いや、良いアドバイスだとは思うんだよ。俺は本こそ買わないけど、そういう文句を読んだり聞いたりして意識を高めたりすることあるし、事実その結果状況が好転したこともある。他にもそういう人が多いと思う。



でもさ。

結局「自分次第」って所詮は強い者の論理じゃないかなって思うんだ。

みんながみんな、そんなふうにしてうまくいくわけじゃないよなーって。

俺の周囲には、上に書いたようなことに悩んだ末、心を病んでしまったような人が何人かいる。

中にはそのせいで出社拒否になったり引きこもりになったり、下手すりゃ自分自分の命を絶とうとすることすらありうる。

彼らの話を聴いていると、ああきっとこの人はどんなに苦しくても「自分次第」でどうにかできるはず、どうにかしようと思いつめるあまり、無理をした挙句限界がきちゃったんだなって思う。

普通の人は、ある程度まで自分に鞭打ってやれるし、あるいは無理が来る前に自主的に休んだり、気持ちを切り替えるために別の事したり、人に頼ったりできるんだろう。

でも彼らはその「普通の人」ができることができなかったんだろう。多分甘えとか勉強不足とかそういう理由でできないんじゃなくて、きっと他の人なら抱える必要のないものまで全部抱えてしまい、結果その重みで潰れてしまってるんだ。

彼らの思いや主義主張は「普通の人」とは決定的に異なっていて、だからこそ「普通の人」を基準に動いている世の中はすごく生きづらいんだろう。

からそんな世の中でモチベーションを高めろって言われても無理だし、自分が理解されないのが分かっているのに人に頼ったりできないし、当然そんな自分に自信を持てと言われても難しい。

みんなすごく真面目で優しくて、自分以外の人間のこともちゃんと考えることができる人だなー、ってのが話を聞いてて分かるんだよ。

人の痛みや苦悩にすごく敏感だし、人を傷つけるような皮肉や嘲笑なんて絶対にしないし、そんな彼らを見ていると、暴言失言が多い自分がとても恥ずかしくなる。

でもその反面、自分自身のことになると鈍感になるみたい。

他の人ならそこまで行く前に明らかに危険と分かるはずの精神的負荷なのに、彼らはなかなか気づかない。それこそ潰れてしまうまでね。



からさ。

そういう人のことは、やっぱ誰かが気づいてあげなくちゃダメなんだよ。全部自分次第とか言って本人に任せるんじゃなくて。

経営者の本や人気ライフハックブログに書いてあること、上司や先輩の体験談だって万能じゃない。あれはあくまでできる人がすればいいことだ。全員に同じように要求するものじゃない。

自分の状況を変えられるのはいつも自分だ、全ては自分次第だ」とかそういう「普通の人」の論理犠牲になる人がいるかもしれないんだ。

上にも書いたように、彼らはこの世の中に生きづらさを感じている。それを少しでも和らげられるのは本人の努力次第とかそういうんじゃなくて、周りの人がちゃんと逃げ道を作ってあげることしかないんじゃないかと思うんだよ。

みんな条件は一緒だとか、平等が一番無難だとか、競争することで強くなれるとか、そんなのクソ食らえだ。そんな正論がちっとも役に立たない場面だってあるんだ。



今、俺はまだ大きなチームをまとめるとかそういうポジションではないけど、もし将来そういう地位についた場合メンバーの一人一人のことをちゃんと見てあげられるリーダーでいたいし、また上に書いたような弱っているメンバーがいたら、正論なんか放り出して他のメンバーがすぐさま逃げ道を確保してあげられるようなチームを作りたいって、常日頃から思ってる。

ただ、正直俺も強い者の論理でここまで来ているという自覚があるし、いざその場面になったら本当に今考えているようなことができるか分からない。自信がない。

でもやっぱり、マイノリティを弾き出すようなコミュニティだけは絶対に作りたくないなー。



まあそんな先のこと考える暇があったら、俺は今俺にできることをやって、救える人を救おう。あーあ。

2011-11-10

高橋直樹(@NaokiTakahashi)氏に望むこと。

本当はTwitterreplyすりゃいいんだけど、仲間内利用アカウントのみで、NaokiTakahashi氏と隣接するようなアカウントを持ってないので。

増田に書いとけば、そのうち氏のエゴサーチに引っかかりそうなのでココに書く。

ぶっちゃけ日本(ということは全世界)の「シナリオライター」で現行の「オタク二次元文化」に専門的に詳しく「ラディカル・フェミニズム」や「ジェンダー論」「セクシャルマイノリティ論」にも高度に詳しいのはこの人だと思う。

まりNaokiTakahashi氏に一度でいいから「セクマイもの」のエロゲシナリオを書いて欲しいんですよ!!

ラディフェミやジェンダー論やセクマイ論がこっそり絡んでるような「セクマイもの」のエロゲ

まあ商業ライターだし、これは売れないだろうなあ・・・採算取れないだろうなあ・・・とは思うんだけど。無理強いですね。まあネットに書くだけならタダなので。…市場需要を発信したく思いまして。

ヘテロゲイ・バイ、性自認男、女、中性、色々あるけど、セクマイの中でもマイノリティ存在があるわけです

肉体は男で、性自認的には男は余り好かない、MtFは違う、本当は中性的なのがよかったけど、でも現実には男だから男に適合しないといけない、ゲイにもなれずバイとも言い難い、じゃあヘテロかと言うと当然違う、恋愛が理解できなくて無性愛に近いけど性欲はわりと強い…

自分みたいなどこの枠にも嵌りづらいタイプ草食系だと、LGBTコミュニティの多数派にも適合しづらいし…

Twitterはてなのおやさしくて良識的なインテリ勘違いしてそうだけど、ガチのセクマイの中でもマイノリティだと「二次元文化」とやけに相性がいいんです。なぜなら、現実の肉体・社会精神面がズレ過ぎで、紙の上に描かれた想像ポルノが一番「自分の性」に適合してる気がしてくるから日本二次元ポルノ世界一多様なので。オタク女性差別的って言ってる人は、メジャーヘテロ用のポルノしか見てないと思う。でもメジャー大通りがあるからこそ、マイナーなセクマイポルノも生存できるんだし。色々とズレるけど即売会だとふぁーすととか(でもケモノクラスタのセクマイ率高いよね)。ヘテロが嫌いだからって規制されたらセクマイも死ぬから困る。

「セクマイ」といったって、みんながみんな「セクマイ論者」で、あるいは「フェミニズムジェンダー論」大好きだったりするわけじゃあないし。

セクマイ論者はあくまで「イデオロギー的に結託したセクマイの集合」。だと思う。

もちろん、彼らが結託して社会的に闘ってくれてるおかげで、自分みたいな弱小一般人LGBT制度的に楽できていられるのはわかるんだけども。

フェミニズムの語る「男は暴力性や支配欲がある」が大嫌いです自分にはそんなものはない。

攻撃性が変に内側に向かってるし、性的には被虐欲強いとか言うアレ。でも実際に暴力は振られたくないですね。ただ「そういった作品」を読むのは好み。

はてなツイッターとかでオタコンテンツを「ヘテロ暴力性丸出し」とか言ってる人も嫌い。

人間の性」は、とくに「性表現」は、社会的に統制していいものじゃあないと思う。

作品が暴力性をまとっていたとしても、読んだ人間がどう受け取るか、人の数だけ多様なので。

ラディ・フェミの纏う男に対する暴力性が怖いです

ラディ・フェミの語る誰得論を知ったせいで、変に自分の性が拗れたんだけどー、まあ要はインプット自己責任だしな。

まり何が言いたいかというと、一般社会の男の枠組みの中で育ってはじめから拗れてる上に、実はヘテロ男ではないことに思春期に気付いちゃって、ゲイかと思ってたら違って、あれ性自認も男じゃなくね?って気付いちゃって、その上更にラディ・フェミの男に対する暴力性を内面化しちゃって、攻撃性や支配欲は内向きに拗れてて、もう色々とセクシャリティメビウスの輪状態なんです自分

どーすりゃいいわけ?これ。ほんと。でもこれ、陵辱系エロゲの素材としてウケると思う、主に自分に(←これが言いたかった)

それに、はてなとかTwitterで「どや顔フェミニズム語ってる男」「女性守護者ぶってる男」「セクマイに理解ありますな人」って脂ぎった肉食系中高年男性が多すぎだと思う。バブル世代あたりの。

なんか認識がすごい古いし、セクマイ理解のためにBLを嗜んで、したり顔してそう。

あい人達自分男尊女卑からこそ、他人の中に「女性に対する暴力性・支配欲」が見えちゃってるんじゃないかと常々思ってます

敵の論を学んで論戦とかしてた高橋先生なら「ラディフェミ」「ジェンダー論」「セクマイ論」を絡めた、主人公がセクマイの(できれば性自認は男でも女でもないほうがいいなー、ホモルートにもヘテロルートにも男の娘ルートにもいけるし)ドロドロの陵辱系エロゲーを書いてくれそうなんだけど・・・純愛でもいいです。どっちも好きだし。

まあこれって商業的じゃないよね。

でも一度はそういうマニアックなセクマイ系エロゲプレイしたいこのごろです市場需要がないって悲しいですね…)

2011-11-08

http://anond.hatelabo.jp/20111108095021

元増田だけど、ほとんどの日本人自分と同じ考えだと思います



政治経済治安が悪くなろうと、

TVネットを見てるだけで、デモなどの行動を起こそうとしない。

すこしはデモする人もいるけれど、マイノリティーでしかない。

どんどん悪化しようとも、日本を離れずにいる。

そういう日本人ばかりだと思います



別に、それを恥ずかしいとは思いません。

受け入れているだけです

2011-10-18

Steve Yegge の Googleプラットフォームに関するぶっちゃけ話を訳した(後編)

中編からの続き

そんでもって、 Microsoft は持っている。僕同様、みんなも知ってると思うけど、なんと驚くべきことに、 Microsoft はそれをよく理解していない。実に。でも彼らは、純粋に、偶然、プラットフォーム提供するビジネスから始まって成長してきたから、プラットフォームを分かっているんだ。彼らはその領域で30数年やってきた。 msdn.com に行って、少しの間ブラウジングしてみればわかる。もし見たことが無ければ、驚く準備をしておいた方が良い。なぜならそれがとてつもなく巨大だからだ。何千の、何千の、何千もの API コールがある。彼らは巨大なプラットフォームを持っている。実際の処大きすぎて、全く統率が取れていないけれど、少なくとも彼らはやっている。

Amazon自分ものにしている。 AmazonAWSaws.amazon.com )は途方も無くすばらしい。行ってみてご覧よ。クリックして回ってみるんだ。全く恥ずかしくなる。僕らはこれらのひとかけらも持ち合わせていない。

Apple も、明確に、自分ものにしている。彼らは基本的にクローズな選択を、特にモバイルプラットフォーム周りでしているけれど、アクセシビリティを理解しているし、サードパーティ開発者の力もよく分かっていて、自分たちのドッグフードを食べている。それでさ、わかるだろ?。彼らは実に見事なドッグフードを作る。彼らの APIコールは Microsoft のそれに比べて実にクリーンで、ずっと昔からそれを維持している。

Facebookも持ってる。だからこそ心配になるんだ。ぐうたらな僕をここまでして書かせた理由はそれだ。僕は元来ブログするのも、プラスする(って言うのかどうか知らないけど)のも嫌いだ。そもそもGoogle+ぶっちゃけ話をするのにはひどい場所だけど、とにかくやらなきゃならない。Google成功して欲しいと思ったらね。で、僕は成功して欲しい!。まあ要は Facebook が僕を呼んでいるし、きっとそっちでやるほうがずっと楽なんだろうけど、Google は僕にとって家だし、だからこういう家族同士のお節介焼きのようなことをやっていこうよと言ってるわけだ。(訳注この辺の訳怪しい。トラバで指摘いただいたのがすてきだったのでまるっと差し替え!。"アドバイス" thx !)

MicrosoftAmazon 、それに Facebook (たぶん。実際僕はよく見ていないんだ。だってすごく落ち込むからね…)の提供するプラットフォームに驚いた後に、 developers.google.com に行ってちょっとブラウズしてみて欲しい。ね?大きな差だろう?。まるで君の5年生の甥っ子が、巨大で強力なプラットフォーム企業がもしリソース的に独りの小学5年生しか人を割けないって時に作るようなものデモしてみなさい、なんていう宿題でもでっち上げたみたいな感じだよ。

どうか悪く思わないで欲しい。 Developer relations チームが、これを外部に提供できる形にするためにとんでもない努力をしてきたってことを僕は分かっている。僕が知る限り、彼らはとにかくケツを蹴り上げつつけている。なぜなら彼らはプラットフォームを理解しているからさ。プラットフォームに対して実に冷淡で、しかも時には敵対心さえあらわにされるような環境の中で、彼らは英雄のように努力している。

僕は率直に、 developer.google.com が外部の人にとってどう見えるかを説明しているだけさ。全く幼稚に見えるだろう。 Maps API は一体どこにあるっていうんだ?。いくつかはなんだかよくわからないラボプロジェクトとやらに入っている。で、いざたどり着いてみれば、そこにある API は全くけちな代物だ。まさに本当の意味ドッグフードだ。オーガニックなんかとは無縁だね。僕らの内部 API に比べれば、まるで不格好な別物だよ。

Google+ についても、悪く思わないで欲しい。到底彼らだけが違反者ってわけじゃない。文化的なものが絡んでいるんだ。僕らが内部でやってることっていうのはさ、基本的には、惨めでマイノリティプラットフォーム部隊が、無敵で予算も自信もたっぷりプロダクト部隊に多かれ少なかれ負け続けている、そんな戦争なんだよ。

ゼロから構築したプログラマブルプラットフォームになるべきなんだってうまく気づいたチームってのはみんな弱者さ。 Maps や Docs なんかが思い浮かぶ。 Gmail もなんとなくそっちの方に進みはじめたように見える。でも彼らがそのために予算を獲得するのは実に難しい。なぜなら、それは僕らのカルチャーじゃないんだ。 Maestro の予算なんか、 壮大な Microsoft Office プログラミングプラットフォームの足下にも及ばないちっぽけなものだ。ふわふわ毛皮のうさぎちゃんと、 T-Rex の対決みたいなものさ。 Docs チームだって、このスクリプティング機能が無ければ Office太刀打ちできないってのはよく分かっているんだ。でも残念なことに、予算が付かない。つまりさ、そうじゃないとは思うんだけど、現状 Apps スクリプトが Spreadsheet だけで動作して、 API の一部としてキーボードショートカットすらない。まさにチームが愛されていないって思うしか無いよね。

皮肉にも、 Wave は偉大なプラットフォームだった。冥福を祈りたい。でもプラットフォーム的な何かを作るっていうことは、そのまますなわち成功意味するって訳じゃあ無い。プラットフォームにはキラーアプリが必要だ。 Facebook そのもの(つまり、 wall やら friends やらなんやらというデフォルト機能)が、 Facebook プラットフォームキラーアプリだ。そして、 Facebook アプリが、 Facebook プラットフォーム無しで成功できると結論づけるのは、深刻な誤りだと僕は思う

みんなは、外の人たちが Google傲慢だって言い続けているの、知っているよね?。僕は Googler だ。だから、みんなと同じように、外の人たちがそう言っているといらいらとする。僕らは全般的に見て全く傲慢じゃ無い。僕らは、まあ、99%は傲慢じゃない。僕はこの文章をこう始めた(遠い記憶をさかのぼってよ)、 Google は「正しいことだけをする」って表現した。僕らはよかれと思ったことだけをしている。だから、人々が僕らが傲慢だって言うときは、まあ大抵彼らを雇ってあげなかったときか、僕らのポリシーに不満があるか、まあそんなようなところじゃないかな。彼らはそれで気分が良くなるから傲慢傲慢だと言っているんだろう。

でも、もし僕らが、僕らは全ての人に対して完璧プロダクトをデザインする方法を知っているだなんて、そんなスタンスを取るんだとしたら、僕を信用してくれて良いと思うけど、結構そういう話を聞くんだけど、僕らは飛んだ間抜けになる。それを傲慢って言ったり、無邪気さって言ったり、なんて言ってもいいけど、結局の処、それは愚かさに他ならない。全ての人にとって完璧プロダクトなんて、無いんだ。

デフォルトフォントサイズを設定できないブラウザについて話してこの話題を締めくくろうか。アクセシビリティへの侮辱ってやつについて語ろう。つまり、いずれ僕は年を取って、ほとんど目が見えなくなる。事実そうだと思う。僕は人生でずっと近視だったし、40歳にもなれば今度は近いものが見えなくなる。そうなればフォントの選択ってのは生死を分ける重要ポイントだ。それは君を完全にその製品から追い出してしまう。ところがどっこい Chrome チームってのははっきりと傲慢から、彼らはゼロコンフィギュレーションプロダクトなんて言ってて、まったく厚かましくも、もし目が見えなかったり耳が聞こえないなりなんなりするなら、お前はファックユーだぜってなもんだ。残りの人生、全てのページを表示する度に Ctrl-+ を押せって言うんだよ。

これは彼らの問題じゃ無い。みんなの問題だ。僕らが徹底してプロダクト企業だということが問題だ。僕らは広くアピールするプロダクトを作った。例えば検索がそうだ。そのあまりにもひどい成功が、僕らの目をくらませてしまった。

Amazon もまたプロダクト企業だった。だから。 Bezos にプラットフォーム必要性を理解させるのには、外部の力が必要だった。その力ってのはどんどんと蒸発していく利幅だった。彼は追い詰められて、脱出方法を考えなければならなかった。でも彼の持ちえたものは、エンジニア達とコンピュータの群れだった。そこからどうにかマネタイズするには…?。結果論だけれど、そうして彼は AWS にたどり着いたわけだ。

Microsoftプラットフォームとして始まった。だから彼らにはたくさんの習慣があった。

でも、 Facebook は…、彼らは僕を不安にさせる。僕はエキスパートではないけれど、でも、彼らは最初プロダクトとしてスタートして、そしてそれをうまく成功につなげていたことは確かだ。だから、彼らがどうやってプラットフォームへと変革を遂げたのか、僕にはわからない。それは比較的昔のことだったろうと思う。 Mafia Wars のようなものが現れる前に、彼らがプラットフォームにならなければならなかった時よりもずっと昔。

たぶん彼らは僕らを見て、こう自問したのかも知れない。「どうやったら Google を倒せる?。 Google に足りないものはなんだ?」

僕らが直面している問題はとても大きい。僕らがキャッチアップを始めるには、めざまし文化的な改革が必要だ。僕らは内部的にもサービス指向なプラットフォームを持っていないし、同じように外部的にもそうだ。この「自分ものにしていない」感じは、まさに会社全体を覆う風土病だ。 PM は分かってない。エンジニアも分かってない。プロダクトチームも分かってない。誰も分かっていない。たとえ一個人で分かっている人間がいたとしても、もしそれが君だとしても、僕らがそれを総力を挙げて緊急事態として扱わなければ、これっぽっちも意味が無いんだ。僕らはプロダクトをローンチして、それを後から魔法のように美しい外部拡張可能なプラットフォームに成長させられる、そんなふりをし続けることを、やめなければならない。何度もやって、だめだったじゃないか

プラットフォームの黄金律「自分ドッグフードを食べろ」はこう言い換えることができる。「プラットフォームから始めろ。そしてそれをなんにでも使え」(訳注"アドバイス" thx !)。後からちゃんとやるなんて不可能だ。少なくとも、簡単には無理だ。 MS Officeプラットフォーム化した人たちに尋ねてみればいい。あるいは Amazonプラットフォーム化する為に努力した人たちに。遅れてしまえば、正しく立て直すのに10倍の苦労が必要になるだろう。ごまかしはできない。内部アプリが特別な優先アクセスを受けられるようなバックドア秘密に仕込むなんて、どんな理由があっても不可能だ。難しい問題から、まず最初に解決しなければならないんだ。

僕は遅すぎると言いたいわけじゃ無い。けれど、待てば待つほど、致命的な遅れへとどんどん近づいてゆく。

この記事をどう纏めて終えればいいか、正直よくわからない。言うべきことは全て言ったと思う。この記事はできあがるのに6年かかっていると言える。僕が紳士的ではなくて申し訳ないと思う。プロダクトやチーム、個人を僕が誤解していたら申し訳ないと思う。もし僕らがたくさんのプラットフォームを実は作っていて、僕や、僕が話した人たちみんなが偶然知らないだけだったとしたら、申し訳ないと思う。

でも、僕らは今すぐに始めないとならない。

Steve Yegge の Googleプラットフォームに関するぶっちゃけ話を訳した(中編)

前編からの続き

この努力は僕が Google に来る為に Amazonを離れた2005年半ばも続いていた。でももっとずっと進化していたよ。 Bezos が命令を出してから僕が離れるまでの間に、 Amazon は全てにおいてサービスをまず最初に考える企業へと文化的に変化していった。外部の日の目を決して見ることの無いような、スタッフへの内部的なデザインも含めて、今ではそれが全てのデザインというものに対しての基本的なアプローチになっている。

その時点では、彼らはもはや解雇の恐怖からそうしているわけではなかった。つまり、もちろんビビってはいたけれど、ドレッドヘアの海賊 Bezos 様にご奉仕するのは日常生活の一部だからね。そうじゃなく、彼らはそれが正しいことだと理解したから、サービス提供しているんだ。確かに SOAアプローチには長所短所もあるし、短所を書き出してみたら切りが無い。でも全体として、 SOA ドリブンのデザインというものこそが、プラットフォームを可能にする、これは正しいことだ。

これが、 Bezos が彼の指令書で企んだことだった。彼はチームの健康状態なんて興味もなかったし(今もそうかも)、使われている技術もそうだったし、結局の処のどう取りかかるかなんて結果ができあがるまで気にもしていなかった。けれど Bezos は、 Amazon 社員の大多数が理解する前に、 Amazonプラットフォームにならなければならないということを悟っていたんだ。

だって考えてもみてよ。なんで一オンライン書店が、拡張可能な、プログラマブルプラットフォームになる必要がある、なんてことを考える?。そうだろ?

ともかく、 Bezos が気づいた最初の大きなポイントは、本を売り、出荷し、色々とやる仕組みが、素晴らしいコンピューティングプラットフォームに再利用でき得るということだ。だから今、彼らには Amazon Elastic Compute Cloud があるし、 Amazon Elastic MapReduce があるし、 Amazon Relational Database Service があるし、その他たくさんの aws.amazon.com で見つけられるサービスを持っている。しかもこれらのサービスは大成功した企業バックエンドを努めていたりもする。 reddit なんか僕のお気に入りだね。

もう一つ、彼が理解した大きなポイントは、常にいつでも正しい、そんなものを作ることはできないということだ。これは Larry Tesler が、ママがこのくそったれサイトを全く使えないと言ってのけたりでもした時に、 Bezos にピンと来るものがあったんだと思う。誰のママのことを言ったのかははっきりしないし、そんなことは問題じゃ無い。問題は、誰のママだろうとそのウンコサイトを使えないってことだ(訳注アドバイス thx !)。実際、僕自身、そこで5年ほど働いていたわけだけど、あのサイトは胸がザワザワするくらいひどいと思う。でも僕はその気が散るようなサイトに慣れてしまって、トップページのど真ん中あたりの数万ピクセルに集中できるようになったんだからね。

とまあ、実際の処 Bezos がどうやってその理解、一つのプロダクトで、全ての人にとってふさわしいものを作り上げることはできないということに、たどり着いたのかは定かじゃあ無い。でもその方法は問題じゃ無くて、彼は理解してるってことが重要だ。実のところこの現象には正式な名前だってある。そう、それはアクセシビリティと呼ばれるものだ。コンピューティング世界で最も重要ものだ。

最も、重要な、ものだ。

君は思うかも知れないね。「はあ?つまりそれって、目が見えない人や耳が聞こえない人のあれ?あのアクセシビリティ?」ってね。まあ君だけじゃないと思う。とにかく世間には、アクセシビリティってものを正しく理解していない、君みたいな人たちがいっぱいいっぱいいるんだから。ただそこにたどり着いてない人たちがね。だからアクセシビリティを理解していないのは、目の見えない人や耳の聞こえない人や手足が不自由な人やその他障碍のある人の責任じゃないように、君の責任じゃない。ソフトウェアが(この場合アイデアウェアといった方が正しいかもしれない)何らかの理由で誰かにとってアクセシブルでないというとき、それはソフトウェア自身の、あるいはアイデアの伝え方そのもの責任があるんだ。それがアクセシビリティの失敗というやつなんだ。

人生における重要なその他もろもろと一緒でさ、アクセシビリティには邪悪双子がついている。小さいときにパパとママの偏った愛情で見捨てられて、今や同じくらいの力を持つまでに育った宿敵って奴がね(もちろんアクセシビリティには宿敵はたくさんいる)。それはセキュリティだ。一体全体こいつらが仲良くやっていること何てあるかい

でも、僕は主張したい。アクセシビリティは実際の処セキュリティより重要だということを。だってアクセシビリティを0にダイアルするってことは、何のプロダクトも持たないってことさ。セキュリティを0にダイアルしたって、そこそこのプロダクトを持つことはできるだろう? Playstation Network みたいにさ。

まあつまりですね、僕はみんなが分かってくれないんだったら一冊丸々この話題で本を書くことだってできるよ。分厚くて、僕が働いてた会社のありんことピコピコハンマーのエピソードで一杯の面白いやつをね。でも僕がこの話を公開しなかったら、みんなが目にすることも無いだろう。そろそろまとめに入らなきゃ。

Google がうまくやれていない最後の一つは、プラットフォームだ。僕らはプラットフォームを理解していない。僕らはプラットフォーム自分ものにしていない。みんなの中にできている人はいるだろう。でも、そんな君はマイノリティだ。辛いことだけれど、これはこの6年で僕にはっきりと感じられた。僕は競争相手のプレッシャーMicrosoftAmazon最近じゃ Facebook なんかが、僕らを一斉に目覚めさせて、ユニバーサルサービスを始めるのを期待したりもした。アドホックな、中途半端なやり方じゃなくて、多かれ少なかれ Amazon がやったようにだ。一度に全てを。マジで。偽りなしに。今その瞬間から最優先事項として扱うというように。

でも、そうはなっていない。10番やら11めくらいのプライオリティだね。いや15番かも?。知らないけど、とにかく低い。真剣に取り組んでいるチームもいくつかあるけど、多くのチームは考えてもいない。一度もだ。ごく一部の人々がちょっとした規模でやっているだけだ。

多くのチームに、彼らのデータと処理に対してプログラマティックにアクセスできるような、ちょっとしたサービス提供させるのだって大変だ。彼らのほとんどは、俺達はプロダクトを作っているんだ、って思っているからね。そんでもってそのちょっとしたサービスなんてのはみじめなもんさ。 Amazon の教訓に戻ってリストを見てくれよ。そんで今すぐ使えるサービスを持ってきて見てくれ。僕が知る限りでは、そんなものはない。小ビンってのは便利かもしれないけどさ、そんなの車がいる時だけだろ?(訳注:この人、 Stubby という小瓶のビールと、 stubby という「ちょっとした・不格好な」という形容詞をひっかけてしゃべってます

プラットフォームが無ければ、プロダクトなんて使い物にならない。いやもっと正確に言うならば、プラットフォームの無いプロダクトは、いずれ同等の機能を持ったプラットフォーム化されたプロダクトに、取って代わられる。

Google+ ってのはまったくまさに、エグゼクティブリーダーシップのとても高いレベルから(やあ Larry 、 Sergey 、 Eric 、 Vic 、やあやあ)枝葉の使いっ走りまで(やあ、君だよ)、全くプラットフォームを理解していないっていう良い例だ。そう、僕らはみんな、全く理解できていない。プラットフォームの黄金律ってのは、自分ドッグフードを食えってことだ。 Google+ プラットフォームってのは惨めなまでに後知恵だ。ローンチ時には一つたりとも API が無かった。そんで最後にチェックしたときには、僕らが提供してたのはわずかばかりのほんのちっぽけな API さ。ローンチの時、あるチームのメンバーが行進してきて僕にそれを説明してくれた。だから僕は訊いたんだ「でさ、これはストーカーAPI?」って。彼女はむすっとして、「ええ」ってだけ言った。いやジョークなんだよ…いや…ジョークじゃ無いんだ…僕らが提供する唯一の API は、誰かのストリームを読み出すだけ…。うーん、僕が間違ってたのか?

Microsoft はこの20年間ドッグフードルールで知られてる。この時代の彼らにとっての文化の一つなのさ。デベロッパドッグフードを食わせて、僕らだけ人間のご飯を食べようってわけにはいかない。それは単に短期の成功のために長期のプラットフォーム価値を損なう行為だ。プラットフォームってのはまったく長期的な視点が必要なんだよ。

Google+脊髄反射の代物さ。 Facebook成功したのは、彼らがすばらしいプロダクトを作ったかだって言う、まあ実に近視眼的なもの見方の結果として生まれたものだ。でももちろん彼らが成功したのはそんな理由じゃ無い。 Facebook は他の人たちにも何かをさせてあげられる、プロダクトの美しい集合全体を作り上げたから、成功したんだ。だから Facebook はみんなにとってそれぞれ違うものだ。 Mafia Wars に全ての時間を費やす人もいれば、 Farmville で遊ぶ人もいる。何百の、いや何千の、質の高い、暇つぶしができるってわけさ。つまり、みんなのためにふさわしい何かが必ずあるんだよ。

僕らの Google+ チームは、プロダクトを出した後のマーケットを見てこう思った。「おっとっと、我々もいくつかゲームが必要みたいだな。さっそくどこかと契約して、我々のために作ってもらおう」。これが信じられないくらい間違った考え方だってことが、君にもわかってきたかい?。問題なのは、僕らが、人々がほしい物を予測して、それを提供しようとしているということだ。

そんなことは出来ないんだよ。現実的にはね。確実にやる方法なんてない。もちろんコンピューティング歴史全体を見渡せば、それを確実に信頼性を持ってできる人間ってのがごく数人いることにはいる。 Steve Jobs がそうだろう。でも、僕らの処には Steve Jobs はいない。悪いけど、いないんだよ。

Larry Tesler は、 Bezos が Steve Jobs じゃないってことを口説いたかもしれない。でも Bezos には分かっていた。全ての人にふさわしいプロダクトを提供する為に、彼が Steve Jobs になる必要はないっていうことを。インターフェースワークフローこそが、人々が気に入り、安心感を得るものなんだっていうことを。彼はサードパーティ開発者にそれを可能にするだけで良かった。そうすれば、後の事は自動で進んでいく。

僕の言っていることが、あまりにも明白なことだろって感じているみんな(多かったらいいな)には申し訳ない。とにかくもうびっくりするほど自明なことなんだ。ただ、僕らがそれをやってないってことを除いてはね。僕らはプラットフォームを理解していない。プラットフォームを持っていない。アクセシビリティを理解していない。アクセシビリティを持っていない。これらは基本的には同じことだ。なぜならプラットフォームアクセシビリティを解決するからだ。プラットフォームアクセシビリティなんだよ。

後編に続く

2011-10-17

http://anond.hatelabo.jp/20111017024535

そこまでルサンチマン溜められるのなら、それはもう一つの才能だよ。

から芸術活動するなり執筆するなり、何らかの形で創造力に変えていけばいいんでないでしょうか。

「似たような人いないかな」なんて言ってるうちは甘くないか?多分、あなたは何らかの形でマイノリティなんだよ。

自分生き方を貫けよ。こないだ逝去したジョブズ名言にも「絵に描いたような明るく楽しい青春?間抜けのから騒ぎだ。」ってのがあるじゃない。

そのその無駄プライドルサンチマンを原動力に「普通のヤツらの上を行け」(ポール・グレアム)よ。

もっとも、車輪はずれて自爆するか、大成功するか、ギャンブルないばらの道かもしれないが。

文面からすると、あなた女性かもしれない。だったら酷な話だろう。

でもじつは、あなたから恋人と多くは無い友人を除外したらそのまま僕なんだ。だから自分への鼓舞っていう意図もあるわけで、キツイ口調も許してほしい。

2011-10-15

http://togetter.com/li/200637

読んだ後に下記の文章読んで噴いたら負けな。コメントで「48歳児」って表現をみかけて、素晴らしいと思った。





これ、下はV速民をなじるためのどっかのコピペなんだが・・・

「あの人は、どうして好んで敵を作るのだろう?」と思ってしまうような人はどこの世界にもいるものです

しかし、本当に「敵を作ってやろう」と思っている人はいません

「好んで敵を作る」ような人は、好んで敵を作るような人に見えて、実はただ、自分の主張が明確なだけだったりするのです



普通の人とは違う主張、多くの人とは異なる主張をしていると、敵を作っているように見えてしまものです

例えば、「今の業界のこの部分はおかしい。こうするべきだ」と、業界内で主張をし続けている人がいるとします。

そんな人を見ると、「業界内に敵を作ろうとしている」と見えてしまます



しかし、その人にとっては、敵を作ろうとか味方を作ろうという次元はどうでもよくて、

業界の将来のため、未来お客様のためを思って自分の考えを主張しているに過ぎないのです



「あの人は、好んで敵を作る人だから」という理由で付き合うかどうかを決める人ほど、大した人脈力はありません。

ただ、多数派のほうに寄っていっているだけだからです

「この業界はもっと自由化するべきだ。法に守られた大手だけの協議会の専横はよくない。

 もっと価格を自由化し、お客様の選択の幅を拡げるべきだ」などと主張している人がいたとして、

「あの人は好んで業界全体に敵を作る人だよなー」と思っている人は、そういう人を目の仇にして、旧態依然派閥にすり寄ろうとします。

まり、「好んで敵を作る人」は自分なのです。「あの人は好んで敵を作る人だから」という理由をつけてマイノリティーを仮想敵国にしてしまう人なのです

あいつは好んで敵を作る人っぽいから、俺らの敵だよな」と言っているのと同じです

ところが、世の中が変わってきて世論がその人の意見に傾き、旧態依然の形式が暴露されて崩壊した時に、

「好んで敵を作る人かどうかで付き合いを決めていた人」は、立ち往生してしまます

結局、「じゃあみんながこっちの見方から」となりふり構わず尻尾を振って寝返って、

「おまえ、前は旧態側にいて反対してたじゃん」と指摘されて、居場所がなくなってしまうのです




「好んで敵を作る」ように見える人ほど、味方も多いのがほとんどです

敵を作るのではなく、主張を明確にしているだけだから、その主張に賛同する人は味方になっているのです

問題なのは、他人のことを「好んで敵を作る」ような人と判断している自分眼力です

その人の主張を見るのではなく、敵が多いかどうかを見ているに過ぎないかです


そして、本当に人脈力を持っている人や、営業の突破力を持っている人ほど、

世間から「好んで敵を作る」と思われている人ほど、たくさんの人脈を持ち成功していく可能性を秘めていて

自分が付き合っていくべき人だということを知っています

世間で「好んで敵を作る」と思われているような人ほど、その主張が正しいものであれば、注目をしていくのです

2011-09-17

http://anond.hatelabo.jp/20110916224923

スーパー花王製品裏返した!とか嬉々として書き込みしてるの見ると、実害のない行動にうまいこと誘導されてるんじゃないかという気がしてならない。

もしデモや不買呼びかけに実行がないなら、ノイジーマイノリティがそういう実行のない行動に終始して、他のもっと実効のある行動に移らずにいてくれたら花王としちゃ御の字だろう。

不買とか、お手軽に「自分が世の中を変えてる!」と思いこめる行動だから、暇ニート主婦はいさんで飛びつくよ。

不買を止めるつたない日本語の書き込みは工作員。ただし、不買をやめさせるためではなく、不買に効果があると思わせるためのもの





なんてとこまで妄想した。

2011-09-14

強い女の子や悪い女の子が好きです

いや、基本的に二次元の話なんですけど。




ドラゴンボールで言えば

悪の方のランチさんみたいな人が好きです

善の方のランチさんには何の関心も湧かない。

他にドラゴンボールで言えば18号みたいな人が好きです

あとはマイとか。

更にマニアックなとこだとバイオレット大佐とか。

バイオレット大佐漫画だと一コマしか出番が無いけど、

 アニメ版だとRR崩壊のドサクサ紛れにRR軍の財産を狙います。)




この趣味マイノリティであり

圧倒的マジョリティ趣味は「か弱く善良な女の子萌えなので

肩身が狭いというか、楽しめるものが少ないです




善良でか弱い女の子なんて

喜んでても苦しんでても何の感慨もわきません。




ドラゴンボールばっかり例に出しましたが

鳥山明先生は完全に我々と同じ趣味の人です

鳥山先生にとって「理想女性」は18号、あかねちゃん、バイク小僧の嫁、あたりで、

鳥山先生の「現実の女のイメージ」がチチ




他にジャンプだと久保帯人先生も明らかに我々と同趣味です

先生は色々と邪悪女の子が好きな一方で

メインヒロインはすぐ悪役にさらわれる善良な泣き虫女

という二面性のある方です

2011-09-09

http://anond.hatelabo.jp/20110909084727

国や地域によって歓迎される物が違う事を受け入れようとしないのも、オタクの悪い癖だと思うがな。

ドラクエウルティマウィザードリィを参考にしてるのは知られた話だが、じゃあ何故ドラクエ日本でのみ大ヒットしてウルティマウィザードリィ日本マイノリティなままなんだ?

当時の堀井をはじめとするスタッフ日本人受けするようにアレンジを加えた結果だろ。

2011-09-02

口下手なハックルさんに代わり内田先生が本の読み方について説明するよ

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20110812/1313128129

これを「まずい客対応」と解釈してしまうyaneuraoさんは、単にマイノリティというだけではなく、「ひねくれ者」のそしりも免れないだろう。それは、素直さや謙虚さの欠如に起因するもので、このままでは、今後も小説を楽しく読むことができないのはもちろん、人生を楽しく生きるということさえ阻害されてしまう。これについては、問答無用で直されることをお勧めしたい。


http://blog.tatsuru.com/2011/09/02_1151.php

学ぶ側の「無垢さ」、師の教えることはなんでも吸収しますという「開放性」、それが「師をその気にさせる」ための力であり、弟子の構えです。たとえ、書物の中の実際に会うことができない師に対しても、この関係は同様です。同じ本を読んでいても、教えてもらえる人と、もらえない人がいるのです

 「学ぶ(ことができる)力」に必要なのは、この三つです。繰り返します。

 第一に、「自分は学ばなければならない」という己の無知についての痛切な自覚があること。

 第二に、「あ、この人が私の師だ」と直感できること。

 第三に、その「師」を教える気にさせるひろびろとした開放性。

 この三つの条件をひとことで言い表すと、「わたしは学びたいのです先生、どうか教えてください」というセンテンスになります。数値で表せる成績や点数などの問題ではなく、たったこれだけの言葉。これがわたしの考える「学力です



言ってることは全く同じですハックルさんの記事にダメだしをしておきながら、内田先生コメントに熱烈なラブコールを送ってる○○さんは頭悪いなぁと思う。



つの記事に対する私の感想としては

消化力が強い"には、"腐りかけのものを食べても腹を壊さない"も入れてほしいなぁ。

です。この3つで学力定義とするならば、学力低いと言われても「学力の高いバカ」になるよりはマシな場合もあると思いますね。

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