2021-08-06

記事掲載までのタイムラグ悲惨なことになったケース

8割おじさん「8月新規感染者5千人超」は誇大な数字か| デイリー新潮

最近話題新潮のこれ。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.dailyshincho.jp/article/2021/08050557/?all=1

掲載は先週だが、「次週表記の号を前週に売る」という慣行のせいで5000人超になった日と号の日付が重なるという奇跡を残した。

木村盛世なんか使ってるのがおかしい。新潮は文春と同じ調査報道スキャンダル路線模索しているようだが実力が天地ほど開いてしまってもう無理というのが窺われる記事品川から京浜急行快速特急に追いつけと京浜東北線に乗ったが蒲田まりだったような侘び寂びを感じさせる。

「罪深き」私にとってのオウム 島田裕巳

島田裕巳オウムシンパ宗教学者だった。地下鉄サリン事件の前からオウム真理教に惹き起こる疑惑に対し、教団施設取材しては「オウムとは無関係」という結論を書いていた。

1995年3月20日地下鉄サリン事件に関して東京新聞に問われ「私が中まで見たところ、サティアン宗教施設であって毒ガス工場などではない」とコメント3月22日の同紙に掲載されたが、同日に警察は大々的に第7サティアンを捜索、それがTV新聞で通常番組差し替え報道されている日に島田の「サティアン宗教施設毒ガス工場ならず」のコメント掲載される珍事となった。

 

これを受けて島田は翌月の宝島30に『「罪深き」私にとってのオウム』を寄稿する事になった。

島田の舌禍はこれに留まらず、TVなどで名指しで散々批判罵倒を受けた。当時、オウム近代への疑義評価するのが知的とのスノビッシュな風潮があり、それに乗っかっていた文化人たちが批判逸らしの為に島田スケープゴートにした為に更にバッシング苛烈さを増し、島田が勤務していた日本女子大にもクレーム脅迫殺到して島田解雇された。

 

オウム島田擁護最初から利用しており、教団へのバッシング逸らしの為に島田の居宅のあるマンション玄関を爆破した。教団側の島田を狙う犯行があると見せかける為であった。

ソ連が攻めてくる 中川八洋

中川八洋アフガン侵攻等を受けて80年代ソ連が攻めてくるから軍備を急げとの主張を論壇誌で繰り広げていた。

ところがゴルバチョフ書記長就任してペレストロイカデタントを進めると当然に西側諸国の態度は融和になり、同時に西側でのゴ書記長の人気は絶大なものになっていった。

これに対して中川は「ゴルバチョフ政策反動化している」「ゴルバチョフ路線侵略主義に転じている」と論壇で主張し続けた。

だが実際にはそんな局面は無く、バルト三国独立を認め、東欧衛星諸国にも改革自由化を迫るなどしており、ベルリンの壁崩壊など劇的な自由化の流れが起きていた。

要するに「ソ連」という敵が無くなると反共アイデンティティの拠り所がなくなってしまうので固執していたのである

西側心配というのは寧ろ一貫してゴ書記長の失脚により東側自由化デタントの流れが巻き戻る事であった。それほど急激な変化が東側で起きており、後発の政変になるほど革命崩壊と呼ぶべき状況が発生していた。

その心配の通りにソ連共産党守旧派クーデターを敢行、それは鎮圧されてソ連邦は廃止されるという劇的結果になった。

 

ところが中川は相変わらず論壇誌ゴルバチョフ脅威論を書いていた為にクーデターソ連崩壊と同時か直後に「ゴルバチョフソ連が攻めてくる」論が発表されるという珍事に至った。

 

これによって中川反共論者として干されてしまい(市場の前提が無くなったのだからそりゃそうだ)、主に徳間書店から黒表紙の陰謀論本を出すようになった。当時は陰謀論オカルト本が流行っていたのだ。

ところがオウム事件が発生するとオカルト陰謀論が氾濫しているのが原因だというもっともな反省が起こってその市場も無くなってしまった。

 

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