はてなキーワード: 1980年代とは
テクノ・ハウス・トランス・エレクトロ・エレクトロニカ・アンビエント・ビッグビート・ポストロックと電子音楽も、今となってはジャズやロック並みに広範囲なジャンルになった。ただ、他のジャンルに比べると定義が結構曖昧で、結構誤用されていることが多い。ジャンル論争はあまり意味も意義もないけど、チラ裏的に定義してみる。
ちなみに書いている人は元テクノ少年のテクノ中年のシロウトなので、もっと詳しい人で「違う、そうじゃない」と思った人は、トラックバックなんかいただけるとありがたい。
電子音楽全てを包括する呼び方。ヘヴィ・メタルやパンクやオルタナティブを包括するのがロック、フリージャズやスウィングジャズやハードバップを包括するのがジャズなように、エレクトロニカもアンビエントもトランスも全部「テクノ」に含まれる、音楽の大ジャンルの一つである。
よくある批判(?)として「中田ヤスタカはテクノじゃない」「小室哲哉はテクノじゃない」と言われるが、あれも立派なテクノ(嫌いな人も多いだろうけど)。石野卓球は昔タモリの番組で、ユーロビートは日本独自のテクノだと解説していた。現代的な意味で「テクノ」として扱われるのは、ホアン・アトキンスやデリック・メイ、ケビン・サンダースの創設した「デトロイトテクノ」からの派生したもののみとする意見もあるが、そうなるとややこしくなるのと、世の中で「テクノ」と呼ばれているものが排除されてしまうので、あまりこの定義は意味が無いと思う。
デトロイトテクノと同じ時期にシカゴで生まれたダンスミュージック。リズムマシンとシンセを使い、フロアでかけるという意味ではデトロイトテクノと同じだが、キャッチーなメロディやピアノ音が特徴。ダフト・パンクやここ数年の中田ヤスタカ。テクノの下位ジャンルとして扱うか、一つの独立ジャンルとして扱うかは人によって異なる。
上記に上げたようにホアン・アトキンス、デリック・メイ、ケビン・サンダースがデトロイトで創設したジャンル。トランスに比べるとメロディラインが曖昧で、ストリングスやパッドを多用している。基本的にヴォーカルはない。テクノというと「白人・ヨーロッパ」のイメージを持つ人がいるが、元々デトロイトの黒人が始めた音楽である。
ハウスとテクノの混合…と言うとややこしいが、うねるようなシンセパッドの旋律と4つ打ちと叙情的なメロディアラインが特徴。100%踊るための音楽。時期や地域によって更に細分化された下位ジャンルがある。日本ではチャラいイメージがある。
音楽のいちジャンルと言うよりも音楽の一手法。同じ旋律をパターン化し繰り返す、音の動きを最小限に絞ったもの。久石譲のsummerとか坂本龍一の戦場のメリークリスマスなんかがそう。
これもテクノのいちジャンルと言うよりも、音楽の一手法と捉えたほうが良い。直訳すると「環境音楽」でカフェやサロン、美術館でかかっているような音楽。或いはクラブでチルアウト(落ち着かせる)させるための音楽。静かで緩やか。ブライアン・イーノ、細野晴臣、初期のエイフェックス・ツインなど。イージーリスニングと混同される場合もあるが、イージーリスニングと違い明確なメロディラインが無いのも特徴。
ハウスやデトロイトテクノよりもやや後に発生したジャンル。ハウス+テクノ+ファンクという形で成立。ポップでキャッチーなメロディで賑やかな感じ。
たった2文字加わるだけで全然違うジャンル。どちらかと言うとデトロイトテクノやアンビエントからの派生ジャンル。キャッチーなメロディラインがなく、音数が少なくシンプルな感じ。ヴォーカルがなくポップな部分が無いので初心者にはやや難解。アンビエントと違いビートはある。踊れない曲も多い。ただ、アメリカでは日本で言う「テクノ」的な扱いとなっている。
ロック+ヒップホップ+テクノ(ドラムンベースも加わる)。ドラムの代わりにリズムマシンを使い、ベースの代わりにシンセベースを使い、テクノっぽくてヴォーカルがある、踊れるようにしたロックと思えば良い。日本ではデジタルロックと呼ばれる(最近じゃ呼ばないか)。ケミカル・ブラザーズやアンダーワールドやプロディジーなんかがこれ。ロックの一ジャンルにするか、テクノの一ジャンルにするか人によって分かれる。
ブレイクビーツを170BPM前後の高速で繰り替えずリズムパターンに、低いベース音を合わせた音楽。トランス・ハウスなどがバスドラ4つ打ち(ドン・ドン・ドン・ドンと単純なリズム)にたいして、複雑なリズムパターンが特徴。
テクノ歌謡、シンセポップとも呼ぶ。電子楽器を使ったポップミュージック。キャッチーなメロディラインとヴォーカル。1980年代の小中学生や流行ったように、ポップで親しみやすいことが重要。そういう意味ではエレクトロに割と近い。YMO、クラフトワーク。Perfume。現在の「テクノ」とは違うとされるが、石野卓球やケン・イシイ、デリック・メイなんかは影響を公言している。
これこそ未だによく分からんジャンル。ポストロックのポストはポストモダンのポストと考えると分かりやすい。
こうして見ると、「踊れる」「踊れない」と、「分かりやすい」「難しい」の軸で分布図が作れる。
踊れる ↑ ドラムンベース | トランス ユーロビート デトロイトテクノ ハウス | エレクトロ ドリルンベース | |ビッグビート 難解←ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー→平易 | エレクトロニカ | テクノポップ アンビエント| | | | テクノ歌謡 ポストロック ↓ 踊れない
あとこのジャンルのミュージシャンは他ジャンルからの影響を受けやすかったり、時期によってまるっきり違うタイプの曲を作ったりするので、「○◯はビッグビートで、◯◯はハウスで…」といったものがない。
というわけで、電子音楽のサブジャンルの再定義をするつもりで、ジャンルで聴くのは無意味という結論に達してしまった。ジャンルと言うよりも手法といったほうが正しいのかもしれない。
余談だけど音楽ジャンル以上に、リスナーのイメージのほうが日本では大きいような気がする。
ハウス:オシャレ
トランス:チャラい
こんな感じ。
id:miruna じゃあお前が書けよ。この一言に尽きる。最初から『もっと詳しい人で「違う、そうじゃない」と思った人は、トラックバックなんかいただけるとありがたい。』って書いてるんだから、たった100字のブコメで評論家ごっこしてんじゃねえよ。ジャンルを問わずこういうクソヲタクがその分野を滅ぼす。
id:temtan ごめん、おれハードコアとか苦手とかなんだ。頼むから網羅したのを書いてくれないか?
id:yukibarashi 冨田勲以前とかまで遡るには俺の知識が足りなさすぎる。どちらかと言うと現代音楽史の領域に入ってしまう。
6 Reasons We're In Another 'Book-Burning' Period in History | Cracked.com
By: S Peter Davis
これを聞いた人の8割は私の顔を殴りたくなるだろうが、端的に言おう。
稀覯本を含む本を数万冊以上捨ててきた。
焚書と聞いて、一般にはおそらくナチスドイツを連想する人が多いんじゃないだろうか。
それは不寛容と反知性の象徴だ。
だが今回の焚書は違う理由で起こっている。
本を捨てているのは、利用者が誰もいないような辺鄙な田舎の図書館だけじゃない。
おそらく世界最高の権威がある図書館、大英図書館でも、本の廃棄が産業的な規模で行われている。
オーストラリアのニュー・サウス・ウェールズ大学やそのほかいくつかの大学では最近、本の処分に関するスキャンダルが起きた。
今年ボーダーズという書店がつぶれたときには、在庫は寄付されるのではなく廃棄された。
捨てられているのは、『TVガイド』とか重複所蔵の本だけじゃない。
17世紀に美麗に印刷されたシェイクスピアの作品集を想像してみてほしい。
奥付のページには、遠い昔に亡くなった所有者からの達筆なメッセージが付いている。
それをゴミ箱に捨てるのだ。
私は何度もその場にいた。
持ち帰ってeBayに出して売って、何百ドルかにはなったんじゃないだろうか。
これはオバマの共産ナチ新世界秩序に操られたソビエトの秘密作戦か何かではない。
血も涙もない官僚主義によって起こっているのだ。
というのも……
誰しも思うのは、恵まれない人たちに寄付すればいいんじゃないの、ということだ。
囚人でも、病気の子供でも、独立系の新興書店でもいい。寄付すればタダじゃないの、と。
蔵書であることが分かるようになっている。
その本を寄付したり売ったりするときには、印を消さなければならない。
盗品でないと分かるようにするためだ。
そればかりか、所蔵印が残っている本は、親切な人が見つけて図書館に返しに来てくれちゃったりもする。
そして、処理すべき本はとても多い。
図書館はやっきになって蔵書を減らそうとしている。
図書館館長になったつもりで、10万冊を処分しなればならないという報告を受けたと考えてみてほしい。
選択肢は二つ。
学者を何十人か雇って蔵書目録をもとに重要度や価値を評価させて、
また何十人かを雇って重要度の低い10万冊に一冊一冊処分の印を押させる、
というのがひとつ。
第二の選択肢は、コンピュータで貸出回数の少ない10万冊を列挙して、
数人に館内を回って集めさせて、シュレッダーにかけさせること。
第二の選択肢のほうがずっと速くて安いことはお分かりだろう。
そうなれば儲けがでることもある。
ことに司書にとっては、それはまるで、
ゾンビに噛まれた親友を前にして、自分だけが銃を持っているようなものだ。
それに、捨てられた本のなかに救われるべき本が埋もれてしまうことも忘れてはならない。
このやり方では明らかに、ものすごく貴重な本が引っかかってしまうことがある。
2011年版が書架にあるのに、『白鯨』の初版本を書庫から借りようとする人がいるだろうか。
コンピュータで出した貸出数ランキングではそうした区別ができない。
また、このやり方をする場合は、本は完全に破壊しなければならない。
ただゴミ箱に放り込むだけでは不十分だ。
盗られるかもしれないからだ。
誰も読もうとしないように本を引き裂くか、ゴミ箱に漂白剤を入れておく必要がある。
とにかく、ゴミ箱が「ご自由にお取りください」状態になってはまずい。
そして作業をする図書館員が16世紀の貴重書を見つけたとしても、
館長はそれを救えとは言えない。
捨てる代わりに調べるように命じていることになりかねないからだ。
どんな本か分からなければ捨てるのも楽になる。
みなさんがこの事実をご存じなかったとすれば、
ほとんどの場合、一般人が気づくのはゴミ箱に大量の本が入っているのを誰かが目撃してからのことだ。
とはいえ司書がこっそり話し合っている掲示板はいくらか見受けられるが。
2004年ごろ、ニュージーランドのビクトリア大学は13万冊の本を廃棄することを決めた。
計画では、廃棄対象の本に赤いテープを貼り、
それを救いたい人がペンでチェックマークを付けることになっていた。
ご想像のとおり、誰もが怒りをあらわにした。
ある教授は図書館を「野蛮人」と呼んで学内に電子メールを回し、
図書館をめぐりすべてのテープ付きの本にチェックを入れるよう、
職員と学生に呼びかけた。
私の場合は、本の廃棄に気づいたのはそれを盗んで逮捕された人だけだ。
一般人が気づくころには、すべて終わっていて、反乱の機会はなかった。
それに図書館は気づかせることのないよう巧妙な言い回しを使う。
たくさんの書架を空にして、本を書庫に送ったというとき、彼らは嘘をついているわけではない。
ただ、書庫はすでにいっぱいで、新しい書庫行きの本の分だけ廃棄をしているということを言わないだけだ。
本の廃棄を推進する人たちは、図書館の機能を「本の博物館」だとする見方に反対する。
みなさんは愛すべき古典文学の書架に代表されるたくさんの書架の集合こそが図書館だとお思いかもしれない。
通貨が少し下がったり上がったりすれば、外国雑誌の価格も少し変わるだろう。
さてここで、購読するのは数冊ではなく10万冊だと考えてみてほしい。
そして、いま降りかかっているのは小さな変動ではなく、大恐慌時代以来の最悪の不況だ、と。
これは一夜にして旅客機一台分が財布から飛んでいくことを意味する。
その旅客機の代金が払えないと、まずいことになる。
そうなったらとりうる手段は、燃え盛る蜂の巣を手放すように、
購読を打ちきることしかない……とお思いだろうか?
ところがそれは図書館のパワーユーザー、学者と学生が毎日必要とするものなのだ。
必要のないもの、それはたとえば、手書き挿絵の入ったネクロノミコンだ。
どれほどかけがえのない所蔵物であろうと、とにかく場所がないのだ。
というのも……
図書館が蔵書を引き裂く必要がある理由のひとつは、この不況だ。
悲しいことだが、それはそれで仕方ない。
コーヒーショップと引きかえに土塊にされているとしたらどうだろうか?
オーストラリアのニューサウスウェールズ大学でまさにそれが起こっている。
その図書館では、社交的空間を作るため、1850年代からの蔵書と新聞雑誌が廃棄された。
ピーター・スレツァク教授はそれを、図書館を「スターバックスのようなもの」に変えるものだと評している。
しかし、図書館の立場にたってみれば、それを要求しているのは、
彼らは本を保管することだけではなく、本を使う場所を図書館に求めているのである。
そして出版社は無数の本を出してくる。
ということで、図書館は、一方では新刊書を所蔵するために拡張を迫られ、
一方ではカプチーノを飲んで腰を下ろす場所を作れと言われているのだ。
問題は、その費用を誰も出してくれないということだ。
この報告書でも分かるように、図書館へお金を出している組織は予算増額をものすごくいやがる。
図書館が「拡張の資金が必要」と言えば、大学当局は「他を当たってくれ」と言うだろう。
ほとんどの図書館に他の当てはない(建物に放火して保険金をせしめるという手を勘定にいれなければ)。
本はもはや流行らない。このことは認めざるをえないだろう。
2010年最後の三カ月のAmazonの売上データで、電子書籍は紙の書籍を上回りはじめた。
最近のハードディスクであれば、場所をとらずに事実上無限の数の本を入れることができる。
小さめの図書館ならUSBメモリ一つでで置き換えられるとしたら、
巨大な防火設備で本を守り続けさせる原動力は、人々の愛しかない。
現在の経済状況下では、その愛はなかなか発揮されることがない。
この動きは三十年前に遡る。
1980年代、図書館のスペース問題を解決したのは電子化ではなくマイクロフィルムと呼ばれる新技術だった。
本や新聞雑誌をスキャンしてマイクロフィルムとして保存すれば、
図書館ひとつがキャビネットひとつに収まるというのが謳い文句だった。
ニコルソン・ベイカーは、マイクロフィルムブームの悲痛な記録を本にした。
それによると、大英図書館、アメリカ議会図書館といった世界の名だたる図書館が、
数千冊の古い貴重書を引き裂いてスキャンし廃棄したそうだ。
世界中の本好きたちがこれに抗議したところ、司書がマイクロフィルムを掲げて
今日では、インターネットの普及によって、本の圧縮はますます推進されるばかりだ。
ある組織では廃棄する本の選定にあたって、グーグルブックスに載っているかどうかというシンプルな基準を用いているそうだ。
もちろん、本好きの心はそれだけでは慰められない。
彼らは本の内容だけではなく、本それ自体に価値があると信じている。
彼らにとっては、同じ版の本がほかの場所にあるからといって、
貴重な書物を捨てることは正当化できない。
道は事務書類で敷き詰められていて、
これが現実だ。
http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20110906/1315294215
サバイバーとは、社会的に底辺に位置づけられながらも、自らの努力でその最悪の環境から抜けだした人
0.1%の人間はサバイバーのポジションをうまく活用して短期間で上に行く。
つまり下を絶対に攻撃せずに、むしろ努力すれば下から上がれるという夢を売ることで人気を得る。
そして、ある程度知名度を得たら、支持者の勢いを売って上に行く。
上流階級とのコネが出来れば、あとは目立つ必要がないから支持者を切り捨ててフェードアウトしていく。
実際は既に上位の存在でありながらサバイバーを装っているケースが多く、
普通のサバイバーには真似できないので決して見習わないように。
9.9%はサバイバーの地位に立ったときに、自分がサバイバーで有ることを認識している。
サバイバーとしてのセルフブランディングは諸刃の剣であることもよく認識している。
だから、この時点では何もアクションをとらず、成功して自分の地位を固めてから行動する。
FROMDUSKTILDAWN氏がこの類型に近い。というより世の成功者の殆どはこのパターンだ。
正直ブログ戦略としてアメーバーは実に正しく、はてなは根本から間違っていると思う。
人生の途中なのに自分が他取り付いた場所をゴールだと勘違いしてしまい、そこで上に登る努力が中断してしまう。
受験勉強頑張って東京大学に合格してはいいが、そこから勉強サボって就職もできなくなる、など。
たいてい自己顕示欲が高くなっているので、匿名やIDでブログを書き、自分の正しさや、サボってる人間を攻撃したりする。
下の人間は、上の人間が姿を見せないので、姿が見えるこのサバイバーと喧嘩することになる。
そうこうしている内に、自分のリソースを使いきってしまい、いずれ生きるために強いものに巻かれることになる。
その頃には弱者への恨みが募って、自らが一番苛烈な弾圧者になる。 監獄実験の看守役やね。
このタイプは、途中で天国への階段から滑り落ちる。少なくともグリードアイランドをクリアすることはない。
途中で「リープ(離脱)」のカードを手に入れられる幸運なプレイヤーもいるが、たいていは爆弾魔に殺される。
もったいないな、と思う。
という自分の立っているポジションを理解せぬまま、想定された通りの役割を演じている。
むしろ、自分がたてた論点にこだわっていれば有意義な議論もできただろうが、
自ら進んで人を分類し、対立構造を作り上げているのだから、この不毛な構造に巻き込まれてるのは自業自得と言える。
はっきり言って自滅型のパターンそのままなので、これ以上書く前にしばらく冷却することをオススメする。
・ダイエットに成功した人がいまだにデブの領域でとどまる人間を攻撃する
などと同じ。
こういう「サバイバー」は、下を戻ることを恐怖するあまりに、上よりも下を強烈に批判する。
結果として、上の人が手を下さずとも、自らが分断政策の執行者となって上への批判を防ぐ。
何回同じ事をやれば気がすむんだろうか。
この傾向が最も顕著だったのは1980年代に行われたフェミニズム論戦。
立ち上がらない女はクズだと言わんばかりの暴れっぷりに、みなさんドン引きだったのは懐かしい記憶。
で、運動から肝心の女がいなくなって、本来の敵だった男(ただしサヨクか非モテ)に運動が引き継がれるという構図も同じ。
まぁコメント欄の時からそういう記事を書くだろうなとおもってたけど、まんまと罠にはまった感じ。
「上」に攻撃を向けることを恐れず、
「囚人の立場から抜け出すのを怖がっている人たちなんだろう」くらいの想像力が働かせられる程度の知識は欲しかった。
この人は狭い世界にこだわりすぎて、より大きなパターンが全く見えてないので非常に残念だ。
まとめ。
サバイバーの人に言いたいこと。
下の人間と関わってないで、もうちょっと上を目指すといいと思う。
上の人間は、下からはいあがってきた後、さらに上を目指す人間を好む。
下の人間に言いたいこと。
サバイバーは敵ではない。ちょっとだけ上にいるかも知れないが、
もともと下にいたのだし、君たちの苦労をよく知っている。
サバイバーの人から学び、自分も努力して下から抜け出し、今度は自分が下にいる仲間を救おう。
今下にいる仲間に気兼ねして、一緒にサバイバーに石を投げつけるようなことをしてはいけない。
普通の人に言いたいこと。
サバイバーは仲間だ。下からはいあがってきた分ハングリー精神や闘争心が強くて
君たちの穏やかな生活にさざなみくらいは立てるかもしれないが、
それを暖かく受け入れるくらいの度量を持たなければ「普通」は守れない。
上の人に言いたいこと。
どうせ今回の記事をニヤニヤしながら眺めてるんだろうね。
でも、誰か一人でいいから、この問題について「○○ができてもバカはバカ」って言ってあげてください。
あのね、ホントにこの問題は構造が大事なのであって、細かい言葉尻とか文章力とかどうでもいいんだよ。
不毛な争いは今すぐやめて解散したまえよ。
どうせその「母と子のどっちが正しいか」みたいなクズみたいに小さな論点は決着なんて出ないんだから。
賢い人は「問い」だけもらって答えは自分で考える。
実家の母が家事嫌いの専業主婦で、1980年代には珍しく乾燥機があったり食器洗い機があったりしたんだけど、それでもずぼらで皿はシンクにたまりっぱなし洗濯もしなくてほしいときに服がない状態だったので、どんな文明の利器も使う人次第で死ぬという印象が強い。そんな母の「利器があってもサボる理由」が、
とのことだったんだけど、このへんは2010年代ともなると解決されてるのかな?
初音ミクのLAコンサートに関して、Promise Of Rebirthと題したそこそこ長い感想を外国人が書き込んでいた。正直、随分と難解な表現が多く、翻訳も怪しげになってしまった。書き手のHN(wintermuted)を見るに、本来なら黒丸尚風に訳すべきなんだろうが、とても私には無理。とりあえず訳してみたのを置いておく。無断翻訳なので匿名で。誤訳はあると思う。
なお原文のurlは以下の通り。
http://animediet.net/commentary/mikunopolis-at-ax-2011-promise-of-rebirth
+++++以下無断翻訳+++++
メガゾーン23に出てきた謎めいたヴァーチャルアイドルの原型たる時祭イヴがSFにおける一種の狂信的比喩として想像をかき立てる場面に現れてから四半世紀強ののち、昨夜のアニメ・エキスポにおける比類なきイベントMikunopolisがちょっとした進化的な跳躍を成し遂げた。西洋におけるこの概念の最も著名な派生例がアル・パチーノの穏健な映画[シモーヌ]、及びウィリアム・ギブスンのほとんど遺伝的に接続された精神[小説『あいどる』]を通じた形をしていることを踏まえるなら、数千人のファン(及び間違いなく好奇心旺盛な連中)がオタク世界のデジタル彼女アンドその友人たちと伴にロサンゼルスのノキア・シアターをほとんど埋め尽くすなんてのは、まだまだ先のことだと考えらていたに違いない。不可解にも外部に広がった走査線から、ケミカルライトやネギその他に鮮やかに彩られた通路に至るまで、それはリン・ミンメイだけを認める歓迎の場であった。今なお振り払っている最中である土曜夜のイベント後の残響は、かなり深い思考を私にもたらした。
いつもカリスマチックなダニー・チューによる紹介と、それに伴うダンスロイドの形をしたリズム点火係は、その先に待っているものの興味深い味見役を果たした。この前座は、おそらく秋葉系(Akiba-kei)の空気に慣れていない聴衆にとって、何が次に来るかを示す重要なリトマス試験紙だ。このショーを準備する時間がほとんどなかったことが見て取れる点が、これが日本直輸入の製品であり、一見客に対するちょっとした警告にもなっていた。私自身が見いだした特に重要な点についてはすぐに述べる。
既に日本で有名になっていたコンサートの形式をカンニング済みだった客の大半は、青緑色の髪が次々と繰り出す人気のある曲と、目がくらむようなライブ伴奏(39s Giving DayのDVDで演じたオリジナル奏者の大半、及びこの有名なディスクには含まれていない弦楽器奏者の面々)の混合物を味わった。その間ずっと聴衆は大いなる称賛のためリズミカルにケミカルライトを振り、その動きが最後まで全公演を通じて見られたのは心強かった(こうした行為、及びその概念に対する彼らの長く続いた反応は、米国の聴衆にとっては奇妙に思われるものであることを、私はこの場で認めなければならない)。ボックス席に座り、ステージから1階席、クレーンカメラ、そして複数のカメラで撮ったHDスクリーンのハイライト映像まで含んだ全景を見る。多くのミクのファンかつアーティストが作った聴衆が親しんでいるヒット曲、World is Mineやポッピッポー、サウンド[ママ]、ロミオとシンデレラ、その他多く(どこかでミラクルペイントを彼女に演じて欲しかった)は、オープンソースな現象がほんの3年でどれほど広がったかを示している。そして特に歓迎された巡音ルカ、鏡音リン&レンの登場は、観客の熱狂をさらに高めた。センターステージに置かれたほとんど透過性のスクリーンに跳ね返るホログラフィックな投影機は、時にミクが踊りながら少し両端に近づくたびにその限界を示したが、同時にこの海外遠征の短い命に対する理解を伴ってある種の魅力ももたらしていた。
こうした話を正しい文脈の中に置くため、ちょっとした歴史を思い出そう――小さな子供だった私は、おそらくは地元の祭に毎年来ていたレーザーライトを使ったショーを見に行ったおかげでそれを一つの起源として啓示を受け、1980年代初頭に芽吹いてきた新たなテクノロジーに興味を抱いた。そのショーとは、要するに空気で膨らませたドームの中で音楽に合わせて行われたレーザーペインティングで、客は入場料を払い、床に置かれたたくさんのクッションの一つに腰を据えて15分から20分間、まばゆい光の列と、ミッシング・パーソンズやトーマス・ドルビーなどのアーティストの曲に合わせたアニメーションを楽しんだ。今となっては原始的なものに思える――ミュージックPVはいうまでもなく、コンピューターが生み出すアートとアニメーションにつながる想像まで至るには長い道のりがあった。また、こうした地味な傾向が存在しなければ、84年のマクロス映画における楽しいコンサートシーンもある種心を揺さぶるほどのパンチ力は持たなかったと敢えて言うこともできる。私が思うにそれは時代の刻印であるが、同時にライブエンターテインメントがどのように変化していくか数十年にわたる発展を知らせるものでもあり、おそらくは音楽芸術の愛好者がいずれはあるところで分裂に至ることまでも示唆していた。
なぜならこの時代に育った者にとって、アナログからデジタルへ向かう音楽の傾向が何か恐るべきものとみなされ、音楽業界で排斥されたことが一般的な心象として残されているからだ。子供の頃にクラフトワーク、デペッシュ・モード、ジョルジオ・モロダー、YMOやソフト・セルなどのファンだった者にとっては、誰かがシンセサイザーの人工性を嘲り、音楽の自然さを殺すと聞かされるのは珍しくもないことだった。そしてこの議論の中に何粒かの真実が含まれているとしても、それは一方で、当時は多数のコンピューターと故障の懸念とショーを乗り切るためだけに間違いのない注意深さを必要としたこれらのかさばったキーボードから音を創り出す人間の努力と創意工夫を、台無しにしていた。最終的にこの否定的な議論は多くの未来の音楽及び演奏形式に付きまとい、興味深い結末をもたらした。それはまたミクのライブ伴奏をこれほど楽しく必要な要素にもした(ギターの黒田晃年、ベースの田中晋吾、ドラムの折田新、キーボードの安部潤――言及すべき弦楽器部門を除く。いずれもとても素晴らしい)。スタジオミュージシャンは、あらかじめ簡単に録音することもできる演奏に大いに心をこめることになる。新たな道具を愛するアマチュア音楽家と、伝統的なものとの融合実験によって、このショーはさまざまな要素を混ぜたある種の喜んで受け入れられるシチューとなり、ときにいくつか二級品の歌があったにもかかわらず、既存の姿ではなく可能性を約束するものとして機能していた。――以上がショー全体で私が本質的に感じたことだ。
誰も見失わなかったよう望むのなら、この最終目標へと向かうDNAを手に入れることが私にとってベストなのだろう。なぜLAのショーはこれほど意義深いのか、そしてVOCALOID、ミク及びこのようなショーが持つ主要な意味あいとは何か。
さてこれは真に落とし穴的な回答である。なぜならアイドル歌手という概念及びヴァーチャルアイドルに伴う必然的結末まで考えを煮詰めるからだ。我らが今いるのは現実に近づいたキャラクターアニメーションの時代というだけにとどまらず、オープンソース化した大衆文化の可能性がある時代でもあり、我々はオタクの領域を超えて全く新しい何物かになるまで成長しうるアイデアをおそらく目撃している。YAMAHAが今年のNAMMショー[米国で開かれる楽器展示会]で多用途VOCALOIDを紹介したのを見ても、現状はメディアを通じた古い分配モデルが不可避の断末魔を上げるところに達したと敢えて見なせるように思える。スペイン製のソフトから取りだした一つのアイデアを、音楽作成のための輝かしい新たなモデルへと広げ、そして数が多すぎ、時に厄介な日本のアイドル歌手業界を考えた場合に多数の集団に働きかける天才の発案に過ぎないマーケティングにまで、拡大する。終わりなき競争、怪しげな才能、さらに怪しげなマネジメント、生死にかかわる健康上の危険、類似性、そして夢想を維持してほしいというファンからの圧力に満ちた困難な人生――そう、こうしたマーケティング方式とファンに駆り立てられた神話が混じり合って音楽のスーパースターたちにかくあるべしとする任務を押しつけるのは、それこそVOCALOIDにとって理想的シナリオだ――しばしば置き換え可能で、派生的、はかなく、言うまでもなく消耗品であるミューズたちが、変化もましてアイデアも嫌う文化産業のために存在している。
考えてもみてほしい。マイルズ・ダイソンの言葉を言いかえるなら、これこそ決して疲れることなく、興奮状態にもならず、二日酔いで仕事に出てくることもないアイドルだ。彼女はショーを続けなければならないことを知っており、一瞬のうちにコスチュームを変えられる。何よりファンが歌を作り、バンドが彼女の横で演奏しているという2つの理由で、その歌は偉大である。過剰な荷物と期待を持つことなく、アイドルが実行すべきだと期待されるあらゆることをする能力を自ら持つミクの存在そのものが、ある種の輝かしいアンチテーゼなのだ。彼女は文字通り、何でも人々の望み通りになれる。汗一つかくことなく。
そしてこれほど目立つ歓迎を伴う西洋への紹介は、日本人にとってだけではなく夢を共有できる分野を長く求めていた世代にとっても何か極めて特別なことの始まりであり、過保護にされることなくさらなる発展が期待できる約束されたスタートだ。そしてこの夜の感動的な聴衆たちから判断する限り、長きにわたる憧れはついにその実を結んだようだ。
イヴ、シャロン、レイ……君たちの歌がますます現実に近づいてきた……
+++++無断翻訳終了+++++
言うまでもないがシャロンはマクロスプラスのシャロン・アップル、レイはギブスンの小説に出てくるヴァーチャルアイドル、投影麗(Rei Toei)である。
初音ミクLAライブ、外国人感想その2「再生の約束」フリーダム訳
http://anond.hatelabo.jp/20110708223459
初音ミクLAライブ、外国人感想その3「ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!」
http://anond.hatelabo.jp/20110709211718
初音ミクLAライブ、外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来の音色」
http://anond.hatelabo.jp/20110710234300
初音ミクLAライブ、外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」
http://anond.hatelabo.jp/20110711212701
初音ミクLAライブ、外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマスと世界征服」
http://anond.hatelabo.jp/20110712205546
初音ミクLAライブ、外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」
http://anond.hatelabo.jp/20110713211501
初音ミクLAライブ、外国人感想その8「ミクノポリス:コンサート・リポート」
http://anond.hatelabo.jp/20110714210122
初音ミクLAライブ、外国人感想その9「アニメ・エキスポ:初音ミク」
http://anond.hatelabo.jp/20110715222900
初音ミクLAライブ、外国人感想その10「アニメ・エキスポ2011(抄訳)」
http://anond.hatelabo.jp/20110716194029
初音ミクLAライブ、外国人感想その11「世界は彼女のもの:初音ミクはいかにして全てを変えたのか」
http://anond.hatelabo.jp/20110717201147
初音ミクLAライブ、外国人感想その12「アニメ・エキスポ2011でのボーカロイド体験」
http://anond.hatelabo.jp/20110719031316
初音ミクLAライブ、外国人感想その13「ミク:日本のヴァーチャル・アイドルとメディア・プラットフォーム」
興味を持ってもらえたようでうれしい。
石炭を燃やして大気汚染っていうのは日本では1980年代くらいまでの話で(中国ではわりと最近でも問題になっている。もっとも向こうは暖房や炊事に使うからね)、いまどきの石炭火力が排出するSOxとかNOx(とか水銀とかその他諸々)のなまの濃度はかなり限界まで引き下げられているから、そういう意味では従来とあまり変わらない。
石炭火力は、少なくともLNGみたいな、あるいは太陽光発電みたいなクリーンな発電方法ではない。熱効率が上がった分だけしか排出量を減らせない――それでもIGCCにすることで少しは減らせるわけで、微粉炭発電よりはマシなんだよね。だから火力発電を増設するなら石炭IGCCしかない。いや、そりゃLNGでIGCCの方がいいんだよ。熱効率も。ただ、原発代替に向けてLNGの輸入量を増やせるか、っていうと政治的な問題もあるしLNG輸送船を増やすところからはじめなきゃいけないんでなかなか難しい。1割2割増やすことは可能でも、原発代替の需要を満たすのは無理だと思う。その点、石炭は輸送しやすいし増産の余地もあるから石炭IGCCを押してるんだよね。
オサマ・ビン・ラディンは自分の手に視線を落とすのが常だった。
通訳を好まない彼がインタビューで伝えたのは、その顔と裏腹な言葉だった。
2001年9月11日「ゴミのように」空を舞う不信心者を見て自分は心から愉悦を覚えた。
自らの手を血に染めることはほとんどなかったが、
愛用のカラシニコフはアフガニスタンの戦闘でロシア兵から奪ったものだという。
サウジアラビアのアメリカ基地、イエメンのアメリカ軍駆逐艦、ケニアとタンザニアのアメリカ大使館。
いずれの場合も「子供たち」の攻撃を遠方から見届けるのが彼の常だった。
賞賛されるテロリズムも批判されるテロリズムもある、と認めながら、
これは「聖なるテロ」だとしてイスラムを擁護した。これはイスラムを守る「聖なるテロ」だとした。
9/11について当初は関与を否定したが、誇る気持ちが強くなったのか、
同胞19人を指揮したことをのちに認めた。
建設業こそが50億ドルといわれる富をビン・ラディン家にもたらし、2500万ドルの遺産を彼に残したのだ。
1980年代に購入した掘削機、ダンプカー、ブルドーザーをときには自ら運転しながら、
アフガニスタンでソビエトと戦うムジャヒディンのための塹壕を掘り、
それは1989年の不信心者らの撤退まで続いた。
1990年代に逗留したスーダンでは、道路を作ったこともある。
アフガニスタンでゲストハウスを作り、武器を提供した際に作ったのが、マクタブ・アル・キダマト(「サービス部局」)、
この仕事の大半を支えたのはアブドラ・アッザム、彼の宗教的恩師だった。
そのネットワークは以後、アイマン・アル・ザワヒリらによって引き継がれたが、
個々の人員登用、到着期日、戦いの大義などを多数の文書に残したのはまぎれもなく彼だった。
彼は自らが行った非道を伝えるメディアに目を配り、世界の報道機関を手玉にとった。
ブランドを作り、組織を世界規模のフランチャイズに育て上げた。
「アル・カイダ」の旗を持つ兵士が二人いればアメリカの将軍が押し寄せてくる、と彼は誇らしげに語った。
電話もインターネットも時計すらも追跡の恐れがあるとして触れるのを避け、
それは、成功を収めた堅実な投資に現れていたのと同じ注意深さだった。
沈思黙考して夜を明かし、一日を読書に費やすこともあった。
礼儀正しく敬虔な御曹司が到達したのは、知識人でも夢想家でもなかった。
それをもたらしたのは、1982年レバノンに侵攻したイスラエルと、
1990年、サウジアラビアの聖なるメッカとメディアに到着したアメリカ軍だった。
不信心者を追い払い、
パレスチナを成立させ、
それが彼の望みだった。
一言に洗練させるとすれば、暴力に訴えるジハドと言えただろう。
彼の言い方では、目には目を、の「相互主義」を実現させること。
五人の妻のうちの一人によれば、彼にはこんな一面もあったという。
BBCワールドサービスが好きで、毎週金曜には友人とハンティングに行く。
ときには、預言者ムハンマドのように、白い馬にまたがって行く。
彼は、そうなぞらえられるのが好きだった。
人生で最高のできごとは全能の超大国という神話をジハドによって打ち砕いたことだと、彼は言ったという。
十年以上に渡ってその首にかけられた賞金が彼を縛ることはなかった。
トラボラの隠れ家や山々を渡る護送車への爆撃も、
アラーによって御される彼には届かない。
アメリカ人が生を愛するのに対し、ムスリムは死を愛するのだと彼は言った。
十字軍の特殊部隊に対して彼が抵抗したかどうかはさだかではない。
いずれにしろ、その弾丸は彼を讃えるものでしかなかった。
最重要指名手配のテロリスト、オサマ・ビン・ラディン、5月2日、54歳で死す。
Obituary: Osama bin Laden, the world’s most wanted terrorist, died on May 2nd, aged 54
May 5th, 2011, The Economist
なんか気分悪いなーと思って、さっきまでその理由を考えていたのだが、
1980年代の初め、小学生だった私は学研の「学習」と「科学」を買ってもらっていた。
あの頃、周りの小学生のだいたい1/3ぐらいが、学研のおばちゃんに「学習」や「科学」を届けてもらっていたのではないかと思う。
当時「科学」の裏表紙、表4の広告には東京電力と思われる原子力の記事広告がよく載っていた。
原子力空母が日本に寄港するのはよくない云々、などのニュースが流れていたり、
学校の図書室には「はだしのゲン」があって「きもちわりー」とか言いながら読んだりしていたし、
国語の教科書には、必ず一編は「原爆」をテーマにしたものが掲載されていたりしていた。
要するに、1980年初めの千葉県の公立小学校に通っていた私は「核=悪」と思っていた。
だから、親も推奨する数少ない雑誌「学研の科学」に、それも目立つ裏表紙に「原子力素晴らしい!」って書いてあるのは何か変。
そこでたぶん10才ぐらいの私は父に聞いてみたのだ。
「原子力=原爆なんでしょ?違うの?怖くない核ってあるの?学校と「学研の科学」どちらの言い分が正しいの?」。
それが東京電力の”広告”であることなど、小学生に理解させるのは無理だろう。馬鹿だったし私。
でも父はそれは実は広告というものである、ということ、それから
それが広告であれ中に書いてある読み物であれ、テレビのニュースであれ学校の先生であれ、
人が話していることが必ず正しいことを言っているわけではないこと、
いろいろな人がいろいろな立場でものを考えているのが、この世の中であるということ、
人の考えをよく聞いて、自分で何が正しいかを考えることが大切だということを、教えてくれた。
父がかなり苦労していたのは子供心に分ったので、鮮明に覚えているのだ。
そういうわけで、私はべつに東電に騙されていた訳じゃない。
清志郎が歌ったように37ケだった原発も、その後まだ増えたらしいが、選択権がないのだからしょうがない。
その後バブル景気があってバブルが崩壊して、新党ブームなんていうのもあって、
原発とかはなるべく嫌だなぁと漠然と思ってはいたけれど、選挙権を得た時には
55年体制とやらも自民の一党支配とやらも、なんかもう形にはなっていなかったと思う。
大学で左翼運動の人も見かけたが、どう考えたって胡散臭いとしか思えなかったし、
私の周りでは、成績優秀者で「官僚になりたい」「政治家になって世界を動かしたい」なんていうのは
ほとんどいなかった。
まれに居ても、官僚になりたい子や政治系の活動をする子の方が、頭が残念な子が多かった気がする。
まぁこれは私見ですけれども。
私は大人になり、今となっては悔しい限りだが、政治や選挙などに関心が無くなっていた。
それは本当に後悔することではあるけれど、私が選挙権を得た時にはもう原発たくさん建ってたんだよ。
少なくともチェルノブイリの事故があったときに、選挙権があった大人たちは、
どうして止めてくれなかったんだろう?
ちなみにwikipediaによると斉藤和義さんは1966年生まれ。チェルノブイリの時には20才。
彼は本当に今まで、ずっと騙されていたんだって言うのだろうか?
私に選挙権が回ってきたときには手遅れな時期だったけど、それでも「騙された」なんて思えないけど。
父は団塊の世代よりも10は年上で、共産党員でも社会主義革命を目指した人でもない。赤旗は毛嫌いしていたのでたぶんそう。
それについても「お父さん、日本が共産主義国になればいいと思っているの?」と聞いたことがある。
「共産党に票を入れるのが、今に問題があるということの意思表示だからだ」
「お父さん、白票とか選挙ボイコットとかじゃだめなの?共産党ってなんか恥ずかしくない?」
「白票や選挙に行かないと、意思は示せないのが今の法律だから、行くんだよ」
私はノンポリを気取っていたけれど、何回かの選挙では「反対票」を入れてきた。まぁ効果はなかったけどね。
私は、大人として何をすればいいかなぁ、と思いを巡らせていた。3日間。
少なくとも急ごしらえの反原発ソングを歌うことや、学生ノリのデモに参加することや、
twitterで「石原に入れないようにしようぜ!」ってつぶやくことじゃ、なさそうだ。
とりあえず明日は選挙に行って、正当に数えてもらえる票を入れてくること。
そのあとは、名残の桜を見にいく。
1980年代大阪府北摂地方の話。その後卒業と同時に関東に引っ越したのでその後不明。
職員室には、日教組の団結旗?が飾ってあり(おそらく教職員)の名前が書いてあった。
担任やってた先生が、いきなり担任外に外され、子供ながらに何が変だと感じていた。
相対評価の5段階評価でも3段階評価でもなく、絶対評価の2段階評価だった。
○と◎、できたか良くできただったと思う。×はあったかもしれないが、覚えが無い。
部落とか在日への差別を無くしましょうとか、彼らは弱者だから日本人が守る必要がありますとかそういった内容。
でも子供の間ではチョン校とむやみに関るなというのがルールだった。
何でかというと電球口にくわえさせたまま顔殴るとか、俺らのルールでは禁じ手とされている内容を普通に使うのが、彼らのやり口だったから。
なので、差別してはいけませんと言われても、無理だよという空気。
今思うに、土地のルールを守らずに自分勝手に振舞えば、そりゃ元からいた連中に嫌がられる訳だし、そこにいるならルール守るようにするのが先だろうと。
いやなら帰れなんだから。
少し前まで出ていた帰国船に乗らずに残ったのだから、土地のルールは守るべきだよな。
指導要綱には無いと思う、どこぞにハングル教えている小学校があるそうだが、そういったものは裁量の範囲で教えていると思いたい。
お返事遅くなりました.気が付いたらいろいろ話が展開しているみたいですが,素直に返信.
ちなみに私はアンチ原発派ではなく原発容認派です.なので原発=ダメ=即刻停止という考え方はしておらず,代替できるものがあればそちらに移りたいと考えているだけです.
原子力発電所のリスクなんてあんなもんでしょ。今まで運良く一人残らず目を背けていられたってだけで。
もっとも、仮にあそこに火力発電所が建っていたとしても、重油の流出やら火災やらでやっぱり相応に被害を周囲にお呼びしていただろうし。
「リスクなんてあんなもんでしょ」とのことですが,私が質問した「リスクのコスト」についてはどうでしょう.今回の危機は想定の範囲内であり,原発のコストパフォーマンスを活かして得たお金で万全の補償ができるので誰にも文句は言わせません,壊れた原発は直すだけ,原発はこれまでどおりです.と,考えているなら,「リスクなんてあんなもんでしょ」とのとおりですが,原発推進派?の方々だって,
という具合にリスクのためにかかるコストを高く再計算しているわけですよね?この原発の最大の利点であるコストパフォーマンスについて,推進派さえも再計算が必要と考える状況において(しかもその原因が最大の欠点である原子力の危険性),原発との付き合い方に再考の余地はないのか?と考えるのは決しておかしい話ではないと思いますが.
俺が言いたいのは、
じゃあ仮にずーっと火力発電オンリーだったら、日本は今と同じような繁栄を享受できていたのか?
今から火力発電に切り替えたらそれで全部解決なのか?
だよ。
今回の議論の中で「原発は不要だった.あれがなければ日本はもっと良くなっていた」なんて話をしましたっけ.私はそんな考えは全く持っていませんが,もしそのように受け取れる発言をしていたらすみません.
私が呈した疑義は「今回の状況を見ると,原発の合理性について再考する余地があるのではないか?」そして「太陽光発電と省エネは考慮するに値するものではないか?」です.
電子力発電所が建ち始めた1960年代の専門家の評論とか色々漁ってみるといい。あちこちで散々に議論され尽くされた上で「まあ原子力発電しかねえわな」と関係者達は渋々(一部は喜色満面に)承諾してる。最後まで反対し続けたのは社会党や共産党みたいなコミュニストの狗みたいなのばかり。
えーと,以下の話は1960年代の評論を読まずに書いています.すみません.
1960年代当時の判断を否定したいわけではないです.現実としてこれだけの繁栄を支えたわけですから.戦後15年で原子力を選択したという話ですが,これを聞いた時「そうなのか!」と驚きましたが,良く考えたら戦争突入の理由の一つが油の枯渇なんだから油からの脱却を狙うのは妥当な選択ですね.
そして当時,油以外のエネルギーの選択肢がどれだけあったかというと,太陽光発電の世界初の実用化が1958年,国内初の地熱発電所が1966年,風力発電にいたっては1980年代,ましてや省エネなんて戦後復興時に考える話ではないでしょう.原子力発電を選択するのは合理的な判断だったと思います.
http://solarsystem-history.com/history/his_1958.html
1954年に初めて太陽電池が発明されたものの、当時の太陽電池は大変高価なものでした。そのため現在のように一般家庭で利用できるようなものではなく、特殊な用途に限定して利用されていました。その“特殊な用途”として代表的なものに、人工衛星への電力供給が挙げられます。実は世界で初めて太陽電池が実用化されたのは、人工衛星だったのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%86%B1%E7%99%BA%E9%9B%BB
日本では1919年に海軍中将・山内万寿治が大分県別府で地熱用噴気孔の掘削に成功、これを引き継いだ東京電灯研究所長・太刀川平治が1925年に出力1.12kWの実験発電に成功したのが最初の地熱発電とされる[17]。実用地熱発電所は岩手県八幡平市の松川地熱発電所(日本重化学工業株式会社)が1966年10月8日に運転を開始したのが最初である。
http://www.nedo.go.jp/kankobutsu/foreigninfo/html9908/08229.html
風力発電は、1980年代にアメリカにはじまり、1990年代にはヨーロッパでの開発が大いに進展し、今や、インド、中国でも化石燃料に代わる、環境に無害な有望エネルギーとして大きくとりあげられている。日本では、1980年に試験用の40kWの風車が設置されたのが最初であるが、1980年代から電力会社等での試験・研究がはじまった。
繰り返しになりますが,別にいますぐ原発全部止めろ!なんて言うつもりもないです.上記に挙げた新エネルギーが原発とそっくりそのまま代替可能とも思っていません.しかし,このように1960年代当時には選択肢として存在し得なかったものが増え,そして今回のような事故が起こったた今でも,当時の合理的判断は再考の余地がないのでしょうか?
で,私の意見は太陽光と省エネと言うのは,まぁ一見すると鼻で笑ってしまいそうな話ですが,一考の余地があるのではないかと.以下,それを説明します.
今回の問題は「一カ所集中発電のリスク」と「原子力のリスク」が原因ですよね.で,元増田は前者についてはたくさん原発を造ること,後者についてはより性能のよい原発を造ること,で解決するという案を提案しています.今回のようなトラブルはより良い原発(ひいてはより良いエネルギー供給体制)のために避けては通れない通過点だ,と捉えるのは原発推進戦略としておそらくまっとうだと思います.
これに対する私の反論ですが,私は今回の事故を見て,どう頑張ったところで人の想定の斜め上を行く出来事は起きてしまう,と感じました.よって「原子力のリスクはどう頑張ったって抑えきれない」と考えます.そうであるならば,最悪の事故が起きた時にそれを最小化する戦略しかないので,あちこちに原発を作るという戦略はありえないと考えます.
もちろんこれは「原子力のリスクはどう頑張ったって抑えきれない」という前提のもとに成立しているので,それが解決されれば主張は変わる可能性が大です.あとは「最悪の事故が起きた時にそれを最小化」すればいいので,原子力が漏れても平気などこぞの奥地だとか月に原発を作るならokです.
人里から数キロしか離れていない,しかも津波も地震も台風も来るのが毎度,の土地に原発を作り,しかも旧式とわかってもなお動かし続ける,という現在のやり方はいくらなんでもリスク対策をケチりすぎじゃないかと.
で,一番最初の話に戻ると,太陽光発電と省エネに期待したのは,両者のリスクを持っていないからです.いろいろ言われていますが,やはり太陽光発電は停電時にはそれなりに役立ったようです.
あとビジネス的にも,原発も太陽光も(あと省エネも)日本に強みのある分野で,CO2絡みで注目されている分野ですが,今回の事故は前者には向かい風で後者には追い風です.
「計画停電で使用できない」 太陽光発電、操作周知にメーカー躍起@産経
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110321/biz11032101270000-n1.htm
家庭用の太陽光発電装置は、パワーコンディショナー(パワコン)という装置を使い、太陽電池で発電した直流電流を、家庭で使用できる交流電流に変換している。ただ、パワコンを動かすための電気は、通常、電力会社から送られる系統電力に依存しており、そのままでは日中発電していても、電気が使えない。
使用するためには、家のブレーカーをオフにし、パワコンに付属したコンセントに直接、電化製品の電源コードを差し込む必要があるが、意外に知られていないのが実情だ。
脱原発はまだ夢物語に過ぎないとしても,少なくも現在のエネルギー資源ポートフォリオを組む上で,今回の事故を「大丈夫だ,問題ない」とスルーするのはおかしいのではないか,原発(火力も似たようなもんだけど)が持つリスクとちょうど補完関係に太陽光発電(と省エネ)を現実的手段として考える良いタイミングなのではないか,というのが意見です.
まぁ本音は原発やめろじゃなくて太陽光やろうぜ!だった気もしますね.こうやって整理すると.太陽光について反対派は「割高でしょ」といい賛成派は「回りだしたら安くなる」という.今回の騒動で太陽光発電のコスト以外のメリットが見えたので,これを機にいっちょ太陽光電池にもチャンスを与えてあげていいんじゃないかと.
手間もお金もかかるけど、利益も大きい@産総研 太陽光発電研究センター
http://unit.aist.go.jp/rcpv/ci/about_pv/economics/benefit.html
太陽光発電は現時点では一般的な発電方式よりもまだコストが高いのですが、大量生産を進め、計画的に普及を図ることで十分に安くできると見られています。補助金や電力会社による買取などの助成策は、コスト低減と普及を進める効果があります。開発・普及には大きな費用と相応の年数が必要ですが、化石燃料の輸入と異なり、その費用は国内に大きな経済効果や雇用をもたらします(図2)。先行するドイツなどでは既に普及費用を遙かに上回る経済効果と数万人の雇用を創出し(*2)、これにならって欧州、さらには中東・アジア諸国や米国も積極的な普及に乗り出しています。
あと,当分電力不足が続きそうなわけですが,原発なんてそうそう作れないですよね.一方で太陽光発電は市販のソーラーパネルを買えばすぐに発電所のできあがり.太陽光発電では昼間だけという問題はあるが,ピークはむしろ昼間にあるんだからそれを避けるのには十分貢献するのでは.
どうやって普及させるかという問題も,高速無料化とETC,エコポイントと家電,この辺の事例を思えば補助金うまく使えば可能では.あと気になるのは生産が追いつくかどうかだけど,それこそ元気な西日本で(がんがん電力使って)作って東日本に送ればいい.サンヨーもシャープもパナソニックも西の企業だしちょうどいいのでは.
http://blog.goo.ne.jp/daizusensei/e/4fdfb6bead84198c5ecbd05030cc142d
より抜粋
まとめると、総発電量で約3割、ピーク電力で約2割の節電によって、原子力発電所を止めても他の発電所の発電設備で電力消費をまかなうことができる。これはバブル経済をやっていた1980年代後半の電力消費量にあたる。なにか問題があるだろうか?
計算は大枠では正しいのかもしれない。しかしこの結論はひどい。
例えば1985年の実質GDPは2010年の65%でしかない(名目じゃ無く実質だ)。今すぐとは言わなくてもGDPが2/3の水準に落ちたらどんなひどいことになるのか想像がつかないのだろうか?
ただし
産業部門の電力消費はあまり増えていない。一方、家庭とオフィスなどの民生部門の電力消費がとても伸びたのである。
この指摘は傾注したい。産業界は技術革新などを通じて、「1kwあたり生産付加価値」などをおおいに増やしてきた。一方、民生用ではひたすらに消費電力を増やしてきた。電力需要の増大は80年代からは主に民生用途によるもので、90年代初頭にはついに民生用途の電力需要が産業用途を上回った。コスト面の要請から多いに節電技術を伸ばしてきた産業用とは対照的だ。民生用途についても「節電へのインセンティブ」を検討するいい機会なのではなかろうか。
The New York Times に 日本だからこそ、この被害で済んでるみたいな記事があったので意訳。
「Japan’s Strict Building Codes Saved Lives」
http://www.nytimes.com/2011/03/12/world/asia/12codes.html
日本では、海岸線沿いの防波堤から揺れることで地震の衝撃を吸収する超高層ビルまでが、世界で最も厳しい建築基準法によって建造されており、日本ほど地震に耐えうるよう準備されている国はない。
日本以外の国が、金曜日に日本を襲ったM8.9の地震に見舞われたとすれば現時点で死者は数万人となっていただろう。しかし、(後々増加するのは確実とはいえ)日本での死者は数百人である。
長年にわたり日本は数十億ドルを費やし、地震や津波に対する最先端技術を開発してきた。
2004年のインド洋大津波において海岸付近に居残ったことで多くの犠牲者がでた東南アジアとは異なり、定期的に地震や津波がおこる日本では定期的な訓練によって、日本人は地震や津波への対処法を心得ている。
日本の海岸線に沿ったエリア、特に過去に津波被害に遭ったことのある地域では、より最善の地震や津波に対する準備がなされる。地元当局は通常、各家庭に設置された緊急システムを通じて直接連絡を取ることができるし、主要な高台へ通じる避難ルートは明確になっているのだ。
日本は「tsunami」という単語を世界に広める程の国であり、1980年代から1990年代にかけては多くの地域で約40フィート(約12メートル)のコンクリート製の防波堤を作った。
加えて、沿岸部の町ではセンサーによるネットワークが構築され、全ての住居でアラームが鳴るようになっており、地震の際には自動で水門が閉まり、川を遡る波を防止する。港にも大抵の場合(避難用の)高台が準備されている。
しかしながら批評家は、防波堤は目障りで環境にも悪いという。彼らによれば、防波堤は誤った安心感を沿岸住民に植えつけ、定期的な訓練への参加を疎かにさせてしまう。また、住民から海が見えなくなる為、人々が波のパターンを観察できず、海を理解する能力が低下してしまうというのだ。
NHKによれば金曜日の津波は、いくつかの防波堤を乗り越えたという。しかし、今すぐには分からないが、防波堤か定期的な訓練、もしくはその2つの両方があったことで、人々は高台に非難でき、死傷者数を抑えられたのだ。
しかし、今日は徐々に被害が明らかになって、ホント悠長なこと言ってられなくなる気がする。
本当に被災地の皆さん頑張って!
http://d.hatena.ne.jp/tsumiyama/20110307/p1
子供の殺人事件が減っているのは事実で、厳密には人口当たりとか色んな尺度で見ないといけないけど、「悲惨な事件が増えている」というマスコミ等の情報はデマに近い印象が強いのでちょっとうんざりだが、こいつの主張はちょっと待て。
明らかに、1980年代などと比べても、いまどきの方が子供への監視は厳しくなって、保護者は目を離すな、が徹底している。
※例外とか地方差とかそういうのはあるが、日本全体でいえば明らかに厳しくなった。
昔なら子供だけで遊ばせていたのに保護者がつくようになったり、子供がほんのご近所の友達のうちに行くのにも保護者が同伴したり、子供だけで自宅で留守番させたり、ちゃんとしたデータを見たことがあって言うわけではないが、絶対に増えている。
※子供、とひとくくりにしたが当然年齢・学年によってさまざまだが、子供と呼ばれる範囲ならどの年齢でも多かれ少なかれ上記傾向があるのはかなり自信を持って言える。
さて、「子供の殺人事件」の発生率と、上記のような「子供の監視強化」の関係をまともに論証した研究は存在するのだろうか?いや、きっと探せばまったくないことはないだろうが、
「監視が今のように厳しくなかったらもっと犯罪が増えていた可能性」はないのか?
その可能性を理解しないで「子供から目を放しても大丈夫」と言ってしまうのは無神経ではなかろうか。
しかしながら、一方で、上記のような子供の監視強化は、明らかに保護者の負担を増やしている。(場合によっては保護者以外も)。少子化の原因はいろいろあるが、子育ての大変さも要因の一つではある。特に共働きと子供の監視の両立の負担の大きさはいろいろ言われるが、その要因の一つになってやしないだろうかという不安はある(唯一の原因ではないし、どれほど主要な要因かは資料を知らないが、要素の一つにはなるとは断言できる)。
「子供の保護」にかかっているさまざまなコストに対して、今の社会の傾向がそれにはたして見合っているのかどうか、ちゃんと検証されているのだろうか。
※昔に比べて子育てしやすくなった要素もあるのだが、その有無は今の文脈では結論に影響しない
実際問題、「子供保護社会」が「どれほど子供を救うのか」について、「じゃあどうすべきかなんて簡単じゃん」と言えるほどに明確な因果関係が研究で立証されることはたぶんない(殺人事件数の増減だけを例にとっても、それにはあまりに多くの要因が絡んでいて、風が吹けばおけ屋がもうかるとかバタフライ効果みたいな例を持ち出すまでもなく、これに限界があるのはどうしても仕方がない)。しかし、「子供の監視強化」が正しいのか間違っているのかについて、科学的根拠もなく印象論で向かっていく世間の情勢には大いに疑問を感じざるを得ない。
みんな、正気になってくれ。
「職場にエアコンが無い時代」と「書類は手書き」な時代ってどちらが昔か微妙な気が
Wikipediaによると
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%BB%E3%83%83%E3%82%B5
1980年代になると、価格も下がり、大手企業へ導入され始め、1980年代後半には30万円以下にまで下がり、ワープロ専用機は、持ち運びが可能な大きさまで小型化されたパーソナルワープロとして、中小企業や個人への導入が始まった。
だそうで。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E7%B7%9A%E5%91%BC%E3%81%B3%E5%87%BA%E3%81%97#1968.E5.B9.B4_-_1985.E5.B9.B4.E9.A0.83.E3.81.BE.E3.81.A7
昔のポケベルって巨大だったよね。
が発表された。当時は現物を置くだけだった店のサンプル
だったが腐食しないこのサンプルはおおいに受け
瞬く間に全国へと広がった。
この「カレー1号」の成功を受け各社こぞって食品サンプル業界に参入した。
「米の照りのためのグロス」や「肉の食感再現スプレー」はその主たる例である。
震撼させた。そのリアリティある材料は「ラーメンサンプル(スーパー)」
「蕎麦4号」など後世に語り継がれる傑作を続々と
誕生させることになった。そのあまりの質感により
「本物と見間違えた。まさにジャパニーズクォリティ」
とニューヨーク・タイムズでも賞賛されるほどであった。
そのクォリティーの上昇は留まることを知らなかった。
1980年代後半には世界初となる可動型食品サンプル「天そばと
牛丼」がリリースされ可動型食品サンプルブームの火付け役となった。
はガチャガチャでも入手できるようになった。
女子高生やOLが携帯ストラップやアクセサリーに食品サンプルを
使うのはもはや常識でとなった。
このように私たちの日常になくてはならなくなった「食品サンプル」
ではあるが、様々な社会問題を内包することになった。
だから君は前提がわかってないと言ってるんだよ。
君は正社員だろう、
でも世間には正社員じゃない労働者がもういーーーーっぱい居る。
君は終身雇用や年功序列を(あと今の会社の継続性を)信じられるぐらい恵まれた会社に居るんだろう。
でも世間には酷い環境の会社の社員がもういーーーーーっぱい居る。
そして何より!
1980年で20代と50代の給与が1.5倍しか差がなかったのに対して、2010年では1.7倍に広がっている。
30年で少しだけ広がっている。
今の20代が盛大に貧乏くじ引いて、昔の20代よりずっと少くしか貰ってないからこうなってんだよ!
中高年を中心に既に正社員の椅子に座ってる方は現状のまま何やっても高い給与、
若者は非正規に落ちていき不安定な雇用で年功序列も終身雇用もありゃしない。
な?
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/bohemian_style/20101014/p1
ブコメみてて思ったんだが、まず正社員になれない若者が増えてるのが問題ってのはみんな意識が同じ。
でもそっから先が変。
世代間格差は是正されるべきとか言っちゃ駄目じゃね。どんどん広がってくれないと。
1980年で20代と50代の給与が1.5倍しか差がなかったのに対して、2010年では1.7倍に広がっている。
30年で少しだけ広がっている。つまり、1980年代に20代だった若者は、現在50代になって、あの頃の50代よりも多くもらえている。
世代間格差が縮小する(つまり、50代が20代の給与に近づく)傾向を示すということは、
つまり年を取っても貰えなくなると言っていることと同じ。
でも、未来は(つまり40代になったり50代になったら)沢山もらえると思うから帳尻があう。
それは維持しないと。
というのは、とりもなおさず、若者は年取ったら簡単に給料を減らされます(クビにされます)、と言っているのと同じ。
それじゃやる気も出ないだろう。職を奪った相手は未来の自分だ。
賃金カーブは変えない、年功序列は止めない、そういう保守的な会社が就活生に最近人気なのは、それを何となく感じてるからじゃないかな。
これは、サービス残業がいっこうに無くなってゆかない理由でもありますね。
互いに強要し合い、心では悪いと思っていても、互いに強制し合う。
本心では悪いことだと思っているから、表だっては言えないし、
後ろめたさから、そうしなければならないと言えるだけの言い訳を
様々に準備することになる。精神の平穏を保つために。
雇用の差別待遇が改まらないのも、最底辺に居る者以外は、必ず、
|← 加害者 →| |
| |← 被害者 →|
|a|← 多数派 →|b|(少数派a+b)
この大多数の間の共犯関係が崩れない限り、幾ら法整備しても、
純粋な被害者が圧倒的な多数派にならない限り、民主主義(多数決主義)国では、
法が改まることそのものが、起こりえないのでしょうけれども。
すでに色々あるにはあるとしても、
罰則のない法を作っても、実効性が無いから、所詮はアリバイ造り。
ホリエモンを潰したみたいに、サビ残・ブラック企業を、一罰百戒で
見せしめにでもすれば、効果はあるだろうけれど、絶対やらないだろうな。
いや、仮に行政が動いても、マスコミほど酷い状態なんだから、やっても報じないか。
一番の近道は、パート・アルバイト&派遣労働が、国民の半数を超えること。
これに危機感を覚えた支配層は、建前のキレイ事で雇用の立て直しを
唱っていますが、完全に無くす気は、まず無いでしょう。
彼らが多数派にならないために、これ以上増やそうとはしないだけ。
選挙行かないバカが居るから半分以上に増えてもOKなはずなのだけど、
上にいながら下に温情をかけるバカもいるから、そのへんは折半。
読みを間違えたからか、欲に目がくらんで拡大させ過ぎちゃったからか、
政権交代が起こっちゃったけど、すでに(麻生時代の)対策は効いてきているから、
再びネジレにまでは引き戻せた。
これからは、上流・中流・下流の安定的でありながら下流を最大化する
最適値の算出を行っている段階だろうな。
|←‥‥共犯関係‥‥‥→|
|上|←‥‥中流‥‥‥→|←‥‥‥下流‥‥‥→|
|‥‥‥ギリ多数派‥‥‥|‥‥ギリ少数派‥‥‥|
___________←|→微調整
↑上で図示した理由により、ここは幾らでも最大化できる。
「中間層の厚みが大事」という言葉の持つ意味が、1980年代のそれではなく、
別の理由にすり替わってゆくはずだと予言しよう。
話が逸れまくりすぎかw
ゴメンメモ用紙がなかったから一時的にコピペさせてもらう。後で消す。
ttp://bipblog.com/archives/1006525.html
「navrasa(9つの情緒)」という文学的価値観に基づいてるんだよ。
だから登場人物の生い立ちや、人間関係の細やかな変化とか、
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カースト制度については
カーストは決して古いものではなく、ヴェーダの時代も、イスラームが侵入してきた時も、
英国統治時代でも、その時代時代で常に変容し新しくなってたし、現在でもなってる。
「カースト」が無くなれば、また新しい言葉や概念を引っ張り出して新種の差別を生むだけ。
今のインドでは留保制度という被差別層の逆差別問題が事をややこしくしてる。
あと日本の世界史の授業での「カースト」の扱い方にはかなり問題がある。
限られた授業時間で扱うには複雑過ぎることは理解できるけど、
そもそも教員自身の理解が浅くて、それがインドに対するステレオタイプを助長させてる。
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ガンジーさんに関する評価は、日本とインドでは正反対と言っていい。
独立後から主流な評価は、
「建国の父という功績は揺ぎ無いが、工業化を阻んだ時代錯誤の石頭で、
パキスタンの分離独立を許し国家の安全保障を半世紀以上脅かす契機を作った大馬鹿野郎」
という扱い。
ネルー:
五カ年計画の頓挫、農地改革後回し、
ヒンディー語なり英語なり統一共通語をゴリ押ししなかった言語政策での失敗、
駄目な点は色々あるけど独立後インドでは最も評価されてる政治家。
個人的に一番の功績はインドの文系トップ大学のJNU作ったことだと思う。
獄中で書いた「インドの発見」を読んで、ネルーさんの民主主義への情熱がひしひしと伝わってきた。
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違和感のあるディテールが積み重なって、インド人的にはあまりにも不自然過ぎるし、
「いかにも外国人がインドに持ってそうなイメージに合わせました」臭がプンプン。
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サリー巻き込みガードがついてるのを見たときは感動した。
インド人もみんなあれを褒めてる。
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日本のインド料理屋で本当に美味しいと思ったのはこの一軒だけ。
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遠藤周作 深い河について
インド人として脳味噌空にして読めば「いつものステレオタイプだなー」という感想しか出ないけど、
登場人物の心情を投影するためにたまたま題材として選ばれた一装置と割りって考えると、いい作品
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パキスタンからのバングラデシュ独立に絡んだ第三次印パ戦争(1971)になるんだけど、
でも近代史上インド人の意識の上で重要体験は、第二次印パ戦争(1965)と独立直後の印パ分離独立。
朝鮮半島は政治イデオロギーで国家が分断されたけど、印パは宗教。
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その際、魚介類エキスが原材料に入ってる事だけは絶対事前に説明していたけたら
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「ガタガタ抜かすパキスタンさえいなければ、バングラデシュはインドに再編入して
貧困の痛み分けして助けてやれるのに」と考えてる。
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それに対する悲観論と、その裏返しとしてエンジニアリングに対する過剰な地震と両極端。
自分は純粋に技術的な話題に言及する知識を持ちあわせてないけど、ナノに関しても同じ議論。
「走る棺桶」と声高に罵る人と、枯れた技術を応用し高コストパフォーマンスを生み出す能力は
世界随一と賞賛して反論を許さない人たちとの罵り合い。
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蛇のとぐろっぽい形のターバン巻いてる人は宗教とは無関係で、ラージャスターンの人。
1980年代にハリヤーナー州がパンジャーブ州から独立しようとして、
パンジャーブの治安が著しく悪化した時期に、米国に移住したパンジャービーがすごく多い。
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インドではゴロゴロ宝石採れるから、本物の石が日本円で数百円~という信じがたい値段。
で、家族の健康とか金運等の目的とその人の星座の位置との兼ね合いで切な石が決まる。
それを指輪やネックレスに加工して男女を問わず身につけてお守りにする。
宝石屋店内に星占いのソフトがインスコされたPCが置いてあったりする。
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インド人からみた日本の宗教は日本は土着のアニミズムと仏教の習合。
儒教は科挙制度が無かったから儒教と権力が結びつかずに、知識人の一教養の枠を出なかった。
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『「欝は誰でもなる」「虐待だめ」「イジメ駄目」そういった標語を
全部「家族仲良くする方法考えよう」に一本化すればウザイぐらいの効果を発揮する。
犯罪、虐待、すべてはパパとママが互いを尊敬する気持ちを忘れ、
罵り合ってる姿を見た子供が大人になり引き起こす』
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時代の分析で一番重要な前提は、インドにとっての独立=パキスタンの分離独立、
それと数千万人単位で発生した難民の扱いが最重要課題だったので、英国や大戦云々どころでは無かったこと。
日本人が韓国ほかアジア各国への賠償問題と印パ英国比較する際に、これを見落としてる人が恐らく相当いるんではないかと。
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一貫してオンリーワンさせてもらってます。
日本に対しては、プッっていうか「あ~……」という落胆
インドの望みは当時も今も一貫して、米国&西欧の側でもない、共産主義でもない、
それに一番近いのが日本だった。
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日本はリーダーを選ぶのが下手だし、選ばれたリーダーはシステムを劇的に改革するだけのパワがー無い。
しかし逆説的に言えば、ショボショボなリーダーでも驚くほど安定して機能するシステムの堅牢さは奇跡。
トップの采配如きでシステムが劇的に変わってしまうようでは、法治国家としてどうなのか?
と考えた時に、笑うどころか、日本のシステムからはまだまだ大いに学ぶ所はある。
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昨日まではシャンカルと名乗ってた人が今日からはトーマスといったように、
[外見]と[中身]を結ぶ思考経路の距離がべらぼうに短いので、
肌色、服装、靴といった外見で人をするのはごく自然な行為であると同時に、
例え身につけた外見が背伸びの結果の付け焼刃であっても、
一度身につけたからにはその外見にふさわしい中身を身につける為に途方も無いエネルギーを費やし、
その為の努力を惜しまない。
つまり、先に高い目標を設定→急ピッチで追いつき、というパターン
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宗教と生活の兼ね合い、食事習慣(料理そのものではなくて)、オタ文化への理解
この3つ。
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イギリスがインドに謝罪した事はありません。そして謝罪や賠償を求めるような教育も行ってません。
その理由は、法に照らした結果インド支配のプロセスに違法な点は無く、英国支配によってインドの資産が失われたことを
立証できず、賠償を請求できないというのがひとつ。
同様に、インド帝国として英国の戦争に付き合わされインドの資産が失われたプロセスにも、何ら違法な点がなく、
これもまた賠償を請求できないというのがひとつ。
つまり要求する権利が無いのに賠償よこせ!と促す教育をは、そもそも無意味
理由2つ目。インドは英国から独立するために、英国の保護が無くても民主主義と法の適正手続を守り抜くと
国際社会に約束する必要がありました。すなわち法的根拠をもたない賠償請求を行う=法の適正手続に反することは
悲願であった独立と、インド人の目指す民主主義国家としての理念と矛盾する行為であったのです。
勿論インドも道義的責任を追求したり、言いたいことは色々あったでしょうが、法をねじ曲げて頂戴する賠償と、
恥じることのない民主主義国家として、国際社会から敬意をもって受け入れられる事を天秤にかけた結果、