はてなキーワード: クリエとは
研修を終えて、いまの営業部に配属されて3ヶ月が過ぎた。
営業現場のビジネスモデルは研修現場で学んだものとは全く関係がなく、
営業現場のルールは採用現場が唱えているグローバルとかダイバーシティとかにも全く関係がない。
他の会社にも当てはまると信じているが、修正点があれば指摘して欲しい。
社長:株主に対する責任があり、会社を守るために、数々の「言い訳」を作る。
(それが本当であっても、嘘であってもよい。)
事業部長:社長の方針に近い形で事業部方針を作り、数字目標をたてる。
(たいてい方針も数字も前年を踏まえた形で作られる。社内の部長報告や社外の重役との会食が仕事。)
部長:営業部毎に数字が与えられており、その数字の責任者となる。
(上とは調整、下には強制である。ただし、下のトラブルには部長が対処する。)
課長・係長:上の立てた方針は営業現場に適用できないので、目先の計画をたてる。
(上から「宿題」を与えられたら、それに答える。雑用は末端にどんどんやらせる。)
係長・末端:タスクがどんどん降ってくるので、残業してでも終わらせる。
(課長・係長は指示をするのを嫌がるので、末端は課長・係長の指示を予め予測する。)
つまり、現場は現場で動いており、会社全体と現場は別物、という印象である。
入社前は上述した日本企業的ルールに従う全てを「社畜」と言っていたが、
こうしたルールから逸脱した途端、会社からパージされる。ルールに従わなければ会社にいる意味がない。
知り合いは、「海外に行きたい」と言ってドメスティックな部署に配属されたり、
「上司が無能力」と言って閑散とした新設部署に配属されたりしている。
奴隷になりえない「わがままなやつ」は扱いにくいからパージする。
ただし、こうしたルールのもとで前例踏襲が横行し、社内変化がなく、景気変動に一喜一憂しているように見える。
現場は現場で動いており、会社内が縦割り、サイロ化しているようにも見える。
ここで、クエスチョン。
採用現場でいう「グローバル」や「クリエイティビティ」など含む「異色の人材」はどこで活かされるか。
学歴採用、リクルータ採用や推薦採用では「一色の人材」になってしまうため、オープン採用に変化したはずだ。
ところが、現場では「一色の人材」が求められているような気がする。
異色の人材はどこに消えたのか。あるいは、どこに生きているのか。
ローレンス・レッシング教授は「著作権による規制強化は文化の自由を奪う」と主張している。
最近は著作権を絶対視している人があまりに多いのでレッシングの文章を引用する。
Freeであることによって写真市場は爆発的に広まった。つまり権利でしばらかったからこそ普及した。
権利を主張しすぎると技術の普及の阻害になる。同様に、著作権を主張しすぎるとクリエーターはいちいち許可を得なければならなくなりクリエイティヴィティが邪魔される。
著作権の仕組みは技術に依存するので、技術が変われば法律も変えなくてはならない。法律を新技術に対応させる必要がある。そして、アーティストやクリエーターの創造性を守ることが重要だ。
これを規制することは意味があるのかどうか。著作権は必須であるが、だからといって文化の多様性や広がり、クリエイティビティが阻害されてはならない。
しかしアメリカの現状は、「知的所有権に反対するものは反アメリカ的」というムードがあり、「IP(Intellectual Property)マッカーシズム」とでもいうべき状況になっている。規制が強ければデジタルマーケットは飛躍的に伸びることはできない。市場は成長するもの、その伸びはかなり鈍いものとなる。
「許可の文化」ではいけない。文化の自由を守るために、意味のない法律を取り除くことが重要だ。そのためには極端主義、つまり知的財産権のマッカーシズムを止めなくてはならない。われわれはバランスの取れた議論に戻らなくてはならない。
http://homepage.mac.com/m_wada/iblog/B459371987/C497267768/E64586440/index.html
CD買い厨とか情弱とか、割れ厨とかインターネットの先進ユーザーだとか、カスラックとか、
クリエーティブコモンズとか、フリーエコノミーとか音楽やアプリの入手に関してはとかく
いろいろな、多くは極端な意見が出てくる。なのでどの立場をとったとしても、その違う
それを承知で言ってみるんだが、ユーザーの権利を守ろうとしている反著作権・反レコード業界の
ような人達が、かえって権利者にユーザーに不利益を与えていることがある様に感じる。
音楽の違法ダウンロードに罰金が科される事が検討されていることについて、
http://fr-toen.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-16ff.html
『それまで違法でなかったことを違法にするということも非常に影響は大きいが、
それまで犯罪でなかったことを犯罪にするのはさらに影響が大きい。
違法にできたから今度は犯罪にしても良いなどというのは非道い問題のすり替えである。
何も知らないところに著作権侵害で警告状や民事訴訟の訴状が送られてくるのも大変な話だが、
これを超えて突然家庭に警察が踏み込んでくる話と言えばこれがいかに非道い話か分かるだろうか。』
そもそも法律は、それが先にあるのではなく、社会に合わせてそれが作られるものではないのか?
車の発明以前に道路交通法はなく、車が普及して事故が増え、ルールが必要になったから法が出来た筈だ。
インターネットが普及する前からある著作権法では既に(私的な利用以外)権利者の許可無く音楽を
コピーしてはいけなかったわけで、インターネットが普及してそれがネットで行われるようになれば
それを違法化するのは当然だと思うし、抑止するために罰金やペナルティーを科すことも当たり前だと思う。
路上駐車は違法だけど、罰金や減点がなかったらもっとする人は増えるだろうし、渋滞も酷くなるだろう。
それと同じ話だと思うが、著作権の話しになるとそう言った普通の話が通じなくなる。
このブログの人はCDの売り上げが下がっているのは海賊版のせいではないと断言しているが、原因はともかく
違法なダウンロードはかなりの数が行われているはずだ。もちろんそれが無かったとして全てが売り上げになった
わけではないと思うが、そうであっても影響を受けているはずだ。だし、レコード業界の業績が下がっていることと
関係なく違法行為は違法行為なのに、それはおかしいというこのブログの人の意見は全く理解出来ない。
その前に、このブログの人は何を主張したいのだろうか? フリーエコノミーに支えられる音楽を目指したいのならば、
レコード業界を敵視せずにそう言う活動をする人を支持すればいいだけのことだ。フリーで提供される音楽の
クオリティーが低くて満足に行かないのならば、音楽業界のプロが作る音楽に価値があると言うことだから買えばいいのだし、
フリーの音楽で満足ならばそれを楽しめばいいだけのことだと思うのに、なんでわざわざ屁理屈で敵視するんだろう?と思う。
何となく思うのは、このブログの人って音楽業界に憧れていたけど入社試験に落ちたとか、業界に入っても上手く行かなかった
というのではないかと思う。だって、いっている事がなんとも屁理屈だし、文章が感情的だし。
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
以下に紹介するのは海外のblogに載っていたクリプトンの伊藤社長と佐々木氏のインタビューだ。ミクノポリスの3日後、ホテルで2人をつかまえて話を聞いたものらしいが、単なるボーカロイドファンの視点にとどまらずエンターテインメント・ビジネスの有り様まで踏み込んだ、なかなか面白いインタビューである。ボーカロイド現象が単なる一部音楽ファンの世界にとどまらなくなっている現状を示していると看做すこともできそうだ。
urlは以下の通り。
http://lorenz-myanime-reviews.blogspot.com/2011/07/interview-creators-of-hatsune-miku.html
初音ミク、及びヴォーカロイド現象がどんなものであるかについて説明する必要はあるまい。ファン、コスプレイヤー、さらに未来の創造者たちは必要なことを既に知っているだろう。だがもう少し深く踏み込みたいのなら、このインタビューも役に立つ。
7月5日、ヴァーチャル・アイドル初音ミクがアニメ・エキスポ2011でアメリカでのデビュー・コンサートを行った3日後、クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之と佐々木渉はサンフランシスコを通りかかった。
・伊藤博之はクリプトン・フューチャ・メディアのCEOであり、冗談交じりに「初音ミクのお父さん」と呼ばれている。
・佐々木渉はキャラクター・ボーカル・シリーズ01初音ミクの開発者であり、ボーカロイド・ソフトの開発を続けている。
ホテルのロビーに潜入したところ、彼らは寛大にもいくつかの質問に答えてくれた。まず……
問:ロサンゼルスのミクノポリス・コンサートはいかがでしたか? 思ったとおりでしたか?
伊藤博之:思ったとおりだったかですって? そんなことはないでしょうね。コンサートは[思った以上に]上手くいきました。
佐々木渉:ファンの期待に添うものを提供できたと思います。何より、あまり「アメリカナイズ」されず、アメリカ風のエンターテインメントとして提供されなかったと思います。それほど洗練されていなかったのがかえってよかったんじゃないでしょうか。
問:コンサートで使われている技術を改良する何らかの形の試みをしていますか?
伊藤博之:コンサートは「完成」していません。まだ理想的なフォーマットは存在していません。あれは手の内の一部に過ぎません。それに観客がどう反応するかについても予想できません。ミクに関連するあらゆるもの同様、実験的な側面があります。
問:初音ミクを使ったトヨタの降って湧いたような広告キャンペーンに、多くのファンが驚かされました。あのコラボレーションは何がきっかけですか?
伊藤博之:計画自体はトヨタから持ち込まれました。私たちは彼らの申し出を受け入れ、いくつかの忠告を返しました。そうやって広告が始まりました。
問:アニメ・エキスポで米国のミクファンと話す機会はありましたか? どんな印象を受けました?
伊藤博之:AX[アニメ・エキスポ]では多くのファンに会いました。彼らはアニメの大ファンだったので、全体的な反応は好意的でした。多くの人が「凄かった、またやってほしい」と言ってました。
問:ボーカロイド・ソフト関連の仕事をする前のクリプトンはどんな会社でしたか? その時からどう変わってきたのですか?
伊藤博之:クリプトンは音に関連したソフトを制作しており、日本国外で製造された音楽ソフトの代理店の仕事もしていました。これらの製品を日本市場のために輸入し、販売し、日本語化していました。ボーカロイドを始めてからはより広範囲なサービスも追加しています。今では大半は初音ミクに関連した音楽の販売、出版、そしてイラストやキャラクター、動画の製作者に対するサービス提供を手がけています。ミク以降、音楽以外の製作者へのサービス提供も始めたことになります。
問:初音ミクの最終版が販売される前に放棄された面白いアイデアや構想はありましたか?
伊藤博之:ええ、衣装や音楽など最初のころには多くのバリエーションがありました。ですが単に充分な時間がなかったため、いくつかの音楽については諦めざるを得ませんでした。
問:初音ミクの声にユーザーがどう反応するかについて何らかのリサーチをしましたか?
佐々木渉:とても特殊な嗜好を持つ人、ロボット風の声を好む人が間違いなくいることは確信していました。ボーカロイドはロボット風の声を持っていますが、普通の人は「この不自然な声は何だ?」と思うに違いありません。声優の声――それ自体が「普通じゃない」声ですが――を使い、ロボット風の声とミキシングすれば、もちろん最終的にとてもユニークな音になります。逆に優れた歌い手の声にロボットの声を加えれば、それはもっと普通に近い声に聞こえます。私が狙ったのは可愛い、でもロボット風であり、それでも仕上がりはなお可愛い声でした。
問:ボーカロイドのアニメを本当に見たいというファンの声がある一方、他のファンは特にストーリーがなくてもキャラクターは充分にいいと考えています。キャラやその世界を広げるうえでどんなアイデアに立脚していますか?
佐々木渉:アニメはおじさんが作るものです。ミクファンのイマジネーションやミクの様々な歌やスタイルを考える人々の方が、アニメよりずっとクリエーティブだと私は思っています。私は若い世代に多くの期待を抱いていますし、彼らのエネルギーを注ぐ容器にミクがなってほしいと望んでいます。アニメより、ファンの創造性のレベルの方が高いと思っているので、アニメは必要ありません。ファンにもその事実を承知していてほしいと思います。
問:多くの人が英語を含む他の言語でのボーカロイド販売を待ち望んでいます。そうしたものを作り出すうえでの課題は何ですか?
佐々木渉:異なる言語に変換する際に、文脈と意味が簡単に変わることがあり得ます。他の言語であっても、その意味が日本語と同じである限りは大丈夫でしょう。ですが意味が根本的に変わり、結果として「可愛らしく」なくなってしまうのなら、違う言語に無理やり変換しようとは望みません。それが課題です。
伊藤博之:人々がインターネットを使い始めてたった10年ほどです。そして私たちはまだそれを使って何ができるかを見つけ出す途上にあると思います。人々にインターネットが行き渡る間、多くのものと産業が新たな形態に取って代わられるでしょう。例えば音楽、電子商取引、あるいはフェイスブックのようなソーシャルネットワーキングサイト。おそらく電話のような古い設備はいずれ近いうちに完全に新しい産業にシフトするのでしょう。初音ミクが音楽産業を破壊するのかどうかは分かりませんが……ある種のインパクトをもたらすであろうとは予想しています。どうやら私たちはとても新しい何かに巻き込まれているのでしょう。ミクが産業の変化を示すある種の象徴またはイコンになってもらえればと望んでいます。輝かしい未来のため、ミクがそう評価されるようになればいいですね。
問:あなたがたは以前、「初音ミクがなぜ世界中の若者に人気があるのかを理解することは、エンターテインメント・ビジネスの未来に対する理解も与えてくれる」と話していました。エンターテインメント・ビジネスの将来はどんなものになると思っていますか?
伊藤博之:難しい質問です。そもそも「エンターテインメント・ビジネスって何だ?」と問うべきでしょう。それはエンターテインメントに関する仕事でしょうか? おそらくエンターテインメント・ビジネスの未来はもはやビジネスではなくなっているでしょう。例えばすでに今、多くの人がユーチューブを楽しんでいます。そのコンテンツは利用者が作っています。供給者は仕事だからそうしているんじゃありません。コンテンツを作るという作業自体が既にエンターテインメントです。そんなに多くの金がかかわらないだけです。ですが消費者は、コメントを返し「好き」ボタンを押すことで製作者に反応を示しています。最終的に製作者や提供者はある種の評価または価値を得て、最終的にはそこからビジネスをすることもできるでしょう。コメントを残し、交流することで、消費者は単に消費するだけではなくなります。彼らも今やエンターテインメント・ビジネスを形作っています。つまりエンターテインメントを消費することはエンターテインメントを作り出すのに等しいのです。ですから私たちはエンターテインメント・ビジネスとは何かについて意味を再定義する必要があります。それこそがエンターテインメント・ビジネスの未来です。そして初音ミクはその実験体の一つです。
佐々木渉:今や多くの若者が栄養ドリンクを消費しネットゲームをプレイしていします。ですが彼らがプレイしているゲームを作っているのは誰でしょう? ゲーム・プロデューサーです。では最終的に儲けるのは? おそらく企業オーナーです。より多くの子供たちがゲームを楽しみ、そのために金を使えば、彼らのエンターテインメントを作るのに何も寄与しなかった年寄りのところにそれだけの金が積み上がるのです。こいつは単純にクールじゃない話です。あなたの知らない誰か、ゲームユーザーが何の関係も持っていない誰か、あなたが金を使えば使うだけ、彼らがあなたの金を手に入れるんです。それが事実です。その結果クリエーターが生計を立てるのがどんどん難しくなる状況が生まれます。従って、クリエーターとプロデューサーにとっていい状態を生み出すことは、多くの若者が楽しめるよきエンターテインメントを提供することを意味します。今「エンターテインメント・ビジネス」の意味を再定義する必要があるのは、それが理由です。それは世界を変える必要性の一部です。
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
初音ミクLAライブ、外国人感想その2「再生の約束」フリーダム訳
http://anond.hatelabo.jp/20110708223459
初音ミクLAライブ、外国人感想その3「ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!」
http://anond.hatelabo.jp/20110709211718
初音ミクLAライブ、外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来の音色」
http://anond.hatelabo.jp/20110710234300
初音ミクLAライブ、外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」
http://anond.hatelabo.jp/20110711212701
初音ミクLAライブ、外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマスと世界征服」
http://anond.hatelabo.jp/20110712205546
初音ミクLAライブ、外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」
http://anond.hatelabo.jp/20110713211501
初音ミクLAライブ、外国人感想その8「ミクノポリス:コンサート・リポート」
http://anond.hatelabo.jp/20110714210122
初音ミクLAライブ、外国人感想その9「アニメ・エキスポ:初音ミク」
http://anond.hatelabo.jp/20110715222900
初音ミクLAライブ、外国人感想その10「アニメ・エキスポ2011(抄訳)」
http://anond.hatelabo.jp/20110716194029
初音ミクLAライブ、外国人感想その11「世界は彼女のもの:初音ミクはいかにして全てを変えたのか」
http://anond.hatelabo.jp/20110717201147
初音ミクLAライブ、外国人感想その12「アニメ・エキスポ2011でのボーカロイド体験」
http://anond.hatelabo.jp/20110719031316
毎回毎回、こちらに書き込むたびに匿名じゃなくて告知ばかりで恐縮なんですが、今夜もそうです。。。
今回、某出版社から「"東大卒"サラリーマン/OL」が職場などで体験した悲しいエピソードを集めた本を出すことになりました。
元々、このテーマに行き着いたのは、私の職場の東大卒の方が、会議で「君さあ、良いアイデアないの?東大出てるんだから」と、なぜか責められていたのを見たのがきっかけでした。東大卒社員への社会的な評価を見ると「まじめだが独創性が低い」(2003年朝日新聞)「基礎力はあるけどクリエイティビティがない」(森永卓郎)そんな意見が多い。しかし、これはけっして「東大生・東大卒」の実態を表していないのではないか。なぜ東大生はそんな風に偏見やイメージで語られるようになったのか。そこには個人の資質ではない、社会的な何かがあるのではないか…。
……なんていうことで、インタビューさせていただける東大卒サラリーマン/OLさんを探しております。(「自分じゃないけど、こんな話を聞いたよ!」「うちの職場の東大卒の人はこんな人!」という方もぜひご連絡ください)
↓詳しくはこちら(^^
未だにコミュ力が戻らない。
一回行ったらスナックに連れてかれて
そういうのに対してどうにもこうにも対処ができず
しどろもどろして
いてもたってもいられず
勝手に店を出て家に帰ったことがある。
同期とはできるだけしゃべらない、あいさつも軽い会釈で
できるだけ交わりたくないと思ってしまっている、
いや、同期に関わらず万人に対してできるだけ
いつもどもって「あはは、どーも」的な上っ面の
非コミュな会話で終わらす。
気の利いたジョーク的会話もしどろもどろでぐだぐだになってしまい
たぶん傷つきたくないから
暗い部屋の中は神経をきっと研ぎ澄ます、社会生活に不必要なくらいに。
関係ないけどこの人生が報われるためにはきっと何かを
創って創って創って創りまくらなければいけないと思う。
神経を研ぎ澄まして他人とは違う何かの体験と経験とクリエイティビティで
僕だけができることをやり遂げなければいけないと思う。
うだうだぐだぐだ述べてきたが
生かさなければ魂が僕が全国100万のニートが浮かばれないってことだ。
ニート経験は想像以上に人を変えてしまうし、想像以上に後先まで苦しむことになるだろう。
だから今日もプログラミングをする。僕なりの表現手段として会社でも自宅でも
作品を創る。
http://anond.hatelabo.jp/20110106003151 の元増田ですが、ミシュラン載るとフリーで大量客来るの?
まあ、うちはミシュランには縁の無いような零細なので、実際のところは分かりませんが、ミシュランに載るようなでかい箱の店なら、全席分予約とったりしないと思うんだが。
http://anond.hatelabo.jp/20110105234942
こっちの言いたいことは分かるんだが、そんなに挑発せんでもね。
確かに、今の若い子たちが手の汚れる仕事をしなくなっているというのは感じるところなので共感できるのだけど、謎のクリエイティビティ話題でそこまでヒートせんでも。
元増田だけど
僕は芸術性というのは第一原理的なモノが必ず作用している、つまり普遍性を伴っていると考えている。
それゆえに時代性、歴史性を考慮した作品評価は商業的にはありだけど、芸術的に評価するのはどうかと思っているよ。
本当に芸術であれば全時代的に、マーケットに左右されず評価されるはずだし、そうじゃない作品はいくら御託を並べたところでそれは商業だ。
研究って言っても、最近の工学部だったらメディアアートばっかり流行って娼婦みたいな自称研究者ばかりだしそういうくくりだと研究をクリエイティビティとは思えないね。
理学分野でも日本の科学者は科哲の教養が無いから、実際に何を研究しているのか理解していない。
小室さんはその辺が理解できてたけど、彼がアカデミックで異端であり続けたことはつまりもう日本のクリエイティブのあるアカデミズムは死んでるんだと思うよ。
流れというか流行と偉い人の意向に沿って、働きアリをすることがアートか?
たとえばそういう彼らがいくら新しい発見をしたところで、それは偶然買った宝くじが当たったくらいの価値しかなくて、一過性のモノでクリエイティビティとは言えないと思うよ。
おおむね正しいかと思ったけど、作品の評価ができない者が大勢ではない。
賞が打算で授与されるのは否定しないけど、節穴の意見と打算だけで芸術作品の評価が決まるわけではない。
なんだかいろいろ見えすぎてて、すかして物事を見てしまって逆に本質が見えてないな。
俺から言われても、プwって思うだけなんだろうけど。
知り合いに研究者がいて? 姉が医者で? 弟が弁護士で? 芸術家と話し合ってことがあって? それで何をわかったの?
言葉をかわしただけでもうその世界がわかった気になってるのは増田じゃないですか。
ああ、それ知ってる知ってる、で表面だけで終わらせて、何も真剣に考えてこなかったのが丸見えじゃないか。
芸術なんて金持ちの権威のためにしかなくてそもそも存在し得ないかのような言い方だぞ。
現代の作家の評価を現代にするのがおかしいって意見もナンセンス極まりない。
他者の意見がないと物事の良し悪しを評価できないって論理がひどいし、普遍性が芸術で最重要の要素ではないし、カウンターカルチャーのレベルが低いとするのもナンセンス。
最初は、そうねそうねと思って読んでたけど、やっぱり増田さんも全然わかってないわ。
クリエイティビティが作家論ととられてしまっていたのなら失礼。
言いたかったのはその作品が存在することとなった作品内にあるモチベーションで、完全に作者は死んでいて構わない。(今生きてる死んでるって意味じゃもちろんないよ)
高橋源一郎も言ってるけどね。
間違いないわ。
すかして達観してるやつがわかるわけがない。
動かしてる仕事のてっぺんにいるからわかりやすいからそう言っただけ。
君は岡本太朗らのクリエイティビティ、つまり人間性を語ろうとしてるから
作品しか知らないのにそれを語ってるのは問題だよ。
自分が経営する別の会社が大学の先生と共同研究することも良くある
それに同級生や親友にアカポスの人間が何人もいるから君の言う競争獲得資金の内情も知ってる。
そういう人間は増田くらいしか自分の本当に思ってることを書けないから居るのさ。
結局、後ろ盾やケツモチしてる老人で全然結果が変わってくる世界だよ。
同じくらい良い作品でも、ケツモチの力が強ければいろんな人に見てもらえて、評価してくれる人が増える。
世の中の人の99%は作品の価値なんかわからないから、偉い人が良いって言ったモノがそのまま良いになるんだよ。
いわゆる芸術作品っていうのは商業ベースで成り立っている以上マーケティングがすべてなの。
良い画廊に置いたり、人目に付くところに展示したり、良い賞をもらったり
審査する側も自分の身が可愛いから同じくらい良い作品ならケツモチが大きいところや既に賞を取ってる奴に票を投じるんだ。
君だけじゃなくて、これらの評価っていうのは基本的には8割以上は自らの実力では無い。
そこのところを理解しないとだめだよ。
成功する芸術家っていうのは基本的に金持ちの知り合いが大勢いて、広い人脈を持ってる。
金持ちがなぜ芸術家を支援するかと言えば、自分の眼力が良いという虚栄心を満たしたいからなんだわ。
そういうバーターが発生できるようにしてようやく大勢出来るの。
その人が作った作品が実際に良いか悪いかなんて、そんなの死んでから半世紀くらい経たないと分かんないモノだ。
その最近の芸術家すら実際にその人となりを知らないのに、クリエイティビティみたいな人間性を語るところがもっと滑稽だという話。
まあ、岡本太郎になろうとはしてないよ。
岡本太郎知ってたらこんなこと口が裂けても言えないんだけどなあ。
まあ、俺がクリエイティブじゃなくてもいいわ。
増田だけどね
確かにね、中卒、高校中退でクリエイティビティのある人はいるよ。
俺も30後半より上だとそういう人は何人も知ってる。
でも、彼らと話すとやっぱり教養があって下手な大学生よりモノ知ってるよ。
で、いまどき20代の子でそういうタイプはキッチリ大学も出てるんだわ。
俺は飲食店と普通のホワイトカラー企業やってるから両方見てる。
現業で中卒高卒のクリエイティビティがある奴が残ってるのはわかる。
結婚する前にうちの金でヨーロッパにある知り合いの店に留学させたり
やっぱり良い成績で帰ってくるよ。
それと、岡本太朗のことを例に挙げてるが
あと、君は他者は否定するのは得意かもしれんが、じゃあクリエイティビティってなに? って言われて答えれるがわかんないし教えてあげるわ。
言葉通り受け取れば「あたりまえじゃん」って反応するかもしれんけどね。
真実のクリエイティビティは、創造することではなくて、センスなんだよ。
要するに、世の中をどうやって切り取っているか? という点がもっとも大切なんだ。
大多数の人間と似通った世界観をもっているやつがクリエイテビティを発揮するのはありえないわけで、人と違う世界に生きているから、そこから出てきたものがクリエイティブと評価されるわけなんだよ。
だから、何か新しいこと考えよう! ってやつが大きな創造をするのは不可能なんだ。
まず、自分が無意識に閉じこもっている世界が壁で覆われていること、その壁は壊しうることを知らないと、クリエイターには絶対になれないよ。
こういわれると事情がかわってくるな。
しかし、クリエイティビティのあるやつはそれなりの大学にいくっていうのはまるっきり嘘だね。
地頭のよさと、クリエイティビティのどちらも高い人が実際にはもちろん最高で、どちらかが足りなければ総合的に使えるほうがいいね。
頭がいいとクリエイティビティも生かし方がかわってくるのでね。
だから東大じゃなくても帝大、東工大、そこそこの私大くらいからそんな人材がでてくることはもちろんあるんじゃないかな。
ただ、頭がわるいとクリエイティブじゃないというのは完全に否定するわ。
そう考えて自室にひきこもりママのおっぱいを吸いながらネットサーフィンに励む日々である。
かれこれ2年半になる。
善良さや正しさに絶対はない。
善良で正しい人間であろうとすることはイコール迷い続けること悩み続けることだ。
が、素直にその通り実行するのはしんどい。
善良さや正しさを定めてしまうほうが楽だ。
定めたあとはそれに従って啓蒙すればいい。
ただ、相手は蒙が啓かれていない痴人。
ぶっちゃけウザがられる。
感情的な反発には嘲笑が一番だ。心なしか優越感にも浸れる。
――これはどうも違う。
「正解はない。ただ悩み続けるのみだ」と宣言する手がある。
「考えさせられました」型の感想と同じ、体の良い思考停止である。
とにかく体はいいし頭も使わなくていいしストレスもない。が、破綻している。なにしろ全く悩みなどない。
――これも違う。
叩かれているものを擁護し支持されているものを批判してみよう。
マジで人間としてにヤバくね?と落ち込んだりもするけどあたしは元気です。
――ということで近況でした。
作家になったんだけどね。
一応、専業でメシを食えるだけのインカムがあるからこう名乗ることは出来る。
とりあえず、今年と来年までは筆でメシを食えるんだけども。
まぁ、なんというか「作家」というのは個人ではないよね。
ぼくが書きたいものが、出版社の売りたいものとマッチした。あるいは出版社が考える売れそうなものと
ある程度似通った。受賞、あるいはデビューの切欠なんていうのは早い話そういうところで、
それを言えば、とりあえず一番デビューの簡単そうな業界、それでいて収入につながりそうな業界を狙い撃ちして
どんな作品が市場に求められているかだけを考えて作品を作ったぼくも悪かったから
つまるところ、文章力やストーリーメイキングなんていうのは傾向と対策、それに現状売れている作品のアレンジで
99パーセントどうにかなってしまう。ぼくは作家として幾つか本を出して以来、自分がクリエイターだと思えたことが一度もない。
エディターなんだろうと思う。サンプリングとアレンジが全てだ。
もちろん、このサジ加減に関しては職人技が必要で一歩間違えると大変悲惨なことになる。
出版社サイドは大変悲惨なことになったところで、作家(それも多くの場合は新人)を一人切れば済むので、
その辺りのアクセルを盛大に踏み込む。事故を避けるインセンティブがないから。二匹目どころかダースで泥鰌を狙う。
作家にとって一番大事な作業は、そこで踏み込みすぎないこと。なんとか折り合いをつけることだ。
これに関してはとことん神経が磨り減る。「こういう風に書け」と言われて渡された参考資料(笑)に
近づき過ぎず、遠ざかり過ぎずオリジナリティー(笑)を付与する。ちなみに、オリジナリティーっていうのは
『想定された読者層のおそらく知らないであろうネタ元から失敬する』という意味だ。
まぁ、仕方ない。それがプロというものなんだろうと思う。
日々色んな本を読み、これとこれは使える、使えない。物語の形式はこの形でここの部分をちょっとひねって・・・
みたいに考える。これはクリエイティビティーとは何の関係もない職人技だ。うんざりする、やりたくなくなる。
しかし、メシを食わないことにはやっていけない。はてなに愚痴を書くにも身バレしないように気を使い、適宜嘘を織り交ぜる。
そういうことを繰り返してるうちにいずれ売れなくなって、俺は死ぬんだろーなぁと思う。
そういう反論来ると思ってたけども、マニュアル化なんて限界があるのは自明でしょ。
仮にできたとしても、そのマニュアルを実行できる脳のスペックが要求されるわけで。
それすらいらないんだったらそもそも採用面接とかする必要ないわな。
チームの活気とかクリエイティビティまでマニュアル化できたケースなんて実際ないでしょ。
もう少し言うと、「マニュアル」ってのは結局論理学的な形式で推論を書き下したものなわけで、
人間の知的活動の極みが現代の論理学だけで完全に書けるんだとしたら、脳科学はもう完成してるはず。
この辺が参考になるかも。
Twitterをアクティブにし始めて1年位経ち、フォロー・フォロワーも500人を超えた30代
各世代に対して思ったこと。
10代→普通の生活。
宿題やらなきゃ、とか部活行ってきますとか、読んでて甘酸っぱい。
たまに出てくる厨二的な発言も含めて甘酸っぱい。理想論ながらよく考えてるし、将来の選択肢が沢山あって未来を語ってる話が楽しい。
20代→概ね普通。普通の人は10代と変わらず。内容が学校から職場に変わっただけ。
仕事の内容に言及しないで「今日も残業」」「疲れた」「楽しい」等簡単で短くて絡みやすいポストが増える。
普通でないの話題はセミナーの話やセミナーを実行する話や仕事至上主義的な話や、
仕事のやり方について他者を見下すような発言。これも経験済みな話なので楽しい。
30代→同世代。小学校の頃にファミコンがあった世代。うる星やつらが記憶にある世代。
見たもの聞いたものも同じ。家族の話が必ず出てくる。(基底であれ生殖であれ)会社であった事についてポストすることが多い。
体調悪い人多い。スポーツ始める人も多い。スポーツログTweetも多い。体動かしているアピールは前の世代に比べてぐっと多い。
金銭感覚も引き締め気味だからか、万単位の物を購入すると写真付きでポストする傾向がある。
40代前半→普通じゃない。
男性はIT系・クリエィティブ系のみがTweetしてる様子でそれ以外の職種の人はTwitterで見たことない。
半角の縦顔文字を乱用するのはここから上の世代に多くみられる。
女性は休み毎に海外に行き、海外に行ってない間は次に海外に行くことについて語り、
子どもがどれ位いい子であるかを日々書き続ける。育児に悩みは多分無い。住んでる所も城とかなんだろうと思う。
健康食品と世の中にあふれる食物の害悪を突然語りだしたり、皆さん生活が上手くいきすぎていて怖い。
この年齢になると人はそうなるのかになるとこの世代は常にそういう傾向なのかは分からないけど
そんなによく見せようとして疲れないパワーが羨ましい。
40代後半→男女比で行くと女性の方が多くなる。自分の年齢に自信を持っている人が多い。
仕事の事を書く人は少なく、仕事や私生活で出会った人についての記述が増える。
女性も働いている人は経験話の引き出しが多く、様々な過去の社会情勢の時、自分が何をしてて何を思ったかについて
掴みのある話が多い。読んでいて為になることは多い。男女雇用機会均等法施行前後に社会人になった人達。タフネスを持ってる。
論破できるポストに対して上からの物言いで非公式RTで対応する怖さも持ち合わせている。
女性の働いていない人は、家庭生活と子供の成長とそれに対する疑問点等のよしなし事に終始する。
ルーチンワークなので毎日同じことを言ってる場合があるけれど、そういう普通の生活が楽しい
@を付けてチャット状態で話す人が多い。年下とも同等の目線で話す。(多分家庭でもそうしていると見受けられる)
50代以上→日々の生活のよしなし事が多い。庭の手入れ話やペットの話が多くなる。
仕事の話は知事や議員や社長や店長など表に出る人の場合のみ多い。その他は皆無。
Twitterそのものを使いこなせている人が少なく、使って数日間でパッシブユーザーになる人が多い。
まあ年齢はあまり表に出ていないので(10代の場合は重要な意味があるので殆ど出ている。)話している内容でこの人これ位の年なのかなあと判断した結果です。物凄い主観に傾いているので参考にはならないと思うのですが。何が言いたいかというと、バブル世代の人達はやはり一味違うなあ。それだけです。
自分は頭がいい、と確信してるのが文章からプンプンにおって来る。
こういう人は、もっと頭がいい人が作った集団の中では素晴らしく輝くが、
自分独りで新たな事業を創り出すことは出来ない。
増田は、自分がバカになりきれなかったことが敗因だと思ってる節がある。
それは違う。
つまり、増田がバカにしつつ成功してる社長よりも、バカだってこと。
少なくとも、黒字化(帳簿は別としても)が第一の目的になるはずだ。
そのために出来ることを、増田は全てやったのか?
元増田の文に書いてある通り、やってない。
なぜ、出来なかったのか?
それは、優先順位の設定が出来ないバカだったからだ。
顧客のニーズの把握より、自分の信じるベストプラクティスを説くことに執心したんだろう。
やれ、スマートな仕事しか知らないから泥臭い営業をしなかっただの、
甘えんな。
バカになる必要は無い。必要な時だけバカのふりをすればいい。それが出来なかっただけだ。
正攻法だけで仕事が取れたのは、会社のブランド力があってのこと。それに気づかなかっただけだ。
社内での立場が無いと、パートナーたった一人のマネジメントも出来ない無能だっただけだ。
新しい仕事を創り出すようなクリエイティビティーには欠けている。
それに気づいたのは収穫だったな。
相手が真に望むニーズを汲み取って提供出来ないやつは、社長になれない。
仕事の提案でも、人と接する態度でも、部下への指示でも。
外資コンサルを出て、起業して二年目の俺だが、痛いほどわかる。
毎日が本番の舞台みたいなもんだ。
増田は、この経験を活かして、ベンチャーキャピタルにでも勤めるといいよ。