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2012-02-09

http://anond.hatelabo.jp/20120209154830

横だが

その件では

奴隷労働者が欲しいワ〇〇社長みたいな人間

・普段はそういうクソ経営者大嫌いな左派人間

が同陣営で手を組んでるから異様だよね




奴隷人件費下げて儲けのチャンスにしたい」

「多文化共生社会を実現して日本人を押さえつけたい」

っていうそれぞれの欲望で利害一致と言うか




どっちも

日本社会未来の為を思えばこそ!」とかいう心にも無い嘘をつくのと、

それ実現したとき刹那的利益より後のことは全然考えてない

のが共通点

2012-01-04

2ちゃんまとめさいとでよくやってるオススメって誰がターゲットなんだろ

http://vipsister23.com/archives/5037013.html

たとえば私はこれ見ても、全然アニメDVDを買おうという気にならなかった。

ところが筋トレスレプロテインオススメとかはかなりの確率ポチるんだよね。



で、これ読んでみた。

ハーバード大クチコミは効かない」記事で考えるべき論点3つ

http://kirik.tea-nifty.com/diary/2011/12/post-9dbf.html

● 共通の趣味を持つ友人間での選択肢として

● 一番多いのは「詳しくないけど、必要に迫られて」

● ブランドは長い価値

クチコミというのは「特定の趣味に根ざした友人間での情報交換」よりも、「必要に迫られて買う場合選択肢の増大」の方向へ作用するものじゃないか

刹那的に「いま、求められる情報」「いま買わなければならない商品、サービス」というよりは「そういえば、あいつがあのブランド製品が良いって言っていたような」という情報のトリガ

長い時間をかけて、あまり自分で触らないような例えば幼児おむつに対する評価だったり、航空会社証券会社弁護士事務所など、素人にはぱっと見違いが分からない分野においてより手にとってもらえる可能性が高まるためのフックを作る



以下、特に結論なし。私が思ったことを書いてるだけ。

あと私は口コミを「無個性な多数の紹介をまとめたもの」と捉えているので、そのつもりでお読みください。



なるほどなー、と。特に3つめの「長い価値」ってのは最近なんとなくわかってきたかも。長い価値というか繰り返しが大事というか。

おすすめ漫画」については2ちゃんサイトを見て買うことは殆ど無かったけど、最近ちょこちょこ買うようになってきた。

10回くらい繰り返しいろんなサイトおすすめされるとようやくさすがによんどこっかなーみたいな気分になる。

単にこれがオススメって言われるだけの場合、一回言われた程度では心動かないかも。



これとは別のパターンとして、

去年の11月くらいに、どっかの2ちゃんまとめが、みんなではなく個人のラノベオススメ○選みたいなのを紹介してた。

んで、それが一時的に流行ってたけれど、これについては購入率はちょっとだけ高くなった気がする。

ただし、その人との感性が合うかどうか次第で、紹介車の個性がかなり強く出てるから口コミとはちょっと違うかも?




Amazonの「これを買った人はこれも買ってます」のオススメは、基本的に利用しない。

あえていば、すげえ気に入った作品があって、それのAmazonレビューを見た時、自分と同じような評価をしている人が

「この作品の元はこれだと思う」とか「この作品を読めばもっと楽しめる」とか「この作品を読んだ後これを読むと感動した」

みたいなコメントと一緒に紹介してれば買う。 これも口コミとはちょっと違う気がする。




ちなみに、個人的に好きなサイト管理人さんがおすすめしてる本は、ほとんどノータイムで買う。説明が豊富だしね。

これはもう完全に口コミじゃなくて、セールスとかその人のメディアブランドに属する話だと思う。口コミによる商品ブランドとは違うよね。




結局

amazonレビューはまったくあてにならない。必要なのはクチコミの量じゃなくて、自分スタイルにあった批評者をすぐに見つけられるシステム

というありきたりな結論になるわけで、基本的には2ちゃんまとめって見ても意味ないはずなんだけれど、それでも繰り返しの魔力ってすごいな、とか。

あと、美容系など、自分が全く知らない系はついうっかりポチってしまったりするから怖い。 

「とりあえずないよりはなにかためそう」が一番のターゲットなのかな?

2011-09-07

http://anond.hatelabo.jp/20110907062309

基本的にネットユーザーコンテンツを消費するだけ。暇つぶしに、『今』面白いもの刹那的快感をえられるものしかほっしてないとおもう。

Pixivアカウントお気に入りなんてのは、せいぜい、そうした暇つぶしのナニカをみつける道しるべからブックマーク程度の感覚しかとらえてないと思う。

注目される芸能人とか、芸術家とか、研究者とかは、まずもってコンテクストがはっきりしている。

それこそ「あの有名な〜」だけでもいいし、明示されていなくても、受容者が十分に『それが誰であるか』共通して認識できればいい。

単刀直入にいってしまえば、『あなたが誰であるか』を明快に表すコンテクストを実現する戦略を持たなくては、まぁ、あなたという人間として注目をあびることはできないと思う。

2011-08-28

わたしたちの心と身体

twitterに26日、飯舘村村民の会見を取材された方。

被曝しているという認識はまったくないまま沢水の簡易上水道を飲み煮炊きしていた。避難してきた人の炊き出しもした。3月20日になって水から300ベクレルが出たと聞いてびっくりした」「私たちはもうたっぷり被曝してしまいました」

なんだかな。

勇気を出して抗議活動を始めた村民の方々の言葉が、ちゃんと人々の耳にとどくだろうか。どうもあんまりメディアにとりあげられている感触がない。

自戒を込めていうなら、わたしたちの身体性はもう多分に問題があるのではないか

鷲田清一先生が『悲鳴をあげる身体』の中で村上龍さんの『ラヴ&ポップ』冒頭、女子高生の語りを引くくだり(p. 152)。

NHKで『アンネの日記』のドキュメンタリーを見て「心がグシャグシャになった」彼女はもう翌日には「完全に平穏になって、シャンプーできれいに洗い流したみたいに、心がツルンとして」しまう。

感情が持続しない、持続しないか刹那的快楽を追い求めていく。

あるいは、その持続不可能性への焦りが、周りの人、同じ社会にいきる人々のことを忘れさせてしまう。

この感じ。

震災のこと、また原発のこと、もうなんかみんな遠い昔のことのように「ツルンとした」心で眺めているようなそんな雰囲気を感じる。

本当に「今」おこっている悲しみを私たちはまっすぐに受け止められているだろうか。

僕は幸い被災を逃れたし、放射能の影響も受けえない場にいる。

でも、でも同じ日本人としてどうにかしたいと思う。そしてこの気持ちをちゃんと持ち続けないと。

2011-08-25

メンヘラビッチによる被害を止めるため、構造的理解を得る。


数多くの男が、心を煩わされ、病み、憔悴し、時に、恐れ、逃げ回わったメンヘラビッチ

この問題を、真剣に捉える必要がある。これ以上、被害が拡大しないために・・・。



メンヘラビッチは、特にゆとり世代ネット女子に、多数生息する。

彼女らは、承認欲求から、数多くの男を、ある種、身体を伴い、虜にしてきた。



彼らを救わなければいけない。そして、もうこれ以上、被害を増やしてダメだ。

このメンヘラビッチに被害に遭う多数の男の被害を、

ゆとり世代」という単純な言葉で、解決してはいけない。



「なぜ、ここまで、20代特にネット充に、メンヘラビッチが多いか。」

それを、リアルと、バーチャルという二側面から捉える。

そして、本質的な問題は、「自己表現とか、自分らしくという名の弊害」であると考える。

※以下、文章は、個人的な積年の恨み節で、書くことを了承いただきたい。




ゆとり教育は、「自己表現」を最も重要と考えた。

そこに、「自己表現とか、自分らしくという名の弊害」がある。


自己表現自分らしくという言葉を、

何にもねぇ自己主張の強い女子らが、「らしく」「らしく」と多用する。

彼女らのコミュニケーション活動を通じた自己実現過程考察すると、

彼女らの「らしく」の表現は、

リアルバーチャル(←あえて)の二つの外部環境対峙しているのだ。

そして、「らしく」生きたい思いを

リアルでは、できないため、責任転嫁し、

バーチャルでは、できそうで、依存している。




リアル責任転嫁は、シンプルで、

「らしく」いられないのは、

会社組織、もしくは「コノ場所」のせいなのだ。

そこには、全くコミットせず、

「らしく」なれないけど、

仕方なく振る舞うしかない。

いっつもストレス環境として捉えるから、何もしない。

だって「らしく」ないことを、やらされるから

いつかは、なりたい、私らしさを、夢見ながら。




バーチャル依存

ソーシャルメディアは、

永久タイムラインが流れる世界

そして、ネットワークフリーに構築されているので、

なりたい自分のような他者と関わることができる。

関わり続ければ、少なくとも、バーチャルでは、

わたし「らしそうだ」という錯覚生まれる。

「なんか、こんな人とも繋がってる私はスゴイ。」である

しかし、それは、私ではない。

彼女らは、ソーシャルメディアの無数の情報を読み、理想ポストし続ける、動物的に。

そして、「らしさ」を持続するためには、バーチャルに、住み続けなければならない。

恒常性が求められるのだ。





この二つの環境が、作用している。

自己成長のために、本来するはずの「リアルの自身を再定義して、内部環境精神と思考)を掘り下げる」行為はせず、

リアルにおいては、自分らしくなく、ネットにおいては自分らしそうという狭間で、

精神不安定になる。


最終的には、

ココではない、どこかに、行きたいけど、

いけないので、承認欲求が高まる。



その不安定性を埋めるのが、リアルで、ビッチになることなのだ。

少しでもルックスがよければ、うってつけである

なぜなら、彼女らは、リアルでは承認されてはいないが、ネットでは承認されている。

よって、ネット承認を、リアルに持ち込む。

一番安易な行為が身体性を伴う行為なのである

最も簡単な行為は、触れるである。・・・触れたあと、互いの承認行為として、最も簡単なのはry



以上が、デジタル世代のメンヘラビッチを生まれる構造である

みなさん、所詮この程度なのだ。

大いに刹那的な今を生きよう。

そして、精神性を、持ち込むな。

メンヘラビッチ動物である。そう動物的に振る舞おう。

2011-08-22

幾原邦彦ウテナサントラに寄稿したテキスト

絶対進化革命前夜 1997/7/24

 あの頃の僕は、毒の唾で世界を汚すことが無常の喜びだった。本や

映画で得た受け売り理論で身近な大人たちを追い詰め、彼らを軽蔑

することだけが生きているリアリティと感じていた。目で見える世界ほと

んどが許せず、ニ十歳まで生きていることはあるまいと本気で思っていた。

 あの頃、高校時代、僕にはFという同級生のガールフレンドがいた。

正直、彼女を好きでもなかったのだが、女のひとりも口説けないのかと

周囲に思われるのが癩だったのでなんとなくつき合っていた。二人で観る

映画はいつも二番館の面倒臭そうなアート系の映画で、Fは僕に映画

解説を求め、僕はそんなたわいないことで男のプライドを保っていた、どう

刹那的なつき合いだと酷く冷め、やがてくる彼女との別れの日をドラマ

チックにシミュレートして悦に入っていた。そんなある日、Fが僕を演劇

誘った。芝居はテレビ紀伊國屋ホールを収録したようなやつを観たこと

がある程度で、それもおそらくそんな感じだろうとまるで期待していなかった。

が、打ちのめされた。体の震えが止まらなかった、舞台音楽が僕を子供

頃の暗闇の恐怖にいざなった。その後、Fは地方就職先を決め、卒業

の日、明るく「さよなら」と僕の前から去った、以来、彼女とは会っていない。

結局、見透かされていたのは僕のほうだった、そして間違いなく、あの頃、

彼女は僕の母だったのだ。今回、シーザー氏の歌に僕が固執したのは、

あの頃の無知自分と母との時間を追体験したかたからかもしれない。

バーチャルスター発生学 1997/11/6

 世界混沌(カオス)で不明瞭だ。だが、そんな中にも、確かに

存在するものがこの世界にはある。我々の前では、美しすぎたり、

醜悪すぎたり、日常であったりして、正体は曖昧ものと感じられ

ているが、それは確かに、明確にこの世界存在するはずなのだ。

 私は、それをアニメーションという手段で整理分解して、判りやす

く伝えようとは思っていない。セル画で数値化、セリフ言語化でき

る部分だけを抜き出して、それを伝えようとは思っていない。むしろ

数値化、言語化できずに不明瞭になっている部分を映像という手

段を使って、混沌のまま明瞭に、確かに存在することを示したいのだ。

私は、光宗さんと上谷さんを尊敬している。二人は紛れもなく、

この世界にそれが存在していることを明瞭に示したと思う。

体内時計都市オルロイ 1998/1/1

十四歳の頃、僕は学校が嫌いだった。いや、正確には、学校という名の世界での自分の状況が嫌いだった。

その頃は、いわゆる“校内暴力”なるものが全国的に取り沙汰されていた時期で、僕の通ってい

学校も例に漏れず相当に荒んでいたと思う。生徒が教師の胸ぐらをつかみ上げ授業中断、など

ということも珍しいことではなかった。学校とは箱庭ではあるが、言うまでもなく「ひとつ社会」で

あり、「現実世界ミニチュア」だ。その社会の中で、僕は凡庸な者だった。休み時間トイレでタバ

コを吸う勇気も、教師の胸ぐらをつかむ勇気もなかった。そして、僕はそのことが嫌で仕方がなかっ

た。子供だったが、凡庸が美徳だなんてウソだってことぐらいは知っていた。「ミニチュア社会」の

ですら凡庸な自分に控えている未来.凡庸な人生の予感に言い様のない絶望を感じていた。

 あれから十数年。現実残酷で、やはり僕は凡庸なる大人になってしまった。絶対に裏切って

はいけない人を、何人も裏切ってしまった。そうまでして手に入れたのが、凡庸なる自らの姿だった。

だが、いかなる夢も見ることを禁じられたこの世界で、僕はまだ密かに夢を見ている。まだ密かに

モラトリアムでありたいと甘えている。そのことを「少女革命ウテナ」はうまく表現できただろうか…。

天使創造すなわち光 1998/2/4

J・A・シーザー氏の音楽を、僕は遥か十代の頃に体験した。氏の音楽はその時から、そして今も変わらず僕

という世界モチベーションを与え続けてきた。

 シーザー氏と仕事の機会を得ることができたのは、ひとえに大月プロデューサーの手腕によるところだ。

いや、実はそのことだけではない。大月氏は、アニメーション作品「少女革命ウテナ」を世に送り出すために、

多大なリスクを負った。我々スタッフは、その彼のリスクの上に、完全な創作の自由を与えられたのだ。「自分

若さと可能性を信じろ」などと言うインチキな大人には数多く出会ったが、リスクを負うと言うことを体現して

見せる大人に出会ったのは初めてだった。もちろん、僕自身もリスクは負っていたが、彼のそれは比べようもなく

大きかったはずだ。にもかかわらず、彼が僕にリスク強要したことは一度もなかった。彼は、作品作りにおける

リスクの尊さを改めて僕に教えてくれた。そしてそのことは今回の作品制作において僕個人にとって貴重な

モチベーションになった。おそらく「少女革命ウテナ」という作品は、僕と大月氏の共同監督作品だったのだ。

 だからある意味で僕は敗北者なのだろう。なぜなら、僕は絶対に裏切ってはならない友人を、数多く裏切っ

しまった。シーザー氏の音楽大月プロデューサーの与えてくれたモチベーションはついに最後まで僕を

裏切らなかったからだ。もし、僕にこの次があるならば、そのときこそは…と思っている。

2011-07-08

http://anond.hatelabo.jp/20110708190304

今の社会が用意した快楽なんて刹那的ものばっかりだもんなー。

ちゃんとしたしあわせになれる道が整備されてない。

2011-06-11

http://anond.hatelabo.jp/20110611104937

自分が何に反論してるのか、よくわからなくなってるんじゃないか

刹那的に反論してると、横ですって言い続けることになるよ?

はあ?wwショッピングモール勝手ひとつにまとめあげてんじゃねえよw

日本語が理解できてないようだから、ちゃんと勉強しなおしたほうがいい。

2011-02-27

機械機械を作り、機械機械メンテする(自分自身を含め)

まぁ先々可能かもだとしても、たとえAIであろうと「発想する」ということがない以上、新しいものを生み出すのは結局人間しかいない。

別に新しいものは必要ない、人間は歌って遊んで飯食って寝てれば、あとは周囲で機械環境の維持をやってくれるなんてのもアリっちゃアリかもしれんが。

でも不可能なんだよなー。

何かを残したい、存在価値を示したいと思うのが人間であって、享楽的、刹那的にすごすことの空しさみたいなものは結構な人間が感じてしまから

目的目的意識)の欠如に対する恐怖と言えば分かりやすいか

「何のために生きてるんだろう」といった感じのな。

暇を持て余すとそういった思考に陥るようになったのは、本能以外のものを持ち合わせた弊害とも言われている。

2011-02-16

http://anond.hatelabo.jp/20110214190207

一見立派な主張のようでいて、典型的なうつ病予備軍エントリ

そいつらが親がかりで大学に居座れることへの嫉妬がおそらく本髄。

何より「何もできない奴はクズ」「社会人として」こういった価値観は、自分弱者になったときに一気に自分に襲い掛かる。

刹那的な消費しかタマにないし、将来を見越した貯蓄もしてない。

そいつらが苦労するだけなので、べつに腹を立てる必要はない。

それに、消費する人がいなければ景気も上向かないとも言えるが?

「人としてかくあるべき」といった「高潔」なある基準から人を見下す。

「その信念を持っている」ということにおいて自分は高潔だと思うわけだ。その基準に将来自分がはずれることもあるかもしれない、という許容は一切ない。

それは健康で、若くて、金を持っていて、永遠に頂点に立ち続けなければ実現できない。

人に対し、優しさのない冷たい未熟な価値観である

2011-02-14

「何もできない」くせになぜ仕事を欲しがるのか

というか、大学生にもなって「なにもできない」なんてことはないはずなんだが、俺のかつての友人二名は何もできないのだ。

やりたい事もなく、やるべき事もなく、できる事もない(なら、やるべき事があるだろというツッコミは無用)

彼らは何もしないのだ。

はっきり言ってクズなのだ。

できる事が22にもなってひとつもないという時点社会的需要ゼロに等しく、そういう高等技術を持ち合わせないような人は性風俗なり土方なりいずれ高等技術を持つものがロボットに置き換えるであろう単純作業のつなぎなりをするしかないのだ。


彼らは22にもなってその意味を知らない。

持たぬものは、死ぬまで奪われるという意味を。

究極には奪われる側から奪う側に回るしかないという現実を。

それを知らないか当事者意識もなく、内定もないし起業するアタマもない。

刹那的な消費しかタマにないし、将来を見越した貯蓄もしてない。

この両者に共通するのはどちらも親が高給取りであるということだ。

片方に至っては、親からむしりとるまでむしりとるかのように大学に居座ると公言している。

こんな奴が同じ大学生だというだけでも腹が立つが、こいつらは社会人をバカにしている。

お前のために働いてる親も、お前の周りを間接的になり整えてやってる社会人を、みなバカにする。自分には関係ないと。

こんな舐め腐った奴が同じ空間にいるというのだ。僕は殺意を覚えた。それが三年前だ。





僕は社会人として、責任と使命感を覚え、日々の職務に邁進している。まだ若造だ。ぶら下がり社員だ。しかし、いずれ社会を牽引しなくてはいけない。

それが現役世代として、社会人として、次を担う子供らのためにしなければならない義務だ。

彼らが今どうなっているかは知らない。もう付き合いはない。良かったと思う。社会人になれば友人は選ばねばならない。だからこそ、自分も選ばれるように日々精進しなければならない。ゆるいつながりはぬるま湯だ。身を滅ぼす。

今日も業務を終え、自宅でこの文を書いている。

なぜこんなことを書いているかといえば、僕から見ても「若者は覇気がない」し「行動もしない」し「甘えている」からだ。

それが世代論ではな人間本質だという主張もあろう。

しかしそれは反論にはならない。

なぜならどの世代にもいたという彼らは、今もういない、社会の主流からは外れて、「いない」からだ。

窓際族家族を支える苦労があるのは察するが、後の価値ある世代のために引退いただきたいものだ。

今の覇気がない若者はこの窓際族と同じだ。不良資産と言ってもいい。

私が言いたいのは「ろくに行動しないくせに私たちと同じ待遇を所望するな」ということだ。

分相応の生活をするなら、何も文句はない。

そしてそいつらの最終的な拠り所が、生活保護であり、その金額が一部の働き手より高額だということが不快なのだ。

そういうとき、心ある(つもり)の人は「あなたがたの給与を挙げるよう行動するべきだ」と言いたいだろう。

しかし、それは叶わない相談だ。

なぜなら、彼らの生活金額は言ってしまえば前時代的、バブルなものであり、現代の水準に見直すことは必須だからだ。

そして、隣国とのバランスが変わりつつある今、我らの給与を上げろというのは時代に逆行するのと同じだからだ。

人権平等はない。平等であるよう努める必要もない。格差はなくならないのだ。

からこそ非正規社員正社員より切られやすいのであり、生活保護は彼らより不遇な扱いを受けるのが道理なのだ。

「働いたら負け」というのは一部企業ではもはや現実だ。しかしそれは打破されねばならない。「働くものこそが勝ち」なのだ。

そして上に合わせるのが国際的に無理な状況、下をより低きものとするのは絶対命題なのだ。





働け、されば与えられん。

働かぬものは、奪われて死んでしまえ。

2011-01-12

何を書こうかと何かを書かなければと思い、どうせ碌な文章にもならないし誰に伝いたいわけでもない。書き残すくらいなら消してしまえと命じる自分がいて、それでも消しててまるものかと、悔しさからくる意地のような、頑迷さというか、突き動かされているわけでもないのだけれど、とにかく形にして残してみたいと、日記でいいじゃないとうんざりしながらキーボードを叩いてみたりして、何がしたいんだろう、何をしなければならないんだろうと行き止まりばかりでつまらない迷路にまた足を突っ込んでみて、右に曲がり左に折れ、坂道を登って階段を下りながら、さてさてどうしてこんな場所にまでやってきてしまったのだろうと空を仰ぎ、手を伸ばしてリセットボタンを押して、迷路の深部を見るでもなく、また迷路の出口を探すのでもなく、ぐだぐだだらだらといつものように刹那的楽しいことだけを選んで笑って、時間が来て眠くなって疲れた寝ようって思って、何もできなくて、それをうだうだ悩んでいるようなだらしのない、情けないナルシストで悲観論者で知ったかぶりばかりして行動を起こさず浪費ばかりするダメ人間でなおかつそれを肯定的に捉えようと、自分なんだからと認めてしまい一歩も動かなくなるような、そんな糞野郎であるわけなのだけれど、いかんせんそれでは良くないといつものように思い立ち、かように文章を打ってみて、でも結局意味なんてなくて、何にも繋がらず、生産性もなく、ならばもうやめてしまえばいいのだがそれも気に食わなくて、エゴというか自分勝手というか幼稚というか、とにかくそんな感じで、もうバンザーイってやけになってみたい

2010-12-07

宛名の無い手紙

なんで君はこんな遅くになって、こんな手紙をよこすのか、そう君は思うのだろうね。理由は単純だ。君が自己満足の為に僕に書いて、僕によこしたように、僕も自己満足の為に書いて、君に送る事にするよ。それにあたって、ただ一つお願いがある。どうか返事を書かないでしい。僕にとって君との関係はキラキラした美化され、風化された思い出というよりはむしろ、呪い呪縛に近いのかもしれない。僕は君との関係を思い出す度、罪悪感に苛まれるんだ。この行為は別の言葉に変えるならば、償いに近いものかもしれないと思う。無論、こんな自己満足手紙を送った程度で、僕の行いは贖われるとは思わない。

最初に謝っておきたい。僕が非常識な行いを行ったのは重々に承知しているし、そのことを忘れた事なんて一度もない。あれは責められるべき事だったと思うし、君がそう判断するのももっともだと思う。君は疑問に思うだろう。なぜ何もしなかったのかって。率直に言うと、君の中に抱いている僕と、実際の僕自身の落差に驚き、その砂上の楼閣を維持すべきか逡巡したあげく、何も選び取ろうとしなかった、つまりは自分が傷つきたくなかった、そして君に対して臆病だった。

僕は確かに、友情以上の意味を込めて、好きだ、と言った。そんな言葉を言ったのは生まれて初めてだった。その時の君の表情の移り変わり、春の穏やかな周りの風景、部屋のオブジェ、机に彩られた食事。全てを色鮮やかに思い出すことができる。君の手を握ったときの、ちょっとひんやりとして、僕よりも小さな、可愛らしい手の形や、僕の一挙一動にあたふたしてこじんまりとした小動物のようにコミカルコケティッシュな君の仕草は、今でもまるでそこでの一部始終が8ミリビデオで撮られていたかのようにを鮮やかに思い出すことができる。そこで僕は確かに好きだと言った。しかし、本心では無かった。僕はしばしばそういった必要もないのに、そういった類の愚かな過ちを犯す事がある。しばしば、僕は人に嫌われたくないと思う余り、本心から乖離した行動をとってしまう事がある。そしていつも後悔する。学習しないのだ、僕は。それにしても僕はあまりにも軽率だったと思う。

君との関係を継続していく気がなかったと責められていても仕方がない。僕は君が思うほどに倫理的人間でもない。君が思うほどに、自分が何か価値のある人間だなんて今の際まで思ったことは一度もない。世界からある日突然僕が消え去ったとしても、多分何の変哲もなく世界というものはそれまでと変わらぬ歩みを続けるのだろう。君はそんなことないって言ってくれたのは、とっても嬉しかった。それでもこの考えは変わらない。でも、あんなにたった一人の人について想いを巡らせたのは、初めてだったと思う。僕の周りの人間は、喩えて言うのであれば旅の途中にふとすれ違う、街角風景たいなもので、人生の短い時間を共有しては、時間という川の流れに押し流されるような、刹那的存在だった。僕はそのまま、生涯孤独のままに生きていくのだろう、そう思っていたし、君に会うまではその考えは揺らぎすらしなかったんだ。それは僕の土壌の中に大きく根を張って、巨大な木へと成長していた。

君みたい人間は初めてだった。君とのメールでのやりとりはとても楽しかった。君からメールが来る度に、思わず口笛を口ずさむほどに嬉しかったし、この時間永遠につづけば、なんて今考え直すと陳腐な事を考えた。傍から見たら馬鹿げているのかもしれない。でも僕にとって君と僕との関係は、それこそ実存をかけた問題だったし、真剣だったし、真摯にとりくまねばならないことだった。君みたいな素晴らしい理解者を得られた事は、多分神様の贈り物だったんだって心から思うんだ。なんでそんな得難い関係を保っていた君から僕は離れていったのだろうか。聞くに耐えぬ理由だと思う。君はそれを聞いたら怒るどころか呆れるだろうから。無論、なんの矛盾も抱えていない人間は世の中にはいないだろうけど、それにしたって限度がある。僕は矛盾した人間だとこの時ほど思ったことはない。

僕はあれほどまでに苦しめた僕に対する過剰な信頼と、敬意と好意と愛情を・・・失うのが怖かったんだ。だから僕は結局言うに言えなかった。だってあんなに手酷い別れになったにも関わらず、最後にこんな綺麗で美し過ぎる手紙を受け取っては、返そうにも返事が出来なかった。それを行う事は、恐ろしく酷いことのように思えたんだ。知らなくて良い事もある。もちろん、率直な想いを打ち明けるという選択肢もあったけれど、僕はそれを選べなかった。これが君に対するせめてもの償いなのか、それとも病的な利己心のなせる業なのか、僕には分からない。ただ君はとても悲しんでいるに違いないだろうし、その上に辛辣言葉を浴びせる事は、もはや暴力であり、君に対する最大級の冒涜なんじゃないかと躊躇してしまったんだ。

君の言動に違和感があったわけじゃないんだ。君はメールのやり取りを介して、僕が想像した以上に君らしかった。どこか、違うだなんて違和感を感じた事は一度たりとて無かった。ああやっぱり、まさか君はそんなことで僕が君を諦める、なんて思わなかったんだろうね。だからこそこの言葉を言うのが辛い。一年以上もの間、君に返事の一通さえも出せなかったのは、とりかえしの無い事をしてしまったという罪悪感と、なんて空疎な事に時間を費やしてしまったんだろうという虚無感から逃れるためだった。

誤解しないでしい。君が空疎だとか、薄っぺらいとかそういう意味じゃない。むしろ逆だ。無邪気で純粋な君に接しているうちに自分のどうしようもなく矮小な部分や目を覆い隠したくなるような恥部を覗かれる恐怖に怯えて、逃避しただけの哀れな男なんだ。

恐ろしく動物的で、独善的で醜い。僕は自分自身のそういったどうしようも無く、醜くて矮小自分自信を受け入れることができなかったんだ。だから僕は君との関係を拒否した。逃避した。切断した。逃げ出した

僕は君と付き合う、その可能性ももちろん考えた。それは一見とても素晴らしい事のように見えた。だって僕の短い人生の中で、これほどまでに心を通わせる人なんていなかったから。君を失ってしまう事はとても辛いことのように思えた。でもそれは出来なかった。僕の心が拒否していた。君は僕といつまでも過ごしていたかった、そう言ったね。でも僕はそうじゃなかった。あの空間がとても-そう、とても重苦しいものに思えたんだ。心に重石が乗っかったようだった。いつまでこの狂った芝居を演じなければならないんだろうといっぱいいっぱいだった。帰りの電車の中では今までに経験したことのないほどの疲労感が襲った。

君がセクシャルマイノリティであることや、君の家庭環境かに違和感を感じていたわけじゃない。そういう人間がいたって可笑しくないとは思うし、僕はそこまで差別的思想に凝り固まっているわけではない、と信じたい。理由はもっと別のところだ。多分、僕がもっと思慮深く、善良でもっと本質的に物事を考えられるのであればこんなことにはならなかったと思う。しかしながら実際の僕は君が考えているほどには素晴らしい人間はなかった。

しかしながら、結局のところ差別主義者と誤解されざるを得ないような酷い最後になってしまった事については、釈明のしようもないと思う。君を尊重すべきと考えるならば、それは絶対やってはならない類の行動であったし、今でももっといいやり方があったんじゃないかって思ってる。結果が似たようなものであれ、それに至るまでの課程が全く違うものであれば、たぶん、君もこんなに傷つくことは無かっただろう。

君がとても辛い人生だったのは察するに余りある。出来ることなら傍らにいて、君といつまでも一緒にいられれば良かったのだけれど、恐らく僕では分不相応だったのだろう。あのときは悲しみに暮れていたかもしれないけれど、僕なんかよりきっと素晴らしい伴侶が見つかる事を確信している。君の本質に触れれば、君ほど繊細でピュアな心を持ち、尚且つ魅力的で素敵な人間なんて早々いるものではないということを理解できるだろうから。この手紙自己満足なのは言うまでもないが、君の幸福を祈る気持ちだけはどうか理解してもらえたらと思う。君の存在は唯一無二のもので、僕にとって特別であることはこれからもずっと変わらない。これからの君の人生が幸溢れるものでありますように。

2010-12-04

http://anond.hatelabo.jp/20101204200634

そもそも間違ってる。

えっちしたいから、付き合いたいから、付き合うわけじゃない。

そんなこともわかってないようじゃ刹那的幸福しか味わえないでしょう。

ま、いまはそんなんでいいんじゃないのー?

2010-10-18

http://anond.hatelabo.jp/20101018110453

めんどくせーやつだな。

「何もないということを肯定的に受け止める」ということ自体にも意味があることだろ。

そんな段階はとっくに厨二の頃に卒業してる。

仏教的には悟ったつもりなんだろうけど、煩悩まみれに見えるよ。

俺は出家なんてせずに刹那的に俗世界を生きる。



大多数の人間が「ごっこ遊び」なのは否定しないが、世の中には稀に本当に遊んでる馬鹿がいるんだよ。

リアルでは会ったことないかもしれないだろうが知識としては知ってるだろ。

2000年も前に世の中に神がいるとか、世界は空だとか言って広めた馬鹿の事を。

2010-10-03

http://anond.hatelabo.jp/20101003150201

4コマ漫画業界からすると

ストーリー4コマってのが最近流行り出したわけで

そもそも4コマ刹那的なもんが基本なんだけどね。

2010-09-13

「下流食い」の前提意識

そうね。

「下流食い」って言う時には、下流についてある前提が共有されてるよね。

つまり「下流には判断力がない」「という前提ね。



下流は自分人生未来に本当に必要な物がわからないから、

刹那的な財やサービス所得を浪費してしまう。

・値札がフェアーかどうかをよく考えることも出来ない。

動物的な欲求や良くない習慣に支配された消費が多い。




…なんか差別的だといわれそうだけど大体合ってる気がするよね。

でもこれじゃあまりにもただ「アホだ」と言ってるだけみたいだからリライトすると




下流は「自分人生未来に本当に必要な物か」なんて悠長なこと言ってる余裕がないから

刹那的な財やサービス所得がなくなってしまう。

・値札がフェアーかどうかをよく考える猶予もない。

・最低限の欲や息詰まる生活習慣に追われた消費で精一杯。



いい感じになりました。

http://anond.hatelabo.jp/20100913153559

2010-09-06

http://anond.hatelabo.jp/20100906130751

成功した体験談は頼りにならない。

これは、大体においてそんなもんだが。

成功はラッキーかどうかで決まるからだ。

ではないだろ。



大体、成功した体験談ってのは、周りが頑張ってる。

談者一人で、成功したわけでは決して無いよ。

それを、談者があたかも自分の力だけで成功させたと思い込んでいるから話したがるんだよ。



もう頑張るのはやめよう。刹那的に生きよう。

刹那的に生きるぐらいなら、成功した気になる馬鹿を増やすために全力を尽くす方が面白いわ。

成功した体験談は頼りにならない。

成功はラッキーかどうかで決まるからだ。

世の中、運だ。

努力せずに成功する奴、努力したって叶わない奴なんてありふれてる。

もう頑張るのはやめよう。刹那的に生きよう。

2010-08-31

http://anond.hatelabo.jp/20100825134639

元増田です。トラバとかブコメとかありがとうございます

これ、悩んでなんか書くときは誰かに言葉を貰って考え込みたいって気持ちで書くのに、

いざ反応してもらうとフーンって感じでまったく他人事のように思えてしまって個別レスなんてできなくなりますね。

とりあえず今の自分の状況と気持ちを書き留め、というか吐き出しておきます。

 

とりあえず彼氏とは別れてみました。

私は http://anond.hatelabo.jp/20100706172612 の増田でもあるんですが、

こっちでちょろっと書いた「好きな創作をする同性の方」というのが今すごく気になっています。

ただそれは、萌えという脳内麻薬まくりの状況で知ったという、吊り橋効果のようなもので、「恋愛感情」とは違うのかもしれません。

ただの憧れと勘違い、もしかすると自分にとって珍しい片想いに酔ってるだけなのかも。

それでも、何か幸せ脳内物質の分泌と共にある想いは、

彼氏との、裏付け(好きな理由)・積み重ね(思い出)・メリット(結婚相手)から成る「確固たる」しかし「打算的」ともいえる関係より、

もしかするとよっぽど、恋愛感情に近いのでは、と思ってしまったのです。

そしてその気持ちを楽しんでいました。擬似恋愛だとしても。

彼氏が、不安を抱えながらも私の誠実さを信じていると言ったとき、これ以上隠し通せないと思い、伝えて別れました。

何が正しいのかわからないけどわからないから今間違ってるかもしれないので切る、って感じです。その判断が正しかったのかは全然わかりません。

 

恋愛は、「好きな人」というレッテルを貼った時点で、自分の延長のようにとらえてしまって、純粋な「好き」が穢れていく気がします。

恋人」になるとそれが急速に進んで、もう純粋な好きは埋もれて見えなくなってしまう感じです。

自分に確実にリアクションを返してくれる存在、という意味での鏡、に成り果ててしまうような。

片想いは見返り前提でないので、その穢れる速度は緩やかに思えます。

こんな純粋純粋とこだわって、子供じみた潔癖症をこじらせたみたいです。

フィクション世界では前々から、いわゆる純愛よりスレ刹那的恋愛のほうに純粋性を感じて惹かれます。

それでも私自身は安心できる恋愛を好んでしてきていたのに、安心がメリット、そして打算に感じられて、

その純粋に思える側に歩み寄ってみたくなってしまっているのが今です。

 

よく考えて誠実でありたいと思っていますが、根本的に心が不誠実なんだろうと思いました。真に誠実になりきれません。

心の不誠実さと真摯に向き合った結果、大切にしてくれた人を傷つける結果になってしまって、

なんかもう恋愛自体向かない気がしています。ほんと、恋愛ってなんなんでしょう。

レスくれた疲れた大人のような方々は「所詮妥協」とおっしゃってましたが、ほんとにそれだけなら、別れる必要もなかったんです。間違いなく素晴らしい彼氏でした。

恋愛感情のような何か、が目の前にあったから、混乱してしまったんです。

これが自分にとっての本当の恋愛感情なのか、それともまた別のところにあるのか、それともどこにもないのか、さっぱりです。

これから自分がどうなるのか全然わかりません。

 

と書いてから思いましたが元の話から逸れ気味ですね。割とセックスわからないという話だったのに恋愛わからないの方にいってます。

セックスというか性欲は相変わらずわかりません。何か掴めたら書きにきます。

2010-08-19

昨日話題になったエントリについて気になったこと。

 

 

 

http://twitter.com/myk0119/status/21271244613

昨日のけいおん一色で改めて思ったが男どもってホント刹那的!毎回買ってる女性向けの作家さんは、この人は土×銀とかこの人はカカ×イルとかこの人は夜×蜂とか何年もジャンル固定なのに、男どもはちょっと気に入ったキャラがいたらわーっとヤリ散らして次年ははいもう別のキャラ、だもんねー。そんなんでどの口が処女がどうのとか言ってるんだというヽ(´ー`;)ノ

(中略)

まあ男性の方が夢を追いがちで、女性の方が現実に立ち返るのが素早いのは確かですが。


はてブではどうせ脊髄反射的に叩かれてるんだろうけれど(はてブやってる人って精神的に早漏だよね

私はこういう人たちがどういう感覚の持ち主なのかってのは結構気になる。



明らかに私と考えが違うなーと思うのが太字にした部分。

彼女?は自分が属する側であると思っているであろう女性こそ現実に立ち返っている、とおっしゃっている。

これはどういうことなんだろうか。

私は二次元とかにあんまり思い入れがないせいか、

娯楽として楽しんでるものだから、あんまり理解できない。

繰り返し読み返す作品、子供時代によんでその思い出が心に残っている作品はあるけれども

それと同人創作を繰り返すことはまったく別だ。

好きな作品だったら同人を作らなきゃいけないとか

まして別の作品を好きになってその同人を作っちゃいけないとか、

私の感覚としてはありえない。それってまるで恋人みたいじゃないか。

二次元が、恋人・・・・どういうことなの???



放映や連載が終わった(それ以上の変化も進展もない)作品について

ずっとモチベーションをキープしているほうがなにかに取り付かれてる気がする。

「おーい、いいかげん夢から目を覚ましたら?」っていいたくなるのですが、

こういう、私から見たら二次元いつまでもしがみつくような生き方をしている人が、

自己イメージでは現実的であるという。これはいったい何なのだろうか。



もし作品に対して恋愛とか結婚に近いような観念を持っているとして、

つまり作品を恋人とか家族のように感じ、一緒に育っていくという感覚なのだろうか。

しかし育っていくといっても、作品自体の更新は止まっているのだから、

その子供恋人かはしらんが、育っていっているのはあくまで彼女たちの脳だけであろう。

とすると、彼女たちは自分の成長をなにかの二次元の人物やその関係に反映させて

それを確認するのが喜びだということだろうか。

考えれば考えるほど謎である。




P.S.

いろいろ勉強になりますー。

今までの意見まとめると現実二次元で男女が逆になると考えてよろしいですか?

2010-08-18

成功した体験談は頼りにならない。

成功はラッキーかどうかで決まるからだ。

世の中、運だ。

努力せずに成功する奴、努力したって叶わない奴なんてありふれてる。

もう頑張るのはやめよう。刹那的に生きよう。

2010-08-02

だまれ、くそばばあ

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100801

このおばさんは何も分かっていないし、

生活保護の知識の教育が必要(キリッ

とかいっているブクマが痛すぎるので書いてみる。



まず第一に、この件はそもそも「ネグレクト」じゃない。

母親未必の故意があった殺人事件だ。

まともな人間が、ましてや第一子を三歳まで育てた母親が、

三歳児と一歳児を数ヶ月放置して、死なないと思っていたわけがない。



彼女は生活が苦しくてホスト遊びに走ったのか?

生活保護によって最低限の生活が担保されたら、彼女はつつましく子供と暮らす道を選んだのか?

子供は死ぬことはなかったのか?



そうじゃねえだろ?

この母親自分が遊びたいから、子供を殺したんだよ。

ネグレクトじゃないよ。

そこから目をそむけるなよ。

それとも本気で、誰かの助けを要求できないほど、彼女無知蒙昧だったと思ってんのか?

彼女が求めていたのは、キレイ目に言えば



シングルマザーであっても、「自分らしく生きる(※ホスト遊び含む)」権利



であって、

貧乏くさく、楽しくもない生活保護下の暮らしじゃない。

だから、このケースでは生活保護は解決の手段になりえない。

というか、その知識がなかったことを原因に挙げている奴は黙れ。

そいつらが問題を見えにくくしている。

ホント、黙ってくれ。



これは、一種の異常者の犯罪なんだよ。

そして、問題なのは、取り上げられているブログの記事を読む限り、

決して生来異常というわけではなさそうに見える彼女が、なぜ異常者になってしまったのか、だ。




ここから想像だけど、この事件は、



・頼れる身寄りもなく、

・本人の生活能力風俗で男がカネを出すだけの魅力)がある程度充実していて、

・同世代の友人たちが派手に遊びまわっていて、

・知識として、あるいは本能として?の親の責任を背負った、

小娘が、自分人生をなげうって一生懸命子育てをしても、

・誰にほめられることもなく、

・夫の支えや愛情もなく、

子供たちに感謝されることもなかった(一歳児と三歳児じゃなあ…)、

から、異常者になってしまった事件なんじゃないのか。

彼女は数ヶ月、子供がいることから目をそむけ、あたかも子供がいなかった自分が選ぶことができたはずの、

面白おかしい刹那的人生をなぞるように、数ヶ月を生きて、結果的に子供を死に至らしめた。



だから、生活保護貧乏たらしい暮らしが、何かの救いになったとはおれには思えない。

それにしてもブクマ中学生ベビーシッター、なんていっている奴は正気なのか?

三歳児はともかく、その道ウン十年の保育士であっても容易じゃない一歳児の保育を、

中学生に預けようとか、まともな人間の発想か?

身内の子供を一時間だけ見るとかじゃねえんだぞ。

事故があったら中学生責任取るのかよ。

それともそれをサポートする組織がとるのかよ。

だれがそれだけのリスクを負うんだ。

で、どの親がそれに納得するんだ。

わかってのんか、踏めばあっさりつぶれる、やわらかくてか弱い命の問題なんだぞ。




もしこういった事件をなくしたいなら、



シングルマザーであっても、「自分らしく生きる(※ホスト遊び含む)」権利



を保障するしかないよ。

子供を捨てる権利」を社会が保障するってこと。

子供を捨てた親だって、一人の人間として、ホスト遊びも、パチンコも、ネトゲも、ビジネスも、

もしかしたら恵まれない世界子供たちへのボランティアも、自由にできる社会を作るってことだよ。

生活だけじゃなく、「世間の目」としても、白眼視されない価値観を作るってことだよ。

もちろん、放棄された子供たちへの現実的なセイフティネットが整っていて、

それからこちらも「捨て子」というヘンケンの目が、ない社会ってことだよ。




おれか?

おれは、そんな社会に、賛成だ。



でも、みんなが賛成であるべきかどうかは分からない。

ただ、育児を放棄する人間を、

(たとえその理由がホスト遊びギャンブルであったとしても)

あたかも「ズルをしている」ように扱う価値観は、変わってもいいと思う。




それって、別にズルじゃないじゃん?って素で思う。

なんか最後、チカラ抜けた感じになって恥ずかしいけど、

素で思うんだよ。



勢いで書いた。

文章おかしかったらすいません。

2010-07-12

前回民主投票して、今回民主以外に投票した奴はクソ

以上、タイトル以上の主張は特にないんだけど。以下蛇足。

前回民主投票したにも関わらず、今回自民or第3党に投票した奴。ナンなの?死ぬの?


既存の政権与党にNOと言う行動自体は、ポジションとしていいと思うんだよ。

でもさ、それって相当の覚悟を持って主張すべきことで、ほんの1年とかで

やっぱダメでした、って元の支持政党に戻ったり、第3の党に流れちゃいけないだろ。

ガチガチ既得権益をぶっ壊そうとするんだから、当然いろんな反発もあるだろうし、

本筋では無いところで火の手だってあがるだろうさ。

1億以上の人間が参加してるゲームなんだし、そんな一朝一夕に物事が進むわけねーんだから

枝葉末節のブレに流される事なく根幹の目標を達成するまで支持するしか

目的を達成する方法はないんじゃねーの?


マスコミが悪い、マスコミ真実を伝えないからなんて言うけどさ、

マスコミがクソで信用できないのなんて改めて言わなくてもお前自身が一番わかってるだろ。

わかってるお前がなんで、マスコミの扇動に流されてんだよ。


一回の選挙で国の全てが変わると思ったら大間違いだ。

国民一人一人の力っていうのは想像しているよりずっと小さいものだから、

刹那的に主張を変えていたら、ただのモノ言わぬ無党派層になってしまう。

支持政党っていうのは、支え続けて、支え続けてようやく報われるものだ。


以上、蟹工船の船上からお伝えしました。志位先生バンザイ

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