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はてなキーワード: 不惑とは

2024-04-08

立体駐車場の鍵を無くさな対策教えて

ここ1年で3回無くしててやばい

多分朝、差したまま発信して帰りに青ざめるパターン

おそらく住人が拾って管理人さんへ渡り、返却。

朝に車待ちで声かけてくれるのありがてーーーすまーーん

そっから

キーケースに家とか職場の鍵と一緒に入れてたのを分離して別のキーホルダーに分けて

(せめて家の鍵とかは死守作戦

バラバラに鞄に放り込んでたのを、

サコッシュに入れることにして出勤と帰る時に首から下げるスタイル

から降りた時点で、キーケース、駐車場の鍵、車の鍵3種入ってるのを確認…したつもりだったのだが

3回目また無くした。

管理人さんにも今回は届いてないって言われて青ざめたが、

その後、運転席の座席に挟まってた(わはは。詫び手紙投函した。)

ADHDとか診断はしてないけど、

かなり忘れっぽいとは思うけど、

不惑も半ばを過ぎて、財布とか携帯とか鍵とか落としたことはないんだよな。

鞄は偉大。ポケット存在不安定な服を着がちな女で良かった。

2024-02-24

あと1年で40歳なんだが

30代という肩書のあるうちしかできないことって何かある?

既に不惑に至った諸先輩方

こういうことしておけばよかったって後悔したとか、そういうのがあれば教えてほしい

2024-01-25

[]楽しくないデート、どうすればいいの?

先週の日曜、付き合って1ヶ月ほどになる彼女デートした。

全く楽しくなかった。

少なくとも僕は疲れた

彼女も楽しくなさそうに見えた。

なので、早めにデートも切り上げた。

 

そういう時もある、くらいに考えたほうがいいのかな?

まり女性とのデート経験がないから、よく分かってない。

 

なので、いつもは次いつ会うかを約束してお別れするのだけど、今回はしなかった。

まらなさすぎて約束する気になれなかった。

 

交際見直そうかなとちらっと頭に巡った。

まらないと感じた時って、どうすればいいのかな?

 

 

ま、普段から不満はあるけれど。

食事代は基本僕が負担してるけど、彼女はお世辞でも「ありがとう」を言わないし言えない。男がスマートに出すのが普通と思ってる(過去にそう言っていた)。別に出すことは嫌じゃないのだけど、態度が良くないと感じてしまう。

婚活目的出会った割には(マッチングアプリだが)、恋愛目的であること。好きな人結婚したいはその通りだが、恋愛目的になってる。

受け身自分からどこへ行きたいとは言わない。言われて着いていくだけ。それが楽しいかどうかで付き合う相手ジャッジしてるっぽい。

・「外の色んな所に連れて行ってくれる人が良い」と言いながら、自分は相当な受け身。連れて行ってもらうだけ。

 

追記

じゃあ何で付き合ってるのと思われそうだけど、

最初は話していて楽しかった。趣味価値観全然違いそうなのに。

・一緒にいて居心地が良かった。彼女の家でおうちデートもしたけど、楽しかったし、安心できた。何度かおうちデートしてるから彼女安心してくれているんだと思う。

セックスの相性が良かった。

とか。

 

かに彼女は、言葉は悪いけど、テイカ気質

何かしてもらうことに慣れすぎている。

自分からデートでこうしたいとか、将来こんな生活がしたいとかの話を自分からはせず、とにかく積極性がない。

男が全部引っ張るもの、そういう相手でなければ無理して結婚はしない、そんな感じ(あくまで僕の印象だが、今までの会話・態度を突き詰めるとこれで正しいと思う)。

数ヶ月前まで実家暮らしで、すぐ近くの実家には頻繁に通ってるし、両親に今でも支えられている(社会人生活は長いが)。

彼女のことは好きだけど、ぶっちゃけ性格が少し子供っぽい(年齢的には不惑に入ろうとしているが)。

自分の印象、彼女性格は、

自分の芯がない(こういうことがしたい!みたいなのがない)

・社交的に見えつつ、わりと内気で人見知りで引っ込み思案(でも接客業

刹那的な楽しみを追い求めている感じ(とにかく楽しいことがしたい、みたいな感じ)。だから頻繁に遊びに行ってる。目先の楽しみを追い求めてて、お金使いも荒い。

 

友人と遊びに行ったりは頻繁にしているようだけど、彼氏に対する接し方は違うものなのだろうな。

それか、関係がまだそこまで深めれていないのかもしれない。

 

今まで何度もデートしてきて、たった1度のデート疲れたから、で破局を考えるのも早計かなと思ったけどな。

彼女、前日の仕事が忙しくて疲れていたし

ただ、今まで疲れていても、デートの時は元気だったけど、それでも気分はその時々で違うから

 

ちなみに、彼女は僕より2歳年上。だから、テイカーでいさせてあげる、親子みたいな関係にはなれないな・・・

彼女のほうが年上だけど、「妹が出来たら、こんな感じなんだろうな」って実は感じてる。

要するに、手間がかかるし、察してあげないといけない。

 

ま、デートプランを毎回毎回全部僕が考えて提案しないといけないの、ぶっちゃけしんどい

 

 

ブコメをくれた方へ:

「『どうやったら楽しいデートにできるか二人で考えよう』って相談しなよ」

どんなデートがいいかについて会話をすることは、もうしてるんだよね。

その上で彼女は完全に受け身なんですよ。

というか、「私は受け身で面倒な性格だと思う」と言われた。

まさにそうだが、「付き合う意味が正直分からない」と今、思うに至ります

https://anond.hatelabo.jp/20240121095926(削除済み)

完結編→anond:20240125162258

2024-01-21

anond:20240121095926

若いうちはこういうこともあるよなー、と読み進めていったら

不惑に入ろうとしている」で真顔になった

解散解散、やめろやめろ

40前でテイカ気質って、相当ヤバい

2023-12-21

年間増田MVP

ノミネート

2023-12-06

自己肯定感なんて中年になって自分の色々な事を諦められるようにならないと無理じゃね?

それを昔の人は40にして不惑って言ったんだと思う

若い時は理想他人との比較のなか現状の自分否定して次のステップに進んでいくしかないんだし

anond:20231205193039

2023-09-12

不惑を過ぎても大人とは言い難いような人間が多数いる世の中でゆた坊の心配とか余計なお世話だろ

その前に馬鹿暇人からスマホを取り上げろ

2023-08-29

自律神経ガタガタなのか?

二ヶ月の常時クーラー生活の結果、28度で寒くて29度でじんわりと汗をかくふざけた体質になってしまった。許婚は居ない。

結局28度が不快だし電気代減るかと29度にして、でもと28度をいったりきたり。これから冬に向かう季節で暖房を29度にするおつもり?そっちのほうが不経済だぞ。

不惑前にしておっさんおっさんの体のことがわからないよ。

2023-06-26

anond:20230626202629

まぁ、1900年まで平均寿命は40以下だったしな。

https://honkawa2.sakura.ne.jp/1615.html

不惑というか40超えれば死ぬのがほとんどだ。

anond:20230626201913

お疲れ様自分もあと1年で40だよ

本当、年取れば取るほど心配事悩み事が増えるのには参った

先延ばししても、どこかで(嫌な)選択をしてなんとか解決していかないといけないしな

若い頃はもう少ししがらみから開放されていると思っていたんだが...

あと15年もしたら家族絡みの悩みはある程度解消するかも(希望的観測)だけど、そしたら自分はいよいよジジイ

40は不惑とか言ってたのはおおらかな昔の話なんだろうなー

2023-05-26

サッカーできるだけじゃ人生ダメなんだな 3/3


4. 人生の敗北を味わったこ

 不採用だった。全力は尽くしたが、致し方ないと思った。約一週間後、mixi日記キャプテン君が住友商事内定を取ったことがわかった。第一志望だったので、そこに行くらしい。その日記には、いろいろと別世界のことが書いてあった。

・去年の秋、大学に五大商社の人が来て、体育会部活挨拶に来た。その時に一緒に食事をして、「ぜひ弊社に!!」とスカウトを受けた(五社中の三社)。

・ほかに受けた化学メーカー(東レ)の最終面接では、「御社は第二志望です。住友商事第一志望です。そこに落ちたら弊社にお世話になります」とはっきり宣言したうえで内定を獲得。

三菱商事も、三井物産も、伊藤忠商事も、選考を途中で辞退。自分とは合っていないと感じたため。

 この時ほど、人間力というものの差を実感したことはない。アイツはすごかった。俺とはレベルが違う。俺はサッカーしか頑張ってこなかったけど、あいつはサッカーだけじゃなくって、受験勉強だって人間関係の構築だって頑張れる人だった。

 いやアイツは、どんなことにも本気で取り組むことができる。それでいて人間が好きだ。そういうエリートなのだ。当時も今も、俺はキャプテン君が羨ましい。俺もそんな人間になりたかった。なれなかった。

 もし、今どこかでキャプテン君が俺の増田日記を観ていたとしたら、匿名でいいかコメントがほしい。誰だとわからないように隠してくれて構わない。

 今では俺は、こんなに落ちぶれてしまった。正社員じゃないし、年間収入だって今のキャプテン君の五分の一に満たないだろう。クビになる可能だってある。毎年、戦々恐々だ。

 今でもサッカーが好きだ。自室の中にはサッカーゴールが置いてあるし、試しに蹴ってみることもある。部屋の壁にぶつけないよう、慎重に、慎重に蹴っている。たまに飛び出してしまうこともあるけど。

 キャプテン君はどうだろうか。今でもサッカーをやっているのだろうか。とにかく今は、二十年前の思い出が懐かしくて、愛おしい。涙が止まらない。

 第一志望の企業不採用になった後は、坂道を転がるみたいだった。入りたい会社を受けども受けども、内定は得られない。二次面接までは行くのだが、そこではなんというか、明らかにやる気みたいなのが足りてなかった。

 春を過ぎた頃だったか。同じ京都にあるITベンチャーを受けに行った。詳しい時期はもう覚えてない。はっきり言ってしまうが、㈱はてなだった。実は大学生の頃からはてなユーザーだったりする。

 俺と同じ大学出身の人が面接をしてくれて、縁を感じた。エントリーシート筆記試験も一次面接も、特に問題なく進んだけど、二次面接で一気に苦しくなった。

 志望動機とか、会社を将来どうしたいとか、自分が将来どうなりたいとか、そういうことを喋れなかった。しどろもどろだった。どう考えてもこれは落ちた――そう思った。

 相手面接官は、「自分が入りたい会社というのはね、自分が将来どんなキャリアを描きたいのか、どんな人間になりたいのか、そういうところから逆算して決めていくんですよ」「今のままだと、増田くん、僕らの仲間になれないよ。ほかの会社だって難しいんじゃないかな」「もっとゆっくり立ち止まって考え直そう。増田君がどの会社に行くとか関係ない。真剣に考えて」と、人生アドバイスまでしてくれた。

 後日、大学パソコンログインすると、二次面接の結果通知がきていた。『合格』だった。次の選考に進めるらしい。これが最後通牒だと思った。「次でなんとかしろ」。そういうメッセージだった。

 結局、俺はダメだった。はてなは辞退したし、ほかの選考が続いていた会社も悉く落ちて、ようやく内定を得られたのは夏の終わりだった。烏丸御池の辺りにある小さい広告会社だった。※今は別の場所引っ越している。

 この頃には、千亜子ともあまり会わなくなっていた。就活間中は、お互いに忙しいから会えなくて当然なんだけど、まさか俺のせいでここまで会えなくなるとは。

 千亜子は、その年の初めから一気呵成就活に励んでいた。それで、俺より四か月も早く内定を決めていた。千亜子スチュワーデス(CAのこと。当時は呼び方の過渡期だった)に内定したと聞いて、やはり只者じゃないなと感じた。劣等感だった。

 この頃の自分というのは、なんかもう、劣等感がすごかった。就職活動サッカーはできないわ、千亜子には会えないわ、勉強だって最後単位を取り終えるあたりで躓いていた。

 フツーの人生だったけど、それなりに成果を得てきたつもりだった。持ってる側のつもりだった。でも、俺はダメだった。今でいう抑うつみたいな状態になっていた。

 秋になると千亜子と会うようになっていたのだが、よそよそしくなっていた。俺が内定した会社を告げると、「あー、よかったね。一緒に東京行けないのは残念」と言っていた。

 もうすぐ最後インカレという時期だった。ある日のアルバイト帰り、千亜子キャプテン君が働いている河原町通りの飲食店の近くを通ると、千亜子がいた。ほかの大学生数人と一緒だった。私服だったし、おそらく飲み会帰りだろう。

 店の近くまで行ったところで、自動ドアが開いた。すると千亜子が中に入って行って、上の階へと小階段を昇ろうとする男子学生(※キャプテン君ではない)の背中を掴んで、ぐいっと引きずり降ろしていた。

 ちょっと驚いたけど、別に険悪な雰囲気でもなかった。それで、何やら彼と顔を近づけて話を始めた。この後の段取りとかを話してたんだろうか。俺のすぐ傍にいたほかのアルバイト友達と思しき学生が、こんなやり取りをしていた。

「千亜子さん酔うと暴走するよな笑」

「そういえばキャプテンさん、最近亜子さんにアタックしてる」

飲み会帰りにご飯に誘ってはったで。みんなが見てる前で」

「二人とも一流企業だし。似合ってると思う」

 こんな話をしていた。※当時の日記に書いてあった。

 惨めな気分だった。俺が千亜子釣り合ってないのは確かだ。内定した会社ランクが違うから。俺は就職活動に失敗した。インカレだってスタメンに選ばれなかったし、アルバイト先でも俺よりすごいやつは何人もいる。

 人生で、ここまで負けまくるのは初めてだった。「畜生」と思ったけど、当時の俺にはどうにもできない。

 千亜子にフラれたのは、新年が明けてすぐだった。大学カフェテリアで、夕方に一緒にコーヒー飲んでる時に、「卒業するし、そろそろ終わりにしない? いい人、いるんでしょ。知ってる」と言われた。

 今日、そんな予感はしていた。サッカー試合勘みたいなもので、雰囲気でなんとなくわかる。今年の初詣は千亜子の予定が合わずダメだった。おそらくキャプテン君と一緒に行っていたのだろう。

 当時、『いい人』はいなかったけど、「そうしよう。お幸せに」って言ったら、「お互い、これから人生でいい思い出にしていこうね」と千亜子が言った。

 当時の日記には、そんなことが書いてあった。記憶言葉ごまかしてはいないはずだ。当時の俺は、そこまで弱い人間ではない。40を過ぎて今それを読んでいる。やはり涙が止まらない。



これで結びになる。

就職してからの俺は、うまくいかなかった。仕事の才能は平凡のようだった。しかし、大学時代の失敗を引きずっていたせいで使えない人間だった。「あんた、サッカーすごかったんやないん?」みたいなことは何度も言われた。また、同じ会社で「学生サッカー選手権で活躍するところを観た」という同年代社員もいた。

かにそうだったかもしれないが、最後に出たインカレだって、負けかけの試合で後半でお情けで出してもらったくらいで、別に凄いわけでもない。アルバイトだって、ずっと居酒屋で頑張っていて、そこで最後に新しい彼女作れるかなって頑張ったけど、五人以上にアタックして全く相手にされなかった。素の自分というのは、モテる方ではなかった。ちょっとサッカーができるくらいで女にモテようなんて傲慢だった。

そんなこんなで、気持ちが沈んだまま新年度の四月を迎えたのだ。でもって、実社会通用するはずもなく、新卒で入った広告会社は二年で辞めて、後はずっと契約社員とか派遣社員だ。

キャプテン君と千亜子は、俺が広告会社を辞める頃に結婚した。mixi日記を読んだけど、それはもう凄い結婚式だったらしい。総合商社勤めだけあって、マイミクだったら無条件に結婚式招待OK!! という宣伝をしていた。会場までは知らないが、きっと東京都内のオシャレな会場だったに違いない。

俺は行かなかった。お金がないのもあるが、なんかもう、人生が面倒くさかった。

不惑になった今でも、当時の俺の何が悪かったんだろうと振り返ってる。昨年末も、実家にあった段ボール箱を引っ張り出して、当時の日記を読んだ。大学回生から付けている日記を、半日かけて読んでいったのだ。この増田日記ベースになってる。

俺の何が悪かったのか? 三点にまとめると、次のようなところか。よくない行動のハットトリックみたいだ。

就活で失敗した程度で凹んだのはおかしい。どんな会社に入ろうと未来はあった。

・どんな自分でも自分自身なんだって気が付いてなかった。失敗したって、自分という人間価値が下がるわけじゃない。むしろ、失敗前の自分<失敗後の自分だ。それがわかっていれば卑屈になることもなかった。俺は挑戦したのだ!! そんなメンタルから就活サッカー恋愛もうまくいかなかった。

サッカーができるくらいで調子に乗っていたこと。どれだけサッカーができようが、それは実社会必要とされる力の一部分にすぎない。大事なことはもっとある。

もっと自分を認めること。生きているだけでもすごいんだと、自分を褒めてやりたかった。人間にはみんな価値があるのだ。

いや、四つあるんかーーーーい!! と、大学時代の俺だったら、陣内智則みたいにツッコミを入れていただろう。今はそんな気力もない。

あの頃に戻れたら、とは思わない。いや、本当は戻ってみたいけど、それは間違いだ。これまで負け犬なりに努力してきた自分否定したことになる。過去自分を裏切ってる。だからダメだ。

今の俺は、あの時よりも成長してる。だったら、もっと成長できる!! もっと頑張ったら、幸せになる未来があるのかもしれない。結婚はできそうにないけどな。

ここまで読んでくれた人、ありがとう。何人読んでるかはわかんないけど。

気持ちの整理をつけることができた。また来週からは、しみじみと社会人生活をやっていきたい。

どうすれば幸せになれるんだろうかと考えて、ひとまず、今年の春から地元の草サッカークラブに入ってみた。自分自身が練習してるのもあるけど、子ども達に教えることもある。

ひとまずは、こんなところでいいのだろうか。まあ、ゆっくりやってみよう。幸せでありたい。増田ブックマーカーのみんなも幸せにな。

サッカーできるだけじゃ人生ダメなんだな 1/3


先日、不惑(forty years old)を迎えた。今では草臥れたおじさんだけれども、昔はサッカーが大好きで、自他ともに認めるサッカー馬鹿だった。

小学校から始めた。当時は、とにかくドリブルが大好きで、どんな形でもゴールを決めたら嬉しくて、勝っても負けても楽しかった。何も考えずにサッカーやってた。そんないい思い出もあるが、人生トータルでは辛い思い出の方が多い。

この日記は当時の個人情報でいっぱいだけど、俺はもういいよ。十分に生きたと思ってる。どうなってもいい。特定されても大したキズじゃない。クビになるのを恐れるような会社勤めでもない。

小学校中学高校も、部活一筋だった。中学時代にユースに誘われたことが一度だけあるが、自分は超一流にはなれないと何となくわかっていた。本当に才能がある奴は輝きが違う。自分サッカーを楽しめればそれでよかった。全国優勝とかには興味なかった。

高校は、京都府内にある名門校だった。懐かしい。思い出すにつれ、いい思い出と悪い思い出とが交錯するみたいになって、感傷的な気分になってくる。今はトニックウォーターを飲みながら書いてるけど、気分がいい。

それでさ、高校で補欠or正レギュラーに選ばれるようになったのは高二の秋以降だったんだが、最後の年になると1回戦から最後試合までフルで出場できた。国立競技場で戦えなかったのは残念だが、あの時の自分は輝いていたと思う。輝いていたのだ……。

大学は、とその前に、当日記は、いわゆる人生の落後者の振り返り日記になる。たまに、増田とかはてなブログでもそういうの投稿してる人いるだろ。自分もやってみようと思ったのだ。

俺という人間が落っこちきっかけは、大学だった。これから書く文章を要約すると、高校卒業後はスポーツ推薦(セレクション)で同志社大学に入った。そこでも、運や努力甲斐があって人並以上に活躍ができて、チアリーダー彼女ができて、学業も順調で、アルバイトも楽しくて、四回生になって、さあ就職活動だ、、、というところで人生の敗北を味わった。そこから転落していった。

俺より凄い奴なんて、世の中にはいくらでもいた。その一人が、当時の大阪大学サッカー部でキャプテンをやってる奴だった。以下アイツとしよう。

これがまた凄かった。価値観大人びていて、熱血漢で、スポーツは当然できて、面白い小話ができて、総合商社内定して、それで最後に、俺の彼女そいつに取られてしまった。あの時は、そりゃあキツかったよ。

俺がいい会社内定できていればもしや、という思いは当時あったがその線は薄いだろう。俺がアイツより優れていたのはサッカーだけだった。俺とアイツは、サッカーで対戦したことが一度だけある。高校時代に府大会でやり合った時、圧倒的な差で点をもぎ取って勝利を収めた。

ピッチ上で1on1にもなったが、俺の勝利歴然だった。見え見えの目線トラップに引っかかって、アイツは筋違いの方向に足を蹴り出した。それで、スルッと抜いてやった。高二の春季大会だったと思う。

大学以降は、リーグが違ったので対戦することはなかった(うちは一部で、阪大は二部)。しかし会場で見ることは稀にあった。

まあ、これから昔の日記を読みながら、ちょっとずつ書いていく。辛い思い出にはなるけど、他者から見たら参考になることがあるかもしれない。そう願っている。

今回、この日記を書こうと思った最初の切欠は、先日まで放送されていたアニメブルーロック』の影響だったりする。あれだけ見事なサッカーアニメを見せられて、つい昔を思い出してしまった。

今の自分は、アニメの後半で出てきた、サッカーを諦めた馬狼照英が自宅テレビサッカー試合を見ながら発泡酒を開けるシーンがあっただろ。まさに、あれだ。あれが今の自分なのだ契約社員で、ワンルームマンション暮らしで、あんまりお金がなくて、実家も太くないから帰るわけにもいかない。

それでも、人生一度くらいは筆を取ってみたい。思い立ったが吉日ということで、ちょっと書かせてもらう(4/27時点)。どれくらいかかるかな。三週間くらいか。みんな五千字は書いてるイメージがあるから、それ以上の文量でいくことにする。ほとんど大学生になってから体験記になる。



1. 高校大学に入ってから

 運のいい人間だった。サッカーというのは、誰でも想像はつくだろうが足を酷使する。高校時代全国大会活躍するような選手でも、ある時から怪我に悩まされてしまい、まともに練習ができなくなり、実力が落ちて試合に出してもらえなくなり、ハード練習をしてまた怪我を……といった悪循環に陥る選手が少なからずいる。実際、俺の同期の一人はそれでサッカーを辞めた。

 高校と違って、大学場合セレクションで入って部活を辞めても大学生をしていいのだが、律儀だったそいつは、出身高校に詫びを入れたうえで潔く退学していった。

 幸いにも、そういう怪我とは無縁だった。かといって、そこまで実力があるわけでもない。府のトレセンに選ばれた経験もない。選ばれかけたことは何度もあるらしいのだが。ポジションは……すまないが内緒でお願いしたい。フォワードみたいに目立つポジションじゃない。

 大学回生までは順調だったかな。部活毎日キツイけど成長している感覚があったし、トレーニングメニューとか選びやすかったし、アルバイトも始めた(木屋町居酒屋だった。どんがまと、さざんか亭と、あとはジャンカラでも働いたっけ)。

 本当に順調だった。学生生活は楽しかった。サッカーの腕前も上がって、二回生秋季にはベンチ入りして、三回生になる頃にはスタメンが基本だった。関西サッカー一部リーグ活躍してる大学生、といえば聞こえはいいけど、実際、精神的にはそんじょそこら学生と一緒のレベルだった。

 練習中に調子に乗ることはあったし、アルバイト先で後輩にマウント取ることもあったし、体育会の悪い連中に至っては、女遊びに夢中になって、今だと警察沙汰逮捕されてニュースになるようなこともやっていた(俺は無縁とは言わないが、断じて犯罪は冒していない。むしろ、やりかけた先輩も後輩も止めていた)。

 勉強部活もマジメにやったつもりだ。普通大学生だった。でも、三回生の夏前だったかな、幸せ大学生になったのだ。

 関西地区での試合だと、応援団チアリーダー部がやって来ることが稀にあった。本当に稀だったけど。それで、ある交流試合だったんだが、その日は調子がよくて活躍できた。敵味方の動きを読んだポジショニング完璧だったし、要所要所で相手ドリブルカットして、俺が蹴り上げたボールセンターラインを飛び越えて味方のところにドンピシャで飛んで行った。ただ、ゴールを決めることは叶わなかった。ゴールを決めるポジションじゃないので、どうしようもないのだが。

 試合が終わった後で、帰りのバスを待つ最中チアの子達とちょっとした話になったんだが、その時にメアド(※TwitterLINEは当時ない。GREEmixi黎明期だった)を交換した女の子がいた。

 その子(千亜子とする)の見た目は、そりゃあ可愛かったけど、英語が話せるところとか、知的なところとか、お酒に酔ったら暴れがちなところとか、某飲食チェーン店花形店員だったのとか、品のあるところがよかった。性格は明るかったりドライだったり、区別が難しかったな。演技するタイプだった。

 体型は普通だった。ふくよかとか、細いとかは何ともいえない。胸はそれなり。好みのタイプではあった。オムライスとか作るのうまいし、たまに唐突に泣き出したりする。

 千亜子は、恋愛積極的な方だった。デートではよく手を繋いだ。セックスの相性はよかったと思う。最中はよく緊張してたけど、段々と気分が乗ってきて、いろんなことを言ったり、やったりしてくれた。

 交際期間は、三回生の秋から一年と少しだった。まあ、平凡なカップルだったと思う。喧嘩とかもなくて。終わりはあっけなかった(最後のあたりに後述)。単位をほぼ取り終えて、学生生活最後満喫してる一月頃に遠回しな言葉でフラれてしまった。



2. キャプテン君のこと

 三回生の秋頃だった。ある男子学生と知り合った。阪大サッカー部でキャプテンをしていた。上で説明した『アイツ』のことだが、さすがに失礼なので以後はキャプテン君とする。彼とはリーグこそ違えど、顔を合わせる機会はたまにあった。といっても、こちからしかけることはなく、せいぜいすれ違ったり、試合を遠目で見たりする程度だった。

 それで、ある時に知ったのだが、そのキャプテン君は、千亜子と同じアルバイト先だった。二回生の時に同時にその飲食店に入って、それから一緒に働いていたらしい。

 俺がそのキャプテン君と千亜子が一緒にしゃべっているのを見たのは、ある試合場での一度きりだった。まあ、普通アルバイト友達みたいな感じだったな。千亜子マイミク繋がりで、俺のアカウントにもキャプテン君の情報が表示されていた。

 ところで、キャプテン君の試合風景だが、圧倒的闘志でもってプレーするスタイルだった。反則スレスレチャージは当たり前であり、プッシング(相手を押す)やトリッピング(相手を蹴る)も恐れなかった。本人がどんなつもりなのかはわからないが、とにかく闘志が凄かった。

 ただ、残念ながら……実力が足りなかった。キャプテン君は反則っぽいプレーをするにしても、審判からするとモロバレの位置取りで、かつ見えるようにやっていた。相手身体に触れることで反則を取られていた。あれではダメだ。

(注)

サッカーでどこまで相手接触してよいかだが、概ね次の三点に要約できる。サッカー試合を見ることがあれば意識するのも面白い

自分から接触するのは、肩だけで押す行為に限って可。腕や手や足はダメ

自分から触れない不可抗力とみなされた場合は、相手接触しても反則にならない。。

ボールを狙った行為でも、真後ろからスライディングなどは危険行為とされる。

 そのうえキャプテン君は、まともなプレーについても大学レベルに達してなかった。いや、そこらの高校生に比べると遥かにうまいが、大学サッカー活躍できるレベルにはないという意味だ。

 当時の阪大は、関西二部リーグと三部リーグを行ったりきたりだったと思う。大学練習設備もおそらく不十分であり、練習時間だって他の部活と融通を効かせてやっているようだった。そんな環境だし、受験勉強サッカーも一流の選手なんて、そうそういるはずもない。

 キャプテン君の試合最後に見たのは大学四年の時だった(リーグが違うと試合を観る機会がほぼない)。相手選手と1対1になってる時に、ボールを取るために肩をぶつけに行っていた。右足でボールを手繰り寄せようとしたらしいが、相手ふくらはぎを蹴ったうえ、身体をぶつけて吹き飛ばしていた。わざとか……? と思ったが、それにしては迷いがなかった。

 レッドカードと思いきや、イエローで済んでいた。が、その十分後にはまた相手の足を狙ったスライディングをかまししまい、さらイエローを食らって……しょっぱい試合になった。

 当時、俺はある意味キャプテン君を尊敬していた。これまで俺がいたサッカー部で、あそこまで勝利にこだわる人間を見たことがないからだ。下手ではあったが、精一杯にボールを取りに行って、仲間に檄を飛ばして、試合を終始いいムードにしようとする。

 ある時などは、試合が終わった直後の屋外ミーティングだったと思うのだが、別の選手試合場の壁に押し付けて怒号を発していた。「俺らは本気になる力が足りとらん。もっと自分を主張せんと!!」みたいな要旨だった。

 人に対して、ここまで熱くなれるヤツを見たことがなかった。中学でも高校でも大学でも、ここまで自分言葉自己主張できるヤツはいなかった。キャプテン君は、俺の心に爪痕を残していた。

 続き

 https://anond.hatelabo.jp/20230526212235

2023-04-19

知者不惑って、そんなことないだろ。

どちらかというと、完全に理解した不惑っていうイメージ

2023-03-27

子どもASDだと診断受けた

小学校低学年の息子。

昨年初夏の頃、担任先生から「授業中ボーッとしていることがある。また、みんなで何かをやるときまり積極的ではない」という話を受け、もしかしたら……という思いか地域の小児療育センターの門を叩く。まずは親だけが話をしにいきひとまず検査をしようという流れになったものの、どうやらかなり忙しいようで、予約から半年以上が経って今年の頭に受診。二度の検査を経て先日結果が出てきた。

知能指数は平均でひとまず境界知能ではなかったことにホッとしつつ、特性としては「言葉鵜呑みにしやすい」「社会的コミュニケーションが苦手」ということで、ASD傾向があるとの診断だった。

この話を聞いて、過去自分のことを思い返していた(発達障害との診断は受けていない。多分そうだろうなというだけの感想)。

小学校中学校いじめられるというよりはからかわれる対象で、中学一年〜二年と登校拒否気味。周囲からの「優しい」という言葉鵜呑みにしてパシリもさせられた(結果そうした扱いをしてきた小中の同級生とはほぼ縁を切っている)。中学高校と続けていたブラスバンド音楽楽器ともに好きだけれど体育会系部活形式が苦手でサボりがち。

就職してからは深いコミュニケーションが苦手なままどうにかこうにか改善を繰り返しつつ不惑を超えて転職回数二桁に達しながらも何とか年収中央値以上は稼げているものの、自分の気持と職場環境すり合わせがうまく行かないことも多く鬱を患い薬をかじりながら何とか生きている状態で、いまも現職に嫌気が差していて(主に給与面と昇給がないこと)転職活動をしている。書類で落ちてばかりで、正直凹んでるけれど。

もちろんこうした自分自身と息子との傾向が同じとは限らないし、時代性として彼が大人になった頃は今の自分とは違う課題問題が立ちふさがるんだろうなと思う。

ただ、小学校低学年の段階でこうした診断を受けたことで、少しでも彼の人生攻略法として使ってもらえればなと思っている。

親としては心配が尽きないけれど。

それにしてもどのタイミングでどのように本人へ伝えるべきか。

子どもに対する目下の悩みは、これだな。

2023-01-28

不惑をファックというな

40になりたておじさんの朝礼だとしてもだ

老後の心配ってそんなにする必要ある?

不惑を過ぎているというのに我ながら子供っぽいなと思いはするのだが、どうも老後の心配ってやつがよくわからんのだよな。

独り身だし、単に死ぬときには死ぬってだけのことやんけ……みたいな気持ちがある。

どんなに備えようとあっさり死ぬとき死ぬし(安倍晋三を始め、事件病気・その他であっさりと命を失うやつらを見よ)、それまでの人生で苦しむかどうかは運次第だし、何をどう準備しようと仕方ないじゃないもんじゃないの。家族がいようが、金があろうが、関係なかろうよ。死ぬときは一瞬でしょう。

ちなみに年金は払ってる。義務だかんね。でもそれ別に老後のためとかそういうんじゃないんだよな。親も年金暮らしだし、払わない方がめんどくさいから払ってる。

2023-01-14

焼肉屋で後悔をしたこと

一昨日、近所の焼き肉店で1人で酒席を囲うことがあった。道路河川での土木仕事でさんざん疲れた後の一杯が最高なのだ

この日は、川に橋をかけるための準備工として土嚢を積んでいた。小さい工務店代表として、工事費の設計積算も、現場監督も、銃器捜査肉体労働兼任している。

体重が2kgは減った! という確信があるくらい今日は働いた。まずは冷えたビールを注文して、牛ロース100gに、上カルビ100gに、豚のハラミ100gに、鳥のもも100gに、石焼ビビンバに、韓国冷麺・・・単品のキャベツ素手で齧りながら食べ進めていった。

本題に移ろう。

その店にはキビキビと働く女の子がいる。多分高校生~ハタチくらいかと思われる。その日も、私が注文しそうなタイミングで傍に寄って来たり、注文をしようと厨房を見た段階で気が付いたり、トイレに行っている間に私のせいで汚くなった卓を整えたりと、ファインプレーを見ることができた。

それで、さあ帰ろうかと思ったところ、「お皿拭いたら上がっていいよ」という店主の声を聞いた。あの子が上がる時間になったようだ。22時だった。

の子は壁にあった扉を開くと、中の物置から上着を取り出して、賄いを食べに奥の座席に向かったわけだ。すると、私のふたつ隣に座っていた若い男性(30才過ぎかと思われる)が、「~~ください」と、その子を呼び止めた。その際、私は何とも思ってなかったが、その子が「もうアップ……」と小さく呟いたのを聞いた。

私は〆のアイスクリームを食べていた。考え事をしていた。すると、隣から「お前人生ナメとらんか!?」という声が響いた。例の若い男性だった。ちなみに初対面だ。

後で店主に確認したところ、女の子が「もう上がりなので」と説明したところ、奴さんはキレたらしい。うるせえな、と思いながらも彼の主張を聞くことになった。

社会に出たら定時は関係ない

・お客が求めているのだからプロ自覚があるなら応えないといけない

あなたの考えは甘い。店主に相談して考え直すべきだ。

といったものだ。

女の子は俯いていた。マスクをしていたが、瞳をまっすぐ地面に向けて、涙目になっていた。「すいません、すいません」と答えていた。

店主の方を見ると、天然パーマの頭だけがカウンター越しに覗いている。一応、こちらの方を向いてはいる。これは、店主がビヤ樽に座って休憩している時の姿だ。私の定位置から見るとそういう眺めになる。

残りの厨房スタッフは我関せずとばかり、肉肉肉、米米米!野菜ィィィッ!!!といった雰囲気調理に打ち込んでいた。

若い男性説教が続く中(上の3点目の途中だった)、私は声をかけることにした。メシがまずくなったからだ。「ちょっといいですか」と声をかけると、男性こちらを向いて、「あんた、なん?」と方言混じりにこちらを向いた。

「その子は賢いんですよ。次は大丈夫です」と言ったところ、「大丈夫じゃないさかい、こうしてる」と息を巻いて私を威嚇してくる。

「おじさん、いちびんなや」

私は、彼の目をちょっと見つめた後で、

調子乗っとんのはお前じゃボケ。おい、黙れ。〇すぞ!! おい、お前。黙れといったろ。聞こえとるんけ、おい!」

そんなことを叫ぼうとした直前、ハッとなって我に返った。

あれは5年前、私がまだ不惑になったばかりの頃だった。

この焼き肉店で同じようなこと(迷惑客が店員に絡んだ)があった時、そんなことを叫んで、そいつを蹴っ飛ばして、店から追い出して、さらに何発かブチ殴って、店を出入り禁止になったのだ。

その後、私は反省した。暴力に訴えてはならなかったと。店主に何度も謝って許しをもらい、再入店許可してもらった思い出がある。

私は、彼に向かってできるだけ穏便になるように答えた。

「すいませんが、私は迷惑しています。聞いていると食事がおいしくないんです。そろそろ堪えてくれませんか。店主、あっちで座ってますけど、ほら。すごい表情で睨んでますよ」

と言った。

若い男性は店主の天然パーマの方を見ると、頭を振るようにして手元の手羽先に目をやった。そして焼酎を飲み始めた……解放サインだった。

女の子は、私の方に会釈した。表情は見ていない。トコトコと奥の座席に向かい、もう1人のアルバイト男の子と一緒に賄いを食べ始めた。

私の考えを述べていいだろうか。

やっぱり、ああい勘違いをした御仁は、一度ガンと言ってやらないと効かないんじゃないか。痛い目をみないと反省しないからだ。あの日はどうにかなったが、あいつはまたやるんじゃないか

だったら、あの時リスクを冒しても、私はあいつを全力で威嚇し、場合によっては店の内外で暴力によって制裁を下してやるべきではなかったのか。彼は若かった。それも愛だと思う。

そうすれば、もうあの女の子が絡まれることはなくなる。私も焼き肉店を出入り禁止になるリスクはあるが、私と店主は10年以上の付き合いだ。謝ったら許してくれるかもしれない。

少しだけ自慢をさせてもらうが、ケンカは強い方だと思う。社会人になってからも合計で30回以上、祇園木屋町路上や、飲食店スナックの中で暴れたことがある。それこそ色んな輩と戦っているが、負けたことは二度しかない。

現行犯警察逮捕されたこともある。が、私は経営者からクビになることはないし、従業員だって私がこういう人間だと知っている。みんなの前で、「また捕まったよ!」と冗談交じりに言ったなら、職場がまた笑いに包まれるのだろう。

別件だが、私が奴さんくらいの年の頃だった。2005年くらいか先斗町寄りの祇園の端っこにある居酒屋で、深夜に大学生の男が酒に酔っていた。

私は彼の2つ隣のカウンターに座っていて、その間には黒っぽいスーツ男性が座っていた。片見知りだ。彼は私を知らないかもしれない。

「俺は立命館に現役合格してるし、そのうえ~~(よく聞き取れない)~~、△△(京都で一番有名な製作所)に内定をもらっている。いつか天下を取ってやる」「あのサークルの□□さんは俺のことが好きだ。付き合いたい」「人生はこれからも楽に勝てる」、みたいなことを言っていた。

彼は酩酊して友達に絡んでいた。若さゆえの発散だった。

彼が黒いスーツ男性に絡んだのを覚えている。それを確かめて、酎ハイをぐいっと飲んで、卓に置きかけたところで、カウンター椅子がガッタン!と倒れる音が聞こえた。

怒号があった。あまりに驚いた私は聞き取ることができなかった。すぐ隣を見ると、さっきの大学生が黒いスーツ男性におそらく蹴っ飛ばされて、仰向けで倒れていた。

黒いスーツ男性はまた何か叫ぶと、大学生の脇腹の辺りを鋭く蹴った。うつ伏せ気味になった大学生を、何度も何度も革靴で踏んづけて、首根っこを掴んで引き上げたと思うと、右の拳を彼の顔に何度もぶつけていた(凄まじい台詞だった。そのまま書いたら当日記は削除されるだろう)。

私は周囲を見た。店長と思しき人間を始め、誰一人として暴行を止める様子はない。ほかの客もそうだ。それもそのはずで、スーツの男は本物の暴力団だった。相応の経験を積んでいる。

私もこの業界人を長いこと見てきた。堅気かそうでないかは、怒号の質と、暴力への慣れと、それらへの躊躇のなさで判断できる。

2022年現在暴力団員が深夜に居酒屋を利用することは減ったし、居たとしても隅の方で大人しくしている。だが、この時代は違う。まだ彼らに勢いがあった。あの当時は、暴力団組員が数人連れで大手を振って繁華街をうろついていた(だんだん思い出してきた。この頃、木屋町大通り公衆面前でのリンチ殺人事件が起きて、急に警察官が増えたのだ。それで反社半グレ繁華街から消えた)。

この時、居酒屋の店主が警察通報していたら復讐を受けたのは間違いない。もし、彼らが「〇す」と言ったら本当にやりかねない。いや、やるのだ。本気度が堅気の人間とは違う。

そういうオーラが立ち振る舞いから漂ってくるものから、店側が「あのお客はもしや」と気が付いたとしても、また情報提供を受けて真実を得たとしても、何も対応することはない。これが、繁華街から反社の影が消えない理由ひとつである

話が逸れた。大学生を見ると鼻血を流していた。何度も殴られて、男の衣服を掴んでいた片手がぶらんとなったところで、私は止めに入った。男の肩を後ろから触って、「○○の集まりでいた人だよね。店の奥の客が通報しとったで。はよ逃げ」と、彼の面子を潰さないように嘘をついた。その男は、店長と思しき人間を一睨みすると、お金を払うことなく店外に出て行った。

大学生の方を見ると、大泣きで仲間の肩につかまっていた。店員から「料金はいいですから」と説明を受けていた。

災難だったが、彼はい勉強になっただろう。社会人になってからまり調子に乗ったことをしていると、ある意味で今回よりもひどい目に遭う恐れがある。その前に学べたのだから、彼はむしろツイていた。

例の反社の人は、あれから相当に勢いのある人間に育ったが、現在はわけあって娑婆にいない。あまりに男気が強すぎたのだ……。

さて、私もいい年だ。社会常識はわかっている。何事も、説得によるやり方が一番の至上なんだろう。

が、土木仕事をしていると常々感じる。正しいやり方は、その時々の環境や条件によって変わるのだ。晴天時と小雨の日とでは、現場練りで配合するセメントと水の割合も違ってくる。

初めに戻る。私は、あの時あの状況では、女子店員若い人(といっても30は超えてるだろうが)の未来のために、ついでに焼肉店のためにはどうするのが最上だったのだろう。またあの店で同じようなことがあった時、私はどうすればいいのか。

増田の人の知恵を貸してほしい。できればなのだが、金髪ダイダラボッチアイコンの人か、物憂げな青っぽい女性の人か、楽しい雰囲気黒髪女の子か、鼻が大きい男性の人か、おたまじゃくしの人のコメントがあったらうれしい。おたまじゃくしの人は最近見ない。元気にしているのだろうか。

2022-10-28

これは恥ずかしい😨

kuzudokuzu それを言うなら、ちゃんと「老子は年齢差別者」って言い続けてね。言わなければ、志学而立不惑知命耳順従心を知らんという無知を示す。自分でかけた呪いだね、覚えてね。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4727276435278956899/comment/kuzudokuzu

40歳不惑とか古くない?これ新しい言葉作ったほうがいいよ。

2022-10-14

anond:20221013000432

🐈オメデトウゴザイマス

不惑増田さんとお呼びしましょうニャ

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