2023-12-29

GACKTを笑うもの辰吉丈一郎に泣くのか

少し前に、GACKT忘年会での酒豪エピソードをXでシェアしたというネットニュースに多数の批判的なコメントが付いていたのを覚えているだろうか。

https://news.yahoo.co.jp/articles/1dfe3707804a61a686408af753ac213a1c689d53

「酒が強いのは自慢するようなかっこいいことではない」「酒に酔って人に迷惑を掛けるバカ助長するな」「肝臓が壊れて早死にするのにあさましい」といった具合である

こう批判する人たちは、井上尚弥の闘う姿を見ても何も感じないし、「馬鹿らしい」と一蹴するのだろうか。無茶な理論に見えると思うので以下に補足する。

酒が強いことが男らしい(ジェンダー分けしたいわけではないが、特に男性にこの傾向が顕著に思えるためこう描写することとする)とみなされる背景には、格闘技と通ずるものがある。


相手からパンチをもらわない、もらっても平然としている格闘家の姿を見て人は容易に「男らしい」「強い」「かっこいい」というイメージを抱くものだ。アスリートとしての動きや能力の高さに加え、怪我や命の危機への耐性の強さという、ヒトという生物としての生命力の高さに対する根源的な憧れが私たち無意識に刻まれているためだ。


酒が強いことが未だに称賛される理由にも同様のものがある。アルコールという人体に有害言動を狂わせる毒を大量に摂取してなお、顔色も変えず平然とし、嬉々としてさらに酒を飲み続ける姿に、私たちはヒトとしての生命力の高さを見ているのだ。この根源的で無意識な憧れは、文化科学進歩してなおヒトがヒトである限り続いていくことだろう。

「酒に酔って人に迷惑を掛けるバカ助長するな」これはもっとであるが主旨を少々はき違えているように思われる。多量の酒に酔って人に迷惑を掛けるレベル人間は本当の酒豪からすればそもそも称賛される対象ではない。プライベートで人に拳を向ける格闘家、あるいはパンチを放つは良いが相手からパンチを容易に喰らってすぐダウンする陳腐格闘家のようなものだ。そうした人種は酒を多量に飲むべきではない。

肝臓が壊れて早死にするのにあさましい」これももっともであるしかし酒自慢をする漢はこれを承知で酒席というリングに上がっている。格闘家が、後年脳や身体へのダメージに苦しむかもしれないにも拘らず競技を続けるのと似ている。


酒豪とは格闘家である。将来迎えるかもしれない心身の崩壊に目をつぶり、酒席に上がって己の生命力の高さを見せつける事にこそ彼らの刹那的な悦びがある。


さて、大抵の格闘家は30代半ばには引退する。心身の衰えを自覚したり、将来へのリスク鑑みることが多くの場合その理由である。同様にまともな酒豪家も、いい大人になるころには大抵その競技から身を引くものである


何が言いたいか。50歳にして酒豪の第一線に身を置いている(つもりであるGACKTが笑われる根源的な理由はここにある。53歳にしてなお格闘技の一線に身を置く辰吉を見て人が苦笑いするのと似ている。


さっさと酒豪引退しろクソジジイGACKT。体を大事にして長生きして〇ねよな!

  • 格闘家をカッコいいと思ったことないな。

  • 最後が言いたいだけのネタなんだろうからツッコむだけ野暮だが 格闘技はルール化・競技化(公開)されてるからこそ競技として市民権を得ているので ルールなし・非公開の飲み会で行...

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