はてなキーワード: お受験とは
WikipediaのCategory:いじめ自殺事件を参照すれば、地域どころか国レベルで無関係であることは証明されている
次のことをお試しください
少なくともお受験によるウォールによって荒れる可能性は低減できるものの、いじめのリスクを0にすることはできない
むしろこっちの方が更に凶悪な状況になるかもしれないし、第一頭が良くないとこの選択肢は使えない
ゆたぽんみたいなことをしなければ大抵忘れるので恥にもならない役立つ逃げが可能になる
言及で「不登校の奴らもロクな人生を歩んでいない」というのもあるが、ここでは中学で死なないという観点でその選択肢を挙げている
(そういう奴らを淘汰するためのろ過装置と揶揄されること多し)
ここに居る増田の回答を待つ
望み薄
次は採用していない
暗殺などによる自らが犯罪を犯す系の選択肢は全て除外した(よくそういう作品は見るような気はするけどね)
小学生の頃の友人を頼る(中学であっさりと裏切られるのもよくあるパターンでしかないため)
親に頼る(無駄になること多し)
この前あんたが子供の頃に書いた作文を読んだんだけど、やっぱり昔からの作文を褒められてたし今見ても明らかに光るものがあった。あんたにはそっちだったんだね。お母さん間違えたね、、と。
教育熱心な家庭な母のもとに育ち、バレエピアノに加えて小学生からお受験でずっと家庭教師と進学塾通いだった。
何にも結果が出ず何をやらせてもやる気が無さそうな私はしっかり者でキツい性格の姉からは知恵○れ(放送禁止用語すぎるな…)とたびたび言われて育った。
その結果私には、私なんかが何をやってもうまくいくわけないという自己肯定感爆低の呪いがかかった。
本を読む事が大好きで児童書を買ってもらっては小躍りするような子供だった私。
確かに読書感想文や書き物系なんかでは毎回クラスの代表みたいのに選出されてコンクールで賞を取った事もあったな。
でもどのジャンルでも本物になれるや好きな事を続ける人は親がどう舵を切ろうとそちらに自らの力で行くんだと思う。
だからお母さんのせいじゃなくて、私が全く大した人間ではなかっただけ。
それでも私のような特性のある人間はいつも頭の中がごちゃごちゃしているし考えすぎて何もできないし、そんな時に文章は私を癒やしてくれる最大のツールになってる。何かをこうして書いている時は余計な警告音が頭で鳴っていないというか頭の中が静かなんだ。
この前あんたが子供の頃に書いた作文を読んだんだけど、やっぱり昔からの作文を褒められてたし今見ても明らかに光るものがあった。あんたにはそっちだったんだね。お母さん間違えたね、、と。
教育熱心な家庭な母のもとに育ち、バレエピアノに加えて小学生からお受験でずっと家庭教師と進学塾通いだった。
何にも結果が出ず何をやらせてもやる気が無さそうな私はしっかり者でキツい性格の姉からは知恵○れ(放送禁止用語すぎるな…)とたびたび言われて育った。
その結果私には、私なんかが何をやってもうまくいくわけないという自己肯定感爆低の呪いがかかった。
本を読む事が大好きで児童書を買ってもらっては小躍りするような子供だった私。
確かに読書感想文や書き物系なんかでは毎回クラスの代表みたいのに選出されてコンクールで賞を取った事もあったな。
でもどのジャンルでも本物になれるや好きな事を続ける人は親がどう舵を切ろうとそちらに自らの力で行くんだと思う。
だからお母さんのせいじゃなくて、私が全く大した人間ではなかっただけ。
それでも私のような特性のある人間はいつも頭の中がごちゃごちゃしているし考えすぎて何もできないし、そんな時に文章は私を癒やしてくれる最大のツールになってる。何かをこうして書いている時は余計な警告音が頭で鳴っていないというか頭の中が静かなんだ。
この前あんたが子供の頃に書いた作文を読んだんだけど、やっぱり昔からの作文を褒められてたし今見ても明らかに光るものがあった。あんたにはそっちだったんだね。お母さん間違えたね、、と。
教育熱心な家庭な母のもとに育ち、バレエピアノに加えて小学生からお受験でずっと家庭教師と進学塾通いだった。
何にも結果が出ず何をやらせてもやる気が無さそうな私はしっかり者でキツい性格の姉からは知恵○れ(放送禁止用語すぎるな…)とたびたび言われて育った。
その結果私には、私なんかが何をやってもうまくいくわけないという自己肯定感爆低の呪いがかかった。
本を読む事が大好きで児童書を買ってもらっては小躍りするような子供だった私。
確かに読書感想文や書き物系なんかでは毎回クラスの代表みたいのに選出されてコンクールで賞を取った事もあったな。
でもどのジャンルでも本物になれるや好きな事を続ける人は親がどう舵を切ろうとそちらに自らの力で行くんだと思う。
だからお母さんのせいじゃなくて、私が全く大した人間ではなかっただけ。
それでも私のような特性のある人間はいつも頭の中がごちゃごちゃしているし考えすぎて何もできないし、そんな時に文章は私を癒やしてくれる最大のツールになってる。何かをこうして書いている時は余計な警告音が頭で鳴っていないというか頭の中が静かなんだ。
WikipediaのCategory:いじめ自殺事件を参照すれば、地域どころか国レベルで無関係であることは証明されている
少なくともお受験によるウォールによって荒れる可能性は低減できるものの、いじめのリスクを0にすることはできない
むしろこっちの方が更に凶悪な状況になるかもしれないし、第一頭が良くないとこの選択肢は使えない
ゆたぽんみたいなことをしなければ大抵忘れるので恥にもならない役立つ逃げが可能になる
言及で「不登校の奴らもロクな人生を歩んでいない」というのもあるが、ここでは中学で死なないという観点でその選択肢を挙げている
(そういう奴らを淘汰するためのろ過装置と揶揄されること多し)
望み薄
雨の日はカッパ被って片道10kmくらいを漕ぐんだけど、さすがに強い風雨の日はバスで通学した
この時乗るのが、7つくらいの学校(小学校~高校)をまわる学生向けの特殊ルートで、一日一便(朝だけ)の学生だらけ便だった
俺みたいに雨の日だけ乗る奴やそうでもない奴、あと制服着た小学生で溢れてていつも混み混みだった。
俺は雨の日しか乗らないが、晴れの日に横目で通り過ぎるときもいつも混んでた。
一日一便しかないからね(電車通ってないのでこれに乗りっぱぐれると遠回りして乗り継ぐしかなくなる)
朝の通学・通勤時間帯ってのは得てしてみんなが急いでるし、バス車内に限らず道路もとても混んでいる
そんな中たまに朝の早い高齢者が乗車してくるわけよ。
まあスクールバスではないし、学生じゃない乗客だって当然乗ってくることもある
バス停にバスが停まり、乗降口が開いてから待合ベンチからゆっくり立ち上がり、ゆっくり乗車する。
そしてゆっくりあたりを見回し…というか見回すほどのスペースもないくらい混み合ってるんだけど、お受験戦争を勝ち抜いたしっかり者の小学生や優しい高校生が席を立って「ここ空いてますよ」って言うわけ。
突っ立ってる学生たちも高齢者が席までたどり着けるようにギッチギチの中頑張って隙間空けて通してあげたりして。(正直小学生が混雑した車内で立ってるのは危ないので小学生が席譲ってるの見るとハラハラする)
高齢者が腰を落ち着けたのを確認してから、車掌さんが「出しますよー」って一声かけてからゆっくり出発。
うんうん、優しい世界。
その便に乗ってくる高齢者ってのは大抵すぐに降りる。
歩いて行くのにはちょっとしんどい距離の移動のためにバスに乗ってるんだろう。
そもそも学生向け便だから駅や街中や主要部は通らないからね。終点も山裾にある高校だしもちろん循環しないし折り返しもない。
俺も定期ではないけど持っている。ていうかこの町に住む人は大体もっている。
だが平日の朝に見かける高齢者は大抵持っていない。土日に見かける高齢者は持っているのに。何故なのか
まあ情報に疎いとか電子機器に明るくないとかそういう感じなんだろう。高齢者あるあるなので仕方ない。
学校前以外のバス停で降車ボタンが押されると、車内の学生は「あ、老人が降りるんだな」と察する。
学校前以外のバス停で乗ってくるやつはいても降りるやつは滅多にいないからだ。滅多にというか、学生以外にしかありえない
定期的にこのルートを走っている車掌も手慣れたもので、わざわざ「○○(高齢者が乗ってきたバス停)から▲▲(次に止まるバス停)まではおいくら円ですよー」とアナウンスを入れる。
まあ毎回ではないのだが(毎日同じ人が運転してるわけじゃないし)
これをしたところでご老人がバス停に辿り着く前に小銭を用意してくれているかというとそうでもないんだけど、清算口に来た時に「何円ですか?」「200円です」「え?」「200円です!」「え?なに?」「に!ひゃく!円です!」「ああ、はいはい」とかいうやりとりの発生率は下がる。
ていうかね、そもそも清算口に切符入れたら乗車料金なんて即表示されんのよ。
ご老人がちゃんと切符とってればの話ですけど。正直取ってないんだよねみんな
何の話したいんだっけ?そうそう、俺はこれが我慢できなくて貧弱もやしながらチャリ通してたんだって話だ
自分がいずれ高齢者になることも、その前になんらかの理由で席を譲られるような立場の人間になる可能性があることも十分承知の上で、それでもずっとイライラしてしまう
静かな喫茶店に響く赤子の鳴き声とかもそう。仕方ないと分かっていても、イライラしてしまう
表に出したらどー考えても非国民極まりないので必死に我慢して、でも顔に出ちゃってるかもしれないから必死に距離をとってるワケ
短気を治したいんだけど全然治らないね、人間ってマジで変わらんよね、しょうもないね、ってそういう話だ
今もそう、斜め向こうのデスクにいる先輩上司が唾飛ばしながら電話してるのが視界にちらついてイライラしている
【追記】
>ICカードありなのに車掌が乗務、かつ整理券がバーコードつき(清算口に切符入れたら乗車料金なんて即表示)の路線バス、相当レアだと思う。乗ってみたい。
車掌さんではなく運転士さんです!!!!!!!アホですみません。その辺の呼び方区別全然ついてなかったです。バス内にいるのは運転席に座ってる運転士さんだけです
[B! 教育] ワークマン初のランドセルは税込8800円、「低価格・高機能・軽い」バランス重視の開発の裏側
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.fashionsnap.com/article/2024-03-05/workman-school-bag/
なんだかブコメが粗ぶっていたので、今まさに小学3年生の現役子育て世帯として、現代のランドセル事情(東京都下)についてまとめる。
高齢者は今時の常識へアップデートしてほしいし、これから出産・就学する親御さんたちの参考になれば幸い。
ここからの話は東京都下の公立小学校での話なので、私立や都心部のリッパな学校、地方の話はまた違うんだろうと思うけどね。
まぁ、あちこちで言及されているように、ランドセルと言えば本革の黒と赤、男子は黒で女子は赤、というのは全く持って時代遅れ。
もちろん黒・赤の保守層も一定割合いるが、もう半数前後かそれ以上がこの二色以外のパステルカラーやアースカラー、ブラウンなどカラフルなランドセルを使っているのがふつう。黒・赤でもアクセントカラーが入っていたりおしゃれ要素がある。
うちの子もなかなかに目立つ色のランドセルを自分でチョイスしたので、入学前は多少気をもんだが、無印のランドセルの話でも出ていたように、「同じ色の子」「あの子は~色のランドセル」などとそれぞれの種類や色が個性や識別のきっかけとして受け取られる時代であるらしい。目立つ色で孤立していじめられるとかそういうことは滅多に無さそう。嘘だと思うなら近所の小学生の通学風景をよく見てみるといいんじゃないかな。
それと、女子のピンク・パープル・スカイブルー、男子のモスグリーン・マリンブルーなどはそれぞれプリキュア・仮面ライダー等の影響を感じるのは別の意味で日本の子育てならでは。
そんなのこじゃれた東京の学校だから、と思うないなら、ランドセル大手のホームページを見てみるといい。
例えばシーズンになるとTV-CMもよくみかける「天使のはね」のセイバン
https://store.seiban.co.jp/shop/pages/instagram_user.aspx
それぞれ男の子・女の子の商品ラインナップを見れば真っ黒・真っ赤なモデルはかなり少数派、色以外の要素もめちゃくちゃ多様なのがなのがわかると思う。ふつうに古典的なランドセル型の製品だけでもこうで、さらに今回話題になったランリュック的なモデルを使ってる子もいる。そういう時代なんだよね。
よくあるのは「祖父母にリッパなランドセルをプレゼントしてもらう」って奴。
あれはほぼ子供のためよりも祖父母に対する家族サービス。
孫と一緒に買いに行って「これはおばあちゃんに買ってもらう」というシチュエーションを祖父母に楽しんでもらうイベントなわけ。
まぁ経済面で助かる、というのもあるが、安い製品は2万円台で買えて十分に丈夫で見た目も良いデフレ時代にそもそも高くて高級なランドセルを買う必要性って今ほとんどなくて、金銭面での理由付けは順位が低くなっている。
さらに、本革でオシャレなランドセルを背負わせたいという親の気持ちもわかるし、そこで親同士の見栄の張り合いとか、量産品をけなしたりする親もいるんだろうけど、それは完全に親のエゴで子供にはあまり関係ない。まぁ、都心の立派な学校にお受験するような世界ではなんか違うのかも知れんけど、自分的にはそういう世界はちょっと嫌だなと思う。
それから、子供をランドセル専門店に連れていくと、5歳児のセンスなので、当然派手なカスタムモデルや、くるくるの革細工で装飾されたモデルなんかに食いついたりする。そしてそれらは当然いいお値段になる。だから、実際に連れていくのは結構順番を慎重に考えた方がいい。「今日は色を選ぼう」とか「「ここでは買わないと思うけど見てみよう」などの予防線を張ってみるのもよいかもしれない。カタログも同様。本気で親の本命モデルがあるなら、偵察は親だけで行き、子には敢えていろいろ見せずにまっすぐ行った方がいいかもしれない。
あとは購入時期、一時期「ラン活」などと言われ、入学前年の夏ころには売り切れる、などと話題になっていたのは上記のような贈答用や見栄用の高級品の話。
それこそ一品物に近いような手造り製品からヨーカドーやニトリで買える大量生産の工業製品までピンからキリまで選択肢があるのが今の日本の豊かさと言えると思う。
量産品なら入学直前の3月に駆け込んでもまー多少選択肢は限られるけど買えないなんてことはない。
ランドセルで検索すると、先ほどのような大手メーカーから専業メーカー、皮工房など様々な製品が並ぶ。実際、幾つもショップを巡ったり子供を連れて行ったりしたが、本当に様々だし、質感や使いやすさなど今のランドセルはよくできている。
けどさ、使うのは小学一年生なわけ。ボッコボコにぶつけるし、床や地面に放り投げる、あまつさえランドセルを座布団替わりに使ったり、踏んづけたり、ソリ替わりにして斜面を下ったりしかねないわけ。
で、「だから、6年間使える丈夫な本革」というのは多分かなり時代遅れな発想で、そもそも今の量産品のランドセルは合皮でめっちゃ軽い。というかそれ以前にランドセルがデカい。
1. 教材が増えた
3. 学校に教材を置きっぱなしにできない(全くではないが)
4. タブレットやChromebookなどを持ち歩く
等の要素が大きい。
そして、ランドセル以外に手持ちで運ぶ習字セットや絵画セットも立派でデカい。
とにかく、今の小学生の荷物の量は自分ら親の世代から見ると異常なレベルで、自分の頃の倍ぐらいの荷物持って歩いてるんじゃないかな?
正直、親から見ると子供がかわいそうだし理不尽さを感じるレベル。ただ、この辺りは学区や校風等さまざまな要素で変わるとは思う。
そういう状況でランドセルに求められるのは「収納力」と「軽さ」なんだよね。そこで「本革は時代遅れ」という話に繋がっていくわけ。大きいほど重くなる本革は今のランドセルの要求仕様に向いていない。
もう一つ、ランドセルの使い方でポイントになるのはランドセルカバーの使われ方。
学校や自治体・学区によって変わるだろうけど、低学年はランドセルに黄色い安全カバーを付けさせられる学校が少なからずある。
そしてその延長線上で、黄色いカバーがなくなると、様々なデザインのオシャレカバーを付けるという話が出てくるんだよね。
ランドセル自体もカラフルだから、おしゃれ要素としてカバーを付けていても全然違和感が無いので、当然女子の間では「~ちゃんが~なカバー付けてる」みたいな話がでてきて、友達と仲間外れも気の毒だから親も買わされるわけ。そんなところもランドセルの多様性に繋がる。逆に、ランドセルと言うフォームファクターが決まっているからできる要素ではあるかもね。
ランドセルは本当に乱暴に使われる、乱暴に使わせないのが躾だというかもしれないが、まぁ、そういう家は頑張ってお受験してよい学校に行けばいいのではないか?
上で述べたように、今のランドセルは軽くて丈夫だしデカい。なので、6年間はまぁ使われても問題ない強度だと思うのだけど、一方で安い製品は本当にお手軽価格で買える。
なんで、そもそも6年間1つのランドセルを使い続ける、という事自体発想が古いのではないかと思うんだよね。
ここまで説明したように、皆で同じものを最後まで使う、という均一なコミュニティの時代ではなくなっているのだから、ボロボロになれば、高学年になれば新しく買い替える、ランドセルを止める、というのができる時代になっていると思う。
そもそも、小学6年生まで大きくなればほぼ中一なわけで、その背丈でランドセルもおかしくね? って子も出てくる。
ランドセル専門店のカタログを眺めていると、6年間大事に使ったランドセルを海外に寄付しようとか、リフォームして思い出のアクセサリーに、なんて話も色々載っていて、それはそれで楽しいね、とは思うけど、例えば中一になった男子がそんなこと考えると思う? たぶん、それはそれで親の楽しみなんじゃないかな、と思うんだ。
だから、これからランドセルを買わなきゃという親御さんも、そんなに気張ったり焦ったりする必要はないんじゃないかなと思う。
やりたい風にすればいい、色々なやり方がある、今の日本は多様性と選択肢があることを喜ぶべきなんじゃないかな?
ランドセルを作る側にしたって、色々なアプローチを試してみればいいと思う。売ってみて売れなければ撤退すればいいじゃない? 安いランリュックでいじめられたら買いなおせばいいじゃない? 外野がとやかく言うような話じゃないと思うよ。
Twitterでスリッパがどうのこうと、小学校受験が話題になっていた。
自分も小学校受験をして、高校まで同じ学校だった。自分がお受験をしたからこそ、絶対に自分の子供にはさせたくない。
話題になってたTwitterの投稿みたいなことを平気で言う親、めっちゃ多い。
基本公立のことを馬鹿にしてるから、そんな大人を見た子供も自分の学校以外のことを馬鹿にする。
バスの運転手さんにも、「運転手のくせに」って言ってた子がいたこと覚えてるし、公立の小学生は勉強が出来ないと思ってるから、馬鹿にしてた。
教師もその学校出身の人が多いから、外の世界を全く知らない。兄弟が公立だと育て方が…とか平気で言う
小学校のころ、ちょっとしたいざこざで問題になった子がいたんだけど、高校でもまだ噂が回ってた。中学、高校と外部から入ってきた子にもその子の小学校の時にしたやらかしは共有されて、結局その子はずっと友達が出来なかった。
環境を変えてやり直すことができないから、小学校の時についた子供や親のイメージはずっとついてまわる。
③圧倒的に内部が強い
内部生が強すぎて、高校から入ってきた外部生が入らない部活とかあった。スクールカーストも絶対小学校からの子が上。どんなに明るい子でも、高校から入ってきた子は雰囲気違うね(笑)と言われて弾かれることもあった。
通学に1時間くらいはみんなかかってた。隣の県から来てる子もまあまあいた。
付属あるあるだけど、小学校から入ってきた子が一番性格悪いし親もパンチある人が多い気がする。