はてなキーワード: 他人行儀とは
古くからその土地に住み、大きな家と田地を持ち、しかし戦後の農地改革でほとんどの財産を失い、裕福だった証拠はやたらと広い一族の墓地くらいのもの。田舎にはこういう家が溢れている。僕の家はそんな所だった。戦国時代から続いていて僕で 17 代目だとか?それを証明する家系図はもう火事で焼けてしまったみたいだが。
少し古い映画だが、「サマーウォーズ」で主人公が訪問する田舎の一族、イメージとしてはアレに近い。正月は一族で集まり、当主から順にズラリと並び、その当主がくれるお屠蘇を漆塗りの器におしいただいて、一族の健康と繁栄を願うのだ。僕は当主からすると直系の最初の孫に当たり、父に続いてお屠蘇をいただくのを誇らしく思ったものだ。
しかし当時から不思議に思っていたのだが、父を含む僕の家族はこの家に住んでいなかった。父は長男、つまり次期当主だったのにも関わらずだ。家業は稲作なのに農作業を手伝うことは無く、そもそも他県に住み教師をして生計を立てていた。自然と僕もこの大きな家を他人行儀に感じ、普段は公営住宅の狭い家に住んでいることから、この家のことを盆と正月にだけ滞在する言葉の通じない外国の別荘のように考えていた。「外国」と言うのは、県も違うので僕の方言が通じなかったのだ。
父が家を出た理由は本人からは結局聞けず仕舞いだったが、叔父などから断片的に聞く限りではかなり複雑な家庭環境だったようだ。確かに、僕の知るお婆ちゃんは本当の祖母では無いとか、床の間に知らない男性の遺影が飾ってあるとか、そんなミステリアスな所も「外国の別荘」のような連想を助長していた。これらについては、故人の尊厳のためにも深く穿鑿すべきではないと、当時も今も考えている。
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そんな父は、人の親としてはかなり優秀だった。それまでの経緯から実家の支援は受けられなかっただろうに、独り立ちできるよう手に職を付け、教師としては結構な金を稼ぎ、できるだけ教育に投資して僕を大学に入れたと思ったら、力尽きたようにポックリ逝ってしまった。それでいてそんなに禁欲的だった訳ではなく、夏休みには家族旅行もし、仕事の研修で何度か海外に行き、長期の休みを取っては毎年一人でスキーや釣りを楽しんでいた。
僕自身が興味を持ったことは何でもやらせてくれる父で、書道とピアノは幼児の頃から大学に入るまで続けさせてくれた。サッカーがやりたいと言えばボールを買い、野球に興味を持てばユニフォームを揃え、夜に星空を見たいと言えば立派な天体望遠鏡を買ってくれた。これらはほとんどモノになることはなく、ただ一つ、当時流行り始めていた 8bit マイコンを買ってくれたことが、僕が今でも IT エンジニアとして生きて行くきっかけとなった。
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そんな父にも欠点はあった。とにかく迷信深く、いくつもの新興宗教にハマったのだ。父自身、また僕が病弱だったことや、ひょっとすると実家の事情も影響していたのかも知れない。今でも覚えているのは、自宅に仏壇とは別に祭壇を用意し、そこにお供え物を上げて妙な文章を読み上げる儀式を、僕が担当して毎日夕方にやっていたことだ。
他にも気功か何かで癌が治ると言う宗教に熱心で、こちらは父自身が信者同士の合宿に何度も出掛けていた。教義をまとめたノートを作り、会合で発表する様が写真にも残っている。
世紀末で世の中にはこういうインチキ宗教が沢山罷り通っていた。父の信仰心はその病状を好転させることは無く、父が死んだ後、これらの宗教団体は解散して費した金は全て無駄になってしまったようだ。
これらにどの位散財したのだろうか?僕にはもう分からない。それでいて子供二人を中高一貫校に進学させ、上に書いたように習い事もさせながら、東京の大学に入るまで面倒を見てくれたのだ。教師としての稼ぎだけでできる気がしないのだが、実家の助けがあったとも思えない。専業主婦だった母も死んでしまったので、この辺の事情を聞ける人はもう居なくなってしまった。
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十年振りに、「外国の別荘」、つまり父の実家の大きな家を訪問した。昔僕にお屠蘇を注いでくれた祖父はとうの昔に他界し、今ではそこに僕とは違う方言を話す叔母が住んでいる。彼女の息子が将来は家を継ぐという話を聞いた。
子供の頃、父が作ってくれた滑り台で遊んだ庭は潰されてアパートが立っていた。耕す者の居ない農地は全て売却したそうだ。父の遺骨はもう一族の墓地には入っていない。
清潔感とか年収とかの最低限のラインは達成してるけどモテない、でも結婚したい人におすすめの方法があるよ。
それはパパ活。
女性の中で「セックスしたことある人」と「セックスしたことない人」の間にはものすごい差があるんだよね。
セックスしてもいいな、と思える相手になるにはものすごい運や努力やコミュ力なんかが必要。だけどそもそも非コミュ30代↑は女の子と出会うとこからまずムリ。仲良くなってセックス?おいおい、どんな無理ゲーなんだよってなるけど、ここを全部パパ活でショートカットできるよ。
一端体の関係になっちゃえば、あとはあなたが絶対的にムリなラインじゃなけりゃパパ活続けてるうちに徐々に好意を持ってくれるようになる……かもよ。
なんて言うと「パパ活やってるキモい男となんてお金の関係じゃなきゃ付き合いたいわけないだろ」と思われるだろうけど、それはパパ活やってない一般人の常識的な視点。
パパ活やってる女子は自分のことを普通だと思いたいし、同様にセックスする相手も普通の人だと思いたい。普通の人だったら普通に恋人になったって普通でしょ。
でもパパ活してる女性の中に結婚したいと思えるような女性を見つけるのはなかなか手間がかかるよ。
私は地方のそこそこの都市住みだけど、今までパパ活で100人以上とはやりとりして、30人ぐらいには実際に会った(そのうち肉体関係もあったのは数人)けど、この子はいい子だな、と思った子は2、3人ぐらいかな(個人の主観です)。
だけど実際に会って体の関係になる前に一度会って話しましょう、と言えば大抵の人は応じてくれるよ(応じてくれない人の多くは業者か、もはや本業になってる子が多いのでそもそも避けた方がいい)。そこで根掘り葉掘り聞けるので、明らかに性格や容姿の好みが合わない人は避けられるよ。
もっとも、人によっては面会にも5千円~1万円ぐらい取ってくるんでこれもなかなか経費はかかるけど、まあデート代だと思えば安いものでしょ。
パパ活してる女なんて、パパ活してる男なんてって批難されるだろうけど、本当に結婚したいなら出会いのひとつだと割り切ったってていいんじゃないの。
そんなことしないで結婚相談所に登録しろよとか言われるかもだけど、私は結婚相談所に登録してたこともあるんだよね。
でも非コミュ(コミュ障まではいかないよ)にとって結婚相談所も難易度高いと思わん?
私は二人で会って、そこらへんのカフェでお互いのプロフィールシートみながら礼儀正しくお話しして、それで仲良くなって付き合うまで行けるイメージがぜんぜんわかなかったんだよね。
その点もパパ活相手は気楽だったね。そこまで他人行儀にならなくてもいいし。
といっても俺が金払ってるんだからみたいに相手をぞんざいに扱うやつはダメだよ。これ風俗行き慣れてる非モテにめっちゃ多いんだけど。女性に大しての礼儀が全くないやつ。そんなやつ好かれるわけないからね。パパ活してるけど、相手のことをちゃんと思いやれる態度があるから、相手も自分のことを恋愛対象として見れる相手になれるんだから。
まあ非モテのみんなは「おれは優しいのに非コミュだからモテない」みたいに思ってる人多いでしょ。じゃあ優しい人でいなよ。そうじゃない人はしらんよ。
まあパパ活だってセックスしたからってきみのこと好きになってくれるかどうかは知らんけどね。そうじゃない方が確率高いと思うし。
でもまあ相手が自分のことを好きにならないのなんて普通のことだし、たとえ好きになってくれなくてもセックスはできたんだからよかったじゃん!
今日もいつもの精神科に訪れたのだが、待合室に中年の女性と二十歳前後の女性が座っていた。どうやら親子らしい。
「じゃあこの用紙に必要事項をここまで書いてくださいね。ちなみに娘さんはどのような症状ですか?」
いやここで聞くの!?プライバシーの問題は?と思ったが、母親が
「いや…色々あるんですが、一番はよく手を洗うようになったこと。何度も手を洗うので周りから見てても辛くなってきて…」
と答えた。ああ、強迫神経症、潔癖症の類かな。大変だなぁと思ってチラッと母親の方を見た。
すると、母親の手に透明のビニール袋がはめられていてビックリした。
「(いや、お前が潔癖症やん!)」
と心の中でつっこんでしまった。いやぁこれ娘が悪いのではなく、母親から病気の症状が伝わってるだけでは?
娘さん、悪くないのでは…。母親も自分が病気なの分かってるならまだいいが、「娘が手を洗うのが気になる」って言ってたし自覚ないのかも。それならこりゃ娘さんは地獄だな…
そう思っていたら、突然母親が
「ここの先生、どんな方ですか?」
とこちらに尋ねてきた。えっこの流れで話しかける?受付の人は窓口に戻ったけど、聞こえる範囲にいる。変なことは言えない。
「え、いい先生ですよ。優しいし」
まあ嘘はついていない。すると母親が
娘を思っての話しかけなら、まあ理解できるか。でも普通は待合室で聞かないよな、と思ってると
「長いんですか、ここ通って」「治ってきましたか?」
と他にも質問をしてきた。うーん、やっぱりなんかこの方、距離感がおかしい気がする。
娘には「もう書けた?あっここまで書かなくていいのに!お前はもうなんで…」ともぼやいたりしてるし、母親にやはり問題があるのではと思わざるを得なかった。
でも病院に来ても、母親が病気だとは先生も言わないだろうし、娘は母親から逃げられないし、病気は治らないんだろうな…と思うとすごく悲しくなってしまった。
とここまでで話は終わり。あとは蛇足。
自分も前、妻に「あなたのお母さんってちょっと変わってる。なんか子供を愛してない感じがする」って言われたことがある。
「え、そんなことないと思うけど」と答えたが、「子供がこんなに困ってるのに放ってたりするし、うちのお母さんだったらもっと助けてくれる。なんか他人行儀だよ」と言われた。
そういう親子関係って、周りから見ないと分からないものなのかもしれない。
自分も病気になってしまっているが、もしかしたら親の影響もあるのかもな。もしそうなら、あまり自分のせいにし過ぎるのも良くないな。そう思った。
恋愛不要をやたらと叫ぶ人達って日本では本当によく見掛けるけれど、アメリカもなのか
なんでなんだろうな
具体的な作品に関して、このキャラクター、このカップルの恋愛はやめて欲しかったと言うならば、自分もそういう不満は沢山あるしよーーく分かるんだけど(例えば米に出てるゲーム・オブ・スローンズだとブライエニーやアリアのセックスシーンに関しては自分も嫌だと思った)
でもそうでなくて作品名も挙げずにただただ恋愛は不要だとだけ言われても反発しか感じない
恋愛が見たいなら恋愛ものを見るって言ってる人もやたら多いけれど、その理屈も意味不明なんだよね
だって、恋愛って生活の一部だろ…現実の人間だって勉強したり部活したり仕事したり家事したりしながら恋愛してるじゃん
他の事を一切しないで恋愛「だけ」している人なんて存在する?女王蜂と雄蜂の擬人化か?そうじゃなければあまりにも不自然では?
この手の言い分ってあまりにも、恋愛ものを馬鹿にし過ぎだと思うんだよなぁ…
天使なんかじゃないや君に届けでは、進路と恋愛で悩んで希望の進路に進む事を選んで遠距離恋愛を決意した女の子が描かれていたけれど、
恋愛ものが本当に恋愛「だけ」書いているならばこの種の描写はなかったでしょうに。
物語における恋愛ってキャラクターの行動の動機を分かりやすく示すものとして有用だろ
寧ろ思いっきり本筋な事が多くない?
どうしてそれを理解せずに簡単に「恋愛は不要」と言ってしまうのか
例えば天空の城ラピュタはパズーがシータを銀貨で軍に売ってめでたしめでたしになるし、ふしぎの海のナディアはノーチラス号まで辿り着かない、
スラムダンクはバスケを始めない不良漫画になるかバスケ部に入ってもしごきに耐えられずすぐに辞める、名探偵コナンは蘭の家にお世話にならないので眠りの小五郎が爆誕しない、
からくりサーカスはフェイスレスが誕生せずゾナハ病の脅威もなく、NARUTOはオビトがマダラに騙されないので無限月読計画が発動せず、
天気の子はあっさりヒロインよりも世界を選ぶ、東京リベンジャーズはうだつの上がらないフリーター生活を続ける、葬送のフリーレンは人間の仲間の事なんてすぐに忘れて陰遁生活、
ロード・オブ・ザ・リングは王の末裔が種族違いの恋で悩まない、ゲーム・オブ・スローンズは不義の子である主人公も三兄妹も生まれない、
そんな作品面白いか?まぁそれはそれで別のアプローチで面白く出来たかもしれないが、今ある作品とは完全に別物になるじゃん。
今ある作品で恋愛要素があるものは殆ど、それが作品に不可欠な要素として組み込まれていて、抜いたら別物になってしまうと思うんだが。
あと、「要らない」という表現の傲慢さ。恋愛要素が要るか要らないかは表現者が決める事であって視聴者が決める事ではない。
「嫌い」「苦手」「やめてほしい」「見たくない」なんかならあくまで個人の感想だし普通に共感するんだけど、なんでそう言わずに敢えて「要らない」って言うんだろう?
個人の意見である事を誤魔化したいという心理というか、すっげー卑怯さを感じる
不思議なのはこの手の意見を表明する奴等に限って何故か久保帯人の埃だけ食ってろ発言は称賛してそうなんだよな
個人の意見を個人の意見として尊ばないって点では共通してそうだが。
あと、この手の恋愛アンチって何故か友情ならOKな事が多いのがさらに不可解(唯一シン・ゴジラだけはそれも含めて「余計な人間ドラマがなくて良かった」って評価だったけど)
仕事上や偶然の成り行きで組まされたバディなんて、寧ろ恋愛以上に友情が成立する方が不自然じゃない?
フィクションだと特に、年齢や社会階層、時には人種も違ったりするし、そんな間柄で友情が成立するのも大分不自然だと思うんだけど何故かそういう指摘は全然見ない
例えばTIGERandBUNNYとか、そもそもおじさんなんて言わずに礼儀正しく表面上の付き合いだけして波風立てずに他人行儀な付き合いのまま終わるのが現実だよね
年齢や階層の異なる者同士が、仕事上の付き合いで本気で意見を戦わせるってフィクションならよく見掛けるけれど現実では全然なくない?って思うよ
男女バディならばさらにそう。男女だとそれだけで性差別により置かれた環境が異なる訳で、最初は反りの合わなかった男女バディが事件を経て固い友情で結ばれ~なんてあまりにもリアリティないよ
恋愛ならば性的魅力で説得力が出る場面も、友情だとお互い得もないのにどうして?と説得力がさらにダウンする
そういうの一切考えずに「恋愛は低俗!」「恋愛は要らない!」「男女バディ尊い!」だから苛つくんだよな
みたいなイメージが地元で強いらしく何気に人気の伝統校だったけど。
入学1ヶ月くらいは12歳の子供らしく席が近い同級生同士がちょい他人行儀に会話したり、とりあえず一緒に帰ったりして緩く仲良くなり始めるんだけど、1ヶ月経ったくらいから明白なマウント合戦が始まる。
いとうせいこうみたいな髪型で強度近視用のメガネ掛けてる「いかにもお坊ちゃん育ちです」って見た目の連中(ていうか半分くらいそんな外見だった。入学初日にクラスのメガネ率弾き出したら8割超えてて仰天した記憶がある)でも、
歳の割に体格良かったり元々の気性荒かったりする奴なら弱そうな同級生に突然馬乗りになって鼻血出るまでボコボコにしたり、
「顔が暗いから笑」で前の席の奴の後ろ髪をライターで炙ったりしてた。
そんな様子を傍から見てて
「こいつらなんて恐ろしい奴なんだ……目つけられたら殺される」
と俺は震え上がってたけど、冷静に考えるとそいつらも皆お勉強頑張ってきたお金持ちの家のお坊ちゃんなんだよな。
粗暴とかけ離れたタイプにしか見えない中学1年のメガネくんが、
血だの火傷だの失明リスクだのにひるまず大笑いで同級生たちを痛めつけてるのは結構異様な光景だったと思う。
あと、家が寿司屋の同級生が裏でめちゃくちゃ笑いものにされてて衝撃を受けたのも思い出した。
下の毛が生えるかどうかの歳で職業の貴賎的な概念をすでに周りは普通に備え持ってたようで、年齢相応に幼かった俺はひたすら
「人の親のことバカにするのは思いっきりタブーだろ。ていうか寿司屋で何で笑ってんの?」
と混乱してた。
一部の人間が大人になって身につける類の嫌な差別心をそんな歳でどうやって身につけてたのか未だに分からない。
野球部が圧倒的に偉かった。
野球部がカーストトップで周りがビビって何も言えないみたいな風潮は多くの学校であるあるなんだろうけど、うちの野球部員はとにかく暴れまくってた。
休み時間、虫の居所が悪ければ金属バットで教室のロッカーベッコベコにするし、鉄アレイとか周りの人間の机を砲丸投げみたいにぶん投げまくって大暴れするし。
パフォーマンス感は全然なくて、本当に突然癇癪起こして気が狂ったみたいに暴れ出してたからみんな震え上がって嵐が過ぎるのをひたすら待ってた。
でもそんな彼らがタバコだけは絶対に吸おうとしてなかったのは今でも不思議でならない。
かくいう学生同士のカーストが下位の自分もどういうわけか大学途中くらいから
と、悪い思い出をなかったことにして気づけば母校愛が強いOBの1人にすっかりなってたけど、
最近になって、なかったことにしてた思い出が急に色々脳裏に蘇ってきてモヤモヤしてたのでここに吐き出した。
あいつら何不自由のない裕福な家に生まれ育って、同世代平均を上回る知能があって……
要するに恵まれてたくせに、なんであんな小さい時分から粗暴だったり差別的だったりしたんだろ。
父子2代どころか祖父、父、子3代でOBみたいな家も珍しくない学校だったけど、俺は自分の子供は絶対に入れたくない。
以前ネットで慶応大学野球部の就職先が凄いみたいなのが話題になってて見たけど、うちの学校の同級生連中のほうが良かった。
中高一貫のくせに「現役で早慶受かったら凄え」程度のレベルでしかない学校だったのにもかかわらず、明白にウチのほうが良かった。
1億積まれても入れたくない。
「そういう部分もある」では駄目。
これはほぼ100%がそうであるタイプであり、それ以外の部分は繋ぎでしかないと思っていい。
作中に説明不足に見える用語が沢山あるけど、それらは作品の外から持ってくる必要がある。
たとえば戦争映画でわざわざ「日本とアメリカが戦争をしています。日本は最後に負けます」と解説しないのと同じで、作品外から情報を補わせることで作品のテンポを良くしたり仄めかすことでより感情を揺さぶろうとしてる。
まずは作品のラストから遡っていき重要な用語を現実に当てはめて整理していく。
13個目の積み木→宮崎駿の長編監督作品(ルパン2作とコナン1作を含む)13作目が君たちはどう生きるか
血を継ぐものへの継承→宮崎吾朗(アーヤと魔女を見れば分かる通り、継承は失敗している)
インコの王→米林宏昌(それっぽい真似っ子は出来るが……を越えられず、ついには独立してメアリと魔女の花を作っている)
インコ→ジブリのアニメーター(塔(ジブリ)の庇護下にあるときは強いのだが、外に羽ばたいて見せると途端に魔法が解けて拾ってきたときのか弱い生き物に戻ってしまう。インコは結局真似っ子しか出来ねえかんね)
下の世界の死人→アニメーター以外のスタッフ(自分たちでは何も生み出せず、いざ作品が形になると群がってくる)
ワラワラ→未来の太客(面白い作品を見せて育てることで将来的に太い客になってくれる)
ペリカン→客を食い物にしようとするアニメ関係者(せっかく育てた客を食っていく。傷ついた客がアニメに愛想を尽かすすことも)
これがマジで難しい。
アニメーターとしての宮崎駿だと考えることも出来るし、宮崎吾朗の成長物語だったのかも知れないし、鑑賞者の分身だったのかも知れない。
そういった全てが重なり合った存在であったと解釈するのが自然ではあるのだが……。
たとえば自傷行為で心配されているのは宮崎駿が引退するする詐欺で周りを振り回したときの様子にそっくり。
ことあるごとに鈴木敏夫に振り回されているのは宮崎駿もそうだけど鑑賞者側も同じなわけで。
主人公は最初、本当の母親との再開を求めて塔に向かうが、途中から新しい母親を連れ戻すための冒険も同時に進行していく。
塔の中では幼少期の本当の母親と再開し、最後に別れを告げることになる。
また、新しい母親のことを最初は他人行儀に読んでいたのが、夏子母さんと母であることを認めることで取り戻すことに成功する。
結果として、どちらもが本当の母であると言わんばかりの終わり方となる。
これは宮崎アニメにおいて「ヒロインをどのようなキャラクターとして造形するか」についての葛藤を描いているのではないか。
ハッキリ言えば、「ロリコン趣味を疑われながらも少女を主人公とするべきか、そうではないヒロインを描くべきか、それらは物語や世間が求めるヒロイン像により時には重なり合い時には反発する」という話をしたかったのだと思う。
歪な時間軸の中で幼少期の母に出会いヒロインとして共に冒険しながら、もう1人の大人のヒロインを救出に行くという混沌とした物語構成が、常にその葛藤に晒されてきた宮崎駿の複雑な心情を描いているのである。
こうして纏めてみると結構スッキリした話なんじゃね?(むしろドロドロって気もするけどな(笑))
宮崎駿の目から見たジブリの物語を描いてますよって感じなのでは。
「君たちはどう生きるか」というタイトルはこの状況に対しての語りかけで、どこに向けてそれを言ってるのかで意味は変わるんだと思う。
ジブリと関係が深い人に対しては「俺が引退した後好き放題するんだろうけど、何をする気?」みたいな感じだろうし、インコに対しては「真似る相手がいなくなったらお前らもう本当に何も無くなるんじゃね?」とかなんかな。
でもインコの話について観客に対しても「お前らもインコになってねえか?」って圧かけてきててもおかしくないんだよなーこのお爺ちゃん職人気質とかいてパワハラって読むような所あるからさー正論で人を追い詰めるマチズモなんだよなー。
しょーじきここまでメタファーまみれだと「風斬りの7番」とかも分かる人には分かる要素なのかもね(鈴木敏夫の弱点って聞くと咄嗟にとある女性が思い浮かんだりしちゃうが、アオサギ=鈴木敏夫じゃなくて高畑勲って解釈もできるし焦っちゃ駄目ね。高畑勲の場合は柳川堀割物語かな。まあ人間なんかしら人生に汚点はあるからこじつけようと思えばいくらでも出来ちゃうね)。
アオサギを適当な人物に当てはめて「宮崎駿が「お前とは色々あったけど本当に友達だったと思ってるぞ」と言ってるんだ―尊いー(T_T)」って適当に感動しときゃええんちゃう。
作画スゲーだけで終わらせるのも吉。
ジブリは滅びますぞ―のセンチメンタルそのものについて鑑賞者まで深く考えんくていいと思う。
マザコンなのかロリコンなのかハッキリしろって突っ込むとか、宮 崎 吾 朗 wwwwwみたいにヤジを飛ばすとかは見終わってからまでわざわざせんでええのかもなと。
やっぱ全体としてストーリーラインが雑というか、もののけ姫とかに比べて不自然さは凄いし、ストーリーだけを楽しもうとするのは厳しいね。
マクガフィンが母親であることのパワーを過信しすぎて「え?そこまでする?」になってるのがあまりよろしくないのよねー。
メタファー込みで考えると上手い具合に物語に落とし込んだなって感心はするけど、そんなの見せられても困るんですよお爺ちゃんって感じよ。
私は自治体で職員をやっています。これはその地方のそれなりに大きな自治体で、一つの部署を任されていた時の話です。
その部署は市民の生活福祉を扱っています。生活保護や給付金なども私の部署が統括しておりました。
その時に常々日本のお金のない老人は人生が詰んでいるなと思っていました。
まず、彼らはお金がありません。
だいたい彼らはいまだに仕事をしています。暇だからと口をそろえて言いますが、話を聞くと貯蓄が数万円なことがほとんどです。
彼らは年金がもらえません。
なぜなら多くは農家や自営業で、月々たった300円程度の年金を支払わなかったからです。そのせいで彼らは年をとっても、障害を負っても、年金は一円ももらえません。
では生活保護は、と思うかもしれません。
地方に住んでいる多くの老人は家や農地を持っているのです。資産を持っている人に生活保護は出してもらえません。
そして、身寄りもいないのです。
地方で、農家をやっている、そして土地に異常に固執しています。子供たちはそんなご両親をよく思ってないのでしょう。多くの場合、連絡しても他人行儀の対応をされます。
これは本当にそうで、日本人は趣味がないことが多いです。だから仕事を辞めた後は雑談が主な生きがいです。ちょっとしたことがあれば大イベント。
彼らは嵐の日に作物に興味があるわけではありません。嵐という大イベントが起きたから慌てて農地や海辺に駆け寄るのです。
しかし、これができるのも最低限貯蓄がある人だけで、それができない人も少なからずいます。
私はいつもこう言いました。
「あなたのところ土地持ってましたよね?それ手放してくれないと生活保護できませんよ」
声を荒げる老人も毅然とした態度で理論的に詰めていくと、涙を流すんですね。面白いです。
下手にくれば話を聞こうとも思いますが、彼らはだいたい傲慢になぜ助けないだという態度なので私もそうした態度をとっていました。
もちろんそれだけではありません。
私は言います。
「あれ、車持ってないって言ってましたよね?軽トラも車ですよ」
「法律ですからね。これちゃんとした犯罪ですよ。警察呼びましょうか」
土地と家を手放して、知人に畑を取られたうえで生活のつてもなくなるんですね。
彼はその後何度か役所に来てましたが、そのたびに軽トラを手放すように言っていたらそのうち来なくなりました。
これは私の担当ではありませんが、生活保護のためにすべてを手放した老人に貸してくれる大家さんはいないんですね。
都内で若者向け公営タワーマンションができたなんて話を聞きましたが東京は栄えてていいですね。
もちろん、持ち家のない老人もそうで、彼らは現役時に妻や子供と住んでいたちょっと高めの家にずっと住み続けてるんですね。
彼らは老人一人が住むには不当に高い家賃を払うために多めに仕事をしたり、節約したりしてます。
夏の時期はうちや図書館が涼み場として盛況するんですが、同僚と一緒に、建物内からソファを除いて、長時間座るのに向いていない硬めの椅子に取り替えました。
おとなしくしてるなら目をつむりもしましたが、彼らは大きな声で雑談もするし、靴を椅子に乗せたりなど態度が悪かったのでそうせざるをえませんでした。
ですので仕事をやめる前に老後のためにはまず引っ越ししましょうね。
日本は老人に優しいように見えて全く優しくありません。
普通のレールから外れてしまえば、死ぬまで苦しみは続きますよ。
彼らは皆そういっていました。
私がさんざん催促に行っても拒絶されました。
「そんなもんの世話にならねえ。これ以上俺たちから金むしり取ろうってのか」
覚えていますよ。あなたが私の新品のスーツを掴んで言ったこと。
あれほどいつか大変なことになと警告したのに、あなたがその道を選んだのです。
中国ではコミュニケーションの効率化のために複雑な漢字(繁体字)を撤廃し簡体字を採用した。
科学技術分野等の発展を目指す上で、英語のようにシンプルな表音文字は有利でありそれらに打ち勝つためである。
一見狂気の沙汰に見えるかもしれないがこれはプログラミング言語に置き換えると非常に合理的である。
そう考えると、日本語の欠陥とはなんだろうか?
英語の「You」、中国語の「你」にあたる言葉があなた、お前、君、貴様...統一されておらず、いまいち浸透していない(日常生活で使われない)。
その結果われわれは二人称ではなく「○○さん」と固有名詞でお互いを呼び合うことを余儀なくされており、
名前を知らない人との会話が生まれずらくなってしまっているのである。
日本人が村社会で内向きで排他的で上意下達で陰湿でオタクで変態なのはすべてそのせいである。
ではどうしたら良いか?既存の二人称でメジャーな「あなた」は他人行儀なイメージがつきすぎているため、
そこで「そち」である。
教師と学生、上司と部下、男と女、だれしもが「そち」しか使えなくすることで日本人のコミュニケーションは加速する。
想像してみてほしい、誰にたいしても「そち」と言える世の中を。
知らない人に話しかけるときも「そち」。客や上司と話すときも「そち」...
弔辞 8月の2日にあなたの訃報(ふほう)に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに、本当に残念です。
われわれの世代は赤塚先生の作品に影響された第一世代と言っていいでしょう。あなたの今までになかった作品やその特異なキャラクター。私たち世代に強烈に受け入れられました。10代の終わりから、われわれの青春は赤塚不二夫一色でした。
何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して、九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーで、ライブみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは今でもはっきりと覚えています。赤塚不二夫が来た。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。この突然の出来事で、重大なことに私はあがることすらできませんでした。
終わって私のところにやってきたあなたは「君はおもしろい。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるから、それに出ろ。それまでは住むところがないから、私のマンションに居ろ」と、こう言いました。自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断をこの人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。
それから長いつきあいが始まりました。しばらくは毎日、新宿の「ひとみ寿司」というところで夕方に集まっては、深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと、ほかのこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、いまだに私にとって金言として心の中に残っています。そして仕事に生かしております。
赤塚先生はほんとうに優しい方です。シャイな方です。マージャンをするときも、相手の振り込みで上がると、相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。あなたがマージャンで勝ったところを見たことがありません。
その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかしあなたから後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたことがありません。
あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せる、あの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。
あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀の時に、大きく笑いながらも、目からはボロボロと涙がこぼれ落ち、出棺の時、たこちゃんのひたいをピシャリとたたいては「この野郎、逝きやがった」とまた高笑いしながら、大きな涙を流してました。あなたはギャグによって物事を無化していったのです。
あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を絶ちはなたれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事にひとことで言い表してます。すなわち、「これでいいのだ」と。
いま、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が思い浮かんでいます。軽井沢で過ごした何度かの正月。伊豆での正月。そして海外へのあの珍道中。どれもが本当に、こんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが、京都五山の送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。
あなたはいまこの会場のどこか片隅で、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、ひじをつき、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に「おまえもお笑いやってるなら、弔辞で笑わしてみろ」と言ってるに違いありません。あなたにとって死もひとつのギャグなのかもしれません。私は人生で初めて読む弔辞があなたへのものとは、夢想だにしませんでした。
私はあなたに生前お世話になりながら、ひと言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを他人を通じて知りました。しかしいまお礼を言わさしていただきます。
合掌。
平成20年8月7日
まあ、タイトルの通りっすわ。
数年前の話なんだけど、家族に急に、もう帰って来なくていいし関わらなくてもいいさよなら好きに生きなさい(要約)って言われて。俺実家出て隣の県の大学に行ってそのままその土地で就職したんだよね、そんで4年ぐらい働いたかな、年末に帰省して、年越してんじゃ隣県戻るかなーって時にそう言われた。
言われて俺意味わかんなくて、は?なにが?どゆこと?意味わかんないんだけどwww絶縁ってこと?www((o(^q^)o))って早口でいろいろ口走ってたと思う、多分、わかんねえあまりにも唐突すぎてさ。でもマジだった、家族の顔がマジだった、そんでそれ以降親からも兄弟からも一切連絡来ないし、こっちから連絡したら他人行儀な返事は来る。家族から一気に他人になった、マジ怖くて震えた。
今となっては、まあなんだ、わかるというか、確かに俺が100%悪いなってなってるから、励ましとかいらないんだけど、はあ、もう既に後悔と羞恥心とで死にそう、でも俺と同じ奴が出ないように書くな。
まず俺末っ子でさ、上に兄姉が3人いるのね、だからなんていうか甘やかされて育てられたのよ。親は仕事忙しかったけど上が面倒見てくれて、そしたら3人の上に構ってもらえると俺偉いみたいな、俺が中心、みたいな考え方になってた。もちろん親は普通に親してたけど、なんていうか兄姉から可愛がられるって自尊心でかくなるわー。
そんで思春期から絶縁されるまで一切大人になれなかった。例えば帰省した時に親が何食べたい?って聞いて来てさ、上の兄姉も思春期の時期はダイエットとか友達と食べるとかあったみたいだけど、高校生?の頃にはあれ食べたいとかそれは嫌とか、バイトあるから大丈夫とかちゃんと言ってたのよ。俺言えなくてさ、恥ずかしい気持ちもあった、甘やかされて子供だったから、今更そんな大人ぶれなくてさ。は?別に?とかダンマリとか、別にそれでいいけど?、みたいな、そんなことしてた。周りが気を遣ってじゃあこれは?とか聞いてくれても、あーはいはい、いいんじゃないみたいなこと返してた。
俺は家族の中だと1番ヲタクで、特に美少女系大好きでフィギュアとかも集めてるんだよね。兄姉はスポーツ好きとかゲーム好きとかアニメ好きとかあるけど、俺は兄姉や親の趣味には全く理解を示さなかった。逆に俺のことは理解しようとされてたけど、あれ機嫌取らせてたんだよな。だからあっちが最近このゲームがおもしろくて、みたいな話してくるとさ、興味ないとか馬鹿にしてとかで俺白目剥いてたんだよね。話聞いてねーよ、興味ねーよのアピールで。これ調べたけど名前ないからまじでただの俺の嫌がらせ行為なんだな、思春期のやつはみんなやることだと思ってた。まあ俺は20歳超えてもやってたわけだけどwww
趣味だけじゃなくて、一回家族で温泉行こうってなってさ、どこの温泉がいいとか話してて、来る?って聞かれて、行かないわけなくない?と思って、でも素直に言えないしなんで俺が来ないかもしれない可能性があんだよって思って腹立って、あーはいはい行きますよ行けばいいんでしょって返した。そん時一瞬シーンとなって、あれ?って思った。でもそのあと普通に群馬にしようって話になってて、俺普通にYouTube見てたんだけど、話聞いてる?って言われて、聞いてるしと思って、あーはいまあ聞いてますって返した、半分ぐらいきいてなかったけど。姉がなんとかって温泉がなんとかってアニメの聖地で行ってみたいんだよね〜って話してたから俺また白目むいた。またシーンとなった。そしたら兄に、だから聞いてる?って割とガチトーンで聞かれて、白目やめて、え?ああ、うん、聞いてます、って返した。温泉は普通に行った。
あと、家にいても飯食ってても家族で親戚の家に挨拶に行ってもずっとイヤホンしてた、社会人になってからは骨伝導使ってたから耳塞いではないけど、ずっとYouTubeの配信とか聞いてた。多分その間も色々ご機嫌伺いしてもらってた、俺全部ああそうとか別にとか白目とか聞いてなかったわwみたいなの繰り返してた。
親と兄姉だけが話してるのも気に食わないし、俺だけノケモノみたいな空気も嫌だったし、構って欲しかったし、俺の好きを察してやって欲しかったし。
まあそういう他人の気持ちを慮れない自己中心的なことを、俺が記憶してるだけだと中学生の頃からやってて、ざっと14年か?やり続けて自分で変わろうとか、兄姉みたいにそろそろ素直になろうとか思えずに、いつまでも草wwとかやってたら、とうとう縁を切られたわけです。
羞恥心で死にそう。
一回父にお前いい加減にしろって言われたけど、怒られたことが恥ずかしくて気に食わなくて、だってなんとかなんだもんゴニョゴニョみたいな言い訳した。今にして思えばあの時が最後だったのかもしれない。兄姉達が聞いてる?とか、どうする?とか別に行きたくなかったらいいんだよ、とか気を遣ってくれてたのに何も真面目に答えず、子供みたいに構って察して発揮してさ。父に怒られた時は、確かナイトズーに行こうって話をしてた時だと思う。兄は俺は動物園はいいやって言ってて、残りの兄姉は楽しそうって返してて、俺も普通に行く気だったけど、いつもみたいに俺に行く?って聞かれて、行くしと思って白目むいた。よく考えたら他の兄姉も行く行かないの答えは聞かれずともまずしてて、俺はいつまで経っても行く行かないの返事しないから聞かれてたんだよな毎回。当時の俺はなんで俺だけって思ってた。
まあそんなこんなで縁切られて数年経ちますが、帰る家もなくなりまして。別に戸籍がどうのじゃないけど、正直もう羞恥心で家族に合わせる顔がないんだわ。
結構家族でいる時にイヤホンしてる男の子見るけど、周りが変わるのを待つんじゃなくて、自分で家族に溶け込む努力をするんだぞ。親はいつまでも親じゃないし、兄姉もいつまでも兄姉じゃない。
本気で別に家族なんかどうでもいいって思ってるやつはいいけど、素直になれないとか、はっきり言えないとか、そういうのはな、気にしてるのはお前だけだ。家族は別に何も気にしてない、なんで言わないんだって思ってると思うよ。むしろ言わない奴に限ってこうしたかった、こうが良かったとか言うんだよ、俺のことな。
俺、こういうところが不愉快で注意しても治さないし、いい歳してもう何考えてるのかわからない、もう大人だから勝手に生きなさい(要約)って問題点だけ言われて、家族としてどうしたかったみたいなの教えてもらえなかったから想像なんだけど。
連休で世の中が帰省のニュースになるたびに思い出して羞恥心と後悔で転げ回っている。家族のこと好きだったし、いろんなところ行こうって言ってくれて嬉しかったのに、何一つ言わないできたからな。
俺もう2度とあの家で家族になれないんだって思うと虚しいwwwwむしろ笑い話にしないとと思って、やっと書けるようになったから書きに来たわけだ。
家族にネットスラングで話してる子供見ると、恥ずかしくて逃げ出してしまいますよ共感性羞恥ってやつですかwww俺も散々使って来た、困る親を見るのが楽しくてさ、そんなことも知らないんだ俺は知ってるけど、みたいなのもあったし。今じゃ思い出すと心臓がギュッてなるよ。
すごく大好きな熊のぬいぐるみがいて名前を付けてどこへ行くでも一緒で抱きしめて寝てたし母にお裁縫を習って服を作ってあげたり父に日曜大工で机を作ってもらって一緒に並んで宿題してた
一緒に育ったなって思うし、彼は喋らないけど見守ってくれてるなって思ってた、お嫁に行くときは持っていくのだと思ってた
でも父と母の関係が悪くなって母に新しい恋人ができたとき、その人は高校生の私の部屋を覗いてぬいぐるみがあるのをたくさん見て、笑った、これ何?って
関係性がうまく構築されないまま一緒に暮らすことになって、私がぬいぐるみを抱いて寝ることを母の彼氏は嘲笑し続けた
ある日帰ったらぬいぐるみは全部リサイクルショップや知り合いの子に譲られていた、部屋はもぬけの殻で半狂乱になって泣いて騒いだのを覚えてる
母の彼氏は笑いながら高校生にもなってぬいぐるみ遊びに依存するから精神が不安定で未熟なのだ、いい機会だろう、卒業しろ、大人になれ、感謝しろと言った
母は自分の彼氏に嫌われたくないからだろうか、私を宥めてはくれたけど取り返す算段はのらりくらりと実行しなかった
近辺のお店やいろんなところで自分の部屋にいた子たちを探し回ったけどほとんど見つからなかったし、高校生の少ないお小遣いではよしんば見つかっても買い戻せなかった
大学に進学して社会人になって家を出て我が家に来てくれた子もいるけど、他人行儀な気がする、私は連れ去られたあの子たちの穴埋めにこの子たちを使っている罪悪感が拭えない
たまに目が合うぬいぐるみもいるけど、うちに来るより良いおうちがあるはずと思ってしまう
母と母の彼氏の中では美談として記憶に残ってるみたいであの頃すごいぬいぐるみばっかりだったけど卒業できてよかったねと言われる
息子さんがうらやましい、私の相棒の熊は今どこにいるのかもわからない、たくさんいたピカチュウもヒトカゲもチコリータも、どこかへ行ってしまった
いや長々と悪いんだけど「別の問題」って書いたことにかみついてくんなよ。
801板の雰囲気がどうとか住人どうとかしらねーよ。凸って書いたからVipperとか言い始めたんだろうけど、言葉尻を取って批判すんな。
あと、なんかまた内容が発散してきてるけどさ、801板の住人が同性愛板に来て、なりすまししたり、興味本位でスレ立てしたりして荒らしてたのは記録に残ってる事実なわけ。
んで、801板内でそれを諫める動きとか、あれは男の成りすまし荒らしだ!って話もなかっただろ。(多分「「わたしら801板住人」という意識は基本的にない。」って意識なんだろうけど)
加えて、2ch外でもゲイ成りすまし腐女子はいたし、なんなら作品のためとか堂々と自サイトに日記に書くバカもいたわけよ。
ネット上にかかわらず、ゲイ雑誌とかでも腐女子が男に成りすましてゲイとコンタクトを取ってた事案がちょこちょこあって、Web外を見てもいろいろ証拠はあったわけ。
そういうバックグラウンドが「あった」ってことはわかってほしいんよ。最初に書いたけど「女性器呼びが正しいとは絶対に思わない」からさ。
なんでそれを全力で話題そらしに来るわけ?
『「わたしら801板住人」という意識は基本的にない。』って言うけどさ、批判されるときは「男が~」「ゲイが~」とか降ってくるわけ、こっちは。だから、こっちも「腐女子」って括ってるわけ。
お前だって
「同性愛板」だから当然レズビアンも居て良い板のはずなのにレズビアンスレがゲイに荒らされまくって機能してなかったしね
って属性で括って叩いてるだろ。じゃあ同性愛板の住人が「同性愛板住人としての意識なんてないんで、女性がいたから排斥された話なんて知らないよ。一部の人間の行動だろ」って言ったら話にならねーって思うだろ。
「今ってもう髪結ぶゴムの結び目隠さないでいいの…?」「隠さないでいいならそう言って欲しい」
とか言ってるのが気持ち悪すぎて無理だった。
いやいやいやいや……ヘアゴムって別に「隠さないといけないから隠してた」なんてものじゃないでしょうに。
ルールやマナーじゃなくて単にその方が可愛い(と思うから)やってたんだと思うんだけど。少なくとも自分はそうだ。
今は隠す人が減ったのだとしてそれは別に「隠さなくてよくなった」からじゃなくて、「隠すのが可愛いと思う流行が去ったから」でしょうに。
ヘアゴムを隠すのも隠さないのも、可愛いからとか綺麗だからとかいう単なるファッションの流行り廃りにすぎないでしょ。それをルールやマナーの押し付けみたいに考えていたっていうこの人の思考が怖い。
隠さないでいいとかいけないとか、そういう強迫観念的な発想を持たれる方が怖いわ。
しかも「こういうの教えてくれる人がいたらいいのに」ってどこまで他人任せ!??
参考にしたいなら雑誌でもSNSでも見るなり美容師や友達に聞くなりしたらいいじゃん。
『気づいたら独身のプロでした』らしいけれど、こんな何処までも他力本願他人行儀な思考でよく『独身のプロ』を名乗れるなーと思った。
そっとしておいてほしいと感じるのはもっともだけど、今の日本でかつてに比べてセクマイが生きやすくなってるのは事実だ。かつて声を上げた先人の力があってこそ、多様性を提唱する、過ごしやすくも気色悪い時代になった。私たちはそれに乗っかって過ごしている。
敢えて言うけど、いまや大多数の人はセクマイに対して特別な感情なんかない。他人のどうでもいい特質のうちの1つになりつつある。
増田こそLGBTを特別扱いしていないか。君が傷つくような発言をしたその人が不躾な人だっただけなのに、どうして世の中がLGBTを特別扱いしてるように思い込んでるんだろう。世間と自分は違うと思い込んでないか?
最初に言うけど俺はまだ58なんで半分ぐらいは親父や先輩から聞いた話だ。
新入社員は規則正しい生活を学ぶために最初の5年は寮に住めという規則が合ったぐらいだ。
知り合いの自衛官が言うには今でも自衛隊はそんな感じらしいが全く令和の時代にご苦労なことだ。
社員寮での暮らしは寮監や大家と呼ばれる人によって管理され、消灯時間というものさえ設けられていた。
深夜の外出は許可制だったし、休日は会社の運動会だの職場の草刈り打なのによく連れ出された。
上司は怒鳴る蹴るは当たり前で、怒鳴っても物を投げない人は温厚と言われていたものだ。
私が入社しころ瞬間湯沸かし器のように毎日怒っていた人がいたのだが、今は定年再雇用で資料整理係をしているのだがスッカリ大人しくなって驚いている。
会社から権力を借りてくればそれこそ異性の社員だろうが同性の社員だろうが手を出してもいいぐらいだったが、逆に会社が権力を発揮すればリストラはあっという間に行われた。
サントリーの45歳定年の話なんて、昭和の価値観でいえば何もおかしくなく、当時は労働組合が煩いなんていっても鼻薬の嗅がせ方次第でしかなかった。
宴会芸で裸踊りをさせられたと話すと今の子供は驚くが、そもそもチン毛マン毛を燃やされることを拒否して出世したやつがいるものかとドヤされるのが当たり前だったのだ。
飼われているという意味でも畜生であったし、今の尺度で見れば人間としても畜生だったのだろう。
だが今の社会と比べて、会社に飼われることの安心感は強かった。
なんだかんだ言って今の世の中ではサラリーマンと言っても脆弱だ。
給料も少ないし、転職できるネタがあるんだぞと脅さなければ会社に居場所も作りにくく、そのくせ部下はやれ人権だなんだという態度が露骨にすぎる。
テレビで牧場主が家畜相手の家族ぐるみを自慢気に騙るが昔の会社とサラリーマンの関係はそんなもんだった。
会社はサラリーマンがやる気を出せるようにと気を使ってくれもするが結果を出さなければ鎖で縛ったままで殴りつけてきたし首を切るのにも躊躇なんてなかった。
今の会社はどこか他人行儀で結果を出せと語りはするがどこか放任主義で放し飼いのように感じさせる。
会社の看板を掲げることで仕事をとってきたり仕事をもらったりしてその上前を撥ねられるのは同じだが、昔は鵜飼いの鵜のように餌場まで連れて行ってもらえたのが今は餌場ごと自分で探すような状態だ。