はてなキーワード: 3月11日とは
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 101 | 25920 | 256.6 | 56 |
01 | 70 | 9542 | 136.3 | 55.5 |
02 | 52 | 5728 | 110.2 | 64.5 |
03 | 20 | 4484 | 224.2 | 78.5 |
04 | 18 | 1946 | 108.1 | 67 |
05 | 17 | 4704 | 276.7 | 63 |
06 | 41 | 6184 | 150.8 | 44 |
07 | 37 | 3520 | 95.1 | 72 |
08 | 108 | 11001 | 101.9 | 46.5 |
09 | 136 | 15908 | 117.0 | 40 |
10 | 125 | 11039 | 88.3 | 46 |
11 | 118 | 15189 | 128.7 | 63.5 |
12 | 171 | 16582 | 97.0 | 45 |
13 | 121 | 16108 | 133.1 | 44 |
14 | 164 | 13629 | 83.1 | 49.5 |
15 | 109 | 12808 | 117.5 | 38 |
16 | 96 | 11102 | 115.6 | 45.5 |
17 | 135 | 13146 | 97.4 | 42 |
18 | 141 | 17974 | 127.5 | 43 |
19 | 112 | 15944 | 142.4 | 51.5 |
20 | 110 | 14228 | 129.3 | 60 |
21 | 140 | 16522 | 118.0 | 42.5 |
22 | 134 | 13941 | 104.0 | 47.5 |
23 | 107 | 12320 | 115.1 | 37 |
1日 | 2383 | 289469 | 121.5 | 48 |
安原(7), ブレインストーミング(12), C子(4), 3月11日(9), 草薙素子(3), テンパイ(3), 黙祷(7), マッパ(3), 深まら(4), 整列(5), ブレスト(5), アクエリアス(3), 震災(29), エヴァ(54), シン(17), 東日本大震災(16), ウマ娘(19), ゾ(12), 原発(11), 揺れ(7), 東北(10), 競馬(10), 信仰(13), 関係性(15), 地震(11), Q(14), 救い(18), 嬉しく(11), 救わ(22), TV(11), 災害(9), モテる(16), 生理(19), お母さん(15), 物語(19), 息子(20), 母親(34), 非モテ(24), note(12)
■日本人の「地頭(じあたま)信仰」について /20210310120801(35), ■女性の味方ついでに非モテ男性にマウントを取るのは、僕としては結構ありえない。 /20210311135635(29), ■母親は息子の着飾りも冷やかす? /20210311103838(26), ■男は全員加害者!みたいなやつやめろーッ! /20210311080325(17), ■1巻がピークだったのになぜか続いてしまった長編漫画教えてほしい。 /20210310234619(13), ■anond:20210311103838 /20210311104043(13), ■庵野「おかげさまで結婚して幸せです!不動産収入で食ってます!」 /20210311155032(12), ■ /20210311131554(11), ■生徒「津波が来る!逃げないと死ぬ!」教師「バカ野郎!まずは整列だ!!!」→全滅 アホかよこの国… /20210311134157(9), ■anond:20210310204518 /20210311041009(8), ■シン・エヴァンゲリオンに文句を言ってるエヴァ世代 /20210310164144(8), ■後発にトップを奪われたイメージのあるブランド /20210311093731(8), ■anond:20210311103838 /20210311133601(7), ■3.11の被災者のその後のニュースを見ると落ち込む /20210311212057(7), ■「よく考えさせてもらったんですが、こちらの都合で今回は採用出来ないことになりまして。」 /20210311085338(7), ■ブス女が嫉妬に狂って自業自得の話 /20210311114050(7), ■女の価値は「若さ」だと思う本当に /20210311121636(7), ■ /20210311122035(7), ■プロパンガスが安すぎる /20210311224802(6), ■SAPIXみたいなのって本質的に役に立ってんの? /20210308154131(6), ■市役所でべしゃり散らす女児を見ていて思った話 /20210309200041(6), ■「大好き」って言葉のかわいさ /20210310233924(6), ■anond:20210311135635 /20210311141709(6), ■anond:20210311103838 /20210311160223(6), ■anond:20210311113613 /20210311162820(6), ■次がない /20210311215517(6), ■弁護士が変。 /20210303212229(6)
数年前に関東に引っ越してきてから、3月11日に少しの孤独を感じるようになった
毎年この日が来る度に、周りの人間は当時の自分を振り返り、震災に対する想いを口にする
私には語れるほどのものは何もない
地震のあった日もその後も、私は普通に仕事をし、普通に生活を続けた
私の他にも数百人が働くオフィスでは、毎年黙祷のためにアナウンスが流されていたから
大変な思いをした人がたくさんいると思う
そんななか、私は毎年、中途半端な気持ちを抱えながら黙禱を捧げた
職場の女性が「子供服ならもう着れないのが捨てるほど余ってるから、送ってあげたいわ」と有難迷惑なことを言っていたのを聞いて
「物資が足らないってのは、ゴミでも喜んで受け取りますって意味じゃないですよ」と嫌味を言った覚えがある
当時から、東日本に数人の友人がいたので、被災しなかった私たちが出来ること、すべきことを、できる範囲で実行した
用が無ければ彼等に連絡するのは控えよう、とか
被災地全員にはムリだが家族分の米くらいなら送れるからいつでも言ってくれ、とか
私の出来る範囲ってその程度だったと思う
だから、私には本当に、当時のことで語れることが何もない
今、周りの人たちが当時のことを振り返り
そういうのも何もない
ニュースで当時の映像を見ても、それは私の現実から離れた現実だった
そうだと思う
私は毎年、あの日の事を思いながら、震災は私に何の爪痕も遺さなかったと思うし
それなのに、TVから流れる様々な映像や、被災者の声で、存在しない被災した記憶を植え付けられているなと思う
当時の夫に寄り添えないまま、私は、当時の誰にも寄り添えないまま
孤独感を味わいながら毎年この日を迎える
今日は東日本大震災からちょうど10年になる日なわけだが、毎年どうしても思ってしまう事があるので、ちょっと吐き出させてほしい。
吐き出したいだけで、別にどうしてほしいというわけではないのだけども。
俺自身は東日本大震災の被災者ではないけど、5年後の熊本地震の被災者だ。
東日本大震災の当時から募金したり支援物資を送る活動に協力したり、大したものではないが支援活動をやった。
熊本地震を被災し、規模は違えど、地震被災の辛さは多少わかるようにもなった。
けど、熊本地震から1~2ヶ月ほど経過して以来、どうしてもこんな声を見かけるようになった。
https://mona-news.com/archives/59242050.html
挙げたのは一例に過ぎなくて、もう5年も前の話なのでどこで見たかは覚えていないが、当時とにかく被災者がひたすらバッシングされていた。
あちらの被災者はどう頑張っていた、それに比べて熊本県民は、みたいな奴。
平時ならまだメンタルで跳ね返せたと思うが、いかんせん緊急事態、メンタルが弱ってる状態で見てしまっていたのが悪かった。
さんざ比較対象にされた結果、どうしても東日本大震災の話題で無関係なはずの熊本地震がフラッシュバックするようになってしまった。
東日本大震災の被災者が全員熊本地震被災者をバッシングしたわけじゃないのはわかっているが、頭ではわかっていても、という奴。
東日本大震災も発生後しばらくしたら被災者バッシングが始まっていたので、熊本地震だけの事象ではないのはわかっているが、刃が自分に向けられたというのはダメージが大きかった。
結局、それ以降3月11日が来ても、犠牲者に対して素直な気持ちで黙祷する事ができなくなってしまった。
そして、東日本大震災でも被災者バッシングが起こっていた事を思うと、同じ苦しみを抱えている人もいるんだろうと思う。
最近はあまり被災者バッシングを見かけなくなったので、俺の観測範囲が狭くなったか本当に減っているのか、後者である事を願うが、被災者というのは本当に弱っている。わがままを聞けとは言わないが、多少なりとて回復するまでは、鞭打つのだけはやめてほしいと、未来に向けて切実に願う。
以上、ただの吐き出しにすぎない文章。もし読んだ人がいたら、お目汚しすまない。
私は関東で震災を経験して、1年後の5月、九州に引っ越しました。
仕方ないことだけど、3月11日からの関東や東北の「あの空気」がわかる人はここにいません。皆さんモニタ越しでの出来事や、人の話です。それで哀しかったり辛かったりになるのはそう。けれど「あの空気」を共有できる人がいないまま、8年が経ちました。
【3月11日 AFP】米国のジョー・バイデン(Joe Biden)大統領の就任式で詩を朗読したアマンダ・ゴーマン(Amanda Gorman)さん(23)の作品をめぐり、カタルーニャ語版の翻訳者が10日、性別、年齢、人種などの「属性」が合致していないとして契約を解除されたと明らかにした。
この翻訳者は、スペイン北東部カタルーニャ(Catalonia)自治州の州都バルセロナ(Barcelona)出身のビクトル・オビオルス(Victor Obiols)さん。英劇作家ウィリアム・シェークスピア(William Shakespeare)や英作家オスカー・ワイルド(Oscar Wilde)らの作品の翻訳実績がある。
オビオルスさんによると、米国側から「ふさわしくない」と連絡があった。翻訳者としての能力が問題視されたわけではなく、23歳の米黒人女性であるゴーマンさんの作品を訳すのは、「女性で、若く、活動家であることが必須で、黒人が望ましい」と伝えられたという。
オビオルスさんは、「非常に複雑な問題なので、軽々しく扱うことはできない」と前置きした上で、「21世紀の若い米黒人女性でないという理由で詩の翻訳ができないなら、紀元前8世紀のギリシャ人でないからホメロス(Homer)だって訳せない。16世紀の英国人でないからシェークスピアも訳せなかったはずだ」と述べた。
ゴーマンさんの作品をめぐっては、オランダ人作家、マリエケ・ルーカス・ライネベルト(Marieke Lucas Rijneveld)さんも、白人ではなく黒人が翻訳すべきとの批判を受けて、翻訳を辞退していた。(c)AFP
オビオルスさんはカタルーニャ出身ということでアメリカの差別問題に詳しくないのかもしれないけど、もはやカタルーニャ語を使える翻訳者なら誰でもいいという時代ではないんだよね。
それほどまでにアメリカは本気で差別を撤廃しようと取り組んでいる。
23歳の米黒人女性であるゴーマンさんの作品を訳すのは、「女性で、若く、活動家であることが必須で、黒人が望ましい」と伝えられたという。
この指針に従うため、7000以上の言語に対応できる若い活動家の黒人女性の専門家がアメリカで養成されることになる。
若者の、活動家の、黒人の、女性の社会進出がさらに推進される。
ゾンカ語もタジク語も、ロマンシュ語もイ語もガガウズ語もカタウィシ語も、若い黒人女性活動家が責任と誇りをもってゴーマンさんの作品を翻訳する。
自分は「じゃないほう」のせんだい市で育った。
東北じゃない方、鹿児島県の川内市だ。(今は市町村合併で薩摩川内市)
川内原子力発電所があることで知られてる。
90年代。
自分が小学生の頃、社会の教科書に宮城県の仙台市の特集ページがあった。
そのページには2枚の写真、田畑ばかりの田舎の航空写真とビルが並ぶ都会の航空写真が載っていた。
それは新幹線が通る前の仙台市と新幹線が通った後の仙台市の比較写真だった。
仙台市は新幹線の駅が出来たことで東北を代表する都市になった。
全国的に「せんだい市」と言うとみんな宮城県の仙台市を思い浮かべる。
鹿児島の川内市がニュースで取り上げられるのは、川内原発のニュースの時だけ。
光の仙台市と影の川内市。小学生の頃の自分は仙台市に対抗意識を持っていた。
実は当時から、自分が住む鹿児島の川内市にも新幹線が開通するという話があった。
しかしそれはノストラダムスの大予言で人類が滅んでさらに10年経った後の21世紀の未来の計画で、自分には遠い遠い未来の事に感じられた。
それから月日が流れ、2004年に鹿児島ー八代間、そして2011年に九州新幹線が全線開通することになった。ついに川内市が仙台市に肩を並べる日が来る。
全線開通は鹿児島県民にとって大イベントで、1ヶ月くらい前からカウントダウンを始めていた。
全線開通の前日、2011年3月11日。それから翌12日にかけて仙台市と川内市が重なり合った。
そしてこの日、原発事故の脅威に襲われる東北の姿も、川内市の未来になった。
地元では「こんな田舎に新幹線の駅ができるのは、原発を誘致したから」「新幹線は原発3号機増設のバーター」なんて話も昔から言われていた。
東日本大震災10年ということで当時はこうだった特集があちこちで出てきて少し辛い。
思い出したことをとりあえず書いてみる。
時系列じゃないです。
本震の後外に避難すると、それまで穏やかだった空がいきなり暗くなって雪が降ってきた。
誰かが「この世の終わりか」と叫んだ。
もう少し避難範囲が広がっていたら確実に避難しなくてはいけない距離にいた。
原発が水素爆発したとき、多くの人は片付けや給水車に並んでいた。
爆発の速報を聞いてまずは「本当に死ぬのかな」と思った。
その後「でも多分死ぬならみんな一緒だから寂しくないな」と思った。
1週間家から出ることが出来なかった。
ガソリンは枯渇していた。
古い家の瓦がボロボロ落ちていた。
物資はなくなって、謎の配給が始まった。
犬が不安になってずっと鳴いていた。
揺れたら入口に走っていく。
野菜がなくなった。
衣装ケースを抱えて水をもらいに行った。
テレビは相変わらず首都圏の電車の情報か津波の映像ばかりだった。
ストーブで沸かしたお湯で髪の毛を流した。
ヨウ素剤が送られてきた。
沿岸部の片付けであちこち花が供えられているところがあると聞いた。
おにぎりをたくさん作った。
mixiで日記書いたらよく知らん人から「泣けました!」と言われた。
人間の嫌な面を見た。
思い出の海岸がなくなって泣いた。
何でこんなにたくさんの人が亡くならなければならないのか考えると死にたくなるから考えないことにした。
車を流された友人は津波を見ていた。
電話で当時の話を聞き、一緒に泣いた。
知らない人がたくさんいきなり移住してきた。
好きで来てるわけじゃないけど、好きで受け入れているわけでもない。
人それぞれに地獄があった。
桜が咲くのが遅かった。
被災したと言うとおこがましいくらいの経験しかしてないけど、当時のことをつらつら書いてみた。
今年もいい天気だといいと思う。
当時高校生だった私は3.11のその年に福島県の大学(会津大学)に入学しました。あれから10年も経ってしまったので、私のごくプライベートなことについて書きます。
2011年の3月11日に、私は茨城県の博物館の中にいた。高校の卒業式が終わって、車の免許を早々にとったらしい友人と二人、車で博物館にきていた。地震のとき、私は吹き抜けの空間の中心にいて、長い振動の間、博物館全体のガラスは轟々と鳴り響いていて、「ああ、私は、今日が命日なのだなぁ」と人々の動揺の中、思った。
実際にはガラスの耐震性能が高かったので、館内にはけが人はいなかったようだった。
信号機の止まっている、徐々に昏れていく道を、車中でほとんど会話もなく急いで帰った。急いで帰ったけれど、通常の2倍以上もかかって家についた。
私は地震の直後、2ちゃんねるに張り付いていた。「福島の原発がやばいらしい」そんな書き込みを見て、いよいよ日本は終わったんだ、と私は思った。
私が高校生の頃、世界の原発事故のドキュメンタリーが大好きだった。チェルノブイリ、スリーマイル島、東海村。「原子力」という尋常ではないエネルギーが生身の社会に取り込まれて、人間の内側におとずれるということに私はなんとも言えないグロテスクさを感じて、親や友達に気持ち悪がられながらも読んでいたのだった。
当時、特にJCOの臨界事故のNHKのドキュメンタリーは何度も読み返したものだった。事故が起きた時、「出奔した原子力」に対しての(政治的・肉体的・精神的)人間の無力さ、弱さのコントラストがあまりにもどぎつく、生々しく顕れていたからだった。
私は地震が起きて、一、二日後にはリビングのこたつを占拠して、こたつのど真ん中にデスクトップPCを置いて、情報官気取りで気象シミュレーションをみたりしていた。そして、家族にも協力してもらい家中のシャッターを閉めた。それくらい、当時私は怖かったのだと思う。
私は震災の年、福島県の大学に入学した。私の地元の同級生にも福島県の大学に入学する予定だった子がいたが、辞退したらしかった。大学の入学式は遅れて執り行われた。ガイガーカウンターを買った方がいいかな、とか、「あそこには近づかない方がいい」とまことしやかな噂を聞いては少し怖いな、という思いが常に頭にあった。
しかし、入学してみると、その話はなんとなくしてはいけない話に思えてきたのだった。それはその土地に長く住んでいて動くことができない人たちには、惨い話であるからである。私もいつの間にか、放射線の話はしてはいけない気がして、話題にするのをやめた。すると、怖いという感情もいつの間にか薄れていった。
しかし、時々、放射能汚染される夢を見ていた。これはつい福島県を離れる少し前まで見ていたのだった。
私の当時住んでいたアパートには窓の近くにベッドがあって、その窓の外には何年も取り込み忘れたバスマットが干してあった。私の覚えている夢では、実はそのバスマットは大気中のチリや雨に放射性物質がたっぷり含まれていて、そのバスマットの線量が高くて、実は私の身体が蝕まれていて……という夢であった。何年もそのバスマットを干しっぱなしにしてしまったのは、もしかしたら、そういうことに対する無意識的な恐れから触りたくなかったのかもしれない。
私は、大学で特にパッとした研究もできないでいるのに何年も何年も大学にいた。でもそれが良かったのかもしれない、と今では思う。福島県という土地に「土着」して、私なりの感覚で放射能の感じ、特にその怖い感じの中に居たということが。
私はもともと怖い思想の持ち主だと思う。正しいと思ったら、それに突き進んでしまう。人の感情も、中学生くらいから読まないように生きてきてしまったため、無視する癖がついてしまっている。だから、原子力という「科学技術がコントロールから外れた状態」の中に当事者として生きた、というのは私が、私の歴史にとって重要なことなのである。もちろん、日本にいたら誰だって当事者なのだが、私は福島県に住まわず当事者と思えるほど賢くない。
3.11から10年が経って、私は福島県から遠い場所に住んでいる。今は遠くから考えることしかできない。
最近、原子力、ひいては(科学)技術についての論考を読んでいる。1950年台、まだラジオな世の中で、近未来的なもの、技術とか科学が大きな期待を背負っていて、すごくキラキラしていたであろう時代、人々は核の技術に対して、今でこそ信じがたいが「核兵器の利用は良くないが、核の平和的利用こそ人類の幸福につながる」と本気で思っていたようなのだ。多分、今でいうところの、テレビのCMでIT系の企業がたくさん広告を打っていて、ITの企業に勤めていることが一種のステータス(少女漫画に出てくる男性がIT企業勤め!)になっていて、AIすごい!VRすごい!仮想通貨すごい!IoTすごい!みたいなイケイケドンドンな感じだったのだろうと思う。そんな時代、「核兵器はまだ可愛いもので、核の平和利用こそ恐ろしい」と指摘した人、ハイデガーがいた。今でなら、「AI, VR, 仮想通貨,IoTで大量殺戮するのはまだ良いことで、それらの平和利用こそ恐ろしい」と言うのと同じことなのである。今でなら炎上やむなし発言なのである!しかし、このアナロジーを単なる面白おかしいアナロジーとしてだけで捉えていいか。彼は世の中の潮流とは全く違う発想を省察によってしたからこそ、核の平和利用の危険性をかなり早く認識できた。
ハイデガーは「技術」について『放下』の中で、(科学)技術に対して「その価値を認めつつ、それに対して否、と言う」 ―ーこの本のタイトルにもなっている、「放下」という態度が大事なのではないか、と言っているらしい。(まだ『放下』は直接読めていないので、「らしい」でごめんなさい。)
そして、彼は思考について、「計算する思考」と「省察する思考」とに分けて考えており、彼は「科学は考えない("Wissenschaft denkt nicht")」、科学は計算する思考であって省察ではない=「考えていない」、というしかたで核の平和利用について否、と言ってみせた。
「科学は考えない」
これは、理系の立場で仕事している者にとっては「耳が痛い」ことなのではないか。しかし、耳が痛いからこそ考える価値があるのではないか。
彼の言っていることを私は理解できる気がするのだ。科学は進歩的に進んでいく。その「ひたむきに進んでいく」ということが「科学は考えない」と彼が言う理由なのではないかと私は思う。何か、ある方向に、引っ張られるように「進んでいく」。立ち止まる者は厄介者として排除される(Publish or Perish)。ハイデガーは技術を批判するだけではない。もちろん価値を認めつつ否定するという態度を彼は実践している。私も技術がなくなったら困る。方向音痴の私はGPSが無くなったら、地図が無くなってしまったら、とても狭い世界を生きることになってしまう。だから難しい、ある意味、矛盾の中を生きなければならない。
私は、実は博士過程を休学した。プライベートも荒れてしまったし、閉塞感でいやだったし、どうしても、論文が書けなかったのだ。
私は小さい頃から哲学が好きだったらしい。「最近、哲学系の本を読んでいるよ」と昔の友人たちにいうと、みんな「よく哲学的な話してたもんね」と言ってくる。
でも、私が文系に進学しなかった理由が、「確かなものが何もないと怖い」という恐れからであったし、国語がとても成績が悪いし、理系ってなんかかっこいいとか思ってたのもあって、ずっと理系の研究室で研究していて、哲学とか諸々の教養がほとんどないのだ。
「哲学を最近やってる」と言うと大半の人に苦い顔をされる感じがする。「中二病が抜け切っていないな、こいつ」と言いたげなそんな感じ(笑)。おそらくそれは哲学に「生産を止める」作用があるからなのではないだろうか。無意味で、ある意味破壊的な作用が。
以前、こんなことがあった。課外活動で何人かで集まってスマホアプリを作ろう、となったときに、誰かが「xxさん(有識者らしい)から教えてもらった方法で、xxという仕方でブレーンストーミングすると良いらしい」と言った。私は「なんでその方法でなければならないの?」と、ある意味チームの士気を下げるようなことを言ってしまったのだ。こういう「そもそも論」(哲学)というのは「生産を止めてしまう」。イヤな感じに水を差す。だから疎まれる。
しかし「生産を止める」という行為が実は重要なのではないか。世の中的に、「生産的=いいこと」という認識がある。生産を止め続けないことがそれほどいいことなのだろうか。これこそが、ハイデガーが批判するところの「考えない」態度ではないか。「より幸せに、より便利に」を目指すために科学や技術を信じて、生産、生産、生産、とひたむきに努力してきた末の原発事故ではないか。
昔の時代、原子力は「兵器として利用されることはとてもよくないことであるが、平和的に利用するならむしろ幸福に導く」と信じられていた。
今の時代も同様に、情報技術や生命科学が「非倫理的に利用されるのはとてもよくないことであるが、平和的に利用するならむしろ幸福に導く」と信じられている。「再生可能エネルギーでなら、持続可能な社会が実現できる」とも信じられている。
もし、「なぜ地震大国に原発つくったらヤバイという今ではあたりまえの認識を持てず、当時誰も水を差す人がいなかったのだろう?」と考える人がいるならば、なぜ、現代においてもその人が水を差す人にならないのかが不思議なのである。だから、私はあえてこうして水を差す、ということをしてみたい。
ということで、私の全然論文を書けていない「生産しなかった」大学時代も、この哲学的態度の実践とみなしてこの文章を締めくくることにする。
2003/07/13 02:02 【尻ぷりぷり】アブソル萌え~Part2【毛もふもふ】 https://www.logsoku.com/r/2ch.net/poke/1058029326/
2007年12月14日にはREVさんが北極の景色を表現するのにもふもふを使っている
2006年3月11日の用例はパンについて語るために使っているのだろうか?
https://rev.hatenablog.com/entries/2006/03/11
いかにも使いそうな中川翔子さんは2006年にパンの表現として、2007年には毛がフサフサした帽子についての言及で使っていた。
2006-02-03 06:25:00 https://ameblo.jp/nakagawa-shoko/entry-10300241056.html
お手軽に出来ることならそれを守るために協力はするけど
■【日本科学未来館】「3月11日以後、科学(または科学者)はあなたの役に立ちましたか?」
https://www.miraikan.jst.go.jp/sp/miraisekkei/html/Theme003_2/03_02_000.html