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2021-03-16

3.11の日に給食赤飯

東日本大震災から10年の日に横浜市の一部地域学校給食赤飯を予定していた、という旨のニュースを読んだ。

不適切だとして直前で別メニューになったそうな。

もちろん赤飯震災の件となんら関係なく、卒業を祝うための赤飯だったらしい。

3月11日にお祝いのムードはいけないのかな。全く関係ないお祝い事なのに不適切なのかな。自分震災被害は受けていないからそう思うのかな。

なんか最近どこ見ても何か炎上してる気がする。

2021-03-12

anond:20210312233437

そんなに3月11日スピーチ特別なら事前に然るべき人に担当を回しておけばよかったね。

ぶっちゃけ311普段通りローテーションでやればいいねって扱いだったんじゃない?御社

[]2021年3月11日木曜日増田

時間記事文字数文字数平均文字数中央値
0010125920256.656
01709542136.355.5
02525728110.264.5
03204484224.278.5
04181946108.167
05174704276.763
06416184150.844
0737352095.172
0810811001101.946.5
0913615908117.040
101251103988.346
1111815189128.763.5
121711658297.045
1312116108133.144
141641362983.149.5
1510912808117.538
169611102115.645.5
171351314697.442
1814117974127.543
1911215944142.451.5
2011014228129.360
2114016522118.042.5
2213413941104.047.5
2310712320115.137
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3月11日孤独

数年前に関東引っ越してきてから3月11日に少しの孤独を感じるようになった

私は、2011年3月11日当時、西日本にいた

毎年この日が来る度に、周りの人間は当時の自分を振り返り、震災に対する想いを口にする

私には語れるほどのものは何もない

地震のあった日もその後も、私は普通に仕事をし、普通に生活を続けた

震災は、私になんの爪痕も遺さなかった

毎年、この日のあの時間に、黙祷を捧げた

私の他にも数百人が働くオフィスでは、毎年黙祷のためにアナウンスが流されていたか

大変な思いをした人がたくさんいると思う

そんななか、私は毎年、中途半端気持ちを抱えながら黙禱を捧げた

職場女性が「子供服ならもう着れないのが捨てるほど余ってるから、送ってあげたいわ」と有難迷惑なことを言っていたのを聞いて

物資が足らないってのは、ゴミでも喜んで受け取りますって意味じゃないですよ」と嫌味を言った覚えがある

当時から東日本に数人の友人がいたので、被災しなかった私たちが出来ること、すべきことを、できる範囲で実行した

用が無ければ彼等に連絡するのは控えよう、とか

被災地全員にはムリだが家族分の米くらいなら送れるからいつでも言ってくれ、とか

企業がやってる募金に参加したりとか

私の出来る範囲ってその程度だったと思う

から、私には本当に、当時のことで語れることが何もない

今、周りの人たちが当時のことを振り返り

職場から自宅まで歩いて帰った、とか

食料品生活用品が買えなくて困った、とか

節電で薄暗い中仕事をした、とか

そういうのも何もない

ニュースで当時の映像を見ても、それは私の現実から離れた現実だった

みな、あの日を忘れてはいけないと言う

そうだと思う

私は毎年、あの日の事を思いながら、震災は私に何の爪痕も遺さなかったと思うし

それなのに、TVから流れる様々な映像や、被災者の声で、存在しない被災した記憶を植え付けられているなと思う

年々、ニュースインタビューを聞くのがつらくなってきている

夫は「西日本まで被災しなくてよかったよ」と言うが

当時の夫に寄り添えないまま、私は、当時の誰にも寄り添えないまま

孤独感を味わいながら毎年この日を迎える

2021-03-11

東日本大震災に向けて、ある熊本地震被災者の吐き出し

今日東日本大震災からちょうど10年になる日なわけだが、毎年どうしても思ってしまう事があるので、ちょっと吐き出させてほしい。

吐き出したいだけで、別にどうしてほしいというわけではないのだけども。

自身東日本大震災被災者ではないけど、5年後の熊本地震被災者だ。

東日本大震災の当時から募金したり支援物資を送る活動に協力したり、大したものではないが支援活動をやった。

熊本地震被災し、規模は違えど、地震被災の辛さは多少わかるようにもなった。

けど、熊本地震から1~2ヶ月ほど経過して以来、どうしてもこんな声を見かけるようになった。

熊本地震モンスター被災者ワガママが酷すぎると話題

https://mona-news.com/archives/59242050.html

挙げたのは一例に過ぎなくて、もう5年も前の話なのでどこで見たかは覚えていないが、当時とにかく被災者がひたすらバッシングされていた。

特に心に響いたのは東日本大震災との比較だった。

あちらの被災者はどう頑張っていた、それに比べて熊本県民は、みたいな奴。

平時ならまだメンタルで跳ね返せたと思うが、いかんせん緊急事態メンタルが弱ってる状態で見てしまっていたのが悪かった。

さんざ比較対象にされた結果、どうしても東日本大震災話題無関係なはずの熊本地震フラッシュバックするようになってしまった。

東日本大震災被災者が全員熊本地震被災者バッシングしたわけじゃないのはわかっているが、頭ではわかっていても、という奴。

東日本大震災も発生後しばらくしたら被災者バッシングが始まっていたので、熊本地震だけの事象ではないのはわかっているが、刃が自分に向けられたというのはダメージが大きかった。

結局、それ以降3月11日が来ても、犠牲者に対して素直な気持ち黙祷する事ができなくなってしまった。

今日黙祷できなかった。本当に申し訳ない。

そして、東日本大震災でも被災者バッシングが起こっていた事を思うと、同じ苦しみを抱えている人もいるんだろうと思う。

最近はあまり被災者バッシングを見かけなくなったので、俺の観測範囲が狭くなったか本当に減っているのか、後者である事を願うが、被災者というのは本当に弱っている。わがままを聞けとは言わないが、多少なりとて回復するまでは、鞭打つのだけはやめてほしいと、未来に向けて切実に願う。

以上、ただの吐き出しにすぎない文章。もし読んだ人がいたら、お目汚しすまない。

3月11日

で、黙祷したり、

震災イベントするのは

構わないけど、

喪中みたいな感覚

何かやることに対して

制限かけるのはどうなのか?

日付ばかりに焦点当たって

大事なこと見落としてないか

そういうのは日付じゃなくて、

引越しとか原発の稼働とか

イベント単位で、類似

問題を振り返るべきだろう

anond:20210311161653

これがあなたへの回答になるかはわからないけれど。

私は関東震災経験して、1年後の5月九州引っ越しました

仕方ないことだけど、3月11日から関東東北の「あの空気」がわかる人はここにいません。皆さんモニタ越しでの出来事や、人の話です。それで哀しかったり辛かったりになるのはそう。けれど「あの空気」を共有できる人がいないまま、8年が経ちました。

翻訳分野でもアメリカの本気度合いがうかがえる

黒人詩人作品でまた騒動、「属性理由白人翻訳者契約解除

https://www.afpbb.com/articles/-/3336122

 【3月11日 AFP米国ジョー・バイデンJoe Biden)大統領就任式で詩を朗読したアマンダ・ゴーマン(Amanda Gorman)さん(23)の作品めぐりカタルーニャ語版の翻訳者10日、性別、年齢、人種などの「属性」が合致していないとして契約を解除されたと明らかにした。

 この翻訳者は、スペイン北東部カタルーニャ(Catalonia)自治州州都バルセロナ(Barcelona)出身ビクトル・オビオルス(Victor Obiols)さん。英劇作家ウィリアムシェークスピアWilliam Shakespeare)や英作家オスカー・ワイルドOscar Wilde)らの作品翻訳実績がある。

 オビオルスさんによると、米国から「ふさわしくない」と連絡があった。翻訳者としての能力問題視されたわけではなく、23歳の米黒人女性であるゴーマンさんの作品を訳すのは、「女性で、若く、活動家であることが必須で、黒人が望ましい」と伝えられたという。

 オビオルスさんは、「非常に複雑な問題なので、軽々しく扱うことはできない」と前置きした上で、「21世紀若い黒人女性でないという理由で詩の翻訳ができないなら、紀元前8世紀ギリシャ人でないかホメロス(Homer)だって訳せない。16世紀英国人でないかシェークスピアも訳せなかったはずだ」と述べた。

 ゴーマンさんの作品をめぐっては、オランダ人作家マリエケ・ルーカス・ライネベルト(Marieke Lucas Rijneveld)さんも、白人ではなく黒人翻訳すべきとの批判を受けて、翻訳を辞退していた。(c)AFP

オビオルスさんはカタルーニャ出身ということでアメリカ差別問題に詳しくないのかもしれないけど、もはやカタルーニャ語を使える翻訳者なら誰でもいいという時代ではないんだよね。

それほどまでにアメリカは本気で差別撤廃しようと取り組んでいる。

オビオルスさんにもグローバルな視点を持って欲しいよね。

23歳の米黒人女性であるゴーマンさんの作品を訳すのは、「女性で、若く、活動家であることが必須で、黒人が望ましい」と伝えられたという。

この指針に従うため、7000以上の言語対応できる若い活動家黒人女性専門家アメリカ養成されることになる。

若者の、活動家の、黒人の、女性社会進出さらに推進される。

ゾンカ語もタジク語も、ロマンシュ語もイ語もガガウズ語もカタウィシ語も、若い黒人女性活動家責任と誇りをもってゴーマンさんの作品翻訳する。

3月11日のおめでとう

誕生日おめでとう。

いろんな記念日おめでとう。

今日だけじゃなく全部の特別毎日におめでとうを言いたいけど、今日だけはまだ特別な日だから

「じゃないほう」のせんだい市

自分は「じゃないほう」のせんだい市で育った。

東北じゃない方鹿児島県川内市だ。(今は市町村合併薩摩川内市)

川内原子力発電所があることで知られてる。

 

90年代

自分小学生の頃、社会教科書宮城県仙台市特集ページがあった。

そのページには2枚の写真田畑ばかりの田舎航空写真ビルが並ぶ都会の航空写真が載っていた。

それは新幹線が通る前の仙台市新幹線が通った後の仙台市比較写真だった。

仙台市新幹線の駅が出来たことで東北代表する都市になった。

全国的に「せんだい市」と言うとみんな宮城県仙台市を思い浮かべる。

鹿児島川内市ニュースで取り上げられるのは、川内原発ニュースの時だけ。

光の仙台市と影の川内市小学生の頃の自分仙台市に対抗意識を持っていた。

 

実は当時から自分が住む鹿児島川内市にも新幹線が開通するという話があった。

しかしそれはノストラダムスの大予言人類が滅んでさら10年経った後の21世紀未来計画で、自分には遠い遠い未来の事に感じられた。

仙台市川内市未来だった。

 

それから月日が流れ、2004年鹿児島八代間、そして2011年九州新幹線が全線開通することになった。ついに川内市仙台市に肩を並べる日が来る。

全線開通は鹿児島県民にとって大イベントで、1ヶ月くらい前からカウントダウンを始めていた。

 

全線開通の前日、2011年3月11日それから12日にかけて仙台市川内市が重なり合った。

小学生の頃の自分にとって仙台市川内市未来だった。

そしてこの日、原発事故の脅威に襲われる東北の姿も、川内市未来になった。

 

地元では「こんな田舎新幹線の駅ができるのは、原発を誘致したから」「新幹線原発3号機増設バーター」なんて話も昔から言われていた。

川内市仙台市になる為に、とんでもないものを背負ってしまったのだと実感した日だった。

2021-03-09

3月11日10年前か…

地元の話だけど、上京してたからあまり印象がない。

幸い海から離れていたか被害も対してなかった。

失った人もいない。

戻ってきた今でもそんなに印象はない。

と思ってたけど、丁度今の仕事の分野に転職した年でもあるのか…

色々やれる事も増えたけど、偶に10年前と同じような作業をしている。

そして今日もその作業をしている。

技術環境が変わっても本質は変わらないと見るべきか、10年も同じことをやっているのかと思うべきなのか…

10年って思いのほか短いな…

震災10年への不安

東日本大震災から10年が経とうとしているが、個人的にはテレビ震災特集みたいなのをするのを見るたびに不安が大きくなっていくのを感じる

それは、3月11日絶対に忘れてはいけない日なのは確かだとしても、今後あの規模の災害が起きない保証などどこにもないからだ。

保証がないどころではない。もはや確証のように南海トラフ地震の予想も何年も前から出ている。

3月11日周辺だけ思い出したかのように"あの日は…"みたいなことをするよりも少しでもその日に備えてたほうがいいと思う

でもどうすればいいのかわからぬままだ。

正直、地震が怖い。

2021-03-04

東日本大震災10年ということで当時はこうだった特集があちこちで出てきて少し辛い。

思い出したことをとりあえず書いてみる。

時系列じゃないです。

本震の後外に避難すると、それまで穏やかだった空がいきなり暗くなって雪が降ってきた

誰かが「この世の終わりか」と叫んだ。

幸い酷い津波は見なかったけど、原発事故範囲だった。

もう少し避難範囲が広がっていたら確実に避難しなくてはいけない距離にいた。

原発水素爆発したとき、多くの人は片付けや給水車に並んでいた。

爆発の速報を聞いてまずは「本当に死ぬのかな」と思った。

その後「でも多分死ぬならみんな一緒だから寂しくないな」と思った。

1週間家から出ることが出来なかった。

外に出る時は雨合羽羽織って行った。

ガソリンは枯渇していた。

古い家の瓦がボロボロ落ちていた。

物資はなくなって、謎の配給が始まった。

犬が不安になってずっと鳴いていた。

家の近くを自衛隊の大きな車があちこち走ってた。

近所の体育館遺体安置所になっていた。

避難所は津波避難原発避難混沌としていた。

ぽぽぽぽーん

毎日余震震度5弱くらいが来る。

揺れたら入口に走っていく。

割れ食器ゴミが多かった。

エネルギー節約で毛布にずっとくるまっていた。

野菜がなくなった。

風呂入った?」が挨拶みたいになってた。

衣装ケースを抱えて水をもらいに行った。

テレビは相変わらず首都圏電車情報津波映像ばかりだった。

ヘリコプターからの放水は見守ってしまった。

避難所でバラバラになった家族との再開があると泣けた。

必死家族を探す人がいた。

ストーブで沸かしたお湯で髪の毛を流した。

ヨウ素剤が送られてきた。

沿岸部の片付けであちこち花が供えられているところがあると聞いた。

おにぎりをたくさん作った。

差別的言動苦笑いした。

高円寺デモにムカついた。

mixi日記書いたらよく知らん人から「泣けました!」と言われた。

節水プロになった。

風呂に入るのはとても気持ちいい。

人間の嫌な面を見た。

それでもヘラヘラしていく図太さを知った。

いつまで経っても全国的報道なんかなかった。

思い出の海岸がなくなって泣いた。

何でこんなにたくさんの人が亡くならなければならないのか考えると死にたくなるから考えないことにした。

車を流された友人は津波を見ていた。

電話で当時の話を聞き、一緒に泣いた。

スクリーニング検査に行った。

近所の広場がみんな仮設住宅になった。

知らない人がたくさんいきなり移住してきた。

好きで来てるわけじゃないけど、好きで受け入れているわけでもない。

人それぞれに地獄があった。

当時の復興大臣にムカついた。

電車が開通したときたは嬉しかった。

桜が咲くのが遅かった。

私たちは生き残ってしまった。

未だに放射線量ニュース天気予報のコーナーで流れる



被災したと言うとおこがましいくらいの経験しかしてないけど、当時のことをつらつら書いてみた。

毎年3月11日はいい天気だ。

今年もいい天気だといいと思う。

2021-03-03

AI, VR, 仮想通貨, IoTで大量殺戮するのはまだ良いことで、それらの平和利用こそ恐ろしい」

当時高校生だった私は3.11のその年に福島県大学(会津大学)に入学しました。あれから10年も経ってしまったので、私のごくプライベートなことについて書きます

あと、匿名性は低いです。匿名ダイアリーなのにごめんなさい。

3月11日

2011年3月11日に、私は茨城県博物館の中にいた。高校卒業式が終わって、車の免許を早々にとったらしい友人と二人、車で博物館にきていた。地震とき、私は吹き抜けの空間の中心にいて、長い振動の間、博物館全体のガラスは轟々と鳴り響いていて、「ああ、私は、今日が命日なのだなぁ」と人々の動揺の中、思った。

実際にはガラス耐震性能が高かったので、館内にはけがはいなかったようだった。

信号機の止まっている、徐々に昏れていく道を、車中でほとんど会話もなく急いで帰った。急いで帰ったけれど、通常の2倍以上もかかって家についた。

私は地震の直後、2ちゃんねるに張り付いていた。「福島原発やばいらしい」そんな書き込みを見て、いよいよ日本は終わったんだ、と私は思った。

私が高校生の頃、世界原発事故ドキュメンタリーが大好きだった。チェルノブイリスリーマイル島東海村。「原子力」という尋常ではないエネルギーが生身の社会に取り込まれて、人間の内側におとずれるということに私はなんとも言えないグロテスクさを感じて、親や友達気持ち悪がられながらも読んでいたのだった。

当時、特にJCOの臨界事故NHKドキュメンタリーは何度も読み返したものだった。事故が起きた時、「出奔した原子力」に対しての(政治的・肉体的・精神的)人間の無力さ、弱さのコントラストがあまりにもどぎつく、生々しく顕れていたからだった。

私は地震が起きて、一、二日後にはリビングこたつ占拠して、こたつのど真ん中にデスクトップPCを置いて、情報官気取りで気象シミュレーションをみたりしていた。そして、家族にも協力してもらい家中シャッターを閉めた。それくらい、当時私は怖かったのだと思う。

震災直後、福島県大学入学した

私は震災の年、福島県大学入学した。私の地元同級生にも福島県大学入学する予定だった子がいたが、辞退したらしかった。大学入学式は遅れて執り行われた。ガイガーカウンターを買った方がいいかな、とか、「あそこには近づかない方がいい」とまことしやかな噂を聞いては少し怖いな、という思いが常に頭にあった。

しかし、入学してみると、その話はなんとなくしてはいけない話に思えてきたのだった。それはその土地に長く住んでいて動くことができない人たちには、惨い話であるからである。私もいつの間にか、放射線の話はしてはいけない気がして、話題にするのをやめた。すると、怖いという感情もいつの間にか薄れていった。

しかし、時々、放射能汚染される夢を見ていた。これはつい福島県を離れる少し前まで見ていたのだった。

私の当時住んでいたアパートには窓の近くにベッドがあって、その窓の外には何年も取り込み忘れたバスマットが干してあった。私の覚えている夢では、実はそのバスマットは大気中のチリや雨に放射性物質たっぷりまれていて、そのバスマットの線量が高くて、実は私の身体が蝕まれていて……という夢であった。何年もそのバスマットを干しっぱなしにしてしまったのは、もしかしたら、そういうことに対する無意識的な恐れから触りたくなかったのかもしれない。

長年大学でくすぶっていた

私は、大学特にパッとした研究もできないでいるのに何年も何年も大学にいた。でもそれが良かったのかもしれない、と今では思う。福島県という土地に「土着」して、私なりの感覚放射能の感じ、特にその怖い感じの中に居たということが。

私はもともと怖い思想の持ち主だと思う。正しいと思ったら、それに突き進んでしまう。人の感情も、中学生くらいから読まないように生きてきてしまったため、無視する癖がついてしまっている。だから原子力という「科学技術コントロールから外れた状態」の中に当事者として生きた、というのは私が、私の歴史にとって重要ことなである。もちろん、日本にいたら誰だって当事者なのだが、私は福島県に住まわず当事者と思えるほど賢くない。

核兵器はまだ可愛いもので、核の平和利用こそ恐ろしい」= 「AI, VR, 仮想通貨, IoTで大量殺戮するのはまだ良いことで、それらの平和利用こそ恐ろしい」

3.11から10年が経って、私は福島県から遠い場所に住んでいる。今は遠くから考えることしかできない。

最近原子力、ひいては(科学技術についての論考を読んでいる。1950年台、まだラジオな世の中で、近未来的なもの技術とか科学が大きな期待を背負っていて、すごくキラキラしていたであろう時代、人々は核の技術に対して、今でこそ信じがたいが「核兵器の利用は良くないが、核の平和的利用こそ人類幸福につながる」と本気で思っていたようなのだ。多分、今でいうところの、テレビCMIT系企業がたくさん広告を打っていて、IT企業に勤めていることが一種ステータス少女漫画に出てくる男性IT企業勤め!)になっていて、AIすごい!VRすごい!仮想通貨すごい!IoTすごい!みたいなイケイドンドンな感じだったのだろうと思う。そんな時代、「核兵器はまだ可愛いもので、核の平和利用こそ恐ろしい」と指摘した人、ハイデガーがいた。今でなら、「AI, VR, 仮想通貨,IoTで大量殺戮するのはまだ良いことで、それらの平和利用こそ恐ろしい」と言うのと同じことなである。今でなら炎上やむなし発言なのであるしかし、このアナロジーを単なる面白おかしアナロジーとしてだけで捉えていいか。彼は世の中の潮流とは全く違う発想を省察によってしたからこそ、核の平和利用危険性をかなり早く認識できた。

科学は考えない」

ハイデガーは「技術」について『放下』の中で、(科学技術に対して「その価値を認めつつ、それに対して否、と言う」 ―ーこの本のタイトルにもなっている、「放下」という態度が大事なのではないか、と言っているらしい。(まだ『放下』は直接読めていないので、「らしい」でごめんなさい。)

そして、彼は思考について、「計算する思考」と「省察する思考」とに分けて考えており、彼は「科学は考えない("Wissenschaft denkt nicht")」、科学計算する思考であって省察ではない=「考えていない」、というしかたで核の平和利用について否、と言ってみせた。

科学は考えない」

これは、理系立場仕事している者にとっては「耳が痛い」ことなのではないかしかし、耳が痛いからこそ考える価値があるのではないか

彼の言っていることを私は理解できる気がするのだ。科学進歩的に進んでいく。その「ひたむきに進んでいく」ということが「科学は考えない」と彼が言う理由なのではないかと私は思う。何か、ある方向に、引っ張られるように「進んでいく」。立ち止まる者は厄介者として排除される(Publish or Perish)。ハイデガー技術批判するだけではない。もちろん価値を認めつつ否定するという態度を彼は実践している。私も技術がなくなったら困る。方向音痴の私はGPSが無くなったら、地図が無くなってしまったら、とても狭い世界を生きることになってしまう。だから難しい、ある意味矛盾の中を生きなければならない。

私について

私は、実は博士過程を休学した。プライベートも荒れてしまったし、閉塞感でいやだったし、どうしても、論文が書けなかったのだ。

私は小さい頃から哲学が好きだったらしい。「最近哲学系の本を読んでいるよ」と昔の友人たちにいうと、みんな「よく哲学的な話してたもんね」と言ってくる。

でも、私が文系に進学しなかった理由が、「確かなものが何もないと怖い」という恐れからであったし、国語がとても成績が悪いし、理系ってなんかかっこいいとか思ってたのもあって、ずっと理系研究室で研究していて、哲学とか諸々の教養ほとんどないのだ。

哲学最近やってる」と言うと大半の人に苦い顔をされる感じがする。「中二病が抜け切っていないな、こいつ」と言いたげなそんな感じ(笑)。おそらくそれは哲学に「生産を止める」作用があるからなのではないだろうか。無意味で、ある意味破壊的な作用が。

以前、こんなことがあった。課外活動で何人かで集まってスマホアプリを作ろう、となったときに、誰かが「xxさん(有識者らしい)から教えてもらった方法で、xxという仕方でブレーンストーミングすると良いらしい」と言った。私は「なんでその方法でなければならないの?」と、ある意味チームの士気を下げるようなことを言ってしまったのだ。こういう「そもそも論」(哲学)というのは「生産を止めてしまう」。イヤな感じに水を差す。だからまれる。

しかし「生産を止める」という行為が実は重要なのではないか。世の中的に、「生産的=いいこと」という認識がある。生産を止め続けないことがそれほどいいことなのだろうか。これこそが、ハイデガー批判するところの「考えない」態度ではないか。「より幸せに、より便利に」を目指すために科学技術を信じて、生産生産生産、とひたむきに努力してきた末の原発事故ではないか

昔の時代原子力は「兵器として利用されることはとてもよくないことであるが、平和的に利用するならむしろ幸福に導く」と信じられていた。

今の時代も同様に、情報技術生命科学が「非倫理的に利用されるのはとてもよくないことであるが、平和的に利用するならむしろ幸福に導く」と信じられている。「再生可能エネルギーでなら、持続可能社会が実現できる」とも信じられている。

もし、「なぜ地震大国原発つくったらヤバイという今ではあたりまえの認識を持てず、当時誰も水を差す人がいなかったのだろう?」と考える人がいるならば、なぜ、現代においてもその人が水を差す人にならないのかが不思議なのである。だから、私はあえてこうして水を差す、ということをしてみたい。

ということで、私の全然論文を書けていない「生産しなかった」大学時代も、この哲学的態度の実践とみなしてこの文章を締めくくることにする。

2021-02-26

賞味期限3月11日商品は忌日のため贈答品としては避けるのがマナーです

参考になりましたか

2020-11-27

anond:20201127002724

2003年使用例も存在したよ

2003/07/13 02:02 【尻ぷりぷり】アブソル萌え~Part2【毛もふもふhttps://www.logsoku.com/r/2ch.net/poke/1058029326/

首周りの毛がフサフサしたポケモンを愛でるスレらしい

2007年12月14日にはREVさんが北極景色表現するのにもふもふを使っている

ステージ ○○!」 とか言って、背景が北極だったりするわけですね。背景がもふもふ

https://twitter.com/REVI/status/499506912

2006年3月11日の用例はパンについて語るために使っているのだろうか?

https://rev.hatenablog.com/entries/2006/03/11

いかにも使いそうな中川翔子さんは2006年パン表現として、2007年には毛がフサフサした帽子についての言及で使っていた。

2006-02-03 06:25:00 https://ameblo.jp/nakagawa-shoko/entry-10300241056.html

ネコに対しては2014年まで使っていない

2006年にはネコの毛並に対する表現として使われている例がいくつか見つかる

https://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=29737

2020-10-11

anond:20201011170145

学術機関政府から独立した機関であるべきには異論はないし

お手軽に出来ることならそれを守るために協力はするけど

老害研究者SNS芸人は自省はした方がよろしいのでは?

反知性や専門家否定老害研究者医者自身が生んでいる

■【日本科学未来館】「3月11日以後、科学(または科学者)はあなたの役に立ちましたか?」

https://www.miraikan.jst.go.jp/sp/miraisekkei/html/Theme003_2/03_02_000.html

anond:20201011131105

反知性や専門家否定老害研究者医者自身が生んでいることは

強く強く自覚を持たれた方がよろしいと思います

■【日本科学未来館】「3月11日以後、科学(または科学者)はあなたの役に立ちましたか?」

https://www.miraikan.jst.go.jp/sp/miraisekkei/html/Theme003_2/03_02_000.html

傲慢あるいは不勉強専門家適当なことを言っても

「あれっ・・・コイツが言っていること何かおかしいぞ?」くらいは誰でも気付く

じゃなきゃ予算判断できないんで

2020-09-13

社会学者よりも 感染症学会だと思うのですが anond:20200913142101

いずれにせよ

反知性や専門家否定老害研究者医者自身が生んでいることは

強く強く自覚を持たれた方がよろしいと思います

■【日本科学未来館】「3月11日以後、科学(または科学者)はあなたの役に立ちましたか?」

https://www.miraikan.jst.go.jp/sp/miraisekkei/html/Theme003_2/03_02_000.html

 

あとどうしようもない日本アカデミアの人たちが『役割』という概念を持つことができれば

日本科学に期待が出来ると思います

 

関連増田専門家役割についてフツーのお話しますね (anond:20200713101223)

2020-05-23

大きな地震

雨だった天気予報がしばらく外れて晴れ続きだった3月11日

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