はてなキーワード: 薩摩とは
消費税が上がり景気は落ちた。
高景気だけで支持されていた安倍幕府の支持率はついに崩壊、時は一気に幕末へ。
幕府(自民党)内の改革派である一橋慶喜(小泉進次郎)に期待は集まり一度は将軍(首相)に就くも、結局、権益構造からは逃れられず根本的な改革は出来ない。
それに業を煮やした薩摩(大阪維新)は諸外国との貿易で得た富(IR、万博)を元に倒幕(政権奪取)を目指す。幕府との繋がりのあった島津斉彬(橋下徹)は亡くなり(政界引退)、その意思を継ぐ西郷、大久保(松井、吉村)だが幕府の抵抗は強い。
時を同じくして、攘夷派(左派)として力をつけた長州(自由党)の桂(山本太郎)も幕府からの弾圧の前に苦渋を舐めていた。
薩摩、長州、ともに既得権益打破では目指すところは一致していたが、それまでのわだかまり(右派左派イデオロギー)で手を組めない。
そこに目をつけた坂本龍馬(誰だ?)の仲介によって、ついに薩長同盟は成立し、倒幕(政権奪取)を果たした。
metamix 英語論文なぞいらん日本語で事足りるって話はまあいいけど、理系なら学部生ですらやらされることを文系だと教授クラスでもやらなくていいんだーフーンみたいな感想
お互いの分野で必須タスクが違うだけだろ……英語以外の外国語を読まなくていい理系はずいぶん楽ですね,って言われたらどう思うよ? 私は修論書くにあたって複数のヨーロッパの言語読んだし,東洋史だと修士でも複数の現地語+複数のヨーロッパ言語を読むのが当然みたいな分野もあるけど,理系は英語だけ読んでりゃいいんだっけ? ふーん.
dot 学術言語は一理あるとも思うけど、査読有りが理系のローカルルールという言説には面食らう。記述言語も査読有り無しも最終的には学術論文としての品質をどう担保するのかというところに帰結すると思うんだ。
slimebeth この問題、英語も査読も不要、理系が絶対と思うなみたいな捨て台詞をいろんな人が吐いてくのに「では代わりにどういう制度や方法論で研究の質を担保してるのか」を未だに誰も一言も言わないの底知れぬ闇感すごい…
本当に疑問なんだけど,こういう主張するひとたちって「まあ最近は文系も査読が重要になってきているし,若手は査読つき業績を増やしたがっているけれど,査読がつかないからダメとは限らない,ってだけの話.当たり前だけどダメダメな論文は後発の研究によってちゃんと批判されるか鼻にもかけられず無視される」っていう箇所が読めてないの? 査読つき雑誌はある,査読つきの業績は重要である,しかし査読がないからといってダメであることを意味しない,ってそんなに難しい話かね.
ていうかこういうひとたち,普段は査読通った論文なら無批判に盲信してるんですか? 論文は批判的・懐疑的に読まれ,瑕疵があれば後発の研究によって批判されたり乗り越えられたり無視されたりするものだ……というのは文理を問わぬ学問の常識だと思っていたのだが,「査読がないとどうやって研究の質を担保するの?」などと吐かす一部の理系はどうやら査読を通ってさえいればアッサリと先行研究を信じてしまうらしい.どっちが権威主義なんだか.
reuteri ペレルマンは査読されてないが多くの人から批判的にチェックされるでしょ?そのチェックの有無が科学にとって重要で、「学界の権威が言っているから正しい」という世界は科学ではないのですよ。日本語については同意
藁人形叩かれても困るんですよねぇ.
theta 日本には日本のXX学、米国には米国のXX学、印度には印度ののXX学があって相互に互換性が無いのなら、それは普遍性のある学問なのかなという疑問がある。
こういうレベルの説明から始めなきゃいけないの本当に馬鹿げてると思うんだけど,日本の西欧研究なら西欧諸言語の先行研究は当然追いかけているし,英語圏の日本研究者は日本語の先行研究読んでますよ.ドイツ人のドイツ史研究者と日本人のドイツ史学者は同じ学問に従事していて,同じ問題意識を共有している.ただ,日本の西洋史研究は日本の歴史学という別の文脈の中にも置かれていて,そちらから影響を受けて「日本の西洋史研究」独自の色を出すこともあるし,アメリカでは日本研究者と東南アジア研究者が共同プロジェクトで独自の問題意識を深めているかもしれない.そういう意味で各国の研究には多かれ少なかれその国の事情に根ざした独自性があるわけ.そして,時には「本国」以外での研究潮流が「本国」での研究に影響を及ぼすことだってある(たとえば前世紀末から今世紀初頭にかけてのアメリカのソ連史研究が典型的かな).日本の中国学はフランスや台湾の中国学と微妙に違っているかもしれないけれど,それでも同じ中国学なんだ.
kingate だとして。最先端は何処よ?学術・研究論文で最先端に批評貰う必要があるんじゃねぇの?ローカル内容でも批評貰わんと正否は出ないでしょ、総論として。で、あの学者モドキはその総論に後ろ足で砂掛けたの。
分野によるとしか言いようがないし,別に最先端は複数あってもいいんじゃないかと思わなくもないが.たとえば私が研究対象にしている地域については間違いなく英語でのショボい研究蓄積なんかよりも現地語での研究が最先端だけど,私は現地での最先端の研究をフォローしているし,現地人の使っていない資料とかも使って彼らと勝負しているつもりでいるよ(現地人だからこそ盲点になってる資料みたいなのがあるんだよなぁ).
iyochoo 国内のアカデミアを重視するか、世界のアカデミアを重視するか。両方の言語で書いてくれると助かる人が多いです。
「世界のアカデミア」なんて幻想で,各国別のアカデミアが併存してるんだよなぁ.もちろんそれらの間に橋を架ける必要はあるけれど.
(……)恐らく査読文化のないという文系の分野では、被参照数によって論文の質を予測するというように思うのですが、被参照数というのは流行の研究をしている事で他の研究者が参照しやすい環境がないと伸びにくい物です。ニッチな分野の研究をしているが、優れた研究であるのに査読も行われず、誰も参照してないという論文があるとして、研究を行う者はその論文を如何にして見つけて評価するのでしょう?文系の研究者は、研究を開始するまでに、かなり無駄な調査時間を必要とするのだろうなという事を想像しますね。(……)
ぶっぶー.ぜーんぜん違います.ろくな知識もないひとがテキトーに想像しても頓珍漢な答えに辿り着くだけなんですよねぇ.
そもそも,査読はあるし重要だが,査読がなくても良い論文であれば評価の対象たりうる,という話を少なくとも私はしていたわけで,それを「査読文化がない」と要約されても困惑するわけですが,まあ全ての論文が査読を受けているわけではないという状況を「査読文化がない」と書いているのだろうと好意的に解釈するとして.
当たり前ですが文系でも「レベルの高い査読誌」「査読はないがレベルの高い雑誌」「レベルの低い査読誌」「無査読紀要」ではチェックの優先順位や論文の重みは違います.当たり前ですね? 査読はしていないけれど,その分野では定評がありよく読まれる雑誌,というものが存在し,たとえばそのへんの査読をつけた院生向け紀要とかよりも圧倒的に読まれる,というような状況がある中で,査読がないからといって無価値扱いするのは不当だ,という話を私はしていたわけです.
なので,ニッチだけど優れた研究をしている人は,よく読まれる媒体に論文を投稿すればよろしい.というか人文系の研究対象って,研究水準の深化に伴ってどんどんニッチになっていく傾向があったりしますしー.
そもそも人文系の多くでは被引用数を重視する文化はあまりありませーん.理由のひとつとして「正確な被引用数を測定するのが困難」というのが挙げられます.著書も業績になり得る上に各国が自国語で研究する世界において,外国語も含めた紙の本での被引用数なんて管理しきれないのでー.私も自分の論文の被引用数なんて知りません.外国語で書いたやつは3ヶ国語くらいで引用されて,日本語のやつも紙の本に1回引用されたかな? でも他にも引用されてるかもしれないので,これは最低限の数字っすね.周りで被引用数なんて気にしてる人見たことないなぁ(私に指摘されて初めて自分の論文が他人の著書に引用されてることに気づいた先輩とかいたっけ).そもそも,引用されてむっちゃdisられてても1回引用とカウントするわけですよね? それ本当に論文の質の指標になるんですか?
(……)一方で世界の社会学者は、インパクトファクターの高い査読付き国際学術誌に投稿している様ですね。アメリカだと、テニュアになるためには当たり前の様に要求される実績の一つですし、それが世界標準でしょう。(……)
それはアメリカの社会学者が自国語で論文を書いているだけでは……?
というか,日本語圏の社会学者でも英文学術誌に投稿してる人はいますし,英文学術誌に投稿してる非英語圏の学者でも,それとは別に母国語の論文書いてたりしますし.英語以外の言語での論文が載ってる社会学の学術誌,探すとあちこちにありましたよー.
韓国語> http://www.ksa21.or.kr/kjs/
中国語(簡体字)> http://sociology.cssn.cn/xskw/shxyj/
中国語(繁体字)> http://tsa.sinica.edu.tw/publish_01-1.php
ロシア語> http://www.isras.ru/Sociologicalmagazine.html
フランス語> https://journals.openedition.org/sociologie/index.html
ポーランド語> https://www.ceeol.com/search/journal-detail?id=240
リトアニア語> https://www.ceeol.com/search/journal-detail?id=1027
カタルーニャ語> https://www.raco.cat/index.php/RevistaSociologia/index
ところで日本社会学会は和文雑誌の『社会学評論』以外にもちゃんと英文の学術誌持ってるんですよねー> https://onlinelibrary.wiley.com/journal/14756781
いやほんと,テキトーな知識でよその学問分野に軽々しく口を出して,正しいこと言ってるならともかくめっちゃ的外れとか,生きてて恥ずかしくないんですかね?
death6coin “ぶっぶー.ぜーんぜん違います.ろくな知識もないひとがテキトーに想像しても頓珍漢な答えに辿り着くだけなんですよねぇ.”攻撃的ですねぇ
理系の研究事情や査読制度を知りもせず「理系の研究は権威主義だ! 定説にとらわれて思考が硬直している!」とかわめく連中に,これまで理系のひとはどんな目線を向けてきたっけ? 冷ややかな目線を向けて嘲笑ってきたよね.もちろんそれはまったくもって正しいよ.理系の事情を知りもしないのに思い込みで的外れな批判をするのは愚かな行為であり嘲笑に値する.文系に向けて似たようなことをわめく連中にも同様の態度を取らせてもらうというだけ.
これは本当にそう.最近だと三元社なんかが琉球諸語・日本語対訳の出版物を出していたりするけど,言語復興運動家の著書とか学術誌のコラム止まりで,琉球諸語で書かれた学術論文は残念ながら見たことがない.琉球諸語は最近書記法の整備とか色々進んでいるから,今後はそういう方向に期待したいよね.もちろん琉球諸語で書かれた論文を査読できるひとはそう多くないと思うけれど,査読なしで論文を発表することも許されているという文系の事情を積極的に活用して中身のしっかりした琉球諸語論文を発表していくひとが出てきたらいいなと思う.
それに対しては2つの論点から応答したい.1点目に,「日本語は過去の豊かな蓄積を持ち,現在も多くの学術論文を生産し続けている言語である」という前提条件を忘れてもらっては困るということ.日本について研究している学者は日本語で論文を書くわけで,この点が方言とは違う(大阪弁を研究する者のほぼ全てが標準語で論文を書いているし,山形弁で書かれたヨーロッパ史の高度な研究は現段階では存在しない).
第2に.もちろん書いていいです.少数民族が独自の民族として生き残っていこうとするには何らかの形で文章語を持つことが(必要ではないが)望ましく,実際にヨーロッパでは人口数万人の少数民族でも自分たちの言語で書かれた学術誌を持っている場合もある(もちろんその場合,当該言語や当該言語で書かれた文学,当該民族の歴史といった限られたテーマについての論文を書くので精一杯だったりするのだが.ちなみにそういう少数民族の学術誌に少数言語で論文を載せてる日本人研究者もいる).それに,言語と方言とのあいだに本質的な違いはなく,たまたま政治権力を持ち規範が整備された言語変種が「言語」とされ,「言語」と見做されなかった地域的変種が「方言」と見做されているだけ,というのが社会言語学の常識であり,実際に気仙沼方言は方言ではなく独自の「ケセン語」だと主張して聖書を翻訳したお医者さんなんかもいる.上で書いたように,宮古語と日本語のバイリンガルのコラムを載せている学術誌もある(コラム止まりで,論文ではないけど).なのでたとえば,鹿児島大学で薩摩弁を公用語にした紀要が出版されてもよいと思うし,もしその紀要に優れた論文が次々に掲載されたとしたら先行研究を読むために薩摩弁を学ぶひとも出てくるかもしれない.そしてそれは,悪いことでは決してない.
きゃーお恥ずかしい.ご指摘ありがとうございます.訂正しました.
世の中は必ず変わる。高麗屋だけでなく、全国の廻船問屋の商いのやり方も変わるときがくる。すでに日本人は黒船を見たのだ。石炭で湯を沸かしてその蒸気で動く巨大な船を知ったのだ。その蒸気船は、薩摩の南の島から江戸までを五、六日でつなぐのだ。(潮音 宮本輝 文學界2018年9月号)
酒鬼薔薇ファンの世界地図は変わりつつある。酒鬼薔薇王国はすでに終わったのである。
元少年Aこと酒鬼薔薇聖斗の弁護士は共産党系であった。元少年Aが出所したあと、実名や所在を明かさないのには法務省が関わっているという話を聞いたことがあるが、共産党やその協力者もまた関わっていたのではないかと思う。元少年Aの実名や所在についてデマを流す工作は、おそらくすべて暗喩で行われたのだろう。それは少年法に基づく大義名分があった。
柊は立憲民主党と共産党の協力を支持していたが、政治思想は共産党とはまったく異なるし、個々の政策では決裂することもあるだろう。共産党が柊に協力することなどありえないし、柊もまた共産党に協力など求めないだろう。
もしも共産党が酒鬼薔薇王国の内紛に関われば共産党の名誉に関わるだろう。「犯罪を犯した少年の実名を守る」という趣旨でマスコミにデマを流したなら、たとえ逮捕者を出しても支持する人間はいる。しかしただの人間関係のもつれに口を出すいわれはない。
『機動戦士ガンダム』……『新世紀エヴァンゲリオン』……
単に『売れる』ではなく『刺さる』コンテンツにはある共通点がある。
まず『暇があって可処分所得が増加モードに入った感じやすい年代』つまり学生が対象であること。
次に、彼らの暇とお金と旺盛な知的好奇心を吸い上げられるだけの『多層的な設定』がなされていること。
少年少女が否応なしに戦いに巻きこまれていくパターンであり、それを狙って失敗した作品もたくさんあるだろうが当たれば大きい。
そしてここからが本題だが……私は【学徒出陣もの】への抜き差しならない支持が、この国の活力を削いでいると考える。
『学徒出陣』自体が先の敗戦とひとくくりに捉えていいような悲しい出来事なのだ。
悲壮を尊ぶ精神風土はこの国の弱点、いわば【敗戦気質】だろう。
どんなに悲痛なトーンで描かれていても、それらが快美な娯楽として消費される限り【マイルド悲壮】にすぎない。
手の込んだ倒錯であり、ゆがみだ。
【悲壮ポル…】という言い方はどぎついので、しないけれど。
この【悲壮がり】こそがこの国の足を最低150年は引っぱり続けてきた。
特に白虎隊の悲劇は端的に痛ましい事件で、そこに美を感じるのは間違っている。
時代は違うし主人公はおっちゃんたちだが……『忠臣蔵』も【悲壮がり】な話だ。
あの時代になんJがあったら『くっさ』の一言で済まされかねない。
では、どうあるべきか?
コブラを乗せるべきだ。
『おっさんやん!』というのなら、じゃりん子のチエちゃんをもうちょい成長させて乗せるべきだ。
なのにこの国で刺さるコンテンツは【悲壮がり】だらけ。しかもそれで勝ったり生き延びたり、挙げ句ただようハッピーエンド感。
備忘録なろうカクヨムで一定以上の筆力があり転生要素がない、または薄い作品をあげる備忘録。
ttps://ncode.syosetu.com/n1784ee/
微転生要素。主人格は現地人。転生前人格の浸食はなく知識のみ。
人類、亜人で争っているが社会格差がなく対等という点は珍しい。
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●ラピスの心臓
ttp://ncode.syosetu.com/n4006r
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●家の納屋にダンジョンがある ―God in the abyss of despair―
ttps://ncode.syosetu.com/n7386ct/
ダンジョン攻略。「俺Tueee」を「俺の種族Tueee」に拡大した感じ。
しかし、落ちこぼれだろうと一般人からみたら薩摩武士が全員頭おかしいことに変わりないという感じ。
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ttps://ncode.syosetu.com/n9636x/
我が道行く系ヒロイン。後宮モノ。少女マンガにありがちな設定。
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ttps://ncode.syosetu.com/n9073ca/
濃い。胸焼けするほど設定が濃い。
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ttps://ncode.syosetu.com/n6221dl/
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●Tamer's Mythology
ttps://ncode.syosetu.com/n9218ci/
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ttps://ncode.syosetu.com/n2327cv/
傭兵は確かにクズだけど扱いがあんまりにも酷いから地位向上がんばる。(更新滞る)
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ttps://ncode.syosetu.com/n3216dg/
地下世界。ボーイミーツガール。地上を目指す。王道SF。(更新滞る)
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ttps://kakuyomu.jp/works/1177354054880238351
カクヨム不動の一位。最強系。有能だけどブラックな職場でがんばってる社畜。(更新滞る)
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●《死に狂い》の侍が勇者のパーティーをクビになったので魔王をサクッと倒して自由に生きようかと思います
ttps://kakuyomu.jp/works/1177354054885098239
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ttps://ncode.syosetu.com/n0260dj/
「ゴールデンカムイ」見てますか? 面白いですよね! 原作全部読んじゃって「もっと・・・」状態
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そんなあなたに明治維新前後(18世紀~20世紀前半)の北海道を舞台にした伝奇/アクション作品を紹介してみようと思います。
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1)
「地の果ての獄」
”北海道が一般の人にとって地の果ての島だった明治19年。薩摩出身の青年、有馬四郎助は月形の樺戸集治監の看守に着任した。そこは刑期12年以上の凶徒を集めた人間の運命の吹きだまりであった。正義感あふれる四郎助は、個性的な囚人たちが起こす奇怪な事件に厳しく対しようとする。だが、元与力のキリスト教教誨師・原胤昭との出会いがその運命を変え始め...。明治に生きる人々の姿をつぶさに拾い上げた圧巻の人間ドラマ。”
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2)
「旋風(レラ=シウ)伝」
北海道出身の朝松健先生の作品。本作はクトゥルーネタはあんまりない。
”明治二年、箱館・五稜郭は陥落し、戊辰戦争最後の戦いは終わった。南部藩出身の若き遊撃隊士・志波新之介は、古参の兵士たちのはからいで死をまぬかれ、榎本武揚から手渡されたスペンサー・カービン銃を手に北へ向かう。前途に広がるのは、コロポックルが邪悪な罠を仕掛け、犬神が姿をあらわし、淫魔が歌声を響かせる、いまなお伝説が息づく蝦夷の大地。残虐きわまりない北海道開拓使・仙頭左馬之介が率いる討伐隊と死闘を繰り広げながら、新之介は自由の地を目指して歩を進める。”
現代北海道ものでは「魔犬召喚」「凶獣幻野」がお勧めです。北海道こわい!
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3)
”戊辰戦争もあと二日を残し、五稜郭で幕を閉じようとしていた。「降伏はせぬ。」と、陥落前夜、自由を求めて脱出した旧幕府軍の凄腕狙撃兵、蘇武と名木野。逃げのびる二人は、アイヌの土地を蹂躪する新政府の画策を知り義憤に燃えた。だがその背後に迫る、新政府軍残党狩り部隊の足音。酷薄で執拗な追撃戦が開始された…。広大な北海道を血にそめて追われる者と追う者が、男の誇りを賭けて戦う冒険小説。”
佐々木氏は北海道舞台のキング風の現代ホラー「白い殺戮者」で「アイヌ・ライケ・ウパシ」=「人を殺す雪」というアイヌの民話について登場人物に語らせていたりします。
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4)
「蝦夷地別件」
”十八世紀末、蝦夷と呼ばれるアイヌ民族は和人の横暴に喘いでいた。商人による苛烈な搾取、謂れのない蔑みや暴力、女たちへの陵辱…。和人との戦いを決意した国後の脇長人ツキノエは、ロシア人船長に密かに鉄砲三〇〇挺を依頼する。しかし、そこにはポーランド貴族マホウスキの策略があった。祖国を狙うロシアの南下政策を阻止するべく、極東に関心を向けさせるための紛争の創出。一方で、蝦夷地を直轄地にしようと目論む幕府と、権益を死守しようとする松前藩の思惑も入り乱れていた。アイヌ民族最後の蜂起「国後・目梨の乱」を壮大なスケールで描きだす超大作。”
脇長人て何?って思って検索したら 夷酋列像 が はてなキーワードに登録されていました。
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5)
「天動説」
山田正紀作品。山田氏の北海道舞台の作品というと「謀略のチェスゲーム」「人喰いの時代」なんかがすぐ思い浮かぶけど、昭和なんですよ。時代を合わせると「ツングース特命隊」「崑崙遊撃隊」あたりになるんですが…
本作は第一部が江戸編(ザ・”江戸時代”)、第二部が蝦夷編の伝奇小説。ラストはむりくり明治維新期まで到達。あんまりアイヌは出てきません。
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6)
「カムイの剣」
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7)
「王道の狗」
”明治時代中期、北海道開拓に使役させられていた若い囚人二人は脱獄し、それぞれの道を歩み始めた……。壮大なスケールで描く歴史長篇漫画”
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どうでしたか? アフィサイト並みに読んでない作品も挙げてみました。
ちなみに「ゴールデンカムイ」読んでません! ごめんなさい!!