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はてなキーワード: 屠殺とは

2021-10-13

娘に可愛いがらせてた鶏を明日しめさせる

やらない場合は解剖実習

美味しい唐揚げ食べようねー

今朝起きたので、予告をした。

屠殺は嫌がったので

解剖実習になりそう。

2021-10-12

ウマ娘屠殺ネタ二次創作問題

twitterウマ娘屠殺ネタ二次創作を描いた人が炎上してた。けど燃やす側の理屈もなんかおかしい気がする。

特に最後の「非倫理的だ」みたいな理屈競馬ファンが言ってることが多いのがマジで意味からない。

毎年多くのサラブレッド生産され、日本牧場キャパティにも限りがある以上、競馬という営みは屠殺と不可分でしょう(一定数の馬が屠殺されることを前提としたシステムになっている)。屠殺二次創作ネタで使うのが非倫理的だというならそもそも競馬自体が非倫理的では。

動物を訓練して人間を乗せ鞭打って走らせ成績が悪かったら屠殺するという営みを許容しながらそれを二次創作ネタにすることは許さんという倫理観ちょっと私にはわからない。どう考えても非実在キャラ創作の中で虐待するより生身の動物現実世界虐待する方が倫理的に重大な問題だろ……

艦これとかの軍事ものに対する「軍や戦争を娯楽のネタにするなんて!」という左翼から批判(あるいは「性暴力エロゲネタにするなんて!」というフェミニストから批判)は、「軍や戦争(あるいは性暴力)も非倫理的だしそれをネタにすることも非倫理的だ」という点で(賛同するかどうかは別にして)一貫性があったけど、「競馬は良いけど、屠殺ネタにするなんて!」なんてのは一貫性がなさすぎるから賛成反対以前の問題だと思うんだよなぁ。

2021-09-30

馬娘の二次創作屠殺という単語を使ったら絡まれてお蔵入り

そんなのをTwitterで目撃して唖然としている。

2021-09-21

豚の最期

そろそろ迎えが来る頃だ。まあ、知っていた。そろそろ屠殺の時期だってことは。観念するしかない。豚に生まれたからにはいつかは殺されるってことだ。だからこそ食事も与えられた。管理された。みんなが優しくするのは食べるためだ。人間ってやつは本当に残酷だと思う。

そろそろトラックが来る頃だ。みんな怯えている。ブーブー言っている。豚だから当たり前か。臭いがすごいが、自分臭いから気にならない。トラックが来て、飼育員が豚を追い立てる。嫌だが、俺も乗らなきゃな。

トラックが停まった。ここが屠殺場だ。すごい血の臭いがする。やばい。もうすぐ屠殺が始まるのが分かる。まあ、みんな殺される運命なんだって思うとちょっとだけ落ち着く。ひとりで死ぬわけじゃないから寂しくないという気もする。

小屋の中に入る。いきなり屠られるのではなく、まず体を洗って綺麗にされる。最期のひとっ風呂というところだ。優しいんだか残酷なんだかわからない。

綺麗になったところで次の部屋へ移動する。ここで電気ショックを与え、気絶したところで次の部屋で殺されるのだ。ほんと、外道だ。人外だ。どっちが人外だってとこだ。でも仕方ない。これも運命だ。ため息をついた後、俺は手に持った器具で豚を気絶させた。

2021-09-17

伯母に助けられた話。

たぶん幼稚園の年長か小一くらいの時のこと。

ある日の夕方、母が弟妹を連れてちょっと本家に行ってくると私に言ったのだが、私はテレビで『天才バカボン』を観るのに夢中になっていて、「わかった」と生返事をした。母はそんな態度の私に腹を立てていたようだ、というのは覚えている。

荒々しく玄関引き戸を閉める音がして、家の中が急にしんとした。それでも私はバカボンを観続けていたのだけど、番組が終わるや、急に寂しくなった。私はそのとき、母が「本家に行く」と言ったことを忘れて、母を探したがおらず、弟妹も誰もいない。小さい頃ずっと私の面倒を見てくれた祖母は、長期入院中で家にいない。今思えばそんなに長い時間ではないのだが、家に一人ぼっちで置き去りにされたのは初めてで、私はパニックになった。

私は大声で泣きながら家の外へ走り出た。庭にも誰もいないのを見て、駐車場から敷地外へ抜け出して農道に出た。門扉を開ければ庭から直接公道に出られるのだけど、それはしなかった。「勝手に門を開けて道路に出ると車に轢かれておっ死ぬぞ」と、小さい頃から祖母に脅かされていたためだ。

畑にも誰もいないことを見てとると、私は泣きながら農道を歩いた。農道の、畑から公道までの間の距離は短い。たぶん20メートルもなかったと思う。私はその短い距離を行ったり来たりした。

母は本家に行くと言っていた。本家までは数百メートルくらいだっただろうか。私の家と本家までの間には、屠殺場と二つの工場があった。そのせいで、うちの目の前の道路は二台の車がすれ違う程度の幅しかないのに、日中は沢山の配送トラックが行き交うし、通勤乗用車バイクもよく通った。幼い子供が一人で通るには危険な道だったから、「一人で道路へ出ない」と厳しく言い付けられていた。だから、母はきっと本家にいる、と知っていても、砂利道の農道からアスファルト舗装された公道に出る勇気が私にはなくて、ずっと農道の、家の垣根に沿った部分を私は往復し続けていたのだ。

時刻は午後6時を少し回ったところだったと思う。確か『天才バカボン』は6時ごろに終わったからだ。外は夕暮れどきで、東の空が薄いピンクと紫のグラデーションで、少し霞がかっていたと思う。近所の屠殺場も工場もとっくに終業していて、車通りの少ない時間帯だったはずだ。でも「一人で道路には出ない」という約束だったから、私は他にどうすることも出来ずに、大泣きしながら同じ所をぐるぐる歩き回っていた。

そんな時に、本家の伯母がやってきた。

「おっかさんがお喋りに夢中になってっからちょっと心配で見に来たのよ」

と言って、伯母は私をおんぶした。私は伯母の背中でわあわあ泣いていた。伯母は私を背負ったまま、公道農道の接する所に立って、母が弟妹を連れて帰ってくるのを待った。伯母が来てくれてから、母が戻ってくるまでにはそんなに時間はかからなかったと思う。

泣いている所へ伯母がふらりと現れたことは、当時の私にとっても不思議なことだった。我が家には、よく祖父母と伯父が遊びに来たものだが、伯母が来ることはなかった。伯母はいつも本家台所か、近くの畑にいた。寡黙で余計な口を利かず、そして何故か家族親戚からまれている人だった。家族からちょっといじめられていて、それに黙々と耐えている姿が近寄り難くて、私は本家人達の中で伯母にだけはなついていなかった。伯母も私には数多くいる親戚の子の一人であるという認識しか持っていなかったのではないか赤ちゃんの頃から知っているにしても。

なのに、そんな伯母が、

「あぁよかったよぉ」

と、真底安堵した様子で私をあやした。伯母が素の笑顔を見せること自体がとても珍しいことだったように思う。

から、伯母に助けられたことが私の記憶には鮮明に残っているのだけど、そんなことがあったのを綺麗さっぱり忘れた母は、「まさかあの人がそんなことを?」という。

それから30年くらい経った時、父と話ていてひょんなことから伯母が何故本家あんなに疎まれていたのか、その理由を知った。

伯母はまだ若い頃は身体が弱くて、たびたび実家に帰っていた。そのことを元から言い訳だ」と家族には思われていたようであるのだが、長男出産した後に決定的な事故を起こしてしまう。伯母は不注意から自分長男を死なせてしまったのだ。

当時、伯母の長男はまだ一歳半だった。全く分別がないのに活発過ぎるほど活発なお年頃だ。伯母は出産後の里帰りから本家に帰らず、長男息子と一緒に実家にいて、その日はどうやら床に伏せっていたようだ。それで長男母親が寝ている隙に家から出てしまい、用水路に転落して溺死した。そのために、祖母をはじめとする身内から責められ疎まれたのだ。

私の母が幼い私を一人きりで家に残して来たのを知った時、伯母は「ちょっと心配」どころか、かなりの危機感を持って私を探しに駆けつけたのかもしれない。私の両親は「あの人にそんなことが出来るわけがない、いつもボーッとしてるんだから」と言うけれど。

2021-09-06

原始人がネックレスをつけた理由 パート4

墓場を超えた親族利他主義

交易需要供給時間的にも場所的にも一致することは稀であり、現在当たり前のように行われている交易交易に基づく経済制度ほとんどが存在し得ないほどであった。さらに、新しい家族形成、死、犯罪戦争勝敗など、親族集団にとっての重大な出来事需要供給が3回も重なることは、もっとあり得ないことであった。後述するように、一族個人は、これらのイベントの際にタイムリーに富を移転することで大きな利益を得ていた。このような富の移動は、消耗品や他の目的のために作られた道具よりも、より耐久性のある一般的な富の貯蔵庫の移動であれば、より無駄のないものであった。したがって、これらの制度使用するための耐久性のある一般的な富の貯蔵に対する需要は、貿易のものよりもさらに切実なものであった。さらに、結婚相続紛争解決、貢ぎ物などの制度は、部族間の交易よりも先に行われていた可能性があり、ほとんどの部族では交易よりも大きな富の移動が行われていた。このように、貿易よりもこれらの制度の方が、初期の原始的貨幣動機付けと育成に役立ったのである

ほとんどの狩猟採集民の部族では、この富は、とんでもなく裕福な現代人には些細なものしか思えないような形でもたらされていた。たとえば、木の道具、火打ち石や骨の道具や武器、紐につけられた貝殻、おそらく小屋寒い地域では汚れた毛皮などのコレクションである。時にはそれらをすべて身につけていたこともあった。とはいえ、これらの雑多な品々は、我々にとっての不動産株式債券と同様に、狩猟採集民にとっての富であった。狩猟採集民にとって、生きていくためには道具や、時には防寒着も必要であった。その中には、飢えに備えたり、仲間を買ったり、戦争敗戦の際に虐殺や飢えの代わりになるような、価値の高い収集品も多くあった。生き残るための資本を子孫に移すことができるのも、ホモ・サピエンスサピエンスがそれまでの動物に対して持っていた利点であるさらに、熟練した部族一族は、余った消耗品耐久性のある財産特に収集品)と交換することで、時折ではあるが生涯にわたって累積的に余剰の富を蓄積することができた。一時的な体力の優位性は、子孫のためのより永続的な体力の優位性に変換することができる。

考古学からは見えない別の富の形として、役職名があった。多くの狩猟採集民の文化では、このような社会的地位は、有形の富よりも価値があった。例えば、一族リーダー戦争部隊リーダー狩猟部隊リーダー、(近隣の一族部族特定人物との)長期的な交易パートナーシップメンバー助産師宗教的なヒーラーなどが挙げられる。収集品は富の象徴であるだけでなく、一族責任ある特権的地位称号を表すニーモニック役割果たしていた。死後、秩序を維持するためには、そのような地位継承者を迅速かつ明確に決定する必要があった。それが遅れれば悪質な争いを生むことになる。そのため、一般的行事として、安置の宴が行われた。この宴では、故人を歓待するとともに、慣習や一族の決定権者、あるいは故人の遺言によって決定された有形・無形の財産が子孫に分配された。

マルセル・モースをはじめとする人類学者が指摘しているように、近代以前の文化では他の種類の無料贈与は非常に稀であった。一見すると無償の贈り物は、実は受け取る側に暗黙の義務を課していたのである契約法が制定される以前は、この「贈り物」の暗黙の義務と、暗黙の義務が果たされなかった場合に続くコミュニティ不名誉や罰が、おそらく遅延交換における最も一般的互恵動機であり、今でも我々がお互いに行う様々な非公式好意共通している。相続やその他の親族利他主義は、現代人が「適切な贈与」と呼ぶもの、つまり受取人に義務を課さない贈与の唯一の形として広く行われていた。

初期の西洋商人宣教師は、原住民子供のような原始人と見なし、貢ぎ物の支払いを「ギフト」、取引を「ギフト交換」と呼ぶことがあった。これは、大人契約納税の義務というよりも、西洋の子供たちのクリスマス誕生日プレゼント交換に似ているかのようである。これは、偏見によるものもあるが、当時の西洋では、義務原住民が持っていない文字によって形式化されるのが普通だったという事実もある。そのため西洋人は、先住民が交換制度権利義務を表す豊富言葉を「ギフト」と訳していたのである17世紀アメリカに入植したフランス人は、より多くのインディアン部族の中に薄く散らばっていたため、これらの部族に貢ぎ物をしていたことがよくあった。それを「贈与」と呼ぶことで、そのような必要性に迫られていない他のヨーロッパ人との面目を保ち、それを臆病だと感じていたのである

モースや現代人類学者は、残念ながらこの用語を使い続けている。未開の人間子供のようなものだが、今では子供のように無邪気で、我々のような卑劣で冷酷な経済取引に身を投じることのない、道徳的に優れた生き物であるしかし、西洋では、特に取引に関する法律で使われる公式用語では、「贈与」とは義務を負わない譲渡のことを指す。現代人類学者は、我々が現代的に使っている「ギフト」という言葉の中で一般的言及している無料または非公式ギフトを全く意味していない。現代人類学者は、現代の我々がよく使う「贈り物」という言葉の中で、自由非公式な贈り物を指しているのではなく、むしろ、富の移転に関わる多種多様権利義務システムを指しているのである先史時代文化において、現代の「贈与」に似た唯一の主要な取引は、それ自体が広く認識された義務ではなく、受取人に何の義務も課されていないという点で、親や母方の親族子供の世話をしたり、相続をしたりすることであった。(例外として、地位相続すると、その地位責任特権相続人に課せられることがあった。)

ある種の家宝相続は、何世代にもわたって途切れることなく続くかもしれないが、それだけでは収集品の移動の閉ざされたループ形成することはできない。家宝は最終的に何かに使われて初めて価値を持つ。家宝は、しばしば一族間の結婚取引に使われ、収集品の閉ループサイクルを形成していた。

家庭内取引

収集品によって可能になった小さなループ取引ネットワークの初期の重要な例は、霊長類に比べて人間が子孫を育てるために行う投資はるかに大きいことと、それに関連する人間結婚制度に関するものである一族の間で取り決められた交配と子育てのための長期的な組み合わせと、富の移転を組み合わせた結婚は、人類普遍的ものであり、おそらく最初ホモ・サピエンスサピエンスにまでさかのぼることができる。

親の投資は長期的で、ほとんど一回限りのものであり、繰り返し交流する時間はない。怠慢な父親浮気をした妻との離婚は、浮気をされた側にとっては、遺伝的適性の観点から、数年分の時間無駄にすることになるのが普通である子供への忠誠と献身は、主に義理家族、つまり一族によって強制された。結婚一族間の契約であり、その中には通常、このような貞節献身約束に加えて、富の移転も含まれていた。

男性女性結婚生活にもたらす貢献度が同じであることはほとんどない。結婚相手選択氏族によって大きく左右され、氏族リーダーが選ぶことのできる人口が非常に少なかった時代には、なおさらそうであった。最も一般的には、女性の方が価値があると考えられ、花婿の一族花嫁一族花嫁代金を支払いた。それに比べて非常に珍しいのが、花嫁一族が新しいカップルに支払う「持参金」である。これは主に中世ヨーロッパインド一夫一婦制でありながら格差の大きい社会上流階級で行われていたもので、最終的には上流階級の娘よりも上流階級の息子の方が繁殖能力はるかに高いことが動機となっていた。文学は主に上流階級について書かれていたので、ヨーロッパ伝統的な物語では持参金がよく登場する。これは、人類文化圏における持参金の実際の頻度を反映したものではなく、非常に稀なものであった。

一族間の結婚は、収集品の閉ざされたサイクルを形成する可能性がある。実際、2つの氏族パートナーを交換しても、花嫁が交互に来る傾向がある限り、閉ループを維持するのに十分である。一方の氏族が他の種類の譲渡によって収集品がより豊かになった場合、その氏族はより多くの息子をより良い花嫁結婚させるか(一夫一婦制社会場合)、より多くの花嫁結婚させるか(多夫一婦制社会場合)する。結婚だけのループでは、原始的貨幣は、生殖資源の偏った移転の間に長い期間にわたって一族間の記憶と信頼を必要とすることを置き換える役割を果たすだけである

相続訴訟、貢ぎ物のように、結婚にはイベント(この場合結婚)と需要供給の3つの一致が必要である譲渡可能耐久性のある価値の蓄えがなければ、新郎一族新婦一族現在欲求を、新郎新婦間の価値ミスマッチを埋め合わせるのに十分な大きさで、しか政治的恋愛的な制約を満足させることができるかどうかは、かなり微妙なところであった。一つの解決策は、新郎またはその一族から新婦一族への継続的奉仕義務を課すことである。これは既知の文化の約15%で行われている。それよりもはるかに多い67%の文化では、新郎または新郎一族新婦一族にかなりの額の富を支払う。この花嫁代金の一部は、結婚の祝宴のために収穫された植物屠殺された動物など、すぐに使える消費物で支払われる。牧畜社会農業社会では、花嫁の対価の多くは長期的な富である家畜で支払われる。残りの部分、つまり家畜を持たない文化では通常、最も価値のある部分は、最も希少で高価で耐久性のあるペンダント指輪などの家宝で支払われる。花婿が花嫁指輪を贈り、求婚者が乙女に他の種類の宝石を贈るという西洋の習慣は、かつては実質的な富の移転であり、他の多くの文化一般的であった。約23%の文化(主に現代文化)では、実質的な富の交換はない。約6%の文化では、新郎新婦一族間で実質的な富の相互交換が行われている。花嫁一族が新婚カップルに持参金を支払う文化は約2%しかない。

残念なことに、一部の富の移転は、相続財産の贈与のような利他主義結婚の喜びとは程遠いものであった。貢ぎ物の場合は全く逆である

2021-08-28

モノホンヘイトスピーチを見た

ソウル地下鉄3号線の安国(アングク)駅5番乗り場の前に立って列車を待つときはいつも複雑な思いを抱く。5番乗り場のスクリーンドアには抗日詩が貼られているが、作者は李奉昌(イ・ボンチャン義士だ。その最後の部分は倭人屠殺しよう」という内容だ。

寄稿韓日関係、「善くないサマリア人」と共存する知恵を学ぶ時だ(1)

https://s.japanese.joins.com/JArticle/282312

韓国すげえなあ。

街全体が在特会みたいになっちゃってるんだな。

2021-08-25

そこの君も人殺しの顔をしろ

人殺しの顔をしろって言う人は、車を運転するときには当然、人殺しの顔をして運転してるんだよね?

牛さんや豚くんや鶏さんを食べるとき屠殺者の顔をして食べているんだよね?

まさか殺しと無関係な顔をして生きてはいないよね?

2021-08-08

幸せそうな人間を狙う犯罪者気持ちがわかる奴は

自分自分家族幸せそうな時に殺して構いません」って看板出しといてくれる?

こっちは働きたくても働けなくなって蓄えも尽きて自殺するしか手立てがなくなる前に安楽死施設ができてそこで安らかに屠殺してもらうのが唯一の望みの負け組下級国民なんだよ。たまたま明日が楽しみにしてたゲームの発売日でその嬉しさが顔に出てたからとかそんな理由で、自己中の基地外に苦しみを伴う死を強要されるのは絶対にごめんだ。


私と違って幸福にまっとうに生きてる妹や義弟や姪や年老いた両親を殺されるのも絶対ごめんだ。

から見れば彼らは子供や孫に恵まれ幸福そうな家族だろう。だがいま幸せからって苦労がないわけじゃない。彼らにも彼らの苦労と努力があったし今もある。他人幸福を妬む犯罪者理不尽に殺されて良い命ではない。


フェミサイド?かどうかとかそんな事知ったことか。罪も咎も恨みもない他人を殺そうとするような人間社会として認めるべきではない。そんな人間ゴロゴロ増えてその辺を歩かれたら私は大いに迷惑する。

私のようなろくでもない人間も、私と違ってまっとうで幸せ人間も、その基地外テロリストお気持ちを満足させる為に一生不幸な顔をして生きろと言う事ではないか。そんな理不尽な話があるか。

はてブ偽善者どもは凶悪犯罪が起きるとすぐに「社会でこの事件を防ぎ犯人を救う手立てはなかったのか」とか言い始めるが、あるよ、手立てなら。

中学時代同級生いじめて喜んでたようなゴミクソDQNや、自分意見が通らないとすぐ不機嫌になるクソ自己中みたいな、自分が一番嫌いなタイプ人間そばにずっといてやって、そいつの言う事をお前が何でも聞いて奴隷になってやれば大人しくしてるよ。

金が欲しいと言えば家の金全部差し出して、女(男)が欲しいと言えばお前の彼女でも彼氏でも嫁でも婿でも娘でも息子でもくれてやるんだよ。そうすりゃお前とお前の大事な誰かの人生を生贄にそのカスは一生大人しくしてくれるから(少しでも言うこと聞かないとキレて通り魔になるから気をつけてね)。


他人幸せそう」なんて理由他人を殺すような人間は断固滅びていただきたい。

さもなくばそうした心の闇を抱えた極めて他害的な人間に、自分大事な人が理不尽に殺されても犯人憐れみ社会を憂えるような、立派で上等なお育ちと精神性の方々を狙っていただきたい。そう思えるような方々はきっと私の何万倍も幸福人生を送っているだろうからさぞ殺しでがあるだろう。


犯罪もせず、人様に迷惑も極力かけず、カスにでもできるような範囲で親切で善良な人間であろうとつとめ、無能ななりに精一杯働いて、老後生きていける金はないか大人しく死のうと思ってるカスのような自分だが、万引き咎められて逆ギレして幸せそうな女を殺そうなんて考えるゴミ中のゴミお気持ちを満足させるために生きてる命じゃねえんだよ。

2021-07-21

anond:20210619223639

日本屠殺場のルールイスラーム要求されるルールバッティングした時はどうすればいいんだろう。

日本立場の弱いイスラームに優先的配慮をすればいいのかな。

2021-07-17

豚のカルビってもう屠殺された?

動画の豚が食われるの楽しみにしてるんだよね。

2021-06-26

anond:20210626221734

ロースってなんだ?とぐぐったらワロタ

ロースおじさんとは、Web業界最狂のペド豚であり、同時に日本企業広報極北を独り疾走する超新星である

概要

ペパボexitホームページ制作支援サービス「グーペexitサイト内にある広報ブログ、「とんかつ教室exit」に勤務する45歳の中年豚。職業飲食店経営

真性のペド豚であり、小学4年生をこの世の何よりも神聖視している。小学4年生であれば男女を問わず等しく対象である(小4から離れるにつれて正気に戻る)。一方許容範囲は非常に狭く「中1とか狩ったろか思いますexit」と公言するなど、その嗜好は徹底している。その欲望を満たす為なら女子トイレ入りも豚小屋入りも墓入りも辞さないという。

弱冠3歳の弟子ミンチーにお店のホームページ関連を任せ、自らは飲食店Web業界ネット広告業界と何ら関係ないゲームアニメに関するうんちくを語ったり、訳のわからない相談に乗ったり、小学4年生に関する妄想をふくらませたりして日々を過ごしている。

一方で広報Blogという立場に完全に無関心であり、たまに出てくる自社サービスの新機能宣伝をするのももっぱらミンチーの役目で、ロースおじさんは年長者をいいことにひたすら軽挙妄動の狂態を晒している。

このようなサービス紹介とほとんど関係がなく、むしろ公然変態発言を繰り広げる公式が病気ブログを、企業名代として更新しているのはは前代未聞の珍事であり、教室内でも中の人が毎回怒られている旨が散見される。

とはいえブログ名で検索exitすると分かるように、本ブログ企業ブログとしては異例の口コミ効果を持っており、グーペの認知度向上に大きく貢献しているのかもしれない(おじさん本人は宣伝効果を調べる気はないようだが)。

一見あさっての方向に撒き続ける種がいつか大きく花開くかどうかは、ロースおじさんが屠殺されずに生き延びられるかどうかにかかっているといえよう。

一応本人は普通の豚と称しており(両親は既に食肉加工された)、肉弾戦闘力はそこまで抜きん出てはいない筈…だが、その尻から出る屁は迂闊に浴びると目から出血したり、内臓機能が低下したり、記憶が飛んであばばばばになったりするABC兵器である刑務所の同房者達曰く「カオス」)。またミンチーに何度も死ぬほどドS鉄拳制裁を食らったりしてもすぐ全快する回復力を備えている。豚のくせに。

尚、良く間違えられるが「とんかつおじさん」「ポークおじさん」ではない。うっかり間違えると世界中醤油とたまり醤油を混ぜつつバットで撲殺されるので注意。

2021-06-19

ハラルフード

巷でハラル対応の店が増えてきてる。これ自体は良い事だと思うけど本当にこれを掲げてる店はハラル対応してるのか?イスラム教禁止されている酒と豚肉さえ避ければ良いと思ってる店が多いような気がする。

牛や鳥や羊はムスリムでも食べられるけど、実はイスラム教では屠殺には厳密なルールがある。これをしっかり守ってる日本屠殺場は俺の知る限り存在しない。海外から輸入すればいいけど、当然高くつくはずだ。なのにハラル対応のお手ごろな店が結構ある。これは明らかにおかしい。

日本みたいな豚も食べるし酒も飲む文化を持つ国が全てハラル対応する必要は全くないけど、やるならきっちりやれ。

2021-06-12

牛肉豚肉が(あまり)食べられない

アレルギーではなく宗教的理由でもなし菜食主義でもない。

昔は焼肉大好きステーキ最高だったが、数年前から哺乳類の肉が苦手になった。

きっかけは進撃のアニメを見たことだった。最初アニメ化が話題になって軽い気持ち配信を見たのだ。

捕食シーンが頭に焼き付いて、スーパー画像で肉を見ると頭の中に断末魔が聞こえるようになった。

あとで原作を読んだら予想より抵抗がなかったから、音声と色がついていたのが強度の刺激だったのだと思う。

しばらくして肉を再び食べるようになったけれど、もっぱら鶏肉と魚しか食べない。

しか弁当のおかずとか餃子に入っている程度の量なら牛も豚も食べる。

屠殺を見てショックを受けたとか一切肉を食べないとかなら説明やすい。

アニメを見て肉が食べられなくなった、でも全く食べないわけじゃない、のはなんとなく言いづらい。

2021-06-06

つか屠殺するまでのことはうるさいくらいに知ってるのに

屠殺した後の肉がどのような流通過程を経て店に届くのかまるで知らねえのな

面白い

anond:20210606092025

東京都区内で畜産して屠殺して全く冷蔵も凍らせもせずにもってくるとか食品衛生上ありえないからいいとおもう

ふるさと納税で食べてる肉も全部冷凍だしいつか家族内緒タン1本とか生ハム原木1枝とかやってみたいんだけどね

anond:20210606205308

それ以前に肉が冷凍されていない前提の認識なのが驚いたわ

国産でも普通に冷凍だが

どうやって全国に配送してると思ってるんだ

牧場屠殺したてのしか食わないの?

2021-05-31

屠殺などの残酷動画禁止したほうがいい。

心の弱い人が、心を壊してしまい、変なことを言い出すから

2021-05-11

anond:20210511123252

そもそもなんで馬だけ屠殺が闇になるのかわかんないよ

君らの食卓に並ぶ牛豚鳥も屠殺を経てるけど別に闇だと思わないだろって

牛が肉牛として生まれるか触れ合い牧場の牛として生まれるかくらいの違いだろう

闇の部分って向き合う必要あるの?

から馬が好きで競馬動画とかもよく見るんだけど、競馬の闇と称して馬肉行きになることや人間傲慢さを嘆く人たちが目につく。

都合のいいことしか目にしないことへの批判だと思うんだけど、この闇を見る必要ってあるの?

実際に屠殺を行なって闇に向き合ってる人たちはちゃんといるわけで、競馬見てる全員が同じ感覚を共有する必要はないんじゃないかと思う。(むしろ闇とか言ってるのが不適切では)

「こういうことが起きていることを知っておいてほしいですね」という意見にも、なんで綺麗なところだけ見てちゃいけないのかと思う。

あと、人間傲慢さについて嘆いてる奴らは自分人間じゃないと思ってるのかとツッコミ入れたくなるんでやめてほしい。

2021-04-28

anond:20210428085617

豚を育ててそれを肉にして食わせて食育だ、というような洗礼子供時代に浴びた結果気持ち悪くて永久に肉が食えなくなってしまった人間が身内にいるので、食肉文化を保ちたいならあれはヤメた方がいいと思う。

逆に言うと、子供屠殺現場とか見せると次の世代ビーガンは増えるだろうなと思う

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