はてなキーワード: 大型車とは
1.右折レーンにウィンカー出さずに入る人
→入るだろうなとすぐ分かるけど出してくれると嬉しいです
2.右折レーンで左に膨らみながら曲がる人
3.曲がり損ねてど真ん中で止まる人
→どっかでUターンしてください
4.追越車線に居座る人
→制限速度を守ってると言う前に走行車線に速やかに戻るという道交法を守ってください
5.50年前の車の性能に合わせて作られた制限速度の田舎道で大名行列を作る人
7.離合できない道でヘッドライト点けずに走ってる人
8.一時停止で完全に止まらない人
→ピッタリ止まることで左右確認の余裕が生まれて防げる事故もあります
→慎重なのは一向に構いません
車列が切れてからでも遅くないですよ
貴方が日本の物流背負ってるのは理解できますしもっと余裕のある業界になることを願ってます
11.左右確認せずに出てきてそのまま追い越したらついてくるDQN
→死ね
そしてそのパワーでは追いつけないよ
→あなたがアクセルを踏むことで全ドライバーの心に平穏が訪れます
13.道路公団の方々
→いつもありがとうございます
14.制限速度
→日本の空気読め文化で実勢速度と制限速度が合ってないし取締も曖昧です
お願いします
皆がそれぞれのペースで快適に道路を走れるように
例えばワンボックスとかさ、おそらくコンパクトカーに比べたら貸し出し台数が少ないと思うんだ。(統計を見たわけではないのであくまで予想)そこに輪をかけて料金も高いとなったらますます借り手がつかないだろ?多分、コンパクトカーの貸し出しが全車両のうち比率的に多いのではないかと思うんだけど、仮にそうだとしたら、それは料金がワンボックスなどの大型車より安価だからだと思うんだ。乗車人数も十分だしね。(逆にワンボックス借りるほど人は乗せないしってのもあると思うが)
つまり前述の予想が正解だとすると、大きい車ほど(需要が少ない車ほど)、料金を安くした方がいいんじゃないかって話。
※追記
少ない需要のために...というご意見をいただいたが、だからといって料金を高くするとただでさえ利用されないのがますます利用されなくなるだけだよね?単純に考えて安くした方が利用される....って思わないか?
東西線の中、もうすぐ乗り換えの有る、そこそこ大きな駅。
ぎゅうぎゅう詰めではないがかなり混雑している状態。
40代だろうか、立っていた男の人が、
立っている人や座っている人の足元 お構いなしに、
急に床に横になって、身体を真っ直ぐに伸ばして、こう着したような状態。
全身ぷるぷる震えても居る。
周りの人間もどうしたらよいか分からず、「どうしました?どうしました?」 と、
声を掛けるのが精いっぱい。
その時電車は駅に到着、扉が開く。何人かが駅員を呼ぼうと うろうろするが、
倒れてから1分も有っただろうか。
周囲の人間に声を掛けられてもそれに応えること無く、足早にその場を去ってしまった。
それが ”てんかん” の発作である事を知ったのは随分後の事だった。
「大丈夫、薬を飲めば抑えられるので。」
「あ、あの時は薬を飲むのを忘れたので。」
こんなの通用するわけないでしょ。
Webニュースで見かけたが、10年は軽過ぎるような気がする。
「てんかんには社会の理解が必要...」とか言う医者がいるが、
理解した上で、車の運転免許(原付、普通車、大型車、小型特殊、大型特殊、二輪)はく奪!
で、お願いしますよ。
うちの子が風邪でダウンしてしまったので、今日は会社の休みをとった。今、子どもは寝ているので、様子を見ながら、先週末から気になっていたことを、長文に書いてみよう。
立て込んだ住宅街で、アップダウンが激しく、カーブの多い道幅の狭い道路が入り組んでいる・・・東京23区の住宅街では珍しくはない道路事情だろう。私が日常的に駅へ行くのに使っている道路も、そのような地域の人々の生活道路のひとつだ。道幅は広いところで5メートルあるが、全体をつうじては4メートルのところが多い。歩道は確保されていない。タクシーの運転手も嫌がるような一方通行の狭い道だ。
その道路の中でもとりわけ道幅が狭い区間が、200メートルほどある。一番狭いところは道幅3メートル50センチだ。
この道は私たち住民の生活道路だが、数百メートル向こうを通っている幹線道路への抜け道として「抜け道マップ」に掲載されたこともあり、ただ通過するだけの車も少なくない。近隣のコンビニの配送の大型車もひっきりなしに通る。時間帯によっては学生のママチャリも多い。住民は、ベビーカーに子供を乗せたお母さんも、歩行補助のカートを押して歩くおばあちゃんも、道路幅のわりに多い交通量に気を使いながら、びくびくして歩いている。
「歩きスマホ」は、この道では、既に問題として指摘されていた。駅に向かう人と駅から歩いてくる人が狭い道路の両側にいるだけで、道幅は半分以下になる。車はひっきりなしに通る。そこで歩きスマホなどしたらどういうことになるか・・・後ろから車が来ていることにも気づかずに手元を見て歩き続けている人がいたので、見かねて、すれ違うときに「危ないですよ」と言ったこともあるが、「何、このおばちゃんは?」という目つきで睨み返されただけだった。
この道路は曲がりくねっている。道路幅が5メートルの区域からカーブを描いて下り坂を曲がったところが幅4メートル、その先が幅3メートル台の区間で、歩きスマホという問題などなかった時代でも、カーブを無謀にも飛ばしてくる土地勘のない車と、歩行者や自転車が接触しそうになるようなことは、しょっちゅうだった。せめて拡幅すれば危険は軽減できるとして、区の「安全安心な住み良いまちづくり推進評議会」のようなところでも議題になったそうだ。だが、道路の拡幅は一向に実現しそうにない。地権者が多すぎて埒が明かないのである。
私自身も、先日、そこでヒヤリとする目にあったばかりだ。日曜日で、ママチャリでスーパーに買い出しに行くため、道路の左側を徐行していた。私の10メートルほど前にはカートを押した高齢者がゆっくりと歩いている。道路の右側は幼い子ども2人の手を引いた父親と母親が歩いていて、それだけで道幅は半分以下だ。ここに車が来たら危ないなあと考えながら、私が高齢者にほとんど追いついたとき、カーブの向こうから歩きスマホの若者が現れた。面白いマンガでも読んでいるのか、画面をスワイプしながらニヤニヤと笑って歩いてくる彼は、高齢者に気づかず激突しそうだ。そこは高齢者が慣れたもので、電柱の際に立ち止まり、若者を先に通そうとした。歩きスマホの若者が道路の左側をそのまま歩いてきて、右側の親子連れとすれ違おうとする瞬間、両者の間に確保された狭い空間を抜けて、私はママチャリで進もうとペダルを踏み込んだが、急に歩きスマホが電柱に気づいたのか、道路の中央に向けて足を踏み出した。「フラフラと道路の真ん中に出てきた」のである。このままでは私が歩きスマホに激突してしまう。反射的にハンドルを切って自転車の急ブレーキをかけた。後続の自転車が反射的に左に出て、電柱脇の高齢者に気づいたのだろう、左後ろから急ブレーキの音がした。同時に、カーブの向こうから、下り坂でスピードに乗ったミニバンが曲がってきた。子どもの「あっ」という声が聞こえた。歩きスマホは下を向いたままこっちに歩いてくる。耳にイヤホンがささっているのにそのとき気づいた。後続の自転車のおじさんが「っぶねぇ!」と叫ぶ声がした。
いったい、どのようにして何事もなく済んだのか、回想しても思い出せない。私は気づいたら道路の右側、縦一列になって立ち止まっていた親子連れの後ろで自転車を降りてハンドルを支えていた。道路の左側では、電柱脇の高齢者も、歩きスマホの若者も、後続の自転車も、通り過ぎていくミニバンとは接触していなかった。一瞬のできごとだった。でも、長く感じた。スローモーションに見えた。
歩きスマホが急に道路の真ん中に出る前に、一瞬でいいから画面から目を上げて周囲を確認し、できれば道路脇に寄って立ち止まってくれていたら、あんなふうにヒヤリとすることはなかっただろう。
こういう環境に、「ポケモンGO」がやってきた。この先で道路が少し広くなっているところに、何かのスポットがあるのだそうだ。
日曜日の夕方、狭い道路で、2列に広がった男子2人組が、一心不乱にスマホを見つめて歩いてくる。「男子」と言っても20歳は超えているようすだ。普段この狭い道路を使っていれば、体の小さな子どもでも、この道で2列になって歩いたりはしない。その後ろのほうには、自転車にまたがって、ハンドルにもたれかかってスマホの操作をしつつ、つま先で地面を蹴りながらふらふらと進んでいく15歳くらいの少年もいる。前方などまるで見ていない。この先はカーブだし、右方の道から出てくる車もいる。事故が起こらなければいいけれど。
「ポケモンGOで歩いて健康増進」と言って宣伝するのはよい。スマホのアプリを起動したままで歩くだけなら何の問題もないのだから。しかし、せめて、画面を見ていなければならないようなシーンは公園の敷地内のような広いスペースや、歩道が整備されている場所だけにしてくれないだろうか。それでも「歩きスマホ」に係る問題は避けて通れないだろうが、人と自転車と車がひしめきあっている幅の狭い生活道路に、多くの「歩きスマホ」が出没することは、シャレにならないのだ。
ARがどうのこうのなどという高尚なことは、現に人間が暮らしているリアル世界に持ち込むのなら、交通事故のような基本的な安全性を確保してから実験してほしいと思う。
週末に首都高乗ろうとしたら、入り口の電光掲示板に4月から料金が変わりますの案内。
は?ナニソレ。ドライバーの中では常識?そんなニュース全然聞いたことないんだけど。
それでどうやら調べてみると、まずは車種が普通と大型の二種から、軽・二輪、普通車、中型車、大型車、特大車の5種に分かれるらしい。
それぞれで料金が異なり、普通車の場合は最低区間が500円から300円に値下げするも、上限金額が930円から1300円まで伸びるとのこと。
ついでに現金は一律以下の通り。
軽・二輪 1,070円
普通車 1,300円
中型車 1,380円
大型車 2,040円
特大車 2,600円
軽と二輪車は値下げだからラッキーだけど、これでまた都心と郊外の距離が離れて郊外のマイルドヤンキー化が更に強くなりますね。
でも、その表題が「4月(予定)からの首都高の新たな料金(案)について」みたいに括弧書きだらけでいまいちはっきりとしないんだよね。
バスの事故の原因がギアがニュートラルになっていたのが大きな理由らしい。
なんでもそこには最近のギアレバーの技術的な問題もあるそうだ。
それで自分のことについて思ったことがある。
もちろん大型車ではなく、普通のトヨタのみなさんが普段よく目にする
ハイブリッドカーに乗っている。
そこでハイブリッドカーでは少し物足りなさを感じている。
減速する時は、ブレーキをふみながら、うぉんうぉんといいながら、
加速するときは、ぶろおおおおおおおといいながら、
ある日、車庫にいれようとして、バックにいれようとしたら、
少しがんばってみたが、その日は寒く、シフトチェンジできなさそうだった。
仕方なく、前から突っ込んで駐車をしたが、
その為、フロントバンパーが車止めでこすって「がりがり」という異音がした。
あっと、おもってバックしたらまた「がりがり」という。
もう、だめだとおもって、また前にすすめると「がりがり」という。
普通車両のドライバー席の場合はそうだが、この増田が言っているのはバスなどの大型車両の乗客席のシートベルトの警告音のことでは?
バスでドライバーがシートベルトをするのは勿論のことだが、乗客のほうでもシートベルトをつけないと警告音が出続けるようにすれば、乗客はシートベルトをしてくれて、交通事故が起きても被害を少しぐらいは抑えることが出来るだろう、と。
その場合、警告音が出ても何ら気にせず乗るやつが絶対にいるだろうし、
今まで発生しなかった未知の騒音でトラブルが発生しそうだし、立っている乗客や、空席の扱いはどうするのか(空席とは言っても、物を置いていて人が座れない席もあるはず)、って話になるし、実現は難しいと思うな。
http://torack7.blog.fc2.com/blog-entry-565.html
寄せないと対向車線にはみ出すのも違反だし、それはそれで危ないんだ。
で、多少イヤガラセでやってる部分もある。
イヤガラセ、っていうと語弊があるけど「入らせないために隙間をあけない」ってのはあるんだ。
隙間があると歩行者や自転車が頭を突っ込んでくるからね。絶対入れないぐらい詰めろ、ってのは教えている所も多いと思う。
空けてあげれば歩行者も安心するのはわかるが、それが油断を生んでしまったら逆効果なんだ。
「危ないだろ!」って思うのはもっともだ。そう思ってもらうことが目的だからね。
http://www.y-yamasita.com/diary.cgi?no=110
通学路は、学校や家庭では学ぶことができない子供の社会性を成長させる貴重な場であると考えます。
家と学校の移動だけではなく、家と地域、地域と学校とを結ぶ活動の場でもあります。
小学生のとき、通学路の思い出が心の原風景となっているというお話もお聞きし、地域で共有できる記憶としても重要なものと考えられます。
日本は、世界と比較して公園が少ないと言われてきましたが、かつては道路が子供の遊び場でした。
5歳児が自宅の前の道路で遊べるか否かが、その子供の成長と発達に重大な影響を及ぼすという意見は、チューリッヒ・スタディーとして有名であります。
しかし、柏市内では、自動車の交通量が多く、歩道も車道も狭く、ガードレールのない通学路もあります。
伸びた草木枝や落ち葉、ごみでふさがれ、児童が車のすぐわきを歩かなければならない歩道や路側帯もあります。
見通しの悪いカーブや、制限速度が守られずに、子供たちのすぐわきをトラックが通り過ぎていくような通学路があります。
抜け道として利用され、朝の通学時間帯に自動車が飛ばして走っている通学路もあります。写真を使います。
これは、ある小学校付近ですが、この歩道に枝が伸びていて歩きにくくなっていましたり、このように歩道が狭くなってしまっております。
そういうところに、この大きなトラックが通ったりすることもあります。
また、学校のそばの交差点なんですけれども、このように狭い道路もありまして、大きな車がすれ違うときは、ちょっとはみ出てしまって、なかなか、本当にすぐわきを車が通ってしまうような状況です。
これは、手賀の杜から40分から50分かけて、手賀西小学校に通っている児童も通る通学路であります。
そういった状況の中で、京都の亀山市や千葉県の館山市、愛知の岡崎市などで、通学中の児童が巻き込まれてしまうという痛ましい事故が起こっております。
これらの事故は、遠いほかの地域の出来事ではありません。柏市でも一刻も早く対応して、事故を未然に防がなければいけません。
保護者、教員によって、通学路に立ち安全指導が行われてはいます。
その負担もさることながら、いつ事故が起きるかもしれないという不安は大きなものです。
大切な子供の安全な通学路の確保は、最優先の課題であると考えます。
そこで、通学路の歩道の整備、ガードレールの設置、速度制限と大型車の交通規制など、通学路における安全確保について、柏市の考えをお聞かせください。
また、歩道、路側帯の草や木、枝葉などの伐採について、歩きやすい通学路の整備についてもお答えください。
◆三問目 山下洋輔
細かい現実的ないろいろな調整しなければいけないことというのがたくさんあるというのも、お話をお聞きしております。
そういった全体の流れであったり、基本的な道路をどうあるべきか、そういった考えは、先ほどお答えしていただいたような人間中心に移り変わっていくような、
そういった理念を持って、これからも続けていっていただきたいなと思いまして、ここで一つ紹介させてもらいたいことがあります。
デルフト宣言といって、子どもにやさしい都市環境に関するデルフト宣言というのがこのフルタイトルなんですけれども、
ここで子供に優しい都市は、すべての人に優しい都市であることを考慮するということを念頭に置いて、以下のことを提案していくというような宣言があります。
これを、紹介いたします。
「過去数十年の間に世界じゅうの子供たちは、伝統的に子供たちの屋外の居場所とされてきた空間の多く、
このような居場所の喪失は、多分に自動車の増加によってもたらされてきたものである。
子供にとって家庭環境は、健全な発達を遂げる上でも基礎となっている。
国連子どもの権利条約では、すべての子供が身体的、心理的、精神的、道徳的、社会的に発達するための適切な生活水準を享受できる権利を認めている。
そして、192カ国がこの条約を批准しており、各国政府はこの権利を実行に移す責任を認めている。
この宣言は、ロンドン宣言に基づいている。
ロンドン宣言というのは、政策の決定、立案及びそれらの過程への関与方法を考える上で、小さい児童や若者が有している物理的、
社会的環境に関する権利を十分に満たすことを優先して取り組むべきである」
ということが含まれている文章です。
私たちの大人であったり、社会、経済のそういった利便だけに流されずに、
未来を担う子供たちがすくすくと健全に育っていけるような社会を築くために、
私たちはいろいろな障害だったり難しい状況というのがあると思うのです。
そういったことに対してもできないということではなく、
全力でいろいろ知恵を絞って、ここにいる議員であったり市役所の皆さんであったり、
沖縄県名護市の稲嶺進市長は九日の記者会見で、米軍普天間(ふてんま)飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)
移設に向けた名護市辺野古(へのこ)沿岸部の埋め立て工事について、市長の権限を使って抵抗する考えを示した。
国は昨年末、仲井真弘多(なかいまひろかず)知事から、埋め立て承認を得たばかり。地元の市長に「待った」
Q 稲嶺氏の考えは。
A 稲嶺氏は辺野古埋め立てについて「工事には市長の権限が必要なことも多い」と言っている。法的に
認められた市の権限をできる限り使い、工事に入らせないようにする覚悟だ。市役所内の各部署に対して、
工事に関係する権限がどれだけあるか洗い出すよう指示している。
Q 具体的にどんな権限があるのか。
A 基地を建設するために埋め立てる面積は百六十ヘクタール。東京ドーム三十四個分の広さになる。
国は建設予定地近くの漁港周辺を埋め立てて、資材を置く作業場や取り付け道路を造る計画だ。漁港の管理者は市なので、
使うには市の許可が必要。埋め立て時に海岸を使うのにも市の許可がいる。トラックやダンプといった
特殊な大型車両が市道を通る際にも、許可がいる。市の権限は十項目ほどに上るとみられる。
Q 市が権限を使えば、埋め立てを止められるのか。
A 市に工事そのものを中止させる権限はないが、影響を与えることはできる。例えば市が漁港の使用を
認めなければ、国は漁港を使わずに工事を進めなければならず、計画を大幅に変える必要に迫られる。
もし市道を使えなければ、資材を埋め立て工事現場まで運べないため、国は使用許可を求めて裁判所に
訴えなければならない。市にとっては国と全面対決することになるが、本気で止めようとすれば、工事の大幅な
遅れが予想される。
Q 間もなく名護市長選だ。
A 十二日告示、十九日投開票で行われる。もちろん、基地建設の是非が最大の争点。野党各党が支援する
反対派の稲嶺氏と、自民党が支援する容認派の末松文信前県議の一騎打ちとなる見通しだ。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2014011002000137.html
時間が経てば経つほど
応援するよ
「ホンダはどうした」「ホンダらしくない」という批難の声が、社内外のあちこちから聞こえてきた時があった。現場で車を作っている身としては、針の筵に座らされているような日々を送っていた。そんな時に本田さんが言った。
「君たちは、腹がへって死にそうな人に、『すき焼きの肉を買いに行きます』なんて言うのか!」
それは、どんな人たちの声よりも鋭くわたしの胸に突き刺さった。
[中略]
上級車思考が進んでいた時のことだ。わたしたちも、従来のものよりずっと性能のいい上級の車を投入したり、アメリカ向けに開発した大型車を急遽、日本市場に投入したりしていた。が、いずれもお客様の動向を的確に捉えているとは言えなかった。
お客様のニーズを最優先するという仕事の基本原則を忘れてしまっていたのだ。その結果、頭でっかちになり、地に足の着いていないことを考え、お客様にそっぽを向かれてしまったのである。
以来、わたしは、仕事では「お母さんのおにぎり」をお手本にしようと考えるようになった。
材料は決して特別なものを使うわけではない。しかし、なんと言っても母親は子どもの好みを知り尽くしている。「好み」とは、好き嫌いや味だけではない。どれだけ食べるか、どんな大きさなら食べやすいか、食べやすい形は何か、栄養的にどうか、暑い時期ならいたまない工夫も考える……。
さらに、そのおにぎりが日々のお弁当なのか、遠足なのか、いつどこで食べるのか、体調はどうか……までを考えて、作り方を変える。そして、こう作ろうと決めたら、子どもが喜ぶ顔を思い浮かべながら、やわらかすぎず硬すぎず、心を込めて握るのだ。
それは、どんなに仕事に慣れても、いや、仕事に慣れた時こそ、忘れてはならない仕事の基本だと思う。
おなかをすかしている子どもに、先々のすき焼きの話をしたって喜びはしない。
【ルール策定は政治力で決まる 米韓FTAより酷いTPP】中野剛志
http://www.youtube.com/watch?v=NEf6bzEe1R8
http://www.youtube.com/watch?v=O9ghcF_M2CI
http://www.youtube.com/watch?v=-Qmac-tclMM
の要点を文章でまとめてみた。
どうも反市場主義者の偏見みたいな部分もあって、すべての意見に賛成できたわけではないけれども、実際の事例などを元に具体的に問題点を解説されており、概ね説得力はある。
もしも、TPPがよいものであると言うのであれば、ここで掲げられている問題点が杞憂であることを示し、同等かそれ以上に説得力のある意見を提示しなければ、単なる妄言としか受け止められないであろう。
TPP推進論者には、個々の間違いや重箱の隅への反論ではなく、これらを問題視することが根本的に間違っており、TPP受け入れにより大変なメリットを享受できることを、実例を交えてご紹介いただきたいものだ。
TPPに日本が加わったとしても、全体のうち(GDPが?)アメリカが7割、日本が2割と日米で9割である。実質、日米の貿易協定といえる。さらに、アメリカは輸出倍増戦略をとっている。TPPは日本にものを売りつけるためのものといえる。
米韓FTAや、アメリカ、カナダ、メキシコによる北米自由貿易協定(NAFTA)と似ており、アメリカに都合いいルールを押し付けられ、搾取される。
一般的には、関税の撤廃で物を自由に行き来できるようにし、公平な競争を促す協定であると捉えられている。しかし、かつてはそうであったが、70年代くらいからは意味が変わってきた。
それまでは各国の関税が高かったため、関税の撤廃が主眼に置かれていたが、70年代くらいからは関税が低くなり、農業以外の大抵の製品で関税は低くなった。そのため、関税の撤廃による自由競争よりも非関税障壁の撤廃、すなわち各国の制度を変更することが主眼に置かれるようになった。
各国の制度を変更するということは、相手の国の制度を自国企業に有利なように変更させることを意味する。そして、どのように制度を変更できるかは、その国の政治力によって決まる。
また、アメリカ企業は70年代以前よりも競争力が低くなり、公平な自由競争では他国企業に負けることも多くなった。そこで、アメリカの強大な政治力を利用して、他国の制度をアメリカ企業に有利になるよう変更させることで競争力を高める手段がとられ始めた。自由貿易協定の対象となる領域の範囲が広まったのも、70~80年代のことである。
80年代後半からは、日本はアメリカに頻繁に制度変更を強いられている。日本企業の努力は、勝手な制度変更によって台無しになる。オリンピックで浅田真央が苦しんだのと同じ構図だ。
現在、TPPの議論では、農業vsその他の産業といった形でしか情報が出ていないが、問題はそればかりではない。
韓国はコメ以外の農作物に関して、猶予はあるものの実質関税撤廃とする。また、アメリカの関税も撤廃してもらった。そして、関税撤廃を理由に、いくつもの不利な条件を飲まされることになったが、そもそも関税撤廃は韓国にとってそれほど大きな効果をもたらさない。
例えば韓国が得意とする輸出品である、自動車の関税は2.5%、テレビは5%と、もともと関税率は低かった。また日本企業もそうだが、韓国企業もアメリカでの現地生産を積極的に行っており、当然その場合に関税はかからない。このように、グローバル化を行うとそもそも関税はあまり重要でなくなってくる。また、さらに悪いことに自動車の関税は、アメリカの自動車メーカーが「脅かされている」と感じたら復活させることができる。
アメリカは韓国の自動車市場に参入しやすくするため、韓国に対し排ガス規制をアメリカと同じにすること、安全基準や排ガス関係の装置の設置義務をアメリカに一時的に猶予するよう要求した。また、小型車が有利な韓国に対し、アメリカは大型車が有利であるため、税制を大型車に有利になるよう変更させる。
農協、漁協など協同組合の共済保険や、郵便局の保険サービス、つまり日本で言うところの簡保をFTA発効3年以内に解体させ、アメリカの保険会社が参入しやすいようにする。
また、韓国で薬価が安く設定された場合に、アメリカの医薬品メーカーが韓国政府に不服を申し立てできるよう、第三者機関を設置する。
その他、法律・会計・税務事務所をアメリカ人が開設できるようになり、放送局の外資規制も緩和される。
これらのように、環境や安全に関する基準や共済保険のような相互扶助の仕組みなどを、アメリカ企業に有利にするために踏みにじられる。
また、もし韓国が他の国と貿易協定を結び、米韓FTAよりも市場開放した場合は同じ条件を自動的に適用できる制度も導入される。
さらに、ラチェット規定や投資家と国の紛争解決手続き(ISD)といった、問題の大きい制度も受け入れることとなった。
ラチェットとは、爪のついた、決まった方向にしか回せず、逆回転ができない歯車を言う。ラチェット規定とは、一旦、自由化や市場開放を認めると、今後は元に戻せないとする規定である。
例えば、アメリカに対して牛肉の自由化を認めた場合、仮にアメリカで狂牛病が発生したとしても、輸入を禁止することができない。
NAFTAで導入された、非常に問題の多い制度である。外国の投資家が、例えば韓国やカナダで、国の政策によって損害を受けたとき、世界銀行傘下の国際投資紛争解決センターに訴えることができる。国際投資紛争解決センターは、その規制が必要であったかは考慮せず、単に規制のせいで受けた損害のみを考慮する。また、非公開で、判例に拘束されず、上訴できない。圧倒的に投資家に有利な制度で、国家主権を制限してグローバル化を推し進めるための協定である。以下に、これまでにカナダ、メキシコ政府が訴えられたときの判例を紹介する。
こういった事例が頻発している。
米韓FTAでは、韓国はこのISD条項を受け入れた。ただし、アメリカが韓国を訴えることはできるが、韓国がアメリカを訴えることはできない。
また、仮に、双方に訴えることができるとしても、投資、訴訟はアメリカが得意とする分野である。アメリカは、自国に有利な分野に戦いを持ち込もうとしている。
このISD条項は、TPPでも導入が議論される。
TPP推進論者は、話し合いの場には参加して、合意できなかったら離脱すればいいと言う。ところが、そういったことをすると国際関係や日米関係を損なう恐れがある。
また、米韓FTAについて、韓国にもメリットがあるから合意したと言う者もいるが、そんなに単純な話ではない。合意したから双方にとってよいものであるならば、不平等条約や詐欺など存在しない。
力で押し切られるか、契約の当事者がバカだった場合、メリットの無い条約を結んでしまう。日本の場合、力はないし、当事者はバカだ。
韓国の場合は、アメリカに押しきられた。アメリカの要求があまりにひどいので、昨年11月までは抵抗しており、一旦決裂した。ところが12月に突然合意。その間に何があったかというと、北朝鮮の砲撃があった。米韓FTAに関して、国民には内容はほとんど知らされていなかった。
民主党の資料によると、ISD条項は、拒否したいルールではなく、導入したいルールに含まれていた。その理由は、日本企業が海外に進出したとき海外の政策によって不利益を被ったら問題を解決できるから。日本政府が訴えられる可能性を一切考慮していないし、地下水を汚染されても何も言えなくなる可能性も考慮していない。日本政府やTPP推進論者には、日本にとって有利になるルールとは何か、国益とは何か、それが全く分かっていない。
韓国の前大統領秘書官は「主要な争点において我々が得た物は何もない。アメリカの要求はほとんどすべて一つ残らず譲歩した」と述べており、官僚は責任をとらないと付け加えている。
TPP推進論者はTPPに対する不安を煽るなと言ってるが、この状況を羨ましいと思うのか。
もう手遅れで、抵抗しても99%無駄だろう。
管前首相が交渉参加の検討を表明し、マスコミはそれに賛成した。その時点で賛成してしまったので、今更反対に回れなくなっている。
マスコミが賛成したことに気をよくした政府は、国民の支持を得るため、開国フォーラムと称した説明会を行ったところ、騒ぎになった。この開国フォーラムは震災を機会に中止され、国民への説明は行われなくなった。
国民を説得することができなくなったので、現在は「交渉だけならいいじゃないか」と主張して、説明責任を放棄している。
米韓FTA締結でオバマがセレモニーを行うので、それに対し日本も遅れるなと煽る。反対の声は矮小化する。
TPPが結ばれることは、既に決まりきっている。TPPは条約なので、締結は国会の承認が必要だが、交渉参加表明は政府の専権事項で阻止できない。そしてその後は日米関係、国際関係から抜けられない。阻止する手段がなかった。
私はこれまで反対しつづけていたが、もう無理だ。どうしようもない。
農業が壊滅すれば、農林水産省はダメだ、構造改革しないといけない。俺たちならもっとうまくやっていたと嘯くだろう。
何かがダメになれば、グローバルな流れに乗り遅れて淘汰されたのだから、仕方ないと言うだろう。
TPP推進論者は、自己責任と他人に責任を押し付けて、自身は絶対に責任をとらない、新自由主義者である。
新自由主義者による政権として、サッチャー政権、レーガン政権、小泉政権があるが、敵が多いのに長命政権であった。負けたものの面倒を政府が見るのはおかしい、自己責任だ、と責任逃れをして、長期政権になる。
もうどうにもならん。植民地への道を。
ごめん大型車が必要な理由になってないと思う。
いや多分常識云々の話じゃないよ。当たり前とかそういう話じゃないと思う。
コスト的に考えて8人乗り1台買うより、4人乗り2台の方がいいよね、って話だよ。
それでもあえて常識の話でするなら、愛媛県の片田舎育ちの僕(7人家族)からしても、家族総出で出かけるのって年何回あるの?って思う。
大型車+乗用車なんてバカげてると思うなぁ。
多分どこか遠方に行く時の高速代金やガス代考えても軽自動車2台の方が長い目でみればコスト安い。
それに、実家はエスティマだったけど、荷物だって大型車1台に8人乗った時の余剰なんて軽2台のトランクとそんなかわんないよね。
むしろ今の時代2台の方が多いと感じる。
大型車にこだわる理由がわかんないなぁ。