はてなキーワード: 反動とは
「増田アナル普及協会」はもともとはアナル主義の勉強会からはじまり、
「アナル普及」の名目のもと「アナル研究・開発部」が組織された。
アナル研究・開発部はあまりにも過激だったため、ほとんど即時解散となった。
そこで普及協会は’可愛い女の子はうんこをしない教’と同盟を結び、増田は女の子がうんこをしないことを悟った。
増田は後に語る。「連日、増田でつぶやくアナル連投。誰からも相手にされなかった…」
増田の飛躍した主義・思想に増田たちがついていけなかったのだ。
やがて増田はアナル普及協会を創始した。増田をアナルの朱色で染めるため。
順調に精力を拡大していった普及協会は、さまざまな迫害を受ける。
反動分子と危険視され、「キモイ」、「増田の恥部」、「氏ね」…、飛び交う罵声にそれでも増田はあきらめなかった。
アナル増田率いる増田アナル普及協会は増田に洗脳された11人の増田をアナルで解放するため、徹底的な修正を行った。
しかし、やがてアナル爆撃も沈静化し、アナルの灯も消えかけたかに思えた…
この状況を重く見たアナル増田は、再び増田を朱に染めるべく行動を決意する。
増田たちよ朱に交われ!朱に交われば肛くなる!!
参考までに俺のプロセスを教えよう。
相手が怒ってくる
とりあえずその場では悪かったと謝る
すぐにそんなに怒られるほどのことやってねーしと悪者扱いして一人きりストレス発散させる
落ち着いてきたらもしかして俺の方が間違っていたのかもしれない、と考え始める
過去を振り返ってどうすれば同じことを繰り返さずに済むのか考える
自分のミスと相手のミスを比べて相手の方がミスしてたらやっぱり相手が悪いんじゃねえかと悪人扱いしつつ
もし自分の方が悪かったら悪者扱いしてすみませんでしたと素直に謝って改善する。
分析ができずにモヤモヤで俺のほうが?相手が?みたいになってるからストレスが加速する。
まず自分の中で相手が悪いと決めつけて徹底的に怒れ!
そこから冷静に振り返ればいい。
タイトルの通り、トイレの話なので食事中とかそういう人は読むのを注意してほしい。
以前、僕は一人暮らしをしていたときに、割と限界までトイレを我慢するのが好きだった。
いきなり何を言っているんだ、コイツ!?……って思うかもしれない。いや、僕ももし同僚からそうカミングアウトされたら困惑するだろう、だから増田でこっそり書いているわけなんだが。
油汗がじっとりと流れるくらいギリギリまでトイレを我慢する、少しでも便意を意識しないように立ったり座ったり、ベットで少し横になって楽な姿勢を探したり、そうして、もう限界だ!となったらトイレに駆け込んで、一気に放出。
やりきった後の達成感も身体全体で味わえるし、身も心も軽くなったように感じられる、ま、実際に物理的に体重減ってるし。
この快感は我慢する度合いが長ければ長いほど、極限のギリギリほど反動で大きくなるので、みんなチャレンジしてみると良いと思う、もちろん自宅でね。
心なしかダムの放水が終わった後は気分が高揚して集中力が高まる気がしていたし、スポーツ選手も試合前に実施したら成績が上がるんじゃないかな?って割と本気で考えていた。
まー、こんな風に、妙な挑戦をやっていたのだけれども、ふと最近になって、そういや今はそんなことやらなくなったなー、って改めて思った。
というのも、僕も一人暮らしではなくなり、いざトイレに行こうとしたら同じタイミングで先に入られることも増えて来たし、それに じっとジブリのDVDを見ているかと目を離したら箱ティッシュの中身を無限に引き出していたり、自分で並べたはずの積み木を踏んで転んで泣き出すような家族が増えてきたことが大きい。
トイレを限界まで我慢していたのに、そんな事態に遭遇したらこっちでもダムが決壊してさらに大惨事になってしまう。
それが普通だよ、っていうのは確かにその通りだけれども。
言ってしまえば、たかがトイレの話なんだけれど、……なんというかな、一人暮らしのときに感じていた、自由気ままさはもう無いんだな、というのがちょっと寂しくなった日曜の午後という。
色々あって、今考えただけで怒りで頭が酸欠になって頭痛がするくらい母が憎い
母からうけた言動を考えてるときはきっとひどい顔だ、考えるだけで腹のそこから腐り落ちるような感覚がある
コンクールで他の選手の失敗を祈ってしまう癖があるバレリーナの少女が、失敗を願ったところで相手に伝わっていない、私自信に失敗と言い聞かせているだけだったと気がつき、自分のために人の成功を祈るように努力し優勝する話だ
私の憎しみもひたすらに私に言い聞かせて私を痛め付けているだけだ
苦しくて仕方がない
たまに母のやってくれたことも思いだし憎むじぶんをせめ、反動でやられたことを思いだし母を憎む
憎みたくないし忘れたい
これ以上憎しみで染まりたくない
物事をつきつめ本当に必要なものだけにしぼって生きるという事は芳醇だった時代との決別であり、不況からくる生活様式の変換であり、
なるべくしてなったスタイルだと思う。
おれたちの周りには物が溢れすぎていて、しかもそれぞれそれなりに便利な物ばかりだ。
工夫もなく必要であれば100均でちょっと便利な小物がすぐ手に入る。
なにも考えず身の回りの豊かさに踊らされて生きていくのは本当にカンタンでラクチンだが、大事なことを、本質を見失う。
ミニマリストなんて言葉がキャッチーすぎて変な空気になってしまってるが、そういう言葉がなかったとしても反動でシンプルな生き方をする人は自然に増えていったハズだ。
まずはちょっとの便利を排除してるし、そこそこの便利だって排除してる。
結局はかなり不便な生き方になるのだ。
しかしその不便な中で工夫して生きる中にこそ生きる事の発見があり喜びがあり得難い経験がある。
おれってちゃんと生きてるんだな、生かされた生活じゃないんだな、って気がつく。
手元に残った道具や家具や生活用品は自然と愛着がわく。これからも大事にしていきたいな、と本気で思う。
残った物は本当に愛すべき物だし、逆に考えると残らなかった物は自分にとって不要でも、他人にとってはかけがえのない物なんだろうな、って気がつく。
結局は愛なんだよ。
ヒョロヒョロの男の人って蹴ったら死んじゃいそうだよねー!って散々言ってきたけど自分はどうなんだと思ってみたら、爆裂運動オンチで体育の成績が万年最下層だったし運動の仕方がそもそも分からないし楽しくないから、筋肉がついてなくてぷよぷよの脂肪ばっかで足首とかふくらはぎとかお尻とか二の腕とかがキュッと締まってないたるんだ身体をしていた。ぶっちゃけ超逃げてた。
そんなんだから上半身はやたらガリで下半身にめっちゃぶよぶよの肉がついてる典型的な下半身デブ。
腹筋もろくにないのでご飯を食べると即お腹がどどーんと出る。胸より出っ張る腹。嫌だ。
体力もない。一日完徹したときの反動がめっちゃ大きくて次の日ろくに動けなかったり、学校に行って帰ってくるだけでかなり疲れたり、(往復三時間超え)だから帰ってから何もできなくて結構無駄な一日過ごして後悔することが多い。
それでも食欲は止まらない。1日でカレー4人前は普通に食べられる。それをやって1日の摂取カロリーがとんでもないことになり、この前とても後悔した。だからカロリー管理を始めて、寝る前3時間前にはものを口に入れないようにし始めたけど、今既にきつい。
そして今日、友達と腹筋・スクワットは毎日やってこうねと決めた。
だけど家に帰ってきたらもうほんとやる気が出ない。疲れてる。やる気で物事のやるやらないを決めてる時点で大馬鹿なのは分かってる。めっちゃ馬鹿。
低血圧だから朝起きるとふらふらして、朝から何か身体を動かしたり活動的に作業しようとかほんと厳しい。やったことないだけだけど。
ずっとソファに尻を埋めてMacとお友達になるか絵を描いてるだけ。お惣菜はあまり買わないようにしているけど料理も手間いらずのものばかり。
変わりたい、身体を引き締めたい。
お尻を特にきれいにしたい。ヒップアップしたい、きゅっとさせたい。下半身デブであることを差し引いても尻が大きいし、胸がないから尻で勝負。世の男性諸君を尻派に変えてやりたい。
だけどどうにも、自分のスキルアップや欲望のために動くということができない。これ昔から。なんでだ。
疲れた身体に鞭打って腹筋を始めれば良いのに今こうして文字打ってるしTwitter監視してるしもう情けない。
ほんとすみません、教えてください。
よろしくお願いします。
先日母がドライブ中に語り出した
最近は少子化のが本当に酷いよねー私はいいけど孫ちゃんが大きくなる頃は日本がどんなことになるか心配だわ
そうだねー
最近の若者って女より漫画の女がいいとか、一生独身で趣味に使いたいんだって、そういう時代なのかねーkさん(高齢独身貴族)も三十代の頃は結婚したくない独身男はいないと思いますよって言ってたけど、今の男は違うのよ
あの人は金持ちのぼんで公務員で出世してるし顔もいいし優しいし結婚できそうなのにできなかったねー
あの人はダメよー家事から何から物凄くこだわりが強いから人と一緒にくらせないわ、それに車にあれだけうるさいんだから女の趣味もうるさいだろうし
最近の若者って童貞処女が子供を産める未婚者の3割以上も居るんだって!ワシントンポストで異常に高い数値だって驚愕されてたそうよ
あー
お前だって今のだんなさんと結婚できてなきゃ下手すれば一生処女だったし
まあオタクやってたしな
何でこんなことになってるんだろうね
そんなことで人の本質部分が変わらないわよ。私は食べ物が悪いんだと思うわ。精子が奇形になってきてる影響よ。
ああ環境ホルモンかなにかで奇形になってるとか昔ニュースでやってたね。
それで性欲が消えてきてるのよ。お前はこの子を奇形にしないように、しっかり良いものを食べさせるのよ。
うん。
その後食べ物について語りまくっていた。
検査薬で陽性が出て喜んで向かった病院で告げられたのはおそらく陽性と思われるが腫瘍があり、出産は難しいだろうとのこと。
そしてその言葉の通り、一ヶ月も経たずしてお腹の子は育つことを諦めてしまった。
ちょうどその頃、手術で落ち込んでいるわたしの耳に流れてきたのは彼女が卵巣腫瘍の手術で活動休止するとのニュースだった。
それまでは単なる1ファンとして彼女の音楽を楽しんでいたのだけど、それがきっかけで親近感が深まったのも確かだった。
当時わたしより8つも若い19歳だった彼女にとっても、それは女性としての将来に大きな不安だったに違いない。
その時彼女はまだ独身で、だからといって辛いことに変わりはないのだけど、わたしにはそれが彼女にとってせめてもの救いのように感じられたのだ。
そんな彼女の復帰はアルバム「Deep River」の発売とともに伝えられた。
SAKURAドロップスやtraveling、FINAL DISTANCE、光などどれもヒット作が並び、彼女の作るアルバムはいつでもベスト盤みたいなものだ。
でも今回はちょっと違ってた。
アルバムのタイトルにはそれまでヒットした曲を選ばず、全くの新曲である「Deep river」を選んでいた。
そしてその曲はそれからわたしを何度も泣かせることになった。
点と点をつなぐように
線を描き指がなぞるのは
私のきた道それとも行き先
線と線を結ぶ二人
怖くないけれど
この歌い出しに、わたしは自分の誕生と妊娠をイメージし、そして全てが辿り着く先を思った。
お腹のこどもはたまたまわたしより先に辿り着いてしまったけど。
Oh Oh 何度も姿を変えて
小さな血の塊みたいだったけどたしかにわたしのこどもは存在した。
あのまま育っていたらどんな姿をしていたのだろう。またわたしのもとに舞い降りてくれる日は来るのだろうか。
わたしはその時、そんなことばかり考えてはこの曲を繰り返し聞いていた。
この歌は、「潮風に向かい鳥たちが今飛び立った」という言葉で締めくくられる。
わたしにはそれが、渡り鳥のように次の場所を目指して飛んでいってしまった自分のこどもを強く思わせた。
テレビに何度も流れたこの曲のPVでは、彼女は浜辺で静かに横たわりながら歌っていた。
その姿は、それまで前向きに考えようと強がっていたわたしにそうやって静かに悲しむこともできるんだと教えてくれた。
そんな曲を聞いたばかりだったわたしは、うれしいと思いながらちょっとだけ不安にも思った。
その後の彼女が発表する曲が「Be My Last」「誰かの願いが叶うころ」と続くと、その不安はさらに強くなった。
なにか消化しきれない悲しみを抱いているような、そんな彼女を見るのが辛くなってきてしまった。
ライブにも足を運んだけど、大きな衣装から顔だけだして歌っている彼女を見て、もうわたしが好きだった彼女はいなくなってしまったのかもしれないと思った。
その反動で今度は彼女の曲があまり好きではなくなってしまったんだ。
その後は全米デビューとか離婚のニュースとか断片的に聞こえてはいたけど、正直そんなに興味はなかった。
なんとか彼女にも明るいニュースがあればいいなと思っていたけど、おかあさんが自殺したニュースが流れた時にはその不遇さに少しだけ同情した。
並外れた才能をもってしまうと普通の生活はできないのか、もっと当たり前の幸せが彼女に訪れてくれればいいのに。
そうなんだ。ちょっとだけ境遇が似ていたからって、わたしなんかが心配するような人生ではないんだ。
そんな中、そうして先日の出産とアルバム制作中の発表があった。
妊娠の発表もせずに、ちゃんと生まれてから発表したのはきっと生まれるまで不安だったからなんだ。
アルバムの制作を発表したのも、きっと世に出してもいいって彼女が納得できるものができあがったからなんだって。
それに比べて、わたしはちょっとだけあきらめていた。
もう失う悲しみを味わいたくなかったし、自分の人生を肯定しようと必死にもがいているような彼女をすこし軽蔑していたのかもしれない。
でも、そんな風に考えていたのはわたしだけだったんだって。
そうやって月並みに自分が傷つくことから逃げようとしていただけなんだって。
そうして久々に聞いたDeep Riverには、当時聞き逃していた歌詞があった。
全てを受け入れるなんてしなくていいよ
私たちの痛みが今 飛び立った
そうなんだ。
もう痛みはとっくの昔に飛び立っていたんだ。
なんであの時に気づけなかったんだろう。
そう思うと、あの時よりも涙が止まらなかった。わたしはどれだけ無駄に悲しみを貯めこんできてしまったのだろう。
今も昔も、わたしは彼女にささえられてばかりなんだ。
母親が新興宗教にはまるわ、祖父は神主だしで、思春期は結構暗黒時代だった。父はずっと見ないふりをしていた。宗教戦争ってこんな感じでおこるんだなぁって。ここ日本なのになんでこんな思いしなきゃいけないんだろうって、悩んでは落ち込んでいた。勉強は好きだったけれど、理数科目が全くできない落ちこぼれで、学校もなじめず、お金もどんどんなくなっていって、もちろん塾とかには行かせてもらえず、住んでいるところも小さな町で、皆私のことを知っていて、閉塞的で苦しかった。母は非常に勉強ができた人で、「あなたは馬鹿だからきっと国立の大学には行けない。だから、県内の大学か専門学校へ行きなさい」って言い続けた。それでも、結局何とか母の希望にあうような大学(県外)に滑り込んで、それを口実に家を出た。今思うと、すごく無理をしていたんだと思う。卒業写真の私はすごくやつれていて、目に光はなく、むっつりとした爬虫類みたいな顔をしている。それを見ると、なんだかいたたまれない気持ちになる。
大学に入って、私はものすごく自由になった。世界がぱぁっと広がって、沢山のコミュニティに属することができた。友達も増えて、部活に入ったり、海外に行ったり、色々なことにチャレンジした。あと、反動でとんでもなくオタクになった。それから、教授たちやチャンスに恵まれて、勉強があれほど楽しいと思った時期はない。成績が良かったことが評価されて奨学金をもらい、留学もできた。高校生の時は人見知りだったけれど、大学に入ってたくさんの人と接していたら自然と治った。家族からのプレッシャーがなくなると、思ったより自分が色々なことができる人間だと気付いた。自分に自信がついて、たびたび私をむしばんできた卑屈さや劣等感もそのうちおさまった。人生ってこんなに楽しいものなのだ、とすこぶる感動した。高校の時と、今の顔を比べたら驚くほど違う。顔のパーツは同じだけど、もちろん今の方が断然良い。あと、やっぱり化粧は偉大。
大学生活中、お金が常になかったので、色々なバイトもやった。結婚式のウェイター、携帯の営業、居酒屋の皿洗い、ひたすらダンボールを作る仕事、倉庫で冷たい箱をおろしたり載せたりする仕事、採点、テスト監督に、祭りの警備員等々…。色々勉強になった。社会人の今もめっちゃ役にたっている。数あるバイトの中で、一番好きだったのが某大手塾チェーンでのバイトだった。子供が好きで、教えるのも世話するのも好きだから、全然苦にならなかった。給料はまあ、残業代つかないし、勉強に結構時間とられたし、あんまり良い方じゃなかったな。
塾のバイトで、狭いコミュニティの中で悩む子供たちがたくさんいた。それはすごく不思議な体験だった。皆、過去の私の片りんを持っているように見えた。「◎◎ってお母さんがいうから、嫌なの」とか「なんとなく、クラスになじめなくて…」とか、そういう話をたくさん聞いた。この子たちの世界は、今は家族と学校しかないから、苦しいんだろうと思った。私は、ずっと「大丈夫、大丈夫だから。独り立ちすれば、いずれきっと良くなる」と言ってはげましていた。それは、過去の私に声をかけているような不思議な体験だった。エゴかもしれないけれど、そうせずにはいられなかった。少しでも私の言葉が、彼らに届けば嬉しい。
中高校生が自らの命を断ってしまったという報道を見るたびに悲しい気持ちになる。彼らは多分、閉塞的なコミュニティにいて、それで疲れてしまって、将来がわかんなくなっちゃったんだと思う。そういう子たちの耳元に、今いるコミュニティがすべてではなくて、いつか抜け出せるチャンスがあるんだよ、抜け出すチャンスを見つけたら一目散に逃げろ、と私は囁きたい。無責任なことを言われて、ムッとするかもしれない。だけど、信じて欲しい。人生は本当にいとも簡単に変わる。明けない夜はないのだ。人生は始まったばかりで、時間は意外とあっという間に進む。
「カットだけでよろしいですか?」
などと聞かれ動揺してしまったのを覚えている。
というか他にどんなコースがあるのか未だに知らない。
続けて
「ご指名はございますか?」
なんて答えてしまったほどだ。嘘だ。
そんなシステムに馴染みの無い俺にはそれほど未知の世界だった。
散髪中の美容師さんとの会話もどうにも好きになれない。
全然知らない人とお喋りをするのは平気だが、床屋での会話はどうもやりづらい。
「そんな事より散髪に集中してくれよ。」
わざわざ視線を合わさないで良い会話もあるのだが、それは気心の知れた仲の良い相手限定であって、
数回しか会ったことの無い君(美容師)との会話はそういうもんじゃないだろう!と思ってしまう。
散髪の間中どこか機械的な冷たさを俺に与え続ける。
親しげに話しかけるフリをしているがお前、別に俺に興味なんて無いだろう^^?
なんて言ってやったらどうなるだろうとか考えてしまう。イヤな性格である。
このように美容院のシステムに拘束感を覚えてしまうのも、俺の美容院嫌いの一因だと思うのだが、
散髪そのものにイヤな思い出が多すぎるのだ。
上記の通り美容院に行き始めたのは高校1年からなのだが、それまではどこで切っていたかというと、
俺はそこで髪を切っていた。
店内は奥に広くイスは15脚ほど並んでいるが、元プラージュ常連の俺のメモリーによれば、
満席どころか5つ埋まっているところも見たことがない。
そんな床屋がなぜ10年以上も営業を続けていられるのかは謎であるが、俺はそこで切っていたのである。
中3まで。
「パパっと切ってもらうか。」
安さも魅力であるがなんといっても15分足らずで終わる手軽さが良い。
店に入るとやはり客は俺一人。
普段無愛想な中年の店員が何故かあの日は元気に「らっしゃい!」と言っていた。
良い事でもあったのだろうか。
俺には関係ない話だ。
やはり元気よく「どうしますか!」と聞いてくる店員。
要望を伝えたところで、今までその通りにしてくれた事など無い事を俺は知っている。
「前髪はギザギザで…」
と伝えても終わってみれば必ず前髪は綺麗に揃っていたし、
「全体を2センチくらいずつ切ってください。」
産毛を剃るために出したのだと思っていたバリカンで急に後頭部を刈りだした時にはさすがに
「ちょっ…!」
とは言いかけたものの時すでに遅し。順調に刈り上げは進んでおり、いよいよ河童っぽくなっている鏡の中のアイツ、もとい俺。俺がアイツで、アイツが俺で。
線の細さも相まってさぞ河童に見えた事であろう。
河童という結果は「全体を2センチくらいずつ切ってください。」という要望によるものだ。
どういうフィルターを経て「全体を2cm」→「河童」になるのか。
そんな店員に要望を伝えたところで何も叶わないのは分かっているので、
「この後用事あるんで、どの場所も3センチ以上は切らないでください。」
と短く伝えた後は、15分間ヤツの手元を見張る作業に費やすことにした。
15分間後には見張りの成果か、まぁ見れない事は無い髪型が鏡の向こうにあった。
じゃあ髪の毛流しますね~って事でやたら熱いシャワーを頭に浴びせられる。
ドライヤーで乾かしている間に、見張りの反動か、少し眠くなり、うつらうつらしてくる。
不安もあったが、既に髪の毛は切り終えたわけだし大丈夫だろうと、眠ってしまった。
目が覚め、正面の鏡を見やると、ポマードでガチガチに固められた七三分けの少年が座っていた。
これは…?誰…?…俺?
動揺している俺に店員は上機嫌に言う。
『このあと用事あるんやろ?男の子やったらオシャレしていかなアカン!』
会計時に不要なビニール袋を貰う。なぜ俺は千円も払って七三分けに…。寝ていた俺には分からない。
店を出た瞬間にビニール袋を頭に被り、半泣きになりながら自転車を立ちこぎで家までかっ飛ばす。
「おちない……おちない……。
この髪についたポマードがいくら洗ってもおちないよ……。」
俺の散髪嫌い。
かような次第である。
http://anond.hatelabo.jp/20150618125259
の続きです。
あれから一週間経ちました。
どうやらまだうずうずしているようです。
無理矢理忘れようとするって辛いんだな。
消えるべき内容ならいずれ消えるから、まだ好きなら好きでいればいいじゃんって言われました。
本当にそうだろうか。
でも、無理矢理消そうとするよりは楽になっている気がする。
生まれてこの方、本気で惚れたことがなかったから反動がとてつもないようです。
狭い世界なのもあるのか、たまたま例の彼女に会うことがありました。
僕は頑張って告白する前の時のようにフランクに話していました。
とてもしんどかったですが、とても安心する感じもありました。
話した時間は短いけど、なんて事のないたわいの話でお互い笑ってました。
しんどくない状態でまた話したいな。
彼女は会話をしてる時どう思ったんだろうか。
前みたいに笑いあえる友達として接してくれていたのだろうか。
それともふった情で合わせてくれたんだろうか。
今の僕にはそれを見極められるほど余裕はありません。
未練はあるのは自覚してる。
僕みたいな考えは特殊なんですかね。
最近いろいろ面倒でもういっそ死ぬってのはどうだろうと思ってちょこちょこ調べてる。
でもカネさえ払えばできるってわけでもなく、普通に健康な人間だとまず安楽死は認められないっぽい。
つーかカネも手間もかかるんだったら手っ取り早く国内で自殺したほうがいいし。
生きたくても生きられない人もいるのにとか言うけどそれ結局他人の都合じゃんみたいな。
何も俺に関係ないし。
あーだるい。
平日しんどい思いして仕事して土日その反動でずっとぐったりしてて何もやる気がでなくてそれの繰り返しってほんとなんの意味もないし。
国とか自治体とか企業とかの養分になり続けるために生きるのとかホントアホらしい。
もう少しで30だけどあと35年もこんなことしてられない。
意識高く持ったフリしてないと会社も仕事続けさせてくんないし。
いきいきと生きてる周りの人がまぶしすぎる。
夏になって秋になって冬になっても服装が変わるだけだし。
お金はあんまり使わないから貯まってるけど使い道もなくたまるのも安心はあるけどつまらない。
定年後の人間と入れ替われるなら入れ替わりたい。
子供のときに20までには自分は死ぬとぼんやり思ってたのに間違えて生き続けてしまってるからバグが発生してるんだろうな。
なんで俺より生きることがんばってる妹のほうが子宮全摘とかになるんだろうな。
俺だったらよかったのになあ。
くだらないこと考えてる暇あったら生きることだけ考えてればいい植物に生まれたかった。
もう週末の一日が終わるし。
東京にいるのに土日もずっと引きこもってるし。
夜は珍走団がうるさいし。
なんなんだろうなー
ほんと何やってんだろうな俺は
うわあ、全く同じだ。
昔から二重人格性をよく人から指摘されてたんだけど、躁鬱だろうかと心配になってる
今のところ生活に支障をきたすほどではないけど、鬱っぽい時期はなんに対しても自信がなくて動く気力もわかないし人と話すのも怖くて毎日が薄暗い感じでつらい
なんでもできそうな気分で人に話すのも苦じゃなく、面倒なこともぱっぱと片付けられる躁っぽい時期は楽なんだけどね
その反動で「なんであの頃あんなふうに自信満々で生きていたのか、恥ずかしい」という気持ちが余計鬱っぽい感じを加速させてしまうからいいのか悪いのか
躁も病的だと金銭や対人関係で迷惑をかけることがあるらしいけど、今のところそこまでいってないから病気ではないのかなとも思うけど
定常的に落ち着いて暮らしたい
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
今回は筆者の嗜好が出すぎてしまったので、興味のない人は回れ右を推奨する。
どこかの回答で私はあれを絶賛したが、あまりにもレリゴーが脳みそに刻み込まれたせいで「あの映画は一時間以上に及ぶ音楽PVだ」と感情に任せて言ったことがある。
無論、あれが名作であることは否定しようもないし、その本質的な価値も変わらないが、評価は変わっていくという事例は珍しくない。
コンテンツの反復は反発を生む。
反復そのものは悪くないんだ。
でも、同じことはやればやるほど退屈になっていく。
君だって、今さら「アナと雪の女王おもしろい!」とかいわれても、「そりゃ面白いだろうけど」と、人を腐す衝動に駆られないかい?
私は、ディズニーのアニメに駄作はないと思っているが、蛇足はあると思っている。
そして、それは少なくない。
「アナと雪の女王」の続編が、蛇足かどうか判断するのは早計かもしれない。
だが、少なくとも1作目のような体験を得られるとは私には思えないね。
私がレビューで生計をたてている人間なら考えるが、質問の答えはNOだ。
かといって、未だ熱が継続している人たちを腐すような真似はできればしたくないし、やっぱり「アナと雪の女王」を自分にとっても名作として心に留めておきたいんだ。
となると「ビアンカの大冒険」の「ゴールデン・イーグルを救え!」かな。
まあ、これは1作目が淡白な出来だったせいもあるんだが、その反動を抜きにしても1作目を超えたと断言していいディズニー続編だ。
その点でかなり希少といえる。
イーグルの飛行シーンは、オレの心に眠る小学生が起きっぱなしだったよ。
いわれなくてもレリゴーは挙げないさ。
「レリゴー」並に当時、反響があったのは「ライオン・キング」のハクナ・マタタだったが、私は古今東西ヴィランの歌に魅かれる。
「リトル・マーメイド」、「ポカホンタス」、「101匹わんちゃん」、「ノートルダムの鐘」、「美女と野獣」、「オリビアちゃんの大冒険」、どれも悪役の歌が一番好きだ。
その悪役ソングで、かつ日本語吹き替えでいくなら、私は「ホーム・オン・ザ・レンジ」がお気に入りだ。
あれを聞いたとき、私は自分が牛になったんじゃないかと錯覚したよ。
日本語吹き替え以外なら、「アナスタシア」の悪役ソングが好きだな。
……すまない、「アナスタシア」はディズニー作品じゃなかった。
これは私自身の問題なのだが、そこまで君たちにとって面白いことは語れない。
ディズニーは実写の作品も多いけれど、私の中でディズニーはやっぱりアニメーションというイメージなんだ。
……「ロケッティア」とかが好きだけれど、興味ある?