「増田アナル普及協会」はもともとはアナル主義の勉強会からはじまり、
「アナル普及」の名目のもと「アナル研究・開発部」が組織された。
アナル研究・開発部はあまりにも過激だったため、ほとんど即時解散となった。
そこで普及協会は’可愛い女の子はうんこをしない教’と同盟を結び、増田は女の子がうんこをしないことを悟った。
増田は後に語る。「連日、増田でつぶやくアナル連投。誰からも相手にされなかった…」
増田の飛躍した主義・思想に増田たちがついていけなかったのだ。
やがて増田はアナル普及協会を創始した。増田をアナルの朱色で染めるため。
順調に精力を拡大していった普及協会は、さまざまな迫害を受ける。
反動分子と危険視され、「キモイ」、「増田の恥部」、「氏ね」…、飛び交う罵声にそれでも増田はあきらめなかった。
アナル増田率いる増田アナル普及協会は増田に洗脳された11人の増田をアナルで解放するため、徹底的な修正を行った。
しかし、やがてアナル爆撃も沈静化し、アナルの灯も消えかけたかに思えた…
この状況を重く見たアナル増田は、再び増田を朱に染めるべく行動を決意する。
増田たちよ朱に交われ!朱に交われば肛くなる!!