はてなキーワード: 傍観者とは
そんな興味あるわけでもないからツイートで流れてきてたゴシップだけ接種し、ビリギャルみたいな話なのかって認識だけしてスルーしてた。
そこに本人反論のnoteが出てきてネットトラブルとして面白くなってきた。
ちょっと興味が出てきたから東洋経済のインタビュー読んだけど、それだけでゴシップレビューの半分はウソだってすぐ分かるわけ。
あからさまなウソを込められて書かれたレビューだってのは素人目でも判断が容易な話だった。
でもさ、今日この日まで彼女の書籍レビューがデマだって話がはてなで話題になることは無かった。
若く優秀な彼女が傷つけられTwitterアカウントを削除するような事態になってたのに、誤りを正すための活動は行われなかった。
リベラルなお友達はTwitterでちょろっと書いてたかもしれんが、140字のテキストはデマを払拭する目的で書かれた文書ではない。
最低でもnoteといった全文をシェアできる記事形式、できればメディアに掲載されて広く拡散される必要があっただろう。
しかし、それは行われなかった。
彼女のフォロワーたちも大概ヒドイよね。ネットから消えた敗者と判断したら擁護する必要がないと思ってたんだから。
今日、彼女は復活し正当性を示す反論文書と共にネットに舞い戻った。
リベラルの意見に賛同しているというより、周囲にリベラルと思われたほうが正義っぽいし、いい人っぽいし、なんならちょっと賢そうと思われそうだから、みんなしてリベラル大喜利してるんじゃないかと思ってる。
フェミがオタクコンテンツに火付けすると、「リベラル派」がいろんな理屈をひっさげて、次々に登場したじゃん。
普通、意見に賛同してるなら、その意見が全員バラバラってのはおかしいだろ。
あれ、大喜利していて、リベラル傍観者の喝采を浴びるコンテストしてんじゃないの。
そう考えると、無茶苦茶な憲法解釈を披露して弁護士たちからぶっ叩かれても、そいつ以外のリベラルは平然としているのも理解できる。
ツイフェミがどうとか表現の自由戦士がどうとかそういうのはおいといて、ああいう争いは見ていてただただ気が滅入るなというのが正直な気持ち。
正直な気持ちとしては「月曜日のたわわ」はちょっと読んだだけだけど、あまりに欲望丸出しな感じがするところが正直好きじゃないし(ちなみに自分は男性)、何なら多少の気持ち悪さも感じるので、いわゆる「あの人たち」の気持ちは多少わからなくもない。ただ、この手の炎上が繰り返されるたびに思うことなんだけど、
根拠が「自分が気持ち悪い」であることに無自覚な人たちがいきなり相手を言葉の暴力で殴り始めるのを見てるのがただただしんどい。俺はあの作品は好きじゃないけど、それでも自分が気分を害する表現を排除する活動を許すままにしていくといずれは地獄になるだろうとは思うから、いわゆる「表現の自由戦士」と思想的にな近い立ち位置ではある。ただ、だからといって「あの人たち」と論争しても、相手のほとんどは感情だけで動いてるのは見ててわかるし、理性に訴える形でツイッター上で論争しても結局何も解決しないだろうなと半ばあきらめている。
ちなみに「あの人たち」の肩を持つつもりはあんまりないんだけど、発言の背後から伺えるのは、思春期あるいは成人してから男性に嫌な思いをさせられたみたいな原体験があったんじゃなかろうかってことかな。それで何かトラウマがフラッシュバックしてるとか(そう考えるとあの強烈な反応も説明がつくなーと)。ミサンドリーとか言われてるけど、どっちかというと男性恐怖症なんじゃないだろうかと少し疑っている。一方で、「表現の自由戦士」側の一部も標的を「あの人たち」だけじゃなくて、「女性全体」に拡大し始める様子が見られてちょっと辛い。曰く女性は他責的だの(白饅頭氏とかが書いてるけど別に何かのエビデンスがあるわけでもないよね)、しかもそれが今の状況ではなくて生物学的性差に違いないとか知識もなく決めつけてるし。そういう人たちの一部もミソジニーというよりかは女性恐怖症じゃないだろうかって人も見受けられる。なんかひたすら理屈だけ並べて反論してる辺りが、現実でのふつー女性との接点が薄い感じがするし。ちょっとアレなことを書くと、感情で怒ってる相手に理屈で殴り返すのは経験上事態を悪化させるだけで、いったん「話はわかった。それでも……」という風に言えばもう少し話を聞く相手も増えるような気がする。
男性恐怖症だの女性恐怖症だのは憶測にすぎないのであんまりいうべきじゃないんだけど、ただでさえロシアのウクライナ侵攻とか暗いニュースが続いてる中で、さらに気が滅入るニュースが続くし。吉野家のアレにしてもさすがに事前チェックするとかもうちょい空気読めとは思ったけど、役員を解任した時点で一応(現時点で)やるべきことはやったと思うし、延々と騒がなくてもいいだろうにと感じる。キャンセルカルチャーにうんざりするというより、遠慮なくサンドバッグにしてる相手だって生きてる人間で生活があるんだよという当然のことをSNSで闘ってる人は忘れがちだよね。
傍観者を気取って偉そうに語ってる自分もあんまり褒められたことはしてないんだけど、もうちょっと仲良くできないんだろうかとは思ってしまう。
ブラックな面に関しては、ネット上ですっかり広まってるような「ブラック企業あるある」では全然挙がらないようなものがかなり多かったのに、
俺が経験した2社では色んな点で被ってたから本当に不思議だった。
鬱病休職者が出た時に「うわぁマジかあ……あいつ遂に障害者になっちゃったのかあ!!!」と顔を覆う同僚がいた点。
鬱病休職者が復帰した後、女性社員の一部が『挨拶されたこと』、『(仕事にまつわる)内線がかかってきたこと』を涙を流さんばかりに怖がって周りの同僚たちに慰められているという光景。
社内の常識的にメンタル休職=人の形をしたバケモノの誕生だった。
〇セクハラ
セクハラはブラックあるあるなんだろうけど、具体的な手口まで全く同じセクハラがいくつかあった。
同期飲みのときに、男性陣がニヤニヤしながら大人しいタイプの女同期に遠回しのセクハラ言動を投げかけてチキンレースする遊び。
ターゲットの女同期に対して白子ポン酢をさりげなく食べるよう勧めてその子が実際に口に入れるやいなや一人の男が「アッ‼あっ…ああ……」と射精っぽい声を挙げて他の男性陣が爆笑する、
「あの、ちょっといいですか?〇〇(AVメーカーや有名なAVのシリーズ)って知ってますか?」と他意のない風に問いかけてニヤニヤする、
これら二つのセクハラ手口まで被ってたのを見て自分がデジャブを起こしたのかと衝撃を受けた(もしかしてこれSNSとかで流行ってたのか?)。
言うまでもなく上司から若手女性社員に対するボディタッチとか、えぐいセクハラLINEとか、上司が女性社員たちだけを飲みに誘ってホステス扱いするとかもあった。
〇パワハラ
ポンコツ社員をみんなの前で立たせながら、あるいは別室に移動して1~2時間大説教。
大説教の最中はまるでその場で何事も起こっていないかのように完全に黙り込んで仕事を続けていた周りのみんなが、上司とポンコツ社員が離席したタイミングで爆発したように湧き上がって『ヤベえぞ!!ヤベえぞ!!(笑)』と最高に楽しそうに盛り上がる点、
パワハラといえばあの人!みたいな社員がたくさんいて、彼らが他の社員から顰蹙を買うということはなく、むしろパワハラ被害とは無縁でいられている社員たちが皆「あの人俺にはすげえ優しいんだよな」と誇っている点、
『おめえぶっ殺すぞ!!』とか『てめえの親ここに呼んで来いよおおおおお!!!』とか一発アウトを通り越してるような異常言動が出た時は周りが完全に同じタイミングで「ガーッハッハッハハハwww」と大爆笑することで冗談の体を守り通そうと忖度する点、
これらは共通してた。
とか
「あいつはこうこうこういうミスして何やってももう怒鳴られるようになったんだぞ(笑)」
とかレクチャーして心を掴もうとする連中がたくさんいる。
〇会議
発言を求められた社員が頓珍漢なことを言うというか、10文字くらい発声したタイミングで揚げ足取ったりツッコミ入れたりして発言を完遂させない。
例えば
社員「それに関してですg」
上司「いや、それってなんだよ(笑)どれ?これのこと?これはボールペンだよ?そんなこと聞いてませんよ?(笑)それともこれ?これは手帳ですよ?(笑)」
とかマジでこんな感じ。
凄い強引に笑い物にする。で、周りの社員が「ガーッハッハッハハハwwwwww」と大爆笑して和気あいあい風を演出するまでがワンセット。
(ていうか、全く同じタイミングでそこにいる皆が一斉に大爆笑し始めるのって某巨大新興宗教団体もそうだけど、 あれってマジでなんなんだろ)
嘱託社員に対して「おめえ今日も座りにきたの?」とか「あんた何言ってんのかわかんねえよ」とか課長や次長が率先して喧嘩売りに行ってた。
『パワハラモンスターみたいな先輩社員や上司にどれだけ好かれているか』
が今後の出世のバロメーターになるみたいな地獄みたいな認識が共有されていたので、なるべく目立つようにフロア中に響き渡るような大声出して
自分の親と同じくらいの年齢の嘱託社員をめちゃくちゃに罵倒して侮辱するキレ芸に走る奴が何人かいた(恐ろしいことに、こういうことやる若手や中堅が本当に出世していってた。まあ基本的に年功序列だから誤差みたいな違いだけど)。
ウソみたいだけど、これまであげた様々なブラック面、かなり具体性があるのにもかかわらずどっちのブラック企業でも共通している点だった。
2社目に入ってしばらくは「また同じような会社を引き当ててしまうなんて俺はなんて運がないんだ」と愕然としたけど、
やがて「こんな都合よく似通うものなのか?これって本当に偶然なのか?」と疑うようになった。
つまり、遺伝子と形質の関係のように、会社を近似のブラック環境たらしめる何かがあるんじゃないかと思うようになったのだ。
それがなんなのか探り当てることはできていないのだが、何かヒントになるものが潜んでいるかもしれないので2社間の細かい共通点を列挙していこうと思う。
こんなブラック企業はごめんだ、絶対に人生で関わり合いたくないという人の参考になれば幸いだ。
・平均年齢45歳(毎年多少の変動はあるけどまあこのくらいだった)
・平均年収800万弱
職場公認のサンドバッグみたいな立場の人だと年収700万で頭打ち。
順調に出世すれば50歳くらいで年収950~1000万くらい。
平時だと8時出勤20時退社がデフォで繁忙期だと23時退社。年1回特定の短期間だけ27時退社がデフォになる人はいた。残業代は月30時間までつく。
あくまで平均なので、かなりレベルが低い大学の出身者も結構いた。一方で上振れはあまりなくて早慶以上出身者は少なかった。
・女性社員がナチュラルセクハラ以外ではめちゃくちゃ大事にされている
どんなパワハラ怪物も女性社員には猫なで声でめちゃくちゃ優しく接していたし、産休育休取得は余裕だし、定時退社がデフォだった。
だから寿退社する人はそんないなくて、30~40代(10~20年選手)の女性社員がめちゃくちゃ多い。
(ゆえに女性社員の多くはパワハラ上司がどんなに暴れていようとビビッていなかった。「〇〇ちゃんまた大暴れしてたね~(笑)」とかキャラ化して人間模様を楽しんでる感すらあった)
無論、早出の部分には残業代はつかないし、恐ろしくてつくかどうかを尋ねたことすらない。
多分、実際に訊いたとしたら訊いたという行動自体が罪になって一気に社内カースト最下位になったと思う。
・社員の大半が既婚者
・離職率がめちゃくちゃ低い(平均勤続年数20年軽く超えてた)
・今後50年はまあ潰れない
・「うちの会社ほど悪い人がいない会社はなかなかない」と言い合っている
・「社名 ブラック」とか「社名 パワハラ」とかでググっても全然醜聞が出てこない
・髪型とか身に付けている小物とかを工夫して、外見を意図的に昭和っぽいヤクザに寄せてきてる役職者がポツポツいた。
でも学生時代本当に本職顔負けの武勇伝に溢れてた人が中央法とかに行ってお行儀よく新卒で固い会社に就職して、
みたいな人生行路を歩むはずがないのでゴッコなんだろう。
となると40代、50代にもなってまだ精神性が中高生並みということになってしまう。
【追記】
しかも給料は悪くない会社みたいだから、下手したらこの手のセクハラ・パワハラしている人が、社会的に立派な肩書きを持っていることになって、許容されていると思っちゃうわけだから。
天下に轟く大企業!!とかでは全くないけど、
親なんかは「(手堅い、安心という意味で)いい会社に受かったねえ」と安心するし、住宅ローンの審査は超余裕で通るし。
それだけに、中に入ってから異常性が炸裂している様をありありと見せつけられて大ショックだった。
あとそこに関して自浄作用が全く働いてなかったのも絶望的だった。
付け加えておくと、社員が100%異常者ってわけじゃ決してなくて、
(あくまで俺基準だと)40%くらいまともな範疇に入るような人だった。
それこそ人格的に優れていて仕事もできて~みたいな聖人みたいな人は2%くらいいた。
ただ40%くらいいる”まとも”な社員たちも
パワハラには加担しないまでも、目の前で繰り広げられるパワハラを苦笑いで見守り、ひと段落ついた頃にパワハラ加害者に対して「ずいぶん怒ってたね~(笑)」とか調子は合わせるし、まあ傍観者のスタンスでいた。
聖人みたいな人はというと、
異常社員もパワハラ被害者もイジメ被害者も分け隔てなく慈しんでいて、全員で仲良くやりたいみたいなタイプだから、パワハラの最中は悲しそうにしていて、終わったあとはタイミング見計らって被害者のとこいって慰める程度にとどまっていた。
従って、自浄作用は働きようがなかった。
で、残り60%の「普通じゃない人」はさぞかしキチガイ極まってると思われるだろう。
確かに彼ら彼女らは間近で行われているパワハラを完全に余興のように楽しんでいたし、時に「あいつ(パワハラ被害者)朝眠い眠い言ってましたよ?ここは一発指導したほうがいいんじゃないっすか?(笑)」とか上司を煽ってパワハラ誘因するときすらあったし(上司のほうも「ほんと~?(笑)じゃあやっとかないとね(笑)」とか冗談めかしてにこやかに返していたのを見るに、マジで当事者はエンタメとして楽しんでたんだと思う)。
ただ、彼らはどっからどう見ても外形的にはまともの中のまともだった。
30歳過ぎても高校や大学時代の仲良しグループたちとBBQ行ったり、家族ぐるみで川に遊びに行ったり、完成した新居に呼んだり呼ばれたり~みたいな、キチガイでは到底築きえないような人間関係の輪を彼らは持ってたし、加えて彼らの多くは良き家庭人・良き父親であった。
マジモンのキチガイや性悪でも友達は作れるけど社会に出ると同時にフェードアウトされるのが普通だと思うし、30歳過ぎてまで家族ぐるみの友人付き合い維持できるなんて人格破綻者ではないことの証明だと思う。
じゃあ、なんで彼らが会社では異常者や異常空間形成の共犯者に化けてしまうのか不思議なところだが、
武士がお家を守ることにアイデンティティを抱いていたように、彼らは習性として自分が属するコミュニティの様態や安定性を維持することに全力を注ぎ(告発や改革などもってのほか)、結果として”会社共同体ではキチガイなのに非利益共同体では良き隣人”という矛盾を孕むことになったんじゃないかと。
となると、会社という”器”それ自体がキチガイ性や異常性でもって均衡が保たれてるのかって話になるけど、もしかしたらそういうオカルトじみた現象ってあるのかもしれない。
むしろ、子供が欲しい = 異性愛だってのがLGBTQを理解していないのでは?
今時、レズカップルが精子提供を受けて子供を作ることもあるわけで、子供を作るという選択肢は異性愛のものだけではないよ。
フランスとかにはゲイカップルに育てられている子供もいるし、同性婚も認められているわけで、性指向が同性愛やアセクシャルだからといって、子供を持てないわけではない。
元増田は性自認は女性だが、性指向が定まらなかったと書いていたので、子供を作る=性行為=異性愛だと思い込んでいたからの悲劇かと思った。
まあ、LGBTQサークルから入ったサポーターはどうなのって感じがするけどね。
傍観せず助けに入った→偉い
傍観しているだけだった→仕方ない。少なくとも責められることではない。
ではないのか…?
電車で煙草吸ってた奴に殴られた高校生の件にしても止めなかった傍観者が怒られてるけど、正直そんなやべー奴を止めに入るのって相当なフィジカルがないと無理じゃない?女性子供はもちろん格闘技や運動経験がない男性が立ち向かったところで被害者が+1されるだけの可能性が大いに高く、腕に自信があったとしてもワンチャン後遺症が残るレベルの怪我を負っちゃうリスクもあるわけで
当然そのリスクを加味しても助けるぞ!って判断して突っ込んだなら結果に関わらず偉いし正義感が強い人物として評価されるべきだけれども、偶然その場に居合わせたというだけで見ず知らずの誰かのために大怪我負うリスクを抱えないと人としてダメってのはちょっと厳しすぎる気がするんだよな
自分がいざというときその行動が取れる自信がないだけなのかもしれないけどうーんって思うわ
だって実際、自分の家族友人が見ず知らずの誰かを助けるために暴行野郎に立ち向かって最悪死んじゃったとしてさ、素晴らしい行動をした!誇りに思う!って心から言えるかって聞かれたら微妙でしょ?誇りには思うだろうけど、そんなのどうでもいいから逃げて生きててくれれば良かったってのが本音になると思う
最近、小説やアニメを観終わると喪失感のような悲しい気持ちになる。どうしてこのような気持ちになるのか、頭の中で考えるだけでは答えが出ないので、日記にして言語化してみたいと思う。
まず考えられるのは、完結したか否かに関わらず、物語がひと段落してしまってもう見られなくなってしまう事への絶望だ。これは誰もが経験したことのある感情であると思う。完結した場合はもう続きを読むことができないし、公式から新しい供給がない限り、その世界の続きを見ることはできない。「続きが読みたい」という気持ちから二次創作を読み漁ったり、あるいは自分で書くという人もいるだろう。
しかし自分が最近感じている感情はこれとは違うように思える。絶望というよりは切なさ。自分が感じる喪失感は、物語の世界に深く没入しているほど強くなりやすい。傍観者であるはずの自分が、その世界の登場人物になった感覚。この感覚が続いている間は現実世界の時間が止まっているような気さえする。この感覚のまま物語が終わったらどうなるのか。おそらく、自分だけ物語の世界から追い出され、キャラクターは物語が終わってもそのまま日常を歩んでいくのだろう。この感覚が物語を読んだ後の喪失感の正体なのだろうか?それはわからないが一先ず仮の結論は出たのでこの日記は終わりにする。
自分もこの人のように自信がなくて、人生のあらゆるチャンスを逃した。
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-44079653
平均的なセックスの初体験は10代後半とされるが、ジョセフさん(仮名)はそうではなかった。現在60歳で寡夫の彼は、童貞であることが非常に恥ずかしく、いら立ちを感じていたという。ジョセフさんが自分の体験を語ってくれた。
30代後半まで童貞でした。どのくらい珍しいことなのか全く分かりませんでしたが、それを恥ずかしく思い、人には言えないと思っていました。
僕はとても人見知りするし、不安を感じやすいのですが、孤立してはいませんでした。いつも友達がいました。しかし、親密な関係に発展することはできませんでした。
小学校から大学進学課程まで、周りには女の子や女性がたくさんいましたが、普通の人が通常するような女の子を誘うことは全くしなかった。
大学に入ると、その傾向はますます強くなった。女性と付き合えないとはおもっていませんでした。自信のなさと、自分を魅力的だと思ってくれる人などいないという気持ちが心の奥底にあったのが大きな理由です。
10代後半と20代前半ずっとデートしなければ、自分が心の中で「ほら、あの子はガールフレンドになったし、あの子もそうだった。そうだよ、お前を好いてくれる人はいるよ」と言えるような証拠が積み上げられません。それで、自分に魅力がないという考えが消えなくなり、強まっていく。
友達に相談したことはないし、聞かれたこともありません。正直言って、もし聞かれたら過剰に自己防衛的になったでしょうね。恥ずかしいという気持ちが強くなっていましたから。
人はセックスをしないと社会で見下されるということはないかもしれないけど、普通じゃないと少しでも思われたら、何か異常だと見られる可能性がある。
女性を「ものにする」ことへの文化的な投資がされていると思うんです。大人になることを扱った有名な歌や映画をとってみても、恋愛関係の始まりがテーマになっているものが多いし、一人前の男になるという文化的な「パターン」がある。フランキー・ヴァリが歌う「あのすばらしき夜」は、女性が少年を受け入れて男にするという感じになっている。
友達のほとんどには彼女がいました。付き合い始めてから、やがて結婚するまでを、傍観者として見ていた。そのことは私の心にポタポタと落ちてきて、自尊心を腐らせていきました。