はてなキーワード: ネオ麦茶とは
ハロウィンが嫌いだ。
だが、なぜかと問われると即答できなかった。
昨日と今日、必死に考えてハロウィンがイライラするのかが解った。
こう書くと、間髪入れず「お前らなんてただのいい子ぶりっ子の陰キャだろ!」「タダの嫉妬だろ!」と言い返されるだろう。
それがまた嫌な感じだ。
自分たちの世代の近くには、ネオ麦茶や酒鬼薔薇やガングロギャルがいて、
テレビゲームがたくさんあったが、それをやることは当然良いこととはされず、
エヴァンゲリオンみたいな気持ち悪いアニメにハマっているキチガイみたいに扱われた。
当時、40~50だった親や教師世代からは、強い抑圧を受けた。
それも多分、俺らみたいな「何を考えているか分からない若者」に対する恐怖だったんだと思う。
「お前らのせいで日本の未来は暗い!!」みたいなこともはっきり言われた。
だが、別に俺たちだって殊更おかしなことを考えていたわけがない。
俺らだって大人たちがただ怖かった。生殺与奪を握られていたのだから当然だ。
生きるためには大人たちのいうことに従順に、真面目に、人に迷惑をかけないように生きるしか無かった。
社会に出て他の世代と触れ合うまで実感は無かったが、比較するとかなりダウナー世代だった。
(後々、大人たちからは、「元気のない世代」だと言われて戸惑った。俺達はモラル崩壊したモンスターじゃないのかと)
それが今、どうだろう。
出来婚を授かり婚と言い換え、DQNネームをキラキラネームと言い換えるような奴に
「お前らよりマシだろ」と嘲笑われ、赤ちゃんポストに放り込むことが殺すよりマシだとキレられ、
毎年バカが公道で好き放題騒いで練り歩いてゴミを散らかしていたら、
行政がお墨付きを与えて歩行者天国にし、警察が警護までしてくれる。
迷惑をかけているバカの側に大人が合わせるとか、俺らの常識には皆目存在しない。
このハロウィンの騒ぎなんて、警察や政治家が暴走族に暴走する自由と場所を保証したようなもんだ。
俺達が小さくなって目立たないように声を抑え、必死に守ってきたモラルは何だったのだろう。
そういった良い子ぶりっ子の「陰キャ」である俺達がリアルで生み出したムーブメントなんて何もない。
黎明期のネット文化などニュースに取り上げられることなど無かった。
ここは2020年夏の東京、新国立競技場では観客たちがこれから始まるスポーツの祭典に期待に胸を膨らませていた…
「変態、凡人、年を取れ…シニタイヤツハシネ…シニタイヤツハシネ……」
最初に登場したのはグラミー賞など名だたる賞を総舐めにした国民的バンド、Theピーズだ。この突然のサプライズには会場も大歓声を上げた。スクリーンには様々な言語で映し出された「増え続ける若年層の自殺率」「止まらない少子高齢化」凶悪犯罪…ブラック企業…テロの脅威…国の借金などの文字が映し出されては消えてゆき、最後に「この国はもうお終いだ!!!!」と赤文字で大きく映し出され、会場は拍手喝采だ。それに合わせステージを取り囲むように垂らされたロープで大槻ケンヂ、五十嵐隆、鬼束ちひろ、木下理樹等、錚々たる鬱ミュージシャン達が首を吊って次々と自殺してゆく。やがて彼らは動かなくなり、日本の情念を映し出すエキゾチックな演出に誰もが息を飲んだ。
演奏が終わり大木温之が遺書を書きはじめると「Neko Mimi Mode」が爆音で流れ出す。七色の光線やLEDライトが目まぐるしく点滅し、新国立競技場はダンスホールと化した。なんとなく呼ばれたDJのTeddyroidは投石で死亡、会場のボルテージはマックスに達した。全方位に設置されたハイビジョン4Kスクリーンには日本が誇るサブカルチャーであるアニメが映し出される。作品は勿論『鬼父~小生意気なホットパンツ』だ。
煙幕が白い光とに照らされ、入場門からは会田誠に四肢を切断された千体を超える幼女たちがワラワラと這って登場、その中から遂に選手団が入場する。セーラー服の少女達が会場を囲い、日本刀で自ら腹を掻っ捌き鮮血が噴き出す。内臓もボロボロ飛び出している。(この際会田は町田ひらくとキングオブコメディ高橋をエグゼクティブマネージャーとして招集、全国から人材を手配した)
「HARAKIRI女子校生だああああああああああ!!!!!!」
日本のカルチャーを愛する台湾の文系大学生とロンドンのゴス少女が抱き合って喜びを爆発させた。台湾の大学生は初めての女子との接触に勃起が止まらない!まさにCOOLJAPAN。
しばらくして対向から巨大なローラー車で騒音をまき散らしながら登場したのは山塚アイだ。国旗を笑顔で振っている選手団を「ブチブチブチブチブチ!!!」と踏みつぶしていく。会場は血の海と化し、観客席は闘牛のように湧きたち、山塚は爆死した。続いて、桜井誠率いるネトウヨ、ほなみん率いるSEALs、薄ら笑いを浮かべるアルファツイッタラー、打倒シンゴジラを掲げる増田、中田考率いるアル・カイーダ、又吉直樹を十字架で磔にし燃やす文学賞ワナビ、Hikikomori、ゆ虐絵師、モバゲーの掲示板に入り浸る派遣社員などがそれぞれプラカードを持って入場し、また我々を感動させた。最後には酒鬼薔薇聖斗氏、ネオ麦茶氏、加藤智弘氏、片山ゆうすけ氏が登場、奇跡の世代が共演を果たした。彼らが手を繋ぎ国際社会に世界平和の実現をアピールしたことは歴史に残る名場面となるだろう。
選手入場(九割が死亡)が終わると暗転し、スポットライトに照らされて松任谷由実が「ひこうき雲」を歌い、上空から二機の飛行機が登場。そこには手を広げた庵野秀明と宮崎駿が吊るされていた。思わぬ大物ゲストに会場は大盛り上がり。しかし「空をおおお、かっけぇえええっ↑てぇっ↑↑」に合わせ二人は落下するもパラシュートが開かず地面に激突、冷笑的な雰囲気が会場を覆い駿と庵野は無駄死にとなった。
開会式もとうとうクライマックス。緊張感に包まれる中、遂に最後の聖火ランナー折部やすなさんが到着した。バラード『キルミーのベイベー!』がしっとりと流れる中、あぎりさんがガソリンを頭からかぶせ、燃え盛る炎の中「助けてソーニャちゃあぁあぁぁぁ!!!いやだあああぁぁあぁ!!!」と絶叫しのた打ち回るやすなをソーニャが斬り、生首は聖火台まで飛び見事点火、会場は感動の涙に包まれた。
小澤征爾指揮するNHK交響楽団に合わせ背後の床が開き、原寸大の福島第二原発オブジェが登場する。サビを迎え登場した、世界的映画監督である北野武扮する火薬田ドンはこの日最大の割れんばかりの拍手と歓声に迎えられた。フガフガと手を振って応え、不敵な笑みを漏らしレバーを押す。原発は核爆発を起こし競技場の7割が焼け野原となり、火薬田は突如クレーン車で吊るされ触手プールに落下し一人よがり狂った。少しブラックなジョークに生き残った数少ない観客は最後の盛り上がりを見せた。嬌声が響きわたる中中継は終わり、フジテレビのスタジオでは肉塊となった岡村隆史が弾け飛び、大盛況のうちに開会式は終了した……
――――ちょうどその頃、精神病棟のテレビでこれを見ていたtehuくん。
車椅子から立ち上がり、「これ僕が作ったんだ!ほんとだよ!全部僕が作ったんだ!」と叫び、裸になって踊りだした。彼が言葉を発したのは3年ぶりの事だった。彼を心配し、これまで暖かく見守っていた看護師さんたちは歓声を上げながら抱き合い、喜び合った。涙を流している者もいる。他の患者もみんなニコニコと楽しそうだ。男性器がペチペチする音が病院中に響き渡った。
「今日はケーキを買ってお祝いしなきゃね。だって、tehuくんの演出した開会式が大成功した日なのですから」
僕たち、よかったね、うれしいねって、言われたかっただけなんだ。ただそれだけなのに、何故こうも人の運命は分かれていくのだろう。何故闇に飲まれるかもしれないと分かっていながら何かを求め、苦しみ、そして死んでいくのだろう…
だけど今は、ただtehuくんの回復を喜ぼう。だってそれは、僕らが生まれてきた意味を知る数少ないチャンスなのかもしれないのだから。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
生誕
田舎ゆえ同世代の家まで遠かったせいか、内向的な性格ゆえか、友達と遊ばず家に閉じこもっていたので
当時の子供世代に当たり前だったファミコン・スーパーファミコン文化にほとんど触れることがなく、
当然家にもテレビゲームがないまま育つ。
中1の春にインターネットに初めて触れる
秋ごろには電子メールを覚える。
俺の世代で携帯メールよりPCメールのほうを先に触ったのは1%以下だと思う。
メーリングリストとネットニュース(今のニュースサイトのことではなくfjとかのこと)に参加しまくり。
家の電話料金が3万円ぐらいになる。
ネオ麦茶の「佐賀県佐賀市17歳・・・。」スレに100番以内で書き込む。
無事MARCH入学。もし学歴板と大学受験板がなかったらふつうに日東駒専以下に進学してたと思われる。
だがいままで2ちゃんねる程度しかしてこなかったのでがっかりするほど知識がない。
「CSS」というのは別ファイルでHTMLの装飾を定義するものだと初めて理解。
仕事の基礎的知識がなってないと自覚しSQLのSELECT文から勉強しなおし。
職場では使えない君扱いされる30歳。←いまここ!
問題なかったっていうと変だけど、最初はそれを取り締まる法律がなかった。つまり違法じゃなかったわけ。
それがネオ麦茶とかなんやかんやあって、やっぱりと締まった方がいいんじゃないかとなって新しく法律を作って取り締まった。
何でそんなことをしなきゃならなかったかというと、ネット上は無法地帯だったからだ。
そういうものとして生まれ、普及していく過程でも、多くの新しい参加者はそういうものとして参加していった。
だから今も無法地帯なんだよ。法律の及ばないところは。そこでは何をしてもいい。何を言ってもいい。何に成りすましてもいい。
さらに言えば、「何をしてもいい」ということに反発してもいい。だから君が「いじめだからけしからん」というのもいい。そしていじめてもいい。(あくまでインターネット上の書き込みだけに終始するのであれば)。
「特殊部隊オタではまったくないんだが、しかし自分の特殊部隊オタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない特殊部隊の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、特殊部隊ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、特殊部隊のことを紹介するために
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に特殊部隊を布教するのではなく
あくまで「入口」なので、理解に過大な負担を伴う発展途上国の特殊部隊は避けたい。
あと、いくら特殊部隊的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
映画好きが『カリガリ博士』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
特殊部隊知識はいわゆる「GIジェーン」的なものを除けば、ネオ麦茶事件程度は知っている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「グリーンベレー以前」を濃縮しきっていて、「グリーンベレー以後」を決定づけたという点では
ただ、ここでベトナム戦争トーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な部隊について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな特殊部隊(そうオタクが思い込んでいるだけ。
実際は全然受け入れられない)」そのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、
それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「特殊部隊オタとしてはこの二つは“映画”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種の第二次大戦オタクが持ってる北アフリカ戦線への憧憬と、その後の対テロ作戦のオタ的な考証へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも軍隊系特殊部隊的な
「Special Air Service」を体現してない部隊名
の二つをはじめとして、特殊部隊オタ好きのするキャラを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「スペツナズナイフだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の部隊がソ連崩壊後も続いていること、スペツナズナイフが日本では大人気になったこと、
浦沢直樹 のパイナップルARMYにもでてきて、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、
日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり特殊部隊は治安維持のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「銃器対策部隊」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この特殊部隊にかける日本警察の思いが好きだから。
断腸の思いで増やして300人、っていう人員が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「増やす」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
人員の多さを俺自身は冗長とは思わないし、もう増やせないだろうとは思うけれど、一方でこれが
アメリカだったらきっちり足りずに増やしまくってるだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけてきっちり300人にしてしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ日本警察がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。部隊が行った作戦自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でルフトハンザ航空181便ハイジャック事件を見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
ミュンヘンオリンピックより前の段階で、ドイツ赤軍とかテロ対策部隊の必要性とかは頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの部隊が海外でハイジャック事件を解決したんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく同じ敗戦国としては不思議に誇らしいし、
いわゆる東西統一後でしかドイツを知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
陸自の「資格」あるいは「部隊づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「即応性を高めた精鋭部隊」的な感覚が特殊部隊オタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそ日本版『レンジャー』はアメリカのレンジャー部隊の模倣以外ではあり得なかったとも思う。
「レンジャー資格者の数がより多い部隊」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
源はレンジャーき章を有する者にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
非人道的なアンチ・マテリアル・ライフルを犯人に使用して、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9部隊まではあっさり決まったんだけど10部隊目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にUSSOCOMを選んだ。
グリーンベレーから始まってUSSOCOMで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、 1987年以降の陸・海・空、三軍が統一された
特殊部時代でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい部隊がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10部隊はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。
小女子事件のときも今回の時もそうだけど、治安関係者は「本当にやるかどうかわからない以上本気として対処せざるを得ない」とか言うんだよね。
でも、通り魔とか、ネオ麦茶の件とか、実際に発生した事件に対してどの程度の抑止力があったのかがよくわからない。分析・評価がされてるように見えない。
仮に、ネットでの犯行予告はなかったものとして、実際に事件が発生した後から遡及的に捜査をはじめたとして、現状のアプローチと比較してどの程度の差があるのだろうか。「犯行予告だけで真に受けるから犯行予告をする愉快犯」という事件の発生数まで考えると、かえって無視したほうが社会全体としてははかどるのではないだろうか。
というところまで考えて思い出したのが、職質に対する疑問。それも、下手すると「男が一人で歩いてる→職質」みたいなことがある地域もあると聞く(秋葉原とか、池袋とか?)。あれも、「もしナイフなどを持っていたら治安が云々」と犯罪予防効果を主張するのがいるが、実際のところウチの職場でちょっとココロが病んじゃってた子、職場にナイフ(それも戦争映画でしか見ないようなゴッツイの)持ち込んでて問題になってたが、スルーされてた。あれも結局、犯罪の抑止効果なんてロクになくて(宝くじにあたる程度?) それよりも単純に「検挙件数」をかさ増ししてるだけにしか見えないんだよね。やらないほうがマシ、というレベルで。
こういった世の中の(正しそうだけど非効率な)流れに対して通奏低音のような何かがあるのだろうけれども、頭が悪いので何がどう悪くて、なにをどう改善すれば良いのか思いつかない。それでも、ちょっとしたエロマンガでつかまるカナダや、裸で踊ってると射殺されるアメリカや、そもそも何が何だかよくわからないメキシコや、宗教批判のマンガ書いただけで殺人公認になったり、号館された女を犯人と強制的に結婚させて「なかったこと」にするインシュアラーな国々に比べれば、まだまだ平和なんだけどね。
「suteacco 単なる偶然かもしれないが「この世代」にある何かをまじめに考えた人いるのだろうか。いるなら話を聞いてみたい。」
ネット右翼的ルサンチマンだと感じるかもしれないけど。たんなる自伝(?)にすぎないかな。
・実質的な「ゆとり教育」最盛期。否定する論者はほぼ皆無(むしろ、「ゆとり教育」という言葉が出たときには、反発する層が活発化し、かなりこの思想は相対化された)
・ニューアカ的左翼思想の全盛期、朝日新聞的意見が社会の主流。
・住専問題だの、ノーパンしゃぶしゃぶだの、とりあえず政府や官僚、役人を叩きまくる風潮が強かった気がする。
特にそういうワイドショーの視聴率が高かった。あと芸能人叩きもひどかった。「○○が付き合った」「別れた」どーのこーの。
・個人的には、すごく窮屈で息苦しい時代だった。子供ながら、建前的な正義(≒朝日新聞的正義)に嫌気が差していた。でも、それが唯一の正義だとも思っていた。
□中学生……1995年=阪神大震災、地下鉄オウム、そして「エヴァ」
・被災者はともかく、個人的には「(ほぼ)中二でエヴァ」が圧倒的影響力を持つ。
当時の中学校では同学年の男子は9割、女子でも5割程度は見た感触。(再放送時に録画したビデオテープの貸し回しが凄かった)
・高校や大学等で色んな人に聞いてみたが、この世代へのエヴァの影響力はものすごい。「エヴァなら全校生徒観ていた」と断言されたこともある。
もちろん、エヴァは時代の風潮を反映してつくられた作品である。
しかし、「この世代」にそれをダイレクトに、強烈に、過剰に伝える媒介を果たしたのが「エヴァ」だった。
それ以前の「建前の世界」を全て取り剥がして、「本音」を初めて自分たちにぶつけてくれた、と感じた。(今でも感じているよ)
・小6か中1で酒鬼薔薇事件が起こった。多分同年齢だけど、当時はその社会的意義をよく理解できなかった。「同じ年なのにすごいなぁ」とか程度の感想しか出ない。
たぶん、あの子は僕らの中でもとりわけ世相の雰囲気に敏感だったのだと思う。単なる精神異常者ではなかった
……と大澤真幸前京大教授(セクハラにより引退、でも個人的にはまだ崇拝してる)の授業を受けて気づいた。
□高校生
(・エロゲーの隆盛 『To Heart』 『ONE』 『加奈』など)
・「ネオ麦茶事件」・・・酒鬼薔薇よりネオ麦茶のほうがよっぽど親近感を持った。「あーあ、やっちゃったよ…」みたいな。
・世相の右傾化。今まで「正義」とされてきたことがことごとく否定される。個人的にも従来の「正義」には違和感を覚えいたので大きく賛同する。
☆分かりやすい図式でいえば、バブル崩壊とネットの進行によって価値相対化が起こり、虚無感が広がる。ニヒリズム化。
これは今までもよく言われていたこと。
なんとなく、代表的なAAの変遷によって、2ch自体の変遷を説明出来るんじゃね?と思ったんで以下だらだらと。
●初期(開設~ネオ麦茶事件あたり)
・モナー
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< オマエモナー
( ) \_____
| | |
(__)_)
丸耳の初期バージョンもあるけど、知名度でいえばこっちかな。
オマエモナーという台詞は、お門違いな上から目線や自分を棚に上げて語られる論説に対する、相対化の役割を果たしていた。
なんとなく、まだネットがマイナーだった時代(80年代のパソコン通信あたりから?)にあった、ポストモダン(笑)的価値観が背景に感じられるキャラクターである。
・ギコ猫
____∧∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
~' ____(,,゚Д゚)< 逝ってよし!
UU U U \________
結構モナーとの共生期間が長いキャラクターだけど、途中からコイツの方が人気出てた記憶がある。
「逝ってよし!」という台詞はオマエモナーと同じく、権威的な言論に対するカウンターだけど、こっちはよりチャイルディッシュというか、「逝ってよし!」と言ったヤツ自身が「オマエモナー」と返されかねない危うさを孕んでいる。
ポストモダン(笑)的に語れば、ネット外社会に対するアウトサイダーの溜まり場だった2chが、2chという一つの大きな物語としての存在を確立し、ネット外世界に対する批判もその大きな物語に沿って行われるようになった……ってところだろうか。
(ところでポストモダンってこういうことでいいの?よくしらない)
・モララー
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ・∀・)< マターリしようよ♪
( ) \_______
| | |
(__)_)
純粋に「面白い猫のキャラ」としてAAを使いたいという需要から、このイマイチ特徴のないキャラが人気になったんだと思う。
このことからも、2chが一つのブランド化したことが伺えるかもしれない。
・やる夫、やらない夫
/ \
/ ヽ_ .\ パシャッ!
( ●)( ●) | ____
(__人__) | / \
l` ⌒´ | / ─ ─ \
. { |/ (●) ( ●) \ ・・・
{ / | (__人__) |
,-、 ヽ ノ、\ ` ⌒´ ,/_
/ ノ/ ̄/ ` ー ─ '/>< ` ー─ ' ┌、 ヽ ヽ,
/ L_  ̄ / _l__( { r-、 .ト
_,,二) / 〔― ‐} Ll | l) )
>_,フ / }二 コ\ Li‐'
かつてモナーやギコ猫は、猫のキャラクターという非社会的存在に自分の主張を仮託することで実社会では言いにくいことを無責任に言ってのける、一種のスーパーヒーローとして重用されていた。
だがそれに対し、やる夫・やらない夫は(容貌・性格共に)より人間に近い、等身大のキャラクターだ。
その個性は、ニートであったりオタクであったり非コミュであったり童貞であったり、より(俺のような)2chの平均的(象徴的?)ユーザー像に近いものとなっている。
これらの特徴はAAの発祥がVIPであることにも起因しているだろうが、それよりも「2chの普遍化」という理由の方が大きいんじゃないだろうかと思う。
つまり、2chがあまりにも有名・巨大になった結果、おなじみの「浸透と拡散」が発生して2chは一枚岩ではなくなり、つかの間存在していた「2chという大きな物語」は消え去り、現在はゆるやかに基底部分で繋がった状態(スキズマトリックス?)になっているんじゃないか、という推測。
この状態においては、もはやモナーやギコ猫のようなスーパーヒーローに身をやつすという行為はあまりにもロマンチックすぎるのだ。
●今後
当たり前だがw、どのようなAAが流行るかなんて全く予想出来るはずがない。
AAの流行は、デザインやキャラクター性が秀逸なら良いというわけではなく、様々な偶然が重なって巻き起こるものだから。
ただ、もはやギコ猫やモナーといったようなスーパーヒーローの時代は終わり、今後はやる夫のような等身大AAキャラの時代が続く……ということだけは断言してもいいんじゃないかと思う。
#それまでのAAキャラは、(上でも書いたように)合理的に「心に棚を作る」ための一種のスーパーヒーローだったが、やる夫はイチビリな、ただのダメ人間として登場した。
#かつてねらーの共同幻想として存在したモナーやギコ猫が暮らす架空の「2chワールド」は、残念ながらやる夫・やらない夫が繰り広げるドラマの中には存在しない(ように俺は感じる)。
#それが寂しくも思えるけど、ただよりやる夫シリーズなんかは、より深く実社会にコミットしていく面白さもある。2chのAAキャラはまだまだ終わらない。