はてなキーワード: スペイン語とは
ヨドバシがガンプラ発売日に中国人テンバイヤーをシャットアウトしたのは差別だとして非難轟々だったのに、、、
あとブクマカは「Hi-νガンダム」がなぜか各言語で名前が変わってると思ってそうなんだけど、それなんのためのローカライズ?
ponpon_qonqon それって「おまえ!十五円五十銭と言ってみろ!」とどこが違うんだ・・・。まあ小売が個別の売買契約を結ぶか結ばないかは自由だからいいとしても、周りがやんやともてはやすのはアホだと思うぞ
gm91 いや、これは有効かも知れんけどあかんやつ。 なんて読むか知らんけどカコイイから買う、ができない。 転売ヤー撲滅は転売ヤーから買わないことだよ。
necDK 俺は読めない…!興味が無いからだけど、作ってみたくなった時には買えないことになる。まぁいまのとこ興味わいてないからいいけど
leb 「日本語は分からないが自国語で発音した」場合も正解だと思うけど、ヨドバシ店員は各言語での商品名を把握しているのだろうか
white_rose プレゼントを買いにきたら排除されるのか。オタクじゃなきゃいちいち覚えてない
camellow ザマー!ではあるけど本当に日本語が苦手なだけの普通の購買者だったらかわいそうだな。例えばスペイン語やロシア語発音で正しく読んでたとしてそれを店員は判別できるのか?
[B! ガンダム] 「RG Hi-νガンダム」販売→ヨドバシカメラで商品名を言えない転売ヤーが次々撃退される : 痛いニュース(ノ∀`)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/itainews.com/archives/2010406.html
彼女がスペインからの帰国子女のため、スペイン語を話せる。チャンスだと思い、自分も暇つぶしにスペイン語を勉強し始めた。
英語の時は文法や単語→英文を作るという演繹的なやり方だったため、
この方法のメリットは、手っ取り早くコミュニケーションができるということだ。音声ベースで学習できるため、早く喋れるようになる。
そして赤子の成長を追体験することで、文法や前置詞の必要性が体感でき、文法がすんなり学習できるようになる。
このやり方をすることで「身の回りにあるものの(生理現象も含む)単語」「『疑問文』と『wantのような願望を表す文章』は頻出」ということを学んだ。
確かに、赤子は最初「うんちcaca」「おしっこpipi」とか「水agua」とか覚えるもんな。「これなに?」とかいったなになに攻撃も、赤子の特徴だ。
「キエロ ベベール アグア」みたいに日常的に使えることを学ぶので定着率もいい。
「ケ エス ○○」みたいに疑問形を使えば答えてくれるが、答える際は平常文なのでそこで単語や平常文の言い方を学べる。
勉強している感も無いのでストレスにならない。そして帰納的に法則を見つけるのが楽しい。
同時にネイティブのスペイン語の会話を聞いたりして、今はとにかく知ってる単語が聞き取れるかどうかで頑張っている。これでリスニングも上がるといいな。
ゲームとかでジューダスって名前のやつがいたら絶対裏切るって思う名前 テイルズの話は今は関心ないので脇に置いておく
例えばアメリカの役所はJudasって名前を受理してくれるのだろうか
悪魔ちゃん騒動みたいにはならないかもしれないが、再考を促されても不思議じゃない気がする
とりあえず言えることは、受理されるかどうかはともかくとして不人気な名前だろうな
十二使徒の他の人たちの名前はよく聞くのにユダはほとんど聞かない
ヤコブはジョセフ
ヨハネはジョン
アンデレはアンドリュー
などなどよく聞く名前ばっかり
一応原義はヘブライ語で「ヤハウェに感謝する」って意味らしいから、裏切りの事を忘れさえすれば現代でもユダヤ人の人名として使われてもよさそうだが……
日本語版wikipediaの「ユダ」のページには「イェフダー・アルカライ」「エリエゼル・ベン・イェフダー」の二名が比較的最近の人物として挙げられている どちらもユダヤ文化圏の人物だ
ヘブライ語版wikipediaの「ユダ」のページを翻訳してみるともうちょっと詳しい記述がある
イスラエルだと名前ではなく姓がユダ(イェフダ)の人もいるようだ
まったくいないわけじゃないようだが……
あれ?ユダヤ教文化圏でもユダって裏切り者のイメージなんだろうか
それはキリスト教の文脈であってユダヤ教の文脈だと「裏切りの話はキリスト教の話なんであんまり関係ない……」みたいな空気だったりするのか?
ここら辺詳しくないな、ちょっとあとで調べてみよう
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Judahという名前のアメリカ人は、ユダヤ系の祖先を持つ人々の中に多く見られます。Judahはヘブライ語で「ヤハウェに感謝する」という意味があり、旧約聖書に登場するヤコブの子の名前でもあります。Judahという名前を持つアメリカ人の中には、以下のような有名人がいます。
これらはほんの一例ですが、Judahという名前はアメリカの芸能界や宗教界などで活躍する人々によって知られています。
(1) 歴史に名前を刻んだ著名なユダヤ系アメリカ人 - American View. https://amview.japan.usembassy.gov/celebrated-jewish-americans-who-have-made-their-mark/.
(2) あの外国人の名前、言語が変わると読み方はどう変わる .... https://news.livedoor.com/article/detail/7387037/.
(3) [アメリカ] 男女性別不明なユニセックス・ネーム – 秋元 .... https://labs.cybozu.co.jp/blog/akky/2013/09/americans-unisex-names/.
(4) 【素朴な疑問】アメリカのキラキラネームを教えて → アメリカ .... https://rocketnews24.com/2022/01/16/1589518/.
めちゃくちゃ沢山いる!
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この話の続きをするのであれば、次は「イエスという名前の人は現代で普通にいるのか」だよなぁ?
すなわちJesus
ヘスス(ヘスース、Jesús)は、スペイン語でイエス・キリストの「イエス」にあたる名前である。スペイン語圏では一般的な男性名として用いられる。
元はヘブライ語の「ヤハウェは救い」を意味するイェホ(ー)シュア (יְהוֹשֻׁעַ, Yehoshuʿa) で、これがギリシャ語にてイエースース(Ίησοῦς)となり、スペイン語に取り入れられる際に転訛した物である。このため、別表記として、ヘブライ語転音のヨシュアに由来したホスエ (Josué)もスペイン人の間にて一般的な名前となっている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%A2_(%E4%BA%BA%E5%90%8D):title]
ヨシュア (Joshua) は、ユダヤ系の男性名である。元はヘブライ語の「ヤハウェは救い」を意味するイェホーシューア (יְהוֹשֻׁעַ, Yehoshuʿa) で、これが日本語に転記される際に転訛した物である。このため、この系統の名をヨシュアと発音する主要な現代語はないが、日本語では、聖書に登場する名を表すのに使われている。聖書には複数人登場するが、当時のユダヤ人(ヘブライ人)の間ではありふれた一般的な名前だった。
英語ではジョシュア (Joshua)、スペイン語ではホスエ (Josué)またはヘスス(Jesús)、ポルトガル語ではジョズエ (Josué)、ドイツ語・オランダ語ではヨ(ー)ズア (独: Josua・蘭: Jozua)、フランス語ではジョジュエ (Josué)、ギリシャ語ではイエースースまたはイエス(Ίησοῦς)、ラテン語ではイエースース(Iesus)、アラビア語ではイーサー (عيسى、日本語ではイッサ とも)など。
当時ありふれた名前だからこそ"ナザレの"イエスだったり"イスカリオテの"ユダだったりと当時呼ばれていたのだなあ、と言われればそれはそう
いくらなんでも一括りにしすぎだと思ったので、少し反例を出す。
賛成 フランス、中国、ロシア、ブラジル、サウジアラビア、エジプトなど
棄権 イギリス、カナダ、ドイツ、イタリア、ウクライナ、日本など
賛成 フランス、スイス、マルタ、日本、中国、UAE、アルバニア、ブラジル、エクアドル、ガボン、ガーナ、モザンビーク
わかりやすくなるよう欧米および西側諸国を左側に寄せているが、見ての通り温度差はそれなりにあるんである。特にフランスは突出していて、今回の紛争が始まってからだいぶパレスチナ寄りである。
英仏は親パレスチナ、独は親イスラエル SNS 言語で温度差(日経新聞)
https://www.nikkei.com/telling/DGXZTS00008000U3A121C2000000/
面白い記事だったので、保存していた。(どうせあとでホッテントリ入るだろうと思っていたらかすりもしなかった)
X、Instagram、YouTubeなどを言語および国ごとに親パレスチナと親イスラエルの割合を調査したものである。
まず言語別であるが、英語、フランス語、スペイン語で親イスラエルより親パレスチナの方が上回っている。
さすがに反ナチス教育が盛んなドイツ語圏ではほぼ常時親イスラエルが上回っている。が、それでも親パレスチナと拮抗する場面があるのは見逃せない点だろう。
つまり単純に言語で見た場合、欧米が親イスラエルの一枚岩である、とはぱっとみ言えない結果になっている。
ただ、英語、フランス語、スペイン語は現地以外(アフリカ、グローバルサウスなど)でも使用されていることを踏まえると、これだけで判断するのは難しい。そこで国別を見てみる。
特筆すべきはイギリスで、国連ではアメリカとの連帯を見せることが多い彼の国だが、親パレスチナが大幅に上回っている。おそらくこれは移民の人口割合が多いためだろう。
そしてフランスだが、こちらはまた別の意味で面白く、そもそも中立派が7割と群を抜いて多い。親パレスチナ、親イスラエルと傾いてること自体が少数派であり、その中でも親イスラエルは最も低く10%を切っているのである。
端的に言ってしまうと、それはあくまで「ユダヤ資本(の関わりが深い政治有力者やメディア、企業)」であって、欧米社会そのものではない。
力を持った人やメディアが号令をかけている姿、それが外野である我々からは「欧米はイスラエルを支持」として映って見えがち、というだけである。
そして、その情報戦略はいまのところあまりうまくいっていない、といっていいだろう。
それを見誤って、人道休戦に向けて動いている人、市井の人々の実際の動向をなかったことにするのであれば、彼らの思う壺であるだろう。
ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
赤:疋嶋正明・疋嶋美展@兵庫
・03 ムエット
・04 モーツァルト
・05 [視聴者投稿クイズ][岡山県倉敷市][3択]ニコニコ 岩
・06 1600(メートル
・07 [すべて]スイス スウェーデン スペイン スロバキア スロベニア
・08 スーパーマリオブラザーズ )ワンダー
・13 大洗(町 おおあらい(まち
・18 『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』
・19 [3択]森 七菜 もり なな
・21 [3択](2)(番
・22 5(本
・24 [AC]『マイ・フェア・レディ』
・26 [3択][酒]ラム
・27 YOSHIKI
・31e ONE OK ROCK ワンオクロック
アメリカという国の成り立ちを考えてみてください。アメリカという言葉自体がそもそもスペイン語の名前なのです。もともとアメリカというものはなかったのです。そこには長きにわたり人が住んでいました。文明がありました。その全ては破壊され忘れ去られ今や黒人よりも下の階級で肥沃さとはかけ離れた痩せた保護区に追いやられています。その多くは貧乏に苦しみその日暮らしを余儀なくされているのです。
似た構造がありますね。パレスチナです。ヨーロッパ人が勝手に土地を奪い現地人を貧乏に追いやり善人面している。
アメリカは昔イギリスに苦しめられました。馬鹿にされました。だから独立しました。
イスラエル人は虐殺されました。ホロコーストという最強の被害者体験をしました。
アメリカ人とイスラエル人は本質的に同じ精神構造なのです。虐められたから虐めてやろう。幼いのです。これが一神教の限界と言えましょう。
この度、岩波文庫からアリエル・ドルフマン(昔は、英語風にドーフマン表記だった)の戯曲作品『死と乙女』が刊行された。90年代に一度、英語版から日本語に翻訳されたものが劇書房から刊行されたが、その後は長く絶版品切状態だった作品である。
「過去に読んだが岩波文庫から復刊したことは知らなかった」という人は、書店に急いで欲しい。
読んだことの無い人も、やはり書店に急いで欲しい。
もしかしたら、作品を読んだことは無くても、朴璐美や真木よう子などが主演した舞台を、日本国内で観たという人もいるかも知れない。または、ポランスキーによる映画作品を観た人もいるかもしれない。
ちなみに、これを書いている増田は、ど田舎生活の低所得者なので、演劇文化とは縁が無いことから、舞台を観たことはない。
今回の岩波文庫版は、著者の母語であるスペイン語で書かれたバージョンからの翻訳となる。翻訳者による詳細な解説があるので、作品執筆の背景となった70〜90年代のチリ内外の政治事情を知ることも出来ることから、一読者として有り難い。
これを目にしている貴方が、書店に赴いて『死と乙女』を入手して読んでくれるならば、もう以下の駄文を読む必要は無い。
この増田が読むことを勧めている『死と乙女』とは、どのような作品なのか、読んだことは無いが少しだけ興味が有るという人に向けて、以下を記す。
ただし『死と乙女』の結末に触れる部分があるので、未読で結末は自分で知りたいという人は、ここで一旦、この駄文を読むのをストップしてもらいたい。
また、直接的ではないものの、性暴力に言及する箇所もあるので、精神的な苦痛を喚び起こされる虞がある人は、ここで読むことを止めてもらいたい。
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1970年、南米チリで、サルバドール・アジェンデを大統領とする政権が誕生した。俗に、史上初の民主主義選挙により誕生した社会主義政権とされる。
しかし、アジェンデ政権を皮切りに中南米地域で社会主義国がドミノ倒し的に増加することを怖れた米国ニクソン政権は、チリへの介入を決定する。かくして、米国の後ろ楯を得たピノチェトが起こした軍事クーデターによって、チリは独裁国家となる。
この独裁政権時代のチリでは、多くのチリ国民が政治犯として弾圧され、不当な身柄拘束、拷問、虐殺の対象となっている。
チリ国外に亡命した人間もいる(亡命はしたもののチリ国外で暗殺されたという人間もいる)。映画『イル・ポスティーノ』の主人公の詩人も、そのような逃亡者であったことを、記憶している人もいるかもしれない。或いはまた、ヨーロッパに亡命していたチリの映画監督ミゲル・リティンが、ピノチェト支配下のチリへ潜入して取材する姿を、コロンビア出身ノーベル文学賞受賞作家ガブリエル・ガルシア=マルケスがルポルタージュ『戒厳令下チリ潜入記』(邦訳は岩波新書)として著したので、それを読んだ人もいるかもしれない。
本作『死と乙女』の著者アリエル・ドルフマンも、チリ国外に亡命した人間の一人である。
そして『死と乙女』の主人公パウリナ・サラスもまた、ピノチェト政権下で筆舌に尽くし難い苦痛を味わい、生還したチリ国民の一人である。
パウリナの夫ヘラルド・エスコバルは、ピノチェト政権下で、弾圧されている人々をチリ国外に亡命させる手助けをしていた。そのためにヘラルドは、ピノチェト政権当局から弾圧の対象とされた。
しかし、ヘラルドが当局の手を脱して逃亡したので、彼の居場所を吐かせるために秘密警察は、彼の妻であるパウリナの身柄を拘束し、彼女を拷問した。その時、拷問者は、目隠しされたパウリナをレイプしながら、シューベルト作品『死と乙女』をBGMに流したのである。
時が流れて90年代に入ると、チリは民主主義国家へと移行する。ヘラルドが逃亡する必要も、パウリナが夫の隠れ場所を吐かずに耐える必要も無くなり、二人は夫婦として、堂々と暮らせるようになった。しかし、パウリナの心には、拷問による拭いきれない大きな傷が残り、それが二人の暮らしに暗い影を落とし続けていた。
民主主義政権となったチリ政府は、ピノチェト独裁時代に行われた弾圧について、調査究明を行なうと国民に約束し、そのための調査委員会を任命する。今やパウリナの夫ヘラルドは、その調査委員会のメンバーの一人である。これが、物語の開始の時点で、主人公の置かれた状況である。
物語の冒頭、或る晩、ヘラルドは、パウリナの待つ自宅へと自動車で帰る途中、タイヤのパンクにより立往生していたところを、通りがかった医師ロベルト・ミランダに助けられる。ロベルト・ミランダの車で自宅に送り届けられたヘラルドは、夜も遅いし助けてくれたお礼にと言って、ロベルトに自宅へ泊まっていくことを勧める。
結局ロベルト・ミランダはヘラルドの申し出に甘えることにし、ヘラルドが寝室に居るパウリナに声を掛けて、彼女にも客人を泊まらせることを了承させる。
翌朝。
ロベルト・ミランダは、椅子に縛られている。パウリナが、彼にリボルバー拳銃を突き付けている。
それを見て驚く夫ヘラルドと、狼狽する医師ロベルト・ミランダに対して、主人公パウリナは告げる。
「昨夜、この男の声を聴いて気づいた。この男、ロベルト・ミランダこそが『死と乙女』をBGMとして流しながら、あたしを拷問し、レイプした人間だ」と。
ロベルト・ミランダに拳銃を突き付けて「洗い浚い罪を吐かせる」と主張する主人公パウリナに対して、夫ヘラルドは思い止まるように説得する。
チリがピノチェト独裁体制を脱して民主主義国家となったとはいえ、いまだピノチェトを支持するチリ国民も決して少ないとは言えない(現実世界の2023年現在でも、ピノチェト支持者が残っているのだから、民主政権に移行したばかりの90年代前半を時代設定としている物語の中では、尚更である)。独裁政権時代の弾圧活動に関与した人間たちの全てを、罪に問うて処罰しようとしたならば、親ピノチェト派の有権者からの反発を招き、まだ体制も盤石とは言い難い民主主義政権が倒れることになりかねない。最悪の場合、内戦が勃発して、更に血で血を洗う国民同士の殺し合いともなりかねない。
そのため、現実世界のチリで行われた調査も、調査対象事件を「被害者が殺害されたという重大なケース」に限定し、尚且つ、真実を綿密に明らかにした調査報告書を作成する代わりに、弾圧関与者の氏名公表や厳しい処罰を免除するという、謂わば折衷案の形をとらざるを得なかった。
処罰を免除するという条件を餌にした、一種の司法取引によって、ピノチェト独裁政権時代の弾圧に関与した人間に、己の罪を自発的に告白するように促したとも言える。
しかし、もしも調査委員の一人であるヘラルドの妻パウリナが、ロベルト・ミランダを殺害してしまったとしたら、いや、殺害せずとも、拳銃を突き付けてロベルト・ミランダに自白を強要したことが世間に知られたならば。
民主化した政権も、真相究明も、全てが水泡に帰すことになりかねない。
パウリナは、ロベルト・ミランダの命までは取らないことを条件にして、今ここにいるパウリナ、ヘラルド、ロベルト・ミランダの三人で"裁判"を行なうことを強引に承諾させる。かくして、現実のチリで行われた真相究明の動きを追体験するような、緊迫の一夜が、舞台上で演じられることとなる。
以下では、物語の結末に触れているので、未読の人は一旦ここで増田の駄文を読むのを切り上げて、まず『死と乙女』を読んでもらいたい。
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ロベルト・ミランダに罪を告白させること(供述をテープレコーダーに録音した上で、ロベルト自身の手で文字起こしの原稿を書かせ、さらに「自発的に真実を語った」と宣誓する署名までさせること)が出来たミランダは、ロベルトを監禁する前に家から離れた場所へ移動させておいた彼の車を、返すために取りに行くようにと夫ヘラルドに頼む。
そして夫ヘラルドが家を出て二人きりになると、パウリナはロベルト・ミランダに銃口を向け直す。
「真実を告白すれば命を助けると言ったのに、約束が違う!」と抗議するロベルト・ミランダに、銃口を向けるパウリナ。
パウリナは、ロベルト・ミランダの語りを聞いて、心の底からの反省や悔悛が彼には見られないと判断したのだ。
ここで演出として、舞台には幕が降り始め、パウリナとロベルト・ミランダの姿を隠すとともに、その幕は鏡となっており、演劇『死と乙女』を観ている観客たち自身を映し出す手筈になっている。
再び幕が上がると、物語のラスト場面であり、パウリナとヘラルドは、二人で連れ立って、音楽演奏会に出掛けている。演奏の休憩時間では、他の観客と、調査委員会による調査の成果について、夫ヘラルドは語り合っている。
休憩が終わり、演奏が再開される。
すると、その演奏会の会場にロベルト・ミランダが入って来て、主人公夫婦から離れた、ずっと後方の客席に彼は座る。
夫ヘラルドは気づいていないが、パウリナはロベルト・ミランダの存在に気づいて、しばし後ろを振り返り、ロベルト・ミランダを見る。ロベルト・ミランダは、何も言葉を発すること無く、ただ、主人公パウリナに視線を向け続ける。やがてパウリナも、ロベルト・ミランダからは視線を外し、前方(演奏会の舞台があると設定されている方向)を向いて、物語は終わる。
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この増田は、殺したと考えている。(続く)