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はてなキーワード: いのちの電話とは

2017-08-13

https://anond.hatelabo.jp/20170812154625

悪者レイプ犯人だよ、間違えないで。

もし、あなた友達がまったく同じ目にあったらあなたは、友達を責めますか?責めないでしょう。

どうかちゃんとした場所で、カウンセリングをうけてください。

いのちの電話も、プロカウンセリングではない場合があります

精神科も、合う先生、合わない先生がいます

できれば、ブコメにあった

レイプクライシスセンターの窓口をご紹介します。 http://www.crisiscenter-tsubomi.com 助けになる人と出会えることを願っています

を参考にして欲しい。

2017-08-12

レイプ犯に会った

誰にも話せないから。

その人は自転車前後に1人ずつ子供を乗せて、スーパーに来てた。

子供を抱っこしてカートを押して買い物する姿は、優しそうなお父さんだった。

私はレイプをされた後、半年ほど大学に行けなくなった。

その間、誰とも連絡をとらなかった。ずっと1人でいた。

教授からは見放されたし、急に姿を消した私に友達はよそよそしくなった。

その人は私の存在に気づくと、驚いた顔をして、子供たちを自分の後ろに隠した。

私が悪者みたいだった。

どうしたらいいかからなかった。

精神科でも、いのちの電話でも、あなたから誘惑したんじゃないかと言われた。

自業自得なんじゃないか?と。

私は、未成年で、泥酔させられて、知らない場所に寝かされて、拒否したにも関わらず、面識のないその人にレイプされた。

その人は、別の人から泥酔して寝かされている私の存在を聞いて、ラッキーと言ったらしい。

どうしたらいいかからない、不安な感じがあれからずっと続いてる。

2017-07-02

いのちの電話繋がらねええ!

疲れてるしうつ気味で仕事もうまくいかお金もない、もうだめだ、そうだ、いのちの電話にかけようって藁をもすがる思いでかけたらずっと話し中。

次の日もその次の日も。

何なの?この国はたくさん国民に働いてもらってたくさんお金が欲しいんじゃないの?元気ならそりゃきちんと働くよ。

じゃあ退勤後疲労と抱えてしまった嫌なことで潰されそうな遅い夜に頼る健全なところ作ってよ。

電話対応人員増やしてよ。国はお金出してあげてよ。

普通カウンセリングは要予約で常に混んでるから飛び込みは基本的に無理。

いまかかってる病院患者じゃないとダメとかルールがあることも。

しかも予約は満員で1ヶ月後になることもザラ。土日は基本無理なので有給とってまでして平日に行かないといけない。

なんで?死にそうなのに1ヶ月最悪の状態で無理に生きて有給まで使わないけないの?

もしくは資格効果も定かではない謎のおばちゃん(中年になって暇を持て余しよくわからない資格を取った系おばちゃん)に1時間一万円ぐらい払って話聞いてもらうとかになる。

地獄

この世は地獄

頼むから電話出てくれ

頼みの綱が切れると本当に絶望感に苛まれもっと落ちるんだ

2016-12-15

ものすごく弱っていて、誰かと話をしたいのに。こういう時に話をできる友人が僕には1人もいない。ちょっと死にそうになっていて、誰かと自分が今何をしたいのか何をしなきゃいけないのかそういうのを話したい。

いや違う、そういうのではなくてただただ楽しい話をして元気を出したいんだけれども、僕にはそういう話ができる友人がいない。まるでいない。楽しいことがわからない、誰かと共有できる楽しいこと。創作が好きだったけど、今は創作自身苦痛で、物語が好きだったけれども、今は物語のことを考えたくない。

美味しいものを食べに行くと言うことも楽しみではない。友人と共通の友人の話をしたりして、どうでもいい話をして人は自分のしんどいことやそういうことをごまかしたりするんだろうけれども、そもそも友人がいないので僕には共通の友人と友人の話をするということができない。

毎日を生きる上で、やらなければならないことがたくさんあって、家族の上で、家族が嫌うので、そーゆー人間関係を、全部断ち切ってきた。そのツケがいままわってきてるんだけれども、その時は家にどういう選択肢があったのかわからない。生きているのはもうそれだけでしんどい、誰かに助けて欲しいと思うけれども、助けてくれる誰かいない。

いのちの電話電話してみたけれどもずっと話し中でつながらなくて、あーこういうものって全く役に立たないなぁって思った。

何もすることができない。体中からエネルギーが抜けてしまって、頭の中で、これから作るものイメージやディティールが、全く像を結ばない。昔はできたのに。

昔はできていたことがどんどんできなくなる。年をとっていると言うこともあるんだけれども、やりたいことや欲しいもの我慢して我慢するのも疲れるので、心の中からそういう願望そのものを削り取って、何も感じなくなるようにしてやりすごした結果こんな感じになってしまった。

人が何かを作るときや行動するとき、新しいことを始める時、それ以外でも何かはがんばる時に必要な事は欲望だと思う、それはそのやらなければならない事とつながってなくてもいい。何か欲しいものやりたいもの、そういうのがあるからこそ人は頑張れるんだと思う。

昔は、やりたいことが、あったはずなのに、今はもう、思い出せない。パソコンの奥にいくつかメモがある。やりたいことの企画やしたい事のリストにもならない残滓。でもそれを見ても、今の自分には、それが一体何なのか、理解できなくなっている。

疲れた。本当に疲れた。本当に休みたい。休みたいけれども、やらないとならないことがたくさんあって、休むことができない。休むことができないけれども、そのやらなければならないことが、力が全然入ってこなくて、やることができない。

生きるのがただ辛い。ずっと辛い。この10年間ずっと辛い。朝起きたら偶然死んでないか、そういうことを望んでいる。死ぬと困る人がたくさんいて、死ぬこともできない。でも生きるためのよすがが全くどこにもない。

しかったものが思い出せない、何かのために頑張りたいけど、その何かがどこにもない。誰かに〇〇のために頑張れと言われて、それは世間一般的にとても正しいことなので、本当に自分のしたかった、多分、世間一般的に見て、正しくない歪んでいる事、誰かを傷つけること、そういうことを、自分の中から追い出していた結果、いつの間にか、空っぽになってしまった。

偽物の願望は、やっぱり偽物で、頑張れば頑張るほど、どんどん虚しくなっていく、疲労だけがたまる。折れそう。

10年間患った鬱は結局直らなかった。双極性障害、つまり躁鬱病二次障害としてのうつ病で、また、もともと発達障害の部分があり、つまり生きるのが辛い、普通に生きてても、社会との軋轢がすごいあって、ただただ削れる。

ただ、小さい頃からそんなふうにずっと削れていたので、そんなふうに削れて辛いのは当たり前のことだと思ってた。辛いのにもうきついのにも慣れていた。

も慣れるのと、体が耐えられると言うのは全く別のことで、大人になって会社に勤めだして数年が経った時に、倒れて動けなくなってしまった。

ずっと生きるのがきつくて、もう、高校生ぐらいから、ずっと朝起きたら死んでいたらいいのにと思っていた。だから倒れてこのまま死んでしまいてたらそれでいいと思っていたけれども、当時恋人がいて、恋人が悲しむし、家族も悲しむので、死ぬわけにはいかなくて、なんとかすごくきついの耐えて頑張ってる、そろそろ限界だけど。

それから結婚して、子供ができた。子供作った理由は、子供がいれば、自分が死んでも死んでいなくなっても残った人間は、自分のかわりに子供を糧にして、生きていけるだろうと思った。とりあえず自分がいなくなっても何とか持っていけるようにしたかった。自分がなくなって大丈夫状態を作りたかった。

結局失敗して、子供の分、さらに生きて行かなきゃならなくなったし、お金育児をしている分だけ働ける時間が少なくなって、厳しくなった。働きたいけれども働けなくなった。本当はお金を貯めて自分がいなくなる分の先の分をなんとかしたかったけれどもどんどんどうにもならなくなっていく。

借金を返すために働けば働くほどなぜか借金が増えていく、吉原風俗嬢みたい。または昔の遊女とか。

働きたくても、働く時間が作れない。いくら仕事企画アイディアしたいこともあったけれども、そーゆー部分にさく、時間精神的なメモリの余裕がなくて、できないタスクに、ずっとメモリの1部を使い続けているわけにはいかなくて、自分のしたかったことを削ったみたいに、そのアイディアやそれを必要とするための脳の機能、考え方、その他必要アプリみたいなものも一緒に削ってしまった。そうしないと育児ができなかったから。

自分のような、アスペルガー気質、いや、アスペルガー人間にもいろいろいるから、これは自分自身だけの問題で、自分には育児が、本当に大変だった。能力的にものすごく厳しかった。連続して長い間ひとつのことに集中せずに、いろんなことをマルチタスクで集中してみると言う事はものすごく疲弊する。子供を育てると言う事は、ものすごくマルチタスク能力判断力要求される。睡眠時間を取らないとものすごく判断力が鈍るけれども、子供は夜中に起きるので全く寝ることができない。予定を組んでも必ず子供風邪をひいたり急な病気になったりとして絶対に予定通りにはいかないんだけれども、自分特性として予定通りに物事が運ばないとものすごくダメになる。その後計画していた予定すべてをする気力をうしなってしまう。気合でどうにかできるものではないと言うことをこの10年で思い知った。

若いうちは若さとかエネルギーとかそういうので無理矢理自分気質を捻じ曲げていたのだけれども、結局それによって削れてしまって倒れてしまって、それからはもう、本当に無理が効かないようになってしまった。

ただ育児は無理をしないとどうしようもない。もっと自分を削って行かないといけない、自分欲求自分形成している1番大事な部分、そういう部分のタスクを削って育児に、割いて行かないといけない。もともと他人との生活が難しくて、人と暮らすと言うことで削れていっていた分がますますひどくなった。

死にたいって思ってるずっと。それが無理ならせめて1人になりたい。






自分のこういうような性質。何かをするエネルギーが外から持って来れなくて、限界を超えたときに、そうやって自分自身を削れば何とかなると言う性質マルチタスクができなくて、すごく集中すれば人と会話をしたり子供と楽しく生したりはできるけれども、それがものすごく体力を使うことだということが妻にもわかってもらえてなくて。

少し前のテレビ番組であったらしいんだけれども、発達障害ピアニストの人が、生徒に教えるとき、いつもはのだめカンタービレ主人公のようにふわふわとしているのが、ものすごくしっかりとした、音楽先生のようになって教えていたと言う。ただ30分が限界でその後はばったりと倒れこんでしまうと言う。

自分も同じで、無理をすればできる。無理をしないとできない。その2択なのに、できる範囲でとか、困る。後で倒れるならやめてと言われてもどうしても倒れてしまう。それ以上頑張ろうと思ったら、自分精神自体を、削っていくしかない、削ったら何とかなる。だから何とかしてる。そういうことをずっと小さい頃からやってきて、でもそろそろ本当に限界みたいだ。

多分これを読んでいる人は、これが一体何を書いているのかほとんどわからないと思うけど、何か生きづらい人がたくさんいるはてなだったら、何人か分かってもらえると思う。

もう無理がきかなくなってきていて、大体1年位前からで、頭が何かを考えることができない。手癖のようなもので、仕事をしているけれども、どんどん質が下がっていく。今作っているものはとても商品になるものではないと思ってる。でもそのクオリティを上げることができない。ディティールが想像できない。

がんばらないといけないんだけど、気力だけではどうにもならない位の力がなくなってしまっていて、気力自身も振り絞るのが難しい。





失敗した、僕は失敗した。僕が失敗した。

2016-04-15

http://anond.hatelabo.jp/20160414193111

私が19歳で1人暮らしを始めたばかりのころ、まさにその千葉市の「いのちの電話」のお兄さんに命を救われた(と私は思っている)経験があるので、何とも言えない気持ちになった。

電話面談とではまた違うから何とも言えないけど……。

そういえば、私の姉(東京都在住)がつい最近いのちの電話」に出たおばさんの対応に怒ってたり、

精神保健センター相談に行った際、保健師さんの対応にも怒ってたりしたから、たまたま運悪く酷い人に当たってしまった可能性もあるかもしれないね

2016-02-16

いのちの電話って存在意義あるの?

いつかけてもつながらないものに利用価値ってないじゃん。

あれ本当は誰もいないんじゃないの?

2016-02-15

ここでしか

辛いことは言えない。

自殺することも言えない。

匿名は素晴らしい。

twitterアカウント人格が移るので使えなくなった。

facebookは上辺。

いのちの電話あんな繋がらないシステム、とっとと潰れろ。

カウンセリングもクソな医者しかいない。

周りに期待も何もない。

しろ呆れるし、失望した

周りに永遠に会わなくなる方法がある。

このまま生きてたら憎悪や憎しみが増える。

自分おかしくなる前に命をとめる。

生きてるから狂ってしまう。

死んでトラウマを植え付けさせてやりたい気分にもなる。

2016-02-04

http://anond.hatelabo.jp/20160203235908

若かりし頃(とは言ってもそんなに若くもなかったか)既婚男性に熱烈に恋し、一方的に言いよった挙句関係を持ち、その後「このように軽々しく関係を持ってしまうような女子ちょっと」みたいなことを言われた増田です。どうも。

当時一人暮らしで、なにを思ってか友人関係ほとんど断絶した上で徹底的に体を鍛えるなどし、まぁ客観的にはメンヘラだったわけなんですけども、ひとり嘆くのも苦しいので連日いのちの電話相談しているような日々を送っておりました。

その中で聞いたいくつかの呪いです。

悪い事とは思うが、なぜこんなに真剣に好きになった人に軽べつされなけれびならないのか、と問うた時の回答。

「今は分からなくても、いつか強烈に分かる時期がくるよ」

全体的に適当に聞き流され、電話を切る間際に言われた言葉

「そのうち自分に返ってくるでしょうね」

完全にこれらの言葉を忘れてたんですけど、今日仕事中なんとなく思い出してしまいました。

これって、「いつかあなた浮気されるでしょうね」って事ですよね。

あのとき私、真剣に泣いて、だれでもいいからすがりたかったんですけど、それでもそんなこと言われなきゃいけなかったんですかね?いのちの電話の人に。

という行き場のない思いを持て余す夜なのでした〜。おやすみ

増田に書けばよちよち辛いでちゅね~って言ってもらえたのにね

http://anond.hatelabo.jp/20160203235908

いのちの電話に期待しすぎないほうがいいよ。

私は学生だったころイジメにあってて親にも言えず、いのちの電話電話したことがあるけど、事務的対応だけされて、突き放すように学校相談してね、って言われただけだった。

それ以来、いのちの電話偽善者たちの自己満足、と思ってる。

2015-11-23

ニコニコ動画をやめた

一気書き怪文書こゎぃ

というわけで、ネット特有のスラングネタ等が含まれるため、そういったものが苦手な方は

ブラウザバックか注意して読まれることをおすすめします。某手書き劇場じゃないけども。



24歳、学生です(大嘘)

え~、ネット歴が10年で、ニコ厨歴が8年(SP1)です。

そんなこんなで人生を歩んできたわけだが、一種の詰みという状態になっているわけだ。

具体的にどんな詰みなのかは、ここでは言及を避けておく。避けておくが、借金で首が回らない等の絶望的な感じではない。

感じではない、が、それだけに、ぬるま湯から少しづつ熱湯へと変わる水に気づかないで茹でられてしまカエルのような、そんな最悪な気分であり状況であることは言及しておく。



そんな状況になったのも、色々な問題から逃げてきたせいだと思う。世の中すべてが自己責任なのだ。全ては自分のせいであり、他に原因を求めても仕方ないのだ。

思い返すに、一番最初に思い出せる逃げた経験は、進研ゼミチャレンジ特に赤ペン先生だったように思う。

一時はそれを取り返そうと、一年分の赤ペン先生提出用小テストを送ったものだ。懐かしい。

それから、様々なことから逃げてきたように思う。

部活動の選択、いじめ・イジりからの脱却、文系・理系の選択、大学の選択、単位の取得、あらゆる勉強、交友関係、就活、エトセトラエトセトラ…

よくある感じのクズ人間だ。こうはならないようにと、心がけてきたつもりだったのにな、心がけてきただけで、実行できなかった。

なんだか怖かったんだな。実行に移すのが。まるで自分が食べることのできる大切なケーキがどんどんなくなっていくようで。


一方で、ネットにはハマった。これはもうホントに、見事にはまっていった。

まずは、中学生らしくG行為ネタだ。まずはそこら辺に転がってた18禁小説から

クリスマスプレゼントかなにかで買ってもらったPSP1000をいじっていると、

どうやらネット機能を使えるということがわかり、若い時のドキドキを携えて恐る恐る「エ ロ」と検索したのだった。

検索エンジンが何かまでは覚えていないが、トップ近くに出てきた(であろう)18禁小説を適当に選択して読んでいた。

寒かったことも手伝って、布団に丸まって片方の手を股で挟んでいると…というテンケテキな精通を迎えたのであった、まる

今でも何故か覚えているが、最初に読んだのは姉妹のレズものだった。文体は単純なのに「ふ…ふみゅ!?」とかいった

きゃわいい吐息の描写ものすごく興奮したのを覚えている。

それから、森の奥の吸血鬼姉妹のもとに仕えることになったメイド姉妹ふたなりものとか(今でこそそれが東方Project二次創作だったとわかるが、当時は全く知らなかった)

社会人とヒモの物語とか、コナンの虹エロ小説のみを掲載してるサイトだとか、お寿司をホニャララに突っ込んでズルズル吸い上げるとかいう今から見ると嗚咽もののものまで、

情欲が満足するまで、ひとり夜のベッドの中で励みまくった。

そのうち小説では飽きたらなくなり、フリー公開のエロ漫画や、同人マンガっぽいものうpされているようなサイトまで足を伸ばしていった。

そういえばえろまんがわーるどってサイトにだいぶお世話になった記憶がある。今どうなってるんだろうな。


そこから、他のネット文化に親しむ様になるのに時間はかからなかったように思う。

それこそ、上に書いたえろまんがわーるどでオナネタを探している最中に見つけた東方Project二次創作の同人マンガを見つけて感動し、

東方Projectとその二次創作郡(主に同人マンガ)に見事にはまっていったし、

もう黄金期は過ぎていたが、Flashのまとめ倉庫みたいなサイトを見つけて、Flash動画にはまっていったし。

2ちゃんねるへの書き込みとかも興味があったけど、なんだか殺伐とした雰囲気に「半年ROMれ」という格言も手伝って、ほとんど書き込みはしなかった。

受験勉強ほっぽり出して、冬でかじかむほど寒い中、東方星蓮船をひたすらキーボード使って、最後の白蓮の弾幕をよけながらクリアしてたっけ。


そうして辿り着いたのが、ニコニコ動画だった。

うそこは、俺にとって天国であった。

会員になったのはSP1からから、高校で入った計算になる。

学校でいじられ続けて病み気味になっていた俺を元気づけてくれた、唯一と言っていいほどの存在だったのだろう。

そこで親なり担任なりいのちの電話なり、周りの大人に頼っていれば、道は違っていたのかもしれないが、

俺がとった道は電子世界への逃避だったわけだ。

ドナルドエア本フタエノキワミチャー研レスリング、最近では淫夢等、Flash動画時代を髣髴とさせるMADを食い漁るように探して見続けた。

東方にもはまっていたので、ニコニコで勢力を拡大しつつあった、同人マンガの延長線上のようなジャンルである東方手書き劇場」も、ホント漁るようにして探して見続けた。

それだけだと飽きちゃうので、台頭し始めていたMMD系列や、サービス開始当初から人気だったVOCALOIDも時々見ていたけど、やっぱりMADと東方手書き劇場が主軸だったかなー。



みんなはどうなのかわからないが、俺の予測だとハマっているコンテンツがまずあって(つまり特定アニメ漫画音楽小説があって)、

それを共有することや二次創作的な作品を見たい・作りたいって思いからニコニコ動画に登録し始めると思う。

俺も東方ProjectFLASH動画で頭を金槌で打たれて人生が震えた人間なので、その一人といえば一人なのかもしれないが、

しろニコニコ動画で昨今のサブカル(主にアニメ漫画的な意味で)の流行を知って、それらにハマっていった記憶が強い。

イカ娘とか超電磁砲とか日常とか。あずまんが大王なんか、空耳ケーキのMAD見てなかったら存在も知っているかどうか怪しい…ってのは言いすぎかもしれないけど、多分「これは名作なんだな」なんて認識は

確実になかっただろう。

特に深夜アニメ放送という概念存在しない都道府県に生まれた身としては、身につきすぎたぐらい身についたのではないかと思う。

俺はそうして、サブカル(主にry)に関する基礎中の基礎となる知識を身に着けていったわけだ。

ニコニコ万歳ニコニコのおかげで人生変わりました!

そんな生活をする中で、今までの勉強量という貯金を切り崩して見事よくわからん国立大学合格したわけだが。

まわりが「よし!大学生活遊び放題だね!」と言ってくれる中、俺はそんな楽観的な観測はとてもできなかった。

その頃にはもう就活生の悲喜こもごもが聞こえ出していたし、そもそも大学選びの時点で俺はものすごく憂鬱だったのを覚えている。

「お前はこれから自分の足で立って、自分の足で生活して、自分責任のもとで生きていくんだ」と宣告されているような気がしたから。

それを好意的に受け止める人種がいることも、今は知っているが、でも大体の、敗北を知っている少年少女たちは、青年たちは、不安と不安でいっぱいだったんじゃないか?

同意を求めてみるテスト



悲喜こもごもの悲に入ってはダメだ!、と自分なりに大学生活でやらなきゃいけないことを色々意識して、頑張って頑張っていい社会人になるんだ!

ぐらいには頑張ろうと息巻いていた。たくさん読書して、たくさん学部の専門科目を勉強して、できるだけ早く単位をとって、卒業研究も今のうちに足場を固めてしまって…

もうおわかりだと思うが、結局どれも実現しなかった。4年間通して。草生えますな。



機会損失という概念がある。なにか始めるのには、結局何かを、上で書いた例だとケーキを諦めなければならない。どのケーキがどれだけなくなるのかがわかっていればまぁあきらめも付くというものだが、なんと失ったケーキの種類も量も正確にはわからないというのがこの世のニクイところである

俺は大学生活というあまりにも貴重だとわかりきっている時間に、勉強も遊びも将来の担保も全部全部つめ込まなければならないと思うあまり、何にも手が出せなくなってしまったのだ。何かを諦めるという、その勇気がどうしても出せなかった。

と書けばなんだかかっこが付いたふうだが、単にやる気がなかっただけだと思う。根性がないよね。だって全部詰め込んでる人は、それこそネットを探せばいくらでもいたし、周りにもそういう人はいたんだから



一日一日を後悔しながら、ニコニコ動画を始めとしたネット文化サブカルへはもっとハマっていった。そこで、俺はサブカルには詳しいんだぜという変な自負心も生まれかけたんだけど…

大学の友人たちが、そんな自分のちっぽけな自負心をも打ち砕いていった、という、またテンケテキテキなパターンになった。

一人は俺よりニコニコ動画歴が長く、尚且つ知っているジャンルもあまりに広く、信じられない程深かった。それに、プラモデルゲーム、その他のサブカルにも造詣が深く、もう尊敬せざるを得なかった。

二人は一つのジャンルを突き詰めに突き詰めていた。宇宙語と俺には思われる言語で会話して、なおかつ他のサブカルに関しても基礎的な知識をちゃんとおさえていた。

なにより、ひねくれた俺よりよっぽど常識があって、性格のいい奴らだった。

もう俺は、ひねくれて性格が悪い上に唯一ほかより得意で知識のあるネット文化サブカルですら圧倒されているこいつらはなんなんだ。そんなことよりそれに比べた俺の価値の無さは何なんだ…唯一深い知識があると思っていたジャンルにすら引けを取る俺の価値の無さは…

そんな感じのタコツボ化でもう自分がいよいよ嫌になったり、ついでにニコニコばっかで学業をまともに修めていない自身の将来の不安がますます増えていったりした。




突然だが、俺の将来の夢はマンガ家だったりする。

上記の偏歴を見ればまぁ予想はつくだろうが、好きなマンガを描いて楽しく生きていきたい。そういう意味では、マンガ「家」ではなく、「趣味マンガ、なのかもしれない。

その他にも、MADを作ったり、音楽で既存の好きなゲームリミックス作ってみたり、SSみたいな小説を書いてみたり、3分くらいのアニメ作品を作ったり、スレを立ててコピペとして受け継がれる書き込みしたりと、そういう、ネットサブカル文化に深く関わって生きていきたいと思って生きている。

そして、そういう活動を、大学のうちに出来たはずなのだ。出来たはずなのに…


思えば、学業も、ニコニコアニメマンガ小説・絵その他ネットサブカル文化に関する活動も、資格取得や就活等の将来に対する投資も

なにもかも、なにもかもが中途半端大学生活だった。

中途半端どころか、自分のやりたいこと・やるべきことが何も達成できない、真空もびっくりの空虚な生活になってしまった。

4年間だ。4年という歳月をだ。

願うなら、この後悔を一緒に大学入学のあの日に持って行って、もう一度やり直したい。

いやそれができるのなら、高校入学のあの日まで行って、部活選びをやり直して、もっと必死に勉強したい。

いや、やっぱりそれが叶うのなら、中学入学のあの日まで行って、やっぱり部活選びをやり直して、もっとまともな交友関係を築きたい…


思えば、俺がアニメにハマったのは、マンガにハマったのは、ニコニコにハマったのは、Flashにハマったのは、東方Projectにハマったのは、エロ同人にハマったのは、18禁小説にハマったのは、PSPでネットに助けを求めたのは、

結局何かから逃げ「続けた」からじゃないだろうか、と、今振り返って考えてみると思う。

なんだか、この文章を書く前と結論が違っているような気がするが、やっぱり文字に起こして出力してみるって違うんだね、と。

学校での日々のイジり(悲観的に捉えれば、いじめ?)や勉強からストレス、将来への得も知れない不安から唯一開放されていた、このPCの窓。そこから広がるインターネッツ

そういえば、今これを書いている時と同じような、肌寒さもいよいよな低音の中、ひたすら「インターネットしていた」な。あの頃の俺は、何かのバランス感覚を失っていたんだと思う。

そしてそれは、社会人として仕事に勤めている今にも、強い影響力を残している。

帰ってからもずっとネットにかじりついてるし、土日はほとんど外に出ないで、頭が痛くなっても構わずアニメを見て、マンガを見て、MADを見ている。



別にそれらは、異常なことじゃない。もともと、異常か正常かということを言い出すこと自体、なにかものさしを使っているということだ。

この場合、俺の今住んでいる地域で、コミュニティで、ちょっと異常だということが言えるくらいで、さして間違った生き方ではない、と俺自身は思う。

思うが、それは、きちんと仕事趣味を両立して、充実した人生だと思えるような、色々な意味で自立した人間が生きるべき生き方であるとも、誰よりも俺自身が思う。

そして何よりも、俺自身が、今、そうではない。


今、実は岐路に立たされている。時間は1年と無い。始めの方に書いたように、具体的にどんな岐路なのかは書かないが、やっぱり岐路であることに変わりはない。


先日、俺が大好きなブログで、戦後70年テーマ的なものにして、ブログ主がこういった趣旨のことを書いていた。

戦後左翼思想家は、敗戦の総括をしないと前に進めないといって、政府が現実の問題を四苦八苦して解決している中、ずっと空論や理想論を掲げ続けてきた。戦争とは、平和とは、と。それも戦後半世紀近くずっと。それは、理想論を突然語り出す中高生と同じ。自身の親が抱える現実的な問題に、いつか自分もぶつからないといけないんだと知った時、現実逃避して、問題を先送りにしている。その中高生たちとおなじだよね。」

前半の思想家の部分が本当なのかどうかはともかく、大事なのは、後半の「問題を先送りにしている」という部分だ。

俺はおそらく馬鹿であるため、理想論など掲げることもなく、ただひたすら目の前の問題を見ないよう聞こえないようにするために、ひたすらネットサブカル世界に没頭し続けた。

そして、大人に「なってしまった」今、その先送りにした問題が、いま目の前に、もし解決していた場合と比べてとんでもなく性質を悪くして立ちはだかっている。


ところで、最近キルミーベイベー熱が再燃した。どしたのわさわさなんでもなーみん。あの歌詞にあんな深い意味が込められていたとはね…

そんなキルミーベイベーにハマるキルミストたちがいつも貼る、あのチャーリー・ブラウンのAAをみんな知っていると思う。

(崩れちゃうかな?)

      ,, _

       /     ` 、

      /  (_ノL_)  ヽ

      /   ´・  ・`  l    キルミーベイベーは死んだんだ

     (l     し    l)    いくら呼んでも帰っては来ないんだ

.     l    __   l    もうあの時間は終わって、君も人生と向き合う時なんだ

      > 、 _      ィ

     /      ̄   ヽ

     / |         iヽ

    |\|         |/|

    | ||/\/\/\/| |

もう、死んだんだと思う。何とは言わない。言わないが、俺ももういい年なんだ。

もうあの時の、Flashニコニコ東方Projectにハマっていたあの時の輝きに満ちた時間はもう終わっていて、もう死んでいて、もう腐っているんだと思う。

俺ももう、人生と向き合うときなんだと思う。いい加減。

逃避し退避し、遠ざけていた人生と、強制的に向き合う時期が来てしまったんだと思う。



それに加えて、アニメも、マンガも、ニコニコも、ここ最近そこに割く色んな意味でのリソースなんか無いことに気づいた。

そう、俺は、ネットサブカルを愛す、オタク足り得なかった。

岡田斗司夫が、「強いオタク」と言っていたが、この定義からすると、ありとあらゆる中傷があっても、理論武装でも何でもして、自身オタクであるということを保っていくことこそが「オタクである条件だった時代があったらしい。

正直、それは今も変わらないところがあると思う。どんなに仕事が忙しくても、どんなに私生活が忙しくても、アニメを、マンガを、ラノベを、その他サブカルに使う時間と金だけは絶対に惜しまない、その体力だ。

俺には、そんな心の強さも体力も理論武装するような頭も、何もかもが資格不足だった。

もともと俺には、向いていない趣味であって、生き方であったということを、ここ数年間で、嫌というほど味あわされてしまった。こんなにネットサブカルに関わるあらゆる物事が大好きなのに。

でも、資格が不十分だった。ちょうどある一定の身体条件を満たしていないと、宇宙に行くことができないように。目が見えないと、運転免許が取れないように。

俺には仕事と炊事洗濯等の基本的私生活を送るだけで、どうやら大半の脳のリソースを使ってしまうようで、そこにネットサブカルを放り込むと、何もできなくなってしまう。どんなに頑張っても。

現実は、そういうことだった。



俺は、大したことのない、ただの平凡の、平凡以下の、ただの、しがない人間だった。

一発逆転の、いきなり三千院状態にならない限り、俺は大好きなマンガにもラノベにもアニメにもゲームにもイラスト制作にもMADにものめり込むこともできない、まとめサイトで斜め上からのニヒルでひねくれて皮肉が効いたあの空気を共有することもやっとの、平々凡々とした、無趣味な人間だった。



とりあえず俺は、目についた片っ端のウェブサービスからアカウントを消していった。

TwitterやらPixivやら、ニコニコ動画でのチャンネルも次々退会していった。

そして、ニコニコ動画のものアカウントの出番であった。

思えば、高校からずっとの付き合いだった。

俺はニコニコで笑い、考えさせられ、知識と知恵を学んでいった。

ニコニコは俺の青春のすべて、とは言わないが、俺の青春の明の部分であり、花であり、やっぱりほぼすべてだった。

音楽も思考も動画コンテンツも、そしてそういったものの質の善し悪しも、全部ニコニコやそこから派生したものから学んだに他ならなかった。

ニコニコネタを通じて大学で無二の親友たちができたし、どんな嫌なことがあっても、ニコニコがあったから笑って、なんとなく流して、なんとかやってこれた。

ニコニコは、やっぱり俺の人生を、とんでもなく支えてくれたと同時に、俺がダメなハマり方をしたせいで、こんな状況を招いてしまった。

から、これまでと決別し、これからを生きていくために、

俺はニコニコ動画を、退会した。


もちろんニコニコ動画と決別するわけではない。ましてや、俺の思考や趣味趣向の基礎基本を叩き込んで、教えてくれて、俺を最高に楽しく生かしてくれた、ネットサブカルと決別する気なんか毛頭ない。

今は、あまりにも色々なもの脆弱から、距離を置くだけだ。

いつか、経済力も、思考力も、精神力も、色々なものが「大人」になってからそれから戻ってくる。それだけの話だ。

文字にするのはそれだけで、実行していくのは、きっととても遠い話だ。

しかしたら、一生戻ってこれないのかもしれない。

それはそれで、そういう運命だったというだけもお話だと思う。運命という言葉がなんかアレなら、その程度の才能、身体、能力、DNAしか持っていなかった、というだけのお話なんだろう。

先ほど上げたブロガーの言を借りれば、人類の生きてきた何京通りのパターンの中で、たまたま幸せになれなかったパターンを引いてしまった、それだけなのだと思う。

それでも、俺はニコニコに戻ってくることを、ネットサブカルの中で再び熱狂する日に戻ってくることを目指して、どんな手を使ってでも、(いくらかの倫理と法律を守った上で)脳みそパンパンになってはじけ飛んででも、突進していきたい。

とりあえずそのために卒業式自作自演し、なんとか卒業していった。

24歳、学生でした。














そういえば、ニコニコ動画アカウントを削除するにあたって、特に好きな東方手書き劇場動画と、懐かしのFLASH動画まとめ動画をみていたわけだが、

Flash動画の中でも、知っていたものは良くて半分くらいだったのが、ちょっと衝撃だった。

「おいおいこれを知らないとはモグリのにわかめー」と、Flash職人であるポエ山の作品「quino」を知らずに友人にからかわれたことが一度だけあるが、それもわかる。

代表的な一部の有名作品の一群ですら、俺が知らないものがたくさんあったのだから

2015-10-03

http://anond.hatelabo.jp/20151003221114

よくわからないけどおもしろい。

宗教もっと手軽に利用できるサービスであってほしいよね。

うさんくさい雰囲気とか高額な寄付金とか社会的信用・評価あれこれ問われずにさ、カウンセリング利用してる、くらいの感覚で。

仏教キリスト教イスラム教文庫聖典の類は読んだ。楽になるならなんだっていいんだよね。

今の日本には心の拠り所は家族友達がいなけりゃ、いのちの電話的な公的サービスくらいなんだろうか。

安全宗教はおらんのか

 帰宅途中に、いのちの電話っぽい広告見た。

 そういえば、いのちの電話ってつながらないって評判だよなと。これで救えなかった命もあるんかなってポチポチぐぐった。

 で、いのちの電話と同時に、宗教広告も出てきて。ん?そういえば、宗教とかも自殺率下がるんじゃないの?って思った。

  

 で、俺、まあそういうのに目が行くってことは疲れてるし追い詰められてるんだけどさ。

 宗教とかやってればもうちょいメンタル強くなって、頼れる牧師だの坊さんだのに相談したりできたのかなって。

 個人って理性だけで行動してると無理が来るけど、その無理に耐え続けるのってどーも難しい気がして。

 宗教でもやってりゃよかったのかなって思った。

 結婚してろよって思うかもしれないが、結婚生活なんてとてもじゃないができるもんじゃなく、発達障害のマジ基地だし。

  

 で、ああ、だから彼氏だの彼女だのって作るのあかなって思った。

 こういう追い詰められたときに、相談に乗ってくれる年上に~ってなんでだよ?リア充って低脳なの?って思ったけど。俺が今宗教に惹かれてる時点で端から見たらなんでだよって感じだわな。

 宗教に走るより、彼氏彼女に走るほうがまだ理解できるよね。

  

 それはそれとして、俺はゴミカススペックなので、彼女とか相手に迷惑からって思うんだけど、そういう奴でも宗教ならOKっぽいじゃん。

 なにも、たかろうとか、そういうんじゃない。むしろ年代の5倍くらいは稼いでるから寄付してもいいくらい。

 宗教心持ってるフリして、週1で祈ってるフリでもして、迷ったら宗教的判断するって決めて。そういう風にしたほうが楽じゃねーのかなって思ったしだい。

 いのちの電話に頼るより、自殺率下がりそうじゃん。

  

 でも、何を信じればいいんだろうねえ。親にも相談するけど、母親は、人生行き詰った人にとある宗教を勧めていた。母親自体無宗教だけど、どーしても困ったらなりふり構うなよって感じで、まあ慈善だな。

 母親も、金を他人に貸しまくってるし、寄付とかもしてるみたい。まあ金持ちからそりゃねって感じだけど。

 じゃあ、俺もいいんかなーって思う。

 けど、じゃあ、何がいいんだろ。

 安全な奴がいい。

  

 一応、教会座禅系の仏教イスラム教はまわったことあるけど、ピンとこなかった。

 でも、なんかなあ。

  

 童貞とかでも、むしろ尊敬されそうだしねえ。

 キモオタ用なんじゃねーの、意外と、宗教って。

 宗教って、あるしゅ人間本能レベル差別を消すために一旦リセットされた世界を想定してるからリアル世界ゴミカスの俺の心の支えにもなるんじゃなかろーか。

 いつまでも二次元だけだと限界あるしさ。

2015-08-01

http://anond.hatelabo.jp/20150801151627

有り金でできるだけ遠くに行って、身分保証なしに住み込みで働けるところを探すとか。。

パチンコ屋、観光地歓楽街とか?・・・

うまく見つかるか分からないし、状況も厳しいと思われるので、

突発的に家を出て身を隠すよりは、まずはなんらかの社会制度支援団体を頼った方がいいと思う。

いのちの電話の類にも一度かけてみては。

2015-07-25

http://anond.hatelabo.jp/20150720225509

悩んで勇気出して病院電話したら予約でいっぱいですと言われた。

心が折れかけた。

誰かに話だけでもと思っていのちの電話にかけようかと思ったけど、繋がらなかったら本気で絶望してしまいそうだから電話しないという選択をした

多分大丈夫だろう

今までもなんとかなったし

そう思って秋までがんばろう

2015-06-10

http://anond.hatelabo.jp/20150609025200

絵に描いたようなうつ状態だ

内容から察するに妊娠中?

今すぐいのちの電話でも友達でもだれでも頼れそうな人に連絡とってほしい

旦那があの増田読むのが一番いいんだろうけどな

増田でこんなキレイ事何の意味もないかもしれないけどだれかに助けろと図々しく頼っても許されるはず

どうしてこんなになるまで放っておいたんだ(画像

2015-02-17

http://anond.hatelabo.jp/20150217183919

いのちの電話とかどうでっしゃろ

本当は旦那さんがかけるトコかもしらんけど、最初はあんたがかけて落ち着くのもええんちゃう

向こうはヤバげな人に接するやり方もよう知っとるやろし

あと、旦那さんはただ忙しいだけなんかな

仕事で大きなミスしたとか、何かあった可能性もあるんちゃう

2015-01-18

いのちのでんわと毒親のはなし

いのちのでんわと私の両親について

ちょっと私の体験かきたくなったので書いてみます


小学3年生の時です。

その時はたしか女の子友達とその子のおうちに遊びに行って家庭科で教わった縫い物して遊んでいました。

私は刺繍から1本の糸を取り出すときははゆっくり引っ張らないと残った方が塊になることを知ってたけど

友達はしらなかったんだよね。それで刺繍糸はぐちゃっとなった。

頑張ったけどほどけなかった。

もう私はかなり怒って泣いた。

当時私はいじめられっこで貧乏でいつも発狂寸前だったからそんな怒り方は私にとっては不自然ではないんだけど

自分でもなんかいつもと違う、怒りすぎてるって思ってた。


普段だったらその子含む友達に徹底的に言い負かされ、または呆れられて

私の発狂もその日のうちにはきちんと後悔に変わっていってたんだけど、その時にかぎってその子申し訳なさそうにしてたはず。外で遊ぶと一番怖い子だったのに。

の子ちょっと特殊なおうちでお父さんが怖かったから、おうちではいい子にしていなきゃいけなかったのかもしれない。


私は自分でもなんでそんな小さなことでって思いながらも発狂し続けた。

母は困った顔をして他の色があるでしょ?と笑顔で言った。

父には発狂した姿は見せていたが理由は話さなかった。

家に帰っても次の日になっても発狂していた。

学習用の裁縫セットは私が持っている物のなかで一番立派でみんなと同じ金額のものだったからだと思う。


そのうち死にたい死にたいとほんとに思えてきてしまって、でもいのちのでんわに電話した。たしか学校で冊子をもらってとっておいてたんだと思う。

夜だったけどその時はわりとすぐ繋がって若い女性相談員の方が話をきいてくれた。

そしてふたつのことを教えてくれた。

ひとつは「その子は悪気があったんじゃないんだよ。」

ふたつめは「ただしい使い方を教えてあげればいいんだよ。」

当時もそんなんわかっとるわ!とか思ってたはず。

でも電話を切るときには

正義感が異常に強くて良い子ぶりっこの、いつもの私に戻ってきちんとお礼がいえた。


当時の母は貧乏と祖母のいじめのせいでいつも縮こまっていた。

父は酒をいつも飲んで怒ったり激励したりしていた。私を。

いのちのでんわの女の人が私の両親の代わりになってくれたなあ。


別にすごいカウンセラーじゃなくても、完全に第三者として聞いてくれる人がいてくれたから私は癒されたんだと思う。(お姉さんごめん)

大人になれば第三者って友達ーとか精神科医かいろいろいるけど子供はいないからね。


もし近くにこどもがいて、困っているようだったら

いのちの電話相談してみたらー?なんて気楽に進めてほしいなあと思います

あなたはその子の両親と繋がりがあるから完全な第三者としてその子の目に映らないと思うんです。

しかしあの時のお姉さんにマジ感謝

自分がどんな環境でも関係ない、きれいに正しいことを教えてくれた。

書いてて私はこれからも心がけよう、と思ったよ。

2014-08-30

新卒からグレー企業渡り歩いた話 ②前職との邂逅

そんな状況もあり恋人には状況を打ち明けるのも気が引け、家族にも本音は言えず「いのちの電話」も私の話す内容にうなづき人形のように「うんうん」としか

答えないだけ。

そんなこんなで「希死願望」すら浮かぶようになってきた。

だがしかし、ここでなんとか地元のハ○ーワークで「1件の求人」を見かける。

それが前職となる企業である

その企業は隣町にあり「官公庁から受注した工事をメインに事業を行っている」という学生目線からみても安定した会社であった。

各種保険完備。交通費は全額支給である。文句は無い。

そこに早速電話をし、自らを専務と名乗る女性と話をし面接の日時を決定した。

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