はてなキーワード: いのちの電話とは
誰にも話せないから。
その人は自転車の前後に1人ずつ子供を乗せて、スーパーに来てた。
子供を抱っこしてカートを押して買い物する姿は、優しそうなお父さんだった。
その間、誰とも連絡をとらなかった。ずっと1人でいた。
教授からは見放されたし、急に姿を消した私に友達はよそよそしくなった。
その人は私の存在に気づくと、驚いた顔をして、子供たちを自分の後ろに隠した。
私が悪者みたいだった。
精神科でも、いのちの電話でも、あなたから誘惑したんじゃないかと言われた。
私は、未成年で、泥酔させられて、知らない場所に寝かされて、拒否したにも関わらず、面識のないその人にレイプされた。
疲れてるしうつ気味で仕事もうまくいかずお金もない、もうだめだ、そうだ、いのちの電話にかけようって藁をもすがる思いでかけたらずっと話し中。
次の日もその次の日も。
何なの?この国はたくさん国民に働いてもらってたくさんお金が欲しいんじゃないの?元気ならそりゃきちんと働くよ。
じゃあ退勤後疲労と抱えてしまった嫌なことで潰されそうな遅い夜に頼る健全なところ作ってよ。
普通のカウンセリングは要予約で常に混んでるから飛び込みは基本的に無理。
いまかかってる病院の患者じゃないとダメとかルールがあることも。
しかも予約は満員で1ヶ月後になることもザラ。土日は基本無理なので有給とってまでして平日に行かないといけない。
なんで?死にそうなのに1ヶ月最悪の状態で無理に生きて有給まで使わないけないの?
もしくは資格の効果も定かではない謎のおばちゃん(中年になって暇を持て余しよくわからない資格を取った系おばちゃん)に1時間一万円ぐらい払って話聞いてもらうとかになる。
地獄か
この世は地獄か
今ものすごく弱っていて、誰かと話をしたいのに。こういう時に話をできる友人が僕には1人もいない。ちょっと死にそうになっていて、誰かと自分が今何をしたいのか何をしなきゃいけないのかそういうのを話したい。
いや違う、そういうのではなくてただただ楽しい話をして元気を出したいんだけれども、僕にはそういう話ができる友人がいない。まるでいない。楽しいことがわからない、誰かと共有できる楽しいこと。創作が好きだったけど、今は創作自身が苦痛で、物語が好きだったけれども、今は物語のことを考えたくない。
美味しいものを食べに行くと言うことも楽しみではない。友人と共通の友人の話をしたりして、どうでもいい話をして人は自分のしんどいことやそういうことをごまかしたりするんだろうけれども、そもそも友人がいないので僕には共通の友人と友人の話をするということができない。
毎日を生きる上で、やらなければならないことがたくさんあって、家族の上で、家族が嫌うので、そーゆー人間関係を、全部断ち切ってきた。そのツケがいままわってきてるんだけれども、その時は家にどういう選択肢があったのかわからない。生きているのはもうそれだけでしんどい、誰かに助けて欲しいと思うけれども、助けてくれる誰かいない。
いのちの電話に電話してみたけれどもずっと話し中でつながらなくて、あーこういうものって全く役に立たないなぁって思った。
何もすることができない。体中からエネルギーが抜けてしまって、頭の中で、これから作るもののイメージやディティールが、全く像を結ばない。昔はできたのに。
昔はできていたことがどんどんできなくなる。年をとっていると言うこともあるんだけれども、やりたいことや欲しいものを我慢して我慢するのも疲れるので、心の中からそういう願望そのものを削り取って、何も感じなくなるようにしてやりすごした結果こんな感じになってしまった。
人が何かを作るときや行動するとき、新しいことを始める時、それ以外でも何かはがんばる時に必要な事は欲望だと思う、それはそのやらなければならない事とつながってなくてもいい。何か欲しいものやりたいもの、そういうのがあるからこそ人は頑張れるんだと思う。
昔は、やりたいことが、あったはずなのに、今はもう、思い出せない。パソコンの奥にいくつかメモがある。やりたいことの企画やしたい事のリストにもならない残滓。でもそれを見ても、今の自分には、それが一体何なのか、理解できなくなっている。
疲れた。本当に疲れた。本当に休みたい。休みたいけれども、やらないとならないことがたくさんあって、休むことができない。休むことができないけれども、そのやらなければならないことが、力が全然入ってこなくて、やることができない。
生きるのがただ辛い。ずっと辛い。この10年間ずっと辛い。朝起きたら偶然死んでないか、そういうことを望んでいる。死ぬと困る人がたくさんいて、死ぬこともできない。でも生きるためのよすがが全くどこにもない。
欲しかったものが思い出せない、何かのために頑張りたいけど、その何かがどこにもない。誰かに〇〇のために頑張れと言われて、それは世間一般的にとても正しいことなので、本当に自分のしたかった、多分、世間一般的に見て、正しくない歪んでいる事、誰かを傷つけること、そういうことを、自分の中から追い出していた結果、いつの間にか、空っぽになってしまった。
偽物の願望は、やっぱり偽物で、頑張れば頑張るほど、どんどん虚しくなっていく、疲労だけがたまる。折れそう。
10年間患った鬱は結局直らなかった。双極性障害、つまり躁鬱病の二次障害としてのうつ病で、また、もともと発達障害の部分があり、つまり生きるのが辛い、普通に生きてても、社会との軋轢がすごいあって、ただただ削れる。
ただ、小さい頃からそんなふうにずっと削れていたので、そんなふうに削れて辛いのは当たり前のことだと思ってた。辛いのにもうきついのにも慣れていた。
も慣れるのと、体が耐えられると言うのは全く別のことで、大人になって会社に勤めだして数年が経った時に、倒れて動けなくなってしまった。
ずっと生きるのがきつくて、もう、高校生ぐらいから、ずっと朝起きたら死んでいたらいいのにと思っていた。だから倒れてこのまま死んでしまいてたらそれでいいと思っていたけれども、当時恋人がいて、恋人が悲しむし、家族も悲しむので、死ぬわけにはいかなくて、なんとかすごくきついの耐えて頑張ってる、そろそろ限界だけど。
それから結婚して、子供ができた。子供作った理由は、子供がいれば、自分が死んでも死んでいなくなっても残った人間は、自分のかわりに子供を糧にして、生きていけるだろうと思った。とりあえず自分がいなくなっても何とか持っていけるようにしたかった。自分がなくなって大丈夫な状態を作りたかった。
結局失敗して、子供の分、さらに生きて行かなきゃならなくなったし、お金も育児をしている分だけ働ける時間が少なくなって、厳しくなった。働きたいけれども働けなくなった。本当はお金を貯めて自分がいなくなる分の先の分をなんとかしたかったけれどもどんどんどうにもならなくなっていく。
借金を返すために働けば働くほどなぜか借金が増えていく、吉原の風俗嬢みたい。または昔の遊女とか。
働きたくても、働く時間が作れない。いくらか仕事の企画やアイディアしたいこともあったけれども、そーゆー部分にさく、時間や精神的なメモリの余裕がなくて、できないタスクに、ずっとメモリの1部を使い続けているわけにはいかなくて、自分のしたかったことを削ったみたいに、そのアイディアやそれを必要とするための脳の機能、考え方、その他必要なアプリみたいなものも一緒に削ってしまった。そうしないと育児ができなかったから。
自分のような、アスペルガー気質、いや、アスペルガーの人間にもいろいろいるから、これは自分自身だけの問題で、自分には育児が、本当に大変だった。能力的にものすごく厳しかった。連続して長い間ひとつのことに集中せずに、いろんなことをマルチタスクで集中してみると言う事はものすごく疲弊する。子供を育てると言う事は、ものすごくマルチタスクの能力と判断力を要求される。睡眠時間を取らないとものすごく判断力が鈍るけれども、子供は夜中に起きるので全く寝ることができない。予定を組んでも必ず子供が風邪をひいたり急な病気になったりとして絶対に予定通りにはいかないんだけれども、自分の特性として予定通りに物事が運ばないとものすごくダメになる。その後計画していた予定すべてをする気力をうしなってしまう。気合でどうにかできるものではないと言うことをこの10年で思い知った。
若いうちは若さとかエネルギーとかそういうので無理矢理自分の気質を捻じ曲げていたのだけれども、結局それによって削れてしまって倒れてしまって、それからはもう、本当に無理が効かないようになってしまった。
ただ育児は無理をしないとどうしようもない。もっと自分を削って行かないといけない、自分の欲求や自分を形成している1番大事な部分、そういう部分のタスクを削って育児に、割いて行かないといけない。もともと他人との生活が難しくて、人と暮らすと言うことで削れていっていた分がますますひどくなった。
死にたいって思ってるずっと。それが無理ならせめて1人になりたい。
自分のこういうような性質。何かをするエネルギーが外から持って来れなくて、限界を超えたときに、そうやって自分自身を削れば何とかなると言う性質、マルチタスクができなくて、すごく集中すれば人と会話をしたり子供と楽しく生したりはできるけれども、それがものすごく体力を使うことだということが妻にもわかってもらえてなくて。
少し前のテレビ番組であったらしいんだけれども、発達障害のピアニストの人が、生徒に教えるとき、いつもはのだめカンタービレの主人公のようにふわふわとしているのが、ものすごくしっかりとした、音楽の先生のようになって教えていたと言う。ただ30分が限界でその後はばったりと倒れこんでしまうと言う。
自分も同じで、無理をすればできる。無理をしないとできない。その2択なのに、できる範囲でとか、困る。後で倒れるならやめてと言われてもどうしても倒れてしまう。それ以上頑張ろうと思ったら、自分の精神自体を、削っていくしかない、削ったら何とかなる。だから何とかしてる。そういうことをずっと小さい頃からやってきて、でもそろそろ本当に限界みたいだ。
多分これを読んでいる人は、これが一体何を書いているのかほとんどわからないと思うけど、何か生きづらい人がたくさんいるはてなだったら、何人か分かってもらえると思う。
もう無理がきかなくなってきていて、大体1年位前からで、頭が何かを考えることができない。手癖のようなもので、仕事をしているけれども、どんどん質が下がっていく。今作っているものはとても商品になるものではないと思ってる。でもそのクオリティを上げることができない。ディティールが想像できない。
がんばらないといけないんだけど、気力だけではどうにもならない位の力がなくなってしまっていて、気力自身も振り絞るのが難しい。
失敗した、僕は失敗した。僕が失敗した。
若かりし頃(とは言ってもそんなに若くもなかったか)既婚男性に熱烈に恋し、一方的に言いよった挙句関係を持ち、その後「このように軽々しく関係を持ってしまうような女子はちょっと」みたいなことを言われた増田です。どうも。
当時一人暮らしで、なにを思ってか友人関係をほとんど断絶した上で徹底的に体を鍛えるなどし、まぁ客観的にはメンヘラだったわけなんですけども、ひとり嘆くのも苦しいので連日いのちの電話に相談しているような日々を送っておりました。
その中で聞いたいくつかの呪いです。
悪い事とは思うが、なぜこんなに真剣に好きになった人に軽べつされなけれびならないのか、と問うた時の回答。
「今は分からなくても、いつか強烈に分かる時期がくるよ」
「そのうち自分に返ってくるでしょうね」
完全にこれらの言葉を忘れてたんですけど、今日仕事中なんとなく思い出してしまいました。
これって、「いつかあなたも浮気されるでしょうね」って事ですよね。
あのとき私、真剣に泣いて、だれでもいいからすがりたかったんですけど、それでもそんなこと言われなきゃいけなかったんですかね?いのちの電話の人に。
という行き場のない思いを持て余す夜なのでした〜。おやすみ
増田に書けばよちよち辛いでちゅね~って言ってもらえたのにね
一気書き怪文書こゎぃ
というわけで、ネット特有のスラングやネタ等が含まれるため、そういったものが苦手な方は
ブラウザバックか注意して読まれることをおすすめします。某手書き劇場じゃないけども。
24歳、学生です(大嘘)
そんなこんなで人生を歩んできたわけだが、一種の詰みという状態になっているわけだ。
具体的にどんな詰みなのかは、ここでは言及を避けておく。避けておくが、借金で首が回らない等の絶望的な感じではない。
感じではない、が、それだけに、ぬるま湯から少しづつ熱湯へと変わる水に気づかないで茹でられてしまうカエルのような、そんな最悪な気分であり状況であることは言及しておく。
そんな状況になったのも、色々な問題から逃げてきたせいだと思う。世の中すべてが自己責任なのだ。全ては自分のせいであり、他に原因を求めても仕方ないのだ。
思い返すに、一番最初に思い出せる逃げた経験は、進研ゼミのチャレンジ、特に赤ペン先生だったように思う。
一時はそれを取り返そうと、一年分の赤ペン先生提出用小テストを送ったものだ。懐かしい。
部活動の選択、いじめ・イジりからの脱却、文系・理系の選択、大学の選択、単位の取得、あらゆる勉強、交友関係、就活、エトセトラエトセトラ…
よくある感じのクズ人間だ。こうはならないようにと、心がけてきたつもりだったのにな、心がけてきただけで、実行できなかった。
なんだか怖かったんだな。実行に移すのが。まるで自分が食べることのできる大切なケーキがどんどんなくなっていくようで。
一方で、ネットにはハマった。これはもうホントに、見事にはまっていった。
まずは、中学生らしくG行為のネタだ。まずはそこら辺に転がってた18禁小説から。
クリスマスプレゼントかなにかで買ってもらったPSP1000をいじっていると、
どうやらネット機能を使えるということがわかり、若い時のドキドキを携えて恐る恐る「エ ロ」と検索したのだった。
検索エンジンが何かまでは覚えていないが、トップ近くに出てきた(であろう)18禁小説を適当に選択して読んでいた。
寒かったことも手伝って、布団に丸まって片方の手を股で挟んでいると…というテンケテキな精通を迎えたのであった、まる
今でも何故か覚えているが、最初に読んだのは姉妹のレズものだった。文体は単純なのに「ふ…ふみゅ!?」とかいった
それから、森の奥の吸血鬼姉妹のもとに仕えることになったメイドと姉妹のふたなりものとか(今でこそそれが東方Projectの二次創作だったとわかるが、当時は全く知らなかった)
社会人とヒモの物語とか、コナンの虹エロ小説のみを掲載してるサイトだとか、お寿司をホニャララに突っ込んでズルズル吸い上げるとかいう今から見ると嗚咽もののものまで、
情欲が満足するまで、ひとり夜のベッドの中で励みまくった。
そのうち小説では飽きたらなくなり、フリー公開のエロ漫画や、同人マンガっぽいものがうpされているようなサイトまで足を伸ばしていった。
そういえばえろまんがわーるどってサイトにだいぶお世話になった記憶がある。今どうなってるんだろうな。
そこから、他のネット文化に親しむ様になるのに時間はかからなかったように思う。
それこそ、上に書いたえろまんがわーるどでオナネタを探している最中に見つけた東方Projectの二次創作の同人マンガを見つけて感動し、
東方Projectとその二次創作郡(主に同人マンガ)に見事にはまっていったし、
もう黄金期は過ぎていたが、Flashのまとめ倉庫みたいなサイトを見つけて、Flash動画にはまっていったし。
2ちゃんねるへの書き込みとかも興味があったけど、なんだか殺伐とした雰囲気に「半年ROMれ」という格言も手伝って、ほとんど書き込みはしなかった。
受験勉強ほっぽり出して、冬でかじかむほど寒い中、東方星蓮船をひたすらキーボード使って、最後の白蓮の弾幕をよけながらクリアしてたっけ。
そうして辿り着いたのが、ニコニコ動画だった。
学校でいじられ続けて病み気味になっていた俺を元気づけてくれた、唯一と言っていいほどの存在だったのだろう。
そこで親なり担任なりいのちの電話なり、周りの大人に頼っていれば、道は違っていたのかもしれないが、
ドナルド、エア本、フタエノキワミ、チャー研、レスリング、最近では淫夢等、Flash動画時代を髣髴とさせるMADを食い漁るように探して見続けた。
東方にもはまっていたので、ニコニコで勢力を拡大しつつあった、同人マンガの延長線上のようなジャンルである「東方手書き劇場」も、ホント漁るようにして探して見続けた。
それだけだと飽きちゃうので、台頭し始めていたMMD系列や、サービス開始当初から人気だったVOCALOIDも時々見ていたけど、やっぱりMADと東方手書き劇場が主軸だったかなー。
みんなはどうなのかわからないが、俺の予測だとハマっているコンテンツがまずあって(つまり特定のアニメや漫画や音楽や小説があって)、
それを共有することや二次創作的な作品を見たい・作りたいって思いからニコニコ動画に登録し始めると思う。
俺も東方ProjectやFLASH動画で頭を金槌で打たれて人生が震えた人間なので、その一人といえば一人なのかもしれないが、
むしろニコニコ動画で昨今のサブカル(主にアニメ・漫画的な意味で)の流行を知って、それらにハマっていった記憶が強い。
イカ娘とか超電磁砲とか日常とか。あずまんが大王なんか、空耳ケーキのMAD見てなかったら存在も知っているかどうか怪しい…ってのは言いすぎかもしれないけど、多分「これは名作なんだな」なんて認識は
確実になかっただろう。
特に、深夜アニメ放送という概念が存在しない都道府県に生まれた身としては、身につきすぎたぐらい身についたのではないかと思う。
俺はそうして、サブカル(主にry)に関する基礎中の基礎となる知識を身に着けていったわけだ。
そんな生活をする中で、今までの勉強量という貯金を切り崩して見事よくわからん国立大学に合格したわけだが。
まわりが「よし!大学生活遊び放題だね!」と言ってくれる中、俺はそんな楽観的な観測はとてもできなかった。
その頃にはもう就活生の悲喜こもごもが聞こえ出していたし、そもそも大学選びの時点で俺はものすごく憂鬱だったのを覚えている。
「お前はこれから自分の足で立って、自分の足で生活して、自分の責任のもとで生きていくんだ」と宣告されているような気がしたから。
それを好意的に受け止める人種がいることも、今は知っているが、でも大体の、敗北を知っている少年少女たちは、青年たちは、不安と不安でいっぱいだったんじゃないか?
悲喜こもごもの悲に入ってはダメだ!、と自分なりに大学生活でやらなきゃいけないことを色々意識して、頑張って頑張っていい社会人になるんだ!
ぐらいには頑張ろうと息巻いていた。たくさん読書して、たくさん学部の専門科目を勉強して、できるだけ早く単位をとって、卒業研究も今のうちに足場を固めてしまって…
もうおわかりだと思うが、結局どれも実現しなかった。4年間通して。草生えますな。
機会損失という概念がある。なにか始めるのには、結局何かを、上で書いた例だとケーキを諦めなければならない。どのケーキがどれだけなくなるのかがわかっていればまぁあきらめも付くというものだが、なんと失ったケーキの種類も量も正確にはわからないというのがこの世のニクイところである。
俺は大学生活というあまりにも貴重だとわかりきっている時間に、勉強も遊びも将来の担保も全部全部つめ込まなければならないと思うあまり、何にも手が出せなくなってしまったのだ。何かを諦めるという、その勇気がどうしても出せなかった。
と書けばなんだかかっこが付いたふうだが、単にやる気がなかっただけだと思う。根性がないよね。だって全部詰め込んでる人は、それこそネットを探せばいくらでもいたし、周りにもそういう人はいたんだから。
一日一日を後悔しながら、ニコニコ動画を始めとしたネット文化・サブカルへはもっとハマっていった。そこで、俺はサブカルには詳しいんだぜという変な自負心も生まれかけたんだけど…
大学の友人たちが、そんな自分のちっぽけな自負心をも打ち砕いていった、という、またテンケテキテキなパターンになった。
一人は俺よりニコニコ動画歴が長く、尚且つ知っているジャンルもあまりに広く、信じられない程深かった。それに、プラモデル、ゲーム、その他のサブカルにも造詣が深く、もう尊敬せざるを得なかった。
二人は一つのジャンルを突き詰めに突き詰めていた。宇宙語と俺には思われる言語で会話して、なおかつ他のサブカルに関しても基礎的な知識をちゃんとおさえていた。
なにより、ひねくれた俺よりよっぽど常識があって、性格のいい奴らだった。
もう俺は、ひねくれて性格が悪い上に唯一ほかより得意で知識のあるネット文化・サブカルですら圧倒されているこいつらはなんなんだ。そんなことよりそれに比べた俺の価値の無さは何なんだ…唯一深い知識があると思っていたジャンルにすら引けを取る俺の価値の無さは…
そんな感じのタコツボ化でもう自分がいよいよ嫌になったり、ついでにニコニコばっかで学業をまともに修めていない自身の将来の不安がますます増えていったりした。
突然だが、俺の将来の夢はマンガ家だったりする。
上記の偏歴を見ればまぁ予想はつくだろうが、好きなマンガを描いて楽しく生きていきたい。そういう意味では、マンガ「家」ではなく、「趣味」マンガ、なのかもしれない。
その他にも、MADを作ったり、音楽で既存の好きなゲームリミックスを作ってみたり、SSみたいな小説を書いてみたり、3分くらいのアニメ作品を作ったり、スレを立ててコピペとして受け継がれる書き込みしたりと、そういう、ネット・サブカル文化に深く関わって生きていきたいと思って生きている。
そして、そういう活動を、大学のうちに出来たはずなのだ。出来たはずなのに…
思えば、学業も、ニコニコ・アニメ・マンガ・小説・絵その他ネット・サブカル文化に関する活動も、資格取得や就活等の将来に対する投資も
中途半端どころか、自分のやりたいこと・やるべきことが何も達成できない、真空もびっくりの空虚な生活になってしまった。
4年間だ。4年という歳月をだ。
願うなら、この後悔を一緒に大学入学のあの日に持って行って、もう一度やり直したい。
いやそれができるのなら、高校入学のあの日まで行って、部活選びをやり直して、もっと必死に勉強したい。
いや、やっぱりそれが叶うのなら、中学入学のあの日まで行って、やっぱり部活選びをやり直して、もっとまともな交友関係を築きたい…
思えば、俺がアニメにハマったのは、マンガにハマったのは、ニコニコにハマったのは、Flashにハマったのは、東方Projectにハマったのは、エロ同人にハマったのは、18禁小説にハマったのは、PSPでネットに助けを求めたのは、
結局何かから逃げ「続けた」からじゃないだろうか、と、今振り返って考えてみると思う。
なんだか、この文章を書く前と結論が違っているような気がするが、やっぱり文字に起こして出力してみるって違うんだね、と。
学校での日々のイジり(悲観的に捉えれば、いじめ?)や勉強からのストレス、将来への得も知れない不安から唯一開放されていた、このPCの窓。そこから広がるインターネッツ。
そういえば、今これを書いている時と同じような、肌寒さもいよいよな低音の中、ひたすら「インターネットしていた」な。あの頃の俺は、何かのバランス感覚を失っていたんだと思う。
そしてそれは、社会人として仕事に勤めている今にも、強い影響力を残している。
帰ってからもずっとネットにかじりついてるし、土日はほとんど外に出ないで、頭が痛くなっても構わずアニメを見て、マンガを見て、MADを見ている。
別にそれらは、異常なことじゃない。もともと、異常か正常かということを言い出すこと自体、なにかものさしを使っているということだ。
この場合、俺の今住んでいる地域で、コミュニティで、ちょっと異常だということが言えるくらいで、さして間違った生き方ではない、と俺自身は思う。
思うが、それは、きちんと仕事と趣味を両立して、充実した人生だと思えるような、色々な意味で自立した人間が生きるべき生き方であるとも、誰よりも俺自身が思う。
そして何よりも、俺自身が、今、そうではない。
今、実は岐路に立たされている。時間は1年と無い。始めの方に書いたように、具体的にどんな岐路なのかは書かないが、やっぱり岐路であることに変わりはない。
先日、俺が大好きなブログで、戦後70年をテーマ的なものにして、ブログ主がこういった趣旨のことを書いていた。
「戦後左翼思想家は、敗戦の総括をしないと前に進めないといって、政府が現実の問題を四苦八苦して解決している中、ずっと空論や理想論を掲げ続けてきた。戦争とは、平和とは、と。それも戦後半世紀近くずっと。それは、理想論を突然語り出す中高生と同じ。自身の親が抱える現実的な問題に、いつか自分もぶつからないといけないんだと知った時、現実逃避して、問題を先送りにしている。その中高生たちとおなじだよね。」
前半の思想家の部分が本当なのかどうかはともかく、大事なのは、後半の「問題を先送りにしている」という部分だ。
俺はおそらく馬鹿であるため、理想論など掲げることもなく、ただひたすら目の前の問題を見ないよう聞こえないようにするために、ひたすらネットとサブカルの世界に没頭し続けた。
そして、大人に「なってしまった」今、その先送りにした問題が、いま目の前に、もし解決していた場合と比べてとんでもなく性質を悪くして立ちはだかっている。
ところで、最近キルミーベイベー熱が再燃した。どしたのわさわさなんでもなーみん。あの歌詞にあんな深い意味が込められていたとはね…
そんなキルミーベイベーにハマるキルミストたちがいつも貼る、あのチャーリー・ブラウンのAAをみんな知っていると思う。
(崩れちゃうかな?)
,, _
/ ` 、
/ (_ノL_) ヽ
/ ´・ ・` l キルミーベイベーは死んだんだ
(l し l) いくら呼んでも帰っては来ないんだ
. l __ l もうあの時間は終わって、君も人生と向き合う時なんだ
> 、 _ ィ
/  ̄ ヽ
/ | iヽ
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もう、死んだんだと思う。何とは言わない。言わないが、俺ももういい年なんだ。
もうあの時の、Flashやニコニコや東方Projectにハマっていたあの時の輝きに満ちた時間はもう終わっていて、もう死んでいて、もう腐っているんだと思う。
逃避し退避し、遠ざけていた人生と、強制的に向き合う時期が来てしまったんだと思う。
それに加えて、アニメも、マンガも、ニコニコも、ここ最近そこに割く色んな意味でのリソースなんか無いことに気づいた。
岡田斗司夫が、「強いオタク」と言っていたが、この定義からすると、ありとあらゆる中傷があっても、理論武装でも何でもして、自身がオタクであるということを保っていくことこそが「オタク」である条件だった時代があったらしい。
正直、それは今も変わらないところがあると思う。どんなに仕事が忙しくても、どんなに私生活が忙しくても、アニメを、マンガを、ラノベを、その他サブカルに使う時間と金だけは絶対に惜しまない、その体力だ。
俺には、そんな心の強さも体力も理論武装するような頭も、何もかもが資格不足だった。
もともと俺には、向いていない趣味であって、生き方であったということを、ここ数年間で、嫌というほど味あわされてしまった。こんなにネットとサブカルに関わるあらゆる物事が大好きなのに。
でも、資格が不十分だった。ちょうどある一定の身体条件を満たしていないと、宇宙に行くことができないように。目が見えないと、運転免許が取れないように。
俺には仕事と炊事洗濯等の基本的な私生活を送るだけで、どうやら大半の脳のリソースを使ってしまうようで、そこにネットとサブカルを放り込むと、何もできなくなってしまう。どんなに頑張っても。
現実は、そういうことだった。
俺は、大したことのない、ただの平凡の、平凡以下の、ただの、しがない人間だった。
一発逆転の、いきなり三千院状態にならない限り、俺は大好きなマンガにもラノベにもアニメにもゲームにもイラスト制作にもMADにものめり込むこともできない、まとめサイトで斜め上からのニヒルでひねくれて皮肉が効いたあの空気を共有することもやっとの、平々凡々とした、無趣味な人間だった。
とりあえず俺は、目についた片っ端のウェブサービスからアカウントを消していった。
TwitterやらPixivやら、ニコニコ動画でのチャンネルも次々退会していった。
思えば、高校からずっとの付き合いだった。
俺はニコニコで笑い、考えさせられ、知識と知恵を学んでいった。
ニコニコは俺の青春のすべて、とは言わないが、俺の青春の明の部分であり、花であり、やっぱりほぼすべてだった。
音楽も思考も動画コンテンツも、そしてそういったものの質の善し悪しも、全部ニコニコやそこから派生したものから学んだに他ならなかった。
ニコニコのネタを通じて大学で無二の親友たちができたし、どんな嫌なことがあっても、ニコニコがあったから笑って、なんとなく流して、なんとかやってこれた。
ニコニコは、やっぱり俺の人生を、とんでもなく支えてくれたと同時に、俺がダメなハマり方をしたせいで、こんな状況を招いてしまった。
俺はニコニコ動画を、退会した。
もちろんニコニコ動画と決別するわけではない。ましてや、俺の思考や趣味趣向の基礎基本を叩き込んで、教えてくれて、俺を最高に楽しく生かしてくれた、ネットとサブカルと決別する気なんか毛頭ない。
いつか、経済力も、思考力も、精神力も、色々なものが「大人」になってから、それから戻ってくる。それだけの話だ。
文字にするのはそれだけで、実行していくのは、きっととても遠い話だ。
もしかしたら、一生戻ってこれないのかもしれない。
それはそれで、そういう運命だったというだけもお話だと思う。運命という言葉がなんかアレなら、その程度の才能、身体、能力、DNAしか持っていなかった、というだけのお話なんだろう。
先ほど上げたブロガーの言を借りれば、人類の生きてきた何京通りのパターンの中で、たまたま幸せになれなかったパターンを引いてしまった、それだけなのだと思う。
それでも、俺はニコニコに戻ってくることを、ネットとサブカルの中で再び熱狂する日に戻ってくることを目指して、どんな手を使ってでも、(いくらかの倫理と法律を守った上で)脳みそパンパンになってはじけ飛んででも、突進していきたい。
とりあえずそのために卒業式を自作自演し、なんとか卒業していった。
24歳、学生でした。
そういえば、ニコニコ動画のアカウントを削除するにあたって、特に好きな東方手書き劇場動画と、懐かしのFLASH動画まとめ動画をみていたわけだが、
Flash動画の中でも、知っていたものは良くて半分くらいだったのが、ちょっと衝撃だった。
「おいおいこれを知らないとはモグリのにわかめー」と、Flash職人であるポエ山の作品「quino」を知らずに友人にからかわれたことが一度だけあるが、それもわかる。
うさんくさい雰囲気とか高額な寄付金とか社会的信用・評価あれこれ問われずにさ、カウンセリング利用してる、くらいの感覚で。
そういえば、いのちの電話ってつながらないって評判だよなと。これで救えなかった命もあるんかなってポチポチぐぐった。
で、いのちの電話と同時に、宗教の広告も出てきて。ん?そういえば、宗教とかも自殺率下がるんじゃないの?って思った。
で、俺、まあそういうのに目が行くってことは疲れてるし追い詰められてるんだけどさ。
宗教とかやってればもうちょいメンタル強くなって、頼れる牧師だの坊さんだのに相談したりできたのかなって。
個人って理性だけで行動してると無理が来るけど、その無理に耐え続けるのってどーも難しい気がして。
宗教でもやってりゃよかったのかなって思った。
結婚してろよって思うかもしれないが、結婚生活なんてとてもじゃないができるもんじゃなく、発達障害のマジ基地だし。
で、ああ、だから皆彼氏だの彼女だのって作るのあかなって思った。
こういう追い詰められたときに、相談に乗ってくれる年上に~ってなんでだよ?リア充って低脳なの?って思ったけど。俺が今宗教に惹かれてる時点で端から見たらなんでだよって感じだわな。
それはそれとして、俺はゴミカススペックなので、彼女とか相手に迷惑だからって思うんだけど、そういう奴でも宗教ならOKっぽいじゃん。
なにも、たかろうとか、そういうんじゃない。むしろ同年代の5倍くらいは稼いでるから、寄付してもいいくらい。
宗教心持ってるフリして、週1で祈ってるフリでもして、迷ったら宗教的に判断するって決めて。そういう風にしたほうが楽じゃねーのかなって思ったしだい。
でも、何を信じればいいんだろうねえ。親にも相談するけど、母親は、人生行き詰った人にとある宗教を勧めていた。母親自体は無宗教だけど、どーしても困ったらなりふり構うなよって感じで、まあ慈善だな。
母親も、金を他人に貸しまくってるし、寄付とかもしてるみたい。まあ金持ちだからそりゃねって感じだけど。
じゃあ、俺もいいんかなーって思う。
けど、じゃあ、何がいいんだろ。
安全な奴がいい。
一応、教会、座禅系の仏教、イスラム教はまわったことあるけど、ピンとこなかった。
でも、なんかなあ。
宗教って、あるしゅ人間の本能レベルの差別を消すために一旦リセットされた世界を想定してるから、リアル世界でゴミカスの俺の心の支えにもなるんじゃなかろーか。
いのちのでんわと私の両親について
小学3年生の時です。
その時はたしか女の子の友達とその子のおうちに遊びに行って家庭科で教わった縫い物して遊んでいました。
私は刺繍糸から1本の糸を取り出すときははゆっくり引っ張らないと残った方が塊になることを知ってたけど
友達はしらなかったんだよね。それで刺繍糸はぐちゃっとなった。
頑張ったけどほどけなかった。
もう私はかなり怒って泣いた。
当時私はいじめられっこで貧乏でいつも発狂寸前だったからそんな怒り方は私にとっては不自然ではないんだけど
普段だったらその子含む友達に徹底的に言い負かされ、または呆れられて
私の発狂もその日のうちにはきちんと後悔に変わっていってたんだけど、その時にかぎってその子は申し訳なさそうにしてたはず。外で遊ぶと一番怖い子だったのに。
その子もちょっと特殊なおうちでお父さんが怖かったから、おうちではいい子にしていなきゃいけなかったのかもしれない。
私は自分でもなんでそんな小さなことでって思いながらも発狂し続けた。
母は困った顔をして他の色があるでしょ?と笑顔で言った。
家に帰っても次の日になっても発狂していた。
学習用の裁縫セットは私が持っている物のなかで一番立派でみんなと同じ金額のものだったからだと思う。
そのうち死にたい死にたいとほんとに思えてきてしまって、でもいのちのでんわに電話した。たしか、学校で冊子をもらってとっておいてたんだと思う。
夜だったけどその時はわりとすぐ繋がって若い女性の相談員の方が話をきいてくれた。
そしてふたつのことを教えてくれた。
ふたつめは「ただしい使い方を教えてあげればいいんだよ。」
当時もそんなんわかっとるわ!とか思ってたはず。
正義感が異常に強くて良い子ぶりっこの、いつもの私に戻ってきちんとお礼がいえた。
父は酒をいつも飲んで怒ったり激励したりしていた。私を。
いのちのでんわの女の人が私の両親の代わりになってくれたなあ。
別にすごいカウンセラーじゃなくても、完全に第三者として聞いてくれる人がいてくれたから私は癒されたんだと思う。(お姉さんごめん)
大人になれば第三者って友達ーとか精神科医とかいろいろいるけど子供にはいないからね。
もし近くにこどもがいて、困っているようだったら
いのちの電話に相談してみたらー?なんて気楽に進めてほしいなあと思います。
あなたはその子の両親と繋がりがあるから完全な第三者としてその子の目に映らないと思うんです。
自分がどんな環境でも関係ない、きれいに正しいことを教えてくれた。
書いてて私はこれからも心がけよう、と思ったよ。