はてなキーワード: 逆立ちとは
どこでも最近話題になるフェミの生態について、個人的には女の立場から見てもただただマウントしたいだけなんだよなぁと思っている
・全ての男が私を女扱いして女というだけの自分を崇め奉り優遇しなければ許せない
・優れた(容姿・職歴・学歴・出身・権力・社会的影響力・人種などなど)男以外の男が私を性的な目で見たり私と対等以上の立場に立つことは身の程知らずで許せない
・全ての男が私以外の女(二次元を含む)を好きになることは許せない
・私より格上の(容姿・スタイル・職歴・学歴・社会的影響力・若さなどなど)女(二次元を含む)は存在が許せない
・私より格上の女(二次元を含む)が私よりチヤホヤされることは許せない
・私より格下の女(二次元を含む)が男女問わず他人から少しでも私より優遇されることは許せない
…ってな感じで男女問わず自分の存在が何よりも素晴らしいもので、それを認めず自分以外に注目する人間や自分が支配できない人間はクソ!死ね!という思考でしかないんだよな
逆立ちしても自力で勝てない要素、特に権威については、「フェミニズム」という学術の名を傘に着たり学歴詐称することで自分は格上だと主張する
同じく逆立ちしても色んな要素で勝てない二次元は大嫌いな癖に、(自分と対等(だと勝手に認定している))女を磨いて優遇するための方法を指南する18禁一歩手前のメディア企画には規制を叫ばない
他に勝てない要素はポリコレの名の下に私の正義は社会の正義!とノイジーマイノリティ化する
LGBTは男女の都合の良い部分だけ取り上げて攻撃と守備の対象を使い分けてるという姑息さ
上で言う優れた男からハラスメントされました!って言い出す奴の話は見たことも聞いたこともない
せいぜいその優れた男が自分を優遇しなくなった時にここぞとばかりにぶっ叩くくらいだろ
女性のため!って言いつつむしろ平等と解放の意味を履き違えて女性の立場を下げるだけの言動を取る奴しかいない時点でお察しだわ
なお、何が最もイヤかと問われれば、フェミの思考は勝手だけどそれを世の中に強要してくる点に尽きる
…客観的視点を持ってまともな学術としてのフェミニズム研究をしている人は所謂上のようなフェミについてどう思ってんだろ
▪️追記
一見良識的なアドバイスに見えるが、こと性については、自分のセクシュアリティがどこにあるのか、どのような形をしているのか、きちんと素直に見据えた方がずっといいと思う。それは精神的にはもちろんのことだが、QOLやその後の人生を考えても。
結局のところ「暴走」するような性欲というのはそんなにあるわけではなくて、たとえば仮に「全裸で逆立ちして靴の匂いを嗅ぎながら乳首に針を刺さないといけない」というような趣味をもっていたとしても、社会生活を破綻させることなく生きていくことは全然できる話だ。むしろ、そういう欲望ときちんと向き合わずにどんどん貯めこんでいく方が、先々を考えるとまずい状況に陥ることがあるのではないかと思う。先の例だって、理解あるパートナーと衛生知識さえあれば、普通に安全で満足できる人生を送れるだろう。だが、自分の欲望を「普通」に押し込めようとし続ければ、発散されない性欲を抱え込んで、いずれ破綻する。
「いや、それでも一部は『暴走』するのだから自制も必要だ」と思うかもしれない。だが、「暴走」するような本物のヤバい性欲というのは、ハナから「ちょっとした自制心」で押し込められるようなシロモノではない。誰にも理解されず共有されず、異端の中にあっても異端となって、先鋭化し続け、日常生活を送ることすら困難になる。そんな人に対して「自制しなさい」というようなのは、もうアドバイスですらなく、「お前は異常者だ」というレッテル張りであり、むしろ症状の悪化を加速させる補助剤のようなものだ。
まあ、なんだ。そんなん我慢しなくていーよ。とりあえず、自分の性欲と素直に向き合うことができて、それが少しでも社会性をもっていれば、それは極めて健全なコトであり「よかったね!おめでとう」てなもんだよ。だからまあ、好きにすればいいよ。
給料の100%を毎月使い切る「金の貯まらないオタク」のテンプレだった人間が1月1日から貯金を始めて、今日までに起こった心境の変化など。
どうしても当てたいライブツアーが発表されたのが昨年末。最初はツアーに余裕を持って参加できるであろう20万を春までに貯めようという計画を立てた。1〜4月に出るお給料で、毎月5万貯めればクリアできる計算だった。
●使い道の無くなった貯金
ところが3月末にはすでに20万ちょっと溜まっていた。というのも、すでに決まってたイベントの返金が相次いで5万ほど返ってきたり、「そろそろ申し込みスタートかな?」と思っていた時期にライブツアー延期のお知らせがあったり。手元には使い道を失った20万が残った。
●目標を50万に変更
3ヶ月間の貯金生活は、意外にも負担がなかった。単に貯金計画を圧迫する現場がなかっただけなんだけど、しばらくエンタメ業界に投資する機会もないだろうし、もうすこし貯金を続けてみることにした。
私がしていた貯金は給料から毎月6万を先に抜くというもので、順調にいけば6月末で50万に到達する計算だったので、目標を50万にした。
はずだったんだけど、趣味に全力だったころの後遺症(クレカの引き落とし)のために実際は平均4〜5万くらいだったと思う。給付金とボーナスを合わせて無事に6/30で50万+に到達した。
①将来について考えられるようになった
毎月給料を使い切っていた頃は、とにかく目先の快楽を追い求めていて、「今」幸せになりたくて仕方なかった。
実家暮らしなので精神面でも経済的にも楽な暮らしをしているとは思う。でも奨学金とマイカーローンという借金を、大卒と同時に背負ったのは私には十分に重かった。絶対に仕事辞められないんだなって初めての返済月に覚悟せざるを得なかった。どちらも自分の意思で借りたお金ではあったけれど、今ははやいとこ一括返済できるように実家暮らしをとことん利用してやろうと思ってる。
マイカーローンを返し終わったら家を出てもそれなりに貯金できるようになる計算なので、ひとまずマイカーローン用の貯金計画を進めている。オタ活のための貯金だったのに、こんな風に路線変更するなんて半年前まで想像もしてなかった。
どうして毎月十数万も使ってしまっていたのか。結論は簡単で、学生時代の反動。これしかない。
大学4年間は一人暮らしをしてたけど、親からの仕送りがなかったので、奨学金とバイト代で最低限の暮らしをしていた。常に赤字だったので、家計を見直す意味を感じる瞬間もなく、とにかく毎月ギリギリの暮らしをしてた。
就職を機に家に帰ってきていろんな意味で楽になった私は、学生時代に我慢してた買い物と美容と旅行にお金を使いまくった。学生の頃には逆立ちしても買えないものを買えるようになった自分が嬉しくて、ものすごくテンションが上がった。
浪費を浪費と自覚していたから、お金を使った瞬間は楽しくても後から後悔することももちろんあった。でも使うことをやめられなかったのは、学生の頃に感じた「お金を使わないのは惨めな暮らし」という気持ちが強すぎたからだと思う。
でも、いま思うのは「限界まで出費を抑えること」と「不要なものを買わないように自分を抑えること」とは全然違ってた。欲しいものは、ちゃんとお小遣いの範囲で買ってもいいよってルールを作ったら、お買い物がちゃんと楽しくなったし、好きなものしか手元に残らなくなった。
浪費を止めるきっかけがあって、本当によかったと思う。推しに最大級の感謝。
●お給料の使い道について
貯金→6万
という感じで、平和な暮らしを維持できるようにいろいろ試行錯誤してこの配分に行き着いた。
やりくり費の5千円は、楽しいものにしか使わないようにしている。たとえばグッズとかCDとかスイーツとか。5千円を超える楽しい買い物に関しては、自分の気持ちと何度も相談をして、後悔しないと思った時にだけカードで買って翌月の貯金額を減らすようにしている。
カードを使うのは毎月の貯金額が減ることよりも、いま貯まってるお金を崩すことに抵抗があるからだけど、追々はクレカも手放したい。
7月のお給料からは「使える貯金」を20万貯めて行こうと思っている。いつでもオタ活ができる心の余裕にしたいなあと。延期になってるライブ参加費もこの枠の中でやりくりして、いま貯めてる50万には触らないつもり。真剣に本来の目的を見失ってるんだよなあ……。
キャッシュレス全盛期に前時代的なアナログ貯金をしているけど、半年いろいろチャレンジしてこれが自分なりのベストだと思ってる。
以上おわり。
先日、服屋に行った。どこに行ったかは伏せるが自宅から電車で40分はかかるところだった。
もともと服を見るつもりはなかった。服ではなく、映画を見るためにその駅を降りたからだ。30分前に着けばいいと思っていたのが用意が早く終わって家を出ると、なんと予定の3本前の電車に間に合ってしまったのだ。結果、1時間半もの時間を私は持て余すことになった。ので、近くにある大きなビルを下から雑貨屋、服屋、化粧品、服屋と見ていくことにした。1店目の服屋は特に何もなかった。服の素材を右から左に触るだけの女だった。そこの店員がなかなかにアグレッシブで何かを手に取るたびに話しかけてきたから、逃げるように化粧品コーナーに逃げた。
そうしてビルの最上階にある服屋に入った私はさっきと同じように服を眺めていた。このあと映画を控えていたからもとより買う気は一切なかった。荷物を増やしたくなかったのだ。冷房の効いた室内でだらだらとしていても時間は1時間弱ほど余っていた。久々の外出ということもあって足も限界、最初から適当なカフェに入っておけばと自分を呪いながらマキシ丈のスカートを手に取ったその時、推しが横にいた。正確には推しではない。なぜなら私の推しは韓国アイドルでありこんなコロナのご時世に日本にいるはずがないのだ。そもそも日本ツアーが中止になった時点で逆立ちしても日本にいるわけがないに決まっている。こんなことは初めてだった。これまでの人生野中で日本一の男性アイドル事務所であるジャニーズのメンバーを追ったことはなかったが、ジャニーズファンの友達が「推しに似た人見た...」とうわ言のように呟くのを何回か見てきたことはあった。でも自分がそっちに回るとは思ってなかった。それでも隣に立って服を決まった場所に返している店員さんはどうしようもなく推しに見えた。とにかく目が似ていた。コロナ対策のマスクで目しか見えないからそれしか言えないが、目が似ていた。むしろマスクで見えないという事実が、もしかすると全体的に推しに似ているんじゃないかという妄想に拍車をかけた。そう考えているうちに店員さんは服を全部かけ終わって別のところに移動したがそれを見てまた思った。顔だけじゃない、体格も似てるんかい!!!!!!! 推しは足が長かった。実際の身長は180オーバーなため店員さんとは違うとわかっていたが悲しいかな私は未だ推しのサイズが実感できるような距離で推しを拝んだことはなかった。180越えの成人男性が米粒に見えるようなドームの端でしか見たことのない推し。唯一近距離で目視できる接近イベはせっかくの当選も虚しくコロナ禍で儚く消えた。
そんな私には店員さんが推しに見えた。自動販売機の横に立っては照れていたがそっくりな顔が付いている分こっちの方が100倍照れた。顔、滅茶苦茶小さかった。私の頭蓋骨をどれだけ削れば推しの小顔さに並べるのだろうかと思っていたが多分これはドリルなんかでどうこうするものじゃない。天性のものなんだろうな。現地で彼らを出待ちするファンってこんな気持ちだったのかな。推しの身長を体感できるの羨ましいな。Tシャツにジーンズだけでこんなにスタイルがよく見えるのって推しだけだと思ってた。裾を大きめに折り返すのも、そこから見える白ソックスもスニーカーも推しがしてたのを見たことがあった。髪型なんて私が推しにハマったきっかけのライブの髪型と同じだ。そのまま私は買いもしない服屋の店内をうろつきながら、たまに同じ列に服を返しに来る店員さんを視界の端に納めては馬鹿らしくドキドキしていた。しかも帰ってから気づいたことだが、推しに日本語は通じない。でも推しにそっくりな店員さんは日本語が通じるのだ。なんなら日本語が母国語なのだ。店にいた時も今も店員さんに話しかけるつもりは一切なかったが、声をかければ返ってきたのだ。寒いねと言えば寒いねと、暑いねと言えば暑いねと、普段私が行なっていたコールアンドレスポンスさながらの会話のキャッチコピーが推しとそっくりな人間とできる可能性が、日本人にはあるのだ。コロナで大変な世の中だけど、案外希望というのは残っているらしい。私にはないが。
金とか将来とかそういうものを一切気にしなくていいとなったら俺もなにかちょっとしたものが生み出せる気がする
小説かもしれんし随筆かもしれん 絵かもしれんし音楽かもしれん とにかく何かだ
リアルな労働とか介護とかそういう問題が近くにあることが致命的に俺の創造性を削いでる気がするんだ
多分俺みたいなヤツは無数にいる
そりゃ働きながらすごい作品を生み出せるヤツとか、働くことを捨ててすごい作品によって生計を立てる方向に踏み切れるヤツはすごいよ もちろん作品を生み出せることもすごいけど、気力とか思い切りとかそういう部分もでかい
ただこの気力とか思い切りっていうのは芸術と直接関係はないだろう 1日働いたら気力を使い果たしてしまって家では寝るばかり、って人に夏目漱石なみの文才があるかもしれない 堅実に将来のことを考えて工学部に入って、絵なんて中学の美術で描いたのが最後って人も絵を本気でやってたらゴッホくらいの独創性を発揮してたかもしれない
芸術の才能に加えて覚悟とかバイタリティがないと芸術分野で才能を花開かせることはできない社会なわけですが、それってもったいなくねえか?
みんな高等遊民みたいな暮らしができたらあらゆる分野でもっとすげえ作品がバンバン出てきてるんじゃねえかと俺は思う
だからまずそれを証明するため、勤め人として摩耗していくばっかりの俺を掬い上げ、高等遊民にするべきである
頼みましたよ 俺をここで腐らせてんのは人類史における巨大な損失だ
(追記)
ああーんてめえら喧嘩売ってんのか? こんクソどもがよ
じゃねーーー てめえには言語読解の才能がないようですね 俺が今!芸術をやってないのがおかしいんだつってんだろカス ザ・カス
俺はさ、物心ついてからこのかた将来の心配をし続ける暮らしをしてきてるわけ 頭のどっかで常に「現実」を意識してんだよ
https://www.pbs.org/newshour/economy/making-sense/analysis-how-poverty-can-drive-down-intelligence
例えばこんな記事がある あんたらバカだから英語なんて読めねえか?日本語すら読めないんだからそうもなるか
かわいそうに…本当にかわいそうで仕方がないから日本語の記事も貼ってやろう 俺も英語なんて読めねえしな
https://www.afpbb.com/articles/-/2964902
プレッシャーによって心の中に大きな不安が生まれ、心的資源がいま直面する問題の方へ引き付けられる。つまり、日常生活で注意を必要とする他の物事に集中することができなくなることを示している
わかるか 貧困は知性を低下させんの 貧困ってほどじゃなくても将来への不安ってもんはつきものでしょうが だったら創造性にもなんらかの影響があるの! ないなんて言わせねえぞ
本当に一切金のことなんて考えずに生きてる奴がどれだけいるかって話 ニートだってなあ 将来に関してマジで本当に一切何も考えてないわけねえだろ 具体性はなくても不安に苛まれてんの あと金稼いでないことで引け目を感じて自己効力感が下がったりもしてるかもな 奴らとて社会から解放されてるわけじゃないんだよ そういうところに引っ張られて本来持ち合わせていた輝かんばかりの創造性というものが色褪せてしまっているのではないかっつー話をしてるんじゃい 頭の中の現実が才能を損なうんだよ
で、俺はなあ 俺は 俺はよう なりてえんだ なんの不安もない高等遊民にさあ そこなんだあ要は
そりゃそうなっても何も生み出せないかもしれねえよ でもな 可能性ってものがあるならかけてみたいじゃないですか
「明日から働かなくていいんだな、ああ、頭の中の霧が晴れたようだ、素晴らしい活力だ、海に行こう、海に行って日暮れまで絵を描こう」 ってことになるかもしれないでしょ!!???? つうかさあ芸術なんて評価の数で決まるんじゃないんだ ゴッホとか漱石とか言ったけどさ 有名さなんてどうでもいいよ 俺が、俺のやりたいことを それを思うがままにやるということじゃないですか それが芸術なんじゃないのか そうじゃないならそれでいいよ それなら俺は芸術にはこだわらん そんなん拝金主義のカスじゃないですか
だからねえ 俺を高等遊民に しろってことなんだ そうしたら 俺は ……嬉しい
でね
じゃねえんだよ だったらてめえ海にでも潜れ 水圧(Water Pressure)を感じろ 海底でプレッシャーから生まれたキモい小説を書き続けろ
あのね、そういう人もいるかもしれないよ でも俺は違うの あったかい布団で10日間何も考えずにヌクヌクするうちに創作意欲が生まれてくる そんなタイプである可能性の方が高いんだ 絶対そうなんですよね そして俺以外にも絶対そのタイプはいる
プレッシャーなんてかけようと思えばいくらでもかけられんだよ 実名で「3年以内に芥川賞とれなかったら目でピーナッツ噛みながら逆立ちで日本一周します 神に誓って絶対やります」とでもなんでも書いて自分を追い込めばいいの! 俺はそんなもんいらんって話をしてんだ
文句あっか かかってこい 荒川の河川敷で決闘だ 俺は行かないぞ 蚊に刺されてすごすご帰れ
飽きたってか元々大して面白くないことに気づいただけでしょ。今まで目新しさだけで持ってたようなもんだし。
なんていうかやっぱり素人なんだなっていうのが節々に見えて辛いわ。ゲームやってんのなら編集入って見やすくなったゲーム実況観るし、雑談ならラジオの方がよっぽど作りとして面白い。企画は逆立ちしてもテレビどころかネットテレビの足元にも及ばないレベルだし。
なんていうか関係性や内輪ノリで持ってるコンテンツだから、そういうのに興味がないとマジで低品質なんだよな。内輪ノリだからハマると面白いんだろうけど、いったん正気に返ってちょっと遠くから見ると低品質で空虚って気づいてむなしくなるだろ。
別に居酒屋でおっさんとかがだべってるのの延長線上だからそれ自体が悪いとは言わないけど、いくらVにハマってもそれっぽい雰囲気を出してるだけで隔絶されてるから関係性が築かれることはないからマジで虚無の時間だけどな。
天ぷらとかはさすがにテイクアウトは逆立ちしても勝てない感じがするんだが、普通の炒め物とかだと味的にはほぼ差がない気がする
となると、店の雰囲気とテーブル置き調味料vs自宅の気楽さと追加食材 ってことになる
店で出されたものに調味料を追加しまくって食うのは気がひけるが、家に帰ってからなら醤油でもマヨネーズでもかけ放題 なんなら米を汁にぶちこむとか刻んだネギを大量追加とかそういうマネさえできてしまう 店内飲食に勝ち目があるとするなら煮干し酢とか花椒とかそういう特殊系の追加調味料だけ
総合的にみてテイクアウトに軍配が上がる気がしてならない いくら雰囲気がいい店でもさすがに事実でパンツ一丁でいるよりリラックスできるってことはないし、緊張感こそがうまさを生むんだとしてもそれは追加食材でカバーできる気がする
テイクアウトのほうがうまい うまいっつうか総合的に良い テイクアウト万歳 コロナありがとう テイクアウト文化だけ残して消えてくれ…
安倍の火事場泥棒も最悪だが、それなら、日本では逆立ちしてもできない韓国のコロナ対応を「韓国にできて日本にできない訳がない」とばかりに誉めそやすのとかも、やめた方がいいよ。
感染者の行動経路を辿るシステムはこんな感じだが、ないものねだりしている暇は、今の日本にはない。
国民皆保険や医療関係者の献身、残業に慣れている公務員などは日本も同じだろうが、韓国のマイナンバー制度は日本のものとは性格が異なる。韓国のマイナンバーには、医療保険やクレジットカード、パスポートなどほとんどが紐付きになっていて、「マスク曜日制」実施のため使用しているほか、行動経路をたどるのにも使われている。
韓国では感染者がでると、区庁などの疫学調査員が聞き取りを行い、曖昧な部分はマイナンバーに紐付いているクレジットカード情報や携帯の端末情報により追跡しているという。そこで確保した行動経路情報はそれぞれの区から住民の携帯にメッセージが入るようになっている。
私はしがない字書きだ。ドマイナーなジャンルで細々と字を書いている。比較的男性向けのジャンルだが女性のファンも多く、イベントがあるとサークル参加する人の割合は女性の方がかなり多いと思う。
そしてありがたいことに小説もそこそこ読んでもらえるようで、本を出せばそれなりに出る。小説本を出す人も少なくない。匿名の記事で時たま見かけるような、「字書きには人権がない」みたいなことを感じたことはあまりない。時々絵師の言葉の端々から「あぁ字書きのことを下に見てやがるな」と思うことは全くないとは言わないが、比較的温かい雰囲気の中で書かせてもらっている。
絵師様に挿絵や表紙を依頼しても嫌な顔をされることはあまりないし、光栄なことにコラボをさせてもらうことも時々ある。
そんな中で、私が感じたことをつらつらと書かせてもらいたい。
これに限る。
コラボをさせてもらう。字書きの私からすれば、自分では逆立ちしたって決して描けない神絵がやってくる。
そりゃもう持てる語彙すべてをフル回転してその感動を伝える。いやだってほら、こんな素晴らしい絵を描いてもらってる。しかも自分のために。
自分の話を元に描いてもらった神絵、もしくはその神絵にこれから自分が話を付ける権利を有している。こんなに嬉しいことはない。
テンションも上がる。絵をほめちぎる。なんなら褒めているという感覚はほぼない。自分の心の奥底から湧いてきたこの感動を言葉にしているだけだ。
そしたら、絵師様もとっても喜んでくれる。嬉しい、こんなに褒めてもらえるなんて、と私の書いた感動の言葉に対して感動したと返事が返ってくる。
「こんな細かいところまで見てくださって本当にありがとうございます!」
「ラフを投げただけですごく褒めてくれるので筆が乗りました!」
「もらえた言葉があまりにも嬉しくて、家族に報告しちゃいました!」
……まじか?そんなに喜んでもらえるの??嬉しいのは私の方なのに??
ちなみにこれは私個人に限った話ではない。
過去に複数の絵師と字書きが集まった企画を行った時も、グループDM内では字書き仲間は私と同じように興奮の極みのような感想を送り、絵師はそれに対してこちらが逆に申し訳なくなるくらい、感想ありがとうの言葉が返ってくる。
ここで私は気付く。
……もしかして、絵師様って普段はそんなに褒められてない……?
こんなに素晴らしい絵を描くのに?
日頃から私たちのタイムラインをあんなに素敵に彩ってくれるのに?
確かに『感想くれ!』っていう叫びを書いたお気持ち漫画やお気持ちイラストを見かける。
確かに私たちも、リプライ欄であのテンションで垂れ流すのはどうかと思うので感動をぐっと閉じ込めてふぁぼりつで済ましてしまうことがある。
コメント欄の半分がびっくりマークと三点リーダーで埋まってしまいそうなので、「可愛い」「素敵」と短い言葉で済ましてしまうことがある。
日頃から交流を持ち、長文リプを送り合っているような関係じゃないと、突然ツイッター上で鼻息荒い感想リプライは送りにくい。字数の制限もある。
そうか、絵師様はこんなに絵がうまくて可愛くて最高の作品を生み出すのに、こちらの思いが届いていない。
Twitterという公の場所で絵を投稿している以上、140字以上の感想を貰えることは極端に少ないし、死ぬ気で出した本でも買ってくれる人はいる、直接自分の本を求めてきてくれる人もいる、戦利品報告の中に自分の本はある、……ただ、そこから個別に感想を貰えるかと言われれば、実際そう多くはないだろう。
絵を描くたび、イベントに出るたび、「褒めてもらいたくて描いたわけじゃない、私は自分が描きたいから描いたの!」……と、そう自分に言い聞かせて、満たされない承認欲求をなんとか誤魔化してきた人だっているだろう。
そこで、だ。
タイトルに戻ろう。
そうすれば、私たち字書きはあなたのために全力で話を考えるし、頂いた絵に対しては、持てる力すべてを使ってその感動を伝える。DMというクローズドな場所の中で、字数の制限もなく、他人の目もない状態で、あなたが私のために描いてくれた絵を全力で絵の良さを伝えていく。私とあなたしかいない場所で、まっすぐ100%あなたへの、あなたの作品への言葉を伝えていく。
「絵にお話とかつけてもらいたいな~」「お話に絵をつけてもらいたいな~」と何の気なしに言ってみて、乗ってきた人と組んでみるのも一つだ。
良いなと思った字書きの作品に対して「勝手に絵を付けさせてもらっちゃいました」と先に描いてしまってもいい(そんなことされたら字書きは大抵興奮と感動のあまり死ぬがすぐに生き返るので軽率に殺してほしい)
誕生日を迎えた字書きのおめでとうリプやフォロワーと絡む系のタグでこっそり伝えてみてもいい。
「この人に褒めてもらいたいな」そう思える人に、軽率にコラボを投げかけてほしい。
もしかしたら、「そんなことして迷惑なんじゃ……」と思う心配性な子猫ちゃん絵師がいるかもしれない。
安心して。字書きの99.999%は絵師のことが大好きだ。自分じゃ描けない『絵』を生み出せる人に対して、敬意を払っていないわけがない。(敬意を払っていない字書きがいる?そんなものは燃やしてしまえ!)
悲しいことだが、絵描きが字書きを下に見ることはあっても、字書きが絵描きを下に見ることはあまりない……と私は思う。
でも、それを逆手に取ってしまえばいい。絵師以上に褒めてもらえないのが字書きの世界、自分の話を好きだと言ってきてくれた人が誰であっても字書きは嬉しい。初対面の人でも。それが絵師さんならな尚更うれしい。簡単に字書きは舞い上がる。
絵師が字書きにコラボを持ちかける(字書きはちゃめちゃに嬉しい)
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字書きが一生懸命お話を考え、絵師さんもそれを元に絵を描いてくれる(字書き嬉しい)
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絵師さんの絵を字書きが最高潮のテンションで褒める(絵師さん嬉しい)
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ほら見て。嬉しいと嬉しいことが重なって、ほかの人まで嬉しくなる。これが世界平和。認められた、自分の作品を喜んで受け入れてくれる人がいる。そんなプラスの感情で創作が進む。
創作って一人の戦いだし、やっぱり辛いことだってある。だからこそ、好きな絵やお話を、嬉しい気持ちで創れることってこれ以上ない幸せだと思うんです。
なのでもう一度言います。